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「スピリチュアル占星術」 魂に秘められた運命の傾向と対策者 ジャン・スピラー /カレン・マッコイ 2006/04 徳間書店 久しぶりに占星術の本を読んでみた。タイトルに「スピリチュアル」とあるが、もともと占星術はスピリチュアルなんじゃないかな。わざわざ、スピリチュアルと書いたのはなぜかと、奥付をみると、この本は1985年と1988年に英語で書かれた本の日本語訳だった。日本語において「スピリチュアル」というのは2006年の日本においてのマーケテングにマッチした言葉だったのだろう。 もちろん、この分厚い本を全部読む必要がないので、まずは自分のホロスコープに関連のところを読んでみる。太陽、月、水星、金星、火星、木星、あたりはまではふんふんと読んだ。なるほど、すこし傾向性があるが、まぁ、それぞれの読み方があるのだから、それはそれでいいだろう。ただ、最近の私は、自分の土星のプロフィールについて関心があった。 この本の土星についての説明で、なるほど、と再びうなづくことが多かった。そして、いままでは、あまり個別性が少ないということで、天王星、海王星、冥王星については、あまり関心は持っては来なかったが、読み進んでみて、あらためて、この時代に生まれた人々の「時代性」を再認識することにいたった。 しかし、ここまではこの本の半分で、後半は「日食と月食」に触れている。原文では、この部分だけで一冊の本になっている。生まれる前、母親の胎内にいるときに起きた「食」が、まもなく生まれてくる生命の運命を大きく左右するという。この考え方は、私にとっては新しかった。 前世や過去生についても積極的に取り入れている。最初は自分のホロスコープに対する部分だけを読むことになるが、周囲の人々についても知りたくなり、この本を側におけば、結局は全ページに目を通すことになるだろう。独特の視座をもっているので、時々目を通してみる本としては適していると感じられた。
2007.06.29
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「ヘッセの故郷とファンタスティック街道の旅」 ドイツ紀行3 バーデン・バーデンからボーデン湖まで Art Days 1997/1 「ガラス玉戯曲」ヘルマン・ヘッセの故郷を旅する。 ドイツの南西部に広がる広大な森、世界に知られる温泉保養地、プロイセン王家の名城、花の島が浮かぶ湖、花の島が浮かぶ湖、そして詩人ヘッセの故郷・・・。ドイツ最大の保養地バーデン・バーデンからシュヴァルツヴァルト(黒い森)に沿ってボーデン湖まで多彩な顔を持つ魅力的な旅のルート「ファンタスティック街道」を行く。(50分) 紹介文より なんでこんなに美しいのだろう、と考えると、どうやら、地上に電線が張り巡らされていないからだ、と気づいた。もともと景観を保全するために敬意が払われていることがよくわかる。あのヘッセの世界が、このような空間が生まれてきたのか、と、あらためて納得。
2007.06.28
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ビデオ「新・共生への道」日本の先住民・アイヌ 北海道ウタリ協会 北海道ウタリ協会では、1993年の「国際先住民年」を契機に、アイヌの歴史や文化、アイヌ新法制定活動などをはじめとする様々な取り組みについての概要紹介をする啓発ビデオ「共生への道」を制作し、多くの方々にご活用をいただいております。この啓発ビデオにより「アイヌ民族の理解を深めることができた」という高い評価をいただいておりますが、「国際先住民の10年」の取り組みが進み、また、1997年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が制定されるなど、アイヌ民族を取り巻く状況は大きく変化しました。この度、こうした最近の動向等を取り込むなどして内容を大幅に改訂した「新・共生への道」を制作いたしました。「共生への道」以上にアイヌ民族への理解を深めるのにお役に立つものと考えております。 ビデオ紹介文より
2007.06.27
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「アイヌ文化を学ぶ」 財団法人アイヌ無形文化伝承保存会 チベット民族やネイティブ・アメリカンのことを考えているうちは、まだおとぎ話のような他人の世界のような気でいる。先住民や自然との共生などと、どこかきれいごとで済ますことができるところがある。 ところがアイヌ文化を考え始まると、ちょっと他人事ではなくなる。ごくごく自分の側のできごとだ。アイヌの痕跡は、まずはそこここに残る地名として色濃く残っている。かなりの地名がアイヌ語で解読できる。ライフスタイルも、どちらがどう、というより、ごく最近まで、一緒に進んできたことが多かったのではないか。 アイヌの人々は現在、3~4万人であるという。受け継ぐべきは受け継ぎ、学べるものなら学ぶ姿勢がとても大切なこととなるだろう。
2007.06.27
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「Defense of Japan 2003 平成15年 防衛庁・自衛隊の活動」「DEFENSE MISSION 2004 平成16年 防衛庁・自衛隊の活動記録」「The Devotion to the World Peace 平成17年防衛庁・自衛隊の活動記録」 公立図書館であればこそ、さまざまな立場のさまざまな意見を反映させた資料が入手できる。これらは、防衛庁が企画した「記録」だ。値段が書いてないので非売品なのだろう。ネットで検索しても、これらの資料についての記事は探せなかった。 2001年の9.11を契機に、世界情勢は大きく動き、日本の自衛隊にも大きな変化があった。立場が違えば、その評価も大きく違う。このビデオは、防衛庁の防衛庁による防衛庁のための「記録」なので、その立場の主張がよくわかる。 日本という「国」に住んでいる限り、防衛庁や自衛隊に一方的な「否定」的な評価をすることはできない。しかし、また、「感謝」というと、それもちょっと複雑な気持ちになる。どうするのか。ひとつひとつ是々非々で対応していくしかないだろう・・・。
2007.06.27
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「お父さんのための携帯電話ABC」 <1>法林岳之 2007/04 日本放送出版協会 この本は読む前ちょっとドキドキした。この本が理解できなかったらどうしよう。すでにケータイ情報には乗り遅れている。今使っているのはケータイのごくごく一部の機能だけだ。いうなら、緊急の電話を受信する。緊急の電話を送信する、くらいしか使ってはいないのだ。たまには、デジカメとしても使うが200万画素もあると十分だ。レンズには問題あるが、スナップ程度には十分使える。確かにストロボの光量は足らない。バッテリーもこの頃すこし持ちが悪くなった。たまにケータイメール派からもメールが来る。もちろん、ほぼ即座に返信する。 その他、iモードも時に必要になって使う。仕事上の情報を出先から見る場合、便利だ。インターネットに接続もできるが、あまり使わない。なぜか。使用料金が高くなるからだ。パソコンが常時接続になって以来、通信量で料金が増えるケータイのメールやネット使用は、どうも高いと思うようになった。その他、音楽や待ち受け画面、着メロなど、いろいろなサービスがあるようだが、私には本質的なことだとは思えない。 だけど、20才前後の人たちに聞くと、メールなどは、すでにケータイが中心だという。パソコンはあっても、パソコンのメールは使わない、という風潮もあるらしい。 そんなこんなで、いったい今時、どうなっているんじゃい、とお父さんは、すこし不安になってこの本を読んでみた。 まぁ、しかし、タイトルにABCとあるくらいだから、初歩的なことは大体わかっていた。つまりABくらいまではなんとかすでに理解していたということになる。Cについても、まぁ、料金の設定が自分にあったものにして、もっと気軽にネット接続する程度にすれば、まずまずはクリアかな、とも思う。海外ローミングも、現在、知人がシカゴに行っているが、まずまず設定・料金とも使えないということはない。 ただ、やっぱり私はケータイのヘビー・ユーザーにはならないだろうな、と思う。情報の消費ならケータイも便利だが、情報の創造となると、やはりPCが一歩の二歩も先を行っているのではないだろうか。ブログもSNSもケータイで可能だけど、さてさて、セカンドライフ(SL)の時代になったらどうだろう。面白いところだ。 日本において、いまいちSLがブレークしないのは、英語能力やPCの性能ということもあるかもしれないが、ケータイでSLができない(と勝手に思っているのだが)というネックがあるかもしれない。なにをもって創造クリエイションというか問題はあるが、おしゃべりお父さんは、ちょっとケータイでは物足りない、と今だに思っているのだった。<2>につづく
2007.06.27
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「IT革命」 ネット社会のゆくえ 西垣通 岩波書店 2001/05 いわゆるネット社会というものが、Win95の発売された95年12月以降を示すとするなら、現在の07年との丁度中間地点にあるのがこの本の発売された2001年5月という時期だ。この時は、Y2K騒ぎは終了していたというものの、いわゆる「イット革命」推進によって、まだ曖昧ながら、もういちどITバブルに日本も乗りたいという時期であった。まだ9.11の惨劇も知らず、Googleの台頭にも気づかず、Hモンなどの登場も予測できない状態だった。 だから、この本もあまり酷な評価はできないだろうが、「ウェブ社会をどう生きるか」 、「情報倫理の思想」 などと同様に、どうもいまひとつ、その姿勢に何かの違いを感じる。 だが本当は、気にしなくてはならないことはたった一つだけなのである。「IT革命後、われわれは生きる意味を見いだせるのか、生きがいを持って暮らしていけるのか」ということだ。p6 出だしから、こうである。まるで、ITと人生が相克しているかのような前提で話を進めようとしている。だいたいにおいて、まずはIT出現の以前に「生きがい」とはどのような形で存在していたのか。それほどITが「生きがい」を疎外するとするなら、どうして国をあげてそれを推進しようとするのか。 24時間たえまなく電子メールとファックスをチェックし、英語と日本語の契約書や数表を眺め、猛スピードでパソコンのキーを叩き、トイレのなかですら携帯電話をかけまくっている人々---彼らですら、めまぐるしく頭脳をよぎる数字洪水の切れ目に、ふと我にかえる瞬間がある。そして、「自分はこれでいいのか、人間はこれでいいのか」と自問するのである。p6 う~ん、とにかく、この著者は、なんであれITやネット社会のことを、工学博士・教授という立場を使いながら、先端の状況を「取材」し、批判的(ひやかし的)に評価することをもって、自らの存在価値を確認しようとしている人物のようだ。 「自分はこれでいいのか、人間はこれでいいのか」なんてのは、別にITとはなんの関係もない。ブッタもソクラテスも、神代の昔から、このテーマに取り付かれていたのではないか。ITだろうが、アセンションであろうが30世紀だろうが、「自分はこれでいいのか、人間はこれでいいのか」という問いかけが、人類からなくなるはずはない。このテーマこそ、人間が人間らしくなるための、もっとも根源的な問いかけなのだから。著者はなぜに、これほどまでしてまで、「ネット社会」に「警鐘」をならさなければならないのだろう。 この西垣のような態度なら、ネット社会もIT革命も、パソコンも、常時接続も、コンピュータも、Googleも、オープンソースも、フリーソフトウェアも、mixiも、ブログも、ウィキペディアも、セカンドライフも、Web2.0も、シンギュラリティも、人工頭脳も、ロボットも、ケータイも、な~んにも創造されることはないだろう。ただただ保守的な怠惰な社会が生まれるだけだ。 ではどうすればいいのか。---結論から言えば、答えはただ一つ、「テレビがインターネット端末になること」なのだ。一般人がITを使いこなすための王道は、もっとも身近な大衆的情報機器であるテレビのリモコンでインターネットのホームページを眺めたり、メッセージを送ったりすることなのである。p62 いわんとすることを理解する努力を怠るつもりはないが、やはり、これでは、本当の解決にはならない。テレビでインターネットをやれば、人々は生きがいを持つようになる、とでも言っているようで、おかしい。ITを「使いこなしている」のは高学歴、高収入で、若い年代である、と断定してしまう(この時代は確かにその傾向があったにせよ)この著者のセンスには、やはりついていけないものを感じる。むしろ、「パソコン・インターネットは貧者の娯楽?」なんて、反対の見方さえ存在しているのである。やはり、ITやネット社会を論じる論客の一人としては、ちょっと、独特な立場を保持している存在のようだ。 きのう読んだ奥野卓司についてふれている。 文化人類学者の奥野卓司は、『第三の社会』という著書において、この問題に関して興味深い議論を展開している。奥野によれば、かつては家庭のなかで生産と消費とが融合し、人々は共同生活をおくっていた。これを「第一の社会」と呼ぶ。近代になると、「家庭=消費の場、企業=生産の場」という二極分化が生じ、会社という「第二の社会」ができあがる。成人の男性は第一と第二の社会のあいだを往復して暮らし、成人女性は専業主婦となって第一の社会にと閉じこもった。(後略)p130 アルビン・トフラーの「第三の波」を引き合いにだしながら、奥野の論説を検証したりしている。まぁ、いわゆる「評論家的」な姿勢には、どうもどこまでも首を傾げ続けている私がいる。 IT革命が日本経済を活性化するという議論はまだいい。だが、IT革命によってグローバルな完全競争市場が実現するとか、取引コストがゼロになるとかいった短絡的な言説ばかりが流布していくのは、やはり困る(もちろん、そういう面も皆無ではないが、状況はより複雑かつ多面的なのだ)。さらにそこにナイーブな「インターネット草の根民主主義」が絡むと、ただITビジネスを発展させ、あとは自由奔放のまま突っ走ればよいという楽観論が生まれる。p181 「ナイーブなインターネット草の根民主主義」、などと言われると、たしかに私はその傾向はある。「あとは自由奔放のまま突っ走ればよいという楽観論」とまで揶揄されると、さらに西垣の人格さえ疑い始めてしまうが、梅田望夫あたりがオプティミズムを標榜するのと対比すると面白い。 最後に、またまた孫引きだが、面白いところあったので、転写しておく。 「・・・人間の社会には、150人という自然の集団が隠されているようだ。この集団は特定の機能を持たない。ある社会ではある目的に利用され、別の社会では異なる目的に利用されている。むしろこれは、人間の脳が、所定の強さの関係を、同時に一定数を越えて維持できないと事実の所産なのだ。150という数字は、我々が本当の社会的な関係、すなわちその人物が誰であり、自分とのつながりは何であるか知っているような関係を持つことができる、最大人数を示しているらしい」(ロビン・ダイバー『ことばの起源』、109頁)。p116
2007.06.27
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「日本発イット革命」アジアに広がるジャパン・クール 奥野卓司 2004/12 岩波書店 奥野卓司。私はこの名前に覚えがある。たしか1971年の春の「朝日ジャーナル」だったと思うが、「ミニコミ特集」というものを組んだことがある。学園闘争や地域闘争のピークを超えつつあった中、当時の表現形態は、限られた大手マスコミか、ガリ版の印刷物しかないような時代だった。当時マスメディアという言葉さえ一般的ではなかった。「闘争」のアジテーションの手段だったガリ版しんぶんが、次第に個人の表現形態に変質していこうとしていた時代だった。 16歳だった私も、学校新聞部に属しながら、個人のミニコミを作り始めていた。この朝日ジャーナルの「ミニコミ特集」は、同誌が、事前に告知して全国から応募したミニコミ達の全リストをアップしたものだった。その数、数千からあったと記憶している。私の個人ミニコミも、この大「マスコミ」朝日ジャーナルに取り上げられることによって、一気に読者を増やした。沖縄の伊礼優くんから手紙をもらったのも、これが遠因であったし、NHKにも雑誌に出たのも、このリストが由縁だった。また、このリストに載った住所がもとで、全国から沢山のミニコミも送りつけれられることにもなった。 インターネットもブログもない時代である。勿論ワープロもなく、電話さえ十分に発達していない時代だった。ガリ版ミニコミの力は、決して見くびられるような非力なものではなかった。表現の時代、文化の時代の先駆けとなったといえる。 この時の特集には、懸賞論文があり、その優勝者が、この奥野卓司だった。うろ覚えだが、そのタイトルは、たしか「飛べ、僕の紙ヒコーキ」だったと思う。 正直、文章のこまかい内容は忘れたが、優勝者として、見開きページにタイトルが大きく踊り、何ページにも渡ってスペースを開けてもらった奥野には、嫉妬した覚えがある。彼は当時20歳か21才の大学生だった。ミニコミを語ってマスコミに登場するという、当時あったミニコミVSマスコミ的な感覚をぶち抜いた奥野の存在は、ある種、「新しいもの」であった。その後の彼の経緯は詳しくは知らないが、如才なく人生を渡り歩き、現在は大学院社会学研究科教授というポジションについているようだ。 世の中の流れを、彼流に「社会学」してきたのは、まさに、それしかなかったというほどハマリ役だったかもしれない。この本で語られることは、「クール・ジャパン」。今をときめく「セカンド・ライフ」を推進しているデジタル・ハリウッド杉山知之の「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」 が2006年2月発売なのに、奥野のこの本は2004年の12月にでている。奥野は目の付け所は「早い」。 森・元首相が失笑を買った「イット革命」をあえて、逆手にとって、日本はイット革命で行こう、と言い切ってしまうあたりが奥野らしいなぁ、と思いつつこの本を読んだ。ただ、あえて言うなら、時代の流れをうまくまとめて説明しているだけだから、時代が経過すれば、次第に陳腐化してしまう。雑多な情報を、奥野一流の洒脱な感覚でまとめるのはいいが、どこかでタガが外れてしまえば、とんでもない雑文に堕してしまう可能性もある。 この本は、「多様化するネットワーク社会における多文化共生のための質的調査方法の研究と開発」というものの前半部分だということである。あいもかわらずこの著者は、軽くこの人生を生きてきたのだろうか、などと、ついいぶかしくなったところで、「あとがき」にこうあって、びっくりした。 二年半前に妻が亡くなり、その後は何もする気がなくなってしまっていたぼくは、そのままであれば、このように一冊の本を書き終えるということはもちろん、むしろウツ的に落ち込んでしまい、この分野に調査者として接近していくことすらなかっただろう。その意味で、独りになったぼくを気遣って、研究会や調査旅行に声をかけてくださった周囲の先生方、先輩、友人達には、心から感謝している。p242 なるほど、そうであったか、この本の出版より2年半前ということだから2002年の夏頃ということになるのだろうか。どのような人だったかは知らないが、遅ればせながら追悼の意を表したい。そして、また、そのような背景を知ればこそ、この軽妙なタッチの奥野「節」は貴重なものに思えてくる。私は、密かに心の中で、「がんばれ、奥野卓司」とつぶやいていた。 「飛べ!ぼくの紙ヒコーキ」。もう35年前に飛ばされた紙ヒコーキは、どこまでいったのだろう。今、どこを飛んでいるのだろう。私のように、何処かで彼と世代を共有している人たちは多いだろう。 奥さんを亡くしたことをあとがきに書いていた、ということでは、「密教の可能性」 の正木晃を思い出した。
