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なんやかんやと、いろいろ盛りだくさんなのですが。最近のこと。前々から、地域の寄合いなるものに顔をよく出しているわけですけど、構成は、民生委員さんがほとんどで、あとは社会福祉系の仕事をしている人たちが地域のために寄合い、ざっくばらんに話をするという場所なのですよね。社協さんや包括さんやらが多いのですけど。私の場合、仕事の一部なので、仕事中に「寄合いいってきまーっす」て出ているので、自発的に自分の時間を割いて出られている方って本当に偉いよな、なんて思うわけですけれど。先日は、保健所の保健師さんとかいらしていて、本当に援助の必要な方は、乳児や幼児検診にも来なかったりするから問題だと言う。そうだよねぇ、検診に来てるから問題なしって話ではないだろうけれど、来ない人が心配だよな。かといって、助けを求めない人への関わりってむつかしい。そんなところから話の流れはいつも同じような方向に進むのだけれど。子育て中の親だけではなくて、人とかかわらない年寄りももちろんそうだし、若くてもそうだよなとなり。なにって、こういう困った人がいることとか、それを知らない、見て見ぬ振りの希薄な人間関係が問題だとかの話になり、隣り近所に無関心なご時世がいかんのじゃ、という流れになり。住人が、もっとご近所に過干渉、おせっかいになるべきだという結論に至るわけだけれど・・・いやいやいやいや、たとえば私や家族に、もしなんかあったとしても、だからって、「あの家は気を付けてあげなければならない」なんつう、ご近所のおせっかいや過干渉の対象になるなんて、想像するともんのすっごい嫌ですけど、だってそれがもし自分だったら嫌でしょう?と、その議論にストップをかけずにいられないわけで。確かに無関心はいかんけど、だからってみんなでおせっかいになるべきだなんていう結論は違いますよと、ついついおばちゃんたち相手に声をあげてしまうのが私で。まぁ、民生委員さんたちなんて、皆さん、どえらいいい人たちばかりでニコニコそうだねそうだねと、こちらの話も聞いてくれるから、こちらも「こういう意見もあるということで」と、適当なところで角立たないように切り上げるのだけれど。気配り目配りは、もちろん必要だけれど、適度な距離感がないと台無しになる。私らみたいな相談援助を仕事にしていてもそこはすごい慎重になるところなわけで、そういう役割でもないご近所さん、という関係であれば相手にとってはなんで関わってくるんじゃと思うのは当然なわけだからこそ、なおのこと距離感はむつかしいはず。要は、援助を受ける側に「ありがたい」と思われなければ親切も台無しなわけで、その距離感を図るのは近寄っていくこちら側が気を付けなければならない。「あなたをなんとかしてあげたい」という気持ちが「迷惑」になったらもう関われない。シャットアウトされないことが関わることの大前提。まず大切なのは「関わること」なのであり、干渉することではないはずで、はやり大切なのは、その人にとって助けになることなのか迷惑になることなのかの見極め。それはご近所さんの「こういう隣人であって欲しいという希望に沿わすための干渉」なのであれば、本人にとってはおせっかいであり、ことによっては、あなたがここに住んでいる、ことに対する批判でしかない。早い話が、地域の問題のゴミ屋敷を、困っているのは本人ではなく、十中八九ご近所さん。「本人さんが、困っているからなんとかしてあげなくては」という見え見え偽善では解決しない。子育てを通じて近所付き合いがあったのにとよく聞く話だけれど、この地域の子供会は8年前になくなったと言う。役員はどうするかで毎度毎度揉めるとか、古新聞回収はなにがなんでも全員参加だとか、土日は家族で過ごしたいのに出席が強制だと困るという親がいるとか、入会は強制だと言うと、会費は払うけど参加しないのはいいかと聞かれるとか、参加していないからという理由の役員しませんは許しちゃダメとか、どんな理由があっても役員逃れの前例をだすな、だってみんながそれを言い出すからとか、そもそも子供が少なすぎてイベントが成り立たないのに来てくれなきゃ困るとか、そんなこんなな問題が勃発し、結局子供会は消滅したらしいのだけれど・・・そのころのごたごたと、子供会のことを惜しんでいる一生懸命だった人の意見を聞けば聞くほど、申し訳ないけれど子供会がすでにないことにほっとしている。私としては、すでにあるものは引き受けて馴染むしかないと割り切っており、現在、防災委員として防災の日にバケツリレーも炊き出しもやりますし、神社の氏子総代もやり、地域を代表してお祓いを受けたり、お札の購入の取りまとめをしたりと、頼まれれば断らずにの姿勢で(積極的ではなくとも)やらなければならないことは、ここに住む住人の役割としてきちんとこなすつもりはあるから、きっと子供会も存続していたらしぶしぶでも参加していたし役員もやっていたと思う。