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「ジャック・マイヨールの海と夢」 2002/7 アニプレックス 「琉球古陸=ムー大陸」説の調査に協力したジャック・マイヨール。木村政昭は、その著書「海底宮殿」をジャック・マイヨールに捧げている。ああ、こういう生き方があったんだなぁ・・・。 「地球上の生命はみんな海から生まれた。地球がすべての生物であるとすれば、海はその子宮である。」 「地球にとって人間なんてものは無に近い。火山の噴火や大地震---その気になれば、地球は人間をふきとばすことができる。そんな時に都会にはいたくないと思う。自分がもっとも好きな場所で人生を終えたい。それがわたしの場合、海なんだ」 「人は死というもののことを、気にしすぎていると私は思う。クジラやイルカやライオンなど本当に賢い動物は死のことなど無視して生きている。潜る時に恐怖を覚えなかったのは、私も死を無視していたからだ。死の可能性に挑戦することは、自分が生きているという実感を与えてくれる。だからと言って、私が愚かなわけではない。時速160マイルで車を走らせるような、無意味な危険はおかさない」 「これはイルカに対する友情、愛のあかしだと私は思った。一緒に潜って遊ぼうとイルカに言ったんだ。イルカたちはついてきた。楽しんでいるんだ。最初は20メートルが限度だった。そこまで行くとひょいと海面に戻ってしまう。しかし、やがて深く潜ることを喜ぶようになった。深海のブルーの世界へ、人間がイルカを導いたわけだ」 「自分が幸福だと思っているものだけが、周囲の人々を幸福にできる。だから私はイルカと一緒にいることにした。イルカはいつも幸福で、楽しく暮らしている。楽しみのために生きる秘訣を知っているのさ」 「今まで世界中で野生のイルカに出会ったけれど、これほど大きな群れと、これほど親密になったことはなかった。イルカは精神的なエネルギーを注入してくれる。たしかに何かが伝わってくるんだ。だから、彼らと泳いだ後は、心が充電されたような気分になる」 「私は人生のすべての瞬間を楽しみたい。だから、時おりここに来て、海と空を何時間も見ている。ここには何もない。それがいいんだ。都会にはものがありすぎるから」 「この青い青い海の深みの先に、広い空間がある。私の求める自由がある。ほんのしばらくの自由だが、それが私には大事なのだ。地上ではすべてが管理されている。国家や習慣や警察が、人をがんじがらめにしている。それに比べれば海の中は自由だ」 「この大きなクジラこそ、叡智のシンボルだ。彼らには、われわれ人間を別にすれば、敵はいない。恐いものがない。だから、彼らは心優しく、高貴で、思索的なのだ」 「私はシルバーバンクという海で、クジラたちに出会ってきました。クジラこそは海の魔法使いです。私はあるクジラの母と子の親密な戯れを自分の目で見ました。私はまず自分の心の中の静寂を聞き、それから彼らの愛の歌を聞きました。心奪われて、ずっとその場にとどまって、聞いていました。その歌のメロディーも豊かで、神々しくさえ響きました。人間の知性を越えて、もっと深い意識の奥へ浸透してくる声だったのです。このすばらしい海のマジックを、皆さんと分かちあえることを祈っております」
2007.05.31
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「次世代ウェブ」 グーグルの次のモデル 2007/1 光文社新書 この方の本は何冊か読んできた。「検索エンジン戦争」 2005/8、 「グーグルGoogle―既存のビジネスを破壊する」2006/4 、 「ウェブ2.0は夢か現実か?」2006/08、 「ネットvs.リアルの衝突」2006/12 などなど、テーマもおもしろそうだし、時期もはずしていない。だけど、いまいち面白くないのはなぜだろう。 同時期にでている梅田望夫の「ウェブ進化論」に比較して、今いち新鮮さに欠けるのは、梅田の文章は書き下ろしなのに対し、佐々木の文章は、いちど雑誌やブログに発表されたものが再掲載されているからかもしれない。また、梅田の続刊「ウェブ人間論」のような視点が、佐々木にはないことも、その要因の一つになっているかもしれない。 第7章では、「無償経済」下の収益モデル、というタイトルで展開されているが、いわゆるフリーソフトウェアやオープンソースなどについての視点が、欠けているように、私には思えるのだ。まぁ、しかし、それはないものねだりというものなのだろうか。 敢えて言うなら、私が欲しいのは『次世代ウェブ』ではなくて、『次世代地球人』なのだろう。そして、さらに言えば、私の欲しいのは「グーグルの次のモデル」ではなくて、「Oshoに続く次のモデル」なのかも知れない。ちょっと的はずれな意見なような感じもするが、そういうことなのだ。 たんにウェブに情報やビジネスの進化だけを要求するのは、すこし限定的過ぎると思う。ウェブの変化のなかに、次世代の人間の新しいライフスタイルを模索し、あるいは、未来における人間の生き方のなかに、どう新しいテクノロジーをいれていくのか、そのような視点をもっと重層的にいれてもらったら、この著者の本はもっともっと面白くなる気がする。
2007.05.31
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「神秘体験」 山折哲雄 1989/04 講談社 「仏教と瞑想」を読んだ時、あとがきだったと思うが、チョギャム・トゥルンパの葬儀風景が書いてある、と紹介されていたので、関心深くこの本の到着を待っていた。この本このまま新書本の小さな論文だが、それ以外についても、実にたくさんのことが書いてあり、貴重な一冊と言えるかもしれない。今回は、トゥルンパ関連のところだけ、抜き書きしておく。 かれはアメリカではタレントなみの人気をえていた有名人で、ベストセラーになった著作を何冊ももっていたのである。わが国でも知る人ぞ知るで、現代のチベット仏教に関心をもつ人で、かれの名を知らぬものはおそらくいないのではないだろうか。p83 トルンパは、アメリカを舞台にして、まさに八面六臂の活躍をしたチベット仏教の「尊師」であり、精力的な運動家であった。その運動範囲も国際的なひろがりをみせ、人種や階層をこえて多くの熱心な支持者を、その周囲にひきつけることに成功した。 そのトルンパが、わずか47歳の若さで、突然世を去った。油ののりきった人生の絶頂期に、かれを慕う多くの人々のまえから姿を消してしまったのである。 詩人のアレン・ギンズバーグはかれの死を悼んで、「師は西欧世界における今世紀最大の仏教の教師であった」とまで激賞した。ギンズバーグは、トルンパが1970年に渡来したとき以来の友人であった。アメリカにはさまざまな仏教のセクトがつくられているが、仏教徒の数は300万とも500万ともいう。そのなかで、トルンパは最高の教師だったと評したのである。p84 アメリカに移住してからも、その多才でエネルギッシュな活動がつづくが、それにもかかわらずかれの生活ぶりは矛盾にみちたものであった。例えば禅の瞑想がいいとなると、ただちにそれを自分の教育方針のなかにとり入れた。それのみではない。かれは大量に酒をのみ、シガーをふかした。そして詩を書いて、愛と性愛を高らかにうたいあげたのである。 彼はありのままの姿に満足しない人間に冷笑を浴びせ、より高い生活をのぞむ人間に鉄槌を下した。自分自身であることが唯一のみちびきであるといって、もったいぶったことばづかいをいっさい信用しなかった。p85 チベット仏教の神秘思想と瞑想技術が、アメリカのポップアート的なカルチャーや、ビート・ジェネレーションの反時代的な意識と結びついて、不思議な魅力にあふれた信仰運動を展開していったのである。p86 私は、もしもこのトルンパが長生きをしていたら、第二の鈴木大拙になったのではないかとふと思う。かれの説く神秘的な瞑想世界や桃源郷(シャンバラ)のイメージは、何となく鈴木大拙の禅や霊性的世界に近いのである。p87 それにしても、チェジァム・トルンパは、あまりにも早くこの世を去ったといわなければならない。47歳という年齢は、90歳をこえて死んだ鈴木大拙のちょうど半分にしかあたらない。それだけにまた急逝したトルンパの死を惜しむ声も高く、かれの葬儀は伝統的なしきたりを重んじ、ものものしい雰囲気のなかで思いきり盛大に執行されたのである。p87 チベット仏教の神秘的な尊師は、こうして昇天した。かれはあのビートの教祖、アレン・ギンズバーグがいうように、たしかに「聖なる野蛮人」の一人であり、「霊的なイリュミネーション」を体現した、「偉大なる教師」だったのであろう。p88
2007.05.31
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「シャンバラ」勇者の道 <8><7>より続く トゥルンパは、シャンバラ・トレーニングというコースを残したようだ。その骨子は、「シャンバラ 勇者の道」としてこの本にも残されているわけだが、その詳細は、実際にその門を叩いて見なければわからないだろう。でも、この本を手がかりに、できる範囲での理解をもうすこし進めてみようと思う。 この本の日本語版は、チベットの降龍が表紙になっている。だから龍が意識されていることは間違いない。だから、まずは、自分なりの修養の道のプロセスをとりあえず、プロジェクトDと名づけておく。Dはドラゴンの頭文字。そして、チベット語の龍ドルクの頭文字でもあるし、ABCDの4つめのシンボルでもある。シャンバラ・トレーニングにおいては、勿論、龍は重要なポイントだが、そこにいたるまでに3つのプロセスがあり、また、それらと4つの組み合わせによる働きが重要である、とされている。 早飲み込みの私は、もう少し腰をおちつけて、ゆっくり時間をかけて理解していく必要がある。以前、読んだところでは、4つの霊獣に例えられている。1)虎、2)雪獅子(スノーライオン)、3)迦楼羅(かるら)、そしてようやく4)龍がやってくる。 龍は精力的で、力強く、堂々としている。だが、これらの龍の性質も、虎の温和さ、獅子の活気、迦楼羅の豪放さの上に初めて成り立つ。p214 まずは、虎の温和さ、獅子の活気、迦楼羅の豪放さ、というものの存在を理解しておかなくてはならない。そして、最終的には、導き手が必要だ。 旅を続けて、四つの尊い性質の道を歩み、真正な存在を成就するには、旅の道案内を、あなたに道を示してくれる達人の勇者を持たなければいけない。究極的には、利己心またはエゴを捨て去るために、生きた人間の実例が不可欠なのだ---すでにそれを成し遂げた人がいたら、それを手本にすることができる。p220 トゥルンパはすでになく、シャンバラ・トレーニングのシステムもよく理解していない私は、まずその導き手としては、Oshoをイメージする以外にない。だから、Oshoとシャンバラの融和性を深めながら、なお、その「四つの尊い性質の道」に至るまでの道を遡って、スタート地点を確認する必要がある。 測り知れなさが理想とするのは優しいエネルギーに満ちた、秩序正しく活気にあふれた世界を創造することだ。だから測り知れない勇者は急いだりはしない。きちんと最初から始める。p216 ひぇ、そうだそうだ。まずは、最初からはじめなくてならない。このシャンバラ・トレーニングって、どっこからはじまるんだっけ。なるほど、<2>あたりまで戻らなくてはならないようだ。 勇者の道に至る鍵となるもの、「シャンバラの理念(ヴィジョン)」の最初の原理とは、ありのままの自分を恐れないということだ。実のところ、自分自身を恐れないということ、それが勇敢さの定義なのだ。p29 おう、そうか。まずは「ありのままの自分を恐れないということだ」。この言葉は重い。そうありたいとずっと願ってきているはずだし、そうであるはずだ、ということは分かっているのだが、それを本当にできているだろうか。今日のところは、まずここを確認しておくに留めよう。そして私の場合は、案内役の存在の確認、ということになる。 つづく
2007.05.31
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「海底宮殿」 沈んだ琉球古陸と”失われたムー大陸” 木村政昭 2002/9 実業之日本社 この本がでた時点での著者は62歳、琉球大学理学部物質地球科学科教授の肩書きである。「ムー大陸は琉球にあった!」のインスピレーションから10年が経過して、その研究は、実際的な検証が進み、数多くの物的証明が進み、また多くの協力者が集り、名実ともにグレードアップしている。その主なるところは、「地球カタログ 沖縄海底遺跡」でみた内容が主なる内容となっているが、そこまでに至る過程と、さらにそこから周辺科学との関連分野について、多くの記述がある。 この本は、前年に74歳でなくなった素潜り世界記録保持者のダイバー、ジャック・マイヨールに捧げる、となっている。彼もまた、この沖縄古陸=ムー大陸説の樹立に対する多いなる貢献をしていたのである。現代での氏の活動はNPO法人「海底遺跡研究会」ホームページなどでも拝見できるようだ。 それにしても、この本では、海底遺跡から一歩進んで「海底宮殿」というタイトルになっている。そして、わからないように「UNDERWATER PYRAMIDS of MU」と、小さな文字で表紙にデザインされている。デザイナーのいたずらだろうか、それとも、著者のたっての注文だったのだろうか。まぁ、いずれにせよ、その気持ちはわからないではない。その願いは、いずれ海のもずくと消えることは、もうあるまい。この本においては、数多くの実証的な微にいり細にいり科学的検証が重ねられている。ちょっと飽きやすい私には、ものごとが科学的になってくればうれしいには違いないのだが、もっとファンタジックで曖昧さをのこして欲しい、とさえ思ってしまうのだから、不思議なものである。 この本は、なかなかよい。私なんぞが中途半端な印象を書くのはよくない。関心のある人は、手にとって読むべき本となるだろう。
2007.05.30
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「ムー大陸は琉球にあった!」 深海底調査でわかった巨大陥没の真実 木村政昭 1991/6 徳間書店 1991年にアメリカの環境心理学者で、ネィティブ・アメリカンの血をひき「聖なる場所」や「自然のおしえ 自然の癒し」のあるジェームズ・A・スワンを呼んで3日間の国際シンポジウムの企画があった。その時、北海道からはアイヌ・ウタリ協会の人たちが参加し、沖縄からは喜納昌吉とチャンプルーズが、当時の新譜「アース・スピリット」を引っさげて参加してくれた。 このシンポジウムには参加しなかったが、琉球大学の木村政昭(助)教授の書いた本が当時から気にはなっていた。専門家ならぬ私には、当時も今もムー大陸という存在の根拠も、その否定の根拠もよくわからないし、その論争の結果がどういう影響を与えるのかも分からなかったが、とても突拍子もないことに思えていた。これが、もしどこかの民間学者かチャネラーの本なら、あんまり記憶には残っていなかったと思う。しかし、彼はれっきとした海洋地質学者という専門家なのである。私は、その意欲的な着想よりは、むしろ若い学者の将来を案じたことだった。こんな発表したら、学者仲間に相手にされなくなるのではないか、なんて・・・(笑) 私の老婆心(?)があたっていたかどうかは、まだわからないが。 本書の前半はムー大陸説の検証となっており、後半は私の考えたムー大陸像となっている。この後半部分は空想物語と受け止めてもらっても結構である。しかし、その空想がいつか、現実のものだったと理解されるときがくるかもしれない。p4 水没した大陸の伝説は、大西洋のアトランティス大陸、インド洋のレムリア大陸、そして太平洋のムー大陸とあるが、このうちもっとも結論らしきものが出ていないのがムー大陸である。このため、あとに述べるようにムーは単なる作り話なのだという考えも出るわけで、いやがうえにも人々の想像力を刺激したものである。少なくともその核となるようなものは、必ずあるはずである。 ムー大陸に関しては、1)1万2000年前に突如として水没した国、ということが最大のポイントであるが、さらに、2)ポリネシアをすっぽり包むような文化圏があり、そこから全世界に文化が普及した、3)水没の記憶が各地に伝播して、それぞれに洪水伝説(母国水没伝説)が残った、という点が重要である。p22 最後の3)だが、母なる国の水没、洪水伝説は実に数多い。しかし、これは時代もまちまちで、場所も一つの大陸でなくともよさそうである。 仮にアトランティス、レムリア、ムーの三つによって洪水伝説が広がったとすれば、ムーにかかわる地域では、いわゆる環太平洋火山帯の各地で地域的な水没があったからとしてもいい。つまり、マヤやチベットのようなとんでもないところにある洪水伝説も含め、すべてが琉球列島を指していなくてもいいわけだ。太平洋は地質的に活動的なところであるため、そのあらゆるところでローカルな水没が起こっても不思議ではない。p24 インド洋にはレムリア大陸というのがある。レムリア大陸が存在するという仮説は、もとはムーやアトランティスのような文書によるものではなく、ドイツの動物学者アーネスト・H・ヘッケルの考えた謎の大陸に、イギリスの動物学者フィリップ・スクレーターが命名した空想大陸である。彼は”レムール”つまりキツネザルの生息分布を調べていくうちに、マダカスカル島には棲息しているのだが、近くのアフリカ大陸には見られない。逆に遠く海を隔てたインド、セイロン、スマトラ諸島など東南アジアに存在するため、かつてはマダカスカルはアフリカの一部だったのではなく、向かい合うようにマダカスカルから東南アジアに至る広大な大陸があったのではないかと想像・提示したのである。その大陸は果たしてあったとされるのだが、2億年以上前のことである。p53 1万2000年と、2億年では、時間のスパンがあまりに違いすぎる。 古代と現代、つまりムーである古琉球と今の沖縄をまぎれもなくつないでいるのは線刻石版である。p160 沖縄には、母なる大陸が一瞬のうちに沈んでしまったという形での伝承・伝説はない。しかし、宗教儀式やそれにまつわる伝承・伝説は明らかに母文明が海底、あるいは地底に没してしまったことを示し、それをニライ・カナイと名づけている。p199 こうして縄文人はムー人となった。そしてやがてアメリカ大陸まで渡り、インディオ文明やアンデス文明を築く。すなわち環太平洋ムー文明である。それは海洋文明であった。p214 やっと核心に近づいてきたようである。ここでは大胆に結論づけよう。ムー大陸は実在していた! チャーチワードの検証は間違っていたが、反面、真実もついていた。琉球古陸がまさにそれなのだ! 沖縄に伝わる”海底にある理想郷=ニライ・カナイ”は、それこそ、ここ沖縄の海底にムー大陸が水没していることを示唆している。p226 どどシロートの私には、科学的にも、ミステリー的にも、ファンタジー的にも、わからないことが多すぎるが、でもここでも、かの有名なジャーナリストの言葉は生きているようだ。 「私たちはいま、この美しい地球に生を受けながら、自らそれを破壊しようという危機に立っています。この状況を回避する唯一の方法は、人類の記憶を取り戻し、過去の知恵から学び、私たちがどういう存在なのか、どこへ行こうとしているのかを理解することです」 グラハム・ハンコック
2007.05.30
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「地球カタログ 沖縄海底遺跡」 パイオニアLDC 2001/7 74 分 地球カタログシリーズの続き。グラハム・ハンコックも登場する。木村政昭教授の「ムー大陸は琉球にあった!」1991以来、気にはなっていたのだが、こうしてあらためて画像でみると、感無量だ。与那国島の沖合いに沈む構造物が、人口の手によって作られた遺跡なのか、自然の偶然によってできた岩盤なのかは、いまだ結論はでていない。自然石だ、と結論づけるこのも可能は可能だ。むしろ、守旧派は、無理にでも、いままでの常識を覆すような推測は否定する。 しかし、もしこれが、本当に人口の手が加わったものだとすれば、一万年以上も前に与那国周辺に文明があったことになり、それはいままでの世界の常識を大きく覆すことになる。もちろん、エジプト文明よりも古く、一度は否定されている太平洋に沈んだとされるムー大陸の存在の証明にすらなる可能性もでてくる。ビデオでは、遠く離れた南米のインカ文明の遺跡との類似性も暗示させ、また、地球のあちらこちらに沈んだ海底遺跡をもレポートする。 この論争がどういう結論をもたらすかはともかくとして、このビデオは美しい。沖縄の海にいってダイビングできる人たちがうらやましい。グラハム・ハンコックは言う。 「ここは人類にとって最も大切なポイント。なぜなら、このモニュメントが全人類の歴史を覆す可能性があるからだ」 そして、巻末でこう結論づける。 「私たちはいま、この美しい地球に生を受けながら、自らそれを破壊しようという危機に立っています。この状況を回避する唯一の方法は、人類の記憶を取り戻し、過去の知恵から学び、私たちがどういう存在なのか、どこへ行こうとしているのかを理解することです」
2007.05.30
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「危ないミクシィ」 大流行!SNSの闇 大月隆寛・他・著 2007/1 洋泉社 mixiは5月20日に利用者が1000万人を達成したとか。複数登録や休眠登録者、不正で削除されたIDなどで、実際にはその3~4分の一くらいが実数ではないだろうか。それにしてもすごいな。このブログ、ネットワークもおおきなテーマだったのだが、すこしお休み気味だった。以下は、別SNSに先日書いておいたものだが、そろそろこちらのカテゴリ「シンギュラリティ」の復活の意味も込めて、転載しておこう、っと。----------------------------------- すでに書店には、沢山の類書があるのだろうが、図書館の新着コーナーにこの本があったので、さっそく借りてきた。共著ではあるが、巻頭記事を大月隆寛という、どっかで聞いたことのある硬派(というか理屈ぽい、というか)が書いている。 考えてみれば、いきなりミクシィに参加してから丸々2年が経過しようとしている。まぁ、面白かった、ということのようが多いだろう。ミクシィがなかったら、こういう展開にならなかった、ということが凄く多い。私は大好きだな。少なくとも2ちゃんねるよりは。 この本の論調は、2ちゃんねらーの意見が強いようだ。SNSとしてのミクシィは、ちょっと、ひ弱過ぎるという評価を持っているようだ。具体的には、いろいろなミクシィがらみの話題を提供している。「ケツ毛バーガー事件」とやらがひとつの切り口になっている。 だが、いまやミクシィは私を含め、友人の間ではインフラとして生活に定着している。ミクシィがなかったら、こういう展開にならなかった、ということが凄く多い。もちろん否定的な展開もゼロではないが、圧倒的にプラスなことが多い。あとは、どう使いこなしていくかだろう。 ネットが定番化してくると、私の生活の中でしっかりと復活してきたのが読書だ。この10数年、本当にネットにはまって本など読む余裕がなかった。読んだ本といえばパソコンやネット関連がほとんどだった。 しかしミクシィが定着して、ネットが定番化して落ち着いてくると、ウェブ2.0の次の3.0だ、という風にはならず、私の場合は、ウェブ以前の再整理に入ったようだ。この一年間で、図書館通いして読んだ本が約600冊ほど。これがなかなか面白い。ネットではなかなか得られない感覚。あるいは、ネットと図書を関連させることによって、自分にとっての新たな価値もでてきている。 『危ないミクシィ』大流行!SNSの闇、おどろおどろしいタイトルではあるが、この対極の評価があるからこそ、このような反対評価の本も価値があるだろう。だが、恐れるにはあたらない。人生など、いつでもそんな危険がつきものだ。危ない道を一歩前に進めたミクシィはそれなりの価値がある、と私は大評価している。