2007.06.26
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「情報倫理の思想」 西垣通 /竹之内禎 2007/05 NTT出版 西垣通という人の「ウェブ社会をどう生きるか」 以外の本も目を通してみようかな、と思って、こちらも目を通してみた。前書と同じ時期にでている。と言っても、こちらは共著であり、「2005年12月に英国オックスフォード大学で開かれた情報倫理学に関する国際会議の議論をベースとして編纂したもの」p231ということだから、ちょっと堅い。私にって読みこなすにはちょっと骨が折れるが、随所随所には、興味深いところも多々ある。西垣訳のルチアーノ・フロリディの文章の中から孫ひきしておく。 亡くなる5年ほど前に、アルバート・アインシュタインは19歳の少女から手紙を受け取ったが、その内容は妹の死を嘆き悲しむものだった。少女は、有名な科学者が自分をなぐさめるために何を語るるか知りたかったのだ。1950年3月4日、アインシュタインは次のような返事を書いた。「人間というものは、”宇宙”とよばれる全体の中の一部、時間的、空間的にかぎられた一部なのです。しかし人間は自分自身を、自分の思考と感覚を、自分以外の部分から分離された何かとして体験します。それは人間の意識の錯覚なのです。この錯覚はいわば牢獄であって、私たちはそのなかで、個人的な欲望や少数の身近な人たちへの愛情に束縛されているのです。私たちのなすべき業は、自らの共感の輪を広げることによって、この牢獄から自分を解き放ち、すべての人類と自然をその美のままに慈しむことでなくてはなりません。これを完璧になしうる人はいませんが、これをなそうと務めること自体が、解放ならびに内的な安寧の礎の一環をなすのです」。p091 素直に、とても素晴らしい手紙だと思う。この手紙によって少女は癒されたかどうかは分からないが、他に何をすることができるだろうか。ブッタの辛子ダネの話を思い出す。 共著者の一人竹之内禎の文章に、「孔子とアリストテレスによる東西の情報倫理の基礎づけ」p172というものがある。ここを読んでいて、もともとあるこの人々に対する、どことは知らぬ違和感は、この辺からくるのかな、とも思う。つまり、孔子とアリストテレスの東西思想の共鳴や類似性を指摘しているのだが、私はむしろ、同じ東西思想の共鳴や類似性を語るなら、老子とソクラテス、の話題を聞きたいほうだ。 最後になったが、この国際会議を開催し、またこれに招待してくださった財団法人上廣倫理財団の上廣哲治理事、ならびに・・・・・・(後略)p234 あとがきにこの文章を見つけたときに、ああ、なるほどと思った。「スピリチュアリティの興隆」を読んだ時にも、この文章と似たようなところがでてきた。会長と理事の違いがあるが、同じ苗字からすると、同族、一族、親子、関係にある人たちかもしれない。この「タニマチ」達のスポンサリングで、この本が、あるいはこの「国際会議」とやらが行なわれているのだろうか。私にとって、この西垣達の一連の著作に、どうも納得感がないのは、この辺の裏の、きな臭い部分が、プンと匂ってくるからかもしれない。 そう気がついて、もういちどこの本の「情報<倫理>の思想」というタイトルを眺めてみると、もう素直には受け取れない自分がいる。もちろん、現在の情報社会の在り方が究極的に素晴らしいとはとてもいえないが、その社会を、<倫理>という言葉でもって、さも<浄化>するような正義感ぶった態度には、私には耐えられない。もっと別な視座が必要だ。
2007.06.26
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「9.11 N.Y.同時多発テロ衝撃の真実」 VHS発売日: 2002/9/12 監督:ジュール・ノーデ/ゲデオン・ノーデ/ジェイムズ・ハンロン 9.11と聞けば決まって、あの映像が目に飛び込んでくる。あの夜は、家族はみんなそれぞれの部屋に戻り、私だけが茶の間のテレビを見ていた。夜のニュース番組のオープンニングが始まったかと思うと、異様な風景を映し出していた。まるで、メザシが豆腐にでも刺さったような風景だ。ある意味コッケイな風景だ。なんだ、ありゃ、一瞬、笑ってしまったものの、あわてて二階に行き、各部屋のドアを叩いた。大変なことがニューヨークで起きている。これは大事件だ。 家族で唖然として画面を見つめているうちは、どのようにしてこの火事は消えるのだろう、と、そればかり考えていた。消えるものとばかり、思っていた。しかし、あの巨大なビルが崩れ落ちた。まるで、昔みた映画、「タワーインフェルノ」、そのものだった。何事が起こったのか、すぐには誰にも分からなかった。 あれから6年の時間が経過しようとしている。さまざまなことがあった。戦争があり、陰謀論があった。あれからもっと死者がでた。日本も戦争の片棒を担がされている。いろいろな意見があり、たくさんの涙が流された。辛いことも時間が経過していけば、すこしは薄らぐものなのかもしれない。しかし、ニュースのタイトルになるチャンスが減ったとしても、人々の話題になることが少なくなったとしても、いまだに「衝撃の真実」は消えない。 9.11と聞いて、私は、あの映像をふたたびまざまざと思い出した。衝撃の真実と聞いて、なお、あの映像がクローズアップされた。 しかし、この映画には、あのシーンはでてこない。一切でてこない。ほとんどの部分は、8人の部下を9.11で亡くしたN.Y.の消防士長と、彼が葬式に読み上げる弔辞の作成を手伝う中年のジャーナリスト女性の、会話だ。8人の部下たちのひとりひとりを、消防士長は思い出す。 語られる一人ひとりは、決して「英雄」や「ヒーロー」なんかじゃない。ごく当たり前のアメリカ人たちだ。消防士長も忘れてしまっているところもある。しかし、タイピングを手伝う女性のインテークにより、ひとりひとりの克明な人間像が浮かびあがってくる。そしてまた、ひとりひとりを思い出すこと自体が、消防士長にとってのヒーリングとなる。女性は、期せずして、熟練した心理カウンセラーであり、セラピストの役を担っていた。 最後のシーンになって、教会における葬儀の中で弔辞を読みあげる時、この消防士長が、いかにも米国大統領ブッシュに酷似している俳優だったことに気がついた。歴史にもしもはないが、もし、ブッシュ大統領が、この映画に登場する消防士長のような、ごく当たり前の人間であっていてくれたなら、事件もおきなかったし、その後に続く悲しいドラマの連鎖はなかったのではないだろうか、と思った。 この映画には、アルカイダも、それから起きた新たな戦争にも触れていない。ただ、あの事件で姿もなく死亡したとされる350人の消防士達に捧げられている。一人ひとりの人生と、その死は、なにごととも比較できないし、それぞれが、ひとつ、ひとつだ。事故全体では2973人が亡くなったとされている。ひとりひとりに、ひとつひとつの人生があった。 2001年、という言葉は、20世紀においては「輝ける未来」を意味していた。人類がすべてを賭けて迎えるべき、素晴らしい世界であるはずだった。でも、まだ、あるはずだった、と過去形で語ることは、私にはできない。いまだに、21世紀は、輝ける未来であり、素晴らしい世界の到来である、と確信することしかできない。
2007.06.25
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「2010年」<1>監督:ピーター・ハイアムズ 1984年製作 米113 min 2001年から9年後の出来事。映画ができた時は、2001年もはるか未来のことと思われていたが、あっという間に、私たちは2001年をとおりすぎ、間もなく2010年を迎えるところまできている。人類は進歩したのだろうか。私たちは、すでに未来の世界に住んでいるのだろうか。 スーパー・コンピュータHALは健在だ。映画そのものは相変わらず難解だ。それにしても、ここまで来ると、あまりに人工物に囲まれた世界が窮屈に感じられる。宇宙とは言っても所詮それは宇宙船から見る外側の世界ではないか。誰が誰に何をどう話しかけているのか。人類である私たちが私たち自身に問いかけているものはいったい何なのか。 この映画のもっている「誠実さ」「先見性」「的確性」には圧倒されるものがある。「これらの世界はすべてあなたがたのものただしエウロパは除くエウロパへの着陸を試みてはならないすべての世界を皆で平和のうちに利用するのだ」息子よこの先 長いこと君と話せない起こったことを語りたいがたぶん歴史学者の仕事だろうとにかく その翌日大統領はホワイトハウスの窓からソ連首相はクレムリンの窓から新しい太陽を見たのだ彼らはそのメッセージを読み学んだそして軍隊を撤退した私は眠りにつき君と母さんの夢を見る君らにもう危険はない恐怖は去った我々は生命の誕生を見た太古の地球にも同じことが?あるいは違うかもしれないモノリスの正体はいろいろなものだ我々を超えた知性の使者形のない何かを表す何かの形君の子どもは2つの太陽で育つ空にはつねに太陽がある星のない暗い夜空を見ることはなく夜を恐れることもない君の子どもが光を見失ったらこう言えばよい”宇宙にも生命が”いつか新しい太陽の子と古い太陽の子は友達になるだろういつの日か 人は空を見上げて言う”我々はこの世界の””間借り人にすぎない”家主は契約更新と警告を与えてくれたのだ 最後の「ツァラトゥストラはかく語りき」は相変わらず、高々と鳴り響く。<2>につづく
2007.06.24
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「コンタクト」VHS 出演: ジョディ・フォスター, マシュー・マコノヒー 監督: ロバート・ゼメキス1998/10/23 150 分 ワーナー・ホーム・ビデオ 「A.I.」と一緒に借りてきた一本だったが、A.I.は母親と男の子のエモーショナルな繋がりの追求だったが、こちらは父親と女の子のエモーション劇かな、と最初は思った。しかし、時代設定が1990年代ということ、主人公が3~40代であったこと、地球外生命体については、まだ肯定も否定もされていないこと、という条件からか、こちらの映画には共感するところが多かった。SF的なつくりではなく、ノンフィクション的な筋書きが私好みだったのかもしれない。 しかし、A.I.(人工知能)の開発にしてもそうだが、映画「コンタクト」においても、西洋的「神」の在り方が、「科学」の探究や進展の前に陰を落とす。アメリカにおいて狂信的な宗教者において破壊されてしまった宇宙への飛行装置が、実は全く同じものが北海道の北方列島に作られていた、というストーリーは、ある意味、日本の特殊性をあらわしているかも知れない。ただ、映画の中の日本は、あまり日本らしくない。 主人公が宇宙空間を移動する姿は、まるでジェットコースターに乗っているかのようで、個人的には私は遠慮したいなぁ。しかし、詩人にこそ見せるべきだというその宇宙の風景はみてみたいと思う。そこでやっぱり、主人公は10才の時に心筋梗塞でなくなったはずの父親と再会するのだった。じゃぁ、母親はどこに・・?と思ったが、実は、出来事は彼女の中でだけ起きたことだった。 科学と宗教の絡みあいは中世以来続いているのだけど、科学が宗教の行方を遮ったり、宗教が科学の行く手を遮ったりして、どこかシーソーゲームが続いているのだ。この映画の最後に「カール・セーガンに捧げる」となっていたのは、我が意を得たりという感じがした。<2>につづく
2007.06.24
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「A.I.Artificial Intelligence」 2001年 スティーヴン・スピルバーグ ワーナー・ブラザース 気まぐれに行く視聴覚コーナーにたまたま在庫している資料を借りてくるだけなので、やや時代の流れから隔たっているのもやむをえないが、今宵はこれを見た。このブログでも人工知能に関する本も何冊か目を通してみたが、まぁ少なくとも、私がこの世に生を受けている間に、人間の霊性を超えるいわゆるロボットはできないだろうという結論だった。 しかし、この映画を見て、ふと最近ややはまりつつあるセカンドライフとのつながりで考えてみた。私はSFもあまり読まないし映画もちょっとしか見ないので、現在の映画の特撮がどこまで進んでいるのかわからないが、このような映画の世界と、SLの世界はつながることができるのではないだろうか、と思った。 映画の場合は、すでに出来上がっている世界をただ見せられるだけだけれども、SLの場合は、この世界に積極的に参加していくことができる。飛んだり、意表をつくストーリーの展開になったり、おたがいのエモーションを交わしたり。 映画全体としては、あまりに母親像というものを誇張しすぎていて、ナチュラルな母=子の像がゆがめられている感じがしたが、これがまた大衆受けしようとする映画という芸術の限界なのだろうか、とも感じた。
2007.06.23
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=2007年上半期読んだ新刊本・ベスト10=(総論) 去年12月の冬至から本日の夏至までの半年間に読んだ本は、おおよそ500冊程度にはなるだろう。そのほとんどは感動とともに読んだものが多い。その中にあって、今後も継続して読みたい、座右の書にしたい、という本もでてきている。影響を受けた本を数え始めたら、切りがない。そこでしかたがないので、敢えて、新刊本に絞ってベスト10を作ってみることにした。 再販本や翻訳本などは正確には新刊本ではないが、作り手としては、きちんとしたマーケッティングの中での発売となるのだろうから、売れることを期待しているわけである。一読者としては、読書という消費ばかりではないく、読後感想というリアクションも必要だ。 ましてやこのブログは手前勝手ながら、いちおう「ジャーナル」を標榜している。素材の新鮮さも必要であろう。また、地球人スピリットとしての三要素、科学、芸術、意識、という価値基準からみた場合、各書かならずしもバランスがとれているわけではない。それぞれに偏りがある。 このブログも全体としてバランスがとれていればいいのだが、私の嗜好性上、「芸術性」に欠けるかな、と思う。「芸術人類学」や「芸術とマルチチュード」など、もろに芸術を表題にしている本もあるが、さてそれが芸術かアートかどうかは疑問が残る。この辺は、このブログにおいての今後の課題となることだろう。
2007.06.21
