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橫濱人形の家の「いざなぎ流のかみ・かたち─祈りをこめたヒトガタたち─」展を觀る。土州北東部の山間部に位置する香美市物部町に、大昔から傳承されてゐる独特な民俗信仰「いざなぎ流」を、やはり特異な姿をした御幣の展示を中心に紹介した、郷土性と土俗味あふれる企画展で、その人の身辺や我が身に起きる現象はすべて自然に住む精靈の為せるわざであり、“太夫”と呼ばれる呪術師はその状況に應じた形の御幣を作って祈祷する。いはゆる指南書の、決して流麗ではない字体で綴られた段取りを見てゐると、神佛神靈との自然を仲立ちにした共生ぶりが滲み出てゐて面白いものがあるが、祈祷で用ゐられる御幣はあくまで呪術の道具であり、一見可愛らしく映ってもとんでもない魔力を秘めてゐるものであり、愛玩具としての人形と同一にはならない。やがて消えるかもしれない地方の民俗文化の紹介としては興味深かったが、しかし人形博物館の企画としてはなんとなく見當違ひな印象だったのは、そのあたりの認識ゆゑかもしれない。 「いざなぎ流」の衰滅を危惧しつつ平成末期に亡くなった“太夫”が遺した、『触らぬ神に祟り無し』と云ふ意味の言葉がこの企画展に見事なオチを付けてゐて、たしかにそれが一番の防御だと納得す。
2024.06.20

ラジオ放送の新内節「花井お梅」を、富士松小照の浄瑠璃で樂しむ。學生時代、TVを通して初めて聴いた新内節がこの「花井お梅」であり、浄瑠璃はやはり富士松小照だった。新内節はいかにも江戸生まれらしい粋な調子の三味線音曲で、本外題を「梅雨衣酔月情話(つゆごろもすいげつじょうわ)」と云ふこの曲は、明治二十年(1887年)六月九日に隅田川の濱町河岸で實際に起きた藝者が箱屋(藝者の身の回りを世話する男衆)を刺し殺した事件を、(※花井お梅)新内節の五世富士松加賀太夫が取材して翌年の明治二十一年(1888年)に初演したもの。(※事件現場となった濱町河岸の現景)明治出来の曲らしく、登場人物の臺詞がほぼ現代語で聴き取りやすく、TVで初めて視聴した時、藝者お梅が箱屋の峰吉に「恩知らず、ひとでなし」と罵る調子に、富士松小照が独特な凄味を効かしてゐたのは、現在も強く印象に殘ってゐる。(※港區西麻布の長谷寺に眠る花井お梅の墓)今回のラジオ放送で久々にその件りを聴いて、實際に酒亂で烈しい氣性だった云ふ花井お梅の人物像をきめ細やかに織り上げいく藝の妙味を、年齢(とし)を喰った現在(いま)になって、やうやく知る。
2024.06.14

木曾義仲の父、歌舞伎劇「義賢最期」の主役、源義賢ゆかりの地である武州嵐山を訪ねる。かつて旧児玉街道を探訪した際に、この埼玉縣嵐山町も通ってゐるのだが、記憶に殘ってゐない。……それはともかく、東武東上線「武蔵嵐山驛」西口より南下すること約四十分、中世には鎌倉街道の大藏宿がおかれてゐたとされる、たしかに微かな痕跡が感じられる嵐山町大藏65あたりに、帯刀先生源義賢の墓が遺ってゐる。平安末期、源氏一族に特有の熾烈な身内争ひによってこの地で討ち死にし、江戸時代には浄瑠璃芝居「源平布引瀧」にも脚色された源義賢は、“つわものどもがゆめのあと”な草むらのなかに伸びる石畳の先に、囲ひに守られた石塔のもとで眠ってゐる。その手前に設へられた臺には、浄財をおさめる升がおかれてゐたが、そのなかにほぼ白骨化した獣類の首が入ってゐて、ハッと息をのむ。イタズラにしては性質(たち)の惡すぎる佛への冒涜……、と呆れてから、いや待てしばし。もしかしたら、浄財泥棒除けに誰かがわざと、さうしてゐるのかもしれない。だとしても決して氣分のよいものではなく、墓所をあとにしてから祝言小謠を口にして浄めとする。墓所の向かい側にはゆかりの主従の慰霊碑が綺麗に整備され、縣道172號線を西へ少し行った道沿ひには、源義賢の屋敷跡と云ふ「大藏館跡」が、名殘りの土塁と共に大藏神社として今日に傳はってゐる。大藏神社の裏手には、都幾川(ときがわ)に沿って田野が廣がり、ここには古代よりヒトの生活文化があったことを示す井戸も遺されてゐる。中世からさほど變化していないと思はれるこの地の風情に我が身をおいて、(※七代目坂東三津五郎扮する歌舞伎劇「義賢最期」の源義賢)都から下った源義賢は、ここで自分の未来をどのやうに描いてゐたのだらうか、と思ひを馳せる。
2024.06.13

