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最近、鬱はやり。振り返って、私が欝を体験したと思われるのは、19歳から、20代前半だと想う。その頃の日本の精神科は未だ信頼するほどに至っていなかったと思う。原因に成った事件は有るけれど、問題は原因を掘り起こしても解決にはならない。当時、通っていた学校が、養護教諭、歯科衛生士等の資格を取得する学校で、病院実習の時に、3日も遅刻した事から、実習先病院に行ったとき、学校のボスから、大学に戻るよう指令が有って、大学の内科に回された。当時難病奇病に数えられていた、血液の溶連菌感染だった。短大の学長と内科の先生は銀座のクリニックで、難病奇病を扱う病院を開いていた。学校では、君は病気ではないと言う学生部の部長の励まし。認定されて居ない病気は病気と見ない。病は気から、根性で乗り越えろ。(頑張れば、応援するから、学校を卒業するようにと言う)大変落ち込んで、悩み深い私に対して、体が治れば、心も治る。とする学部長の考え。具体的な体の治療する事で、今を打開する。健全な体に健全な精神が宿る考え。登校拒否の60%は潜在的な病気を抱えているという考えを持っていた。歯医者になる事を考えて育った私に、衛生士の学校で歯医者は自分に不向きと悟った事が、悩みの主な原因。生き方に迷っていた。どちらの方も、卒業を支援してくれた。必要な補講を個人的にしてくれる申し出を受けていた。短大を卒業すると、他の学科に移るときも単位が生きるからだ。考えた末、卒業マ直に、卒業試験・国家試験前に中退した。それは、病気がちな自分が医療系の資格を得ると、それに縛られる事で、苦しくなると考えたからだ。その感覚は、振り返ってみると正しかったと想う。鬱病が治ってしまったのは、これまた偶然の事件。新聞に「おはよう強盗」と載ってしまった、早朝の事件がきっかけ。朝の8時頃、フト目が醒めると目の前の首辺りに包丁が突きつけられていた。一瞬悲鳴を上げたが、土壇場で冷静になるのが私の特殊なところ。ストッキングを被った、犯人が枕元に居た。その顔を見て、少なくても知り合いでない事に安心した。「怨恨ではない。」と確信した。『見るな!』と言われた。そして、後ろでに手を押さえられたが、説得し始めた。「靴のまま、上がってきたの?今だったら誰にも言わないから出て行きなさい。」その時、私の脳裏には、自分の幸せが頭を過ぎった。親の勧めで、気分転換にパチンコ屋に行く事も出来る。この人は、ストレスをこうした形でしか発散できない。犯人は、震えていた、初犯だと感じた。しばしの沈黙の内、私が抵抗を示さなかったので、包丁を置き、今度は、両手でスカーフを首に巻きつけ始めた。その時、私の中で、怒りが持ち上がった。「いい加減にしなさい!」と言う言葉と同時に跳ね起きて、玄関向かい走り逃げた。入り組んだ、自宅は他人には動きにくいが、住み慣れた我が家。当然私のほうが動きが早かった。『待て~!』心の中で、「待てるか~」と思いながら、裸足で隣人に助けを求めた。隣の人は事態が飲み込めず、逃げた男を指差して、『逃げて言ったよ。』と間抜けな返事をしている。その時、思ったのは、きっと、男女のもつれの痴話げんかと思われているな。と感じた。他人の目は、そんなものだ。警察に届けるにしても、犯人が割れたら、因縁が出来てしまう。私は、犯人が逃げる時間を10分待ってから、警察に連絡をした。わずか、5分ほどの出来事を、細かい動きまで、再現させられる警察の事情聴取には、3時間を要した。幸い警察犬が車酔いで役に立たなかったので、犯人の足取りは追えなかったのと、聞き込みで、どうやら私は街では目だって居て、私の知らない、私を知っている人が多く居すぎるので、絞り込めないと言われた。このような理由で、私は仕事以外のときに化粧をするのを、20歳で辞めました。この事件がきっかけで、血液に示された、難病も半年の投薬治療も手伝って、全てマイナスに転じた。鬱も直ってしまった。当時抱えていた悩みが消えたわけではない。病気なら治る。病は気からというけれど、鬱病も又病気。その時私の中で大きく変わったのは、「私って意外と強い。」という自覚を持った事。19歳の時、友人との間に起きた、事件がきっかけで、極端に自己の知的能力が落ち、学校でも、午後は横にならないと授業が受けられない状況が自信を失わせた。自分の強さの再確認は、回復力を一気に高めた。この件を書いたのは雅子様の治療方針が効果を上げない理由とどういう関係が有るか。病は気から。医者はそれを助ける補助的な役割しか持って居ない。今の治療で何が問題か。正子様の周りには健常人しか居ないこと。鬱病の薬が効かない事で、鬱病ではないと診断されている。私は家族にも医者にも理解できない症状で、3ヶ月観察の為に入院した。それが、結果的に実際婚約者と別れた時の発病時に、すんなり、精神科の門を開かせるきっかけになった。そして、当時治療法が確立されて居ない病状が、医者も偶然直ってしまった。と言う経緯で退院する事になる。自律神経。精神病。神経過敏捷。ワーカーホリック。鬱病。統合失調症。全ての薬を体験したと想う。そうした経験から感じた事は。医者は病気に詳しくない。薬には詳しいが、病気の治るプロセスが判って居ない。が治療方法は知っている。開放病棟と言う状態で患者同士の交わりが病気を治すプロセスに役に立つ事は、事実として知っている。意外にも、病気の時助けになるのは、同病の病人なのだ。私の知るところ、医者として、有効なカウンセリングをしたの医者は二人。病院との付き合い方と教えてくれた先生が一人。この先生は、見守る立場を貫いた。自分が意識的に医者を変えたのは一度だけ。24歳から、28歳まで、7人のドクターと会っている。42歳の時再び医者の助けを求めた時から、今日まで、8人の医者の手を渡っている。合わせて、十五人。これは、結構凄いかもしれない。家族からも医者からも、不明とされた症状の時、色んな神経科に兄弟に連れて行かれた数はその内に入って居ない。「神様と聖霊についての話が、周りを恐れさせた」最近まで神仏について語ることを避けてきた。病人が病人を癒す。これは、癌センターでも感じた事だ。実は、癌も経験している。今の所再発はして居ない模様。もう十年経つ。癌センターでは、癌の患者ばかり。同じ病気の人たちが一様に感じる怒りが自分だけに起こることでは無いことを知るのも、1つの治療効果。互いの情報が意外な幸運を引き寄せる。手遅れと判断された人が、生き延びてしまった話とか、奇跡的な事が癌との付き合い方の指針を教えてくれる。病気は克服した場合、逆に免疫を得てしまう気がする。病気慣れ。何が身につくかと言うと、≪病気なら治る≫と言う信念が生まれる。そのメソードも、意外な事に、病気によって違いが有るわけではない。他人を見て、自分の症状を自覚する事が、治癒の近道。病気は薬で治るわけではない。あくまでも助け。自己回復機能で直る。身体の機械的な故障のときに、痛みを感じるのは、その場所に回復機能と集中させる為の目印として、痛みを感じる。誤診から、死ぬ寸前を体験した私の経験から言うと、激痛は3日以上続かない。その後は、脳内麻薬の為か、ジョジョに痛みを感じなくなる。死ぬ寸前だったといわれた頃は、痛いような気がする程度。薬物で抑えると、薬物効果が薄れると、激痛が戻るらしい。歯医者の父が実験的に私の神経を麻酔無しに抜いた事がある。信頼感は、痛みを和らげ耐えうることが出来るが、神経から感じる痛みは、恐怖感で何倍にも膨れ上がる。父以外の人に、麻酔なしで神経を触られたときは、心臓が止るかと思うほど、痛く感じた。今私の症状は生憎病気の域を超えたところが有る。機能障害を起こしている。これは、薬で治療をしているというより、障害を補っている状態。障害は慢性的な状態。糖尿病の人が、インスリンを補給する状態に似ている。以前、鬱が事件のショックで直ってしまったような、偶然の働きで、障害が取れるかもしれないが、病気と考えないで、障害と付き合う心構えで生きる事を最後に信頼していた、若い先生の有効なアドバイス。私の使っている薬を飲みながら、医者や、弁護士をしている方々がいるらしい。2ヶ月程先に、一日のリズムを作る為に入院を計画している。環境は余り良くないが、この際贅沢は言えない。