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「ベストカー」8月26日号三推社 講談社 「燃費優先クルマ選び特集」Vol.2 No.0212 ★★★☆☆ せっかく一時間半をかけて長文を書きこんだのにアップで失敗。すべてがパー。いつかは同じことを書いてやろうと思うが、今日はもう無理。気力がない。だから、この雑誌を読んだぞ、というメモだけ残すことにする。●車検が近づくとクルマ雑誌が気になる。●買い替えたいけど、最近のクルマは壊れないぞ。●10年、10万キロ乗っている今のクルマにはアキアキだけど、壊れないので、買い換えようと思っても、家族の「同意」が得られない。●高級車やブランド戦略なんて、アホらしいぞ。●「和」だの「おもてなし」なぞと、デザイン界も混迷。●ハイブリッド車も、製造過程でCO2をたくさん出してるぞ。●2009年春にでる三台目プリウスは屋根に太陽電池を積んでいるらしいが、車体が重くなる上に、せいぜいエアコンを回す程度の電力しか得られない。●2010年にはプリウスもプラグインになるらしいが、それが車両価格に反映されるのでは、財布にやさしくない。●かといってクルマは生活必需品。てなことを美文調(ウソ)でまとめたのだったが・・・・・・。
2008.07.31
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ROLLS ROYCE PHANTOM II <1>ITALERI 1/24 Osho「90台(?)のロールスロイスの行方」という命題に対してはすでに、往相としての回答は出ている。さて、それでは、還相としてのこのRR問題は、となると、これがなかなか回答を得ることはできない。すでにカテゴリの定数にも近づいているが、この残りいくつかのエントリーで片付く問題ではなさそうだ。当ブログとしては、もうこの辺でいちどこのカテゴリを閉めておきたい。 還相としてのRR問題の一つのアイディアは、このうちの現存する1台である「ブラック・キモノ・カー」をゲットして、どこかの博物館に入れる、というものである。US$500,000と言われる現車であるが、多少のネゴシエートは可能だとしても、移送、管理、税務、などで、その倍の予算は必要だろう。 日本国内のおけるヤフオクでだって、さすがRRの売買となれば1億円の声は簡単にでてくる。このくらいの金額で驚いていたのでは、RRを収容する博物館や美術館なんて考えること自体無理なのだが、かといって、いますぐ現実化する可能性もますます限りなくすくない。現在のところは、現車の持ち主と連絡がとれて、エージェント話をゲットしただけでも、まずは第一次の成功といえるだろう。 次なる個人的な還相RRの回答は、我が家が所有するRRである「ROLLS ROYCE PHANTOM II 」を新たにメンテナンスする方法であった。元のセットを購入してから完成するまで十数年がかかった。そしてさらに十数年の年月が経過してしてしまったわけだが、もともとがシロートが作り上げたものだし、ガラスケースなどに入れて保管していたわけでもない。経年変化して、あちこちに痛みが見えてきている。 この際だから、バラせるところまでバラしてしまおうか。エンジンのピストンの稼働の確認や、ブレーキシステムのペダルとブレーキシュー連動の確認。ハンドルを切ればキチンとタイヤは曲がるのか、ウィンドウはハンドルを回せばスムーズに上下するのか、ライトは転倒するのか。幌はきちんと折りたたみできるか、などなど、整備しなくてはならない箇所は限りなくある。 ああ、そんなことを考えると、胸はわくわくするのだが、とてもとても、今からそれを始めたら、また10年くらいかかってしまうかもしれない。これは簡単に断念。そこで浮上したのが、同じイタリアでもポケール社ではなくてイタレリ社のROLLS ROYCE PHANTOM II の制作。こちらはポケール社の1/8スケールに比べて、はるかに及ばないばかりか、値段も50分の一程度。なんとか、この辺で手を打って、エンディングとしようか。 ということで、手に入れたのが、このセット。ははは、やはり1/24スケールだから軽いし、可動部分も限りなくすくない。とは言いつつ、これだって、気を入れて作れば、一日ではとても完成しない。ラッカーを塗ったりパーツの取り付けなどを丁寧にやり始めたら、この夏休みを全部使ってもできないかも知れない(笑)。 77~8年にプーナに滞在した頃、Oshoはまだオレンジ色のベンツに乗っていた。 彼のRRを見たのは、82年のオレゴンが最初だった。しかも21台のラインナップときた。 私は、センターの仲間たちと旅費をなんとか工面してオレゴンまでやってきたのだったが、その「苦労」が、このRR話を聞いただけで、笑い話に変わってしまった。思えば、この時の仲間の数が偶然にも21人だったし(話の次元はまったく異なるが、当ブログをお気に入りに入れてくれている楽天ブログのブロガーの数が21人というのも妙)、なんとなく因縁めいた感じがしないわけでもなかった。 私は帰国してから、私自身の「貧乏性」をふっ飛ばすためにも、RRを集め出した(と言ってももちろんプラモデルだが)。だが、それも7台に達した頃には、もう飽きていた(笑)。もともと、RRにはそれほどの縁がないのだろう。 先日、RRではないが、RRの兄弟車ベントレーを交差点内で見つけたので、どんな人が乗っているのだろうと思って、追跡してみた。スモークガラスで中はよく見えなかったが、はてさてこのまま追跡していたら、県外までつれて行かれてしまうかなと覚悟したのにも関わらず、着いたところは、近所のスーパーだった。でてきたのは、初老の短パンの爺さんとその孫。いっしょに走っていたのは、年落ちの日産サニー。そちらからは、男の子の母親らしき女性が下り立って、家族でお買い物。 別に人のライフスタイルにどうのこうの言うつもりはないが、リッターあたりほんの数キロしか走らない6000ccクラスの車を転がしても、駐車場を二台分とる以外にほとんどメリットはないなぁと、背筋が寒い思いがした。 今回、このカテゴリでRRおっかけをして思ったのは、やっぱり、21世紀の「中流」の人間にはRRはいらないね、ということ。仮にかつてのRR所有者たちを考えてみても、それで本当に幸せだったなんて、ちょっと思えない。力道山にせよ、ジョン・レノンにせよ、あるいはジャニス・ジョップリンのポルシェにせよ、話題提供という意味では有効だろうが、実利的ではないなぁ、と痛感。 ここまでくると、現在、地球上で最大の富豪ビル・ゲイツのレクサスさえ知性的に見えてくる。乗れる人は乗ればいいだろうが、私には、オレゴンでOshoにインタビューしたカローラ2台の若きジャーナリストが最も「標準」に思えたのだった。<2>につづく
2008.07.30
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「中流の復興」小田実 2007/06 日本放送出版協会 新書 286p Vol.2 No.0211 ★★★★☆ 英語の言い方で、「His days are numbered」(余命は限られている)というのがありますが、私の状態はまさにそれで、あと、3ヵ月、6ヵ月、9ヵ月、あわよくば1年というぐあいに考えています(中略)。 「私事」にわたる報告は以上です。人生一巡、みなさん方とともに生きたこと、生きられたことを、幸いに思います。ではおたがい、奇妙な言い方かもしれませんが、生きているかぎり、お元気で。2007年4月21日 p245 命日が2007年7月30日であってみれば、この本は小田実の辞世の言葉ととることができるだろう。 それでも、小説でしか表現できないものがあるから、私は書きつづけて来たのです。最近出した「終わらない旅」も、小説でしか表現できなかった。政治論では言えないんです。人生が生きているなかには、政治もあれば恋愛もあれば飯を食うこともあれば職業もあればいろいろ、みんなあって総合しているものをまとめて書けるのは、小説しかないでしょう。そうでなければ、政治論を書くとか、恋愛論を書くとかになってしまう。p198 動機をまとめ上げて言えば、「9.11」が起きたときに、私は日本の市民として考えて、あの自爆攻撃は日本の歴史から生まれて来たのではないかと思った。われわれの「正義」を振りかざして、アメリカ合衆国と対決し、結局は国力が足りないから、最後は「玉砕」するしかなかった。ゲリラか何か知らないが、ビルに突っ込んだのは特攻であり、「玉砕」であり、過去の日本もやったことだ。そういう悲惨な日本の歴史を忘れてはならない、と思ったんです。p68 「特攻隊と憲法九条」の著書のある田英夫はこう書いている。 最近のニューヨークの世界貿易センター、そしてワシントンの国防総省に、ハイジャックした飛行機をそのまま兵器にして突入した、いわゆる数次(同時多発)テロ事件との対比を考えなければいけないと思います。結果は飛行機で体当たりして自爆する。みずからの命も断つということで共通点があるわけですけれども、根本的なちがいは、この自爆テロは多くの無関係な市民を死に追いやっている、犠牲にしている、しかもそのことがはじめから計画の中に含まれているという点で、私たちの特攻とまったくちがっています。これはあってはならないことであり、特攻隊の経験を持つ私としては、これを同等に対比されることは、きわめて不愉快であると言わざるを得ないのです。「特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと」p250 いずれにせよ、彼らが世界平和を思い、いかにしたら戦争がおきない人間社会になるのかを考えてきたのは事実であるし、このような戦争体験世代でなければこの問題をこれだけ深く考えることができなくなっているとしたら、大変な危機的な事態だと思う。 晩年の小田は「小さな人間」という言葉を使う。「市民」や狭義の「人間」と共通する言葉であり、当ブログでいえば、「地球人」という言い方に底通する言い方であろう。「中流」という言葉も類語として解釈することが可能だろう。 ひとりの人間がひとりの人間として生きることができる世界。戦争がない社会。みんなが愛しあい喜びながら生きていける地球。彼は彼の人生をせいいっぱい使って、それを求めて生き切った。彼は彼独自の概念を使いながら、ともに「共生」していくことを願っていた。
2008.07.30
