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人間なんて結構つまらんことで「啀み合ったり」、「頑なになったり」するもんですね。もちょっと気楽には生きられないもんなのか、と思ったりもよくします。でもやっぱり「不快な現象」を目の当たりにしてしまうとついつい「怒り」が全身を貫いてしまって、肩に思わず力が入っている自分にハタと気づいてしまうものです。前の会社で一緒だった知り合いがサンマーク出版で編集をしているのですが、最近、『原因と結果の法則』がますます売れてるねって彼と話したばかりなのですが、かくいう私も1冊(良いなと思った本は人にもあげたりするので何冊も買う場合があります)持っていて、う~ん、なかなかできそうでできないことだけど、結局、マーフィーとか10代の頃から出会ったそういった類の本の元になったことを改めで思い知らされる1冊だなと感じています。パルコブックセンターで言えば(と言わなくともいいか)「理工学書」コーナーによく置いてありそうな類の書籍を一時期頻繁に買い漁っていた頃がありましたが、そうした時期にであったものが今更ながら現在に繋がっている、そう感じることが多くなってきた気がします。『シンクロニシティ』という書籍がありましたが、例えば「本田」という名前を新聞の記事を読んでいてなんとなく心に留めると、続いて、書店でも「本田」の名前がやけに目に付くようになる、というようなことを書き表していたかとおもいますが、確か元マイクロソフト社の役員が書いた『ミーム』にも近いモノがありますが・・・まさにそうした現象は日常茶飯事、通常は日々に生活の中に埋もれて気づいてはいないのですが、何かの拍子でぽっかり時間が空いてしまったりして自由な時間ができたりすると、日頃は気づかないことに目がいったりしますよね。そうした時、そういうことってあったなと思い起こしたりします。で、『原因と結果の法則』に書き表されているような「自分の思いが自分の人生そのものを創り出す」ことに、実感として最近ようやく肌で感じ始めた気がするのです。芹沢光治良という作家がいましたが、今、熱心な読者の活動により、復刻版が出版されるようになったと聞いています。芹沢さんの本を読んでいると「人のせいばかりにしている自分に気づき、そう思い出すとなんだか気持ちが晴れ晴れしてくる」という記事をどこかで読んだことがあります。また、ある高名なお坊さんのお話がある雑誌に載っていましたが「人生に大きな目標を持つこと、それも人類全体とか世の中が全体のことを考えるようなそんな大きな目標を持つことで日常の些末なことは仏様に任せる。そうすると人生や世の中には無駄なことなど何一つ無いことに気づく」というようなことでした。『原因と結果の法則』の話もこれらのこともすべてシンクロしているのですね。今の自分、今自分が置かれている環境はそう自分に考えろと言っているのかもしれません。
September 30, 2003
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ビートルズのアルバムの中でもとても何というか幻想的というか・・・楽しいというか、最初に買って聴いた時は、なんとなく不思議な気持ちになったのを覚えてます。高校生の頃、放送部(バンド用に使えるスタジオがあると思って入部したのですが)に所属していいて文化祭で、まだそのころは8mmフィルムしかなくて、たぶんその高校でも初めてだったと思いますが、Magical Mystery Tourの映画を放映したことがありました。なかでもPenny Laneがとても好きで、たぶんこの曲の舞台になった場所に行かれた方も多いでしょうね、そんな曰くもなんとなく好きでよーく聴いてました。中学生でしたが。なんだかとてもなつかしいーって気持ちになれるアルバムなんですよね~。結構アルバムのジャケットや中に入っていたブックも楽しんで見ていた覚えがあります。♪Roll up ! って意味は随分と経ってからしりましたけど。さぁおいでよ!マジカル・ミステリー・ツアーへ!
September 29, 2003
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80年代に入ってEWFやナイル・ロジャース率いるchicに代わって台頭してきたのがパーラメント、ファンカデリックの生き残り?ジョージ・クリントンのもとに結集したP-Funk All Stars。ファンク?ジャズ?テクノ?どれとものつかない独特の「グルーヴ」を創り出していた。一言でくくってはいけないが、やはり強烈なリズムの「ダンス・ミュージック」ではなかったかと思う。プリンスもこの流れに入るだろうか。ジャズもマイルス以来エレクトリック楽器を採り入れることで大きな変革を遂げた。そのなかからジャコ・パストリアスが出てきた。彼の超絶テクにも舌を巻いたが、こうした超絶テクのベーシストが結構出てきたのもこの頃だったろうか。フュージョンで脚光を浴びたベース演奏法のひとつでもある「チョッパー」も元々はソウルやディスコ・サウンドから生まれたような気がするが・・・P-Funkもこのベース・サウンドが強烈だった。ジェームス・ブラウンのサウンドも強烈なリズムから産み出されていたが、その系統をつぐものではないだろうか。スライ&ファミリー・ストーンもしかりである。いまだに聴いても全く古めしさなど微塵も感じさせない。それどころかこれを越えるようなサウンドはそうはないのではないだろうか。現代のダンス・ミュージックのほとんどはこの辺のものを引き継いでいるように思われる。越えるものがあるとすれば唯一「民族音楽」以外にはないかもしれない。そうした「エポック・メーキング」的できごとに至るところには大変な「天才」がいて、必ず夭逝してしまう。プレスリー、ジャニス、ジミヘン、ジョン・レノン、マイルス、マーク・ボラン・・・
September 28, 2003