現在、薬を飲まないと眠らない事で、好きなことをしていると、何時間経ったか忘れる状態に居る。眠ると、疲労度で、何時間で起きるか計算が立たない。3度の食事が体内時計を整える話は最近定説になっている。気ままな生活で、一年間の間に、薬の使用量を、14分の一まで減らした。これ以上減らせない最低限。禁断症状は無いが使用を辞めると、耐性を持って、効かなくなる恐れが有る。癌でも、どんな病気でも直す時は、最終的には自分との賭け。治療方法を自分でデザインする。医療の現場の力を借りる時、病気の自覚と治療計画を自分で立てることもある程度必要だと想う。今の皇后様の病が治ったのは、ある時、モータボートを自分で、運転した時がきっかけだ、と言う手記を読んだ人から聞いた。雅子様も、何かの拍子に自己回復機能が巧く働きかけるきっかけを見出すかもしれない。それは、医者の治療が良かったというよりも、何が良い事に繋がるか判らない、時間の癒しと偶然の神様の働きが雅子様の自己回復機能とリンクした時に起きる。健常人に囲まれる状況では、それ自体が比較のストレスに晒される。御同情申し上げます。学校の学友と同様。他人が自分の鏡の効果をして、何が病気かを客観的に見れる。(ストレスで落ち込んだり、気の塞ぎは、健常人でも起こる。病気はそうした状態ではない。)病気の時の同輩も病人には大切な癒しの効果が有る事。意外にも知られて居ない。最近寝起きの気分が優れない。天候の所為かもしれない。心理学の本を読むと、私は、癲癇質、躁鬱質、分裂質、全てを万遍無く持っている気がする。ふと、雅子様に関連した記事の載っている、買い置きの文芸春秋を手にした。未だ開いてなかった。最近私が気にしている、擬態うつに関しても書いてあった。病気は薬で、助ける事は出来ても、性格の良くなる薬はない。鬱の人は怠け病ではない。鬱病以外の病気でも鬱症状はある。雅子様の症状は、脳内物質の為ではなく、状況に対応して、学習された記憶のカードが巧く開かない症状な気がする。HPを読んでいて逃避癖の人が、うつ気分を装う我侭をよく見かける。何でも、鬱病にすると、本来克服するべき問題は解決されないどころか、無為に若い時期を過ごしてしまう。自殺の原因は、鬱とは限らない。極端な逃避が自殺に繋がる。自分に向かわない場合は他殺をする。(短絡的な結論付けの癖。)性格の癖を精神科の薬で直す事は無理だと想う。今日の気分でダイソウで買った、芥川の小説を読む。教科書のダイジェストでしか読んだ事がなかった。芥川龍之介の場合、お母さんが精神科の発病をしていた事がトラウマに成っていたようだ。死にたくなる気持ちも判る。優秀な作品を読んで、自殺を防げなかった事が悔しい。一時、芥川龍之介の苦しみを理解できる人が傍に居たら、助けられたかもしれないと時代を超えて、愛しく想う。「漠然とした不安。」それは何度も襲って、必ず過ぎていく。河童が精神病を扱った作品だとは知らなかった。落ち込んだ気分の時は、から元気な物より、そうした作品が意外にも自分に気力を与えてくれる。人間を斜めから見る太宰イズムと違って、純粋に人間の心の襞を感じる。ほんと、生きるって大変よね!
2004年08月29日
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聖霊の宿る体。その形として現れる効果に、癒しが有ります。病院にお見舞いに行くと、具合が悪くなる体験をした事がありませんか?聖霊を宿す事は、自分の心のバランスが正常な、周りの環境に影響されにくい体になっています。健やかなお母さんは殆ど、聖霊を宿している状態に為っていると思います。心(胸の中心)が温かい状態です。古くから、手当てと言う言葉が有ります。子供の頃、お母さんが頭に手を当ててくれているとき、痛みが和らいだ経験が無いでしょうか?自分に余裕がない状態で病人に触れると、影響されて、自分も似たような症状を感じてしまう事が有ります。そうした状態では、余り、病人には接しない方が良いと思います。最近、知り合った30代の女性に、癒しを行いました。普通の場合、自ら進んで行う事は無いのですが、彼女の場合。全身から、オーラの放出が激しく、大変痩せてしまった状態にありました。見たところ、30キロ台に見えました。「どうしたの?そんな状態だと痩せて当たり前よ~!」「自分で、コントロールの仕方判らない?」最近の流行で言えばオーラになりますが、昔の言い方をすれば、気配です。全身にエネルギーの波動が放出されていました。「ちょっと待って、私から、入れてみる。」「駄目だ、跳ね返って出て来てしまう。」「止める方法教えるから、してみて。」「まず、額を押さえて。思考を止める。」「ロダンの考える人のポーズ。」「次に、おへそのした辺りで、軽く手を組んで、手のひらをおへそに向けて、息を整えて。」「お釈迦さまの手を組んだ形は伊達じゃないのよ。(インは組む必要ない)」彼女のオーラの放出は収まった。「触っていい?直接足の細胞を話するね。」膝と膝の少し上の辺りを両手で軽く触れる。この場合、私自身は特に、気を出さないように気をつける。簡単にいうと、その触れている部分に自分の意識を持っていかない。私自身の無意識の状態と相手の体に同調を起こす。片足ずつ、筋肉が、弛緩してくるのを待つ。以上でおわり。何日か後、ダイブ状態が変わっていた。「あら、ずいぶん元気になたみたいね、前は貴方の体に気が回ったけれど、≪あなた自身が見えるようになった。≫『あの日の夜から、おなかの辺りがズンと重みを感じるようになったの。』「それが普通。そうじゃないと二本足で、しっかり、地に足が着かないでしょ?」話をしていて、少し疲れたので気分を変えにお茶の後、彼女を散歩に誘う。「話疲れたでしょ?気分転換に歩かない?」『どうして疲れたって判るの?』「いや。私も疲れたから。」初めは、歩くのが遅いから、と遠慮をしていた。私は、歩くのはダンスと同じと思っている。本格的なものは無理だが、相手に合わせるダンスは結構得意。一緒に歩く人で、風景の見え方が違う。彼女と歩いてみると、その道は、自転車の襲ってくる、怖い道だった。普段は、人並みの隙間と街並みに並ぶ商品にしか、目を向けて居ない。道行く人の顔がつぶさに眺められる不思議な光景。公園まで、歩いて、お話をして、別れた。その又二日後に会うと、彼女は公園の数段の階段を下りるのも一苦労だったのが、喫茶店の階段をスタスタ下りてくるのをみた。そして、『夫の勧めで精神科に行った。』と聞いた。偉く弱っている時は、意見してこなかったのが、少し元気になってきたら、相棒がが色々意見してくるように為ったらしい。折りしも、母親が、子供を餓死させたニュウスの後だ。「貴方は違うでしょ?精神科は万能の科ではないから、自分の回復力を信じなくては・・・。」『でしょ!でしょ!私も行ってみて違うと思った。』『内科の検査も受けてきた、主人が心配して。』病気と考えて、何とか治療したい気持ちになっているみたいだ。相棒を安心させる為に、治療の態度を示さないといけない状態に追い込まれてきたらしい。民間の針灸・整体にも興味を持っていたので、兄のところを紹介してた。やたらのところに行かないで、針の効果の説明を受けるように言った。やはり、治療には素人の私が言うより鍼灸医の玄人の説明の方が効果的と考えたからだ。針や灸は、対処療法に当る。それらを使う目的は、二つある。1つは、極端なストレスを、一時的に和らげて、その間に自己回復機能で体の回復を促す。(健康維持)もう1つは、医者に見離された症状を和らげて、延命や回復効果を狙う。状態の悪化を防ぐ。これは通い続ける事になる。一週間後連絡が来て、彼女の場合、自分で頑張って、病気を治療しようと思わずお気楽に養生して直すよう、説得されたようだ。その後、私のほうが、忙しくて、連絡が取れなかったようだ。或る日、友達を紹介したいと連絡が有った。私が、ブラストを見てきた翌日だったと想う。楽しくお友達と、食事をして深夜まで話してしまった。お友達には興奮冷めやらず、≪ブラスト≫を見ることをお勧めした。こうした物は一生に一度行くか行かないかだから、見るなら金銭的に無理をしても、S席で!と念をおした。彼女はやっと、私の兄の所に行くときに3つ駅先まで電車に乗れた状態。ブラストのDVDを貸して、来年も見れると思うから(去年から来ているので、来年も来ると勝手に決め込んでいる。)