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れいかが胃にステントという食物を通しやすくするための金具をいれて数日間。手術前「栄養状態がうまくいけば退院できるらしい」と嬉しそうに話していた彼女。しかし現実は、それとは異なっていた。私が昨日、ドアをノックすると彼女はその音で目を覚ましたようで今は、夜なのか昼なのかと、聞いた。それさえも分からないほど寝ていたのかと、少し驚いた。彼女の目はうつろで無表情である。私は黙って彼女の足をマッサージした。彼女は目を閉じて横を向きしばらく会話はなかった。話すと声がかすれてつらそうだ。これでは歌うどころではない。私が耳掃除と顔のマッサージはどちらがいいかと聞くと顔だと答えた。こういう状態でも綺麗でいたいという切実な思いだ。私は顔をマッサージしながら、胸が詰まった。せめて彼女に、心から愛する人がいたら。手を握ってそばにいてくれる人がいたらと思った。れいかは終始無表情で無気力だった。あれだけ喜怒哀楽がはっきりしていたのに。これは薬のせいだろうか。私は帰り際 ロンドンのお友達から届いた手紙を渡した。彼女はカードをあけ、しばらくじっとそれを見つめていた。私は実家に帰宅後母から 抗がん剤が3段階ともきかなくなったためこの日から、モルヒネを点滴しているときいた。そうでなければ眠ることができないらしい。今からは眠ることが多くなり、でも寝たきりというわけではなく、声をかければ起きるという状態だそうだ。癌は骨にまで転移している。頭痛がするというので脳に転移していないか調べるということだ。悲しい現実。もう私たちにはどうすることもできない。この状態の中お見舞いに行ってもいいかとよく聞かれる。れいかは 「話すことがあまりできないが 5分ぐらいだったら友達の顔を見たい」というようなことを言った。今日ももう一人の妹と私たちには何もしてあげることはできないができるだけ病院にいきそばにいてあげようと 言う話をした。私たちは絶望とわずかな希望のはざまで、揺れている。
April 30, 2007
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先週、胃にステントという食べ物の流動を助ける金具を入れる手術をしたれいか。実はその後の彼女の具合はあまりよくない。ステントを入れ、栄養状態が良くなったら退院できるかもしれないと希望をもっていたのに...今日は友人Kと一緒に病院に行ったのだが あまりの彼女の変わりように彼は涙が止まらなかった。彼にとって、少し こ憎たらしく、いつも自信満々のれいかはもう、どこにも見当たらなかった。何を言ってもうつろで、とても苦しそうだ。見ていて本当に心が痛い。私はれいかの足裏や手のマッサージをする以外何をしてあげることもできない。つらい、つらい現実である。母も相当つらいと思うがそんなところはおくびにも出さずいつも明るく振舞っている。私も、2月は自分のほうがまいりそうだったが、今は相当強くなったようだ。そんな私たちを見て、Kは「あんたたちは強いな。。。」と、つぶやいた。彼の母親は去年 やはり癌でなくなった。そのひとは35歳で発病し、今の妹のような状態だったがそれでも40年生き延びた。周囲も驚いたそうだ。だから私たちは、信じている。れいかが苦しみを乗り越えて、また強気でおしゃれをし、精一杯遊んで精一杯人生を謳歌する日が来ることを。
April 25, 2007
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先日、5月に初めて共演するギタリストKさんのソロライブに行き、お話ししたことによりとても大きな影響を受けて帰ってきた。その後、自分の内面が変化しだしたのを感じる。今まで蓄積したことを、もっと幅広く、そして深く掘り下げ、さらに新しい風を取り込もうという気持ちになり、充実感を感じている。やはり、自分だけで練習したり考え込むだけでは煮詰まってしまうのだろう。私は、これからの自分をもっと外に向け、さらに前進し、質を高めていく努力をしたいと強く感じた。5月はジャズライブ、ブルースライブとまったく違ったバンドでの出演が決まっている。また別のメンバーで、新しいボサノババンドも結成することになった。ボサノバだけのバンドは前々からやりたかったのだが、これまでいろいろなバンドに参加していたため余裕がなくなっていた。やっと、やりたいことができるようになってきたのだから、これからは、上手く力を抜き無理のない範囲でやっていかなければならない。音楽にできるだけのエネルギーを注ぎ、かつ楽しめれば、いいなと思っている。
