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<1>よりつづく「究極の旅」 禅の十牛図を語る <2>Osho 帯に横尾忠則が推薦文を書いている。 禅は言葉の世界ではない。禅の思想は坐禅を通してのみ体感できるものである。だがそれでも尚、体感できないのが禅である。この本の著者は、生まれながらに人間は悟った存在者であるということを体感させる方法とそのプロセスを「十牛図」によって説き明かし、とてつもない世界に導引してくれる。読者は今そのスタート台から一歩足を踏み出している自分を発見しているはずだ。横尾忠則 本書の帯より 私の手元にあるこの本は、1991年発行の12刷だ。初版本からこの推薦文があったかどうかはわからない。インドで求めた一冊はそのままインドにおいてきたし、帰国してから購入した本も、なんどか友人達にプレゼントしてしまったので、私はなんども何冊もこの本を買ったことになる。 横尾忠則は、小学生時代からの私の憧れだった。高校卒業してすぐ世田谷の彼の自宅を訪ねたことがある。長じて彼から直接サインをしてもらった画集は私の宝物だ。現在の彼の動向はともかくとして、この人がいたから私もインドに行った、という面がないこともない。 77年当時に出版されていた雑誌「メディテーション」には、「横尾忠則ともにいくプーナツアー」というものの企画の広告が掲載されていた。私は実はこのツアーでインドにいくつもりでいた。しかし、残念ながら、この企画は直前にキャンセルになり、その後、横尾がプーナに行ったという話は聞いたことはない。 さて、究極の旅、種を明かせば、結局は、十牛図の十番であろう。 十 世間にて (入てん垂手)足は裸足で、胸ははだけ私は世間の人々と交わる服はぼろぼろで埃まみれでも私はつねに至福に満ちている自分の寿命を延ばす魔術など用いないいまや、私の目の前で樹々は息を吹き返す私の門の中では、千人の賢者たちも私を知らない。私の庭の美しさは目に見えないのだ。どうして祖師たちの足跡など探し求めることがあるだろう? 酒瓶をさげて市場にでかけ、杖を持って家に戻る。私が酒屋やマーケットを訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう。 p449 このエントリーがスタートとなる[OSHOagarta/mmp/gnu]というカテゴリの、mmpとは、meditation in the marketplaceの略である。そして、mmpの象徴として、この十牛図の十番が高く掲げられている。 しかし、Oshoは、「マーケット・プレイスでの瞑想」で、手厳しい指摘もしている。 瞑想をマーケット・プレイスにもたらすがいい。だが、瞑想とは、満足という意味ではない。いつかは満足がやってくる。だが、それは瞑想の出発点ではなく、瞑想の究極の開花においてもたらされる。瞑想が深まるにつれて、あなたはより静かになり、平和に満ちてくる。よりバランスがとれ、より中心が定まり、気づきが増し、意識的になる。それにつれて、満足はまるで影のように、あなたに付き従うようになる。だが、そうなるのはあなたの作為によってではない。 The Osho Upanishad, #33 より抜粋 p710 尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、騎牛帰家、忘牛存人、人牛倶忘、返本還源、入てん垂手・・・と円を結ぶ十牛図。当ブログでは、0.0.1βが尋牛、0.0.2が見跡となっているだろうか。とするなら次なるこの[OSHOagarta/mmp/gnu0.3]は、みごと「見牛」となるだろうか。<3>につづく
2008.04.30
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「究極の旅」 禅の十牛図を語る <1>Osho スワミ・プレム・プラブッダ・翻訳 1978/3 501p めるくまーる Vol.2 No.0066 ★★★★★ 某SNSで[OSHO mmp/gnu v0.0.1β]としてスタートしたこの試み、当ブログに移植されて[ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ]という宝石箱に変容してきた。そして、それもこのエントリーで108を迎えることになってしまった。アッというまでもあるが、まだまだ始まりでしかないようでもある。 当初考えていた「OSHO/gnu0.0.2のための21冊」は十分読み込めたということにはならないが、こういう形で当ブログに登場してきたということでは、ひとつの足がかりを作ったことになる。最初は手当たりしだい目を通していたのだが、次第にOshoの「私の愛した本」がガイド役になってくれた。そして後半はOshoの禅シリーズが次第に重みを増してきたが、この事態は当初あまり予想していなかった。 Zenといえば、Osho全体がZenともいえるのであり、どこをどう切り取るかという問題でもなさそうだが、整理の関係上、前期、中期、晩期と分けることもできるようだ。当ブログとしては、今後とも晩期Zenシリーズに焦点を合わせていきたいのだが、前期、晩期とも、ひとつひとつが魅力的である。 この「0.0.2」で出来たことは、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」にでてきた参考文献リストにほぼ目を通すことができたことくらいだろうか。といっても、まだ読みきれていない本も数冊あるし、あるいは、「永遠の大河」や「ダンマパダ」はまったくの手つかずだ。まぁ、この二冊は必ずしも「禅シリーズ」とは言いがたいが。 日本語に翻訳されたOsho本だけをまとめた玉川本だけでも、さらに3冊ある。あるいは「OSHO ZEN TAROT」に引用されているZen本も多くある。あるいは他のビデオやテープ、そしてもちろん瞑想そのものについても、記録される必要もある。しかし、あまり手を広げすぎても全体を見失う。いまはともあれ、次の「OSHOagarta/mmp/gnu0.3」へ、未整理のまま突入していこう。 さて、「究極の旅」。日本で二番目に出版されたOsho本だ。75年に「存在の詩」が出されて、77年に単行本化された。私がインドに行ったときに、Osho本はこの一冊しかなかった。それにつづく「究極の旅」の翻訳を終えたプラブッダが、この時のインドへの旅のツアーコーディネーターだった。だから、私がこの本を読んだのはインドでだった。 尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、忘牛存人、人牛倶忘、返本還源、入てん垂手・・・と円を結ぶ十牛図。当ブログでは、0.0.1βが尋牛、0.0.2が見跡となっているだろうか。とするなら次の0.3は見牛、となるはずなのだが・・・。<2>につづく
2008.04.29
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<4>よりつづく「一休道歌 下」 <2>Osho この講話があった77~8年当時のプネ風景を日本語で、読むことのできる文献はそう多くない。好意的であれ否定的であれ、まだまだ世界的にはポッと出の動きでしかなかった。その中でも、当時プネ大学に留学していた立川武蔵のレポートは、否定的ではあるが貴重なものとして残っている。 Oshoは講話の中で、自分のサニヤシンは5万人と言っているが、そのほとんどはインド人であっただろうし、急増中だったのは、アメリカやドイツなどを中心としたヨーロッパ人が中心だった。日本からやってくる若者たちも多かったが、せいぜい二桁にとどまっていただろう。当時のメモを見てみると、直接名前と顔が繋がる日本人サニヤシンは30人程度である。しかも、西欧の平均年齢30歳前後にくらべ、日本人のそれはさらに5歳ほど若かった。 この状況の中で語らえた一休は、当然、インド人や西欧人を相手にしているわけだが、日本人へ向けての招待状の意味も持っていただろう。一休を題材にしているが、この講話を読んで、一休についてなにごとか詳しくなるわけでもない。一休を切り口にしてはいるが、テーマは瞑想であったり、これから移動しようとしている新しいコミューンについてなどだ。しかし、一休が言わんとしていたことがなんであったのか、を分かろうとするなら、Oshoはそのことについてダイレクトに語り続けている。 人々は、私がどうやって一休のことを知るのだろうと不思議に思う。私は一休のことは何も知らない。が、私は自分自身のことを知っている。私が、覚醒したすべてのすべての人を知ることができるのはそこだ。一休、あるいはクリシュナ、あるいはキリストを、ひとりの人物として知ることが問題なのではない。彼らは人物ではない。彼らは<覚醒>の極地だ。もしあなたがさめていたら、あなたに彼らがわかる。p651 77年、私は、Oshoアシュラムへのダイレクトなツアーでインドに行ったので、一ヶ月後にはサニヤシンになったし、体験といえばそれ以上ないような体験もした。しかし最初、私が行きたかったのは必ずしもOshoの元ではなかった。「インド」に行きたかったのだ。で、滞在ビザ延長の問題で、インドを離れ、また再入国したあとに、戻ったプネは、これこそが私が呼ばれていたものだ、と納得することができた。 習慣はなかなかしぶとい。あなたはサニヤシンになったかもしれない----。が、これで終わりだと考えてはいけない。これは仕事(ワーク)の始まりだ。今や、多くのことが為されなければならない。それに満足して休んではいけない。 サニヤスは始まりにすぎない----それは、あなたを変容の動乱に投げ入れる。今やあなたは、自分のマインドの溝に深く入ってゆかねばならない。あなたは深く見なければならない。あなたは、あるものがなぜそこにあるのかを見抜かなければならない----なぜか? を。あなたは、その原因を見出さなければならない。 そして、ときとして、その原因を知るだけで、数ある問題の90パーセントが消えることがある。そして、残りの10パーセントに関しては、あなたのエネルギーは別の出口を必要とする。 p493 ものごとは始まっていた。しかし、ホントに始まりに過ぎなかった。多くのことが計画されていた。しかし、まだ始まっていないことも多いに違いない。 私はクチに移転したかった、すべてが計画されていた。だが、国の政策によって、移転することはほとんど不可能になった。私たちが移転できなかったのは、モラルジ・デサイの悪意のせいだ。だが、私がどこに行くか、私の人々がどこに行くのか、私が何をしているかに、いったいなぜこの国の首相が関与しなければならないのか? 私たちはいかなる政策も講じていない----私の人々は世界でもっとも非政治的な人々だ。私たちは、政治はまったく愚劣だと考えている。p657 じつにまだまだ混沌の坩堝のOshoアシュラムである。 ひとまず、この項<完>
2008.04.29
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<1>よりつづく OSHO ZEN TAROT <2> なにはともあれ、Osho・Zenタロットを引いてみる。毎日すこしづつそのヴァイブレーションと波長を合わせる。ひとつひとつのカードの意味もあるし、そのカードの位置も、なにかといわくありげだ。なんども引いていて、位置はあちこちだが、何回かでてきて、まずは、ちょっと気になるカードがこれ。「中途半端なテクニック」と言われてもちょっと困るが、なにごとか、私の中のなにかをヒットするのだろう。73. Compromise 抜け目なく器用であってはいけない。さもなければ、あなたは同じままだ。変わりはしない。愛の道における中途半端なテクニックと瞑想の道における中途半端なテクニックは、あなたのなかに多くの混乱を引き起こす。それらは助けにならない......。だが、助けを求めることはエゴに反する。だから、あなたは妥協しようとする。この妥協はもっと危険なことになる。あなたはさらに混乱することになる。妥協の結果、さらなる混乱が生じるからだ。だから、なぜ自分は妥協を強く望んでいるのか、理解しようとするがいい。遅かれ早かれ、妥協は助けにならないことが理解できるようになる。それに、妥協はどちらの方向にも行こうとしないやり方なのかもしれないし、自分の混乱を抑圧しているだけなのかもしれない。混乱が頭をもたげてくることになる。なにひとつ抑圧してはいけない。自分の状況をはっきり認識しているがいい。そして、もし混乱しているのだったら、自分は混乱しているのだと覚えておくことだ。これが、あなたに関してまず第一にはっきりしていることだ--つまり、あなたは混乱しているということだ。あなたは旅を始めたのだ。解説: 昔、日本の朝廷では、従僕は些細な罪を犯した罪人で去勢されている者のなかから選ばれることがよくありました。彼らは朝廷の動きを知りつくしていたために、しばしば政治的、社会的陰謀の中心にあって、影の権力を大いにふるっていたのです。このカードのふたりの人物は、私たちが自分自身の真実を妥協させてしまったときに入り込んでしまう、あさはかな茶番劇のような状況を思い出させてくれます。歩み寄り、自分たちとは違う見地を理解し、反対勢力との調和を目指して働くことと、「屈服し」、自分の真実に背くこととは、まったく別です。それを深く見抜いたら、私たちはなにかを--権力であれ、他者からの承認であれ --なにかを得ようとしているのだということがよくわかってきます。誘惑されそうになったら、気をつけましょう。この手の妥協で得られるものは、後味が苦いのが常です。<3>につづく
2008.04.27
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「禅がよくわかる本」平田精耕 1989/11 PHP研究所 単行本 221p Vol.2 No.0065 ★★★☆☆ 一休の顔つながりでこちらの本もめくってみることに。Q1 坐禅と瞑想とはどうちがうのですか p14 仔細は省くが、結論はこうなる。 一般に言われている瞑想にしても、キリスト教でいわれている瞑想にしても、禅とはまったく内容がちがっていることがおわかりになるでしょう。p15 まぁ、それはそれでいい。Q2 禅の教えを初めて説いた人は誰ですか p16 禅仏教は、この釈迦が亡くなって一千年後に中国で起こった仏教です。中国の仏教といっても、仏教ですから、その根本原理は、釈迦が大悟徹底した世界が原則であることには変わりはありません。p17 ひとこと言いたいが、まずは拝聴しよう。Q3 「禅」「禅定」「禅宗」とはどのようなことですか p19 禅宗という言葉が使われるようになったのは、禅の創始者といわれる達磨太師から六代目の六祖慧能の頃のことです。この頃になると、他の仏教の諸派に対して、坐禅という実践を中心としている宗派であることを、他と区別するために、「宗」という文字がついて、「禅宗」と呼ばれるようになりました。p20 Oshoの「信心銘」を出版した禅文化研究所の所長を勤めた方でもあり、現代禅僧列伝にはかならず推挙されるような方である。そのような存在に何事かを申すのは、はなはだ身の程知らずといわねばなるまい。 この本、このような形でQ73 禅は無神論なのですか、まで続く。逐一ごもっとも、という感じではあるし、ご本人が「禅がわかると言っても知識の上でこの本を読んでいただいて、アアそうか、禅とはこういうものかと大ザッパにわかっていただくだけのことである。」p220あとがき、とおっしゃっている以上、なにもそれ以上、深追いすることはないのかもしれない。しかし、ひとつひとつ、ことごとく私は引っかかってしまう。 Q1、禅と瞑想はどうちがうのか。ここで、なぜまったく内容がちがうと言ってしまうのか。禅がもともと方便であるなら、さらにもう一歩、瞑想という方便を使って、禅そのものを解き明かす工夫が必要なのではないか。伝統的禅文化に退却するのはなぜか。 Q2、仏陀にするのか、マハカーッシャッパにするか、達磨にするか、あるいは六祖慧能にするか、それはそれ、時宜を見て語られる必要があるだろう。しかし、ここまでいうなら、禅は、仏陀が生まれる前からありました、と説かれる必要もあるのではなかろうか。 Q3、禅宗、と本来なずけようもないものを、自らが「宗」づけで呼んでしまうのはいかがなものか。若い時分に西欧に留学されて哲学を修められたという氏のことであり、哲学の徒にもよりわかりやすい方法で禅を提示されていることだろうことは、ご親切に、と感謝せざるを得ない。が、しかし、・・・ この本を読んでいて、なにか常に違和感なり、こちらのマインドに波風がたつのはなぜだろう。 Q56 禅では言葉と体験はどのような関係にありますか p172 ある日釈迦が、いつも説法をしている霊鷲山に多くの弟子を集めました。今日はどんなお説法が聴けるのかと思っていると、金波羅の花を一本、スーッと弟子たちの目の前にさし出しました。居並ぶ弟子たちには、それが何を意味するのかさっぱりわかりません。 ただ一人、長年釈迦について修行していた迦葉尊者だけが、その花を見てニッコリと微笑んだ。p175 拈華微笑の有名なくだりだが・・・ この迦葉尊者が仏教上の、第二番目の祖師になるという話があります。これは、中国で作られたエピソードですが、「教外別伝、不立文字」をあらわした公案なのです。p176 仏教発展の歴史のなかで、中国で作られたいわゆる「偽経」というものも多数存在するということになっているが、平田精耕師においては、マハカーシャッパの存在も、「公案」のひとつとして片付けられてしまう。 なにもその真偽について、門外漢の私が頭を悩ます必要はまったくない。しかし、当ブログでおっかけてきたOsho・Zenについて、わざわざ和尚禅とせずに、Osho・Zenとしようとしているのは、このような背景があるからだ。Oshoの「ボーディダルマ」などでは、この辺の経緯はまったく違った趣になる。 「仏道を習うというは自己を習うなり」ともいう。禅やZenに触れてみるのも、なにはともあれ、私は誰か、の最大の公案に体当たりするためでしかない。仔細にこだわってもしかたあるまい。だがしかし・・・