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2006よりつづく =2007年上半期読んだ新刊本・ベスト10= No.1「ポスト・ヒューマン誕生」 「未来のアトム」は面白かったが読む時期を過ぎていた。同じようなテーマでSF「シンギュラリティ・スカイ」などもでているし、「天の向こう側」のような試みもある。その中にあって、この本は、日本語タイトルこそ誤訳(!)されているが、もっとも最先端的な部分を指し示している。 No.2「中沢新一批判 あるいは宗教的テロリズムについて」 「さようなら、サイレント・ネイビー」を読むことによって、このブログは一変した。麻原集団事件を挟む90年代を総括することになった。関連書物は膨大であるが「慟哭」をもって、事件総体の留めとしよう。中沢が「芸術人類学」に至る一連の活動で、90年代からの脱出を図るが、そこに島田が追い討ちをかける。重いテーマではあるが、重いからこそまだまだ丁寧に検証していく必要がある。 No.3「現代人のための『チベット死者の書』」 チベット密教関係は読みきれない。現在は「シャンバラ 勇者の道」を読み解くことで足がかりとしよう。「地球の歩き方 モンゴル」のような軽くて具体性のあるものも面白かった。タントラを「体位の文化史」のような面から読み解いていくのも面白いかな。螺旋のように、なんども戻らなくてはならない。 No.4「レムリアの真実」 こういう怪しい(笑)本も面白い。「超シャンバラ」となると、かなりなトンデモ本となってしまうが、「シャスタ山の歩き方」のようなさわやかな雰囲気でクリアな方法にいくのがいいだろう。でも本当は「ローリング・サンダー」のようなネイティブ・スピリットへのグランディングがとても重要である。 No.5「ツクヨミー秘された神」 このブログでは日本的霊性についてはあまり触れていないが、私はむしろそちらは以前にいろいろ読んでしまっていて一段落中というところ。「霊的人間」などと絡みながら、「魂の螺旋ダンス」の著者と若干の応答ができるようになったのはとてもうれしい。日本的なものについても「海底宮殿」のようなまったく意表をつくような方面からみていくのも面白い。 No.6「セカンドライフ公式ガイド」 SNSやウェブ2.0の次の話題は「ウェブ仮想社会『セカンドライフ』」あたりからはじまる。 「セカンドライフの歩き方」など類書もたくさん出ている。SLを始めるには私のPCはやや非力だが、やれるところまではやってみようと思っている。「フューチャリスト宣言」など、新しい潮流には、割りと簡単に迎合してしまう私ではあるが、この辺は大ブレークして欲しい。 No.7「魂の科学」 ネタをあかせば、いずれはこのブログはOshoへと消えていくことになるのだが、「『存在の詩』第一号」から始まって、現在は7つの色のOshoを味わうことができる時代となっている。個人的には「隠された神秘」や「未知への扉」等が好きなわけだが、原点と目的地は「いまここ」にしかない。時間と空間の広がりを感じる。 No.8「自由訳 老子」 別に新しいものが真実とは限らず、すでに真実は真実として確立しているのだが、ひとりずつ、それぞれに自らの旅をしなくてはいけない。「自由訳 イマジン」や「自由訳 般若心経」のシリーズは、コンパクトでありながら、的確でシンプルな真実を指し示している。クリアさでは「ガラス玉戯曲」などに通じるものがある。 No.9 「不都合な真実」 環境問題は極めて今日的課題だ。ありとあらゆる方向から検討されるべきだ。「カオス・ポイント」などさまざまな試みがある。具体的な行動も必要なのであって、「物理学者、ゴミと闘う」のような市民活動も大切であるし、「この国を支配/管理する者たち」のような深読みも必要となる時もあるだろう。ただ、いたずらに「陰謀論」の網にかすみ取られる愚は避けたい。 No.10「スピリチュアリティの興隆」 どのような素材であろうと、それぞれのシェフの手にかかれば、日本料理にもフランス料理にも、あるいは郷土料理にもなり得る。「スピノザ『無神論者』は宗教を肯定できるか」のような清澄さも必要であろうし、「シュタイナーの世界 」のような具体性も必要だろう。むしろ「魔法と猫と魔女の秘密」のような自由闊達な世界も面白いのではないか。素材よりも著者の技に頼っている一冊か。 次 点「驚異の地底王国シャンバラ」 このブログで「ハトホルの書」や「アセンションするDNA」などをどのように読んでいけるのかは、大きなハードルとして残っている。「人類と地球のアセンション」のようなあまりに読者を意識しすぎた本ではなく、もっとエマージェンシー的な警告を繰り返している声も聞こえるが、その声をなんと聞くか。これからの課題である。 2007下につづく<総論>につづく
2007.06.21
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「スピリットの森から」 内なる変容とエコロジー おおえまさのり 1992/7 柏樹社 この本をあらためて開いてみると、まずこの本が脱稿されたのが1992年の4月で、SPSが終了して数ヶ月後にでていたことがわかる。そして、この本の中にSPS関連のレポートが40ページ以上に渡って書いてあることに気づいた。もし心ある当時のスタッフ達とデスカッションするとしたら、この本をテキストを元に進めるのもいいかな、と思ったが、もうすでにこの本は絶版になっている。全文を転記することは不可能なので、気になるところにちょっとづつ触れることになるのだろうか。 全文で210ページ余り、第一部「スピリットの森から」、二部「神のパズル」に分かれており、第一部は、第一章「売ってはいけないもの」、二章「森のスピリット」、三章「場の精神」、四章「わたしの自然」となっている。そして、この第三章がほとんどSPSのレポートになっており、1)自発的簡素p94、2)スピリット・オブ・プレイスp111、、3)ダダイスト・イトイカンジp121、4)スピリットの潮流p130、となっている。 90年前後の著者を囲むさまざまな事象がエッセイ風に綴られているので、著者に関心あれば、実に面白い一冊といえる。ここではSPSにフォーカスしていくので、割愛する。 スピリット・オブ・プレイス(場の精神)という国際シンポジウムが仙台であった。 スピリット・オブ・プレイス仙台は、アメリカの環境心理学者ジェームズ・スワンさんによって1988年に提唱された5年連続シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」の、4回目の一部のシンポジウムを仙台で催すことになったものだった。仙台出身でアメリカ在住の建築家須田文夫さんが話を持ち帰り、90年にぼくたちが長野で開いた「アース・ギャザリング」に参加して「来年仙台でやろう」と言っていた「仙台ぐりんぴーす・かたつむり社」の加藤哲夫さんなど、仙台草の根市民ネットワークの人たちが中心となって運営された。 スピリット・オブ・プレイス・は「かつて自然と共生する知恵を有していた文明様式や、自然と調和して生きる先住民の文化に学びつつ、現代科学や思想の最前線と照らし合わせて現実的な自然調和型の文明体系を模索する」ものとしてはじめられたという。 それは「ネイティブ・スピリット」、「自発的簡素」、「ハーモニック・デザイン」、「癒し」、「フラクタル・コスモロジー」、「ネイチャリング」、「エコビジネス」、「有機的社会システム」、「自然(じねん)」といった分科会に加えて、それぞれのゲストによるワークショップ、討論会、舞踏パフォーマンス、都市建築デザインコンペ作品展示、ポスターセッション、そしてコンサート「喜納昌吉&チャンプルーズ」、ミュージカル「TAROH」といった盛り沢山の、クロスオーバーの企画だった。 ぼくが担当したのは「自発的簡素」の分科会だった。 p93 とても綺麗に求めていただいている。内部の渦中にいて雑事に振り回された私としては、なかなかこうはまとめることはできないのだが、ゲストとして参加した著者が、逆にここまでまとめてくれていたことに感謝した。 「かつて自然と共生する知恵を有していた文明様式や、自然と調和して生きる先住民の文化に学びつつ、現代科学や思想の最前線と照らし合わせて現実的な自然調和型の文明体系を模索する」という視座は、今でも正しく、もっとも必要とされているのではないか。ややここから「スピリット」という言葉へたどり着くまで時間がかかるかもしれないし、またインターネットやウェブ2.0と言われるテクノロジーに支えられた集合知の在り方とは、多少の趣を異にするかもしれないが、めざしていたものは変わるものではない。 分科会の名前や内容はあくまで、SPS独自で考えられたものだ。私が友人達とともに担当したのは分科会「ネイティブ・スピリット」と「コンサート・喜納昌吉&チャンプルーズ「アース・スピリット」だった。 つづく
2007.06.20
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「縄文の祈り」 いま解き明かされる縄文の魂 企画・制作●東北電力、映像企画 上映時間●VHS/25分 2000年 遺跡や出土品の発見によって、高度な文化の存在が次々と明らかになってきている縄文時代。縄文人は、大湯環状列石のような縄文の広場で、死者への鎮魂や自然への感謝、病気や天災除けの祈祷など、多様な祈りを捧げたと考えられています。このビデオでは、東北で出土した土偶や土製仮面 、漆製品などを解説しながら、これらに込められた縄文人の「祈り」と「こころ」を探ります。 「豊穣の縄文」 東北は縄文文化の一大拠点であった 企画・制作●東北電力、映像企画 上映時間●VHS/34分 2000年 今からおよそ1万2千年前の縄文時代、東北は世界の文明に先駆ける高度な文化を持っていました。三内丸山遺跡などに見られる高度な土木技術、多彩 な食生活、漆の技術、美しいアクセサリー・・・。それは、東北の縄文の村々が日常的に交易を行なっていたことも物語っています。このビデオでは、豊かな縄文の世界を紹介し、東北が縄文文化の一大拠点であったことを解き明かしています。 ビディオの内容は、「縄文映画三部作」や「ようこそ三内丸山へ」などのVHS作品と大きく変わるような内容ではない。むしろ重なる部分が多い。このビディオを借りてきたのは、同じジャンルで隣同士に並んでいて、その企画に「東北電力」と書いてあったからである。 東北電力は、地域ほぼ一社独占の国家エネルギー行政の中にあって、東北のトップの一大企業であることに変わりはない。原発や六ヶ所村の核処理施設などの建設の際に縄文遺跡が発掘されることも多い。大地からふたたび息を吹き返す縄文のいのちに対し、地球の長い歴史に終止符を打ちかねない現代科学の暴走する技術。その二つの悩ましい潮流の激突がここにも現われている。 先日、金華山にいった時も、女川の原発の存在を横目でみながらの旅だった。SPSの時も、スポンサリングの問題で、東北電力のことが話題になった。成瀬立成などの著作を読むにつけても、そろそろ原発行政はきちんと対応しないといけないと思う。もう遅いのかも知れないが。
2007.06.20
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「ようこそ三内丸山へ」-1994~2000- VHS カラー 25分 日本最大の縄文遺跡、三内丸山遺跡 三内丸山縄文遺跡が全国の注目を集めたのは1994年。縄文時代の前期1500年間、人々はここで平穏に暮らしていた。円筒土器、丈夫で固くできている。いずれも縄目模様からできている。栗や木の実のあく抜きや煮炊きに使われた。子どもの遺体もこの土器に詰められて埋葬されたという。人骨もわずかながら発掘される。 大人の墓は、海に向かって12~15mの道路の脇に作られていた。縄文人はは小集落を作ってすんでいたという常識は、三内丸山の遺跡で覆された。大きな6つの栗の柱が発見された。物見やぐらだったのか、トーテンポールだったのか。現代より平均温度で2度たかく、海面も3m高かったと推測される。 当時の縄文人は土木の技術も持っていた。縄文時代にはもっともっと海も豊かだった。広葉樹の森が、豊かな実りを人々に与えていた。ヒエやひょうたんの種もたくさん見つかっている。ここには農業があり人々は定住していたようだ。腰にさげるポシェットも見つかっている。織物、組みひも、部ブレスレット、耳飾り、ヘアピン(かんざし)、ヒスイのネックレス、し鹿角のハンマー、クジラの骨、掘り棒、火おこし棒、ウルシ塗りの鉢などがでてきている。 板状土偶もでてきた。当時のデザインはどこかヨーロッパ風で、現代の日本人の感覚とはすこし違ってもいるようだ。冬の間、遺跡を保存するのは難しい。ストーンサークルも発見されている。墓とされている。平等社会と想われていた縄文社会には、階級もあったようだということもわかってきた。海の近くに船付き場のようなものもあったらしい。栗も栽培された種類であったらしい。でてくる柱もほとんど栗だ。三内丸山にはきの文化、森の文化があったのだ。詳しいことは、さらにこれからわかってくるだろう。北の大地に縄文のまほろばがあった。
2007.06.19
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「魂の科学」 <1>OSHO /沢西康史・訳 2007/04 瞑想社 /めるくまーる 瞑想社からのOshoの本はひさびさなのかな・・? 横書きが新鮮。Oshoの本は読書というより、私にとっては別な意味をもっているので、ここに文字としては書きにくい。でも、手にとって読んだということだけ、記録しておこう。 Oshoを読むと、私は今、ここ、にいるしかなくなる。1万2000年前のレムリアや古代文明に想いを馳せることもできなくなる。2012年にあるとか囁かれるアセンションとやらにも思考が働かなくなる。北カルフォニアのシャスタ山の地下にあるというアガルタ・ネットワーク都市・テロスもどうでもよくなる。ウェブ3.0という呼び声さえ高いネット上の仮想社会セカンドライフさえ、なんとも子どもじみたおもちゃになってしまうではないか。-----------------OSHO最新作!!本格ヨーガの根本教典『ヨーガ・スートラ』パタンジャリは覚者(ブッダ)の世界のアインシュタインのようなものだ。パタンジャリは希少だ。彼はブッダのようにクリシュナのように、キリストのように、マハヴィーラ、ツァラツストラのように光明を得た人だ。だが、彼はある面で異なっている。これらの人のだれひとり科学的な態度を備えてはいない。彼らは宗教の偉大な創始者で、人間の心とその構造の全パターンを変革したが、そのアプローチは科学的ではない。パタンジャリのヨーガスートラは改良の余地がない。パタンジャリのヨーガは大いに誤解され、誤った解釈がされてきた。パタンジャリは体操教師ではないのに、ヨーガはまるで体操のように見られている。パタンジャリは言う、「努力しすぎると、それは不可能になる。無努力がそれを起こらせる」 ------------------<2>につづく
2007.06.19
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前よりつづく「セカンドライフ公式ガイド」マイケル・リマズイスキー /中川蘭丸 2007/06 インプレスR&D /インプレスコミュニケ 350p CD‐ROM付き この前見てきたばっかりなのに、久しぶりに書店を覗くと新しいSLのマニュアルが増えている。激増と言ってもいいかも。2年前のmixiのマニュアルのことを思い出した。mixiも発展中だけど、やや飽和状態。ライフラインとして定番化している。その中にあって、SLはこれから、どうなっていくか楽しみなところ。これは公式ガイドだ。CDもついている。なんせ350ページもある。さすが大御所というべきか。SLが今後どうなっていくのかなどというところへの言及もあって、興味深い。「日本語で始めよう!セカンドライフスピード攻略」 日経BPパソコンベストムック 2007/06 日経BP出版センター 発行日は8月1日。未来からやってきた一冊。日経BPもSLに乗り出したということか。基本的なことが一通り書いてある。「やさしいセカンドライフ入門」 スタジオセロ 2007/06 STUDIO CELLO こちらはA5版のコンパクトなマニュアルというべきか。写真もモノクロが多くて、ちょっと地味かな。内容は他書とそれほどかわらない。 「セカンドライフ非公式まるわかりガイド」 ポール・カー /グラハム・ポンド 2007/06 徳間書店 「非公式」とはいうものの、デリハリ関係者が書いている。いろいろなものがでてこそ、枯れ木も山の賑わい、というところか。つづく
2007.06.19
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「加藤哲夫のブックニュース最前線」 加藤哲夫 1997/03 無明舎出版 <1>よりつづく-------------------------------P375「自然食通信」1995年10月号より抜粋 そうそう、もう一冊紹介を忘れてはならない本がある。4年前の11月に仙台で開かれた国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス/仙台」の提唱者であるジェームズ・スワン著「自然のおしえ 自然の癒し」(日本教文社刊)である。ちょうどシンポジウムのときに見本刷りをもらったのだが、ようやく翻訳が出て、ここに紹介できることになった。氏は、スピリッチュアル・エコロジーを説き、リサイクルやエネルギー節約や消費の抑制などの個人的努力によって状況が解決するという考え方についても、アース・ディを例にとって次のように書いている。 ・・・「地球規模で考え、地域において行動する」というのが、現代のスローガンである。各人がリサイクルを行ない、エネルギーの浪費をやめ、有機作物を買い、紙袋を再使用し、その他環境を助けるための簡単なことを行なうならば、それらが集って変化が生ずる。人々は自分でやれることを探しており、だからこそ「地球を救う簡単な方法」という類の本が1991年のアース・ディのころはよく売れたのである。しかし個人的な行動が集れば成功するということについての直接的な保証はなく、またメディアは成功例よりも災厄のほうに目をむけがちである。アース・ディを正しい行為に保ちつづけるのに必要なのは、情報や教育を多く詰め込まれた人々だけではあるまい。現代人に欠けているのは情報そのものではなく、それを感じる能力、そして自分たちの生命は価値あるものなのだという認識なのである。・・・我々には倫理を説教することで倫理をつくろうとする傾向がある。独りよがりのなすべしを宣伝するのは、つねに危険なやり口である。・・・・---------------------------- 引用文の中の引用文まで引用するという、おかしな孫引きになってしまったが、まぁ雰囲気はつたわるだろう。この方の本は、このブログの中では「チェロキー」カテゴリなのだが、本全体としてはまさに「マルチチュード」カテゴリの一冊だと思うので、そちらに振り分けておこう。前回のエントリーで著者が言っているように「行政の援助、企業の協賛、市民のボランティアと三つが揃ってはじめて今回のシンポジウムが出来たといえる」というのは同感である。 著者の文章に対する感想、あるいは、ほかの部分の膨大な資料的文章に対する感想もいろいろあるが、SPS全体の俯瞰ができてから、また振り返るチャンスもあることだろう。この文章が掲載されていた「自然食通信」は1996年の12月号をもって休刊となっている。前年の阪神淡路大震災のよりリアルな現実的な社会、麻原集団事件による精神世界や市民活動の在り方の再検討、あるいはウィンドウズ95発売による本格的なインターネット社会の創出など、特徴的な時代背景の影響をうけていたと考えることもできる。 この後、著者な日本におけるNPOの在り方を示す先駆者的立場に立ったのだから、「行政の援助、企業の協賛、市民のボランティア」という三っつの揃い踏みを実現する方向に走り抜けることができた、と評されるべきだろう。近刊「一夜でわかる!『NPO』のつくり方」 などを見る限り、たくましい生命力の持ち主であり、身近な存在としての「うんどう」家のすばらしい一つの在り方を見せてもらっている感じがする。 方や、SPSのスタッフのひとりでもあった私は、そのスピリット・オブ・プレイスのスピリットのほうに未だに引っかかりを持ち、うんどうやムーブメント、活動、と言われる切り口とはまた別な側面の風景を、自らの中心になそうとしてもがいているかのようである。 ひとまず、この項<完>