でも人の生活は様々で、人に迷惑かけてなけりゃいいじゃないのなんて思うことも多く、なんでもきちんとできる家がほとんどだと思う先入観は私にはもう全然ない。子供が重度の栄養失調とか、人への迷惑半端ないとか、ほっといたらほんとに死んじゃうとかいう悲惨すぎる事例に何度も関わっているから、ある意味、私の感覚がマヒしてるのかもしれんけど。近所の人に困っているという理由で聞いた話も、たいていは大した話ではなくて、たまに手がかかるとか、心配させられるとかが気に入らないんでしょ、なんて、命の危険がなけりゃどーでもいいよと思ったりなんかする。ご近所の方々への気配りはそりゃ重要だけど、過干渉やおせっかいにはならない程度に気を付けましょうよと言いたいと感じることは、いろんな場面で感じていたりなんかして。迷惑をかけてしまうかもしれないのはお互い様だからと、ある程度のことまでは許容し合いそっと手助けして見守る寛容さの方が欲しいなというのが本音。手を煩わすようなことも心労も、愚痴ならば愚痴として友達に聞いてもらえばいい。ご近所の皆さんで迷惑を共感してしまうと、見守りと言う名の監視ネットワークになる。人それぞれの価値観だからと関わることを積極的に否定することは、それこそ私のやっていることの全否定だし、みんなの根底にある善意の否定なわけで、そんなことをする気持ちは全くないのだけれど。けれど、都会の人付き合いを好み、周りと積極的に関わらないような生活をする人たちの気持ちに、共感できてしまう時があると、ふと言葉に出したら、「わかる」と隣の席で呟く方がいた。社会福祉に身を置くと、『その言葉は、誰のために言っているのか。』という点に、どうしても敏感になるよねと言われ、「わかる」と私も呟いた。
2013.04.23
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忙しいと、やらなければならないことの効率が上がる気がして、さらに忙しくしてしまう。定期的に訪れるワーキングハイ?でもしっかり寝ています。職場のパソコンには張り付いてても家のパソコン開いてません、な今日この頃。ご無沙汰です。健康な体があってこそですけれど、毎年この時期の健康検査。毎度のこと血液は、ヘモグロビン薄くて貧血も恒例ですが、白血球が、低空飛行どころか、最低必要数を切りすぎててびびります、おかげで元気に過ごしていても免疫力に自信がありません。ま、毎回この状態で健康なのであれば、そういう体質なのでしょう、て。尿検査でいつも、潜血++なのも、腎臓や、尿道の粘膜やらが疲れやすい体質なのでしょう、とまぁ、毎年のこととなると、そうなんだろなと納得も行くしな。そういえばどっぷり疲れた日は尿が褐色な気が・・・あれは血尿なのか・・・怖い・・・。今年は40歳以上が義務付けられている心電図も受ける、心電図ではひっかからなかった試しがないくらいだから、たぶん引っかかるな・・・心臓の手術、やりましょうかどうしましょうかで、はぐらかすこともう10年だし。ええ、不安材料いっぱいですが、とっても健康元気にしておりますよ。(ほんとか?)だってなんかあってもまず家事を休みましょう、とか、まず仕事休みましょう・・・てことになる前にまず酒やめろ、でしょ~。やだ。て感じで、酒があるから健康でいられるような気がしている今日この頃。やっぱ、生きてるって、=楽しみがある、ってことでしょうから。注)アル中ではありません。ひとしさんが見に行って紹介してくれた映画の原作小説を読んでいます。おもしろくて、あっという間に読み終わりそう。このミステリーがすごい、の大賞作品です、やはり有名な公募の大賞作品はすばらしい。一行一行をじっくり読ませるオーラがあります。舞台が名古屋で、知っている場所がたくさんでてきます、主人公が住んでいて事件が次々と起こる場所が、私が学生時代を過ごした場所です。おもしろい・・・。と、昼ビールしながらの読書は、最高です。こちらは栄の純米酒バー「八咫」明るいうちからここでお酒仲間と合流。狭いバーだから、ついつい店内のお客さんたちとも盛り上がる・・・。一人で行く方が良いお店かも、早い時間にふらりと寄って、利き酒セットで立ち飲みして、ほろ酔い状態で帰る、という感じが丁度よいお店。でも酒飲むぞー!と待ち合わせした私たちが、ほろ酔いで帰るわけない(笑)この後行ったのは東区東桜「勝手屋」。もう料理最高、めっちゃうまうまでした。あー、写真ないですが・・・ここはお蕎麦が最高でした。一日12食限定。言った鼻から「お蕎麦4人前予約します!」なんて予約するのがお勧め。いいタイミングで出しましょうかと声をかけていただけました。おいしいお蕎麦はね、見た目から違います。出てきただけで歓声あげるくらい、艶々に輝いているお蕎麦にびっくりしました。さ、今年度も楽しんでいきましょー!
2013.04.15
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