迦陵頻伽─ことだまのこゑ─

PR

×

プロフィール

嵐悳江

嵐悳江

カレンダー

カテゴリ

カテゴリ未分類

(0)

浮世見聞記

(698)

現代手猿樂

(19)

鐵路

(25)

十二代目片岡仁左衛門

(35)

戯作

(3)

七代目嵐徳三郎

(17)

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2025.04.21
XML
カテゴリ: 浮世見聞記
豆州下田の玉泉寺──幕末ニッポンに米國が最初の領事館をおいた史跡を訪ねる。



黒船ペリーの来航により安政元年(1854年)に下田が開港して以来、異人の休息所であり、死亡した乗組員の埋葬地でもあった當所に、総領事として掛いたハリスが米國領事館としての星条旗を揚げたのは安政三年(1856年)八月六日、その當時の繪を見ると廣い境内のやうに映るが、



實際はかなりこじんまりとした、駐日外交館としてはだいぶ手狭であったらう場所である。



その後、なかなか埒の明かない幕府役人へのストレスなどで体調不良に陥ったハリスが、通訳を介して要請した“看護婦”として、當時十七歳の“きち”がこの領事館に掛かされたのは翌安政四年(1857年)五月二十二日、夜毎通ひの契約であったが、わずか三夜で解雇となる。

敬虔な耶蘇教徒であり、高潔な人柄ともされるハリスは純粋なる“看病人”を希望したのだが、ニッポン(幕府)側が通訳のコトバの調子からそれを“夜伽役”と解釈したその相違がのちに「唐人お吉」と浮世から蔑まされる悲劇の發端、とする學者研究もあり、またさうした部分を誇大に描いた後世の戯曲類があまりに有名になってしまったため、“きち”の生涯は墓がある寶福寺に隣接する「唐人お吉記念館」に見る資料の如く、



虚實綯い交ぜのまま今日に傳はる。

もともと昼は一人親の母と漁師たちの着物を縫ったり洗ったり、夜は酌婦まがひのことをして細々と生計を立ててゐたと云ふ“きち”の、十九歳の時に撮影したとされる肖像冩真がこの記念館でひときわ目を惹き、



現代でも通じるキリッとした美人を傳へてゐるが、前述のやうなわけで本人かどうかは話半分……、以下にとらへたはうがよいやうだ。

が、ここに數多展示されてゐる“唐人お吉”に扮した役者の冩真のどれよりも、この古冩真の女性のはうが、これだけは真實、はるかに美しい。




(※建物のみが殘る旧安直楼)

藝者や音曲師匠として細々と生計を立てるも“ラシャメン崩れ”の過去を乗り越へられず転變流転、酒毒で身体も不自由となった果てに明治二十四年三月二十七日、下田上流の稲生澤川で自殺体となって發見さるる。

その場所は現在「お吉が淵」と云ふ旧跡となってゐるが、



實は地元の人が杖をついてトボトボ歩く彼女の姿をこのあたりで見かけたと云ふ話しからここに定めただけで、實際の發見場所ではないらしい。


女性の地位が低く認識されてゐた時代に、異人への蔑視感情が重なって引き起こされた運命の悲劇、


(※寶福寺に傳はる“唐人お吉”の墓)

それを後世人が他人事なだけに悲話だの哀話だの情話だのに脚色して一儲けを企んだのが現行の半生記、しかし現實は私が玉泉寺境内を見學中に母屋から現れた若い僧へ會釈したところ、無言のままジロリと見られたことに象徴される如く、



他人(ヒト)の情などを信じることこそが、いちばんの悲劇なのだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.04.22 19:31:55
[浮世見聞記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: