2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全10件 (10件中 1-10件目)
1
お久しぶり。他のページでこの文章見かけた方、ご容赦下さい。数日前。姉蛇が・・・。「21日。午前11時、新橋演舞場。海老のスケ行く?」「はい。行きます。」いつも、場所と時間が指定されて、行けるかどうか打診される。結果を先に言うと海老蔵の出演する物ではなかった。演目「西太后」見た感想・・・・・。舞台装置は素晴らしい。脇役も良い。畢竟それだけだ・・・・。食欲も失せる舞台だった。どうしてそんな最悪な舞台を見る事に成ったのか?なんとも、主役の役者に≪華≫が無い。醜いものを見てしまったような・・・・。とても、苦痛だった。「演目」は当日にならないと、良く判らない。あえて訊かない。21日。朝、電話で起こされる。『車で行くから、コーヒー落として、もって行くように、途中お弁当を買っていくから・・・。9時出発。判った?』3~4キロ車を走らせると、東京都に入る。多摩川の橋を渡るたび・・・・。「いや~東京はいいね~。」「皇居が有るからかな?」『いや、土地の力が初めからあるんだよ。』『首都がおけるのは、日本では京都と東京しか無いと思う。』家族で、私だけ、東京の学校と縁が無い。横浜はどこか、もの哀しい。2キロの距離で横浜市に入る。東京に対しての憧れは無い。目と鼻の先に有る。が、「東京の良さ」が非常にわかる場所に住んでいる。橋1つ隔てると、行政の違いか、土地のエネルギーの違いか・・・・。風景が変わるのだ。芝居舞台・見学は、子供の頃から、「縁」がある。小学生の頃から、親からチケットを渡され、劇場に行く。親は同伴しない。子供同士で行く。「ウィーン・少年合唱団」の公演を見たの小学生の頃。映画では、合唱団の公演中に声変わりを起こした男の子の代役を、その場で、他の生徒が気がついて「ソロのパート」のカバーに入る友情物語もあった。銀座の姉の店にチケットを取りに行く。自分でチケットの購入をしたことが無い。その時、「初めて演目が判る。」海老蔵が居ない。そういえば、名古屋で襲名披露とかの、誰かの日記を見たぞ!なら、どうして、海老蔵の名前が?「私演舞場は始めてだ。」『あれ?歌舞伎見たのは?』「アレは歌舞伎座。新聞社の招待券貰ったのだけれど、席が悪かったので、結局お金払って、S席取ったのよ。」『自分でチケット買った事あるんじゃない。』「当日、招待券が割引券になるので、一生の内、何度も見るものじゃないから、良い席で見たいからね。」「その時は中村何某の襲名披露だった。3歳の初舞台の日だったよ。」とんと、芸能事情は疎い。が、歌舞伎座で見た経験は歌舞伎が目に美しく、一日別の世界に身を置ける楽しさを知った。「日本の伝統芸能」は、素晴らしい。『先に入ってって、入り口まで車回すから。』弁当や、飲み物で荷物がいっぱい。歌舞伎系は時間が長い。4時間位。弁当をもって行くか、場内にある食堂で簡単に弁当を食べる。それが、≪幕の内弁当の名前の由来≫と思われる。テーブルのある席が一番価格が高い。姉が席について間もなく開幕。幕目の休憩時間。姉との会話。「どうして、あの女人が主役をしているのか判らない。」『え~?女の人居ないよ。』「いや、唯一主役の西太后が女優らしいの・・・。」それに、天子の弟役も女優と絡みのせいか、役がイマイチ華を失っている。姉がパンフレットを取りに行く。『本当だ。藤間紫。』『そういえば、この人猿之助と結婚したんだよ・・・。』「だからって、こんな退屈な芝居を主役張ってよいものか?周りの脇役で持たせているけれど、見るのが苦痛。」『帰ろうか?私はいいよ。』「一生に一度の事だから、こんな酷い芝居見るの初めて、何が不味いか検討してみるは・・・・。でもどうして、主役を男の人だと思ったの?」『藤間紫って女優は子供の頃から知っていて、好感は持っていたけれど・・・。テレビと舞台では違うのね。』「舞踊の世界の人ではないかな?泣きの入れ方と恨み顔だけは理解しているみたい。そこだけ芝居になっている。清朝の存続は確かに唱えていたと思うよ・・・。大儀としては、でも、女優がその大儀を理解してなくて、きくのが辛い。言葉が入ってこないんだ、経緯を聞いてあげなくては成らないのが疲れる。」『歌舞伎は男の世界と思い込んでいたのと、舞台に現れたとき、ずいぶん≪おじさんっぽい女形≫だな~と思ったのよ。』『それと、声がだみ声で訊き辛い。』「台本はそれほど悪くないと思った。でも、台詞が理解されて居ないみたいで、聞くのが辛いのよ・・・・。」「余程、私が変わって演じてあげたくなったよ・・・・。でも私の最大の弱点が思い出されて・・・・。≪台詞が覚えられない・・・・。≫70歳近くで、3時間以上の演目の台詞を≪暗記≫するエネルギーだけは褒めてあげなくてはね。」次の幕間。『京劇の動きを取り入れているのだと思うけれど、動きが大雑把で、老人性の痙攣みたいだね。』西太后が母を捨て、女を捨てる経緯はわかるけれど・・・。西太后。女官をはべらせて、体は性器を切り取って居ない宦官を侍らせて、禁欲した女性ではないのよね。サド・システィックなレズっぽい顔しているんだよね。落ちぶれた、血族で、結婚を反対されたのにもかかわらず、宮中に入り込むには、確かにブスだけれど、不可思議な色気を持っていたのよね。生まれがふさわしくない劣等感が、皇帝の死後、彼女に権力への執着を動機つけたものなのだけれど・・・。男に権力を譲らずに、権力を握る時の色気は・・・・。藤間紫の演技は。泣きや恨みは、女郎の嘆き!女帝の権力の表現がなんと・・・・。≪水戸のご老公さまに成っている~!≫≪悪代官に成っちゃったよ~!≫最後は、≪威厳を手中にした・・・・大魔神だ~!≫舞台装置が素晴らしい。脇役も素晴らしい。畢竟それだけだ・・・・。≪主役を変えろ~。≫歌舞伎の男でもう少しましなのが居るだろう?後日知ったのは、猿之助の為の演目として、「西太后」が用意されたらしい。彼は、今病気?物凄くお金の掛かった、舞台装置と衣装。お願いだから、せめて「女に見える主役」を代役にしてくれ。性別は問いません。朝御腹が空いて気分が良かったのに、芝居が終わったとき、食欲も失せて・・・。弁当も食べ終わらなかった。姉に仕事相手から、催促があり、別れて一人で銀ブラする事に。ホテルのロビーも落ち着かない。縁者の飯屋で、腹ごしらえ。葬式で会った、親戚の子が挨拶に来て食事代を取らなかった。子供は記憶がいい。かろうじて名前を思い出した。有り難い。食後喫茶店に入る。こぎれいな女の人に並んで席を取る。彼女の顔見知りが声をかけてきた。A『待ち合わせ?』B『そう。待ち合わせ』A『久しぶりね、これから仕事?』そうそう、彼女達は≪銀座の女≫今日見た「西太后」に決定的に欠けていたもの。≪色気≫C『一本ボトル2万として、50っ本は売らないと・・・。」彼女達の東京での生活を支えるには、一人、百万から150万はお客にお金を落とさせないと成り立たない。人をひきつけて、権力を握る者。に必要な、≪色香≫が無かった。写真を見る限り、西太后は美人ではない。でも、淫蕩を好む≪レズ≫の顔が浮かんでいる。外国と交流があり、写真が残っている。煙草はキャメルを好んでいた。権力にしがみつくには、相当な執着心を持たなくては成らない。蛇のような人を射すくめる、妖艶さ。銀座の女には中性的な不思議な妖艶さがある。「銀座の西太后達」を見て、かなり満足してきた。喫茶店を出て直、ドトールを発見。銀座版ドトール。中央どうりに面している。これは、入らねば・・・・。コーヒー380円。普通の2倍以上だが・・・2階のフロアで。ゆったりとしたソファ~。二人の女性が、くつろいで話をしている。沢山空席があるのに、隣に席を取った。転職する人と、会社に残る人のうち開け話。宦官や女官の「奉公先替え」の話を聞いているようだった。彼女達は、転職を苦と思って居ないようだ。仕事の姿勢はどこに行っても自信が有るようだ。A『15日で辞めると、住宅の補助が半額らしくて、それで、半端な20日になったのですよ。こちらに来る時は、10日に辞めて15日から出勤で引越しが大変でした。』B『私が始めて転職した時は、飛行機に乗る前の夜11時まで、残務整理してた。ワープロの無い時代で、切り張りがどうしても、馴染めなくて、全部手書きで、年度報告書作ったのよ。』A『海外に行かれたのですか?』B『そう』彼女達の転職事情を知りたくなった。辞職した翌日、職場の先輩と話をしているのは、どうやら、次の職場での心の準備のようだ・・・・。転職するのは、いろんな意味で、職場の魑魅魍魎に負けて居心地が悪く成ってのこと。影で、どんな噂や、どんな人物が動いて、自分が居心地悪くなったか、検討して、次の職場で、負けないノウハウを経験として持って転職する。人間関係が職場では一番の「転職要因」みたいだ。そして、彼女達は逞しい。次の仕事先を決めて、仕官換えをやってのける。最近の「リストラ族」とは少し違う。最後に、宝石の話になった。大きな職場には、宝石商が出入りしている。彼女達は自分の褒美に宝石を買う。『今日の担当、波長が普通で買わなかったのよ。』『やはり、売り子で、買うタイミング決まるわよね。』『人畜無害は味が無い!』『どうせなら、この人から買ってあげようと思わせる人居るよね~!』西太后は宝石で、箱庭を作った。宝石である意味が無いような、ツマラナイできばえ。生まれが悪いと、宝石を手にしても、使い道がわからない。海軍の費用で、イワエンという、隠居先の別荘に、石で出来た大きな軍艦を置いたことでも有名。他人の趣味を笑うと自分も影響されてしまう。西太后の箱庭を見た後、ピンクや緑の水晶や瑪瑙でつくれれた、「葡萄の房」を買って帰ったのを思い出す。銀座の女官は・・・。彼女達は、自分の労働の遊びとして、石を買うらしい。アクアマリン。オニキス等。石が自分を呼ぶといっている。4万から8万くらい。汗水流した労働だから、「この石」を選ぶといっている。もし『あぶく銭なら、全部ダイヤを買っている』と言っているのがほほえましかった。再び銀座の街並にでて、清朝の都にタイムスリップした気がした。6年前、バイトしていた、一丁目の広告代理店も交番で聞かないと判らないほど、姿を変えた。いつの世も、栄えた都は、こんな風景だったのだろう新橋から、京橋までの街並みを、今の姿に移り変わって、昔から変わらないのは柳の風に吹かれる街路樹?大人の世界と思って居た、銀座を自分の目で眺め始めた。不況の日本と言われたこの年月も、銀座は息を続けている。シルクスクリーンを120万で売る、≪イナカ者≫を馬鹿にした店も有れば、(売り手もイナカ者。)新しく刷った日本の木版画、現代のエッチング作品などを、1万から、4万で売っている店も有る。銀座は、良い品が、値段相応で信頼できる品揃えが嬉しい。私が買ったのは、トイ博物館で、量り売りの「グミ」。食べながら歩いた。貝をカラフルに模様の描かれた、「生きたヤドカリ」が玩具やで売っている。世界中のタロットカードも売っている。楽しい~!この町はいつもイナカ者丸出しで、歩ける楽しい街。見物する為に有る町だから。銀座はいいな~!又行こう!日本の都。美しい都。
2004年09月22日
コメント(1)
この数日の覚書を入れておく。9・1169~70歳の男性に、難破される。自由が丘へ、一緒に飲みに行く。室井 何がし氏。夜7時ごろ。9・122時就寝。14時起床。室井氏と、映画に行く。3時半に横浜で待ち合わせ。ホワイトジンジャーの花を、前日のお礼に渡す。華氏911を観る。場所・マイカルみなと未来。夜 7時の回。席 劇場4 E 列 18・199・13日。初めて、癒しを行った、ク~チャンと食事。焼き鳥屋に行く。隣の男性に絡まれる。生きた幽霊みたいな奴だった。く~の悲しそうな顔で我に返る。この日、起きている時間。前日12日の14時に起床。27時間目に、ク~と連絡。29時間目 19時30分ごろ、合流。32時間目 21時30分頃。その店の常連客の一人と、膝御交えた話す。織戸なる人物。前世の記憶を持つ事で悩む。サイパンで、旧日本兵の将校の霊と話をした記憶など。その人物の、エネルギ~を少し、大気に放出させる。かれの悩み。「霊たちの訴えをどうして良いか?」次回まで宿題とする。少し、大気に戻したので、彼は少し楽に成ったはず。鎌倉・箱根など。関所や、古戦場で多くの霊を見るらしい。かれの前世は、1495年。11月。神奈川・川崎・久末にて、槍でつきころされたらしい。東京で生まれているのに、その場所に引き寄せられたと感じている。15日。午前1~2時。服薬して、35時間ぶりに就寝。15日温泉に10時頃起床。テラスの机に・・・・・真新しい、芥川の本。ガ置かれている。ダイソーの、芥川シリーズの一巻目。こうした、物質の移動は@要注意のシグナル。午後、姉と友人と箱根へ。帰り道、私の会話の中で私の知らない情報。田中・真紀子さんが、外務大臣の頃。金正日のご子息が、密入国しているのが発覚したらしい。ディズニーランドへ行くので、何度か、偽造パスポートで、日本に入国していたらしい。真紀子さんは、速やかに、退去を願ったらしい。姉と友人は、真紀子さんは、子息を拘束し、人質と好感するべきだったと言う。外交能力に欠けるといって居た。私の記憶には、この密入国の情報が無い。やはり、少し、時空の違うところに来たようだ。ダイソーの第一巻は、河童の世界が収録されている。16日、午前0時~1時ごろ。地上に揺れを感じる。どこかで地震が有ったのか?最近、地震を感知すると、眩暈の状態になる。ベッドに入って、薬を飲み割るれて居る事に気がつくが、面倒で、今日はそのまま眠る。いつもは、薬を飲まないで疲れて眠ると、熟睡できないので、(半分覚醒している)薬を飲んで、再度寝なおさなくては成らない。一度目醒めた後。16日朝の睡眠は、6年ぶりに、薬無しで、熟睡した。体(脳の機能)の変化が少し起きている。芥川龍之介との共通点。作品「歯車より」自分以外の、私を目撃して居る人に出会うこと何度かある。私自身は、出会った事が無い。もう1つは、起きた時に、スリッパの片方がどこかに消えている。自覚のない物質移動。理性的に理屈をつければ、夢遊病。が。少し違う。今回は自分の持ち物がテーブルに置いてあったが。(12日購入の、予備の他人に渡す芥川の本。)こうした事の。最初の、異常を感じたのは・・・・・。ほぼ十年前。白い靴型の小銭入れにしまっておいた、親の形見のダイヤの指輪が、4セントに変わっていた。最近では頻発している。例えば。時としてもって居ないはずの、5千円札とか落ちている事もある。この解釈に、私はパラレル宇宙論を採用している。私の知らない、大騒ぎされたニューズ。金正日の、子息の入国事件は、「要チェック」だ。この世界のキーポイントかもしれない。伊勢神宮の後の眩暈がしいて、9月5日あたりの地震の後に収まった。以前居た、「鬼の世界」から、少し時空が又ずれつつある。この世界。宇宙の情報を少し取らなくては・・・・・。16日今朝は、7時半起床。振り返って、14日の日が存在して居ない。少し探そう。********失われた13日を発見。夜、17時ごろ起床?と言う事にしておく。21時に、秋刀魚定食を姉と食べた。姉は、鯖の竜田揚げ。く=との食事は14日におしだされた。その日の起床通し時間。29時間に訂正しておく。記憶の日にちが埋まった。後は、時空列を整えるだけ。脳の記憶で、時間は認識される。「私の宇宙」と「われわれの宇宙」は少し違っている。
