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「みことばの働き(4) みことばの光」 2020年11月29日インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。2017年5月19日放映「初めに光があれ」「みことばの働き(4) みことばの光」 甲斐慎一郎 エペソ人への手紙5章8~14節 最後にみことばの光について学んでみましょう。 人間というものは、まず生命(種)が与えられ、次に食物(糧)をとらなければなりませんが、これだけでは不十分であり、さらに教育や文化など、人間として向上していくために知識や知恵が必要です。この知識や知恵に相当するものが光です。 一、光自体の働きについて 光には様々な働きがありますが、特に大切なのは、次の3つです。 1.照明する働き 「明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます」(13節)とあるように、すべてのものを照らして明らかにする働きです。私たちは、みことばの光によって神ご自身と自らの罪深い姿と十字架の救いを知ることができます。 2.結実する働き 「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです」(9節)とあるように、良い実を結ばせる働きです。適度な暖かい光は、神の恵みの象徴であり、私たちの信仰を成長させます。 3.焼却する働き 「来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます」(第二テサロニケ2章8節)とあるように、強い光は焼き尽くす火の働きがあります。これは光の中を歩むキリスト者の罪を焼き尽くすものですが、同時に罪を悔い改めない罪人を焼き滅ぼすものです。 聖書は、みことばが光であるだけでなく、三位一体の神、すなわち「神とキリストと聖霊」が光であることを教えています(第一ヨハネ1章5節、ヨハネ1章9節、16章13節)。 二、光を生かす働きについて この神とみことばの光を十分に生かすためには、次のような3つのことが必要です。 1.光のほうに出てくること(ヨハネ3章20、21節)。 私たちは、みことばと聖霊の光によって自らの罪深い姿を示されたなら、逃避せずに罪を悔い改めてキリストの十字架を信じなければなりません。これが光のほうに出て来ることであり、そうしなければ暗黒と罪の中に止まることになるのです。 2.光の中を歩むこと(第一ヨハネ1章7節)。 光のほうに出て来て光の子どもとなった私たちは、事ごとにみことばと聖霊の光によって教えられたり、示されたりしたことを直ちに実践しなければなりません。これが光の中を歩むことです。 3.光を輝かすこと(マタイ5章16節)。 そして私たちが光の中を歩んで奉仕や善行に励むなら、神の光を反射して、ほかの人々が神を知って救われ、神の栄光が現れるようになります。これが光を輝かすことです。 三、光による働きについて それでは、人が光のほうに出て来ないなら、光は何にもならないのでしょうか。決してそうではありません。神は、光によって次のような働きをされるのです。 1.知識を与える 光は私たちの心の眼を開けて、見えるようにさせます。この「見える」というのは、「分かる」ということであり、「分かる」というのは、「区別する」ことができるということです。この区別することができるということこそ知識です。 2.知恵を与える そして光は、私たちに知識を与えるだけでなく、その理解したことを実行に移す知恵をも与えてくれるのです。 3.啓示を与える しかし最も大切なことは、これらのことが単なる人間的な知識や知恵ではなく、神からの啓示であるということを悟らせるのが光の働きです。みことばと聖霊の光は、「御子を私のうちに啓示」することができるのです(ガラテヤ1章16節)。 私たちは、光というものをこのようにとらえているでしょうか。「光」については、上段のインターネットのテレビ局CGNTVの「初めに光があれ」をクリックしてご覧ください。甲斐慎一郎の著書→説教集久米小百合氏司会「本の旅」→「使徒パウロの生涯」
2020.11.28
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「みことばの働き(3) みことばの糧」 2020年11月22日インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。2014年1月20日「平安と将来と希望を与える神の計画(1)」 「みことばの働き(3) みことばの糧」 甲斐慎一郎 ヘブル人への手紙5章11~14節 第三にみことばの糧について学んでみましょう。 一、糧自体の働きについて みことばが糧であるとは、どのようなことを教えているのでしょうか。 糧は、いのちを存続させるものであり、いのちは、ただ糧によってのみ存続することができます。創世記の2章と3章には「食べる」または「食(糧)を得」ということばが、実に22回も記されています。聖書は、人類が堕落したのは、食べてはならないと神に命じられていた「善悪の知識の木」の実を取って食べたからであると教えています。 すべての人に罪をもたらした恐ろしい人類の堕落が、食べてはならないものを食べたことによって起きたとは、何と驚くべきことでしょうか。食べるというのは、そんなに重要なことなのでしょうか。そもそも食べるとは、何を意味しているのでしょうか。 