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たぶん、たぶん80年代だった・・・かな?ビートルズの、たぶんそれも一部コピーバンドのカヴァーで流行っていたか、ただ流れていただけか???ディスコで流れて(もうディスコじゃなかったかな??)いたとも思うのがこの「ビートルズメドレー」。最初は「え?、おや?」って感じでとても「ビートルズ」じゃないなぁ~と感じさせる、もうディスコって雰囲気になっちゃってるので・・・う~む、やはり違うかと思いきやよーく聴くと「やはりビートルズ?」なんて迷ってしまうくらいのみごとな「つなぎ」になっているのがまたこれそのまんま聞き込んでしまうのでした。しかし誰がやっていたのか、いまだに想い出せないのですが・・・
September 25, 2003
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先日、久しぶりに知り合いの結婚式の招待を受けました。両方のことを知る立場として、いろいろ相談を受けたりしています。彼らが今悩んでいるのが、結婚式で流す曲について。う~ん、こればかりはそれぞれに「趣味」もあるうえ、御両家、ということも問題もあるのではないかと。ま、確かにいろいろなシチュエーションがあるし、あんまりありきたりのものは使いたくないでしょうし、かといってあんまり気を衒ったものもちょっと想い出として残すには外してしまうと危険だし・・・「これ」と言うのを即座に、と言われても即答は致しかねるところ。で、休みCDレンタル屋であれやこれや探しはしてみたものの、いやぁなかなかこれが中身がわからないうえ最近のものをとんと聴いていない自分としては・・・困った。帰宅してしばらくしてマックでなにげにストックした曲を聴いてますと、「お!これこれ」。『ニュー・シネマ・パラダイス』これなら、「あのシーン」にぴったり!ではないかと即座に膝を叩く叩く!!「あのシーン」そう!結婚式になくてはならない「あのシーン」にこの名画の曲をじっくりとしっとりとバックに流せば泣けること請け合い!!もうこれしかないでしょ!この曲をBGMにしない手はないです。この映画を観た方、覚えてますかね~。たぶん数多くの方があの場面で涙したことでしょう。失明したアルフレッドがトトに贈った「キス名場面集」。もっとも感動できるシーンでしたよね~。何度聞き直して「いーね!」
September 24, 2003
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って本がちくま新書から出てますが・・・ちょっと気になって書店で手に取ってみた。ちょうどAERAを読んでいて「片岡勝」氏の話が出ていてなんとなくその辺のことが頭の隅にあったのも事実。加えて、転職して以前のクライアントへ挨拶に行った際も、「そろそろ独立したら」なんて言われたりもしていたし。1年くらいそんなまねごとみたいなことはやってみたが、その時は一旦地方に戻ってのことだったのと、IT系のビジネスでまだまだ地方ではなかなか需要がなかったのもあって、こりゃやっぱ辛いわってことで就職して東京へ舞い戻ってしまった。しかし、一度会社を辞めて自分で、儲からないにしても、自力で仕事をしてみると、これまたその魅力に取り憑かれている面もなきにしもあらずなのだ。しかし、最近世の中には起業して頑張っている人たちが多くなったのを(楽天サイトも含め)ひしひしと感じずにはいられない。当然「楽」ではないはずだし、それだけで食っていこう、いけるレベルになるのは簡単ではないだろう。『週末起業』の著者、藤井氏もAERAのなかで「儲けることから入るのでなく、好きなことから始めるべき」なんてことを書いていたが、ギャンブルと同じとまでは言えないが、きよわず、楽しんでやる姿勢も大事なのかな、と感じた。前職の部下も独立して、まだ食えてはいないが、音楽制作とプログラマとして頑張っている。前職が出版社だったので、退職して編集プロダクションを始める人も身近にいたので、独立にそれほど抵抗は無い。しかし、実際家族がいてそれだけで食べていく・・・となるとやはりちょっと後込みしてしまうのも事実。とは言っても一度の人生、好きなことをやり通してみたい気持ちは十分なのだ(だったらやるだけなんだけど・・・)。まずはすでに起業している人たちの日々の貴重な日記を読ませていただくことも非常に参考になる。ちょっと感じたのは、結構事務作業というか、もっとパソコンをうまく使えば、省力化できることは大いにあるな~ってこと。システムを組む、なんてのはもちろん普通の人には一朝一夕では不可能なこと。でも簡単なソフトを導入すれば、簡単な顧客管理や在庫管理、伝票管理くらいはできるのではと感じたのだが(前職でそうしたものを一人で作ったこともあるからなんだけど・・・)。ま、最近SOHO支援のソフトやサービスみたいなのがあちこちにあることでしょうから、余談かもしれませんね。
September 23, 2003
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人間は主観的にしか物を考えることができない。客観視などできはしない。だから相手の身になって考える、なんてのは所詮無理な話・・・ではあるが、これは何も主観・客観の問題ではなく、いかに想像力を働かせるか、という問題であろう。ただ、そうは言っても人間は主観でしか物事を捉える事はできないはず。しかし、私たちは通常何かをしている時でも、もう一人の自分(幽霊ではありませんよ)を感じて物事を考えていることがあると、言ったらどうでしょうか。メタ認知ってやつですが、相手と夢中になって何かを話している時でも心のどこかで自分の言動を冷静に見つめているもう一人の自分の気づいたりすることってありませんか。「ちょっと待てよ。今の言い方はおかしい。ここはいい方を変えてみよう」とか「あれ俺って今、変な事をいってるぞ」な~んてね。心理学の専門家ではないので、これが正しいメタ認知の説明、とは言えないと思いますが・・・
September 22, 2003