2008.04.27
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「一休とは何か」今泉淑夫 2007/12 吉川弘文館 全集・双書 229p 発行年月: 2007年12月 Vol.2 No.0064★★★☆☆ どうしてもテレビ番組を見てしまうが、見すぎるとウンザリしてしまう。特に昨日から今朝の北京オリンピックの聖火リレーの報道は、どうなったのか気にはなるが、その結果や、その報道のされかたには、どんと気落ちしてしまう。私はオリンピック推進派でもなければ反対派でもない。サッカーのワールドカップの推進派でもないし、反対派でもないのと同じくらい、ほどほどの関心をもっている、というだけだ。 だけど、チベットには関心がある。チベットがより理想に近いかたちで私のハートを打ち続けてくれるかぎり、私はチベットにあこがれ続ける。あこがれ続けるが、暴力や政治的圧制との関連でチベットが報道されるのは、とてもつらい。どういう経緯であろうと、私のチベットは暴力や政治とは無縁のところにある。 一休はあえて世塵にまみれる逆行の人として酒肆婬坊(酒場と遊里)の世界に入ることをしきりに勧めた。市中の喧噪が身にあっていたようでもある。あるいは修道が静寂を必要とするにもかかわらず、市中の明るさに馴れた人にとって、遠く離れた地方と山中の暗闇は気持ちの落ちつかない空間であったかもしれない。p9 歴史に、もしもはないが、もし一休が今生きていたら、今朝のテレビをどう見ていることだろうか。いまこそ、旗印を明確にして街中にでるべきか。それとも遠く離れた山中に隠れるべきか。 応仁12年(1405)、12歳の時、一休は宝幢寺の前で、清叟師仁蔵主が『維摩経』を講じるのを聴いた。p15 ふう、わずかこの一行を書き込むだけで、30分もかかった。私は特段に仏教用語にはくわしくはないが、それにしても、この一文をスで読み取れる人はどれだけいるのか。禅は不立文字、教外別伝といいつつ、その用語や名前がやたらと面倒くさい。通常なら読めない。 維摩詰だって、通常なら「ゆいまきつ」なんて読めない。それは仏教を学んでいないから、学がないからだ、といわれればそれまでだが、ここはもっと現代的にビマールキルティ、あるいはビマーラキルティとしてしまっていいのではないか。単に名前なのだから。ましてや、ビマールキルティは在家仏教の範として紹介されることが多い。 仏教や教えが、どんどん専門化=カルト化して、自分達にしかわからない地方語をつくり、バリアを張ってしまう。たしかに奥深いところは、つっこんで学ばなくてはならないだろう。しかし、いわゆる禅に語られた本を、かりに文庫本一冊であろうと、ニューズレターの類であろうと、ルビに頼らずに読みきれる人間は、まずいないだろう。仏教関係の専門家だって、多分そうだ。 OshoのZenを読んでいて、いきなり日本の禅本を読むときのとまどいは、まずここにある。一般向けの入門書を読んでもこのとおり。あまりに周辺情報が煩雑すぎて、目くらましを食らったような感じになる。読者や求道者は、ほんとうにほしいと思う智にたどり着く前に、挫折してしまうことが多いだろう。専門家達も、そのことをいいことに、まやかしの中に逃げてしまっているのではないか。 日本における禅宗修道の世界はすでに細部にいたるまで制度化されていた。鎌倉時代に中国からやってきた渡来僧によって本格的に「禅宗」が入って来たときに、法論問答、座禅などの訓練とともに、禅宗としての日常規範が定着した。日常生活のすべてが修道であるという認識は禅宗にかぎらないのであったが、禅宗は役職と規範をとくに意識して、日常の作法、作務に厳格であった。p121 こんな時代に室町時代に生まれたヒッピーこそ一休だった。それを壊したはずの一休が、ガラス張りの博物館に閉じ込められている。一休だけでなく、禅が、仏陀が、泥つきのワゴンセールではなくて、付加価値を限りなくつけられ、上げ底の飾り箱に入れられ、一部の好事家のためにだけ高値で競り落とされていく。 戒にそむいて慈明和尚は婆さんと同棲していた。しかしこれをすぐに破戒と思うのはまちがいで、男女の仲、とくに禅僧の場合には深いわけがある。唐のj台、宰相が五人の娘からひとりを選んで郭元振を婿にするのに、五本の糸を引かせ、紅糸にあたった第三女と結婚させたという。笛の上手い妓女緑珠は、家臣の偽りのことばに乗せられ趙王倫の誤解から、楼の下に身を投げて果てた。そのようなところが分からねばならないのだ、という。p139 なにもそこまで特別視しなくてもよさそうだが、いまから5~600年前ことだ。その時代の実情をかんがみなければなるまい。しかし、だとするなら、一休から5~600年後である、この21世紀も、キチンとかんがみられなければならない。 維摩は、みずからが酒肆婬坊に入って酒に酔い、女犯をなすのではなく、法敵を罵倒するのでもなかった。恋愛と性愛に身を焦がしたわけでもなく、相手は菩薩たちであり、政僧、町人、傾城遊女ではなかった。一休のように、俗世の利欲によって頽廃する修道を嘆くのでもなかった。現実の歴史から遊離して静臥する維摩の手は、汚れようがなかった。その「酒肆魚行」は、観念としての「酒肆魚行」であり、「非道を行ずる」も、理の世界の事柄でしかなかった。そこに一休と維摩の根本的な異質がある。p219
2008.04.27
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<上>巻よりつづく「一休道歌 下」Osho スワミ・アナンド・モンジュ翻訳 1988/01 めるくまーる 692pVol.2 No.0063★★★★★ 先日、アループが誰かに言っていた。「重苦しい話だわ。でもOshoはこのシリーズを”気楽にゆこう(テイク・イット・イージー)”なんて名づけているのよ!」 私がそれを”テイク・イット・イージー”と名づけたのはそのためだ。それは楽ではない。それを受け取ることはむずかしい。それを受け取ることはほとんど不可能だ。なぜなら、それはあなたの生のパターンをことごとく打ち砕くからだ。それはあなたの生のパターンをことごとく打ち砕くからだ。それは楽ではない。だからこそ、私はこのシリーズ全体を”テイク・イット・イージー”と呼んだのだ。真実とは、その矛盾もまた真実だということだ。p84 たしかに気楽ではない。この講話があった時期、私はプネ1にいた。私はこの講話を聞いていたのだろうか。具体的にはなにも思い出せない。直前、私は、インドの滞在ビザが延長できず、一回スリランカに出て日本山妙法寺の藤井日達上人のもとで南無妙法蓮華経の一ヶ月をすごし、ゆっくり南インドを旅しながら、プネに戻ってきたところだった。そして、その後、友人Sンベダンと連れあって北インド、東インドの旅にでた。 24歳の青年にとって、Oshoも刺激的だったが、インドそのものが刺激的だった。シュリ・オーロビンドのオーロビルやタジマハールにも滞在した。ブッダガタなどの仏蹟寺院やベナレスにも滞在した。なにもかにも刺激的だった。楽しいことも、危険なことも、哀しいことも、さびしいこともあった。今から考えれば、すべてが美しい。でもやっぱり、最後はプネに戻った。 あの頃、Oshoはひたすら次のコミューンに向けて力を蓄えていた。そして講話を延々と休むことなく続けていた。あの講話群は、一緒に座って聞いているサニヤシンに向けて語らえたものではあったが、かならずしもその場に限られたものではなかっただろう。今、こうして、翻訳のモンジュや多くの人々によって、この講話を読むことができる。Oshoは、30年後の私に講話を残してくれていた、ということになる。 私が移転するための新しい場所を見つけようとしていることを、あなたがたは何度も何度も聞いている。だが、デリーはそれにひどく反対している----。彼らはもっと大きな場所、もっと大きなスペースを持たせたくない。彼らは新たな障害をつくりつづけている。そして、彼らは障害をつくりだすことができる。法律に基づくあれやこれやを----。少なくとも彼らは遅らせ、先に延ばすことができる。彼らの努力のすべては、どうやって私のことを世界に知らせないでおくかにある。p159 当時、Oshoは相当に火種だった。一触即発のマグマを蓄えていた。30年経過して、ようやく聞き取れることも、当時の私の耳には聞こえないことがたくさんあった。 知性はあなたの魂の資質であり、記憶は頭脳のメカニズムにすぎない。記憶は生態コンピューターだ----。コンピューターは、あなたの生体コンピューターが今日までやってきたことを、はるかにうまくやることができる。遅かれ早かれ、人々は読書したり、大学に行ったりするよりも、小さなコンピュータをポケットに入れて持ち歩くようになるだろう。実際、大学は今ではすっかり時代遅れになっている。学校や大学に未来はない。コンピューターがそれらを根こそぎにするだろう。 歴史を知ることに何の意味がある? あなたは小さなコンピューターをポケットに入れて、必要なときはいつでも調べることができる。ちょっとコンピューターに訊くだけでいい。 あなたはナポレオン皇帝の生年月日や、彼がどんな女性に恋をしたかを調べることができる----。あなたはなんでも調べることができる。コンピューターは、ごく小さな箱のなかに何百万もの情報を運ぶことができる。あなたが持ち歩いているいっさいの情報を、コンピューターはもっと上手に運ぶことができる。その必要がどこにある? これは時代錯誤もはなはだしい----。25年にわたるカレッジ、学校、大学での学習。そこでは何がほんとうに為されているのだろう? あなたは知識を詰め込まれている。あなたの生体コンピューターが教え込まれている。 いずれは既成の教え込まれた生体コンピューターを買うことができるようになり、それが答えてくれる! その日は人類史上の偉大な革命の日になる。なぜならその日から、学ぶことを知識の違いが何であるかを知ることが簡単になるからだ。コンピューターを持ち歩く人は知識の人であり、自分自身の生の”体験”を持っている人は賢者だ。 いいかね、コンピューターはあなたに情報を与えることはできるが、体験を与えることはできない。コンピューターに、「愛とは何か?」と尋ねることはできる。そしてコンピューターは、愛について語られたことすべてを伝えることができる。が、それであなたが会いを体験するわけではない。体験は自分で味わう以外にない。あなたは恋に落ちて、それを知らなければならない----。コンピューターがそれをあなたに与えることはできない。 コンピューターは、神に関するあらゆる情報を与えることができる。が、神について知ることは神を知ることではない。神を知ることはまったく違う。それは遭遇だ。それは個人的で、親密で、直接だ。 あなたはそれを見ることができる。物知りは、たいていいつでも愚かな振る舞いをする。彼はそうせずにはいられない。それは彼の知識が借り物だからだ。彼は知性的に振舞うことができない。神学者(パンディット)はこの世でいちばん愚かな人たちだ。 215p スティーブ・ジョブズが、ガレージで製造したワンボードマイコンにAppleという名前をつけたのが1976年。だがまだまだその存在は知られておらず、ましてや、未来においてそのPCがポケットにはいるなんて時代を、一般人にはイメージできなかった。 だが、21世紀に住んでいる私たちは、すでにパーソナル・コンピュータが生活のなかの当たり前のアイテムになっていることを知っており、なおかつ、ケータイという形で、すっかり私たちのポケットの中に納まっていることも知っている。パソコンやケータイをとりまく状況は必ずしもおだやかな面ばかりではない。マイナス面、デメリット面もいわれている。 パソコン、ケータイについては知っているが、本当に知ることについては、まだまだ知られていない。禅や瞑想について知ることが必要だ。そして知るだけではなくて、体験が必要だ。 見守りなさい。いつであれ群衆が何かを行っているときに、あなたは自分の力で考えられるだろうか? あなたがたの宗教は群衆だ。あなたがたの国家は群衆だ。インドが中国と戦争したら、インド人は全員インド政府につく。正しかろうが、間違っていようがだ----。正しかろうが間違っていようが、それは母国だ。そして中国人は、正しかろうが間違っていようが、全員中国政府につく。p226 今日、この時間の現在、北京オリンピックの聖火リレーは、長野市内を走行中だ。群衆の中を、警備隊に守られて聖火が運ばれている。やたらと中国国旗だけが目立つ街頭だが、いくつかの直接行動にでる抗議派もいるようだ。<5>につづく
2008.04.26
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<2>よりつづく 「一休道歌 上」 <3>Osho 私のコミューンは僧院にはならない。そう、それは市場になるが、そこには違いがある。それは僧院にも、ありふれた市場にもならない。それはその両方を超え、その両方を含んだものになる。それはそのようなものでなくてはならない。なぜなら人間は肉体と魂の両方だからだ。肉体は市場を必要とする。魂は僧院を必要とする。 今に至るまで、僧院は市場に対立するものとして存在してきた----。肉体に背を向けた魂。そして市場は、僧院に対立するものとして存在してきた----。魂に背を向けた肉体。私はあなたがたを分割したくない。私はここで、分割され、分裂した人格ではない<個>たちを創りだしたい。私はすべてを受け入れる、世界は素晴らしい。僧院は市場にならねばならない。市場は僧院にならねばならない。 それは世間から隔離されたものになる---が、それは私が世間に反対するからではなく、現時点においては、世間が”新しい波”の誕生を許さないからだ。世間はそれを押しつぶしてしまう。”新しい波”は保護されねばならない。コミューンはひとつの苗床になる。ひとたび私のサニヤシンたちが充分強くなったら、そのときには用はない、問題はない。彼らは世間のなかへ動いてゆける。彼らは世間に入り、世間のなかに在ることができる。が、それは彼らがたくましい樹になって初めて可能だ。もし彼らが、芽を出したばかりのぼく柔らかい小さな苗であったら、彼らは世間に押しつぶされてしまう。 コミューンはひとつの苗床になる。そしてコミューンは市場にもなる。というのも、あなたが必要とする物はすべて満たさなければならないからだ。私はあなたの必要品に反対はしていない。私は何にも反対してはいない。私は生に否定的ではない。私の生に対するアプローチは禁欲主義者たちのそれではない。私のコミューンは二つを兼ね備えた人々---、仏陀と快楽主義者の両方である人々を創りだす。彼らは生を楽しむと同時に、神をも楽しむ。そしてどのような分割も創りださない。瞑想が解き放たれると、市場は寺院になる。そしてあなたは、それがここでも起こりつつあるのを見ることができる。ここで働いている人々、彼らの仕事(ワーク)は彼らの礼拝(ワーシップ)だ。p599 当ブログにおける、このエントリーが含まれるカテゴリの名前[ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ] の中のmmpとは、meditation in the marketplaceの略で、まさに、ここでOshoが言っていることを意味している。gnuはリチャード・ストールマンの「フリーソフトウェアと自由な社会」から借りている。これはマーケットプレイスにいかに愛を瞑想を持ち込めるかという可能性をソフトウェアの世界で考えている言葉だ。agartaはチベットに伝わる伝説・地底王国シャンバラの首都といわれるアガルタを意味している。 当ブログでの概念で言えば、いわゆる市場の論理に近いのはgnuであろう。そして、そして僧院のイメージに一番近いのはagartaだ。そして、それをつなぐものはmmpだ。まずはこの程度の定義で進める。そして、この次のカテゴリ名を更新するにあたって、mmpはgnuとagartaの間にあって、この二つをつなぐ役割をはたすべきなのではないだろうか。つまりagarta/mmp/gnuとなるべきなのでないだろうか。 mmpの最初のmはmeditationだからagartaに近い。後のmpはmarketplaceだからgnuに近い。だから、まずはこれらをOshoを通じてみてみようという試みを[OSHOagarta/mmp/gnu]と並べ替えてみようと思う。そして、バージョンは現在0.0.2だが、ひとつ桁を上げて0.1βとしようとも思ったが、これだと、それまでの経緯がわからなくなるので、0.3としたいと思う。だから次の新しいカテゴリは[OSHOagarta/mmp/gnu0.3]となる。 さて、ここでOshoが言う「苗床」となるべきコミューンとは、なにであっただろう。この講話があったのはプネ1の78年4月のことだが、81年以降のアメリカのコミューンは、苗床になり得たのだろうか。あるはその後、最後の禅シリーズを展開したのプネ2のことだろうか。あるいは、Oshoのいうところのコミューンは存在しなかったのか・・・・。 一休は達磨を評してこう詩歌を結んでいる。 達磨忌 毒薬 数 加ふ賊後の弓、 大千逼寒す仏心宗。 西来に意無し、我に意有り、 熊耳山中、落木の風。 達磨忌 達磨は、何度も毒薬を盛られたが、手遅れだった、 世界には、既に禅宗が充ち満ちていたのだから。 達磨が天竺からやってきたのには何の目的もなかったというが、 俺には、それが問題だ、 達磨が葬られた熊耳山では、葉の落ちた木々が秋風に吹いている。 「一休和尚大全(上)」p273 Oshoも毒を盛られたが、すでに手遅れだった。 世界には、既にOshoスピリットが充ち満ちていたのだから。 毒を盛ったのがロナルド・レーガンだろうが、インナーサークルだろうが、すでに手遅れだ。 「生まれては死ぬるなりけりおしなべて」 何の違いもない。「しゃか」---仏陀、「だるま」---ボーディダルマ、「ねこも杓子も」、すべて同じだ! まったく何の違いもない。犬が死のうと、仏陀のような人が死のうと、違いは何もない。p650<下>巻につづく