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「エクスタシーへの旅」幸野谷 昌人 1983/01 佐川出版Vol.2 No.0210 ★★★★☆ 私はある週刊誌の記者であった。憧れて入社した会社だったし、幸運にも恵まれていた。入社早々、偶然、私は初めてスクープ記事をものにすることができた。横浜港から密入国していたジョン・レノン、小野洋子夫妻に単独会見したのである。マスコミ各社が大量の記者を投入したが、これに成功したのはたった一人、私だけであった。この功績が認められ、翌年からはスクープ班に配属された。p14 「密入国」はちょっと違うだろうが、秘密裏に日本を訪問していたということはあっただろう。そのスクープをものにしたのだから、新人記者としては華々しいスタートを切ったことになる。 当ブログにおける「スピリット・オブ・エクスタシー」カテゴリも、108の定数まであと残すこと10あまりになってきた。先行する他のカテゴリを差し置いて、なぜかこのカテゴリだけが、ぐんぐん伸びてきてしまった。そして、なんの成果のないまま、まもなく終わろうとしている。 エクスタシー、というネーミングがある限り、この1983年に出版された一冊を、残り10冊のうちの一冊として、エクスタシーつながりで登場させなくてはなるまい。欧米やインド国内はともかくとして、日本においてはプーナ1の80年前後の動きについては、公式な文章を除いてはあまり表現されてはこなかった。 否定的な表現にしろ、立川武蔵の「インド・アメリカ思索行」などは、77年当時のプーナを伝える貴重な証言だ。本書もまた、必ずしも「平均的」な紹介のしかたではないにしろ、80年81年当時のプーナを伝える珍しい一文だと言える。 この人、最後の最後のページで告白している。 私は、バグワンの弟子になろうと思って、三回申し込んで、三回断られた。p221 私もセンターワークをしていたことがあるので、このような事務手続きをしたことがあるが、このようなケースはそう多くはなかった。いや珍しいケースだろう。 そして、インドから帰って一年半後、オレゴンに住むバグワンからメッセージが届いた。「あなたは、自分自身の家にたどり着いた」p221 この本の執筆当時、彼は京都に住んでいたという。現在はどこでどうしているだろう。知人のだれかは知っているはずだが、聞いてみたいやら、そっとしておきたいやら、ちょっと複雑な気分。 この人の「エクスタシー」はサイケデリックスがもたらす外的なものではない。むしろ、この人自身がみずから内に持っているものだ。もう、四半世紀前の本である。この人の名前やサニヤス名で検索してみても、この本以外には引っ掛かってこない。 あの当時のあの状況を、こういう形で文章に書きとめておくことができた、ということはまれに見る才能だと思う。
2008.07.29
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「サイケデリックスと文化」 臨床とフィールドから武井秀夫 /中牧弘允 他 2002/02 春秋社 単行本 p296Vol.2 No.0209 ★★★★☆ 本書は国立民族学博物館(民博)の共同研究「ドラッグ文化の諸相」(1997~98年度)における成果の一部をまとめたものである。pi 本書ではタイトルにドラッグではなく、サイケデリックスをもちいている。それは精神医学者の加藤清氏が提起する「精神拡張性ドラッグ」のサイケ(精神)デリックス(拡張剤)であり、麻薬や薬物と意味し反社会的ない価値と結びつきやすいドラッグという語よりも、本書の議論にはふさわしいと判断したからである。piii 上野圭一や正木晃などのほか全14名の共著となっている。原稿ができあがってから出版にこぎつけるまでにさらに数年を要したようだ。この周辺のテーマを研究対象にすることは大変興味深いことだが、それを形あるものに表現しなおそうとすると、さまざまな障壁があるようだ。 サイケデリック体験は一種の色彩酩酊と言われる。1943年バーゼルにてホフマンが麦角アルカロイドの研究中、眩暈を伴う色彩酩酊に襲われ偶然にLSD-25を発見した。p31 色彩酩酊とはよく名付けたものだ。色彩 酉名酉丁。 14人がそれぞれの立場からこのテーマに取り組んでいる。臨床とフィールドから、とはなかなかいいキャッチフレーズだ。この本を読んだだけで出るような結論はなにもないが、このようなマジメ(?)な研究が存在していることは記憶しておいてもいい。
2008.07.29
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「ハイビジョン特集 小田実 遺す言葉」 偶然テレビをつけたら、小田実特集をやっていた。パソコンをいじりながら、見るともなく見た。ああ、これは録画すべきだったなと思いつつ、これだけの番組ならまた再放送するだろうと思ったら、なんと、実際は去年の12月に初放送され、今年3月には再放送、そして今晩は再々放送という番組だった。 小田実についてはちょっぴりメモしておいた。また、奥さんの本も読んだことがある。最期の言葉は、基本は九条。私もあの70年4月に彼の講演会に参加したことが、人生のなかでの大きな変わり目であったと思う。その後の彼の行動や思想がはて、私にどのような影響を与えてくれたかは定かではないが、彼があのような強烈な個性を発揮して生きていてくれることに、ひとつの安ど感を持っていたことは事実だ。 今回の番組で、在日の奥さんとの間に生まれた子供も、実は我が家の子供たちと同年輩であったことを知った。ほとんど同じ時期に同じ年代の子供を育てていたのか、と思うと、なんだか親密感がより深まる感じがした。ナレーションで登場した李礼仙も、あの激動のさなか、紅テントの中で観た。 民主主義、平和、戦争、憲法、9・11、アメリカ、市民、人間、小田は小田なりに、たくさんの言葉を使って、そしてちょっと猫背の身体を使って、75年の人生を生き切った。何でも知っていて、何でもやってしまうような人間だった。彼なら知らないことはなにもない、という、こちら側のちょっとした思い込みがあった。 しかし、こうしてみてみると、人間・小田実も、実に普通の人間だったのだと思う。当たり前のことだが・・・・。知らないことは知らない。わからないことはわからない。悩む、苦しむ。だけど、彼は行動する。そして仲間や人々に呼びかける。 番組のなかで誰かが言っていたが、彼を過去の人間としてみないで、生きている人間として一緒にみていく必要があるように思う。彼が20世紀から21世紀にかけて、多くの仲間たちと取り組んだテーマのほとんどは、実は、まだまだ未解決なままではないのか。あるいは、もともと答えのない問いではなかったのか。 天命を知った小田は、個人的な「死」と向き合い、そのことについては多くを語りはしなかったようだ。だが、「共」の部分については、実に多くの宿題を残していった。私にはそのあまりの難題さに、ほとんどお手上げの問題がずらりとならんでいる。忘れることができるなら、さっさと忘れてしまったほうがいいかもしれない。だが、小田が指摘したテーマは決して避けては通れない重要なものだった。
2008.07.28
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<2>よりつづく「Automobile Quarterly」<3> Oshoの93台のRRについては、ほとんど某SNSでアウトラインをなぞってしまったので、特段に追記しなくてはいけないことはなくなってしまったが、この本において初めて分かったこともある。また、他の印刷物にはなかった「The Surf & sand Car」の大写しの画像もあるので、やはり資料というものは小まめに集める必要を感じる。 この一連の写真集を撮影したのは、Bill Sumner となっている。 そのほか、こまかいことはいろいろあるのだが、今は言葉としてあまり出てこないので、いつか出てくることがあったら、その時にまたメモすることにしよう。<4>につづく
2008.07.28
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「力道山と日本プロレス史」梶原一騎 1996/07 弓立社 単行本 308p 底本は1971年に曙出版よりでている。Vol.2 No.0208 ★★☆☆☆ ひょんなことで「力道山のロールスロイス」というタイトルの本があると知って以来、トンデモないまわり道をはじめた(相変わらずの)当ブログではあるが、そろそろこの梶原一騎・本で、力道山トリップもひとまず終了と願いたい。 梶原が力道山の生前に新聞記事として書いたものが一冊にまとめられているもの。なんのかんの言われながらも梶原の先見の明はとびぬけている。文章も、いわゆる劇画調。このまま劇画の原作になるのではないか、と思うほど、コマ割やセリフができ上っている。それだけに、なお一層コテコテに「劇画化」された力道山がここにいる。 ビートルズ62年レコードデビュー、63年力道山事故死。64年東京オリンピック。そして、66年ビートルズ来日、同年「少年マガジン」で梶原一騎原作「巨人の星」スタート。67年ビートルズ実質的解散。サイケデリック文化のピーク。68、69と言われる政治の時代があり、ウッドストックがあり、70年安保があった。裏ではエサレンなどが脈々と活動していた。 思えば、なんの脈絡もなさそうな出来事が次から次へと起こりつ続けた時代であった。当時中学一年生だった私は、ビートルズ来日と「巨人の星」スタートをごちゃまぜに体験していた!という事実に、今さらながら驚愕する。
2008.07.28
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「港区ではベンツがカローラの6倍売れている」データで語る格差社会清水草一 2008/03 扶桑社 新書 231p Vol.2 No.0207 ★★★★☆ ふー・・・・。60年代やら、サイケデリックやら、ロックやら、という深海探検をしていると、いつのまにか、今様浦島太郎になってしまい、いつ戻ってきたらいいかわからなくなってしまう。なんとか図書館の「新刊コーナー」の「高級車」つながりというロープにしがみついて、なんとか水面まで浮上してきた(笑)。 とはいえ、この清水草一という人、「大乗フェラーリ教」教祖を名乗るだけあって、なかなか手ごわい。助かったぁ~、と思った瞬間、別な世界へブッ飛ばされてしまう可能性もある。どことななく「ベンツで天国ベンツで地獄」を連想させる軽妙さがひかる。 一度雑誌に掲載されたコラムをさらに加筆訂正しているだけあって、ひとつひとつがなかなか興味深い。データをもとにしているので、説得力もある。現代日本社会をえぐり取っている感がある。第3章の「クルーザーとスーパーカー」あたりは、もう目がテンになる。知らなければ知らないですむ話だが、こんな世界があるのかないな、とついつい引き込まれる。 「ベンツ格差」、「豪邸格差」、「クルーザーとスーパーカー」、「別荘格差」、「カード格差」、「外国人格差」、「フーゾク格差」、「生活保護格差」、まぁいろいろな視点があるものだ。ベンツや豪邸あたりは、さもありなんという感じだが、別荘格差あたりは、以外と身近になった(ようにみえるだけだが)別荘にびっくり。カードや外国人、フーゾク格差あたりは、もうどうでもいいが、「生活保護格差」は身につまされる。
2008.07.28
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Jimi Hendrix
2008.07.25
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A 1965 Porsche 356 Cabriolet. Bought by Janis Joplin in September 1968 and hand-painted by a friend. She still had it at the time of her death in October 1970.