来年目標にね!と言った事は覚えているが・・・・・。なんと、昨日夜、少し興奮気味で電話が掛かってきた。『あのね。当日券でS席取れて、ブラスト見てきちゃった!』「え~!」だいぶ前に癒しについて、書くと予告した日。初めて、彼女に癒しを施している。どのぐらい、時間が経ったのか、日記を振り返ってみてみないと判らないが・・・・・。近所を歩く事も、やっとの状態から、渋谷の文化村まで、一人で行けてしまうまで、回復してきた。信じられない回復。渋谷に出たのは2年ぶりだそうだ。電車に乗っている時間は20っ分だが、渋谷の人ごみは健康な私でも、用が無ければ行かない雑踏。≪癒しの効果≫は本来本人の持つ、回復本能を目覚めさせる。キリストの体から、力を抜いて直った女の人に、キリストが言った言葉。≪あなたの信仰が貴方を治した。≫この言葉が示しているのは、私が彼女にした癒しは、彼女の回復機能の目覚めを促している。直るのは、彼女自身の≪自己回復機能。≫昔から、なぜか、何処を触れば、効果があるか、不思議と知っている。(手が自然とその場所に行く。)昔から他人に、具合が悪いので「触って」と言われる事が多い。(わたしは、何も言わないのに、相手から要求される事が多い。)以前は、それをすると自分が参ってしまうので、本当は嫌だった。(自分の気を相手に流してしまう。)最近。自分の≪ハート≫を取り戻してから、影響を受けなくなった。私が私自身である事。それが、宗教用語で言う≪聖霊を宿す事≫だと想う。気功師の早死にと言う言葉がある。≪自分を失って居る状態で、欲に駆られて手当てを行う≫と寿命を短くする。わたしに≪シン≫の名前をくれた超能力者は、日本のマスコミでも、象を気で倒すパフォーマンスをしたり、マネージャーの斡旋で癌の患者の寿命を延ばす活動をした。一年後急性の癌で命を落としてしまった。我(聖霊)が戻った状態は変化が判るが、失った状態に気がつくのは難しい。嫌な事があって、落ち込むのとは少し違う。(これは、正常反応。)いつでも、我をを保つ努力。出来るだけ、周りへの拘りをすてる。快食。快眠。快便。これが、最低のバロメーターに為ると思う。彼女の『え~!電車乗れないよ~。』「大丈夫だよ。是だけ歩ければ、ラッシュを避ければ乗れるはず。」その言葉を交わしたのは、それ程前の事でない気がする。
2004年08月20日
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最近、やたら鬱病ばやり。秋の始まりは、病気でなくても、理由の無い物悲しさを感じる物です。何もかも、病気だと考えないように、気をつけてください。実際鬱病の人は、自身の変化から治療を受けているので、正常な自分との比較から鬱の特殊性がわかる。とはいえ、鬱であることから、正常な反応が出来無いことを、(朝起きられなくなった。等)病気が悪くなったと自分を責めてしまう事が多い。振り返って、先月の16日・17日今頃から、朝起き辛くなった人が多いと想う。27日あたりから、正常に戻ったと想う。これは、極端な猛暑から、体が自然と自分を守り日中の猛暑の時間、眠りたくなった結果夜型になっただけのこと。夜型に為ったと、悩んでいる人に、その頃からでしょ?と聞くと、『どうして、判るの?』と聞かれる。同じ日本の区域に住んでいると、大体同じ反応を体験しているからだ。それは、気候の所為で、働いている人は、無理にでも時間に起きる。体自然の反応は、涼しい夜に起きはじめる事は、生理反応だから、気にしないように。と伝えた。病気が酷くなったという思い込みからぬけだしたみたいだった。先週、急に寒くなった日が有った。急激な、気温の変化が、8月に秋の反応をしめしはじめた。今年は猛暑が続き。梅雨の時期も台風型で、夏が長く早かった。暦ではそろそろ秋だと思うが、北海道以外で、残暑の季節に秋を感じる事は珍しい。秋が物悲しい。今年のように典型的な反応を示すのは、珍しい。徐々に変化をして、個人差がまばらになりがちなのが、秋の特徴。今回のような、極端な温度変化。多くの人が、物悲しさを体験したのではないだろうか?これらは、次の季節に備える、適応反応。寒い冬に備えて、人を求めて、暖をとる準備の為に起きる心理変化。生理反応。次に起きる事に備える、構えをストレスという。このストレスを病気の人は特に過敏にならないように。大体、慌てずに放っておけば、≪3日から、一週間≫で過ぎる。苦痛は渦中はいつの時も、終わりの判らない不安を覚える。その後は、秋の風の爽やかさ、空の高さなど、季節の美しさが目にしみるようになってくる。病気で無い人。正常な未だこの世の空気に成れて居ない人も、この変化に慌てないように。(理由も無く悲しいのは病気だと思い込まないよう。)少し辛い、この感覚をお酒で紛らわしたり、馬鹿騒ぎをして受け止めないと、この不快感が長引く。このストレスは、次の季節を迎える心の準備。心とは、体全体の変化でもあるのです。こんな筈ではなかった。過度の人との接触で人間関係を壊してしまったりするのもこうした季節の変わり目。変わり目に弱気になることも多い季節。秋の始まりこうした物、と理解すれば楽に過ぎます。その後は、爽やかです。最近の風潮として、「幸せ強迫。」いつも、「ルンルン」でないと、いけないかの強迫観念。そうでないと、「病気?」と感じてしまうこの頃。四季の移り変わりの心の機微が人生を豊かにします。こうした心の動きが感じられないと、幸福感も薄れてしまいます。「物悲しさ。」この感覚は。大切な人生の調味料です。
2004年08月19日
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泡雪の関心ごと。それは、宗教用語をいかに、普通の言葉で言い表すか。尊敬する文学者はトルストイ。難しい事を、農民(昔学問とはなれた存在だった頃の)でもわかる言葉や判りやすい話で神の世界を描いた人。そこには普遍的な≪愛≫の伝道があった。あまり、優しい言葉を使ったので、判る人にしか判ら ない文学に価値を置いた当時の文学者からは評価されず、ノーベル賞を取れなかったといわれている。泡は、文学思考ではない。一生のうちに何枚かの絵を完成する事を目標としている。そのために、物事を考える道筋に、文章がある。ことばに為らない、何かを書くために、言葉で整理しないと出来上がらないのは、何だか妙だが、思考は言葉で形成され図形になる。宗教的な絵で描く世界は、ダビンチで、完結していると想う。それ以外の世界観。自然の中や日常にに神を描く絵画は五万とあるが、私がしたい事は、思考を図形化する事。象形文字、や漢字等の、亀甲文字に通じる物かもしれない。それを、もっと原子化する事を考えている。理想であって、中々実現しない。生きてきて、色々な不思議に出会う。泡雪は幽霊は見ないと公言しているが、幽霊らしき物には出会っている。それらの、事に何を思うか・・・・。一瞬と言う時のハザマに閉じ込められた人の感情、情念だと捕らえている。一瞬と言う時は、時間を細かく刻んでも、どこかに時間の長さが有る筈。だが、一瞬は、時間の外に投げ出されて、動かない永遠の時だと感じている。流れない時だから、流れている私達の時間にも重なるようにして、存在している。何度かそうした物に、遭遇した中でも、具体的な感覚を得たのは、今居る建物が建って、五階の部屋の、ロフトで眠ろうとした時に、ベッドに面した、北側の壁から、手が伸びてきて(視覚化しない。)腕を捕まれた。その時私はどうするか?「うるさい!疲れた居るから、眠らせろ!」と振り払う。で、ぐっすり眠る。相手にしないと、諦めて、再挑戦はしてこない。翌日起きて、昔、旧約聖書で、誰かが一晩中神と戦う話があった事を思い出す。『生きた人間で、わたしと戦ったのは、お前が始めてだ。』と神様から力を授かる話。聖書の話は、不思議に満ちている。不思議な事に出会うと、そう言えば、聖書にもそうした人が居たなと思うと、自分だけではない事で安心する。私の場合、目に見えない力が神なのか、悪魔なのか幽霊なのか区別がつかない事が悲しい。(感覚だけで、物理的でないことに於いて共通なので、区別しない。)普通でない出来事は、正直余り好きではない。聖書はそうした意味で、かなり辞書的な役割をしてきた。感覚で捕らえた事は、個人を越える事は無い。