2008.04.25
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<2>よりつづく「Om Mani Padme Hum」: The Sound of Silence, The Diamond in the Lotus <3>Osho 戯れに、この本、最後の日を読み始めてみた。そしたら、あのドクター村越についてOshoが講話していたのでびっくり。ひさしぶりにあの怪人を思い出した。そうか、あの頃のレクチャーがこの本になっていたのだね。You can be a scientistand a meditator.In fact, the more you go deeperinto meditation,the more clarity,the more genuis you will findflowing in youwhich can createa totally new science. p321 そういえば、ここで話されている「創造のための世界科学アカデミー」のビジョンはどうなったのかな。実質的な動きの展開はともかくとして、この名前での活動については、私はあまり聴いていない。 ドクター村越については、上手な説明はできないが、Oshoのストーリーの中にあって、シャルノ(石田かつえ氏)や太母さんとならんで、一世を風靡した日本人トリオのひとりと言っていいだろう。シャルノについては「ノーマインド」に詳しいし、太母についても、ビューティフルな話としてみんなの意識の中に記憶されている。しかし、ドクター村越については・・・・・・ 東京の彼の研究所にいったことがある。決して大きくないところではあったが、それなりに面白いところではあった。しかし・・・ あれはオールド・Sタンの直感で出来上がったエピソードだった、ということで締めくくってしまっていいのだろうか。あるいは、あそこからなにかが始まった、ということもあるのだろうか。 この本、真ん中の部分をまだ読んでいないのだが、「Om Mani Padme Hum」というタイトルのなかで、チベットから始まり、世界科学アカデミーに到達している。ここで何事がおきているのだろうか。 FREE TIBETムーブメントの輪が広がる中、明日日本に北京オリンピックの聖火がやってくる。よかれあしかれ、チベット問題に目がむくことは、歴史の歯車を一歩前に進めることになる感じがする。なにかが動き始めている予感・・・・。Om Mani Padme Hum<4>につづく
2008.04.24
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<2>よりつづく「ボーディダルマ」 <3>Osho すこしづつ読み始めて、すこしづつ分かってきた。私が以前にこの本を放り投げてしまったのは、もちろん、決してつまらなかったからではない。読み進めることができなくなったのだ。その正確な理由は明確には分からないが、推測するに、考えられるのは、ふたつ。ひとつは、もう十分と、Oshoの言っていることが分かってしまった、こと。達磨だろうが一休だろうが、Oshoは同じことを言っている。そのことが痛烈に分かってしまった、という可能性。そして、もうひとつ考えられるのは、そのあまりの深みに、これ以上進めない、今回はここまでにしよう、と思ったこと。 若いとき、水泳の上手なガールフレンドがいた。彼女は船大工の娘だった。海で泳ぐ姿はなんともいえず魅力的だった。あるとき、二人で海に泳ぎにいった。彼女はどんどん沖へと泳いでいってしまった。私はといえば、もともと泳ぎが得意ではなかった。本当は彼女をリードするくらいにかっこいいところを見せたかったのだが、できなかった。 ずっと沖まで泳いでいって、帰ってきた彼女に聞いた。あんなに遠くまで泳いで行って怖くはないのかい。おぼれることを考えたことはないの? すると彼女は言った。「疲れたり溺れることもあるかもしれないわ。だけど、その時は、海の底を歩いてくればいいのよ。そう考えていれば、溺れることはないわ」。 なんとも勇敢な女性だった。タジタジ。 私はまず、溺れることを考えてしまう。だから浅瀬でもあわててしまって、自分の背が十分立つくらいなところでも、アップアップしてしまう。まぁ、それにしても、自分の臆病さを嘆くより、彼女の泳ぎのほうをほめたい気分ではあった。 Oshoの深みは、計り知れない。彼は「虚空の舟」でこう脅かす。 あなたがたは私のもとにやってきた----- あなたがたは危険な一歩を踏みだした これは冒険だ 私の近くでは あなたがたは永遠に失われることもあり得る 私に近づいてくるということは死を意味する それ以外の意味はあり得ない p6 私なんぞは、こんな台詞を聞かされたら、怖くてもう足を進めることはできない。逃げ出したくなる。逃げ出したくなるのに、なぜかその誘惑にも駆られてみたいとも思わせる、Oshoとは一体なにもの・・・? 達磨と一休をまぜこぜに読んでみようという試みは、まんざら間違いでもなかったようだ。 ここで私が思い出すのはもうひとりの禅師のことだ。彼はボーディダルマとどこか似た質を持った人だったにちがいない。同じ法統の、遠縁に弟子に当たる人だった。彼は寒い冬の晩に、ある寺に一夜の宿を求めた。彼が高名な禅師であることを知っていたその寺の僧は彼の宿泊を認めることにした。だが、真夜中になってその僧は目を覚ました。あたりがやけに明るかったのだ。彼は本堂の様子をうかがいに出かけた。というのも、その僧は本堂のわきの別棟に寝泊りをしていたからだ。本堂のなかをのぞいてみると、そこに泊まっていたあの禅師がなんとこの寺の美しい彫像を、ゴータマ・ブッダの木像を嬉々として燃やしていた。 (以下つづく) p179 ここでは名前が出されていないが、この話は確か一休のことだったのではなかっただろうか。この二人は、確かに「どこか似た質を持った」人たちだ。 当ブログ、すでに予定を大幅に逸脱して、千冊を超える本をめくってきた。その旅に意味があるのか、まったくの徒労なのか、そしてこの旅はいつまで続くか分からない。そのうち突然、休刊、ということもありうるだろう。今様膝栗毛ではあるが、ひとつの成果があったとすれば、この[ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ]というカテゴリに進捗状況にある。某SNSのコミュニティで思いつきで[OSHO/GNU]という単語を書いたところからスタートしたこのコンセプト、いつの間にか、名前が変わってこちらのブログで再スタートとなったのが、いまから半年前。当ブログの宝石箱も、すこしづつ輝きをましてきたようだ。 気がついてみれば、このカテゴリのエントリーも100を越えている。当ブログでは108を各カテゴリの定数としている。まもなくこのカテゴリも終わりにするとしよう。このカテゴリで、あのような形でスタートはしたものの、けっきょく紆余曲折しながら、Oshoの読書シリーズと出会い、禅シリーズと出会ったたことはほぼ必然でであった。そして、ここにきて、達磨と一休に集約される形で締めくくられるとは、最初想像していなかった結末だ。 この流れの次はどうなるのだろう。バージョンは[0.0.3]となるのだろうか。いや、なんとなく、ここまでくると、桁を上げてもいいのではないか、と思う。まだこころもとないところもあるので、ベータをつけて、[0.1.β]としておこうか。mmpやgnu、あるいはagartaについても、それぞれに想いがめぐるは、それを記すのは後日としよう。 今回、本を読むことのほかにビデオという手があったことも思い出した。飛び飛びではあるが、けっこうまとまったOshoの講話ビデオが手元にある。よくよく見てみると、まだ邦訳されていない講話シリーズも多い。日本語の禅シリーズがネタ切れになったら、ビデオをみながら英文講話にも挑戦してみようか。<4>につづく
2008.04.23
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<1>よりつづく「ボーディダルマ」 <2>Osho ふと気がついてみれば、「Take IT Easy」を和尚が講話していた時にそこにいたように、この「ボーディダルマ」の講話の時も、私はそこにいたのだった。偶然といえば偶然だが、気がついてみれば、本当に不思議なものだ。「TAKE IT EASY」と「ボーディダルマ」、どちらを先に読むか、とちょっと考えたが、いま、一緒に読み進み始めているのは、実はそういう縁があったということになる。 しかしまぁ、よく考えてみると、私はその講話を聞いているはずなのに、聞いていた、という記憶があまりなく、その後、こうして出版された翻訳本も、かならずしも飛びついて読んだ、という記憶がない。いや、むしろ、できれば長いこと遠ざかっていたい気分のほうが強かったのではないだろうか。ましてやこの「ボーディダルマ」は途中まで読んで放り投げてしまった記憶がある。なぜだろう。 私がインドにいったのは、OshoがZenを講話していたからではない。それを聞きにいったなんてことはなにもない。私がOshoのもとにいったのは、私自身の問題がほとんどで、私の個人的理由ゆえにその場にいたのだった。だから、Oshoが何を話していたか、なんてホントはどうでもよかった。タントラだろうがウパニシャッドだろうが、スーフィーだろうが、ヨガだろうが、あるいはヒンディーレクチャーだろうが、もうそれは二の次、三の次。 だけど私はそこにいたかった。そんな私は、Oshoの講話を聞いていたのだろうか。英語のヒヤリングもともかくとして、ただただそこにいただけで、ホントにOshoを聞いていたことになるのだろうか。 Oshoの講話は、どこかの大学やセミナーのように、その話に目的があるわけではない。そうそう、お茶は、単に口実だ。その口実を使って、マスターとともにそこにある。もし、そういう理解が正しいなら、Oshoがナニを話そうが、自分が「聞いた」ものが、そのとき「話された」こと、ということになる。 私は、Oshoのもとに行って、Oshoの話をまるで聞いていなかったのか。あるいは、こうして本となっている講話は、そこでナニがおきていたのか、本当は伝えきれていない、ということになるのか。私は正直言って、この二冊の本と、その講話が話されたときの、自分が「聞いた」ものを比較すると、微妙にずれている。いや、圧倒的にはずれている。別ものだ。だから、私は私の体験をそのまま、スのまま残している。 そのスの部分と、本になってしまった部分が、どうもズレている。そのズレはあって当然のものでもあろうが、一致しない、ということでもなさそうだ。どうズレているのか、どっちがどうズレているのか、そのズレはあっていいものか、今後一致するのか、あるいは・・・・。 まぁ、なにはともあれ、この二冊、読み進めれば、ナニかが分かってくるかも。<3>につづく
2008.04.23
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<1>よりつづく 「一休道歌 上」 <2>Osho この講話が行われたのは、78年の4月。実はこの時、私はインドにいた。そしてプーナでこの講話を聴いていた。う~~ん、聴いていた、というよりそこに座っていた、というほうがあっている。もちろんOsho英語のヒアリングが上手にできないせいもあったが、講話を聴くことと、そこに座ることとは、また別次元なことであったように思う。 本を読むこと、瞑想すること、プネにいくこと、サニヤシンになること、そして、その輪の中に座っていること。それぞれが、全く別の次元のことどものように思える。当時のOshoは、一ヶ月おきに英語とヒンディーで講話を繰り返していた。もちろん英語の講話のほうが圧倒的に参加者が多かったが、ヒンディー講話も、どうしてどうして欧米人にも人気があった。 みんな、ヒンディーを理解できていたわけではないのはもちろんだが、英語だって、必ずしも、その言葉を一句一句追っかけていたわけではない。むしろ、言葉や講話は、口実でしかない。誰かと誰かが「お茶しようよ」という場合は、もちろん、おいしいお茶を飲むことは楽しいことだろうが、お茶を飲むこと自体が目的ではない。一緒にいること、お茶を媒介にして、同じ時間を共有することが「お茶する」ということの意味だろう。 和尚の講話を聴くということは、その講話がすばらしければ、もちろんそれはすばらしいことだけど、講話そのものが目的ではない。Oshoといること、つまりは、自分自身と向き合っていること、そこに自然と目的が変容されていく。 Oshoの講話にあって、その場で聞くということは、たとえそれが一休であったとしても、はたまた達磨や仏陀であったとしても、その場でのご馳走はあまたのブッタたちではない。 このOshoの「一休道歌」を半分読んでみて、実にすっきりするものを感じる。ここにあるのは、栗田勇の「一休」や「一休和尚大全」で展開されている世界とはまったく違う。Oshoにとって一休は、一杯のお茶だ。そのお茶は確かに最高級のお茶だ。極上だ。しかし、ここで語られているのは一休ではない。一休や一休を語るという行為を超えている。 ここで、ひとこと素直にいっておけば、日本語の翻訳本のスタイルは、すこし一休のスタイルに力を借りすぎてはいないだろうか。原題は「TAKE IT EASY」だ。話題は一休道歌に借りている。しかし、そこで語られているのは、一休という人間の人生やパーソナリティを大きく逸脱している。いや、それを大きく超越している。 本来の面目坊が立ち姿 ひとめ見しより恋とこそなれ このような、いわゆる伝統的な一休を愛してきた人々にとっては、Oshoに関心をもつきっかけになるかもしれないし、新しい「解釈」について興味を覚えるかもしれない。しかし、それは、伝統にかたよりすぎる紹介のされかたではないだろうか。Oshoが使っているのは英語の翻訳テキストだ。上の一休の詩歌は、英語になるとこうなる。 The figure of Real Man Standing there Just a glimpse of him, And We are in love. p204 どちらが優れているのか、私には分からない。しかし、インド→中国→日本と渡ってきた禅の文化は、あえて「文化」化してしまっているだけに、どうも私などは、その周辺に気を取られすぎるようだ。一休が語ろうとしていることにたどりつくまで、パッケージを空け、その飲用の仕方を工夫し、その効能書きを読み、ほかの人の体験談をかき集め、お湯の立て方を・・・、などと考えているうちに、ついには一休の世界にたどり着かない可能性もある。 まだうまく言えないが、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」に対する私の違和感はいまだに癒えていない。つまりは、玉川本では「お茶する」時のお茶に特化してピックアップされているが、「お茶する」時のほかの要素、誰が誰とお茶するのか、お茶というメソッドで何が起こっているのか、ということが見逃されているのではないか、ということだ。 このOshoの本は、「一休道歌」として読まれるべきではないのではないか。むしろもともとの原題「TAKE IT EASY」と改題されるべきだろう。そしてまた、もし一休が言わんとしたことを、本当に理解しようとするなら、今後は、その室町時代の時代背景や文化的系譜などに囚われず、「TAKE IT EASY」のセンスで読み直されるべきだろう。<3>につづく
2008.04.22
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「一休」その破戒と風狂栗田勇 2005/10 祥伝社 単行本 479p Vol.2 No.0062★★★☆☆ 一休。ざっと見てみて、やはり私は苦手だな。花が多すぎる。もっと地味なのが私の好みかも。とくに、その性愛描写、とくに少年愛とか男色とかは、その時代背景とか、文化的系譜を考えたとしても、こちらの許容範囲にはない。なんだかウィトゲンシュタインを思い出した。彼もまた男色家であった。 当ブログ、別に過激なことを書いているわけではないが、一度だけ、強烈に「Google八分」を体験したことがある。そのころ、ちょうど重なって、ウィトゲンシュタインの性的傾向、あるいは 「<反>哲学教科書」、そしてあろうことか、ダダイスト糸井寛二の近影などなどが、たてつづけにテーマになったのだった。 ところがそのころ、なぜか、当ブログはGoogleには引っかからなくなった。検索方法もいろいろ変えてみたが、単体としてはGoogleから姿を消した。幸いに、リンクを張ってくれている人たちのページから逆リンクして戻ってくることはできたが、一瞬、ぎょっとした。 当時のほとぼりも冷めたのか、いまでは以前のような状態に戻っているようだが、他の検索エンジンでも同じようなことが起きているのかもしれない。誰がどのような手段や目的でこのような反応をしているのかは知らないが、インターネットは、「公共的」大通りのマーケットプレイスであれば、やはり、一方的に突っ込みすぎるテーマは避けなければならないと思う。 そのセンスで言えば、やはり、一休のセンスは、当ブログで扱うには、ちょっと突っ込みすぎ、のイメージがある。 昨日めくった「一休和尚大全」は、詩歌という形で秘されているだけに、それはそれ、イメージ力のない当方はそそくさと行き過ぎてしまうだけだろう。しかし、この栗田勇「一休」は、現代文だけに、ちょっとリアル過ぎるところがある。もっとも、詩歌とともに、このようなドキュメントを一通り目を通しておけば、Oshoの「Take It Easy」に入っていくには、役に立つこともあるだろう。
2008.04.22
