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「マンダラの理論と実践」ジュゼッペ・トゥッチ /ロルフ・W・ギーベル 1984/11 平河出版社 単行本 237p 原書1949Vol.2 No.359 ★★★★☆ ジュゼッペ・トゥッチは1894年から1984年までの生涯のなかで、イタリアに生まれながら、東洋の精神性、特に中国、インド、ネパール、チベットへの学術つ調査を重ねて、東洋文化の精力的な紹介をした人である。その先駆的な仕事は注目に値する。本書はイタリア語で書かれ、後に英語にも翻訳された。 ロルフ・W・ギーベル は1954年ニュージーランド生まれ、1972年に来日して、インド思想史を専攻、この本を1984年に翻訳出版した。 その道ならぬものが、マンダラや無上ヨガタントラなどの「秘密」に属する部分について、どれほどの距離間で、どのような態度で接していけばよいのか、計りかねるところもあるが、時代も変わり、ネットワークも徐々に整備さえてきている今、あまり臆病になってしまうこともよくないだろう。一般的文献として流通・紹介されている限り、自らの足元を確かめながら、一歩づつ森の奥へとはいりこんでいくことも、また必要になるだろう。 マンダラについては、単体でその理論と実践を学ぼうという気持ちはあまりない。「マンダラ事典」のように、いきなりマンダラだけを目の前に出されると、その真意を測りかね、むしろ距離間をおいてしまうのが、通常の反応であろう。当ブログとしては、北京オリンピック聖火リレー → チベット問題 → チベット密教 → ツォンカパ → マンダラ という経緯をたどって、この本をめくるところまで辿りついた。他の経典のさわりをめくりながら、その理解を助ける意味でも、マンダラの存在を知り、その用いられている色や形のシンボリズムのおおまかな流れを類推できれば、それで上等だと思っている。 マンダラとは本質的な図式に還元された世界の幾何学的な投影ともいえよう。しかし、マンダラは早くから暗黙理に、より深い意義を帯びていた。というのも、神秘家がマンダラの中心と同化することによって、彼の変身が実証され、かくして初期の目標を成就させるための第一条件が満たされるからである。p47 胎蔵マンダラの中心に座すのは、大日如来とされている。当ブログでは、現在のところ、その大日如来と、アガータ多火手の同化を試みている最中である。ところが金剛界マンダラにおいては、その中心にあるのは阿閃(あしゅく)如来とされている。「あしゅく」の「しゅく」は、門構えの中に「人」を三つ書くのが正解だが、楽天ブログにおいては、その文字コードは書きこむことができない。今後、たびたび登場されることであろう、この如来様には大変失礼なことではるが、誤記と知りつつ、この「閃」という文字をもって「しゅく」と読ませていただく。 神々の輪をマンダラの形で表現することは、恣意的な構造から生まれたのではなく、適切な範図(パラダイム)によって個人的な直観を映し出しているのである。すなわち、生来的ともいえる能力によって、人間の心は意識の本源的な光輝とそえを隠す諸力との永遠なる対立を視覚的に表現する。この過程により、自覚が得られるのである。 たとえば、「チベットの死者の書」のなかで言及される聖なる蓮華、あるいはヨーガに関する書物に記された、召請されて心中の神秘的な花の上で活動する神々---これらの記述を見るとき、それは諸宗派によって図像学的に大成されたマンダラ体系の単なる反映ではない。つまり、神々の聖衆のこのような配置は、秘儀を尊ぶ宗派によって入念に闡明されたマンダラの理論によるものではなく、むしろその逆だったのである。p61 密教やマンダラを紐といていくごとに登場してくるおびただしい数の神々のお名前とその意味を、今のところは覚えきれないし、わかろうとする気持ちがあまりない。自分の中の内在する何事かの要素と、外側にある図像としてのマンダラなり神々が交合することがあれば、その時からすこしづつ学ばせて頂こうと思う。 マンダラの内部は五つの部分に仕切られ、中心となる尊像または標識のまわりに四つの尊像または標識が四方に配置される。しかし、この区分を、宇宙図としてのその原始的な意味に解さないように注意しなければならない。この場合、尊像や標識の五分法は、中心---四方を条件づけ、それによって自らのまわりに時空の継起を展開させる---と、中心をめぐる四方位を表わすだけではなく、心理的な意味も帯びている。マンダラは実に「全体」ではあるが、それは「自我」のうちに反映された全体なのである。p86 当ブログでも、厳密な意味でのマンダラではないが、内在する世界観の反映ととして、「曼荼羅2007」なるものを掲げておいた。よくよく見ればやや胎蔵マンダラのほうへ傾いているかなと思うが、実は、もうひとつ事務所に貼り付けておいた「マンダラ」もある。そちらのほうは、どちらかというと金剛界マンダラのほうへ歩み出しているかな、と思う。 「マンダラは現代社会に寄与できるか?」正木晃「マンダラとは何か」p9、という問いはまさにわが問いでもあるので、まずは、マンダラとは私にとって何か、からスタートしようと思っている。これらの我が両部マンダラについては、後日、すこしづつ検討してみようと思っている。 本書において阿閃は「知と絶対存在の合致、一者と同一なる、根源的意識」p94などと記されている。金剛界へ、そして、仏教の最終形態であるタントラ・ワールドは、このクリスタライゼーションを抜きには完成はしないのである。 まず最初になすべきことは、執行者の浄化である。精神的にも肉体的にも清浄でなければ、儀式にとりかかることは許されない。そのため、通常、断食や沐浴による潔斎が定められている。p142 いたづらな必要以上な苦行は逆効果を生む可能性はあるが、一定程度の心構えや準備が必要なことは当然のことである。 肉体の内に形なき存在が隠れ宿る。それを知る者は解放される。サラハ「ドーハー」p179 サラハの名前がここででてきてホッとした。当ブログのタントラは、おのずとサラハへと連なる流れとなるはずなのである。
2008.10.31
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「ブータン中世史」ドゥク派政権の成立と変遷今枝由郎 2003/02 大東出版社 単行本 336p Vol.2 No.358 ★★★★★ この本、「チベット<歴史>深読みリスト」にリストアップされていながら、地域の公立図書館にも、いくつかの大学の図書館にもはいっていなかった本である。かなりの専門書に属する一冊なので、ほぼ諦めかけていたのだが、思わぬ時にひょっこりと登場してくれた。いつもながら、お世話になっている図書館のご尽力には心から感謝いたします。 そして、どこからやってきてくれたのか見てみると、意外や意外、県境を超えた地域の公立図書館からであった。かならずしも、現代日本文化の中心地に属する地域ではないが、最近では、子供たちの学力がほぼ国内トップにランクされている地域であり、教育先進県とさえ呼ばれている。 その地域に思いを馳せたとき、ふと、ブータンがおかれている、地球全体からみた位置を考えてしまった。けっして覇権的な意味合いにおいては求心力はもっていないが、突出している独自の先進性という意味では、この二つの地域とその文化は、どこか通じるものがある。日本のチベット、と呼ばれる地域もあるが、私は、敬意をこめて、その地域を、日本のブータン、とさえ呼びたい。 さて、この本、もともとは著者・今枝由郎がフランスに留学中に博士論文として1987年にフランス語で書かれたものであり、2002年になって著者本人によって、日本語に訳出されたものである。著者には「ブータン仏教から見た日本仏教 」や「ブータンに魅せられて」などの好著がある。ほかに「ブータン---変貌するヒマラヤの仏教王国---」、「ブータンのツェチュ祭り---神々との交感---」、「ブータン・風の祈り」「ブータンの民話と伝説」などの著訳書がある。 地球上におけるスピリチュアリティのインテグラルに関心が集まる今、西洋からみた東洋という意味ばかりではなく、西洋化してしまった東洋からみた、東洋精神史の再評価・再認識という波の中にあって、仏教とくにその進化の最終段階と目されるチベット密教に対する注目度は高まる一方だ。しかし、中国共産党によるチベット破壊以来、トラウマと伴わない形でその高度なスピリチュアリティを味わうことが、大変難しいことになってしまっている。 しかし、チベットよりさらに秘境と言われて、多くを世界に知られることがなかたブータンには、破壊される前の密教文化が、その幸福度の高い民衆とともに保存されている可能性がある。6~70万の国民しかいない小国ではあるが、そこから学ばれるべきことは多い。 20世紀初頭から、この広大な地域の諸地方はチベット本土も含めて政治的、経済的、社会的に非常な変革を余儀なくされた。その中で現時点ではブータンが、この千年以上続いた文明の唯一無傷の代表者といえるであろう。こうした状況の中で、チベット研究にとってのブータンの重要性は計り知れないものがある。しかし逆に、チベットの観点だけからブータンを見ることは、一面しか見ないことになる。実際数世紀にわたって、ことにドゥク派政権成立以後、ブータンは色々な分野で独自性を発達させ、これはチベット学にはまだ知られていないが、それ自身のものとして研究されるべきだし、研究されるに値する。あまりにもチベット中心的なアプローチはブータンの独自性を見えなくしてしまう。p22 ブータンの研究資料は限られている。現在のところ日本語文献は著者関連によるものが唯一と言っていい。副題「ドゥク派政権の成立と変遷」のとおり、本書においては、ブータン国家の中世から現代までに至る過程において、その精神性、とくにチベット密教がどのように関わっているか詳細が記録されていて、貴重な研究資料といえる。 フランス流のチベット歴史文献学といった場合、私にとって一番重要なことは、証明である。”誰でもどんな命題でも提唱することができる。しかし重要なのは、それを如何に論証するかである”というのが、金貨玉条のように教えらえたことである。一見、当たり前で、なんら取り立てて言うべきことでもないように見えるが、けっしてそうではない。近くは日本の現状を見てみると、命題はりっぱでも、その論証となると、論理に飛躍があったり、自家撞着を含んだりといったことが往々にして見られる。これは論証よりも、命題を重んじるところから由来するのであろうが、論証できない命題は、いかに魅力的であっても何の価値もない。少なくとも歴史文献学の立場からはそうである。p335 歴史文献学ならぬ当ブログにおいて、しかも学問的領域からは遠く隔たった下界にあそぶブログ子にあっても、耳の痛いお言葉である。当ブログはすでにエピローグに向って、ひとつの輪を閉じ始めている。「OSHO@Earth.Spirit 0.3」、「インテグラル」、「アガータ多火手」 、の三つのカテゴリを残しながら、いまだ、論証どころか、その命題でさえ明確になっていない段階だが、「21th カテゴリ」に進むあたりでは、せめて命題のひとつだけでも提唱してみたい。
2008.10.31
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「曼荼羅イコノロジー」田中公明 1987/08 平河出版社 単行本 315p Vol.2 No.357 ★★★★☆ 田中公明の著書は、当ブログにおいてだんだん多くなってきたが、この本は、1987年発行だから、55年生まれの著者32歳の時の作品ということになり、かなり初期的な本ということになるだろう。87年という時代を背景にしながら、なかなか初々しい雰囲気がある。 この本平河出版からでているが、親元・阿含宗も、そういえば、桐山密教、という歌い込みだった。先日からちょっと気になっているのだが、この桐山密教というやつは、はて、日本やチベットの密教と比較した場合、どのような位置づけになるのだろう。いままで密教というものにまったく関心を持ってこなかったので、よくわからないが、日本の20世紀後半のスピリチュアリティを考える場合、いつかは桐山密教を再点検する必要がでてくるだろう。 さて、この本においても、そもそもの仏教について、そしてインド、チベット、中国、日本へと伝わることによっての変質、さらには、上座部仏教、大乗仏教、顕教、密教、についてのひととおりの解説が展開される。そして、マンダラやタントラについての、俯瞰的な解説が続くのだが、もともとの「土台」ができていないせいか、どこかで読んだことがあるはずだ、という文脈がどんどん流れていくが、こちらの頭の中にはなかなか残ってくれない。なにがどう大事なのか、という理解よりも、直観的に、自分にとって気になる部分をあらためて確認する、という読み方にならざるを得なかった。 「チベット<歴史>深読みリスト」を中心に何十冊かめくってきたが、ことチベット密教理解には、絶対的にこのマンダラ理解が必要だ、ということを痛感した。「マンダラ深読みリスト」を合わせて同時に読まないと、チベット密教はわからない。とくに、日本密教の大勢を占める大日経を中心とした胎蔵マンダラではなく、チベット密教に残る阿しゅく如来を中心に据えた金剛界マンダラや、秘密集会タントラを理解するには、具体的にマンダラを常に想念しながら理解していかないと、なにごとが進行しているのか、まったくわからなくなる。 なにはともあれ、田中公明という人の登場、そしてマンダラの新しい視点からの理解、という意味で、この本は記念碑的な一冊と言ってもいいのかもしれない。
2008.10.29
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「曼荼羅グラフィクス」<1>田中公明 2007/04 山川出版社 単行本 135p Vol.2 No.356 ★★★★☆ なるほど~、と言われて初めて気がつくことがある。マンダラにはたくさんのマンダラのパターンがあるのだが、それぞれに法則があって、形や色や位置にそれぞれの意味がこめられている。この本は、その個別のマンダラの一つ一つをつなぎとめている、マンダラのマンダラというべきか。特にこの本は「ミトラヨーギンの108曼荼羅」とされるものをベースにして、コンピュータ・グラフィクスを用いた曼荼羅の図像データベース」を作成したということなのである。 つまり、マンダラ・パターンはたくさんあり、とくに姿を消してしまったインドのマンダラを推定するのにも、数少ない貴重な資料から、類推していくという作業をしなければならない。それに、いくらコンピュータ・グラフィクス(CG)とは言うものの、ソフトの状態やCPUの性能、あるいはプリントアウトした状態のこと、あるいは将来的にコンピュータ性能がアップした時のことを考えて作業を進める必要があり、大変な苦労があったようだ。 すくなくとも、このようにして、ごくごくシンプルな一冊の手身近な本として、マンダラ・ワールドを一望できることは、なんとも素晴らしい。これほど多くのパターンがあるのか、と驚くとともに、割とシンプルに同じ基礎となる原理を繰り返しているのだ、という発見もある。しかし、ここに登場している108(あるいは110)のマンダラのパターンは、世に言われるマンダラのすべてを網羅していうものでもなさそうだ。インドや日本、チベット、ネパール、中国に拡散したマンダラ・パターンには数限りないものあるはずだ。 さて、これらの曼荼羅グラフィクスは、なにに、どう使われるのだろう。マンダラ美術の原理としての教則本にもなりうるだろうし、散逸してしまったマンダラ美術の再発見や意味付けにも使われるかもしれない。あるいは新しいパターンの発見にも役立つことだろう。しかし、もともとマンダラが瞑想の対象とされるものという原則に従えば、これらのマンダラは、必ずしもベストのチョイスとは言い難いと私は思う。 「マンダラとは何か?」という定義は一様に定めることはできないだろうが、マンダラが信仰の対象であったり、そのマンダラをみている「人」がいる、という意味合いにおいて、このようにグラフィクスで幾何学的にパターンを作ったからと言って、それらのCGがすぐに信仰の対象になったり、それを見た「人」が悟りを得たりするものではないだろう。 正木晃はマンダラ塗り絵なるものを長年発展させてきたようだが、もともと、色や形は自由に選択されてこそ、その存在価値を高めるのであり、いわゆるその役割の効果を強めるはずなのだ。あまりに、色や形をぎちぎちに定義づけしてしまうことには、なにか不自由さもともなってくると思われる。 ただ、現在、日本におけるマンダラについての第一人者といわれる田中公明の、他の研究と合わせながら、この曼荼羅グラフィクスを眺めることは、極めて興味深い。著者が主任学芸員をつとめた富山県利賀村のテーマパーク「瞑想の郷」において、これらすべての作品を見ることができるらしい。以前よりとても気になっている施設だが、機会があったら、ぜひとも足を伸ばしてみたい。<2>につづく
2008.10.29
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「14人のダライ・ラマ(上)」 「(下)」 その生涯と思想グレン・H.ムリン /田崎國彦 2006/10 春秋社 全集・双書 604p + 565pVol.2 No.354 355 ★★★★★ 地域の図書館は全滅で、他の大学にもなくて、研究室に1セットだけあることは分かっていたが、門外不出。ほぼ諦めて、リクエストしたことも忘れていたころに、なんと隣県の公立図書館から転送されてきた。わぁ、うれしい(ハート)。さっそくテーマ「あい・らぶ・図書館♪♪♪」 に投稿。って、まだ読んでないw。 上下巻合わせて1100ページを悠にこえる大冊。これで、「チベット<歴史>深読みリスト」の未読本がひとつ減って、残り三冊。って、この本たちと一緒にいままで未読だった「ブータン中世史」もやってきたのであった。こうなったら、とことん、完読を目指そう! オーム・マ ニ・ペーメ・フーム 十一面観音と六字真言。観音菩薩は「一切衆生を救う」という阿弥陀仏の誓願を果たすために衆生世界で活躍するところから、しばしば頭頂に阿弥陀仏(一番上の顔)を戴く。また救済する衆生に合わせて多様な姿を現すところから、上の忿怒の顔、笑顔、寂静の顔、そして柔和な顔が描かれる。口絵説明オーム・マ ニ・ペーメ・フーム<2>につづく
2008.10.29
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「マンダラという世界」講談社選書メチエ立川武蔵 2006/04 講談社 全集・双書 212p Vol.2 No.353 ★★★★☆ 必ずしもチベット密教におけるマンダラについてに限定した話ではないが、チベット仏教に詳しい立川武蔵教授が、講談社メチエの場を借りて、「ブッディスト・セオロジー」のシリーズを展開しており、この本はその第二巻。「聖なるもの 俗なるもの」、「仏とは何か」、「空の実践」などがシリーズに加えられている。 驚いたことに、この本において、ハイディガーに続いてスピノザについて述べられていること。当ブログにおいては、ようやく「スピノザ」カテゴリが108に達したところだったが、このタイミングで、またスピノザについて考えた。 スピノザの自然と神との関係と、仏教の密教的世界観を対比させますと、密教の世界観の特質がより一層はっきりします。密教とは何かおいうことは、第一巻において簡単に述べました。スピノザの体系にあっては「自然が神である」という側面と「神が自然である」という側面とは厳密に区別できません。スピノザの体系は、神を自然の中での内在因として規定するゆえに、汎神論的な世界観に近いものでした。世界(自然)と神(聖なるもの)とが一体であることは、仏教の密教的世界観と共通する特質であるといえましょう。しかし、スピノザが「自然は神と同じく必然的に存在しかつ完全なものである」というとき、彼は実在する完全なものを認めない仏教的な世界観から遠く離れていきます。p81 スピノザについては当ブログにおいて未消化であり、手ごわい世界のひとつでになってしまったが、何事か魅惑的であることに変わりはない。かの中沢新一も「チベットのモーツァルト」でスピノザについて触れていた。 密教にあってはたしかに「神」と呼ぶことが妥当である存在が登場します。たとえば、大日如来は冠をいただき、胸飾りを付け、天衣を着た姿で図像化される一方で、この世界が大日如来の姿そのものに譬えられています。密教の行者にとって大日如来は単なる幻影ではありません。大日は、行者(実践者)にとって帰依の対象となる人格神です。したがって、さまざまな種類の宗教を視野に入れて論を進める時、大日を広義の「神」と呼ぶことは許されると思います。英語でも、密教に登場する大日や阿弥陀をdeity(神)と表現するのは一般的です。だからといって、大日をはじめすべての仏や菩薩が恒常的な実体であるというわけではありません。世界もそして仏も菩薩も「空なるもの」であり、「縁起せるもの」である、というのが仏教の大前提です。つまり仏教では「空なる神」が考えられているのです。p83 ここにおける著者の解説は、密教といっても日本的理解のなかで展開されているようだが、いずれにせよ、当ブログにおいては、これから大日如来との出会いを求めようとしているところである。アガータ多火手とのシンクロが始まっている。 「大日経」に少し遅れて、7世紀の末期に「金剛頂経」が成立します。この経典に述べられた金剛界マンダラは、「大日経」に述べられた胎蔵マンダラとはかなり異なります。「金剛頂経」は、地面に書くマンダラではなく、心の中に瞑想するマンダラを主として述べています。後世、「金剛頂経」は「ヨーガ・タントラ」と呼ばれる密教経典(タントラ)のグループに属すると考えられていますが、この経典ではヨーガの行法(瞑想法)を中心としたマンダラ儀礼が述べられています。p189 マンダラには「悟りを得た仏」と「仏が住む世界」との二つの要素が必ず表されている(p205)とのことである。この本、やや広口で、あちこちへと意識が拡散してしまい、注意力が低下してしまいそうなところもあるが、各カテゴリへのネトワーキングという意味では、当ブログにとって、大変よいマンダラのひとつになってくれている。