五感の体で感じる全ては、脳で情報処理される。そうした情報を視覚的に処理するのが霊能者だと思うが、私は、そうした物を見たくない。でイメージ化をしない。目の前にあるパソコンも、頭が情報を処理しなければ、無いに等しくなる。認識は、そのままでは個人の体験はどんな不思議に出会っても、何の意味も持たない。そうした事柄を科学して、普遍性をみいだした時、初めて不思議体験が役に立つと想う。物質移動した。瓶が曲がった。だから?どうした?そうした事実は、不思議なままだと、未知への恐怖と繋がる。不思議を紐解いた物が科学。現在・過去・未来。の時間の捉え方は、古典的な物事の考え方の基本だと想う。神が決めたかのごとく、万人に平等な時間と思われる。この時間が、唯一、一定でない。とアインシュタインの預言。私の場合、怠け者で、他人がどのように科学したかを楽しむ。1つの発見には血の滲む?(好きでしている事は結構楽しそうに見える。)地道な努力の積み重ねが隠されている。で時々、今は何処まで判ったのかお勉強するのだ。解明されるほどに、シンプルな答えに成ってくる。PC等が初期の頃は使いにくいのが、進化すると、誰でも使える物に変わってくるのに似ている。で、「う~ん。そうだったのか。」と感心するやら納得する。時にはとてつもなく感動を覚える。最近、数列と数列を順序を逆に掛け合わせると、答えが等しくならない。と言うのを知った。掛け算は順番を変えると、答えが一緒に成らない場合があるらしい。不確実性。百年位前からの常識が、今の時代に生きても、自分の知りえる常識に成るのは、難しい。誰もが、一生赤ちゃんから、学び始める。私の、かすかな、劣等感は。どんなに、文字や頭で色んな事を学んでも、火のつくマッチを土や鉱物から、作り出せない事。小学校で習った、水のろ過装置の底に入れる順番が思い出せない事。是らを、自分で作る事に嵌ると、自宅で爆弾作って、周りを大騒ぎさせる人になるかも・・・。作るなら、ろ過装置にしよう。知らない事は、山ほどあるが、最近、数学苦手。歴史苦手では理解出来ないことに多く出会う。最近手にする本は一週間から10日目を通す時間が掛かる。理解するには、聖書並に時間が掛かるかもしれない。一冊で得る情報が多い。流して読めるためには数学的な資質を養わないと、読みこなせないものもでてきた。難解だが、楽しめる分安上がりともいえる。まあ。中学一年から高3まで、真剣に向かい合えば、誰でも克服できる物なら、今から必要に応じて学べば十年後には、普通に理解出来るようになっていると苦手を克服する決心をする。何のために学ぶのか?今頭に有る情報がお互いスムースに連携できるように為ったら、その時にどう使うか考える事にする。単に楽しい!余興かよ、オイ!知識の無駄使いは贅沢?苦手を勉強する時間が在ることは有り難い。中々無い機会を、充分に楽しみたい。十年単位で物事考えるように為るとは老人パワーの域になってきた。人生は短く、一瞬は長い。
2004年08月17日
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他人と比べて、自分はここが人と特に違うな~と感じる時ってないですか?私の場合、20台の前半、幼稚園に通っていた姪から、結膜炎をうつされたとき、眼科に行った後、他人に感染させないように、暫く人に会うことを自粛した。気がついたら、2週間、一歩も家から出なかった。親子別居で、兄弟達が自立を目指して家出をしていた。親の居ない家で、子供達が家出をするって、変な感じがしていたが、とにかく一人だった。2週間、買い物にも出ずに、家の中で過ごし、2週間が過ぎた頃、ふと「私って、危ない奴かもしれない。」と何となく思った。昨日、夜中公園で≪一人花火≫をしたしまった。そんな時、20代の頃の自分。一人が平気に過ごせる自分を思い出した。しかし、一人花火は究極かもしれない。我が家には、捨てるに捨てられなくて、困っていた物があった。それが、花火。甥や姪がこの部屋に住んでいた頃の、置き土産。友達を多く呼んでいたみたいだ。花火と言うと、みんなで集まった時にするものと思い込んでいたのが、先日、子供達が集まっていた。花火を上げたのを見て、「要りますか?」と聞いたところ、『マジッスカ?』と言われた。(ここは標準語の地域ですが、彼らの社会の訛りは、話す相手によって代わらないようだ。)家にとりに戻ったが、彼らは、遊ばずに、女の子達が合流したので持ち帰った。その時、花火をあげたのは、花火を遠くからでも見たかった自分に気がついた。昨日、週代わり店舗で、花火を見て、買った。こんな事で友達に声をかけるのも、悪いと思い、一人で公園に向かった。十時半頃、藤棚の下の台の上に、荷物を枕にした人がゆっくり眠っている。プーさんか、旅行者かは知らない。こんなとき、「日本は平和だな~」と感じる。一人花火を始めて、気がついた。3・4本つけたら、飽きた。一袋は無理かと思った。高い位置から、火の子を散らしても、全て似たり寄ったり。そこは、一人遊びの達人。(私の事)新たな発見をした。柄が細い棒で出来ている物はしなる。円や文字を描いて、残像遊びを始めた。もともと、そのように、遊ぶ物だったのかも知らないが、昔、子供達と遊んだ時には、火の子を注意したりして、花火にリアクションをつける遊びまで発展したことが無かった。周りに人が居ないので自由に振り回せる。かなり夢中になれる。楽しく一袋使い終わった。線香花火は、流石に地味で根気が要るので、それだけをバックにいれて、持ち帰った。2時まで開いているモスに寄ると偶然友達と出合った。一人花火の話をした。二人で居るから、花火でもしようというのは有りだけれど、花火の為に、流石に電話して誘えなかったと笑った。昨日会って、盛り上がったばかりだし・・・。お互い疲れると思うので遠慮する。『うん。うん。判る。私も用事は無いときに電話しにくい物。』「会いたいときは、偶然会うしね!」電話しても、タイミングではないと、繋がらない。私の周りは似た物が集まり始めている。一人で遊べる、一人の時間を大切にする人達。かなり、危ない人種の集まりだと密かに想う。
2004年08月15日
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不動産屋の件で、偉く落ちこんで未だ立ち直れないで居た、私ですが・・・・。神様って本当にいるな。って思うのは、そんな時に姉から「ブラスト」の招待を受けた。テレビで、広告を見た気がして。見てみたいなと思って居た。「お誘い有難う。楽しみにしてます。」と返事をしておいた。誰とも会いたくない気分が続いていたが、最近少し持ちなおしてところに、約束の日が来た。企画者からの招待席だったので、席はど真ん中から二席ほど左の一番見やすい席だった。難を言えば、前の女の人の座高が普通より少し高い。当日引き換えの券。一階10列 16番 通路から4席目。ラッキ~!パンフレットから、想像つかなかったので。何の期待もしてなかったのだが・・・。この感動は、言葉にしがたい。舞台芸術で、初めての体験。人間の文明は進化している。と素直に思った。映画やテレビは古典には無い進化だが、現代の舞台芸術は古典を超えるほどのものは、見たことが無かった。ミュージカル、オペラ、サーカス、曲芸、音楽会、コンサート(内外各種音楽)。舞踊。新劇。歌舞伎・能。音や内容の形が変わっても、古典から抜け出たものは、出会った事が無かった。が。「ブラスト」はこの時代に生まれてよかった。と素直に思えた。音と視覚が一体化する。踊るブラスバンド?吹奏楽器がこんなに綺麗な重なりをするのを初めてきいた。パートではなくて体音色の一体化。アーミー歩きがセクシー!腰から太ももの開く角度で、歩く人の体が物凄く美しく見える。たった一人の小さな日本人のパーカッションが全体を締る。中々キュート。日本公演にアメリカのだけ文化ではない観客とのパイプに感じる。ボレロの曲で、静かに滑り出す舞台。音にあわせる、ダンスではなくて、ダンスが目に音を伝える。楽器が体の一部?トランペットが貴方の声帯?歌う、うたう。こんな自在なトランペットの音初めて!パーカッションはシャベル喋る。マリンバもパーカッション?みたいな一体感。音で笑わせる。二つのドラムの個人技の掛け合いは、子供の頃見た中国の雑技の古典と重なりピエロっぽい息抜き、少し欠伸がでる。