2004年09月16日
コメント(2)
価格のつけ方の基準。天然に存在している、いかなる珍しいものでも、価格はつけられない。例えば、動物の内臓に出来た、毛玉。そのもの、自体に価格をつけるのは無理だ。しかし、その毛玉に、人間が、薬用効果が有ると、みなし他人に煎じて飲め。と用法用途考案、運搬費用。パッケージや商品に見せかける費用。信じさせる為の広告料。販売要員経費。取引手数料。等を計算して、金銭の授受の価値が決まる。天然の物に対して、人間のサービス・労働が加わって価格が決まる。金銭の必要性。衣・食・住・趣味等に必要な品、サービス等を受ける為の、労働交換権。つまりこういうことである。日本の国土で、有っても、使い道の考えにくい、河川の土地。人の行かない、山奥の土地。坪単価百円単位の値段でも、買い手がつかない。もし、強引に価値を見出すとすれば。1・土地所有者の資格が必要な項目の書類を埋めるための≪土地としての道具。≫2・もしくは、所有権を得たと言う満足を満たす。人間が、生まれてきて。人間であることで、何らかのお金を支払い続けられる。それが、ミルク代。オシメ代。保育賃金。子守料。これらは、保育の労働に対して、支払われているのではない。その子供の存在に価格をつけて、提供されている賃金だ。それ故に、生まれた子供の生産者の価値観によって、養育に支払われる、金額が変わる。*******職業欄の書き込みにいつも悩む。昔、職業欄にサラリーマンなる、項目は有っただろうか?事務員。工員。経営者。土木業者。医者。弁護士。教師。等の細かい区分が有った気がする。外国並みに、マネージャーエンプロイアンエンプロイこの三つに分かれたのか。フリーター経営者。サラリーマン無職学生この四つに分けられたようだ。被扶養者と言う項目が亡くなったようだ。以前は被扶養者と言うのも、職業だったかの立場を得ていた。専業主婦。子供はその代表だが。最近犯罪者の職業欄で。17歳。≪無職の男性。≫と言うのが気に成った。昔は、20歳未満もしくは、年齢を過ぎていても、誰々の子。何某。と未成年には保護者の責任が付きまとった。現在では全ての人間に職業は適応されるようだ。さしずめ、乳幼児は。愛玩動物業。飼育観察被実験者等の職業欄の埋め込みはどうだろうか?学校へ行っていれば、≪学生≫と言職業。雇い人。スポンサー親。役割、夢の実現代行業。浪人。親のすねかじり業。予備校生。取り敢えず、夢の実現業の2軍待機。一般専業主婦。(甲種)掃除。洗濯。食事まかない。専属売春。一般専業主婦。(乙種)掃除。洗濯。食事まかない。子供飼育係。 特別・専業主婦家政婦の所持。家事の代行が許される。育児の雑事の代行業を雇う事が許される。役割。夫の仕事の息抜きの一切。仕事への活力を与える。近年。特別専業主婦が消え。女中のような、妻帯者が増えた為。その労働力は、外の仕事に変換され、専業主婦の職業は衰退してきた。このように、生きているものは、何らかの職業役目を負って生きる事を許されている。職業欄に。ウエトレス。営業職。イラストライター会社役員。エキストラ。無職(専業主婦)無職の欄。これでは、芸が無い。どのように口を養っているか。行けず後家の立場(処分不可能な在庫・死ぬまでの人間維持費所持者・遺産管理者)親の恐喝業。(生産責任者である自覚を持たせる)女性の紐。(雑用マネージャ業。性欲処理請負。)男の紐。(遊戯同伴・生欲処理請負。)乞食。(托鉢)廃品回収業。人間生きている上で何か存在を売っている。全ての人の一部として。書き込みたい≪誘惑≫にかれれる職業がある。職業欄 病人・障害者売っている物。哀れみ。支払い者。慈悲の心を有する全ての人ビト。役どころ。≪慈悲≫の具体的な実現対象者。
2004年09月13日
コメント(3)
泡雪の日記を10月の28日頃から、まじめに書いた炎とのやり取り目的だった。一段落した頃、日記を休もうと思った。すると、ある女性に恋を打ち明けられて、再び日記に向かった。年の暮れに、「恋」と、「執着」の違いに気がついて、思いっきり、振り切った。その後、炎は、受験モードに入って、私の過去を振り返る日記は、100話あたりで行き詰った。仲間が欲しくなって日記で「炎の日記」を紹介した。同じように気に入ってくれた、音楽に詳しい仲間が出来た。メッセージ欄の為にダセイで書き続けた。ある時、その仲間と話していて、予想外の答えに、相手を汚い物でも、見たかのように罵ってしまった。彼は若いのに自分に正直に生きてきたので、私より、老成した部分が有って、父親に甘えるように、胸を開いていた。自分の言葉に成らない感情を巧く言葉に代えてくれて、とても、頼りにしていた。色んな私の質問に正直に心を話してくれた、彼にとっても、私の罵りはショックで、一時日記を辞めてしまった。そして、お互いの心の距離が出来て、ストーレートに話が出来なくなって、寂しくなった。子供の頃からの私のテーマ。≪人は愛し合いながらどうして、傷つけ会うのか?≫を思い出した。その仲間と言うより、「心の友」は新たな気持ちで、再び楽天に戻ってくれた。互いにお互いの日記を読むことで、今でもお付き合いは続いている。そんな経緯で、ある時、過去に唯一、「結婚したかった男性」の事を思い出してから、私の日記は又、変化してきた。「嘗て愛した君へ」彼との出会いと別れは、24歳の時。3・4ヶ月の出来事。実に、私が、19歳男の友人との事故で過去の記憶が消えていく心の病気に罹ってから、28年後のその頃、初めて直った。直った時、記憶の喪失してた事を思い出す。「記憶をなくしたときには、何を忘れていたかも、忘れている。」母親以外、19歳の頃から私の記憶が薄れていく事を話して居ない。24歳の恋愛を捨てて結婚しない事を決めた時、その先、生きる自信が無くて、自己暗示で、完全に記憶を消した。19歳から、心理学の本を読んで記憶の回復を探っていた私に、記憶を消す事は簡単だった。でも、自分で掛けた暗示の解き方がわからなかった。再び現世に戻れるよう。祈る気持ちで数を後ろから数え始めた。そして、1つの数字をずらして、数える。記憶の扉に蓋をした。文字読むことも計算も出来なくなっていた。私の≪第二の人生≫は文字を認識し思い出す事から、始まった。言葉を取り戻す事。人格を失った私の顔は崩壊した。鍵を振り回した看護士に犬猫のように扱われ、殴られた事もある。自分の置かれた環境を理解して、殆どの時間をベッドで過ごした。