2008.10.28
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「バルド瞑想」「チベット死者の書」に基づく瞑想 <1>■瞑 想 実 践 C D●再誕生への道案内 180分・CD4枚組構成 ◆制作・ヴィートマン(Osho school for life and death processes) ◆音楽・チンマヤ 市民出版社 Vol.2 No.352 ★★★★☆【構成内容】 ■ Part 1 原初の澄み渡る光の出現 第二の澄み渡る光の出現 ■ Part 2 心の本来の姿の出現 バルドの1日目から49日目 ■ Part 3 再生へ向かうバルド 再生のプロセス、子宮の選び方 先日書店に行ってこのCDを発見して、へぇ~って思った。どういう経緯でこのCDができたのか知りたくなった。すくなくともOshoの生前にはなかったように思うがどうだろう。SANNYAS NEWSのページには「OSHO BARDO」の文字が。クリックし続けると、またまた次なる世界へと連なっているようだ。 <2>につづく
2008.10.28
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「図説 曼荼羅大全」チベット仏教の神秘マルティン・ブラウエン /森雅秀 2002/09 東洋書林 単行本 279p、 原書1972Vol.2 No.351 ★★★★☆ カーラチャクラやシャンバラについての記述が多く、いままでめくってきたチベット文献の中でも飛びぬけている。曼荼羅がカーラチャクラやシャンバラと関連が深い、というより、この本がチューリッヒ大学で学んだ西洋人の手による本であることから、ついついそのような編集の形になったのではないだろうか。いずれにしても、カーラチャクラやシャンバラに関心の深い当ブログにはありがたい一冊。 カーラチャクラの体系は、インドからチベットにもたらされたタントラの体系のなかでも、最終的かつもっとも複雑なものである。近年、さまざまなラマたちが、大勢の人びとにカーラチャクラの潅頂を与えたことから、多くの西洋人がカーラチャクラの伝統を知るようになった。私自身もインドや西洋の国々で何度か行ったことがある。さらに、カーラチャクラの体系の諸相に関しては、多くの信頼すべき書物が、さまざまな言語で手に入るようになった。本書はそれに連なる歓迎すげき成果である。「序文」ダライ・ラマ14世 1991/11 p2 ダライ・ラマはそう言っているけれど、カーラチャクラ関連の書物はなかなか見つかららない。いまのところは、せいぜい「チベット密教の本」や「ダライ・ラマの密教入門」に関連の体系を見つけている程度だ。これは、「増補チベット密教」や「裸形のチベット」などにおいて主なるテーゼとなっているツォンカパが、双入タントラであるカーラチャクラ・タントラをほとんど評価していないことに関係あるかもしれない。 ラサの中心的な寺院であるチョカン寺は、伝説では丸い池の上に建てられたといわれるが、これも宇宙のシンボルであるマンダラ的な構造をそのなかに含み、丸い池を四角い壁で囲んでいる。伝説によれば、王は丸い池の中心にストゥーパを建てようと思った。大臣たちに「オーム、マニパドメー、フーン」というマントラをとなえながら湖の中に石を投げさせた。するとそこに石でできた四角いストゥーパが奇跡のように現われた。燃えたり水で腐ったりしないように、龍の精たちがあらかじめ泥を回りに塗った木の枠組みが、その上に置かれた。木の枠の上には板が敷かれ、隙間は溶かした青銅で埋められた。こうして、湖は姿を消し、ラサの中心的寺院の基礎ができあがったのである。しかし、チョカン寺は何度も拡張されたため、現在の建物の状況はその基本的な考え方を示してはいない。p77 この本を読んでいると、曼荼羅の仕組みがすこしづつ解明されてくる。しかし、本当に大事なことはその曼荼羅を美術的な価値の高いものとして高めるのではなく、その曼荼羅を道具として使いきることが大切であることを強調する。 ひとたび仏性が獲得されれば、尊格を描いたものや、儀礼の道具、マンダラそのものような手助けとなるものは、もはや必要ではない。それらは壊される。カーラチャクラ・マンダラの場合、彩色に用いられた色の粉はていねいに拭い去られ、川へと流される。そこで色の粉はマンダラの最終的な形をとる。水のなかに流された粉は同心円を描くが、すぐに無数の水流のなかへと消え去ってしまう。p208オーム、マニパドメー、フーン
2008.10.27
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「プラネット・グーグル」 <1>ランダル・E.ストロス /吉田晋治 2008/09 日本放送出版協会 単行本 272p 日米同時刊行Vol.2 No.350 ★★★★☆ 最近はチベット密教がマイブームになってしまったために、ネット関連本が手薄になってしまった。面白そう(?)な本には出合うのだが、実際はあまり面白く感じない。特に、最近は期待(笑)のセカンドライフがもろに失速している感じで、勢いネット関連から目をそむけ、ひたすらチベット密教に突っ込んでいる。 この本もグーグル関連だが、あまり燃えない。あんまり目新しいことがない。この夏には、例のストリートビューが登場して確かに驚いたが、だがしかし、それはそれで、一時のビックリ以上なことはない。友達のマンションを見たり、知りあいの就職先の建物を見たり、事故現場を見たり、たまには皇居の周りを一周したりするが、それも最初は目新しいが、ひととおり遊んでしまえば、あとは当たり前のインフラとして、必要な時に使えればそれでいい、という納得だけが残るだけだ。 世界中の情報を整理する、というコンセプトのグーグルが、ごくごく当たり前のインフラになって、しかも、世界中の書籍をデジタル化する、というスローガンを打ち立てたとしても、ひとりのユーザーとしては、それはそれで当然のことだろうな、と思ってしまう。だが、実際の現場にいて、かなりビビッドな影響を受けることになる人々も多い。例えばジャン・ノエル・ジャンヌネーの「Googleとの闘い」などを読むにつけても、限りない問題が連綿と続いていることに気づかされる。 当ブログは、もちろんインターネットがなければできなかったわけで、検索エンジンやブログという機能がなければ、やることも出来なければ、発想も生まれなかった。しかし、もうひとつ大事なことは、この数年、各図書館の検索機能がやたらと一歩も二歩も前進してしまったことが、大きな理由になっている。 かつては、あまり本も読む時間もなかったせいがあるが、本は書店で買って読むモノという認識が強い時代があって、気にいった本は特に所有しないことには、知識が自分のものになった気がしなかった。ところが、最近は、ほとんどの図書館の蔵書が自分のパソコンで検索できて、しかも最寄の図書館まで取り寄せてくれるようになった。自分の手元にどれだけの時間でやってくるかもおおよそわかるようになった。 今私が利用している図書館は、公立、私立、合わせて数十に至っている。大学図書館も3つほど利用している。実際に足を運ぶ図書館だけでもその数であって、ネットワークという意味では、それこそ無数の図書館を利用することができるようになっている。ほとんどの本が読めるようになってはいるが、しかし、専門書などの類はやはり、ないものもあり、あっても研究室から持ち出し禁止というものもまだまだある。 もしグーグルが、「世界中の書籍をデジタル化」するとしても、図書館で借りて読むことができる本は、できれば本として読みたいと思う。そのほうが目にやさしいし、スタイルにこだわることがすくない。電車のなかでも、風呂のなかでも、寝っ転がって公園でも読める。それに資料性も高い。何本の何ページ、ということをメモさえしておけば、あと再読するときも楽だ。狭い部屋にうづ高く本を山積みにしなくてもいい。 こういう時代だからこそ、スピリチュアリティがどういう風に変化していくのかに関心を持つ。チベット人のチベット人によるチベット人のための「チベット密教」というものは、どれほど解明が進んだとしても、地球人の地球人による地球人のためのスピリチュアリティには成りえない。今、地域や人種や性別やカーストを超えたインテグラル現象が起きている。その推進の現象はまさにネットに現出しているわけだが、これらが加速すればするほど、新しい時代の新しいスピリチュアリティが求められるということも確かなことだ。 以前は、パソコンやネット環境も、マイコンキットとか、手作りソフト、あるいはリナックスへの参加や、自作パソコンなど、どこかに、ドシロートでも、積極的に関わりを持てるような期待があったのだが、いまや、ネット環境はかなり巨大化してしまった。すべてがエンターテイメント化してしまい、個人が創造的に参加できる範囲はむしろ狭まってきているのではないだろうか。 グーグルなどについて考えることも面白いのだが、上のような理由から、最近はなんとなくネット環境情報から疎遠になり、ひたすら密教やマンダラに関心が向きやすくなっている。世界中の情報が整理されることによるメリットはいろいろと限りなく大きいだろう。例えば、文献によって統一されていない名称や表現、たとえば、カギュ派なのか、カギュー派なのか、カーギュッパなのか、あるいはアティシャなのか、アティーシャなのか、アティッシャなのか、などなど、お互いの交流があればこそ次第に同一化されていく価値観も増えていくことだろう。 とにかく、なにかが確実に進みつつあることは、まちがいない。<2>につづく
2008.10.27
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「ブログ論壇の誕生」 <1>佐々木俊尚 2008/09 文藝春秋 新書 254p Vol.2 No.349 ★★☆☆☆ 先日、NHKの「クローズアップ現代」の「クラウド・コンピューティング」がテーマの日に、この本の著者がゲストとして登場していた。クラウド・コンピューティングにも面白いものを感じなかったが、ゲストにも、いまいち新鮮なものを感じなかった。著者の繰り出す新書は「ウェブ国産力」や「次世代ウェブ」など、割と身軽に手を伸ばして覗いてきたが、今回も、なんだかいまいちパッとしないなぁ、という印象。 本書は文藝春秋の月刊誌「諸君!」に連載している「ネット論壇時評」の2007年8月号から08年9月号までの原稿を元にして、全面的に改稿したものである。「あとがき」p241 つまり常に二番煎じなのであり、一度リアクションを確かめてしまった記事をアップしているので、それだけ新鮮味がなくなってしまうということは仕方無い。それに彼はプロのライターだ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という、浮草ブロガーの、本当の立場は味わえないことであろう。「ブログ論壇の誕生」というポジティブな表現でありながら、どうも、本当の意味でのブログについては、この人は書けないと思う。 「最近ブログつまらなくないですか?」p218という問いかけがあったとしたら、私はまず、この問いかけ自体が面白くない、と感じる。もしこういう問いかけがあるとすれば、それは積極的にブログを書いている立場の人間ではなく、読む、あるいは利用しようとしている立場の人間の着想であろうと思われる。で、結局、新しい機能として盛んに宣伝されたブログも、その旬な時代は終わり、変質し、歪化されたものだけが残りかけているのだろうか。 著者も否定しているように、それは違うだろう。しかし、キチンと自らのものとして表現手段し得るいるブロガーたちは、確実に増えているのは間違いない。だけど、それは、なんでもそうだろうが、積極的にブログを書こうとしている立場の人間に限る。 「ブログ論壇は政治を動かす チベット問題で激突するウヨとサヨ」p57などは、なにをどう狙った文章なのか、私には測りかねる。こういう問題意識は割と受け入れることはできるし、当ブログでも「チベット問題」には触れてきたが、「激突」の中には、入り込まないようにしている。 私は毎日、300前後のブログやニュースサイトを閲覧し、1日のうちにおおむね1000から1500の記事やエントリーを読んでいる。もちろんすべての本文を読むのは時間的に不可能なので、見出しを一覧表にして眺め、読む必要があると思ったものにはチェックを付けていき、後からその本文を順に読んでいくという方法を採用している。p242 なんとなく、Pu ! と吹き出しそうになった。まぁ、お仕事柄ご苦労さまでございます。毎日毎日ロードサイドに立ちん坊して、通り過ぎるクルマの隊列をながめつづけ、気に入ったクルマのカタログを取り寄せて丹念に読んだからと言って、一台の車でドライブした爽快感は味わえないし、一台の車さえ所有したことにもならない。むしろ、たった一台の車であっても、さっさとその場を立ち去って、郊外にでも飛びだすことが先なのではないか。とかく評論家というものは不思議な立場なものだ。<2>につづく
2008.10.27
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「悟りへの階梯」チベット仏教の原典『菩提道次第論』ツォンカパ /ツルティム・ケサン 2005/06 UNIO /星雲社 単行本 415p Vol.2 No.348 ★★★☆☆ 「菩提道次第論」は、チベット仏教を代表する尊者ツォンカパの主著であり、晩年の著作として師の最終的な考えです。また、それが基本的ににはインドから師資相承されてきた教えであると考えるなら、インド大乗仏教の最終的な考えですし、チベット仏教の諸宗派においてこの教えを受けておらず、根本としていない者はありません。邦題は、その題名をほぼ直訳した「悟りへの階梯」としました。あとがき414p ツォッカパの最終的な最高な境涯を示したばかりではなく、チベット密教、チベット仏教の最高峰、あるいはゴータマ・ブッダ以来の仏教の完全な完成形、というほどの持ち上げ方である。これだけの名著を、良く理解できないばかりか、これはちょっと違うんじゃないか、などと首をかしげている私のような者は、自らの愚鈍さを天下に示しているだけで、ひたすら恥ずかしいの一語に尽きる。 とにかく、一回目を通しただけではよくわからず、また、今後だって、また読んでみようか、などと再チャレンジする意欲が湧いてくるかどうかさえ自信はない。しかし、松本史朗 「チベット仏教哲学」などに目を通してみると、それぞれ立場はあれど、必ずしもツォンカパ聖哲人は、完全無欠で、批判の余地はない、などというものでもなさそうだ。当ブログとしては、まったく無邪気な取り組みではあるが、まずはツォンカパについては、批判的に取り組もうと思う。つまり、教えを乞うという立場からではなかなか情熱は湧いてこないが、それを乗り越えていかなくてはならない、という意味で、ツォンカパをしっかり学んでおかなくてはならない、という立場からスタートしようと思う。 「道次第大論」の典拠は、上記のとおりアティーシャこと、ディーパムカラ・シュリージュニャーナの「菩提道灯論」である。アティーシャの略伝は本論冒頭の記述からも知ることができるが、「道灯論」はわずか三頁ほどの小著である。「同論」は「道灯論難語釈」によると、尊師ボーディバドラの甘露のような口訣をアティーシャが承けていたのを、西チベット、ガリの王チャンチュプオと比丘ツルティム・ギャルワの二人がたびたび祈願したのにちなんで、師の口伝と経典などに基づいて著作された。 「序説」p9 アティシャの「菩提道灯論」は、おなじツルティム・ケサン訳の「解脱の宝飾」のなかに添付されていたので、今後必要になるとすれば、短文なので、全文こちらに引用させてもらうことも可能であろう。いずれにせよ、おなじアティシャの解説でも、Oshoの「アティシャのハート瞑想」などと並べてながめてみる時、チベット密教(仏教)経典の哲学的研究者ならぬ、現代人としての一瞑想者でしかない読者としては、そのあまりの違いに亜然とする。 ツォンカパによる一連の活動を、チベット仏教における「宗教改革」とよぶ人々もあるが、「宗教改革」とはいっても、日本の、いわゆる「鎌倉新仏教」と同一の次元でとらえることは的外れである。ツォンカパによる「宗教改革」はあくまで宗教のプロたる出家僧侶を対象にしたものであり、ともすれば堕落しがちであった彼らを、戒律をはじめ、ただしい仏教の道にみちびくための行動にほかならず、宗教のアマたる民衆にまで対象を広げたものではなかったからである。ツルティム・ケサン/正木晃「増補チベット密教」p061 たしかにアマ・プロ論でいえば、カウンセラーやコンサルタントを自称し、時には瞑想指導などを行なって、その対価を得ている自分をアマと見るか、プロと見るかは微妙なところだが、戒律をまもったり、生涯を一つの道に徹することを、内外から監視される立場にない、という意味では、私は宗教の「プロ」ではない。さらにいうなら、「宗教」という「産業」(田中公明いうところの)にもかかわっている者でもない。思えば、このあたりのスタンスの違いが、当ブログがいまいちツォンカパに感情移入できない理由のひとつに関わっている可能性もある。 p324ページの「菩提道次第の伝承図」は興味深い。「教主シャーキャムニ」から三派にわかれた系統図は、約1400年経過ののち「主尊アティーシャ(982--1054)」において統合され、一人おいて、さらに「カダム・ラムリム派」、「カダム・シュンパ派」、「カダム・タクガク派」の三つの系統に別れたとされている。 この三派が、それぞれおおよそ10代の師弟を経て、また再統合されたのが「尊者ツォンカパ・ロサンタクパ」においてであり、その後、さらに約20代の師弟関係を挟んで、現在のダライ・ラマ14世につながっている、とされている。実に実に長い長い系譜である。 まったくの余談となるが、本書のなかで、それぞれのテキストがナンバリングされており、「1」からはじまり、「4-2-2-2-3-3-3-2」まで続いている。この一覧表だけで、実に17ページが費やされている。 途中においては、「1-3-3-0-b-2」とか、「2-4」とか、「3-1-3-2-5」とか表記されているのだが、だんだん長くなると「4-2-2-2-1-1-2-2-1-2-2-3-2」などという表記が多くなる。最長のものとなると「4-2-2-2-3-3-3-1-3-3-2-6-1-2-2-1-3-1-1-2」なとどいう文字列の列挙ということになる。 本書の趣旨とは全く違うが、私はこれらの文字列をながめていて、一種の光酩酊のような不思議な感覚を味わった。これらの単純の文字列の連続のなかに、なにごとかの幻覚作用があるのではないだろうか。私は実は、ある文字列について不思議な印象を持っているのだが、そのことをまざまざと思い出したのである。私にとっての特殊な意味合いを持つその文字列はこの17ページの中にはなかったが、なにやら、このような形で、ヒミツを説いていく鍵がみつかるかも知れない、というインスピレーションを受けたことをメモしておく。 さて、この書き込みにおいて、当グログにおける17番目のカテゴリ「スピノザ」が満願の108に達することになる。思えば、その経緯は右往左往の連続ではあったが、スピノザの「エティカ抄」から始まって、このツォンカパの「悟りへ階梯」へと至る道も、ユーモアに富んでいて、まんざら意義なしともしない。 いままで、この「スピノザ」や「環境心理学」カテゴリに入れてきた書き込みは、今後「インテグラル」カテゴリにほおり込んでいくことになる。いよいよ「OSHO@Earth.Spirit 0.3 」と「インテグラル」と「アバター多火手」の三つ巴が始まる。この三者が同時に108に達し、最後の「21th カテゴリ」になだれ込んで、「観音のマントラ」も108に達し、現在17万のアクセス数が21万に達しようとする頃、幻身たる7つの身体もホロ見えて、当ブログにとっての究極、大団円への運びとなることだろう。
2008.10.27
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「ツォンカパ チベットの密教ヨーガ」『深い道であるナーローの六法の点から導く次第、三信具足』ツルティム・ケサン、山田 哲也訳1999/11 文栄堂書店 単行本 252pVol.2 No.347 ★★★☆☆ ツォンカパ関連の本も探してみればいろいろある。図書館によってはかなり揃えているところもある。宗喀巴大師と書いているものもあって、これもツォンカパだ。それらを研究資料的書物を当ブログで読み進めることはできないが、その存在を確認することは一定の意義を感じてはいる。 さて、この「チベットの密教ヨーガ」というタイトルの本は、ツォンカパ著とはなっているが、素材は、ナーローの六法だ。つまり、インドのナロパが、チベットからやってきたマルパへ伝えたとする奥伝だ。そのマルパのもとで、かのチベットの詩聖ミラレパは大悟した。さらにはミラレパの弟子であるガンポパにも伝わったはずだし、その流れからツォンカパもこの法を伝授されたはずだ。 このナーローの六法については、各書であちこち散見されるが、いまいちまとまったイメージとしてはまだ理解していない。 「ナーローの六法」の数え方は、(1)チャンダリーの火と(2)幻身と(3)光明と(4)遷移(ポワ)と(5)入街(トンジュク)と(6)中有という六つの口訣を数えるのである。 p97 この言葉だけで言えば、ひとつひとつイメージできないわけではない。(1)のチャンダリーの火とは、瞑想中に感じる得る内なるキウンダリーニに類するものだろう。(2)の幻身とは、(1)に伴なって感知しうる微細な身体のことで、こまかく分類はできるが、まずは、すくなくともこの生物的物理的物質としての体のことではない。 (3)においては、さらに慎重に取り扱わなければならないが、瞑想者が体感し得る、ある種のピーク体験のことだ。光明とは表現されてはいるが、かならずしもまばゆく輝く光ということではなく、かぎりなく透明な融通無礙な境涯のことであろう。 (4)遷移は、さらに人生最大のできごとされる生死を超える次元についての取組みのことであり、(5)入街、(6)中有などに至っては、一連の「チベットの死者の書」などでも扱われている、深い深い存在で感得しうる玄妙な世界についてのとらえ方のことであろう。 本書は、左のページにチベット語が書かれ、右のページには対訳としての日本語が書かれている。ネットで検索してもこの本についての情報は多くない。つまり、一般向けににだされた本でもないし、一般人がいきなり読んでもその本質をすぐに理解できるような本ではない。しかし、関連の中で紐とかれるなら、その資料性や重要性において、貴重な存在であるに違いない。 読んでみて決して読みにくい本ではないし、テーマがカギュー派に関連のある話なので、当ブログとしては、他のツォンカパ本に比較するれば、かなり取組みやすい本、というイメージを持った。再読するチャンスがあることを期待する。<2>につづく