キリストは、「わたしを信じている者は永遠のいのちを持ちます」(ヨハネ6章47節、異本の訳)と言われましたが、また「このパン(キリスト)を食べる者は永遠に生きます」(同6章58節)とも言われました。この二つのことばから、「食べる」とは「信じる」ことを意味していることがわかります。 そして聖書は「食べ……生きないように」(創世記3章22節)と記していますが、あるものを「食べる」とは、それを「信じて、それによって生きる」ということを意味しています。ですからアダムとエバが禁断の木の実を「取って食べた」とは、神のことばではなく、悪魔のことばを信じて、そのことばによって生きたということを教えているのです。 私たちは、一体何を食べて(信じて)生きている者でしょうか。 二、糧になる働きについて 聖書は、人間の心を土にたとえているだけでなく、からだの消化器官にたとえて教えています。すばらしい神のことばという糧も、心の消化器官が悪ければ、十分な栄養にならないからです。からだの消化器官は、次のような3つの働きをしています。 1.消化・吸収の働き――これは、神のことばをよく反芻し、思い巡らすことにたとえることができます(詩篇1篇2節)。 2.解毒・殺菌の働き――これは、「神のことばを曲げず」(第二コリント4章2節)、また「神のことばに混ぜ物」(同2章17節)があれば取り除くことにたとえることができます。 3.代謝・排泄の働き――これは、絶えず新しくみことばに教えられて、あかしをし、「内なる人」が「日々新たにされてい」くことにたとえることができます(第二コリント4章16節)。 私たちは、神のことばを心の消化器官の働きをするものとして信じているでしょうか。 三、糧による働きについて それでは、心の消化器官が弱い時は、どうすればよいのでしょうか。それは、神のことばを糧、すなわち「堅い食物」(14節)として食べるのではなく、「神のことばの初歩」すなわち「乳」(12節)として飲むことです。みことばの乳は、私たちの心の消化器官を強くし、ついには堅い食物も食べられるようにしてくれるのです。乳または糧の3つの栄養素は、次のような働きをします。◇炭水化物――からだを動かす熱量の働きをします。◇蛋白質――からだを丈夫につくる働きをします。◇ビタミン・ミネラル――からだの調子を整える働きをします。 私たちは、神のことばを炭水化物のような心の力や熱量として、またビタミン・ミネラルのような心の恵みや潤いとしてだけでなく、蛋白質のように私たちの心と信仰自体を丈夫にする神学や教理として食べなければ、心の消化器官を強くすることはできないのです。 私たちは、神のことばをこのような3つの栄養素として食しているでしょうか。甲斐慎一郎の著書→説教集久米小百合氏司会「本の旅」→「聖書の中心的な教え」
2020.11.21
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「みことばの働き(2) みことばの種」2020年11月15日インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。2014年1月9日放映「新しい事をされる神」「みことばの働き(2) みことばの種」 甲斐慎一郎 マルコの福音書4章1~34節 次にみことばの種について学んでみましょう。 一、種自体の働きについて みことばが種であるとは、どのようなことを教えているのでしょうか。 種は、動植物が発生するもとであり、生命の最小単位です。すべての動植物は、種から生まれるということができます。この種は、良い土の中に埋められるなら、「芽を出して育ち」(27節)、また「実をならせるもの」です(28節)。このことから種の働きには、3つのものがあることがわかるでしょう。1.種には、生命の力があります。2.種には、育成の力があります。3.種には、結実の力があります。 詠み人知らずの作者が信念と行動と性格と運命の密接な関連を適切に表現しています。 「思いを蒔けば、行為を刈り取る。 行為を蒔けば、習慣を刈り取る。 習慣を蒔けば、性格を刈り取る。 性格を蒔けば、運命を刈り取る」 心にとって最も大切なものは、ことばです。ことばは、人間の心の生命です。もしことばがなかったら、何も考えることはできず、その結果、正しく意志を働かせることもできないでしょう。ことばは、私たちの心という土の中にはいると、思考や連想や想像によって、私たちの心の中で生育し、会話や品性や行動という実を結ぶようになるのです。 ペテロは、「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです」と述べています(第一ペテロ1章23節)。神のことばは、罪のために死んでいる私たちの心を生かす生命の種です。この神のことばは、私たちの心の中で生育し、会話と品性と行動において、神に喜ばれる実を結ばせるのです。 二、種を育てる働きについて この種蒔きのたとえ話において、主イエスは、私たちに4種類の土、すなわち心について教えておられます。 1.道ばたの土――これは、自らを守らず、世の様々な罪と悪の感化によって踏み固められた心です。しかしこれでは、種が育たず、しかも悪魔という鳥が来て食べてしまいます。 2.岩地の土――これは、「みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる」感情的な信仰心、「根がない」根拠を持たない信仰心、そして「みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしま」うという御利益信仰心を表しています(16、17節)。 3.