その頃から、数えて24年。19歳から24歳に何が有ったか全て思い出せるようになった。最後に失った全ての記憶が戻って、何を失っていたか。はっきりした。≪出来事に伴った、「感覚」。≫私自身の本来の好みを思い出した。私が過去を失う病気になった事で、良かったと思えたことは、色んな階層の人と付き合えたことだ。距離のとり方も学んだ。この一年。他人に自分を伝える過程で、失っていた自分を見つけてしまった。予想外に展開になった。その日を境に生きるのが楽しくなってきた。時々「死にたくなる思い」も蘇った。時々「死にたくなる思い」は、人間有って当たり前のこと。無い方が可笑しい。「心の病気」と「精神の病気」は、私の中では違う。心の病気は、自分で癒して治すしかない。その時折、色んな感情を感じ取れる事を健康だと思う。1つの感情に囚われないで、居られる事。愛した人と別れる決心をしたとき。自分が暗示に掛けて、封印した記憶は、「自分の愛した相手がどんな人」で有ったか。その人物を思い出す勇気を持ったら、最近の記憶と子供の頃からの感覚と一本の筋をなした。19歳の頃から失った、子供の頃の「出来事に記憶」は32歳の頃に取り戻していた。母親の生前に、「お互い過去を謝り会う事」が出来た。が、何かが欠けていた。その何かを「嘗て愛した君」を思い出した事で、人間として大切な、「好き」という感情の「感覚」を思い出した。一人一人の違った、感受性。「好悪」の価値観で、個性が形作られると思う。≪私は私を取り戻した。≫自分の本来の、位置。0の地点を。今、自分が子供の頃から、「何が嫌いで何が好き」だったかはっきりわかって、生き易くなった。≪愛を捨ててまで、一緒に居る事を断念させた物≫は何だっ薬で、治るのは精神病。心傷は、自分で時と共に癒すしかない。傷を癒す事は、成長すること。死ぬまでには、生まれた時より、「ぴかぴか」に魂磨きたい。日記を開いていて書くモーチベーションになった原点の「青い炎の日記」優しい仲間。マリージョーさんSEAの風さん。ブラジョンさん。アイリーさん。楽しい読み物のネココさん。陰口仲間のたまゆらさん。傷つけてしまった、大切な友ぱきゅん。今でも大好きです。今直に思い浮かばないけれど、その他多くの人たち。失礼。道々思い出します。健忘症は治ってません。是は直りません。天然です。最近頼もしく色々教えてくれる。アメリカ在住のコージーさん。最近知り合った、エリオンさん。沢山私の興味ある事に関して、教えてくれる人たちに出会った。泡雪の日記は、雑記帖の部分が多くて、最近来た人には読み辛いだろう。と常々感じている。漠然とした対象に書いているときと、当事者にしかわからない文章が入り乱れている。日記は自分のその日感じた事、思ったこと等で書くから、記録としては意味を持つけれど、いささか、公開日記として奇特な訪問者に少し整理した形にしなくては、と思うこともしばしば。いつ辞めようかと思いつつ、この日記はこれからも、雑文の置き場として、存続させる位置づけにして、別の日記を開く事を計画している。この日記は、他人に知られる形で「私が思ったこと、感じたこと」を生まれて初めて書き始めた文章。芥川龍之介に行き着いた、経緯の足跡が残っている。芥川龍之介を文章に向かわせた、≪最大の人生の謎。≫奇しくも私の人生の謎と同じだった。≪人は愛しながら、どうして傷つけ会うのか?≫わたしは、今。芥川の残した、 「侏儒の言葉」に出会って、彼の残した結論と殆ど同じ多くの答えを持ち始めている。なわけで新しいページを計画中。新しいページを開いたら、開いた事だけ知らせます。皆さん探してみてください。判る人には直判る、HNで書きます。タイトルはこの日記では明かす予定有りません。誰が見つけ出してくれるか楽しみにしています。この日記は、交流目的で雑記のまま存続させます。これからもヨロシク。お詫び、正月にお約束した絵。もう暫く時間を下さい。「秋の風景」以外は構想は固まりましたが、気が集中しません。ダビンチ並に遅筆です。「いつか我死ぬ時」「宇宙」「和製ケンタロウスの性交の悩み」タイトル未発表。と言うより、皆さんそのことは忘れているかも。受け取り予定の人に嫌われてしまったとは思います。そのテーマは必ず完成するつもりです。その時には連絡します。この「4つテーマ」が今年の私の興味の方向を決めていました。作品完成後、余りの遅筆で引き取り手を失った時は、ここで里親募集します。
2004年09月12日
コメント(2)
私が、先生の名前を記憶したのは、小学生の頃。我が家は、夕食のあと、一時間から2時間くらい、食後、ご飯を食べ終わった茶碗にお茶を注ぎ、御しん香を摘まみながら、座談会を開く、習慣が有った。議題はいつも、母親の目から見た世間談が中心になる。その中で、石原慎太郎なる人物観が印象に残っている。母曰く。慎太郎なる人物は、世に「太陽族なる者」達を認知させ。この一本の作品で、世渡りをしている。大変「嫌世的で、尚且つ右翼。」私にとって、「我が母なる者の人物像」は、大変偏見に満ちた物の見方をする人。それ故に、「偏見の目から、自分を守る術を無限に知っている、頼もしい人物。」私は、この母親の、「転ばぬ先の杖」に守られて、「劣等感」を知らずに育った。私に最近まで理解できない感情「嫉妬」という言葉。まだ、この世の空気を何もせらない私にとって、「慎太郎」なる人物は大変魅力に満ちた人だった。そして、作品を読んだ事が無かった。が、意味も無く好きだった。理由は簡単。私の独断と偏見に満ちた「男性の顔の好み」の1つに入っていた。私にの世の不思議の1つとして、俳優で有った弟君「裕次郎」成る人物より、はるかにハンサムな「慎太郎」先生が役者に成らなかった事。子供の視点は大人の考える目を違った価値観で世の中を見ている。視覚的な「好悪」である。親との会話、説教?には、未だ知らない、世の中の用語に「解くべき人生用語。」に満ち満ちていた。「右翼と左翼」私は、子供ながらに思った。≪両方揃えば空を飛べるのに≫、どうして喧嘩するの?この「慎太郎」先生。私の人生に唯一「芥川龍之介」に重なる誤解の幸運。芥川龍之介と慎太郎が重ならなかった。文学にもとより、興味の持たなかった私は「芥川賞」の持つ意味も知らず、「太陽と芸術」の関連において、ジェームス・ディーンの主演の「太陽がいっぱい。」ジェームスディーンも若くして死んでいる。都知事になられた、後。テレビドラマで・慎太郎さんの作品をみた。「太陽がいっぱいの映画が重なった。」私は芸術成る物を崇拝した事は無かった。私が絵描きに憧れたのは、「芸術を求めたからではない。」私はカネガネ、目に映る。自分の目に見えるものに疑問を持っていたことだ。それは、中学の理科の時間こうした事実を知ったから。目に映るものは、目が光なる情報を頭が分析して、「物が見える。」生まれながらの盲目の人が、人間として意識を持った後に、手術によって、目が見え始めると、暫くの間、光の情報分析が出来なくて、世の中が光の渦に見える。つまり、こういうことだ。コップという形を目が認識している自分と他人では違った形に見えているかもしれない。見える見えないについて考えると、写真は意味を持たなかった。写真は、機械的認識。脳の処理を経て居ない。そんな事を漠然と思って居たある時、渋谷の西部百貨店で、モネの絵にであう。