2008.10.26
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<1>より続く「聖ツォンカパ伝」 <2>石浜裕美子 /福田洋一 2008/02 大東出版社 単行本 299p ようやく自分の借り出しの番が来たので、自宅でゆっくりくつろぎ、寝っ転がって読んでは見たけど、やっぱり自分の波長にいまいちツォンカパを合わせることはできないようだ。チベット仏典からの直訳だけに、研究対象としての学術的価値は高いのだろうが、なにか自分のスピリチュアリティ成長のきっかけになってくれるのではないか、という期待感に、簡単には答えてくれはしない。 ただあちこちで何回もツォンカパの人生ストーリーを読みかじっているうちに、大体のその六十数年の伝記は呑み込めるようになった。このようなチベット仏教界最高峰と言われ学僧の存在があったのだ、ということは理解した。 ツォンカパはどちらかというと、長男体質。責任感がつよくて、みんなのことを考えて、着実にものごとを進める。でも、私は、もっとやんちゃで破滅型の次三男体質のほうがすきだったりする。その辺が、波長を合わせるのに時間がかかっている理由かもしれない。 ところで、本日は、わが事務所に差し込んできた虹があったので、その光を水晶に当てた。ちょっとピンぼけだけど、画像を張り付けておく。
2008.10.25
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「新瞑想法入門」Oshoの瞑想法集大成OSHO /スワミ・デヴァ・マジュヌ1999/03 瞑想社 /市民出版社 単行本 507p、 初版1993/01Vol.2 No.346 ★★★★★ アティシャのハート瞑想 アティシャいわく「結合させ、送り出し、一体となって修練せよ。呼吸に乗ってこれを為せ」 アティシャは言う----「慈悲深くありなさい」。その方法がこれだ。注意して聴きなさい。これは最もすばらしい方法のひとつだ。それは、息を吸うときに、世界中の人びとの、すべての惨めさを吸い込んでいると思うことだ。すべての暗黒性、すべての否定性、すべての地獄----それらはどこにでもある----をあなたは吸い込んでいる。それをあなたの胸にしみ込ませなさい。 西洋のいわゆる「ポジティブ・シンキングの人びと」について読んだり、聞いたりしたことがあるだろう。彼らはこれと正反対のことを言う。彼らは、自分たちが何を言っているかわからないのだ。「息を吐くときに、不幸や否定性のすべてを放出する。そして息を吸うときに、喜び、肯定性、幸福、快活さなどを吸い込むのだ」と彼らは言う。 アティシャの技法は、ちょうどその正反対だ----息を吸うときに、過去、現在、未来にわたる人類全体の惨めさや苦しみを吸い込みなさい。そして息を吐くときには、自分の喜び、至福、祝福のすべてを吐き出すのだ。息を吐きながら、自分自身を世界のなかに注ぎ込みなさい。これは慈愛の技法だ。苦しみすべてを吸い込んで、祝福すべてを注ぎ出してあげなさい。 すると、あなたは驚くだろう。自分の内側に世界の苦しみすべてを受け入れた瞬間、苦しみはもはや苦しみではなくなる。ハートが、即座にエネルギーを変容するのだ。ハートは変容する力だ。惨めさを吸い込みなさい。そうすれば、それは至福に変わる......そうなったら、その至福を外に出してあげなさい。 ひとたびハートがこの魔法、この奇跡を行なうことができることを学べば、あなたは何度も何度もやってみたくなる。やってごらん。これは、もっとも実践的な技法のひとつだ。単純だが、即効性がある。だから、今日にでも試してみなさい。 p209参照「アティーシャの7つのマインド・トレーニング」
2008.10.25
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「マンダラとは何か」 <1>正木晃 2007/08 日本放送出版協会 全集・双書 283p Vol.2 No.345 ★★★★★ 「マンダラをさらに深く知るために」読書リストのトップにある限り、まずはこの本を読まなくてはならないだろう。ましてや、同じ著者によるインテークである。ただ、「増補チベット密教」の増補部分と書かれた時期が重なるので、内容的にはかなりの部分、繰り返しになっている。 先日、なんの脈絡もなく「マンダラ事典」なる本を読んで、すこしイラついた自分を思い出した。マンダラはマンダラとして、独立した美術品的な存在とか、突出した文化現象としてみてしまうことには、私はやや批判的だ。マンダラは、方法論であり道具だ。なんとかとハサミは使いよう、とは言うけれど、マンダラも使われ方によっては、方向性が全く違ってしまう。そのような意味では、マンダラをどのように使ったらよいか、いまだにつかみかねている自分にイラだっていた、ということになろう。 たとえばOshoにおける「マンダラ瞑想」において、外的な幾何学的な美術品であるいわゆるマンダラ画像などは使われていない。この辺の理解を進めていかないと、マンダラという「美術品」に引きずり回されて、いたずらに徒労感をもつだけに終始してしまう可能性もあるのではないか、と危惧する。 マンダラ成立史の第一人者とされる田中公明氏は、マンダラをこう定義する。 仏教で信仰される尊格(仏神)を、一定の幾何学的パターンに配置することで、仏教の世界観をあらわしたもの さすがに第一人者だけあって、この定義は簡潔で、とてもわかりやすい。しかも、よく的を射ている。私も、狭義のマンダラに関する限り、もっとも基本的な定義としては、これを採用した。 いっぽう、マンダラがもつ機能に強い関心を寄せる仏教学者である立川武蔵氏は、1500年にもおよぶ歴史を考えると、そう簡単に定義はできないと断ったうえで、マンダラの本質にまつわる要件を三つあげている。1)仏菩薩や神々、もしくはそのシンボルが配置されていること2)仏菩薩や神々が住む場所があること3)そういうマンダラを見ている人間がいること p18 現在の日本におけるチベット密教研究の中において、田中公明、立川武蔵、正木晃、という三者を抜きにしては、何事もすすまないので、この三者による、おおまかな「合意」は、ひとつの大きな定義であると考えてもいいだろう。 しかし、私は研究者でもなければ、学者でもない。あるいは密教者でもなければ、狭義でいうところの仏教者でもない。私がチベット密教やマンダラに近づくにおいて、自らの立場をいまいちど確認していかないことには、いたづらにこれらに近づくことだけでもリスクをともなうものであるし、無意味でもあるだろう。 とくに立川言うところの「3)そういうマンダラを見ている」「人」が問われなくてはならない。当ブログにおいては、これ以上読み進めるには、まずは、マンダラを単独なものとしてみることはできない。マンダラは、密教、とくにチベット密教へのアプローチとして学ばれなくてはならない。そして、その中において、大日如来とアバター多火手のシンパシーの進行度によっては、最適な距離間がつねに維持されなくてならないだろう。 私のマンダラ研究は、たぶんに現代の精神医学とかかわっている。このあたりが従来型のマンダラ研究者からすると、邪道といわれかねない点かもしれない。 しかし、「マンダラは現代社会に寄与できるか?」という問いのみならず、「マンダラとは何か?」という問いもまた、現代の精神医学とはまったく無縁では成り立たないという確信が、私の胸中をにある。マンダラを、あえて「教義のマンダラ」と「広義のマンダラ」に分け、その両者に関心のまなざしを注いできた理由も、同じ理由による。p250 マンダラ・パターンと精神医学ということでいえば、私はまず浅利篤の自由想画法のなかの 「のどの構図(頸喉投影)」を思い出す。現在は色彩心理学者と称している末永蒼生氏などのリードで、この色彩心理診断法を学んだことがある。詳細はさけるが、つまり、子供たちが自由に描く絵のなかにはたくさんの秘密が隠されていて、その基本は、体と顔と喉のパターンの三つに分かれているというのである。 とくにこの喉のパターンは、喉の輪切りがもとになっているのではないかということであった。体と顔をつなぐ喉、マントラを唱えるときに、頭から体に伝える神経系のすべてが詰まっている喉。その喉がヴァイブレートすると、体全体に効果が現れるという。この喉のパターンがマンダラ・パターンと呼ばれていたのは、とても興味深いものであった。 当ブログにおいては、正木言うところの「教義」のマンダラを追いつつ、本当に関心があるのは、当然「広義」のマンダラだ。そして、そのマンダラも、マンダラという文化領域を離れて、もっと神聖幾何学のようなもにつながっていくのではないか、という予感と期待観をつよくもっている。 たとえば、当ブログが2007年度に読んだ約1000冊の読書ワールドを「地球人スピリット・ジャーナル曼荼羅2007」と表現しておいたが、その中心に座している一冊は、「 フラワー・オブ・ライフ」である。実は、この古代神聖幾何学へのスライドを虎視眈々と狙っているのである。 正木は「マンダラ塗り絵」というものを開発している。色や形にもそれぞれの意味を付与している。上記の浅利式色彩診断法などと対比したら、これは結構おもしろいことになるかも知れない。<2>につづく
2008.10.25
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「純粋仏教」セクストスとナーガールジュナとウィトゲンシュタインの狭間で考える黒崎宏 2005/11 春秋社 単行本 209p Vol.2 No.344 ★★★★☆ 著者黒崎宏には、「ウィトゲンシュタインから道元へ」 2003/03 、 「ウィトゲンシュタインから龍樹へ」2004/08、「理性の限界内の『般若心経』ウィトゲンシュタインの視点から」 2007/02、などの近著があり、その他、約10冊ほどある著書のすべては、ウィトゲンシュタインがらみの考察である。1928年生まれの哲学者の視点はますます冴えている。 もしも、ソクラテスが死んだ、とすれば、ソクラテスが死んだのは、ソクラテスが生きているときであったのか、あるいは、ソクラテスが死んだときであったのか、のいずれかである。そして、ソクラテスは、生きているときには、死ななかった。----さもないとソクラテスは、生きてもいるし死んでもいる、ということになったであろうから。しかしソクラテスは、死んだときにも死ななかった。---さもないとソクラテスは、二度死んだことになるであろうから。したがって、ソクラテスは死ななかった。p120 セクストス・エンペイリコスとは、紀元前2~3紀にアレクサンドリア、ローマ、アテネなどで活躍した医学者、哲学者。彼の哲学的著作は、古代ギリシャ・古代ローマの懐疑論として知られる。黒崎はウィトゲンシュタイン研究者として、この人物と同じ時代に東洋で活動していたナーガルジュナとの共通点について検討する。 ブッダは、いかなる「教え」も説かなかったのである。それでは、ここで言うところの「教え」とは何か。文脈から見れば、それは戯論(形而上学的議論)であろう。それではそれは、例えば、どういうものか。それは、以下のようなものであろう。 過去世(生まれる前の世界)は存在するか。 来世(死後の世界)は存在するのか。 世界は(空間的に)有限なものか。 世界は常住(時間的に無現)なものか。 何と何(例えば、一瞬前の我と今の我)は同一か。 ブッダは、これらの問題については、何も答えなかったのである。何も語らなかったのである。このことを「無記」という。ブッダは、形而上学的真理を説くことによって、人びとを救おうとしたのではないのである。ブッダは、決して哲学者ではなく、あくまでも宗教者---救済者、しかも実践的な救済者---であったのだ。p156 著者の特異な一連の書物は、当ブログとしては、これから読み始めるところであり、この書から入ったのがよかったのか、悪かったのかは、いまのところは判別つかない。ただ、感じたことは、難しそうに思えたわりには、きわめて簡潔で透明感の高い本であった、ということ。次の本にも期待する。 結局、純粋仏教には二つの側面があるのである。一つは、「縁起の世界観」であり、もう一つは、「一重の原理」である。そしてそのいずれにも、神秘的なことはもちろんのこと、超越的なことも仮説的なことも一切存在しない。それらは、現実の日常生活の世界の真実の姿についての、徹底した自覚に外ならない。したがってわれわれが、超越的なことも神秘的なことも仮説的なことも一切排除して、確かな世界に生きようとするならば、われわれに可能なことはただ一つ、「純粋仏教」を生きる、ということしか有り得ないのではないか。しかしそれは、実は、もはやいわゆる「仏教」ではなく、「宗教」ですらないであろう。そこには、神も仏も、天国も地獄も、そしてまた霊魂さえも、ないのである。それでは救われない、というのならば、それはそれで仕方がない。 これをもって私の「結語」とする。 p192
2008.10.23
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「仏教が好き!」河合隼雄 /中沢新一 2003/08 朝日新聞出版 単行本 261p 文庫本化2008/06Vol.2 No.343 ★★★★☆ 「がんばれ!」と言われてみたり、「くたばれ!」と言われたり、仏教もなかなか忙しい。今度は、「好き!」と来た。もっとも、河合隼雄 /中沢新一、という当代でも相当に口の悪そうな二人に「好き!」と言い寄られても、そのまま言葉通りに受け取ってはならない。この二人の対談は、「ブッダの夢」というものがあるが、今回もまた「週刊朝日別冊小説トリッパー」に連載(2001冬~2003春)されたものの合本=単行本化である。中沢--- (中略)ナーガールジュナもインド人の全哲学者を向こうに回して闘った人なんですよ。それで「ナーガールジュナ」と聞いただけでも怒り出すような人もいて、どうもその弟子のアーリヤデーヴァは暗殺されたみたいです。河合---あなたも気をつけたほうがいいな(笑)。中沢---そうですね。論争相手が何か言うと、ナーガールジュナは即座に相手のテーゼを「否定」してしまう。そうすると相手は怒り出すでしょう。ナーガールジュナという人を見ていて危険だなあって思うのは、そこのところなんですね。河合----「ナカザワルジュナ」とか言って(笑)。中沢---それそれ。初めてチベット人に会ったとき、「名前は何だ」って聞かれたから、「ナカザワ」って言ったら、「おーッ、ナガルジュナ?」って、そこで「ナガレジュナ」「ナガルジュナ」ってすごくえらい人になっちゃったんですね(笑)。p143 最初の掴みでうまく掴まれれば、中沢ワールドもそうとうに面白いが、そこがはずれると、つっこみどころ満載の隙だらけの世界が現出してしまう。まともな批判にも真正面から答えようとはしない人だが、それでもやっぱり面白いことは面白い。中沢---(中略)あらゆるものを「否定」していく精神の運動と、それから親鸞のような大肯定の精神は背中合わせです。何しろ「大日経」では、大日如来ご自身がしゃべり出すわけですから。河合---「華厳経」ではしゃべらないですもんね。あれは感動したなぁ。徹頭徹尾、最後までしゃべらへん。中沢---あれはむしろヴィトゲンシュタインですよね。 p165 当ブログにおけるこの「環境心理学」カテゴリは、この書き込みをもって108に達する。もともとは環境心理学シンポジウムの後追いのつもりで作ったカテゴリであったが、はやばやと失速した。そのあと、ほかのカテゴリに収まりきれない書き込みの逃げ場となっていて、最近はチベット密教のやや外向きエネルギーの受け皿となってきたが、今回、この書き込みを持って終了とする。 最後の一冊となることは、この本にとってもふさわしいところがあるのではないか。ここで語られているウィトゲンシュタインや大日如来については、次なる「インテグラル」や「アバター多火手」でつないでいくことにする。河合---マトリックスはまさに曼荼羅です。「腿蔵界曼荼羅」、英語にしたら「マトリックス」。中沢---数を縦横に並べたあれを、数学者がどうして「マトリックス」と命名したのか、不思議でなりません。p228 この辺のテーマは、後段にゆずる。河合---曼荼羅に胎蔵界と金剛界があるでしょう。あれはどう考えたらいいですか。中沢---日本でだけ、それが問題になるという性質の話なんです。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅は、もともとのインドでは出身が違うもので、インド人はそれをセットにして考えるということをしませんでしたから。それぞれの系統の曼荼羅を考えだしたグループも違うし、時代的にも、場所的にも、文化伝統も違うところでつくられたものです。ところがこれを中国で不空や恵果が同時代に同じ場所でセットで学習するようにして、そしてそれを継いだ空海が「胎蔵・金剛」というふうに思想として統一的に組織したんです。これはすごい発想なんですよ。p236 すこしづつこれらのテーマにつないでいく準備をしているところ。河合---そのように考えると空海は偉大ですね。中沢---胎蔵界は、字を見てもわかるように、女性の子宮でしょう。金剛界は、不動で変化しないものというわけですから、外の世界の変化とか不安定な生命現象とかから比較的自由になった、脳のなかの活動のことをさしているのだと思います。脳がおこなう形而上学への傾向を、そう言っているわけですし、金剛のように堅いものといったら、柔らかなヴァギナに対して男性のペニスのことも意味します。ですから、空海は胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅をセットにすることで、男性と女性をめぐる土着的な二元論を、とてもダイナミックなかたちにつくり変えようとしたと言えます。p237 この辺、日本人としてなら理解しやすいが、チベット密教を学んでいくなかでは、かなり注意を要するところ。河合---ノーベル賞に対抗して「空海賞」か何かをつくらないといけない。中沢---おっ、いいアイディアですね、長官。河合---「何をくれる」と聞かれたら「中空の」・・・・(笑)。中沢---煙がでてくるだけですかあ(笑)。河合---それで「食うかい?」とか言って(笑)。中沢---出た(笑)。 p245 河合隼雄は小泉政権のもと、2002年1月より5年間に渡って、文化庁長官を務め、2007/07に亡くなった。享年79歳。合掌。
2008.10.23