2007.05.30
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「地球カタログ ピラミッド」 吉村作治・監修 パイオニアLDC 1999/9? 1992かも 83 分 最近は、図書館利用ももっと工夫して映像資料も借りなくちゃと張り切ってはみたものの、なかなか自分の見たいものにたどりつくには、それなりの工夫がいるようだ。今回はとりあえず、先日のグラハム・ハンコックつながりで、ピラミッドのVHS。このビデオそれなりに古いかも。昨年暮れに、おなじタイトル「地球カタログ ピラミッド」というものもでているようだが、内容が同じかどうかはわかない。 映像もいいが、眠くなってちょっと居眠りして見逃す場合があるので、要注意。逆にぜひメモしておきたい記録やフレーズがでてきても、こちらのブログに転記できないのは弱点か。もっとも現在は、DVDで静止画像も入っているようだし、ネットで類似の情報を見つければいいから、それほどの問題ではないか。しかし、それにしても、古代エジプト5000年の歴史に比べたら数年~10年程度の「古さ」は古い部類に入らないかも。 いままで漠然~~んと見てきたピラミッド情報もあらためて向き合ってみると、とてつもないことなんだなぁ、と感動。数千年の時間と、広大な地域に広がった歴史なのだった。しかも、小説家やチャネラーたちの想像力や不確定性に支えられたものではなく、それぞれに歴史の解読の手がかりが残っている、というのがまたすごい。 現在博物館で「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」というものをやっていて、近々見にいくつもりだから、すこしは予備知識を増やしておかないとなぁ。
2007.05.30
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「不都合な真実」 アル・ゴア 枝廣淳子・訳 2007/1 ランダムハウス講談社 図書館に頼んでおいてからだいぶ時間が経ってしまったが、ようやく私の番がやってきたようだ。すでに書店で立ち読みしてしまっていたから、ほぼ内容は分かっているが、あらためて自宅で寝っころがって読む楽しみはまた格別なものがある。ましてや、このような美しい(あるいは衝撃的な)画像がいっぱいある本は、ゆっくり見たい。 内容は、正直言ったら、取り立てて目新しいことはない。すでに何度も何度も叫ばれてきたことだ。でもここまで来てしまっている。はっきり言って、自分もどうしたらよいかわからない。だけど、現実は毎日毎日ヒートアップし続けている。 地方の農家の大家族の中に育った私が、幼い頃に住んでいた環境は、今と比べたら、はるかにエコロジーだったことは間違いない。田畑を耕すのは人間と牛や馬。家畜のえさは、田畑の傍らにある雑草たち。農薬などなかったから、そのまま食べさせても害はなかった。家畜の糞尿は堆肥となって、作物を育てた。育った作物は、家庭内の消費材のかなりのものに加工された。味噌、醤油、こんにゃく、納豆、梅干、干し柿や、餅菓子などもあった。 にわとりの卵も自家製だし、ヤギの乳も搾った。残飯は豚のえさになり、豚は大きく育つと町に売られて現金収入になった。柿、梅はいうに及ばず、いちじく、梨、りんご、ぶどう、栗、柚子やグミ、それから季節の野菜を取り上げたらきりがない。それらの大半は自家消費されたが、また出荷もされた。そして、それらを食べて、人々は労働にいそしんだ。眼の前で、物事が循環していた。 ところが、村を真っ二つに割るように、国道のバイパスが出来た頃から、農村の暮らしは激変した。農薬を使い、農機具を使うため、現金が必要になった。人々はその現金を求めて、建築現場や工場で働くようになった。時代は「高度成長」時代と言われた。家族は少なくなり、野菜は、どこの農家でもスーパーで買うことが多くなった。こどもたちも、森の陰の沼に張った氷の上で、下駄スケートなどで氷すべりをしたものだが、いまや、子供さえ上がれるほどの氷なんて張らなくなった。あきらかに温暖化しているのである。 農作業用の車も入ってきて、私も中学時代から敷地内は車を運転して遊んでいたものだが、青年期は意識して免許を取るのを拒否していた。しかし、それも21歳程度まで。生活上、車の免許はなくては生きていけなくなった。勿論、車も必要になった。かつて住んでいた家はすでに築300年も経過したがっちりしたものだったが、茅葺きの家など、維持できるような材料も村の組織もなくなってしまった。今すんでいる家はどこでも、30年もすれば建て替えなくてはならない、「使いすて」の家だ。 嘆いてばかりもいられない、せめてもの行動と、河原を清掃したり、マイ箸を考えたり、クールビズに積極的になったり、ゴミの分別に敏感になったりと、やることはいろいろありそうだ。環境問題を考えるなら、アル・ゴアの本もこんなカラー刷りの本の分厚いものではなくて、もっと質素なものでもよいのではないか、なんてちょっと皮肉も言いたくなる。冷房の効いた涼しい部屋で、地球温暖化対策の会議を開かれているような、そんなちょっと違和感がないでもない。 保険業界は、地球温暖化のまぎれもない経済的な影響を、すでに感じている業界の一つである。この30年間、保険会社は、異常気象の被災者への保険支払額が15倍にはねあがるのを目のあたりにしてきたのだ。p102 たしかにその通り。敏感にならざるを得ない状況がずっと続いてきている。 西部では、かつてはマツクイムシが広がっても、寒い冬がやってくるとその数が減るために、破壊的なほどマツクイムシがはびこるということはなかった。しかし、霜の降りる日が減っている現在、マツクイムシはどんどん増え、松の木は破壊的な状況となっている。p155 ここでは、モンタナ州ブレーンズの森林の画像が紹介されているが、先日行ってきた松島湾や牡鹿半島でも同じことが起きている。 将来を守るため、私たちはもう一度、立ち上がらねばならない。 p300 それはそう、確かなことなのだが・・・・・ 気候の嬉々の解決に、手を貸すためにできること p305 自宅の省エネを進めよう p306 移動時の排出量を減らそう p311 消費量を減らし、もっと節約しよう p314 変化の促進役になろう p319 おっしゃることは、ひとつひとつごもっともなことだ。だけど、このような本が、大発熱地帯である都会で作られていることに、私は最初から疑問を感じ続けてしまうのだった。
2007.05.29
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「チベットを知るための50章」<2> エリア・スタディーズ 石濱裕美子 2004/5 明石書店 <1>より続く このブログでは、何冊かのチベット関連の本を読んできたけど、254ページの「ティンセルタウンのチベット・フリークたち」★ハリウッドとチベット仏教★はなかなか面白い。このような視点の文章ははじめて読んだ。 チベット仏教に帰依すること、チベット難民をサポートすることは、西欧の知識人の間ではいまや一種の社会現象となっている。政治家、映画監督、映画俳優、ロック歌手、はてはイギリスのチャールズ皇太子に至るまで、ありとあらゆる分野の人間が、チベット問題に取り組み、そのサポートを表明している。ここではこの中から大衆文化に影響力を持つ、ハリウッドの映画人たちについて取り上げてみよう。 ハリウッドでもっとも有名なチベットサポーターといえば、当代のセックスシンボルとして名高いリチャード・ギアであろう。銀幕の中で作られた軽薄なイメージとは裏腹に、現実のギアは映画の撮影の合間をぬっては仏の教えに頭を垂れ、50歳を過ぎてから生れた愛息子のミドルネームにジクメ(怖れなき)というチベット名をつけるほどのチベット・フリークである。p254 スペースと許可があれば全文を転記したいところだが・・・・。 アクション俳優として名高いスティーブン・セガールのチベット文化へのはまり方もすごい。彼は1997年にニンマ派のペノル=リンポチェから埋蔵経説発掘者チュンダクドルジェの生まれ変わりと認定され、本人もそれを受けいれた結果、現在は僧衣を着てチュン抱くドルジュの寺をネパールで復興している。p255 ふ~。そういえば麻原もたしかダライ・ラマの灌頂(だったかなぁ)を受けたりしたのだった。このような外見のできごとだけに振り回されるのもどうかと思うが、互いの利害と想いが一致しているということなのだろう。 「スターウォーズ」のハリソン・フォードも熱心なチベットサポーターであり、ダライラマの自伝映画「クンドゥン」の脚本はかれの妻メリッサ・マシスンが手がけ、ハリソンもこの映画の製作に協力している。p255 なるほど、チベット本に飽きたら、今度は、チベット関連のハリウッド作品に嵌まるのも面白いかもなぁ。 また、「キル・ビル」の主演女優ユマ・サーマンの実家サーマン一家は、アメリカのダライラマ法王庁の実質的運営者である。p255 ほえ~、このくらいになってくると、きな臭いものさえ感じるな~。 ハリウッドへのチベット仏教の浸透度を最も雄弁に物語るのは、1997年に封切られたジャン・ジャック・アノー監督の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」とマーティン・スコセッシ監督の「クンドゥン」であろう。p255 映画「セブン・イヤーズ」は何回も繰り返しみた。いろいろあるんだなぁ。 「セブン・イヤーズ・イン・チベット」が西洋人の視点から描かれたのとは対照的に、もう一方の「クンドゥン」はこのチベット語そのままのタイトルが如実に示しているように、チベット人の視点からチベット現代史を描いたものである。p256 なるほど、これは興味深い。 1993年に、アカデミー賞監督ベルナルド・ベルトリッチによって製作された「リトル・ブッダ」は、チベット人の高僧がアメリカ人に転生する問題を扱っている。ある日突然、アメリカ人の夫婦のもとにチベット僧が訪れ、自分たちの幼い息子がチベットの高僧の生まれ変わりであると告げられる。p257 ここまで来るとエンターテイメントのハリウッド根性丸見えだが、面白そう。 このように、ハリウッドの俳優たちと製作者たちが、映画というメディアを通じて、チベット仏教やチベット問題を、直接・間接に広く世界に向けて発信し続けてきた結果、現代のように多くの人々が、チベット仏教やチベット問題についての知識を持つに至ったのである。p258 なるほど、そういうことだったのか。この文章もそうだが、この編者の石濱裕美子の文章はなかなか面白い。ただ、ここまで来ると、3S政策、つまり、スポーツ、セックス、スクリーンの「愚民化」(?)プロジェクトとなんらかの関係があるのかしらん、とさえ疑いたくなるところも、ないではない。 「チベット高原 サンクチュアリ化計画」★弾圧と環境破壊★も大変気になるところだ。1、全チベットをアヒンサー(非暴力)地域、すなわち、平和と非暴力の非武装地帯とする2、チベット民族の存続を脅かす中国人のチベット入植を禁止する3、チベット人の基本的人権と民主的自由を尊重する4、チベットの自然環境を保護し、核兵器の使用や核のゴミの廃棄を禁止する5、チベットと中国の関係とチベットの未来のあり方にちての真剣な議論を開始すること(1987年の欧州議会でダライラマが提案した「5項目の平和プラン」) p272 これは、チベット高原の上に自然と共生する仏教文化を復活させることこそが、チベットの環境問題を解決し、チベットひいては世界に平和をもたらすという主張である。この正論に対して現在(2004年)に至るまで、中国政府は何の応答もしていない。p277 チベット、というキーワード一つで、本当にいろいろなテーマが導き出されるのであった。巻末の「チベット入門ブックガイド」も興味深い。おおよそ7~80冊の本が紹介されており、その何分の一かはこのブログでも読んできたが、まだまだ別な角度からのアプローチがたくさん残っている。奥が深い。 オンマニペメフン この項<完>
2007.05.29
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「チベットを知るための50章」 <1> エリア・スタディーズ 石濱裕美子 2004/5 明石書店 チベットという”国”がこの世から姿を消しておよそ半世紀の時がすぎた。しかし、今なおチベットは人々の口の端にのぼり、その文化は人々を魅了し続けている。チベット文化の存続を願う人びとは年を追うごとに増え、チベット文化に対する認知度はかつてないほど広く、深いものとなっている。 国を失っても、そのアイディンティティが崩壊するどころかよりいっそう鮮明となり、さらに外国人までまきこんでひろがってきたその理由は何であろうか。言わずと知られたことだが、チベット文化、とりわけ仏教文化には国境や民族を越えて通用する普遍的な性格があるからである。p4 オンマニペメフン、蓮華の中の宝珠、の例えどおり、チベット密教は、地球上のスピリチュアリティをクリスタライゼーションしたのではなかっただろうか。それはそのマンダラの世界が、神聖幾何学に通じるところにも、なにごとかあるように感じる。そして、そのチベット密教が「開かれ」地球上に広がることによって、蓮華化、あるいはマトリックス化しつつある、という感じがする。そのマトリックス化にはインターネットやメディアの力が大きく力を添えている。 この本はよくできている。もし、秘教チベットへの問いかけが1931年ヒルトンの「失われた地平線」だったとするなら、その答えがこの本「チベットを知るための50章」といえるかもしれない。もし、主人公のコンウェイがこの本を読んでいたら、もっとシャングリ・ラを楽しめただろう。あるいは、作家ヒルトンがこの本を一冊持っていただけで、もっと別な小説に仕上がっただろうと思うと、感無量なところがある。 チベット史は歴史を通じて観音菩薩の祝福を受けているとされたことから、チベット人は朝な夕な観音の六字真言「オン・マニ・ペメ・フン」を唱え、その慈悲に感謝する。p14 1957年、チベット人ロブサン・ランパの半生を記した「第三の眼」という本が出版された。これはチベット人によって書かれたはじめてのチベットものということから、出版直後の18カ月で30万部という驚異的な売り上げを記録し、この本を通じて多くの人々がチベットに興味を持った。(中略)1958年に私立探偵のマルコ・パリスがロブサン・ランパの正体を1910年生まれのイギリス人シリル・ヘンリー・ホスキンスであることを暴露し、「第三の眼」の売れ行きはぴたりととまった。p73 このへんは、チェロキー少年の自伝と思われていた「リトル・トリー」が、実はKKK支部のリーダーでもあったラジオ番組の作家アサ・カーターであることが、後日発覚して話題を読んだことを連想させる。 最近では、欧米人のみならずインドにあるチベット人の寺院でもコンピュータを利用してDTPによるチベット文字のテキストが出版されるようになってきた。またアメリカ人が主体となって、テキストのコンピュータ入力を進めるプロジェクトや、現在では入手困難なテキストをスキャナーで読み取り、PDFかして配布するプロジェクトも始まっている。p63 まさにこれは、チベット密教のロータス化、マトリックス化、シンギュラリティ化を連想させて、興味深い。 「カーラチャクラ・タントラ」はインドで仏教が滅びる直前に成立し、インド仏教を包括するような内容の巨大な経典となっていると同時に、絶望的な状況の中で将来、仏教王権による理想国シャンバラから仏教軍が異教徒を調伏に来るとという予言を行なっている。p91 マンダラ世界を地上に作る 「祈り」のシンボルがひしめくチベット建築 p174 私たち日本人の住まいには、「祈り」を感じさせるものは、もはやほとんどない。日本人にとって神社仏閣の類は「外」にある特別なものだが、チベット人は、あくまで日常から「内」にあるものととらえているのだろう。生活の場にあたかも寺院のような空間を作り出そうとする姿勢の中に、信仰が今なお重みを持っているチベット人の精神性を感じることができる。p179 「チベット文学の代表作は?」との問いに、即答するのは難しい。口承文学という限定を加えれば第一に、「ケサル大王物語」を推す。p198 チョギャム・トゥルンパの「勇者の道」は、このリンのケサル大王に捧げられている。いちど「チベットの民話」でもダイジェストを読んだが、もうすこし長い本も見つけておいた。 チベットで生れた「隠された聖地」の伝説は、イギリスの小説家ジェームス・ヒルトンによって、世界の理想郷シャングリラに生まれ変わった。ヒルトンは小説「失われた地平線」の中で、チベットの深い谷底にはシャングリラという名の理想郷があり、そこに住む人々は精神的に浄化され、所有欲も権勢欲もなく、みな文化を愛する幸せな生活を送っていると記した。シャンバラを連想させるシャングリラという名称といい、その聖地の描き方といい、ヒルトンが中央ユーラシアの探検家たちが祖国に持ち帰ったチベットの聖地伝説を換骨奪胎してシャングリラを構想したことは明白である。ヒルトンの生み出した理想郷シャングリラは、やがて「秘密の理想郷」という意味の一般名詞となり、かつてはアメリカ大統領の避暑地キャンプデービッドや第二次世界大戦中のアメリカ軍の秘密基地を指す暗号として用いられ、現在はポップスの題名からホテルチェーンの名称に至るまでのエンターテイメント分野で幅広く濫用されている。滅び行く仏教徒を慰める聖地の名が、レジャー用語に生まれ変わって世界の人々に慰めを与えている現状は、喜ぶべきことか、悲しむべきことか。p247 持って瞑すべし。オン・マニ・ペメ・フン つづく
2007.05.29
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「前世を覚えている子どもたち」 トム・シュローダー 大野百合子・訳 2002/8 ヴォイス 訳者・大野百合子は、あとがきでこう述べている。 本書を読んでの新しい気づきは、前世を記憶しているということがけっして本人に幸せをもたらしてはいないのだという事実でした。前世の夫に心を残しているスザンヌ。前世や今世の家族との複雑な感情をともなった関係。スティーヴンソンが言うように、本来前世は忘れることがノーマルなメカニズムであるのに、ショッキングな死によってそれがうまく機能しなかったのかもしれません。 前世を記憶しているために、なかなか”今、ここ”にいることが難しくなっているのです。p404 あとがきを本文より先に読む癖のある私は、この部分を読んで、ああ、そうだよね、と納得した。私にとっては、べつに”新しい気づき”ではないが、こういう結論がでているなら、それはよかった、と思った。ここさえ分かれば、あとはこの本の本文は読まなくてもよい、とさえ思う。あとは個々のケースは、ある種どうでもいいのだ。大野は続けてこう言う。 輪廻転生はやはり今の科学では100パーセント立証することはまだ不可能です。あるチャネラーがチャネルしているスピリットがこんなふうに言いました。「人間の魂に本当に何が起きているのかを、三次元の肉体の意識を通して理解するのは不可能だ。そういう意味で輪廻転生は『例え(メタファー)』である。でも非常に役に立つ例えだ」と。p404 ここでチャネラーやスピリットを出してくるまでもなく、それらの権威を借りることなく、この言葉はこれでいいはずだ。 トム(本書著者)が言うように、魂の旅は、ひとつの魂が過去から未来へ順に生まれ変わるという輪廻の概念でひとくくりにしてしまうにはあまりにもシンプルにすぎるのかもしれません。四次元の一つの要素が時間なら、過去も未来も現在もすべて同時に存在することになります。一直線に過去から未来に流れる時間軸の中では、その構造を理解することは實に困難を極めます。p404 訳者は一生懸命、四次元やら時間軸やらの概念を使うけれども、そんな言葉を使わずとも、それはその通りだと思う。ただ、自分の過去生を知ることは、メタファーであるけれども役に立つ、ということばはまだまだ生きている。輪廻転生については、ただごとではない。簡単にシンプルに片付けられることではない。でも、最終的には、この人生が大事だ、ということだ。その通り。 過去世、未来世のすべての自分という存在を統合した上で、今、現在の瞬間瞬間を生きて行ければ最高だと思います。 トムがいみじくも叫びました。「僕が欲しいのは、この今生きている、この人生なんだ!」 私たちが生きているのは、今のこの人生なのです。p405
2007.05.29