いばらのある土――これは、罪を悔い改めず、「世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望」という「いばら」を取り除かないで信じようとする心です(19節)。 4.良い地――これは、思慮深く、いばらを取り除いて、よく耕された心のことです。 私たちは、種が良く育つように、4番目のような良い地にすることが必要です。 三、種による働きについて このような4種類の心は、みことばの種が蒔かれた後も、宿命として定まっているのでしょうか。決してそうではありません。「なぜなら、みことばの種は、普通の種とは違って、反対に土を良くすることができるからです」(R・C・トレンチ)。すなわち私たちは、みことばという種の働きによって、道ばたの堅い土も柔らかくされ、岩地も深い土とされ、いばらも取り除かれるのです。 そのためには、どうすればよいでしょうか。それは、みことばを良く聞くことです(3、9、23、24節)。聞くことは、見ることよりも、はるかに重要です。なぜなら私たちは、聞く時にのみ、ことばが心に深くはいって心が変わりますが、私たちが何かを見ても、その見たことが私たちの心に何かを語りかけない限り、それは意味がなく、心は変わらないからです。「信仰は、聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」とある通りです(ローマ10章17節)。甲斐慎一郎の著書→説教集久米小百合氏司会「本の旅」→「神のご計画の全体」
2020.11.14
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「みことばの働き(1)みことばへの責任」2020年11月8日インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。2013年11月25日放映「聖書に親しむ」 聖書に親しむ「みことばの働き(1)みことばへの責任」 甲斐慎一郎 使徒の働き17章10~15節 「旧新約聖書のみことばは、キリスト教の信仰と実践の唯一で、十分な最高の規準である」と言われています。これは、長いキリスト教会の歴史のなかにおいて最も大切なことであり、もしこの聖書の権威が失われるなら、キリスト教とキリスト者は、そのいのちを失ってしまうでしょう。 私たちの信仰のいのちとも言える神のことばは、どのような働きをするのでしょうか。1.みことばの働き(1)――みことばへの責任2.みことばの働き(2)――みことばの種3.みことばの働き(3)――みことばの糧4.みことばの働き(4)――みことばの光 まずみことばへの責任について学んでみましょう。 一、みことばへの3つの責任 「ヤコブの手紙」の1章21節と22節には、みことばに関して3つの動詞が記されています。すなわち,「聞く」と「受け入れる」と「実行する」です。これは、みことばへの3つの責任を教えています。 1.みことばを聞く責任 これは、単に耳で聞くことではなく、心で聞くこと、すなわち私たちの心に語りかける神の声を聞くことです。私たちが聖書を読み、また集会に出席しなければならない理由の一つは、これです。 2.みことばを信じる責任 私たちがみことばを聞くのは、それを信じて、罪をはじめ様々な問題から救われるためです。 3.みことばを行う責任 しかし私たちがみことばを信じるのは、みことばに仕えたり、みことばを宣べ伝えたりすることによって、神のみこころを行うためです。 そして私たちが永遠に救われるか滅びるかは、この神のことばを、ほんとうに聞いているかどうか、ほんとうに信じているかどうか、ほんとうに行っているかどうかによって決まるのです。 二、みことばを信じるための助け ベレヤのユダヤ人は、「みことばを聞き……聖書を調べ……そのため……信仰にはいった」(11節)と聖書は記しています。このことから、みことばを聞くだけでなく、聖書をよく調べて学ぶなら、それだけ信じやすいことがわかるでしょう。私たちを真の信仰に導く正しい聖書の読み方は、次のような3つのことです。 1.観察――まず何が記されているかという聖書の内容を正確に観察し、把握することです。 2.解釈――次に聖書の真の解釈者である聖霊によって、聖書の中心であるキリストに導かれるような説き明かしをすることです。 3.適用――最後に説き明かされたみことばを私たちに当てはめ、自分のものとすることです。 三、みことばを行うための助け パウロがエペソの教会の長老たちに語った訣別の説教のなかに、「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人人のなかにあって御国を継がせることができるのです」というくだりがあります(使徒20章32節)。みことばが私たちを育成し、御国を継がせるとは、何とすばらしいことでしょうか。 私たちがみことばを信じるだけでなく、そのみことばが私たちを育成するなら、それだけみことばを実行しやすくなるのではないでしょうか。私たちは、みことばを実行するために、みことばに育成されることが必要です。そのためには、みことばがどのような働きをするかを知らなければなりません。聖書は、みことばの働きについて、次のような3つのことを教えています。2.種としての働き――神による霊的ないのち3.糧としての働き――神による霊的な栄養4.光としての働き――神による霊的な知恵 次回から3回に分けて学びます。 甲斐慎一郎の著書→説教集久米小百合氏司会「本の旅」→「使徒パウロの生涯」
2020.11.07
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