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~11月01日の続き~老人性の痴呆とアルツは別の病気だとおもう。が、わたしは老人に限らず、記憶障害は、現実の中で他人との関わりの変化で、退後以外にも成長を感じる。脳の修復作業が有ると考えている。生命がある限り、≪適応反応≫はある。こちらからは、何も考えて居ないように見えても、生命体には反応がある。何かを感じずには居られない。できるだけ、不安の少ない≪心地よい反応≫を与えたい。今日、友人の新潟の義母にお会いして、次回会ったときに私を認識できるかどうか?未だ判らない。地震の状態を既に判っていない。イナカに帰れば、日常が有ると考えている状態。明日にでも、帰るつもりでいる。「電車が不通で、いつ帰れるかは判らない、暫く、ここでの事考えて。生きている間は、全てが新しいから。これから、宜しくね!」と挨拶した。次回私を認識できるか、問題。その場の疎通は出来ても、前後が繋がらない状態だからだ。当面の問題として、夜、家族が眠れない事。目を離すと、出て行ってしまう。私は、友人に、病院に連れて行って、睡眠薬の処方してもらうように、アドバイスした。友人も、現状に未だ慣れて居ない。義母が掛かっていた、お医者さんからの薬の処方がわからないから、動けないと言っている。住民票もなにも、無い状態で、病院に掛かれないと思い込んでいる。正直言って、お母さんの症状は、意志の疎通が図れるので、酷い状態ではない。だから悠長な事を言っていられる。お母さんが、直忘れて話がかみ合わない事にイラツイている。お母さんが自分の記憶の話で、質問と違う話をするからだ。「私的には、これって、日常だな?」『どうして耐えられるの?』「う~ん。みんな、自分の関心ごとで、話を絡ませるけれど、相手の話聞いてない人多いよ。」「私は、相手の今の認識を確かめる感じで、話を聞くな?」『私は、これから、成れるようにするわ。』『シンさん(泡雪)の顔見れただけで、癒されたわ。写真でも頂戴。見て、癒されるから。』あらら?私って何?でも癒されたならそれでいいわ。かく言う彼女も別な意味で同じ状態なのだ。震災で、過去の病院のデータが無い。アルツの薬も手元に無い。住民票など保険が無い。現地の人たちの状態を考えると、病院の過去のデータや、役所の整備、病院からの働きを待つというのは、希望的な観測。客観では、近くの役場で相談して、今現在の病院等の状況を整えるのが最善、だと思うが・・・。彼女が健常人で有っても今。彼女に納得させる事は出来ない。記憶が思考が正常に有っても、現状理解は、本人が自覚するまで、周りからは何も出来ない。健常人とアルツの差?健常人は、自分の意志だけで、行動を決められる。行動の危険回避、責任の認識があるから。状況判断が正確かどうかは別だ。病気では、一人で、行動基準が決められない。状況把握が、正確ではない。こちらから見ると、病人が、健常人に振り回されて見える。現在彼女は世間の常識で対処を出来ない。お預かり状態と感じていてあたふたしている。私は、共倒れに成らないように眺めている。イマ解決すべき問題は、夜間の睡眠。病院でも、夜間は睡眠薬を飲ませる。アルツの病状にたいして、薬の作用を考えると素人判断は確かに難しいが、睡眠は誰に対しても、必要な条件だ。体重が極端に減ってしまって。普段、一人で過ごす事の多い彼女が、『大変。大変。』と言いながら、結構普段より、元気に張りの有る状態に見えるのは私の目の錯覚だろうか?彼女が、求める時まで、手を貸す事、意見する事は避けたい。いつでも対応出来る距離は保っておく。長期に成ったら、散歩や留守番で部分的にお預かりする協力は申し出ている。こうした問題はナイーブだ。関係を、病気と言うカテゴリーで考えないで、今お互いどう付き合えば、疲れを少なくできるか?楽しくできるか?が大切な気がする。大変、優しそうな、清潔な感じの義母さんでした。見たところ、性質はかなり良さそう。(顔相)これから、どういうお付き合いが出来るか楽しみです。町の新しいお仲間。彼女を通して、お互いの中に別の世界の広がりがある。老人は宝です。
2004年10月31日
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人は、パンのみで生きるに非ず。とは、キリストの言葉だが・・・・。≪人は愛だけでは、生きて行けない。≫これは、泡雪の言葉です。大きな地震が有って、テレビに被災された方々が映ります。日本は、愛のある人が多いと感じました。ボランティアの活動を言っているのではありません。あのような、被災した状態でフアンの中でも、笑顔で子どもを見守る親。食料の乏しい疲労の中で、≪こんなときでも、食べられる事をありがたく思う≫と言う事の出来る人達が居る事です。大きな不幸より、小さな、その時のシアワセを喜べる心です。愛と言うと、恋愛、家族。と人間関係を思う人が多いのですが。基本は、一人一人の心と体のバランス。宇宙の中の生命体として、バランスの取れた状態だと思います。生まれたときは天使のようだといわれるのは、自力で生きられない状態では、無理が生じてないからだと思います。いつから、子どもが悪魔になるか?笑顔で、相手の反応を利用し始める、瞬間かも知れません。獲得を覚える頃から、生存競争が始まります。悪魔の武器は笑顔?心からの笑顔は天使の顔。天使の顔を意識的に利用し始めたら悪魔?情欲、食欲、睡眠欲。是は、生存の3大要素だと思います。この行為を行いながら、愛を失わない。本来の自分を損ねても、修復できる、基本的なバランスの記憶が「愛」だと思うのです。自分を(愛)を損ねない為に、人は相手を選び間違えない注意が必要だと思います。基本は自分のバランス、次に他人とのバランス。良く人という字を人と人が支えあっていると表現します。私には、人が二本足で立つ動物である事をあらわしていると思えます。その上で、必要なのは≪仁≫人が二人以上で、生きる上での大切な約束事。私は、嘗て「愛した君」と記憶を無くしても、別れを選んだのは、生きる事を選んだからです。あの頃は幼くて、生きる事を考える前に心を重ねてしまいました。その後で、現実を見たときに、育ちの違いの招く不幸を感じ取ったのです。男女の行き着く性の愛の絶頂を偶然体験した事で、男女の愛に絶望を感じました。人は愛だけでは生きて行けない。心を重ねられる人は数少ない。あれから、24年?今再び、誰かと心を重ねたいと思っています。愛し合う両親の愛を知っている人と。あの頃の自分と違う自分に生まれ変わっています。平井賢の歌で。≪心重ね合わすその前に手と手を繋ごうよ。≫この事は大切な要素です。手と手を繋ぎあわす。生きる事を共に出来るかすり合わせて、初めて心を合わせる。そうせれば、私の出遭った不幸は避けられます。最近、面白い人と日記のお付き合いをしてます。愛を知らない人です。愛を求めなかったせいか、心は結構傷が無く純粋なところが気に入ってます。いい友達です。何が面白いって。その人のセックスにはごまかしが無い。多くの普通の男女の陥るセックスパターンが、そのまま書かれて居ます。笑ってしまうくらいです。肉体でセックスを考えると、嫌いでなければ、男女とも、セックスくらい出来ます。が・・・・。わたしが、24年前開いてしまった世界は、お互いの意識が、体から離れる世界です。我、貴方、が消えたしまうせかい。体自体を忘れてしまう世界です。何処を舐めてとか、何処が感じてと言う意識全てが消えて、お互いが夢の中に入る世界。恐らく、アラベスクとか。インドの性の何とかと言う世界に偶然入り込んでしまったようです。お互いの「知性と感性」のバランスの会う同士が出会ったことで起きてしまったと思います。