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「アセンションするDNA」 光の12存在からのメッセージ ヴァージニア・エッセン編著 冬月晶・訳 1999/2 ナチュラルスピリット 原書NEW CELLS, NEW BODIES, NEW LIFE! 1991 編著者のヴァージニア・エッセン関連は、このブログでは「ハトホルの書」を読んだ。いわゆるチャネリングものだが、欧米、とくにアメリカの「ニューエイジ」的ニュアンス一辺倒の一冊ということになるだろうか。霊界との通信、特に「高級霊」との通信、ということについて、いわゆる科学的な方法だけでは検証しきれないだろうし、また、すべてのケースをチャネリングであるから耳を傾けるべきだとすることはできない。ないとは言えないが、あるとも言えない、それがこの世界だ。自分の体験からしても、それは言える。 この本、12人のチャネラーによる、12の「高級霊」からのメッセージを編集したものだと思われる。日本語出版は1999年だが、原書は1991年。原書のタイトルには「DNA」などという文字は入っていないが、本文にはDNAに触れているところもある。しかし、遺伝子工学の話題が沸騰している時期でもないだろうに、日本語タイトルがこの文字を入れたわけは、ちょっと分からない。 「超シャンバラ」でも強く感じたことであるが、12という数字を強く意識して、ネットワークや「組織」や「委員会」のメンバー数を12人とするところがあちこちに目につく。たしかに12星座とか12干支であるとか、12面体とか、キリのいい数字ではあるが、なんでもかんでも12で割り切ろうとすれば、無理がでてこよう。それは、かならず硬直と限界を生む。時には8でもいいだろうし、13でもいいだろうし、21、22も悪くない。9だって11だって、6、5、3、17、ひとつひとつに味わいがある。この本の中にもあるが、チャクラを7つと限定してしまうところに、落とし穴がある。もちろん8とか9とか10とかのチャクラを主張する場合もあるが、それは強く7を意識したうえでの、超7のニュアンスが強く見てとれる。 なにはともあれ、目には見えない世界のことは、おおむね7とか、おおむね12という、大きなゆとりの幅のなかで味わっていきたいものだ。 ご想像のように、それぞれに種類の違うコンピュータやソフトを使う12人の多忙な人々から原稿を集めてまとめるのは、たやすいことではありませんでした! 不ぞろいな点もありますが、ご了承ください。p9 1991年当時なら、それはなるほど、と思う。でも、今なら、コンピュータの機種やソフトの互換性で悩むことはごくごく少ないだろう。むしろ、ひとりひとりのアクセスしている世界や単語、その用い方の「不ぞろいさ」は今でも残っているだろうし、また残しておいてよい、ものかもしれない。 集められたなかから、あなたの加速に役立つものを選んで、他のものは悪いとか間違っていると言わずに、とりあえず今は「そのままに」にしておきましょう。同じ人は一人としていないし、だれもが今いる場所にいるべき存在なのだという、人生についての学びを実践しましょう。多様であって当たり前なのです。これを実行するのは概して簡単ではありませんが、でも真剣に取り組んでみようではありませんか。p9 いわんとするところは理解できる。しかし、ちょっと言い逃れてしているような感じをもつのは何故だろう。ひとりひとりの個性があっていいのだし、その多様性を認め合うことはよいことでもあるし、もっとも重要なことでもある。しかし、ある人がそう生きている。一個の人間として、自立して生きているというならそれでいい。ただチャネリングの場合は、そとへの「働きかけ」がある。ターミナル駅に降り立つと、あちらこちらから、売店の呼び込みの声が聞こえる。あちらのお菓子、こちらのお酒、こちらのブランド商品、こちらのみやげ物・・・。それぞれが、思い思いに、好きなものを食べ、好きなものを身につけ、好きなところに出かけるのは、それでよい。 しかし、チャネリングの場合はどうなのかな。あまりに「呼びかけ」がうるさ過ぎる、と感じるのは私だけだろうか。私はこう生きているよ。楽しいよ、満足しているよ、OKだよ、というならそれでいいだろうし、そこになんらかの説得力があるなら、その輪は広がっていくに違いない。だが、チャネリングの声のその原点には、なにか悲痛な、決定的な迷い、不満感を感じてしまうのは、こちらがわの心理の投影なのであろうか・・? この地上にいる間にあなたがたがぜひとも思い出さなければならないのは、あながたの遺伝コードがエネルギーだということです。この遺伝子のエネルギーは、原初の神々と古代人たちを治めるためにやってきた天使の実体からもたらされました。エネルギー遺伝子は、はるか昔から、そして今なお、あなたがたに影響をおよぼしつづけています。それは地球上のレムリア、アドナ、アトランティスという文明とともに始まりました。まずはレムリア人のエネルギーから話しましょう。神であり、巨人でもあった彼らは、人間を治めるためにやってきて、やがてその人間の子孫と交わりました。p47 この辺は、「とりあえず今はそのまま」にしておくことになんのやぶさかなことはないが、こちらへの働きかけをされている限り、イエスかノーかは、はっきりとしておかなくてはならないのではないだろうか。このような違和感を「放置」しつづけた結果が、たとえば麻原集団の暴走などを生んだことを考えれば、かならずしも、簡単には看過すべきではないと、私は思う。少なくとも表現すべき内容と表現する方法、あるいは媒体に、もう一度再考を願いたいと私は思う。ましてや「大天使ミカエル」の言葉を使っての、このようなメッセージを流布することに、どのような意味があるのだろう。 たとえば、どこまでも温和なホピ・インディアンと平原インディアン[別名バッファロー・インディアン]は、いまでもレムリア人のエネルギーが有する心の概念を遺伝子としてもっています。より好戦的なアトランティス人の性質は、コマンチやアパッチと呼ばれる人々のなかに見ることができます。どちらが正しいということではありません。これはたんに、赤人がいまだにこうした二つの魂のパターンの性質をもつという遺伝プロセスを表すにすぎず、この性質はいま再び肉体に戻ることにを選択した人々のなかにも見られます。p49 あぶないなぁ、こういう表現をアメリカのニューエイジは好んで使うのだろうか。日本の読者はこういう表現を嬉々として読み続けるのだろうか。ここに見られるのは明らかなレイシズムではないか。フランス人は好色で、イタリア人は軽薄、イギリス人は鈍重で、ドイツ人は頑固、日本人は金ばっかりおっかけていて、インド人は明日できることは今日しない・・・。などなど、「ジョーク集」ならジョーク集として読んでしまうのだが、大天使の名前をもってきてまでレイシズムに没頭するとは、私には理解できない。 あなたがたはまだこの旅の途中で、以前いた場所を思い出しているところです。そうした過去の記録は、今まではあなたがたに知らされなかったのですが、そのヴェールがすべて取り除かれて、人類の旅の知識が解放されました。それはあなたがたの過去を語りながらも、未来を告げるものです。アトランティスとレムリアの旅のすべてが明かされ、長らく忘れ去られていたことの記憶がよみがえるでしょう。そこには、光から物質へと降下していく450万年間の身体の記憶も含まれています。あなたがたの細胞はこのプロセスを思い出して、もう戻っています。p231 どうも「あなたがた」と言われると、え?そのあなたがたという言葉の中に、この私も含まれるのかな、とギョッとする。とりあえず、その枠内からは外れていたい。まぁ、だから、そう思うのなら、最初からこのような本を読まなければいいだけのことなのだが、読んでしまったのだから、すこしはメモしておこう。この文章は「女神アテナと風の神アイオロス」ということである。 人間というタイプの種が現われたのは、ほんの200万年前のことだ。この惑星がさまざまな次元からきた、少なくとも四つのことなる文明を受け入れていることを覚えておきなさい。こう言うとあなたがたは、ならばアトランティス文明やレムリア文明をいつから、どこにとり入れてきたのかと思うだろう。p281 こちらは「ティアナ、ソクリー博士、コートン」ということである。年代や文明を、いきなり大時代的に取り上げるのは、シュタイナーを初めとして、ちょっと困ったものだなぁ、と実は思っている。この辺は、もうすこし地に足をつけて、そのうち読んでいってみよう。
2007.05.28
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「失われた地平線」 ヒルトン、 増野正衛・訳 1959/12 新潮社 文庫 映画版「失はれた地平線」を先日みていたので、いくら小説苦手な私でもなんとか、この文庫本は一気に読むことができた。映画版と原作は、他の映画でもそうだが、微妙に、あるいは大きく異なる。この本の場合はどうなのだろう。原作のほうが、より素朴で、シャングリラという「チベット文化」に対する理解は薄い。ここに書かれているラマ僧たちは、中国文化と日本文化と、ごっちゃになって、いかにも、西洋的「シャングリラ症候群」元祖という感じだ。しかし、それを怒るまい。そんな時代考証や文化考証よりも、この小説が巻き起こしたシンドロームのほうが、大きな意味がある。 張(チャン)老人は、ほとんど囁きに近い低声で、ゆっくりと語りだした。「そのことをごく簡単に要約してもうしますとですな。われわれの信仰の主流となっておりますのは、中庸ということだと申せましょう。われわれは一切のことにおいて、行き過ぎを戒めることを徳としておるのです。逆説めいた言い方をお許しいただかねばならんのだが、徳そのものの行き過ぎをさえ自戒せねばならんのですよ。みなさんもすでに御覧になりましたあの渓谷、あそこにもわれわれの命令に従って数千人の人たちが居住しておりますが、そこでも私どもは中庸の徳が人間の幸福に大いに資するものであることを教えられました。われわれはここで適度の厳格さをもって支配し、その返礼として適度に服従されて満足しておるのです。ここの住民たちは適度に真面目であり、適度に貞淑であり、適度に正直であると、こう申して決して過言にはならぬと思いますよ」p102 張老人に連れられて主人公コンウェイは大ラマにあう。「切り抜けて、生きながらえる・・・と申しますと?」「その望みはあるのです。おそらくこの破局は、あなたが今の私ほどの年齢になられるよりも前に、やってくることでしょうから」「それで、このシャングリ・ラがその破局を免れることができると、そうお考えなのですね?」「おそらくはな。われわれは御慈悲を期待するものではありませぬ。しかし、当地が見逃されることは、わずかに希望することができましょう。われわれはここにあって、書物や音楽や冥想を守ってゆくのです。滅び去る時代のひよわく優美な遺物を擁しつつ、人類の欲望の炎がすべて燃え尽きた後に、新しい世界が必要とするに相違なところの叡智を追求しつつ、ここで生きながらえてゆくのです。ここには、われわれが育み護って、やがて残し伝えるべき遺産があります。その時がやって来るまで、お互いに人生を楽しみ味わうことにしようではありませんか?」「そして、その時がきましたら?」「その時には、よろしいか、強者どもが相互にむさぼりあって果てたその時には、初めてキリストの倫理が履行され、柔和なるものは幸福(さいわい)なるかな・・・ということになるのですよ」 囁きに似た大ラマの声には一抹の強調が加えられ、コンウェイはその声音の美しさにうっとりさせられた。p216 コンウェイはなおも沈黙していた。「わが子よ、シャングリ・ラの資産と運命とを、私はあなたのお手に委ねますぞ」 遂に緊迫した空気は破られ、コンウェイはその彼方に、温和な、恵み深い説得の力を感じたのである。大ラマの言葉の余韻が室内にただよい、やがてそれが消えてゆくと、残るはただ銅鑼のように高鳴る彼の胸の鼓動だけだった。やがて、その鼓動を遮るように、再び言葉が続いた。「わが子よ、私はあなたがおいでになるのを、久しい間お待ちしておりました。私はこの部屋に坐って、多くの新来者の顔を眺めてまいりました。その眼を見つめその声を聞きながら、常に私はあなたのような人が見いだせるようにと念じておったのです。私の仲間はみな年老いてから賢明になりましたが、まだ年若いあなたは、すでに賢明になっておられる。コンウェイ、私があなたに委ねる仕事は、決して成し遂げがたいものではありませぬ。われわれの宗団には、わずかに絹糸にも似た絆しかないのですからな。柔和で忍耐強くあること、心のゆたかさを愛し、吹きすさぶ外界の嵐を余所にして、叡智と秘密とによりこのシャングリ・ラを主宰してゆくこと---これらはすべて、あなたにとっては楽しく容易な仕事である筈です。そして、あなたは必ずやこの上なき幸福に恵まれるでありましょう」p270<新訳>2012につづく
2007.05.28
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「本当のあなたに出会える天使の言葉」 聖なる山・シャスタからのスピリチュアルメッセージ Takako著 2007/2 ワニブックス こちらも、図書館にリクエストはしているが、書店で立ち読み。シャスタつながりで読もうと思い立ったわけだが、著者Takakoは、「Takako’s love and sweet make up」や「Fleur」などの著書のあるメイクアップアーティスト。これらの本を読もうとして本屋にいくと、若い女性と一緒に並びながら読まなくてはならないので、ちょっと気が引ける。 いずれにせよ、この本も「パワースポット シャスタ山の歩き方」に通じる「おしゃれ」な感覚のつながりである。たしかCDも一枚ついていたから、購読した人だけが味わえるメリットがあるのだろう。 カラー写真もきれいだ。きれいだけれども、シャスタ山の荒々しい大自然を思わせる写真も多くある。例えば、嵐か雷で折れてしまった大木などや、野生の鹿の写真などは、先日行ってきた金華山の風景とどこか通じている。必ずしも綺麗綺麗の一辺倒ではない。 「ムーもアトランティスも偏った文明で滅びてしまった。いつか遠い未来にあなたはまた同じ様に文明の危機の時代に生を受けるだろう。再びその日が巡って来たら私はその時にこそ必ず来たって最大限の助力をするだろう。しかし、今回はこのまま行きなさい。」 文明の危機の時代、とはいつのことだろう。考えようによっては、いつでも危機であり、危機でなかった時代なんてない。先日、金華山の龍道を散歩していて、思った。それは、今、なのだと。
2007.05.28
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「レムリアの真実」 シャスタ山の地下都市テロスからのメッセージ オレリア・ルイーズ・ジョーンズ 片岡佳子・訳 2007/5月 太陽出版 2007年5月にでたばっかりの新刊ほやほや。図書館にもリクエストしてみたが、いつのことになるか分からないので、立ち読み。どことなく「超シャンバラ」と通じるところもあるので、何か関係があるのかな・・? こちらは「シャスタ山の地下都市テロスからのメッセージ」で、あちらは「空洞地球/光の地底都市テロスからのメッセージ」。「地下(底)都市からのメッセージ」というところが同じだ。知り合いのVラダさんのブログには、この本が二冊並んで紹介してあったから、きっと関係ありありなのだろう。ちかぢか、Telos Japan関係者とのお茶会があるらしいので、ちょっと顔だしてみようかな。 この本によればレムリア人は、丸い家に住んでいるということだが、それは我が意を得たり。しかも背景には神聖幾何学があるということだから、まさに多火手が住んでいたレムリアそのものということになる。球形が基本となり、しかも、その材料はクリスタルでできているという。それらは5次元の存在だということだ。 ただ多火手の場合は、その神聖幾何学を捨てて、あるいは卒業して、あるいは、さらなる次のステップを求めて、さらに山の奥地にあるコミューンに引っ越してしまった。そこは、シンメトリーな世界ではない。しかも泥付きの大根のような世界だ。 クリスタルで思い出すのは、オンマニペメフムという呪文。マニは宝珠、つまりクリスタライゼーション、結晶化だ。ペメはロータス、蓮華の花。蓮華はシンメトリーというより、その根は水中の泥の中に根ざしている。あるいは、マトリックス、胎内のイメージがある。両方のバランスがあってこその、オンマニペメフムである。そのバランスがとれていなかったとするなら、それこそが、レムリアのカルマだということになろう。レムリアの古老・多火手の宿題はこのへんにあるのだろう。オンマニペメフム
2007.05.28
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「自由訳 般若心経」 新井満 2005/12 朝日新聞社 「自由訳 イマジン」2006、「自由訳 老子」 2007とシリーズとなるもの。発行年月日から考えれば、こちらが元祖というべきか。般若心経は基本中の基本だな。たしかチベット仏教ニンマ派経典「チベット密教・成就の秘法 」にもあったはず。あれはあれで味わいがあったが、新井満のこちらも、なるほど、と納得するところ多い。 自分の知っている呪文といったら、南無妙法蓮華経かオンマニペメフム、それにこの般若心経くらいだなぁ。寝ているときに悪夢に襲われると、南無妙法蓮華経、って唱えるのが普通だけど、最近は、なにか快適な気分になると、不思議とオンマニペメフムがでてくる。でも、最近、金華山の燈台に行った時に、鹿の子供が毛皮にくるまれた白骨化した屍骸となって半島の先端に転がっていた姿を見たときは、オンマニペメフムだけでは足らずに、足を止めて合唱して般若心経を唱えていたっけ。もっとも、自分の般若心経の前半はともかく、後半はちょっといいかげんだが・・・。 その意味については、なんどか、それぞれの導師達に聞いてきた。意味そのものにそれほど大きな違いはあるまい。だが、それをどう生きるか、自分の人生にどう取りいれるかが問題だな。言霊、音魂、として、唱えるところに意味もあるだろう。なにはともあれ、このブログでも、一度ぐらいは般若心経をあげておこう。
2007.05.27
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「ミステリーズ」 <2> <1>より続く 人名索引だけで13ページ約5~600人、参考文献だけで15ページおおよそ2~300冊。これだけの情報を一冊に詰め込んだこの本は、百科辞典とまではいかないが、広辞苑を一冊まるまんま読まされるような「苦痛」を感じる。このまんま、この本を精読することは、私の場合はまずあるまい。しかしながら、随所に気になる論述がある。膨大すぎるので、いちいち挙げない。ただ、この本は、「コリン・ウィルソンをシャングリラ症候群のサニワ」にしようという私の目論見には見事に合致している本だと思う。まずは気になる人物なり事象があれば、この本になんらかの手がかりを求める、というのは良い方法だ。 この本、日本語版は1987年にでているが、原書は1977年にでている。まさに当時はウィルソン40代中盤で油の乗り切っている時期ということができるだろうか。時代もこのような百科全書的なオカルトに関する本を要求したのだろう。しかし、それはある意味インターネット時代の前のことであった。現代においては、これだけのことを調べあげようとすれば、ネットにアクセスするだけで、できることがほとんどだろう。つまり、今の時代は、誰もがコリン・ウィルソンになれる時代であるといえる。 もちろん、情報をかき集めただけでは、このような「ミステリーズ」のような本は出来上がらない。どこまでも淡々と続く探究心と、ときおり自己開示されるウィルソンのような内省的でありながら、外側にも知性を向けることができるキャラクターの存在なしには、その知識は胡散霧消する。 この本の読み方はいくつかあるだろうが、ひとつのキーワードを追っかけて、巻頭から巻末まで読むという方法だ。例えば、神秘主義とか、ブラバッキーとか、グルジェフとか、イェイツとか、気になる単語なり索引があれば、それをどこまでも追っかけてみるのも面白いと思う。私なら、この本を「瞑想」というキーワードで読んでみようかな、と思う。 先日このブログへの書き込みで、コリン・ウィルソンは「瞑想をしていた」という指摘があったが、今のわたしには、そのところをまだよく理解できていない。確かにこの本にも「瞑想」という単語が仕切りにでてくる。しかし、それは超越瞑想であったり、過去生を思い出すための「瞑想」であったり、悪魔とのコンタクトだったりする。その「瞑想」という言葉にこめらられた意味をよく吟味しないと、その真偽を確かめることさえ、難しい。だから、あえて、この本一冊を使って、ウィルソンの「瞑想」観をじっくり見つめてみるのもいいかもしれない。 なにはとりあえず、ぱらぱら目を通して、さすがは松岡正剛率いる<工作舎>の本だなぁ、と感嘆しつつ、一旦ページを閉じておく。この項<完>
2007.05.27
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<正アウトサイダー>からつづく「続アウトサイダー」 コリン・ウィルソン 中村保男訳 1969年 紀伊国屋書店 原書1957年 RELIGION AND THE REBEL 「続」とついてはいるが、必ずしもウィルソンの処女作「アウトサイダー」と対をなす本ではない。出た時期や内容的に日本版としてこのようなタイトルで訳出された、ということであろう。もともとは「宗教と反抗人」とされる。この「反抗人」REVELは、Oshoの重要単語でもある。Oshoがウィルソンを取り上げているかどうかは知らないが(そういう話は聞いたことない)、おそらくOshoのライブラリーには、この本があったことは間違いなし、と思う。 シャンバラならぬ、西洋的理解のアガルタを訪ね、1990年あたりをはさむ西洋的神秘主義の流れを見るときに、種々雑多な「シャングリラ症候群」に対する「サニワ」になってほしいと思って、選んだウィルソンだったが、彼自身が、ひとつの妖怪のようなものだなぁ、とつくづく思う。 一般のアカデミズムに頼らず、図書館に通いつめるという彼独特の手法からでてくる世界は、知的といえば知的だが、枝葉にまで神経をとぎすませなくてはならないので、ちょっと神経症的になりかねない。もっと、包括的に、帰納的に、最後は「だからみなさん、まいにち、ニコニコ&ワクワク暮らしましょう」」とでも締めくくってくれればいいのだが、彼の世界はそうはいかない。 なにはともなれ、膨大なウィルソンの世界の原点として、正・続「アウトサイダー」を手にとって目を通したことにはなった。1931年生まれの彼は、現在76歳か。あのままの青年らしさを残して、年齢を重ねてきたのだろうか。彼には、隠者とか名人、達人、などの形容詞は似合わないようだ。どこまでも、探究心あふれる一青年、を持って任じているかのようだ。<3>につづく
2007.05.27
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「ビデオ 神々の指紋」~失われた文明~ 天の鏡編 グラハム・ハンコック 2001/11 ワーナーミュージック・ジャパン 前編の「天の鏡編」を踏襲した内容だが、今回は特にマヤの遺跡、そしてその驚異的なカレンダーに焦点をあてる。地球上の偉大な遺跡が示す紀元前10500年前の天空の星図とともに、2012年12月23日に注目する。現代人ですら予知できなかった彗星をも予知していたといわれるマヤン・カレンダー。それが2012年のその日を持って、終了しているという。 これをもって一部「アセンション派」の人々は、この地球と地球人の意識になにごとかあらんとする。過去1万年のことは推測できても、私たち地球人は、正直言って、その5年後に迫っているといわれる「時限」については、なにもわからない、といっていいくらいなのだ。 グラハム・ハンコック 特別インタビュー Q、マヤ暦の世界終焉について マヤの暦は大変古くしかも洗練された科学的道具です。驚くほど正確な天体観測に基づいています。マヤ歴は現代人が使用するカレンダーよりも正確に算出されています。そのくらい精度が高いのです。したがって古代のマヤ暦がこの現代社会の2012年12月23日と特定し、大変動が起こり終焉を迎えると予測しているのは気味が悪いことです。私は運命が決まる日の預言者ではありません。ただ古代の知恵を報告しているのです。古代の人々が何をしていたかを理解し現代に伝えています。 私は2012年に世界が終わるといって不安の中に生きてはいません。大切なのはあらゆる技術力を使っても、謙虚に過去の声を聞くことです。そこに大事な警告があるかもしれません。少なくとも注意深い調査研究と古代マヤ人の狙いを理解する努力が必要です。しかし現代人がこの予言で恐怖するのは間違いだと思います。死は人生の確実な事実です。生ある者に世界の終わりは必ず訪れるのです。大事なことは今を大切にして人々と共に立派に生きることです。 Q.2012年とナスカの地上絵について 非常に古い霊的思想システムの本質は、天界や星のパターンを地上に反映させるものです。ナスカの地上絵もそうだと思います。最新の科学的調査でもその事実を確認しています。例えばナスカのクモはオリオン座のイメージから出来ています。オリオン座は古代エジプト人やマヤ人にとっても重要な星座でした。失われた文明から伝えられてきたこの思想システムは、何千年もの間に破片となり拡散と磨耗でその多くは破壊されています。幾つかの破片でも見つけられるのは幸運なのです。 その一つがナスカです。ビデオでは取り上げていないのですが、本で紹介しているものがあります。それは巨大な図形でナスカ高原から距離にして200Kmほどの所、パラカス半島の海を見下ろす崖にあります。その位置はアンコールワットやギザの大ピラミッドなどと相対関係にあります。特別な数字に基づく経度に位置します。その数字は歳差運動と関係があり、これらの数字が指す年代を示すのです。 世界的ベストセラーとなったグラハム ハンコックの仕事については、 オフィシャルサイト もあるし、それぞれ論評もある。
2007.05.27
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「ビデオ 神々の指紋」 ~失われた文明~ 天の鏡編 グラハム・ハンコック 2001/11 ワーナーミュージック・ジャパン 58分 エジプトのピラミッド、アンコール・ワットの遺跡、そして与那国島の沖にしずむ海底構築(?)物から、共通して推測できる紀元前10500年に想いを馳せる。ノンフィクション。文章を追いかけると、ちょっと眉唾にならないこともないが、画像でみると、迫力もあるし、説得力もある。 一般にピラミッドは紀元前2500年ほど前に作られたとされているが、それよりさらに8000年前に、一体なにが起こっていたのだろうか。そしてその時にこれだけの「知識」が人類に明かされていたとしたら、それ以前にだって、なにかきっとあった、と思わざるを得ない。 すべてが天との繋がりを示唆するのは不思議で興味深い。 このシリーズには書籍もあるようだが、このように画像でみれるなら、かなり楽だな。
