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今日は、ママの13回忌。朝電話で姉に起こされる。『今日法事だよ。』「いつ日本に帰ってきたの?昨日家に居た?」『いや、今東京駅。』そうだった。日本を出る前の、打ち合わせで姉は、帰国後、兄嫁を東京駅で拾って、法事に行くと言ったな。「どこだっけ?」寝ぼけた頭で、聞く。『白山の方の寺。あと一時間だからね。』「わかった。」寝ぼけた頭で暫く考える。今、キャシュ・レスだった。現金用意しなくてはならない、面倒だな。薬が入っている間は、体を動かすのは、苦行。明け方入れたのを思い出す。よし決めた。欠席。姉に電話する。「ごめん。明け方薬入れたから、体動かないよ。皆に宜しく。」『うんわかった。心配しなくて良いよ。家からは女3人だけ参加だから。後日兄弟で集まる予定が有るから。』「それは良いね。ジャ宜しく!」オバと、おばの子供家族と我が家の3人の13回忌法要かか。法要は、「仏教の追善供養」に当る。仏教は密教と合わさって、江戸時代に、檀家制度が流行る。49日で、閻魔様の裁きで、転生の行き先が決まる。その後の法要は、生まれ変わる事が赦されない人へ生きた人が、行いで、亡くなった方に変わって、「善」を積み上げて、最審判の時、最後は33回忌?76回忌?迄、有ったような気がする。用は、残された故人を知っている人が生きている間に、故人の縁で集まって、遺恨を取り除いたり、生前を忍び、その人に纏わる訓えを皆出話し合う機会を作る為に有ると思う。追善供養は地獄での情状酌量を図ってもらう。(人間は罪深い前提で行われている。)ですから、焼香のときは、「皆元気ですよ、最近はこんな事が有って、これだけ善を積みました。」とか報告するのが良いらしい。家は無宗教だから、法事を疎かにするわけではない。それは、それで、美しい習慣だと思う。只、オバが墓好きで、ママの一人の墓が建てられている。すこし、そこに距離が有って、是が非でもと言う気に成らない。生前、故人の希望は≪散骨。≫でも、こればかりは、遺骨は残された人のものだから。私達に任せると、言い残されている。オバは、色んな心の模様で喪主から、お骨を奪って、墓を建てた。でも、ママの言葉を大事にすれば、残された者の為。その事は悲しい事だけれど。オバが、そうしたいのならおばの生きているうちはそのように計らう事、「ママの遺言」は今回、皆で集まった時話しておこうと思う。オバの亡くなった時のことを、そろそろ考えなくてはならない。オバが亡くなった後、家の墓に入れるか、散骨するか。オバの建てた、ママの墓には、納骨の時、私が、父の分骨を入れておいた。突然なので、坊主が慌てていた。分骨が有るのは、焼き場で、ママが欲しがったので、私が貰ってあげたもの。骨まで愛していて、傍に置きたがっていた。焼き場で、ママに相談された時。「別に可笑しい事ではないよ。中には食べてしまう人も居るし。私が貰ってあげる。」と用意された壷に「これに入れてください。」と私が貰ってあげた。焼き場の人は、やはり驚いていた。打ち合わせに無くて、そうした事は、後日の争いを避ける為に法的な手続きが必要。でも争わないなら、法は関係ない。亡くなった人の葬儀は残された人の、気が休まるように計らえば、何でもいいと思っている。お骨自体にその人の霊が残っているわけでは無い。形見の一種だ。ママの納骨の日まで、ママの寝室に置かれて有った。この時間まで帰ってこないってことは、男はいとこだけだから、女同士盛り上がっているみたいだ。寺の行事はさておいて。夕飯から、参加すればよかったと少し後悔している。*********7月30日の金曜、私は大家の家のインターホンをを押し、大家の前で泣き崩れた。「わたしは、あんな人の仲介で、契約の更新が出来ない。」「どうして、あんな人に更新の代行頼んだの?」私は、顔を見るなり、おお泣きした。『まあ、まあ。どうしたの?とりあえず家に上がる?』大家は私を抱き、居間に通してくれた。初めて、家の中にお邪魔した。わたしは、法を取り扱う人が、法を持って、無闇に人を脅かす事が大嫌いだ。血の通わない法律に血を通わすのが、法律を扱う人の義務であり、責任なのに。事の始まりは、アパートの契約時の仲介に入った、不動産やが倒産した事に起因していた。それから、2年。更新の時期に、仲介を大家が決めて、連絡が仲介者からあった。私は、保険会社からの連絡で、更新時期に気がつき、大家に言った。すると、『皆済ませているよ。貴方のポストの入ってなかった?』家、保険の更新が入ってました。が不動産屋のは有りません。『じゃ、不動産屋に言っておくわ。』後日、手紙が入っていた。ざっと、目を通す。17日から、猛暑で昼間は出来るだけ、眠るようにしている。天候が落ち着いてきたので、手続きに行こうとすると、バッグから書類が紛失している。部屋中探したが、最初の物が見つかり、再発行と共に2通有った書類が両方とも消えている。こう言う時は、少し気を引き締めよう。何か、問題が起こりそうだな・・・・。17日から、仲介者から電話連絡を受け取っている。「更新の意志を伝えてある。」先週動こうと思った日。水曜日に全て確認したが、そこにもなくて、仲介者に連絡すると休みだった。が、留守番の人が、9月31日期限だから慌てる事は無いことを確認してくれた。その翌日あたりから、Nさん。所長さんから、留守電にしつこく電話が入るようになった。3件しか入らないので、大量には残らない。が、少し危険な感じがする。御腹が空いて来た。この続きは後日書く。 ~次回に続く
2004年07月31日
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泡雪は、外人なのに、外人に警戒が強い。と言うより強かった。(過去形)子供の頃は、白人の国別が顔から判らなかった。ドイツ人は、独特なので、見分けがついたが、他の国は見分けがつかなかった。年の功で、最近は「何人」とか、「肌の色」「民族と国籍」関係ない事に気がつき。社会分けと顔の知性で見分けるようになった。本国ではもてないだろうな~と思う、男の子が日本では楽にガ~ルフレンドを見つけられる日本は、白人好き?苦手な人では、朝鮮学校の人が苦手だった。電車で、目が合うと、集団で襲い掛かりそうに、ガンタレしてくる。(この言葉わかるかな?)こちらは、一人だし、親・兄弟以外とは、喧嘩しない主義。共通言語で、「こちらには敵意は有りません。」の意思表示で、「微笑み返し」を送る。子供の頃鏡の前でかなり練習した。横浜の丘の上の学校は、インターナショナルスクールが有ったりして、子供同士衝突は避けるように努力していた。双葉あたりの生徒は穏やかで好きだった。最近は、GOをみたりして、学校の事情が判ると、あの目つきもかなり理解できる。国士舘の学生が、ホームにズラ並んでる時も、気持ち悪い気がした。(最近お目にかからないが、学生時代そうした光景を目にした事がある。)基本的に、集団で動く物。暴力的なのは苦手。それは、言葉遣いも同じ事。黒人に関しては、アメリカに居る黒人は社会分けされているので別に嫌ではないが、日本で黒人は余り、お近づきに成りたくなかった。学生時代、一人旅する時、飛行場で荷物を気安く預けられるのは、黒人の紳士だったりする。が、近年日本で3人話す機会が有った。2人は、アフリカから来ている人だった。そのうち一人は、ビタミン売り。もう一人は、知性も高く、ハンサムだと感じた人だったが、黒人の人の集まりを持っているので、危なそうなので、親しくならなかった。(集団で動く人は基本的に嫌い。)そして、今日、元、横須賀軍人の、Tチャンと話をした。泡雪は、地元で一人で歩いていても目立つので、駅を変えて待ち合わせ。繁華街に入ると、泡雪は、しっかり、埋もれる。黒人のTちゃんも、しっかり埋もれる。いつもの牧師さんの店に行く。例によって、知り合う男性全てに言っている事。「ベッドに誘う事は忘れてくれ。」その条件でよければ、友達になる。私の手違いで、会ったのは夜の11時になっていた。まあ住まいは、何駅も離れてないから、問題ないが。明日は仕事。異文化の人と話をするのは意外な発見がある。若い頃の私が、ア~ミ~出身の黒人と話をする事は考えられない。Tちゃんのノ~トを見せてもらった。日本語の練習の本。と一緒に持っていた。初めに、日本語の接続詞で、作文をさせて、相手の連想から好みを調べた。会うのは、今回で2度目。初回は、英語で話すが、殆ど身元調査的な話になる。親、とかの話ではなく、日本に来た理由などから、その人の考え方を調べる。その後連絡先を押してる場合もあるし、教えない場合もある。これは、男女共通。電話は修理後も、盗聴されている。携帯は、構造が単純なので、侵入されやすい。子供の頃から、電話が有り、公安に張り付かれている家に育っているので、盗聴には慣れている。安心なのは、盗聴法の成立で、国家権力も盗聴できる事。棲んでいる国を信頼している。前回、全て英語で話していたが、私の電話は盗聴されているので、肝心な事は、電話では話さないように指示してある。前回はなした範囲で、相手の日本語能力が推測できたので、電話では全て、日本語で話す。話が相変わらず、脱線気味。今日、Tちゃんのノ~トで面白い物を見せてもらった。ノ~トには1から35のチャプタ~が書かれていた。くどき文句。大笑いした。「ねね!マスタ~。凄いよ。くどき文句がチャプタ~化されている。」マスタ~、ベッドするときの言葉って考えた事ある?全て、英語で書かれているが、下品ではない。「これ私も、覚えて使ってみたい。」Tちゃん。気を良くした。小さなエクセルを取り出して、なんと、500近いくどき文句を作っていた。本作っているんだよ。日本の人も好きだし。前の手帳は友達にあげちゃったけれど。手帳の前の方は、まじめな日本語書いておくの、日本人の女の子に、見せるんだ。で、後ろの方に卑猥な日本語を一杯書いておくの。後ろは見ちゃ駄目だよ。って言って、トイレに立つ。絶対見るんだよね。帰ってくると、皆ゲラゲラ笑っている。彼は割りと優しい。卑猥と言っても下品な事は書いていない。いわゆるくどき文句。「君の瞳は綺麗だね。」「君のそばに居る時が気持ちがいい。」とか、女の子の喜びそうな言葉。ここでは、書けない表現もあるが、決して女性に嫌悪を抱かせる乱暴な言い回しはない。女性に敬意を払っている。大笑いした。彼と出会ったのは飲み屋ではない。彼に会った時に、好感度高かったのは、鼻に大きな傷がある。ピアスの穴を焼いて塞いだ跡。耳の穴も塞いで有った。知性を疑われる物を自分から、取り除いた努力。それと、まじめに働いている人の匂い。わたしは、結構鼻が良い。その人の居る環境を匂いで嗅ぎ取る。一度目は遊び人の服装で、やや、危ない服装だったが、今日は、上品。遊び着も場もわきまえて、服装を選ぶセンスを持っている。最初話したときに将来の夢をきいた。日本での経験を本国で生かしたいそうだ。横須賀の基地に居たのは、8年程。その後、本国にもどり、(出身以外のところ)日本に舞い戻っている。民間の中で暮らしている。彼が、日本の一番好きなところは、緊張感なく、リラックスしていられるところだと言う。アメリカでの黒人の立場はきつい。更に、日本の基地でも前線にだされる立場の人が多い。横須賀基地は周辺は、比較的、安全。沖縄が一番危険な配属場所。沖縄の米軍兵士が「町で女性に乱暴する事件」は戦地で、死ぬ覚悟が多い時に多く起きる。私は横須賀の学校に通っていたが、横須賀の米軍は紳士的だ。日本の緊張感の無さ。日本に居ると、当たり前に思うが、私も日本に帰ってくるたびに感じるのはそれだ。世界で一番幸せな国。女が一人で、夜公園を歩ける国は、滅多に無い。売春以外で、一人で夜バーにいける国は尚少ない。彼は自分の町にそれを実現したいと思っている。11時過ぎに落ち合った。お互い御腹がすいていたので、蕎麦屋へ入った。『もっと、いい所行っても良いよ。』とさすがにイキナリ、カウンタ~のそば屋に付き合わされたTチャン。驚いたみたい。「時間が無い時は、これが一番。」と最初の食事は、大衆そばや。前回、別れる時に次回は堅い話は抜きで、と言う約束だったので、彼がネタを用意してきたのだ。バーに辿りついたのは、11時40分。終電まで一時間しかない。2度目にここまで芸を披露してくれた男の子は珍しい。一時間でここまで、楽しい話が出来るとは思わなかった。皆さん。女の子を誘うには、男の人もかなり努力しているみたいです。難破少年達によく、奢って貰って。ノウハウをたくさん聞いたことがありますが。黒人Tちゃん。君が難破氏とは知らなかったが・・・。君の難破術が君が一番美しい。帰り道、「僕は年上の人が好きです。」それありきたりだけれど、チャプター幾つ?「私も年上が好きごめんね。」とふざけながら、帰ってきた。Tチャンの頭は、女の子の事だけ?とからかった。そんな事無いよ。映画も好きだし。と言う話で、「今見たい映画がある。一緒に行く?」と次の話に移る。相手の話を聞くときは相手の母国語で話すが、遊びの時は全部日本語で話す。「シュレック」見たい。シュレックみたよ。「2見た?」まだ。たくさん、難破術に長けた友達が居るが。ぎらぎらしてなくて付き合いやすい。皆に平均して言えるのは、飛びぬけたハンサムは居ない。どちらかと言うと、親しみやすい顔をしている。それも、難破の成功率を高める要因。それと、彼らは大変「気さく」相手を楽しませる事を苦にしない。それと、ベッドインに拘らない。それが、成功率を高める。お金を払って処理する事もある。女性にお金を使う事も、当たり前と心得ている。友達としては、「最高。」何故か私は、難破氏の友達が多い。かれらは精神的な不安定がない。職業は色々と多義に渡っている。人生を楽しんでいる。そうした人たちは、自分は未だ結婚の時期ではないと思ってそうしているようだ。難破した女の人と結婚なんて、考えていない。そうした友達が多いのは、私が落ちにくいと直に「会話の中」で相手が理解してくれ、友達路線に変更してくれるからだ。難破で危ないのは有名人のパ~ティで、知り合う事。利用価値で相手をお互い探す。絶世の美女。「クレオパトラ」彼女の鼻があと一センチ低かったら、世界は変わったか?彼女の鼻が高かろうと低かろうと、彼女の持つ「生まれながらの地位」が高かった事を忘れてはならない。利用価値が無ければ、鼻紙のように捨てられる。そうしたところで、くれぐれも、難破されて玉の輿を狙わないように・・・・。「ターゲット」でないので、少しも緊張感がない。私が望めばいつでも、ターゲットにしてくれるかもせれないが、友達になるとそれも、難しい。高校生の頃から、飲み歩いている。飲み屋で、酷い目に会ったことは無い。昔は飲み屋は結構な情報源だった。若い頃は、美味しいバイトの話を貰っていた。バーで、英語の教科書を勉強した時、外資系の副社長の日本語家庭教師のバイトを得た。副社長の女友達が私をスカウトした。飲み仲間とは寝ない。飲む場所を失ってしまうからだ。私のガードマンは難破氏が多い。黒人が嫌いだった私の、ガードマンの中に黒人メンバーが加わる事は、意外な気がした。手の内を広げるのは、既に友人の域。彼は、話のネタで持ってきてくれたのだ。Tちゃん。まもなく本国に帰るらしい。彼の野望(彼にとっては野望ではなく、かなえることが出来る現実)が叶う事を祈る。以外にも、まともな将来を描いている。