「嬉しかった。」私にも風景がそう見える。特に、「朝日の中の麦だわら・夕日の中の麦だわら」是は私に孤独から抜け出すヒントをくれた。私が、本を読まない決心をしたのは。夜明けまで、受験勉強をしていた、小学生の頃。明けていく、空に有る重大な事を気がついた。その日まで、私は学校の課題で、「夜の花火」を書くとき、黒のクレヨンを使っていた。明け行く「夜の漆黒」は黒い色ではない事に気がついた。計り知れない、「深い藍色」。その日私が発見したのは、夜明けの色の移り変わり。ピンク・黄色・青に移り変わる、そらのい色の線で引いたかの時間の移り変わり。濃紺の空が明るい空の色に変わるとき、別のピンク黄色等のそらの水色以外の空の色を持つ事。そして考えた、どうして、夜空を「黒だと思い込んだのか。」それは、「文字なるものを読んでいたから。」その朝顔を洗いながら心を躍らせながら思った。≪子供だと赦される、時間の間に、出来るだけ現実を体験しよう。≫わたしが、「慎太郎さんを好み」に思い、尚且つ文学に目覚めなかったのは、色んな偶然に拠る。何よりも、中学生の時にふと日記を付け始めたとき、日記を学習塾に忘れて、「文章が素晴らしいという塾の講師の判断により、」他人の前で読み上げられた事実。文章なるものに自分を書いたら、「恥をかく事」になる。何が恥か、それは「包み隠さない、自分をさらけ出す事。」「私自身を知られる事が恥ずかしい。」これは、何よりも恐ろしい事になった。それ以後、わたしは、「自分の思った事」を親以外に話したことは無かった。考えた事を書くことは別に恥ずかしくなかった。「感じる事、と考えた事、は別である事を知っていた。考える事、これは、「世とのすり合わせ」感じる事。「自分自身の個人的な感覚」これらは、全て、私の子供時代の文章に対する考えです。そして、慎太郎様。私がなにより、嬉しかったのは、「慎太郎様の絵の個展」を見たとき。テーマは ≪ケーオス≫日本語に訳すと ≪混沌≫子供に、この≪混沌≫という言葉を理解させるのは、難しい。少なくとも、22歳の私は、「ケーオス」なる、言葉に悩んだ。英語の単語の学習にストップを掛けてしまった言葉。わたしは、慎太郎さんの作品の中に、2・3時間身を置いた。貴方の作品をプロモートしたした画商の陶酔した、「慎太郎様への信仰。」の思い。作品の良し悪し、ケーオス成る物を理解してもおらず、お付き合いで、作品を買う人たちの、正直な気持ち。作品を見ながら、私はイザナギ・イザナミを感じ始めた。そして、絵の中に、「因幡の白兎」と発見した時。「ローシャッハの心理テスト」を思い出した。そして、その絵の中に、「国粋なる精神」、「右翼」なる言葉で評価される「カテゴリーの言葉」に含まれる、感覚を理解した。お付き合いで買い求められた方。一枚、「300万位」と値ぶみした、「価格が安いか高いか、」私は、世の基準を知らないが。私には、これほど優れた、「神社のお札」を見たことが無いと思った。眺める内に、「貴方の潜在意識」に働く作品。と私は、評価した。私が中国に絵の勉強に行く、直前の事。慎太郎様が母親を亡くされた年、私も母とお別れしました。慎太郎さんが苦手と思う中国の空の下から。慎太郎さんのご自宅に「クリスマス・カード」を送った。神道では、「年賀状を交換しない年。」慎太郎様に「愛の神の祝福」を送った。慎太郎様の住所を知っていたのは、職場で知りえた個人的な情報を使った。≪申し訳ない≫。その「カード」は届いただろうか?母親を亡くした寂しさに慰めに成っただろうか?喪中に喪を汚すと思わないで居てくれただろうか?「明けまして・メリークリスマス」同時期に「母親を亡くした悲しみ」が、私にカードを送らせた。何もしなければ、常識・非常識を測られることは無い。が、非常識を犯しても、慎太郎様に慰めの言葉を掛けたかった。「貴方の母親を失った悲しみ」と私の悲しみ種類は違っても、≪寂しくなる。≫と言う現実は変わらないと思った。今でも思う、あれは、失礼に当らなかっただろうか?そして、「異国からのカード」は手元に届いただろうか?昨日、テレビで貴方の顔を見た。人生の違う舞台に立ちながら。共通項は。≪レッツ・プレイ・テニス≫ですよね。訂正とお詫び。私の記憶の弱点は、名詞を覚えられない。私は、ジェームスディーン成る役者が嫌い。嫌いのカテゴリーでこうした間違いを犯したようだ。嫌いでない役者。アラン・ドロン「太陽がいっぱい」の役者はアラン・ドロンだったかもしれない。そうでなければ、犯罪が未完成に終わったこの話に、同情を感じなかっただろう。この話に死を印象つけたのは、役の中の「アラン・ドロン。」主役の名前は覚えて居ない。恵まれた育ち故に殺される。人物。と成り代わろうとした、主役。「アラン・ドロン」には、老け行く「美しい顔の役者」の職業に哀れみを感じたに過ぎない。若いときの美しさに勝る、年のとり方は難しい。
2004年09月11日
コメント(2)
最近やたら、本を読んでいる。活字中毒、の仲間入り。どうして、文学少女では無くて、良かったと感じたか。最近、初めて芥川賞作品に触れるようになって、「違う~!」と感じて、本家本元の、芥川作品を開くようになったからだ。「いや~!こんな美味しい物が日本に有ったなんて。」この年まで、触れないで良かった。日本に生まれて良かった~!「マザータング」でしか味わえない物がある。外国ものは、所縁エッセンスのみ。先ほど、最近ご贔屓の古本屋で、話をしていた。「古本屋って、いいですね。」普通の本屋に行く時には、既に読みたい興味の対象が有って行く。目的の本を買うために行く。それと、偶然自分に合った本を手にしたかのように、『出版業界の陰謀』で、手に取らされる本が多い。古本屋の魅力は、「こんな本が世の中に有ったのか?」と思う本と出合わせてもらえる。最近ご贔屓の古本屋。実は、しっかり捕まえられている。店頭の百円で出している本に、「世の中こんな本が有ったのか?」という面白い本を沢山買った。今日古本屋の店頭の百円は意図が有って、出されている事を知った。初め、その古本屋で本を手にしたときに、嬉しくて、こんな良い本百円でいいのですか?と御亭主に尋ねた。『いや~。本は面倒で、読みませんわ~!』「狸オヤジ~!」偶然でこんな「黄泉出」のある本揃うか~。が、文学青年の心意気なのだろう。「心に飾り無く女性同士の会話」と「サンタクロースが父親である事を隠す」、父性の違いを感じる。だから、男は信じられない。^^今では、店の奥で値段を見ずに本を探すようになった。良い古本屋の魅力は、「駄作が少ない。」今日選んだ本は、「前世療法2」(1は4年ほど前に読んでいる。)「量子論を楽しむ本」「ここまでわかった宇宙の謎」最近はアインシュタイン系、宇宙系、量子論に嵌っている。文学系は、私にとって別枠。「ブック・何某」なる古本屋は、単に本を安く買えると言うだけで、本来の古本屋の魅力が欠けている。この本屋に行くと、本などを買うことが悲しくなる。紙の洪水に埋もれて、一山百円の紙くずを買う気に成る。古本屋はリサイクル・ショップかの印象が最近多いが、本来、アンティーク・ショップの楽しみ方が良い。奥さんに最近「芥川龍之介」に嵌った話をする。「この年まで、読まなくて良かった~。」と言った所。『どうして?』と訊いてくれた。「若いとき読んでも良さが判らなかったと思う。」