2007.06.19
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「加藤哲夫のブックニュース最前線」 加藤哲夫 1997/03 無明舎出版 SPSを語るなら、この人を抜いて語ることはできないだろう。この人の本はそう多くはないが、実は発言量はそうとう多い。この本は「自然食通信」誌に足掛け13年に渡って書き続けた文章を一冊にまとめたもである。私なりに感想も多いが、今回は、関連のところを転写するに留める。ちょっと長文になるが、ご本人もこの著作において他書の長文を多々引用しているので、まぁ、許していただこう。------------------p245 「自然食通信」1992年1月号より この「スピリット・オブ・プレイス仙台」という国際シンポジウムは、そもそもは、アメリカの環境心理学者、ジェームス・スワン博士が提唱したシンポジウムで、今年は五ヵ年計画の四年目にあたる。スワン博士は昔はロックシンガーだったというなかなかの面白い学者で、今回の仙台での開催は、たまたま仙台出身の滞米10年という建築家が、日本帰国に際して分科会の話を持ってきたことが始まりだった。いろいろやっているうちに、なにやら大規模なものになっていったのである。 過去3年間のシンポジウムは、ネイティブアメリカンや科学者、家相・風水の研究家、宗教家、環境保護活動家などはば広い人々が集まり、「かつて自然と共生する知恵を有していた文明様式や、自然と調和して生きる先住民の文化に学びつつ、現代科学や思想の最前線と照らし合わせて、現実的な自然調和型の文明体系を模索する」をテーマに開催された。そのかなりディープエコロジー的なスタンスと、様々な分野をクロスオーバーし、対立する立場を超えようとするシンポジウムのあり方が注目を集めているものであるらしい。 この話に、最初はお手伝い程度の軽い気持ちで参加していたボクですが、いつのまにか中心的人物の一人になってしまい、結局運営委員長なる大役を果たすことになってしまった。なにしろゲストの総数が40名以上、3日間国際会議場を貸し切り、総予算ウン千万円、コンサート(喜納昌吉)とミュージカルまである、という大仕事なのに、2ヵ月前になってもやれるかどうかハラハラドキドキ、剃刀の刃渡り的世界だったのですから。 なにしろ、愛知前環境庁長官を特別顧問に、県知事、市長などお歴々をずらり並べた実行委員会組織だったので、なにかヒモつきの企画のように感じて、これらの名前を見ただけで拒絶反応を示す市民運動関係者が圧倒的で、おまけに企業の協賛金によってかなりの経費を賄う計画にしても、反発が多かった。 実際の実行委員会の人々も、運動関係者とは無縁の人が大部分で、今回初めてこういうことに取り組むという人ばかりだったと言っていい。そういうわけで、運動関係からの私に対する風当たりはけっこうひどく、陰口が跋扈する世界だったらしい。らしいというのは、みんな自分で直接私に言ってくればいいのに、必ず私のまわりの人、店のスタッフなどに言うのである。なさけないのに至っては、深夜私の留守の自宅に電話をかけてきて名前も名乗らずつれあいに嫌味を言う人までいる始末だった。 企画の中身はまったくの市民の自主的なボランティア企画なのだ。それはゲストスピーカーの人選を見れば一目瞭然なのだが・・・・。分かっている人なら、この人選でよく行政や企業の協力を得たと言ってくれる内容である。もちろんこれだけの大がかりなものだから、資金的にも入場料収入だけではやっていけないことはいうまでもない。行政の援助、企業の協賛、市民のボランティアと三つが揃ってはじめて今回のシンポジウムが出来たといえる。 そんな中で、私が今度のシンポジウムに一生懸命になったわけは、ひとつは、いま書いたように、相手に敵のレッテルを貼ってしまうやり方が自分の気持ちに合わないということ。どんな立場の人ともきちんと普通に話をして自分が考えていることを伝えたいと思ってきたし、そしてそんな立場の人の中からでも、分かり合うことが出来る人がいるということを信じていたことによる。 もうひとつは、環境問題がこれだけ騒がれる中、私たち自身が、この社会を動かしている人々の中に入っていってどれほどの力を発揮できるのか問われているのではないかと、常々感じていたこと。 さらに、実際の事務局を引き受けてくれた専門学校のスタッフたちが素晴らしい人たちだったからということも大きい。その学校の若い理事長は、4年前「センダードマップ」が出版されたとき読んでくれて、仙台を捨てるのを思い止まったという人。密かに「覚醒のネットワーク」を何十冊と買って、スタッフや生徒に配っていたという。今回初めて一緒に仕事をして、知り合いになった。レッテルさえ貼らなければ、どんな立場の人とも出会いのチャンスがあるということをつくづく感じた。 さらに「スピリット・オブ・プレイス」と言ってもなんのこっちゃ! というのが皆の声だったから、このシンポジウムの宣伝は二重に大変だったのだ。いろいろ言葉を尽くしても伝わらないのは、考えてみたら、運営委員長の私ですらよくわからないのだから、無理はないか、というシロモノではあった。しかし、何だかわからないからこそ、企業も行政も乗ったのである。その中で、必ず何かが起きるというのがおいらの野生のカンだぜ! おいらの動物的カンの冴えは見事に的中。国際会議場というコンクリートの箱にして、場のスピリットとは最も無縁の建物の中に、机や椅子を参加者とゲストが片付けて、輪になってメディスン・ホィールを作り、真ん中の枯葉や石やろうそくの火を囲み、トーキングスティックが回り、ゲストのネイティブ・アメリカンの太鼓や笛が響くといいう、まさに大草原の風を感じるような時空間が出現したのである。このような場作りを各分科会毎に心がけてのシンポジウムだったので、壇の上のパネラーが一方的に話をするというよくありがちなシンポジウムとはまったく違ったものになったことは言うまでもない。たくさん制約があってどうしようもないと言われている場所で、このような時空間を出現させたことに意味があると思う。 もっと、自然のあふれた山奥の環境でやりたかったという声もあったが、おいらは逆に思っている。建物や、スポンサーのことや、たくさんの制約があったけれど、私たちがなんとかしたいと思っている社会システムは実はもっともっと制約や障害物に満ちあふれているわけで、その中に入って行ってどれだけのことがやれるか問われているのだと思う。まさに制約観音、障害観音なのである。 もうひとつ、このシンポジウムで大きく気づかされたことは、先住民文化に学ぶということを言っているけれども、その中身はなにか、ということだった。いままで、以前の参議院選挙の時などでも典型的に現われているけれども、緑の運動、エコロジー運動といっても、議論をして一致して活動をすすめて行くということがなかなか困難なことははっきりしている。なぜ困難なのかという点について、One love のこころや思いやりの不足など精神的な側面から説明されることが多かったが、問題なのは、私たちの議論のすすめ方やものごとの決定の仕方が、全然近代社会のルール以上のものを作り出せていないということだろうと思う。つまり、相手を議論で打ち負かして、多数決で決めるというルールを越えられないということだ。近代的自我を持ち、堂々とした主張ができる人の言うことが通る世界、つまり今我々のいる社会をどう超えるかという問いが必要なのだ。 ここに先住民の文化、テクノロジーが意味を持ってくる。例えば、トーキングステッィクというのは、流木なんかに鷲の羽をつけたりしたものなのだが、その棒を持った者のみが発言を許されるのだ。他のものは全身全霊をあげて聞かねばならぬのである。ネイティブアメリカンの場合、そのような「場の掟」をみんなが伝統として受け入れているわけだが、我々の場合は新しいルールとしてこれを取り入れることになるのだ。不思議なことに、たったこれだけのことなのに、世界が変わるのである。いままで、相手の話の欠点に聞耳を立て、いつ割り込んで反論し、自分の主張を通そうとしていた自分のこころがゆらいでくるのだ。 先住民文化に学ぶというのは、だから、「自然と共生する文明様式」なんていう抽象的漢語で考えることではなくて、トーキングステッィクのような具体的なテクノロジーから始めることなのだと思う。 つづく
2007.06.19
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「縄文うるしの世界」 [縄文映画三部作/完結編] 青森県三内丸山遺跡98 VHS 2000/04 紀伊国屋書店 2部より続く 三内丸山の六本柱の目的は一体なんだったのか・・? 宗教施設のようなものであったことは確かなようだが、それはトーテンポールのようなものだったのか、見張り台のようなものだったのか。 三内丸山の人々は、木の実と野うさぎ、むささびを食していたといわれる。ウルシの製品も出土している。ウルシ工芸は複合芸術で高度な技術が必要とされる。ウルシは湿気がないと乾かない。石器を使って、木製の器をつくる。石器は思われているより、よく削れるようだ。あかの顔料ベンガラ。浄法寺町はウルシ塗りが盛ん。赤ウルシ、まつりで使う赤。 この三部作、非常に学術的であり、資料的にも貴重なものと推測される。VHSの資料を見、感じ、書き留めることはなかなか難しい。ただ、淡々と事実を積み上げられるなかで、次第に明らかにされる三内丸山の縄文人達の1500年の営みには、ふかい情愛の世界を感じる。この項<完>
2007.06.18
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「聖なる場所」 地球の呼び声 ジェームズ・A.スワン /葛西賢太・訳 1996/05 春秋社 SPS主宰者の「じつは自然は気前がいい 」に先立つ一冊。鎌田東二が日本語序文を書いている。 私が本書の著者ジェイムズ・スワンに会ったのは、1990年(正しくは1991年・引用者注)に仙台で行なわれた「スピリット・オブ・プレイス・センダイ」においてである。「スピリット・オブ・プレイス」はスワンが中心となって推進してきた、環境と文明と人間の調和ある関係を構築し再編していくためのシンポジウムやワークショップに名づけられた名称である。環境心理学を専攻してきたスワンは、聖地として伝承されてきた特別な場所が環境と人間とのかかわりを考える上できわめて重要な意味と役割を持っていることに注目し、シャーマンや地球物理学や建築家やエコロジストなどさまざまな職種や立場の人に呼びかけ、場所の精神性や霊性を掘り起こす催しを粘り強くつづけてきた。ii この本は転記すべきところが多すぎるので、恣意的に現在の私が関心あるところだけ抜書きしておく。 数週間後、機会あってチェロキー族の呪医、ローリング・サンダーにこの夢を話することができました。彼は病気を治療し天候を変える優れた能力を持っています。その能力については研究者たちの記録文書もあります。私の話を聞きながら、彼は椅子にもたれ、トウモロコシパイプをしばらくふかしていました。「ジム、ラップ人について調べるべきだ。そこで君はきっと何かおもしろいことをみつけるだろう。」13p YMCAの場合と、シャスタ山の麓のパンサードウ付近などの、神聖な泉のそばで行なうスウェット・ロッジの場合とでは、態度も経過も違い、まったく異なった結果にいたりうる。私は大学陸上競技をし、卒業後はダイエットのために、いろいろなサウナに行ったが、これらの健康ランドで、どっと汗を流したり、何らかのヴィジョンのみたり、何者かの声を聞いたように感じたりしている人を見たことはない。インディアンのスウェット・ロッジでは、こういうことはいつもおこっているのだ。p37 チェロキー族の神話には、自分たちの祖先がプレアデス星系から出たという言及があり、北米インディアンの創造神話では、遥かな星々から人々が渡来したと語る創造神をもっている部族もたしかにいるのだ。大昔に何が起こったかなど、誰にもわかるものではない。p51 チェロキー神話にプレアデス、とはちょっと驚き。 チェロキーの人々が、指導霊ジョメオキはノースカロライナ州のパイロット山に住んでいるといい、プノペスコットの人々が、ワシの翼と人の胴と鹿の角を持っている霊ポモラはメイン州のカターディン山に居ついているといい、メキシコのゾック族は、七つの頭を持っている大蛇ツァアツァンがチマラパ山にいるという。p58 1954年のある日、私は(サウスダコタ州の)ブラックヒルズを車で走っていました。ブラックヒルズにいると、高くて深い祈りと観想の中にはいっているようだと、自分の日記に書いたのを覚えています。草の葉一枚一枚が、この世の光ばかりではなく別のところからの光も受けて、輝いていました。この体験で私の魂は力づけられました。私はこのときには、そこが力を持った場所だということを知りませんでした。(レア・ホワイトの私信より)p86 この記述は、1953年春、シャスタ山の麓をドライビング中に、チェロキー青年・多火手の身の上に起こったことを連想させて、非常に興味深い。 編集者でもあり記者でもあるパトリシア・コリングスは、シャスタ山の万年雪の残る境界線まで車で上がっていき、道端に車を止めると、そこから歩きだした。雪と静けさだけの世界で、澄み切って青い空は強烈だった。その時かすかに鐘の音がちりんちりんと聞こえてきた。音楽のようだった。その音は下から聞こえてくるというよりも、四方八方から聞こえてくるのだった。p104 詩人ミハイル・ペルディチェフスキーは、パンサー・メドゥからそれほど遠くないところで、シャスタ山へ歩くよう命じられたように感じた。この場所は過去何世紀もの間、インディアンが儀式のために使っていた場所である。出し抜けに「私を守ってください」という声が聞こえた。その後まもなく彼女は、広大なスキー場がまさにその場所に建設されようとしていることを知った。それでその声が、助けを求める山の声であることがわかった。組織をつくったりした経験はなかったので、彼女は環境保護の運動の中に身を投じ、開発計画に抗議するために「シャスタ山を救う会」(Save Mount Shasta)という団体を作った。彼女が語っているところによれば、起こってくることに身をまかせると、睡眠時間が一日三・四時間でも大丈夫なようになり、そして夢も山の情景や象徴でみたされるようになった。こうした体験に触発されて、700人分の署名を集め、スキー場開発計画中止の請願を出すに至ったのである。p126 風水師は、竜や獅子や蛇や鳥などの神話的シンボルが、大地を表わすための単なる隠喩にどどまらないという。彼らは力を持った霊的存在なのである。p231 ここまでくると何でもありありとなってくるが、チョギャム・トゥルンパの「シャンバラ」を思い出した。 東インドの聖者シュリ・オーロビン度が「大精神」あるいは「超精神」と呼んだ宇宙的な知性は、シャーマニズムを実践するものにとっては特に重要なものである。p244 「土地の面倒を見てやると、今度はこちらが面倒をみてもらうことになる」と、ドン・ファンはカルロス・カスタネダにいっています。これはまっとうなアドバイスです。p259 個人的にSPSをレポートした文章が残っているので、近日中にHPにアップすることにする。
2007.06.18
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「一万年王国」 VHS[縄文映画三部作/第2部] 青森県の縄文文化 2000/04 紀伊国屋書店 1部より続く 海底から石槍が発掘された。このことからこの地点は13000年前は陸地であったことが証明されたという。現在の青森県とは、海岸線がちがっていたのだ。13000年前から温暖化が始まり、海水があがってきた。大型動物が絶滅し、木の実を食するようになった。木の実はアクがつよいので、煮炊きが必要になり、土器が発明された。 原発関連、リサイクル基地などの建設のため発掘された六ヶ所村の近くには、一万年も続いた縄文文化があったと考えられている。太平洋側の青森県になぜそのような遺跡が多くできたのだろうか。研究によって縄文時代の1年1年の塩の満ち引きが分かってきた。4700年前から4300年前までは寒冷な時代であった。三内丸山遺跡が大発展する時期は、気候が悪くなって寒冷化する時期であった。厳しい冬を過ごすため、共同作業をするためと思われる大型住居も見られる。 縄文時代の人々は何故、縄の目の文様にこだわったのか。それは縄に力があったからだ。山の中にあるツルから力強さを学び取って、生活の中に取り入れられてきたのだろう。ツルの巻き込む力を呪術的につかったのだ。縄文後期には神事に使われたとおもわれる土器が大量につくられるようになった。熊やオオカミが神としてまつられるようになった。 縄文遺跡のお墓から魂の再誕生を祈るような形跡がある。恐山のイタコの話もでてくる。研究者たちは、縄文文化は、考えられているより、もっともっとおおらかで楽しかったであろう、と推測する。 3部へつづく
2007.06.17
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「木と土の王国 」[縄文映画三部作/第1部] 青森県三内丸山遺跡94 2000/04 紀伊国屋書店 紀元5500年前から4000年前までの各時代、途切れなく遺跡がでてくる青森県三内丸山遺跡。竪穴式住居が580軒あって、縄文の集落としては日本最大だという。この時代、ナイル川流域で、ミラミッドが建設されていた時代よりさらに数千年遡る。 三内丸山遺跡からはウルシの器が出土している。昔からこの地域からさまざまな出土品があることは分かっていたが、野球場建設計画をきっかけに遺跡発掘が本格的に始まったのが1992年のことだった。1991年のSPSの翌年。 当時使われた船を漕ぐオール、現在使われているものとほとんど同じだという。加工された翡翠は600キロ離れていた糸井川から運ばれてきたと推測されている。琥珀(岩手)、黒曜石(北海道)、アスファルト(秋田)なども出土する。 胎児や子どもの墓は、家の近くにあって、母親の胎内に戻ってほしいという願いが込められているらしい。大人の墓は、住居より離れていて、平穏にあの世にいって欲しいという願いが感じられる。 魚や動物の骨なども出土しているが、野うさぎとむささびが際立って多く食されていた傾向があるという。1500年も長く定住できたのは、あまり哺乳類の動物に頼らず、草類を多く食していたからだろうと推測されている。 野球場の工事に追われるように発掘作業がすすむ中、85センチ直径の穴が6個規則的に並んでいるのが発掘された。野球場の建設は中止された。 粘土と砂を基礎とする版築工法は、中国大陸から伝わったとされるが、それ以前から縄文人たちが知っていた可能性がある。 巨大な穴を6個残した巨大建物は一体なにだったのだろうか。見張り台だったのか、宗教的施設だったのか。栗林の中に、1500年も続いた数百人の縄文の村、木と土の王国があったのだ。 2部へつづく