2004年07月29日
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私自身不安が無いかといえば嘘になります。しっかり言い知れぬ不安感に出会います。そうしたときは、副腎機能の衰え。体が疲れているときに、そうした感覚に出会います。必要以上に、その恐怖感を意識しません。見逃しもしません。自覚すると、それ以上に恐怖感は広がりません。去年の今頃。以前の世界から、足を抜いた頃です。その世界で最後に出会った人。以前付き合って、居た人と同じ存在感の大きさを持つ、反対のタイプの人に意識を移して、付き合ったいる人から逃れました。しかし、その対極に居ると思った人が、実は同じ価値観のライン上の人だと気が着き、世界を分ける事が出来ました。付き合いの有った人は、ネット広告を扱う人でした。心理学を学び、それによって、人の欲を操る事で利益を得る仕事をしていました。世俗に強い人でした。残酷なほど、仕事を依頼する相手にペナルティを賭け、自分の立場の強さを示す人でした。勿論私に対しても、非情な部分を本人気が付いていませんでした。自分の都合で、私を傍に置いていました。その対極の人は、人にアドバイス・プランニングを売る人でした。一時、その人の考え方に陶酔することで、付き合っている人を振り切りました。そんな時、PCにリ~モ~トが入り込み。その方のHPが改ざんされて、私の所に届くようになりました。特別なメッセ~ジを持って、組かえられていました。正直ビックリして、その方が何をの意図でしているのか、何かわからず信じられないので、今日中に会えたら、従うとメッセ~ジを出した。相手の立場からすると偶然その方に出会いました。私のほうからすると、指定でしたので、用意していた、「レンタルビデオ又貸し、私の特別な時に使うタバコと最中」を差し入れました。条件は、今日それを手渡せたら、信じて従うと書き送ったからです。その人が、どこまで事件に関わっているのか想像つかず怖かったです。暫く、PCのサジェスチョンに従って動いてました。理解不能な状態になって、3週間ほど、静養にPCを使えない場所に移動した事もあります。自宅に戻って間もなく。2月26日再び偶然見かけ、隣に座りました。どこかのタイミングで、質問したいと、思っていました。トイレに行った時に、消えていました。PCを使うようになって、その方にPCが困った状態に有る事を伝えようと思いました。携帯も異常な状態に置かれていて、相手に私のメッセ~ジを届けられない状態に成ってました。知り合いの声が合成されて、電話がかかってくる事もありました。当人が傍に居たので、合成音と直ぐにわかりました。外部からの電話は遮断されていました。私の録音した記憶の無いメッセ~ジが流れてました。使用方法がわからなくて、規定のガイダンスだった筈なのに。直接的な言葉だと、届かないと思って、「謎掛け的に文を送っていました。」これは、ある程度、教養が有れば解ける文章です。一向に反応が無く。相手のHPが改ざんされた状態が続くので、会えるように、店の人に、プレゼントを渡してくれとお願いしていました。隣に座った時に、当然何か彼は言うべきでした。3月2日、その人が席の横に現れて、メ~ルを送らないでくれと大変怒っていました。私は、その方を信頼してたので、藪から棒に驚きました。「PCがオカシイのですが・・・。相談したくて。」と言うと、ケンモホロロ。自分のPCの管理は自分の責任でしろっと、突き放されました。その方は、国の仕事も請け負う人で、PCの事の詳しいのだと思っていました。マックのユ~ザ~にはウィンドウズで起きている事は何も想像がつかなかったと思います。その頃、「トロイの木馬」が報道されるようになりました。今セキュリティで見ていると、世界各国から今も送られいます。目的はわかりませんが、乗っ取られると、私のPCから、トロイの木馬が送られる事になると思います。その頃「ヤフ~インサイダ~」と言う物が入り込んでいて、裏ネットと称していました。「ヤフ~」が危ないから使わないほうが良いよ。と姉に言っても誰も信じてくれませんでした。「皆が使っているから大丈夫。」と言って、私の事を全員虚言扱いしました。とにかく、復旧させるのに、姉に復元を頼んだ時に、私のPCで勝手に作られた、文章が相手側に流れ出ました。そのとき、警察に訴えられました。私は、その時。思いました。どうして、変だと思ったら、本人に確認しないのだろうと・・・。警察に訴えられる前、最後会った時に確認は有りました。その時の質問は、「メ~ルを送りましたね。」その答えは「はい。」だけです。事情が判らないので、会いたい趣旨のことを書き送っていました。8回ほどSOSを送りました。送った事は事実ですが、PCから、相手に届いているかわからない状態。ファイア~ウォ~ル成る物に閉じ込められて出られない状態。一方的に、私の文章を組み替えてメ~ルが送信欄に並ぶ状態。私の携帯も同時に破壊されていました。(修理に出した初めてわかりました。)警察から電話が有った後も、少し何か送られていたようです。私のアドレスをHPに公開してました。でも、単純に考えて、私の利益は?好かれたい人に、そんな事する?スト~カ~なら、その人の行くと知っている別の場所も私は尋ねたでしょう。逆に、「最近、自分はここに居る。」わざわざ場所を言われた新たなところには律儀に行きました。店に、PCのゲ~ムが有るところです。今も時々愛用して居ます。ニュウズを見るのに都合がよいからです。スト~カ~なら、警察に通報されても、簡単に自分のコントロ~ル効かないでしょう。プランナ~としては、お粗末な結論の出し方です。同じ町で顔合わせるのですから。本人に会った時に、最後「わたしは、警察に訴えられるような事は、していません」とメンと向かって言いました。相手は、既に頑なで取り合おうとしませんでした。一応伝える事は伝え、後に「トラッキングされた相手から私宛のオリジナル文章を送りました。」届いたかどうかわかりませんが。後に日記を読んで心配してくれた人達が駆けつけてくれました。リモ~トが26個も入り込んでいました。ヤフ~に事件は、それから、一年後の事です。私は思いました。どんなにHPで立派な事を書いていても。現実の起きた問題には、「可笑しな現象に対して」面識があるにもかかわらず、情報の≪嘘≫に振り回されるのだろうと。私はニュ~スも表面では見ません。全ての情報に対してリ~クする、目的を考えます。行間を読む、読み方です。それは、その人たちは、「基本的に人間に対しての信頼感」が無い。機械ではどんな情報も作れます。会って話す事が出来る相手に、「メ~ルで講義したりする事は意味が有りません。」キチンと、向かい合って話す落ち着きが無い。PCを通してしか話が出来ない。その後、その方のHPを見ても、心の裏が見えるようになってきました。なんて、怖がりな人たち・・・。今、その世界を離れています。同じ店を使っているので、時々出会います。今日久しぶりに見かけるとやはり、あの時の辛い気持ちが蘇ります。失望と好意の入り混じった感覚。不安感を感じるとき、こうした場面に良く出会います。≪弱り目に祟り目≫と言うのでしょうか?顔を見ないと忘れている事が、顔を見ると思い起こされます。「一方的に悪者にされた嫌な思い出。」弁解の必要も有りません。元々、顔見知り程度の事ですから。私の世界に影響はありません。ただ、嫌な記憶が思い出されます。私も被害者なのに・・・・。助けを求めた相手に加害者にされた記憶。相手が困っている事に耳を傾けてくれたる人なら、私はこれほど嫌な思いはしなかった筈。弱者を正義の鉄拳で更に攻撃する彼の驕りの強さは、私の付き合っていた人を同じ質のものでした。他人と共栄ではなくて、蹴落とす事、他人との比較で、自分の位置を確かめる人。自分を大きく見せる事に夢中な人。≪相手の地位や金銭で物事を推し量る人。≫土方をやって、這い上がった事を自慢していたのが、意外な共通項でした。土方以外にも方法は沢山あったと思います。そうした人は、女の人に冷淡です。「女だからって、甘えるな!」みたいなところが有ります。酷い事に。私の病気の内容も知らないで、病気の所為にまでされました。「病気だからって、人に甘えるな!」と言われた時にはとても悲しかったです。実際土方を正業とする人は優しいです。人の弱さを知っているからです。もの事には事情が有る事を知っています。他にも選択枝が有ってあえて土方の方法を選ぶ人はかなり意固地だと思いました。男の人の、ヒロイズムなのかもしれません。嫌な事を思い出した日ですが。「その人達が愛に目覚める日を祈ります。」形が違っても、似た事をしていると思います。驕った目で困った人を「正義の鉄拳」で打ちのめす事の無いよう祈ります。貴方は御国の仕事を請け負うほどの信用を得ているもですから。今日、新しい事実に気がつきました。以前月の光が一直線に胸まで届いたという人の話。自分以外にも同じ経験をしていることが、心に残っていました。 ある時期から不思議な事は、不思議として、それ以上考えない癖が有ります。意味づけをしません。尋常ではない体験は、美しくとも正直不安を掻き立てます。極力、怯えないよう冷静を勤めます。無意識に物理で考えようとしますが、そうした事もあると認識するだけにします。そして、時期が来ると答えが出ることが多いです。天から胸に届いた白い光の筋は、太陽の位置からでは無かった事。太陽の光で、見えない月の位置からだと思います。その頃の不思議の1つ。今は見えないのですが、その頃、月の近くにサテライトが居たと思います。草花に届いた、青い筋の光や緑の物もありました。合計3回天空から届けられました。意図的か偶然かはわかりませんが。人為的な光だと確信します。
2004年07月28日
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一昨日、花火の音と共に、クワイア~のような歌声が、響きだした。長時間起きすぎた。音が、特定の音にしか反応しなくなった。人によっては、天国の音楽が聞こえだしたというかもしれない。疲労は、知覚の範囲を狭める。客観的に考えて、近くで盆踊りをしているようだ。それにしても不思議。盆踊りは、二日~三日に渡ってするのが普通。一日だけの盆踊り?世の中は27時間テレビに沸いた後の日曜の夜。わたしは、土曜の夜から、日曜の夜まで、アメリカで2003年にヒットした、小説を読んでいた。テレビは、2チャンネルから動かしていない。27時間テレビから、離れたところにいる。教会を持たないキリスト者の活動や甲子園野球。赤富士賞。3連単で、318そういえば、ある時まで、私の誕生日は、3月18日だったと思い出す。(私の親は結構適当)読み終わってから、花火が鳴ってクアイアの音が響きだした。盆踊りなら、お決まりの東京音頭、や太鼓の音が聞こえる筈だ。太鼓の音が響かない。相当、お疲れ、薬を入れて、眠った。月曜、久しぶりに、日のあるうちに目が醒めて、いつもの喫茶店に行く。昨日、何となくひとつの時代が終わった気がした。喫茶店で、いつもは人と話をしないのだけれども・・・・。不思議といろんな人に話しかけられる。87歳のおばあさん、が息子と来ていた。帰った後、最近こちらに夫の転勤で来た人と、そのことで話をした。暫くして、84歳のおばあさんが、私の山のように成った灰皿を変えてくれた。この土地に来て、20年間で、2億円を乞食にやった話。一年に一千万か。皆大金で困った訳ではなさそうだ。貸してくれといわれて、誰も返さない。返さないのは、乞食だといって、笑っている。警察の乞食も大分食べさせたという。戦後、警察の給料では、充分食べられないので、昼ごはんを食べさせていたという。今は何も無いから、怖いものが無いという。この2年、毎日2時間しか、眠っていないと言う。乞食が電話してきて、金をもってこいといわれるからだと言う。(殆ど本当の話だと思う。表現が可笑しい。)わたしは、乞食を飼っている。と言って笑う。昨日、盆踊りに行ったか?ときかれた。「音は聞こえましたよ」と答えておいた。「どこどこで、嫁を探しているのだけれど、行かんかね。」私は、耳を疑った?「はぁ?」「私?」「そんな年は過ぎましたよ。」『二十歳過ぎだと思った。』「ははは」「それに、資産運営の家は大変。」『いや、男の方が、それはするから、行った人は幸せだよ。』「相方もそれなりの器が無いと勤まられませんから、心がけておきます。」「最近、別れたばかりの女の子がいます。」