と、そこも計算されている。ドラムも、多数になると再び、目を見張る驚きに変わる。セッションしても、ソロでも合奏でも、まるで時が1つの音の中で止ってしまったかのような体感。澄んだベルの音、動きと一体の音。新体操、バレイ、チアガールや軍隊的な統一感。激しくも、呼吸の乱れが1つも無い静寂感。音の空気の中に包まれる快感。楽器を置いて、ボイスが楽器のように1つの音になる。美しく、エネルギッシュで、静かな感動。や^^~カッコイ~ヒューヒューと思わず私の口から何度も零れた。ありきたりな表現だが、それしか言いようがない。無理を感じない完全体。客席に下りてきて、後ろから横から全体を包まれると、音の連動が心地よい。音が風になる。生まれて初めての(いつの場合もそうだが)酷く落ち込む体験をした後。それ以上の埋め合わせをしてくれた素晴らしい感動。絶妙なタイミングに神様って本当に居るなっと感じる。時間を忘れてしまう、不思議な体験。最初のボレロの音以外は何がなんだか覚えてないほど塊の感動。休憩後は「アっ」と言う間に終わった。こんな素晴らしい物を、日本で見れるのは嬉しい事だ。帰り道、珍しくバーに寄らないで、喫茶店で一人で街並みを眺めながら、余韻に浸った。この舞台に関しては、筆舌を超える。是非見てください。聞いてください。体験してください。人間て素晴らしい。7月22日~8月22日。渋谷文化村オーチャードホール。追加公演なら、未だチケット取れると思います。
2004年08月12日
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私の、母の愛読書は推理小説でした。私は、小学校の高学年の頃、一旦読書をやめる決心をしました。朝まで受験勉強をした朝、ふと見上げた、空の色を見て、明け行く空の色の移り変わりに、夜空が「黒」ではないことに気がついたからです。夜空の色は群青。濃紺。その朝、顔を洗いながら、決心しました。≪子供だと許されるうちに、何でも体験しておこう、本を読んでも、知りえない事がたくさんある。≫と興奮しながら、思いました。父親からは、一人の人生は限りが有るから、たくさんの人の経験を本から学びなさいと再三いわれました。小学生の低学年の頃夏の暑い日に、廊下にへばりついていました。今のようにクーラーがない時代です。父親に『だらしがない!』叱られました。『時間が勿体無い』と。そんな時、私は、こう考えるのです。寝て過ごした人の気持ちは、寝て過ごしてみないと判らない。「一日怠けたら、一日長生きしよう。」廊下にへばりつくのを、辞めて、もっと良いところを見つけました。水風呂でした。水風呂の中で、眠る事が多くありました。母親に見つけられ、『風呂の中で眠ったら死んじゃう!』と本気で叱られました。で、見つから無い様に、桶風呂に、入って、蓋をしておきました。掃除しようと、水を取りに風呂を開けた母親はビックリ。それから、母親は、水風呂をやめない私を叱らずに、見守ってくれるようになりました。小学校から、中学卒業まで、私は、風呂場に一日4時間はいたと思います。その頃、水道のパッキングがすぐ、磨り減って、ポトン・ポツンと変則的に落ちる水音を聞きながら、半睡眠状態が大変心地よく、そこで何も考えないで過ごすのが好きでした。図らずも、「無の境地」に体を置く時間が長かったと思います。(単に怠け者とも言えます。)読書をしない。とはいっても、暇なとき退屈しのぎに、母親の本を手にして読むことが多くありました。文学全集は、西洋の物で、日本の作家はありませんでした。日本の作家は、推理小説。松本清張。陳瞬臣。わたしが、一番印象に残ったのは、斉藤栄の本でした。題名は忘れましたが、華厳の滝を舞台にした殺人事件。物語の始まりは、古本屋で、「藤村」と名前の書かれた本をみつけ、作家の「トウソン」の持ち物と思って買ったのが、どうやら、「フジムラ」と言う人の持ち物だった、と言う事から始まり、いろは歌になぞられて「暗号」として、いろは歌を使った、殺人事件の全貌でした。その暗号の謎賭けは忘れましたが・・・。その事がヒントになって、十代に読んだその本の発想から、30代の頃、英語のA・B・C・Dはその順番に、物語が秘められているのではないかと、酔った席で思いました。アップル・ビギンニング・カルチャー・デブロップ・てな具合に頭文字で、ストーリーを展開する。(最後まで作ってみた。)店のマスターに話したら、皆がそれを承認すれば、そうなるね。と言う話で終わった。推理は当らなければ、こじつけとも言われます。母親からの影響は強くて、食事の後2時間は、御シンコウ(漬物)とお茶で、社会情勢やその推理したの話を聞いた。情報の出所は、文春と、新潮が多い。兄弟達がそれに反論して、朝まで討論会になることもありました。私が口をはさむ余地は有りませんが、ところどころ両者にコメントと突っ込みます。「そんな事、電話で調べれば、直わかるじゃない。」とか水を差す。母親は、株式投資を得意としていた。母親の勧めで20歳の時に株を買わされた。目先の旅行の方が私には大切で、当時は直、親に責任を持って貰い、現物を、風呂敷き包みで買値で引き取ってもらい、海外旅行に行った。30~再び千株、株券を買い3年新聞を読み33歳の頃、留学資金をつくるのに資金調達をして、勝負に出た。湾岸戦争の頃の暴落。家族で私だけ逃げおおせた。かなり、リスキー。そのお金で、絵の描き方を学ぶ為留学をした。株式投資は、神経気力を使うので余り好きではない。母親の「株の教え」は、簡単な事。「大根一本の値段のわからない者に株は出来ない。」それと、「信用買いはするな。」勿論、信用取引を使っても、責任のリスクの範囲を覚悟できているなら、別の話。子供の頃から、クイズの本が兄弟の通学の遊び道具。私は滅多に株をしないが、推理好きは母親の影響を受けている。色んな、アルバイト、職種の中でも、自分が楽だったのは、銀行の精査の仕事。間違い探しは、ゲーム感覚で出来た。ずーと、流れを追うと、引っかかるところに問題が有る。その引っ掛かりには、必ず問題が潜んでいる。管理カードが紛失した時も、触った当事者に集まって貰って、状況を聞くとそこで、どんな勘違いが起きたのか大体検討が付き、探す場所が簡単にわかる。人間の間違えはそうそう、突飛なことからは起こらない。株式の変動を見るときにも、この特異点に敏感に成る事とが共通している。文章の流れ、内容にも同じ事が言える。時々、私に読まれるのが怖い。心に思っている事が知られるみたいだ。と言われる事がある。話すとき。文章を書くときには何かを伝えたい。それが、自分の記録だとしても・・・。流通に載る本は、お金を払う読者に向けられるという点で、プロの書き味。「イメージさせたい。」何かの為に、言葉が選ばれている。ターゲットで、ソースは選ばれている。楽天の日記には、本では触れられない、書き手の生の性格を見ることが多くある。≪私の日記は、ある時期、人との協調を切り捨ててから、書き込んでくれる人がメッキリ少なくなった、時々構ってください。≫出来事を話すとき。その出来事を話す心理の根底は、1・思われたい自分が存在する文章。2・知りえた事を感じた事を伝えたい文章。3・行き場のない思いを綴る文章。4・共感を求める文章。3・は自然で何が書かれても好感が持てる。わたしが、交流を求める人は、2・の動機で書いている人が多い。内容は問わない。娘との会話でのほのぼの発見だとか。キリスト教の謎だとか。職場での、初めて気がついた自分自身の報告。音楽の自分なりの楽しみ方。愛人生活の行方など等、色々だ。楽天を読み始めて、しばしば、1と4の人にしばしば翻弄された。この二つのタイプは、感情があがったり下がったりする。やたら遜(へりくだ)ったり、翻って、高飛車になったりする。違った別の視点や角度で、物事を言うと、気分を害されたりする。4・のタイプの人を2と勘違いして、言葉が刺さるのですがとお願いしてみたところ、本人の念仏だと理解して、余計な事を言ったことを詫びた事ある。2・と、4が交差している人がいる。1と、2が交差している人。これが、一番難しかった。本人が知らずに、公に犯罪願望を言っているときに、注意した事がある。その人が50代の大人だと知っていたからだ。