2007.06.17
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「物理学者、ゴミと闘う」 成瀬立成 講談社 2007/04 日々憂いているわりには、私のゴミ対策など微々たるものだ。それで効果があるのか、独りよがりなのではないか、むしろ間違った努力をしているのではないか、そういう疑問がいつもつきまとう。 数ヶ月前から自宅への朝刊配達をストップしてもらった。インターネット以前は、地方紙、全国紙、業界紙、あるいは日曜紙など、数種の新聞を読むことが業務の一貫だったのだが、ネット以後、特に最近は、SNS情報やポータルサイトで各新聞の見出しなどで、大体の世の中の動きがわかるようになってきた。どうしても必要なものは図書館で読む。だから、我が家から出る「ゴミ」のうち、古新聞は多いに減った。日常的に目の中に飛び込んでくるオブジェクトが一つ減っただけでも、すこしすっきりしている。 さて、この古新聞は本当に「ゴミ」なのであろうか。我が家で、数ヶ月に一度づつ地域の子供会で主宰するごみ収集に古新聞をだしていた。じつは、これ子ども会の活動資金の大きな支えになっているのである。合計すると数万円になるらしい。だから、私が新聞をよまなくなったことは、子ども会へのカンパが少し減ったことになる。 子ども会が集めた古新聞は、どうなるのだろう。一部業者にわたり、リサイクルされるはずなのだ。古新聞は再利用率の高いものだと聞いた。つまり、古新聞は、ゴミはゴミでも持続可能な社会の中にあっては、決して悪玉ではないのではないか。だから、新聞をよまなくなったことは、私の家計にはやや良かったが、環境全体では、あまり効果てきめん、ということでもなさそうだ。 さて、次。近年、ある河原清掃のグループの活動に参加させてもらっている。真冬以外の一年間を通して、川岸の清掃をつづけている。といっても、月に一度、土曜日の午前中に一時間だけ、周囲のゴミを拾うだけだ。だから、ビニール袋に半分くらいゴミを拾うのが精一杯なので、参加者が3~40人いたとしても、環境全体に対する良い影響は微々たるものなのかもしれない。 しかし、流れのある河原の岸に形として残っているのは、ジュース缶、発砲スチロール、ペットボトル、タバコのフィルター、ゴム、プラスチック、お菓子袋などだ。流れてしまうもの、腐れてしまうもの、消えてしまうものは、すでになくなっていることが多い。残っているのは、やはり石油系のものだ。いつまで経っても大地に戻らないもの。自然の中でリサイクルされないものが多い。 地域での活動のかいあって、本当にポイ捨てされるものは少なくなっている感じがする。しかし、大水がでた時に、上流から流れ着いて、岸の木々の小枝に引っかかったりしているものも多いので、今後もゴミがゼロになることはないだろう。集めるゴミはそれほど多くはないが、私たちの下流へ漫然と流れていくのを止めることはできる。すくなくとも、ごくごく一部の地域エゴ的な清掃活動ではなく、地球環境にわずかながら深く関わる内容であるだろう。 また、最近、マイ箸を作った。割り箸の消費量は、日本人年間平均、ひとりで300膳使っているらしい。そしてこの割り箸は再使用されることはなく、新たな「ゴミ」となって新たな処理をされることを待つことになる。ところが、これだけの木材を使うと、平均的な日本家屋を数万棟建てることができるというのだから、驚きだ。 そしてさらに問題なのは、この割り箸は、かつては日本山林の間伐材などでつくられていたのだが、最近では、中国の山間の木々が伐採されて、専用に割り箸がつくられているということである。これがひいては中国山地の山間の砂漠化を促進させ、下流地域に洪水をもたらし、日本にも黄砂となって飛来してくるということになる。割り箸ひとつで、環境問題を考えるというのもすごいことだと思う。野球の折れたバットで箸をつくるということも流行っているらしい。 あるいは、チーム・マイナス6%なんてのにも登録している。クールビズでネクタイをはずすなんてのは大歓迎だが、やはりこれからの季節、エアコンの過剰使用には留意しなくてはならない。設定温度、27度、28度、29度で、こんだけ違うのか、とデリケートに感じるようになった。27度だと涼しいのだけど、28度だと、ちょっと暑いぞ、なんて正直感じる。だけど、この夏は28度で、あとはノーネクタイや団扇(?)でなんとかやりくり。などなど・・・。 さてさて、この本、非常に面白い。物理学で原子核などを研究していたおじさんが、今は町田市ごみゼロ市民会議代表などに担ぎ出され、その過程でいろいろ考える。その中で、やっぱり原子力発電や石油文化が、いかに持続可能社会に対立しているものかをわかりやすく説明してくれる。2004年にノーベル賞平和賞を受賞したワンガリ・マータイ女史の「もったいない」精神を幾度も引用しながら、ゴミ問題の難解さと、本質について、さまざまなわかりやすい角度から、きちんと根拠をしめして説明してくれる。 ルー大柴も最近「MOTTAINAI もったいない」で再ブレークしている。マジで紅白出場を目指しているようだが、それも面白いかも。
2007.06.17
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「じつは自然は気前がいい」 ジェームズ・A.スワン /ロベルタ・A.スワン 1997/12 フォレスト出版 原書 Bound to the Earth 1994 ジェームズ・スワンの著作が現在、私の手元には3冊あるのだが、他の2冊は私の蔵書で、この本だけ図書館から借りてきた。そろそろ返却の時期なので、発行時期は一番最後なのだが、この本から書いておく。というか、3冊の中では、この本が一番読みやすい。 本書が1990年代の始めにアメリカで出版されて以来、私たちは”土地の霊魂--古代の知恵の今日性"という名前の5年にわたるシリーズのシンポジウムを開いてきました。そのなかに、1991年に日本の仙台市で開催されたものがあります。このプログラムでは350名の講演者と1万人の参加者を得ましたが、その目的は土地にはそれぞれ独特の特性、霊性、パワーあるいは性質があるという古代の知恵の今日的意義を理解しようというものでした。これらのプログラムには、世界中の土着の文化の代表者たちだけではなく、建築家、デザイナー、設計者、科学者や学者など大勢の方が参加していましたが、土地の”霊魂”に従ってデザインすることは、人間の健康と創造性にとって根本的に大事であることが明らかにされたと思います。これらのプログラムの成果に留意して、持続可能な社会をデザインするには、デザイナーの心が自然と調和しているというところから始めなければならないと私たちは申し上げたいのです。私たちは木がやっているのと同じように考えなければならないのです。p250 ここで、土地の霊魂、と翻訳されているが、1991年のシンポジウム時点では、このような日本語が流されたことはない。一貫して「Spirit of Place」だった。日本人の私たちにとって、Placeという言葉はある意味、どうでも良かった。お目当てはSpiritであっただろう。だから、人々を動かしたのはSpiritあるいはスピリットであって、霊魂ではなかった。まぁしかし、1997年になって翻訳する段階でそうなってしまうのはしかたないかもしれない。日本語として対応していたのは環境心理学(Environmental Psychology)だった。 ジェームズ・A・スワンのホームページは、きょうあらためて初めて見た。彼の著作はそう多くはなく、日本語訳もなかなか大事にされている。 スワンは、当然、シンポジウムの主宰者として参加していたのだが、カーボーイハットをかぶって、ギターを弾くというようなカッコイイスタイルの男だが、決してでしゃばらない誠実な人物だった。目を見て話す、日本語にもよく耳をかたむけていて、通訳の翻訳の前に、その音調を聞き取っているかのようだった。 副題である、DESINING FOR SUSTAINABLE COMMUNITIES BASED ON NATURE WISDOMとはどう翻訳するのだろうか、自然の知恵に根ざした持続可能な社会のデザイン、とでも訳すのだろうか。この本にざっくり目を通して、ぱっと感じるところは、派手さがない、ということである。誇張がない。山盛りサービスもなければ、ワゴンサービスもない。ただただ、ひとつひとつの具体的な取り組みを紹介し続ける。この淡々とした、ある意味素朴な姿勢が、なにかのプラットホームを提供しているような感じに見える。 つまり、ウィキペディアやGoogleなどが、ひとつのプラットホームだけを提供して、あとは、ご自由にお使いください、と開放しているような、そんな自由性がスワンが作り出す世界にはある。だからこそ、私たちは、あれほど、自分達のイメージを次から次へと盛り込み続けることができたのではないか。「350名の講演者と1万人の参加者」と表現される時、そこには、なにか「集合知」にむけての知られざる知恵が隠されているような感じがするのである。 狩猟採集民にとっては移動と旅はただ食物を見つけるためだけではなかった。数多くの狩猟採集民のグループはまた、聖地を訪れれるために長い旅をした。オーストリアのアポロジニーはいまでも聖地である洞窟、山、そして泉などを訪れるために”放浪”の旅に出る。アメリカ先住民も同様に、サウスダコタ州のブラックヒルズにあるベアビュートやシャスタ山のような聖地への旅をする。彼らは自分のなかの霊的な呼びかけに駆り立てられてこうした場所を訪れるのだが、その旅は部族社会をひとつにまとめて安定させた。p152 サウスダコタ州のベアビュートは、平原の先住民にとって重要な整地である。何世紀にもわたって彼らはこの地と訪ね、ヴィジョンを授かることを願って祈り、断食をする。カリフォルニア州北部にあるシャスタ山はこの地方に住むすべての部族にとっての聖地である。p153
2007.06.16
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「武力で平和はつくれない」 私たちが改憲に反対する14の理由 市民意見広告運動 2007/04 合同出版 このブログでは「憲法九条を世界遺産に」やら「反戦平和の手帖」やら「美しい国へ」なんて本を横目で斜め読みしてきた。ノーム・チョムスキーやらネグリ&ハートの著作にも、訳がわからないなりに目を通してきた。図書館の新着本コーナーにおいてある限り、多くの人々の目にとまることになるのだろうし、通常の社会人としてこの手の本が世の中には流通しているのだよ、と自分の目を醒まさせる程度には、チラチラと読んでみる。難解で理解できないものもあれば、立場が完全にちがっていて、その意見は受けいれることはできない、という本もある。ニュートラルだが、今が旬、という本もあるし、とても感情移入できる本だが、随分と前にでた本で、読むチャンスを逃した、と思える本もあった。 さて、この本は、私にとっては、どのような位置にある本だろうか。 最近取り沙汰されている憲法改正問題については、私の率直なところはこうだ。1)自国の憲法は自分たちでつくるべきだ。 → 憲法改正OK。2)憲法九条の精神は、絶対支持。 → 戦争反対。3)現状で改正されると九条があぶない。 → 自民も民主もあやしい。結論) で、どうすんのオレ → 今のままでいいんじゃないか・・? 今のままでいいんじゃないか・・?という程度の、日和見的態度でいたのでは、現在の「憲法改正」の動きは止まらない。積極的に、改憲に反対する立場を表明するなら、しっかりとした思想的根拠をもっていないと、流される。巻き込まれる。いつかは後悔することになる。そんな時、「いまのままでいいんじゃないか」という私の背中を押してくれる本が、この一冊だ。1、非武装のままで、侵略されたらどうするのか?4、テロが頻発しているのだからテロ対策は必要ではないか?7、子どもたちに「愛国心」を教えるのはあたりまえではないか?10、米軍再編は沖縄県民の負担を軽減するのではないか・14、北朝鮮は内政・外交ともに「悪の帝国」。徹底的な制裁が必要ではないか? いずれも、ひとつひとつがなんとも微妙な問題だ。この本は、これらの質問にひとつひとつ答えていく。私はなるほど、うなづくことが多かった。しかし、それらを自分の確たる意見としてしっかり自分の中に根付かせるには時間がかかるような感じする。この本に対する反論も、自分の中からまた湧いてくるからだ。
2007.06.16
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初読<5>からつづく「魂の螺旋ダンス」はるかなる今ここへ<6>長澤靖浩 2004/12 第三書館 著者からの書き込みはこの部分についてだ。 そして黄泉の世界でのケガレを身禊する際に、数々の神が誕生するのだが、その中に王権に繋がる三貴子、アマテラス、スサノオ、ツクヨミが含まれるわけである。つまり、国土や自然の諸力は、男女ニ神の交わりと協同の中から生まれるのだが、王権につながる三貴神は、男性神が独りで生み出すのである。ここには、重要な思想が、期せずして正直に語られている。すなわち国土や自然の諸力を生み出す原理は両性の交わりの豊饒性であるが、王権を生み出すのは男性神の単独の力であることが、明らかにされているのである。p63 なるほど、そう書いてあるのか。申し訳ない、日本人でありながら(たぶん)、「古事記」や「日本書紀」をまともに読んだことがない。その記紀神話から日本が成り立っているのだ、というフィクション(といってしまっていいのだろうか)はフィクションとして、そこから自分の存在、というものまでの繋がりを考えたことがない。 日本神話が、男性優位思想と障害者差別から始まっていることは、非常に象徴的である。この二点は、国家が軍事的な性格を強める際に、くり返し強まる性格を持っている。明治以降の大日本帝国もそうであったが、ナチスドイツの誤った優勢思想に基づく障害者大量虐殺もその最たるものであった。p63 個人的な乱雑なメモに近いわがブログなど、もともと大して精緻な思索などできていないのだが、少なくともネット上に書いている限り、あまり込み入った不確かなことをむやみに書いていくのはよしておこうと思う。そういうことにはいっさい自信がない。しかし、この辺のabhiの文章に対して、そのような考察があるのか、と感心しつつ、どこかで、この神話の世界に対する拒否感がつよいのは、どうしてなのだろうか。 障害者についてもだが、とくに男性優位のくだりや、女性性のありかたと「秘された神」ツクヨミの関係などについては、あらためて納得することが多い。しかし、私自身は、自らの住んでいる地域性や、今までの教育のされ方などから、どうしても記紀神話には乗り切れていけないものを感じる。なぜだろう。 それは、まぁ不確かながら、自らは、「まつろわぬ」民の末裔である、と考えたほうが納得がいくからである。近くにある多賀城の、「アラハバキ」神などについても、詳しくはなにも知らないのだが、その質素な小さな社の前に立った時、皇居参賀や、伊勢神宮や出雲大社に参拝したときとおなじくらい、あるいはそれ以上のスピリチュアリティを感じるのである。 私の生家の屋号は、7つの島という意味を持っている。それは代々受け継がれてきたものだが、その由来は、近くにある遺跡にある。くわしくは省くとして、近くには7つの塚があり(今は住宅地になって、見る影もない)、小さな観音が祭られている。その塚のいわれは、安倍貞任と八幡太郎義家が戦った時、敗北した貞任軍が退却するさいに、武器を隠して埋めたとされている。 その当時から血脈が繋がってきているかどうかは確かめようがないが、私には、どうも記紀神話に対する根本的な拒否感がある。もっとも、まつろわぬ者たちほどの反逆性を持ちあわせてもいないのだが・・・。 さらにabhiはこう書いている。 現代の日本、特にニューエイジカルチャーにおいて「古神道」という用語は、検討もなしに漠然と使用されている。その言葉の理解の仕方は混乱しており、時には「天皇制成立以前の日本古来の信仰を古神道という」と信じられている。だが、それはまったくの誤解である。 では以下に「古神道」という用語の成立までの歴史を簡単に追ってみよう。 江戸時代、本居宣長は、それまでは『日本書紀』の影に隠れて顧みられることの少なかった『古事記』に着目し「古道」の名のもとに、「日本の固有の信仰」を復元しようとする。 この時に登場した「古道」という用語こそ、後に「古神道」という用語に繋がっていく言葉の初出である。p72 なるほど。abhiの本には学ぶことがとても多い。なるほどと、しきりに納得する。しかしながら、私は、どうも性格なのか、このような言葉の精緻な使いまわしができない。例えば、アメリカ・インディアンというべきなのか、ネィティブ・アメリカンというべきなのか、という論争(というほどでもないか)も、興味は湧くが、結局、どちらも使って構わないようだ。あるいはインディアンとか、アメリカ、という言葉でさえ、いままでの理解よりもっと幅を広げて考える必要があるようだ。(北山耕平による) 私は、いわゆる古神道を自らの道としているわけでもなく、また、さらに遡って縄文人とよばれる人たちに強烈なシンパシーを感じているわけでもない。ただ、指標として、他者とコミュニケーションをする場合に、たがいのイメージの摺り合わせができる程度であれば、それで言葉は足りるとさえ思っている。もちろん、自分がこだわりをもっている部分については、こんな淡白な態度はとれないが、少なくとも、abhiにとって何が重要なのか、ということを、この辺の文章から推測していくことができる。 ところで、「ツクヨミ--秘された神」の中に気になったところがあったので、転記しておく。 ツクヨミノミコトを祀る神社では最多の系統を持つ月山神社は、出羽山形の月山信仰がもとになっている。月山神社・羽黒山神社・湯殿山神社の三社を合わせて出羽三山神社と呼び、一体の信仰となっている。その中心が月山を信仰対象とする月山神社で、祭神は月讀命である。 しかし、もともとの祭神は「御祖神(みおやがみ)」「山神」であって、この地域を代表する三山への山岳信仰が原型になっている。のちに「月山」「月神」の縁で、月讀命を祭神に比定したものである。つまり、これは本来は月讀命と無縁の信仰である。 月山神社は全国に八一社ある。といっても高知の一社を除いてすべて東北地方にしかない。これは祭神が地方神であって、信仰に普遍性がない場合の典型例である。ツクヨミのような「天神」信仰にはあり得ないもので、「地祇」「国津神」の特徴である。p33 この部分を読んで、なぜかほっとしている自分がいる。月山は月山であってほしい。月山は、金華山、恐山と並ぶ、こちらでの三大霊場だ。中沢新一に指摘されるまでもなく、東北には東北のスピリットがある。シャスタ山をアメリカン・インディアン達が聖なる山として崇めたように、月山を聖地として崇めてきた人々がいたことは確かなことだ。それはアイヌの人々であったかもしれないし、縄文人や、あるいはベーリング海峡をわたって北米に渡っていった人々の先祖であったかもしれない。 マヤ・アステカ・インカの末裔の人々が、渡来人であるスペイン人たちが持ち込んだキリスト教に帰依しているように見えていて、実は、その以前の神々を礼拝している、ということもあるに違いない。チベットの民衆が、ボン教から仏教に改宗したことが(という表現がゆるされるかどうかわからないが)、ほんとにそれでよかったのかどうかは、わからないのではないだろうか。まぁ、この辺はabhiの「グルイズムからシャーマニズム復興運動へ」p167あたりでも読み直して、ゆっくり味わいなおしてみようと思う。 この辺あたりから、実はSPSにつながってくる話題もあるのだが、まぁ、とにかく、本来、スピリチュアリティは、組織化された外部にあるのではなく、ひとりひとりの内部にあるものであるはずだ、という思いは強い。<7>へつづく