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バンドらしき?ものを始めたのは高校時代。親の転勤で受験した高校には通えず、進学と同時に別の高校へ転校になってしまい、それまでのつきあいぷっつり切れてしまった。そんな頃だった。先輩ももちろん後輩もいない、もちろん同級生には誰も知り合いがいなくて、なんとも「孤独」な気持ちと不安でいっぱいだった。そんな時たまたまクラスが同じでどうやって話をするようになったのかはもう想い出せないが、その彼とバンドを始めることになる。で、学校のなかでもやっぱり練習したい。新入生シーズンだから、いろんなクラブが勧誘にくる。そこで目を付けたのが「放送部」。そこならきっと「スタジオ」なるものがきっとあるとふたりはふんだ・・・で、勢い「入部したいんですけど」なんていって入っちゃった。ところがところがなんと部室は階段の下!え~・・・なんじゃこりゃぁ~(松田優作風に)である。スタジオ?そんなものあるはずもなかった・・・そんなはずじゃ~なかったのにー。あ~あ、と残念がるふたりの前に麗しき美少女!「新入部員のふたりって、あなた達?」「は、はい!!」ふたりして見取れていた。あ~あ、結局それが間違い?の始まり~。しかしそれにはめげずぼくらはバンドをつくって文化祭にも出て、講堂のステージに立ったのであ~る。あぁ~、この曲を聴くとその頃がとても懐かしく・・・そして、あの美少女だった?先輩を思い出すのであ~る!!
September 21, 2003
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今30代の人たちは、上が40代、下が20代とちょうどサンドイッチ状態ではないかと。どっちもそれなりお話にはついていける?のだが、結局、いつも一緒なのは同じ30代ってことはないだろうか。20代の時はもう上しかいないから、上もしくは同僚とつきあうしかなかったのだが、30代になると下もできて、自分もそろそろ「上司」なんだという自覚とやらもしっかり身に付いてきたりしている年頃でもあるし。でも40代になっちゃうともうあんまり関係なくて、どの世代とも結局うまくいったりいかなかったりだもんで、もう「会社員」「宮仕え」が当たり前状態になってしまう。ああ、でもわしゃすかん!そんなのはつまんない!ってのが本音!いつでも会社には「反旗を翻したい」。「ああそうですか。ごもっとも」なんちゅうのはうんざり!ヘンに大人しく、物わかりのよい、なんてのはやってられない。わいわいがやがや、お互い言いたいことはちゃんといってつまらん「不満」は貯めないようにやっていきたい・・・と自分では思いつつやってはいても、人様の深遠なる悩みまではやっぱり深入りできない。大きなお世話、なのだ。気にかけて声をかけてはみても、結局のところ本当の解決にもならないし、胸襟を開いて話せる、までにはなかなか至らないし、50代は50代でちょっと違った感覚があるなぁ~とも感じる。特に年上を気取りたがるのは50代に多いと感じるのはわたしだけだろうか。もちろん基本的にはそんなものは「個体差」なのだが。ということで年代には関係ない、年代によって何かを感じ、ひと括りにはしなくなり、それぞれの人として接するようになったのかもしれない。年齢による経験の違いはあるのでその辺のことは加味して考える必要もある。
September 20, 2003
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と言えば「サザンロック」。オールマン・ブラザース、ZZトップ、レイナード・スキナード・・・でもでもやっぱり「スティービー・レイ・ボーン」!ライブの緊張感、臨場感。う~ん、たまらん。「しびれる」とは彼のギターのサウンドのようなもの。基本的にはジミ・ヘンドリックスの物まねも入ってはいるが、それはそれとして彼には彼の独特の持ち味がある。ブルース・ギター。この辺が真骨頂。ギター、それ自体も彼独特なものがあった。と言ってもこれもジミヘンの逆バージョンみたいなものだが・・・夏の野外で延々ライブを聴きたい!!でももう聴けないんだよね~、ライブじゃ。せめて懐かしのサウンドをCDで再現してもらうしかないのである。もうああいうようなギタリストは出てこない・・・のだろうか。
September 19, 2003
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人間関係・・・たぶんこれで会社を辞め転職する人も多いことでしょう。入社してすぐにこれで悩んじゃう新入社員も最近いると聞いて少々びっくり。学生時代は価値観の同じ人間同士でいられたのが、会社といういろんな世代、価値観の集まりの中へ放り込まれて初めて人とのコミュニケーションにつまずいたり、というのが一般的かも。しかし転職してみて感じるのが「本当のつきあい」のできる人そうでない人が会社を離れてみて初めて分かる(そんなんじゃ遅い?のかもしれないが)。特に上司と部下の関係にあった人たち。本当に慕って上司として関係を構築してきた人とそうでない人は意外と離れてみて分かったりして驚くことがある。それが自宅までお邪魔して鍋なんかつついていた部下だったりすると「あれ~!」なんて、こりゃまいった、てことになったりする。やっぱり人は困ったときに助けになってくれる人でないとダメっちゅうことでしょうか。日頃毎日顔を突き合わせていても単なる会社の関係、というのが普通なのかもしれない。結構、皆我慢してる、もんだなぁ~なんてのんきに思ったりもする。自分が困ったときだけ上司に泣き言を言っていた人はやっぱりその時だけの関係。呑みにもよく行ってお互い会社の愚痴をこぼしていた人も辞めてみると「もう関係無いよ、あんたとは」なんて人もいる。親身になって人の悩み事を聞いた部下や他部署の人もほとんど「人を利用していた」なんてこともあったりして、いやぁ世の中世知辛い。損得抜きでつきあったり、会社のためにガンバろうなんて人は結局あまりいなかった・・・とバカ正直に気づいたりしてただただ「あ~あ」の連続なのである。そうして残った人、変わらずおつきあいいただける人ってのはほんの一握り、2~3人くらいのものだと。ただ外部の人たちはそうでもなかった。この人達とは「利害関係」になかったことが主な原因かもしれない。お互いに無理もせず強要もせず、自然体でつき合えた人たちだ。「親しい」と思っているのはこちらばかりで、相手はそれほどでもない、というのが世の中なんですね~。その昔、上司に「あまり人に期待するな」と言われた一言を思い出すこの頃である。