2008.07.25
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<3>よりつづく「力道山のロールスロイス」<4>くるま職人想い出の記中沖 満 1982/06 グランプリ出版 222ページ 力道山のロールスロイスを塗装した、わたびき自動車の中沖満氏。
2008.07.24
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<2>よりつづく「サイケデリック・シンドローム」 <3>それはビートルズから始まった レノンのRRをデザインしたザ・フールには『The Fool 』というアルバム(1969)がある。 The Fool p12
2008.07.24
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<1>よりつづく「Automobile Quarterly」 <2>1986 (Item #A1974) - Vol. 24, No. 4, p446 OshoのRRをペイントしたSwami Deva Peter<3>につづく
2008.07.23
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<2>よりつづく「力道山のロールスロイス」<3>くるま職人想い出の記中沖 満 1982/06 グランプリ出版 222ページ 「力道山のロールスロイス」p89 シルバークラウド イラスト・榎本竹利 これまで判明した三台のロールス・ロイスについてのデータを作ってみた。 <4>につづく
2008.07.23
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「シャウト!ザ・ビートルズ」フィリップ・ノーマン /島田陽子 2006/03 主婦の友社 単行本 543p Vol.2 No.0206 ★★★★★ 本書は2006年に日本語訳がでているが、原書は2003年発行であり、かつ、もともとの初版は1981年である。いくつかの事実誤認があったため、1993年に改訂増補版が出て、さらに2003年に重ねて改訂増補されている。したがって、どの部分がどう改定増補されているのかわからないが、それでもなお、他の書物とは異なる認識の部分も残っているようだ。 この2006年版日本語訳は、1980年のジョン・レノンの死亡、あるいは2001年の9.11のWTCビルの崩壊から始まっているが、基本的には、ビートルズのそれぞれの生い立ちや伝記を中心として展開されており、ミュージッシャンとしてのスタートから、現在(2003年)までの経過が時系列的に並べられている。 1966年には数多くの可能性があるように思えた。出版社はジョンに文章を書いてもらおうとした。印刷業者やグリーティングカード会社は彼に絵を描いてくれとせっついてきた。当時ブティックに劣らぬほどのスピードでロンドンに続々現れ始めたアート・ギャラリーは、特別な内覧会に出てほしいと頼み込んでくる。しばらくのあいだ、ジョンの興味は美術に集中しているかに見えた。彼はレインボー・カラーに彩られたロールス・ロイスに乗り、ウェイブリッジから週に2,3度、ロンドンに現れた。スコットランド人のお抱え運転手は、このロールス・ロイスをときどき寝床代わりにもしていた。p330 ここでいう「レインボー・カラーに彩られたロールス・ロイス」とは、あのサイケデリック・カーなのかどうか定かではないが、もしそうだとしたら、1966年のうちにこのRRのペインティングが完了していることになるので、当ブログがいままで追っかけてきた事実とは異なる。 マリファナはヒッピーの友好の印であり、その香りはどんなヒッピーのたまり場にも漂っていた。ドラッグを通して、より高い知恵や人間性が得られるという、ヒッピー信仰のきっかけになったのがマリファナだった。LSDの持つ「サイケデリック」(文字どおり、精神を広げる)属性を調べる実験を行なったためにハーバード大学を追放された中年の科学者ティモシー・リアリー博士は、そのころすでに彼らのリーダー---あるいはグル---となっていた。p338 本書はビートルズにまつわるドラッグスについても要所要所でこまかく説明している。1960年代のカウンター・カルチャーについては、「エスリンとアメリカの覚醒」などと合わせて読みすすめてみたら、面白かろう。 音楽面においても、このアルバムの勝利は完璧だった。いちばんのアバンギャルドも、いちばん慎重な人々も、同じように引きつけられ、ファンも敵も取り込んだ。LSDフリークは、最高にぶっ飛んだ状態で「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」を聴き、自分の頭は夢にも思わなかったサイケな空想の領域まで引き上げられたに違いないと思った。p353 いままで見てきたとおり、「サージェント・ペパー」はビートルズの一つのピークを現していることは間違いないし、その中でも「ルシー・・・」はひとつの象徴と見られることも、まず間違いはない。 だが、そのどれよりもはるかに大きな騒ぎは、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」がLSDの略だとわかったことから起きた。この曲を作った人間が誰であるかは明らかだったため、その張本人のジョンが批判を全面に浴びることになる。当時あらゆるメディアにおいてドラッグの脅威の筆頭に挙げられていた物質を宣伝し、その効果を「タンジェリンの木やマーマレードの空」などという魅力的な言葉で示したというわけである。 ジョンはこうした批判に対して、この歌はLSDと何の関係もないと抗議し、単に息子のジュリアンが学校で描いた絵をヒントにしただけだと言った。「ルーシーがダイアモンドをつけて空にいるの」と答えたという。ジョンのような言葉遊びの好きな人間が言ったのでなかったら、このエピソードはもっと信じてもらえただろう。p355 ジョン自身が、「回想するジョン・レノン」1970で完全否定しているが、そのインタビューの前後で、「1,000回ほどはトリップした」と答えているのだから、否定自体、なんの意味もない(笑)。 サイモン・ポスチューマとマリーク・クーゲルは、オランダからやってきたヒッピーだった。ファッションとインテリア両方のデザインをこなすふたりは、アムステルダムのブテッィク「トレンド」で有名になり、1967年には演劇界へも活動を広げようとロンドンに移住する。移住後まもなくの顧客にはパリー・フィンチとサイモン・ヘイズという広告業界の二人がいたが、彼らの当時の担当のブライアンのセビル・シアターも含まれていた。 このつてからサイモンとマリークはビートルズとも親しくなる。ふたりのエキゾティックな服装と、オランダ訛りで語られる夢のようなヒッピー・ストーリーは、たちまち注目を集めた。舞台デザイナーとしてもビートルズの友人としても大いに成功したふたりは、アムステルダムで一緒にブティックをやっていたホセ・リーガーをオランダから呼び寄せる。この3人に広報担当のバリー・フィンチを加えて、デザイナー・グループ「ザ・フール」が結成された。p382 このグループがサイケデリックRRの制作にかかわるわけだ。 サマー・オブ・ラブのあいだ、そしてまだやさしい空気の残る秋も、ザ・フールはビートルズづきのデザイナーとして王室まがいの地位を誇った。「愛こそはすべて」のテレビ出演のときの衣装も彼らが作ったものである。ジョンの家のピアノや、庭に置かれたジプシーの幌馬車を塗り、ジョージのエッシャー宅の暖炉をデザインしたのも彼らだった。p382 ここ「ジプシーの幌馬車」と言われているのは、そのまま言葉通りのものか、サイケデリックRRを意味しているのかは、原書を見なければ判断はできないだろう。 この時期について、本書は、多岐にわたって記述しており、当ブログの主テーマから、限りなく離れていくので、今回は割愛するが、超越瞑想のマハリシ・マヘッシ・ヨーギや、オノ・ヨーコの登場などについても興味深いエピソードが満載されている。 (1968年)ジョンとヨーコはふたりとも白い服を着て、ジョンの白いロールス・ロイスに乗り、彼らが新たに雇った「アート・アドバイザー」アンソニー・フォーセットと一緒にコベントリーへやってきた。p399 この時点ですでにもうひとつ別なRRが登場しているわけで、「ニューヨークへ移住したときに、ロンドンの郊外のチッテンハーストの広大な邸宅とともに手放した」とされるサイケデリックRRも存在はしていたのだろうが、あまり愛用はされていなかった可能性がある。
2008.07.23
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「証言!ビートルズとスーパースターたち」シッド・バーンステイン /西谷泰人 2003/02 創文 単行本 314p Vol.2 No.0205 ★★☆☆☆ 「ビートルズをアメリカに呼んだ興行主が、今真実を証言する」のサブタイトルがある。2002年になって出版されている。あれだけの大きな現象だったのだから、それぞれの立場からいくつもの証言が飛び出してくることは当然のことで、時代背景や、個人的なライフストーリーの中でビートルズとの出会いやその後の経過がつづられていくことは、時代の全体像を見ていく上では、大いに参考になり、考えさせられる。 ただ、著者は、興行主という立場であるだけに、視点がやや広く穏やかである。あるいはそういう形で表現するしかない部分もあるのだろう。ドラッグスにも通り一遍に触れているだけで、ほとんど何の特筆すべきことはない。サイケデリックスについてこの本から取材することはない。ロールスロイスについても触れていない。
2008.07.23
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「ハウ・ゼイ・ビケイム・ザ・ビートルズ」誰も知らなかったビートルズ・ヒストリーガレス・L.ポロウスキー /ビートルズ・シネ・クラブ 1989/12 竹書房 単行本 Vol.2 No.0204 ★★★★☆ 1960年~1964年のデビュー前、メンバーの固定、 爆発的な世界ツアー、初期のアルバム発売、などの時期について、初公開の多くの写真を含みながら、ビートルズの歴史の「新しい」発見をいくつも伝えている。
2008.07.23
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Imagine - Lennon [A Perfect Circle Cover]
2008.07.22
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LSD : A Shortcut to False SamadhiAcharya Rajneesh February 1971Vol.2 No.0203 ★★★★★
2008.07.22
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The Beatles- Revolution Part 1The Beatles- Revolution Part 2The Beatles- Revolution Part 3The Beatles- Revolution Part 4The Beatles- Revolution Part 5aThe Beatles- Revolution Part 5bThe Beatles- Revolution Part 6The Beatles- Revolution Part 7aThe Beatles- Revolution Part 7bThe Beatles- Revolution Part 8The Beatles- Revolution Part 9
2008.07.22