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「男一代菩薩道」インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺小林三旅 2008/01 アスペクト 単行本 291p Vol.2 No.342 ★★★★★ 当ブログの初期的新書、胎蔵界マンダラに置いて、その中心に座したのが「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」にふれていた、ツルティム・ケサンと正木晃の「チベット密教」だったとすれば、金剛界マンダラの中心に座ったのは、アンべードカルの「ブッダとそのダンマ」と「アンベードカルの生涯」ではなかっただろうか。それだけ魅力にあふれた新書たちであった。 この本もまた、一度開いたら閉じることができずに一気に読んでしまうような内容だ。本のタイトルには「佐々井秀嶺」の文字が大きく書いてあったので、本人が書いたものかと思ったが、実は、彼をテーマとしてドキュメンタリー番組を作った独立プロ系列のディレクターの、その取材ストーリーを一冊にしたものだった。 「男一代菩薩道」というテレビ番組を私もみた記憶がある。初回放送は2004年の12月28日、深夜の3時10分だった。そしてその後、何度も再放送されている。 「ちょうど夜中の2時頃だったと思います。突然、何かでガーンと頭を叩かれた。すると私の後ろに額をピカピカに光らせた鋭い眼光の老人が、目をカッと見開いて立っておったんですわ。白髪が肩まで流れていて、眉毛も真っ白、口ひげも足の方までザーッと流れている。右手には剣とも杖ともおぼつかない持って、それで私の肩をパッと押さえつけているんです。そして左手には巻物を持っていました。 私は恐怖で身動きがとれず、汗が流れ出た。私は『あなたは誰ですか!』と叫んだけど声が出ない。心の中でさけんでおった。そこではっきりと、その老人は日本語で、日本語でですよ、こう言ったんです。『われは竜樹なり。汝すみやかに南天竜宮城にゆけ。南天竜宮城はわが法城なり。わが法城は汝が法城。汝が法城はわが法城なり。南天鉄塔もまたそこにあらんか』 私は恐ろしくて上の空のように聞いておった。心の中で『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・・』と唱えると、体がすっと軽くなって、老人が消えた」p115 本書の最も劇的な場面であり、佐々井秀嶺上人、波乱の人生の中においても、もっとも転換点となった出来事であろう。1968年8月8日、上人33歳の時とされる。このエピソードを語る場面はかのテレビ番組においても、きわめて印象的に映し取られていた。 さてその南天竜宮城たるナグプールにおける竜樹ゆかりの寺院を発掘するにいたり、アンベートカルの後継者たる佐々井秀嶺の人生は固まった。 さて、男一代菩薩道=佐々井秀嶺は、波乱の人生を送ってきているので、突っ込みどころがたくさんあり、どこからでも突っ込みどころがある。だが、その突っ込みは、彼の行動や人生を超えた形で、こちら側の生きざまとしてしか存在しえないだろう。彼の人生を考えることは、即自分の人生を考えることにつながる。 しかしまた、冷静に考えれば、いろいろな問題点を克服しないことには、この新仏教徒運動も未来の地球人スピリットにつながっていかないことも確かだ。Oshoは1988年の段階でこのような発言をしている。 アンベドカル博士は、自分の影響下にあるこれらの人々を、まずキリスト教に改宗させようとした。だが考え直した。キリスト教に改宗したら、人々はキリスト教会に吸収されてしまい、自分は指導者の地位を失ってしまう。そこで考えを改めた。彼にとっては、イエスやキリスト教などどうでもいい。一番大事だったのは、自分の影響力を保つことだった。 彼はイスラム教への改宗も考えたが、状況は同じだった。やはり影響力がなくなってしまう。そこで目をつけたのが、インドには仏教徒がいないということだ。だから仏教に改宗させれば自分の影響力も保てる。つまりこれはまったく政治的な改宗だった。 このように政治的に改宗させられた愚者たち、悟りについて何も知らない者たちが、今私を批判する。Osho「ノーマインド 永遠の花々」p277 私はこの辺の経緯について整理する立場にない。ことの経緯、ことの善悪を判断することは不可能だ。しかし、この段にあたって、竜樹=ナーガルジュナが登場することには感動せざるを得ない。チベット密教におけるナーガルジュナの影響も計り知れない。 ゲルク派の宗祖であり、ブッダ以来、2500年におよぶ仏教の歴史における最後の巨人であったツォンカパ(1357~1419)は、「秘密集会タントラ」が究極の仏教なのだと主張した。特に、ナーガルジュナ(龍樹)とアーリヤデーヴァ(聖天)という二人の人物がこのタントラにほどこした解釈と、そこからみちびきだされた実践法こそ、悟りへの最も優れた修行法であるとみなした。これを「聖者流(聖父子流)」という。「増補チベット密教」p114 佐々井秀嶺本人が、自分自身の少年期から青年期までにおこった語りきれないほどのさまざまな出来事を「めちゃくちゃ」であった、と表現している(p157)。 ------ほかにもいろいろご苦労されたと聞いていますが・・・・・・。佐々井 女の話ですか(笑)。坊さんになったら、きっぱりかと言えば、きっぱりじゃないですよ。いやいや皆さん笑うけれど、色情因縁っていうのは大変なものなんだから。もう女をみれば、みんな好きになっちゃうんだからね。そういうことはあまり言いたくないし、言ってもつまらんことだから言わんけど。ハハハ。今でも苦しいですよ。p261 ここで上人は、色情因縁と言ってしまっているが、この辺にまた、タントラ密教へとつながる因と果があるはずだ。 佐々井さんは突然、歌をそらんじはじめた。伝記映画「力道山物語・怒涛の男」(1955年、日活)、美空ひばりが歌った主題歌だ。p282 いやはや、ここで力道山がでてくるとは思わなかった。私もこの前「力道山と日本人」をよみながら、Youtubeの「力道山物語、怒涛の男」を見ていたのだった。男一途にやるぞと決めて 切った意気地のもとどりを 何が涙で 汚してなろか これが男の 生きる道義理にゃ負けても 無法にゃ負けぬ 若い生命の 血のあつさ捨てたこの世にゃ 未練はないさ なまじからむな 夜の風雨も嵐も 笑顔でうけて 起たにゃ男の名がすたるやるといったら 生命のかぎり 行くぞ怒涛の 人生を p282 佐々井秀嶺を扱った本には、山際素男著「破天 一億の魂を掴んだ男」(南風社2000)などがある。 南無妙法蓮華経
2008.10.23
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21世紀のブディストマガジン「ジッポウ」(6)平和なれチベットダイヤモンド社 /仏教総合研究所 2008/06 単行本 140p Vol.2 No.341 ★★★★☆ へぇ、いつの間に、こんな本が創刊していたのだろう。って、ホームページをみたら去年の4月でした。版元がダイヤモンド社、というのがなんだか不思議。 「ジッポウは、十方。東西南北に四隅と上下を加えた全方位をあらわします。生きとし生けるものをあまねく照らす仏の智慧と慈悲のように、いま、仏教を生きるすべての縁ある人々を、ジッポウは応援しています。」 だとか。このタイトルで検索したら、オイル・ライターの情報がいっぱいでてきた(笑)。 第6号は本年6月20日発行だから、話題は当然のごとくチベット。中沢新一やロバート・サーマンがインタビューを受けている。中沢は、日本人のためのチベット経典はほとんど翻訳されつくしていると述べているのに、サーマンは、詩や解説書などまだまだ翻訳されていない貴重なチベット経典がやまほどある、と述べているのが対称的。 チベット問題は、一筋縄ではいかないが、あわてずに関心を持ちつづけることが唯一の解決法、という声があちこちから湧きあがっている。当ブログもその点は同感。
2008.10.22
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「ダライ・ラマ ゾクチェン入門 新装版」 <1>ダライ・ラマ /宮坂宥洪 2008/08 春秋社 単行本 331p、初版2003/05Vol.2 No.340 ★★★☆☆ そもそもなんでもかんでもダライ・ラマに語らせようということ自体、すこし無理があると思うのだが、ナムカイ・ノルブの「ゾクチェンの教え」がとても面白かったので、それをすこし期待したのが悪かった。いつものダライ・ラマ節で、どこからが「ゾクチェン」なのか、立ち読み風情には、いまいちよくわからなかった。 この本、もともとは2003/05に出た初版本の改訂版。どこがどう改定されたのかわからないが、それなりに人気のある本なのだろう。 当ブログにおいては、いまだにゾクチェンとマハムドラーの両境地についての比較を終了していない。つまりは、ゾクチェンとはポン教的マハムドラーであり、マハムドラーとは、インド的ゾクチェン、という程度の理解に押さえている。 だがしかし、わが理解のティロパ「マハムドラーの詩」や、「マハムドラー瞑想」と、この本から受ける印象は、かなり雰囲気が違う。まぁ、いずれが、どうなのか、次第にわかってくるかも知れない。 <2>につづく
2008.10.22
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「ツォンカパの中観思想」 <1>ことばによることばの否定四津谷孝道 2006/11 大蔵出版 単行本 389p Vol.2 No.339 ★★★☆☆ この本、税込で 9,975円な~り。すごく高い本。自分で買って読むとは思われないが、いつかはゆっくり目を通してみたいもの。「ことばによることばの否定」。どことなくウィトゲンシュタインを思い出した。もっとも「中観思想」だけに、もろにつながっていてもおかしくはない。 いままでこのような本があることにまったく頓着しなかったが、これからはこのような本をすこし目を通してみようかな、と思う。ナーガルジュナなんかもひととおり分かっておかないと、チベット密教もなかなかわかりにくい。でも、図書館もなかなかこのような高価な本は入れてくれない。 そういえば「ツォンカパ中観哲学の研究」なんて本もあったな。ないものねだりをせずに、なにはともあれ入手可能なところから始めなくてはならない。<2>につづく
2008.10.22
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「聖ツォンカパ伝」 <1>石浜裕美子 /福田洋一 2008/02 大東出版社 単行本 299p Vol.2 No.338 ★★☆☆☆ 大学図書館の図書館蔵書リストの中にこの本を見つけたので、さっそく出かけて行った。ツォンカパはどうも私向きではないようだし、私のようなトンチン漢にはなかなか手ごわい存在であるようだ。だが、その教義書はともかくとして、伝記からでも入れば、いくらかはこのチベット密教界の最高峰と言われる聖哲に迫れるのではないか、という期待があった。 しかし、通常、この手の書物はほとんど他に借りる人がなく、いつもキチンと存在しているはずなのだが、この本だけは貸出の記録がないのに、書棚にもなかった。ひょっとするとバックヤードの書庫にあるのかと調べてもらったのだが、なかった。今年の2月にでたばかりの本なので、誰か他の人が閲覧しているのかもしれない。まぁ、本日のところあきらめた。 そして、書店に行ったところ、思わぬコーナーにこの本を見つけて、立ち読み。かなり厚い本でもあるが、なかなか伝記とは言え、葉が立ちそうにない。むむむ、はっきり言って面倒くさそうな本。わぁ、どのようにしたら、ツォンカパを好きになれるのだろう・・・・。<2>につづく
2008.10.22
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チベット密教の祖「パドマサンバヴァの生涯」ウォルター・Y.エヴァンス・ヴェンツ /加藤千晶 2000/07 春秋社 単行本 197p 、原書The Tibetan Book of the Great Liberation 1954Vol.2 No.337 ★★★★☆ チベット密教の祖と言われ、ニンマ派の祖と言われるパドマサンバヴァ。その生涯は、神秘な神話に包まれているが、チベット人たちはグル・リンポチェと呼んで多いに親しんでいる。仏陀の予言通りに生まれたとも言われ、何百年も生きていたようにも表現される。今から1200年前に、インドに生まれ、チベットに渡って、チベット密教の基礎を作った。彼が創立したサムイェー寺は、マンダラ思想に基づいて設計されたとされる。 マンダーラヴァーがパドマに家系や祖国に関することを尋ねると、パドマは答えた。 「私には親はいない。私は空性の賜物である。私は観音菩薩と阿弥陀仏の本性そのものであり、ダナコーシャ湖の蓮華から生じた。そして本初仏の持金剛と、またブッダガヤーの釈尊と本質を同じくし、よって、これらの仏たちすべてから神秘の内に生じた蓮華である。私はすべての衆生を済度する。p73 この本、西欧に「チベットの死者の書」(バルド・ソドル)を紹介したエヴァンス・ヴェンツが1954年に書いた本の中から一部抜粋の形で翻訳されている。バルド・ソドル同様、この本についても様々な異論があるのかも知れないが、初学者には、ただただカタカナ人名の羅列をみていてもなかなか実態がつたわってこない。だが、このようにして、ひとりひとりについての伝記やエピソードを知ることができると、だんだんと親しみも湧き、チベット密教の立体感を味わうことができるようになる。 極楽浄土へのは、観音菩薩や阿弥陀仏のために行った利他行のカルマの結果により行くことができる。観音菩薩は大慈悲の菩薩であって、衆生を解脱へと導くために、自身は涅槃に入ることを放棄しちる。また観音菩薩のマントラ(真言)である「オーム・マニ・パドメー・フーム」(オーム、蓮華の中の宝珠よ、フーム)を唱えることは、観音菩薩にじかに訴えかけることである。p179 オーム・マニ・パドメー・フーム
2008.10.22
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「チベットの死者の書-サイケデリック・バージョン」ティモシー リアリー / リチャード アルパート / ラルフ メツナー(著)、 菅 靖彦 (翻訳) 1994/04 八幡書店 原著 「The Psychedelic Experience: A Manual Based on the Tibetan Book of the Dead 」1964Vol.2 No.336 ★★★☆☆ 「チベットの死者の書」と言っても、他の原典訳や、その宗派で伝統的に守られてきた経典と考えてはいけない。これはあくまでサイケデリック・バージョンだ。いや、直訳であれば、「チベット死者の書に基づくサイケデリック体験マニュアル」とでも翻訳されるべき本だ。あえて他の本との比較で、その最初をピックアップしてみると・・・。おお(航海者の名前)よ新しいレベルのリアリティを探究する時がきたあなたの自我とそのゲームは終わろうとしているあなたは光明(クリアーライト)に直面しようとしているのだ光明を実際に体験しようとしているのだ自我から自由になった状態では、万物が雲のない空虚な空に似るそして焦点をもたない裸の知性は透明な真空に似ているこの瞬間、おのれ自身を知り、その状態にとどまれ p145 この本が日本に翻訳紹介されたのは1994年だが、もともとの英文の原著がアメリカで出たのが1964年。実に30年前のことであった。もっとも、このブログを書いている2008年から見れば、すでに半世紀近い時間のギャップが存在していることになる。 リチャード・アルパート(のちのラム・ダス)と、ティモシー・リアリー、そしてラルフ・メツナーの三者による本書は、LSDが話題をさらっていた1960年代初頭に書かれたものであり、まだ非合法化されなかったかの薬物の効能と実験についての、積極的な提言であった、と、とらえることができる。 ちなみに、ビートルズの「リボルバー」と呼ばれるアルバムの中に収録されている「トゥモロー・ネバー・ノウズ」という曲は、ジョン・レノンがLSDによってハイの境地に浸りながら本書を読んだときに沸き上がってきたインスピレーションから生まれたものだと言われている。p233 たしかにビートルズにはそのように噂された曲は、いろいろあるが、[Revolver / Beatles」の中の「Tomorrow Never Knows」もその一つだ。このYouyubeのapple制作の動画を見ると、なんとなくそんな雰囲気を暗示しているような感じがしないでもない。もっとも、レノン自身は「回想するジョン・レノン」などを読む限り、必ずしも、そのように明言はしていない。 60年代のアメリカ文化を理解するには、その「サイケデリック・シンドローム」を背景とした、ジミー・ヘンドリックスやジャニス・ジョップリンなどの活躍などを念頭に置かなければならない。1973年に出た、おおえまさのり訳「チベットの死者の書」はこのような経緯を踏まえたうえで理解しないと、なぜここでこの書がでてきたのか、いまいち分からないことになる。そして、さらに、1989年になって、川崎信定がわざわざ「原典訳」と銘打って、この「チベットの死者の書」をチベット語から直接訳出したのも、そのような流れに抗する立場からであっただろうと、推測される。 これらの「バルド・ソドル」ではないが、ゲルク派が独自に「チベット死者の書」(「クスムナムシャ」)を押し出してきたのも、「いいかげんな」チベット密教経典の解釈が横行することを懸念したからだったかもしれない。 さて、サイケデリックな旅とチベット密教や瞑想とを類似なものと見るかどうかは難しいところだが、Oshoは1971年にすでに「LSD : A Shortcut to False Samadhi」 において、LSDは、悟りへの間違った近道、と厳しく糾弾している。当ブログもこの点において、師の教えに従うことをよしとする。 さて、このサイケデリック・バージョンが、ニューエイジ系の翻訳者・菅靖彦を得て1994年に日本で出版されたというのは、象徴的であるように思う。出版元は八幡書房。当時売出し中の電脳サングラス「メガ・ブレイン」や、その効果音としてのCDの販売とのメディア・ミックスで、この本が売られたということは留意しておく必要がある。この本が出た当時の時代背景がわかる。その翌年に、あの忌々しい事件が発覚するのである。
2008.10.21
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<4>よりつづく「増補 チベット密教」 <5>ツルティム・ケサン /正木晃 2008/05 筑摩書房 <初読>時に受けたインパクトは、こちらの「増補版」を<再読>した段階でも弱まらないばかりか、ますますヴァージョンアップしてきた感がある。姉妹誌とも言える「裸形のチベット」を読み、さらに「チベット<歴史>深読みリスト」を網羅した段階で、さらに緻密さを増してきたというべきだ。 だが、「マンダラをさらに深く知るために」リストをアップした段階で、さて、またこの迷宮にふたたび足を踏み入れていくべきなのか、そろそろこの辺で目先を変えて、別なジャンルに挑戦すべきタイミングか、と、悩んでしまう。 そこでこの「増補チベット密教」を、またざっと眼を通してみた。初読時、再読時に比べ、はるかに理解力が深まっていることに驚く。たくさんの支線を理解するとともに、予備知識の整理、そして、チベット語を中心とした専門用語にも少しは慣れてきた、というべきだろうか。 そして、どちらかというと敬遠気味だったツォンカパも、必ずしも最初からゲルク派だったわけではなく(彼が祖となるのだから、あたり前だが)、もともとは3歳の時にカルマ・カギュー派の優婆塞戒(うばそくかい)を受け、17歳の時には、カギュー派のディグン寺で「マハームドラー」などを教えられた(p071)というのだから、これはツォンカパを毛嫌していては、なにか大事なことを見逃してしまう可能性があることに気がついた。 そもそもここからは、チベット密教の中でも奥の院に属するところなので、いたづらに足を踏み入れるべきではないのだが、自分自身の「求道心」を確かめながら、注意深く進んでいくことにしよう。だめならだめで、無理をしないで、途中で引きかえることにする。 さて、この本を再々読してみて思うことは、ふたつ。一つには、インドとチベット密教が生み出した最高度の成就法と称賛される「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第 」がいよいよ大事になってくるのであり、そのダイジェストと目される「チベットの『死の修行』」を読みこなす力がますます必要になってくると、いうこと。 そして、二つ目は、一説に、チベット密教最大の経典とされる「時輪(カーラチャクラ)タントラ」に、なんとツォンカパは、その師レンダワの説にしたがって、あまり重きを置かなかったということだ。当ブログにおいては、この経典は「ダライ・ラマの密教入門 」を読み解いていくところから始まることになる。 上記二冊の本を読み進めるのは、なかなか困難だ。私のようなトンチンカンな闖入者にとっては、まるでザルで水を汲んでいるような、なんともむなしい作業が続く。それと、やはり「大秘密四タントラ概論」 (ガワン・パルデン他)についての足がかりがまだ得られていないことは、大いに気になるところだが、それはまだまだ先における問題だ。<6>につづく
2008.10.21
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「チベット支援 岡林信康『友よ』」
2008.10.20
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<3>よりつづく「増補 チベット密教」 <4>ツルティム・ケサン /正木晃 2008/05 筑摩書房 なにはともあれ、次へのステップのためにリストを作っておく。 「マンダラをさらに深く知るために」 p251~254「マンダラとは何か」 正木晃 2007.08 NHK出版「マンダラ---心と身体」 立川武蔵 財団法人千里文化財団「マンダラの世界」 松長有慶+杉浦講平 1983.07 講談社「曼荼羅イコノロジー」 田中公明 1987.08 平河出版「図説 曼荼羅大全---チベット仏教の神秘」 マルティン・ブラウエン 2002.09東洋書林「チベット・曼荼羅の世界」 東北大学西蔵学術登山隊人文班 1989.03 小学館 「チベット仏教図像研究---ペンコルチューデ仏塔」 立川武蔵・正木晃編 1997.03 国立民族学博物館「チベット密教の神秘」 立川武蔵・正木晃 1997.03 学習研究社「インド・チベット曼荼羅の研究」 田中公明 1996.08 法蔵館「タンカの世界---チベット仏教美術入門」 田中公明 2001.03 山川出版「チベット 生と死の文化 曼荼羅の精神世界」 フジタヴァンテ編 1994.01 東京美術「天空の秘宝 チベット密教美術展」 監修・リー+サーマン 1997.02 東武美術館 「密教仏像図典」 頼冨本宏+下泉全暁 1994.11 人文書院「インド密教の仏たち」 森雅秀 2001.02 春秋社 「仏のイメージを読む---マンダラと浄土の仏たち」 2006.08 大法輪閣「曼荼羅と輪廻 その思想と美術」 立川武蔵編 1993.12 佼成出版社「マンダラ宇宙論」 立川武蔵・編 1996.09 法蔵館「マンダラの理論と実践」 ジョゼッペ・トゥッチ 1984.11 金花舎「マンダラの密教儀礼」 森雅秀 1997.12 春秋社「生と死からはじめるマンダラ入門」 森雅秀 2007.07 法蔵館「マンダラという世界」 立川武蔵 2006.04 講談社 全21冊のうち、15冊までは読めるようだ。残りは、今後探索してみよう。<5>につづく
2008.10.19
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<4>よりつづく「裸形のチベット」 チベットの宗教・政治・外交の歴史<5>正木晃 2008/07 サンガ 新書 279p いちばん最初にこの本を読んだのが、2008.08.22、巻末についていた「チベット<歴史>深読みリスト」の本をとりあえずひととおり追っかけてみたのが、2008.09.19まで。ほとんど一か月かかったことになる。その後、「再読モード」に入って、その第一段階がようやく終了したのが、本日。さらに一か月かかったことになる。 今もういちどパラパラと目を通してみると、最初にこの本を手に取った時よりは、かなり読解力はついたと思うが、それでも、あれ、こんなところにこんなことが書いてある、と気がつくところがたくさんあった。それはどんな本を読んでもあることなのだが、この本はとくにそういう部分が多かった。 その理由を考えてみると、1)とても興味深いことが書いてある。2)なかなか覚えきれないチベット語などが続出してくる。3)もともと込み入った内容が書いてある。4)新書一冊のなかにかなりの量の情報が入っている。5)読み手として、読解力がない。6)もともと一回では理解できるような内容ではない。7)もっと深く知りたいと思わせる誘導がされている。などなどの理由を挙げることができる。 この本のなかでは、「ツォンカパの著書」を再読することはできなかった。読み手としてもう体力が残っていない。チベット密教を知るには、避けて通れない部分ではあるが、本当にこれ以上、自分はチベット密教を知りたいと思っているのだろうか。これ以上、知ることが必要なのだろうか。知るための方法は、本を追いかけることだけなのだろうか。などなど、疑問もいろいろ湧いてくる。 今後は、まずは、この本は一旦終了して、「増補チベット密教」の巻末についている「より深く『チベット密教』を知るための読書案内」の中の「マンダラをさらに深く知るために」を読みすすめてみようと思う。チベット密教の中には、特徴的に発達したマンダラの世界がある。経典の文字だけを追うのではなく、マンダラに対する理解を進めることによって、また、また「裸形のチベット」に戻ってくることができるかもしれない。