September 18, 2003
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普通にサラリーマンをしていると、たまーに「うちの会社って社会の役にたっているのだろうか」な~んて思うことがある。特に有名企業の起こした事件などをテレビで見かけると「企業って一体なんなんだろう」とさえ思える。「一流」と世間では言われる企業でさえ、とんでもない「事件」を起こす。もちろんそれは「企業自体」ではなくその企業の「従業員」によるもの(あるいはそうされている)が大半かも知れない。企業ぐるみであれば、それはもう「解散」を意味しているはずなのだが・・・実際はそうではない。それに最近よく思うのは、新入社員なるものを一から育てる、なんてことを言われるが、「育てる」なんておこがましい。否、それ以上にそんなことやってられる、が本音である。育つのを待っている、そんな余裕は実は現場にはない。経験者こそ必要、なのだが。しかし中途採用ばかりでは人が育たず、ある年齢層ばかりがすっぽり抜け落ちてしまいかねない。ま、それも「大企業」にとって、ではあるが。中小企業はもう「育てる」なんてことは止めて、大企業を辞めた人材をうまく使うことの方が経営を盤石にさせるためにはとてもてっとり早い気がするが、いかがなもんだろう?「社会に役立つ」仕事にしていくには、まずはその土地の出身者をなりと多く採用することが一番なのかもしれない。新卒ではなく、中途で。
September 17, 2003
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そういう風にくくってしまうのは良くないことであるし、その時代を過ごした人たちにとっては、そういう言われ方は大変不愉快なことだと思う。ただ社会的に非常に問題になった時期があったのは事実。その時代に中学生だった人達が今は子どもを持つ親になっている。もう20年くらい前だろうか、ある雨の日3歳くらいの女の子を連れた母親と交差点ですれ違った。その子がさしていた傘がたまたま私の足にぶつかったので、私は思わず「あ、ごめんね~」とその子に声をかけたのだが、その母親から返ってきた言葉は「危ないから気を付けなさい」と私にではなく、その女の子に言い聞かせていた。えっ!と思った。普通なら「すみません」とぶつかった相手に会釈し、次に子どもに「危ないから気を付けなさい」ではないかと後で思いはしたが、その時はきっと急いでいるのだろう、くらいにしか思わなかった。しかし、最近は驚く。逆切れしてくるからびっくりしてしまう。普通に歩いているこっちが悪者にされてしまう。うっかり路も歩けない。呆れ返ってしまうことがある。てなことがあったりしてしばらくして、知り合いからも同じような経験(逆切れ)をした話を聞くことがあった。で、思い当たった、というほどでないのだが、その母親の年頃がちょうどいじめが社会問題になり始めた頃ちょうどそのまっただ中にいた年齢に該当するのが妙に心にひっかかった。その頃の子ども達がみなそうではない、はずだが・・・もしやそうしたことが悪い意味で子どもに受け継がれていくとすると、ちょっと考えなくてはならない、のではないかと。こどもの教育云々より親の方が大事なのではないか。教育と言うより「ケア」かもしれない。ひょっとして「心に傷」を負っていたりしてそれを解決できないまま親になっていることもあるだろうし。アメリカがどうだか詳しくは知らないが、悲惨極まりない事件を目の当たりで経験することの多いアメリカでは、そうした心のケアが充実している、と少ない知識ながらも知っている。日本はどうだろうか。神戸の小学校の事件関係者の子ども達はどうなのだろうか。ソーシャルワーカーが日本でも多数必要な気がする。もっと身近ではやはり「父親」がもっと教育の現場に顔を出すべきではないか。そしてなんらかの形で小学校あるいはそれ以前の教育現場に参加して子ども達を見守ってあげられるような、そう言うことが改めて必要な気がするのだが・・・
September 16, 2003
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強気な発言!てなことをよーくしているように自分では思っていても、ひとりになって考えてみると、いや考えずとも意外に確信などなく、他人には言っていることが随分とあるようだ。やれやれって思いつつも、そうやすやすとは止められない、止められなくなっているのかも。しかしそうしたことを続けているとかえって確信できること、ものが欲しくなる。いやはやみょうちくりんなものである。もちろんこの世の中に「確信できること」など何一つないと言えば「哲学的」かな。でも「無い」のである。"nothig is real"なのだ! でも "nothing beat me"とも言いたくなるが・・・なんて言っていても「確信」しなくちゃやってられない、いってらんないのが「現実」。いちいちことこまかに説明などしてられない。究極は「わかってもらわくても結構」なのだが、それでは話が先へ進まないこともある。あって当然なのだ。なのでそれなりにというかある程度というか、譲歩したり迎合したりせざるを得ない。しかしそうしているとまた「確信できることやもの」が欲しくなる。求める。いっそ幻想の世界にのめり込んだ方が幸せかも、な~んて思えるが、それでは単なる精神的逃避行に終わってしまう。それはあまりにも危険極まりない。回りのことに配慮できなくなったら「死んだ」も同然だ。回り(社会)との関係を断ち切っては人は生きられない。なんとなく生きているように思ったり、それは大間違いなのだ。が、そう思っている人も案外少なくないってこともあるが・・・「確信できること」・・・は何ですか?
