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最近、すっかり元気になりライブに向けてがんばっている。11日はボサノバのライブ。福岡の、中洲のGATE7であり、食事付のパーティー。何バンドか出るようだ。24日は、ギタリスト久米博之氏とのデュオ。箱崎宮の近くの、グランドピアノがあるギャラリー,もも庵にて。ここはとても素敵な場所である。昼は、ガラスごしに木々の緑が一望でき爽やか、夜はライトアップされてムーディーである。この日は私のオリジナル(インスト)と久米さんのオリジナル(久米さんのボーカル)と何曲か皆が知っている曲を演奏。私の曲は癌でなくなった妹れいかとの日々を綴っている。「いつか見た空」「祈り」「二人の時間」「おやすみ」弾くと彼女が一番苦しかったことを思い出して 涙が出る。いつも私が作った曲はゆっくりきいたことがなかったれいかだったがこの時期に作った曲はちゃんと正座して聴いてくれて「すごくいい曲だと思う」といってくれた。彼女のために作ったというのが伝わったのかもしれない。お蔵入りすると思われたこのオリジナル4曲。(ほんとは6曲ある)演奏する機会を与えてくれたギタリスト久米さんに感謝。apianのミュージックスクールはこちら
July 28, 2007
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ガンを患っていた妹れいかがなくなり、49日も過ぎひと段落。日常も少しずつ動き出し私も何かに守られているように感じながら元気に毎日を過ごすことができるようになった。妹はたくさんの洋服やアクセサリー CD 楽譜を残してくれていた。洋服はE子と分けたが舞台衣装は全て私がいただいた。数々の華やかなドレス。サイズがぴったりだ。コレが何年か前だったらどちらかが太ってたりしてあわなかったように記憶している。楽譜も。これは妹がイギリスの学校でスタンダードを学んでいたときのもの。リアルブックはこちらで取り寄せると高いので、今まで持っていなかった。最近ではデータを別のかたからいただいたのでパソコンからプリントも、できるのだが。CDも、彼女はロンドンに行って趣味が変わったらしく私が好む音楽がずいぶん増えていた。来月、ボサノバのライブを行うのでれいかのボサノバのCDは大変重宝している。彼女のことを思いながら 毎日、貴重な時間を感じ、大切に過ごすようになった。これから生きていくうえで残された自分のやらなければいけないこと。音楽を奏で ステージに立つこと。すばらしいステージを目指したいと思う。ボサノバライブ(パーティー形式です)8月11日20時より 福岡中州 ゲイツ7にて(元玉屋) 食事つき¥3000出演 GIFT(apian所属のボサノババンド)
July 21, 2007
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今日は、亡き妹れいかの49日の法事だった。わたしはお経をききながら、全く正反対と言われていた妹と自分との性格の対比や人生観について考えていた。妹は母ににてぼーっとする事が嫌い。とにかくずっと動いているし息つくまもないぐらい喋り続けていた。空白、余白がないいきかただった。まだ元気だったころは昼寝などしているのを見た事がない。「ゆっくりしたら」というと「なにもしない時間が勿体無いといい、つねに勉強、遊び、アルバイトと多忙。一つの事をする時、同時に3つのことを器用にこなし、なんでも早かった。ロンドン在中の頃は多望な故にやせがまんをするため 多少具合が悪くても 病院になかなかいかず倒れてはじめて胃癌のステージ4と言う事が発覚したのである。風のように駆け抜けた、そして激しく燃え尽きた彼女の激動の人生。わたしの性格、気質はその対極にあると思ってもらって良い。その割に姉妹で一緒に行動する機会が多かったので今まで何万回と「にてない」「正反対」と言った言葉をきき比較されてきたのである。特に子供の頃などは、行動も気持ちがあらわれにくく言葉もストレートではないわたしより妹のほうが 周りの受けが良かったような気がする。大人になっても私の名前で呼ばれるより「れいかちゃんの おねえちゃん」と呼ばれる事が多かった。妹がロンドンに旅立ち、ピアノで自分を表現できるようになりはじめて私は私らしい人生を意識するようになったのかも知れない。しかし私は 今、自分が携わっている ピアノを弾く事 絵を描く事、曲を作る事に言葉に出来ない行間を表す事や静寂そして深い思想が大切な事を知っている。私は私で、この性格、気質を活かした人生を選び生きていくのだ。
July 15, 2007