2007.05.26
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「ミステリーズ」 <1> オカルト超自然PSIの探究 コリン・ウィルソン 高橋和久・他訳 1987/10 工作舎 この本をまともに読んだら一年はかかりそう・・・と、この本の厚さをみただけで妻は言った。なるほど、僕はうなづいた。目次だけで13ページ。項目だけでざっと500。本の厚さはなんと4cm以上。ニ段組の本の650ページ以上の全頁をめくるだけでも、たっぷり時間がかかりそうだ。なかなかこの膨大なシンボル群を読み下すことは、そう簡単にできそうにない。パラパラめくっていくと、たしかに、インスピレーションの源があちこちに散見されることはまちがいないようだ。 106ページには第3章 「竜の道」というところがある。ああ、この辺からなんらかの繋がりがつかめるかな。本についてこれくらいにして、先日のことをちょっとメモしておく。 「龍とドラゴン」まで来て、そのあと、仕事で松島へ一泊。すっかりリゾート気分で翌日目が覚めると、ホントに目が覚めるような朝だった。早起きして、車で金華山に向かう。なんの時間も調べずに、鮎川港につくと、大型連絡船はでたばっかりで、海上タクシーという数人でチャーターする小型船で2年ぶりの金華山へ。 昨年2006年10月に襲った台風で、島は被害を受けていて、港から本殿までの参道が無残に崩れていた。この島は人間界の島ではない。太平洋に向けて外洋に直接に接しており、その大自然の洗礼を常に受け続けているのである。本殿に参拝し、いつものように弁財天の八角堂を参拝。池の龍神の水に触れながら、参道を下ると、今日はあまりにも天気がいい。前回Pラボードと参拝した時は、うっすらと霞のかかった霊島の姿そのままだった。あの時は、ひたすらひとりで山頂の奥の院をめざしたのだった。 今回は、あまりに天気がよかった。雲ひとつない快晴というのは、年に何回あるものだろう。島だって町だって、そう多くはない。その数少ない一日にあたっていたようだ。一旦、港までもどり、ちょっとお茶を飲んだあとは、なぜか心が浮き浮きして、反対方向にある燈台をめざそうかな、と思い立った。片道5.4キロ、一時間半、往復で3~4時間は覚悟だ。仕事の途中に急に思い立ったから、ワイシャツにネクタイ、革靴姿だ。だけど、きょういくしかないな、という想いがつよくなってきた。 燈台までは車が入れるようになっているから、道はある。ただ、すべて砂利道。ところどころ、嵐で決壊している。水溜りもあるが、ぴょんぴょんはねていけないことはない。海岸線をアップダウンしながら、下方に岩場を見ながらすすむ。途中で、猿の生態を研究している女性研究者ふたり連れとご挨拶。あとはたんたんとただ一人すすむ。 行ったこともない島の一本道、すれ違う人がれば、これから先の道について聞こうと思うが、それ以降はすれちがうひともなし。ウィークディでとくに祭日にあたっていたわけでもないので、どうやら、この道を燈台に向かっているのは私ひとりきりのようだ。 いろいろな想いがめぐる。野生の鹿が数頭、草を食んでいる。巨大な松林が巨大な枝を伸ばしている。まさに鬼の洗濯岩のようなごつごつした岩が、山道の両側にぼんぼんと飛び出してくる。松くい虫にやられた、枯れた松の木も痛々しい。しかし、ふと視線を彼方に向けると水平線が、どんどん延びていく。その上にはかぎりない空が、青空が広がっている。どんどん視界が広がっていく。彼方には何艘かの船も見える。 なんだか、この島は、アトランティスの海岸線のようでもあるし、その山はレムリアの山中のようでもある。島にまつわれている弁才天は、どこかムーの女性的なエネルギーとさえつながっているような気さえしてきた。思えば仕事も一段落して、きょうのような日にまたこのように島にこれたことに感謝した。ありがとう、ってしずかに心から湧いてきた。大きな声で、「あ・り・が・と・う!」って、声さえだして叫んでみた。 と、その時、数メーター先の路上に何か異変が。ギャお、ヘビだ。私の行く道をゆっくりと横切っている。長い2~3メーターありそう。赤みはなく、白、ないし青だ。どうやら大人の青大将のようだ。ベロをべろべろと出してながら、ゆったり進む。この島では、ヘビは、龍神様のお使いということになっている。ありがたいことだ。そういえば、いつか半島の民宿にとまった時、そこの女将さんが、金華山で白いヘビとであってから、運が開けてきた、と言っていたことを思い出した。 足が痛い。豆もできているだろう。なんせ砂利道をカフカフの革靴であるくのだから、それも仕方ない。なんだか「映画 失はれた地平線」の一シーンを思い出していた。神様のお使いとは言っても、あまり何度もヘビには遭遇したいとは思わなかったので、なんかこちらもサインをだそうと思って、「ありがとう、「ありがとう」って声を出しながら、歩く。だけど、そのうち、なんだか、「オンマニペメフム」に変ったのがおかしい。 オンマニペメフム、オンマニペメフム、オンマニペメフム・・・ やがて燈台が見えた。そこは、太平洋の沖を航海する船団に、50年も光を送り続けてきたもっとも外洋に飛び出したところだ。1時間半も歩けば、結構、息がきれる。燈台の先端に座って、しばし瞑想。空はあくまで青い。今日の海はおだやかだ。 30分も瞑想したあと、ふと見ると、鹿たちの気配がある。山の丘のうえから、鹿の10ほどの群れがこちらを見ている。道には、一頭の鹿の屍骸があった。毛皮にくるまれたまますっかり骸骨化していた。カラスや野鳥たちについばまれたのだろう。チベットの鳥葬を思い出した。 オンマニペメフム オンマニペメフム だけど、それだけでもちょっとたりずに、足を止めて、合唱して般若心経をあげる。 帰り足は、ちょっと足の裏がかなり痛み始めたので、道端から一本の枝を拾って、杖がわりにした。杖で道を叩いて、島の動物たちにもご挨拶。杖をついて歩いていると、シナイ山で霊感をうけて山をくだるモーゼのことを思い出しておかしい。私もこの島でなにかのインスピレーションを受けただろうか。(写真はネットの中からお借りしました) 次回は、もっと奥の千畳敷岩まで行ってみよう。 オンマニペメフム つづく
2007.05.26
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ガラス玉演戯<2> <1>よりつづく 図書館から借り出した本を、一冊一冊均質な読み方をするということは当然ながらできない。好きな本を早く読んでしまうか、ゆっくりと時間をかけて読むか、手元におくか、すっかり忘れてしまうか、それぞれだ。もちろん、もう読まなくてもよい、と思う本もあれば、途中で放りなげてしまいたくなる本もある。このヘッセの最重要な傑作とされる「ガラス玉演戯」は、私にとっては、ちょっと独特な味わいがあるようだ。少なくとも、いっぺんに読める本ではない。できれば、ゆっくり時間をかけて何回も読み返してみたい本の一冊だ。 そうして、この間、いろいろな本を間に挟みながら、同時進行で読んでいる。図書館にリクエストしている本も二桁あるし、読んでみたい本のリストは、三桁になる。だけど、以前に読んだのに、またリクエストしたりして、以前読んだのに、忘れて(というか勘違いで)しまっていたりする場合もあるようだ。 そのような一冊に「チベット密教」という本があった。ほんの数ヶ月前の読書なのだが、だいぶ印象が変わってしまっていた。もちろん変わったのは私のほうなのだが、この本の編者の立川武蔵という人に対するイメージが大きく変わったのが理由かもしれない。変わったといっても、以前何も知らなかったのだから、だんだん明確になってきた、と言っていいのだが。彼の共著は「チベット密教の神秘」1997, 2005、「マンダラ瞑想法」 1997、などを読んだのだが、結局は 「インド・アメリカ思索行」 1978に目を通してしまったため、決定的なイメージができてしまった。二度目の「チベット密教」には、不思議と強い違和感だけが残ってしまった。そこには、田中公明、正木晃、ツルティム・ケサン、など早々たる共著者たちが並んではいるのだが、編者の意向が反映されてか、こちらのハートを打つ何かがない。 豪華絢爛な羽模様をもつ昆虫類の標本を見せられている感じがする。美しい。すごい。なるほど、と思う。だけど、虫ピンで留められた蝶には、命がない。すでに死んでいる。生々しい躍動感、一瞬一瞬、次の瞬間、どうなってしまうかわからないような、不確定性が、失われている。そんな感じがする。それは、なにも「密教学」に限らず、他の宗教学や社会学などの本に触れるときも感じるときがある。井上順孝の「宗教社会学のすすめ」などを読んだ時もそんなイメージをつよく持ったのだった。 「ガラス玉演戯」はすこしづつ読んでいる。上記の私の雑感と関連しているかどうかはわからないが、一箇所、引用しておく。転記すべきところはたくさんあるのだが、ありすぎるので、転記してメモしておくより、全文を読んだほうが早い。まずはとりあえず、途中経過。 「もう一言、ついでに言っておくがね。たぶん君も、すぐれたガラス玉演戯者がたいてい若いときにするように、われわれの演戯を哲学するための一種の道具として使うような気になることが、ときにはあるだろう。わしのことばだけで矯正することはできないだろうが、念のために言っておくよ。哲学するには、もっぱら合法的な手段、すなわち哲学の手段をもってすべきだ。われわれの演戯は、哲学でも宗教でもない。独特な規範であって性格は芸術に最もよく似ている。特殊な芸術だ。この点を手がかりにしていけば、百ぺんも失敗を重ねた後に悟るより以上に、進歩することができる。哲学者のカントはもうあまり知られてはいないが、優秀な頭脳だった。彼は、神学的に哲学することを『幻影の魔法ぢょうちん』と呼んだ。われわれのガラス玉をそんなふうにしてしまってはならない」 「ガラス玉演戯」p116 つづく
2007.05.26
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「アウトサイダー」 C・ウィルソン 福田恒存・中村保男・訳 1975/4 紀伊国屋書店 原書1956 コリン・ウィルソンについては、「スターシーカーズ 」 1980、「ユング 地下の大王」 1984、「コリン・ウィルソンの『来世体験』」 1985、「ルドルフ・シュタイナー 」1985、「二十世紀の神秘家 ウスペンスキー」 1993、「アトランティスの暗号」2006、などなどを読んできた。とても、その全容を見れたわけではない。まさに天空を飛翔する龍が落としたウロコ一つを拾い上げて、チラッと眺めては首をかしげている、という段階だろう。 この「アウトサイダー」は1956年、コリン・ウィルソンが26歳の時に出した処女作だ。まずはともあれ、この本を読まないことには、彼の全体像は見えない。 1931年レスターに生まる。靴屋の息子としてアカデミックな教育は受けていない。学校を中途退学し労働者・埋葬人夫・収税吏などの職業を転々とした。思索する時間がないためパリに遊んだこともあるが、1954年帰英、昼は英国美術館に日参、夜は皿洗い等しながら著述に専念。1956年処女作「アウトサイダー」をロンドンのVictor Gollanczから出版。英米論壇に多くの問題を投げた。その後テレビ、講演等に活躍。引き続きロンドン・マガジンにすぐれた評論を発表。第二作「宗教と反抗人」を発表。著者紹介 アウトサイダーという言葉は、ウィルソンの発明ではないが、鮮明にその概念を描きだした彼の手法は、旧来のアカデミズムの外の流れにいながら、大英図書館に日参したその文献主義から生み出された。必ずしも大作ではないが、その網羅している世界は広い。このブログに関係ありそうなところだけをちょっぴり拾い上げておく。 現在までにおけるヘッセ最後の大作は、1937年にあらわれはじめ、1945年に決定版の刊行をみたものであるが、これは、かれのもっともすぐれた作品である。ロマン主義特有のしつこさがなくなっているこの小説には、ヘッセとしては新しい傾向といえる簡素なスタイルが形式が見られる。 この「ガラス玉演戯」の時代は、未来のある一時期に設定されている。貴族的なインテリ階級、カスターリエン階級が国家によって維持され保障されている時代である。p63 全体としてみれば、ヘッセの業績に比肩しるものは近代文学にはほとんど見あたらない。ヘッセの全作品は、一つの観念、いかにして「より充実した人生をおくるか」という基本的、宗教的観念がたえず上昇しつつ描く曲線にほかならない。シェイクスピアやトルストイに想像力があったという意味では、ヘッセは想像力をほとんどもっていなかった。が、ヘッセの観念には、それを償って、あまりある活力があった。なによりもまず、かれは、「われわれの人生をいかにすべきか?」の問題探究のために小説を利用した小説家であり、人生をゆきあたりばったりにうけいれる代りに、いかに生きるべきかに関心をいだく人間は、それだけで、おのずから「アウトサイダー」なのだ。p65 「ガラス玉演戯」は、未来小説なのだが、私には、過去の理想郷のお話のように聞こえる。別なところでウィルソンはグルジェフを取り上げる。 南フランスにあるグールドドジェフの「学校」は、「人間の調和的生育を目的とする道場」と呼ばれているが、つまりそれは、人間の三つの要素を調和的に育てあげるという意味である。グールドジェフ方式のめざす目標と「アウトサイダー」の求めるものが同一であることはまちがいない。p294 ヘッセが求めた人間像が「アウトサイダー」あり、グルジェフのスクールがめざす人間像が「アウトサイダー」なら、コリン・ウィルソンが求めたものと、このブログの主テーマである「地球人スピリット」とは、当然のごとく深い関連性がでてくるであろう。 月は地球の弟で、地球は太陽の弟であるとか、遊星は人間と同じような生きものであるとかいった説は、読者の好みに応じて、眉つばものだといえぬこともない。しかし、心理学者としてのグールドジェフが驚くべき洞察力のもち主であることは疑問の余地がない。かれが本書の領域にはいってくるのは、この心理学的な面においてである。p294 このブログにおいては、レムリア→シュタイナー→コリン・ウィルソンと繋がってきたのであるが、シュタイナーのレムリアについての特殊な表現は、グルジェフの「宇宙観」とともに、ウィルソンは、とりあえず、ここでは埒外としているということだろう。<続アウトサイダー>につづく
2007.05.25
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「龍とドラゴン」 イメージの博物誌 幻獣の図像学 <1>フランシス・ハックスリー 平凡社1982/8 この本のドラゴンは、チョギャム・トゥルンパ「シャンバラ 勇者の道」の表紙のドラゴンと似ている。こちらが昇竜で、あちらは降龍ということになろうか。この本では、東洋、西洋、さまざまな龍とドラゴンが紹介されているが、p50~51には見開きで大きな龍が紹介されている。横に飛んでいるので、飛龍とでも呼んでおこうか。「チベットの木版画の龍」ということだから、これら三体の龍はすべて、チベットの龍ということになる。 「『飛龍天に在り、大人を見るに利ろし』とは、どういう意味であろうか。孔子が言われるには、同じ声のものはたがいに相応じ、同じ気のものはたがいに相求める。水は湿ったもののほうへ流れ、火は燥(かわ)いたものに就く。雲は龍に従い、風は虎に従う。かくして聖人が作(おこ)り、万物が聖人を観(みつめ)るのだ。天に本(もと)づいて生れたものは上に親しみ、地に本づいて生れたものはしたに親しむ。それぞれが、その類に従うのである。(『易経』上経「乾(かん)」 p51 易経には虎がでてくる。たしかによく竜虎のたとえがでてくる。しかし、獅子や迦楼羅は、チベット以外にどのようにでてくるだろう。迦楼羅はインドではガルーダとなる。<2>につづく
2007.05.23
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「シャンバラ」勇者の道 <7><6>より続く 「シャンバラ 勇者の道」の表紙には、龍の絵がかいてある。英文の原書「Shambhala: Sacred Path of the Warrior 」の表紙においては、四獣が書いてある。 この本はかにして自分の生き方をより良いものにしていくか、いかにして「勇者の道」のほんとうの意味を見いだしたらよいのかを明らかにしている。それは偉大なチベットの王、リンのゲサルの範例と叡智---彼の測り知れなさと恐れのなさ、この本では四つの尊い性質として論じられている、虎・獅子・迦楼羅・龍(タク・セン・キュン・ドルク)の原理を応用して、彼が蛮族を征服したそのやり方---に触発されたものである。p19 多火手の転生歴において、次のような記述がある。 転じてアトランティス大陸の科学的探究者となった私は、打ち続く自然の異常現象に危機感を持ち、海岸の岸壁にあった石窟寺院で仲間達と瞑想して文明の危機を救おうとしたが、すでに時期遅く知性に偏った文明は「水」によって滅びていく運命にあった。押し寄せて来た大きな津波から海岸を走って避難中、砂に足を取られてころび波に呑み込まれた。溺れて気を失い始めた時、忽然とムーよりやって来た一体の龍が天空に現われ、こんな約束をしたのだった。 「ムーもアトランティスも偏った文明で滅びてしまった。いつか遠い未来にあなたはまた同じ様に文明の危機の時代に生を受けるだろう。再びその日が巡って来たら私はその時にこそ必ず来たって最大限の助力をするだろう。しかし、今回はこのまま行きなさい。」 現在が、「文明の危機の時代」かどうかはともかくとして、ムーからやってくる龍、とはどのようなものだろうか。そして、その龍の道にいたるには、その前に、虎・獅子・迦楼羅、それぞれの道がある、ということになる。虎と獅子の違いなどは、いままで考えたこともない。また迦楼羅という存在についてさえ想いをはせたことはない。この本においては、龍の道に至るまでのアドバイスが細かく書いてある。 表紙の絵は、あまりに細かすぎるので、部分的に拡大しておこう。 つづく
2007.05.23
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「神秘学オデッセイ」 高橋巌+荒俣宏 1982/12 平河出版 大学時代の教授と学生。その時の講義は、「神智学」。1967年ころのことだろう。この本、シュタイナーから始まって、シュタイナーに終わると言っていいだろう。二人を繋ぐもっとも主要なパイプ=シュタイナー。そしてこの本は、何度かに分かれた対談によって構成されている。しかし、この本には、レムリアはでてこない。あえて隠されているのか、そこはサラッと触れずに通り過ぎるのが「通」のシュタイナー・ファンのありかたなのか。 高橋 私たちの世代と、荒俣さんの世代とどのくらい違いますか。20年は違うわけですね。そうしますと私たちの頃、荒俣さんにとっての劇画とか幻想文学にあたるものが何であったかということを考えますと、あまりそれらしいものがないんですが、私の場合には無理に挙げればドイツ・ロマン派とおヘルマン・ヘッセでしたね。ヘルマン・ヘッセの中でもとくに「デミアン」以後の作品、その世界が私にとっては信じられないくらいに特別縁のありそうな世界だったんです。p8 荒俣 最初はブラバッキー。この人のことは、H・P・ラヴクラフトというアメリカの怪奇小説家との関連でたまたま知っており、「シークレット・ドクトリン」など買いそろえていました。また偶然にシュタイナーの「神秘学概論」の英訳本を入手し、これがめっぽう刺激的だったので、当時はスタイナー、スタイナーといってあちこちに引用したりしておりました。p3 当時、高橋54歳、荒俣35歳。現代から比べると、思いがけないほどのんびりとした時代であったと思える。 アガルタ 18世紀の神秘思想家ファーブル・ドリヴェに影響を受けたサン=ティーブ・ダルヴェイドルが、啓示をもとに著わした書物「インドの使命」において唱えた秘境的な世界政府。アガルタは六千年前に地中に隠れたが、旧世界の壊滅によって地上に甦り、新しい世界を実現する。世界宗教の経典もすべては、このアガルタの啓示を秘めた暗号にほかならないとする。p45 シャンバラ 仏教伝来以前すでにチベット地方で広まっていた理想都市信仰と、その伝承。シャンバラが実現されると、東洋と西洋は一体となり美と平和が実現されるという。霊的指導者マハトマはシャンバラの達成のために、折にふれて世界各地に使者を派遣するのだという。近代ロシアの画家リョーリフは、シャンバラに強い影響を受けた代表的な人物である。p45 この本が出たのが、1982年の12月。中沢新一の「虹の階梯」が同じ出版社から前年にでている。 荒俣 私の考えでは、近代以降でてきたスクールという形態は、その起源が非常に古いものであっても、発想と経営の面で近代意識につながるものだと想うんです。ブラヴァッキーがチベットで方法論を学んでヨーロッパに展開したといっても、ひとつの支配命令系統を神秘化します。彼らが好んで使う「見えない支配者」からの通報という支配体制---これは従来のカリスマ的な教祖をフィクションに置き換えることで、これなら超常能力者でなくてもスクールを支配できます。こうした幻想共同体の支配体制はおそらく原始キリスト教期にイエスが用いた方法と同じところがあったのでしょう。イエスも自分は神や預言者を演ずるより、そのエージェント、あるいはメッセージを伝える人物としてふるまいますね。ただし、これはまちがえると詐術にも流用されます。p178 ベンジャミン・クレーム初めとする、メッセンジャー・ボーイやチャネラーのほとんどの「詐術」は、すでに見破られているのだが、信じやすい人々、騙されたい人々、自らの責任を放棄したがっている人々は常にいる。
2007.05.21