September 15, 2003
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CKB・・・と書いても・・・通じないか。「クレイジー・ケン・バンド」略してCKB!最近、レンタルショップでもよーく利用されているのか、なかなかお目にかかれない。というか借りられない!困った!カラオケの定番になりつつあるのに(私的に)。専ら近頃は♪あっぱれ あっぱれ あっぱれロックしてるのですが・・・みょうな節回し(昔の乗りですね)とお洒落な曲作りが・・・妙に好きなグループで。格好良くない(失礼!ファンのみなさん)のがいいのか。年齢が同じ?あ、近いのがいいのか。やぁ~まぁとにかく気に入ってます。それではみなさん♪さーよお~な~らぁ~
September 14, 2003
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アガスティアの葉・・・ってご存知ですか?10年近く前でしょうか、サイババで有名になりましたが、日本では青山圭秀さんの書物で知られることとなりました。TV番組などでも「アガスティアの葉」を訪ね歩く番組が制作されたりしていました。その葉に地球上のどんな人の運命も書きこまれている、ということでした。しかしその葉に書き込まれた文字はたいへん古いため、それを解読する人物がその場所にはいて、その彼?でなければわからないという話だったように思います。これもまた考えようですが、ひとつの国を統治するという方法は、有史以来数々試されてきたと推察されます。なかにはこうした占いによって人民の心を掌握しようと言う(アガスティアの葉がそうだというわけではありません)やリ方もあったことでしょう。現代に生きる私たちにとっても占いは非常に身近なもの(最近はネコ占いが流行ってるそうですが)となっていますし、世界史の時間に習ったように政まで占いに頼っていた時期もあったわけです。ですから、占いによって民衆の心を操る、なんてことはいとも簡単に行えた、はずだと思われます。いまだにいろいろな「占い」の本が毎年年末になると大量に書店にならび、売れていくのも・・・実はそういった「名残」だったりして。
September 13, 2003
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今の自分の生活は自分の自由意思によって選択できる、あるいは選択していると、大半の人は思って生きている。また世の中には自分以外にいろんな価値観を持った人間がいてたまに自分とは異なる価値観の人間との軋轢も避けては通れないものであることも知っている。そうした価値観の違いはその人間が生きてきた環境や出会った人々、書物などなどからの影響により形成されてきたものであろう。しかしそれが実は例えば国家権力によって思いこまされてきたとしたらどうだろう。映画『ゼイ・リヴ』や『トータル・リコール』その他社会派のアメリカ映画では取り上げられるテーマ?でもある。そうした映画が作られるのは情報大国アメリカならではのものだろう。その他の国では現実にそういった情報操作が行われている、と報道やTV番組、雑誌などのメディア、最近はインターネットから植え付けられているような気さえする。そう考えると私たちが今こうして生きていて日々常になんらかの選択を行っているなかで実はその選択は自分自身の主観的判断と自由意志によって決められているものではないかもしれないのである。身近なところではTVコマーシャルに代表される「広告」がもっともそれに近い(ことはご存知の方も多いかも?)。自分の意志で当該商品を購入したと思っていても、実はそこらじゅうに氾濫した広告のウズの中で生活している私たちにとって、一体何によって自分はそれを選択したのか、明確には示すことはできないのである。あなたが今こうして生きていること自体、本当は何者かによって作り出せれた家族と社会の設定によって生かされている、なんていう近未来SFちっくなことも実はあったりするのかもしれない。そうでなくとも昔は産院で赤ちゃんを取り違えるなんてこともあったそうだし、本当に自分はこの親の子どもなのか、なんて一度は考えたことがある方もいるのではないだろうか。物は思いよう・・・ではあるが、報道されている事実のなかにはそうした私たちが気にも止めない、しかし、大変恐ろしいことが行われているかもしれないと考えるだけでも世の中はちょっと違ったものに見えてきはしないだろうか。アメリカのTVドラマシリーズ「X-File」とまでは行かないが、現実にあなたのすぐ身の回りでそうしたことが起こっていないとも限らないのである。
September 12, 2003
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デフレ・スパイラルでモノが全然売れない。日本はそんな不景気に見舞われているのだが。ただ消費するだけの消費にはもう飽き飽きしている、のかもしれない。世界では戦争や紛争で明日をも知れない人たちが大勢いる。しかし先進国、日本にいる私たちのほとんどはただ手を拱いて見ているだけ、というのが現状。かくいう自分そのひとり。Fair Tradeはそんな先進国(でなくてもよいのだが)の私たちにとって、消費を新たなものにしてくれるひとつの手段とも言える。通常の商品よりはちょっと高めだが、Fair Tradeの商品を買い求めることで、後進国の低賃金で貧困に喘ぐ人たちの援助をすることができる。Fair Tradeでは原材料を通常より高めに仕入れることで低賃金で過酷な労働を強いられている人たちに少しでも金銭を還元することを行っている。しかもその原材料は自然にも優しい、生産方法を行うことによって作られるため、その商品を我々が購入するだけで地球破壊にも一役買うことになる。こうした活動がどんどんと増えていけば、いや増やしていくことで、通常に生活しているだけでも、いろんな形でもいわゆる「ボランティア」を私たちは行うことができる。いざボランティアを始めようとしても、普通に生活しながらでもなかなか簡単ではない。なのでこうした活動はぜひ続けて欲しいし、そうしたお店がもっともっと身近になればと思うのだが。