楽天の日記を書いていることで、作家気取りになって、他人に主婦が時事問題について書くなと言うなと攻撃かけた人が居た。ここは、プロの場では無いこと。誰もが、自分の為に何かを書いているのだから、それを言ったら自分は、どれだけ立派な事を書いているの?と一々、進言していたことがあった。「皆、楽しくね!」と言う思いが有った。私のポリシーとしては、「来る物拒まず、去る物追わず。」一期一会を大切にと思って居たが・・・。私が拒絶反応を示した。3度・4度と同じ事を繰り返されると、もう駄目って事がある。私は、恋人以外の人とは、人間として付き合う。だから、相手が、ホモでも、レズでも、ストレートでも、バイでも構わない。性別は気にしない。苦手なのは、女性に親しくしたくて、自分を無理に女性化しようとする男性。何故嫌かというと、本来の女性の特質を逆撫でして、知らずに自覚なしのセクハラされるからだ。何度か、「気持ち悪い」と注意をしたけれど、「そこまで言う?」と根本を理解してもらえないからだ。本人の性を笑い飛ばすジョークは嫌味を感じない。自分には女性的なところが有るから、女性と友達になるのが好きと言われても、女性のデリカシーなんて理解できるわけがない事に気がつく。自分の性をキチンと自覚して、身体的な違いを意識させないよう異性に接してくれた方が、こちらは人間として親しくはお付き合いできる。都合によっては、男の友達を同じ部屋に泊める事もある。お互いパートナーと思ってないので、悪戯に相手を傷つけない同士だ。友達として大切だから、そうした見方をしない相手も居る。ユニセックスの人はもっとセンシティブだ。先日。哲学家?(者)と芸術家の質問が有ったので鎌倉に連れて行くことにした。仏教哲学を形にした芸術作品の仏像を具体例として、見せる目的だった。この関係は、非常に不味いと思ったのは、私にも無理が有ったが、相手にもかなり無理をさせていた事に気がついた。後日、その方の日記を読んだ時、『昨日読んだ本は、専門書だから面白い物ではないが、朝までには読み終えてしまった。』と有った。日記に特別記述すると結構その人の考え方が出てしまう。専門書とは、園芸なのかペットなのか料理なのか化学なのか分野はたくさんある。が専門書と勿体つけた言い方。専門書と言う物は、通常興味あるものを読むので、本人の興味有る≪面白いもの≫が普通。例え難しくて理解するのが大変でも、苦労してでも知識を得たい程面白い物。専門書がつまらないと感じるとき。雇われ仕事で、仕方なく請け負ったとき。学校の課題で興味無い物でも知識を入れるとき。この人の「専門書」の定義は上の二つに限定されているようだ。私の読んでいる本を読みたいというので、私がお勧めした本だ。私の尊敬する教授の本で、初心者が誰でも理解でる専門用語を避けた本だ。流して読める、教養本。50過ぎた人が、専門書を読むときに面白くない本を手にする動機。それを、敢えて日記に記す。動機。その人は文章から、心を読まれているようだ、とよく言うが、わたしが心の奥を探っているわけではない。≪通常な言葉の送りと違う段差にその人の言葉にしない心が表れているだけのこと。≫文章は人なり。と言われる由縁。公開に日記はどう思われても仕方ない物の面白さがある。私の文も量られて居ると想う。「昨日読んだ本は専門書で大して面白い本ではない。しかし僕は朝までには読み終えた。」一事が万事。その人が、知らずに犯罪を犯すとしても、私が一生見て注意できるわけではない。法律を知らなくても、人間の尊厳を守れば、相手を犯す類の犯罪はしない。他人の体を、「免許」なく。営業目的で他人の体に触れてはいけない。免許が必要な項目がわかる。売春に関して言えば、売春自体が、違法なので、他人の体に触れる事に免許を持たないのは、至って、自然。国に拠っては、許可制の所も有ると思う。風俗は許可制。売春は黙認。売春利益に税金がかけられる国もある。(職業として、認知してる国。)何を感じたかはそれどれ感じ方は違うと想う。同じ感覚を持った人は私と同類。なのであえて、言葉にしない。やはり、極端に遜(へりくだ)って、近づく人は≪お互いに無理が生じる≫ので、距離を保つべきと感じる今日この頃です。結構、お子様の感想です。お互いの距離の保ち方は私には、結構難しい課題。例え相手が3歳の子供であっても、人間として、対等に向き合えるのが自然な付き合いなのだと、実感しました。強引な結び方をする。新聞を読むときは、報道の中で、「あれ?ここ変じゃない?」と感じた落差のかかれない部分ところに真実が書かれている。それが、行間を読む読み方という。
2004年08月11日
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私は良く、喫茶店で読書をしている。自宅に居ると、つい横に成ったり、文章に拠っては集中して読めない。それと、喫茶店に居ると、目から鱗の言葉が耳に入る。或る日の隣の人の会話。≪最近の子供のメールによるトラブルは、人間形成されて居ない者同士の、他人に対しての配慮の無い言葉が独り歩きしている。≫というものだった。≪メールは、対人ではなくて、普段口にしない言葉を、日記を書くように、思った事をストレートに書いてしまう。≫≪会話とは違う。胸に留めておかねばなら無いことを、言葉にしてしまう。≫自分の中で思うべきことを、言葉として発信してしまう恐ろしさを言っている。ナルホド~!と思ったと同時に。日本語で書いていても、伝えたい事本当に伝わってますか?と言う疑問。メールで、チャット状態に成ると、言葉の行き違いに直に気がつく。話すほど、亀裂が広がりド壷に嵌る事もある。その場合、元気に成る事祈っていると締めくくる。子供の場合、この修正が聞かずに、「売り言葉に買い言葉」で、エスカレートしてしまう。面白かったのは、「長い文章を最後まで読んだ自分を馬鹿に思えてしまう。」と書いたら。『馬鹿で良いじゃない。』と返ってきた。そして、『馬鹿じゃ駄目だ。言い過ぎた。』と詫びの言葉が入った。どちらも、言葉の解釈を誤解している。「自分を馬鹿だな~」と思った事の無い人は、この言葉が通じないらしい。「それは、最後まで、読んだ事を後悔してしまうという意味ですよ。」と注釈つけた。笑った。日本語でも、個人の体験で「言葉の受け止め方」が違う。貴方の日本語、通じてますか?昨日、露天風呂で、コロンビア人と一緒になる。どうやら、団体でなく個人で来ている見たい。チラっと私を見て、軽く笑うも、姉が一緒のとき、少し話すのを躊躇っていた。向こうから、「ドゥ・ユウ・スピーク・イングリッシュ?」と言葉をかけてきた。その露天風呂は、主な施設の付帯的な、所。何となく、「場所間違えているな?」と感じた。スパニッシュが彼女の母国語と判ると、姉は得意げにラテン語で話し始めた。挨拶が終わった頃。私は英語で話し始める。「どうして、ここの風呂を知ったのか?」『ガイドブックで見た。』「ハズバンドと一緒ですか?」『息子と一緒。』彼女は、コロンビア大学の教授らしい。慶応大学の招きで日本に来たらしい。聞き違いかもしれない。新宿の京王ホテルに泊まっているのかも知れない。彼女の英語も聞きづらい。が、それは、どうでも良い。つまり、この露天風呂に、3百円足すと、もう1つの施設に移れることを知らせた。付帯設備なので、彼女が居る露天風呂は趣が一味足りない。せっかく、箱根まで、一日使って、露天風呂に入っても、これでは気の毒。彼女の居た子供用プールみたいな露天風呂には、不幸にもゴキちゃんまで、浮かんでいた。(滅多にあることではない。)日本の文化が誤解される~!時間の都合を聞く。夜には、会合が有って、東京に戻る必要があると言う。時計を見て、後2時間あると見たらしい。彼女は、男風呂の息子と連絡を取って移る決心をした。ので、お手伝いする事に。店の職員に息子を呼び出してくれ。とお願いする。男風呂のほうは、廊下から、中が見えるようになっていて、山の斜面に面しているのか、見晴らしがよく気持ちよさそう。「せっかくリラックスしてたのに。」とやや不満毛。女性の方は、空とヒノキ風呂以外、魅力が無い。でも、着替えて出てくる。彼女はタバコを吸うらしい。タバコを吸う場所も、こちらは外に出ないと無い。店の人に、通訳と案内有難うと感謝される。何の教授?と外人客に興味があるらしい。私は、英語はペラペーラではない。片言で、適当。