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<1>よりつづく「サイケデリック・シンドローム」 <2>それはビートルズから始まった ブライアン・エプスタインはEMIレコードに、ジャケットのアートワークのコーディネーターとしてロバート・フレイザーを推薦していた。さらにロバートはフロント・カバーのデザインをピーター・ブレイクに依頼したいと考えていた---画期的な選択だった。 真ん中の見開きはザ・フールが手がけることになっていた。ザ・フールはアシッドの魅惑にどっぷり浸かっていたグループで、1967年のロンドンにセンセーションを巻き起こした。p44 ザ・フールは、ロンドンのベーカーストリートにあるアップルショップの壁のオリジナリティあふれるサイケデリック・デザインも手掛けている。p4 ピーター・ブレイクは回想する。「ロバート・フレイザーは、ローリング・ストーンズの友人で、私の作品を展示していたギャラリーのオーナーでもあった。ザ・フールのデザインした”サージェント・ペッパー”のジャケットはでき上っていた。強烈にサイケデリックな作品だった----渦巻くオレンジ色と緑と紫----ありとあらゆる色であふれていた。・・・」p45 たしかにビートルズや当時の文化状況には、さまざまなドラッグの影響を受けている節が見えるが、少なくとも”サージェント”やサイケデリックRRのデザインへの影響は、LSD(アシッド)からのものが一番強い。 ”サイケデリック”ドラッグとは自然のカナビス、ペヨーテ、メスカリンから近代化学による新製品のすべてを含む。最も有名なのはLSD-25、リセルグ酸ジェチルアミドである。 この驚くべきドラッグは、1938年、スイスのサンドス研究所で、アルベルト・ホフマン博士が正規の薬剤として使用するために、最初に合成した。それは麦菌(ライ麦の穂に発見された菌)の派生物を含む一連の実験で、25番目の変異体の産物だった。(中略)彼は日記にその結果を記している。その中に「想像力の強度の刺激と世界認識の異常な精神状態」がある。ホフマン博士は、4分の1世紀後の表現でいうと、ある”トリップ”をして、時間の感覚を失ったと書いている。「空間と時間はますます分離され、時々私は自分の肉体の外側にいるように感じた。私は自分が死んでしまった」と思った。107p 薬学的な研究についてはさまざまな文献があるが、すくなくともこの本のタイトルが「サイケデリック・シンドローム」であり、67年を中心として書いてあるとするなら、まずはこのところを押さえておかなくてはならない。 LSDが1966年10月に不法とされた時、それはひどく愚かな行為に見えた。アシッド常用者は完璧に法律に関しては無関心で、政府が言っていることなど一言も信じなかった。もし法を秩序の人種が”マリワナ煙草気違狂い”についても間違っていたなら、LSDについても間違っているはずだ。p114 当ブログはこの周辺についての確たる意見を持ってはいないし、それほど重要なことだとも、実は思っていない。 パンフレット発行者は、自由になる方法と、何か起こったことと同じくらいす早く反応する方法についての指示を謄写版印刷していた。認められている形式に公然と反抗する態度があった。これまでに発見されたすべての本物のドラッグは、その時までに非合法となっていた。そこでヒッピーたちはバナナでトリップする方法を準備した。信頼性のギャップの両面について、最初の頃ずい分だまされたあとで、クロニクル紙は書いた。「バナナはベイ・エアリアのヒッピー村での最新の最新のサイケデリック・アドヴェンチュアだが、ハイト=アシュベリー地域では昨日、熱烈にというよりおもしろがって見られていた」p125 実は当時このニュースは平凡パンチ(だったと思う)にも載っていて、中学生の私は、バナナでトリップ、に興味を持ってチャレンジしたことがあった(笑)。もちろん、なんの変化もなかった(爆)。<3>につづく
2008.07.22
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大人の少年誌「ラピタ」創刊5周年記念号 2001年1月号特別企画◆ビートルズ御用達グッズVol.2 No.0202 ★★★☆☆ 探してみれば、ジョン・レノンのサイケデリック・ペイント・ロールスロイスについての記事もなくはない。これは、21世紀になって最初の「ラピタ」での特集。 権威を塗りつぶせ ジョン・レノンは、所有していたロールス・ロイス、それも王侯貴族用のファンタム5を、サイケデリック模様に塗りたくってしまった。1967年のことだ。デザインは、ロンドンのアップル・ショップを、やはりサイケデリックにペイントしたオランダのアーティスト・グループのザ・フー。このクルマは、ニューヨークへ移住したときに、ロンドンの郊外のチッテンハーストの広大な邸宅とともに手放した。 何人かの持ち主を経て、カナダのバンクーバーの交通博物館に展示されたりしたが、現在は、カナダのカー・マニアが所有している。p65 ここで、ザ・フー(ママ)と書かれているオランダのアーティスト・グループとは、The Foolのことか。 Wikipediaによれば「1971年9月、ジョンは活動の拠点をアメリカのニューヨークに移し、グリニッジ・ビレッジのアパートで暮らし始めた。」とあるから、現在のところの推理では、この時点まで、かのサイケデリックRRはレノンに所有されていた、ということか。 (1965年)10月26日、ジョンの燦然と輝くロールスロイス・ファントム・ファイブ(いわく「エルヴィスのとまったく同じ型だけど、ぼくのはスモーク・ウィンドーになっているんだ」)で、ビートルズはバッキンガム宮殿を訪れ、エリザベス女王からMBE勲章を授与された。トニー・バーロウ「ビートルズ売り出し中!」p254 65年~71年の長きにわたって一台のRRがあったのか、あるいは何台かのうちの一台が、1967年4月にThe Foolによってサイケデリックにペイントされたのか。 この「ラピタ」には、ロールス・ロイスのほかに、ミニ・クーパーに乗っているポールの写真も載っている。 4人はミニに夢中 ビートルズのメンバー4人はそれぞれが、ミニの1台ずつ持っていることが確認されている。ビートルズ音源研究家の加藤裕治氏によると、スタジオがその理由ではないかという。ビートルズがほとんどの作品を録音したアビーロードスタジオというのは、世界で一番有名なスタジオであると同時に、世界一駐車場が狭いスタジオとしても知られていた。だから、どんなクルマでも買えたはずのメンバーたちが、あえてミニを選んだのは、停めやすさというまことに明解な理由からだった。p65 「もうミニを持っているなら、セカンドカーはロールスロイスがいいだろう」と書いたのは、1959年の英国<モーター・マガジン>誌だったが、まさにそれを地でいくビートルズたちであった。 中山康樹「超ビートルズ入門」と「これがビートルズだ」は、最初ウルサイなぁ、と思ったが、「Youtubeで視る聴くビートルズ全15枚」のリストを作成するのには大いに役立った。改めて、ここで感謝。 そして、ここでビートルズの歴史を見てみるとまさに、ビートルズのグループとしての活動のピーク時にサイケデリック・ロールスロイスが登場していることがわかる。このロールスロイスが追っかけのテーマとなっている当ブログとしては、ビートルズ全体を集約するなんてことはできないが、象徴としては、「サージェント・ペパー・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」が時期的にも一番似合っていると思う。 さらにその中にあっても、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」が、そのタイトルもL-S-Dで、なんとも話題に加速をつけてくれる感じがする。「回想するジョン・レノン」によれば、ピル、マリワナ、LSD、ヘロイン、ハシシとドラグに関する記述が多い。サイケデリックという限り、一番似合っているのはLSDかな。 この薬物が非合法となるのは1966年のことだから、あまり不用な書き込みはできないが、この辺のキーワードを使って、なんとか、サイケデリック・ロールスロイスに込められた謎を解いていくことにしよう。
2008.07.21
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Youtubeで視る聴くビートルズ全15枚Please Please Me プリーズ・プリーズ・ミー 1963 With The Beatles ウィズ・ザ・ビートルズ 1963A Hard Day's Night ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 1964Beatles For Sale ビートルズ・フォー・セール 1964Help! 4人はアイドル 1965Rubber Soul ラバー・ソウル 1965/12Revolver リボルバー 1966Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band サージェント・ペパー・ロンリー・ハート・クラブ・バンド 1967Magical Mystery Tour マジカル・ミステリー・ツアー 1967Yellow Submarine イエロー・サブマリン 1968 Beatles (White Album) ホワイト・ アルバム 1968Abbye Road アビイ・ロード 1969Let It Be レット・イット・ビー 1970Past Masters Volume One パスト・マスターズ Vol.1 1988Past Masters Volume Two パスト・マスターズ Vol.2 1988
2008.07.21
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Abbye Road / Beatles アビイ・ロード / ビートルズ1969 1、Come Together カム・トゥゲザー2、Something サムシング3、Maxwell's Silver Hammer マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー 4、Oh! Darling オー!ダーリン 5、Octopus's Garden オクトパスズ・ガーデン 6、I Want You (She's So Heavy) アイ・ウォント・ユー7、Here comes the sun ヒア・カムズ・ザ・サン8、Because ビコーズ 9、You Never Give Me Your Money ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー10、Sun King サン・キング11、Mean Mr. Mustard ミーン・ミスター・マスタード12、Polythene Pam ポリシーン・パン13、She Came in Through the Bathroom Window シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー 14、Golden Slumbers ゴールデン・スランバーズ 15、Carry That Weight キャリー・ザット・ウェイト16、The End/Her Majesty ハー・マジェスティー
2008.07.21
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contunue from <1> The Beatles / White Album <2> ビートルズ / ホワイト・アルバム <2>1968 1、Birthday バースディ2、Yer Blues ヤー・ブルース3、Mother Nature's Son マザー・ネイチャーズ・サン 4、Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey エヴリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー 5、Sexy Sadie セクシー・セディー 6、Helter Skelter ヘルター・スケルター7、Long, Long, Long ロング・ロング・ロング8、Revolution 1 レヴォリューション1 9、Honey Pie ハニー・パイ10、Savoy Truffle サヴォイ・トラッフル 11、Cry Baby Cry クライ・ベイビー・クライ12、Revolution 9 レヴォリューション913、Good Night グッド・ナイト