September 11, 2003
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60年代、ロックミュージシャンの間では「30歳」まで生きるのは「格好悪い(?)」ものだった。ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックス・・・皆、30を手前にして死んでいった。ミュージシャンに限らない。作家も一時期、自ら命を断ってしまうのが流行りモノのようたった。最近、それも無理はないか、とさえ思える。そんなにいつまでもいろんな事が「新鮮」ではいられない。自分だけの時間もなくなる。どんどん物事は思いのままにならなくなっていく。喜怒哀楽も薄れていく。いろんな感覚が鈍化する。体力も衰え、あちこちが痛くなる。回復も遅い。精神的にもうんざりすることばかりに出くわすといい加減疲れ果てる。若いときは肉体的に回復も早いので、精神が疲れていても体が快復するので、それに合わせて心も立ち直りが早かった。でも年をとると、精神の立ち直りが遅いと体はなかなか立ち直れない。引きずってしまい、また次の疲れが襲ってきて、それが蓄積されていく、堆く!なのに回りはどんどん自分にいろんなものを求めて止まない。自分に「返る」暇がない!一体あの頃の「自分」はどこへ行ってしまったのか。もうあの頃の自分には返れないのか?自分を見失って久しい気がする。もうその本当の「自分」を想い出せないような気がする。まるで記憶喪失のように・・・記憶もどんどん薄れていく。小学生の頃などもうほとんど思い出すこともない。いや想い出せない。へたをすると大学の頃さえ想い出せないかも知れない。「生きている実感」が薄れていくような気がして・・・
September 10, 2003
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一頃、切れる子ども達のことが社会現象になったが、最近はいい大人がいわゆる切れて人を殺めてしまう事件が多く見受けられる。「我慢がいかなくなった大人達」がいつのまにかあちこちに見かけるようになった気がする。駅のショッピングモールで待ち合わせしていたある雨の日、週日の夕方で帰途につく会社員が目の前を足早に通り過ぎていくなか、一人の女性が自分の前を通り過ぎたその一瞬、こちらを振り返り吐き捨てるように「ばか!」と捨て台詞のように罵声を発して通り過ぎていったことがある。なんのことやらわけも分からずしばらく呆然としていたが、ひどい目にでも遭ったのだろうか、なんともかわいそうな女性だった。ある日曜日。久しぶりに子ども達と都心へ子どものバッグを買いに出た日、子どもの手を引いて駅のコンコースを抜けてお目当ての店を向かっていたとき、大勢の人たちが行き交うそんななか、足早に改札に向かって歩いてくる女性が、いきなり私の右手に捕まって歩いている子どもにぶつかっていった。さすがの私も「気を付けろ!」と思わず怒鳴っていた。普通ならなんなく避けて歩いていく、それに十分な空間があったにもかかわらず、わざととしか思えないような、そんな感じだった。昔はあり得なかったようなそういったことがとても多く見られるようになってきた。まるで日本は「悪」と「正義」の二極化でもしていくような、そんな気さえしてしまう。ジョン・ハーロウという医師が治療したある青年のことを著した有名な論文がある。フィニアス・ゲージは鉄道工事現場の責任者をしていたが、ある事故で脳の一部をってしまう。命は取り留め奇跡的に助かったが、後遺症が残った。以前はとてお実直で責任感の強い好人物だったのが、まるで人が変わったように急に怒りだしたり、乱暴で刹那的な、感情を抑えることのできない「動物のような」人間になってしまった。彼が失った脳の一部は「前頭葉連合野」という箇所でその部分が人間を人間たらしめる大変重要な役割を果たしていたことがこのことで明らかになったというのである。つまり、「前頭葉連合野」が発達していない人はそのような倫理観の薄い人間性を持つということらしい。人間らしさは「前頭葉連合野」の発達如何によるというわけだ。北海道大学教授の澤口俊之氏の『幼児教育と脳』によるとこの「前頭葉連合野」の発達を促進するには、年齢の違う大勢の子ども達のなかで育つことが大事だとしている。以前はカルシウム不足などが「切れる」原因などと言われたりもしたが、こうした大人や子どもが「切れる」という現象はこの辺に原因があるやもしれない。
September 9, 2003
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今流れているGAPのCMで懐かしくなってつい聴いてしまってる今日この頃。でもないか~。最近はカラオケでもあまり歌ってませんが、ちょっと前、よ~く歌っていた、アースの中でもついつい気分が高揚しちゃう、そんな曲ですね~。これはやっぱりつい体が勝手に動き出しちゃうんですよね~。ディスコの定番でしょうか。そう言えばモーリス・ホワイトって回復したのかなぁ~・・・?
