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2025.07.04
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カテゴリ: 鐵路




八高線の高崎~高麗川間と同じく、東京圏では今や珍しい氣動車による運行で、房総半島内陸の上総亀山までの32.2kmを、一時間十分ほどかけて結ぶ。



驛間も短く、ゆっくりコトコト走るのは、もともとは大正元年(1912年)に縣營の輕便鐵道として開業した歴史の名殘りだらう。



かつては安房鴨川方面まで延伸する計画もあった痕跡が、上総亀山驛からしばらく直進した先で線路がぷつりと切れてゐる様子に見ることが出来る。



乗客は大半が私と同じ考への“お仲間”たち、しかし私が乗った日時には地元住民の乗降もそこそこあり、乗降車數の著しい低下から廢止(※時期は未定)が決まってゐる久留里~終點の上総亀山間でも、わずかだが同様だった。



歴史的には昭和十一年(1936年)に延伸した區間である久留里~上総亀山間約10Kmの廢止については沿線住民の反對も根強く、


(※上総亀山驛前にて)

確かに一人二人の利用しかなくても、その一人二人にとってそれは大切な“ライフライン”である。

しかしその一人二人からのわずかな収益では莫大な維持費を賄へないと云ふJR(經營者)の苦悩もある。




結局、「みんなで利用しませう」と云ふことになるのだが、今回の私のやうな“お得なきっぷ”での利用では路線にお金が落ちないため實収益とはならず、またこちらとしても、正規運賃でそんな遠くまでは……、と云った逡巡はある。


(※上総亀山驛に住むツバメの一家)

そもそも久留里線は道路状態の惡かった地域一帯の交通の利便性を補ふ目的で敷設されたもので、第二次大戰末期の昭和十九年には「不要不急線」とされて昭和二十二年まで休止してゐたことからも見えるやうに、



利用者減を理由とする久留里線の一部廃止は、とうの昔からすでに決まってゐたことのやうにも思へた。





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最終更新日  2025.07.05 12:35:16
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