2008.10.19
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ゲルク派をよく知るために <まとめ> 一般的な密教の入門書には、「ダライ・ラマの密教入門」があり、ゲルク派を率いるダライ・ラマ自身が、大乗仏教としてのチベット密教という点を強調する解説を書いている。「ゲルク派版 チベット死者の書」は、ニンマ派の「死者の書」に対抗して書かれたゲルク派の「死者の書」で、両者を比較すると、宗派のちがいが浮上してくる。 本格的な修行法をぜひ知りたいというのであれば、「秘密集会タントラ聖者流」の生起次第をツォンカパが解説した「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」、おなじく究竟次第をガワン・パルデンが解説した「大秘密四タントラ概論」がある。 世界の宗教者のなかでもっとも禁欲的かつ厳格な生活を保っているといわれるゲルク派僧侶の日常を知りたい方は、「チベットの僧院生活」をお読みいただきたい。p273 他の流れなら直観的に理解することができることも、ことゲルク派となると、なんとも難渋で理詰めで時間をかけて理解しなくてならないことが多そうだ。そこがまた、チベット密教の屋台骨を背負うことになった所以であるだろうし、ゲルク派のトップのみならず、チベット仏教界のトップとして、ダライラマがダライラマたりえている理由でもあるだろう。 しかしながら、地球人スピリットをおっかける、おっとり刀の当ブログとしては、ゲルク派やツォンカパの事細かな脇道に入り込んでいくのは、ちょっと労多くして益少なし、という感がつよい。菩提心をおこし(これについては異論はない)、師につき(個人的には師はいるわけだけど)、潅頂を受け(いろいろなスタイルがあるが)、経典を学び(さまざまありまっせ)、修行を体験し(センスの問題がある)、時を待つ(何十年、時には何生も、何百生も・・・)、というスタイルが、はて、「現代人のための」道たりえるのかどうか、は現在のところ判断はつかない。 なにはともあれ、「チベット<歴史>深読みリスト」で始まった当ブログの旅も、この辺でいちど、収束の方向へ向かうことにする。現在当ブログでは5つのカテゴリが走っており、ちかぢか2つのカテゴリが定量となる。そして残り3つのカテゴリが収束すると、ちょうど20のカテゴリが満杯になったことになる。そして、最後の「21th カテゴリ」の108つのエントリーを持って、当ブログの当面のコンセプトの終了としたい。 そのような枠組みの中で、確かにその重要性については異論がないものの、チベット密教やゲルク派、あるいはツォンカパを深追いすることは、当ブログにおける現在の最大課題とは言えない。現代のチベット密教を深追いすることで、どこかでOshoとのつながりを見つけようとしてきたが、あえて言うなら、Oshoにとってのタントラは、サラハであり、ナーガルジュナであり、アテーシャであり、ティロパからミラレパまである。ガンポパやツォンカパ以降の現代までにつづく流れは、必ずしもOshoタントラとの共通項を見つけるうえでは、避けて通れない、というほどのことはない。 当ブログ全体として見た場合、他に、もう一度おさらいしておかなくてはならない流れもあるので、いわゆる「チベット密教」の流れからは次第次第に次のステップに移っていくことになるだろう。 「ダライ・ラマの密教入門」 日本において流通しているチベット本は、タイトルが乱立していて、私のような門外漢においては、その本の成り立ちや重要性は、なかなかつかめないところがある。この本もタイトルからすると、見過ごしてしまいがちになるが、実は、この本は、チベット密教の奥の院である「時輪(カーラチャクラ)タントラ」を解説しているきわめて貴重な本で、絶対に見逃すことはできない一冊だ。しかし、この本をどのように読めばいいのか、ということになると、私などには、ほぼお手上げということになる。 「ゲルク派版 チベット死者の書」 この本のタイトルも、必ずしも適切なタイトルとは言い難い。「チベット死者の書」というタイトルにしないで、もっと別な形で紹介されてもよかったのではないだろうか。ゲルク派がゲルク派たるゆえんは、それなりにあるわけなので、あえて「ゲルク派版」とつけることによって、インパクトを強めようとした意図は十分わかるのだが、なにかパンディッタたちが、すこし出過ぎているのではないか、という印象をもつ。 「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」 この本をこそ読みたかったのだが、もともと稀少本の上、現在絶版なので、今回当ブログでは読めなかった。ただ、そのかなり正確なダイジェストと思われる「チベットの『死の修行』」は、そのイメージを補って余りある。むしろこちらの本でさえ、なかなか一読するだけでも大変だ。無上瑜伽タントラの最深部とされる経典であり、おっとり刀の当ブログのようなところで、生半可な書かれ方をするような本ではない。学ばれ方自体が研究されるべき一冊であろう。 「大秘密四タントラ概論」 この本も読めなかった。本当に読もうと思えば、この本が存在している研究室までは突き止めたので、閲覧は可能である。しかし、上の「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」と対をなすと思われるこの本にも、まだまだ手が届かなくてもよい、という納得感がある。読むべき時期に読むべき形での出会いがあるだろう。代本として「増補 チベット密教」をあげておいた。 「チベットの僧院生活」 ヒマラヤに行かず、街にいること。瞑想を堅苦しい修行というセンスでうけとらず、瞑想をひとつのゲームのように受け取ること。いたずらに時間をかけることに苦心しないで、直観的に理解できるスタイルととること。教義や組織、時にはグルや師という形式に、依存度を高めすぎないで、自らの明かりを高く掲げてすすむこと。古き伝統やしきたりは、その本質を見失わない程度に、造り変えていくこと、などなど。私自身が、自らのマスターから受け取ったメッセージには、それなりの説得力がある。だから「チベットの僧院生活」にいたづらにあこがれる気分はまるでないが、それがどのようなものであったのかは、敬意を示しつつ学ぶことにも、多いに意義があるものと思われる。 さて、このゲルク派をさらに深く知るには、一連の「ツォンカパの著作」にも深く学ぶ必要があるのだろうが、今回は、それらの書物が身近に存在し、必要とあらば、いつでもその給に付され得るということを確認したにとどめておく。
2008.10.19
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<1>よりつづくゲルク派版 「チベット死者の書」 <2>平岡宏一 1994/12 学習研究社 全集・双書 236p 「チベットの死者の書」と言われるものもさまざまなヴァージョンがある。まずは1973年に出たおおえまさのり訳。 第一日目 「オー けだかく生まれたものよ。 汝はこの三日半気絶していた。汝がこの気絶から回復するや、汝は「何が起こったのか!」という考えを抱くだろう。汝はバルドを認識するようにせよ。その時、現象は全く違って経験されるだろう。そこで汝が見る現象の現われ方は発光と神々である。 全天は深みもあるブルーに見えるだろう。「あらゆる現象の種子を前方へと撒き散らす中国国土」から、色は白で、ライオンの王座に座り、かれの手に八つの輻(や)をつけた輪を持ち、「天空の母」に抱きしめられた「バガヴァーン・ヴァイローチャナ」が汝の前に現れるだろう。 それはブルーの光である原初の状態へと帰着してゆく現象の集成である。 色はブルーで、輝き、透明で、華々しく、眩しく、「父母・ヴァイローチャナ」の心からやって来るダルマ・ダーツゥの知恵が前方に放射されて汝を刺し通すだろう。それは非常に眩しいので、汝はほとんどそれを見つめることが出来ないだろう。 その光と一緒に、汝を刺し通すデーヴァからの鈍い白光が輝いているだろう。「チベットの死者の書」おおえまさのり訳1973/10千部限定版p17 最近では、 「改訂版」2004/03もでているので、もっと違った訳になっているかもしれない。いずれ英語版からの重訳となると思われるが、チベット語の原典から直訳されると次のようになる。 一日目 「ああ、善い人よ、三日半の間、汝は失神していたのである。失神から目覚めると、自分には何が起こっているのだろうかという想いが生ずるであろう。汝はバルドゥの状態にあるのだと覚るべきである。その時に輪廻の反転から、ありとあらゆる幻影が光明と身体を持った姿で現れるであろう。虚空すべてが紺青色の光となって現れてくるだろう。 この時に、中央の<ティクレェダルワ(精滴弘播)>という名の仏の世界(法界)から、尊い御方(世尊)であるヴァイローチャナ(毘盧遮那)如来が白色の身体をして獅子の背に坐し、手に八輻の輪をかざして、女尊アーカーシャダートゥヴィーシュヴァリー(虚空界自在母)と接吻した姿で汝自身の方へ向かって現れてくるだろう。 意識の集まり(識蘊(しきうん))からできている、根底から清浄であって紺青色をした仏の世界の叡智であるもの、明瞭で光沢のあるもの、幻惑させるように輝くものが、ヴァイローチャナ如来男女両尊の心臓から出て汝の面前に近づいてくる。これは眼が痛くてとても直視できないほど強烈な光である。と同時にこのヴァイローチャナ如来の強烈な光に伴って、もろもろの天界の存在(諸天)に属する、幻惑させることのないほどに微弱な白色の薄明りも汝の目の前に近づいてくるであろう。「原典訳 チベットの死者の書」川崎信定訳1989/05 p29 チベット語から直接翻訳されているだけにより説明が詳しいが、名称とか文章の格調はともかくとして、内容の構成はそれほどかわるものではない。 ロバート・サーマンは1941年生まれのアメリカ人だが、64年にインドに渡り、ダライラマの側近(ゲルク派)のもとでチベット密教を学んだラマ僧(のちに還俗)だが、彼の訳になると次のようになる。 一日目(中略) キェー、善い人よ! あなたは四日と半日、失神していたが、先に進む時がやってきた。目覚めたときは「いったい何が起こったのだろう」と不安に思うかもしれない。自分がバルドにいることを理解しなさい。輪廻の中を漂う今、あらゆるものが光や神々として立ち現れてくる。あたりには青い光が満ちあふれている。すると、中央の仏の世界から、あまねく広がる心滴が立ち現れ、手には八輻の法輪をもち、獅子の台座の上で配偶尊であるアカシャ・ダトヴィシュヴァリと抱き合った姿の白い身体の主尊ヴァイローチャナ(大日如来)となる。自ら浄化された意識の集合体(識蘊(しきうん))である、リアリティを完成した智慧(法界体性智)の青い光、純粋で生き生きとした青い光がヴァイローチャナ男女両尊の心臓からほとばしり出るが、その光は、恐怖心を抱かせるほどにまばゆく、目をくらませる。この瞬間、神々が住む展開のやわらかな白い光が輝き、あなたはこの光と智慧の青い光によって満たされるだろう。「現代人のための『チベット死者の書』」ロバート・A・F・サーマン訳2007/05 p222 こまかいディティールにそれぞれの違いがあるが、もともとの土台となる部分についての基本は大きく異なっているわけではない。眼を閉じて瞑想に入れば、時に青い光や白い光を見ることはしばしばありうるし、その中に何らかの姿を持った人格神をイメージすることは、そんなに難しいことではない。 これらの三冊は、もともと「バルド・ソドル」(「バルドゥ トェ ドル」、「バルド・トゥドル」、「バルド・トドウル」とも)と言われるチベット密教の原典に基づいている。ところが、「ゲルク派版 チベット死者の書」は同じタイトルではあっても、もともとは「クスムナムシャ」というまったく別の経典が元となっている。 だから比較しようと思っても、対応するページを並べるというような検討は不可能である。チベット人たちにとっては、「バルド・ソドル」は、それほどメインの経典ではないし、もともと「バルド・ソドル」が、突出して西欧人に愛読されていることに納得できない。むしろ、自分たちが普段からなじんでいる「クスムナムシャ」をチベット密教の代表的な経典として、置き換えたい。そのような思いの中から、紹介され始まったのがこの「ゲルク派版 チベット死者の書」である。 ゲルク派版「死者の書」の正式な名称は「基本の三身の構造をよく明らかにする燈明」という。 (中略)いわゆる、14世紀チベットのテルトン(埋蔵経典伝承者)、カルマ・リンバによって著され、アメリカの人類学者、エバンツ・ヴェンツによって世界中に紹介されることになった、ニンマ派の「死者の書(バルド・トドゥル」)」とは、その成立とともに、目的にも若干の違いがある。p38 ゲルク派の人々にとって、「バルド・ソドル」の何が不足しているのだろうか。 この世界ができたばかりの、初劫(しょごう)の閻浮提(えんぶだい)の人たちは、以下のような特徴をもっていた。 母体・卵・水などのよりどころをもたず、忽然と生まれる化生であること。 無量の寿命に耐えうること。 全員、一切の根(こん)がそろっていること。 身体が、自然に放出される光により満たされていること。 仏の素晴らしいお姿である相好(そうごう)と相等しい、荘厳なるもので飾られていること。 段食(だんじき)によらず、心の喜びを食物として食する者であること。 神通力により虚空を行きうること。以上の七法をともなう者ばかりであった。p14 「バルド・ソドル」と「クスムナムシャ」を読み比べるというのは、当ブログの力量にあまるし、もともと、そのようなかたちで比較することにどのような功徳(笑)があるのか、まったくわからない。だが、一度はやってみたい、という欲望が湧いてくるのも事実。ここでは、そのような違いがある、ということを確認しておくことにとどめる。<3>につづく
2008.10.19
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「新しい中国人」ネットで団結する若者たち山谷剛史 2008/09 ソフトバンククリエイティブ 新書 247p Vol.2 No.335 ★★★★★ なんせスケールが大きい。中国全土のネット人口が2億8千万人とか。それでも10数億の人口全体から見れば、まだ少数派なのだ。20代30代の若者が中心になってネットを構成しているというのは、他の各国とそう変わりはないだろうが、やや遅れて始まった中国インターネットは、ある意味、無法地帯と言えなくもない。 中国のインターネットというと、どちらかというと規制が厳しいのではないか、と怪訝な気持ちになるが、どうしてどうして「自由」に闊歩しはじめているネット中国人が激増しているらしい。ソフトの違法コピーなどは当然想像つくが、ネット情報もかなり日本の領域にもはいりこんでいるらしい。中国でアクセスがトップだという日本のA☆女優を見てみると、なるほど、この手の女性が人気を呼ぶのか、と中国人気質を再確認。(☆印のところはV。楽天の倫理規定に抵触) 中国人にとって、日本は嫌いな国家でもあるらしいし、好きな国家でもあるらしい。このように両方のリストに上がる国は他にないとか。どちらもトップではないが、2~3位に顔を出している。 大雪、チベット問題、四川地震、聖火リレー騒動、北京オリンピック、そして食品偽造問題に、揺れに揺れる2008年の中国大陸だが、なんにせよ、ネットによって少しづつ情報が漏れ、また情報が入りこむことは、結論としては、よいことを生むことのほうが多いのではないか、と期待するところが大きい。
2008.10.18
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マハムドラー瞑想Vol.2 No.334 ★★★★★★第1ステージ:(30分)目を閉じて立ち、身体全体をゆるめ受容的でいますーそして待ち、起こることすべてに協力的でいます。突然、衝撃を感じるでしょう:あなたの身体がくつろいでいれば、あなたのコントロールを超えたところで、微妙なエネルギーが身体を動かし始めるでしょう。これがラテイハンです。第2ステージ:(20分)ひざまずき、両手を空に向けてかかげ、手のひらを上向きにし、頭を上げますー存在があなたに流れ込んで来るのをただ感じています。エネルギーが腕を流れる時、そよ風に吹かれる木の葉のような、やさしい震動を感じるでしょう。それを許しましょう。 2、3分後に、完全に満たされたと感じたら、前かがみになり、床に額をつけて休みます。神聖なエネルギーが大地と統合するための媒体になりましょう。これらのプロセスを、少なくとも7回くりかえしましょう。 第3ステージ:(15分)横たわり、静かにじっとしています。
2008.10.16
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「サキャ格言集」サキャ・パンディタ /今枝由郎 岩波書店 文庫 210p Vol.2 No.333 ★★★★☆ 定型的な四行詩だから、どことなくブッダの「ダンマパダ(法句経)」を連想する。しかし、どうしてどうして、書いてある内容は、かなり現実的な話が多く、いわゆる宗教ばなしからはかけ離れているような感じさえする。どうかすると、孔子やマキャベリさえタジタジとなるような寸言が集められている。この本、「ブータンに魅せられて」を書いた今枝由郎が翻訳している、というところが、どこかミスマッチで面白い。功徳の蔵を持った賢者は貴い格言を集める。大海は川の蔵であり川はすべてそこに流れる。 p7 700年前の、4500mを超える高原に花咲いたチベット文化に思いを寄せる。貴人の功徳はたえず賢者に賞賛される。マレーの白檀の香りは風で十方に広がる。 p21 言葉の使い方、その語彙、誰に対して、何を言おうとしているのか、ひとつひとつ留意して聞いていく必要がある。悪人は富んでも行いが悪くなる。滝の水をひっくり返しても水は下に落ちるばかりだ。 p33 シンプルに、わかりやすく、ややもするとデフォルメされて、覚えやすい形に整えられている。劣った者は財産があっても落ちぶれた良家の者に威圧される。飢えた虎の叫び声で猿は木の頂きから落ちる。 p51 チベットにおいては、猿は人間のご先祖さまだ。自然と共存する環境の中でこそ語りうる動物たちの営みもある。ずるい人が耳あたりよく話すのは自分のためであって敬意からではない。フクロウが気持ちよく鳴くのは悪い兆しをもたらす喜びからではない。 p69 どの社会においても、人間らしさには共通項があるものと見えて、他のどこかで聞いたことのあるようななつかしさを感じるときもある。自ら長官になってその役職を知る人は稀である。他人を見る目はあっても自分を見るには鏡が要る。 p89 もうこの辺は、地球上どこでも語られているような共通した現象だ。傲慢な召し使いきざな苦行者法に従わない王この三者は不応相である。 p115 きざな苦行者、ですか・・・・・。たしかにそんな奴もいそうな感じがする。これはやっぱり不応相だ。智恵のある者は小さなことでも常に相談して行う。うまくいけば何もいうことはなくうまくいかなくても素晴らしい。 p135 う~ん。衆生の保護者仏がおわしますのに他の師を敬うのは八支川のほとりに塩井を掘るのと同じだ。 p175 なんせ、日本でいえば鎌倉時代のことである。安易に現在のグローバル社会の寸法で推し量ってはなるまい。 457編の格言が収められている。
2008.10.16