2007.06.15
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SPIRIT OF PLACE SENDAI いのちのつながり、場の響きあい 国際シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」<1>報告書 平成3年11月25日(月)~11月27日(水)仙台国際センター いつかなんらかの形で集めておきたいと思っていたのだが、すこしづつそのチャンスが巡ってきたかもしれない。略称SPSというイベントについて、このブログが始まった時から、そう思っていたのだが、正直今もまとまっていない。現在でもSPSの形ではネットでもほぼヒットしない。しかし、このようなイベントがあったのだという記録は、ネット上にも残っていいはずだ。 あれから、すでに16年も経過したのか、と、感無量というところがある。もともと、企画に関わった誰もが、自分たちの手によって、連続企画になるとは思っていなかっただろう。だから、一回限りになってしまった。しかし、本来、このイベントは、もっと連続企画で続けられるべきものだったように思う。その行く手に立ちはだかった原因はいろいろあっただろうが、まずは、バブル経済崩壊、という大打撃だった。それと、国政を巻き込んだ政治的汚職事件。さらには、いわゆるカルトと呼ばれる集団性による事件が勃発して、ますますその可能性を萎縮させた。 もちろん、私の手持ちの情報もそれほど多くないが、あちこちに散見されるものを繋ぎとめておくことも、今ならまだ間に合うかもしれない。もともと、あの企画は、一つの集合知の結果であったし、また、可能性の萌芽を含んでいたはずだ。もし、すこしでも可能性が残っているなら、ふたたび息を吹き返す可能性もある。 まずはともあれ、口火を切っておこう。<<関連書き込み>>「聖なる場所」ジェームズ・スワン 「じつは自然は気前がいい 」ジェームズ・スワン「加藤哲夫のブックニュース最前線」<1> 「加藤哲夫のブックニュース最前線」<2> 「スピリットの森から」おおえまさのり「一切経山」山尾三省 「アース・スピリット」喜納昌吉&チャンプルーズ <2>につづく
2007.06.15
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「FX!」もう、外貨なしでは生きられない!! スマートFX研究会 2007/05 幻冬舎メディアコンサルティング /幻冬舎 非常に引っ込み思案な態度だが個人的には、投資で勝つには、投資をしないこと、という結論に達してしまっている。やってもやっても勝てない。これは才能の問題であるだろう。あまりの才能のなさについ先日、無料ホロスコープ作成サイト、というところにいって、自分のホロスコープをつくってみては、あらためてまじまじと眺めてみた。紺屋の白袴。FPであって、なお他人のホロスコープなどをみたりする立場にありながら、あまり自分のことを省みたことがなかった。しかしまぁ、こうしてみて見ると、人間、なんの才能もない、ということはなく、たまたま、私には私なりに他に伸ばすべき才能があり、投資以外に道を見つけるべき、という「お答え」であったに過ぎない。(笑) バーチャル仮想社会・セカンドライフにおいては「ITスキル」と「英語力」に加えて、「財務力」が必須だと言われている。だからこのような外国為替証拠金取引「FX」についての知識や情報を身につけておくにこしたことはないだろう。投資のコツは、自らを知ることにあるし、「投資」をしないことも立派な「投資」である、と個人的には納得している(つもりなのだが・・・)。 この本に書いてあることは、いちいちごもっともなことが多い。カラー印刷の図版入りで、登山家の野口健などのインタビューを交えながら、人々をFXの世界におびき寄せている。「日本人の持つ金銭感覚」、p16「個人個人が分散投資を考える時代へ」、p32「国家から独立するために」、p34「日本を飛び出して外国を知ろう!」・・・・・。さすがに言葉巧みだな。だが、こちらの頭には、アメリカにおける401Kやら、エンロン事件やらで、個人の年金がずたずたにされた惨劇が刷り込まれている。そうやすやすとその手に乗るわけにはいかない。ましてや、最近の日本における年金騒動だが、ちょっとメディア・バイアスの匂いがしないでもない。そんなこんなで、簡単には動かないが、無関心ではないですよ、と、このような本にも目をとおしておく必要を感じる。
2007.06.15
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「SEのホンネ話」 会社じゃ言えない 北見隆二 2007/03 幻冬舎 このブログでは、現代を象徴するような職業として、プログラマー、ジャーナリスト、カウンセラーをあげておいた。それぞれに科学、芸術、意識、を対応させておいたのだが、もちろん、この三つの要素を一人の人格に納めるのは至難の業ではあるだろうが、本来、そうあるべきだ、との提案だ。1)グローバル社会に対応する創造的なプログラマー2)マルチな表現を理解する瞑想的なジャーナリスト3)転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラーこの三人の要素が、やがて一つになっていくようなそんな方向で、このブログはひとつひとつの「壁」をとりはらっていくことになるだろう。06-10-08の書き込みより ところで、ここでいうプログラマやSEという言葉は、もっと詳しくみていけば、さらに細かく分類されている。「SEの持つべき『思想』」 などでは、ほぼ8つのジャンルに細分化されているようだ。だからあんまり大雑把なザックリ話を繰り返していてもしかたないのだが、この「会社じゃいえない・SEのホンネ話」も、現場告発本ではなく、自分の「告白」本なのであり、会社名や直接の情報をボカして表現されている限り、こちらもそれに合わせて、ザックリと読んで良い一冊なのだろう。 そう胸元をおおきく広げて、リラックスして読めば、この本は面白い。ここまでホンネ(だろうと思うのだが)を書いてくれると、この業界に対する理解も深まるし、親近感ももつ。確かに、思ったほどカッコイイ訳じゃないんだなぁ、と理解しつつ、決して、この業界を軽視するような方向にはいかない。 かつてはオタクといわれたパソコンのヘビーユーザーたちは、一般社会の「ジョーシキ」を知らないかなりな「困った」ちゃんと見られていた時期もあった。敢えていうなら、95年あたりまでだろうか。それより、はるか以前、80年代中ごろなら、なるほど、その指摘も正しいと思わないこともなかった。しかしインターネットが普及した90年代後半、そして、21世紀になってすでに7年が経過した。パソコン(情報機器)=オタク、と見る向きはすっかり変わっている。秋葉原あたりでの一部の突出した現象はあるらしいが。 で、この本を読んで思うことは、オタク的な部分と社会的ジョーシキのなさ、これらはかならずしも「SE」として表現されている情報処理労働者たちだけにあるわけではないだろう、ということだ。だから、ホンネ話で、内情に精通している人たちになら、大うけするだろうお話も多いのだが、業界と世代と、それぞれのお話がないまぜになっているところは、すこし注意深く分離させて読んでいく必要がある。もちろん本書の内容は、著者のユニークな愛すべきキャラクターの個別性に負うところが大きい。著者には、というコミックエッセイもあるらしい。かつては「いまさら聞けない」とか「サルにもわかる」とかいったパソコン初心者を揶揄したようなタイトルの本が多かったが、最近は、このようなギョーカイ内のプロ達の話も流出してきて、いよいよ情報社会(の裏方の世界)も成熟してきたななぁ、と思う。過熟とか、腐敗、とかでなければいいが、とは、門外漢のちょっとした危惧感。
2007.06.15
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「メディア・バイアス」あやしい健康情報とニセ科学 松永和紀 2007/04 光文社 このブログでも、過去何回か、ちょっとだけ納豆について書いたことがある。L・ポーリング博士や大槻義彦教授との兼ね合いの中で、納豆に触れた。この本は、その「納豆がダイエットによい」と報道した「発掘!あるある大辞典2」についての考察から始まる。つまりは、そのテレビ番組がなぜそのような報道をしたのか、なぜ制作会社がその番組をつくったのか、なぜ科学者たちがその番組に「協力」したのか。そしてさらには、なぜ視聴者は、その番組を見、その内容を「信じた」のか。 1963年生まれにして大学・大学院で農学を修め、さらに10年間にわたり毎日新聞社に記者として勤務した。現在はフリーの科学ライター。サイエンティストにしてジャーナリスト。組織に頼らないフリーの表現者という意味ではアーティストとも呼べるかもしれない。彼の言説には耳を傾ける価値がある。ただ、惜しむらくは、「神秘家」としての基本的要素が発揮されていないようだ。 「ロハス」とか「ソトコト」なんて言葉もちらちら耳にすることもある。そんなことも含めて、いろいろ考えた。 まず、テレビの健康番組の情報なんて、ありゃぁ適当にいい加減、とほとんど誰でも気づいてはいるだろうな、と思う。適当にフレームアップされている。つまり作られている。それは、ある意味UFO番組にも通じるところがある。ほとんどいい加減だ。でも、人々はそれを見る。以前、英国のミステリーサークルについて、ちょっと触れたことがあった。一時期タレント化した知人について、その時、こう書いていた。 「たとえば、テレビに出演した時は、ミステリー・サークルの権威のような顔していたが、個人的に一対一で話してみると、『あれは人間がやってるんだよ』と静かに断言するような、きわめてクリアな男である。」 もともとテレビ健康番組を見ない、そしてメタボ症候群でありながら、あまり健康的でない(かもしれない)生活を送っている私には、この本の著者が「あやしい健康情報とニセ科学」について力説してくれても、ちょっと馬の耳に念仏的なところがある。つまり、納豆ダイエットに限らず、その他のたくさんの例を挙げて、科学者の目でいい加減なジャーナリズム(マスメディア)を糾弾してくれているわけだが、個々の例については、なかなかじっくり追いかけて考えるだけの力が私にはなさそうだ。ただ、メディアの報道の丸呑みはできないよね、ということだけは、以前にも増して、よくわかった。 多分よけいなおせっかいだろうけど、正直に思ったままを言うなら、この著者が将来的に「人間」として、更に大きくして成長いくと仮定して、やはり「意識」や「神秘性」への扉も開いてほしいな、と、思う。彼が誠実な科学者であ(ろうとしてい)ることはよくわかる。しかし、このままで行ったら、科学「妄信」主義になってしまう。学問や科学はつねにひっくり返されてきた。そしてさらには、現代においては、「科学」そのものの根底に疑問をもたれている。科学者が全うな科学であることを主張することによって、すべてが真理である、と主張できる時代ではない。
2007.06.15
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「ウェブ社会をどう生きるか」 <1>西垣通 2007/05 岩波書店 ★★★★☆ このブロブでは著者の共著を一冊読んだだけだが、作品一覧を見る限り、興味引かれるタイトルが多い。「思想としてのパソコン」、 「IT革命 ネット社会のゆくえ」 、「グロ-バル社会の情報論」 などなど、ドックイアーのIT進化論の中でなければ、じっくり読んでみたいところだが、どれも、もう内容的には古いだろう。うまくタイミングを合わせないと、この手の本はすぐ陳腐化する。 今回はまだ発行日から数週間しか経過していないので、こんどこそ「美味しく」この著者の本を読めるにちがいない、と秘かに期待した。だが、率直に言って、すでに陳腐化したような内容だった。なぜなんだろう、なぜそう感じるんだろう。 パソコン、IT、ウェブ、と言ったものに対して、読者として期待しているものは、時代の最先端でなにが起きているのか、すでに何が可能になっていて、これから何に向かって走り続けているのか、という実況放送だ。多少、画像がゆれたり、音声が途切れたり、場合によってはまったく意味不明なわき道にそれてしまっても、それはそれで臨場感が高まるから、まぁ、それもニュースのうちだ。 私は、こんな、やや粗めの情報源ではあるが、刺激的なもの、そんなものをウェブ進化論やweb2.0という現象の陰で期待しているのだと思う。ところが、この著書は、あくまで誠実だ。曖昧なものを曖昧なままにしてはおけない、という律儀さ、堅実さが際立っている。つまり走り続けているものをとらえるのに、静止画像でとらえようとしているような感じがする。 つまり、例えばF1レースのデットヒートのシーンを放送するとして、画像のかすれやフォーカシングの失敗は、ある意味、実況中継のスピード感を表現するには、むしろ必要不可欠なものであるに違いない。いやむしろ期待せざる効果が湧き上がってくるにちがいないのだ。 ところが著者の場合、300キロでデットヒート中のカーレースでも、完全な静止画像でとらえようとしているかのようだ。すっかりスピード感が損なわれてしまう。つまり、著者の心はレースカーといっしょに走っていない。車は猛スピードで走っているが、路傍の著者はのんびり腰をかけ、あさっての方向をみている。つまり、ノッテいないのである。 今日、知り合いの青年とケーキを食べた。彼は20代の某Yバシカメラの社員さんだ。パソコンの話になり、googleの話になり、ブログやSNSの話になった。そしてもっと面白かったのは、セカンドライフの話になった時だ。すでにSLにはFBIが入っているという。そして彼が住んでいる県では、すでにSL内にテーマパークを作っているという。 この本の中には、数年前の養老猛の「バカの壁」の話題は繰り返しでてくるが、ごく最近話題の「セカンドライフ」について触れられているところはない。かの青年もまだSLについては手付かずの状態ではあるようだが、話題としてはすでに半年以上まえに知っていたという。もちろんSLについてはまだまだ定説が固まっているわけではない。だが、このような定説がないものに果敢に触れてこそのパソコンであり、ITであり、ウェブなのではなかったか。 として、もういちどこの本のタイトルの意味を考えてみる。著者にとって「ウェブ社会をどう生きるか」とは、「どうウェブ社会を日々創り続けていくか」という意味ではなく、「いかにして被害を少なくしながらウェブに巻き込まれていくか」という意味のようであるらしい、ということに気がついた。<2>につづく
2007.06.14