April 23, 2007
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胃にステントという金属の網状の、食物を通す役目をする金具を入れたれいか。今は個室に移っている。昨日病院へ行くとうつろな目をして、ぐったりしていた。喋るときつそうなので、だまってハンドマッサージと、りフレクソロジーを施した。その後椅子に週刊誌があったので 普段週刊誌を読まない私はここぞとばかりによみあさった。そして普段絶対に縁がないレディスコミックもあったので興味津々だったが興奮するといけないので読むのはやめておいた(^^)。れいかが「お母さんがくるのをを待ってるの?」とか細い声で言うので「いや、普段週刊誌読めないから読んでおこうと思って」と正直に答えると哀しげに?微笑んだ。(あきれていたのかもしれない)長居すると疲れさせると思ったので、切り上げて食堂でお手製のお弁当を一人で食べて外へ出た。ちょうど母が到着したところだった。2,3日は安静にしなければならないらしい。来週あたりはもっと、元気になると思う。
April 19, 2007
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れいかが入院して2週間がたつ。点滴で栄養状態を安定させ、胃にステントという金属を埋め込んでしばらくしたらまた抗がん剤を再度投薬する。明日はステントを入れる手術だ。それが終わったら1週間は安静。外出は不可である。今日 母と一緒にお見舞いに行くと、病院の食事に不満をもっているようだった。手作りのカフェオレゼリーを持っていくと喜んで食べた。これは小学生の頃からの私の得意とするお菓子なのだ。簡単なのだが調合で味は、微妙に変わる。私が先に帰った後に母が魚屋が作っているという握りたてのおすしを買っていくとパクパクと食べ 吐かなかったらしい。話しを聞くとこのまま退院できないというわけでもなさそうなので、「早く退院してあれもしたいこれもしたい」と、話しが盛り上がった。もちろん、彼女はライブをしたいといった。みかみでの復活ライブのときはダンディーという評判だったNさん、Sさん、よろしくお願いします。私はれいかが復活するのを待っている間も、いろいろな方と演奏をする機会がある。4月28日は鳥栖にてバイオリンのY本さんとジャズ、ボサノバデュオ。29日は佐賀にて ベースのK山さんとジャズ、ボサノバデュオ。5月19日は 中州リバーサイドでジャズライブ。 (Voばーち P丹生谷秋子 G久米博之 B城戸誠司 Dr木下恒治)5月26日は 久留米サンライズでThe Boogie Cracks’(ブルース)のライブ。未定だがトロンボーンやサックスとコンボの編成で演奏する機会も増えそうだ。毎日精進、研鑽し 元気になったときのれいかとの共演を楽しみにしているのである。An.Music
April 16, 2007
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昨日、癌闘病中のれいかが外出許可をとり、教室へ指導をしにきた。彼女が入院することになった際、ボーカルの生徒に休んでもらうか、代講を依頼するかと選択しか考えていなかったのだが、一人の生徒さんが、「私はY子(れいかの本名)先生に習う以外かんがえられません。Y子先生がお元気になられるまで待ちます。」とおっしゃってくださった。それを聞いてれいかは 外出許可を取ってレッスンすると決心したらしい。案の定、ライブもできたことだし、体の状態は最悪というわけでもなさそうだ。私も心配ではあるが、生徒たちのも事情を話し できる限り彼女の意思を尊重したいと思った。昨日はれいかは時間より前に到着するとのことだったので、教室の近くでランチをした。和風スパゲティーだったら大丈夫とのこと。病院食にはうんざりしているようだった。スープ、サラダ、ハンバーグとスパゲティーで、500円。安い。私たちは喜んで、おしゃべりも弾み、楽しく過ごした。この日はNさんWさんを指導。特に体調は乱れず、夕方には終了。私は博多へ出張レッスンに行かなければならなかったので彼女を置いて自転車に乗ったがタクシーを待つ間道路にぺたんとすわりこんで待っている彼女ははかなげで子供のようだった。途中何度も「大丈夫かな」「一緒にタクシーで駅まで送るべきだったかな」「久留米から病身の彼女を電車でここまでこさせて仕事をさせる私はなんてひどいオーナーだ」などと考えてしまい心配でしょうがなかった。