彼の両親も又、愛し合った夫婦だという事は大きな要素だと思います。彼も私も両親から夫婦の原型を知っていた。お互いが心に傷(私の方は精神病院に入れられたトラウマ)が有ったのを補修しあう関係も作用したと思います。孤独を癒すのと似た状態になった。ふと同時に我に返って、時間を見て、そろそろ降りようみたいに。みんなが絶頂と言う部分は、寧ろ現世に戻る儀式みたいな感じで、お互い目を見つめながらフィ二ッシュしてました。合わなかったのは、「生活の価値観」育ちの違い。致命的でした。性愛の行き着く絶頂を体験し、その相手と別れたら、その後は孤独を覚悟しての旅。その後人生に希望を、感じませんした。それでも、愛し合いながら憎みあう不幸よりはマシでした。面白い事に、人間生きていると生まれ変わります。より本来の自分を取り戻すように旧い殻を脱ぎ捨てます。余談ですが別れた後、マグロに為ってしまいましたが33歳以降生きる上のパートナーが欲しくなり普通のセックスはしてきました。誰もがするような相手を飽きるセックス。情の奪い合いのゲーム。人並みに体験しましたが、死ぬほど傷つく事は有りません。愛とは別物。結婚もしてここでは男女の愛ではない兄弟愛みたいなものも体験しました。結婚した相手とは、肉体関係を結ぶ前に結婚をしようと相手に言ったのが不思議です。そこから、お互い歩む世界が分かれて我を取り戻す不思議な世界に入り込みました。今現在、自分の≪愛≫を取り戻しています。聖霊の味方も着きました。(聖霊について簡単に説明すると、胸上にポット載っている感じで温かいエネルギー体、どうやら、私自身の魂や霊とかの個人の持ち物ではないようです。本に拠ると、聖霊は人格があるそうです。感じ取れる自分を保つ指針にしています。)纏めますと、愛のある状態は一人でもご飯を美味しいと感じられる状態です。愛し合うことは、ご飯を分け合っても、その状態を保てる事です。愛する事は、嫌いな相手にも、ご飯を分けられる事です。一人一人が自分の手に箸を握る。その事に感謝できる心。是が基本です。この何年か、身と心を清めています。2度目は失敗しないように・・・。この次は、手を繋いでから心を重ねたいと願っています。もう一度宇宙(そら)を飛びたい!人生に2回くらいチャンスは有りそうです。無かったら無かったらでそれも人生、未来は未来に任せます。
2004年10月28日
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里見浩太郎、特別公演見てまいりました。意外に良かったです。季節柄、「忠臣蔵」は嵌っているのと、今までテレビで見ていた判らなかった全体のストーリーが掴めた。里見浩太郎が「水戸黄門」をスケさんだか、カクさん、のどちらかをしていた時代は、見た事有りますが、現在、黄門様役をしている事は知りませんでした。一月10日月曜。4回目スタートだそうです。里見浩太郎、演じる忠臣蔵は、ドラマでも見たことあるような気がします。(いつも、誰が誰だが、芸能関係は疎い。)恐らく、公演役者の名前がメインより芝居の題目をメインに書かれたものなら、一般人にはイメージを掴みやすかった。実際チケットを渡されたのは、一週間前?私自身が気が乗らなかったのです。明治座の芝居小屋は初めて。個人的には劇場めぐりは興味のあるところです。ですが・・・・。前回、「西太后」の芝居が余りにも酷くて、無闇に知り合いに声を掛けられなくなった。能でも、歌舞伎でも、一度は経験しておくと、良いと思います。歌手者の芝居は懲りています。(間が悪いので疲れる)。お笑い芸人で固めたりしていると、最悪の間になる。テレビ俳優で有る人の芝居は、舞台の人の間と少し違う気がしました。周りの脇役者も一流。テレビのコマの連続するような、疲れない芝居。それと、衣装の細かさがとても綺麗でした。映像の為の衣装をそのまま、持ってきている感じで、あの時代、女性のすそを引きずる、着物姿が今回初めて、日常の昔の日本の生活で、どのような動きをしていたのか、理解できた気がします。酒井和歌子さんの妻役が非常にバランス良く、演じられていました。日本の伝統文化がこれから、若い人の中から消えていくのは残念です。というのも、観客が老人ばかり。時間が、みんなが働いている時間と言うのも有りますが、時代劇は、基本的に若者に定着して居ない。時代劇の中に、日本の古の美が残っている気がします。多くの人が、あの時代、優雅な着物をきれたとは思いません。が、現在は多くの人が均等に貧しいのかも知れません。雅の世界。日本の嘗ての美を感じさせられた、舞台でした。テレビと違い、場面が、殿中の出来事を切り離して描いている。事件の知らせを受けた里側での動きに絞られているので、判りやすかった。大石内蔵之介が城代家老でどうして討ち入りをしなくてはならなかったのか?以前は、どうして、殿中で、アサノタクミノ上が刀を抜く嵌めになったのか?が意味不明でした。赤穂浪士の藩は、塩田作りで、潤っていた。その製法をキラが狙って、藩主が殿中で刀を抜くように挑発した。と言う経緯。塩田作りの技法を赤穂藩が50年以上の歳月で編み出した秘伝だった。再興のメドが経たれて、ヤレレッぱなしでは、その後生きるにも恨みが残るので復讐劇が有った。利害の為に、嵌められた悔しさ。恨みながら生きるより、恨みを晴らす。実に理解しやすい心情だ。汚名を着せて、失脚させる方法は、日本は伝統的なやり口で、サラリーマンや組織に生きる人なら、そうした人を見ることは珍しくない。そうした恨みが、赤穂浪士の討ち入りに共感する、ところが現在にも通じるのだと思う。日本に生まれても、日本を理解するには時間が掛かる。戦後日本は文化が飛びすぎた。文化で保存されているのは有り難い。オン・ステージはフアンの集い?挨拶変わり?一般人は、舞台としては「う~ん」と思う。正直、この線だと思って、知人を誘わなかった。が短い。最後のご愛嬌。ヒット曲が有っても、歌手と俳優は領域が違う気がする。客との間の取りかたが歌手と俳優は違う。俳優は、舞台に引き込む間、役者間の間に引き込まれる。歌手は、観客に投げかける包み込み発散型のオ~ラ。今日の舞台は、カメラが入っていたのでテレビで放映されると思う。(オンステージはカメラ入って無いので安心して!)席がカメラの横でした。予測の範囲ですが放映されたら見てね!年末の赤穂浪士の意味判らなかった人、必見です。舞台でも自然で芝居がかってないのが特徴でした。
2004年10月25日
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あは!困った。私の周りは当然仕事で忙しい年齢。姉も珍しく仕事が入り。明日月曜4時開演~8時まで。明治座 里見浩太郎の特別公演。駅は、新宿線・浜町駅A2出口。もしくは、人形町・A3出口清洲橋通り方面徒歩7分。手元に一席開いている。ご招待。里見浩太郎って誰?って言う人が私の世代では多い。水戸黄門に出演している俳優さん。明日時間のある人連絡下さい。私書箱にメールをクリックしてね・・・・。ゲストさんでも、メルアド入れてくれれば連絡つきます。正面の席で、空席にするのが、申し訳ないです。駄目もとですが。募集します。このページは連絡が有ったら直・削除します。
2004年10月24日