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「アトランティス」 超古代文明とクリスタル・ヒーリング フランク・アルパー 高柳司・訳 1994/6 コスモ・テン・パブリケーション 原書 EXPLORING ATLANTIS 1986 瞑想法であったり、哲学であったり、ヒーリングであったり、セラピーであったり、それぞれの立場の「売り」があるのであり、そこまで持っていくまで、いろいろな背景を利用するようだ。この本においては、アトランティスという大きなイメージを借りながら、本の大きな部分はクリスタルヒーリングが「売り」になっている。だがこのカテゴリでは、レムリアをキーワードで走っているので、その部分だけ、しかも、このブログと関連しそうなところだけフォローしておこう。 レムリア文明は二派に分かれており、両派はバランスを保っていた。一方は愛を表出し、もう一方は好戦的であった。両者の中にはミュータントがいて、両派の労働力になっていた。ミュータントは比較的知能が劣っていたが、大柄で強健な体は肉体労働に適しており、それが彼らの主要任務であり、存在理由となっていた。アメリカ合衆国建国初期の奴隷の状況といえば、およそ想像つくだろう。 この二派はかなり高度な発展をとげていた。愛情豊かな人々は、主として成長と知識の拡大に関心をもち、神への務めを遂行することに専念していた。好戦的な人々はパワーに関心をもち、きわめて高度に発達した精神をもっていたのにもかかわらず、その能力をきわめて破壊的に用いていた。ムーに転生した魂(ソウル)の多くは、この文明の両派での人生を体験していた。このことが、将来のパターンを決定する際、バランスをとっていくことを可能にしていた。p17 レムリアやムー、アトランティスなどと、後世において名づけられた限り、当時の文明はを明確に区分することはなかなかできない。しかし、ムーとレムリアを同質化するとするなら、ムーの乙女・多火手は、レムリアの火を祭る乙女・多火手と見ることも可能だろう。「フラワー・オブ・ライフ」の「ほとんどの人が右脳系で性質は女性的」であったという表現にできないわけではない。ただ、レムリア文明が「二派に分かれており」、一方は愛を表質し、もう一方は好戦的であった、という表現はいかがなものか。これでは善と悪がはっきりしすぎている。やはり右脳・左脳という区分けのほうが適切ではないかな。また二派というより、「二期」と言ったほうがよいのではないか、と思う。 アトランティスとレムリアの両文明が、同時に存在していた時期がある。これらの文明は、よく似た性質、目的をもっていた。一方は東、他方は西にあって、両者はあらゆるかかわり方において、バランスをとる表出となるはずであった。それぞれの文化を学んだり、表出方法を経験するため、魂は両方の文明に転生した。p371 この部分は納得できないわけではない。アストラル体としては同時に存在していて不思議はないし、「表出方法を経験するために、魂は両方の文明に転生した」というところもそれほど違和感はない。しかし、古代文明を二つに分けてしまって、「両方」としてしまうことは早計だろう。時間や空間をこえて、「あらゆるところ」に転生した、と言ったほうがより事実に即しているだろう。 アドルフ・ヒトラーとして地球に転生した魂は、レムリアの「長老」であった。そのころに、彼の人格は権力欲、支配欲の誘惑に負けたのである。すべての経験が学ばれるまでは、歴史はくりかえされる。この惑星で権力欲、貧欲さをネガティブに表出している人たちの大半は、過去に、そうした表出をしており、その波動を矯正していないのである。p371 ここで言わんとすることを理解しないではないが、すこし結論を急ぎすぎている。それほど紋切り型に「わかりやすく」語る必要はない。この本が英文ででた1986年という時代性も考慮しなくてはいけないかもしれない。チャネリングやアトランティスの紹介本はそれほど多くなかった時代であり、すこしデフォルメや手抜きがなかったとは言えないが、もしそのような評価が的を得ていたとしたら、この本は、もうすでに過去の本だ、ということになる。
2007.05.21
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「フラワー・オブ・ライフ(第1巻)」 古代神聖幾何学の秘密 ドランヴァロ・メルキゼデク 2001/12 ナチュラル・スピリット このブログの流れの中で、今確認しておくべきことはレムリアの実在でもなければ、神聖幾何学の信憑性でもない。あるいはこの本に書かれているものがすべてであるかの詮索であるとか、そのマカバ瞑想とやらの習得の必要性とかではない。少なくとも、この本を読んでいて、人類や宇宙のの長い歴史や固体のとしての転生というもののリアリティを強く感じるし、レムリアにおける多火手という転生身を強くイメージしやすくなった、ということのほうが大きな意味を持った。 トートによれば、アダムとイヴのあと、ゴンドワナのナランドを水没に至らしめた大きな地軸の変化があったとのことです。トートいわく、ゴンドワナが沈んだとき、太平洋上に私たちがレムリアと呼んでいる別の陸地が浮上して、アダムとイヴの子孫たちは故郷からそのレムリアへ連れて来られました。p142 レムリアにいた間はとても幸せでした。問題はほとんどありませんでした。そして私たちは進化の過程をものすごいスピードでこなしたのです。自分自身でたくさんのことを試し、多くの肉体的変化を成し遂げました。骨格を変化させ、尾てい骨部分を深く研究し、頭蓋骨のサイズと形を変えました。ほとんどの人が右脳系で、性質は女性的でした。ある進化のサイクルでは、ちょうどあなたが地球にやってきた時と同じように、女性になるか男性になるかを決定しなければなりません。それで私たちの種は女性的になっていきました。レムリアが沈むころまでには、私たちは種としてだいたい12歳の女の子ぐらいになっていたと言えるでしょう。p143 レムリア文明についての表現はさまざまあるが、ルイス・スペンスの著書にでてきたような表現をつかうとすると、マダム・ブラバッキーの神智学やシュタイナー的な見方のレムリアがここでは採用されているようだ。多火手が存在していた当時は、男性として存在していたのであり、むしろ左脳の方が発達していて、のちに右脳の開発に向かい、バランスをとったものだと思われる。 このレムリアの新たな文明は非常によく発達していきました。すべては素晴らしくうまくいっていました。しかし、レムリアの大半は沈んだのです。沈没の約1000年ほど前のこと、アイとタイアという名の男女がいました。この二人は少なくとも私たちの進化のサイクルでは誰もしたことがないようなことをしました。ある特定の愛する方法と呼吸方を行なうことにより、子供を授かるときに三人とも---母、父、子供のそれぞれが---不死になったのです。p145 アイとタニアは彼らの経験により、みずからが不老不死になったことを察していったのだと思います。時間が経つにつれてほかの人々は死んでゆくのに、二人は生き続けていたので、自分たちが本当に何かすごいものを手にしたことに気がつきはじめたのです。そこで彼らは、ついに学校を設立しました。私の知るかぎり、地球で今のサイクルにおける最初の神秘学派(ミステリー・スクール)の誕生です。それは神秘学派という意味の「ナーカル」あるいは「ナークル」という名で呼ばれ、簡単に言えば、タントラを通して復活あるいはアセンションをどう行なうかを教えていました。p145 レムリアが沈んだとき、彼らはまだ始めたばかりでした。お話しましたように、レムリアは女性的で、レムリア人たちはたいそうサイキックでした。したがって彼らは実際にそうなる前からレムリアが沈むことを知っていました。確実にその日がやって来るのがわかっており、それは議論の余地すらないことでした。ですから最後の時がやって来る前に、あらかじめ手はずを整えておきました。すべての美術品はチチカカ湖やシャスタ山その他の場所に移され、レムリアの偉大な黄金のディスクも持ち出されました。価値あるものはすべて国から運びだされ、最後の時に備えたのです。そしていよいよレムリアが没したとき、人々はすべに完全に島を離れていました。チチカカ湖から中央アメリカ、メキシコ、シャスタ山という北の果てまで移動し、そこで再び出直すことになったのです。p145 レムリアの不死の人々は、彼らの故郷を飛び立って、新たに隆起した大陸アトランティスの北に位置する小さな島に移動しました。彼らはウーダルと名づけたこの島で長いことまちつづけ、それから自分たちのスピリチュアルな科学を再び創造しはじめました。p149 この後につづくいわゆる著者のいうところの神聖幾何学の発達は大いに興味を引かれるところであるし、共感できるところも多い。すくなくとも、その萌芽(あるいはマスタープラン)がすでにレムリアに存在していたということを確認しておこう。レムリアにおいて、タントラが誕生し、ミステリー・スクールが始まった、という表現も共感し得る。 スピリットはいまや球の中にあることを念頭に置いてください。それらの指示とは、「新しく創造されたものへと移動」して、次に「最初とまったく同じ玉をもう一つ投射して作り出す」ことです。これは「現実(リアリティ)」を創造するために絶対確実な方法です。何をしようとも、間違えようがありません。新しく作られたものに移動して、最初の球と同じサイズの球を投射すればいいだけです。このシステムでは、虚空の中にこの球面のほかには何も存在せず、球の内側は外側と同じなので、新しいところ、あるいは別のところとは、球の表面である膜自体しかないことになります。p226 ここで開示されていることが正しい表現か、あるいはすべてが開示されているか、ということは、このブログではとくに問題にはならない。すくなくともこのような哲学(思索法・・)があるということの確認と、レムリアにおける立場の違いだ。右脳的なものと左脳的なもののバランスのとらえ方に、多火手とは若干の違いをもっているようだ。しかし、この段階ではその違いの距離を縮める必要はなさそうだ。違いは違いとして放置しておこう。 72聖師談のそれぞれが、ある一定の時間だけ存在しにきて、その後しばらく消えていなくなるという、サイン波のような生命パターンを持っています。彼らにも人体のようなバイオリズムがあるのです。たとえばバラ十字会員は100年ごとのサイクルで活動しています。彼らは文字通り地球上から消えていなくなるのです。それから100年たつと、また100年間機能するようになっています。 聖師団はそれぞれ異なったサイクルに従って、全員が一つの目的のために機能しています。その目的とは、この惑星にキリスト意識をよみがえらせ、失われてしまった女性的な意識面を設定しなおして惑星の脳の左右にバランスをもたらすことです。p253 私たちはこの古代の科学をようやく最近になって思い出しはじめたところですが、古くはエジプト、チベット、インドにおいて完全に理解されていたものです。ギリシャでも理解されていましたが、その後すっかり長いこと忘れ去られてしまい、イタリア・ルネッサンス期に思い出したと思ったら、すぐにまた忘れてしまいました。現代世界は「形」がどんな意味を持つのかをほとんど完全に忘れてしまっており、私たちはようやくそれを思い出しつつあるところなのです。p254 私たちあらゆる存在の全体的な基本構造はみな「ビー玉」で構成されています。つまり、いろいろなサイズの球ということです。私たちは地球という球の上にいて、球体が私たちのまわりを回転しています。大宇宙から小宇宙まで、宇宙全体はさまざまに小さな球が組み合わさって成り立っているのです。宇宙を貫く光の波動はすべて球状です。p256<第二巻>につづく
2007.05.20
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「幻のレムリア大陸」 南海に消えた謎の古代王国 ルイス・スペンス著 浜 洋訳 1968/4 大陸書房 レムリア本に目を通すなら、まずはこの本に敬意を表しておかなくてはならないだろう。日本におけるレムリア本の草分けであろうと思われる。 太平洋上から忽然と消えた謎の大陸に、”レムリア”の名称を与えたのは、いったいだれであろうか。それは著名なイギリスの博物学者、フィリップ・ラトレー・スクレーター(1829~1913)その人であった。当時、失われた大陸のあるらしいことは、多くの人々が認めていたが、スクレーターは初めてそれに”レムリア”なる名称を冠したのであった。その根拠は? 失われた大陸は、地質学者によると、地球上で最大のベース(大陸の基礎大地)をもつ大陸塊であった。スクレーターは長年の研究の末、その大陸にかつてレムール(狐猿の一種)が棲息していたことを実証した。狐猿の進化の過程を調べるうちに、その結論に到達したのである。かれはレムールがモザンビクからは目と鼻の先にあるマダガスカルには棲息していながら、アフリカ大陸にはいないこと、そこからインド洋を経て、はるかセイロンやスマトラには棲息した形跡のあることをつきとめたのであった。スマトラから発掘された化石は、約5千万年前(近生代初期)のものであることも判明した。そこでスクレーターは、マダガスカルはアフリカに属するのではなくて、むしろインドからアジアと同じ地続きではなかったのかと考えたのである。ということは、かつてそこにマダガスカルからインド、東南アジアにわたる大陸が存在したのだと確信した。 こうしてレムリアの名前が誕生したのであった。この名称は”失われた大陸”にもっともふさわしいものとして、多くの人々の賛同をもって迎えられた。p14 マダム・ブラバッキーについてもふれているが・・・ ブラバスキー女史は極めて異色の学究である。彼女の発表する論文は、いつもかなり個性的で独特のものである。女史は熱心な神秘学者ではあるが「神秘の理論」なる著書の中で、レムリア民族について述べている。 「・・・・レムリア人は両棲類であった。パプアやホッテントット、オーストラリア原住民はこのレムリア人の進化したものである・・・・・」 ブラバスキー女史のこの結論の根拠をもうすこし詳しく読むと次のようだ。 レムリアの名称は、先史時代の生物学上の基礎的研究から、P・L・スクレータ氏がつけたものである。氏によればその大陸はアフリカの一部をふくみ、マダガスカルからセイロン、スマトラまで広がっていた。他方、インド洋からオーストラリアの方へも連なっていた。今日残っているのは、その大陸の丘の部分だけである。それは地質学の第三紀代には北方の大陸ともつながっていた。そして始新世第三代の前に沈没した。p108 とにかくこのような大昔に存在したレムリアの人種は半獣半人だった、というのが女史の主唱である。レムリア人は巨人で、のちになって類人猿に進化したともいう。また女史は、二つの大陸のことにもふれ、黄色人種と黒人種がそれぞれ住んでいたという。p109 神秘学がどのような宇宙観と体系を持つのか筆者には不明だが、人類(らしきもの)は初め極地方に誕生した。地球は生成の混とんとした時代、自転の速度の影響を大きく受けて、次第に現在のような形になったというのである。p109 ブラバスキー女史の考えはほとんどインドのサンスクリットを土台に、神秘学上のコスモロジー(宇宙論、世界観)を加味したもので、寓話以上の域を脱し得ないことは、もう賢明な読者にはおわかりと思う。p110 と手厳しい。あるいはシュタイナーや、チャーチワードについても言及する。 スタイナー氏の説はおよそこのようなものである。これの真意は筆者には理解しがたいのであるが、要するに、レムリア大陸の年代的な古さ、また完全に哺乳類として独立進化していない人類が住んでいたことを主張するもののようである。筆者にすれば、これらの考え方は全然、ナンセンスで問題とならない。科学的な真剣な態度を放棄した仮想の物語にすぎないといえる。 また有名なチャーチワード大佐の「失われたムー大陸」は部分的に非常に優れたものと思われるのだが、その出発点にすでに誤りがあるのではないかと考える。p111 まさに科学者として一目置くに値する著者ルイス・スペンスだが、あるところでは、意外と甘い点数をつけている。矢追純一の「失われた世界への旅」にもでていた、1932年にエドワード・ランサーという記者が「ロサンゼルス・タイムズ・スター」に書いた記事について、長々と紹介し、ほとんど全面的に肯定的な評価を下す。 シェスタ山中で働くある樵夫の話である。レムリア人の子孫たちは、チベットのラマ僧のような術を心得ていたらしい。望めばいつなんどきでも、自分の姿をかき消すことができた。 しかしいつでも逃げるように消えることだけではなかった。かれらは近くの町へ歩いて山を降りてきた。背は高く髪は短く切っていた。衣服はインドの高貴な婦人が身にまとうような白い長衣であった。その容貌には、どことなく近寄りがたい気品が漂っていた。p125 かれらはシェスタ山中に、豊富な金鉱を持っていたに違いない。かれらが他国人を近づけないのも、一つにはそれが理由かも知れない。レムリア人はその富を独り占めにしようとしたのでは決してなかった。チャリティーショーのときなど、どうしてその開催を知るのかわからないが、巨大な金塊を寄贈したりした。戦争中には、赤十字にも寄付した。日本の大震災のときには赤十字を通じて多大な金塊を送っている。かれらがレムリア人の子孫であることを筆者は信じて疑わない。p126 なんと、レムリアの子孫たちが、(関東?)大震災の時に日本に多大な金塊を送っていた、というのが事実なら、これは大変なことだ。ひょっとすると、第二次世界大戦後の復興にも協力している可能性もある。にわかに、チェロキー少年・多火手の親方の仕事と連動してくる可能性がでてきたのは驚きだ。 かくて、金髪人種は賢人、魔法使い、偉大なる建築家、芸術的センスに溢れた彫刻家、太陽崇拝者ということが理解されたと思う。広大なレムリアには時代を経るにしたがって人種の混交、移動もあったが、金髪人はその支配者であった。そして太平洋こそ、かれらの生誕の地であったといえる。p126 私は、「ガラス玉演戯」を手にして、「レムリアに都市計画者という仕事があった」だろうか、などと思案にふけっていたが、ここではあっさりと、「偉大なる建築家」はいた、と断定されてしまっている。ホエ~・・・ 私は、この本の著者のルイス・スペンスのような科学者的マインドを豊富に持っている人間ではないが、ここまで来ると、こりゃぁ何かあるなぁ、と直感的にそう思う。 メキシコに入ると、ここにもいくつかの古代文明がみられる。テオチワカン、トルテカ、アステカがそれである。これらとマヤ文明の関連性も多くの学者が認めている。p242 ここまできて、ようやく個人的にも、マヤのカレンダーを研究する気がおきてきた。2012年まではまだ時間がある。 そして、最後に著者は、二十カギ括弧でこう断言している。 筆者は結論する。『レムリア大陸は仮想のものではなく太平洋上に実在した』と。p257
2007.05.19
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「驚異の地底王国シャンバラ」 高橋良典 2007/4 明窓出版 改訂前の「驚異の地底王国シャンバラ」1994年版をサンドイッチのようにはさむ形で、今回加えられた文章が添えられている。さらには、この本のルーツになると思われる「謎の地底王国アガルタ」1983年との関連で読むと面白いかも知れない。1983年において、アレック・マクレランの原書に基づいて、アガルタを強調した内容になっていたが、1994年版では、一転アガルタと裏表の関係にあるシャンバラという単語を多用している。ところが、今回でた2007年版において、挟まれた内容物こそ旧来の表現を保っているが、両サイドの新しく加えられた部分では、また先祖がえりしてアガルタが強調されている。シャンバラ・アトランティス的表現が、アガルタ・レムリア的な表現へと変遷しているのである。勿論、私には、こちらのほうがより親密感を感じる。 大洪水とラーマ帝国の終焉の後、レムリア人は、その社会を新たに融合・再編成し、アガルタと名づけました。その首都シャンバラは、現代チベットの都ラサのはるか地下深くに存在する内部地殻の洞窟に移されました。そこからマントルを貫く多くのトンネルがヒマラヤ山中に隠された地下都市に向かい、地底のシャンバラと地底のラサをつないでいます。これらのトンネルを通って地表を訪れた聖人たちは、そのすばらしいエネルギーと聖なる英知をこうして幾世代にもわたり外部世界に伝えてきました。p4 もっともこの文章はPICOという書名がある。高橋良典以外の存在が書いている可能性がある。だとすれば、この文章は、ダイアン・ロビンスの「超シャンバラ」の影響を受けているか、シンクロしている可能性を感じる。あるいは共謀しているかも。 地球内部の人々は、地球の表面の下で一定の距離をおいて、それぞれおよそ100の都市に暮らしていると言いました。多くの人たちはレムリアが破壊された後、アトランティスが沈没する前に、住居を地底世界のアガルタに移し、そこで暮らし始めることを望みました。北カルフォルニアのシャスタ山の下には、150万人の人々が住むテロスと呼ばれるアガルタの大都会があります。これらの地底民族は、今からおよそ25000年前にレムリアが沈んだとき生き残った人たちなのです。彼らの社会は5次元社会そのもので、惑星表面の皆さんの社会もまた、まもなく次元上昇して5次元社会になります。p161 さぁ、シャスタ山、テロスがでてきたぞ。次元上昇という単語は使われているが、つまりアセンションということである。 2012年までに地上の人類は消え、地底に移動する! 世界の王の魔法予告 まもなく地球表面は居住に適さなくなります あなたは5年以内に地底人類と再会することになっています 2012年以後あなたは地底王国の都シャンバラに招かれ 新しい天と地、宇宙の創造者としてよみがえります 本書腰巻 1999年の7の月、の時も感じていたことだったが、あまり年月日を区切った予言めいた話は、私は好きではない。好き嫌いばかりではなく、いたづらにそのような期限を限定する場合、その裏の意図を見抜かないと、危険であったりする。もちろん、多くの人々が言っていることだから、一笑に付してしまうわけにはいかないが、私にはそういう領域にはいるときは、キチンと眉に唾をつける習慣がある。
2007.05.19
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「失はれた地平線」 LOST HORIZON<1> 主演ロナルド・コールマン 監督フランク・キャプラ 1993年発売 原画1937年 ああ、面白かった。最高。これだったら、私はシャングリラ症候群なんて揶揄されたって、なんの悲しいことはないな。いやまさに私は、その症状そのものだと言えるかもしれない。 英国領事ロバートらを乗せ、戦乱の中国から飛び立った飛行機はハイジャックに遭う。予定外のコースをたどる飛行機は、折からの暴風雨と燃料不足のため、雪深いチベットの奥地に不時着してしまう。死を覚悟した生存者全員の前に、やがてどこからともなく現れた一人のチベット僧。彼はロバート達を、いまだかつて誰も足を踏み入れたことのない伝説の理想郷”シャングリ・ラ”へと導いていった・・・・。 ベスト・セラー冒険小説を巨匠フランク・キャプラが映画化。50年以上も前に作られたとは信じがたい、ファンタジックなSFXを駆使したアドベンチャー映画の原点。アカデミー賞に輝くシャングリ・ラのセットも豪華絢爛。 この作品はオリジナル版が散逸、ながらくカット版が流布されていたが、今回世界に現存するフィルムを集め、25分の映像と132分の音声をようやく復元した、貴重な復刻版である。1993年VHS裏表紙) 感動を簡単に言葉にできるほど、私は言葉の使い手ではない。良かったのひとこと。「チベットの奥深く、伝説のユートピア「<シャングリ・ラ>はあった!」のコピーが泣かせる。恋をしたくなった。高地での高山病や時代的考証、文化的理解など、こまかいことをいえばキリがないのだろうけど、それらを上回っている。この作品が何度も何度も再発売されている理由がよくわかる。 この映画をみていて、もうひとりの多火手を思い出した。1931年に亡くなった、フランスの売れない三流ジャーナリスト。貧乏な画学生とともに共同生活をしていた。神智学協会の会員でもあった。 同じタイトルの本とVHSを同時にリクエストしていたのだが、VHSのほうが先にきてしまった。もう小説のほうは読まなくてもいいかな。優れた作品は、こうして映像でみるのがいいかもね。人々がいうには、小説と映像にはそれぞれ違いがあるらしいが、小説をあまり読めない私には、こうして映画で味わったほうがよいようだ。ラクチン。<2>につづく
2007.05.19