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「ツクヨミー秘された神」 <1>戸矢学 2007/03 河出書房新社 ★★★★★ 図書館の新着コーナーで異彩を放っていた一冊。日本神道に関する書物も多いし、秘された神々についての研究や小説も多い。しかし、まともに「ツクヨミ」を主テーマに研究書として一冊まるまんま書かれている本は珍しいのではないだろうか。研究書どころか、ツクヨミ神の名前さえ知らない日本人も多いと思われる。しかし、アマテラス、スサノオと並ぶ、日本三貴子のおひとり、それがツクヨミである。 これだけ重要な神でありながら、なぜ月読命を祭神とする神社がほとんどないのか、その謎を著者は追う。天皇の権威を示す三種の神器のうち、鏡(アマテラス)は伊勢神宮、剣(スサノオ)は熱田神宮に祭られているのに、アガタマ(ツクヨミ)は、皇居にあって、天皇が寝食をともにしていると言われている。何故か。ここにも、あかされていない謎がある。アガタマ(曲玉)という語感から、このブログなら、アガタマ→アガータとの関連に想いをはせたいところだが、それは後日に譲ろう。 アガタマは形から、陰陽マークとの関連も推測されるし、三日月も連想されている。この本において、著者は独自の推測と大胆な結論も披露している。 わが国の「三種の神器」は、最初の統治者であるアマテラスの神と、次の統治者であるスサノヲの剣と、三番目の統治者になぞらえたツクヨミの玉で完成した。ここに天武帝は、生きながらにして至高の存在になった。「月」を「読む」のは、天武天皇自身であるからだ。ここに、この国の独自の様式は定まった。p80 ここに書かれた内容の是非については、他の人々の意見も聞きたいところだ。一つの考えとしては非常にユニークだが、私はもっと多層の意味合いを持っていると思う。 歴史的事実と符合する日づけをコンピュータで算出し、検証すると、西暦247年3月24日夕刻にきわめて象徴的な天文現象が出現した。日蝕が始まり、皆既の状態になったまま日没、すなわち夜になったのである。 単純な日蝕であれば、怖れおののいているうちに再び太陽はよみがえる。しかし、このようにそのまま日没となり、夜の闇に入ってしまってはいかなるフォローも効き目がない。おそらく当時の人々は、このまま夜が明けないのではないかと恐怖したに違いない。p121 これをもって著者は、女帝・卑弥呼の終焉と読んでいるが、その推測力の自由闊達さは、最初、本書は小説として書かれる可能性があったことから考えて、いちいち言上げすることもないだろう。 インカの石組み技術やイースター島のモアイ像、エジプトやマヤのピラミッド建築技術も同様だが、必要以上に技術の高度さを強調するのは真相を隠してしまう。 この印象は、いまだに尾を引いている。すでに記したように、陰陽五行による観相は、4000年以上前から「天文」を観測し、「地理」を見極め、都市をつくってきた。たとえば、地理風水の天心十字法は、なるかに離れた四ヵ所の山頂を直線でつないでクロスさせ、そのクロス・ポイントを明堂の中心とするものだ。測量というならば、この技術は基本中の基本であって、天心十字と尋龍点穴ができなければ地理風水をおこなうことにはならない。p135 この本、国学院で神道を学んだ国学者というイメージから自由に離れ、「ツクヨミ」をキーワードとして、日本神道をグローバルな視点で解体・再構築してみせる。このテーマでは希少本といってよく資料的価値も高いと思われる。2007年という今日的インスピレーションもつよく受けるので、一読に値する新刊本の一冊だ。本日は陰暦でいうところの4月29日。明日は新月の朔。陰の陰たるこの日にツクヨミを読むのも何かのご縁ということになろうか。(下記に以前、私が書いたツクヨミ関連のところを抜粋しておく)----------------------------------- 日本のアイディンティ探しをして行くと天皇制を中心とした神道につきあたるが、日本オリジナルとされている伊勢を中心とした神道は渡来人の影響の色が濃い。一説に歴史の中に消えたユダヤの一族が中東よりシルクロードや半島を渡ってこの列島に天孫族として君臨したとも言う。日本にOshoが入るとは日本の純粋なスピリット、渡来文化に影響されない前の古神道や縄文人の自然との共存から生まれたエコロジーに、現代に生きるOshoの純粋な100%ピュアな覚醒が入り、未来の全く新しいグローバルな宗教性が開かれることになるのではないだろうか。 「古事記」「日本書記」の神話には、イザナギ、イザナミの夫婦の間に生まれた三貴子が登場するが、太陽の出ている地上を司るアマテラス、海の世界を司るスサノオに比べ、夜を司るツクヨミについてはきわめて簡単に紹介されているだけで詳しくは述べられていない。元来、権力や寛大な愛を表す太陽、広大さや力強さを表す海に比べ、月はどの神話においてもより女性的に表現され、より精神的で時には神秘性の象徴として登場することが多い。 日本神話においてもツクヨミが名前のみで多くを語られないのは、言葉やストーリーを超えた次元で活躍するファクターとしての役割を与えられているからである。ちなみに日(カ)を読むからカヨミとなり転じて日常を司るコヨミとなり、ツクヨミは月読みと書き人々の精神を司るインスピレーションを表わしている。 英語で蝋燭を表わすキャンドルはもともとサンスクリットで月を表わすチャンドラであり、これがヒンドゥやインドゥに変化しインドとなり、経典において月を象徴する精神的民族として月氏国と表記されている。Oshoとは日本語で和尚であり、アメリカの詩人ホイットマンの造語Oceaning(海に溶け去る)から、海に溶け去った人の意味も込められているが、本名チャンドラ・ラジニーシ・モハンが示すとおり月の神秘的な精神性を象徴しているのである。 この経緯を見て、今こそ日本神話の中のツクヨミを呼び戻すことが日本とOshoのスピリットを繋げることになるのだという直感から、京都の翻訳家Swモンジュは90年夏にミニコミ「ツクヨミ」プロジェクトの活動を開始している。エソテリックな世界に関心のある彼の動きには根強いファン層があり、最近は新しい時代を感じさせる全国的なフォーラムを提供している。----------------------------------「TUKUYOMI」1992/06 京都ツクヨミ・プロジェクト編集発行より<2>につづく
2007.06.14
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「大いなる決闘」 THE LAST HARD MEN 映画 100分 1977/02 西部劇/アクション 脱獄した凶悪犯コバーンはかつての復讐を果たすため、元保安官ヘストンを襲いその娘を誘拐する。開拓時代が終わろうとしている1909年のアリゾナを舞台に、建国200年を記念する意味も含めて製作された大型西部劇。 ふう、私はこの映画の何を楽しめばいいのか、と自問しつつ、最後の最後まで見てしまった。この映画も退職した保安官がセカンドライフを楽しむどころか、かつての犯罪人にうらみを買い、命を狙われることをきっかけに、逃げることなく、相手の復讐に立ち向かっていく、というストーリーである。怨念で立ち向かう二人の宿敵たちは、西部の岩山の中で、次第次第に距離をつめていき、やがては至近距離での決闘となる。 凶悪犯はインディアンと白人の混血ということであり、逃亡中にインディアン居留地に立ち寄る。ここでのインディアンたちの風景はあくまでひとつの背景であり、儀式や文化的な紹介はほとんどない。銃、流血、レイプ、殺害、憎しみ・・・。物語を物語として楽しめばいいのか。もし楽しむとして、一体何を楽しめばいいのか。プロレスのように、その虚構性を楽しめばいいのか。真夏日の暑さを忘れるために、この映画を見ればいいのか。つよいバーボンでも飲むように、この刺激を楽しめばいいのか。あるいは、名優たちの名演技を堪能するとか、馬たちのよく訓練された姿にホレボレしていればいいのだろうか。疑問が消えないまま100分が過ぎる。
2007.06.13
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「カウボーイ」ビジュアル博物館(第45巻)世界各国のカウボーイの生活を観察しようリリーフ・システムズ 1994/04 同朋舎 /角川書店同朋舎 同じビジュアル博物館の「アメリカ・インディアン」 もあるので、こちらの「カウボーイ」には、その異なる二つの立場の絡みもあるかな、と期待したが、少なくともこの本の中にはまったくない。 カウボーイとは何か? カウボーイは辺境の人たちだった。牛の飼育を始めたものの、野生の馬が走り回っていた大草原はどこも、定住地の安全も文明の快適さも得られない辺境の地であった。そこでカウボーイは生活し働いていた。独立自存の男たちを引きつけたこの牧童業は、勇気と忍耐を要するものだった。したがってカウボーイたちは自分は他の人々とはちがうと信じ、そのライフスタイルに誇りをもっていた。しかし行政当局や都市にすむ人たちも見方は必ずしもそうではなく、アメリカやアルゼンチンでは、カウボーイやガウチョといえば野蛮で危険な男たちと考えられた。しかし結局は、この2つの国でも、カウボーイの精神を高く評価するようになった。これが最も進んだのアメリカで、そこではカウボーイは”ワイルド・ウェスト(未開の西部)”という観念の上に築かれた神話の核心となった。ハリウッド映画によってこの神話は生き続けているが、西部劇のカウボーイ(カウガールも)が演じているのは架空の世界であって、現実の放牧場とはかけはなれている。 p6 予想はしていたが、ハリウッド映画の西部開拓は「架空の世界」と断じられと、むしろ心地よい。 カウボーイの仕事は辛く、給料は低く、将来に成功の見込みがあるわけでもなかった。アメリカのカウボーイは南部出身の人が多く、その他は東部や中西部、それにヨーロッパ(1880年代に外国からの投資が行なわれるようになってから)の出身者だった。その最盛期は1866年のテキサスの牛の大移動で始まり、1886~87年の牛の価格の暴落による開放放牧の崩壊、農民による土地の囲い込み、冬の悪天候などのため、20年後に終わった。 カナダでは、カウボーイの多くは1880年代に成長した大牧場で働いたが、ここでも農業が牧畜にとって代わるようになり、最終的には1907年の冬の荒天によって、古いかたちのカウボーイは見られなくなった。その後のカウボーイは、かたちの異なる新しい企業の従業員にすぎない。1885年まで、アメリカの新聞でカウボーイといえば、野卑で飲んだくれのならずものという不当な評価を与えられ、さげすまされていた。しかし、やがて消えていく彼らの生き方はロマンチックなものと見られるようになり、カウボーイは国民のヒーローになった。作家や画家は郷愁を込めて、工業化されたアメリカでは失われてしまった精神と考えられるカウボーイの勇敢さ、自立心、個人主義を誉め称えた。 p18 アメリカ・インディアンにしてもチベット密教にしても「やがて消えていくロマンチックなもの」として誉め称えられているだけなのだろうか。 アメリカの畜産ブームのピーク(1866~1887年)が比較的短かったこともあり、カウボーイの多くは若者だった。イギリス系アメリカ人も多かったが、メキシコ系、アフリカ系アメリカ人やアメリカ先住民の重要性は忘れられがちだ。牛の群れを追って旅をしたり、放牧場で馬を走らせていたカウボーイは、せいぜい3万5000人くらいだったろう。 p7 カウボーイの最盛期は短い。1876年という時代設定してあるジョン・ウェイン主演「黄色いリボン」などは、まさに、この最盛期のまっただ中ということになる。また、アメリカ先住民自身がカウボーイをしていたという想定は、私にとっては耳新しい。
2007.06.13
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「アメリカ先住民女性」大地に生きる女たち ダイアナ・スティア 鈴木清史・訳 1999/03 明石書店 原書 NATIVE AMERICAN WOMAN 1996 女性が死に絶えるまで、部族が征服さえることはない。チェロキの言い伝え p13 チェロキにトウモロコシをもたらしたのは、セル(Selu)という女性であった。この名前は、チェロキのあいだでは、トウモロコシを意味する。かの女は、自分の身体から産み出したトウモロコシと豆で子どもを育て上げた。腹をさすると、脚のあいだからトウモロコシの穂がでてきた。胸からは豆が出てきた。セルは魔女だと誤って殺されてしまう。かの女は死ぬ前に、絶えることのない豊富な穀物を確保するために、自分の死体を森の開けたところで7回引きずりまわすように、子どもたちに言った。ところが怠け者の子どもたちはいい加減に仕事をした。そのために、チェロキが生活していたアパラチアでもトウモロコシを収穫できたところと、できなかったところがあり、畑を耕すことが必要になった。セルは世の片隅から、今でも部族の人びとを見守っている。 p28 (前略)無慈悲な圧力をまともに受けたチェロキをめぐる出来事である。これによって、平等主義的な母系クラン体系に基づいていたチェロキ社会は非常に父系的になり、重層化した。それは周囲の白人社会を映し出していた。1800年代のはじめ、アメリカ政府はチェロキを先祖伝来の土地から引き離し、オクラホマの荒れ地に移住させる「強制移住政策」を策定した。チェロキはこの政策に必死になって抵抗した。女性指導者の望みに反して、チェロキの男性指導者たちはアメリカ政府の憲法に即した基本規則を制定した。女性は選挙権を失った。女性は男性に従属させられてしまい、土地を守るための公的な発言もできなくなったのである。 p35 「チェロキの母たちは見知らぬ世界に行くことを望まない。あなた方みんなが今住んでいるこの土地で育てられてきたではないか。この土地はわたしたちが住むために、神が与えてくれているのだ。子どもたちのなかにはミシシッピの向こう側に行くのを望んでいるものがいるのはわかる。しかし、これは母を殺す行為だ。わたしたちの土地をいっさい手放さず、大きくなりつつある子どもたちのために保持することを望みたい。わたしたちがここにいることは、わたしたちの創造主の願いなのだ」 チェロキは自らの農地を放棄させられ、オクラホマに向かわされた。かれらの歩いた道は「涙の旅路(Trail of Tears)」と呼ばれる。 p38 女性が強力な政治的役割を果たしていた例として、チェロキをあげられる。ヨーロッパ人はチェロキの男性が「ペチコートの政府(訳者注:女性の支配)」の下におかれていると考えていた。というのも女性たちの強力な委員会(Woman's Council)があって、影響力を持っていたからだった。委員会の指導者は、ビラウド・ウーマンと呼ばれていた。「グレート・スピリットの声はかの女をとおして語られていた」。このような女性の影響下で、女性が殺害されると、男性の場合の2倍の罰を与えるようにした。先住民たちは、女性が殺されたとすると、おなかのなかの子どももともに殺されたことになると考えたのである。この罰は、父親が権力を持っているヨーロッパ人が到来する前に、先住民部族のあいだで広まったと考えられている。 p60
2007.06.12
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「それでもあなたの道を行け」 インディアンが語るナチュラル・ウィズダム ジョセフ・ブルチャック 中沢新一・他訳 1998/08 めるくまーる 原書 NATIVE WISDOM 1995 世界の始まりから太鼓はあった。太鼓が世界の鼓動をたたきだしたのだ。とどろきながら、いっときも途絶えることなく、海岸に波が打ち寄せている。ゆるやかな移ろいのなかで、四季が移り変わっていく。鳥が渡ってきては、またどこかへと去っていく。熊は冬ごもりをする。理由はよくわからない。しかし、すべてが完全なタイミングで行なわれる。手首に手をあてて心臓の鼓動を感じてごらん。生命の太鼓が、正確なリズムを打っている。このタイミングが狂っているときには、あなたは病気だ。 ジマリー・バートン(チェロキー族)1794年 p24 わしらの部族での考えでは、この大地のあらゆるところが神聖だ。すべての丘陵、すべての谷、すべての平原とすべての林。そうした場所は、すでに消え去った遠い過去の、悲しい出来事やうれしい出来事によって、神聖なものとされたのだ。静まりかえった海岸で陽に焼かれ、じっと死んだようにして黙りこくっているあの岩でさえ、わしの部族の者たちが出会ってきたさまざまな出来事を思い起こしては、身震いしつづけている。おまえたちの足元のその土でさえ、おまえたちの足音よりもわしらの足音に、愛情をこめて応えている。この大地はわしらの先祖の流した血をたっぷりと吸い込んでいるし、わしらの裸足はその優しい肌ざわりに気づいているからだ。 シアトル首長(ドゥワミッシュ族--スクアミッシュ族連合)1854年 p96こういうことをわしは知っている。ヴィジョンが真実で、力強いものであったならば、それは現実にも真実であり、力強いものだ。ヴィジョンは霊によってつくりだされる。それは、人間が失ってしまった眼をもって、暗闇のなかに見るものなのだ。 ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族)1931年 p107
2007.06.12
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「DVD 黄色いリボン」 ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演 2002/04西部劇史上に残る永遠不滅の傑作騎兵隊映画。原作1949年 103分 視聴覚フロアに行ってみたが、適当な映像がない。この際、随分とみていない西部劇も悪くないな、とこの一本を選んだ。西部劇といっても、小さい頃にテレビでみた、「ララミー牧場」や「ローハイド」くらいしか記憶にない。もっとも、インディアンに対する知識もなく、ただただ放映されるものを眺めていたにすぎない。現在とてそれと大差ないが、この西部劇にでてくるインディアンたちが、どのように描かれているのだろうか、ということに関心があった。 ジョン・ウェイン扮する騎兵隊中慰の、除隊前一週間の日々の記録である。時は1876年、東部の平原に駐留する騎兵隊とインディアン部族のにらみ合いのなかで、中慰が除隊後の自分のセカンドライフを想いつつ、軍人としてのミッションを全うしようとする人生劇だ。必ずしも西部劇でなくてもよかっただろう。しかし、それにしても、この映画にでてくる馬達の演戯には圧倒される。騎兵隊の乗る馬も、インディアンたちの乗る馬も、全力失踪して駆けつけるところは、あまりにも壮快で圧倒される。 インディアン文化に詳しくない私がみていても、インディアンたちがどのように「曲解」されているかなんてわからない。むしろ、無残な殺し合いを「予想」したことに反して、それぞれの立場で、「ミッション」の建前をこなしつつ、互いの被害を最少に押さえて、より平和的に物事を終結させようとしている結末であったと思う。もちろん、この映画がつくられた1949年という時代背景もあって、インディアン達を追いやって、その土地を合衆国に組み入れたという礼賛でこの映画は終わるのだが、要所要所ででてくるインディアンたちの衣装や振る舞い、儀式などが、新鮮だ。 主人公は、戦い半ばにして任務を終え、カルフォルニアで未知なるセカンドライフを送ろうとするのだが、実は騎兵隊に再雇用されることで、幸せな気分になってジ・エンドとなる。まぁ、この辺は、映画としては落ち着いた結末ではあるが、にわかセカンドライフ探究者としては、ちょっと物足りない終わり方だったかな、と想う。むしろ、カリフォルニアにいって、瞑想でもして、反戦思想にでも染まったりすれば、なおいっそう面白かったかな、と思ったが、そんな映画ができるには、まだ20年早かったということだろう。
2007.06.12