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性欲。情欲。愛欲。この3点セット。巷で起きる、事件の殆どが是に関わりがある。注目するべきは、全て欲の状態で、満たされた事が無い。性欲に関して言えば、その度に、消化されるが、再び復活?これは、保存能力で、この力の少ない人は、生きる力が弱いとも言われる。エネルギーの使い方、方向性を変えることで、別の力に変換できる。この欲は、男性側だけにあるわけではなく実は女性にも有る。よく男性と女性が生理的に違うから、女性は貯まらない。といわれるが、それは、男性の都合の良い解釈。よく飲み屋で、一人できて、男性を漁っている女性も見受ける。男性客が、皆同じ女性と関係してくると、居づらい見たいで、そうした女性は時々出入り禁止になるみたいだ。店によっては、そうした女性を歓迎する場合もある。性欲は、直接的な行動の動機になる。満たされると、「しまった。」と我に返るのも、男性と大して変わりないだろう。割り切った女性は、そうした物。と情愛、愛欲を持たない人も居る。最近の職業事情は判らないが、過去に於いては、看護職の人が多かった。自活を当たり前と思っている女性は、性に振り回されるより、割り切った付き合いを好んだようだ。昔は、家庭の事情から、職業がかなり限定された時代の話である。現在は、本当に患者を癒す事が天職と思い、従事する人が多い時代より前の話。30年前の事情と理解してほしい。情欲に関して言えば、特定の人そうした関係を安心感の内に続けると、一定の気遣いが獲られる事に快感を感じ、関係を維持したい欲望。これは、性に関わらず、親子、兄弟でも、≪経済をある程度共にする≫と、結ばれる感情。胃袋で繋がった関係?それぞれが、別のパートナーに分かれると、時間や気持ちの分配が取り合いに成ってこれも、諍い(いさかい)の基。愛欲。愛欲は、≪愛された記憶≫が失った何かを探す虚しさ。この場合、愛する対象を失った場合ではなく、愛を得ていた、対象を失った時。必ずしも双方が愛し合っている関係とは限らない。不安感が動機になる。≪愛欲に駆られている時は、性欲・情欲の餌食になりやすい。≫もしくは、愛される事を望んでいるとき。殆ど愛欲に刈られる人は、人を愛する能力を失っている人が多いか、愛した事の無い人。愛欲と呼ばれるものは、父親屋母親の無関心を、他の男性や女性に求めるなど、実際に得てない≪理想の感覚≫を求める人が多い。性欲と情欲の満たされないでさ迷っている人に、≪愛≫と美しく名前を付け替えられて居る様だ。愛と欲は本来無関係。愛は愛。欲は欲である。愛は満たされた、バランスのよう状態に似ている。多くの場合、性が満たされている事。情が問題なく交わされている事。この二つを≪愛≫と同一視して、「愛している」と言う言葉が多くの場合「欲している」と置き換えた方がわかりやすい状態にある。欲はいつも求める関係。愛欲は反対に立場にあるわけでなく。≪別物。≫無縁の物なのだ。次回は≪愛≫について、知っている事を書く。
2004年10月20日
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日記のデザイン変えました。ゴチャゴチャしてきたので、新しいページを開設したものの、流石是は酷い。2003年10月28日~12月31日。高校時代と現在とを振り返る。1月1日~3月14日(誕生日)楽天内の人との交流で感じた事。3月15・16・17日。嘗て愛した君へ1~3.3に私の今年の顔写真入っています。是を、きっかけに、想起障害が直ったようだ。その後、共感を捨て、自分の考えを書き始める。大きな変化は日記を休んだ7月。自分の「好み」がはっきりしてきて、今まで平気で話していた人たちが気持ち悪く感じてきた。他人と自分の世界との壁が見えてきた。芥川龍之介の文学に触れ、自分以外でも、似た恐怖体験を持つ人を発見。(龍之介)物理を超えた状況を、懐疑主義の立場で、神秘主義になれない。量子力学、相対性理論を勉強中。そして現在。17日に、40年ぶりに宝塚劇を見る。子ども時代の記憶と感覚が繋がる心地よさを覚える。25歳の後の出来事が他人事の夢物語に感じ始める。最近、気持ち悪く感じない人と話す楽しみを覚える。違いが判るって楽しい。昨日、記憶がはっきりして来たので、数学と英語のトーイックの単語集を買う。想起障害、を患って良かったと思う事。≪好き嫌いの壁を越え、色んな世界の人々に交われた事≫習うより慣れろ。を覚えた事。得意な分野以外の反復練習での克服を覚えた事。苦手な数学に挑戦!中学から、数学の先生が、全員苦手な人種だったのが原因していると思う。英単語の語彙を増やす試みにも挑戦!高校の時、衝突した数学の先生は授業潰して自己批判させていた。ろく者じゃない。先生で苦手ができたのは、私としては不本意。知り合いで、40歳過ぎで医学部受験したおばあさんが居る。現在90歳過ぎている。今での時々、献血車に乗り込むようだ。連れ合いを亡くした後、職業の為に、医学を学ぶ。人生、死ぬまで、何が有るかわからない。未来は切り開く物。≪新しい自分のハッケ~ン≫の旅は続く。
2004年10月19日
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皆さんの一年はどうでしたか?楽天に移転して、日記を開いたのは9月28日、皆さんの日記に刺激され日記をつけ始めたのは、10月28日。一人の人に読んで貰う為の日記が、いつの間にか一人歩きして、自分を振り返る日記になり。変わって行く自分に気がつきました。書くことは、ヒーリング効果が有ります。過去の、精神的なブロックを受けた時点に戻ると、癒される効果が有るそうです。フロイトから始まった方法ですけれど、最近は、前世療法等も、静かなブーム。私は、過去世らしい物を過去幻視した事が有ります。そして気がついたのは、今の時代でも、同じ癖をクリアしながら生きている事。記憶の想起障害のときも、それ以前と似た恋愛パターンに遭遇し、2度目は、深追いせずに、クリアする事が現在自分を取り戻す時点に早く辿りついた気がします。こらから、どんな自分が見つかるのか楽しみです。25歳以前の感覚を取り戻した現在。少し不思議な事が起きています。価値観の好悪を取り戻した変化から起きているみたいです。25歳から最近までの事が他人事のように感じてきました。夢の中でも出来事のように、記憶がうすれてきて居ます。記憶が確かな内に、書き記しておきたいと思います。泡雪の新年の始まり。今年もヨロシク。
2004年10月18日
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先行き不安。今を楽しむ事で、この面持ちは消える。時々、何かに気をひきつけられたり、妙に気に成る人が現れたりする。男性であるか女性であるか。どちらの場合もある。人との出会いは、一方の力では成り立たない。多くの情がらみの争いは、この力関係が崩れた時に起きる。時に、自分の知らない人に過剰な関心をもたれることもある。その場合も、向き合えば、異常な関心は薄れ、自然とほぐれる場合が多い。拒絶すると、行き場を失った情熱が暴走して、事件に成る場合がある。子供の頃から、関心を持たれやすかった、私は有る時期から、関心を持たれ声をかけられたら、向き合って話すように心がけている。そうした、特別な場合は別にして、日常でお互いが理由がわからずに、引き合う事がある。日本人は、普通の親しさを表現するのが、下手だと思う。アメリカ人は、心を伴わなくても社交術を心得ている。私の場合は、アメリカ人と、中国人しか、大きく分けて言う事ができないが、日本は大変、閉鎖的だと思う。どうして、そうなるのか。≪情が深すぎる。≫お互いの距離が近すぎる。中間の付き合いができない。男女の友情は日本では難しい。では、同性とはどうだろうか?先日、劇場で大学からの友達に、刺し殺された人がいた。事情は判らないが・・・・。≪暴漢の場合は仕方ない。≫この場合も、ある程度気の強調が起きているが、本人に自覚の持ちようが無いからこの場合外す。劇場でおきた殺人事件。これは、日本人的な感じが凄くした。親子で有っても似た感じが有ると思う。親しさと憎しみが同居する。