2008.07.21
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The Beatles / White Album<1> ビートルズ / ホワイト・アルバム<1>1968 1、BACK IN THE U.S.S.R バック・イン・ザ U.S.S.R.2、Dear Prudence ディア・プルーデンス3、Glass Onion グラス・オニオン4、Ob-La-Di, Ob-La-Da オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ5、Wild Honey Pie ワイルド・ハニー・パイ6、The Continuing Story Of Bungalow Bill ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル7、WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス8、Happiness Is A Warm Gun ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン9、Martha My Dear マーサ・マイ・ディア10、 I'm So Tired アイム・ソー・タイアード 11、Blackbird ブラックバード 12、Piggies ピッギーズ13、Rocky Raccoon ロッキー・ラクーン 14、Don't Pass Me By ドント・パス・ミー・バイ 15、Why Don't We Do It in the Road? ホワイ・ドント・ウイ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード16、I Will アイ・ウィル 17、Julia ジュリア to be continued <2>
2008.07.21
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Let It Be / Beatles レット・イット・ビー / ビートルズ 1970 1、Two Of Us トゥ・オブ・アス 2、I Dig A Pony ディグ・ア・ポニー 3、Across The Universe アクロス・ザ・ユニヴァース 4、I me mine アイ・ミー・マイン5、Dig It! ディグ・イット 6、Let It Be レット・イット・ビー7、Maggie Mae マギー・メイ8、I've Got a Feeling アイヴ・ガッタ・フィーリング9、One After 909 ワン・アフター・909 10、The Long and Winding Road ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード11、For You Blue フォー・ユー・ブルー12、Get Back ゲット・バック
2008.07.20
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Beatles For Sale ビートルズ・フォー・セール 1964 1、No Reply ノー・リプライ 2、I'm A Loser アイム・ア・ルーザー 3、Baby's in Black ベイビーズ・イン・ブラック4、Rock and Roll Music ロック・アンド・ロール・ミュージック 5、 I'll Follow The Sun アイル・フォロー・ザ・サン6、Mr. Moonlight ミスター・ムーンライト 7、Kansas City - Hey Hey Hey Hey カンサス・シティ ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ 8、Eight Days A Week エイト・デイズ・ア・ウィーク 9、Words Of Love ワーズ・オブ・ラヴ10、HONEY DONT ハニー・ドント11、Every Little Thing エヴリー・リトル・シング 12、I Don't Want to Spoil the Party パーティーはそのままに 13、what you're doing ホワット・ユー・アー・ドゥーイング 14、Everybody's Trying to be My Baby みんないい娘
2008.07.20
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Beatles/Please Please Me ビートルズ/プリーズ・プリーズ・ミー1963 1、I Saw Her Standing There アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア 2、Misery ミズリー3、Anna (Go To Him) アンナ 4、Chains チェインズ 5、Boys ボーイズ6、ASK ME WHY アスク・ミー・ホワイ7、Please Please Me プリーズ・プリーズ・ミー 8、Love Me Do ラヴ・ミー・ドゥ9、PS I LOVE YOU P.S.アイ・ラヴ・ユー10、Baby It's You ベイビー・イッツ・ユー 11、Do You Want To Know A Secret ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット 12、 A Taste Of Honey 蜜の味 13、There's A Place ゼアズ・ア・プレイス 14、Twist and Shout ツイスト・アンド・シャウト
2008.07.20
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Past Masters Volume One パスト・マスターズ Vol.11988 1、Love Me Do ラヴ・ミー・ドゥ 2、from me to you フロム・ミー・トゥ・ユー3、Thank You Girl サンキュー・ガール4、She Loves You シー・ラヴズ・ユー 5、I'll Get You アイル・ゲット・ユー 6、I Wanna Hold Your Hand 抱きしめたい 7、This Boy ジス・ボーイ 8、Komm, gib mir deine Hand 抱きしめたい(ドイツ語) 9、Sie liebt dich ♥ シー・ラヴズ・ユー(ドイツ語)10、Long Tall Sally ロング・トール・サリー 11、 I call your name アイ・コール・ユア・ネーム 12、Slow Down スロウ・ダウン 13、Matchbox マッチボックス14、I Feel Fine アイ・フィール・ファイン 15、Shes a Woman シーズ・ア・ウーマン16、Bad Boy バッド・ボーイ 17、YES IT IS イエス・イット・イズ 18、I'm Down アイム・ダウン
2008.07.20
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Beatles / A Hard Day's Night ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!19641、A Hard Day's Night ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ! 2、 I Should Have Known Better 恋する二人3、If I Fell 恋におちたら4、I'm Happy Just To Dance With You すてきなダンス 5、And I Love Her アンド・アイ・ラヴ・ハー6、Tell Me Why テル・ミー・ホワイ 7、Can't Buy Me Love キャント・バイ・ミー・ラヴ8、Any Time At All エニイ・タイム・アット・オール 9、I'll Cry Instead ぼくが泣く10、Things We Said Today 今日の誓い 11、When I Get Home 家に帰れば12、You Can't Do That ユー・キャント・ドゥ・ザット13、I'll Be Back アイル・ビー・バック
2008.07.20
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Beatles / With The Beatles ウィズ・ザ・ビートルズ1963 1、It Won't Be Long イット・ウォント・ビー・ロング 2、ALL I´VE GOT TO DO オール・アイヴ・ゴット・トゥ・ドゥ3、 All My Loving オール・マイ・ラヴィング 4、Don't Bother Me ドント・バザー・ミー5、Little Child リトル・チャイルド6、Till There Was You ティル・ゼア・ウォズ・ユー 7、Please Mr. Postman プリーズ・ミスター・ポストマン 8、Roll Over Beethoven ロール・オーヴァー・ベートーヴェン9、Hold Me Tight ホールド・ミー・タイト10、You Really Got a Hold On Me ユー・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー 11、 I Wanna Be Your Man 彼氏になりたい 12、Devil in Her Heart デヴィル・イン・ハー・ハート 13、Not A Second Time ナット・ア・セカンド・タイム 14、Money (That's What I Want) マネー
2008.07.20
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Beatles/ Help! 『4人はアイドル』("Help!")1965 1、Help! ヘルプ!2、The Night Before ザ・ナイト・ビフォア3、you've got to hide your love away 悲しみはぶっとばせ 4、I Need You アイ・ニード・ユー 5、Another Girl アナザー・ガール6、You're Gonna Lose That Girl 恋のアドバイス 7、Ticket to Ride 涙の乗車券 8、Act Naturally アクト・ナチュラリー 9、It's Only Love イッツ・オンリー・ラヴ 10、You Like Me Too Much ユー・ライク・ミー・トゥ・マッチ 11、Tell Me What You See テル・ミー・ホワット・ユー・シー 12、I've Just Seen a Face 夢の人 13、Yesterday イエスタデイ14、Dizzy Miss Lizzy ディジー・ミス・リジー
2008.07.20