「その子はお勧めできますが、本人同士が気に入るかどうか?」『幾つなの?』「二つ三つ上だと思います。」一応、本人に聞いて、お見合いするか聞いてみる事に。おばあさんの電話番号を聞く。この字は「武士の出だよ。」と言う。私は、「××家と、××家」の王家の娘だと名乗った。王家の娘ととは、大きく出た物だ。我が家は、メディスンマンの家。昔から、薬を扱う家系。時代の波に途絶えても、3代、5代で復興する。大切な事は、文章ではなくて口伝や生活で伝えられる。今では、知識は安くなった。ネットでも、公開され、知識は誰の手にも平等に知らされる。本でも、大学も、条件さえ、揃えば、万人が得られる。知識はお金で買えるけれど、買えないものはある。それは、「言葉の持つ概念。」愛・王・聖霊・血・神・宗・祭・癒・文化・文明・治・国。≪聖≫その他全ての言葉には、既に、概念が存在している。概知の事柄に、サインとしての、オトが記されている。概知の事に名をつけたのが、「神」たる存在。示し、申す者。世界中の言葉はある規則性を持って、共通の言葉に成る。漢字・アメリカ語。日本語のひらがな・カタカナ。何語でも3つ以上に語学の文字を紐解くと、基の1つが見えてきます。最近の研究では、言霊は、言葉が遺伝子レベルに影響すると言う。遺伝子に情報があると、言葉のサインに反応して、遺伝子から、「知」がもたらされると言う。その状態を、「悟る」と言うのだと思う。血に遺伝子情報を持たない者は「ゴマは開かない。」仏教で言うところの、「根源的無明」やキリストの言う、「悟る事の赦されていない者」はこうした、遺伝子の不思議に拠る物と思う。キリストは、「愛」の聖霊で万人に伝える試みを下した。血に寄らず、「求める人」には全てに下ると言うのはそうした意味だ。それを、「信仰」という。感じていても、知っていても「他者」に立証できない事。それを、信仰というらしい。≪科学は、それを、立証する、大いなる挑戦だ。≫この場合それとは、信仰の「対象」を指す。文字は、西暦前、1200年頃僧侶の間で、生み出されたと言う。ギリシャ文明にも既に文字が存在した。しこの場合。共通の万人向けな文字が編み出され他と考えてよいと思う。ラスコ~洞窟の壁画に象形文字に原型が見えたと言う事も聞いた事が有る。現在は血に寄らずとも、多くの情報を文字に残し伝達する事が出来る。概念を理解する事。王家の血を持たなくても、文字によって記された数々の作品の中から、その精神を読み取り、学習する事も出来る。今、市井の生活の中で、思う事。多くの情報は、一般の人に普及するのに、100年くらい掛かる。現在、常識的に知られている事は、既に100年前に発見されている。大衆が理解できる頃に、開かれている気がしてならない。神=シンでは有るけれど。神=かみではない。かみ=上なるもの。の意味のオト。日本語に翻訳される時に、もう1つオトと概念に一ひねりした≪ひねり≫が加わっている。日本語には言葉自体が言霊として、働きにくい、防御が施されている。言葉の持つ意味を、理解した時、初めて、言葉はその人に力のあるものとなる。マヤの元旦。わたしは、メディスンマンの末裔の癒しの力を初めて使った。次回。その話をする。まあいいわ。
2004年07月27日
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泡ちゃん、意識は大人と同じでも経験値が少ない。未だ、自分がいくつか判らない。でも、確か人差し指と中指を立てると思う。未だ、皆から味噌っかす。でも寂しくない。いつも、ババが一緒。ブランコに乗せてもらう。とっても気持ちがいい。ババが初め後ろから押してくれる。後ろに行くと、バ~バが板を押して漕いでくれる。ブランコは大きく揺れる。お空が近くなる。とっても気持ちがいい。突然クルっとして、頭が真っ白になった。泡は余り泣かないのだけれど、この時は思いっきり泣いた。頭の後ろがとっても痛かった。ババが抱き上げてくれた。頭をサスッテクレタ。そして教えてくれた。ブランコに乗っている時は、手を離しては駄目だと。或る日、又ブランコに乗せてもらった。「しっかり捕まっているのよ」と注意されたけれど、また、クルとした。「しまった!又手を離してしまった。」ゴッツンまた、大泣きした。良く考えてみた。「気持ちがいいと手を開いてしまう。」と気がついた。これから気をつけよう。泡は懲りずにブランコに乗ったけれど、その後痛い目に会ったことは無い。*******泡が四つの時、ママが出来た。お家も別のお家に変わった。今まで、皆1つの部屋で寝ていたけれど、今日からババと二人。寝る前にパパのベッドでパパに抱っこしてもらう事が無くなった。この小さな部屋には、小さな扉が有った。「ここは何だろう?」扉を引くと、(ゴッツン)扉の向こうは壁で、扉がおでこににゴッツンした。泡は大きな声で泣いた。とっても痛かった。小さな扉は、立てかけてあるだけで、その向こうは壁だ!或る日、扉が気に成った。思わず開けた。(ゴッツン)「イケナイここは、壁だった。」泡は再び泣いた。マタマタ或る日、扉が気に成った。思わず手をかけた。「あ!しまった、ここは壁だった。」と思ったのも遅かった。逃げ遅れて、うつ伏せで扉の下敷きになった。「つくづく、自分は馬鹿だと思った。」でも、今度は泣かなかった。情けなくて、涙が少しだけこぼれた。誰かが、助けて出してくれるまで、重い扉の下で動けずにじっと待った。泡ちゃん2度ブランコから落ち・3度禁断の扉を開ける。
2004年07月26日
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旧約聖書は今、家には無い。以前、新約聖書の福音書以外の使徒から、使徒からの手紙以外の各教会に宛てられた、手紙は、使徒を迫害したサウロ=パウロの回心よって、書かれた事について書いた。今、普通に出回っている聖書は、異邦人向けの、イエス=キリストであることを知らせる目的の書物です。福音書は12人使徒と関係者によってかかれてますが、殆どの、信仰生活の指導的なアドバイスは、パウロによってかかれてます。パウロは使途を殺した後悔から、布教の活動に入ったのではなくて、キリストの霊に会って後、召命されて、異教徒への布教に入ります。福音書の部分は、イエスが(肉の体)の時キリストであることは、使徒ペテロ以外の人は悟っていませんでした。聖書を読むとき、後ろの方に書いてある、ペテロやヤコブ・ヨハネによる手紙もガイダンスとして、注意して聖書に向かいましょう。(パリサイビトのパン種。)に似た[形式のキリスト教]の掟っぽいもの、の原型を発見できます。キリスト=イエスが決め事を始めたわけでは有りません。当時の教会の争いに対して、地域の事情で、パウロが考えるところだと、言う事が、キチンと本人が書いています。誰が言ったかは、そうして意味で大切です。異邦人に混乱させない為に、割礼について[ユダヤ人の風習]は触れないようにしようとか、異邦人に対しては、「お互いに愛し合うこと」だけを掟にしようとか、論じられた経緯も書かれています。福音書は生きている間話された、旧約聖書に書かれた預言から、誕生している事。について書いています。キリスト誕生の経緯について述べられています。旧約の延長線。イエスは旧約以前から有る、神の国から来ています。当時の人がイエスをけなした事は、キリストを信じない、知らない皆さんと同じ心境だったと思います。確かにいえることは、聖霊は生きた「キリストの霊」それ故、聖霊をもってしか、イエスはキリストと言えない。と描いて有るとおりです。感じない人には判らない世界です。カソリック、とプロテスタントに分かれた経緯。ルネッサンス期。ピューリタン革命についても書きました。キリスト誕生は、最初罪を犯した、アダムの罪を購う為に、人ビトに神の生贄を神が肉体を着て、その肉を犠牲にする事で購いました。では、アダムが食べた実が罪だったのでしょうか?旧約には「善悪を知る実」と書かれています。大きな罪は1つです。「約束」を破った。自由主義の経済は約束を基本としています。ナカナカ難しい、この事は出来ない約束はしない事で、回避するしか無いでしょう。「善悪を知る実」を食べる前は、約束を守らなかった事を悪とも知らなかったと思います。その実を食べた事で、約束を守らなかった、恥を知るように成りました。そして、神の前から隠れたと書いています。神の目に見えなくなる。どういう状態かと言うと心を頑なにした状態です。そして、身の潔白をしようとして「嘘」を覚えます。カソリックの人は、神を知らないのか?と、乱暴な事を書いた事が有ります。そう思っていると、思われると困るので、ここに弁解しておきます。聖書については、三浦綾子さん。曽野綾子さんからが、最初に内容を知ることに成りました。「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ。」これは、「立場の違う喧嘩」の必勝法です。屈服を意味するわけではありません。人間の心理をついた、教えです。この方法を深く理解した、インド人のガンジーはイギリスからの支配を、武器を捨てる事で、「インドの独立」に導きました。インドは、第二次世界大戦に巻き込まれなかった所以です。カソリックの人は聖書の勉強に長けています。私が嫌うのは、教会の人が優しかったから洗礼を受けたとか、親が子供の自覚無しに、水の洗礼の儀式を行なわれた、哀れな子供達。親も、キリストの事を理解してなくて、ましてや無自覚な子供に、「聖なる者」に対しての、憧れで、儀式を行う習慣です。その事が、神に対して、大きな誤解を抱かせたまま、子供達を罪の意識に追いやってしまう事です。キリストの誕生は、「罪の意識」からの開放です。その方法論として、ヨハネの「悔い改め」の儀式があります。ヨハネの水による洗礼。を受けたとしても、聖霊を受け入れなくては、神の道を開く事は有りません。聖霊を受けるのは、水の儀式のみで資格を得る物では有りません。「求めよ、さらば与えられん。」この言葉は、色んな潜在意識開発にも使われますが、キリスト信仰者に向けられたこの言葉は、「聖霊」=真理の御霊といわれる物を求める方法です。誰でも、求めれば得られます。しかし、聖霊が何で有るかわからないうちに、求めると、「サタン」邪霊が入る可能性も有ります。そのために、イエスの名において、とその聖霊の識別にイエスの名前を選別に使っています。聖霊は、イエスが天から下してくれた、「流行の言葉」でいえば、指導霊です。でも、イエスの名を使うサタン「キリスト以外の霊」も沢山います。聖霊の特徴は、エネルギー体が「愛」です。多くの人が分けても、それは、同じからだ。イエスが生前にパンを裂いて、分けていたのは、見えない「愛」のエネルギー体をイメージさせる為です。アダムの居た楽園「エデンの園」は私達の今認識している地球にあったとは思えません。少し、次元の離れたところにあったと思います。そして、今も有ると思います。この地上はシュミレーションの場だと思います。というのは、アダムの子供達が結婚した相手がいる事です。この地上にはアダムとイブ以外にも多くの人が居た事を感じます。私は旧約聖書を、一度しか目を通した事はありません。旧約の疑問多くの文学で語られています。人が読んで疑問に思う事部分聖書を読む前から知っていると思います。カソリックの人で、かなり詳しく勉強した人の、日記を紹介しておきます。http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/9623/yogen.html最近新着に入れた物で、「隠されている聖書。」パウロの伝道書以外のものを紹介している人の日記に出会いました。新着の中から、興味有る人は探してください。多くの人が、アダムとイブが産みの苦しみを得た。と書かれた部分から、セックスが罪悪と勘違いした人が多くいるようです。特に男の人は、「童貞」でいる事が神に選ばれる条件と勘違いしている人も居ます。神の前に男女は平等で、一対になるもの。人間の特性を二つに分けています。一対の相手は、誰でもよいわけではありません。その人の、分に会わない人を、セックスの情を基本に考えて縛ると、自分の「対の人」には会えなくなります。セックスの情のの中には、生活に付属した財産・立場、食い扶持。なども含みます。それらを、「賢い蛇」男女を縛る物と表現されたと思います。動物の蛇は形に表すときに表現上用いられただけで、蛇自体には罪は有りません。神の前に結ばれた人は、それらの縛りに頼らずに仲良く過ごします。それ以外の結婚は、神の目からすると無効。死ぬまで「紙上の契約の籍」世の生活習慣に自分を縛り付けて苦しんだとしても、それは自分がその生活を選んでいるだけで、神様に、「他の人を好きに成るように神様が作ったのがいけない」と言われても、自分のパートナー選びの間違えは、自分で、縛った世の掟を自分で解除しなければ、それに伴う苦しみは無くなりません。良く男の生理とか、言いますが・・・。女にも性欲があります。父親を限定するするために、同時に複数の相手をしない習慣が身についただけで、元来性欲に関しては、男女とも似たような物です。かつて、出産が神秘だったとき、男は女に選ばれていました。生まれた子供は女が神から授かると信じた時代。女が好きなだけ、男と寝ました。経済が風習を変えてきました。そうして生まれた子供を、地の子供。生まれたままの人間。男が父権を主張した、少し前に有った時代も同じ事です。霊によって生まれ変わらなければ、神の国に入ることは無い。愛が無くてもセックスは出来ます。それなりに抱き合う事は気持ちもよいです。お互い愛し合って、セックスすると、お互い他を求めなくなります。これは、お互い愛し合ってという意味です。情動でも抱き合います。本能的に体を求めるところに愛は生まれません。生まれるのは「情」です。殆どは、この情の縛りあいで一生を終える人が多いです。仲の良い夫婦は子供が出来にくいといわれるのは、セックス以外にもお互いを繋ぐ心が通い合って、セックスばかりをしなくなるからです。避妊とか、セックスレスと言う、縛りでは有りません。酷い話は家庭にはセックスを持ち込まないというのも聞いた事が有ります。子供の責任を思うと家ではしないで、外ですると言う話。家庭がどこか、ぎすぎすしています。それらは、神によって結ばれた結婚とは偉く離れた話です。仲がいいと、手を繋いでいたも気持ちが満足してそれ以上の事はお互いの気が向いたときしかしなくて、子供が出来る機会が少なくなるようです。手を繋いで眠っても楽しいからです。体をむさぼると、限度を知りません。もっと、もっと乾きます。体の快楽だけでは、「こころ」が余計むなしくなって、四六時中からだの事を思うようになります。行為の最中だけ、むなしさを忘れられるからです。そして、その相手を「経済・子供」などで縛るつけます。世の結婚とはそうして物です。戦後に結婚は、財産の分配も含めて、神の結婚の理想を外部から守る為の物です。いきなり、「自由」を与えられ、嫁選びから失敗の連続の20世紀後半。不幸な結婚。人にはそれぞれの「分」があるのに、平等の意識でお互いの「分」が見えなくなって、不釣合いな結婚が多く生まれ、現在に至っています。男女間の「愛」それは確かに存在してます。「分」の合った相手としか生まれません。一対の男女。君の相手は?「世の縛りの結婚している立場」で他の相手に求める事は叶わないでしょう。私の経験から言うと、子供が居なくても、離婚は精神的に経済的にも大変でした。嫌いで別れるとは限りません。好きでも、「分」が合わなければ別れます。価値観の相違が生活にストレスを与えるからです。行く先が見えなくなります。「愛」は有った気がします。只、男女の愛では無くて、兄弟愛な気がしました。対等な男女でなければ、結婚は苦しみです。「分」の不釣合いがありました。「情」を断ち切るのがお互い大変でした。憎しみはお互いに持っていません。罪は、自分の非から、目をそむけた時に生まれます。どこに非があるのか見極めれば自ずと道は開けます。本来善悪に分けられる事は、世の中非常に少ないです。
2004年07月24日
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泡雪は、神様だの仏様だの言ってますが、普段は余りそうした文章を読んでいません。そうした根拠に基づいて、心理学や、天文学や、推理小説、国際経済、文学等を読み漁っています。神も、キリストも、仏も求めていません。何故なら、既に心のうちに住んでいます。では何故、こうした事に、拘るか。自分が知っているでは意味が無いので、どうしたら、人に伝えられるのか、本を読んでいます。日常では、このような話は殆どしません。文章は、2年前から、書き始めました。それ以前は、学生時代のレポ~トを除いて、手紙も殆ど書きませんでした。自分が考えている事を人に知られることを嫌っていました。中学の時、日記を書き始めた頃、塾に置き忘れた事がありました。優れた文章だという事で、私の居ない時に読み上げられた事から、文章に残す事を避けてきました。人は、「優れた物だから」と言う評価で喜ぶ人ばかりではありません。付き合った人にも、自分の家庭の事情を話した事も有りません。自分の日々の出来事を人に話しても、それで何を考えたかは話した事は在りませんでした。何故今それをするか?1つに、書くという事は、自分を確認して自己を創る事。もう1つには、自分が考えた事は、全てでなくても、誰にでも覚えのある通った道だと思うようになったからです。誰にもわかってもらえない。自分だけ。そう思うのは、環境の違いで生じる違いの数々で、人の犯す過ち、誰もが初めとの時には失敗するだろう事は大して違いが無いと感じてます。子供の頃誰にもわかってもらえないと思って居たことが、大学の少年心理学の本に全て書いてありました。子供の心を絶対忘れないで居ようと思っていたら、本に書いてあったので、全てを考えないようになりました。誰もが通る道。最近、金八先生のドラマで、子供が先生をいびり倒す番組を見ました。その事を指導する先生が、どうして教えられるのか。それは、少年の頃、そうした、醜い心を自分で知って、克服してきたからです。集団で、暴力言葉の暴力を使う人はそうした自分を客観で見る力が無いだけ。誰もが、持っている、適応反応を見過ごしているだけです。醜いと言うと語弊が有ると思います。攻撃性。と言い換えましょう。「心の自由」を得る事は、自分との戦いです。自分の心に隠れた不平や不満≪恐れ≫を、自分で見つけて自分で解決していく事。それから目を逸らしていると、攻撃性は止みません。善人になるのではなく、自分がどうしたら、心が心地よくなるのか上手にお守りをする。優越感や名誉も得たら一瞬で無価値に成ります。楽しいと思う事。それ以外に有りません。快楽と言う意味でなく、生きる過程を楽しむこと。自分の中の攻撃性を醜いと目をそむけると、必ず誰かを攻撃する事になります。それが、親で有ったり、社会であったり、宗教で有ったりします。カルトの宗教であれ、自分が関わらなければ、成り立ちません。騙されたと思う宗教に貴方の弱さが潜んでいます。入信る事も、批判する事も。どちらも、その思想に囚われています。分かれた恋人を憎いと思い続けるのとよく似ています。宗教を文化と置き換えてみれば?あの文化に居た時は、こうだった。笑っちゃうよね。お金掛かったけれど、アレだけ夢中に成れたのだから、楽しかったわ。と軽くかわしてみるのはどうでしょうか?その宗教がカルトかどうか?それは、他人が言えることでも有りません。貴方はそこに居た時に楽しかったですか?楽しかったらいいじゃ有りませんか。苦しいのに居たとしたら、貴方は苦しいのが好きだったのでしょう。そして、今私はこういう違った文化にいる。それが、文学で、科学でも、芸術でも、会社の仲間でも、家族でも、どんな文化でもいいのです。新しい宗教団体でも構いません。全て文化です。神、聖霊、仏などは、団体から離れたから、辞めたという類ではありません。知ったら、知らない者には成りません。団体を離れて終わる神様なら、さっさと捨てれば、間違いありません。宗教に嵌っている人。宗教の僧侶は元々は科学者でした。今二つに分かれて見えているのは、判らない人のためです。宗教団体は、文化活動です。自分が神との事で悩んだ時に専門家として、宗教があります。元々、自分の中に神を感じなければ、宗教は関わらない方が無難。お金で神は買えませんから。科学の方法として哲学があります。占いも文化。元々、占星術は天文学の仕事。宇宙の運行と偶然を観察した統計学です。現在、もっと沢山の事が知りえているのに、未だ昔の統計に従ってお金を払っています。心の求めを素直に聞けば、占い師にお金を払う必要も無いでしょう。占い師は貴方がしたいことを自分が隠した心の障害を言葉にしているに過ぎません。じぶんの目を開けば答えは知っていたはず。貴方がしようと思った事でしか、体は動かないからです。同時に回りもシンクロします。今科学で知られている事に目を向けると、もっと多くの不思議に驚くと思います。科学は未だ先の未来に繋がってます。科学で解明できている事は極わずかです。神の摂理の解き明かしに終わりは無いでしょう。明かし終えたら、生きる意味を感じなくなるかもしれません。でも心配なく。時が過ぎるからです。科学は、≪神≫普遍的なの摂理の発見にしか過ぎません。誰もが、その一部です。**********:赤ちゃんの、子猫虐待事件。人は、幾つまで、赤ちゃんと言えるのか?幾つから、子供というのだろう。子供同士で仲間に未だ入れてもらえなくて、保護者に守ってもらっている状態かな?オボロゲニ、2歳から、3歳くらいの出来事です。我が家には、三毛とトラが居ました。今、都会型愛玩動物的な飼い方ではなくて、イナカのほうで猫を飼っているような放任ねずみ取り型の飼い方。ある時、子猫が沢山生まれました。ばあやが子猫の間引きをしました。ドブの蓋の穴から、生まれたばかりの子猫を捨てるのです。恐る恐る見ていました。「かわいそう」と私が言うと、『昔は、人間も間引かれたんだよ。』ばあやは、山形の人間でした。農村で口減らしの為、子殺しが普通に行われていたようです。そのやり方も教えてくれました。選ばれて残された、子猫。3匹が可愛くて、よく見ていました。ある冬の朝。子猫が寒いだろうと思って。父親のベットに寝かせて、布団を沢山かけてあげました。上から、「よいこ、よいこ」をしてあげていました。子猫の顔が見たくなって、布団をはがして見ると・・・。3匹の子猫はノボセテぐったりと鼻血を出していました。慌てて、ばあやを呼び行きました。子殺し仕方は話を聞いてもピントきませんで居たが、目の前で、子猫が死にそうな状態を見ると、不思議と想像がつきました。わたしは、「死んだらどうしよう。」本当に心配しました。まさか、こんな事になるなんて、可愛がっていただけなのに・・・。ばあやから聞いた子殺しの方法は、ここでは書きません。子猫は、助かりました。その夜、子猫が姿を消しました。大人たちは、屋根裏を懐中電灯で探しました。親猫が、子供を守ろうとして隠したのです。大人たちは、『どうやら、昼間泡ちゃんが鼻血を出させたらしい。』と私に聞こえないように気遣って、小さな声で話しています。その事が妙に心に堪えます。そのまま見つけられないと、子猫たちは、人間から離れて、野良に育ってしまいます。子猫たちは見つかりました。その日から、猫達は私を怖い物を見るように通り過ぎるようになりました。とっても、寂しかったです。お互い邪魔しないよう。居ないかのように過ごすようになりました。
2004年07月23日
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赤ん坊に生んだからって、母親と認知されることは無い。胎内からの記憶を持つ人が居る。その時代の記憶が有っても、母親と自分の関係を生まれた後から、関係認識で、母親との関係を認知する。胎内では、相互の関係は要求はあっても、人間関係は形成されていない。私の場合、母親が乳がんで、生まれた後母はそのまま、入院していたため、家には母親が居なかった。わたしは乳母に育てられた。乳母と言っても、乳が出る年齢ではない。哺乳瓶の時代の記憶は無い。おかゆに、砂糖をまぶした物がわたしの離乳食。かなり早い時期に、米と砂糖がわたしの体を養った。今では、考えられない離乳食だ。最近、脳には砂糖が必要と言う、話を聞く。噂の範疇で、この件は検証して居ないが、体の発達にはあまりよくなかったかもしれないが、脳の発達には役に立っているかもしれない。30過ぎで、出生届けを書類の必要上見る機会が有って、わたしは、3200グラムで誕生。長男に次ぐ大きさで生まれている。胎内で大きく育った分、逆境に強いからだが形成されていたと思う。面白い発見としては、わたしの出生を届け出たのが父親らしく、記入間違えでわたしの家族での関係を、4男と書かれていたこと。区役所の職員が見つけてくれた。生活の上で、見た目から諸々の書類は、女になっているが、そうした記録が喪失され、出生証明だけが残ったら、死んだ時の性別が合わない記録が残った事だろう。いつ性転換されたのか?なんて、後の人に疑問が残ったかもしれない。(子供が居ないから調べる人は居ないと思うが。)泡雪は、38歳で書類訂正するまで、記録上男だった。結構笑える、親の間違え。自我の目覚め。意識が生まれた時、わたしには母親が居ない。が不便は無かった。いつも、誰かがわたしを抱いていた。結構人気で、競ってわたしを抱いていた。大人が思うような、母親不在の寂しさはわたしには無かった。最初から居ない者に母親の愛惜は無い。おんぶして、パクット肩をかぶりつくと、甘い味のする女の人がいた。美味しかったので、お気に入りだった。誰だか、覚えていない。特殊な家に生まれていたので、客人が多かった。産みの親は、生業は歯科医師だった。自宅の一階は診療所。主の居ない待合室が、そのまま応接室の役割をしていた。男のお客さんの足。足の甲に股がって、ブランコをしてもらっていた。足のスネに抱きつく大きさ。それは、幾つの頃なのだろう?お子さんの居る人は教えてください。確かなのは2歳半以前の事では有ります。母親の葬式前の出来事。最初のわたしの殺人未遂はその頃、起きた。本気で、殺すつもりではない。言葉のやり取りで、成り行きで、包丁を手にする事になった。足でブランコをしていた男の人が疲れて、くの字に足の甲を保てなくなった。わたしは、滑り落ちた。わたしは、大人の疲れた事情を知りえない。わたしは、怒った。「もっと、してくれ。」と要求。大人は疲れてそれ以上わたしをあやす事をしようとしなかった。『もう出来ないよ。』わたしにはどうして、出来ないのか理解出来なくて言う事を聞いてくれない、大人の足に向かって。「やってくれなければ、殺す!」そんな赤ん坊がそんな言葉を知っていること。わたしの家には、テレビが有った。今では、珍しくないが、昭和の27年頃、登場したテレビが32年生まれのわたしの家庭にある事は、当時にしては少ない条件。昭和33年頃、真空管を2万で買って、理工科の学生が組み立てた。この真空管2万と言う記憶は、赤ん坊が大人の会話で記憶している金額。他の金額が話題に上らなかったので、比較する金額が無いが、後に考えると、普通の人の一ヶ月の給金が「何千円」の時代です。昭和39年頃、オリンピックの頃。私の7~8歳の頃の平均月給が「7千円」と記憶しています。寮費が一人7千だった。裁縫道具を売る店で、世間話をしているときに、聞いた世間の給料の金額。公式な新聞からの情報ではない。小学校2年で、店の人と世間話をしていることが、今思うと笑える。少年ジェット。赤胴鈴の助(これは、ラジオだったか記憶が定かで無い)大人の足の持ち主は、面白がって、『おおー殺せる物なら殺してみろ。』と笑いながら、からかった。これが、わたしのプライドに火をつけた。後に引けなくなった。「だったら、殺してやる。」台所に走って行って、包丁のある流しの扉を開いた。心の中で、「誰か止めてくれ~!」と願っていた。体が小さいので、乳母がわたしに追いつき、包丁を抑えてくれた。一件落着したが・・・・。重たい沈黙が有った。誰も、わたしを叱った物は居ない。善悪以前の問題。売り言葉に買い言葉。わたしは、≪この後に引けない自分の存在≫を恐ろしく思った。そして、「他人に対しても、自分に対しても、逃げ道を失う事態は避けるべきだと学んだ。」プライド。この頃から、わたしは自己分析をするように成った。フロイトは、自分の精神の歪みを直す為分析を始めたようだが、子供の頃から、自己分析し始める人間が居る。全ての体験が初めてで、自分の予期せぬ反応から、人生を学び始める。≪わたしにとって、わたしが一番恐ろしい存在になった≫わたしの「幼い頃の自殺願望」は、人を殺すくらいなら、自分を殺せ。自殺の原点には、他者に対しての攻撃性から生まれる。その対象が自分に向けられた場合、自殺に成ると思う。自殺であれ、他者に向ける殺意であれ。体を犯す行為は、存在の破滅を意味する。この事を防ぐには、理解しか、解決する事が出来ない。自分を理解する事。すなわち他人を理解する事でもある。どうして、そんな気持ちに成るのか?殺意の原点を探る。他者への理解を持たない「プライド。」願望をかなえようとする気持ち。これがどうも関係している気がした。それが、わたしの人生の始まり。長い旅の始まりだった。
2004年07月21日
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詰め込み型の学習の得意な人は、意外と子どもの時期を覚えていない。特に、医学や法律など、多くの知識を詰め込まなければ成らない人は、早い時期に、いらない記憶を消去する技術を会得するようだ。(身内の観察していて思った事。)わたしは、一歳の頃顔に火傷を負ったのが、意識の最初の記憶。その頃年齢の自覚は無い。意識の感覚は今とさほど変わっていない。それが一歳の頃だと知ったのは18歳に成って、生き別れていた7歳年上の姉に再会した後だ。姉の人形を床上浸水で失った事を告げたら。実は、その人形は私のものだったと知らされた。火傷を負わせた私に詫びて、父が買ってきたものらしい。火傷の記憶はあるが、人形がわたしの為の物とは知らなかった。私の場合、2歳半の時に産みの母親を亡くしている。そして、4歳の時に父の再婚で住居を変えた。そうした、環境の段落の中で、いつ頃だということを知る。火傷を負った経験からか、顔面に迫る危機には神経質だ。サッカ~のヘディングがどうしても出来なかった。赤ん坊の意識でも、目覚めた後は大人と同じ観察力で物事を見ている。大人の目から見える小さな体とは別の大きさを持つ。睡魔が~。明日続きを書きます。
2004年07月20日
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前回、キリストについて描く理由を書いた。西洋文明で生きているから、と言うのが前回のまとめ。最近、言葉が難しいという指摘を受けた。ある人の日記で、仏壇に向かって、おばあ様が「空の空」とか言って居たが、意味がよく判らなかった。と言う内容。本人は、キリスト教の事について描くつもりらしい。「空の空」?余り聞いた事が無いが、そんな言葉も有るのかも・・・。調べてみよう。「空是空」を探してみようと泡雪は心に留める。「空即是色」「色即是空」の内容が物理の世界と一致している点について書いたコメントを添えた。言葉が難しいと言うのはそれを目にした人の感想だった。余り、PCを開けなかったので、その方から「色即是空」の読み方の質問が有った事も知らされた。読み方は、「くうそくぜしき」「しきそくぜくう」です。物理の世界では、真空を叩くと、「光が飛び出し、闇が残る。光が闇に戻ると真空に帰る。」事が判っているらしい。との事を書いたのだが。普通の人には、「真空を叩く」がイメ~ジ出来ないとの指摘。困った。判らない理由がわからなかった。真空を叩くって?中から叩くのか?外から叩くのか?っテ質問。限られた空間の中の真空の外から叩く。と答えた。中から叩くとどうして思うかな?真空って言うくらいだから、中には、叩く物が無いのですが・・・・。私が言う事は、中学の高校の理科が判れば、判る筈と思って居たが、卒業はしたけれど、その間何も勉強していない人も多い事が判明。そこで紀元は、イエス・キリスト誕生4年後から、数えられている(といわれている)皆が、中学で習う筈だが敢えて書く。今私達を取り巻く環境は、西洋文化。それ故、イエス誕生から、数えた年数を西暦で2004年何故出生から、4年後だったのか?その事実はわからないが、誕生の頃ベツレヘムの全ての新生児が殺されて事に起因しているのかもしれない。その頃、その地域の家族の登録をするお触れがあって、厩で生まれた、イエスは難を逃れる為に新生児を全員殺すお触れをだした、王が死ぬまでよその地でイエスは隠れて育てられた。現在から、今西洋文化が世界を覇制している文明圏ではこの紀元0をキリスト誕生に合わせ見みている。その、イエス誕生約500年前(泡雪流のアバウトで言う。)釈迦が誕生して、35歳の時悟りを開く。基本的な概念は、全ては「空」である。キリストの誕生は、言葉・ロゴスから始まり。釈迦は、言葉以前の存在。「空」の存在を悟った。悟りについて、多くの人が不思議な事を言うのを耳にする。悩んでいるのは悟っていないからだ。と。全知全能に成る事を、悟りを開くと勘違いしている。悟るというのは、一つ一つの解明。その、根源の「空」を悟った時智慧が展開していく。35歳から、80過ぎで死ぬまでの間、釈迦は何も悩まなかったわけではない。その事で、釈迦は悟っていないと言う人が居る。疑問が浮かばなければ、答えも出ない。疑問に出会って、解を得る。現実の中に、「諸行無常」を知る。 「空」は何もない状態。それこそ、神も仏も、物理世界も精神世界も、全て何もない世界。それが、「空」が全ての起源で実相だと言う見方から、色々な世界の展開が始まる。「即是色」何もない状態から、物理(摂理)世界。目に(映る・映らない双方)全ての世界を構成する要素を「因」。因が集まって、「縁」。縁の結合が「生」じる、物質と現象を「起」。因縁生起。要素が集まった事が、全てを形成する始まりだと言う。聖書の初めに言葉あり。言葉には、既に意味が存在していた。「存在からのお話」で有るのに対して、釈迦は、現世から、存在以前の者「空」を見出している。今日手元に置いている、参考書を紹介する。般若心経「読む・聞く・書く」 小松庸祐[示右]西東社泡雪は、神様と出会ったことから、自意識が始まっている。神様が何であるかなんて、考えずに存在があった。小学校の頃、漫画で、「マーガレット・少女フレンド」の時代に育つ。キリスト弾圧の時代の話が心に残った。絵ふみで、キリスト教の信者を探すところで、不思議な気がした。どうして踏まないのだろう。絵の中に、キリスト[神様]が居るわけではないのに。たとえ居たとしても、この場合、神様は生きることを望むはず、踏めばいいのに・・・。色んな宗教がどうして、争っているの?神様の見え方が居る場所で違う形に見えているだけなのに。と感じていた。中学の一年の頃。最初に耳に残った言葉は、「諸行無常」そこで、広辞苑を引いた。≪世間万物流れ動いて、変わっていく様。≫当時、歌を作り始めていた。一曲目、ラジオのオーディション番組に流れた。「一分30秒の歌」B級ライセンスだったが、私の曲に対してオーディション番組では、初めて、深夜放送にリクエストが来た。そこで、新譜ジャーナルに楽譜を乗せるよう、依頼されたが、面倒で楽譜を送らなかった。芸能界は興味が無かった。高校生の姉が、放送界に興味が有って、付き合って遊びで曲を書いてみただけだった。それがきっかけで、13歳から、17歳まで、曲を作っていた。2曲目にこの、「諸行無常」で曲を作った。春の雨私の愛した春の雨は深緑を若葉萌える木立にした。スミレ(の花)に落ちて死んだすずめは綿毛を残して消えてしまった。夕べ咲いた椿の花は、首からポロリと落ちてしまった。小さな蕾にぶる下がっている、雨のしずくは土に飲まれた。諸行無常・しょーぎょーおむじょおおおおおう世間万物流れ動いて、私も変わって行くのだろうか諸行無常・・・・・私の愛した春の雨は私に早く、大人に成れと言う。私の愛したハルの雨はわたしに早くお・と・な・に・成れと言う。これが、私が14歳に成った時書いた歌。人は何故生きるのかを考え始めて、3年目の時です。諸行無常は「何一つ同じ事は無い。」先日聞かれた時に知り合いに答えたのですが、「それ以外に深い意味が有るのでは?」その言葉はそのまま、その意味だけれども、お経の中には、「だからどうする。」と言う内容の教えが残っている。「諸行無常」何事も常ではない。マトメテ・それに意味をつけるとしたら。「1つの事に執着するな。」と言う事に行き着きます。仏教に傾倒したわけで無い「諸行無常」から始まった、私の歌つくりの終わりは、17歳。ケヤキの木(秋の恵み)ケヤキの木は秋の中で、木の葉を落とします。秋の日差しよ、秋の恵みよ。落ち葉のじゅうたんは、野良犬を王者にしたて、秋の日差しは栄光の輝き 添えた。どうぞ、どうぞそのままでいて欲しいどうぞ どうぞそのままでいてほしいと。ケヤキの木は秋の中で、種を蒔きます。秋の日差しよ。秋の恵みよ。過ぎし日の思い出を心に刻んで。戻らぬ命を 静かに見つめ。もう一度、もう一度芽生えて欲しいともう一度、もう一度芽生えて欲しいとああああーああああーああああーああああーあーあ・あ・ああーあああーああああー「諸行無常。」だからどうするか?一人一人が答えを出すのが人生の面白さ。人が生まれて死ぬ事の意味。素晴らしいから、次の世代に繋げたいと結論付けた、「私の生死感」は、修行で輪廻を繰り返すのとは違った答えに成っていた。何故生きるのかは、因果応報や死んだ後どうなるかよりも、私には、「苦しみや悲しみも、喜びや怒りも感じる事」が生きている証と考えた。≪全ての感情を味わい尽くす。≫死んだ後の事は、神様に任せている。死んだ時に知れば良い。と言うのが私の基本的な考え。≪限りある今を生きる。≫幸せ・不幸・それらに事を分けない、今有る事を、そのまま感じる事。釈迦は「空」を発見した。そこから、先展開した世界は数知れずある。哲学家について、教えて欲しいというコメントがあった。一般に哲学家と言うのは余り聞いた事が無い。物理家を聞かないのと同じ。多くは哲学者、物理学者という。何かに疑問を持ち、考える事を哲学と言うからだ。それは、手段で有って、目的ではない。哲学する事が目的ではなく。何かを哲学する為に≪哲学≫は存在する。考え方。物理を哲学する。科学を哲学する。音楽を哲学する。≪音楽は実践だから、哲学では無いかも≫科学を哲学する。心理学を哲学する。人生を哲学したのが釈迦。そして、普遍的な摂理の起源「空」を悟った。教えられずに、答えに至る事を「悟り」と言う。その瞬間に全知全能に成るわけではない。釈迦は、その、空から全ての現象を眺めて、出会うことを悩んで、解決して行った人だ。釈迦の教えを基に、多くの天才が沢山の叡智を開いた。602年生まれの中国の三蔵法師のモデル玄装三蔵が「般若心経を59歳の時に漢訳開始。三年11ヶ月で、漢訳大般若経経を完成。664年2月五日に63歳で入滅。この般若心経は「呪文」的な要素を持つ。日本では「空海」が有名。この呪文を解説書を書いた。真言密教。日本に花開いた、仏教を、発展させた新しい形。原始仏教とは別の空海の形に成る。仏の教え基は損なわれていない。釈迦の誕生の約1000年後。(泡雪式四捨五入の大まかな区切り。)3位一体の教えは、キリストのぱくり?多くの文化が影響し合っている証拠だ。ユダヤ教から発展してキリスト教が花開いたのと少し似ている。仏教は生きる起源から、始まった人間の悩みからの救済方法を説いたのに対して。キリストは、悟るべき事を人々に教えた。キリストは何も悟っていない。伝えたのは「愛」何故なら、生まれた時から、神の国を知ったいた。キリストは、その行き着く場所。在り処を示した。≪天の国について語った。≫端から嘘だと思う人は、その天国を知ることは無い。仏・如来・神の住む世界を説いている。天国から、見た真理の世界。仏教の言う真理とキリストの言う真理。究極の一致は存在する。人間の考える事に、この真理を外した物は無い。それは、人間が考え、見る世界の為の教えだからだ。人間の道に逸れた、教えを「邪教」というが人の道。神に、仏に至る道の行き着く先は一つです。「真理の世界。」愛に行き着く道の求道。 仏教では「慈悲」が真理への道。どちらから考えても、同じ線上。真理の世界にたどり着きます。敵対する物では有りません。哲学する事とは≪求道≫する事をさします。敢えて、哲学家というならば、生きている人間全てが哲学家と言える。一生の中で一人一人何かを知りえたら、人生哲学した事に成ります。貴方の最後の一瞬心に浮かぶのは、どんな感想でしょうか?私と神の出会いは、父親が赤ん坊でだった私の顔に熱湯を誤ってかけてしまった事が原因。右の頬、目から顎にかけて火傷を負った。夢に神様が現れて、「いい子で居たら直してあげます。」と言った。もともと神の子のように良い子なら、こんな条件は出されない筈。私は、一言「ハイ。」と答えた。翌日から、顔のつっぱりと痛みが消えた。酷い火傷に関わらず、傷跡1つ残っていない。神に出会ったことある私にいえることは、その時その人に一番理解しやすい姿で現れる。神様の人間に見える姿は一定ではない。先日鎌倉に行ってきた。仏像や、地蔵は、過去の人たちが、その人たちの心に映った形を彫刻にして残した。芸術作品だ。神に出会ったからって、人間が「良い子」にイキナリなる訳ではない。神様にとっての良い子は、「人間の言いつけを守る事」とは少し違う。次回、一歳からの私の悪行を書く。