親子心中も非常に日本的。これらの現象は、近寄りすぎている。他人の人生と、自分の人生との混乱が起きている。少し話が飛ぶ。日本人は、キスの習慣が無かったのに、外国から輸入された。恋愛がキスから始まるのは、最近の傾向。口付けは、昔は不潔でしない習慣が有った。「虫歯菌が移る。」キスした事無い夫婦は存在していた。面白い事に、キスは恋愛の場合にしか、習慣が無くて、これも、学習で愛情の高まりの感情表現、として学習された表現方法。私も日本に生まれて、キスは本で勉強し、実践で試してた。唇を使って伝え方が判らなかった。教えてくれたのは、「英語の学校の女の先生」だった。あるクリスマスパーティーで、年越しのキスのとき、女の先生に、ディープなキスをしてしまった。酔っていた事もあった。その先生は、年配の人で、大笑いして、指導してくれた。唇を寄せる事で、感情を伝える。「挨拶のキスと、感情のキス。」沢山のキスをしてくれた。実は唇は非常に敏感な場所で、緊張が伝わりやすい。軽いタッチが一番思いを感じ取れるのだ。思い余った、キスばかりしていると、その事に気がつかない。気がついたら、キスの無い、セックスだけの付き合いに成っていた覚えは無いだろうか?本来なら、嫌いに成っても、軽いキスを出切るくらいの、距離から、始めるべきなのだと思う。日本は出あった順で結婚まで考える。キスの訓練が有れば、もう少し、ましな相性の結婚がしやすいと思う。この相性の合わない地獄の中での苦しみが多い。キスの習慣の無い日本の男性は、軽いキスを子どもに躾けてて居ない。女の子にキスする男の親は居ると思うが、男の子にキスする習慣がない。男同士でも、友情のキスは出切るくらいなら、感情が読み取れると思う。恋愛でキスをすると、唇だけでイキナリ、舞い上がってしまう、人も多いと思う。挨拶のキスは、口腔内の細菌を移さないキス。空気感染する菌は移るが・・・・。インフルエンザとかは。昔、テレビでお笑いタレントが、他人の赤ん坊に街頭でイキナリディープキスをした。「唖然とした赤ん坊とお母さんの顔」をみんなが笑っていた。これは、犯罪行為である。親以外の細菌を口腔内感染させている。親もできれば、「舌、唾液」は入れないように。生まれたとき、この世の習慣も、何も知らないで、≪人生≫と言う生存のスタジアムに立たされる。お互いが引き合う人との出会いには、恋愛とは限らない。お互いが、恋愛以外の関わりで生きる上の学習相手として、現れる。力関係が近い場合。冷静にお互いの個性を考えると、何を学ぶべきか見えてくる。学ぶより慣れろ。人付き合いには、訓練が要る。お互い共通の苦手を持った者が引き合うようだ。能力の近い同士で、切磋琢磨するのは、学校の勉強だけじゃない。一つ一つの出会いに、成長しお互い新しい扉を開いていく。正直に話し合うと、無駄な傷つけあう事無く、協力し合える。人間関係は恋愛ばかりではない。恋以外の、甘い信頼が有っても良いのではないかと思う。それぞれがパートナーと出合った時に恥らわずに紹介出来る相手が居る方が良いと思う。使い捨ての関係でない、男女の付き合いが有ってもいい。「基本的に女性は肉体関係があると、別れたら次の人です。」元に戻れるのは、娼婦的な感覚の人が多い。男性が、娼婦を買って、家に戻れるタイプと同類。男女とも、二心を持たない人種も居ます。情欲は家庭で、心は自由にするな関係かも。日本の多くは逆ですね。外で情欲を吐き捨て、家庭では清らかな我慢の恋愛を保つ。情欲を外に持ち出さない、パートナーを探している。年齢的に、可能性は高い。生きる可能性は後50年有るので、一人の楽しみだけでは勿体無い。(勿論、人生の残りがもっと短くても悔いは無いが・・・。)その為に、友達初めを練習し始めている。私の望む≪恋人に成る人≫は、ベッド以外ではよき友人で居る人を探しているから・・・。まずは友人の信頼関係の練習。今は人が鬱陶しく感じるので、まだまだ道が遠い。さぁ。次の扉まで今を楽しもう!
2004年10月12日
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アキラさんのコメントところで心理学者、或いは心理学を「勉強」した者は誰でもブッダと同じ境地に在るのか。宮城音也は・・・? もしそうならこれほど結構な事はありません。勉強すればみんなハッピー! でしょ?この世の中、「仏陀の悟り」の境地にたどり着いた人は、結構居る。昨日、偶々、そんな話が少し出た。色んな事の、先の見通し。私は、それを、「情報解析能力」と表現したところ。誰でも、科学(解析能力)とデータを持てば、その域に行ける訳ではないでしょう?その域にいける人を、「天才」と人は称するらしい。わたしは、「普通の人に判らない事が判る、特殊な事だと気がついたとき」には、その手段を捨てる。実は、そうした事を利用すると、自分の本来歩く道を失う場合がある。(特に金銭にまつわる場合。)ある程度の、覚醒した人は、覚醒した人の文章が理解できる。目指す方向性が見えるから。研究を突き動かす力の根源が見えるから。多くの人は、「その感覚」が無いらしい事を、昨日知らされた。宮城音弥は「覚醒」している人。の感じがする。勉強すれば、皆行き着けるところではない。少なくても、迷いからの抜け道を提示しているに過ぎない。天才と凡人の差は、一歩しかない。が、一歩の幅は、半歩を99里に数える超数学の世界と芥川龍之介の表現している。覚醒している人の、その一歩は、他人に説明できない。何となく、判る。としか言えないみたいだ。それで、千里の999里を科学で伝えている。仏教にしても、感覚的に捕らえる事は、色んな憧れや妄想の中に他人を巻き込む。体を痛めつける「修行を好む」のは、肉体の間違えた使い方。幻覚を起こす方法であることは間違えないが・・・。見る幻覚は、個人の人格による。肉体の苦痛を超える状態では、健康なビジョンを見るの事は少ない。不完全な美化が多い。科学の立場で、発言するのは、そうした、妄想、謎昧な世界に足を踏み入れない為の指針を提示している。科学者は、誰よりも神秘主義者であるといえる。神秘を感じなければ、科学の対象を失う。実に、外した、科学者も存在している。覚醒した人達は、その違いを読み取る事ができる。覚醒した仏陀も同じ事。悟りの道筋を説いたに過ぎない。彼の表現で。それを体制に利用したのは、凡庸な機構を好む一般の人。アインシュタインの発見を、核爆弾に応用したのは一般の凡庸な科学者。凡庸さは研究の動機に現れる。発見と利用は多くの場合別の動機で動く。最近の科学は、「研究の危険性を同業者」が意見している。一般の人には判り憎い。真摯な研究者は、研究を一時停止する、冷静さを持つ。欲に動かされる科学者は、興味のコントロールができない。覚醒した人は、そうした欲は無い。世の中「覚醒できる人と出来ない人」2種類の存在が居る事は確かだ。だからどうしたと言う事ではない。どんな場合も、お互いの利点を持ち合う事が大切だと思う。憎むべきは、凡庸な人が天才と思い込む妄想だ。こうした人は、多くの人を巻き込む。方向性を失っているからだ。
2004年10月11日