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<上>巻よりつづく「一休和尚大全(下)」一休 /石井恭二 2008/3 河出書房新社 単行本 411p Vol.2 No.0061★★★★★ 自賛 大燈の仏法、光輝を没す、 竜宝山中、今、誰か有る。 東海の児孫、千歳の後、 吟魂、猶、苦しむ、許渾の詩。 自賛 大燈国師の仏法は光を失った、 竜宝山大徳寺の中に、今、どんな人物がいるのか。 達磨大師このかた、千年の後、日本の法孫である私は、 詩情を抱いているのに、 許渾の詩のように、すでに白髪頭となって苦しんでいる。 p29 下巻は、さらに一休の詩歌の独壇場だ。 自戒 罪過、天に弥る純蔵主、 世は許す、宗門實中の主と。 禅を説き人に逼る詩格、工みなり、 無量劫来、悪道の主。 自戒 一休宗純の罪過は、天に満ちるほど限りない、 世間では、私を宗門の第一人者と認めている。 たしかに、禅を説き人に迫る詩風は巧みだ、 だが、大昔から永遠にわたる悪道の主なのだ。 p43 一休が生きたのは1394~1481。まさに日本仏教の中に生まれた詩聖という感じだが、思えば、さらにさかのぼること数百年間前、チベットには、ミラレパ(1040~1123)という詩聖が生きていた。一休とミラレパはどこかで通じている。一休がチベットに生まれればミラレパになっただろうし、ミラレパが日本に生まれたら一休になっただろう。そして、日本の禅とチベットのタントラは、少なくとも詩歌を通して繋がっている。そんな印象を強く持つ。 ふと気がついて見れば、一休はコンパクトな四行詩の中に、韻を踏んでいる。このような読み下し文ではなく、元は漢文なのであろう。漢文のまま、しかもその墨蹟の中に読めば、もっと世界は広がっていくに違いない。 但帰依す、積翠庵の禅、 慙愧す、狂雲、名刹の前。 一夕一朝、日月の蝕 終分明白日晴天。 ただただ、積翠庵の黄竜慧南の禅に敬服する、 まだ名刹に囚われている自分を、朝夕に恥じる。 日蝕も月蝕も、やがては終り、 ついには晴天白日の空になることは明らかだが。p111 一休は、自らの出自もあって、天皇などには敬意を払っているが、一部の階層や職業には、差別的な用語も使っている。しかし、その旺盛な批判精神から考えれば、ひとつや二つの言葉使いを超えたところに一休は行ってしまっているかのようでもある。でも、やっぱりヘンな奴だなぁ。そうそう簡単にはTake It Easyとはいえない。 この本、2008年3月発行ということだから、一休関連では最新の本ということになろう。著者の石井恭二氏は1928年生まれの八十翁である。
2008.04.21
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「一休和尚大全(上)」一休 /石井恭二 2008/03 河出書房新社 単行本 402p Vol.2 No.0060★★★★★ 一休のことなんか、何もしらない。くりくり頭のどこぞの仏具やの看板が、たしか一休をもじっていたのではなかっただろうか。日本昔ばなしや、ひみつのアッコちゃんなんかと一緒に、ちょっと前まで子どもテレビ番組があったのではないかな。とんち小坊主で、たしか「あわてない、あわてない」が常套句だった。 だけど、この本を読む限り、一休って奴はとんでもない野郎じゃないか。女色ばかりか男色にも目がないオカマ野郎だ。いい年こいて、いつまで女郎屋通いしてっかね。くりくり頭の「あわてない、あわてない」の小坊主の一休なんて、とんでもないお門違いだ。挙句のはてに、のうのうと87歳まで生き延びてやがんの。 この放埓な生き方は、山頭火か辻潤か、あるいははたまた「ルバイヤート」のオマルハイヤームを連想する。ゾルバ・ザ・ブッダどころか、こりゃ、ホンマもののゾルバ・オンリーじゃないのか・・・・・とさえ、思ってしまう。 上下二巻の、上巻の三分の二ほどは「一休和尚の生涯」が、時に触れてしたためられた書画の中に残された詩歌によって構成されている。一句ぐらいは転記しようとも思うが、旧仮名遣いのうえに漢語の羅列。ワープロ文字では追いつかないほどで、さらにそこにルビを振り続けては、なんの詩歌かわかったものではない。この本の著者である石井恭二の読み下し文でようやく意味を追い続けることができる。 読み下し文だけおっかけていては、一休って野郎はあまりに下衆野郎でしかないが、たまにその詩文に目を移すと、これがなかなかいい。室町時代にあって、なおかつ皇族につらなる血筋のうわさもあるという。 一休は皇族の出自である。母方は南朝の藤原氏の貴族の血筋であるが、北朝の後小松天皇に仕え、側室として寵愛され身ごもったことから周囲に妬まれ、彼女は南朝方の刺客であり、天皇を殺そうと謀っていると讒言する者がいて、宮廷から追放され、身分を庶民に落とされた。そして、一休は生まれた。人々は、知らなかったが、一休には、自ずと貴人の相が具わっていた。p19 なるほどそうであったか。「京都田辺の薪村の墓所は、宮内庁の管轄にはいっている」p19らしいから、これはホンマモンだ。身からほとばしる才というものが備わっていたのであろう。しかしそれにしても、おびただしいアウトプットだ。これだけの詩歌を残すということは、それだけインプットもあったのだろう。それにしても目を覆いたくなるようなインプットぶりだ。 この上巻も後半になると、一休のブッダの部分が顕現してくる。 拈華微笑 世尊拈出す一枝の花、 一代の禅宗、意気奢る。 金色の頭陀、独り法を伝ふ、 近年に知識、河沙の若し。 釈迦は花を手にし、迦葉は微笑む 世に尊ばれる釈迦は、一枝の花を手に取った、 それから今日まで禅宗の意気は盛んになったのだ。 しかし、金色の頭陀と呼ばれた迦葉だけが、独り仏教を伝えたのだ、 近年には高僧は、ガンジス河の砂粒ほども多い。 p270 おお、そういえば、一休と同時に当ブログは、ばったり達磨と出会ってしまったのだった。 達磨忌 毒薬 数 加ふ賊後の弓、 大千逼寒す仏心宗。 西来に意無し、我に意有り、 熊耳山中、落木の風。 達磨忌 達磨は、何度も毒薬を盛られたが、手遅れだった、 世界には、既に禅宗が充ち満ちていたのだから。 達磨が天竺からやってきたのには何の目的もなかったというが、 俺には、それが問題だ、 達磨が葬られた熊耳山では、葉の落ちた木々が秋風に吹いている。p273 う~ん、なるほど。Oshoの一休を語った本の原題は「Take It Easy」だ。Oshoはこの一休をどう料理するのだろう。そういえば、「Zen Masters in Osho's Talks--The List」というページがあった。うへぇ、こんなにしゃべっていたのか。これじゃ、全部は追っかけることはできない。ましてや、こんな系統図まである。Ikkyuにいたるまでの、なんという道のりか。 天竺土往来す、金色の身、 春秋八十、髪銀の如し。 老タン、左に在り、中尼は右、 三教分かれず、誰か麟を感ず。 インドに往来する、金色の身、 春秋八十歳、髪は銀のようだ。 老子は左、孔子は右、 仏教、道教、儒教は分かれず、誰もが太古の神獣麒麟の寿を感じる。 p402 <下>巻につづく
2008.04.21
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「ボーディダルマ」Osho スワミ・アナンド ソパン翻訳 1994/05 めるくまーる 単行本: 700ページ Vol.2 No.0059★★★★★ おお達磨か。この本、読んだような気もするし、途中で放りなげてしまった記憶もある。なにはともあれ達磨だ。<2>につづく
2008.04.20
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「一休道歌 上」 <1>Osho スワミ・アナンド・モンジュ 翻訳 1987/08 めるくまーる 単行本: 711ページ Vol.2 No.0058★★★★★ 一休を読もうか、達磨を読もうか、と、ここにきて悩む。Zenタロットリストにも、玉川リストにも載っていて、特に玉川Osho・Zenリストの中では、この二冊を読むと一気に全体像が顕れてくる。息せき切って急いでみても、どっちも大冊であり、あわてて読むような本でもないだろう。どちらが大切ということでもないが、時系列的には達磨がいなければ一休もいないが、人類の遺産として考えれば、一休がいたからこそ達磨にも光が当たるということもあるだろう。 Osho講話も一休(78/04)が先で、達磨(87/07)があとだ。なんと10年の開きがあり、さらにプネ1とプネ2とさえ別れている。どちらがどうということもないのだろうが、ここは当ブログとしては、まぜこぜに読み進めることが、逆にOshoの全体像に光があたることになるかもしれない、という試みをしてみよう。<2>につづく
2008.04.20
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(上)よりつづく「虚空の舟」(下)Osho マ・アナンド・ナルタン ・翻訳 1982/10 ラジニーシ・パブリケーションズ・ジャパン 単行本 220P Vol.2 No.0057★★★★☆ 久しぶりに開いた本、内容はよく記憶していないが、ナニが書いてあるのかはほぼ分かる。当時は、それほどOsho本が多くなかったので、きっと繰り返し読んだのだろう。今読んでいて、特に目新しい話題はない。むしろ、現在の自分の考え方や話のネタになってしまっているものが、実は、自分のオリジナルではなくて、ここのOshoから借りてきているのだったか、と気付くことが多かった。そういう意味では、気付き方が目新しかった。 マハカシャップ(迦葉)が仏陀の言葉を思い出せなかったとは、美しいね 彼は言ったそうだ 「私は彼を聴いた だが彼が何を言ったかは覚えていない 私にはその内にあまりに深く入り込んでいたので 記憶の一部となることはなかった 私は知らないよ」 p114 仏陀、老子、ダルマ、禅、と連なる系譜は、地球に生きる人類にとって、なにごとにも変えがたい。特に瞑想を持ってもってこととする人々にとっては、はずすことができないテーマだ。Oshoは、自身の世界を展開しながら、ともすれば、あちらこちらへと移り気な旅人たちの足を止めるため、ありとあらゆる手を繰り出す。ブッダ、TAO、Zenといい、ここで展開されているのは、Osho自身の世界だ。この項、<完>
2008.04.20
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<1>より続く「虚空の舟」 (上) <2>Osho あなたがたは私のもとにやってきた----- あなたがたは危険な一歩を踏みだした これは冒険だ 私の近くでは あなたがたは永遠に失われることもあり得る 私に近づいてくるということは死を意味する それ以外の意味はあり得ない p6 滑り出しから、なんともゾクゾクするような始まりだ。しまった、読まなければよかった、とさえ思う。禅の一冊と数えられることもあるが、この本は「道」の本だ。つまり「荘子」のテキストを使っている。だからつまりは道教ということになるのだが、この本を読む限り、Oshoの「道」は決して「道教」ではない。ましてやOsho・TAOとすらもしないほうがいいのではないか。むしろ、これはOsho、それだけでいいような気がする。 詩句や小話、ジョーク、ニュースなど、限りないOshoの気合のこもった話が延々と続く。ここはOshoワールドだ。なにものにも類似していない。Oshoの独壇場だ。しかし、ふと思う。原題のごとく、ここで語られているのは「Empty Boat」なのだ。Oshoが語っている、と感じるなら、もう、なにかを見失っている可能性がある。語られている話たちが、ひとりでに語っている、という表現のほうがより正しいか。 テーマはTAOだけに、メインストーリーは「中庸」だ。まんなかの道。偏らない道。ありのままの道。言うは易しいが、そうあることは至難の技、アートだ。久しぶりにこの本を読んで、考えた。この本82年にでている。オレゴンのコミューンから帰ってきたあとに、当時、ビルの中にあった自分達の瞑想センターの中で読んだに違いない。 ああ、いくつかのことを思い出した。この「アート」を日々生きることは、痛みを伴う。あの日々の中で、あの痛みがなかったら、私の人生はもっと単調で、もっと面白みのないものだっただろう。アップダウンがあることで、人は生き生きと生きることができる。む~・・・。(下巻)につづく
2008.04.19
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「信心銘」 <1>Osho スワミ・パリトーショ 1989/5 禅文化研究所 単行本 470ページ Vol.2 No.0056★★★★★ この本は、いろいろな面からなかなか珍しい。まずは初版における著者名が、単にラジニーシとなっている。日本語翻訳本において、和尚ラジニーシとなっている本は他にもあるが、単にラジニーシとなっているのは、この本だけではないだろうか(未確認)。それもそのはず、この本が出たのは、1989年の5月だが、編集され印刷所にまわされたのはもうちょっと前のことであっただろう。当時Oshoは、日ごとに名前を変更していた。Osho自身が、「単にラジニーシでいい」と公言した日が、印刷がスタートした日だったのだろう。 そして、もうひとつ珍しいのは、財団法人・禅文化研究所、というところから発行されていることである。この団体について私は詳しいことは知らないが、住所をみると、京都市の花園大学の中にあることになっている。Oshoの本はいくつもの出版社からでているが、必ずしも続刊してくれないところがちょっと寂しい。この禅文化研究所からでた本は、この本が唯一ということになる。復刊ドットコムにも登録されているが、「出版元に問い合わせたところ復刊する予定はないとのお返事をいただきました」というリクエスト読者のコメントが、またちょっと寂しい。 この本の表紙を検索してみたが、ない。あることはあったが、あれ?と思った。 へぇ~、これって新装版かビデオのパッケージかなと、最初は思ったが、これは実は中国語版だった。あちらの言葉だと、Oshoは「奥修」となる。この中国語をチラッと見たが、分かるような分からないような、う~ん、やっぱり分からん。FREE TIBETむーぶめんとは、中国国内ではどのように受け止められているのだろうか。この中国語版は多分、台湾で発行されているのだろうが、そのいくつかは、アンダーグランド文化として中国大陸にも必ずや流れているはずだ。なにかのシンクロがおきていることを期待する。<2>につづく
2008.04.19
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<2>からつづく「無水無月」 ノーウォーターノームーン<3>Osho 「虚空の舟」も「荘子」のテキストを使っている限り、必ずしも禅ではないが、こちらの「無水無月」とて、「Talks on Zen Stories」とか、本書の帯にあるごとく「禅、十話」という紋切り型の講話を期待していると、意表を突かれる。この本も、決して禅伝統を延長したり粉飾したりして、禅の雰囲気を作っている本ではない。 ブッダが亡くなったとき、多くの体系が発生した。なぜなら、みながみな、独自の体系を作り出したからだ。彼は矛盾の人だった。体系を編み出す人ではなかった。だから数え切れぬほどの矛盾があった。そのため誰もが----哲学者たちが----仕事を始めた。そして現在、仏教には数多くの哲学がある。それらの哲学において、矛盾は除外され、首尾一貫したものが作り上げられた。だが、矛盾を除外すれば、ブッダ自身をも除外することになる---彼は、自らの矛盾に存在したからだ。彼は隙間(ギャップ)に存在した。彼は、あなたのマインドにショックを与えていた。p250 哲学とはいわないまでも、Oshoの講話を時系列に並べてみることは、それなりに価値がありそうだ。でも、それをやってみると、意外なことがわかる。そこで言われていることはほとんど何も変わっていないのだ。変化しているとすれば、彼を取り巻いている聴衆だ。一般的な公けな講演から、限られた弟子達へ、インドの人々が多かった場合もあれば、外国人たちの旅行者が増えていった時期もある。ジャーナリストのインタビューを受けたこともある。数年に渡って沈黙が保たれている時期もあった。しかし、そこに浮かんでいたものは、同じひとつの「月」だった。 一休という人には、国中に何千人もの弟子がいた。弟子たちを助けるために、ひとところから別のところへと彼は放浪した。この話は、彼の弟子の一人、蜷川についてのものだ。彼はちょうど瀬戸際にいて、ほとんど光明を得ていた。だが”ほとんど光明を得ている”のでは意味がない。戻ってくることもある。最後の最後で落ちることもある。それが起こっていないかぎり、起こってはいない。あとほんの一歩で、光明を得るまさに最後の瞬間から、戻って来ることもある。この蜷川はほとんど光明を得ていたが、まだ経典にとらわれていた。真理に到達しないかぎり、経典へのとらわれから脱するのはとてもむずかしい。p396 一休については、このあとOsho講話「一休道歌」を読もうと思っている。しかし、読もうと思っていること自体、すでに一休を見逃していることにもなりかねない。くわばらくわばら。 底がはずれるにまかせなさい! あれこれと古い桶を守ってはならない。その価値はない。自分自身を防御してはいけない、その価値はない。桶は壊れるにまかせなさい。水が流れるにまかせなさい。水の中の月が消えるにまかせなさい。そうして初めて、本物の月に目が向けられる。それはいつもそこ、空にある---けれども、手の中の空が必要だ。もっともっと空っぽでいてごらん。もっともっと自分自身を空っぽだと思ってごらん。もっともっと、あたかも自分が空っぽであるようにふるまってごらん。少しずつ、少しずつ、あなたはそれを味わうようになるだろう。そして一度、その味わいがやって来たなら、それはとても美しい。p428ひとまず、この項、完
2008.04.19