しかし夜にかかってきた電話で彼女は 自分の担当の生徒は、自分で指導したいと強く主張した。今の人数と週一のペースであれば大丈夫という。だから、レッスンを減らさないでほしいと。それで、教室までの往復は私が車で送迎することにした。帰宅後、3月まででレッスンをやめた、とても勉強が忙しい私立の小学校に行っている8年のお付き合いの生徒の母親から連絡があり、「やはり子供が先生に、習いたいといっています。福岡から佐賀までの出張レッスンは遠いのでもうしわけないのですが 再度おねがいできませんか」といってくださった。こんなにたくさんのピアノ教室がある中、こんな私に習いたいといってくださる。たった1人でもそういうひとがいる限り、私は教え続けるだろう。妹もきっとまったく同じ気持ちだったに違いない。An.Music
April 13, 2007
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先日のぎゃらりーみかみのライブで多くの方からの激励の言葉やあたたかい心にふれ、私たち姉妹そしてメンバーは 幸せな時間を過ごすことができた。私はその後も その余韻を味わっている。しかし、気持ちを切り替えなければ。日曜日は別のバンドのライブだから。今度はブルースの新曲ばかりだ。精神的に良い状態なので、これを保ち、いいライブにしたいと思う。日時 4月15日(日)19時より(出演は19時20分より。)出演 THE BOOGIE CRACKS'ほか場所 サンライズカフェ (久留米市 西町 カットハウス男爵横) 0942(35)3689料金 2000円 要オーダー主催 カスタム楽器An.Music
April 12, 2007
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昨日は入院中のれいかとのジャズライブだった。外出許可証を取って病院から駆けつけるということ。私は、朝4時半に目が覚めたのでブローをしてカーラーをまきさらにアップする余裕を持つことができ、メーク、ブログ、教室のフライヤー30枚まで作り、たけのこご飯まで作った。その後教室に行ってコードチェックをしている間メンバーのひとりが来校。現場には、集合の30分前に着いたので非常に気分が良かった。そういう特は必ず、良い演奏ができる。その後もう一人のSさんも10分前には到着。リハは順調に進行。あとは れいかの到着を待つばかり。やがて彼女は到着。彼女は発声練習をしてから歌いたかったようだがお客さんがもう入っている時間だったため発声を省略して音あわせすると声がつぶれてしまった。「やばい、歌えない。」といって負けず嫌いな彼女は竹林に向かい一人で30分ほど発声を続けた。お客様は続々と来場。ネット仲間、教室の講師や生徒。妹の友人。ギャラリーの常連客。ご近所の方々。私の用意していた教室のリーフレットとフライヤーは あっという間になくなった。子供も入れて60名は いただろうか。ライブはスタートした。ピアのソロ、ピアノとベース、テナートリオと続き妹の登場。自分の病気の説明をし2曲歌う。発声のかいあり伸びやかな歌声だ。私は安堵した。間に20分ほど休憩を入れた。ベースのSさんが「今日の演奏は楽しい」と、つぶやき、私たちはうなずいた。2ステージ目。インストを数曲。風に桜の花びらが舞い、とても美しい。前のライブよりも、リハよりもそのひと時は、伸びやかで楽しかった。妹が2曲歌う。体に器具装着の手術あとがあるので痛いのかもしれないが、それは感じさせず、良い調子。最後の曲のあと、アンコール。インストで「ウォーターメロンマン」を演奏した後、姉妹デュオでもとはレゲエをバラードにアレンジし、教室の発表会でも披露した「タンブルダウン」を熱唱。妹は「病院に戻ったらステージに立つことができないかもしれない....でも、きっとまた歌いたい。生きていたい!」と、いったいろいろな思いが 駆け巡ったのか、最後の、エンディングで、涙があふれ、歌えなくなってしまった。多くのお客さんが泣いていた。私も、弾きながらなぜ、自分がなぜ、リード楽器ではなくピアノに執着していたのか。バンド活動をやめてもやめても強い縁があり今まで続けてきたのか。それは、今、ステージ4の癌の妹の生きる希望を見出すための、彼女の歌の伴奏するために神様が与えてくださったものかもしれない。と、そのとき自分が「人生の大半を費やして音楽を続けている本当の意味」を強くかんじた。多くの拍手。花束。私たちは皆に見守られて 無事ライブを終了することができた。ギャラリーみかみの皆様、お客様、メンバーのNさん Sさん。レンタカーでれいかをつれてきてくれた末の妹のE子。本当にありがとう。An.Music