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あきらさんとのコメントが長くなったので、本文を使います。あきらさんのコメント心理に関わる事が即ち心理に偏ったことだと思うわけです。肉体だけに関わることが偏りであるようにね。人間は肉体だけでもなく心理だけでもなく、どうもその先の可能性を秘めた存在のようだということ・・・。まあしかし心理は心理として誰にでもある。波の無い海はないように。波に関する知識と理解を持ち、見て行くことに何ら問題無いでしょうが、波は波であって深みではないだろう、ということです。(2004年10月09日 13時13分)世の中正邪で動いているとは思えない。殆どが、個人の感じる「好悪」悪を好むと読まないように・・・・。好き嫌いの反応で、物事を選んでいる。昔、ギターのコマーシャルで流れていた・・・。「こうすれば、ああなると、判っていながら、こうするより無かったのは、要するにこういうわけなのです。」瞬間瞬間の判断は、個人の「好み」で理由付けされて動く。快感と感じる方向を無意識に選択している。上の、あきらさんの発言。人間は、肉体だけでもなく、心理だけでもなく、≪その先の可能性を秘めた存在。≫と判断する事を、選んだのは、あきらさんの≪好み。≫心理を波は波であって、深みではない。思うに、前提に、心理学を読むこともなく、予め決め付けた判断。どうして、そうした事が起きるのか・・・・。人は、何かを読むとき、多くの場合、自分の予期する答えを探して、文章を読んでいる。その道筋に合わないものは、受け付けない。「好悪」が先に働いている。これは、実存主義のサルトルの有名な「人間の特徴。」誰かに相談する時に、既に自分には答えが有って、それを後押しする言葉を捜しているに過ぎない。以前、カルトに嵌る人、を不思議に思っていた。どうしてこんな無茶な理論的でないもの頭に入れられるか?最近、量子力学、相対性理論の本を多く読んでいた。その時、気がついた。少しずつ、その理論を理解する過程には、その先の、説くべき問題に共感を予め持っていること。時間に対しての概念。不思議さに理論を探していた。カルトに嵌る人。予め、自分の好みと、その教団が謳っている事が、予め一緒。これは、悪徳商法に捕まる人も同じ。最近のオレオレ詐欺にしても、示談とか、自分に不利に成らないという選択、に動かされている。わたしは、あきらさんが、何を「深み」と感じるのか判らない。一人の人生は、貴方の物でしかない。誰かの為に自分があると思うなら、それは「自己顕示欲」が強く働いているに過ぎない。この事は、「善悪」ではなくて、「好悪」そうして自分が好きで実現しようとする力が働く。人の幸・不幸。人には、一見不幸だと思える状況を好む人が居る。そして、出来る事なら、自分以外のところにも。穏やか=退屈と思われているらしい。「穏やかな時間」より、生きている実感が有ると感じる人が居る。わたしは、色んな事件に巻き込まれ、翻弄されようとも・・・。≪穏やかな時間を好む。≫テレビで24を楽しむ自分は、穏やかさに居るから、楽しめる。むしろ、一見不幸な状態に置かれても、その中で、穏やかさを見出す。しかし、その中にのめり込み、不幸に生きている実感を感じる人が多いことも確かだ。それを、「深み」と言うのなら私は喜んで捨てる。風や、人と交わす言葉が心地よく響く状態に、心を置いていたい。それには、起きる事態の対処能力や、ある程度判断基準を他人とは違う独自の物を作り出す必要が有る。しかし、その根底の人間の心理はそうそう人間離れはして居ない。基本の人間である自分知ることは生き易くなる。自分仕立ての行き易い自分・・・。それを、個性と言うのではないかと思う。あきらさん。あなた一人の頭で考えるより、学者は結構深みのある人生送っている。それが、貴方好みではないかもしれない。知識は、深みを更に味わう手立てになる。謎昧な宗教の論理より、神秘的な世界が見える。なぜか、「惑わされる事を望む人の好み」もある。そうして人には、無理にお勧めしない。苦しみを好む人から、それを取り上げる事は、残酷な事でもある。
2004年10月09日
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>私の個人的意見では、容量の問題では無く、やはり、心理的なものではないでしょうか?その時点での自分にとって危険な・苦痛な情報に対しては、自動的にシャッターが降りて、無意識の領域の方に格納する、そんな仕組みがあるのではないかと思います。お話は、失礼ながら私にとってはとても興味深く、しかし同時に心が痛みます。alex99さん 私も16歳のときに妹を病気で亡くしたとき、あまりの悲しさ苦しさに耐え切れず、毎日心の中で「忘れる、忘れる、忘れる」と繰り返していました。>そしたら、妹のことだけではなく、いろいろなことで異常なほどの健忘症になってしまいました。でも、そのおかげで、苦しさも紛れたような気がします。ミケタンゴさん>「お帰りなさい。自分。」と喜んでいます。大切に隠しておいた、「たった1つの本当の自分」が残っていた感じがします。>記憶を失っていた時も、記憶を失ったと知る「自分」はちゃんとあった。ソレは失い得ない。ありがたいことです。(2004年10月07日 13時52分)アキラさん >お話は、失礼ながら私にとってはとても興味深く、しかし同時に心が痛みます。個人的な出来事に、興味を持って下さって、有難う。私の過去を書くことで、心を痛めてくれる貴方。きっと貴方も多くの痛みを経験したのでしょうね?わたしは、過去を描いている時。既に痛みは無いのです。≪私がこんな辛い目に会いました。≫と心の痛みを吐露しているわけではないので、嬉しく思うと同時に、少し恐縮してしまいました。描かせたのは、アレックスさんが記憶を失くす状態に興味を持ってくれたからです。そして、そうした経験を、≪私も楽しんできた。≫過去があります。最近芥川の文章に触れて、≪生まれることは、戦い方もわからずに、競技場に放り出されるようなもの。≫この表現に共感してます。42歳まで、精神病については、触れずに生きてきました。42歳から、芥川の置かれた恐怖と同じ状況を体験するようになって、個人的な出来事として、胸に置けなくなって来ました。振り返って、20代で体験したものと、似ているのですが、性質の違う物。と感じています。5年前、離婚を機に精神科の門を再び叩いて、神経過敏捷。躁鬱病。分裂病。沢山の病名を付けられるようになりました。しかし、同じ分裂病患者を見ていても、私と同じ恐怖体験とは、かなり違うのです。今年、芥川龍之介が、生前発表しなかった、人に隠していた苦しみ。「精神病と判断される事を恐れた症状」に良く似ていることに、救われました。物理的にありえないことを全て、幻覚と幻聴と分類して、分裂と判断されますが、芥川と私の体験は物理的に異常すぎます。認識の錯誤と解決するには、つじつまが合わないのです。そのつじつまが合わない世界で、正気を保つ方が相当な度胸が要ります。幸い、現在はよい薬で、≪熟睡≫をもたらしてくれる。是ゆえ、発狂を免れた。薬で、『特異体験は消滅しない』昨日描いた事で、いくつかの共感を戴いた事。嬉しく思うだけではなくて、やはり自分以外でもそうなるのか?と感じました。ミケタンゴさんの経験は。19歳の時に掛かった、健忘とそっくりです。原因を描くのは、少し躊躇いますが・・・・・。当時、毎日一緒に遊んでいた、6歳年上の男性、その人の家で、お酒で、体調を崩して眠った時に、レイプされた事です。今、自分の冷静な状態で振り返ると、≪お酒に薬を使われた≫気がします。当時は、ショックで、具合が悪くなったと思いましたが、3日間、お酒が抜け切れなかったのは、異常な状態だと思います。原因は、一緒に居ても、愛情を抱かない私に対して、彼が『体を重ねれば、心が得られる』と勘違いしていたからです。女性も、男性も、成長の段階で、自然と性を理解するわけでは無く。女性も、男性も≪性≫の扱いに悩むと思います。多くは週刊誌で情報を得た記憶が有るのでは?彼の過ち。性格が弱かったから、手段が卑怯。私は、彼の性格の弱さが愛せない理由だった事。彼は「孤独な気持ちを、私なら理解してもらえる」とわたしを求めていた事。私は、その気持ちを知って、彼を弄んでいた事。何故、≪彼は私が意識のある状態で私と性行為に及べなかったのか?≫この問題は後日、触れたい。レイプか合意か?この問題は、第3者には判断が難しい。私は、夜に彼の部屋に居るほど親しかった。その方法が、お酒で体調を崩して、『そんな時、手を出さないからゆっくり休んで。』と言われ、初めて気を抜いて、ソファーで熟睡して居た時、ベッドに運ばれて、気がついたときには、行為に及んで気がついたこと。お酒で、熟睡して居たとは言え、ベッドに運ばれる状態で、気がつかない程の状態は異常。13歳から、お酒に親しんでいた私が、酒量を知らなかったわけでないのに・・・。今記憶が回復して、冷静に考えると、お酒に薬が混入されていたと思える節がある。行為に移った後で、意識を取り戻した、第一声に「どうして?(私が)愛して居ないのに・・・。」と言う問いに。『愛はここから始まる。』と彼がまじめに答えた事。残念ながら、そこから生まれたのは、≪憎しみだった。≫私は、≪愛≫を知る前に≪憎しみ≫を覚えた。性について、無知なのは、誰も一緒だと思う。情欲や、セックスの快感は体験的に覚えていくのかもしれない。しかし、その求め方。残念ながら、遺伝的に伝えられるものではない。私は、自分の中で生まれた≪憎しみ≫の対処に苦しむようになった。憎しみが愛に似ていると思った。≪一時も心を離れない≫何処が違うか?心を離れない事が、≪苦しみを伴う事。≫≪憎しみ≫は相手を理解する事で、取り除く事は出来た。3ヶ月程、掛かった。私は既に、バージンではなかった。性に対しては、情欲としか、理解してなかった。性に対して、潔癖な意識は無かった。彼は、私に及ぼした影響を知らなかった。彼の卑怯な行為の後も3ヶ月程、毎日会っていた。関係が崩れたのは、私が彼に対しての憎しみを捨てたとき。喧嘩別れした。別れ際、私は彼に≪蹴りを入れた≫『よくも、足蹴にしたな!』『覚えてろ、必ず復讐してやる!』『俺の資産は3億だ。悔しかったらお前も持ってみろ!』当時彼は25歳。父親を亡くし、母親と二人きり。1800万のポルシェに乗り、麹町一番丁に屋敷を相続していた。仕事は、当時グッチ等の輸入を独占的にしていたようだ。彼は、私の学校の友達の中学の先輩として紹介された人。私は、子供の頃から、歯科大を目指していた。本人に意志ではなく、母親の方針。一浪し、2浪目の時、親に、取り敢えずどこかに籍を置くこと薦められ、歯科大付属の短大に籍を置いた。養護教諭、歯科衛生士、看護士の資格を得る学部に籍を置いていた。学校の友達は、歯科大受験の時後ろの席だった男の子。短大で、自分は、医療関係の仕事に向かない自分を発見し始めていた。私は、家に帰り、3億を作るシュミレーションをしてみた。正直、「医者は歯医者」では、無理だ。しかし、職業を考えた時。実業家の事を考えた。驚いた事に、私は医療系以外の仕事にプライドを感じなかった。「お金が動機」に成る様に育てられていなかった。医療に不向きな自分と、他の仕事。仕事から自分の居場所を見つける事が困難に成った。憎しみは取り除けたもの、≪我≫が喪失し始めた。取り除けなかったのは、傷ついた心。そして、何よりもそうした事態を回避できなかった、≪自分に対しての不信。≫女にとって、≪地位、名誉・財産。≫そんな物が何に成る?一回の暴力で、心がボロボロにされる。自分の進路に疑問が起きた。相手には、レイプの罪の意識は無い。彼は、喧嘩した後、彼の復讐をした後。(彼の子どもじみた復讐はいずれまた)尚、私に電話をかけてきていた。流石に具合が悪いから、と会うことは断った。実際、その後の体調の変化には苦しんだ。是が、わたしの健忘の始まり。ミケタンゴさんの忘れよう、忘れよう、としたら他の事も、健忘になった。と言う体験は、19歳のからの健忘と類似している。宮城音弥の著書の「心理学入門」を見ていただくと、もっと意識と心の違いが判りやすいかもしれない。あきらさんの言う、≪記憶を亡くした自分を知る、自分は失われない。≫心理学では、出来事に対しての≪適応反応≫を≪心≫というらしい。心という。独立した≪物≫として考えて居ない。生きている限り、この反応は、脳で言葉として認識するかは別として、存在していると思う。アレックスさんの言う無意識の領域。≪潜在意識≫に、≪開かなくなった、記憶≫は落ちない。潜在意識は、私に、憎しみを産ませた、超自我の領域と認識している。私は、彼を愛を感じなかったが、嫌いではなかった。顕在意識では理解できない。≪もう一人の自分。≫取り戻したもう一人の自分。本来の自分。と私が称したのは、≪潜在意識。≫≪無意識の領域≫の自分と≪顕在意識≫が繋がるようになったと表現した方が良いかもしれない。私の、潜在意識と切り離された、その後の人生が、この≪潜在意識≫と顕在意識の自分の関係を普通の人より、わかりやすい状態に置いたと思う。西洋人と東洋人は心理が違うと言うカウンセラーのアドバイスが会ったというが・・・。心理というものを、脳の適応反応と理解すると、精神構造に置いて、構築の仕方は東西の歴史の違いが有ると思うが、生理的な適応反応≪心理≫には、東西と違いを感じないのだ。人間という、生物。特徴的なのは、≪過去と未来を夢想する。≫他の動物には見られない特徴だと思う。芥川龍之介の(シュジュの言葉に同感)アレックスさんの「心の痛み」と私の痛みは違いが有ると思うが、どうして、他人のことに痛みを感じるか。男女の違いを超えて、人は、「生きる上で、痛みを伴わないで生きる事ができない」からだろう。私は、「一人一人」という考えが基本だが。生物学的な「人間の探求」には他人との協調を喜んでいる。そうでなければ、「宮城音弥」の研究。芥川龍之介が、「後代に託した探求。」私自身の、特異な体験が、自分自身にも意味を持たなくなる。私は、自分の体験は特異ではあるが、「人間の反応」としては特別と思って居ない。だから、人間である事を楽しめる。もし宜しかったら、一緒に探求しませんか?お互いの経験で、普遍的な「人間の特性」を見つける楽しみを・・・・・。
2004年10月08日
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テレビで、記憶することが出来ない病気なので、テープレコーダーや日記で記憶を補助している男性の物語を見ました。泡雪さんは、それとはちがって、過去の記憶が一時とぎれたのですね。心理的な葛藤があったのでしょうか?でも、記憶が甦ったようでまずはよかったですね。それがための問題もあるでしょうが。人間は現実に満足できない時は、夢や夢想・想像で代償できることもできますね。アレックスさん。記憶をなくすこと。確かに、葛藤が原因に成りました。でも、そうした事態に、追い込んだ自分自身に対しての、自責の念が強かったと思います。自分自身を、守りきれなかった自分。自分を傷つける場に身を置く自分自身の選択。そうした自分に対しての不信感が、自分の進路に関係する、記憶を取り出すことを無意識に阻害し始めたのだと思います。そうした症状を、治すために、多くの心理学に関する記事を読んでいました。脳に引き出しのようなものがある事に気がつき始めました。まず第一に、却下したのは、フロイトの精神分析です。彼は、全て、過去の心の傷や、性の衝動を動機に、心を分析しているのが、自分の体験と重ならなかった事。最終的にフロイトの本を放り投げたのは、フロイトの経験で、奥さんの贈った本が、引き出しの中に有って、長年見えていなかったのが、ある時、その本を思い出したら、引き出しの中で見つかった。彼の出した結論は、見えるのも、幻覚なら、見えないことも幻覚。そうした、分析が、結果的に物事を何も解決しない事。それと、彼の夢判断の類の物は私は見ないことです。空を飛ぶ夢は、5・6歳迄見ました。同時に、落ちる夢もその頃悩まされましたが・・・。性と結びつけるのは、その夢の状況がかけ離れていました。