September 8, 2003
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男女平等、社会的にはそういうけれど・・・実際はいろんな面で「そうじゃない」と思えることはどちらにもいえる気がする。平等ではないからあえて「平等」といわなければ、やっていけない。人生は必ずしも幸せではないから、幸せでありたいと思う。自由は不自由があっての自由、ということは忘れている。そう。現実は違うもの。しかしもの心ついてから、もっともわからないことは、「性」。性質としての「性」もあるが、「セックス」のこと。特にそれを商売にしてしまうというか、複数の人と交われること。もちろんすべての人がそうではないでしょう。その一部の人、特に女性の感覚がもっともわからない。いけないとかそういうことではなく、どうしてそうできてしまうのか。商売にした場合、どういう人の相手をしなければならないのかわからない。選べない。それでもこなせてしまう。心には何も残らないのだろうか。女性は特別なのだろうか。子供を持つという本能がそうさせるのだろうか。単純ではない気がする。男は単純に子孫繁栄の行為として、本能上は「罪悪感」はたぶんないようにできているのだろう。となると、「子孫繁栄」という意味では女性も同じなのだろうか、基本的には。しかしは男性の場合、選んでいる、選んで行為に至っている。でなければそういう気にはなれない。想像力がかけると萎えてしまうのは男だけ?女性にも「インポテンツ」があるのだろうか?聞いたことがないが・・・恐らくは乳飲み子の時分の母親との関係で性的関係の構築、かかわり方である程度は決まってしまう。もしくは性に目覚めてからの経験によってきまるのかも知れない。どんどんフリー、あまりにも頓着しなくなっている性関係。電車の中刷り広告には過激な文句が否応なく目に飛び込んでくる。こじゃぁ悶々とする男性もいるだろうと思える。インターネットなどはほとんど無法地帯。これから大人になる子たちはどうなっていくのだろうか。
September 7, 2003
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NHKスペシャルで9月11日を振り返るアメリカ人達の話をやっていたが、戦争で苦しむのは私たち一般市民であることはどの国においても同じ事。イラク戦争は石油資源の利権争いが本当のところの話。しかしこれとて報道から伝わってきたこと。TVのなかでもイラク戦争について同じ事を言っている若者がいた。同じ地球という星に暮らしながら、なにも争うことはないではないか、そう思う、単純にそう思う。それは単純すぎる、という人もあるだろう。いろんなことがあって、仕方なくて、というのであろう。国に任せるしかない、そう若者の兄は言っていた。しかし、それはあまりにも受け身過ぎる、と思う。人と人の争いはその発端がどういう理由であれ、有史以来なくなることがない。終わりがないのだろうか。どうにもできないのだろうか。人はやっぱり自分がかわいい。自分が責められるのはいやだ。傷つきたくもない。できれば人に喜ばれたい。楽しい人生でありたい。しかし人生は禍福あざなえるもの。良いこともあれば悪いこともある。どうにもならない自然災害などもある。でもそれも人災かもしれないが。人間・人類は地球にとってみれば、ガン細胞みたいなものかもしれない。人間同士でも相手を思いやれないのだから自然や動物なんてなにも頓着されない。相手が嫌いだ、こいつイヤな奴だ、なんて失礼な人だ・・・なんて思うのは自分。相手は何も思っていない、そういう気は全くない、かもしれない。でも相手のせいにしてしまう。この間ひょんなことから会社のつきあいである方のお通夜に出た。牧師さんのお話で「故人はいつも『未完であれ』が口癖」というお話に続いて「よく、正しいとは何かを追求していた」とも。「誰が言ったではなく、何を言ったか。誰が正しいではなく、何が正しいか」それに加えて更に「それを言っている自分がいつも正しいと人は思いがち。そういう自分は本当に正しいのか、それが大切」という話があった。耳が痛かった。ついつい上司というような役所にいると、いつも自分が正しいという立場からモノを言っている、のではないか・・・また、些事に振り回されず、そうしたことは仏様にお任せして、大局だけに集中して毎日毎日を一日一生と思って生きる、そう考えると世の中に無駄なモノなど何一つ無い、ということがわかる、といった話を雑誌で読んだこともあるが、どちらも相手や身の回りの人を思いやる気持ちが大事なのだな、と思わされる。人に感謝したり、ほほえみかけたりしていると、不思議となんだか、ちょっと幸せになったりする。人生そういうものかも知れない。心模様で人生は変わるのではないか、と。そうすれば、この世の中から争いなど無くなりはしないかと。
September 6, 2003
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週刊AERAの最新号にそんなタイトルを見つけた。まだ記事には目を通していないが、たまたまTV番組でも取り上げていて、「自分以外はバカ」と位置づけることで、鬱積している感情を吐き出し「感情吐露」をし、言いしれぬ不安から身を守ろうとしている人たちが増えている、といったような内容のようだった。改めてそのことについて考えてみると、自分も案外そうなのかもしれない、と思い当たる点があるような気がする。バカとまでは思わなくとも、「なぜそうなんだろう?どうしてそう言うことを言ったりしたりするのだろう」から始まって、結局は「アホじゃないの」という気持ちで処理してしまうことは多い。いや多くなったように思う。ここ最近年を重ねる毎にどんどん先の事が不安になるような気がする。それに自分だけでは解決できないようなことがどんどん覆い被さってくるような、そんな潜在的な、深く静かに自分の心の奥底で感じ取り続けているような、そういった気持ちがふつふつと煮立っているような・・・80年代に入る前後当たりから、猟奇的な事件が増えてきたように思う。