と答えた。人生の荒波、苦さ、それでも生き抜いた実感が彼の作品の特異を彼の天才たる由縁を感じる事が出来る。若いとき、触れたら太宰と混同する、輩が多く出るだろう。暗い「闇の中に、光を見出す。」否定できない、人間の不幸な習性を赦しあう優しさ。私がいかに、文学と離れた人間であったか。な・なんと!直木賞・芥川賞以外、川端賞は聞いたことあるような、有っても可笑しくない。が、太宰治賞が世に存在していた事を初めて知った。と言うのも、『芥川龍之介』は、国語の本以外ではもしかして、親の与えてくれた本に、子供用のダイジェストが混ざっていたかもと思う程度しか触れて居ないが、私にとっての感想は、「弱さの無い完璧な人」の印象で、「蜘蛛の糸」等説教臭く(抹香臭い)感じていた事。挙句に自殺か?と「子供ながら」の片手落ちな読み方しかしてなかった。で、前回の最年少受賞者の作品の印象と芥川の作品の距離を感じたときに、「文壇」なるものの選考基準に興味を持った。うんで~。「1.300円もする。ユリイカなるものを恐る恐るてにした。」小学校高学年の時に、「本を勤めて読むのを辞めよう」と大いなる?決心をした時から、今日まで、暇つぶし、情報収集以外に、活字を読まなかった。小学校の頃は、親の推薦本。幾度と無く、入院や療養生活の折に、その後、長女の乱読した本のお下がりを目にしていた。その中で印象に残った本は、カフカ?の「メルヒェン」。松本清張先生、司馬遼太郎、その他の本を読んでも、文学にそれほど、興味が無かったが、『芥川龍之介』を読んで、文学における『芸術』が何であるか初めて知った。それは、子供の頃からウニ以外のお刺身の嫌いだった私が、20歳の時、小田原のすし屋で、「マグロのお刺身を生まれて初めて美味しいと感じた瞬間に似ている。」「いや~文学っていいものですね~」(映画評論家の真似)古本屋の奥さんにダイソーの百円の芥川シリーズを絶賛して、読むように薦める(丁寧な語句の解説付きが読みやすい)私は、古本屋に有った芥川の文庫本を全て買った。学生の頃プラトンの「饗宴」を読んで、15・6年後。再び、読んだ時、最初文語体で読んだ時と、かなり違う印象を持った。芥川作品も、原文とかなり違った部分があるものを読んでいる気がした。ダイソーの本に収録されて居ないもの、原文確認をする為に文庫を買うことに。「侏儒の言葉」を手にしたときは嬉しかった。古本屋はいいな~。
2004年09月09日
コメント(3)
今日は、朝から、芥川龍之介の作品を読んでいた。前回、芥川龍之介の自殺について、触れたとき、経歴と河童の全文を読んだだけで、書いた。それ故、彼の自殺の意図が、「漠然とした不安。」母親の精神疾患。自分も狂ってしまうかの、恐怖。この3点だけで、判ったかのような事を書いた。ダイソーの芥川シリーズ、3巻全部読み終えた。特に好きだったのは、「侏儒の言葉」天才や~と思わせた。こんな、頭したたら、苦しいだろうと思った。今日は「歯車」から読み始めた。1・2・3巻あるが、わたしは、気が向いたタイトルから拾って読む。今日全て読み終わって、彼は既に恐れを超えて、発病していた。「死か発狂」か2者択一しかなかった。この時代、入院は生きながらこの世を去ることを意味していた。死までの生きた屍の収容所だった。狂人が戻る事は殆ど無かった。わたしは、この2年ほど、分裂病の薬を試している。6年ほど前、極度の緊張状態で、精神科の門を叩いて、薬を服用する、間に分裂病の症状、幻覚・幻視・妄想(ありえないと言う意味で)を体験するようになる。その恐怖の体験は、体験した物にしかわからないと思う。「歯車」には、その状態がつぶさに描かれている。以前、私には精神科と言えば、常識から考えて「異常であるか・正常か?」と言う認識しかなかった。しかし、分裂の症状は、現実の世界に可笑しな出来事を自分が体験する、「ミステテリー・ワールド」の住人になる。私の場合、私のみならず、傍に居る他人も、同時に巻き込まれる事がある。(同時にこの世ならぬものを見る。)他人は私から離れると、元に世界の時間に帰れる。正常か・異常かはどうでも良く成って、このミステリーワールドから、抜け出す道を探す。芥川龍之介が自分と似ていると思ったのは、幽霊のような、怖い物を見ないところ。現実的な異常を描いてしまうところ。河童と言う作品には正常な人から見たら、「こう見えるだろう」世界を描いている客観が凄い。狂人で無い状態を保つのには、「現実と河童の世界」を分けて生きる冷静さが必要。近年、良い薬が開発されて、幸いにも、私は「発狂」を免れた。分裂症状自体が起きても、日常を過ごせれば、それほど怖い物ではない。が、耐え切れずに発狂しそうになる。「この違いは説明に難しい。」が、日常他人と平穏に暮らせれば問題が無い。が、最後「自分」を維持するのに限界を感じると「狂人」の世界に入ってしまう。≪恐怖≫と戦う精神力の勝負かもしれない。現在は、薬で、大脳を休ませる薬がある。神経の情報伝達物質(ドーパミン)をブロックして、思考停止させてしまう。充分大脳を休養させるのに、死ななくても良くなった。薬が切れれば、「正常な思考回路」を取り戻せる。若干の幻覚「芥川龍之介の場合、透明な歯車が見える。」や、「不思議な偶然の重なりのタイミング」を、現代は眠って外していく事が出来る。≪偶然は不思議と偶然を呼び≫、現実の世界に摩訶不思議な世界を見せられる事がある。不思議な出来事を体験する事は必ずしも異常ではない。これらの薬は、麻薬中毒患者の脳の解剖から、ドーパミンをブロックする薬が開発された。世の中、シンナーやアルコール・薬中毒の人は世間の「クズ」のように言われるが、そうした人が居たお陰で、病人を助ける薬が開発されたのは、世の中生きている人に無駄な人生は無い。と感じさせる。あの時代、未だ、薬は開発されて居ない。睡眠薬がせいぜい。「睡眠薬では脳は完全には休まない。」今日。全巻読み終わって、芥川龍之介にラブレターを書こうとしたが・・・・・。店じまいの呉服屋で、(最近和裁に興味を持っている。)反物を物色した帰りの喫茶店で・・・・。やっと、タイトルに繋がる。振りが長くて、時々着地しないまま持ち越すのが泡雪の悪い癖。≪漫画のような人生の一こま。≫今日は、アイスコーヒーに百円足して、「アイスマロン・某」なるものを注文。おまけに、果物の載った、ケーキを注文。なわけで、プラスチックのトレイに乗せて席に向かった。席の近くに成って、何故か片手で持っていたトレイが傾いた。トレイの上の大きなグラスが面白いように、倒れた。スローモーションのように、壁際に座ったご夫人に肩から浴びせかけた。グラスの飲み物が綺麗に無くなるまで、私は固まっていた、浴びせかけられたご夫人の顔もまた、思いっきり嫌な顔(当たり前だ)の後、憎憎しげに「なんて奴だ~!」と下から斜めに私を見上げたまま固まっている。全て流れ落ちるまで、二人とも動きを失っていた。カラに成った、グラスを建て直し、トレイは綺麗なまま、コップの口がはみ出した形で倒れ、こぼれて居たのだ。テーブルに荷物とトレイを置き、店のカウンターに走った。店の人が乾いたタオルを持って飛び出したのだが、私はもう一枚濡れたタオルを絞ってもらった。アイスコーヒーなら、茶色いシミが激しく残っただろうが、肩に浴びたのは黒いティーシャツ。