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「アメリカ・インディアン」 奪われた大地 フィリップ・ジャカン /森夏樹・訳 1992/07 創元社 アメリカ・インディアン系の書物も、気がついてみれば図書館の中には山ほどある。もともとストーリー物や長文物は苦手なので、このようなお手軽なムック形式の出版物は、概略を把握しやすいので、読みやすい。「インディアンの言葉」では、エドワード・S・カーチス(1868~1952)の貴重な写真が添付されていた。カーチスは4万枚ものインディアンたちの写真のネガを残したという。こちらのほうは、画家ジョージ・カトリンの残した克明なイラストが美しい。 (1830年から)インディアンの地で、彼はくる日もくる日もスケッチした。インディアンたちの儀式、日々の生活、狩りなど、そのどれもがカトリンの目には魅力あふれるものとして映った。画家は同時に優れたレポーターとなり、歴史家となり、民族学者となった。彼が残した作品は、単なる過ぎ去った時代と文化についての証言ではない。 それは永遠の美の中にみごとに再現された、インディアンの本質なのである。p005 小型のコンパクトな本ながら、すべてインディアンについて書いてあるので、どこをみても宝石のような図版と文章が満載だ。 クリーク族やチェロキー族やチョクトー族などは自らヨーロッパかすることを受け入れ、「文明化した部族」となった。彼らはキリスト教徒となり、子供たちを学校に通わせ、畑を耕した。 一方でインディアンを同化させる努力をしていたにもかかわらず、アメリカ人はチェロキー族の土地で金が発見されるやいなや、インディアンを追い出しにかかった。不当な追放を避けるために、「文明化したインディアンたち」は白人の法に訴えた。インディアンは、自分たちの反対をよそにジョージア、アラバマ両州によって決定されたインディアン追放の決議を停止してくれるよう合衆国最高裁判所に要求した。評決はすぐにでた。「チェロキー族の国は国内の一国家である。したがって独立国家としては認めない」。こうして、1830年代、チェロキーの人々は「涙の旅路」の途についた。ミシシッピー川を横切り、オクラホマへと移住したのである。そこいはすでに東部を追われた10以上もの部族がいた。p089 数ある部族の中で、チェロキーに定点をみつけることができるかどうかはわからない。しかし、チェロキーについての言及は少なくなく、また際立って特徴的な部分も多いようだ。 「これから以後、われわれは自分たちの土地を再びわが手にするまで休むことはしない」。1966年、オクラホマのチェロキー族がかかげたこの宣言は、その後もインディアンの闘争や示威運動へ影響を与え続けた。p178 アメリカン・インディアン運動の代表者のひとりであるマーク・バンクスやデニス・バンクスなどについても言及している。巻末に「スクリーンのインディアン」として、インディアンが関係する映画10数編がリストアップされている。
2007.06.12
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「インディアンの言葉」 北米インディアンの記録から コレクション〈知慧の手帖〉ミシェル・ピクマル /エドワード・S.カーティス 中沢新一・訳 1996/09 紀伊国屋書店 インディアンたちは、巨大なピラミッドも荘厳なカテドラルも建造しなかった。そのかわりに、かれらは宇宙の中に、つまりは彼らが尊敬し、驚嘆し、畏敬の気持ちをいだいている、「自然」のふところに、人間である自分たちの、正しい居場所を見いだしてきた。彼らは富を蓄積しようともしなかったし、物質生活の快適さを追求もしなかった。そのかわりに、彼らは、世界との調和をつくりだすことのできる強靭な魂を、自分の内部に育てようとしてきたのだ。森や平原を尊敬をこめてみつめながら、その世界と一体となることができること、生活のささいな断片の中にさえ、聖なるものの輝きを認めることのできる精神をつくること、このがインディアン哲学の本質である。ミッシェル・ピクマル p5 まったく奇妙な話だが、彼らは大地は耕すものという考えにとりつかれ、所有への欲望という熱病にまで、冒されている。この人間たちは、規則をいっぱい作った。金持ちはそれを破っても平気だ。だが、貧乏人は規則に従わなければならない。彼らは貧乏な者たちから、税金を巻き上げて、それで国を治めている金持ちの生活を支えてやっている。わしらすべての母である大地を、この人間たちは自分たちだけが利用でいるものとして、隣人同士が境に塀をめぐらしあっている。 スー・フンババ族の首長、シッティング・ブル(1875)p10 いままで何度も、広大な砂漠のようなところに、強力な都市がつくられ、そこを人が埋めつくしたことがあった。ところが、今ではそこに廃墟しか残ってはいない。そしてその廃墟もまた、二度と人が踏み込まないような大地と、ひとつに混じりあってしまうのだ。ゴースト・ダンス儀礼で霊感を得たインディアンの言葉 p29 「沈黙とはなんですか」と問われたら、賢者はこう答えるだろう。「それは、大いなる神秘だ」「聖なる沈黙、それは大いなる神秘の声なのだ」。 「沈黙すれば、何が得られるのですか」と問われたら、賢者はこう答えるだろう。「sれおは、自分を自分自身で支配すること、真実の勇気であり、持続力であり、忍耐力であり、品位であり、敬意なのである。沈黙は、人格の礎石である」と。 オヒイェサ・インディアンの現代作家 p45
2007.06.12
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「鷲と少年」 南の巻 ズニ・インディアンに残された物語 北山耕平・採話 /菊地慶矩 ・作画 2002/05 ビイング・ネット・プレス /星雲社 コンパクトでシンプルなストーリーだが、とても美しい。北山の語りに対する菊池の絵が、なんともイメージを高めてくれる。率直にいえば、日本昔ばなしにありそうなお話でもあるが、出てくる鳥がイーグルであったり、畑で作付けしているのがトウモロコシだったりするところが、インディアンらしい。 イーグルと一緒にそらに飛び立つ時、最近ちょっと嵌まりつつあるセカンドライフを思い出した。そんなに高くはないが、あれも空をとべるのだった。このシンプルなお話にやや教訓めいたことがないでもない。やがて死者の世界から帰ってきたイーグル・ボーイが、一生懸命、畑仕事に精出すところなど、我が身に振り返った場合、他人ごとではない。巻末で北山が書いている。 インディアンという言葉のもとになったとされる「インディオ」という言葉は、もともと「In Dios」で、これは「聖なる道を生きる人たち」文字どおりに訳せば「In God(神のなかにある)」このとだったと主張するアメリカ・インディアンの社会活動家がいます。その人たちに言わせれば「アメリカ」といいう言葉も、けっしてアメリゴ・ヴェスプッチという探検家の名前などから採用されたものなどではなく、中米マヤ族の「Amerrika」という言葉からきているもので、これは「四方から風の吹く大地」を意味しているのだというのです。p46
2007.06.12
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「検証・ウィニー情報流出対策」 ウィニーばかりの問題ではなかった アスキー 2006/05 アスキー 「ウイニー 情報流出との闘い」や「ネットvs.リアルの衝突 」などで、ウィニーのこともいろいろ読んできた。最近ではあまり話題にならなくなったが、問題の本質はまだまだ変わっていない。この本は新書本サイズでわずか120ページというコンパクトな一冊だが、この問題がもっている、セキュリティ意識を高めることと、P2Pシステムのもっている可能性、これらのことが継続して語られるべきだと思っている。 Googleにしてもウェブ仮想社会セカンドライフにしても、ネット上の中央集権システムであることは間違いない。それに対するP2Pの可能性は、まだまだ試行されてしかるべきだと思う。最近ではskypeが話題になったが、P2Pシステムはまだまだ追求される必要がある。セカンドライフのシステムがP2Pになったら、どうなるのかな・・? とドシロートならではの疑問を提示しておく。
2007.06.12
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「トンデモWeb業界」 Webサイトはこうして作られる 小田原貴樹 2006/07 ソフトバンククリエイティブ この手の本を読むのはもういいなぁ、と思いつつ、どうしても目にはいると、手にとって読みたくなってしまう。どの業界においてもウラ事情というものがあり、表の華やかさとはまた別な世界が展開されている、ということは容易に推測できる。近藤太香巳物語「Dreams」なんてのもある意味暴露本ではあるが、いわゆるこれらの世界は、実際にその世界に足をいれていないと、わからないことが多い。自分がその業界にいくことはありえないが、こういう世界があるんだ、とわかっておくことは必要かも。 今年の1月の段階で、「セカンドライフ」登録者の平均年齢は32歳ということだが、これはおおよそ推測できる。mixiやorkutも10代から始まって30前後でピークに達し、40代に向かって下降していく。50代以降は、「50代以降」として一括されて、それでも10代にも及ばぬ利用者数だったりする。すくなくとも、この「トンデモWeb業界」の住人達が一番ウェブ仮想社会セカンドライフに入りやすい場所にいるのだから、この30前後の人間達が今後もウェブをリードしていくのは間違いないだろう。 30歳台のセカンドライフと50歳台のセカンドライフでは、その意味するところがまったく乖離しているのだが、それぞれのセカンドライフから、それぞれの1stライフを振り返ると、現代人のかかえている問題が浮き彫りになってくるかもしれない。30歳の青年がネット・ビジネスに「逃げ」、50代以降の団塊世代が沖縄やハワイに「逃げ」る日本とは一体なにか。あるいは、世界とはなにか、ということも見えてくるかもしれない。(ちょっとコジツケ)
2007.06.12
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「低度情報化社会」 Webは本当に進化しているのか? コモエスタ坂本 2006/10 光文社 この本、傾向性から考えれば、 「Web 2.0が殺すもの」 や「危ないミクシィ」 の流れに属する一冊か。mixiよりも、どちらかというと2chを身びいきするところも似ている。同じ警鐘の鳴らし方でも、「ウェブ汚染社会」などとは異にする。 著者1965年生まれの42歳。分別さかりも過ぎて、厄年だ、というところがやや寂しい。この年齢の人々は、まだまだ若いと思って、気は急くのだが、体が動かなくなっている。そのアンバランスさが、厄年と言われる所以である。なにも天外伺朗がすすめるように、人間としていい具合に「枯れようではないか」と誘うつもりもないが、自分はまだまだ若いと思っている。そんな焦りを感じる一冊だ。 梅田望夫 /茂木健一郎 のようなお調子者になる必要もないが、むしろこれだけ自分に自信があるなら、レイ・カーツワイルくらいの突き抜けたビジョンを披露してもらいたいところだ。 この本06年10月発行だが、セカンドライフには言及していない。これらアンチmixi=2ch擁護派が、今後、このセカンドライフをどのように見ていくのか楽しみだ。
2007.06.11
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「住んでわかった快適海外生活 ハワイ」―セカンドライフ応援ブック2005/09 ノースランド出版 沖縄の次はハワイ。もうすでに計画をたてている人もいるだろうし、なりゆきから考えると友人Cシュあたりは、ゆくゆくはこのラインを狙っているかもな。ハワイは沖縄よりある意味で現実味があるが、やはり永住権の問題がある。この本においては、セカンドライフのコンセプトがすこし変わる。 現在アメリカでは、簡単に移民を受けいれない政策をとっているため、安易に永住権が取れるわけではありませんし、長期滞在が可能な商用観光用ビザでさえ、ひと頃に比べれば、簡単に取れないの事実です。そんな状況でも「常夏の島・ハワイ」で、第2の人生または、もうひとつの生活(セカンドライフ)を楽しむ方法はいくらでもあります。p3 セカンドライフを「もうひとつの生活」と規定している。これはなかなかすっきりしたコンセプトだな。 ノートパソコンを使えると数倍楽しく過ごせるハワイ 今はどこでもインターネットが使える時代。西倉さんも例外ではないようで、ノートパソコンをハワイに持ってきているといいます。「僕が便利だなあと思うのは、コンピュータですね。ノートパソコンを日本から持って来ている人たちもたくさんいるんですよ。リタイアした人で全然コンピュータを使えなくても、使える人が側にいれば、それで十分ですしね。僕はまだ古いウィンドウズの98マシンを、ハワイに来てから6年間使っています。p34 私や私の友人なら、パソコン持参は、これ常識だろうな。この本、05年09月の発行だから許すとして、もう98マシンを使うのは止めましょう。すでにサポートがされていませんので、穴ぼこだらけのマシンになってます。 ところで何年も前だが、一時、リゾートでネットトレードなんてやって優雅に暮らす夢をみたことがあった。「ゴミ投資家のためのインターネット株式投資入門」1999なんて本の表紙の絵に、ググっと感じたものだった。いまや「小富豪のためのハワイ極楽投資生活入門」2004なんて本もあるようだが、とてもとても我が身に投資の才能がまったくないことを痛感して挫折中。
2007.06.11
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「沖縄移住計画」 セカンドライフは、スローでいこう! 溝口恵美 /秋葉文子 2004/7 学習研究社 セカンドライフはスローでいこう、まではいいとしても、そのテーマが沖縄移住計画、なのだから、さて、沖縄の人々にとっては、失礼にはならないのだろうか。あるいは、そういうことでもいいから、どんどん沖縄にいらっしゃい、ということになるのだろうか。わからん。だが、どういう形にせよ、沖縄に注目が集ることは良いことだ。 私は別にいますんでいるところが嫌いでもないし、しかたなく住んでいるわけでもないので、別段、老後というか、今後、どこかに移住しようという計画はない。ただ、あまりに一箇所に固執するより、バーチャルにでも、どこかに「もし」移住したら、とシュミレーションしてみるのも悪くはない。 フーテンの寅と30年の年月をかけて、日本中(と一部の外国)を旅してきたのであるが、寅にとっては、リリーと沖縄で暮らした日々が一番幸せだったのかな。 バーチャルなセカンドライフならどこまでも想像の世界だが、沖縄に移住しようというリアルな問題になると、あらたな沖縄の姿が見えてくる。引越しするにはどれだけ資金が必要か、住まいの間取りはどうか。アルバイトやパートで副収入は期待できるのか。それに、沖縄には、海底遺跡のようなロマンもあるし、米軍基地という戦争もしっかりある。 ところで、今夜、NHKのクローズアップ現代で、ネット仮想社会セカンドライフを紹介していた。このカテゴリでは、引退後のセカンドライフと、ネット仮想社会のセカンドライフを、確信犯的に混同して進めているのだが、真意は、もちろん、隠遁生活に隠微な夢をもつことも、仮想社会にうつつを抜かすことも、最終的な目的ではない。リアルなこの身この場こそがテーマではある。 6月11日(月)放送 膨張する“もう一つの世界”インターネット上で自分の「分身」を操り、買い物をしたり、事業を興して金儲けをしたり。セカンドライフと呼ばれる仮想現実社会への参加者は急増し、今や世界で650万人を数える。日本語版が開設されることになって、広告や市場調査の媒体として企業からの注目も集まっている。それにしてもなぜそこまで人を熱中させ、企業の関心を呼ぶのか。ヘビーユーザー、セカンドライフ内の稼ぎをリアルマネーに代えて生計を立てる人、世界中の人の変身願望をかなえる「分身製作会社」、セカンドライフの「アンテナショップ」で売り上げを伸ばす企業などの取材をもとに、バーチャルワールドの魔力に迫る。(NO.2424)スタジオゲスト : 岡田 斗司夫さん (大阪芸術大学客員教授)
2007.06.11
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「来るべき世界」レイモンド・マッセイ/セドリック・ハードウィック/マーガレッタ・スコット ほか 監督: ウィリアム・キャメロン・メンジース 2004/12 紀伊國屋書店 DVD 89分 原題 Things to Come 1936 書くべきか書かざるべきか、ちょっと迷ったが、記録として書き残しておこう。ストーリーについては、ネットのあちらこちらに書いてあるから転記する必要もあるまい。白黒映画であることも、「その男ゾルバ」1965や「失はれた世界」1937を見ていれば、特に驚くほどのこともない。 「失はれた世界」とほぼ同時期の映画として「来るべき世界」はある。タイトルからしてなんだかセットになっているような気がして、見てみた。時代設定が1940~2036年。2036年に「宇宙銃」(スペース・ガン)で月旅行に出発する段階になる。原作がH・G・ウェルズによって1933年に書かれたことを考えてみれば、当時はまったくの想像に過ぎなかっただろうが、その30数年後の1969年に人類が月に足跡をつけたのだから、人類の発展は、本当に目をみはる勢いで進んできたのだ。まさにウェルズの時代からすれば、車社会が発達し、ネット社会が行きわたったこの現代は、まさに未来社会と呼ぶにふさわしいというべきだろう。 私たちの住んでいるこの時代は、人類の月面着陸からから30数年経過しているのである。本当の2036年になったら、いったいこの世はどうなっているのか、それこそ私には想像もつかない。 この映画は、かならずしも発展至上主義ではない。人間が発達しすぎることによって、なにかが損なわれてしまうことへの警告が強く含まれている。公害や人間疎外、戦争や差別の深刻化という具体的な提示はないものの、はて、それでよいのか、と強く人類に呼びかける内容になっている。この作品において「来るべき世界」はユートピアの未来ではない。発展することを逡巡しながら、なお、発展せざるを得ない人類への自制を呼びかける内容というべきなのだろうか。
2007.06.11
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