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「アメリカ・インディアン」 ビジュアル博物館(第60巻) 南西部のブエブロに住む部族から北極圏の狩猟民イヌイットまで、北米先住民の豊かな文化を発見する デヴィッド・マードック著 1998/12 同朋舎 原書1995年 アメリカ・インディアン、アメリカ大陸のネイティブな人々を訪ねる旅も、チベットの奥地の探検にでるのと同じで、あまりに膨大で広大な土地のまんなかで道に迷い、最初の目的さえわすれてしまいかねない。 最近の人口動態学の研究成果によれば、コロンブスの到着当時のアメリカ大陸には5000万人以上の先住民が住んでいたと推定されている。これは当時の全ヨーロッパの人口に匹敵する。北米には200万から500万人いたという。先住民はこれほど大勢の人口を養うに足るだけの食料や生活物資を生産していたわけである。表紙見返し 歴史もあり、地域もはるかに広大な大地の中で、自らの足跡を付けるのはどこにするべきだろうか。最初、ガールフレンドだったアメリカから来たドイツ人看護師から「あなたは唇があついから、黒人だったかもね」と言われたのが、始まりだった。アメリカで黒人とつきあっていたという彼女の言葉には説得力があった。自分はそういうものであると仮定してみた。それ以前に、いくつかのビジョンがあったのだが、一つの像にならない。黒人という肉体を得て、それからだいぶ時間が経過した。黒人というより、有色人種だったのではないか。しかも黒人とネイティブ・アメリカンの血が流れてきていたように感じる。そう発言した時、ある女性がそれはチェロキーではないか、と指摘してくれた。で、それ以降、特に違和感もないので、そのままにしておくことにした。 ところで、自分達の家族が住み込んでいた屋敷の主人とは、政府の白人高官だった。彼は愛に溢れ人心をよく把握できるひとであった。彼は第二次世界大戦後、ヒロシマの現地調査も担当した。その縁で、多火手は今回、日本に転生しているのであった。ということで、チェロキーについての記述をこの「アメリカン・インディアン」の中に探したがそう多くはない。 調和した生活 チェロキー族の男は、トウモロコシを植えるために土地を開拓した。木は樹皮を丸くはいで枯らして倒した(枯れた幹は後で焼いた)。その後女が鍬(くわ)で土地を耕し、小さく土を盛った中にトウモロコシの種を植えた。通常は二毛作で、夏と秋に収穫し、乾燥して冬用に貯蔵した。皮をむいて洗った後、実を挽いてヒキワリ粉にした。その後籠を使ってふるい、粗い塊(かたまり)をより分けた。p17 これらの農法は、ごくごく最近の農法と何のかわりもない。むしろ、まだまだこのような農業を営んでいる人々は地球上に多くいるはずだ。 鷲の踊り ヨーロッパ人と接触する前に、チェロキー族にとって最も重要な儀式は鷲の踊りで、平和や戦勝の祝賀の一部として行なわれた。踊り手は頭に鷲の羽根をつけ、太鼓とガラガラの音楽に合わせて鷲の羽根で飾った棒を振り動かした。p26 これは、まさにネイティブの人々でしかできない儀式だ。しかし、現代社会においても、各地で行なわれている祭りごとを考えれば、これに類似した儀式は多く行なわれていると感じる。
2007.05.19
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「インディオの世界」 アメリカ大陸に花開いたアステカ、マヤ、インカの文明 ビジュアル博物館(第47巻)エリザベス・バケダーノ著 川成洋・監修 1994/6 同朋舎出版 原書1993 「イメージの博物誌」に並んで、このビジュアル博物館シリーズも美しい。カラー写真を見ているだけでうっとりする。この本にでているような世界こそ、レムリアの多火手が後半生を送った世界であり、シャボン玉都市空間に現れた、泥付き大根のような車とは、このような世界から抜けでてきたような車のことだ。 アステカの太陽石 この石はアステカで発見された一番大きな彫刻で、直径が4mもある。中央には大地の主の太陽が描かれている。この石は「暦石(れきせき)とも呼ばれ、世界は4回蘇生をくりかえしてきたが、現在の第5の世界も地震で滅ぶ運命にあるというアステカの思想を示している。アステカの神話によれば、第5の世界が誕生したときに、太陽、月、人間も次々とつくられた。p41 そういえば、アセンション好きな人々の中で語られている2012年の何月、という区切りは、このアステカ暦石によるマヤ暦が基になっているのではなかっただろうか。 スポーツとゲーム アステカでは生活のすべてが宗教を中心に回っていた。スポーツとゲームも例外ではない。アステカの代表的なゲームは、西洋双六(すごろく)に似た「パトリ」と球技の「ウラマ」である。ウラマは、アステカ王国が成立する前からマヤで行なわれていた。また、ウラマの球戯場は世界を、ボールは月と太陽を表すという宗教的意味もあった。競技者は命を賭けて勝敗を競った。p58 そういえばわが国の相撲という競技も実は、うんちくを傾けていくと、さまざまな隠れた意味があったのだった。赤房、青房、白房、黒房、東と西に分かれて、「はっけよい」とは「八卦よい」の意味だという。陰陽吉凶を占ったのである。最近、イタリアの大統領になったサルコジさんは、「ポマードで髪をかためた裸の男が抱き合っているスポーツのどこが面白いのか」という内容を発言していたというが、まぁ、すこしはもっと異文化も勉強する機会をふやすべきだろう。中世ドイツにおいてマルティン・ルターが悪魔払いの宗教儀式を基に作成したとされるボーリングなどもある。ボールをころがし、瓶を倒して、何が面白いのか、なんて、私もついつい思いがちだが、どうやら口はすこし慎んだほうがいいようだ。
2007.05.19
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「ガラス玉演戯」<1> ヘルマン・ヘッセ 高橋健二・訳 2004/1 ブッキング 原書は1943年スイスで刊行された。 「チベットの白き道」で6500キロの冬季チベット高原を単独で自転車横断した安東浩正を、道の向こうで待っていたのは、へルマン・ヘッセだった。鎌田東二は近刊「霊的人間」で魂のアルケオロジーを始めたのは、ヘルマン・ヘッセの「ガラス玉演戯」からだった。「車輪の下」「デミアン」「シッダルタ」のあと、66歳のヘッセが最後の長編として書いたのは、「ガラス玉演戯」だった。彼はこの小説のなかで彼の文学のすべてを総決算したとされている。ヘッセはこの作品などが評価され、1946年ノーベル文学賞を受賞している。 この本を私が読んだのは1978年。旅の先輩が残していった文庫本を、インドの宿でひとりベットに横になって読んだ。あの時、深く私のハートを打ったものはなんだったのだろうか。今回、あらためてこの本を手にもって驚くことがあった。私にしてみれば、この小説はほんの5~60ページほどの小品のイメージがあった。ひょっとすると、上下巻に分冊されている文庫本の、しかも、上巻に挟まれている、一説を読んで、それだけでこの小説をわかっていた気になっていたのかも知れない。しかし、2004年にブッキング社から新たに刊行された「ガラス玉演戯」は、ずっしりと重い量感のある本だった。今あらたに刊行されたということは、またふたたびヘッセに光があたり始めているということだろうか。 私が、レムリアの記憶らしきものを意識したのは、1982年頃だったと思う。いやもっと後かも。1987年頃か。いずれにせよ、もしレムリアというものがあり、そこにもし私が生きていたらどんなイメージだっただろう。 やがてレムリア大陸に転生して都市計画者となった私は、球体を基礎とする理論を打ち立て功名を得たが、心の何処かに隙間を感じていた。晩年になって山中のコミューンに隠棲して土と汗にまみれながらも満たされた人生を送り、陰と陽の融合の文化を理解したものの、箱庭的平安に終始し「小乗」のカルマを残してしまった。 そんなストーリーがすでに1992年頃には出来上がっていた。ディティールはもっと細かく表現されている。この時の「都市計画者」とは、実は、この「ガラス玉演戯」に相当に影響された形をとっている。私のイマジネーションはヘッセに影響されたのだろうか。それとも、私のストーリーをヘッセが書いてくれたのだろうか。いずれにせよ、ヘッセの「ガラス玉演戯」は私にとってのレムリアという異境への入口となっている。 レムリアの中年都市計画者・多火手は、人生のピークにいた。エリートして誠実な人生を送り、哲学者として、科学者として、技術者として最高の栄誉を得ていた。努力に努力を重ねてきた結果、町の中の建物という建物は、自分の設計したものや、自分の哲学を具現化したものばかりだった。それはまるで、自分が考えていたそのものだった。それは、球体を基礎とした連なりで、シャボン玉を繋ぎ合わせたような世界だった。 多火手は「完成した」という満足感にひたっていた。そんなある日、建物の4階あたりの窓際に腰をかけ、いつものように下界に展開される「自分」の世界に悦に入っていた。 と、その時、シンメトリーで透明感溢れる都市空間に、まったくの異質な物体が登場した。一瞬それが一体なにを意味しているのか、分からなかった。それは車だった。長い、ちょっと重々しい動きの移動物体。良く見ると、それは、シンメトリーではなかった。左右がバラバラで、まるでフリーハンドで描かれたような車だった。薄汚れてさえいた。一口に表現すれば、泥付き大根のような車だった。 それはシンメトリーで透明感あふれる、都市計画者・多火手の空間には想像できないものだった。あってはならないものでもあった。しかし、その想像さえもしなかったデザイン、あってはならないスタイルに、多火手の魂はいっぺんに奪われた。その後の詳しい経緯はさだかではない。ただ、その後、その車の後を追いかけた彼は、その車のやってきた高原にあるコミューンに隠棲することになり、それから数十年の人生を送った。その彼の後半生が、レムリアの古老・多火手と表現されている。エンライトメントした文明のエンライトメントしたコミューンの中にあって、彼は、老子のような心境にたどりついていたのだろうか。それとも・・・ このブログにおいて、当初は、中世チベットの少年・多火手が、レムリアの古老・多火手を訪ねる、あるいはチャネリングするという構想をたててみた。しかし、その前に、どうやら、現代チェロキー青年・多火手が、レムリアと接触したらしい。 1931年ネイティブ・アメリカンとして生れた私は、インドに転生していたOshoが最後の光明を得て、惑星全体に約束のヴァイブレーションが起きた53年、そのショックで思いも寄らぬ事故に巻き込まれ、数十日の間意識を失い冥府をさ迷うことになった。無意識の中でもう一度生き返ることも、このまま死ぬことも選択する自由が残されていたが、事の次第を理解した私の魂は、もう一度転生して彼の元に駆けつけることにしたのであった。 現代チェロキー青年・多火手は21歳だった。ネイティブ・アメリカンと黒人の混血、白人の政府高官の家のサーバントとして住み込んでいた。長じて、セールスマンとなった多火手の商品は、ボーリング場で使うオイルであった。その商品やカタログを車に積み、町から町へと出張しながら、各地のボーリング場を訪ね歩く仕事である。その途中、平原を一直線に突っ走るハイウェイを走行中。なにものかと正面衝突したのだった。あそこはシャスタ山の麓だったろうか。 ここまできていくつかの疑問点がある。レムリアそのものがあったかどうかも問題だが、レムリアに都市計画者という仕事があったかどうか、ということ。どうやらそれは「フラワー・オブ・ライフ」などによれば、神聖幾何学というものがあっただろうと想像できる。さらには、31年生まれのチェロキー青年が21歳の時1953年頃というのは、アメリカにおいてどのような車が走っていたのだろうか、ということ。そもそもハイウェイなどあったのだろうか。若い一セールスマンが車など与えられるものだろうか、と疑問も湧いてくる。でも、これらもネットで検索すると、より具体的に情報を得ることができるのである。不可能なことではなさそうだ。 そして、面白いことに、スポーツとしてのボーリングゲームは、ごくありふれたレジャーだが、調べてみると、紀元前5000年頃には古代エジプトにおいてすでにその痕跡があったというのだから痛快である。そして、中世ドイツにおいてマルティン・ルターが悪魔払いの宗教儀式を基に作成したとされているのだ。ものごとは聞いてみるものだなぁ、とつくづく思う。 レムリアの多火手と、チェロキーの多火手を繋ぐものの手がかりは、二つでてきた。車と、神聖幾何学である。そしてさらに、チェロキー青年は事故による49日間の冥府をさ迷うのだが、ひょっとすると、レムリアの古老は、49年間の冥府を体験しているのではないだろうか。この辺は、今は不明なままである。いずれにせよ、チベットの少年を挟んだ形で、レムリアとチェロキーの多火手達が、合わせ鏡のようになっているのは、実に興味深いと思う。つづく
2007.05.19
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「タントラ 叡智の曙光」 <1> タントラ仏教の哲学と実践 H・V・ギュンター C・トゥルンパ 宮坂宥洪・訳 1992/8 人文書院 原書1975 The Dawn of Tnatra タントラ仏教の、哲学についてはギュンターが、実践についてはトゥルンパが分担して、一冊の体を成している。トゥルンパの実力については、いままでなんの知識もなかったが、ここまで読んできたところ、とてつもないものを感じる。「タントラへの道」や「チベットに生まれて」などを読む進めていくなかで次第に迫力を感じ始め、現在、「シャンバラ 勇者の道」を読み進めている。「勇者の道」は、読むというより、このブログの裏シナリオに使わせてもらおうか、と思っているところだ。 もうひとりのHervert V. Guentherについては、残念ながら日本語関連の文献がほとんどないが、英文で検索するかぎり約40点ほどのチベット関連の著作があるようだ。いずれ劣らぬツワモノというところだろう。 二人は1972年にカリフォルニアのバークレーで邂逅し、1973年頃のサンフランシスコやボールダーにおける二人の講演が基礎となってこの本はできている。このような背景があってこそ、シャンバラ・トレーニングの「勇者の道」が後にでてくることになるのだろう。 タントラは瞑想の実践から生れた体験を抜きに理解することはできません。すでに述べたように、タントラはあたかも黄金の屋根になぞらえて考えることができます。屋根を葺くためには、まずその前に家を建てなければなりませんし、それより先に、そもそも基礎をしっかりと築かなくてはなりません。私はすでに四つの基礎の実践について述べてきました。しかし、それらの実践はそれだけでは十分ではありません。自分の身に即した基本的な作業を行なわなくてはなりません。タントラのシンボリズムとマンダラの原理を完全に理解するためにしなければならないその作業は本当に初歩的なレベルから始まります。(トゥルンパ)p51 トゥルンパはまさにアメリカのグルにふさわしい的確さと分かりやすさ、そしてフランクな開放感を漂わせている。 リアリティーの大区分の片方の恒常なるものの一つはアーカーシャです。これはふつう「虚空」(スペース)と訳されています。はっきりさせておかねばなりませんが、仏教哲学において虚空の概念は決して教学的ないし地理的な空間を意味しません。それは、むしろ生活空間といいますか、生きる空間というべきものです。この空間はいかなるものにも還元不能であり、生滅変化いたしません。人が生きているかぎりそこにあるものでして、しかも、それについて哲学的な理論をさしはさむ余地はないのです。(ギュンター)p147 この本はある意味、70年代のアメリカの瞑想センターの「学生」たちへの講義が基礎となっているだろうから、現代日本人が読むにはややズレを感じるところもある。もともと日本人がもっている、文化としての仏教感を、ギュンターは西洋的マインドを使いながら、説明しようと努力している。 諸仏の集合図のようなものとして知られるマンダラの構想と諸理論は仏教タントラの中から生れたものである。それでも、マンダラに対する一般の認識は、ある種の興味の域を出ていないように思われる。つまり、純粋に図像学的関心か、または仏教における神秘主義的な理念に対する知的かつ理論的関心、あるいはせいぜい漠然と、「部分の統合と全体の調和」といった通俗的かつ理想主義的な観点からのアプローチにとどまっているのが現状である。(宮坂)204 訳者である宮坂があとがきで憂いているように、たしかにチベット密教はなかなか理解はされていない。この本の日本語訳がでたのが1992年、この本の裏では、例の麻原集団の暴走があったとすれば、その憂いは正しかった、ということになる。 しかし、21世紀になってすでにひさしい今日、チベット密教の真価が再評価され、さらに理解がすすむにつれて、チベット密教が文化として政治や経済や倫理までを大きく仕切ってきたチベット社会と、地球文化がグローバルな流動性と統一性の可能性を模索しようとするとき、チベット密教のみを貴しとして規範として敷くことは、必ずしもふさわしくないのではないか、と思う。 戒律や教義、集団の特殊性、それらに振り回されていては、本来持ちえていた地球全体への影響力も減少してしまうのではないだろうか、と危惧する。チベット密教はチベット密教としてのオリジナリティと特殊性を維持しながら、なお、他の多くの精神性と交じり合いながら、地球人スピリットとしての全体性のなかに溶け込んでいくことを模索すべきなのであろう、と思う。 2008/10/09再読 =<2>につづく
2007.05.18
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「ヒマラヤで考えたこと」 小野有五 1999/1 岩波ジュニア新書 この本はジュニア向けである。そして著者は科学者。 氷河の学術調査に出かけ、すっかりヒマラヤの雄大な自然の美しさに魅せられた著者が、自分も含めた登山客たちのゴミのポイ捨てや心ない環境破壊に胸を痛め、それまでの「地球科学者」ではなく、「地球環境科学者」として、以後かの地の美しい自然環境を守るための運動に献身・奔走してゆく経緯を綴った、感動的体験記。裏表紙 チベットやヒマラヤに関する本は何が飛び出してくるか分からない。場合によっては、18禁の表現がでて来る場合もあるし、時には、とても道徳的ではない生き方が賛美される時さえある。もちろんそれらはそれなりの読解力を持って玩味すれば、道に外れておらず、美を礼賛し、新たなる真理の探究に繋がっているのであるが、まぁ、教育段階にある子供達には、はいどうぞ、とはなかなかいえないことも多い。 ところがこれは岩波ジュニア新書の中の一冊である。図書館でも子供コーナーに行かないとなかなか見つからない本である。旅にでるきっかけ、旅の中の道順、旅の中の風景、説くに山並みや人々の暮らしぶりを撮影した写真に大きく違うところは、ほとんどない。しかし、大きく違うとすれば、著者の「科学者」としての目的や態度だろう。この本は、子供ばかりか、大人こそ読むべき本だと思った。 僕たちがはるばるこんな高いところまで氷河を堀りにきたのは、そこが氷河の涵養域(かんよういき)だからであった。涵養域では、とにかく、とける量より積もる量のほうが多いので、雪がどんどんたまっていく。それが氷に変わっていくのだから、氷河を掘っていけば、だんだん昔の水がでてきて、それを分析すれば昔の気候がわかるのだ。 ここでだいじなことは、雪のとけかたである。ヒマラヤの5000メートルを越えるような高所では、気温が高いので、雪は太陽に照らされると、そのまま昇華(しょうか)してしまう、と考えられてきた。つまり、低地のような雪の表面が零度になって水になってとけるではなく、昼間でも気温はマイナスになったままの高所では、水にならずに、固体の雪からいきなり水蒸気になって昇華してしまうだろう、と思われていたのだった。 ところが、ヤラ氷河はちがっていた。氷河の表面には、まだ氷にならない雪が厚くたまっている。その下に向かって掘削していくと、なんと、水が噴き出してきたのだ。あってはならない水が、大量にでてきたのである! p97 こういうことを研究するという名目で人々はヒマラヤまで旅をする。そして、予想通りの結果を導き出すときもあれば、思いがけない発見があったりする。この時も、氷河の涵養域に棲息している「ユスリカ」という昆虫が発見されている。世界的発見だという。 科学の研究とはなんだろうか? 僕たちはまだ知らないことを明らかにしようとして科学の研究をする。地球の自然や環境を知ろうとして、はるばるヒマラヤまでやってくる。だが、その研究をするために、僕たちは逆にヒマラヤの自然や環境を多少なりとも壊してしまったのだ。 まだ誰も知らないことを初めて見つけるのは楽しい。でもそれは、自分が知りたいから、そうするのである。そのために、まわりはどうなってもいいのだろうか? 言いかえると、科学の研究のためには、何もしても許されるのだろうか?p138 ランタン村で、僕は変わったと思う。 それまでのように、何の疑いもなく科学を信じることが、僕にはできなくなった。確かに、僕たちのもっている好奇心は大切なものだ。なにかを不思議と感じ、その謎を追究し、研究していくこと。それは人間のいちばん大切な行為の一つだと思う。思うけれども、たくさんのお金を使い、他のものを犠牲にしてまで、それは、するに値することだろうか。p155 そうではないはずだ。僕たちがそうやって、いっしょうけんめいに発展させてきた科学は、原子爆弾を産み、フロンをつくり、ダイオキシンをつくった。 みんな、決して悪意でつくったのではない。けれども、結果としてみると、20世紀の科学がつくり出したものは、とりわけその最先端の科学がつくり出したものは、ことごとく人類を不幸にしているように見える。p157 僕は、そういう今の科学を、「20世紀型の科学」と名付けたい。それは科学だけでなく、経済学でも哲学でも同じかもしれない。自然が無限であり、環境はいくら壊しても自然に直るものだ、と人類がまだ信じていた時代の科学や学問。それは、この20世紀とともに終わるべき運命にある。いや、現実には、ブレーキをなくした車のように、科学はますます進んでいくだろう。しかし、そうであるならなおのこと、これとはちがった科学、「21世紀型の科学」を、いまこそ発展させなければいけないのだ。 それは、僕たちがこの20世紀を通じて壊してしまった自然や環境を、できるだけもとにとりもどすための科学、環境の科学である。p159
2007.05.18
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「現代人のための『チベット死者の書』」 ロバート・A.F.サーマン著 鷲尾翠・訳 2007/5 朝日新聞社 原書1994 今日は不思議な日だったな。ひとつひとつ上げたらキリがないし、言ってみてもしかたがないことだらけだ。だけど、当たり前のなかに、当たり前じゃない、なにかの質が加わっている。そんな感じの一日だった。季節がいいのだろうか。インフルエンザが回復してようやく体調が整ったのだろうか。だけど、流行しているというハシカも心配だな。 散歩していたら、この本が書店に平積みになっていた。図書館にもリクエストするつもりだが、順番がまわってくるのは、随分とあとになるだろう。そこでチラチラと立ち読みしてきた。最近著者のロバート・サーマンがテレビにでていた。五木寛之がアメリカの彼の研究室を訪ねる、という設定だった。彼の左目は義眼だという。そういう身体的な異変が、サーマンに死への世界の目を開き、東洋への目を養った。一つの目を失って、もっと大事な目を得た、というようなことを言っていた。 この本、原書は1993年発行である。その本が今回14年を経て、中沢新一がまえがきを書くような形で出版される、とはどういう背景があったのだろうか。島田裕巳の批判に対する中沢の回答の一つと見ることも可能だろう。この本、本来であれば、90年代後半にでてしかるものだったかも知れない。しかし・・・ 「チベットの死者の書」にふたたび話題が集るのは良いことだ。西洋社会は、この本を80年間読み続けてきている。そして、いまだに汲めどもつきないその智慧に圧倒されている。 ふと気がついたのだが、「死者の書」が埋蔵経として「掘り出された」のが14世紀、12世紀に生きたミラレパやマルパやナロパたちは、ひょっとして、このような形の「死者の書」を読まなかったのかもしれないな、と思った。 そのうち、このサーマンの本もゆっくり落ち着いて読む機会があるだろう。つづく
2007.05.18