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Past Masters Volume Two / Beatles ザ・ビートルズ/パスト・マスターズ Vol.21988 1、Day Tripper デイ・トリッパー2、We Can Work It Out 恋を抱きしめよう3、Paperback Writer ペイパーバック・ライター4、Rain レイン 5、Lady Madonna レディ・マドンナ 6、Inner Light ジ・インナー・ライト 7、Hey Jude ヘイ・ジュード8、 Revolution レヴォリューション9、Get Back ゲット・バック 10、Don't let me down ドント・レット・ミー・ダウン11、The Ballad Of John & Yoko ジョンとヨーコのバラード12、Old Brown Shoe オールド・ブラウン・シュー13、Across The Universe アクロス・ザ・ユニヴァース 14、Let It Be レット・イット・ビー 15、You Know My Name ユー・ノウ・マイ・ネーム
2008.07.20
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Beatles / Rubber Soul ラバー・ソウル / ビートルズ1965/121、drive my car ドライヴ・マイ・カー2、norwegian wood ノルウェーの森 3、You Won't See Me ユー・ウォント・シー・ミー4、Nowhere man ひとりぼっちのあいつ5、Think For Yourself 嘘つき女 6、The Word 愛のことば7、Michelle ミッシェル 8、What Goes On 消えた恋 9、Girl ガール10、I'm Looking Through You 君はいずこへ11、In My Life イン・マイ・ライフ12、Wait ウェイト 13、If I Needed Someone 恋をするなら14、Run for your life 浮気娘
2008.07.20
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Revolver / Beatles リボルバー / ビートルズ19661、Taxman2、Eleanor Rigby 3、I'm only sleeping4、Love You To5、Here, There and Everywhere6、Yellow Submarine 7、She said she said8、Good Day Sunshine9、And Your Bird Can Sing10、For No One11、Doctor Robert 12、I Want To Tell You13、got to get you into my life 14、Tomorrow Never Knows
2008.07.19
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Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band / Beatles サージェント・ペパー・ロンリー・ハート・クラブ・バンド1967 1、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 2、With A Little Help From My Friends ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ3、Lucy in the Sky with Diamonds ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ 4、Getting Better ゲッティング・ベター5、Fixing A Hole フィクシング・ア・ホール6、She's Leaving Home シーズ・リーヴィング・ホーム 7、Being for the benefit of Mr.Kite ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト8、Within You, Without You ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー9、When I'm 64 ホエン・アイム・シックスティー・フォー10、Lovely Rita ラヴリー・リタ 11、Good Morning Good Morning グッド・モーニング・グッド・モーニング 12、Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise) サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (リプライズ) 13、A Day in the Life ア・デイ・イン・ザ・ライフ
2008.07.19
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「ビートルズオリジナル初版本 【イエローサブマリン】1968年版」Yellow Submarine Part 1Yellow Submarine Part 2Yellow Submarine part 3Yellow Submarine part 4Yellow Submarine Part 5Yellow Submarine Part 6Yellow Submarine part 7Yellow Submarine Part 8Yellow Submarine Part 9
2008.07.19
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「これがビートルズだ」中山康樹 2003/03 講談社 新書 299p Vol.2 No.0201 ★★★☆☆ 「超ビートルズ入門」と同じ著者の本。「これがビートルズだ」と見栄を切られると、「へぇ~、それもビートルズなの・・?」なんて、皮肉の一つも言いたくなる(笑)。 前作「リボルバヴァー」が、次作「マジカル・ミステリー・ツアー」が同様の現象を引き起こしたわけではない。では、なぜ「サージェント・ペパーズ」だけが、”現象”となりえたのか。 ポイントは”1967年”と”初夏”だ。このアルバムはヒッピー全盛時代、フラワー・ムーヴメントに沸く”サマー・オブ・ラヴ”の渦中に登場した。いいかえれば「サージェント・ペパーズ」が発売されるタイミングは、ここしかなかった。一年前では早すぎる。一年後では遅すぎる。p146 たしかにこのタイミングしかなかったのだ。だから、この位置に登場したレノンのサイケデリック・ロールスロイスの存在意義も大きい。 力道山のロールスロイスは、力道山の結婚と死、という劇的タイミングに登場している。それと同じように、レノンのサイケデリック・ロールスロイスは、社会的な盛り上がりのピークと、ビートルズの実質的な解散、というタイミングに登場したのだった。マネージャー、ブライアン・エプスタインの急死、そして、ジョンやポールのパートナーも変わっている。 この本は、ビートルズの全公式曲213曲について述べている。このような本の他の類書はないんじゃないかな。その意味で貴重だ(ちょっとウルさいが・・・)。 つまり、「ラバー・ソウル」1965/12 → 「リボルヴァー」1966/8 → 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」1967/6 → 「マジカル・ミステリー・ツアー」1967/11 → 「イエロー・サブマリン」1969/1、という時代の流れの中で、かのサイケデリックRRを見つめていく必要があるということだ。
2008.07.19
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「超ビートルズ入門」中山康樹 2002/06 音楽之友社 212頁Vol.2 No.0200 ★☆☆☆☆ 最初から覚悟はしていたが、ことビートルズとなれば、たくさんの人たちが、たくさんの嗜好性で、それぞれのビートルズを愛している。ああ、やっぱりこういう本がある、と、ちょっとうろうろしてしまう。それにしても「超入門」というタイトルの割には、ちょっと偏り過ぎてはいませんかね。 著者は1952年生まれ、「スイングジャーナル」誌編集長を務めた人だけに、その意見は無碍にはできないが、2002年に出された本としては、ちょっと考えさせられてしまう。私の意見とはかなり違うのだけど、どう違うのかは、ヒミツ、ということにしておこう。ヘタなことを言うと、なんだか絡まれそうだ(笑)。
2008.07.19
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Magical Mystery Tour マジカル・ミステリー・ツアーザ・ビートルズ ■1967年度作品 TVカラー作品(55分 フィルムは50分)■TV初公開 1967年12月26日(BBC第1TV 視聴率75%)■日本公開 1968年 9月28日(日本武道館)★★★☆☆ Youtubeでもすこし見ることができる。注目のビートルズの1967年。今から40年前のイギリスだ。なんとも牧歌的で、これが当時の「サイケデリック」か、と思うと、なんとも可愛いい。頬ずりしたくなる。 しかし、それでも40年前である。日本においてはアングラ・ブームのさきがけ、寺山修司天井桟敷の「青森県のせむし男」 の初演が行われている。 サイケデリック・ロールスロイスを探す「マジカル・ミステリー・ツアー」中の当ブログだが、この映画の中にはRRは探すことはできなかった。わずかに、ブガッティーみたいな黒のセダンとミニ・クーパーとミステリーバスの追っかけっこがでてくるのみ。Magical Mystery Tour マジカル・ミステリー・ツアー1967 1、Magical Mystery Tour マジカル・ミステリー・ツアー 2、The Fool On The Hill フール・オン・ザ・ヒル 3、Flying フライング 4、Blue Jay Way ブルー・ジェイ・ウェイ 5、Your Mother Should Know ユア・マザー・シュッド・ノウ 6、I am the Walrus アイ・アム・ザ・ウォルラス 7、Hello Goodbye ハロー・グッドバイ 8、Strawberry Fields Forever ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー 9、Penny Lane ペニー・レイン 10、Baby you're a rich manRate ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン 11、All You Need Is Love 愛こそはすべて
2008.07.19