2004年07月19日
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私は、戦後の日本に生まれました。民主主義が当たり前の国に生まれました。でも、戦前の日本は、軍国主義でした。戦後60年?わたしは、47歳。この国の民主主義の導入後に生まれました。まだ、戦争を経験した人たちも生きています。二つの制度のまたがった時代の中で、親の時代には、民主主義は、未だ学習の時代でした。理想の民主主義の実現を実践した国。敗戦がもたらした、美味しい果実を頂いています。私達は、原爆で亡くなられた人のお陰で、今日の世界で一番恵まれた、民主主義の国に住むことが出来ています。しかしながら、自力で作り上げた民主主義ではないので、その影に隠れた、流された血の歴史を体験していない弱さもあります。この憲法をくれた、マッカ~サ~。過去の歴史で、アレキサンダ~初め、全ての占領が成功しなかったのは、従属を強いたため。彼の哲学から、投げ込まれた果実が現代の世界で一番、社会主義的な国になりました。これは、神の見えざる手の結果です。アメリカ自体も、理想の形を実現していません。戦後、世界を覇制したアメリカの歴史は、常に人種間の問題、政治家の暗殺。女性の労働問題。いつも、多くの苦労や、血が流されてきました。その、結果の反映が日本に投影されて、日本は血を流す事が少なく、労働問題の解決や、道筋をつけてきました。団塊の世代では、世界の混乱に比べれば、学生運動が少し有ったくらいです。帰国を希望する、赤軍などは、その名残です。アメリカは初めから資本主義の国・キリスト教徒の国と思われる方も多いと思います。最近読んだ本で、知ったのですが、キリストの精神を掲げていますが、アメリカは現実の中で、試行錯誤している状態です。キリスト教はアメリカの一部です。イスラム教・ユダヤ教・キリスト教・共産主義(無神論者)・社会主義・民族主義・その他・色々なイデオロギ~でひしめき有っています。日本の、国民全員が義務教育を受けられる環境より、厳しい状態にあります。20世紀は、共産主義か。資本主義か。どちらが人類のために良いか、国を分けて、実験した時代です。この二つは、簡単に言うと、マルクスの唯物論(神の居ない世界論)優れた人が人を治める世界。≪人治国家≫へ~ゲルの唯神論(理想概念を立法化して、法の前に平等)神の、見えざる手に委ねる。法治国家。この、二つの世界の実験でした。そして、一部の人を優れた物として、頭に据える限界をみました。北朝鮮は、最後に取り残されてた、国です。ソ連・中国の社会主義に絶望して、独自のチュチュ思想と言う世界を創造したからです。限られた資源で、全ての人に与えられないなら、優れた人間だけを、生かそうと試みました。しかし、その場合も誰が優れていくか、選ぶ人の目が全てを決まる事になり、現在の不平等が生まれています。しかし、その方法は、限られた収入のサラリ~マン家庭なら、容易に理解できると思います。優れた人を、優遇して、次の世代に残そうと思った気持ちは理解できるはずです。その貧困は、世界経済から、長い間切り離されていて貧困は普通でない状態に置かれていました。今、食べ物の豊かな日本に生まれて、忘れがちですが、戦前日本も食糧難。全員が御腹いっぱい食べられなくて、過去の手法の海外に権力を伸ばそうとしました。明治維新後、頭にちょんまげ、刀から急速な学習をしたと思います。海外へ、侵略するのは、西洋の十八番でしたから、やられる前にやれ、と言う発想になったのだと思います。日本にキリストの教えが到達したのは、西暦、198年キリスト誕生後、百年代で、届いています。人々の心の中に、草の種のように育ってきたと思います。戦前の日本でも、「愛の精神」を知っている人は居ました。一般的ではなかった。誰でも知るところではないと言うことです。その経験を考えれば、じだいに取り残された、北朝鮮に民主主義の基本。脅しではなくて「約束」によって、平和を保とうとする、民主主義を理解してもらうには、食料援助が最初だという事は理解されやすいでしょう。食糧援助は、取引の道具にしてはいけないものです。「制裁だ。」と政治の手段と勘違いしている人は、戦前の「貧しかった日本」を他人事と思う人だと思います。キリスト・イエスが誕生して、21世紀が経ちました。法の精神に貫かれているのは、相互に「愛」を求めています。刑罰の目的は、「更生。」人間が生きながら、生まれ変われると信じての事です。この、「愛」を地上に降ろしたのが、キリストです。それ以前には、刑罰で、裁きしか有りませんでした。それ故、人に正しく見せる事が大切でした。「愛」と言う概念が地上に降ろされて、(伝えられて)、21世紀。人は、おおよそ100年生きられるとして、(生物学的には150年と言われている。)21回生まれ変わった計算です。失敗の中から、≪愛のある社会≫へ変換に人類の挑戦が続いています。ブッシュさんは、今回の戦争を始める前に、神に成り代わって、戦争を始めました。これは、聖書に書かれた、終わりの世に起きる間違えです。神の名をもって、戦争をする人が現れる。その人は、≪その人は神も、キリストをも知らない人です。≫これは、彼一人の間違えではありません。人類の過ちの代表です。皆で、後始末をしなくてはなりません。アメリカ人が、全て聖書を読んでいるわけではありません。アメリカでの聖書の流行はこの2・30年の流行だそうです。神・愛と言葉で唱えても、行いがその心に合っていなければ、それは神からのものでは有りません。昔から繰る返された、人類の悲劇。人が幸せを量るときに他人に制度を強制する形です。それも、力でねじ伏せようとする、先祖がえりのしゅほうです。軍人であった、マッカ~サ~は、原爆の出現で、人類は、戦争以外の方法を考えなくては成らないと預言しました。一国で世界を治める時代は終わりつつあります。世界が一国で負担するには、大きくなりすぎました。未知の土地がなくなり、世界の地上の限りが見えるようになったからです。今世界中の神の根底に流れている、「愛の精神」の産みの親は、イエス。彼のイエスの「名前」を唱える事を望んだ人では有りません。「愛の精神」の伝道を始めた人で、神の名前ではなく、「愛の精神」の唯一の教師で、弟子はだれでも、教師と同じくらいになれると説いた事。そして、そうなって欲しいといった人だと知って欲しいと思います。「信仰・希望・愛」信仰も、希望も、愛に至る道に過ぎないのです。泡雪の40代も、そろそろおわり、心は50代を意識しています。こんな、≪シンプルな事≫を判るようになったのは、40年以上生きたからです。残された時間、愛の学習ではなく、どのように愛を実践できるかが、私のこれからのテ~マです。でも、この事を知るまでに、2千年以上の歴史の犠牲の上に知らされたことです。≪一人で、知りえた事ではないのです。≫終わりの人が先に成るというのは、この事を言っていると思います。神の一日は、人の千日とも言われます。全ての人が、愛にたどり着くまで、この世は続く事を祈ります。昔の日本は神への忠誠。今では、誰もが、「愛」を口にします。60年前の、日本では耳に新しい、概念だったのです。日本の中に、未だ愛が届いたない人がいても、少しもおかしなことではありません。人類がどれだけ進化しても、人は赤ちゃんで生まれます。「愛」は一人一人が誰でも新しく、学習しなければ得られない概念なのです。何歳でたどり着くかは、その人次第です。
2004年07月15日
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今回は、福音の解説をお休みします。福音の解説目的は、知っている人のためでは無く、知らない人のために行っています。そして、御馬鹿な泡雪が聖書を読むときに、引っかかった所は、多くの人が、よく判らない事でも有ると思ったので、御馬鹿シリ~ズを描くことにしました。福音を判らない人の代表格として、カルトに嵌った人があげられると思います。福音を解説する前に、その人たちに対して、わたしの気がついた事を書いてみたいと思います。カルトに嵌る人の特徴。1・神が何であるか、わからないでさ迷っている。2・子供の頃、愛されなかったと感じえ居る人。沢山の特徴がありますが、最低この二つに集約されると思います。3・ある日突然、心が荒んで(心が傷ついて)、盲目状態でワラをもすがる気持ちで入信した。4・不思議な体験をして、その事を理解する為に自分の考えるところに近いところに入信した。3と4に関しては、そのきっかけ、に成ると思います。私の事について述べますと、私は宗教家では有りません。私は、芸術を志す物です。私の考えた、事ではない表現ですが、ある哲学博士の表現を借りて、宗教家と芸術家の違いを表現しますと・・・。ある人が、神の国に旅行に行きました。帰ってきて、みんなの前に立ち『神の国はどんなところでしたか?』と聞かれると「私と一緒にいらっしゃい、そうすれば、神の国を見せてあげます。」と言う人の事を宗教家と言います。では、芸術家はどんな人か。神の国を聞かれると、大きな旅行かばんから、沢山のみやげ物や何かを広げて、その場に神の国をイメ~ジさせる世界を作り上げる人の事です。過去において、芸術家のスポンサ~は宗教家でした。ダビンチ、ダンテ、ミケランジェロ、それらの人は、教会のために仕事する事を競いました。1600年の宗教改革後、それらの人は職を失い。芸術家は、宗教家のスポンサ~を失い、人間の欲に従い、仕事をする事が多くなりました。買い手が庶民になったからです。芸術家が全てkamiを知っているわけではない事。その事を、理解していただきたい。ただ、芸術家が神に出会ったら、どうするかの話です。用語の説明として、哲学とは、物事から、普遍的な法則(真理)を導き出す事。宗教家と芸術家の違いをこう表現した哲学者は、30年ほど前に、慶応義塾大学に招かれた、経済博士の哲学者です。(名前を覚えていません。)わたしの、オリジナルでは無いことをお断りしておきます。最初私は、カルトに嵌る人の理由が判りませんでした。私は意識(自我の目覚め)は神との出会いから始まっていたからです。一歳の頃で、その頃から、大まかな記憶があります。カルトの人たちを私から見ると、「どうして、こんな事を信じることが出来るのか?」と不思議な人たちを見る思いでした。違う人種とさえ思って居た時期も有ります。最近。そうは思わなくなりました。私は、偶々神と出会ったから、神を知っているだけで、会った事のない人には‘神は未知の者`だと思うからです。神を見知っていた私にとって、キリストの存在が未知のものでした。最近、人間イエス・キリストを理解する事が出来ました。その年月は、24年掛かりました。神を知らない人が、神を求める事で道を誤った事に、誰も責める事は出来ません。そして、カルトに嵌る人の特徴を導き出しました。子供の頃、愛されていないと感じる結果。どういう状態に置かれているかと言う事を知りました。一言で言うと、「考える力が育っていない」という事です。物事を考える時、一定の方法があります。カルトに嵌る人は、「人の出した結論」を学習してばかりしいて、自分で考える力が養われていません。その結果、有り得ない事を平気で、記憶してしまいます。そして、その道筋を辿って出口まで行き神に出会えないと「騙された」と言います。「ありえないこと。」それは、「理に適っていない事」を指します。ありえないこと。人は、自分の知らない事。経験したことのないこと。これらの事に出会うと、恐怖を覚えます。畏怖感を持つ事も有ります。もう1つの特徴。カルトに嵌る人は、不思議体験を経験したことが少ない。不思議現象に憧れを持つ人が多い。不思議体験をした人は、恐れと戦う事を覚えます。結果、科学者になる人が多い。例)大槻博士のプラズマの研究。カルトに嵌る人。身の危険のない、「不思議を好む。」マジックの虜に成り易い。例)空中浮揚テレパシ~霊動(自分の意志以外で動かされること)「騙された。」と言う人がどうして、その人達に従ったか。1・聖なる者への憧れ。(聖なるものに成りたいと思う願望。)2・幸せ・平和・結婚このキーワードに弱い。3・悲しみの感情を嫌う傾向にある。この3点セットがカルトに嵌る人の最低限の条件だと思います。元々、神・仏を考えない人は、カルトに嵌る事はないようです。しかし、神仏を考えなくても「考える力のない人」は、カルトに嵌らなくて、別の物に嵌ります。A・商業・詐欺に嵌る。1・支払い不能な物を買わされる。2・金額に見合わないものを買わされる。カルトに嵌る人。神様を商品と同じ扱いをしている。☆どちらにもいえる事は、「考える道筋を知らない」*********今日、掲げた、テ~マは。カルトからの脱却マニュアルです。上に挙げた、特徴。それらを捨てれば、良い事です。そうした人への、課題。1・考える力の身につけ方を知らない。ここに、紹介したい本が有ります。メーナー・シュアーサンが書いた本。[舟公]渡佳子・訳≪「考える力のある子」が育つ、シンプルで確実な方法。≫PHP研究所から出版されています。子供の頃、「愛されて居なかった」と感じて居る人は、この部分を学習されていないので、現在子育ての場面でも、お子さんに、教えることが、出来て居ないと思います。この機会に、この本を買って、子どもと共に考える力を訓練してください。2・過去へのこだわりを捨てる。 昔の過ちのどこが間違えなのか?「騙されたと思われる教義」の間違えを未だつつきまわして居る人が居ます。それを、続けるとその事柄から開放されません。解決法。≪無知だった自分を素直に認めることです。≫キリストの道をキリスト誕生前に馴らした人。ヨハネの言葉を借ります。「悔い改め。」解説、人はよく悔います。