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「智恵の言葉」 『サキャ・レクシェー』の教えツルティム・ケサン /正木晃 1997/07 角川書店 単行本 158p Vol.2 No.332 ★★★☆☆ 著者のサキャ・パンディタは1182~1251の時代のひと。まさに700年前のチベットを探索する時のメルクマールとなる時代に生きていた。 700年以上も前に、遥か彼方のチベット高原で書かれたのに、現代の日本でも、何の註釈もなしにそのまま通用する内容が多い点に驚かされる。これなら、サラリーマン向けの処世訓か金言集としても、十分以上に通用するにちがいない。p3 いわゆるチベット密教という高度にシステム化された文化がまだ未成熟な時代であったと言うことも可能であろうか。それだけ原石の光があった時代、とも言えるかも知れない。 サキャ・パンディタの時代には「死者の書」はまだ成立していなかったので、彼の見解を聞くことはできない。しかし、サキャ・パンディタが、もしこの書物を見たとしても、たぶん評価はしなかったであろうことは確かだ。サキャ・パンディタの考えでは、この警句に「臨終の時は積んだ功徳だけが頼りだ」とあるように、生前に積んだ功徳だけが死後の行方を決めるのであって、死んでしまった人にいくら経を読んだところで、無意味だからである。p15 一説に、煮ても焼いても食えないと言われるサキャ・パンディタ。当時、勃興していたモンゴル帝国を手玉に取り、まんまとその保護をかち得た政治力の持ち主だったとされる。この「サキャ・レクシュー」だけではなかなかその真実の顔が見えてこないが、この名前が700年以上が経過した現代になっても、チベット人は知らぬものがない、と言われるほどの存在。 サキャ派には独特の教えがあった。「道果説(ラムデー)」という。仏教で因果という場合、ふつうはまず因(原因)があって、そして果(結果)がある。両者の関係はあらゆる事象に貫かれているが、同時に修行が必要とされる根拠でもある。なぜなら、迷いという因があって、悟りという果がある以上、その間を修行によって結ぶしかないからだ。ところが、道果説では、密教の実践においては、因から果へと至る道(過程)にすでにして果(悟りの境地)が実現しているとみなされる。p21 サキャ派は歴史上においては一時的に大きな力を発揮したが、システム的に大きな力を長い時代に渡って維持することができなかった。 サキャ・パンディタは禅には極めて批判的で、いわゆる「無念無想」の境地を獲得しただけでは、成仏できないと強調した。当時、チベットでは中国禅の系統がかなり力をもっており、サキャ・パンディタのようなインド系の衣鉢を継ぐ人々と、熾烈な論争を展開していた。p30 当ブログとしては、チベット密教と禅の共通項さえ見つけようとしているわけだから、サキャ派の教義をそのまま受け取るわけにはいかないようだ。 チベット高原における月の重要性は、日本とは比較にならない。目印になるようなものが容易に見いだせない広漠たる地域では、月こそ最高の目印になるからだ。したがって、月を頼りに夜間、旅することもままあった。p97 カギュー派の話だが、太陽のような悟りを得たガンポパ、月のような悟りを得たレーチュンパと言われるが、「月」の意味が、日本で見ている月とは違うかも知れない。 サキャ派のサキャという名称は、地名に由来する。現在、チベットには、いわゆる四大宗派が存在するが、他の三宗派はゲルク(徳業)派・カギュー(伝統)派・ニンマ(古)派といったぐあいに、どれも抽象的な意味をもっている。それに対し、ひとりサキャ派だけが、根拠地の致命を宗派の名称に採用した。その点に、この宗派がもつ独自性の一端がうかがえるといっていい。p134 つまり氏族性が最も強かったということだろう。 サキャ・パンディタの著作は数多い。その大部分は、先に挙げた「三律儀分別」や「論理宝蔵」、「学者入門」など、仏教に関する専門的な内容に終始する。ほとんど唯一、ここにご紹介する「サキャ・レクシュー」のみが、一般の人々を対象に書かれた書物と考えてかまわない。p152 サキャ・パンディタ自身の格言そのものについては、続いて読もうと思う「サキャ格言集」に譲る。たしかに、これまで読んできた「チベット密教」の、どちらかというと、ギョッとするような「行法」はこの本の中には書いてない。あえて言えば物足りない、とさえ思う。しかし、これはサキャ・パンディタ全体の姿ではない、ということを覚えておくことにする。
2008.10.15
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カギュー派をよく知るために <総括> カギュー派の教義書としては、ガムポパの「ラムリム・タルゲン」を日本語訳した「解脱の宝飾」がもっとも本格的な書物である。 海外におけるカギュー派に関する出版物は、チョギャム・トゥルンパによるものが多かった。トゥルンパは転生活仏として生まれ、中国によるチベット侵攻のあと、アメリカに亡命し、カギュー派の密教を欧米に広め、詩人のギンズバーグなどに多大な影響をあたえたことで有名である。「チベットに生まれて」や「タントラ 叡智の曙光」、「タントラへの道」などを読むと、後期密教のもつ激烈な思想と行動原理を体現しつつ、現代の物質文明と対峙したチベット僧の類例なき生きざまが彷彿としてくる。 「西蔵仏教宗義研究 第五巻 カギュー派の章」 「裸形のチベット」p274、「増補チベット密教」p249 例によって、「ソーカツ」することなどとてもできるものではないが、前に進むためにも、一度はまとめておく必要もあろう。もともと、ネーミングも統一していない。カギュ派、カギュー派、カーギュ派、あるいはカギューパ、などと表記され乱立している。当ブログでは、いずれにも偏らず、どの表記も受け入れてきたが、カギュー派、という言い方一番安定しているようなので、今後はこの表記で統一して行こう。 実際には、このままカギュー派おっかけにとどまったほうが楽しそうなのではあるが、ここからゲルク派、ツォンカパ、そしてマンダラへ、というおおよその旅の日程が組まれているゆえ、いずれの日にか再読することを期して、今回は、次へのステップへ移ろうと思う。 「解脱の宝飾」 カギュー派の最も本格的な教義書、と言われても、これはなかなか読み下せない。この本に慣れるには、忍耐と時間が必要だ。もともと「教義書」と言われると「教科書」を連想して、ああ、ここでまたお勉強ですかぁ、という気分になってしまうので、ちょっと苦手。仏法僧の三宝、とは言うものの、行をあまり教義化してしまうのはどうかなぁ、と、ちょっと怪訝な気分でいる。それはツォンカパに対しても同じことだが。 「チベットに生まれて」 チョギャム・トゥルンパの書物は、多岐にわたっており、なかなか全体をつかみきれないが、それでもやっぱり、一冊一冊が魅力的である。この本は出生からインドへの亡命までの半生が書かれている。トゥルンパの魅力のひとつは、古いチベットの伝統にいたずらにこだわることなく、新しい地球人スピリットの土台として、チベット密教システムを、より本質的に進化させようとしているところ。 「タントラ 叡智の曙光」 対談の相方、H・V・ギュンターの突っ込みがあって、やや固いが、欧米における今日のチベット密教の繁殖ぶりを思うとき、この本の持っている意味はますます大きい。まさにタントラの夜明けのファンファーレを高々に歌い上げているような感じさえする。のちに還俗したチョギャム・トゥルンパが、何をどうしようとしたのか、ということを知るための切り口となる。 「タントラへの道」 精神の物質主義を断ち切って、というサブタイトルがなんともセンセーショナルだった。チョギャム・トゥルンパは決して長くはなかった人生を、彼流の生き方で生き抜いた、現代の活仏らしい一生だった。この本が出版され、日本においても翻訳された意味は大きかった。クラシックなチベット密教も人気が高まり、欧米の仏教に対する理解力も高まっているが、結局は、現代人のためのゾクチェンなりマハムドラーなりが編み出されるべきであり、いずれチョギャム・トゥルンパの再評価の時代が来るにちがいない。 「西蔵仏教宗義研究 第五巻 カギュー派の章」 この研究シリーズは、当ブログのチベット散歩にはとても貴重なガイドブックとなってくれそうだ。要所要所をコピーして、今後も多いに活用させてもらおうと思う。当ブログはうろうろしながらも、いつの間にか少しづつではあるが、らせん階段のごとく一段一段歩み続けているようだ。カギュー派については、今後も関心はつきないことだと思う。 さて、今回この五冊を契機として関連本のいくつかをめくってみたが、ここからの支線もかぎりなく多く、ひとつひとつ追っかけていったら、際限なく広がっていってしまいそうな予感がする。どこでどうとどめるのか、今はわからないが、たぶん、それは内的な制限より、外的な制限によって形づくられていくように感じる。つまり、カギュー派は面白い、ということ。でも、本当は、カギュー派と言われる前の、カギューの人々が面白い、と言ったほうが正しいかも。
2008.10.14
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<3>からつづく「解脱の宝飾」 <4> チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』ガムポパ /ツルティム・ケサン 2007/07 UNIO /星雲社 単行本 445p 仏陀の区別区別を説明するなら、仏陀について区別するなら、三種類の身体、[すなわち]1)法身と、2)受用身(報身)と、3)変化心(応身)です。 そのようにまた「金光明経」[の分別三身品]に「一切如来には三つの身がある。すなわち、法身と、受用身と、変化身です。」と説かれています。 では或る教には、[色身と法身]二つの身を説明しているものと、[自性心と智法身と受用身と変化身の]四つの身を説明しているものもある。五つの身を説明したものもある、というなら、 そのように説明しているが、すべてはその三身により仏陀の身は包摂されていると知るべきです。」と説かれています。p277 ですます調で書かれているからと言って、決して簡単ではない。むしろ、チベット言語を日本語に翻訳する作業の中で、原典にない補助的な意味合いが補てんされたりするので、煩雑な感じさえする。この文体に慣れるには、それなりの訓練と忍耐、そして時間が必要だろう。 今回はさっと目を通した程度であるが、あのミラレパの弟子であるガンポパによって書かれたこの「解脱の宝飾」は、ユルフンでお散歩気分の当ブログには、かなり手ごわい山脈となりそうだ。ツォンカパはさらにもっと険しい山道らしいので、今後の旅は、決して楽なものにはなりそうにない。いずれ再読、精読をするチャンスもあるだろう。 法身、報身、応身の三身論については、この最近、いくつか気がついたことがあるので、個人的にとても関心が深い。この部分から、わが旅は密教の世界へと足を踏み入れていくことになろう。 巻末に著者履歴として「著書、訳書」が10数冊リストアップされている。思えば、「増補チベット密教」や「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」、「大秘密四タントラ概論」、あるいはツォンカパ「悟りへの階梯」など、チベット密教関連の重要な典籍の翻訳は、このツルティム・ケサンの手によるものが多数あるようだ。いずれ、追っかけしてみようとも思うが、一冊一冊が入手不能なものも多く、また専門家たちの研究の対象になるような経典が多いので、追っかけるのも、また大変。犬もあるけば棒にあたる。避けて通れなくなったら、その時に、一冊一冊ひも解いて行ったほうが、この人の場合は似合っている、ということになるか。
2008.10.14
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「ミラレパの十万歌」 チベット密教の至宝 「ミラ・グルブム」<1>おおえまさのり 1983/04 いちえんそう/出版 めるくま-る/発売 、原書 The Hundred Thousand Songs of Milarepa]1962Vol.2 No.331 ★★★★★ この本は普及版が出されなかったのだろうか。これだけチベット密教に注目が集まっているのだから、チベットの民衆にもっとも愛された聖者ミラレパの、もっとも代表的な「十万歌」は、もう少し広く読まれてもいいはずだ。が、なんせこの976ページほどの大冊だから、文庫本化されたとしても、2~3冊の分冊になってしまう。 検索してみると、「ミラレパ」(1973)というイタリア映画もあったようだし、Youtubeでも動画がでている。 そこでミラレパは「六つの要」という歌を歌った。心の顕現(あらわれ)は無料の陽の光に浮かぶ無数のほこりよりも多いもの王者のごときヨーギはこれらの顕現の自性を知る存在の本性の実相は原因によっても、条件づけによても生ぜず王者のごときよー議は正しく明確に、唯一の真実を知るたとえ幾百の槍に脅かされようとかれの全知の智慧は不動かくして王者のごときヨーギは自然に一切の執着を征服する動いて止まらぬ心は鉄の箱に入れても飼いならすのは難しい王者のごときヨーギはこれら(心から)発する一切のものは幻であると知る p140 この本にはガンポパもでてくるが、レーチュンの名前のほうがはるかに多く頻出する。むしろミラレパとレーチュンパの対話集のごときである。しかし、それは体裁を整えるための文法でもあるかもしれない。超長大な一冊につき、後日、再読の要あり。この本、我が家の蔵書になって四半世紀が経過しようとしているのに、開いてひととおり目を通したのは、今回がほぼ初めてと言っていい。我が家の埋蔵経典とさえ言える(笑)。 <2>につづく
2008.10.13
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「チベット聖者の教え」エリック=エマニュエル・シュミット/ 阪田 由美子 2004/7 単行本 62p PHP研究所 Vol.2 No.330 ★★★☆☆ (ネタばれあり) 同じミラレパの話だが、エヴァ・ファン・ダムのコミック本よりもさらにシンプルなストーリー。作者はフランスのベストセラー作家。時空を超えた自分探しの物語とは言え92頁とはなんともシンプル。「あなたの前世はチベットの・・・・ 魂を浄めるために夢から夢へと駆け巡った900年---------」の帯のコピーは、どこまで本気(笑)だろうか。 もし、アバター多火手がチベットに生きていたとしたら、1215~1236頃、系譜としては、レーチェンパ(1084~1161)以降の伏流水の孫弟子あたりの位置か。 「あなたはなにも知らないのよ」と女は決めつけるように言った。「あなたの名前はスヴァスティカ。あなたは自分の魂を浄めようとして、この何百年というもの、夢と夢と駆け巡っている。あなたは憎しみから解放されたいと思っている。そのためには、あなたが闘った相手の話をしなくてはならない。最も偉大な行者、ミラレパの話をね。十万回話したあかつきに、ようやくサンサーラから・・・・輪廻から逃げられるわ」。 女は自分の席に戻り、青みがかった揺らめく煙の壁の向こうから、もう一度言った。 「いいこと、十万回よ、十万回・・・・・・」p5 ストーリーの中で時空もアイディンティティも大きく揺らぐ。 妙な話なんですが、ある個所までくると、いつもミラレパのことを”私”と言ってしまうんです。私がミラレパだなんて・・・・・・冗談じゃない。話に熱中して、ついその気になってしまって。シモンからスヴァスティカ、スヴァスティカからミラレパへと渡り歩くうち、自分がどこのだれかを忘れ、”私”という、この習慣と反射の集まりをどこかに置いてきてしまうんです。おかげで、以前より身近に動き回れますけどね。p36 この本にはDale TerBushの彩度の高いイラストが10数枚挟まれている。 ミラレパは愛弟子レーチュンパのほうに身を乗り出し、こう言った。「レーチュンパ、私は老いた。この体はひび割れている。もうじき、私はつぎのしるしを見せる。老いと病のしるしを」p58 エリック=エマニュエル・シュミットという作家が、母国フランスでどのような位置に存在するのかわからない。他にどのような作品を発表しているのかも知らない。だが、洋の東西を超えて、ミラレパやその周辺の物語は、たくさんのインスピレーションをひとりひとりに与えてくれることは間違いない。
2008.10.13
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「チベットの偉大なヨギー ミラレパ」(二千部限定版)訳編/おおえまさのり、 装丁/横尾忠則 1976/1 特別装丁p401 、単行本化 1980/08 めるくまーる Vol.2 No.329 ★★★★★★ この本、特別装丁本と後に単行本化されたものと、両方持っていたはずなのだが、今回は、この特別装丁版を読んでみた。 比較するのもどうかと思うが、エヴァ・ファン・ダムによってコミック化されたものより、当然のごとくストーリーが緻密にいっぱい詰まっている。ほんの20を超えたばかりで手にしたこの本を、すでに50の齢をはるかに超えてしまった現在の自分が、ふたたびこれほどの感動を持って読むことができるということに、ミラレパの偉大さを再認識する。 おお、レーチュンよ。おまえは既にわたしの生涯や来歴についてはよく知ってはいるけれども、他の者たちの恩恵のためにこの願いをするというのであれば、それに応じるのになんら異存はない。p35 聴衆の前にあって、ミラレパは、最愛の弟子レーチュンパの問いに答える形でみずからの来歴とその境涯を歌う。 再びレーチュンは立ち上がって礼拝し、師に懇願した。 慈悲深き主よ。あなたが最初に最勝の真理を得られた方法やそれにまつわる幾多の困難や犠牲の物語、また不滅の真理を修得してあらゆる知恵の最高に目標に到達されるまでに尊者がいかに絶え間なく瞑想されたかというお話、そして尊師がどのようにして網の目のようなカルマ(業)の力を超えて舞い上がり、未来のカルマの発生を妨げることができるようになられたのかおちうその行法の物語は、希望と大志を持つすべての者たちにとって、この上なく興味深く有益なものでございましょう。p35 このような形が美しい。この特別装丁本は、背表紙がついておらず、長い長い400頁の一枚に経典のようになっている。そこに裏表に印刷され、つづら折りになって一冊になっている。箱表紙に入っていて、横尾忠則の装丁がかなりシックだ。 当時、仏教の一大中心地であったナーランダ大学の総長の座にあって大仏聖の名をほしいままにしていたナロパは、それをいさぎよしとせず、その地位を去って、真の知恵と法、そして大いなる解放の成就を求めて放浪の旅に出たのであった。グルを求めての長い旅の果てに、ナロパはようやく神仙ティロパの名を聞き伝え、北インドのとある村に生涯の師を探し当てたのであった。そのティロパは当の村人たちも賢者などとはつゆ知らぬ、川のほとりに隠棲して魚の臓物のみを食らいながら生きる瘋狂者(ヨギー)であった。それから12年間、ナロパはティロパと起居を共にして、後世に残る多大な苦難の後、大成就を成し遂げたのであった。p383 ティロパがナロパに与えた歌が「マハムドラーの詩」である。そのナロパには「ナーローの六法」というものがあるが、当ブログではまだ充分認識していない。一連のツォンカパの著作の中に見つけていくことになろう。ナロパの教えを受けたマルパがミラレパであり、マルパの元で修行したミラレパが、その弟子レーチュンパの乞いに応じて歌ったのがこの本である。 ミラレパの弟子の中にあって、元医師であったガンポパは太陽のような悟りを開いたと言われたが、レーチュンパは、月のような悟りを開いたと言われる。カギュ派の相関図を見ると、たしかにその系譜は、月のように消えたか、表からは消えてしまって伏流水のようにもぐってしまったようだ。ガンポパは、その教義をまとめ「解脱の宝飾」を著した。 わたしの体は三つの素因(身と口と意)は、真理の身へと変えられてしまったので、わたしが後に亡骸を残すかどうかは定かではない。それ故、ストゥーパもツァッツァも必要でない。わたしは僧院も寺も持っていなかったので、私の法嗣を名指す必要がない。吹きさらしの不毛の丘や山の峰々、寂静の地や籠堂を、おまえたちみんなで持つがよい。六ローカの有情たちを、おまえたちの子や弟子として守護せよ。ストゥーパを建てる代わりに、ダルマのすべての部門に崇敬の念を養い、帰依の勝利の旗を揚げよ。そしてツァッツァの代わりに、不断に四唱の祈りを日々復唱せよ。わたしの涅槃会には、心の奥底から熱烈な祈願をわたしに捧げよ。317 チベット民衆に最も愛されているチベットのヨギー・ミラレパ。宗派を超えて、どの系譜においても、ミラレパは最大の敬愛を持って親しまれている。
2008.10.12
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<3>から続く「存在の詩」 <4> Osho講話録Osho/スワミ・プレム・プラブッダ 1977/04 めるくまーる 単行本 630p マハムドラーの詩ティロパ(988~1069)マハムドラーはすべての言葉とシンボルを超越せりされどナロパよ、真剣で忠実なる汝のためにいまこの詩を与うべし「空」は何ものも頼まずマハムドラーは何ものにも依らずまた労せずただゆったりと自然であることによりて人はくびきを打ち壊し解脱を手の内にするなりもし中空を見つめて何も見ずそのとき心をもって心を観ずれば人は差別を打ち破りブッダフッドに至るなり空をさまよう雲には根もなくまた家もなし分別の思いの心を漂いよぎるもまたしかりひとたび「自性心」の見らるることあらば識別は止まん空間に象と彩の生ずることあれどそは黒白に染まらず万物は「自性心」より出でしかも心は善悪に汚さるることなし長き時ふる暗闇も灼熱の陽を覆うこと能わずカルパにわたるサムサーラ(輪廻)も「心」のまばゆい光を隠すことを得ず「空」を説くに言葉の語らるることあれど「空」そのものは表わされ得ず"「心」は輝ける光のごとし"と言うもそはすべての言葉とシンボルを超越せり本質に於いて空なれど「心」は万物を抱き、そして容るるなりからだに於いては何もせずにくつろがせ口を堅く結びて沈黙を守り心を空しくして何ものも思わざれ中空の竹のごと汝のからだをくつろがせ与えずまた取らず、汝の心を休ませよマハムドラーは何ものにも執着せざる心のごとしかくのごとく行ずるによりてやがて汝はブッダフッドに至らん真言、波羅蜜多の行経文、訓戒の示すところ宗門、聖典の教えも甚深の真理の実現をもたらすことなし欲望に満たされし心の目標を追わざるを得ざればそはただ光を隠すのみなるがゆえにいまだ識別を離れずしてタントラ教理を持する者サマヤの精神にそむくなりすべての行動を止め、すべての欲望を避けよあらしめよ、思考の大海の波のごとく浮き沈むがままにたえて無安住と並びに無差別の原理をそこなわざる者タントラ教理をささげ持つなり切望を避けかれこれに執着せざる者聖典の真意を知るなりマハムドラーに於いて、人の持つ一切の罪は焼かれマハムドラーに於いて人はこの世の獄より解き放たれんこれぞダルマの至高の灯なりそを疑う者とこしえに不幸と悲しみにのたうつ愚者なり解脱を目ざすにあたり人はグルに依るべし汝の心がその祝福を受くるとき解放は間近なりああ、この世のすべては無意味にしてただ悲しみの種子なるばかりなり小さき教えは行ないへといざなえば人はただ大いなる教えにのみ従うべし二元性を越ゆるは王の見地散乱を征服するは王者の行行なき道こそすべてのブッダたちの道なりその道を踏むもの、ブッダフッドに至らんはかなきかなこの世幻や夢のごと、そは実体を持たずそを捨てて血縁を断てよ欲望と憎しみの糸を切り山林にありて瞑想せよ労なくしてゆったりと「自然なる境地」にとどまるならば間もなく汝はマハムドラーにたどり着き無達成なるものを達成せん木の根を断たば葉は枯れん汝の心の根を断たばサムサーラは崩れんいかなる灯の光も一瞬にして長きカルパの闇を払う心の強き光ただ一閃なれど無知なるヴェールを焼かん心に執着せる者の心を越えたる真理を見ることなくダルマを行ぜんと求むる者の行を越えたる真理を見いだすことなし心と行をふたつながら越えたるものを知らんには人はきっぱりと心の根を断ち切りて裸眼をもちて見つむべししかして人は一切の差別を打ち破りくつろぎにとどまるべし与えず、また取らず人はただ自然のままにあるべしマハムドラーはすべての容認と拒絶を越えたるがゆえにもとよりアラヤの生ずることあらざれば誰もそを妨げ汚すこと能わず不出生の境界にありてすべてのあらわれはダルマタへと溶解し自己意志と傲慢は無の中に消滅せん至高の理解はかれこれの一切を超越し至高の行為は執着なくして大いなる機知を抱く至高の成就とは望みなくして内在を知ることなりはじめヨーギはおのが心の滝のごとく転落するを感じ中ほどにてはガンガーのごとそはゆるやかにやさしく流れついに、そは大いなる海なり息子と母の光がひとつに溶け合うところ <5>につづく