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「ビートルズ売り出し中!」PRマンが見た4人の素顔トニー・バーロウ /高見展 2008/01 河出書房新社 単行本 391p Vol.2 No.0199 ★★★☆☆ ビートルズの歴史の決定版は決して出版されることはないだろうと本人が序章で書いているのは、もっともな話である。当時を経験しているだけでは必ずしも正しく記憶されているとは限らないし、事象についてどれが正しいと断定できないこともあるからだ。「解説」p387 著者はビートルズのマネージャーに引き抜かれて、ビートルズの広報担当を務めることになった。だから売出しの時期から、そのエプスタインが死亡し、グループが解散したりした経緯も、側近としてつぶさに見つめてきた立場にある。その彼がようやくこの本を書くことになったのは、40年ほど経過しあとの2005年。 最晩年、ブライアンは自身の悪癖リストにドラッグおよびアルコールの乱用を加えることになり、この二つへの耽溺が1967年に彼を死を招いた。初めにブライアンが違法ドラッグを試したのは、ボーイズの仲間に入りたかったからだった。彼らはマリファナからLSDの実験へと移行して、ブライアンは仲間だからと誘われるとプレッシャーに勝てず、幻覚を起こして頭を分裂させるこの遊びに加わった。p134 ビートルズ日本公演が66年の6月。そしてレノンのサイケデリックRRが67年4月。ブライアンが死亡するのは67年の8月。 新しいアルバム「サージェント・ペパー」のレコーディング・セッションが終了したことが、とくに色鮮やかなパーティを開く理想的な口実を提供した。ビートルズは、このパーティがとびきりワイルドで、ルルを除くほとんどの客が大量のドラッグ、とにくサンフランシスコ直送、その日イチ押しのLSDをやったと報告した。p134 ビートルズのサイケデリックスは67年に一つのピークを迎えるのであり、その象徴は、あのRRとブライアンの死だ。 (1965年)10月26日、ジョンの燦然と輝くロールスロイス・ファントム・ファイブ(いわく「エルヴィスのとまったく同じ型だけど、ぼくのはスモーク・ウィンドーになっているんだ」)で、ビートルズはバッキンガム宮殿を訪れ、エリザベス女王からMBE勲章を授与された。p254 この時のRRと同じ車かどうかはまだ確認できないが、すくなくともバッキンガムに乗りつけたのはサイケデリックRRではなかった。 ブライアン主催による最後の2回のパーティは、「サージェント・ペパー」を祝って催された。(中略)ジョン、ジョージ、リンゴは夫人同伴で出席した。ジョンは鮮やかな黄色の地にジプシーの幌馬車風デザインとカラフルなサイケデリック調唐草模様が細かく描かれた新しいロールスロイスで現れ、大きな話題を呼んだ。p343 「鮮やかな黄色の地にジプシーの幌馬車風デザインとカラフルなサイケデリック調唐草模様が細かく描かれた」という表現がまた素晴らしい。こうひとくちには、なかなか言えない。 ポールはこのパーティには現れなかったが、それからほどなくして、彼はLSDを4回服用したことを公の場で発言する。p344 レノンは、後年のインタビューで、LSDで「1,000回ほどはトリップした」と発言している。だから、ここでポールは自らの体験を4回「も」やったという意味ではなく、「わずか」4回「しか」やらなかった、という弁明をしているのである。次第にメンバー間の溝が深まりつつあった。 ジョンとポールが私生活のうえでもこの時期にパートナーを代えて出直したのは偶然ではないと、ぼくは確信している。ビートルズとしてのレコーディング活動が終わりに近づいていた頃、4人は仕事上の人生のあらゆる面において、ただならぬペースで加速度的に進化を遂げていた。p368 ブライアン・エプスタインの死をきっかけに、著者は、ビートルズのマネジメントから離れることになる。メンバーたちも新しい会社アップルを立ち上げ、レノンもポールも、新しいガールフレンドと次なるステージへと移行しつつあった。 ぼくはビートルズの解散を不幸だと思ったことは一度もない。あれは、縄でつながれていた4つの芸術的魂を解放してそれぞれの道を歩ませるめの前向きな動きだったのだと思う。実態としてのビートルズは、1966年のツアー時代の終焉とともにファブ・フォーであることをやめていた。それ以後は、どちらかといえば、ビートルズとして営業する会社のようになっていた。p380 ビートルズのメンバーがブライアンの死の知らせを受けたときのことも書いてある。 ビートルズはウェールズ北部のバンゴアで知らせを受けた。彼らはそこでマハリシ・マヘシ・ヨギの超越瞑想法の講習を受けていた。誰よりもショックを受けたのはジョンだった。記者に話す声に、彼の胸のつかえがそのまま聞こえるようだった。p347 この本には側近しか語りえないような内幕情報がボロボロとでている。
2008.07.19
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「サイケデリック・シンドローム」 <1>それはビートルズから始まった デレク・テイラー (著), 水上 はるこ 1988/07 シンコー・ミュージック 原書 IT WAS TWENTY YEARS AGO TODAY 1987Vol.2 No.0198 ★★★★★ レノンのロールス・ロイスを探し出すのは簡単だが、それを取り巻く周囲の情報を整理しないと、なぜにその車が存在しているのか理解できないことになる。 p56 イギリスに飛んで行って、妻のジョーンと私は1967年5月に、サリー州のジョン・レノンの家でそのアルバムを聞いた。その頃は、ジョンは常に仕事をする習慣が身についており、私たちに新しい歌を演奏してくれた---"ベイビー・ユー・アー・ア・リッチ・マン"やそのほかの歌の断片を。ビートルズはこのアルバムに莫大な時間と2万ポンドmの費用をかけたという。私の記憶では、ジョンがそのことを話してくれたのはレコードがかかっている時だったジョンは音楽の分野で、次なる評価を得たいと熟望していた。LSD、愛、花、鐘、お香、ローソク、ジプシーのキャラバン風にペイントしたジョンのロールス・ロイスを荒っぽく乗りまわしたりしながら、ジョンと共に強烈な週末を過ごした。私たちロサンゼルスにそのレコードを持ち帰った。p57p11 1967年5月のある朝、ブライアン・エプスタインのサセックスの新店開きに行く途中、妻のジョーンと私はそのレコードを、ジョンのジプシー風ロールス・ロイス/アール・ヌーヴォー風豪華車/サイケデリック・リムジン(いろいろな車に描写されていたから、好きなように呼んでくれ)で聴いた。それはレコードと新しく塗られた車が、このセンセーショナルな年でさえもだ十分センセーションになれていない国民の前にベールをはがされた数日後のことだった。p83 p161<2>につづく
2008.07.19
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「父・力道山」初めて明かす父の実像、父への愛百田光雄 2003/12 小学館 文庫 284p 原書1983年 頸文社Vol.2 No.0197 ★★★★☆ 力道山が亡くなった1963年が遠く昔のこととなりつつあった1983年、いきなり力道山ブームがやってきた。その中で、20年前はまだ高校生と中学生だった二人の息子たちが父親の思いでを語ったのがこの本。その後、さらに20年が経過して、長男はすでになく、2003年に二男がもういちど加筆・訂正して出版した。 (p60) 伝説の人物・力道山には数多くの伝聞があり、その太く短い人生は、ひとつの人間の生き方の典型として広く語り継がれている。その中にあっても、側近や妻という立場以上に、実子が書いたこの本には、さすがに実子でなければ書けないような真実がある。遠慮や突っ込みがあり、そして灯台下暗し的なあやふやさも、感じないわけではない。 力道山が子供たちに宛てた手紙が掲載されている。ひらがな文だ。あ、力道山は、半島出身だったので、文字を習うチャンスがなかったのかも知れない。一瞬、あさはかにもそんなことを考えてしまった。 しかし、それはまだ、小学校にもつかない子供たちへの手紙であり、4歳で読み書きができたという長男への配慮だったのである。豪放磊落にして、きめ細かい愛情にあふれた父親でもあったのだ。もちろん、他の要件の手紙も掲載されており、そちらはキチンとした漢字交じりの達筆である。 自動車もスポーツ・カーをはじめとして外車を何台も取りかえ、世界一といわれる高級車ロールス・ロイスも手に入れた。皇太子殿下が英国の女王の戴冠式に参列されたとき使用した二台のキャデラックがホノルルのシャーマン・ギャレージに払い下げられたと聞くと、さっそく父は、二台とも売ってくれとシャーマン・ギャレージに申し込み、二台とも手に入れた。黄色いオープンカーと新田新作氏にプレゼントしたブルーのキャデラックがこの二台である。この一件も、二台とも欲しいというところがいかにも父らしくておもしろい。p59 このような車をほしい、と思うこと自体、とてつもないことだが、それを実現してしまうのだから、さらに凄い。 ベンツの300SLを手に入れたときなどは、新聞社が正月用の写真を撮りにくると、父親はこの300SLのドアを半開きにして半身をのり出してこういったものだ。「ちゃんとベンツのマークも入るように撮ってくれよ」p61(p63) ここでは、ロールスロイスよりもアメリカ車やドイツ車に熱をあげている力道山がいる。中沖 満「力道山のロールスロイス」では、このまだ300キロしか走っていなかった濃紺のロールスロイスに、力道山は、新婚の奥さんに抱かれて、遺骨となって乗ったという、悲しい経緯が書かれている。
2008.07.19
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「空手チョップ世界を行く」力道山自伝 力道山光浩 1981年 ほるぷ 原書 1962年べースボール・マガジン社Vol.2 No.0196 ★★★★☆ 力道山ブームは、当然のごとくシャープ兄弟との対戦がテレビ放送された1954年に一気に沸き起こったのであるが、第二次プロレスブームで力道山が再評価されたのは、1980年代に入ってからだった。 本書は1962年、10年間の相撲で活躍し、さらにプロレスでの10年間の活躍ののち、功名を得た時点での、プロレスラー力道山がこの中にいる。私が読んだのは、62年の原書をほるぷ社が81年に復刻したものである。62年の4月までの記録がこの本に残されている。翌年の63年12月、力道山は帰らぬひととなる。 もうすでにあらゆる角度から検討されている力道山の、力士やプロレスラーとしての戦歴を中心として書かれているので、なんら目新しいことはない。一番の基本書となるべき位置にある本。著者名も力道山光浩だ。自らの出生についても書かれていなければ、薬物などについても書かれているはずがない。 ただ、たぶん生前の力道山のもっとも最後の数少ない自伝であろうから、彼が自分をどのようにとらえていたかはよくわかる。もちろん、表向きの自伝だ。愛用のバイク・インディアンにまたがった力道山のめずらしい写真(p3)もある。 ルー・テーズについてはもちろんのこと、天下のヒール・グレート東郷についてのコメントもある。やっぱり、力道山はグレート東郷に対して、私が以前推理したような評価をしている。 東郷は「プロ・レスリングは度胸の商売だ」という。これにまったく私も同感。度胸一つで東郷は20数年間もマット稼業を続けてきたのだ。しかも第二次世界大戦直後の対日感情の悪い最中に東郷を名乗り(本名ポール・岡村一夫)、アメリカ人の憎悪を買うあばれん坊ぶりをやらかしたんだから、その苦労はひととおりではなかっただろう。レスリングそのものについては批判もあろうが、私もその根性には敬服しなくてはならない。p134
2008.07.18