「ア~しなければ良かった。こうしなければ良かった。」これは、後悔に当ります。後悔、後で悔やむ事です。反省日本人の得意技。反省して、改めない。多くの人はこの悔いる事に堂々巡りしています。ではどうすれば、「悔いる事のない自分に成れるか?」同じ過ちをしない事です。同じ失敗を繰り返さない。これが、≪悔い改め≫の教えです。つまり、過ちを認めないと、形を変えて同じ事を繰り返します。無知はどこから起きるか?「自分を知った者とするときです。」人からの、結論を自分で考えず受け入れて、「知っているかのように思う」気持ちで居る事です。これは、カルト以外の形でも現れます。「民族」とは、「国籍」とは「人種」とは?その定義を知らずに勝手な考えで、人を、差別する事。これは、カルトと同じ発想です。カルトの宗教団体から、脱した人は恨みから、この宗教と自覚のない迷信の囚われに嵌る人が多いです。これは転位です。発想方法は、カルトに関わった時代のものがそのまま応用されています。1排他的。2自分以外の考えに批判的。3上下関係に物事を考えやすい。そうし他人は、カルトから、脱退したのではなくて、課題を終えて、卒業した。優秀な卒業生。つまり、「カルトの発想方法」が体についてしまった状態です。あなた自身がカルト集団の教祖に成っています。解決方法。まず、過去の自分を自分自身が赦す。 同じ過ちを犯さない。過去の過ちの根源。無知である自分を知らなかった事。そうではない自分を育て始める。そのためには。考える力を身につけ。切り貼り的な知識を繋ぐ、普遍的な「人間の本質」を理解する。お勧めする本。宮城音弥著「新・心理学入門」宮城音弥著「ストレス」この2冊から、人間の心の構造を知って、「自分の過ちは特別な事ではなく、誰にでも起きる可能性がある。」という事を、知っていただきたい。宮城音弥は東大の哲学科を卒業して、心理学を哲学しました。精神医学博士でもあります。現在まだ生存中。1908年生まれ。ほぼ、一世紀生きた人です。現在、どこかの大学の名誉教授です。なんと、今ボケていません。宮城音弥が、心理学を哲学した動機は、戦争中に、人が亡くなる前に、夢枕に立ってお別れを言う。虫の知らせ等の不思議な現象のメカニズムの解明です。27年前の著書から知ったことです。*******今日のまとめ。馬鹿だった自分とお別れしましょう。馬鹿とは、馬の頭と鹿の胴体を平気で繋ぎ合わせる事です。無知に気がついたときから、無知とお別れできる。科学者とは、常に未知の分野を切り開く人です。未知つまり、何を知らないかを多く知った人が一番賢い人だということです。知らないことを、恐れるな!知らない事に気がつけば、そこから学問する事を覚え始めます。自分で解決方法を考える力を養おう。
2004年07月12日
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前回の復習。福音≪良い知らせ≫の内容。全ての人に神の国に通じる道が開かれた事。イエスが神こ子で有ったかどうか?そうでなくては、犠牲≪いけにえ≫成る価値がありません。彼がどうして、「罪が無く」死ねたのでしょうか?彼自身が神の国を知っていて、何が罪かを知っていたからです。普通の人は、何が罪なのか悩む事が人生だからです。逆に言えば、普通の人は肉体を神に捧げる必要は無いということです。最近、イラクで韓国の方がテログループに処刑されました。それは、神への犠牲ではなくて、人への見せしめです。そしてそれを引き起こしているのは、兵器による大量のイラクの人を犠牲にした人達に、対してです。軍隊を送る行為は、送られた側は武器を持つ人が入り込む事。武器の向こうには、殺される人が想定されています。殺された人の家族は、テロに対してより、国を罵りました。殺される事。イラクの国民も、人質の家族も同じ悲しみを持つからです。侵略した兵士アメリカ兵の数より、犠牲になった民間人の数が10倍以上多い戦争。それが、「貴方達イラクの為」というのはやはりどこか変です。イラクの兵士の犠牲者の数は聞いた事が有りません。テロは一人殺すのも、大変命を重く扱っているのに、兵器は一瞬で、結婚式を挙げている家族を40人以上殺してしまっても、誤爆だとか、正当な攻撃とか言っています。人目に触れず速やかに殺せば残酷ではないのでしょうか?言い訳よりも、実際殺された方は堪らないでしょう。私達が自分で殺さない肉を平気で食べるように。神は、人が人を殺す事を望んでいません。ユダヤ人ナザレのイエス。ユダヤ教から生まれた異端児です。異端ゆえに殺されました。ユダヤ人は宗教的に殺しを禁じられているので、自分では殺せなくて、他のユダヤ教で無い法律にイエスを渡します。そして、死刑を求めます。ピラトなる人が担当したのですが、彼はイエスに罪を認めませんでした。それで、ユダヤ人達に自分達で裁けといいました。ユダヤ人達は、死刑を求めました。キリストはピラトに対して、神の与えた職の権限を認めました。ピラトの罪ではなくて、引き渡した人の罪だと。彼の罪状は「ユダヤ人の王で、神の子」とピラトは記しました。これに対して、「神の子と称した罪」とユダヤ人は書いてくれといいました。ピラトは「私の書くことは私の言った事」だ。書き直すことは断りました。ユダヤ人達は自分の手を汚さずにイエスを殺したのです。と言う言い方すると、ユダヤ人全てが彼を殺したかのようですが、煽動したのはユダヤ人を纏める立法学者です。ユダヤ人と言う人種の罪ではないのです。ユダヤ人の人も多くイエスがキリストであることを認めた人は多く居ます。ユダヤ人のキリストを信じる人は存在します。キリストは宗派では有りません。彼一人がキリストで始祖です。それ以外は弟子です。12人の使途初め全てが弟子です。誰が一番偉いか。最も小さい物と言っています。神以外のものを父と呼ぶなと教えています。それは、自分の産みの親を父と呼ぶなと意味ではありません。それは、人の生まれた父をなぞって、神を父と例えています。自分の育ての親以外の関係。霊においての父は、天の神のみだと教えています。そして、教師は、ひとり。キリストのみです。それ以外は神の国を知らないからです。弟子は、キリストに教えれれたことを知らない人に伝えるだけです。それは、勉強が出来る子が助ける事でしかなくて、教えをキリストの教えを曲げて教えてはいけないということです。弟子は、上も下も無く。お互いに助け合うように教えています。誰が一番偉いか。小さい者が一番偉いように扱えと言っています。偉いと自分を思う人は、小さな人の足を洗いなさいと教えています。日本語で人間を指す言葉で「神父」と言う言葉が有ります。翻訳でそうなったのか、キリストの教えからすると可笑しな話です。恐らく、神に成り代わって、神の気持ちを代弁した人が、神の変わりに「神父」と言う称号で呼ばれたのだろうと思います。ここからが宗派の始まりです。あくまでも代理役で、「神の父」では有りません。神には父も母も居ません。カソリックの人から面白い話を聞きました。本当はいけないのだけれど、「神父様が特別に赦してくれました。」と言う言葉です。神の許しを求めずに人の赦しにすがるのです。カソリックの人は、どうやら、神を知らない人たちのようです。神と直接対話の仕方を知らない人たちのようです。神父が導いて、神の国に連れて行ってくれると信じているようです。兵士のように従順ならそれも、ひとつの方法かも知れません。でも、一人の神父が全ての人の心のうちまで、管理する事は出来ません。人間一人一人生活もさまざまですから。都合のよいときだけ、神父の言葉に従うなら怪しい物です。その事に気がついたのが、マルチン・ルターの宗教改革。初期の頃は、使徒のペテロでさえ字が書けない時代。1600年ごろ、多くのお人が自分で聖書を読める時代になりました。代理人の言葉ではなくて、自分で聖書を読んで、お互い助け合って、神への道を一人一人が歩き出す事を始めました。それがプロテスタントです。キリストの教え。父なる神と教師のキリストイエスの教えに従って、代理人と称する人を退けました。福音書はキリストの傍で、見て聞いた人たちがキリストの言葉の残した貴重な部分です。彼らは人間イエスについてみた事体験した事の証人です。パウロは、それらから、考えて色々困った事に出会ったときに考えた、代理人の最初になります。パウロの教え代弁の原型。パウロの言葉として、残されています。大変優れていますが、その時代の社会事情も考えて基の教えを理解しなければなりません。聖霊に導かれてかかれた、パウロの言葉。これらを、曲解したり、私的解釈を加えないというペテロの注意はそこに有ります。パウロの言った言葉は、パウロのままに残す事が大事だからです。そして、神に成り代わっていった言葉は、その人なりのフィルタ~がかけられています。パウロの経験と頭の解釈。キリストの言うパリサイ人のパン種。してはいけないことで、人を縛る立法。その種は、常に生まれるのです。パウロの決め事が正しいかどうかと言う問題ではないのです。その決まりを作るに至った背景を理解すれば、キリストの言わんとする何を伝えたかったのか、心が理解できます。それ以上、道を複雑にしない為に、聖書はそれ以上のものを入れないようにしたのだと思います。旧約に比べて、書いている人が少ないです。それと、大切な事は、聖書の中ではなくて、生きて人の心の中に記されて、今日に運ばれています。その人たちの胸には同じ霊から切り取られた、聖霊が宿っています。その形をイエスが聖霊を下す前にパンをさいて、人々に渡す形で聖霊を1つのパンの形で表して教えています。を皆で食べる形で示していました。イエスの死後、キリストとなり聖霊が存在する現在。パンをちぎって分ける事の儀式は、意味のないことです。聖霊本体を胸に持っていないと意味がありません。その形を教えるためのものでしかなく。あの形示しは、聖霊を知らない人の為のもの。キリストがパンをさいて、聖霊をイメ~ジさせた再現です。教会の配った、食べるパンに力があるのでは有りません。聖霊を胸に持ち、キリストの教えを胸に記している人たちは日本では、キリスト教徒と名乗っても居ないようです。1600年ごろのキリスト弾圧の後日本の歴史の中で、草のように忍んだのだと思います。キリスト教者とも名乗っていないようです。わたしは、最近そうした人たちを感じるようになりました。見ず知らずの人たちですが、私の中の聖霊が教えてくれます。同じパン(聖霊)を胸にしまっている人たちを。最近、そうした人たちが居る事に気がつき始めました。今普及版以外に、その時代の人のものは死海文書に(死海は海の名前。人の死とは関わり有りません。)多く残されているといいます。本来のキリストの教えはそちらに多く含まれているという噂を聞いた事がありますが、今のところ、その文献を目にした事は有りません。24年前、箴言で目にした内容今日の聖書ではが多く隠されている事に気がつきます。過去は回数しか読んでないので変化は判ります。曲解された部分は隠されていくようです。
2004年07月09日
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先日、新約聖書の構成と新約聖書を書いた人についてかきました。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ4名からなる、福音書。使徒伝・人間イエスがこの世を去り肉体の復活。≪40日間使徒や人人に人間の体を持った形でキリストとしてあらわれる。≫使徒たちを迫害して、殺したサウロの前にキリストの霊が現れ、どうして迫害するのかを聞く。≪サウロ=パウロは肉体のあるイエス・キリストとは会っていない。≫パウロが、悔い改めて、異教徒・異邦人の為の伝道の役目を負う経緯が書かれている。イエスが肉体を十字架に架けられ、復活した後≪この時が、キリストの誕生≫天の神の元に帰り、聖霊を、人類に与えた。イエスの肉の体を着る前に、神は人の苦しみの実体験が無かった。それ故、人の子として、生まれる必要が有った。人間対応の聖霊を下した後。使徒の活動とパウロの関係が書かれている。使徒伝の後の大部分を、パウロが経験による、聖霊の力を借りた智慧で書いている。各教会への信仰の為の指南書で有ること。≪各地でキリストの名に集まる人々の間に起こった揉め事に対しての注意書き≫補足する形でペテロ・ヤコブ・ヨハネが手紙を全ての人に向けて書いている。******今日気がついた事。12人の使徒ペテロは字が書けなかった様です。福音書を書いた、マルコなる人物は、使徒ペテロの子どものようです。そして、ペテロの手紙1.2は、彼の認めている、キリストの弟子として兄弟関係の「シルワノ」の手によって、したためられた。信頼関係の無い人に書かせたら、文字が読めない人は、何を書かれているのか判らないから、本当に信頼した人に口述を文字に書かせました。ペテロなる人物は、イエスをイエスが磔になる前に、イエスをキリストだと、気がついた人です。直感の強い人で、イエスが世を去った後の、注意するべき点の取り決めを、生前に指名して彼に委ねた。イエスは、直ぐに磔られて、死ぬ事を自身で知っていた。他の使徒は、人間・イエス≪神の子≫が何の為に何をしようとしているか気がついていない。後にキリストと知る。**********さてさて、福音書に書かれている内容について。聖書が読みにくい点の一つ。同じ名前の人が多く登場する。誰がだか、判らなくなる。ここですこし、この点について、私の気がついて事を書く。A。12人の使徒には同名の人が二組ある。ユダシモン裏切ったユダはイスカリオテという地名出生地がつけれれて言われます。シモンは直感の強い方に「ペテロ」と言う名前がつけられます。仲間の間でも、混乱したのでしょう。B。使徒のなかに旧約聖書に登場する、「ヤコブ」と言う名前と同じ名前の人が居る。C。マリアと言う名前の女性は4人くらい登場する。 