2008.10.12
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「チベットの聖者ミラレパ」エヴァ・ファン・ダム /中沢新一 1994/07 法蔵館 単行本 92pVol.2 No.328 ★★★★☆ カギュー派と言えばミラレパだが、チベットと言えばミラレパ、と言われるほど、もっともチベット人たちに愛されているミラレパ。その「十万歌」などもゆっくり再読する機会があるだろうが、今回はコミック仕立てのミラレパ伝である。オランダ生まれの女性アーティストが描いたカラフルな本だが、わずか78ページの中に、シンプルなミラレパの伝記が浮きあがってくる。 こまかいディティールについての不足は敢えて言うまい。むしろ、カラフルな画像が、ストーリーを補っている。翻訳の中沢新一が10数ページにわたって「魔術から仏法へ」という短いが分かりやすい解説を書いている。出版されたのは1994年の7月。 彼(ミラレパ)には、レチュンパやガンポパのような、何人ものすぐれた弟子ができた。マルパとミラレパの物語も、実に人間的だったが、ミラレパの弟子たちも、それに劣らず人間的な人々だ。ミラレパがもっとも愛した弟子レチュンパは、すぐれた成就を実現したレパの一人だけれど、ときにには美人との恋愛に夢中になって、ミラレパを心配させたこともあるし、戒律に頑固なガンポパの出家の動機はといえば、最愛の妻が早死にするが、その死の床での彼女の、「私が死んだあと、ほかの女性と仲良くなったりしないで。だから、私が死んだら、出家僧になって、仏教の修行にはげむ、と誓ってちょうだい」という願いを聞き入れたことにはじまっている。p87(中沢)
2008.10.10
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<1>よりつづく「タントラへの道」 精神の物質主義を断ち切って チョギャム・トゥルンパ 風砂子・デ・アンジェリス・訳 1981/10 めるくまーる社 原著 1973 Cutting Through Spritual Materialism★★★★☆ チョギャム・トゥルンパは、「チベットに生まれて」を見る限り、チベット社会におけるきわめて誠実で気まじめな実直な青年のように思えるが、イギリスなどの欧米に留学したあと、アメリカに渡り、ニューエイジ達にチベット仏教を伝える役割を果たしながら、次第次第に彼独自の世界を切り開いていった頃には、なんともユニークなユーモアにあふれた存在に成長していたようだ。 彼をカギュ派の活仏と見るよりも、伝統を語りながらも、その伝統を自分なりに咀嚼して生きて行った独自の存在と見るとすると、彼の代表作は「シャンバラ 勇者の道」のほうがふさわしい、と私には思える。トゥルンパに直に触れたわけではないが、こうして「チベット<歴史>深読みリスト」を追っかけていくと、ますます彼のユニークな存在がひときわ目立ってくる。 この本に書かれている「精神の物質主義を断ち切って」は、通常の伝統的な仏教、あるいはチベット密教の教義に裏打ちされていることは間違いないが、仏教国における仏教徒を教化していく立場とはまるで違った立場に置かれた著者の、ひと工夫もふた工夫も加えた教説に、その巧みな手腕がしのばれる。 この本、あちこちに気になる部分があるが、今回はメモするはやめておこう。すでに35年も前の、ある特殊な環境における過渡的な講話録であり、教義的な考察をしたとしても、方便として語られていることに、当時の環境をよく知らないまま反応しても、とんでもなくトンチンカンなことになってしまう可能性もあるから。 チベット文化をよく知らないアメリカの当時の若者たちにチベット密教を理解させるには、それなりの苦労があったに違いない。「希望的に見て、次の20年から30年ぐらいの間には、マンダラの創造や仏尊との一体化を説く金剛乗の原理は正しく紹介されることでしょう。」 「タントラ 叡智の曙光」p174と語っていたトゥルンパだが、たしかにあれから35年が経過して、世界は、チベット密教の奥義について、ようやく正しい関心を持ち始め、いまこそ、例え話や、意味的な翻訳ではなく、チベット密教そのものを学ぼうとしてし始めている。 欧米風に味付けしたトゥルンパの仏教は、ややもすると時代の中で、物足りないものになっているかもしれない。そして時代は、ヘヴィーなチベット・タントラを求め始めているようだ。しかし、私にはそれもまた、過渡的な現象であろうと思われる。それこそあと2~30年もしたら、チベット密教は地球人スピリットの中へと融合されてしまい、その時になったら、またトゥルンパの再評価の時代が来るのではないだろうか。 翻訳者の風砂子・デ・アンジェリスの言葉として、巻末に下記が引用されていた。 1966年から68年にかけて、ネパールに住み、中国侵略を逃れてきたチベット人たちと近しく暮らした私には、避難民であり、ボロボロの服をまといながr、地元のネパール人おりも堂々と歩き、黄色い歯をむき出しにしてたくましく笑う男や女たちが、一日中道ばたに坐ってマニ(祈祷輪筒)を回し、オム・マニ・パドメ・フンとマントラを唱える老人から、祈る心そのものであるチベット仏教を深く教えらえました。その祈りの上に建てられた黄金の殿堂も、教理哲学も、私には不必要なものに思われます。p320 オム・マニ・パドメ・フン
2008.10.10
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<1>より続く「タントラ 叡智の曙光」 タントラ仏教の哲学と実践 <2>H・ギュンター /チョギャム・トゥルンパ 宮坂宥洪・翻訳 1992/08 人文書院 単行本 207p 原書 The Dawn of Tantra 1975 ★★★★☆ ヒンドゥー教の伝統におけるタントラと仏教におけるタントラとを区別しなければなりません。これらは二つの伝統はともにインド固有のものでして、長い時代にわたって同じ言語を用いてきました。すなわち、サンスクリット語です。けれども、いずれの伝統もその用語の特殊な使い方を定めています。ですから、ある特定の用語で一方の伝統が理解していることを、他方の伝統でも同じように理解しているとはかぎりません。p14 なにはともあれ、誤解は理解の始まりだ。地球人スピリット時代にあって、さまざまな文化が融合していくことになるだろうが、その前に互いの差異に気づくことも大切だ。 ギュンター教授と私は共にタントラというテーマに取り組む方法を話し合った結果、教授がプラジャニャー(般若)について、すなわちタントラの知的側面を論じ、私がウパーヤ(方便)について、すなわちその技法的手段、言いかえれば実践的応用の側面を論じるのが最良の方法であろうということになりました。p23 「般若」と「方便」、という言葉の使い方も、まだまだ気になるところ。 ヨーガチャクラ派は「アーラヤ識」(阿羅耶識)という概念を用いました。この概念は仏教の様々な学派で異なった意味で用いられてきていますが、タントラの伝統では非常な重要な概念となります。「アーラヤ識」自体はすでに「基本的拠り所」を意味する「アーラヤ」そのものとは違うのです。単に「アーラヤ」といえば、われわれはそれが存在論的な意味での実体であることを明言しなくても、話をするうえで、そのようなものと決めてかかってしまいます。そうではなくて、アーラヤ識とは、われわれの思考がいつも主観と客観というふうに分離していく<心的傾向>のことです。p39 ツォンカパのクンシ・カンテル 「アーラヤ識とマナ識の研究」なんて本もあったから、次第次第にこの領域についても、すこしづつ足を踏み入れていくことになるだろう。 マハームドラー(大印)の実践は、建設的な体験と消極的な体験をともに微細なシンボリズム、すなわち基本的存在の微細な表現として知り味わうこと、つまりは微細な基本的状況を理解することなのです。p85 シンボリズムと暗喩は、さまざまな誤解と曲解を生み出してしまう可能性もある。マハムドラーとは、16才の少女を意味するなんていう研究もあり、ゆめゆめ油断はできない。Oshoにも「マハムドラー瞑想」というものがあるが、メソッドとしては、実にシンプルですぐに誰でもできるものだ。「ラティハン」と「祈りの瞑想」の組み合わせだが、実にパワフルな瞑想である。 インド仏教ならびにチベット仏教の歴史上、もっとも重要な人物の一人はナーローパです。仏教の相承系譜の中で異彩を放つ名高い他の人たちとは異なり、ナーローパは疑いなく実在した人物でした。ナーローパはチベット仏教のカギュ派の系統に属し、師はティローパといい、彼の弟子はマルパといい、この順番でいずれも相承系譜の祖師として仰がれています。ナーローパはまたチベットにおけるすべての宗派の人々から、お手本となるべき弟子の理想像として見做されて崇められています。p91 カギュ派の人々のお話であれば、せめてこの辺の話はでてこないと、カッコがつかない。 澄みきった仲秋の満月輪の上にひとつの種字を思い描きなさい。その種字より涼しげな青い光線が放射され、限りない静かな慈悲の心がはるか天空の境を超えて大きく広がっていきます。それは諸々の妄執を解消する根源的な思いやりをもたらし、生きとして生ける者が必要とし願うところのものを満たしてくれるでしょう。 次に、その種字からマハーヴァィローチャナ(大日如来)を生み出しなさい。色は白。貴族の風貌。年頃は八歳の少年。美しく無垢で純粋で力強く、気品に満ちたまなざしをしています。インド中世時代の王の衣装を身にまとい、あらゆる願いをかなえる宝石のちりばめられた黄金のまばゆく輝く王冠を頭上につけています。黒々とした長髪の一部は両肩と背中に垂れ下がり、あとの残りは頭頂で束ねられ、その周囲はきらきら輝くブルーダイヤモンドで飾らえれています。月輪の台座のうえに両脚を組んで座し、両手は定印を結び、その手中に純白の水晶で作られた金剛杵を保ち持たれています。p104 先日から、この大日如来と、当ブログの主人公たるアバター多火手がシンパシーを持ち始めている。もし当ブログが今後さらに密教に近づいていくなら、このアバター多火手が縦横に動きだすことになるだろう。 伝統にしたがいますと、金剛乗の教えをインドからチベットにもたらした主要な指導者の一人はアティーシャ・ディーパンカラという人でした。アティーシャは「放棄の教え」をもって金剛乗の根拠を示しました。事実、アティーシャほど仏法僧の三宝に帰依することを強く重視した人はいないという点で、それゆえ彼は「帰依」する指導者として有名でした。p111 いずれアティーシャについては、メインテーマとして追っかけをする時もあるだろう。せっかくの書き込みもまだ対応できていない。 仏教の道はわれわれが自分自身の状況を一つのマンダラとしてみることができるようにしてくれるものであって、それはまず帰依する行為から始まります。p120 そういえば、当ブログにもオリジナルな曼荼羅があった。かならずしも帰依のプロセスとして存在したわけではないが、自分自身の状況を、マンダラとして見ることは有効だ。 ----ヒンドゥー教と仏教のタントラは同時に興起したのであって、一方が他方に先行して起こったのではないと言われていますが、これは正しいでしょうか。☆:はい、それは間違っていないと思います。両者はまったく別のものであり、どちらかが他方に由来しているとはちょっと言えないでしょう。ヒンドゥー教タントラの力点は行為、すなわち創造におかれています。仏教タントラでは、鑑賞眼的識別力ともいうべきプラジュニャー(般若、智慧)の理論と、それと同等に重要なウパーヤすなわち方便の理論をそなえ、まったく力点のおきどころが異なっています。p151 なにはともあれ、混沌とした中を歩み続けるしかない。 希望的に見て、次の20年から30年ぐらいの間には、マンダラの創造や仏尊との一体化を説く金剛乗の原理は正しく紹介されることでしょう。現在のところ、まだきわめて時期尚早の感を拭えません。ギュンター教授がおっしゃったように、タントラはその始まりから誤解され続けてきました。ですから、何よりもまずこの根本的な誤解を説いていかなければなりません。誤解が正されたとき、人々は何かを感じ始めるでしょう。やがて、それを咀嚼し始めて、そして呑み込むのです。それからやがて消化し始めるという段取りです。この全体のプロセスはかなり時間を要することでしょうね。p174 この本の原書が出されたのが1975年であってみれば、その20年から30年後と言えば、まさに現在のことを意味している。さぁ、金剛乗の原理は「正しく紹介されて」いるだろうか。 奥付をみると、この本の翻訳者・宮坂宥洪は1950年生まれだが、1977年~81年の間、インド・プーナ大学に留学したとなっている。なんと、この辺、立川武蔵教授とかぶっている。ひょっとすると宮坂氏もPune1についてどこかで言及しているかもしれない。
2008.10.09
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<1>からつづく「チベットに生まれて」 <再読>=<2>或る活仏の苦難の半生チョギャム・トゥルンパ /武内紿人 1989/01 人文書院 単行本 332p、 原書 BORN IN TIBET 1966★★★★☆ 「チベット<歴史>深読みリスト」の中の「カギュ派よく知るために」では、5冊のうち3冊が、チョギャム・トゥルンパの著書が占めている。「解脱の宝飾」が2007/07の発行であり、「西蔵仏教宗義研究5 カギュ派の章」は1987年の八行とは言え、一般にはほとんど入手不可能な「非売品」であることを考える時、過去において、いかにカギュ派についての情報が不足しており、逆に言えば、チョギャム・トゥルンパの人生と著書、そしてその生きざまが、いかに欧米において重要性が高かったがわかる。 この本は、著者が自伝的に語った、出生から教育の過程、そして中国共産党とのかかわりと、そこからの脱出をはかり、インドへと亡命するまでの過程がことこまかにメモしてある。カギュ派の教育システムについての資料性も高いだろうが、また、チベット動乱で、チベットの地を追われた人々がヒマラヤを超えて、逃亡した状況がいかに大変であったかが、克明に記録されている。 私が最初に発した言葉は、オムマニペメフム(観音菩薩に対する願文)であったらしい。もっとも、それを私が正しく発音したとは思えないけれども。p15 いずこにもあるその出生の神秘化ではあるが、チベットのラマ達の共通の態度は、それを認めつつも、いたってそれらを常に謙虚に言っていることだ。 先生は私に、異なる宗教を比較研究し、それらの共通点を説明することを勧めた。彼は、私の他宗派の教義に対する批判に耳を傾け、こう言った。「単に理論のみに走ってはいけない。教えの意味をじっくりと考えてみるのだ。仏陀の教えだからといって鵜呑みにするのではなく、自分自身で吟味しなおさねばならない。中道をとることが大切なのだ。ある教えのを経典のなかに見出したとき、真実それに従おうと思えば、その本当に意味するところを自分自身で探り出さねばならない。知識というものは金と同じ方法で試される。まず精製され、打たれ、磨かれてこそ本当の輝きが出て、純金であることが見出されるのだ。」p110 教育の根本は、場所と時間を変えても、基本はそれほど変わるものではない、ということだろう。 チェンツェ活仏は別れに際し、私にこう言った。「これから将来はあなたを導くことのできる師もいなくなるだろうから、自分で自分を磨き、鍛えなければならない。新しい時代に入ったのだ。仏陀の純粋な教えは一人一人が自分で守り育てていかねばならない。法燈を守る責は宗派全体にあるのではなく個人個人に帰せられる。今までのようなあり方を、今後継続することは不可能になると思えるからだ。私たちはもう教団や体制に依存することはできない。状況は極めて苛酷なものになろう。私たちの多くはすでに年老いている。重責を荷なっていくのはあなた方新しい世代の若者たちである。」p108 つねに時代は若者によって塗りかえられて行く。 教師は、他の人を援助することを拒んではならない。人に教えることによって自分も常に学ぶことができる。これが菩薩道です。菩薩は他人を救済しつつ、自分自身がさらに深い悟りに到るのです。p127 菩薩道、慈悲心は、仏教のおける第一義的なことだ。自らの覚醒を求めることと一対をなしており、往道と還相、愛と瞑想、のように、円環をなしている。 その地域の人々は私が教えを授け、病人は瀕死の人々を助けてくれることを切に願っていた。それをかなえるには、ほとんど毎日僧院を一日中留守にしなければならないので、私は、生徒一人一人にもっと注意を払える助手のケンポが必要になり、ケンポ・ザンデンにこの地位についてくれるように頼むことにした。彼はまたたくさんの講義も引き継いでくれた。私たちはその頃チョジェ・ガンポパの「解脱の宝環」(タルパ・リンポチェ・ギェン)を勉強していた。p151 巻末には「東チベットのカギュ派僧院の管理機構と役職名」というリストがある。21におよぶその階級名を覚えるのは大変だが、チベット本の中にいきなり飛び出してくる名前と役職名はなかなか整理できないが、このリストにあてはめて考えれば、その人のプロフィールがだいぶ補完される可能性がある。 オムマニペメフム
2008.10.09
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「サキャ派をよく知るために」 <総括> サキャ派の研究は、残念ながら、まだあまりすすんでいない。一般向けの書物としては、「チベット密教の神秘 快楽の空・智恵の海」がほとんど唯一で、同書は、サキャ派全盛時代の基礎を築いたサキャ・パンディタがのこした教訓詩集で、チベット人全体にとってかけがえのない精神的な糧とされてきたものである。 「西蔵仏教宗義研究 第一巻 サキャ派の章」はゲルク派の学僧トゥカンが、インド・チベット・中国などに誕生した仏教諸宗教の歴史と教義を総括した書物「一切宗義」のうち、サキャ派を論じた部分の邦訳・注訳・解説であり、第一究の史料として定評がある。「裸形のチベット」p274 となっているが、一部原稿の脱落があるようで、意味が通じないところがある。ほぼ同じ内容だが、「増補チベット密教」の「サキャ派」のほうが、より正確なようだ。 サキャ派の研究は、残念ながら、まだあまりすすんでいない。一般向けの書物としては、「チベット密教の神秘 快楽の空・智恵の海」がほとんど唯一で、同書は、サキャ派に属するコンカルドジェデン寺の密教図像群を紹介するとともに、ヘーヴァジュラの観想法を論じている。「智恵の言葉 サキャ・レクシェーの教え」、同じく「サキャ挌言集」は、サキャ派全盛時代の基礎を築いたサキャ・オパンディタが残した教訓詩集で、チベット全体にとって、かけがえのない精神的な糧とされてきたものである。 「西蔵仏教宗義研究 第一巻 サキャ派の章」はゲルク派の学僧トゥカンが、インド・チベット・中国などに誕生した仏教諸宗教の歴史と教義を総括した書物「一切宗義」のうち、サキャ派を論じた部分の邦訳・注訳・解説であり、第一究の史料として定評がある。「増補チベット密教」p248 ほとんど同じ内容であるはずなのに、「裸形のチベット」では、かなりの原稿が脱落してしまったようだ。意味が通じないばかりか、「智恵の言葉 サキャ・レクシュー」と「サキャ格言集」が抜けていたのは、誠に残念である。当ブログは、まず「裸形のチベット」の「チベット<歴史>深読みリスト」を中心に読書を進めてきたので、この二書が抜けていたことを今になって初めて気がついた。 「増補チベット密教」の「チベット<密教>深読みリスト」はいずれ、全体を読むつもりでいるので、その時までにこの二冊を読むことにしよう。 「チベット密教の神秘」の表紙のコピー「快楽の空・智恵の海」のことがすこし気になる。この文章は単なるコピーなのだろうか、それとも何か意味があるのか。父タントラは空を求める方便として語られ、母タントラは快楽を通じて俗なるものへと帰還する智恵としてかたられることがある。このコピーはむしろ私には「智恵の空・快楽の海」と読むことのほうがふさわしいような気がするのだが。 「西蔵仏教宗義研究1 サキャ派の章」は上のカラー印刷のグラフィック誌とは、実に好対称的な存在感をを示している。おごそかな落ち着いたヴァイブレーションだ。すこしづつ、方便と知恵の、空と海へと、魂の解放がはじまるのだ、という金剛杵と金剛鈴のシンボルさえ連想させる。この二書、実に好対称だ。 ここで「サキャ派」をソーカツしてしまうのはあまりに早すぎるが、なにはともあれ、すこしづつサキャ派が見えてきた。文献の存在だけでなく、その系譜が存在した理由がすこしづつ紐とかれてきたようだ。--------------------2008/10/16 追記「知恵の言葉」 サキャ・レクシェーの教え ツルティム・ケサンと正木晃の、互いが認める「前世の因縁」コンビがサキャ・パンディタと取り組む。解説も面白いし、挟まれているカラー写真も美しい。チベット仏教歴史の、あらたなる側面を見る思いがする。「サキャ格言集」 ある意味毒々しいチベット密教の本を読んだあとにこの本に触れると、拍子抜けさえしてしまうほどの、あっけらかんさを味わうことになる。もともとチベットの人々が持っている淡々としたおおらかさは、むしろこの本に書いてあるような、ごくごくありふれた日常の中から生まれてきているのではないだろうか。 これら4冊を読んでみて、初めて立体的に見えてくるサキャ派というものも確かにある。あまりに難渋になりすぎる教義は、果たして、本当の仏道であるだろうか。ごくごくシンプルにわかりやすく、あまりに技を弄するような道は、私は本当のところ好きではない。the top seacret is the open seacret。密教の密教たる部分は、ごくごくありのまま生きることの中にあるはずなのである。
