全6件 (6件中 1-6件目)
1
6月は、一時期頭痛や憂鬱感などにさいなまれ、なかなかすっきり爽快というわけにもいかないが雨の中紫陽花をみて心が和んだり、早朝散歩をしたり、自分なりに爽快になるよう色々と試みている。そんな6月も明日で終わる。いよいよ夏である。私はいつも夏になると元気になり何かを始めることが多い。昨日は新しくできた女友達3人と「宅飲み」をして楽しんだ。二人はボーカリスト。Rさんは8月にボサノバライブで共演予定。Aさんは初対面だが ソウル&ファンクバンドで、いずれ共演する予定の方。ビール、ワインなどを飲みイタリアンや中華のテイクアウトを食べ、いろいろなことを語り合った。前3年間すんでいた 筑紫野市では新しいお友達は、できなかったので、最近音楽を通して友達が増えてきたことは、本当に嬉しい限りである。RさんもAさんも同年代で どうも独身みたい、生きる姿勢、音楽に対する熱意。とても素敵だ。しばらくバンドはRさんのボサバンド、Aさんのソウルバンド ギタリストKさんとのDUOの活動3つに絞って集中するつもりだ。希望でいっぱいだ。明日は妹優子の月命日。近況を報告しようと思う。
June 29, 2007
コメント(0)
妹がなくなってから私も私の家族も明るく前向きに過ごそうと努力している。私は仕事をしていると元気になれるのだが、以前より疲れやすくそれ以外はぐったりしていることが多いためなるべく 発散させたり 落ち着かせたりと、アップとダウンのバランスをとろうと努力することにした。服装は黒ずくめはやめ、極力明るめのものに変え、散歩したり、サイクリングしたり、ダンスしたり。お香をたき、心地よい音楽を聴く。絵を描く。展覧会に行く。その中でいろいろな方々に出会いそれぞれ 生きるヒントを教えてくれる。妹とのバンドのメンバーだったガーナ人のHは「哀しいけど、これは神様が選んだことだから。」といい、彼のレゲエバーの従業員の同じガーナ人のDは「私は毎日が楽しい、それは聖書を読んでいるから」といっていた。日本と外国とでは死に対しての意識が違うというのは知っていたが彼らの言葉をきくとなんだか 楽になった。また 昨日は箱崎にもも庵というピアノが置いてあるギャラリーにて展示会があり行ってきたのだが、その作家の鮫島さんというかたは息子さんを10年以上前にバイク事故で亡くされていて その後前向きに 生きる努力をし、今は花の絵を中心にやわらかく、どこか芯が強く、優しい絵をかき、個展を開いたり絵の指導をされたりしている。「悲しみを乗り越えるのに10年はかかった」そうだ。その作品たちを眺め、ギャラリーのオーナーとも話した。夏にギターとのDUOライブで私のオリジナルをもしかしたらそこで披露出来るかもしれないのだ。いつか水彩の腕が上がったら個展もしたいという夢もある。私は自分の今後の方向が少しずつ見えてきた気がした。夢は生きる力になる。今朝はあまり体調がよくなかったが今からホットケーキを作って食べ仕事。明日の朝は早起きをして また紫陽花の絵を描こうと思う。
June 25, 2007
コメント(2)
妹の死。それは私の日常の感覚を大きく変えた。聴覚、触覚、嗅覚。視覚。味覚。この五感がこの20日間でさらに研ぎ澄まされたようだ。一つ一つに感激し、心を揺さぶることが大きくなった。だから、パソコンに向かっていた朝6時から8時の間。これを半分違うことに使うことにした。歩くか、絵を描く。毎日二つはできないので交代でそれをすることにした。昨日は1時間たっぷり朝の空気を浴びて歩いたし今日は先日紫陽花をスケッチしたものを下塗りした。絵は1時間では しあがらないのであさって、 陰影をつけ 金曜日に絵の先生に見てもらうことにする。紫の紫陽花をかいているとなんだか 妹を思い出した。限られた時間の中精一杯綺麗に咲こうとしていたね。でも、もう涙は出なかった。妹を失った悲しみは少しずつ、ふわふわと朝の空気に溶け込んでいく。
June 19, 2007
コメント(5)
妹が他界して二週間。今日は最悪の体調。吐き気と頭痛がひどい。いまちょっと落ち着いている。今日はこんな調子だったので昼過ぎまで寝ていた。通常は、5時には起きるので、昨日と一昨日は心のリハビリのために早朝散歩をした。一昨日は近所へパンを買いに。昨日は実家の周りを。妹が好きなパン屋さん。10年前住んでいた町、小さい頃よく遊んでいた山。小川のせせらぎ。そのあたりにさく紫陽花。どこを歩いても、妹との思い出でいっぱいで、たまらなかった。しかしこの一人の時間を何かでごまかさず、受け止めてきちんとすごすことで乗り越えられる気がした。昨日は「ふたなのか」という法事だったので、母と話して真子ちゃんが弔辞の中で、話題にし葬儀のときに司会者が朗読をした「千の風になって」を食事の際生演奏することにした。れいかが歌いたいといったが、歌詞の内容が死をリアルに表現していたため「私が歌うと縁起でもないね」と、とりやめたこの曲を今、皆で歌おうと思った。食事会の鉢盛はお通夜の日の朝に12年ぶりに再会した他のバンドのベースのつかちゃんの会社にたのんだ。つかちゃんにこの法事で生演奏する予定だと話し、法事で演奏するって珍しいよねといって笑った。この「千の風になって」を歌う企画は やってよかったみたい。歌いながら泣いている人もいて、皆麗華のことを偲んでくれた。麗華も、一緒に歌ってくれた気がした。散歩や、絵や音楽は少しずつ心を癒してくれる。一晩寝れば、頭痛も治まり散歩する気力も出るだろう。さて明日は、どこを散歩しよう。