April 9, 2007
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妹れいかは今日外泊の許可が下りたらしい。日曜日も外出許可がおり、体調が良かったら歌えるとのこと。すぐ、無理するから全曲歌うなんていいそう。2曲ぐらいにしてね。曲目はスタンダードジャズ中心。私のピアノ曲のオリジナルもあるので聴いてください。An.Music
April 6, 2007
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妹レイカの入院後、たくさんの方からメールや電話があり、またお見舞いにも来ていただいた。現在栄養状態を良くするために点滴をうっており、レイカは入院する前よりも顔色が良くなり3キロ太ったのだという。やはり在宅治療というのは、いくら本人が望んでも限界がある。病院では同じように苦しんで乗り越えようとしている人ばかりなので、食堂などで お互いのことを話したりして、その病気になった人しかわからない部分を共感しているようだ。相変わらず食べたら、はくようだが、食事は、焼き魚やサラダがでていた。いまのところ母は毎日、私は水曜午前と土曜日午後に病院にいっている。きのうは音楽&ネット仲間のこたさん夫妻と、妹のボーカルの生徒Wさんがいらした。こたさん夫妻は4月8日のライブに来てくれるらしい。少し落ち着いたら外出や外泊ができるようなので、ギャラリーみかみのライブに1曲でも、参加したいと彼女は強く願っている。ギャラリーみかみのライブ4月8日(日)13時より場所ぎゃらりーみかみ 粕屋郡新宮町的野488-1地図入場料 1000円 コーヒーとお菓子つき パンとジュースの販売あり曲目 スタンダードジャズ出演 テナーサックス 野田正樹 ベース 鈴木淑文 ピアノ 丹生谷秋子 ボーカル REIKA (病院の外出許可がおりれば)外出許可がおりたらお知らせします。An.Music
April 5, 2007
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4年ぐらい前に、披露宴の仕事で新郎新婦の友人の伴奏をしたことがある。歓談でざわついていた会場が静まり返った。まれに見る上手さだった。何か光るものを持っていたので終了後、看護師だというその子に、もっとステージに出たり、活動をしたらいいのではないかというようなことを、伝えた。そして私の名刺を渡した。その頃の私は、まだスタジオ&スクールのオーナーではなくレストランや披露宴やイベントの演奏と出張レッスンとリトミックが中心の生活だった。そのこはたいそう喜んで、その後何度かメールが来た。それから4年。そのこが、一人旅で、営業活動をした後全国デビューして映画の主題歌を歌っているのを知った。その子は、ブログをもっており私が書き込みをした際、「apianさんがあの時私の歌を評価してくださったのでその後 行動する決心がつき今の自分があります。初めて生伴奏で歌った、あのときのことは一生忘れません」と、レスしてあった。私は、一人の女性の人生に関わったことになるのだ。思えば自分も中学の理科の先生が「ピアニストの手だなあ」といった何気ない一言でその気になり今の自分がある。言葉って、すごい。その、朝倉美沙さんというかたは全国デビューしたにもかかわらず、毎日地道な営業活動を続けている。いつも自分のチラシを持っており電車で「私はこの映画の主題歌をうたっているんですよ。」と話しかけたり配ったりしているそうだ。詳しくはみさのへやを、クリックそれを読んで「ああ、私も見習わなければ。」と、思った。10年前は私も常に「ピアニスト 丹生谷秋子」と書いたデザイン名刺を持ってであった人に「演奏をしているので何かあったらよろしくお願いします」と、配っていたものである。即効性はなかったがかなり効果はあった。配った人が3年後に思い出して、連絡をかけてくれたり、名刺を持っている人の紹介で、仕事は増えていった。私もその一つ一つを大切にがんばってきた。もういちど、その頃の気持ちを思い出させてくれた美沙さんに感謝。そして今入院ししているうちのボーカル講師の妹れいかの分まで、がんばろう。教室のリーフレット
April 2, 2007
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