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「ミラレパの足跡」 チベットの聖なる谷へ 伊藤健司 2000/3 地湧社 チベットの峰々は高く聳え、連なる谷は遥かに深い。コタツに座りながらパソコンのキーボードを打つだけのチベット探訪ではあるが、かなりの奥地まで足を進めてきたような爽快感さえある。700年前のチベットの少年・多火手を訪ねる旅は、ミラレパを訪ねる旅でもあった。 おおえまさのりの「チベットの死者の書99の謎」を読んでいて、思った。 ふと気づいてみれば、どんどん押し流され、引き寄せられて、行きつ戻りつして、辿り着いているところは、チベットの至宝、ミラレパなのではないか、と思うようになってきた。そして、わが書棚を見ると、おおえまさのりが1976年に出した特別装丁版「チベットの偉大なヨギー ミラレパ」(横尾忠則装丁)と、1983年にでた、こちらも特別装丁版「ミラレパの十万歌」があることに気がついた。 そして、この伊藤健司の「ミラレパの足跡」は、まさに、チベットの峰々に、その谷の中に、「チベットの偉大なヨギー ミラレパ」、「ミラレパの十万歌」を訪ねる旅であった。1961年生まれの著者、最初の旅はインド、21歳の時だというから1982年か。その後、ずっとそのスタイルを保っているようだから、40代の中ば、どんな暮らしの中にいるのか、好奇心をかきたてられる。いずれにせよ、チベット民衆にもっとも愛されている詩人ミラレパの足跡を辿ろうとする旅は、このブログでは初めてだった。いや、私にとってもとてもグッド・タイミングだった。ミラレパの大冊を、しかも二冊を一気に読むことはできない。のんびりじっくりと読もうと覚悟はしていたのだが、こうして、伊藤健司が読み下してくれると、助かる。いや、ここに、ひとりのミラレパが生まれ変わっている。 天安門事件が勃発したのは、中国本土からたまたま香港へ中国ビザを取り直しに出ているときだった。緊急事態発生のニュースを、ぼくは”香港の銀座”チムサチョイの雑居ビルにある安宿で知った。「あ、やりましたね。 いっしょに自炊していた日本山妙法寺のお坊さんが、レセプションに一台だけあるテレビを見つめながらつぶやいた。p22 日本山妙法寺のお坊さんとは、旅をしていると、よく会う。私もお世話になった。南無妙法蓮華経。 ぼくは、その聖者を生んだチベットで「ミラレパの伝記」を読み、自分でも不思議なくらい感動した。ミラレパは、本物の蒸発者だ。それは、ぼくのもっていた聖者のイメージそのものだったし、それでいてその物語には聖者伝にありがちな偽善っぽさがなく、限りなく人間くさいのだった。p31 花や木の葉や森は 大地より自ら生じ 大地へと消え去る 思考や執着や欲望は 心の蔵より自ら生じ 心の蔵へと消え去る ミラレパ 大地の肥沃さと 青い空のまたらす雨 このふたつは すべてを益するために交わる そしてこの交わりは 聖なるダルマの中にある ミラレパ p148 ふと左手の川原にマニ石の堆積があった。チベット文字で、妙法蓮華をたたえる六文字”オーム・マニ・ペメ・フーム”が彫られている。堀り口がかなり風化している。数百年前、あるいは千年くらい昔のものかもしれない。赤子の頭大の丸石ばかりが集められ、これまでチベット高原で見てきたマニ石とはあきらかにに違う。p163 ミラレパはいまではカギュ派の聖者とされているが、彼自身は派閥というものには属していなかった。ミラレパにしろブッタにしろキリストにしろ、彼らには新しい宗教を創始しようというつもりは毛頭なく、聖者をカリスマとするのは後の人間のすることだ。ミラレパ本人は何かを祀りあげて信仰する類いの宗教からは最も遠いところにいた。p175 成就を終えたミラレパにとって、あらゆる教義は道具にすぎなかった。ミラレパはのちにカギュ派の聖者とされるに至ったが、カギュとは”師から弟子への口伝”という意味で、ミラレパ自身に宗派意識はまったくなかった。p285 たしかにその通り。このブログにおいては、今後、このような何派かに派という考え方は、できるだけしないでいこう。少なくとも700年前は、そんなものなかったのだから。 「伝記」や「十万歌」を書物で読む限り、このへんのところは見えてこなかったが、ぼくはその舞台にやってきて、はじめてミラレパがここで何をしていたのか、その一端に触れることができた気がする。 ミラレパがこの場所で瞑想していたのは”闇”だった。そして”光”はそのなかでこそ輝きを帯びる。p234 著者には、他に「ホーリー・ヒマラヤ」、「ネーコル:チベット巡礼」などがある。 オーム・マニ・ペメ・フーム 南無妙法蓮華経
2007.05.17
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「パワースポット シャスタ山の歩き方」 高原操・文 中尾好孝・写真 2004/7 VOICE レムリアつながりで、地底回廊はヒマラヤ山中から北米大陸へと突き抜けた。シャスタ山についての著書は、思っていたより少ない。これはVOICE社の本。このブログではVOICE社の本は初めてではなかっただろうか。日本の「精神世界」では、80年代よりかなり先鞭をつける意欲的な出版社ではあるが、やや、日本の精神世界では、旧人類の保守派に属していると見られかねない私は、やや苦手な本も多い。本当は、シャスタ山も無理して出向いている、と言えば言える。 しかし、この本には、よけいなトリップはあまりない。むしろ、このブログで読んできたほかの本に比べたら、なんと突き抜けたさわやかな風が吹いているではないか。4000メートルを超える北米二番目の高さを誇るシャスタ山。そこを訪ねる旅は楽しい。写真も綺麗だ。突き抜けている。アメリカ人気質が、写真のあちらこちらと繋がっている。ボールダーと、このシャスタ山はどのような位置関係にあるのか、地図さえ見ないで書いている自分があまりになさけないが、チベットで語られるチベットと、もしチュギャム・トゥルンパがいる(いた)ボールダーの北米で語られたチベットと、どちらがどちらか・・・。どちらも楽しいが、もしチョギャム・トゥルンパのシャンバラ・トレーニングに関心あるなら、このシャスタ山の突き抜けた白さと青い空を背景に聞いておく必要があるのだろう。 マウントシャスタは失われた大陸、レムリアからの生存者が最後にたどり着いた場所であったという伝説がある。そして、ここには多くのスピリチュアルな遭遇話が存在する。その中でも最も興味深いのは、1934年にスピリチュアルグループ、IAM Foundationを設立したエンジニア、ガイ・バラード氏が1930年にパンサーメドウズで体験した話だろう。p13 男は自分がマスター、セント・ジャーメインであると告げた。セント・ジャーメインはいくつもの異なった時代に姿を現し、人類愛を説く不死の存在として知られている。p14 ぜひあなたもマウントシャスタを訪れて、自己の最も深い部分と繋がり、魔法に触れ、パワフルでスピリチュアルな、この山の魅力を味わっていただきたい。p15 たしかに、レムリアを想うことは、自己の最も深い部分と繋がる体験、ということは共感できる。それにしても、魔法、という言葉は、まだ私は使い慣れていないが、ふと、自分の食卓に「魔法瓶」があることに気がついた。まぁ、生活に馴染んでしまえば、魔法という言葉にも、それほどの違和感を感じることはなくなるかな。トゥルンパの愛弟子であるぺマ・チョドロンの著者にも、さらっと「魔法」という言葉がでていた。北米じゃ、「魔法」はそれほど特異な単語ではないのかも知れない。 かつてマウントシャスタ周辺は、シャスタ族、カルク族、ウィンツ族等、複数のネイティブ・アメリカンの生活の場所だった。いまでも毎年初夏、シャスタ山中腹のパンサーメドウズでネイティブ・アメリカンによる山明けの儀式が行なわれる。この山は彼らにとって教会であり、寺院であり、聖なる祈りの場としていまも存在し続けている。p30 シャスタ山を訪ねるのは、このブログにとっては、現代チェロキー青年・多火手を訪ねる旅でもある。この紹介の中にはチェロキーはでてこないが、まぁあせらず旅を続けよう。 ネイティブ・アメリカンにとってビジョンと瞑想の場、バーニーフォールズは全長約40m、水量の多いダイナミックな滝です。夏でも滝つぼ周辺は、舞い上がる水しぶきで涼しく、マイナスイオンに満ち溢れています。この場所では何回も、滝に住む女神や竜神が目撃されているという話もあります。p54 キャッスル・クラックスは、周りの景観と趣きを異にする不思議な空間です。この岩山の一帯は、別名「ワイズ・ピープル(Wise People)=賢者達」、あるいは「賢者達の岩」と呼ばれています。シャスタ山よりはるか昔から存在い、地球の歴史、地球の智慧をすべて抱腹しているかのようです。キャッスル・クラックスとシャスタ山は、遠くレムリア大陸の一部とも信じられています。この岩山を眺めながらの瞑想は、私達の魂に太古の叡智を蘇らせてくれることでしょう。p60 スチュワート・ミネラル・スプリングス。ネイティブ・アメリカンによって発見され、世界有数の癒しの温泉として通年多くの人々が訪れます。温泉は個室のバスタブ形式となっていて、温泉の他、ドライサウナ、マッサージ等のスパリゾート、宿泊施設等も整っています。温泉、サウナで体を温めた後、野外のクリークに飛び込み、体中の毒素が抜けて細胞が生まれ変わったような爽快感は最高。p62 うーむ。観光案内ですか。 シャスタ山には遠い昔滅亡したレムリアの人々がいまもなお、山深く住んでいるというレムリア伝説がある。宇宙船の基地になっているとか、富士山と地底で深く結ばれ、この地球を守っているなど、不思議な話が溢れている。シャスタ山はツイン・ピークスで、南側の高い山がシャスタ、北側の低い山がシャスティーナと呼ばれている。シャスタは男性エネルギー、シャスティーナは女性エネルギーを象徴していると言われ、この山全体は陰陽バランスの取れた山といえる。p67 「シャスタ山に行きたい」という思いが強まったら、ぜひ頑張ってレンタカーを自分の手で走らせてください。この山に再び戻ってくるために、日本で初めて運転免許を取ったという人もいます。目的があればなんでも頑張れるものです。 冬は純白に光輝き、夏は紫の光線を放ち、秋はピンクに染まっていくシャスタ山。1年中を通して、美しく光を放つこの山は「自然界のディズニーランド」です。どの季節に訪れても山のエネルギーを十分に浴びて、心も体も魂もリフレッシュすることでしょう。p90 そういえば、現代チェロキー青年・多火手は、21歳の時、車の運転中に事故に会い、冥府をさ迷ったのだった。ひょっとすると、彼はこのシャスタ山に向かって飛ばしていたのかも知れない。あれは春だった。春のシャスタ山はどんなだろう。1953年の春、シャスタはどんなだったのだろう。 私たちがシャスタ山を見つけるのではなく、きっとシャスタが私達に呼びかけて「魂のふるさと」に呼び戻すのかもしれません。遠くレムリアの時代に「また時が来たらきっと再会しよう」と約束した魂達の出合い。21世紀を迎えて、きっといまそんな時代が訪れたのでしょう。p92 うん、たしかにそんな感じがする。この話に一口乗ろう。 いま世界中からシャスタ山に、理由もなく自然に、意識変革の起きた人々が集って来ています。チベットの高僧達は、シャスタ東山麓にサンクチャリーを創り始めています。そんな素敵なシャスタの魅力をひとりでも多くの皆様にお伝えし、より楽しく旅ができるようにとの想いからこの本は制作されました。ぜひシャスタ・ワールドを皆様ご自身で体験・体感してください。p99
2007.05.17
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「自由訳 老子」 新井満 2007/3 朝日新聞社 「自由訳 イマジン」の続刊、他に同じ著者の「自由訳 般若心経」というものもあるから、そのうち読んでみようかな。 この本、老子の「道徳経」を自由訳するって言ったって、三流チャネリングのようなへんてこなものになりやしやないかなぁ、と心配していた。ところがどうして、これがなかなかいい。かつて大学の「老子」の講義があまりにひどかったので、一斉にブーイングがおきたことを思いだした。老子を現代語にするっていったって、それはそれは難しい。あんまり期待していなかったんだけど、すごいぞ、新井満。 赤ん坊を眺めていると面白いね あんなにやわらかく弱々しいくせに 握りしめた拳は驚くほど強い それに、あのオチンチンだ 男女の交わりも知らないくせに 性器は固くそそり立っているではないか なぜだと思う・・・? いのちのエネルギーと精気が 身体中に満ち満ちていて しかも調和がとれているからだよ p32 大器晩成 この言葉をどう解釈すべきか・・・? 「大人物は、才能のあらわれるのは遅いが、 晩年になって完成する」 そのように解釈する人々は多いであろう しかし、彼はそう解釈はしない そのような解釈は、不遜だと思う 彼は、こう考える そもそも完成などありえないのだ 完成するような大器は、真の大器ではない 真の大器とは、晩年になっても完成しない つまり永遠に未完成なのである そんなことを思いながら 水のように 風のように生きてゆく ゆったりとおおらかにね p66 理想の国家とは 小国寡民 小さな国土に、少ない人口 山間にひそむ村落のようなものさ 様々な文明の利器があるが そんなものはいらない 使わなくても十分に幸せだからね 他国に移動する気もおこらないから 車や船や、そんな交通手段も無用 他国と争わないから、武器も軍隊も無用 衣食住は全て自給自足でね 自分たちが作った食べものをおいしくいただき 自分たちが編んだ衣服を美しく着こなし 自分たちが建てた家で気持ち良く住み暮らす 先祖伝来の習慣やおまつりを楽しみながら 静かにゆっくりと 年老いてゆく どうかね、これがユートピさ 桃源郷というやつさ こんなところで暮らしたいと思わないかい・・・? p94 レムリアの古老・多火手も、、このようにささやくのだろうか・・? それとも・・・
2007.05.17
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<あ>「アセンションするDNA」光の12存在からのメッセージ ヴァージニア・エッセン編著 冬月晶・訳 1999/2 ナチュラルスピリット 原書NEW CELLS, NEW BODIES, NEW LIFE! 1991「アトランティス伝説」 ジェフリー・アッシュ 1994/10 <い><う><え><お><か>「海底宮殿」沈んだ琉球古陸と”失われたムー大陸” 木村政昭 2002/9 実業之日本社 「カオス・ポイント」 持続可能な世界のための選択 アーヴィン・ラズロ 吉田三知世・訳 2006/10 日本教文社「隠された神秘」Osho 1999/12 原書 Hidden Mysries 講話 1971 Bombay「ガラス玉戯曲」ヘルマン・ヘッセ 高橋健二・訳 2004/1 ブッキング 原書1943<き>「驚異の地底王国シャンバラ」高橋良典 2007/4 明窓出版<け>「芸術人類学」中沢新一 2006/3 みすず書房「現代人のための『チベット死者の書』」ロバート・A.F.サーマン著 鷲尾翠・訳 2007/5 朝日新聞社 原書1994<こ>「この国を支配/管理する者たち」諜報から見た闇の権力 中丸薫+菅沼光弘 2006/2 徳間書店<さ>「サイバージャーナリズム論03前川版」 インターネットによって変容する報道 前川徹 /中野潔 2003/10 東京電機大学出版局 単行本 「サイバージャーナリズム論07歌川版」 歌川令三 2007/07 ソフトバンククリエイティブ 「さようなら、サイレント・ネイビー」地下鉄に乗った同級生 伊東 乾 2006/11 集英社<し>「シャンバラ 勇者の道」 チョギャム・トゥルンパ「シャングリラ」 茂堂 久 2005/8「自由訳 イマジン」ジョン・レノン & オノ・ヨーコ 新井満訳 2006/08 朝日新聞社「自由訳 老子」新井満 2007/3 朝日新聞社「子安美知子さんとたどるシュタイナーの世界」「教育は芸術だ」栄光教育文化研究所刊 カラー60分 VHS 全5巻 「シンギュラリティ・スカイ」チャールズ・ストロス 金子浩・訳 2006/6 早川書房 原著 「SINGULARITY SKY」2003「人類と地球のアセンション」だからこれからこう生きよう 船井幸雄 2006/1 徳間書店<す>。「スピノザ『無神論者』は宗教を肯定できるか」シリーズ・哲学のエッセンス 「無心論者」は宗教を肯定できるか 上野修 2006/7 NHK出版「スピリチュアリティの興隆」新霊性文化とその周辺 島薗進 2007/1 岩波書店 <せ>「セカンドライフ公式ガイド」マイケル・リマズイスキー /中川蘭丸 2007/06 インプレスR&D /インプレスコミュニケ 350p CD‐ROM付き 「セカンドライフの歩き方」 バーチャルワールドガイドブック 三淵啓自 2007/03 アスキー ムック<そ>「存在の詩」第一号 Osho スワミ・プレム・プラブッタ 1975/8 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター <た>「体位の文化史」アンナ・アルテール 藤田真利子+山本規雄・訳 2006/9 作品社「魂の科学」OSHO /沢西康史・訳 2007/04 瞑想社 /めるくまーる 「魂の螺旋ダンス」The Spiritual Spiral-dance はるかなる今ここへ 長澤靖浩 2004/10 第三書館<ち>「チベット文化史」D.スネルグローヴ他 2003/9 「チベット文化圏 GATI」 久田博幸 1999/5「チベットの民話」 フレデリック 1996/6 「チベットの死者の書 99の謎」 おおえまさのり 1994/2「地球の歩き方 モンゴル」2007/2 ダイヤモンド・ビック社「超シャンバラ」」空洞地球/光の地底都市テロスからのメッセージ ダイアン・ロビンス著 ケイ・ミズモリ訳 2006/5 徳間書店 原書 Telos:The Call Goes Out from the Hollow Earth and the Underground Cities by Dianne Robbins<つ>「ツクヨミー秘された神」 戸矢学 2007/03 河出書房新社<て>「天の向こう側」アーサー・C・クラーク 山高昭・訳 2007/02 ハヤカワ文庫<と><な>「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」 島田裕巳 2007/4<に><ね><の><は>「ハトホルの書」 トム・ケニオン他 2003/3 「パワースポット シャスタ山の歩き方」高原操・文 中尾好孝・写真 2004/7 VOICE<ひ>「ヒューチャリスト宣言」 梅田望夫 /茂木健一郎 2007/5 筑摩書房<ふ>「不都合な真実」アル・ゴア 枝廣淳子・訳 2007/1 ランダムハウス講談社「物理学者、ゴミと闘う」 成瀬立成 2007/04 講談社<へ><ほ>「ポスト・ヒューマン誕生」コンピュータが人類の知性を超えるとき レイ・カーツワイル 井上健・監訳 2007/1 NHK出版 原書 THE SINGULARITY IS NEAR : WHEN HUMANS TRNSCEND BIOLOGY 2005/9<ま>「魔法と猫と魔女の秘密」魔女の宅急便にのせて 正木晃 2003/3 春秋社<み>「未知への扉」和尚、秘教グループを語る Osho スワミ・アナンド・モンジュ訳 1992 瞑想社 めるくまーる 原書 I AM THE GATE 1975「未来のアトム」サイエンス・ノンフィクション 田中伸和 2001/7 アスキー<む><め><も><や><ゆ><よ><ら><り><る><れ>「霊的人間」魂のアルケオロジー 鎌田東二 2006/6 作品社「レムリアの風」 関谷晧元 2004/3「レムリアの真実」シャスタ山の地下都市テロスからのメッセージ オレリア・ルイーズ・ジョーンズ 片岡佳子・訳 2007/5月 太陽出版 「霊的人間」 鎌田東二 2006/6<ろ>「ローリング・サンダー」 ダグ・ボイド /北山耕平+谷山大樹・訳 1991/1 平河出版社 原書 1974<わ>「私たちのシャングリラ」 松本栄一他1985/4私のチベット リンチェン・ハモ 1988/4<を><ん>
2007.05.17
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<あ><い><う>ケン・ウィルバー「構造としての神」 超越的社会学入門 井上章子 1990/08 青土社 単行本 264p 原書1984「グレース&グリット」 愛と魂の軌跡 伊東宏太郎 1999/10 春秋社 単行本 399p 原書1991「進化の構造」 松永太郎 1998年05月 春秋社 単行本 672p 原書1995「万物の歴史」 大野純一 1996/12 春秋社 519p 単行本 原書 A Brief History of Everything 1996 「統合心理学への道」 「知」の眼から「観想」の眼へ 松永太郎 2004/04 単行本 599p 原書The Eye of Spirit: An Integral Vision for a World Gone Slightly Mad 1997 改定2000「科学と宗教の統合」 吉田豊 2000/10 春秋社 単行本 278p 原書The Marriage of Sense and Soul: Integrating Science and Religion, 1998「ワン・テイスト」 ケン・ウィルバーの日記 青木聡 2002/03 コスモス・ライブラリー /星雲社 297p 原書1999「存在することのシンプルな感覚」 松永太郎 2005/11 春秋社コリン・ウィルソン「アウトサイダー」 1975/4 紀伊国屋書店 原書1956「続アウトサイダー」 1969年 紀伊国屋書店 原書1957年 RELIGION AND THE REBEL「スターシーカーズ」 1982/11 平河出版社 原著1980「ユング」 地下の大王 1985/4 河出書房新社 原書 LORD OF THE UNDERWORLD, Jung and the Twentieth Century 1984「ルドルフ・シュタイナー」 その人物とヴィジョン コリン・ウィルソン 1986/7 原書 1985「ミステリーズ」 <1> オカルト超自然PSIの探究 1987/10 工作舎「コリン・ウィルソンの『来世体験』」 人間は死後も存在しつづけるのか 1991/3 三笠書房 原書 AFTERLIFE 1985「二十世紀の神秘家 ウスペンスキー」 1995/9 原著 THE STRANGE LIFE OF P.D.OUSPENSKY 1993「アトランティスの暗号」 10万年前の失われた叡智を求めて 2006/9 学習研究社 原書 Atlantis and the Kingdom 2006 <え>江原啓之「スピリチュアルメッセージ」 生きることの真理 江原啓之 2002/12 飛鳥新社 「スピリチュアルメッセージ(2)」 死することの真理 江原啓之 2003/03 飛鳥新社「スピリチュアルメッセージ(3)」愛することの真理 2003/12「江原啓之神紀行(1)」 伊勢・熊野・奈良 スピリチュアル・サンクチュアリ シリーズ 2005/10 マガジンハウス「江原啓之 神紀行(2)」四国 出雲 広島 スピリチュアル・サンクチュアリ シリーズ 2005/12 マガジンハウス「江原啓之への質問状」 スピリチュアルな法則で人は救われるのか 2005/12 丸山あかね 徳間書店 単行本 341p 「江原啓之 神紀行(3)」 京都 スピリチュアル・サンクチュアリ シリーズ 2006/4 マガジンハウス「江原啓之 神紀行(4)」 九州 沖縄 スピリチュアル・サンクチュアリ シリーズ 2006/6 マガジンハウス「江原啓之神紀行(5)」 関東・中部 スピリチュアル・サンクチュアリシリーズ 2006/12 マガジンハウス 「江原啓之神紀行(6)」 北海道・東北・北陸 スピリチュアル・サンクチュアリシリーズ 2007/04 マガジンハウス <お>おおえまさのり「スピリットの森から」 内なる変容とエコロジー 1992/7 柏樹社 「チベットの死者の書」99の謎 1994/2 二見書房OSHO「存在の詩」1975/8 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 「反逆のブッダ」Oshoの軌跡 1984/10 原著1982 めるくまーる社「マイトレーヤ」 1988/3 瞑想社 「狂人ノート」1991/5 和尚エンタープライズジャパン 「未知への扉」秘教グループを語る 1992瞑想社めるくまーる 原書I AM THE GATE 1975「タントラ・ヴィジョン」(上)1996/10 UNIO 改訂再版「サラハの歌」2006/6 講話1977/4 Poona/India「隠された神秘」1999/12 市民出版社 原書Hidden Mysries 講話 1971 Bombay「究極の錬金術〈1〉」古代の奥義書ウパニシャッドを語る 2006/03 市民出版社 「魂の科学」2007/04 瞑想社/めるくまーる 奥野卓司「現代世相探検学」高田公理/他 1987/03 朝日新聞社 「パソコン少年のコスモロジー」 1990/06 筑摩書房「世相観察・女と男の最前線」 梅棹忠夫「対談集」 梅棹忠夫 1991/09 講談社「ポスト・コンピュータの世界」 21世紀のパソコンはどうなる? アサヒパソコン・ブックス 奥野卓司・他 1995/11 朝日新聞社「ITSとは何か」 森地茂 /川嶋弘尚 / 奥野卓司 2000/10 岩波書店 「人間・動物・機械」 2002/01 角川書店「大人にならずに成熟する法」 サントリー不易流行研究所 /白幡洋三郎 2003/04 中央公論新社「市民のための『遺伝子問題』入門」奥野卓司 /ヒューマンルネッサンス研究所 2004/03 岩波書店「日本発イット革命」アジアに広がるジャパン・クール 奥野卓司 2004/12 岩波書店 「文字化けした歴史を読み解く」 三宅善信 2006/01 文園社 「ジャパンクールと江戸文化」 2007/06 岩波書店 <か>につづく