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「虚空の舟」 (上) <1>Osho マ・アナンド・ナルタン 1982/9 ラジニーシ・パブリケーションズ・ジャパン 単行本 255ページ Vol.2 No.0055★★★★★ この本って、Zenシリーズなのかな。 「OSHO ZEN TAROT」出典リストにも、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」にも、この本はもっとも古い講話として載っているが、実際は「荘子」を語った話だ。厳密に言えば、「禅」シリーズとは言えないのではないか。ただ、インドのブッダの教えが、中国にわたって老荘思想と融合し、日本に渡って熟成されたものが「禅」だとすれば、Oshoにとっては、老荘も禅の一部となるかもしれない。ましてや、Osho・Zenにおいてや、ラオツやチャンツは、Zenそのものとみなしても、何の違和感もないのかもしれない。 この本が出版されたのは1982年、現在のOEJの前身であるラジニーシ・パブリケーションズ・ジャパンから出版されている。懐かしいといえば、本当に懐かしい。当時はまだ日本においてOshoの本は10数冊しかでていなかった。一冊一冊が記念碑的なものだった。当時はむさぼり読んだものだが、ここ何十年も開いてみることがなかった。今回、こうして開いてみるのも、何かの縁だろう。<2>につづく
2008.04.18
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<1>からつづく「無水無月」ノーウォーターノームーン<2>Osho /マ・アムリッタ・テジャス 1998/12 市民出版社 単行本 433p この本、 玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」の出典リストを見る限り、禅を語った日本語本としては最古の部類に属する。「OSHO ZEN TAROT」には引用こそされなかったが、その出典リストから見る限り、1974年8月というのは、Oshoがまとまった形でZENに触れたものとしては、やはりもっとも最初の時期のものということになる。 この時期、アチャリア・ラジニーシからバグワン・シュリ・ラジニーシに名前を変更して、サニヤシンをイニシエートし始めたたばかりの時代であり、周囲のものにとっても、「バグワン」という言葉さえ新しく、呼びにくかったかもしれない。そのような時代の本ではあるが、この本は日本語となって、1998年12月に発行されている。名前は和尚(Osho)。「無水無月」。帯には「光明の味わい。禅、十話」とある。 この本の巻末には、我が瞑想センターもリストアップされているが、この本を私が読んだのは、この本がでてすでに10年も経過しようというごくごく最近になってのことである。こうしてみるとOshoの歴史はかれこれ3~40年に達しているわけだが、長かったのか短かったのか、と問われれば、マスターの肉体とともにあった期間は、きわめて短い期間だったという印象は否めない。本当に貴重な一瞬でしかなかった。 しかしである。その一瞬と思える期間の中にあっても、Oshoは限りない色合いの世界を展開してみせてくれた。まるで虹色の世界だ。だから、仮に私がイニシエートを受けた77年を境にしてみた場合、それ以前とそれ以後には大きな差がある。もちろん、アメリカのコミューンを体験したあととか、ミステリースクールの前後などでも、大きな変化をOshoは見せている。 その旅を一緒に旅した者たちにとっては、その時期その時期によって語られた内容や意味合いは、そうとうに多義的であることが多い。この「ノーウォーター・ノームーン」が「無水無月」と邦訳されることも、やや違和感なしとはしないが、この74年当時の彼がOshoと呼ばれることも、ひっかかりがないとはいえない。 この時期は、Oshoのまわりでは盛んにサニヤシンが増え続けている時代だ。いきおい、講話の内容も、そのようなマスター・弟子システムに語られることが多い。これから10年後には、グ***ムとやらで、このマスター・システムを揶揄する動きが外部に現れたりはするが、この74年においては、それはそれなりに新しい動きとして注目されている。 私は私なりに時代背景を考えながら読んでいるつもりなのだが、さて、21世紀になって、初めてOshoに触れる人などにとっては、このようにトランプ状態に切り込まれた講話群を、とくに脈絡なく、一括してOshoとして読むことに、不具合はないのだろうか、と思う。ZENはZENでも、その時期においてOshoは、さまざまな形で光を当て続けている。出版社ももうすこし、そのような背景を付記すれば親切であろうに、と思うのだが、それは、私のおせっかいな老婆心からでた想いかも知れない。 三つある---これらは仏教の三つの宿だ。伝授を欲して比丘になった者がいう、「ブッダム シャラナム ガッチャーミ---わたしは行く、わたしはブッダに宿る」「ダンマム シャラナム ガッチャーミ---わたしは教えに宿る」「サンガム シャラナム ガッチャーミ---わたしはサンガに、ブッダの信奉者に宿る」これらは三つの宿だ。仏教の三法だ。p90 この74年時点でOshoがガッチャーミに触れていることに驚くが、やがては「ブッダの足元に行きます」(I go to the feet)と表記される部分だが、ここではなんという英語になっているのだろう。原文がないので、確かめようがないが、関心はある。それはともかくとして、私たち日本人には仏・「法」・僧という順番で知られているこの三宝だが、アメリカ時代には仏・「僧」・法の順番になっている。アメリカ時代は、サンガムが強調された時代だから、ダンマムの前にサンガムがきていたのだろうか。 マスターの前にあって、哲学をしている場合ではない、と言われればそれまでだが、なにはともあれ、Oshoのもとにあって、このガッチャーミが必ずしも一定ではない、ということをこの本で発見できたのは私にとって意義は大きい。 私がOshoの前にいくまでには、さまざまな思想的潮流を横ぎっていた。いろいろなグループやマスターたちに触れた。しかし私は決して靴を脱がなかった。歓迎されなかったわけではない。私のほうさえOKといえば、受け入れてくれるところがほとんどだった。しかし、私の頑なな気持ちを開くまでには行かなかった。Oshoの前に行って、私は初めて、ここで靴を脱いでみようかな、と思った。いずれ私のような者は誰かにお世話にならなくてはならないのであろう。であれば、ここはまぁ、まずまずかな、とかいうような、ちょっと生意気な青年であったことは間違いない。 それに、今ここで、ひとつの教団が始まろうとしている。このような流れを始まりから「終わり」まで見届けるのも面白いだろう、という野次馬的気分もあった。だが、それは、私の間違いだったかもしれない。この流れ、なかなか終わらないのである。プネ1が終わっても、アメリカが終わっても、プネ2になって、Oshoが肉体を離れても、終わらない。そして、私には、さらに大きな間違いがあったことに今は気がついている。この流れは、当時、ちょうど始まったばかりではなかったのだ。77年の前には74年があっただろうし、その前には60年代があった。しかし、もっとその前にも、さまざまなことがあったのである。とくに700年前のチベットのことは特筆すべきことだ。 地球各地でのFREE TIBETむーぶめんとの動きはどうなっているのか、とても気になるところである。TIBETに向かって瞑想するとき、さまざまな思いがやってくる。そしてそれは、単にオリンピック聖火リレーがチベットを通過する2008年だけに関連しているわけではないことは確実だ。ものごとの始まりは、すくなくとも700年前には始まっている。いや、もっと前からであることも分かり始めている。であるなら、このものごとは、そうそう簡単には終わらない。すくなくとも、数百年や数千年あるいはもっと大きなサイクルで見つめていく必要があるのだ。<3>につづく
2008.04.18
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「テクノストレス」 コンピュータ革命が人間につきつける代償クレイグ・ブロード (著), 池 央耿, 高見 浩 1984/01 新潮社 単行本 309ページ Vol.2 No.0054★★★☆☆ 1984年といえば、パソコン文明の黎明期で、コンピュータそのものは話題にこそなれ、まだまだ一般人の生活に入り込んできていた時代ではない。しかし、マイコンあるいはパソコンがそうとうの肝いりで登場してきた時代であり、その可能性はすでに多くの識者によって預言されていた。アップルのパソコンがようやく脚光を浴び、いまや世界一の長者ビル・ゲイツでさえ、まだパソコンOSを手がけ始めていた段階であっただろうか。 この「テクノストレス」は、かならずしもパソコンの世界だけを調査したのではない。スーパーコンピュータに連なった端末や、オフコン、あるいはワープロや、単純入力装置にいたるまでの、いわゆる「コンピュータ」と総称される危機と接しながら働く労働者たちの心身の変化をもとに独自の論旨を展開したものだ。その労働下にある人々に、必要以上にかかる負荷を著者は「テクノストレス」と名づけた。 すでに一般名詞化しているテクノストレスだが、検索してみると、たくさんの関連情報はあるのだが、著者のクレイグ・ブロードに連なる情報は驚くほど少ない。当時35歳だった著者がその後の四半世紀にどのような活躍をしたのか気になるところだが、日本語訳になっている本は、この本のほかに2冊しかないようだ。 1984年に発行されたこの本は、3年間の調査によるとされるが、まさに1980年代はじめは、いままでのオフィスがどんどんテクノロジーの波をかぶり始めているときであり、またアルビン・トフラーの「第三の波」的楽天主義が横行しはじめていた時代である。これから社会にでようとする世代にとってはまさに千載一遇のチャンスではあっただろうが、すでに社会の中に自らの地位を確保していた世代にとっては、その地盤が足元から奪われていく体験をすることになった。 社会や仕事の変化についていこうとして感じるストレスと、IT危機がもともと持っているストレス性は、区別して考慮される必要があるだろうが、すくなくともテクノストレスという言葉が一般名詞化したことを考えると、この本が象徴している時代の分水嶺は記録しておく価値はあるだろう。 その後、パソコン自体はもっともっと一般化し、21世紀においては、パソコンがなければ、仕事も生活も趣味も成立しない時代になりつつある。その変化に合わせて、いわゆるストレッサーになるような要素はどんどん軽減されてきたと考えたいし、社会や仕事の仕組みもどんどん改革されてきたと思いたい。当然、いままでのほうがよかった、と考える人々は一定程度存在するのはいつの時代でもありえることだが、よくも悪くも時代は変貌を遂げた。 逆に考えれば、それではいわゆるテクノが発達しなければストレッサーが減るのか、というとそれも違うだろう。どの時代にもどの社会にもストレスは発生した。基本的には、社会の変化はやむを得ないことなのだ。ただ、この本が1980年代の時代の裏側をレポートしていたことは価値のあることだと思う。また、ついついものごとを過小評価しがちなテクノ依存症の強い人間のひとりとして、私は、現在の身の回りにある自らのテクノストレスの軽減については、充分配慮しなくてはならない。
2008.04.18
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<2>よりつづく「英知の辞典」 <3> Osho マルチチュードとは自主的多数派のことである。「群衆」「多数性」「多性」などといった訳語があてがわれてきたのだが、どれもぴったりしない。マルチチュードと原語でいうのが、いちばんいい。それよりも重要なのはマルチチュードが何をするのかということである。一言でいえば憲法制定の力を担う者のことをいう。すなわち、マルチチュードが「帝国」を解体し、憲法制定権力をもつこと、それがマルチチュードのミッションなのだ。「松岡正剛 千夜千冊 4」p1328 FREE TIBETむーぶめんとの盛り上がりの中で、こんな話題もなんなのだが、野合や烏合の衆のように表現されてしまうのは悲しい。ひとりひとりが自らの表現の結果として大きなうねりが生み出されてくるのなら、それはそれですばらしいと思う。 Oshoの「辞典」の中に、マルチチュードという単語があるだろうか、と見てみたが、日本語のこの「英知の辞典」の中には見つからない。もちろんCROWDとマルチチュードは別ものではあるが、別物であるはずだということを明確にしておくためにも、ここは、Oshoの「群衆」についても、いまいちど押さえておかなければなるまい。 群衆 CROWD 「勇気」と呼ぶに値する唯一の勇気は、群衆心理の囲いの外に出ることだ。私たちは群衆のなかに生まれる。それは避けられないし、自然なことだ。私たちは群衆のすべての過去とともに、群衆のなかで成長し、そして群衆はあらゆる子どもにその迷信と愚かさのすべての重荷を負わせる。群衆は盲目の人々から成っているが、それは覚者(ブッダ)がきわめてまれにしか現れないからだ。群衆は伝統に従って活動する。なぜなら、彼らには自らの洞察というものがないからだ-----持ちえないのだ。 自らの洞察を育むためには、人は深く瞑想的で、ごく敏感で、醒めていなければならない。ところが群衆はある種の眠たげな、無意識の生を生きている。気づこうとするいかなる努力もせず、決まりきった生活をしている---機械的に、ロボットのように。だが、不幸なことに、どんな子どもも特定の群衆の手のなかにあるよりほかにない。そして群衆は子どもの心(マインド)を汚染し、その意識に毒を与えている。子どもが成長し、充分に強くなるころには、すでに自分の足で立つには遅すぎる。毒はあまりにも深くまで入り込んでいる。群衆は彼の内なる世界の一部になっている。それは彼の精神(サイキ)に限りなく深く浸透している。生における最大の勇気は群衆を自らの存在の外に投げ出すことだ、私が言うのはそのためだ。 群衆に従って生きるなら、人は惨めな状態にとどまるしかない。なぜなら、群衆は惨めなものだからだ。そのすべての思考形態が惨めさの根本原因だ。過去を志向する意識が彼らを惨めにしている。彼らには現在を生きる情熱、強烈さというものがない。もはや存在しない過去の郷愁に生きている。それはまったく愚かなことであり、時間の浪費だ。群衆は自らの過去に準じた未来、ありえない未来について考えている。そのどちらも存在しない----過去はもはやないし、未来はまだやって来ない。この二つの非存在のあいだで群衆は圧しつぶされている。彼らはうつろなまま、満たされないまま、それゆえに惨めだ。 サニヤシンは群衆心理とその支配力の外に出なければならない。それはあなたを人間ではなく羊にしてしまうからだ。 「THE OLD POND---PLOP! 」 p178<4>につづく
2008.04.17
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「あなたの中の『パソコンストレス』」南海昌博 1998/09 オーム社 単行本 192p Vol.2 No.0053★★★☆☆ 最近、仕事上のストレスが溜まり、血圧に何事かあり、医師の診察を受けてみることにした。幸い、ボーダーラインではあるが、大事に至らず一件落着の見込みがついたので、なにはともあれホッとしている。しかし、生活習慣病といわれる一環のことどもについて、再考するチャンスになった。 「あなたの中の『パソコンストレス』」などと、言われると、カチンときて、「では、そういう君の中ではどうよ」と切り替えしたくなる。こういう心情こそ、どうやら普段からのストレスが裏返しになったエモーションなのかも知れない。まぁ、ここは素直にこの本を紐解いてみる価値はあるかもしれない。 ではマジで「私の中の『パソコンストレス』」はどうなっているのだろう。この本の中の簡単なテストをしてみると、パソコン恐怖症、パソコン依存症、パソコンによる燃えつき症、の三つのカテゴリに分類されている。私は典型的な「パソコン依存症」である。どちらかというと「燃えつき症」にさえ近いが、対人関係の破綻などの自覚症状はまだない。 しかし、怒りっぽくなっていることは確かだ。無用な電話セールスなどに、延々と説教している私の姿を見て、家族などは、あきれた顔でおろおろしていることが多くなった。血圧は上がりっぱなしだ。血圧の仕組みは複雑で、遺伝的体質、仕事上のストレス、高齢化による体質の変化などが絡み合っているようだが、この本の「ストレス反応を自覚する目安」p34のなかには、「血圧があがる」は、ストレス時の反応のひとつに数え上げられている。気をつけなければ・・・。 この本、1998年の発行だ。すでにこのような話題がこの当時からあったのだなぁ、と、痛感する。私などは、無批判的にITが推進していくことを礼賛するほうだから、この本がでたあとの10年で、世の中もっと進んでいたような錯覚に陥っているが、実は、問題の本質はそう変わってはいないのかもしれない。 もっとも、この本のネタ本にもなっているクレイグ・ブロードの「テクノストレス」は1984年の発行だ。問題は最初から常にあったことになる。私はこの「テクノストレス」という本を初版時に購入しているが、批判的にこの本を見てきた。なんだか反動的に思えていたのだ。20年以上が経過して、いまこそ、この本も読み返してみる必要があるかも知れない。。 テクノ依存症的傾向の人が、その傾向を軽減するためには、1)コンピュータ作業中に頻繁に休憩をとる。2)音楽鑑賞などの情緒豊かな趣味に興じる。3)自分の手で何かを作る時間を設ける。4)家族や友人との交流を深め、人間的な思いやりや優しさを意識し、(気持ちを)豊かにする。 p62 当たり前のようで、実は耳が痛い。パソコンをいじっていると、ついつい何時間でも夢中になっていることはよくある。頻繁に休憩など、取らない。やれるところまで徹底してやってしまう。でも、これはいけないな。反省して、あらためることにしよう。音楽鑑賞なども、実は少ない。まぁ、私の場合はせいぜい瞑想するタイミングを多くするということかな。自分の手で何かつくることは、少なくは無いはずだ。これからはガーデニングの季節でもある。まぁ、でも、たしかにこの冬の間は寒かったし、仕事が忙しくて、それどころでなかったことはたしかだが。 「家族や友人との交流を深め」ってところも耳が痛いね。いや、そうしているつもりなのだが、この辺は、別に基準があるわけではない。いまよりも、深めろ、ということだろう。「人間的な思いやりや優しさを意識し」ってところもつらいなぁ。いや、自分は思いやりがあって優しい人間だとは思っているのだが、これが割りとパーソナリティ化してしまい、実は「お面」化していないとは限らない。本当に人間的で優しいとは何かを、もういちど再点検する時期かもしれない。 ノートパソコンの場合には、ディスプレイが下方にあるため、どうしても首が下方を向いてしまうことがあります。日本では職場が狭いこともあり、ノート型パソコンの普及が進んでいるようですが、ドイツの工業規格では、ディスプレイとキーボードが一体となったノート型パソコンは、頸肩腕障害を起こす可能性があるため禁止されています。今後日本でも、ノート型パソコンに関する指針を作る必要があると思います。それまではみなさんも注意して使う必要があります。p77 へ~、ドイツではノートパソコンが禁止されているとは知らなかった(ほんとかな?)。圧倒的なノートパソコン支持派の私としては、これまた耳が痛い。たしかに注意して使うことにこしたことはないな。まぁ、なにはともあれ、最近の自分の感情の起伏や身体の変調があったこの時こそ、ひょっとすると自分とパソコンとの関わりを見直すチャンスかな、と思われて、この本をめくってみたのだった。ーーーーー さて、当ブログでは、それぞれのエントリー記事のスタイルを、いろいろと模索してあれこれしてきたのだが、いままでは、それぞれの本のカバーの色に合わせて、引用部分を色づけしてきた。しかし、最近は、チベット僧たちの衣の色であるマルーンカラーが、やたらと気に入っているので、当面は、このマルーン色で引用部分をカラーリングしていこうと思う。