川崎浮世繪ギャラリーの「SHO(笑) TIME! 戯画展」の後期、「歌川広景 江戸名所道外尽」を觀る。歌川廣景(うたがわ ひろかげ)は、幕末の安政六年(1859年)正月から翌年の萬延元年(1860年)八月までのわずか二年八ヶ月間のみ名前が確認できる以外、生没年や本名、住まいなど一切不明の浮世繪師云々。文久元年(1861年)に發表された「江戸名所道外尽」は、葛飾北斎の「北斎漫画」や「富嶽百景」のほか、初代歌川廣重晩年の傑作「江戸名所百景」の構図より戯れ繪化(パロディ)してゐることから、初代廣重の弟子だったとも推定云々。件の戯れ繪全五十揃へを通覧して思ふに、「ただ下らん!」。初代廣重の築き上げた江戸風景画の品格を“借景”に、人が不様に転倒してゐる様や、物が壊れたり、動物に物を掠め取られたり、釣り糸の先が髪に絡んで引っ張られたり、女性の下半身が狙はれたり、糞尿が撒き散らされたりと、いくらか定型化された構図で下劣な笑ひを誘わうとする。(「御茶の水の釣人」 ※案内チラシより 以下同)侍が不様を晒してゐる姿に、すぐそこまで迫った武士の世の終焉が反映されてゐて、そこに時事物としての面白さを辛うじて見出せるくらゐで、江戸の庶民文化が行き着くところまで行き着いた一例を見た氣分になる。(「霞が関の眺望」)女性の着物の裾が捲れてゐる猥画スレスレの“あぶな繪”などが數點含まれてゐるところに、武家政權の統制力低下が如實に現れてゐるわけだが、そのほか糞尿を題材にした數點のうちに、供を連れた裃姿の武家が道端の厠で“大”の用を足してゐる、「妻戀こみ坂の景」なる珍品がある。供が露骨に鼻を覆ってゐる様以上に、厠の板壁に現代とまったく同じ卑猥な落書きが小さく、さり氣なく描き込まれてゐるところに、アレはこの頃から……、と意外な風俗的価値を見出して、初めて独り笑みせり。
2024.06.12

千代田區立日比谷図書文化館の特別展「しりあがりさんとタイムトラブル 江戸×東京」を觀る。商品の図案を手掛ける傍ら、漫画家としても様々な作品を世に贈ってゐるしりあがり寿氏が手がけた、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」などの浮世繪に現代世相を混ぜ込むパロディ画の數々。(※展示室内は動画以外の撮影可)構図は一切そのままに、パッと見ではどこがパロディなのか分からないほどの巧妙さで溶け込ませた傑作もあり、しかも漫画の生命(いのち)である風刺味もピリッと効かせてあるところに、私のやうな皮肉屋にはつひ吹き出さずにはゐられない面白さを感じる。かうして觀てゐると、ニンゲンの日常行動そのものが、最高の笑劇に映ってくる!私が觀た日は、いかにも浮世繪好きさうな雰囲氣のお爺さんがチラホラ。笑ってゐる人もゐれば、一通り見てすぐ出て行く人もあり。それすらも可笑し味に見えてきた私は、いよいよ毒氣に當てられたらしい……。
2024.06.06

樂しみにしてゐた映画「帰ってきた あぶない刑事」を、ご當地橫濱の映画館で觀る。もう八年前になる前作「さらば──」の締めくくり感から、本當にこれでお終いかな、とやや寂しい氣持ちになったりもしただけに、タカ&ユージが再びヨコハマに帰って来る設定の本作の制作が發表された時は、嬉しさより安堵が先に立ったものだ。撮影中には人災疫病禍の邪魔が入るなどの困難もあったやうだが、かつて橫濱を熱くさせた公營賭場の問題を織り込むなど、なかなか時事的な脚本と設定で仕上がりを樂しみにしてゐた最新作、ヨコハマを危機にさらす惡人の親玉役が痛恨のミスキャストで、ややコケた氣分に。タカ&ユージに對峙する一方の主役ともなる役どころを、あんな薄っぺらなドサ回りにやらせるのはいただけない。いくら顎を引いて相手を睨み上げたところで、しょせんタダのガキがせいぜい背伸びして凄んで見せてゐるだけ──さういふ演技でも演出でもない──、かつて女装ゴッコで名を賣っただけの、見てくれ本位で中身の無いドサ回り根性が露呈してゐるばかりである。タカ&ユージの娘“かもしれない”二十四歳と云ふ設定の女のコが二人の前に現れるのが今回の主軸で、私も名前くらゐは聞いたことのあるコがそのヒロインを演じてゐたが、容貌(カオ)がつまらなくてイマイチ感情移入できず。女性刑事役の元“坂道系”アイドルのコのはうが──名前が出て来ない──、拳銃を構へて「警察だ、銃を捨てろ!」と凄んでみせるシーンにちょっとした見せ場をつくってゐて面白かったかナ。……と、期待してゐたわりに輕妙さばかりが先走って、スパイスとなる骨太な重厚感が今作ではかなり薄い印象はあったが、故人中条静夫さんの當たり役近藤課長の「大バカモン!」の再現シーンあり、短いながら名車レパードのシーンもあり、往年からのファンを喜ばせるお約束はしっかりと盛り込まれた、まずまずの一篇。映画のあとは、ロケ地を輕く巡って、いつもの浮世に戻りけり。
2024.06.04
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