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<1>よりつづく 「回想するジョン・レノン」 <2>「ビートルズ革命」改題ジョン・レノン 片岡 義男/翻訳 1974/06 草思社 p331 再改題 「レノン・リメンバーズ」2001/08 ----「ヘルプ」と「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のあいだの期間の、ある時期、あなたはドラグとかかわり、ドラグ・ソングをつくるようになったのですね。 ジョン 「ヘルプ」はマリワナでつくったのです。「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のときは、私はピルをやっていました。ピルは、ドラグです。マリワナよりも強い、ドラグです。私は、15歳のころからピルをやっているのです。いや、17歳か19歳のころからです・・・・・ミュージッシャンになって以来です。ハンブルクで一夜に8時間の演奏をおこなうという生活を生きのこるための唯一の手段は、ピルだったのです。ウェイターたちがくれるのです・・・・ピルと酒をくれるのです。アート・スクールでは、私は、まったくだめな酔っ払いでした。「ヘルプ」は、私たちが酒をやめてマリワナにかえたときのものです。そういうふうな、単純なことなのですよ。生きのこっていくためには、私にとってはいつもドラグが必要でした。ほかの人たちもそうでしたけれど、私はいつもほかの人たち以上に、ドラグをやっていたのです。私は、いつも、人よりよけいにピルを飲みましたし、なににせよ、人よりたくさんやっていたのです。人よりもっと気ちがいの度合が強いからでしょう。p122 1970年のアメリカにおける「ローリング・ストーン」誌のインタビューとはいえ、刺激的なレノンの答えが続く。この本が現在まで版を重ねていることもまた驚異的だ。 ジョン ええ。「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」に関しての、どうでもいいような噂があまりに多すぎたので、私は、おかしくてしかたがなかったのです。逆回転でかけるてみるとか逆立ちしてどうとか。今になってもまだ、おなじようなことが言われています。先日、テレビでメル・トーメを見たばかりなのですが、トーメがテレビで言うには「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」は、幻覚剤を普及するためにつくられたもので、「ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」もそうだと言うのです。ところが、どれも、ほんとうは、そんな歌ではありませんでした。p190 ビートルズにおいては、何年の何月頃という確認作業はあまり意味をもたない。どんな曲、どんなレコードをつくっていた頃か、という記録のほうがはるかに正確性をもっている。そして複数でてくる薬物の影響下にあったということを考慮しながら、いずれ一枚一枚、一曲一曲聞きなおしてみるのも一興だ。「Lucy in the Sky with Diamond」の以外とあっさりそエピソードなどはまさに有名な話で、噂としては最初の最初から聞いていたが、レノンはそのことについてはあっさりと否定している。「訳者あとがき」で片岡義男が書いている。 LSDの歌として話題になった「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」は、ジョンの息子ジュリアンが学校で描いてきた一枚の絵が、きっかけになっている。 ジュリアンの描いた絵について、「これはなんだい」とジョンがきいたところ、ジュリアンは、「クラスメートのルーシーだよ。ルーシーがダイアモンドを持って空にいるのだ」とこたえ、その文句がそのままタイトルになり、さらに、曲想のきっかけとなった。p323 この話についてにわかには、個人的な私は肯定したくない。少なくとも小学生の女の子ルーシーがダイアモンドを持って空にいること」それ自体、とっても飛んでいる(笑)。 ジョン ・・・・・ヘロインのことなど、なんの関係もない歌です。「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」は、神に誓って、いや、毛沢頭でもあなたでも誰でもいいのですが、頭文字だけをとるとLSDになるとは、まったく気がつきませんでした--- p195 と、レノンは全面否定しているのが、生来ヘソのまがっている私にとっては、これでもまだ疑いは晴れない。周囲のだれかがその韻を踏ませた可能性もあるし、レノンの無意識がそうさせた可能性も残っている。偶然という神秘の可能性もある。 ドラグでも、箱を開けることができます。LSDには、箱を殴りとばしてばらばらに開けてしまうような力があります。芸術家に接することによって自分の箱が開かれることもあるのですが、その芸術家は、たいていの場合は、二百年ほど昔に死んだ人なのですね。p241 次から次と薬物の名称がでてきて、現代のアーティストなら、これだけ名称のオンパレードを告白したら、一発で闇に葬られる可能性がある。時代がおおらかだったというべきか。いずれにせよ、当ブログの当面の眼目は、レノンのサイケデリック・ロールスロイスにあるのであり、レノンの1967年の4月8日前後の動きをおっかけなくてはならない。 そして、そのペインティングのテーマが「サイケデリック」であり、レノン自らが積極的に認めているように、薬物の影響下にあったとしたら、「ビートルズの遺産」全体に対する光の当て方が、すこし変わってくる可能性もある。
2008.07.18
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『週刊東洋経済』2008年5月24日号 世界同時大転換 自動車革命 クルマもついに変わる!? Vol.2 No.0195 ★★★★★ この雑誌、先日より手元にあるのだが、どのタイミングでアップするか時期を見はかっていた。軽自動車が話題にでたところで、どさくさにまぎれて、ここでメモしておこう。敗戦国日本の戦後の焼け跡のなかから、モノもない、技術もない、ただ情熱だけはある、という環境のなかからでてきた軽自動車。そして、グッと時代は下って、技術は円熟しながらも、エコに配慮し、グローバルなマーケットを意識している現在の軽自動車。21世紀近未来の超小型カーでは、似たようなサイズの車でも、スタート地点とは、まったく意味の違うものになっている。 インドのTATA自動車が発表した28万円のスモール・カーによって、戦後日本の「軽自動車」たちと、比較する楽しみは増えたが、その性能の安全性、環境対策性、情報性などにおいて、一次元違った形のものが要求されている。 当ブログでは、力道山、ジョン・レノン、Oshoのそれぞれのロールス・ロイスを比較検討しながら、さらにさかのぼって、1934ファントム2マハラジャ、そして、最近においては、ビル・ゲイツの「レクサス」などをながめていきたいと思っている。そこに鋭く絡んでくるのが、ハイブリッド・エンジンなどのエコ技術であり、また一方に、よりクルマをポピュラー化するスモールカーの進出がある。
2008.07.18
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「懐かしの軽自動車」中沖満 1998/01 グランプリ出版 単行本 205p Vol.2 No.0194 ★★★★★ 「力道山のロールスロイス」があまりに面白かったので、他の著書もめくってみた。「懐かしの軽自動車」というベタなタイトルなので、「日本の軽自動車」などの類書だろうと思ったが、とんでもない。私は日本の軽自動車なら、大体わかる、という思い込みは一発でブッ飛ばされる。 この本に書いてある日本の軽自動車は、まったく私の知らない世界であった、と言える。後半のごくごく一部については、他の本でも身につけた知識だったが、あとは、まったく未知の世界だった。この本、本当に1998年にでた本であろうか。信じられないほどのレトロ感と資料性を感じる。 「資料さえ満足に残っていない初期の軽自動車を記憶と資料がなくならないうちに、自分なりに書きとめておこうと思い立った」という気持ちに対して、2007年に著者が亡くなってしまったことを考えると、本当にどうもありがとうございました、と感謝したい。「かなりの量になった資料のなかから、軽自動車のぶんを探し出すのはいやになるほどたいへんだった。触れるだけで破れてしまうほど黄色くなった資料の取り扱いは気配りが必要」だったという。 この本を読まずして、日本のものづくり、日本の自動車の歴史、を知っているとは言えない。
2008.07.18
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「回想するジョン・レノン」 「ビートルズ革命」改題ジョン・レノン 片岡 義男/翻訳 1974/06 草思社 p331 再改題 「レノン・リメンバーズ」2001/08Vol.2 No.0193 ★★★★★ この本は当時アメリカ最大のロック誌「ローリング・ストーン」によって1970年の12月初頭に行われたジョン・レノン(とオノ・ヨーコ)へのインタビューが元になっている。日本でも「ビートルズ革命」→「回想するジョン・レノン」→「レノン・リメンバーズ」とタイトルを変更されながら何回も再発行され続けているところを見ると、そうとうに人気のたかい一冊と思われる。 ----アーサー・ヤノフについてちょっとお話しましょう。あなたがサンフランシスコに出て来たとき、あなたは、ヤノフの宣伝をやりたがっていましたね。「プライマルこそ・・・・・!」と、あなたは言いたがっていましたね。 ジョン そういう願望は、このプライマル療法の初期におこってくることなのだと思います。というのは、プライマル療法によると、自分自身について発見するわけですが、その発見が自分にとってあまりにも驚愕すべきことなので、こういう療法はまだ誰も知らないのだろう、これはたしかにかなりのものだ、と思うようになるのです。p28 いきなりプライマル療法がでてきてびっくりした。この時点でレノンはその体験を深めている。私は78年になってようやくこのセラピーを体験したが、ここでレノンが言わんとすることはわかる気がする。 この療法は偉大だと、私はいまでも思っています。でも、マハリシのときみたいに、大げさで派手なことにはしたくありませんね。p28 心理療法から東洋的瞑想法まで、ビートルズは幅広く時代の体験をしていた。その中にあっても、60年代のドラッグ・カルチャーの洗礼も必須なトンネルであった。 -----LSDとは、どのようにして、かかわりあったのですか。 ジョン ロンドンの歯科医が、自分の家で開いたパーティの席上、私たちには内緒で、ジョージと私、それに、彼と彼の妻に、飲ませてしまったのです。その歯科医はジョージの友人で、当時は私たちも歯を診てもらっていました。コーヒーかなにかに、LSDを入れたのです。 p107 このインタビューは必ずしも年代順に記述されていないので、時間と空間が確定できないが、今は、そのままアバウトなまま、時代の流れだけを追っかけておく。すくなくとも70年の12月以前のことだ。つまり、このインタビューの直前、日本では、三島由紀夫が自決している。 ----LSDは、どのくらいつづきましたか。 ジョン なん年も、つづきました。私は1,000回ほどはトリップしたでしょうね。 ----文字どおりの1,000回ですか、それとも100回とか200回のことですか。 ジョン 非常になん度も、という意味です。いつもLSDを食べるように飲んでいたことがありますから。 ----LSDの影響下につくったのは、どのアルバムですか。 ジョン わかりません。スタジオでは飲んだことありませんから。実際には、一度だけ飲みました。単なる興奮剤を飲むつもりだったのですが、きちんとうまく区別をつけられるような状態ではなかった。p113 力道山も、いつの時代に、どのような形においてかについての証言は見つけていないが、試合前には、興奮剤のようなものを服用していたことを複数の側近が証言している。興奮剤が効きすぎて、夜眠れなくなり、睡眠薬を服用し、翌日試合の前には興奮剤、という生活を繰り返した時期があるようだ。 ----そのようなことが、相対的に言って、あなたの音楽に対してどのような影響をあたえたと思いますか。 ジョン つまり、またひとつの鏡ができたのにすぎなかったのです。決して・・・奇跡ではありませんでした。もっと視覚的なことでもあり、さらには、ひとつの療法でもあったのです。「自分自身に目をむける」というようなことですね。このようなことすべてをLSDは、おこなってくれました。あまりよく記憶していないのです。たとえば、音楽を聞いた場合でも、その音楽だけを記憶しているわけではありませんし、LSDが私の音楽をつくってくれたわけでもありません。この意味では、ヤノフやマハリシも、おなじことです。私自身が、自分の置かれている状況のなかで音楽をつくるのです。その状況がLSDにせよ、だたの水にせよ、その状況のなかで私が音楽をつくるのです。p117 ネット情報によれば、1967年4月8日、「ジョン、自動車会社J.P.ファロンを訪れ、ロールス・ロイスをサイケデリック調に塗りかえられるかどうか尋ねる。可能と聞いたジョンは、数日後に自分のロールス・ロイスを工場に運ばせ」たという。 それは、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の制作途上のことであり、映画「YELLOW SUBMARINE」の前のことである。 <2>につづく
2008.07.17
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