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今日は、レッスンの間に時間があったので夏らしいひまわりのはがき絵を描くことにした。描きあがったら、5月末に亡くなった妹れいかの弔問客へのお礼状にするつもりで、時間が30分なので3枚かけるかなと思い描き始めた。書いてる最中とても穏やかで優しい気持ちだったのだが、書き終わって、携帯で写真を撮ると寂しげに見えた。「あれ、」とおもいつつそのまま末の妹Eに送った。他のブログ(MIXI)には、「なんだか寂しそうな絵になった」と書いた。するとMIXIでは「いや、優しく暖かい絵だと思う」というコメントが複数入りEからは、「これは私たち3姉妹の絵でしょ。左はapian姉。明るく咲こうとしている。今が満開という感じ。真ん中は麗華姉。天に向かって凛と咲いている。右は自分。ピンクのオーラはせいちゃん(Eの子供)がいるから。(母性のオーラってこと)といったので、何気なく描いた絵をそういう風に分析したことに対して驚いた。MIXIのほうには、「たとえ寂しい絵でも妹を失った今の気持ちが素直に出ているということだからそれは後に振り返るということを考えても大切なことだと思う」という意見があった。「寂しい?」「寂しくないよ。」「哀しい?」「もう乗り越えたよ。」と笑顔で答えていた私。そんな私の心の奥底の叫びはこうやって無意識にかいた絵が物語ってくれたのだろうか。
July 11, 2007
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もうすぐ、妹れいかは49日を迎える。週末、彼女のために「麗華を偲ぶ会」が、行われ、多くの友人が妹のために集まり、妹の思い出を語り合い、和やかに過ごした。皆様には心から感謝している。さて、その翌日。偲ぶ会に来ていただいた中の一部の方が実家へお参りに来てくれた。母は得意の手料理を振舞い、麗華の思い出話に花が咲く。そして彼女の膨大な数の写真を見て出席者は大変盛り上がった。妹は大変おしゃれであったがその時代、時代によって顔がまったく違うのだ。無垢な子供時代、ヤンキー時代、ロックバンド時代、ヘビメタバンド時代。夜のお仕事時代、外人バーで遊んでる時代、どんどん派手になっているのだがロンドン在住時代でそれが洗練され、美しさが増している。特に胃がんが発覚し日本へ戻ってきて亡くなるまでの数ヶ月は本当に美しい。でもその時代も素顔は無垢な子供時代のままだったから、彼女の美容やメークに対する、熱い思いが時代の顔となって表れているようだ。笑っていると私の写真も出てきて、太い眉、赤い口紅べったりの80年代メークの写真に友人たちは大笑い。人のことはいえなかった。
July 9, 2007
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妹れいかが亡くなって1ヶ月がすぎた。私の日常は、平静を取り戻し笑顔も戻り、れいかを思いながらも 前向きに過ごしている。全く正反対の性格の彼女との唯一の 共通点であった音楽活動は周りの協力が、いっそう増し 順調に活動できていて 嬉しい限りである。わたしの生徒の 保護者をはじめ、 各種ブログを読んで下さっている方々から「だんだん、元気になっていく過程が ブログを読んでいると明確に判る」と、言われる。過去の日記を読んでいると 日常ではすこしずつ忘れていきそうなたわいない出来事や 細かい身上が記されており、ブログっていいものだな、とつくづくおもうのである。もし10年後も書き続けて何か壁にあたって辛い時がきたら、今のこの時期の日記を読み返そう。きっと乗り越える事ができるにちがいない。今日は、雨。散歩もできないほど強い雨だから、 出かけるまでは 掃除でもしよう。お気に入りの音楽を聴きながら。
July 4, 2007
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私はわりと、ストイックに見られるのだが、実は直感型である。ほとんどのことはそれで決断するので迷うことはあまり無い。それでも、妹の死後はいろいろと後悔したものだ。だから今は直感プラス「これをやらなくて後悔しないか」と、自分に問いかけることにした。だが全てのことを後悔しないということはない。Aの事柄に一生懸命費やしているとBに費やせず後悔するだろうし、逆にすればAがおろそかになるので後悔する。どのみち後悔するのだ。だからどうせするならポジティブな行動をして後悔しようと思う。そう考えたらかなり楽になった。気が付けば、もう7月だ。自分の行動に責任を持ち できるだけ有意義な時間を過ごしたいと、思っている。
July 1, 2007
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