June 13, 2007
コメント(8)
妹麗華の永眠後1週間がたった。私は水曜日から ピアノのレッスンを再開している。あえて自転車で移動した。空気、空。。新緑。花。すべてが違って見える。しかしこの日はまだすぐに立ち直るわけも無く時々涙があふれてきたりバッグから化粧品は零れ落ち(ふた閉めとけよ) 財布から小銭がどんどん転がっていって周りの人に拾ってもらったりした。自転車も何度も倒した。落ち着いたかと思ったらなみだがあふれる。、その繰り返しだった。しかし買い物する気力がでた。肉屋さんで鶏肉を買ったらやたらと高かった。倹約家の妹から怒られそうだ。「専門店は高い!スーパーの安売りで買わなきゃ!」って。木曜日。この日は音楽を聴く気になった。最初は気持ちに同調するように ジャズのもの哀しいサックスのメロディーを聴き、ボサノバで心を癒しそれから妹の大好きだったダイアンキングを聴いた。やはり涙はあふれたが、この日は気分を盛り上げた後、どうしてもピアノに向かいたかった。1週間ぶり。やはり弾けなくなっている。妹の葬儀で流れたピアノとのデュオの曲を伴奏型で弾くと隣で歌っているようだった。次に、アレンジを変えてメロディーを高音部でせつなげに弾いた。このアレンジは使えると思った。うれしくなったが 体力の消耗が早かったので切り上げた。水曜と木曜のピアノの生徒の指導に、精神的ショックの影響は無かった。このうち二人は妹の死のことは知らない。今週レッスンする人たちにはまだ、言わないつもり。バンドは 妹の付き添いが必要になったときに やや遠い練習場で楽器持込で毎週やっていたところはやめたが 今住んでいるところに近い、ミュージシャンの方々から「ジャズセッションにおいでよ」「ソウルのリハをするから30分、2曲だけでも気晴らしにおいでよ」と2件お誘いがあった。皆さん、私の事情は知っている。きっと バンドで弾いたほうが気持ちは晴れる。しかしいきなり長い時間や ハードな曲数はこなせなさそうなので、私の大好きなアースウィンドー&ファイヤーのナンバーをするという、初対面の人たちだが かなりご機嫌なリズムセクションらしい。その30分2曲だけのほうに ちょっと気持ちが惹かれている。(2曲ですまないかもしれないが)
June 8, 2007
コメント(12)
妹レイカは このところ覆水がたまり、顔も足もはれ、精神も不安定になり いよいよ付き添いも必要になってきたため、私は 毎週久留米まで練習にいっていたブルースバンドをやめ付き添いに協力する事にした。その翌週の事だった。朝、母と 交代するために病院へ。母はもう外へ出ていた。妹は私が来ても反応がなく始終落ち着かない様子。手を話すと不安定になるのでずっと両手を握るが「いるかを 運んで」とか「先生が難しい事を言うので流して」とか、よくわからないことをずっといっている。ね転んだり、起き上がったり。もう正気ではなかった。途中で高校からの友人Kちゃんが来てからもずっとそんな状態。「花が沢山あるので間引きして」「剣山にさして」という。花はどこにもない。だけど「Kちゃんよ、わかる?」というと「わかってる」という。父の死の直前と様子も匂いも似ていたので嫌な予感がした。何度も「お母さん」「E子ちゃん」といっていた。「もうすぐくるよ」といったが始終手を動かして落ち着かなかった。そのうちE子が来たので交代した。私は家に帰ってレッスンをし、またちがう場所でレッスンをし、実家に帰る途中は母から「実家でなく病院へ来てほしい」と連絡があった。寝たまま意識が戻らなくなったらしい。私が病院についた時はまだ呼吸が荒かったが親戚や友人が集まり、意識が戻る事なく二時間後息を引き取った。37歳。ロンドンより胃癌が発覚し帰国して1年と2ヶ月。1年の間に前半は彼女は友人と同居。沢山の友人とあいパーティーをし 旅行をし人の何倍も働き 後半は私と同居。私のスクールの講師を勤め発表会も出演。ライブは4回行った。そして最後の2ヶ月だけ入院した。「遊ぶのは楽しいけど 形には残らなかった。 歌うことは、形になって私の中に残っていく。」と彼女は言った。私は後半彼女と過ごしたなか 金銭的な事は なにもしてあげれなかったし早寝早起きの為 彼女の夜遊びには付き合えず 寝てしまうし、あいかわらず ぼーっとした頼り無い姉だったが私にしか出来なかった事。それは彼女が歌う時や、彼女が生徒に指導する際 ピアノで歌の伴奏をする事だった。たったそれだけだったが 彼女は歌う事やそれを指導することにより 生き甲斐を見い出しスクールの指導をする事により「ロンドンで学んだ事が役にたった」と、大変喜んだ。「優子先生を待ちます」「 私にできる事、それは 歌い続ける事です」と、優子(レイカの本名)の生徒達は彼女を信頼した。葬儀の際「ボーカリスト」としての彼女がクローズアップされ衣装が飾られ 葬儀中一曲だけ 私のピアノ伴奏で彼女が歌うシーンが 流れた。「タンブルダウン」。私は弾き続けようと思う。彼女のために。お通夜と葬儀では、約330名の方が弔問にみえました。お見舞いにも沢山の励ましの言葉、プレゼントを頂きました。ロンドンや、アメリカ、オランダのお友達、日本のお友達、親族。妹を応援してくれたすべての方に 「ありがとう。」
June 6, 2007
コメント(15)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