2008.10.08
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<1>よりつづく「西蔵仏教宗義研究」第1巻(トゥカン『一切宗義』サキャ派の章)<2>立川 武蔵 1974/06東洋文庫 166ページ 18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍した一人のゲルク派の僧侶によってインド、チベット、中国、蒙古における仏教の諸学派、中国儒教、更にはボン教の教説の一大綱要書が著された。その正式名称は『一切の宗義の起源と綱要を示す「善説水晶鏡」』と言う。以後本書では「一切宗義」と略すことにする。第二代トゥカン・ロサンチューキニマ(1737~1802)の作で、彼の死の前年に完成されている。p8 つまり、そもそもが、この「西蔵仏教宗義研究」という東洋文庫から非売品として発行され、20年に渡って刊行されて続けている一連の研究は、この18世紀のチベットのゲルク派僧侶トゥカンによって書かれた「一切経」という経典を日本語に翻訳しながら、その担当者たちが詳しい解説を加えたものである。 もともとの「一切経」としての資料としての価値が一級品で、それを解説した日本語解説も、日本における現代チベット仏教の一流の研究者たちからなるグループによるもので、かなり稀少価値のあるものであるようだ。 しかもこの「サキャ派の章」は、その第一巻としてのスタートを飾るわけだから、なんとも初々しいものがある。担当者が立川武蔵という重鎮で、私は個人的には彼の「インド・アメリカ思索行」にカチンときてしまっているので、うまく心を開けないのだが、日本語文献におけるチベット密教研究を進めるには、この人物を避けては前には進めない。彼は、この第一巻の「サキャ派の章」のほか、第五巻「カギュ派の章」1987/03と、第七巻「ゲルク派の章」も担当している。 「宗義」というジャンル チベットにおいては著作に関するいくつかのジャンルが決まっており、作者たちは自分の著作がどのジャンルに属するかを意識し、その題名の中にジャンル名を含ませるのが普通である。それらの名称とは「伝記」、「仏教史」、「師の系譜」、「宗義」等である。p11 「伝記」はひとりの僧侶の生涯を年代順に追っていくもの、「仏教史」とは、各学派の開祖の簡単な伝記及びそれ以後の学派の形成を徳にその派の教説に焦点をあてて年代順にのべていくもの、「師の系譜」とは或る特定の学派あるいは不特定多数の学派の人脈を中心に描くものである。トゥカンの「一切宗義」が属する「宗義」は、それぞれの学派において確立され体系化されている教義を述べるものである。 サキャ派の代表的密教教説となった道果説はヴィルーパによって創始されたと伝えられている。p18 この道果説は、概念そのものは理解するのはそれほど難解ではなさそうだが、その説の背景やその人的系譜などについては、ややこしいので後日に回す。 顕教では認識主体の働きは独断的悪見解を生むものとして全面的否定されうが、密教では認識主体の働きである照を迷いの世界に属するものとは認めつつもそれは実はやがて清らかなひらめき即ち光明になるものに他ならないとして肯定する。その上で相反する二つの極は直接結びつけられて(c)となる。矛盾する二つの極を全的に肯定しうる真実の世界は言葉では表現できない。あえて言葉にするとき、それは逆説となる。トゥカン「一切宗義」(サキャ派の章)が最後に達したもの、それは逆説であった。p38 なんともこの「逆説」という結論に、なかなかそそられるものがある。 本書の第三部において、チベット語のテキスト経典の図版や系図などがかなりのページを割いて紹介されており、読解力のある研究者なら、興味深い部分が多くあるものと思われる。
2008.10.08
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<2>よりつづく「チベット密教の神秘」 <3>快楽の空・智慧の海正木晃 /立川武蔵 1997/03 学習研究社 全集・双書 135p ざっと目を通したところ、あちこちメモしておきたいところがあったので、以下ランダムに書きだしておく。 1959年のチベット動乱の結果、故郷を脱出し亡命生活を余儀なくされたチベット人たちが、その悲劇を逆手にとって、チベット密教が世界に広まる絶好の機会に転じてしまった歴史がある。だが、それだけではない。チベット密教こそ、世界史上、最も完成度の高い神秘主義であり、その理論も、その実践方法も、比類なき水準に達していることが、今日の隆盛をもたらした最大の理由なのである。p25 ここでは「最も完成度の高い神秘主義であり、その理論も、その実践方法も、比類なき水準に達している」1997と持ち上げているが、同じ正木晃は「増補チベット密教」2000、2008では、ややトーンダウンの表現をしている。 これまでチベット密教に対しては、相反する二つの見解が存在した。一つはチベット密教は堕落した仏教であるという否定の見解。もう一つは、チベット密教は最高の宗教的叡智であり、人類が直面している難問の多くを解決する力をもつという礼賛の見解である。私たちにいわせれば、これらの二つの見解は両方とも極端にすぎる。「増補チベット密教」p010 かといって、衆目が、熱い期待観を持って、チベット密教の動向に深く注目していることには変わりはない。 サキャ派の「サキャ」とは、世界の最高峰チョモランマ(エヴェレスト)の北方に位置する高原の一角にある地名である。チベットにしては珍しく、かなり豊穣な土地だ。p29 そういえば、チベット密教の中興の祖とされるツォンカパの意味も、玉ねぎ畑のおじさん、という程度の意味だった。 なにゆえに、密教はあまりに極端ともみえる方向を選択したのだろうか。その解答を考えるとき非常に重要な事実がある。こうした方向は、なにも仏教に限らなかったという点だ。ほぼ同じ時期、仏教と敵対し抗争を続けていたヒンドゥー教も、同じ選択をしていた。そして、厳しい禁欲を特徴とするジャイナ教もまた、この方向に向いていた。 欧米の学会では、性的ヨーガの実践を主張する聖典を「タントラ」、タントラを至高の教説とみなす宗教形態への移行を「タントラ化」と称してきた。ちなみに、タントラ仏教と密教は同義である。p58 いずれジャイナ・タントラも追いかけてみたい。いろいろな文献をあさっていると、使用されている用語に乱れがあるので、初学者としてはうろうろさまよってしまうことになるのだが、ここで正木晃に「タントラ仏教と密教は同義である」と断言してもらうとありがたい。 しかしよくよく考えてみると、「タントラ仏教」=「タントラ密教」という意味なのか、あるいは「タントラ仏教」=「(日本なども含む)密教」なのか、またまた悩んでしまうことに・・・。 イダムとは、主尊として尊崇すべきホトケというけにとどまらない。ある個人ないし宗派にとっての「守護神」でもあって、チベット密教にしか見いだせない独特の宗教的存在といっていい。p62 イダムとは、前回の書き込みで何度もでてきたので、ここで守護神のこと、と明記しておく必要がある。 「カーラチャクラ・タントラ」がインド仏教史の最後を飾る壮大な体系を有していることは疑いない。天文学・宇宙論・身体論・音韻論をはじめ、当時としては最高レヴェルの「科学」が網羅されて、ブッダの教説との統合がはかられている。p93 「カーラチャクラ」については、「ダライ・ラマの密教入門」などからアプローチ中であるが、いまいちまだよくわからない。 コンカルドルジェデンはサキャ派に属するが、サキャ派の人々にとってもっとも重要な秘密仏はヘーヴァジュラである。この尊格は一般に十六臂(じゅうろっぴ)で、それぞれの手にカパーラをもつすがたで表現される。コンカルドジェデンのイダム堂の北壁の正面には十六臂のヘーヴァジュラが描かれている。p106 教義や技法、行法、マンダラや神格、寺院などについては、当ブログの今後の宿題として残っている。
2008.10.08
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<1>よりつづく「チベット密教の神秘」 <2> 快楽の空・智慧の海正木晃 /立川武蔵 1997/03 学習研究社 全集・双書 135p ★★★★★ 「チベット<歴史>リスト」の「サキャ派をよく知るために」には、二冊の本しかリストアップされていない。一冊は「西蔵仏教宗義研究第一巻サキャ派の章」であるが、もう一冊がこの本である。もともと4大流派と言われながら、チベット中世において一時代を築いたサキャ派についての日本語文献は相当にすくないと見てよい。 この本において、正木晃が1995年にツルティム・ケサンなどとチベットを訪れた際、チベット玄関口のコンカル空港の近くで偶然に発見した、サキャ派寺院の奥の院を写真に収めるという作業が行われて、ようやく白日のもとに出されたことがレポートされている。しかし、このコンカルドルジェデン寺についてのレポート以外は、かなずしもサキャ派に限ったことが書かれているわけではない。 東壁の母タントラ系のホトケたちと西壁の父タントラ系のホトケたちの描き分けは、すこぶる明瞭な意図のもとに行われている。(中略)父母の両タントラを対立させたうえで、北壁のヘーヴァジュラによって統合止揚するという意図である。 興味を引くのは、東壁・西壁ともに最も入口に近いところに、それぞれブータダーマラと大輪金剛手配した点だ。この調伏に向いた熾烈な霊力をもつホトケたちを駆使して、イダム堂という聖なる空間に、邪悪な存在が侵入してくることを防ごうとしたゆえの措置だったにちがいない。(中略) 南壁の西壁寄りには、ニンマ派のイダムが二体描かれているが、カギュー派が主に母タントラ系のタントラを奉じたことを勘案すると、東壁にはカギュー派の派のイメージを投影することもできる。これで東・南・西の各壁に、カギュー派・ニンマ派・ゲルク派の三派すべてを象徴させたとみなし、そのうえでどれら三派をことごとく、北壁のヘーヴァジュラに象徴されるサキャ派の教えに帰属させるという構図がみえてくる。p99 先日、ふと思いついて、私はこんなことを書きしるしていた。 「チベット密教には、ニンマ派、サキャ派、ゲルク派、カギュー派と、大きな4つの流れがあるが、これらは、あくまでも、ひとつのチベット密教という大きな部屋(寺院)の、それぞれの東西南北の入口のようなものだ。一つの入口から入ったからと言って、他の入口から入った場合と、まったく別な世界が展開されるというわけでもなく、シームレスでどこかでつながりあっている。しかし、それでもやっぱり、東西南北のどこから入ったかで、少しづつ視角や視点が微妙に違うようだ。そして、これらは、ついには「統一」されることはないのだ。」2008.10.05 この実感がまさにこのサキャ派の寺院の奥の院で展開されていたということになる。以前この本を読んだ時に、私の脳裏のどこかに書き込みされていたのだろうか。 サキャ派独自の教説である「道果説」では、密教の修行においては、解脱を求めて修行を重ねていく過程=「道」に、すでに悟り=「果」が実現していると説く。その典拠となったのは、あらゆる密教経典(タントラ)のなかでも最も性的なメタファーに富む「ヘーヴァジュラ・タントラ」で、「道果説」はインドの大成就者として名高いヴィルーパ(チベット語ではビルワパ)がその創始者とされている。p30 サキャ派は、継承においても独自の方式を伝えてきた。サキャ派の継承は血統第一であった。すなわち、歴代の総帥はコン氏の嫡流が継承してきたのである。親子の相続、ときにはおじ甥の相続もあった。そして、原則的に歴代の総帥は妻をもち、その下に生涯にわたって童貞を保つ出家者の集団がいて、総帥の指導に従うという形態がとられてきた。その総帥を「サキャ・コンマ(サキャ統領)」という。p31 サキャ派の全盛時代は、13世紀の中頃から百年近く続いた。しかし、14世紀の中頃になると、サキャ派は失政をくりかえすのみならず、内部の権力抗争が激化した結果、チベット高原の主導権ははカギュー派に属するパクモドゥ派に移り、元王朝の没落によってそれは決定的になった。 サキャ派が衰退した原因は血統第一の継承方法にもあり、人材が払底してしまった感があった。p32 サキャ派を語るとき決して欠かせない最大の要素は、その政治上の地位であろう。(中略) パクパはモンゴル=元の皇帝となったフビライ汗の帰依を受け、彼にヘーヴァジュラの潅頂を授けることに及んで、サキャ派の総帥とモンゴル皇帝の間に授者と施主の関係が生まれ、施主からの布施として、サキャ派にチベット高原の支配権が捧げられたのである。p31 p105以降の第三章においては、立川武蔵が「ヘーヴァジュラ・マンダラの観想法」を30ページにわたって書いている。この部分については、いずれ精読することとし、今回メモすることは割愛する。 チベット本は、きわめて絵画的に目を奪われる本が多いが、この本もまたその類にたがわず、本文そっちのけで、画像に映し出されたマンダラの世界に引きづり込まれていってしまう。<3>につづく
2008.10.07
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「チベットのシャーマン探検」永橋和雄 1999/05 河出書房新社 単行本 237p Vol.2 No.327 ★★★★☆ 写真家・永橋和雄には、「ブータンのツェチュ祭」1994/03、「チベット巡礼」1997/02、「図説チベット歴史紀行」1999/09などの仕事がある。その彼にして、次の心境の吐露から始まる。 カメラマンとしてチベット仏教圏を徘徊しはじめてからもう20余年になる。時に私は、もうチベットのすべてを撮影してしまったのではないか、とさえ思える時がある。と同時に、私はチベットの何も見てこなかったのではないか、との自問も返ってくる。p5 プロとしてのカメラマン・マインドを常時持ち歩くことはただ事ではないのではないか、と私は思う。少なくとも、私はカメラを持ち歩いていても、シャッターを押すことを忘れてしまうことはほとんどだ。むしろ、決定的な瞬間になると、シャッターを押せなくなる。大事なことは自分の眼に焼きつけるほうがいい、などとウソぶいては見るが、カメラマン・マインドは、相当に訓練されなければ、身につかないものではないか、と私はつくづく思う。 そこで私は、「チベットを見る」ための手掛かりとして、チベット仏教圏の人々が過酷な風土の中で、生死輪廻の火宅を生き抜くための規範として、また彼らの精神的バックボーンともなっているチベット仏教を深く知りたいと思った。p5 シャーマニズムという世界は、当ブログでも入り込みそうでいて実はほとんど突入することができなかった。まだまだ足を入れにくい世界が展開している。 私は、その魅惑的な光源を求めてチベット・シャーマニズという漆黒の森に分け入ってみたい衝動にかられた。p6 「魅惑的な光源」というあたりが、いかにも写真芸術家としての感性を感じさせる。 私は、チベットの原野を駆けるであろうシャーマンを求めて長い旅に出ることにした。その旅は、インド領チベットのラダック、ザンスカールに始まり、ヒマラヤ南麓の国ブータンそして中国チベット自治区にいたる、チベット仏教文化圏のほぼ全域を経巡るものとなった。p10 当ブログはどちらかというと、現在は形而上的は方へ進もうとしているのだが、シャーマニズム探検は、その逆の流れもしっかり存在していることを思い出せてくれる。 峠や山頂で良く見かけるラツェ(積石塚)がある。小石を堆積したカミの棲み家であり、そこに小旗を立て、香木を焚いてカミを慰める。このカミは、山神とも道路神ともいうべきもので、観音六真言であるオン・マニ・ペメ・フーンを刻んだ石を納め、悪疫流行や干魃が続く時には、カミの怒りであるとして、ラツェでカミの怒りを鎮める供養を行なう。p124 シャーマンはかならずしもチベット高原にだけ存在したものではないので、この切り口で地球全体を見ることもかのうであろう。しかし、この本においては、生半可な学者たちには見つけることができない、人びとの心の襞までが拾われているような感じがする。 オン・マニ・ぺメ・フーン
2008.10.07
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「存在の詩」第一号からつづく「存在の詩」 <3> Osho講話録Osho/スワミ・プレム・プラブッダ 1977/04 めるくまーる 単行本 630p Vol.2 No.326 ★★★★★★ さて、いよいよこの本に取り掛かることになったが、どこからどうすればよいのか見当がつかない。チベットおっかけの途中であるから、チベット密教の流れのなかで理解しようとしたのだが、この本、ティロパがナロパに与えた「マハムドラーの詩」についてのOshoの講話であり、ナロパはチベットへと旅立ったかもしれないが、ティロパはインドの人だ。だから、今まで読んできた「チベット<歴史>深読みリスト」のなかには、ティロパはあまりでてこない。ひとたびその贈り物がティロパによって受け取られたとき彼は完全に変身してしまったものだそのときティロパはナロパに「さあ今度はお前が行ってお前自身のナロパを見つけるのだ」と言ったと伝えられているそしてナロパもまたそれに関しては幸運だった彼はその名をマルパというひとりの弟子を見つけることができたマルパもまたとても幸運でその名をミラレパというひとりの弟子を見つけ出すことができたしかしそこで流れはとだえたもうそれ以上それだけの偉大な度量を持った弟子はいなかったのだ p32 アレレレ・・・・、せっかくこれからガンポパの「解脱の宝飾」を読もうとしているのに、それはないでしょう。ミラレパには、太陽のような悟りを得たガンポパ(タクポラジェ)と、月のような悟りを得たレーチェンパがおり、現在のカルマ・カギュー派などへの伝統の系譜はこのガンポパから伝わったとされているのに・・。 サラハは仏陀よりおよそ2世紀後に生まれた。彼は枝分かれした一方の枝の直系だった。ひとつの枝は、マハーカーシャッパからボーディダルマへと伝わり、禅が誕生した。その枝はいまも花に満ちている。もうひとつの枝は、仏陀から彼の息子であるラーフラバドラ、ラーフラボドラからシュリーキールティからサラハ、そしてサラハからナーガルジュナへと伝わっていった。これがタントラの技だ。それはいまもチベットで実を結んでいる。 タントラはチベットを改宗させた。そして、ボーディダルマが禅の祖師であるのと同じように、サラハはタントラの祖師となった。ボーディダルマは中国、韓国、日本を征服した。サラハはチベットは征服した。「タントラ・ヴィジョン1」 p11 ナロパには、ティロパとマイトリーパという二人の師があったという。 理論家であるとともに密教の行者であたナーローパは後期の仏教タントリズムの理論および実践形態の重要な貢献者の一人である。彼の伝記は比較的よくわかっている。彼は1016年に生まれ、1100年に没している。カギュ派の祖マルパの師であり、インドにおける大印契の思想運動の祖ともいうべきマイトリーパと同時代の者である。ナーローパは1032年、ニグマ---カースト名によってそのように呼ばれる---と結婚するが、8年後に、彼らは離婚する。ニグマ自身、仏教タントリズの実践に通じ、典籍も残している。1049年以来、ナーローパはナーランダ僧院長を務めるが、また8年の後、職を捨て、行者テーローパ---あるいはティローパ---の許で修行を始める。ナーローパは師テーローパの死まで師の許にとどまり、宗教覚醒を得たと伝えられている。立川武蔵「西蔵仏教宗義研究5 カギュ派の章」p15 さぁ、いよいよ、問題の核心へと一歩近づいた感がある。「チベット密教 新装版」などのカギュ派の流れはもう一度みなおされる必要がある。ティロパの宗教はほんの4世代ナロパからミラレパまでしか存在しなかったその後それは消えうせてしまった宗教はちょうどオアシスのようなものだ砂漠は広大だときとしてその砂漠のほんの一部分にひとつのオアシスが現れるそれがある間にそれを求めるがいいそれがそこにある間にそこで喉をうるおすのだそれはとてもとても稀有なことだ 「存在の詩」p33 Oshoにとって、「中期カギュ派」の基礎を築いた(立川武蔵「西蔵仏教宗義研究5 カギュ派の章」p20)とされる、ミラレパの弟子、ガンポパなどは視野に入っていない。ティロパの流れはミラレパで消滅している、としているのである。 これはOshoが新しいチベット歴史学の功績を知らなかったせいなのだろうか。あるいは、Oshoはこれらの宗教の「組織者」たちを認めないのだろうか。答えは、後者であろう。Oshoの直接の過去世は700年前とされている。今回のOshoの誕生は1931年だから、文字通り700年前だとすると、1231年に没したことになる。その時106歳だったのだから、1125年生まれ、ということになるだろう。ガンポパの生涯は(1079~1153)とされているから、Oshoの前世はガンポパの同時代人、あるいは後輩ということになる。ガンポパが74歳で没した時、Oshoは28歳、ということになるだろうか。(これはあくまで推定にすぎない) つまり、Oshoはガンポパを知らないはずはない。知っていながら、ティロパの宗教はミラレパで消滅したと断じるところに、OshoのOshoたる所以がある。組織や教義にはこだわらない。あるいは組織や教義になる前の純然たる精神の状態をこそOshoはここで「宗教」と言っているのだ。仏教のあちこちで語られる三帰依文ですら、ここでは否定されかねない。仏法僧とされる三宝だが、Oshoはここで、仏の仏、究極の悟りを語っている。だからこそ、「マハムドラー」と言われているのだ。<4>につづく
2008.10.07
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