ただ、彼の治療法で、有効なのは、暗示に掛かった、時点を思い起こすと、暗示が溶ける。これは、かなり、事実に近いと思います。19歳の頃の健忘は、不思議なのは、自分に進路に関係しない、学習は記憶に取り入れるのです。学校の学習は覚えたつもりでも、試験で浮かばなくなってしまうのに、他校の学生の代筆レポートの内容は、かなり記憶できていました。代筆請け負った、友達の学校は日大の歯科。心理学の教科書が「宮城音弥」先生の本を使っていて、彼の著書に驚きました。その本の内容は、「人の言葉の裏側の心理」でした。この科目は、当時、日大の教科書に使われただけなのか?宮城音弥先生が、教鞭をとっていたかは、判りませんが・・。この科目だけ、代筆がばれない、内容を書く自信がありませんでした。その科目だけ代筆レポートを断りました。そして記憶に強かったのは、本文よりも、その先生が心理学を研究する目的でした。時代は、まだUFOを見たというだけで、変人扱い。まして、心霊はタブー。彼の心理学の研究目的は、「虫の知らせ。」「枕元に死に際に知人の元に夢枕に立つ。」など、心霊現象を科学するすることでした。今日でも、子どもの教育書にアドラーやユング、フロイトを読む人が居ますが、日本に、「宮城音弥」と言う優れた、精神医学者が居るのに、心理学を学んだ人達には知られていますが、一般にこの先生の知名度が低いのが疑問です。あれから、27年経って、彼の著書はかなり優れています。記憶を直すのに、症状の1つとして現れていた聴覚が選択的にしか、音を拾わなくなっていた難聴を治すのに、耳を鍛える為に英語の専門学校に行ったりしました。両親が旅行中に、昔の感覚が一部戻った時に、兄弟に精神病院に入れられた事がトラウマになり、再び自分の感覚に蓋をしてしまいました。完全に取り戻していたら、避けられた事です。子供の頃から、他人と少し違う自分に自覚が有って、他人に自分の思ったことは殆ど口にしませんでした。母親はある程度、普通より感が良いのを認識していて、人の道に外れる事は大変厳しく、戒められて育てられています。母親以外には、自分の思ったこと等は、正直に話したことがありませんでした。精神病院を3ヶ月の観察の後、兄弟の思う異常は発見されず、わからないと言う診断を出された後。偶々、行った慶応病院の皮膚科の予診で、バイトしていた、医学生とお付き合いするようになり、精神科に偏見の無い人で、結婚話まで、発展したのですが・・・。相手の家庭に、突然の経済危機が起きました。その事は、私としては大きな問題ではなかったのですが、相手の口から、『お前の家がもっと金持ちだったらな~。』と口から漏らしたときに、目の前が暗くなりました。一瞬体が強張りました。若いの頃は、経験が少なくって、少しの事で全てを判断します。結婚を決意するほど、相手を受け入れた後に『この結婚は不幸』と判断しました。その瞬間。身を裂くような、別れに耐えて、生きる自信が無くて、自分に記憶を失くす暗示をかけてしまいました。数字を逆から、数えて、1つづつずらしていく。わたしは、当時の理解には、記憶と言うのは、引き出しのように成っていて、その引き出しの蓋をずらして、開かないようにイメージしました。実際それは成功して、字も読めず、意志の疎通が出来無いほどになりました。ただ、自分のかけた暗示の解き方がわからないのが不安でした。目の前にあった、黄色とオレンジのゴルフボールに出来れば、是をみて、戻れるよう、祈りながら・・・手に握り締めていました。何年も、そのゴルフボールを見ながら私は何を忘れたのだろう?と問いかけていた事があります。どうして、そうしたのか判りません。だた、子供の頃から、無意識に訓練していた事があります。コインのチョコレートを10枚。お留守番した時には、必ず親がくれた物です。そのチョコレートを最初、10から、数えるのですが・・・。途中から、1つ数を飛ばし自分を騙します。最後、もう無いはずなのに一枚現れる。と言う楽しみ方をしていました。テレビで取り上げられる、記憶を失った人たちは、脳の損傷による障害が多いです。私の場合、心理的な自己防衛がモタラシタ、記憶のブロック。最近、コンピュータを使っていると、脳の機能の故障がどうして起きるのか、理解しやすくなりました。別れた夫が、良く打鍵が早すぎて、PCが二度と作動しなくなり、入力したデータが全て引き出せなくなる事がありました。人間の脳の似た事が有るのではないかと思います。容量を超えた状態になると、フリーズしてしまう。問題処理の許容量の問題が有るのではないかと・・・。話はすこし、飛びますが・・・・。宮城音弥の本で紹介されている、例として、狼に育てられた、少女の話です。狼の母親の乳で育てられた姉妹。発見された時、4本足で逃げて、捕まえるのが大変だったそうです。妹の方は、人間界に戻れず、死んでしまったそうです。姉の方は、徐々に人間界を理解するようになったそうですが・・・。どんな人生を送ったのかは公開されてないようです。まだ生存しているのかも・・・。人間は生まれながらに、人間に成るわけでない事。人間の世界を学習して人間に成っていく。その過程で、色んな情報の整理や、適合を学習していく。私が、記憶を取り出せなくなったのは、病気なのか?私という成長の過程なのか判りません。ただ、そうした事が生き方を作り出したのは確かです。いつの時も、その時の自分を楽しむ。「私は、そう感じるのか~。」「さて、この事態をどうするか?」と常に、新しい自分の発見を楽しむように成りました。早い時期に、死ぬまで生きる事以外自分に重荷を課して居ません。若い人を見ると、若さの美しさには、みんなと変わらず、羨ましさを感じます。でも、その美しさと引き換えに、もう一度悩み苦しむか?と訊かれると、「NO」です。生きるごとに、楽しみ方や問題回避が上手になっています。やっと、ここまで来たのに。若者よ、頑張りたまえ!君たちはこれから。とエールを送りたく成ります。記憶を取り戻す事は、生き方が楽に成ります。より自分自身に合った物事の選択ができる様になりました。そうして、昔の出来事は、自分で有って、自分で無い、過ぎた日の思い出。出来事でしか有りません。今は辛くないのです。そしてお陰で今の自分がある。取り戻したのは、自分自身の本来の感覚。25歳の別れ以来、人を愛した事は有りません。愛する心を探す旅をしてきた気がします。今、自分の取り戻して、自分が何が好みか判る様になって来ました。「お帰りなさい。自分。」と喜んでいます。大切に隠しておいた、「たった1つの本当の自分」が残っていた感じがします。
2004年10月07日