記憶が正しければ「金属バット事件」や「佐川君」あたりからだろうか。その後、毎日のように人が人を意図的、感情的に殺める事件が起こらない日はない。しかもそれが日常茶飯事化し、ひとつひとつの事件にこころ砕いている暇もなく次から次へと続発する。更に動機はどんどん幼稚化し、意味もなく人を手に掛けている、そんな事件ばかりが自分たちのすぐそば起こっている。本当におかしい。おかしいとは思っても・・・自分にだけは降りかからないものだとどこかで思っている。他人をなんの疑いもなく諸手をあげて「信じる」ということができなくなってしまったような気さえする。本音など気軽に他人には話せない。自分のいないどこかで陰口でも叩かれるのでは、ま、そんな思ったり・・・しないこともない。子どもが泣いていると「泣かすな!」と平気でまるで自分が裁判官でもあるような勢いで怒鳴るような人たちまでいる。もっと他人を見守ってやるようなことができないのか。そう言う自分も「他人はバカ」と心のどこかで思っていて、そんなことは言えた義理ではないかもしれない。以前に「IT」というスティーブン・キングの映画があったが、人間のどこか奥深いところで煮えたぎっている「悪」の感情に誰でもいつかは覆い尽くされてしまうのではないか。記事を読んだわけではないが、日経新聞に「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる水木しげるが「私の履歴書」で戦争についていろいろと書かれていたとうことを人づてに聞いたが、そうした「人を殺める」という場面、あるいは自分自身が異常な状態の中で経験したような人たちの「生」の話をもっと聞かなければ、戦争の記憶も薄らいでいくだけでなく、「人の命の大切さ」まで見失おうとしているような気がする。それは決して「人を殺め」なくとも、「他人への思いやる気持ち」を失っていくことだけでも、「人を殺める」ことでにつながるのではないか、そんな気がして仕方がない。最近知り合いが「帰農」するため、会社を辞めて農業の研修を今受けていると聞いた。ひょっとしたら、「人とのつきあい」をするのに疲れたのかもしれない。人に触れ合わなければ、毎日つまらないことでイライラすることもなくなるだろう。そう思いたくないなら、人のいない田舎へ移り住むという考え方もあるとは思う。しかしそういった現象が増え続ければ、地方に人が増えいずれは同じようなことになってしまうのではないか。人の少ない地域へ移り住む、と言うのもひとつの手ではあると思う。けれどそれで解決するかどうか・・・何とも言えない。やっぱり常日頃から「自分を客観視」できるように心がけておかないといつの間にか、本来の自分を失っていってしまうかもしれない。そのためにもある程度「好きなこと」をやれるように、自分を大事にできるように、そして、他人を傷つけたりはしないよう、くれぐれも配慮すべきなのだろう。「自分以外バカ」なんて考えずに、謙虚になりつつ、決して卑下せず、自分を大事にして自分らしくいられるように「心の浄化」をできるようにしたい。あ、これもそのひとつの「心の浄化」作業かもしれない。
September 5, 2003
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♪ノルウェーの森同じタイトルの本を村上春樹が出したときには「なんでそんなタイトルつけるんや」ってちょっと憤ってましたが・・・この曲もまた心にじっと浸みてくる、そんな歌ですね~。しんみりなってしまう、そうさせずにはいない曲です。ほんとにそんな森があるのかいな、なんて思ったりはしませんでしたが・・・でも今こうしてゆっくりじっくり聴いていると、そんな森へ行ってみたくなる、あの娘に会ってみたくなる、そう思ったりしません?
September 4, 2003
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♪デイ・トリッパーこの曲はドラムを担当していた、なんてウソみたいな話・・・。ギターのリフの後のローリングができなくて・・・でもカッコいい曲なので、なんとかカッコ良くきめたい!そう思って練習した覚えがある曲。でもしばらくしてギターを弾き始めたとたんにドラムのことなどどこへやらで・・・あっけらかんとしてました。そうやって考えると、あの頃の自分と今の自分はまるで「別人」のような気さえしてきます。もっとも何十年も経てばそうなってもおかしくはないのでしょうけれど・・・しかしいつ聴いても「カッコ」イイ!!
September 3, 2003
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♪恋を抱きしめようLife is very short全くその通りなんだな、と思う今日この頃ですが・・・歌詞にはまったく捕らわれていなかった。むしろ英語の音や響き、それにメロディばかりに惹かれてましたね~。年とともにいろんな角度から聴くようになり・・・自分たちで演奏していた頃は、また違った視点から聴いていたし・・・しかしいつ聴いても最初に聴いていた頃をいついつまでも想い出せる、音楽ってホントにいいですね~(どっかで聞いたような???)。
September 2, 2003
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♪悲しみはぶっとばせ高校生の頃、新入生歓迎会か何かでクラスメイトと生ギター1本とタンバリンで歌ったとてもとても懐かしい、想い出深い曲。恥ずかしい、なんて微塵も思ったりしない、そんな年頃だったんですね。今思えば、顔から火がでそうな、そんなことばかりしていた、またできた頃だったように思えます。いつの頃からなのか、物怖じしたり、不安になったり、慎重すぎたりするようになったのは・・・
September 1, 2003
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