2007.05.17
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「ハトホルの書」 アセンションした文明からのメッセージ トム・ケニオン & ヴァージニア・エッセン著 紫上はとる・訳 2003/3 ナチュラルスピリット ネットでの書評を2.3読んでみたが、この手の本に直感的に感動する人と、どちらかというと敬遠する人がいるようだ。私はどちらか、ということは、このブログを振り返って読んでみれば、おのずとわかる。だが、当ブログの趣旨は、手当たり次第、目についた本を読んでいこうというところにある。苦手なものは苦手として、そのまま読んでいくことにしよう。 アセンションといえば、pariさんの主宰する「アセンション館通信」がある。この「ハトホルの書」もリストアップはされているが、書評はまだ書かれていないようだ。 このブログでも「フォトン・ベルトの真相」、「超シャンバラ」、「人類と地球のアセンション」などをいくつかパラパラしてみたが、まだ本当のところはつかめていない。私は思い切って、これらの世界にどっぷりこんと嵌まってみたいと思っているのだが、それはもうちょっと先になるか。 ムーが「火」のカルマ、アトランティスが「水」のカルマ、レムリアが「小乗」のカルマだとすると、アダムスキーに始まるUFOや宇宙人哲学には、「大乗」のカルマがあるのではないか、というのが、以前からの私の直感。火と水が対になっているのと同様に、小乗と大乗は対になっている。だから、これら四つエレメントが交差して十字のポイントになるところ、そこにこそ、地球人スピリットとしてのリアリティがあるのではないだろうか、というのが、とりあえずの予測。つまりは、レムリアを追いかけるなら、その分、いわゆる宇宙人チャネリングを、対極においておく必要があるだろう、と予感する。 アトランティスは紀元一万年前にはすでに滅びていました。その当時、わたしたちはエジプトで、ハトホル女神という元型的(ターキタイプ)イメージ像をとおして積極的に活動しました。アトランティスやレムリアにおいても数名の高度に進化した個人(先覚者たち)とともに活動していたことがありました。アトランティスとレムリアの崩壊が決定的になったとき、わたしたちはそのなかの幾人かをエジプトへと導きました。そうすることで錬金術の「偉業」が守られ、秘儀参入者(イニシエート)の系統や知識が蹂躙を免れたからです。古代エジプトに播種(はしゅ)した超銀河文明は、わたしたちだけではありません。当時、アルクトゥールス人やプレアデス人も、かれらが関係していた人類の秘儀参入者たちを北アフリカへと導いたのです。p36 ある一定期間にわたりレムリアにはそうした能力がありました。また、アトランティスは見方を誤ったために二次的な現実(リアリティ)に走り、愛のバランス感覚を失うほど観念的になってしまいましたが、そうなるまでのしばらくはそういった能力を有していました。古代エジプトや古代ギリシャの黄金時代の運命は、人類意識における絶大な開花期であり、それらが、飛躍的進化を遂げたことは言うまでもありません。それからアフリカ大陸においても、歴史的記録がないために名前は知られていませんが、同様の文化がいくつか存在していました。p271 どうも当ブログでは、第三者からのメッセージという形にすると、複雑で分かりにくくなりやすいようだ。ムーの乙女・多火手、アトランティスの青年・多火手、レムリアの古老・多火手、そして、中世チベットの少年・多火手や、現代チェロキー青年・多火手がいるとするならば、未来からの宇宙人・多火手も登場させなければならないようだ。
2007.05.16
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「私たちのシャングリラ」 チベット人との15年 松本栄一+松本裕美 1985/4 佼成出版社 チベット関連本も多分100冊以上は読んだだろう。検索PCでリストアップされるものは400冊以上あるとしても、とりあえず読んでおこうと思っていた本の要所要所には目に通したことになる。このブログの旅は必ずしもチベットが最終目的地点ではない、先を急ごう。そう思わないわけではない。しかしながら、関連して読みたくなる本が次々とでてくる。相当な数だ。私が目を通した本など、ほんの表面的なものだ、と、この「私たちのシャングリラ」を読んで思った。 松本栄一には、数々の著作がある。写真家でもあるので、知らず知らずに他の人との共著として、このブログでも読んできたことになる。「チベット マンダラの国」は、その視線が優しく、秀作が多いチベット写真集の中にあっても、特に際立っている。 著者は1948年生まれ、まさに団塊の世代ど真ん中と言える。日大芸術学部に学ぶも、時代の荒波の中で、大学は1年以上にわたって閉鎖され授業が行なわれなかった。失望した著者は、写真家としてのスタート地点として、インドの地を選ぶ。ブッタガヤの日本寺の建立に際しての旅行団に入り込み、2年に渡って、日本寺の職員となって暮らすことになる。著者21歳の時のことである。その後、難民チベット人たちと出合い、また伴侶となる女性(松本裕美)と出合い、その旺盛な創作活動は、インド・ネパール・チベットやその周辺国に及び、ダライ・ラマやタリン夫人などとの出合いの中で、次第に熟成されていくこととなる。 この本がでたのは1985年だが、その後の旺盛な活動にあって、松本夫妻の出発地点となった一冊だろう。すでにこの地点で、このような旅をしていた二人は、まさにこの時代のある意味、一つの典型と言っていいのかもしれない。ここまで生ききった二人は、もう間もなくいわゆる定年の時代を迎える。芸術家に定年はないが、ここまで勇気と決断を持って生ききれる人たちもそう多くはないだろう。このように人生を送るのもありなんだな、と、感動する。 ラサの旧市街地にあるバルコル(八角街)で最初に飛び込んできたのは、あおの五体投地をする人だった。十年前、ブッタガヤで初めて見たチベット人の五体投地の姿。服の汚れも、体が傷つくことも意に介さず「オームマニペメフーム」と唱え、全身を投げ出す人、その不可解な動作に驚愕し、呆然と見守った。そしてその後、この礼拝の姿にチベット人の信仰の心があることを知るようになった。p218 オームマニペメフーム そういえば、私も77年にブッタガヤの日本寺に一週間ほどお世話になったことを思い出した。松本氏に遅れること6年。私の聖地巡礼の地としてもブッタガヤは思い出深いものだった。当地の菩提樹の下に座り、その落ち葉を一枚だけ頂いてきた。↓これがその時の一枚。
2007.05.16
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「シャンバラ」勇者の道 <6><5>より続く ふう、ようやく、一通り目を通した。ふと気づいてみれば、まだ絶版にもなっていない市販の本を、これだけ長く引用していいのだろうか、とふと不安になった。いや弁解するわけではないが、細切れに引用しながら、その合間合間に自分なりに感じたことをコメントとして加えるつもりだった。たしかに途中まではその努力はした。 しかしながら、それ以降は、ちょっと個人的な茶々入れのようなコメントなど、加えるような状況ではなくなってきた。自分の書こうとしていることが、次第に浮き上がり、なんともその場にふさわしくないような感じがしきりにしてきて、コメントを差し控えた。せめて、私が転記した文言について、転記まちがいがないことを願うのがせいいっぱいという感じである。 いずれ、もういちど読み直すとして、読みながら思ったことのいくつかを忘れないうちにメモしておこう。 龍の道、というものは分かっていた。しかし、それに先立つ、虎の道、獅子の道、そして迦楼羅(かるら、ガルーダ)の道、というものがある、ということを再認識させられた。これは痛い。なるほど、と思うことしきり。 道案内の達人、ということであるが、当然、私にはOshoがいるわけだし、こうしてトゥルンパにも出会うことができた。しかし、もし私が、700年前のチベットの16才の少年だったとして、その少年が今「勇者の道」を学ぶために、堂長のトゥルンパ師に学んでいるとして、その時、イメージする達人は、レムリアの古老、ということになる。レムリアの古老ではあるが、それは、その少年の過去生であった存在でもある。連綿とつづくこの魂の連鎖を一応、多火手(ダビデ)と名付けておく。「汝の名はダビデなり、ダビデとは多火手なり」というメッセージもあったのだから。 この少年が、やがて連鎖の中で、ごく最近、北米のチェロキー一族に生れていたとしたら、それはどうやら、シャスタ山つながりであろう、ということも少し分かってきた。なにはとりあえず、未整理なものを未整理なままにして置くことも、必ずしも悪いものではない。時期が来れば、形を取り始めることもあるだろう。チベット時代の多火手少年はイメージとしたら、タロットカードでいえば、バトン(ワンド)のペイジというところか。ちょっとイメージとして、向きとか背景は違うが、ここでは、カモワン・タロットを一枚ひいておこう。 つづく
2007.05.16
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「シャンバラ」勇者の道 <5><4>よりつづく シャンバラの系譜 勇者の道を歩もうとするときには、純真さと基本的な善良さをみずから実感することが何より大切になる。しかしながら、旅を続けて、四つの尊い性質の道を歩み、真正な存在を成就するには、旅の道案内を、あなたに道を示してくれる達人の勇者を持たなければいけない。究極的には、利己心またはエゴを捨て去るために、生きた人間の実例が不可欠なのだ---すでにそれを成し遂げた人がいたら、それを手本にすることができる。p220 「魔法を見つける」で話したように、宇宙的な鏡の境地を経験すると、「ドララ」と呼ばれる、争いを超えた、広大で深遠な知恵がわき上がってくる。ドララの経験には多くの段階がある。根源的な、究極のドララとは、宇宙的な鏡の知恵をじかに体験することだ。この知恵を経験するとき、あなたはシャンバラの系譜の起源、知恵の源泉に触れている。p221 究極のドララには三つの特徴がある。第一に、根源的であるということ---これはすでに話したように、石器時代や先史時代にまでさかのぼるという意味ではなく、私たちの思考を超えている、またそれに先立っているということだ。宇宙的な鏡の領域を王国とするリグデン王たちはそのような境地にある。第二の特質は不変性だ。リグデン王の世界では何かを考え直すことがない。考え直すとは心が揺らぐこと、自分の知覚の純真さに自信がないために、心が揺れ動き、ためらうということだ。そこでは考え直すということがない。それは不変の境地であって、移り変わるものは何もない。究極のドララの第三の特徴は勇敢さだ。勇敢さとはかすかな疑いにもなびかないということだ。実のところ、この境地ではわずかな疑いさえも抱くことがない。p222 最後に、内側のドララの究極の知恵が生きた人間へと伝えられる。別の言い方をすると、宇宙的な鏡の無条件のあり方を完全に理解して、その原理を実在の明晰な知覚のなかにすっかり呼び込むことで、人間は生きているドララに、生きている魔法になるということだ。人はこうしてシャンバラの勇者の一族に加わって、たんにドララを呼び覚ますのではなく、それを体現することによって、ひとりの達人の勇者になる。だから達人の勇者は自分が住む世界のドララを体現していると言える。p224 第一に、達人の勇者は始まりも終わりもない、限りない空間が広がる宇宙的な鏡のなかに誕生する。彼の悟りまたは境地は、単なる修行や哲学から生じたものではない。むしろ彼は宇宙的な鏡の無条件の清浄さのなかにゆったりとくつろいでいる。p224 第二に、達人の勇者はリグデン王たちの知恵の伝統に自己を完全に同化させているから、生きとし生けるもののなかに基本的な善良さを見る、大いなる優しさ、大いなる慈悲心を養っている。達人の勇者が身のまわりの世界を見るとき、あらゆる人間には基本的な善良さが備わっていること、少なくとも自己の純真さを悟る資格があるのだということを理解する。p225 最後に、達人の勇者は人々への大いなる慈悲心から、天と地をひとつに結びつけることができる。すなわち、達人の勇者の力があれば、人間としての理解と人間が拠って立つ大地とを結びつけることができるということだ。そうなったら天と地はいっしょにダンスを踊るようになり、人々はだれが天の崇高な性質を備えているのか、だれが地の劣悪な性質を持っているのかといったことを議論しなくてもよいのだと感じるようになる。p225 「俺は達成したぞ!」と思うようなことがあったら、それはうまくいかないだろう。エゴイステッィクな態度を乗り越えて、初めて天と地をひとつに結びつけることができる。p226 過去何世紀にもわたって、究極の善を探究し、それを同胞の人間たちと分かち合おうとした多くの人たちがいた。それを悟るには断固たる決意で修行に励まなければならない。探究を恐れることなく続け、人間の根元的な善良さを恐れることなく主張した人たちは、その宗教、哲学、信条が違っていようとも、達人の勇者の系譜に属している。このような人類の指導者たち、人間の叡智の守護者たちに共通する共通する特質は、あらゆる有情のために優しさと純真さを恐れることなく発揮していることだ。私たちは彼らという実例に深い崇敬の念を抱きながら、彼らが切り開いた道に感謝をするべきだ。彼らはこの退廃的な時代にあって、目覚めた社会を心に描くことを可能にした、シャンバラの父であり母であるのだから。p229つづく
2007.05.16
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「シャングリラ」 茂堂 久 2005/8 近代文芸社 この本も、借り出したはいいが、あ、しまった、と思った一冊。実はこれ小説だった。エッセーとか研究書だったら、まだしも、小説は苦手なんだよなぁ、と、数日放っておいた。だけど表紙になっている岡野亮介の絵もなかなか素晴らしい。気を取り直して、ちょっとだけ読み始めてみた。 シャングリラとは、地上の楽園のことで、ジェームズ・ヒルトンの小説「失われた地平線」(1933)の中にでてくる架空の名である。最近は、マンション、キャバレーの名前やミュージカル、サーカスの主題などにも使われて、かなり耳なれした名前になっているが、一般的には長寿国を意味する。世界の長寿国として、グルジア共和国(旧ソ連)のコーカサス山系にあるアブハジャ地方、パキスタン北西のカラコルム山脈のフンザ地方、およびエクアドル共和国のビルカバンガ地方が有名である。p7 と、滑り出しが良かったので、ついつい読んでいくと・・・ この物語にでてくるシャングリラとは、そのような大げさなものではない。ささやかな現世の、ある小さな地域に住む人々の、ほんの少しの希望の願望である。p8 なんじゃ、こりゃ。いつもの性癖で、小説だろうがなんだろうが、どんな本でも、奥付けや結論を先に読んでしまう習慣が私にはある。わかった。これは、三谷川町という田舎町の丘のうえに建った老人福祉施設『健康と福祉のシャングリラ』のお話だった。ガーン、わたしゃ、やられたよ。わしゃ、忙しい。と、あと、ついつい2.3ページめくったのが運のつきだった。 なんと、この田舎町とは、架空ではあるが、途中まで実在のJR線や駅名がある。しかもそれは私の住む県内の話だった。なんだか、ありそうな話だなぁ、と読み始めてみると、この著者は、現役のお医者さんであることがわかった。しかも、このお医者さん、私が20代の頃に余命半年の宣言を受けたことのある「県立がんセンター」の総長も歴任されたとのことである。なんだか、この辺までわかってしまうと、ついついストーリーに引き込まれてしまっていた。 著者の本名は久道茂、ペンネームの茂堂久は、そのもじりだろう。この小説は2001年3月から翌6月まで、医療・福祉の総合情報誌「Japan Medical Society」に連載されたものであり、単行本用に加筆修正したとのことである。主人公と目される都会育ちの25歳の若者が福祉の学位を治めて赴任した、田舎町における医療行政や病院事情などを克明に目撃し、ついには、福祉の町として全国に名を馳せる行政に一役を買う、という物語だ。 読み進めていくうちに、知っている市町村名や大学の名前、通りの名前など、フィクションとばかりは片付けられないようなことどももが次々でてくる。「ピンピンコロリ」を願う老人の団体が、群馬県は伊香保温泉に泊まり、防癌寺という癌封じのお寺をお参りするあたりは、なんだか、こちらの行動まで見られていたような気分さえなってきた。防癌寺こそお参りはしなかったが、ほんの数ヶ月前、私も伊香保温泉に泊まり、親戚と慰労の楽しいひとときを過ごしたばっかりであったからだ。 なんとも、へんてこなシンクロニシティーに引かれながら、ついつい、最後まで読んでしまった。内容もともかくとして、ここまで読ませてしまうのだから、これは著者の筆力以外のなにものでもない。小説がこれだけ面白いなら、もっと読んでもいいかな、と、ついつい大きな気分になってしまった(笑)。著者には、「アンデスの神々」とか、「天空の柄杓」とか、いう小説(?)があるらしい。なんだか、タイトルを見ている限り、これらにも引っ掛かりそうだなぁ、と思いつつ、この著者になら、引っ掛けられててもいいかな、とつい思った。 いずれにせよだ。私はこの小説を読み終わって考えた。そうだなぁ。現実逃避のファンタジーも悪くはないが、こうして足元の現実の中で、日々、目に見える小さなシャングリラを建設していく、これが大切だなぁ。いや、大切どころではなく、それこそが最も大切なことであり、そのような現実まで降りてこれないファンタジーやビジョンなど、すこし片輪なのだ。少しも教訓めいたところのないこの小説だが、心打つところ、大きいものがあった。
2007.05.16
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「レムリアの風」 高橋信次・日蓮・ゼウスからも熱いメッセージが 関谷晧元 2004/3 日新報道 図書館の検索機能を活用すると、市内の図書館はほとんど検索することができる。他の図書館は勿論のこと、すでに閉鎖書庫に入ってしまっているような本も探してくれる。館内だけでしか閲覧できないような本を借りることはあまりないが、それでも、一部コピーなどをとらせてもらう。市内にも県内にもない時には、全国あちこちの図書館を探してくれる。また、新刊などの時は、リクエストしておけば新着本として購入してくれるのだから、大変ありがたい。 この10数年インターネットばかり夢中になっていて、このような図書館の機能というものの有り難さに気づいたのは、実にこの最近のことだ。昔からこんなに図書館って便利だったのだろうか? それともやはり、ネット社会になって、さらに物流システムが便利になったからこそ、図書業務というものも便利になったのではないだろうか。しかも、これらのサービスが無料であるばかりか、図書館の窓口の方々には、「いつもご利用ありがとうございます」とお礼を言われるのだから、私は天にも昇るような想いだ。いずれにせよ、これらを活用しない手はない。 ということで、検索パソコンに引っかかった本は、タイトルが気になった、というだけで、ちょっと多めに借りてしまうことがしょっちゅうある。当てがはずれて、よく内容をよく読まずに返してしまうことが、この頃、すこし多くなって来ているようだ。 さて、この「レムリアの風」も、レムリアつながりで借りてはみたものの、正直申し上げると、当てが外れた一冊である。タイトルと、かつて著者が属したグループが「レムリア」を自称していたようだが、そのレムリアたる意味がまったく説明されてない。だから、この本が「じゃがいもの風」だろうが、「ほんじゃらもんじゃらの風」だろうが、あまり関係ないような気さえする。 余談だが、「アガルタ」というキーワードで検索しても、でてくる本は少ない。ほんの数冊と、あとは、よくでてくるのが、「よくあがる凧」という工作の本だ。「よく-アガルタ-こ」で、ヒットするらしい。よくよく考えてみれば、アガルタからの風で、凧もよく上がってほしいが、そんなことばっかりでは、ブログのネタに苦労してしまう。 それはそれとして、実は、この「レムリアの風」というグループは、現在、「レムリア・ルネッサンス」という名称になり、この著者は一時代表を務めていたこのグループからは離れ、また別なグループを作ったようである。この本がでたのがまだ3年ほど前のことだが、まぁ、お忙しいことだと感じざるを得ない。 このグループは、1970年代に一世を風靡した高橋信次の流れの中にあるらしい。私も当時「存在の詩」第一号を読む直前までは、当時出版されていた彼の本は全て読んでいたので、内容はすこし分かる。彼の死後、娘の高橋圭子の本も三冊ほどよんだ記憶がある。この流れの中からは大川隆法を担ぎ上げたグループがでてきたが、私には手に負えない。また、最近なくなった千乃裕子のパナウェーブ研究所もあったが、こちらも、ずっと以前に図書館や古書店でその著作をパラパラめくってはみたが、購入したり借り出したことはない。 高橋信次については、菅原秀の「誰も書かなかった高橋信次」がある。著者とは、この本で書かれている当時、何度も一緒の行動をしていたので、言わんとしていることがよくわかり、共感できる部分が多い。 レムリアつながりで、こんな話題になるとは思わなかったが、逆に言えば、いろいろな人々が、それぞれの想いでレムリアに繋がっているのだなぁ、と確認できた、という意味では有意義ではあった。
2007.05.16
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