2008.04.16
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「立花隆先生、かなりヘンですよ」 「教養のない東大生」からの挑戦状谷田和一郎 2001/12洋泉社 単行本 286p Vol.2 No.0052★★☆☆☆ 1995年「ぼくはこんな本を読んできた」、2001年「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」、2007年「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」と、立花読書本を読んでみた。田中角栄研究では、よくもまぁこんなところまで書いて殺られないもんだな、と思った程度で立花本を読んでみようとは思わなかった。その後、「宇宙からの帰還」では、かなりインパクトを受けた。そして「インターネット探検」や「インターネットはグローバル・ブレーン」では、おもいっきりファンになった。 立花本は数百冊あり、読み始めたらきりがないだろう。読みたくもあり、読みたくもなし。不思議な作家だ。「電脳進化論」は当ブログで読んでみた。全体的な流れは異論はあまりないのだが、はてさて、この作家(ジャーナリスト)はどこにいこうとしているのか、という曖昧さがただよう。そんな時、「かなりヘンですよ」という本がでて、あれあれお気の毒に、と思わずにはいられなかった。 しかし、今回の立花「読書」三部作(続刊中だろう)を読んでみて、これは気高く孤高を保とうとする人ではないのだな、と感じた。むしろ、このような批判や突っ込みを期待している向きさえ感じる。ただ、そうとうに練習量の多いボクサーを連想するような、気迫に圧倒されて、なかなか挑戦状を叩きつけようという猛者は現れないのかもしれない。 立花隆は、特別なジャンルをもたず、ありとあらゆるテーマについて突っ込んでいく。その手法は、とにかく書店まわりをして、ひとつのテーマを徹底的に読み込み、さらにはジャーナリストという立場を活用して、関係者への直接インタビューを試みる。そして、週刊誌や月刊誌などの一般大衆の目に触れやすい場にその成果を提供するスタイルだ。ちょっと見には、通常の人間にもできそうなスタイルだが、立花にして初めてできる力技であろう。 この野性味あふれる知の鉄人に一矢むくいようとする「元」東大生の志やよし、と思う。立花にとってみれば、蚊にさされたマンモス象のようなもんで、それこそ苦にもしないだろうが、無視はしていないだろう。「捨てる技術」に対する立花の異様な反応などを考えるとき、ありとあらゆるものになりふり構わず掴み掛かっていくモンスターを連想する。 さて、この和田VS立花のノンタイトル・マッチはどんな結果であったのだろうか。立花が踏み入る多様さを反映して、この「挑戦本」が触れているジャンルは多岐にわたる。インターネット、人工知能、宇宙開発、環境ホルモンと遺伝子組み換え問題、などなど興味深そうだが、全部をおっかけるのは、私には無理だ。さらには「まだまだあるぞ、こんな間違い・あんなミス」p151と、挑戦者は追い討ちをかける。そして最後には「立花思想の本質的な欠陥は何に由来しているのか」p185と引導まで渡す。 私はこの若武者の荒い鼻息には共感するが、このマンモス象の息を止めたとは思えない。むしろ、自分の視点は、相当に立花と同時代人として共有しているところが多いのだな、と再確認した。それこそ西垣通などに言わせれば、未来の無限な可能性を信じるお人よしの楽観主義者に見えるかもしれないが、まぁ、いわゆるじゃーなりすと風情などは、この程度なのだろう、という甘い採点をする私がいる。
2008.04.16
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「地球の歩き方 チベット'04~'05」 ダイヤモンドビッグ社 2003/11 288ページ Vol.2 No.0051 ★★★★☆ このシリーズの最新版と、かなり古い90年度版を読んでみたが、たまたま5年前のバージョンもあったので手にとってみた。このようなガイドブックは最新版であることが命なのだろうが、逆にいえば、年々、どのように変化していっているのかを比較してみるのも面白いかも知れない。 チベットの遺跡や町並みの風景の変化もともかくとして、03年当時に「清蔵鉄道」について書かれた「チベットの高原を走る鉄道」というコラムが興味深い。北京オリンピックとともに近年話題になってきた清蔵鉄道だが、中国共産党は、ずっと前から、その意図をもっていたことが、このコラムを読んで気がついた。 チベットと中国のメインランドを結ぶこの鉄道は、今から50年ほど前に提起され、次のような変遷をたどり、現在にいたっている。 1955年、鉄道建設に関する調査が初めて行われ、四川、雲南、甘粛、青海の4つのルートから、コスト面や技術的問題によってゴルムド・ラサの路線に決定されたのだが、1960年代に経済的理由で計画は停止。そして、その13年後に毛沢東の指示により敷設のための研究が再開されたが、今後は文化大革命によって病弊した国家財政と技術的な困難によってまたもや中止に追い込まれてしまった。 その後1994年になって、江沢民前国家主席の提案により、準備作業が再開され、ようやく2001年6月に着工の運びとなった。そして2002年10月19日には、標高4905m地点に全長1338mの風火山トンネルが完成した。 順調に進めば、2007年に全線が開通する予定だ。 さて、この清蔵線の建設には3点ほど問題がある。 まずは地盤に関する問題だ。清蔵高原は多くの部分が凍土なのだが、シベリア鉄道が敷設されたシベリアの永久凍土と異なり、緯度が低く、夏場になると強い日差しに晒されるため、いたるところで泥土と化し、軟弱な地盤となってしまう。このため、線路の敷設には困難がともなうということ。 第2に4000mもの高地を走るため、気圧の低さなどにより人々(建設作業員、列車の乗務員、さらには乗客も)が高山病になってしまったり、列車を牽引する車両の動力効率が低下してしまうことなどがある。 そして、おそらく最大の問題となるのが、清蔵高原の脆弱な生態環境をどのように保全するのかという点だ。チベットの自然は過酷な環境にあるため、少しでも人間の手が入ってしまうと、回復がほとんど不可能となってしまうのだ。 それぞれについて、技術的解決のめどは立ったようだが、環境保護については、運用する人間がしっかりとした意識を持たなければ、取り返しのつかない事態になってしまう。 p83 技術や環境面からの問題を提起しているが、もっと象徴的なことは「変貌するラサを見て僕が思ったこと」というコラムの中にあった。 成都の空港を飛び立つときから小さな驚きを持っていた。僕が利用した中国国際航空の定期便の座席は、ほとんどが中国人団体客で占められていたからだ。 このところ、2年おきにラサを訪れているが、4年前の同じ路線では、ほとんどの旅行者が外国人だった。2年前の同じ便では三組40人ほどの中国人ツアー客と乗り合わせ、「中国人がチベットへ旅行に来るほど豊かになったか!」と驚いたが、今やその旅行者のほとんどは、中国人になってしまったらしい。しかも、2年前まで1日2便だった路線は、5便にまで増えている。つまり1日1000人近い中国人観光客がラサを訪れているという計算になる。(長岡洋幸/写真家)p95 このコラムを書いた長岡洋幸には「天空列車---青蔵鉄道で行くチベット」という近著がある。チベットの変化は、中国国内の人々の変化でもある。今後、チベットとともに中国が、今度どのように変化していくのか、見守っていく必要があるだろう。
2008.04.15
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「聖なるヴァーチャル・リアリティ」情報システム社会論西垣通 1995/12 岩波書店 全集・双書 188p Vol.2 No.0050 ★★★★☆ この人の本を「IT革命 ネット社会のゆくえ」や「ウェブ社会をどう生きるか」 、「情報倫理の思想」などを何冊か読んでみて、いつも感じることは、毎度かわらぬ同じような感想だ。。情報科学を論じる先見性、無批判的にネット社会を賞賛する動きへの警戒、社会構造の維持に関する保守性。どれもこれも、いずれもちょっとカチンとくる言い回しがある。まぁ、それだけ一貫した視点をお持ちだ、ということでもあるだろうし、彼の立場から見れば、私などはさしずめ、無批判的にネット社会の未来を信じる無節操なユートピアンということになるのだろうか。 この本が書かれたのは1995年である。ネット社会のエピソードとして登場したりするのがニフティサーブだったりする以外は、現在読んでもなんの不足もないくらいに、物事の本質を突いている。とくに、この時点でまだ一般には夢物語でしかなかったバーチャル・リアリティが、現在ではセカンドライフなどに象徴されるように、より具体的な利用に供されうるサービスとなってきている。この時点で、今日的課題を見抜いているというのは、やはり先見性があった、としか言いようがない。 特にこの本での主テーマとなる「聖なるヴァーチャル・リアリティ」についての考察は、1995年当時という時代背景を考えれば考えるほど、一読に値する。科学がもたらす技術進化と、人類が本来もっている本質的要求が、どこでどういう形で融合し一致するのか。そのようなテーマをサラリと論じきる著者の力量はそうとうなものだ。 さて、著者が何度も繰り返すように、「21世紀は、われわれが否応なく宗教と向き合うようになる時代である」p183とした場合、「科学」の側からこれだけの塩を贈られて、「宗教」の側は、どれほど、この本に応答する力があるのだろうか、と大いなる疑問が湧いてくる。最近のFREE TIBETむーぶめんとの盛り上がりを見ていて、このオルギーは、さて、次にはどのような形ととっていくのだろう、と興味津々となる。 もし、今から半世紀前にインターネットのような情報手段が発達していたら、中国はチベットを侵略することができただろうか。もし、現在、インターネットが発達していなかったら、これだけのむーぶめんとの盛り上がりがあっただろうか。そして、21世紀になって、このヴァーチャル・リアリティは、今後、どのような聖なる世界を展開することになるのだろうか。そんなことなどが、いよいよ気になってくる。
2008.04.15
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「オカルトの帝国」1970年代の日本を読む一柳広孝・編著2006/10 青弓社 単行本 294p Vol.2 No.0049★★☆☆☆ 思えば、確かに1970年代の日本を「オカルト」の面から読んでみようという試みは面白い。戦後世代の青春と、日本の社会の成熟(多価値化)のなかで、人々がどう生きたのかを、当時のベストセラーのリストから読み解こうというのである。共著者達11人のうち4人が70年代生まれ。他の著者たちも最も長老が1957年生まれ、ということだから、1970年代は、著者たちにとっては、リアルタイムに青春を過ごした時代とは必ずしもいえないだろう。 自らのジェネレーションの意識の再構築を図ったというよりも、社会学的関心から、70年代に何かのビッグイベントを追ったというところだろうか。しかし、それにしても、こうしてベストセラー本からみる日本の精神世界は、ひとことで言ってつまらない。皮相的であり、あまりにあさはかすぎる面が目立つ。 心霊写真ブームを起こした中岡俊哉が、中国共産党の直属事業部で対外放送を担当していたp164、という経歴を持っていた、とか、1999年7の月が過ぎると、世の中をパニックに陥れた罪で集中抗議を受けたp112五島勉が、「ノストラダムスの大預言」1973年以前には、創価学会のオベンチャラ記事を書いていたなど、たしかに、この本を読まなかったら、知らないで終わったことも多かっただろう。でも、これらのことを知ったからといって、いまさら、日本の70年代を振り返ってみることは、私にはそれほど益あることには思えない。 逆にいうと、関心を持ったのは、第10章「円盤に乗ったメシア--コンタクティたちのオカルト史」だった。日本の70年代に先立つことアメリカの50年代のオカルト史は、ほとんどブラバッキーの神智学に影響を受けた「亜流」たちの跋扈する世界ではあった。こうして振り返ってみると、この本の編者達のセンスの延長線上で、このアメリカの50年代のオカルトを眺めてみると、じつに皮相であさはかな面が浮き彫りになるわけだが、この中にシャスタ山の記述もあることが、私には目新しい。 シャスタ山神話には、異人との出会い、惑星旅行、沈没大陸など、アイアム運動以前から、のちの円盤伝説につながるディティールに富んでいたが、いずれも近代秘教の文脈から出ている伝説であった。逆にいえば、ヨーロッパ系アメリカ人たちは、近代オカルティズムを借りて繰り返しシャスタ山に神話と意味を「創造」しようとしたのである。p232 すなおにシャスタ山賛美を繰り返している本は多いものの、日本においては大きなエピソードを興していないので、日本語文献としては、中立的、あるいは批判的、客観的にこれらの記述をしているこの本は珍しいのかもしれない。 アダムスキの経歴からして、彼の宇宙人像がチベットのマスターの系譜を引いていることは明らかだろう。しかし、あの無骨なアダムスキ型円盤、あるいは宇宙人たちの日常生活の記述(彼らはプールやテラスつきの家に住んでいる!)などをどう理解すべきか。p238 アダムスキといえば、私がOshoのサニヤスと取った日に、同じ日本人の別な青年がOshoに直接質問したことを思い出す。「アダムスキの宇宙哲学をどう思いますか?」 Oshoの前に座って、直接一対一で質問することは難しい。彼としても、いろいろな角度で質問したかったのだろうが、限られた時間で象徴的に質問するとなると、こんなことしか聞くことができなかったのだろう。 その時、私の目の前で、Oshoは、静かに笑みをたたえながら、ただひとこと言った。「Fiction!」 Oshoはアダムスキやそれにつらなるものどもを、ひとことで断ち切ったのだろうか。あるいは、そのような外側のエピソードに振り回されている青年を瞑想へと向けるために、フィクションとして断ち切ったのか、その真意を私は測りかねている。しかし、もしそれが真実だったとするなら、方便としても「Fiction!」とは言い放たないだろう。 ときあたかも、FREE TIBETの連呼のシュプレヒコールがこだまする2008年の地球である。人権や文化、政治や経済の面からチベット問題にアプローチすることは、ある意味、容易なことである。しかし、チベットが持ってきた人間意識への遺産を、西洋に移植しようとした動きさえある。これらの面から、チベットの遺産へライトが当たる日がそう遠くないことを願いたい。
2008.04.14