グレーのズボンに濡れたタオルで、当てるも、不思議と茶色に染まらない。私は「申し訳ございません。」と勤めて、腰から足元に濡れタオルを当てた。シミを抜くつもりだった。「冷たくありませんか?なにか新しいものを買ってきましょうか?」とズボンのすそにタオルを当てながら尋ねた。そのご夫人に、私が飲み物を浴びせていた時の険しい顔はもう無かった。『拭いてくださったから、もう結構ですよ。帰って直洗いますから。』『滑りやすいですからね。私もいつしてしまうかわかりませんから。』と穏やかに答えた。座っていた座席は、勿論床までビショビショ。店の人が席を移動するように薦め,私の隣に席を取り、御夫人は残りのアイスコーヒーゆっくりを飲んだ。「人生滅多に無い出来事で。私も驚きました。」「なんと、お詫びしてよいやら。」私は、お詫びの気持ちを何とか示そうと、途中買った、ぶどうを勧めた。軽く遠慮せれた。勿論ごり押ししない。席を立つ時、その女性の方も買い物袋を沢山持っていた。せめて、お詫びにとテーブルの上のものを運ぼうとすると、丁度居合わせた、店の人が下げてくれた。最後にもう一度お詫び申し上げた。生きているといろんな事に出会う。こんな馬鹿馬鹿しい、普段ありえない一こま。偶然おきる事故、偶然出くわす出来事に、落ち着いてお互い対処できれば、(被害者の彼女はついてない一日と思わないでくれれば、と加害者の私は祈る。)私の周りは「どうしてこんなに良い人ばかりなのだ?」と出会う人に恵まれる事に幸せを感じる。不思議な出来事、偶然もそれほど怖いものではない。病的な時には、出来事の側面を不幸な事と重ね会わせる。幸せな時にも、不幸な時にも、時々の「偶然は偶然。」出来事をあんまり、関連つけて考えない方が健全に過ごせる事を思い出した。人間の一生を、運命付けると、予想と違った答えはそれほど出無いと思う。わたしは、最近流行の「必然的なものの考え方」に注意を促したい。「人生は掘り下げるより、何が有るか明日を眺める勇気。」狂ったら狂ったらでよい。狂った人生も味わうが良し。そして、潔く死ぬも良し。どちらも自分の選び。と芥川先生に思う。その時に成らないと判らないが、私にも似た思いがある。この次、癌を発症したら、延命行為(治療?)はしないと決心している。助かる見込みが強ければ、手術するかも。芥川作品にふれたことの無い人に、伝えた置きたい事がある。芥川龍之介は、「自殺願望型」でも。「厭世家」の人間では無かったこと。それでも、自殺を選ばねば成らない理由が時としてある。芥川龍之介は、体の枯れるまで、種を落とした。死神に追いつかれないよう、最後まで一生懸命走った。最後、追いつかれた。彼は、「敗北」と悔しがった。悔いの無い様、力(意識の確かの間に)尽きるまで種を残した。文章を書き始めて、2年しか経たない私に、「私は芥川に成る。」と思わせた。(ゴッホになると言った方の真似。)種を沢山蒔いて、この世を去った。そして、其の種が芽生える事を信じて、この世を去った。≪眠りは死よりも愉快である。少なくとも容易には違いあるまい。≫龍之介にとって、「自殺は容易」ではなかった。脳が枯れなければ、もし体の一部が先に枯れるぐらいでは、死ぬ理由にはならなかったと思う。死を賛美する自殺願望者と一緒にして欲しくない。「芥川になる。」三日坊主の私がこの気持ちを持ち続ける事は奇跡に近いが、一瞬でもそう思わせる、確かなものをこの世に残している。現在は、死ななくても脳の休めるかなり良い薬がある。「人生はあけて見なければ判らないキャンディーボックス。」フォレスト・ガンプ見たいな人生の眺め方をお勧めしたい。
2004年09月08日
コメント(3)
私の日記は、ある時点で、共感を捨てた。極少数の、保護者的な方々以外は、多く多くの通りすがりの人たちに開かれている。楽天以外の方も多く、書き込ンでくれるのは、孤独な私を見守ってくれる奇特な方。実際反応に困るような内容ばかり、独断と偏見で自分の見解を書いている。言論の自由の国とは言え、皇室のことに触れる時、政治に触れるときにはかなりドキドキする。こんなこと言っていいのか?現実の生活で、私はこうした話を余りしない。話す相手で会話の内容が変わる。去年チャットで知り知り合って、仲良くなりHPを読んだ人女性の人に会ったとき、私が普通の人である事に驚かれた。日記を書いているときと、酔っ払った時以外は極普通の人だ。普段は話すよりも、聞き役が多い。余り嘘はつけない。私にできるのは、嘘をつかなければならない事項は黙っている。言いたい事を半分に抑えて書いているときは、意味不明な文章になる。それでも、文章は抑えても本音で書いているので普段人間の時にはセーブする内容も本音で書いているので、かなりドキドキ。昨日の内容は早くタイトルを変えたいので、今日は左のフリーページに「日本の天才、芥川龍之介」を作った事を報告する。天皇陛下と皇后さまは、6年程前に日雇いの仕事でインフォメーションに立っていたら、幸運にも一メートル程前方に通り過ぎ、皇后様がお客様に話しかけられたので近くで皇后様を感じる事が出来た。理屈ぬきに天皇様皇后様大好きです。大変嬉しかった。ほんの少し人生滅多に無い偶然の幸運の自慢をしてしまいました。恐れ多いのは、普段そうした方々とご縁の無い身分ゆえ、書くときに言葉の使い方が判らない。庶民の個人的な日記の感想だから構わないとは思いますが、不尊罪に成りませんように。(現代は無いのかな?)母ハァ~情けないです。いい年して、普通の敬語にも自信ないです。共感を捨てたとは言え、人の目に触れたとき、皇室関係の個人的な感想はドキドキ物です。
2004年09月06日
コメント(1)
雅子様のお顔を拝見して、綺麗になったな~と思った。ご無理の無い顔になった。私は、皇室が好きというより、子供の頃から皇太子様のフアン。学生の頃、好きな男性のタイプの顔は?と訊かれると、皇太子様と答えていた。同じ年頃の男の人たちには、『変わった好みだな~。』と言われたが、皇太子様程、ご幼少の頃から、変わらない個性をはっきりと表している人は居ない。それは、私という人格をたなに上げて、「理想としての男性に求める要素がはっきりしている。」それは、「気品と知性」の現れた顔立ち。雅子様と御成婚なさった時、さすが皇太子様。と雅子様は、大変お似合いで理想的な方。プローポーズの言葉。「う~ん。男の人の鑑だ。」と思った。何年か前、銀座で散歩をしていたときに、コーヒーカップを買った。そのお店で、雅子様が、皇后さまに、御成婚前に送られたコーヒーカップを紹介された。送られた品は、私達が日常手にする値段の物で、カップの裏の会社名で、大変な価格の物ではない。雅子様のご趣味がわかり易い、品物だった。今回の、皇太子様の異例の発言に、皇太子様の、プローポーズの言葉を思い出された。約束を守る方だとつくづく思った。「強さとは、優しさ。」そして、威厳を感じた。ご病気と言われる以前、雅子様の笑顔が不自然に変わっていた。先に結婚された、御兄弟の妃様の笑顔と似て来た。皇室に入られると、ああも似た笑顔に変わっていくのかと不思議な気がしていた。久々に見た、雅子様の顔は、ご成婚後、初めて見た顔。素の雅子様の顔が現れてきた感じ。皇后様もご病気の後、顔が大変変わられた。雅子様も変わられたが、ご病気前より、御綺麗になった。