今流行の「愛子」さん同様当時珍しく無い名前。一番間違えやすいのは、キリスト誕生前、神への道を馴らした人。D。ヨハネイエスは、このヨハネを人の中で一番神に近いところを気がついた人と評価している。この人を預言の中のエリヤと指している。川で、水の洗礼を施して、古い肉体と新しい肉体の区別をつける儀式。これが、キリスト教の洗礼式の原型です。ノアの箱舟で洪水から助かった8人の状態から、人生を始める形を持った儀式です。イエスは、ヨハネの水の洗礼を受けました。水の洗礼のヨハネはイエスが、磔に≪キリスト≫になる前。サロメの踊りの褒美として、首を取れれて死にました。それと12人の使徒の中に「ヨハネ」という名前の人が居ます。聖書に参加してます。福音書。 手紙。 黙示録で有名です。二人のヨハネを混同しやすくて、聖書が何だかわからなくなることが多いと思います。≪御馬鹿な泡雪だけでしょうか?≫キリスト≪救い主と言う意味≫誕生以前。立法≪法律≫と≪預言≫の時代。この世の終わりの始まりは現代もう来ています。この世の終わりは、キリスト誕生から数えられています。立法≪善悪を分ける掟≫と預言が支配する世界。これが、前の世です。今の世は、天国に登る道も、地獄に落ちるも、本人次第。前の世は、天国に行く道がわからない世界。≪刑罰・僧侶の赦し≫が世を支配していた。一般の人は、神がどんなものか知る事を赦されていない時代の事です。全ての人に、自ら、天国へ道が開かれた事。これが、≪福音です≫福音=良い知らせ。前の世は、モ~ゼによる、10戒律。人を、殺してはいけない。近親相姦をしてはいけない。その他、詳しい事は調べないと判りませんが、全部で10個の戒めが基礎になって、立法で善悪を教えました。このしてはいけないことシリ~ズで、世の人たちが向上する時代でした。善悪は良心のありかを知らせますが、自分で善悪を考えるもしくは気がつく道ではありません。この掟を作った、モ~ゼもその時には天の国には入っていません。エジプトの奴隷状態の人達を引き連れましたが、最後に大変いけない事しました。岩から水を出す時、心の鈍い人たち≪神様を拝むのに何か形を下さい願った事。≫に怒って岩を叩いて、水を出したそうです。これが、神を、恐ろしい物。と誤解させたので、モ~ゼの長い砂漠の旅のおしまいに、≪天国を見る事は赦されなかったそうです。そして、先祖の霊に加えられた。江原さんという、最近流行のスピリチュアル的表現を借りれば、類魂に帰ったということでしょう。長くなったので、福音について、書かれた場所は次回に引き続きます。今日のまとめ。キリストのもたらした福音≪良い知らせ≫とは「全ての人に神へ繋がる道が開かれたと言う事です。しかし、選ぶかどうかは、個人に任せているところが神らしいところ。勧誘活動している、宗教団体はキリストをよこした万物の構成する要素を持つ神とは別物。くれぐれも、ご注意下さい。特にキリスト教を名乗る物。本質から離れているかどうかで、自身で量ってください。福音書には、そのイエスが道々語った事を書き記した事が多く載っています。
2004年07月06日
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お久しぶりです。早一週間経ちました。通読してくださっている方は、気がついたかと思いますが、ある時期から、「愛」「神」「聖霊」について、触れなくなりました。キリストの教えに、一番してはいけない事。「神をもって、人を恐れさすな。」ということが有ります。聖霊を汚す事以外は、大抵の事は赦される。と書いた事を、聖霊を知らない人が、脅されたと感じてしまった事から、暫く自分が誤解を受けない解説が出来るまで、触れない事に決めてきました。キリストの言うところの「愛・神・聖霊」は同じ物の違った体現だからです。その中でも、聖霊は特に判りにくいと思います。聖霊は、キリスト(人の子として生まれたイエスに住まわれた神の魂を核に創られた、愛の霊団)「生きているキリスト」はこの霊団の存在を体で、感じ取った人が存在を認識する。(体温のあるエネルギ~体)人霊の一種。その他の霊は人間の欲が生み出した霊。一般に「サタンの霊」とキリスト系は呼んでいる。「欲望達成霊団」これは、欲望が双方に満たされる事が無いから、誰かが泣く事になる事の繰り返し。≪同じ、人霊でも性質を異なる物としている。≫聖霊に包まれた時、「私が聖霊だ」と言葉で言うわけではないので、「何だ?この感覚の物は。」と感じる。共通して言えるのは、初めて、聖霊に打たれた人、出会った人は、幸福感・もしくは安堵感を感じた直後、意味も無く涙があふれる。出会う場所は、教会の建物の中とは限らない。キリスト教の人は、神に求めるのは、この聖霊が下ること。だから、教会以外で出会うことが多い。日時が指定していない。「求めよさらば与えられん。」 キリスト教者が求めているのは(聖霊)です。それ以外の必要な物は、神は全てご存知。キリスト教に入信する人は、最初から、聖霊を受けている人は殆ど居ない。信仰=イエスがキリストだと信じて(あたりをつけて求める人)わたしは、何度も言うが、赤ん坊である、一歳のときに、神に出会っているから、信仰心は無い。基より信神している。拝む事もしない。いつも傍に居る事を、知っている。しかし、忘れた時期が有った。記憶をなくした時期。そんな時期に、キリストの神から下した、(真理の霊とキリストの言う)聖霊に出会った。その時、同時に、頭の中に啓示が降ろされた。≪人の事はどうにもなら無い。≫人を思い道理に動かそうとする性格の私に対しての最初の≪教訓≫だ。(人それぞれに、注意する事は違うと思う。)前身が暖かいエネルギ~で包まれて、かすかに電流が走った感じがして、腹の奥から「わだかまり」のような物が口から飛び出した。そうして、涙があふれ出て、頭に啓示が閃いた(降った)。わたしは、偶々ホ~ムステイした家の人の教会に付き合って行って、ミサの時最前列で、居眠りをしていたときの出来事。ミサの後、教会の外人たちに、「君はクリスチャンに成る。」と言われて、意味が判らなかった。日本に帰ったら、読んで、と聖書を渡された。読んで、知ったのは、キリストの誕生で、「聖霊」が神から降った事を知る。つまり、この「聖霊」と言うものを知らなければ、キリストが何なのかは判らない物なのだ。そして、神を知らない人は、聖霊に有っても、神と同質の物と気がつかない。現在、私たちが、当たり前に使っている「愛」と言う言葉。中国から、この漢字が輸入されたのは最近の事なのだ。24年前の婦人公論で読んだところによると、明治時代。文明開化と同時に、キリストの教え(西洋文明はキリスト教が根底に有って、ユダヤ教の時代には、「愛」は余り登場しない。この「愛」という言葉をどう説明するか、日本の学者は苦労して、慈愛・親愛・敬愛・友愛・など、愛の頭にに8つの文字を用意した。(興味ある人は調べてください。)盲愛は無かったと思う。つまり、「愛」は近代日本に初めて現れる概念なのです。キリスト教は西暦198~9年2世紀の末には日本に伝来しています。1600年前後に日本のクリスチャンは120万人抹殺されました。その中では「アイ」という言葉が使われていたかは知りません。漢字の輸入に関してです。では、西洋人が全て「愛」「神」「聖霊」を知っているかと言えば、言葉は知っていても、これらは遺伝的なものではないので、学習によって開花する物。「愛・神・聖霊」を口にするからと言って「実質的な物」を知っているとは限らない。これは、クリスチャンの子どもだから、必ずしもクリスチャンに成るとは限らないと言う事でもあります。人類共通にいえることは、「神・愛」の種は、万人が「からしだね」のように、生まれながらに持っているということです。あくまでも、種なので、育てるか育てないかは、本人次第。聖霊はそれを、育てる助けをする太陽のような役目。神は、今の現代人の想像出来る範囲でいえば、宇宙に相当します。(実際には宇宙より外を覆う範囲に及ぶ)。昔の人に比べれば、想像する大きさはかなり広くなりました。ガリレオ以前の世界観はは天と地は眼に見える範囲でした。地は一枚の板で、そこから先は落ちてしまうと考えていました。誤解の無いように、あえて言いますが、神を知っている事。聖霊を知っている事。と、自分が神のようになれる事、聖霊の仲間に死後なれる事とは違います。≪神のみぞ知る世界≫本人の生きている間の成長が結果として、仲間入りするかどうか決まります。神を表現した仲間としては、キリスト誕生前に仏教で言うところの仏・如来があります。「菩薩」は西洋の「御使い」(天使)弁財天等、「天」のつく物は、(ガ~ドナ~)神の軍団に相当します。仏・如来は人に判りやすく、神の存在を、人間に近い人形で表していますが、(釈迦の時代は形にしていない。後世ヘレニズム・ギリシャ文化の影響を密教が取り入れて、仏像等偶像が盛んになる。)神の全体の姿は、入る入れ物が有りません。つまり、目に映る姿を本来は持っていません。*万物の一部として、目に映る全ての自然界がある。現在の天文学では、暗黒物質という目に見えない物質の存在が常識です。(表現上の色と悪は本来関係は有りません。)***********泡雪の脱線癖は直っていません。今日のお題は聖書。聖書の話に戻ります。1≪福音書≫マタイマルコルカヨハネこの4人による福音書は、キリストの生涯について書かれています。何が≪福音≫かについては次回書きます。この内、12人の使徒(キリストの直弟子はマタイとヨハネのみ)2≪使徒≫キリストの死後、12人の使徒がどんな活動をしたかがすこし書かれていて、多くの部分は、使徒を殺した、パウロがキリスト教の伝道者になった経緯が書かれている。パウロがイエスの霊に会って、「どうして、キリストの使徒を虐めるの?」と聞かれて、キリストをイエスをキリストと信じるようになり、異邦人(イスラエル以外の外人)に対しての伝道を生涯の仕事と自覚する。注釈として、イスラエル人は今の国では有りません。神の前に住む人ビトと言う意味で、アダムとイブの子孫。(そして、キリストが言った様に、私の国はこの世の物では有りませんと言っている。イスラエルと言う国名をこのこの世の地上に誕生させる事事態が無謀な事、今のイスラエルの所在地が神の国ではない事が明瞭です。)さて、パウロはロ~マ人、市民権を持つロ~マ人でした。イエスの生きているときには、迫害する側の人、イエス死後キリストに出会って、広報伝道を運命付けられる。使徒の弟子のステパノ(イエス・キリストに酷似した人物)を石打して、殺した仲間本人です。それ故、聖霊の導きで書かれています。つまり、聖霊は、≪愛の霊≫を胸に抱き、パウロの頭で人間の言葉に置き換えた、信仰生活の指導がされたところに注目してください。キリスト、直の言葉では有りません。そして、彼が伝道した地域の教会送ったへの手紙が残されます。3≪パウロ・と後半テモテの連名で書かれた、手紙≫ローマ人への手紙コリント人への手紙1コリント人への手紙2ガラテヤ人への手紙エペソ人への手紙ピリピ人への手紙(パウロにテモテと言う弟子が出来て、パウ ロと連名に成る。)コロサイ人への手紙テサロニケ人への手紙1テサロニケ人への手紙2以上は地名テモテへの手紙1(弟子であるテモテに送った個人あて)テモテへの手紙2テトス(人名)への手紙(信仰の弟子であり信仰による我が子と その教会にピレモン(人名)への手紙(同労者・姉妹・および仲間あてへブル人への手紙(伝道した地域の地名) ここまでが、全て、パウロの伝道した事である。4≪12使徒のメンバ~が書いた手紙≫ヤコブの手紙ペテロの手紙ヨハネの手紙そして、最後に、皆が好きな≪ヨハネの黙示録≫最後のこの部分はこの聖書を守る、護符のようなもの。キリスト信者は、何が有っても、神から知らされるから特に描く必要が無い、信じない人たちの為に描いた脅し文句のような物。だと私は理解する。ヨハネが聖霊によって見せられた物では有ると思うが、信者には余り関係ない。4の直弟子たちが書いたことが、キリストを信じる時に役に立つと思う。というのは、キリスト教は、ユダヤ教の流れ、一派である事。ヨハネの一派にイエスは所属。悔い改めの教えは、ヨハネによる。水の洗礼の儀式はヨハネが形作った。ヨハネはエリヤイエスはキリスト。この二つを分けて考えると今のキリスト教教会の形が見えた来る。ロ~マ法王(カソリック)は、異邦人伝道者パウロの働きが後世形に成って残っている、教会の形であると私は推測する。他の使徒の働きは、私も詳しくないが、死海文書に多く残っていると言う。ユダヤ教の形式的な信仰から、開放運動(救い主)をしたのがキリスト。その訓えは、「自由の精神と愛しあう事。」ユダヤ教的な、律法による脅しや形式に気をつけなさい。言う忠告は、パリサイ人のパン種等と表現されている。ペテロの忠告で、「誰でも、教師になるな」と言うのがある。悪魔同様、厳しい裁きにあうからだ。人は、聖霊を持っていても、間違う事がある。その訓えた罪は教えた本人に帰ってくる。パウロはその厳しい事を敢えて引き受けた人だ。それは、イエスをキリストと知らないで、多くの迫害をした事に、≪悔い改めた結果、赦してもらった、≫お礼の気持ちからだ。パウロが撃ち殺す手伝いをしたステパノは、死ぬときにも、「主イエスよ。私の霊をお受け下さい」「主よ。この罪をこの罪を彼らに負わせないで下さい」と眠りに着いた。≪悔い改めるとは、同じ過ちを以後はしないという事である≫回心する。本来の心の有る状態に帰る事。パウロの≪回心≫前の名前はサウロです。ここで、間違えた事を書いていれば、私の罪に数えれれます。間違えは気がつかないと直りません。何が罪かわからない状態です。気がついた方が居たら、教えてくださいね。皆さんに平安あれ。次回は、福音について。
2004年07月01日
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