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泡雪は、19歳くらいから、自分の過去を段階的に思い出せない病気になった。当時、母親に相談したところ、精神科を信頼して居ない母親は、家族で直そう、と病院を訪れ無かった。恐らく、そうした病院に関わる事で、精神的なハンデを追うことを避けたと思う。兄弟は、その事実を知らなかった。両親の海外旅行中に、自分自身の一部を思い出したことと、神様の事を話し出したことや、周りの気が見える話が兄弟をおどれかせ、両親の居ないときに、総合病院の、精神科に観察で入れられた。両親は帰国後、「兄弟で決めた事だから仕方ない。」と言いつつ、養母はこの事を非常に怒って、後に次兄からから聞いた話では、病院を選んだ次兄の妻を精神病院に観察2週間入れたらしい。養母の私への偏愛はこうしたところにも現れている。そうした事で、24歳の時に、病院と縁を持ったが、私の記憶を失っている事は、時間も立っているので、病院のドクターには話したことが無い。現実、事柄を思い出せるようになったのは16年ほど前。記憶の感覚が繋がったのは、去年。こうした事は、取り戻した時に忘れた居た事を思い出す。この変化が自分にもたらしたことは、19歳までの、自分自身の好みの感覚を呼び覚ました。この2年、人間関係を持たず、ひたすら、自分の感覚を取り戻す努力をした。以前、「こんな人たち、死んでしまえばいい。」と思った話を殊更書いたのは、実は、今年まで、そうした気持ちを持った事が無い。それは、記憶を完全になくした、25歳の時、見舞いに来た母親が、『寒かったので、パジャマの上に、服を着てきてしまった。』と私に舌を出して笑った。私は心の中で、「だらしの無い女だな~」と思った。そして、その感じる自分の心に、罪悪を感じて、母親に聞いた。「悪い事って、心に思ってもいけないの?」母は、一瞬戸惑って、『そう、思ってもいけないわ。』と答えた。記憶をなくす事は、自分の基準を失ってしまう。何が良くて悪いか、そのことは認識している自分は有ったとおもう。ただ、その扱いがわからなくなっていた。母親と私は、子供の頃から、色々話した。そんな質問は、母親にきつかったと思う。「心に思ってもイケナイか?」しかし、その時期、答を複雑にすると余計私を混乱させる。母親は、いつも彼女の答えの重さを知っていた。そうした経緯で、最近まで、他人に対して、心に荒い事は、考えにが及ばなかった。32歳で会社を辞めた時、お金の工面に苦労した。う~ん。思いつくことを、結構遊び感覚で受け止める。色んな発想を楽しむ。こんなとき、「親が死ねば遺産が入ると思う人の気持ち判るな~。」しっかり、まだ生きていた母親に心で謝る。(既に父が亡くなって一部受け取っていた。思うところ有って、手をつけたくて長女に預けていた。)その度に、色んな感情を学習してきた。その時に成らないと、判らない感情って多い。今年、自分本来の感覚を取り戻して。最近、特に男の好みが判ってきた。街行く人で、男の人を気持ち悪く感じる事が多い。何ヶ月か前、好みでない男性(会話が合わない)と話すのも限界に成って、「失せろ!」と言ってしまった事がある。そうした言葉ではないが、結果は同じ。結構、我慢効かなくなった。あら?最近一人に慣れて、男嫌いに成ってしまった?独りの気楽さに慣れている自分に危険は感じるが・・・。と少し悩んでいた。ところがテレビで、小田和正を見たときに、声、話し方、顔全て、良く夢に現れる人達と、感じが似ていた。夢に現れる人は、一人ではない。色んな男性と夢で会う。全員嗜め上手。上品な、親しさの示し方を教えてくれる。実際には見たこと無い人たち。その中でも、最初に登場した人。に似ていた。最後に現れたのは、顔に火傷を負った人、指も中指を亡くす怪我をした人だった。夢の中ではロスさんと呼ばれていた。私はその人物に「愛」を感じた。五体満足でなくても、愛せる自分に驚いた。それは、顔や体ではなく、瞳に現れる知性が魅力。声、話し方。その口から出る言葉。そうした事が問題に成る。周りを取り巻く環境は・・・・ここでは言わない。(かなり恵まれた環境ではある。)その怪我の為に、女性との恋愛経験が少ない事に尚感激したのを覚えている。女性遍歴。男性遍歴。そうした事に拘る心理の根底は、女性も、同じなのかもしれない。それは、心が「過去の女性に傷ついて、」見る目が歪んでしまっているのを懸念するのだ。自分に対しては、他人との比較ではなく、有るがままを見て欲しいと望む気持ちが有るのではないだろうか?最近、自分でも知らなかった自分の好みに驚く。男性嫌いになったのではなくて、好みがはっきりしてきた。最初に登場した人も、怪我を負ったロスさんも、両方、知性的で、雰囲気が「小田和正」に似ていた。夢は、現実の埋め合わせる代償行為と言われている。わたしは、「夢のマトリックス」と呼んでいるが、結構幸せな夢を見ている。親から、「あんたみたいな欲がない人間、他に見たこと無い。」だと言われたが、ホント、結構夢で満足している私って変かな?
2004年10月05日
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自分の周りは、耐えられない、異常がある時、ネットに書くと解決が、早い。それは、個人のメッセでも良い。電波を使うと、どうすれば解決つくかインスピレーションが沸く。この何年、警察を呼ぶ事が多かった。毎年一度は、呼んでいたが。犯人と出くわすと、やはり警護の為に連絡するが、それ以外の紛失は、警察を呼ばない。殺人でもない限り、今の警察は、一応捜査本部は置くが一年で解散するし、相手の指紋。手袋の後等、残っていると、被害者の五本の指の指紋を取られる。コンピューターのハッキング、トラッキングに会ったとき、朝、不審者が部屋に入ってきて、テレビを見ている私と出くわした。ネットで、これから、薬を飲んで寝ると書いた、一時間後だった。その日は眠れず起きていた。二日後、知り合いに迷惑メールで、警察に訴えられた。その時のやり取りで、私のほうも、二日前に、警察に別件で届けを出しているのに、この二つの出来事は、警察では繋がらないのだ。被害者と同人物が加害者として訴えられている。当時、トロイの木馬も少し認知され始めた頃。でも自分が攻撃を受けて、リモート操作されたことを関連つけるには、余りにも知識を持っていなかった。電波は遮断され、私からは自由に出られなくて、一方的なメールと、私の返事が、送信欄でやり取りする関係だった。その、相手とのやり取りに、唯一アクセスしていたHPの持ち主のメールアドレスが利用されていた。電源を取り込む、ネックを痛めたと送信すると、『現在のものは、府警もOKなので、補強してつかってくれ、』返事が入った。おいおい。私は、トラッキングされている状況を快くは思って居ないのに・・・・。何とか、打開策を独りで探っていた頃。電線から、パルスで侵入されていると感じたが、その頃無線の電波と言う事が一般の認識だったので、誰も信じてくれなかった。それから、一年半。現在、電線で光ネットが普及し始めている。財布盗難?のSOSを出してから、≪色々な事が、重なって≫ネットから遮断された。携帯からのアクセスも制限された。銀行のATMも異常な反応。細かい異常は余り、自分でも気に成らないよう、部屋は有る時期から、綺麗に片付けないようにしている。微妙な違いまで気がつく環境では、神経が持たない。トラッキングされた時に、気がついた事は、PCのこの性質は、自分が被害を受けるだけではない。私も、外部にSOSを送れる手段を得た事に成る。ファィルの中に、文章を極力入れないようにした。盗まれて困る物無い状態に置いている。今回、ネットから切り離された生活はかなり不安だった。そうした時期は、何か自分が自分の頭だけで考え無ければならない状態にある。いくつか、考えた。特に母親と自分の関係。そして自分自身。考えられる限り思い浮かべた。周りで、カラスが鳴き。白い大きな鳥がかなり上空を東から西に飛んだ。よし、ネット繋がる。7羽くらいの鳥の群れが苦くの字で同じ方向へ飛んでいった。結構こんなタイミングで、事が動いてる。その日、午前中は繋がらなかったが再度試した。OKでした。土曜の朝から、木曜まで。遮断されていた。寂しかったよ~!今日、「世界の裏側を見る男。」を放映していた。アメリカの、スターゲートプロジェクトの人。ジョー・マクモニーグル。と彼の話によると、情報の断片の受け取り、組み立てると言う。その情報は、何処から?人間そのものが、コンピューターと同じ、発信受信するものと思っている。PCが人間の能力をまねた物と言って良いかも。PCを使う事で思いを言葉に翻訳する作業がある、発信能力を高めると私は思っている。
2004年10月02日
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