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「The Osho Upanishad」 <1>Oshoペーパーバック: 1032ページ 出版社: Rajneesh Foundation Intl (1986/11) 言語 英語, ISBN-10: 0880503017 ISBN-13: 978-0880503013 Vol.2 No.0048★★★★★ OSHO Internationai Newletter の今月版の記事がたまたまこのテーマだった。当ブログの「マーケットプレイス」カテゴリの主テーマなので、転載させてもらおう。この記事で久しぶりに思い出した本だが、よく見てみると、この本もわがライブラリーに入っていた。講話があったのは1986年のボンベイ、9月21日のことだ。このシリーズ、当年の8月16日の「The Mystery School:An Encounter with the Miraculous」から始まっている。思い起こせば、この日の前後こそ、わがアガータのメッセージがあった頃だ。ーーーーーーーーーーーーーー マーケット・プレイスでの瞑想 Osho,私は「マーケット・プレイスでの瞑想」というグループをリードしています。そのグループは、マインドがどのようにその人の現実をつくりだしているのかを、教える事を含んでいます。エクササイズのひとつは、欲望をかなえる方法を人びとに見せることです。欲望をかなえる方法を人びとに見せることは、彼らを瞑想の状態へと連れて行きますか? あるいは、彼らをますます瞑想から遠ざけてしまいますか? マーケット・プレイスでの瞑想とは、私のメッセージそのものだ。だが、あなたは、そのメッセージを誤解している。まず、瞑想とはマインドの中にあるものではない。世界はマインドの中にある。瞑想はマインドを超えたところにある。マインドは世界を創造するが、瞑想を生み出すことはできない。マインドがもたらすのは、不満、充足、快楽、苦痛、不安、苦悩、もしくは動物のような満足、水牛のような満足だ。だが、水牛は、瞑想の中にはいない。 あなたの世界とは、あなたのマインドの投影だというのは正しい。だが、あなたは、人びとが、彼ら自身の欲望に満足するようになることを助けている。あなたは重大な質問をした。あなた自身のしていることが、人びとを瞑想に導くか、それとも遠ざけるかという質問だ。それは人びとを瞑想から遠ざける。あなたは彼らの友ではない。あなたは、人びとが、彼ら自身の欲望に満足できるようになるよう、彼らにいわば、毒を与えているのだ。 瞑想への大切な一歩となるのは神聖なる不満であり、満足ではない。自分の金、自分の力、自分の評判に満足している人間が、どうして瞑想するだろう。あなたは人びとに阿片を、麻薬を与えている。 大昔から、すべての宗教が、同じことをしてきた。人びとに阿片を与えること。人びとを満足させること。人びとに慰めを与えること。この世間に満足することには、宗教的な価値があると教えること。すべての宗教は、人びとに慰めを与えてきた。だが、慰めは宗教ではない。 宗教は革命だ。そして、革命が、満足から生まれることはない。それは途方もない不満から生まれる......。 瞑想をマーケット・プレイスにもたらすがいい。だが、瞑想とは、満足という意味ではない。いつかは満足がやってくる。だが、それは瞑想の出発点ではなく、瞑想の究極の開花においてもたらされる。瞑想が深まるにつれて、あなたはより静かになり、平和に満ちてくる。よりバランスがとれ、より中心が定まり、気づきが増し、意識的になる。それにつれて、満足はまるで影のように、あなたに付き従うようになる。だが、そうなるのはあなたの作為によってではない。 私は人びとに満足を教えない。 だが、これまでも人びとはだまされ、ペテンにかけられてきた。あなたが世間に入って、自分の欲望に満足する方法や自分の状態に満足する方法を人びとに教えるなら、あなたは人びとから愛され、尊敬されるだろう。だが、それによって、あなたは人びとの精神に鋭さを与えるわけでもなく、人びとに英知をもたらすわけでもない。あなたは人びとを鈍感にし、凡庸にする。ばかはいつでも満足している。 あなたは、人びとが自分自身の存在を変容させるのを助けてはいない。その場合には、不満が必要だからだ。人は、自分を変容させるためには、どんな代償、どんな危険もいとわなくなるほど、世間に対して絶望しなければならない。瞑想とは危険なものだ。危険というのは、あなたのエゴが犠牲になるからだ。あなたが残るか、それとも瞑想が起こるかのどちらかだ。 普通、あなた方は、「自分が瞑想する」と考える。あなた方には、瞑想という現象がわかっていない。あなたが瞑想することはできない。あなたは障壁であり、邪魔者であるにすぎない。瞑想に起こってほしかったら、あなたは消えなければならない。自分が重要だという考えは、捨てなければならない。 無のごとき人間にならなければならない。あなたが無のごとくなったとき、沈黙があなたを訪れ、それにつづいて、満足がやってくる。それは、世間に対する満足ではない。存在に対する満足、星や、薔薇や、海や、岩や、山々に対する満足だ。それは、一国の大統領や首相になることによる満足ではない。世界一の金持ちになることによる満足でもない。それは、あなた方の野心の世界とは、まったく関係がない。それは、野心のない状態だ。完全に空っぽであり、あなた自身もいない。 そのような空っぽさの中に満足がある。花が咲くのは、そんな時だけだ。だが、そのような満足は、神に属するものであり、あなたが求めて達成したものではない。あなたは、それが起こるのを許しただけだ。あなたは、その邪魔をしなかった。あなたは、中空の竹のように、竹笛のようになった。そして歌が自分を通り抜けていくのを許したのだ。それは、あなたの歌ではない。その歌に、あなたの署名はない。それは、存在そのものの歌だ。 マーケット・プレイスに行きなさい。マーケット・プレイスに瞑想をもたらしなさい。だが、私の言うことを、正確に理解しなさい。瞑想とは、人びとを現状に満足させることではない。人びとを現状に満足させるとは、彼らに麻薬を与えること、「あなた方はみんな正しい。人生とはこんなものなのだから。みなさんは、すでに身に余るほどのものを受け取っているではありませんか」といった言葉で彼らを慰めることだ。人びとは、そんな言葉に、喜んで耳を傾ける。 私は言いたい。変容の旅を始めるには、まず第一に、神聖なる不満が必要だと......。変容の旅を始めるにはまず、自分の生きている世界や、自分の演じている人格に、完全にうんざりしなければならない。巡礼は、途方もない不満から始めなければならない。そのような不満がないなら、人は容易に怠慢になる......。個人がより大きな不満を抱くようにさせなさい。「この不満、この苦悩を超えていく道が、どこかに見つからないだろうか」という疑問が、彼の中に生まれるまで。 瞑想は、不満から、苦悩から抜け出すための道だ。あなたは、ただ観る者、ただマインドを観る者にならなければならない。あなたは、マインドが世界を創造すると言った。それは真実だ。だが、瞑想はマインドではなく、マインドは瞑想をもたらさない。瞑想とは、マインドの外に出ることであり、マインドを観る者、つまり、欲望、創造、想念、夢想など、マインドの中で進行するすべてのことがらを観る者になることだ。あなたは、ただ観るだけの者となる。だんだんと、この観る者は、力を増し、中心が定まり、深く根を降ろすようになる。そして突然、あなたは、ひとつのことを理解する--自分はこの観る者であり、マインドではないと。そして、もろもろの物象が自分の外にあるように、このマインドもまた、自分の外にあるのだと。世間はあなたの外にある。マインドもあなたの外にある。肉体もあなたの外にある。あなたは、もっとも深いところにあるものであり、すべてあなたの外にある。 マーケット・プレイスに行きなさい。自分のマインドを観る者になる方法を、人びとに教えなさい。だが、自分の欲望に満足する方法を人びとに教えてはいけない。ほんとうの満足が到来するまで、人びとにより大きな不満を抱かせなくてはならない。あなたが彼らを満足させるなら、彼らに、ほんとうの満足はけっして到来しない。にせもので満足してしまったら、そのこと自体が障壁となる。 マインドは超越されなければならない。マインドは、われわれが演じるべきゲームでもなければ、われわれの生きるべき世界でもない。われわれの生きるべき世界は、マインドを超えたところにある。マーケット・プレイスでの瞑想とは美しいアイデアだが、瞑想とは何かを、ただ知的にではなく、自己の存在をもって正確に理解しなさい。人びとと分かちあえる何かを、じかに体験しなさい。そのような体験がなければ、あなたは、自分の知らないことをくり返すオウムにすぎない。 私は、自分の知らないことをくり返すことを、私のサニヤシンたちに禁止する。自分の知らないことについては、「私は無知です。知りません」と言った方がいい。その無知は、あなた自身のものであり、少なくとも、それは真実を口にしたことになる。あなたの自尊心は、他人から借用した知識をくり返すことを自分に許してはならない。それはあなたのものではなく、それを分かちあうことはできない。そもそも、あなたはそれを持っていないのだから。 あなたが知っているすべてのことは、あなたのマインドの領域のものだ。だが、瞑想はハートの体験だ。だから、まずあなたのハートを歌わせ、踊らせなさい。瞑想の中で喜び、それからマーケット・プレイスに行きなさい。 The Osho Upanishad, #33 より抜粋 p710<2>につづく
2008.04.12
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「無水無月」ノーウォーターノームーン<1>Osho /マ・アムリッタ・テジャス 1998/12 市民出版社 単行本 433pVol.2 No.0047★★★★★ 「哲学者、ブッダに問う」 哲学者がブッダのところに来るのは、とても珍しい。まず、あり得ない。だがそれが起こるとき、それは哲学者の革命、変容になり得る。なぜ、哲学者はブッダのもとに来れないのだろう?哲学と宗教は、非常に相容れないものだからだ。その取り組み方は、まったく正反対だ。 哲学者は思考を信じるが、宗教は信頼を信じる。考える者にとって疑うのはやさしいが、信頼するのは難しい。疑うマインド、非常に懐疑的なマインドは、哲学者に必須のものだ。宗教的であるには、深い信頼が必須となる----まったく懐疑的ではなく、疑うことも知らず。哲学者は、論理から生きる。宗教的な人は、愛から生きる。愛と論理の出会いを助ける方法は、まったくない。全然ない。それらが出会うことは絶対にない。その道が互いに近づくことは、けっしてない。それらは平行線を走っているのだろう----ちょうど線路のように----けっして出会うことがない。かなり近いかもしれないが、走っているのは、つねに平行線だ。どこかで出会うように思えたとしても、それは幻想だ。p350 ノーウォーターノームーン、Oshoの中でも代表的な一冊だ。Oshoを語るなら、この本をはずすことはできない。いや、この本というより、ノーウォータノームーンというシンボライズされた状況が、OshoとZenを一体化するなにかである。Oshoはこの話を愛してきたし、私たちも愛してきた。 「オショウの講話タイトル:年代順」によれば、この講話が行われたのは74/08/11 am ~74/08/20 am の間。Pune1のきわめて初期的な時期に語られた一冊ということになる。それで、ふと気付いて「OSHO ZEN TAROT 出典リスト」を見ると、その中には、なぜかこの本は含まれていない。76/06/11の「 Dang Dang Doko Dang」が11回も引用されているのだから、この「ノーウォーターノームーン」も1回くらいいれてくれったっていいじゃないか・・・・(笑)、という思いすら、なにかを論理的、網羅的に考える私の嗜好性の顕れといえなくも無い。もちろん、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」のなかにはきちんと採用されている。 玉川は、Oshoの講話録というより、Oshoの日本語本を再編集したわけだから、彼の生前に出版されていた、かならずしも多くないOsho・Zenのなかのこの「無水無月」をはずすわけにはいかない。 当ブログでは、「スピノザ」というカテゴリをつくってまで、それとなく「哲学」をおっかけてきた。ギリシャ哲学にはじまって、中世キリスト教を経過し、近代における実存主義哲学、そしてウィトゲンシュタインらによる「反」哲学の動きなどを、それなりに追っかけてきた。それは「マルチチュード」という概念に繋がるものがあり、はては、真のきょうさん主義、真のかくめいなるものに繋がるものがあるのではないか、というおぼろげな思いからである。しかし、Oshoは、ずばりと言い放つ。 愛と論理の出会いを助ける方法は、まったくない。全然ない。それらが出会うことは絶対にない。その道が互いに近づくことは、けっしてない。それらは平行線を走っているのだろう----ちょうど線路のように----けっして出会うことがない。かなり近いかもしれないが、走っているのは、つねに平行線だ。どこかで出会うように思えたとしても、それは幻想だ。p350 最近は、Pune2の「Osho最後の講話録・ZENシリーズ」にひととおり目を通してから、他の時期へと移っていこうと思っていたのだが、この「無水無月」が傍らにあったものだから、つい手をだしたのが、運のつき。これはこれですごい。Pune2となんの違いもないではないか。その語意の強さ、そのテーマ、そして「TAKE IT REALLY SERIOUSLY」などのジョークに変わって(というか、もとことこちらが元祖だが)ムラナスルディンが活躍している。 いろいろな策謀をめぐらしつつ、ついにはお釈迦様の手のひらの上を飛び回る孫悟空にも似た当ブログのいとなみではある。 <2>につづく
2008.04.12
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(vol.1)よりつづく「セカンドライフマガジン(vol.2)」<1>仮想社会を創るコラボレーション情報誌2008/03インプレスR&D /インプレスコミュニケ ムックその他 151p Vol.2 No.0046★★★★★ セカンドライフ本は一巡したようで、特に目新しいものもないが、セカンドライフマガジンは、vol.1(創刊号)を読んだ手前、このvol.2も読みたくなった。特に、前号から続いている松岡正剛のインタビュー記事は、なんとも気になる。「セカンドライフは社会を自己修正する実験場」、というタイトルも分からないでもない。 松岡●現代は、ソーシャルソリューションを興すには、株式会社かNPOかというくらいしかありませんが、かつての日本にはさまざまな組織形態がありました。 結(ゆい)というのは、例えば森林を育てるため投資をして、杉が育ったら材木をもらうというような、長期間にわたる活動です。台風が来たらだめだというようなリスクを抱えながら、成長したときには山という景観を地域全体が持ち、森林によって水がよくなるなど大きなリターンがあります。自然環境の時間の流れくらいのものを内包した組織です。 講(こう)というのは、もっと短期のもので、例えば富士山に登ろうとかお伊勢参りに行こうといった具体的な欲望に対して、同じ要望を持った人が何かの行為をするために、お金を積み立てていくものです。あるいは、お葬式のための講など、目的を限定した積み立て行為で、目的を達成したらその組織は解散されます。 座(ざ)というのは、今の株式会社の原型でもあり、特定の商品にかかわる人の共同利益を守るための組織です。金や銀、油といった特定商品を、銀座や油座といったものをつくって、ほかの座と区別するわけです。 連(れん)というのは、趣味の集まりのことです。これは商業行為とは違うのですが、同じ趣味を持った人たちが集まって興し、成果を発表します。例えば三味線の連では、三味線が上達したらおさらい会をやってお客さんに聞かせる。これは金銭的なリターンではなく、もちろんご祝儀をもらったりすることはありますが、基本的にはその発表するそのこと自体が本人にとってのリターンです。今で言うなら、コミケのようなものですね。これが、江戸社会に浮世絵や川柳や和算などのたいへんなブームを起こしました。 社(しゃ)は、坂本竜馬や岩崎弥太郎によって始められた、株式会社の原点になります。有限責任としてある目的のために投資し合ってリターンを得るものです。 あとは組(くみ)というものもあります。これは一番重要なのは仁義を守ることだというように、何かをまったく違う価値観をそこに入れているものです。いわゆる任侠の世界で、アウトサイダーであることを自認し、だから堅気の人には手を出さないのだというようなものです。建設会社にはこの名前が残っていましたが、最近はその名前もなくなってきましたね。 今はすべてが株式会社かNPOかということになっていますが、それよりもずっと多様で面白いでしょう。それがセカンドライフでできるなら、ぜひやってほしいと思います。p105 なるほど、さすがに松岡オヤブンである。松岡「組」の組長の趣がある。私は、これほどまでイメージは湧かないが、できれば、オレゴンで作れなかったコミューンみたいなものをSL内に作れればいいなぁ、とは思っているが、さてどうなるか。 現在は、なんとか基本的なSLが動くノートPCを入手して、日常的にSLに入り込んでいるが、今のところは、ただたださすらいのアバター多火手クンでしかない。出会ったアバターたちとの英語によるコミュニケーションも悪くはないが、あまり目新しくなくなってきた。あちことちうろうろさすらいの旅をつづけている。出会いを求めているというより、お登りさん的感覚か。しばらくは、<共>なるものに入り込むは、まだうっとしい感じがする。 それは、このところSNS機能にはない、別なものをSLに求めているから、ということもある。ヴァーチャル性、ビジュアル性、そして閑散性さえ魅力に感じるときさえある。アバター多火手は、当ブログがVol.2に突入して以来、日々の日記に登場してくれている。ところで、以前に思いついた「私がなりたい、もう一人の私」だが、あれから半年近く経過して、実際にアバターつくりを始めようとするとだいぶ違いがでてきている。 まず「1986年イスラム社会に生まれ」ということだったが、そんなに若くなくてもいいなぁ、と思うようになった。30歳~35歳くらいでいいかな。この辺がネット社会での主流だから、って思ったのだが、まだ流動的。リアルな54歳でも、別にいいんじゃぁあるまいか、などと思うようにさえなってきている。 もちろん、イスラム社会になんて生まれなくていい。むしろイスラム社会にいては、自由というか勝手気ままにSLなんて遊んでいられないかも知れない。 それとハーレーじゃなくてもいいんだよね、別に。たまたまBMWのバイクをゲットしてしまったので、それでもいいんだが、SL内ではフォトセッション以外にはあまりメリットがない。だって、SLの中では、簡単に「飛べる」んだものなぁ。 カモワン・タロットもべつに頼らんでもいいな。あたらしい体系を学ぶにはABCからやり直さなくてはならない。おなじタロットなら、意味はまったく違うかも知れないが、私にはOsho・Zenタロットのほうがよっぽどフィットしているようだ。 哲学、もなぁ~。ここは「瞑想」といいかえようか。人類学は、まだ未解決。ここはもうすこし突っ込みたい。「コンピュータ科学」ってやつは、なんだか変。せいぜい、私の場合は、SLで自由に遊べるくらいにパソコン的センスがあればいい。シャスタ山の地下都市の建設。これはまだ未解決。実は、この「地下都市」というところを、SL内の「仮想社会」と読みかえることも可能か。神聖幾何学プロジェクト。これもなんだかなぁ。シャボン玉でできたビルを作りたい、という夢はあるが、まだとっかってもいない。そのうち、ヤルゾ~。 ということで、実際にSLに参入するにあたり、まだ目に見えた変化は少ないが、基礎的な部分でいろいろな変化がでてきているのは事実だ。<Vol3>につづく