ホワット・イズ・ユア・メジャ~?と失礼な聞き方。『?』「ワット・アー・ユー・テーチ・イン・ユニバース?」これも、適当。『フィロソフィ~』「哲学だそうです。」と店の亭主に言うとご満悦。やたら、存在感のある外人の婦人。何をしている人だろうと興味をもたれた様だ。おじさん顔で、お茶目な目をした人だ。私の質問は低次元。「コロンビアは、何処にある国ですか?」息子は、アメリカの大学に行っているらしいが、コロンビアはアメリカでは無い気がした。地理に弱い。で、手で南アメリカと何とかと間と教えてくれたが、南アフリカか、よく判らないから、今度地球儀買おうと思った。(私の英語力は大した事無いので、深く追求しない。)会話の中で、今何が必要かしか考えない。個人が何をしているかは余り問題ではない。息子に「アイム・ソーリー。アイ・ディスターブド・ユア・リラックス。」アイ・フィール・ユア・マザー、ルックス・ライク・ボーリン。」スペイン語で、母親に文句を言っている気がしたので、取り敢えず謝って置く。明らかにボーリンの使い方間違えているが、意味が伝わればよい。息子機嫌を取り戻す。本館の案内をして、休憩所で、二人が落ち合う事を指示。『こっちの方がずーとよいね!』息子が設備に満足。男湯に案内して、ビッグTシャツを息子から受け取って分かれる。ロッカーで、ビッグTシャツに着替えて、タバコを吸う場所に案内しようとしたが、年配とは言え、素肌にお尻が隠れる長さのTシャツはセクシーすぎる。大きなタオルがある。と紺色のバスタオルを渡し、中の腰に巻いて、というと。『モア・カンフタブル』と意を受け取る。下手な遠慮が無い。私も気持ちが良い。息子のリックだけで、手ぬぐいを入り口で買っただけの、準備だと知ったいた。タバコを吸いながら、世間話。『英語は得意では無いけれど、貴方の英語は耳にとても優しく響く』と言う。『中国語は耳にうるさくて、習う気に成らない』と言う。『まるで、喧嘩しているみたいだ。』マンダリンはフランス語に似ていると、良く外人は言う。彼女が耳にしたのは、カントン語だとおもう。私も広東語は喧嘩のように聞こえる。広東語は覚えられない。彼女にとっても、英語は、外国語。「わたしは、中国人だから、中国語も話しますよ。」「マザータングは日本語で、中国語は第一外国語。第二が英語です。」語学はノーエニーモアですけれど。語学は好きではない。用が足りればそれで充分。と思っている。『日本語と中国語では全然違うでしょ?』「まったく違いますね。子供ながら、妙な音だと思いましたよ。中国で絵の勉強しに2年居ました。その時には役に立ちました。」『哲学をして、絵を勉強して、偉いわね。』「哲学をしないと、書くべき物が無いじゃありませんか。私の場合、絵を描くより、本を読むほうが多いです。この十年描いていません。」でも、今年は4枚書く予定。テーマを教える。『描きあがったら、是非見たいわ~。』といったところで、姉達を遭遇。カキ氷を食べる予定だったので、そこで、「シー・ユー・レイター」と別れる。姉達と氷を食べて、自由行動して、戻ると、彼女は出るところだった。「髪の毛は洗わないの?」長時間汗をかいているので、ボサボサ。夕食会に行くのに、帰ってからでは大変。『シャンプー持ってないし。』「時間が在るなら、私のを使って。向こうにドライアーが有るから。」『悪いわ~。』と、減る物なので、彼女は少し遠慮する。シャンプー沢山あるし。「タオルは、未だ有るから、気にしないでね。」シャンプーセットを渡し。終わったら、洗い場の上に置いておくように指示。「じゃ~。」と別れる。シャンプー後再び遭遇。『じゃ、サヨナラ。アリガトウ。会えてよかった。皆さんにヨロシク!タオルはロッカーの方に置いておくわね。』『ハブ・ア・ナイスデイ!』と別れた。暫くして、少しそっけなさ過ぎた事を思う。彼女は、姉貴と挨拶したが、私は名乗っても居なかった。洗面所に彼女が未だ居た。ドライヤーをかけながら、眼鏡をかけて整えると、ナカナカの知的な美人。わたしは、「アイ・ジャスト・カミング・セイ・ゴッド・バイ」「メイ・アイ・ノウ・ユア・ネーム?」『*****』「??」「アイ・アム・シン。」『?????』「OK.アナザーネーム・エイミー。」『O^^エイミ~。』慣れない名前は外人には聞き取れない。それは私も同じ、聞いても忘れる。わたしも、聞きなおす。『ペン持ってる?メールアドレス教えるわ。』「はい。持ってきます。」私も英語は苦手。文章は書けない。スペルが駄目なので、カタカナで書いている。耳で覚えた英語だ。英検2級は高校の時取っているが、忘れた。文通する事はないけれど、≪一期一会≫記念だ。お互い会えたことに感謝する。留学中の友達とも、連絡先の交換はして居ない。人生いつでも、その時その場で知り合う人と忙しい。過去を振り返る暇もない。常に流動的。必要な時には、条件で探せば大抵会える。名前は最低限の条件。それ以上は、余り必要ないが嬉しい。言葉が不自由でも、心で話すと大抵通じる。問題は、同じ言語を使った安心感の上で起こる、誤解。言葉の定義が違うと、話していて、腹が立つ。「その「用語」全体の意味が通じてないよ~。」イライラするよ~。「難しい言葉は判らないで使うな~!」といいたくなることが多い。利口ぶった人に多い。「野暮ったいとか、他人を比較級」で見る人の特徴かもしれない。本当に頭の良い人は、そんな言葉使わない。私の周りは、頭脳の良い人が、私に判る言葉で、難しい事を教えてくれる。簡単な用語の判らない部分を聞くと、スッと意味が通る。言葉は優しい言葉で≪内容≫≪気持ち≫を伝える努力。「同じ日本語でも通じているか?」常日ごろ、考える事です。
2004年08月07日
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30日金曜。毎月一度、病院に薬を取りに行く。私は車を運転しない。通院の仲間が途中拾ってくれる。HPやネットで多くの人の考えに触れる事が出来るが、もう1つの社交場。それは、病院。病気でも無ければ、普段知り合う事は有り得ない人たちとのネットワークが出来る。精神科はその中でも、かなり特殊な経験者と友達になれる。私と同じ病状の人は、居ない。今回、雅子様の病名「適応障害」以前は、精神病大きく分けて、3つにしか分類されていない。精神障害か神経障害か。この二つがまず振り分けの大きな違い。どちらも精神科の分野。私は精神科に分類されて、3年になる。神経科の人に。「わたしは、神経だけれどね。」とろれつの回らない、口で、差別を受ける程に、精神科は、かなりの差別で見られる。大きく分けて、こうした事だ。1.原因が有って、ストレスに耐えられなくて、機能障害を起こしているか?2.目に見える原因を取り除いても、脳が、解剖学的に正常なのに機能障害を起こしている。(外的要因から、見えない潜在的な要因による。)1・が神経症。2.が精神病。1。は多様だが、主に、神経を休める薬で緩和して、自分で解決するのを助ける。2.ついては脳の機能障害。機能不全だ。 人格障害ではない。雅子様の「適応障害」の原因の説明は、表向き。日本で、その立場に置かれているのは、雅子様以外居ない。孤独感ではなく彼女は「孤独」なのだから。ある意味、全ての人は孤独である。資質が違えば、自ずと「適応」は変わる。現在の発表された、治療法・方針では改善は見込まれない。それは、もはや、皇室の中に居るか外に居るかの問題を超えている。********本題に戻って。今回私の泣きついた胸は、「大家さん」泣き付く胸がある私は幸せ者。泣ける位に成ると、ほぼ、問題は解決している。前日、電話をして、用件を聞いている。用は「私と会いたい」という。いろんな呼び方で私を呼ぶ。「シンさんですか?」「みいさんですか?」留守電に色んな名前で、呼ばれるが、何故か、苗字で語りかけられて居ない。「この人、妙な人だな。」「元気じゃないと会いたく無いな~。」と素直に感じた。木曜の時点では、体調がすぐれないので、暫く時間を下さい。と連絡した。なのに、翌日の金曜の朝に、更に電話を掛けてよこす。挙句に、『いつだったら来れるのか』と詰め寄る。「今出先で、予定が組めません。午後になりますが・・・。」『じゃ、何時ごろだ。』「2時頃になるかと思います。」『2時に絶対来てください。』『判りましたか?』「はい。」押し切られて、かなり不愉快に成る。