適応障害と一口に言っても、病気は人それぞれ。皇居に向かう事が出来る状態。お二人揃った姿が大変嬉しい。皇室に入られる前の、雅子様と違った、皇室の中での、雅子様に生まれ変わってしまったかのようだ。皇太子と妃様の色が同じに成っている。今年中の御公務は無理と言う話ですが、時期は、時間の縄跳びの輪に参加されるタイミングを待つ感じなのかな?と思う。ご自身を保ちながら、ご公務に望む、タイミング。過去の経歴?を引きずる、周りの目からかけ離れた、皇太子妃さまの役割でも雅子様自身は変わらない。御公務に戻る事ができるようになっても、ご無理をなさらず、風邪をひかれたら、その度に休まれれば健康は保たれる。くれぐれも≪御気楽≫になれる事を祈ります。笑顔に無理がなくなった分、とっても御綺麗になった。病気以前の笑顔よりも、健全な感じがする。窓を開けられた、お気遣いが雅子様らしい。無理をできるのが健康なのか、正直な心の現われが病気なのか?病気の基準はわからないけれど、化粧をするのも辛いと感じた、≪疲れ≫を癒そうとする、その当時の心の反応こそが、健全な心のなのかもせれない。と私はおもう。皇太子様ご自身も、コウノトリにお任せしている事を、宮内庁の方が口にしたとされるビックリな≪失礼≫は今後無いことを切に祈る。‘仲良きは美しい事哉’と昔流行った、なつかしの野菜の描かれた皿をお二人の揃った姿に思い起こす。皇太子フアンとしては、嬉しい映像が久々に見れた。
2004年09月05日
コメント(0)
単に観光ですが。昨日、お伊勢参りをしてきました。外宮と上宮とが有って、両方参らないと、片参りと言って、ご利益が無いという。三重県?の津と言うところに住む姉の友人夫婦に連れて行ってもらった。オオ~、明治神宮以来、「気」の良いところに来たの初めてと思った。近年、原宿や代々木の排気ガスや騒音にまみれた為か、神宮の「気」はそれほど感動しなくなった。昔は爽やかさと静寂が有った。中の道筋も変わって、私にとって明治神宮も魅力が薄れた。私は、特に霊感などと言う物は個人的に否定的。霊感自体を否定するのではなく、そうした物は、受け取り手の翻訳機能で、大変個人的なもの。現世、過去世等と言うものが有るとしても、泡雪が自分で感じる、知るべき道筋は我一人。あるが侭の自分を受け入れる事しか考え無い主義。人と少し違うかな?って思うことは、「気配」に敏感。空気に色を感じるときがある。よく考えると、「神宮」とつくのは、数が少ないのでは?そして、私は神宮の空気が好きだ。人によって、神聖を感じるとか言うが、私の感覚は、「霊的な感じ」がしないところが好きなのだ。空気が自然で清清しい。それを、「神聖」な所、と言うのかもしれない。外宮から回った。ご神体は「鏡」?と友人に訊くが、知らないらしい。祭っているところの門には白い、幕が張られている。鳥居の中央は神様の通り道とされて、本来人は歩いてはいけない事になっているが、白い幕で、遮断されているので、一般人が、その場所まで、真ん中を歩いても別に大丈夫なように成っているのかもしれない。奉納する場所は20年に一度、左右の敷地で、移るように成っている様だ。明治神宮様になれている私は、少し不思議な感覚を覚えた。場の中に、「何も感じない。」まったくの清清しさ。清清しくないところとは?怪しい空気の流れるところ。空気が重いところ。気に淀みがある所。ここは、くうきの濁りが少しも感じない。本殿の奉納場所から、歩いてはなれたところから、少し、丘に登ったところに、豊受**様を祭ってある小さな社がある。そこで、友人が、雅楽の横笛の曲を奉納した。この社に不思議な普通目に見えないものを感じた。地から、社の中心に「気の柱」が立っている。よく判らないが、力の強い物なのだろうと思う。が、私には、そうした物にどういう挨拶をするのかわからない。地の力に「拍手を打つも、礼をする」も、それは人の心の型示し。暫く眺めて、軽く礼をする。挨拶をするでもなく相手は≪気の柱≫自然と頭を垂れて、友人の曲の奉納を待つ。友人は、楽譜を暗譜して居ないので、斜面に向いて、手すりに譜面を置いて、社に背を向けて、吹いていたが、それを姉が笑った。彼のその自然体は非常に正しい。地の力は体の中心と感応するので、体が何処に向いていようがあまり関係ないと思う。彼の向いていた方向は、奉納所の神殿の方向。それより、社を拝んでも、雰囲気に、頭を下げ拍手を打ち礼をする、形で、何を祈るのかな?人の頭が念じる事は、余り感応しないと思う。「無心」にそうした物は反応すると私は考えている。そこの場には結構強い気の集中は有るが、それは全土に繋がっている気の一部。昨日はそうして物を目にして、有るのだな~と何となく思った。上宮はアマテラスの神様を祭っているという。そちらは、大きな、木の橋を渡り、非常に気持ちが良い。この橋も新しく架けられるらしい。先ほどの、気柱の印象が有ったので、この小山は何が有るのかと空を見渡した。橋を渡って、「ウッ」デジャブー。私は、いつだか判らないが、ここへは来た事がある。友人に質問。ここは、「伊勢志摩国立公園の近く?」『近いよ。』この名前に覚えがある。子供の頃に、親と来たのかも知れない。その頃の記憶が鮮明に戻らないので、既視感だけが、有って、フワフワした感じがする。川の水面に触れられる場所に降りて行く。この場所確かに覚えている。がいつだか思い出せない。暫く小さな魚を眺めているとこの違和感が落ち着いて、今だけの新しい感覚に戻る。美しい大きな石段。石の大きさと柄が美しい。石の間を小石が、固められていて、少しも欠けたところが無く、時代をどれだけ経ているのか思わせるのは、太い大きな木の幹だけ。社はやはり、正門に白い幕が降ろしてあり正面は塞がれている。横からは、前庭や社の建物が覗ける。隣に次回移される場所が隣に用意されている。移される予定地には、道と社の場所は、白い石が敷き詰められている。奥に小さな祠があるみたいだ。この聖域には、人の苦労や手垢を感じない。美しい場所。人々が喜んで仕事をするからだろう。私が思ったのは、ここはアマテラスの神様が住んでいるところではなくて、その場所から、アマテラスの神に、「祈祷を奉納する場所」だという事。「奉納の時」のはさぞかし力を感じるのだろう。やはり、アマテラスの神は、地に繋がれているのではなくて、「天に居るのだと思った。」神宮系が爽やかなのは、寺と違い、その地に人間の、ドロドロした、思いが何も残って居ないところだと感じた。普通の神社、八幡系はその森に独特な感じを受ける。余計な飾りも無く。≪今昔も無く。≫清清しい。この場所は。私に聖地とは人間に関わる一切の霊を感じない場所と理解させた。社を20年ごとに新しくするときに、太い御神木が切られ、全て新しくして、御神体が移されて、祭られるそうだ。ご神体は、アマテラスの神の力を受け取る、もしくは人の思いを天に送る「神器」なのだと、勝手に理解した。「鏡」自体が神様ではない。と言う単純な事に気がついた。「神聖な神器」。泡雪は、人が神を祭る方法は余り詳しくないが、そんな事を感じた日でした。*今日家に戻り、百科辞典で検索する。神社の最高位にあり、神教の特殊な立場の人々だけが御祈祷出来る、特別な場所のようだ。
2004年09月03日
コメント(1)
全10件 (10件中 1-10件目)
1