運転している仲間が、『今日、心電図とるんだ、長引くかも。』折り返し、不動産やに電話する。事務員が出て、ナカナカ本人が出ない。やっと、本人がでる。「お忙しいようなので、日を改めませんか?こちらの予定が立ちません。わたしの方の都合の良いとき電話しますから、そちらがいらしたら伺います。」『それだと、私がいつまでも、待たなくては成らない。私は忙しいんだ!』「私も、忙しいです。待つ必要有りません、私から連絡して都合が会えばお会いできると思います。」『事務員じゃ貴方の場合駄目なんだ。私が会わなければ。』「更新最終期期間まで、2ヶ月以上有ります。慌てなくても充分間に合うでしょ?」「そうでうか。判りました。」一旦電話が落ち着く。病院の外来。わたしは、入院病棟の、喫煙所に行く。そこで、友達と落ち合う。その仲間は、元弁護士。交通事故で、記憶ガ混濁。私と話すときは、記憶が鮮明になっているらしい。私と話した事の記憶は失われない。「寂しさを埋めあう関係って、悲しく無い?」『あれはあれでいいんだよ。二人は有る意味完成されているし。宿命の相手だよ。』「キーちゃんといると、私話できないんだよね。ゴウの意識が落ちてきてるから。」『必要で出会っているんだよ。シンがいつも、車で送って貰っているのと同じ。』「彼が他の病院に移ったら解消だよ。わたしは、彼に合わせて、通院日を決めている。通院以外の個人的な付き合いは無い。そんな軽いもの?」『いや、それほど軽くない。』『僕と君と同じ事だよ』『この病院に来なければ会えなかったじゃない。』『宿命だよ。』彼の両親は、私の空に架けた「黄色い虹」の目撃者。『両親に確認してごらん』と2年前、電話番号を教えてもらっている。が、彼が自宅に居ないのに、飛び越えて、電話確認するほどのことではない。「自分を高める完成以外にも、納得して収まる完成が有るのね?」「私少し、誤解してた。」「他人が考える幸せと、本人が納得する幸せってあるのよね。」彼の場合、不能だから彼女と、男女関係では無いけれど二人で居る幸せ。小さな世間での幸せ。隔離された社会での幸せ。本人がよければ、他人がとやかく言う事ないね。そうしたバランスもあるんだ。ゴウの文章で明らかに聖霊体験していると思える箇所があったんだ。彼は「自分を神」と勘違いしたのよ。それを、かわいそうに思って居たけれど、それもまた、彼の選び。仕方の無いことなのね。再び電話が鳴る。『めいさん?』又違う名前で呼ぶ。何なんだこいつ。『手紙受け取りましたよね。』「連絡差し上げたとおり、紛失しました。」『読んでもらえば判るんですがね~。20日マデに更新の意志を確かめないと、契約しないと書いてあります。貴方の場合。もう七日も過ぎています。一週間以内に、来ていただかないと、契約できません。』「20日迄って、貴方が勝手に決めた期日でしょ?」普通郵便だし。更新するって言っているのに、何が問題なのですか?どうして会わないとなら無いのですか?≪何かおかしく有りませんか?≫一体何が問題でお急ぎなのですか?貴方が、契約するかしないか決められるのですか?大家さんと話してみます。」『良いですよ。だったらそうしてください。』電話を切って、相談する。「一週間以内に来ないと、契約しないって、脅されたよ。客に出頭命令だす、不動産屋初めてだよ。向こうがが出向くとかしない?わたしその不動産屋行った事無いのよ~。」仲介者として、越権行為だと思うのだけれど・・・・。『宅建業界に通達しなよ。警察でも良いよ。そんな人は、免許停止にしたほうがいいよ。』「その場合、起訴者の私の名前もでるし、相手の生活もあるし、因縁結びたくないよ。大家に迷惑かけたくないからね。」『年寄りとかを食い物にしてそうな感じだな。その業者。他人の資産を見るわけだから、そんな人に握られたら大変だ。家の番号知ってるでしょ?親父に聞いてごらん。相談に乗ってくれるよ。家に帰って、ゆっくり考えて。どうするか決めな。』「今日は、冴えているね。」『元弁護士だから、刷り込まれてるよ、地方自治体とかの仕事もしてたし。商工会とかも・・・。』『差別じゃなくて、区別にして欲しいよ。』「仕方ないじゃない。君の場合、能力失ったわけだから。甘んじて、差別されましょう!」『ま~ね。弁護士の仕事そんな甘くないしね。気力も体力も、今更出来るわけじゃなし、記憶喪失じゃ仕方ないね。ははは』『この世の天国と地獄を見たような者』『君も同じでしょ?』「・・・・・・・・」******:帰り道。「相手は、私を知らないから、取り敢えず、店を見に行くわ。24時間の角で降ろして。」と通院仲間に落とす場所を指示する。ナカナカ見つからない。道行く人は誰も判らない。建具屋に尋ねる。事務員さん達が地図を開いて探してくれる。S銀行の職員が、『見た事有るけれど、思い出せない。少なくても、線路の向こうだよ。管轄の中ならわかるから。』『あった。』『エヌエステート管理駐車場』やはり、この不動産屋は可笑しい。持ち主ではなくて、管理者の名前を駐車場の地図に載せてる。『あった。』この小さなところだ。再び、陸橋を超え、探し当てた。表からは、不動産屋の風情では無い。何屋か判らない。中を覗く。誰も居ない。「老人の住居支援」宅建資格や組合の看板ばかり並んで、物件が1つも提示されて居ない。裏を覗く。事務員が、一人パソコンに向かって、人が入ってきている事も気がつかない。暫くして。「すみません。」何度か声をかけて、やっと奥から、女子職員が出てくる。「エヌさん居ますか?」『所長ですか?』「エヌさんです。』『所長ですよね。』おいおい。自分のところの職員教育しておけ!所長は、自分の会社での呼び名、外部の人間に「所長」と呼ばせるのは、小門違い。ますますどうしようもない。自宅に続くドアに声をかけ。エヌさん登場。目を白黒させている。『どちら様ですか?』「シンです。」「病人が具合悪いと言っているのに、脅して呼びつけるのは、どんな人かと思って、見に来ました。」「どうしても、会わなくてはならない事情をお聞きしようと思って。」「不動産屋が倒産して、困っていました。」『大家さんも困ったようです。』「私を呼びつけるのではなくて、貴方が訪ねるべきでしょ?」『行きましたよ。』「私は、店をしているわけではないのだから、電話でアポ取らなければ気まぐれでは、会えないでしょ?」「電話で都合を聞いて尋ねるのが常識なのに。どうして私が貴方の都合に合わせて、電話で出頭命令を受けナければ成らないの?」「電話の使い方間違えて居ない?」呼び出した用件を聞く。『4年前に法の改正で、賃貸契約は、更新ではなくなりました。つまり、契約が終わると言う事、新たな契約になります。』私が、契約したのは2年前、改正後だ。『ですから、会ってその事を説明しようと思って・・・。たいていの人は判らないのですよ。この改正が。』そんな事で人を呼び出していたのですか?それこそ、文書で説明すればよい事。「で?」『契約が終わっているので、新しい「申込書」を書いてください。』と用紙を出される。「はぁ?」この法の改正は、持ち主が、居住者に居座られて、立退き料を請求されたり、占有されることを法的に保護する為のもの。この新規の「申込書」は誰のため?仲介者が変わった為の。貴方との新しい契約の為でしょ?と腹の中で思う。契約に必要な書類とは思えない。契約書は作成する人で、内容も変わる。誰が作っても同じとは成らない。金太郎飴ではない。「こんな事のために、病人を呼びつける貴方とは契約したくありません。」『この物件は、管理、運営を委任されています。私に契約するかしないかの権限があります。私には、他の人に貸す権限があります。』「私だけでも、貴方の仲介をお断りします。宅建協会にこの事通達してもよいのですか?」『私の権限があります。どうぞしてください。』「大家さんと話してみます。それから先のこと決めます。」用件は、ポストに入れてください。貴方とはお会いしたくありません。帰り際、「何が老人支援よ。病人一人まともに扱えないで、老人の何を支援するの?」と捨て台詞を吐いて出てきた。そして、大家の家の前で泣き崩れた。法的に無知な老人ばかりを顧客にしていると、自分が越権している事にも気がつかない。
2004年08月01日
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