2008.04.10
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「One Seed Makes the Whole Earth Green」 <1>talks on Zen by Osho 4 talks given live Jan. 1989 Pune, IndiaVol.2 No.0045★★★★☆Osho最後のZENシリーズ目次 Osho・Zenシリーズの後半に属する一冊。「ノーマインド」から「禅宣言」へと至るプロセスの中にある。「One Seed Makes the Whole Earth Green」! なんと素敵なタイトルだろう。日本語で言ったら、一粒万倍・・・か。いや、もっと詩的だ。一粒の種が、地球全体を緑にする。う~~ん、ほんとうだろうか。原理的にはありえる。マッチ一本火事の元。ひとつの火種が地球全体を燃やしてしまうこともありえる。原理的にはありえるが、現実的にはどうなのか。 この本、そのタイトルのイメージに近く、わずか4日間の講話から一冊が成っている。とてもコンパクトだ。当時のOshoの体調がそうさせたのかもしれない。通常なら10日間の講話がひとつのシリーズを成しているのだが。内容はというと、Zenシリーズとはいうものの、その題材は多岐にわたる。Rinzaiに講話のきっかけを借りながら、宗教や聖者たち、政治や政治家たちを、木っ端微塵にたたき続ける。歯に衣を着せないとはこのことか。聞いているほうも(読んでいるほうも)タジタジだ。 <2>につづく
2008.04.10
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当ブログもVol.2にはいり、図書館通いも一段落して、手持ちの本を読むことも多くなってきた。でも、時には図書館にいったり、書店の棚が恋しくなって、通りがかりの時には、やっぱり覗いてしまう。昨日もそんな日だった。いまや、書店といっても大型の気の利いた書店は、読書用のこしかけばかりか、机まで用意してくれている。筆記用具が使えないのは玉にキズだが、下手な図書館より長時間楽しむことができる。 ネグリの本は、図書館経由で読めるものはほとんどめくってしまっていて、他にもあるのだが、大型の書店にいかなければ、目を通すことができない本もある。昨日はそんな本の何冊かに吸い寄せられた。書店の店頭で短時間で理解できる本群ではないが、しかし、買い求めて、枕元に長時間おいてみたからとて理解できる本たちでもない。なにはともあれ、目をとおすだけでも、なんらかの効果があるやも知れない。「自由の新たな空間」フェリクス・ガタリ /アントニオ・ネグリ 2007/6 世界書院 単行本 205p Vol.2 No.0040★★★☆☆この本、ごく最近の発行のように思えるが、実は、いちど1985/12に別な出版社から別な翻訳者の手によって発行されている。当然のことではあるが、この本でも共産主義という言葉が使われているが、マルクス・エンゲルスや、ソビエトあるいは中国共産党などとは別なセンスを持った言葉として、捕らえなおす必要があるようだ。「転覆の政治学」21世紀へ向けての宣言 アントニオ・ネグリ /小倉利丸 1999/12 現代企画室 単行本 261p Vol.2 No.0041★★★☆☆ 「21世紀へ向けての宣言」とは、なんともかっこいい、というか、これまた大風呂敷で大仰な、と、ちょっと引いてしまう。 「21世紀への指導原理OSHO」というタイトルを思い出した。こういう視点や模索がもてはやされた時代もあった。しかし、世の中、そうそう簡単に宣言や原理で割り切れないことは、すでに21世紀に生きている私たちには痛いほどよくわかっている。「未来への帰還」 ポスト資本主義への道<1>アントニオ・ネグリ /杉村昌昭 1999/10 インパクト出版会 単行本 124p Vol.2 No.0042★★★☆☆ 1997年6月に、引越し作業の最中の30日間にインタビューを受ける形で書かれた本。いまや日本語でも定着しつつあるマルチチュードという言葉は、この本では多数者=多数性(ムルティトゥード)という語感で、スピノザからの引用して使われているp38。必ずしも肯定的ばかり意味ではない。<2>につづく「構成的権力」 近代のオルタナティブアントニオ・ネグリ /杉村昌昭 1999/06 松籟社 単行本 457,Vol.2 No.0043★★★☆☆ この本は大冊だ。それだけに内容も濃く、あちこちで引用されることも多い。図書館から借りて読めないのは、遺憾である。機会があれば、ゆっくり目を通したい。「ヨブ奴隷の力」アントニオ・ネグリ /仲正昌樹 2004/12 情況出版 /世界書院 229p Vol.2 No.0044★☆☆☆☆ この本は割りと薄い上に、造本がなんとも読みやすいイメージがある。ネグリ出獄後の最初にだされた、キリスト教関連にふれた本だ。しかし、どうも私はこの訳者が気にくわない。以前、何冊か読んだが、僕の「倫理観」が許さない。ネグリには悪いが、この訳者のせいで、本の好感度は下降した。 ネグリやマルチチュードの本は他にもあるが、古い本は、あまり夢中になって読む必要もなさそうだ。パラパラとめくりながら、60年代からのいわゆる西欧的サヨクの動きを整理しておくには、役にたちそうだが・・・。
2008.04.09
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<2>よりつづく「ノーマインド 永遠の花々」 <3>Osho アンベドカル博士は、自分の影響下にあるこれらの人々を、まずキリスト教に改宗させようとした。だが考え直した。キリスト教に改宗したら、人々はキリスト教会に吸収されてしまい、自分は指導者の地位を失ってしまう。そこで考えを改めた。彼にとっては、イエスやキリスト教などどうでもいい。一番大事だったのは、自分の影響力を保つことだった。 彼はイスラム教への改宗も考えたが、状況は同じだった。やはり影響力がなくなってしまう。そこで目をつけたのが、インドには仏教徒がいないということだ。だから仏教に改宗させれば自分の影響力も保てる。つまりこれはまったく政治的な改宗だった。 このように政治的に改宗させられた愚者たち、悟りについて何も知らない者たちが、今私を批判する。 石田が日本から電話をよこして、こう言ってきた----そんな者たちにかかわりあう必要はない、小人たちによって非難されるのは巨人や天才たちの宿命だ----。 仏教徒によるそのようなふるまいに、きっと彼女は心を痛めたのだろう。そこで日本の新聞や雑誌に対してこう語っている---預言をしたのは私だ、もしインドの仏教徒が腹を立てるなら私に腹を立ててほしい-----。 また石田は近々こちらにやってきて、インドの報道機関と対決し、例の「仏教徒」たちと対決するということだ。実に勇気のある女性だ。 そして彼らはあいもかわらず私の言葉を誤解し続けている。私は決して自分がゴータマ・ブッダの生まれ変わりだとは言ってはいない。私はただ自分自身の生まれ変わりであるだけだ。p277 原著編者は、このシリーズの以後の展開と詳細については、89/01/08 から始まった「Zen: The Mystery and The Poetry of the Beyond」『禅・超越の神秘と詩』を参照せよ、と言っている。また日本語翻訳者は、89/01/30 から始まった「 Zen Fire Zen Wind :Communism and Zen」『禅火禅風---共産主義と禅』 を参照せよ、といっている。 しかし残念ながら、この二冊はタイトルに日本語訳がついてはいるが、単行本として邦訳本は存在しない。しかも、手元には英語版すらないので、機会を捉えてこの二冊も入手し、読み進めてみようと思う。幸いに、Zenシリーズリストを見ると、この「ノーマインド」から「禅宣言」の間の7冊のうち3冊の英語版は手元にあるようなので、気分さえむけば、すぐ読めそうだ。 さて、この「ノーマインド」、久しぶりに開いてそのページの間に「謹呈」と書かれたしおりが挟まれていたことに気付いた。思い返せば、この本は私が購入したものではなく、誰かからプレゼントされたものだった。うかつにも誰だったか忘れてしまったが、出版社か翻訳者かあるいは石田かつえ氏(シャルノ)本人か、三者のいずれかであることは間違いない。 この本、掘り起こす気ならいろいろなエピソードが次々と連想できる。しかしまぁ、全体的なバランスを考えて、さらに突っ込むのは次の機会にしようと思う。今回この「ノーマインド」を読んでみて思ったのは、この時期のOshoの本は、日本語読者にとってもきわめて重要なものではないか、ということだ。Zenシリーズは28冊ある。そのうち日本語に翻訳されているのは、「わずか」に6冊。しかもこの10年間は、まったく手がつけられていないかに見える。なぜだろう。 <4>につづく
2008.04.08
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<1>よりつづく「ノーマインド 永遠の花々」 <2>Osho アンベドカル博士の大きな貢献のひとつにこんな発見がある-----チャマールつまり靴職人階級はもともと仏教徒だったが、ヒンドゥー教僧侶階級によって靴職人におとしめられた。生命をおびやかされ、このあわれな人々は屈辱と侮蔑にまみれた生を選んだ。こうして仏教はその母国から消え去った。p30 マハーラシュトラ州には少数の仏教徒がいる。ババサヘブ・アンベドカル博士によって最近改宗した人々だ。彼らは不可触民(アンタッチャブル)だ。ヒンドゥー教徒によってずっと昔から搾取され、非人間的な屈辱を受けてきた人々だ。この地上で最も抑圧され、搾取され、おとしめられてきた人々だ。 不可触民はヒンドゥー教徒全体の四分の一を占めているが、ババサヘブ・アンベドカルはそのすべてを改宗できたわけではなかった。彼自身、瞑想者ではなかった。不可触民を仏教化しようとしたその努力は、彼らをヒンドゥー教の枠外に出すことによって人間としての尊厳を与えようとするものだった。それは政治的な試みであり、一個の社会革命だった。だが何ら精神性にかかわるものではなかった。 アンベドカル博士によって改宗したこの仏教徒のグループが、私に連絡をよこした。私に教団を組織してくれという。だが彼らには申しわけないが、「組織」という言葉自体が非宗教的だ。 私は宗教を教えない。私の教えるのは宗教性だ。それはひとつの「質」だ。どこかの教会員になることではない。その「質」によって、自己の存在は変容し、自己の潜在性は開花する。 こういった仏教徒たちは闇の中に取り残され、様々な困難に直面している。もし彼らが仏教徒にではなくブッダになるつもりなら、私はいつでも手助けをしよう。だが、それ以下のことについては私の関知するところではない。私が望んでいるのは、大勢のブッダが自由に大空を飛びまわる世界だ。p61 アンベードカルの「ブッダとそのダンマ 」や「アンベードカルの生涯」は名著だ。当ブログの推薦図書であり、また、ブッダの2500年サイクルを確認するには、なくてはならないランドマークだ。しかし・・・・、Oshoにかかれば、ものごとの本質は、よりもっと明確になる。重要なポイントは、仏教徒になるのではなく、ブッダになることなのだ。 このポイントは、表現の違いはあれ、チベット仏教やダライ・ラマに対するOshoの姿勢と、同じ方向を向いている。<3>につづく
2008.04.08
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<1>よりつづく「Om Mani Padme Hum」: The Sound of Silence, The Diamond in the Lotus <2>Osho 先日、注文していたこの本がようやく届いた。まずは第一目を読んだところ。先日、引用したところは、かなりこの時期に読むとインパクトのある部分だが、いつものOshoのとおり、講話の話題の範囲は広い空間に自由に往来し、かならずしも、ひとつの外的なテーマに固着して、自らをバトルの相対的位置に落としこめるようなことはない。 昨日読んだ「ノーマインド」8日目のダライ・ラマへのメッセージも、時代はすでに20年前に語られたものではあるが、物事の本質を外側から内側へと視点を変えるところにあり、この数日の、暴力的な部分だけ強調されるマスメディアなどのニュースには、なんの関連もないと考えるのが正しいだろう。 この本、当ブログで進行中のZenシリーズの前の時期にPune2で語られたもので、「ノーマインド瞑想」に連なる部分はないが、一連の流れで読むと、なかなか興味深いものがある。英文なので、速読はできないが、まぁ、あせらず、ゆっくり読んでみよう。 Om Mani Padme Hum <3>につづく
2008.04.08
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「ノーマインド 永遠の花々」 <1>Osho /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1994/10 壮神社 単行本 361p Vol.2 No.0039★★★★★★Osho最後のZENシリーズ目次 Osho最後のZENシリーズ28冊のうち、日本語訳があるのが6冊。この「ノーマインド」で、当ブログでもようやく全6冊を読むことになる。いろいろとエピソードにことかかないこの本であるが、まずは、ここを転記しておかねばなるまい。------------------------- 友よ、 経文に入る前に、ひとつ気が気でないことがあるので、まずそれについて語りたい。 インドの首相ラジブ・ガンディーは懸命になって中国との友好関係を築こうとしている。どうやらそれはうまく運んでいるようだ。別にラジブ・ガンディーを責めようというわけではない。インドや中国のような大きな国がいつまでも仇どうしでいるわけにはいかない。遅かれ早かれ、弱い方が譲歩することになる。 これはインドにとって二度目の敗北だ。一度目の敗北は、かつて中国の行ったインド領ヒマラヤの何千キロにもわたる侵略だ。当時インドはさほど強くなかったし、ことにヒマラヤの万年雪の中で戦う準備はなかった。 ラジブ・ガンディーの祖父でインドの初代首相だったジャワハラル・ネルーは、勝ち目のないのをよく承知しつつも戦った。そして敗れた。インドの軍隊はヒマラヤの雪に耐えられなかった。そんな場面をまったく想定したことがなかったから準備がなかったのだ。 中国はチベットを征服した。チベットは小さくて貧しい国だが、世界でもとりわけ重要な国だ。高い山々の上にあって、「世界の屋根」と呼ばれ、何世紀もの間すべてをひたすら瞑想に捧げてきた。こんな国はほかにない----これほど長いあいだ自己を知るという要求だけを守り続けてきた。軍隊もなければ、どこを侵略したこともなかった。そういう非文明的で野蛮な要求は持っていなかった。素朴な国ではあったが、最も開花した国だったと言えるだろう。 中国はチベットを侵略した。チベットには軍備も軍隊もなかった。中国は無力なチベット人を機関銃で押しつぶし、僧院を踏みにじった。チベットの政治・宗教両方の首長であったダライ・ラマは、インド領ヒマラヤにあるダラムサラに避難を余儀なくされた。以来彼は、ともに難を逃れた大勢のチベット人とともにそこに住んでいる。 世界中で誰ひとり非難の声すらあげなかったのは実に残念なことだ。今まで他国を侵略したこともなければ、侵略の意図すら見せなかった無垢な国を、力が弱いというだけで奪ってしまう。どうやら我々の文明なるものは、すべて単なる見せ掛けらしい。我々の語る自由とか独立はただの掛け声らしい。そればかりでなく誰も中国に抗議の声をあげない。つい先日もラジブ・ガンディーは言っている、「チベットは中国の内政問題だ」 どうやらジャングルの掟がいまだに世界を支配しているらしい。大きい魚が小さい魚を食べ続ける。誰も抗議しない。 インドと中国が友好関係を結ぶという情勢を見て、ダライ・ラマはインドを去るしたくを始めた。おそらく中国はまずダライ・ラマの引渡しを求めてくるだろう。それは必須の条件だ。中国は今までずっとそれを要求してきた-----「ダライ・ラマを北京に引き渡さない限り友好は不可能だ」 だがラジブ・ガンディーは何千キロにもおよぶインド領のことをすっかり忘れている。それもまた中国の内政問題なのか。だったらそのうちインド全体が中国の内政問題になってしまう! 人はまたそんなに弱腰ではいけない。私はダライ・ラマに言いたい----「ほかに行こうなどと考えてはいけない。世界のどこに行っても君に居場所はあるまい。誰だって世界最大級の国である中国を敵にまわしたくはない」 二年前にアメリカでさえも、ダライ・ラマに対する三週間のビザを発給しなかった。中国を刺激したくなかったからだ。 私はずっとブッダを愛してきた。またブッダを愛する者を愛してきた。だからダライ・ラマに対しても深い愛と尊敬を抱いている。そこで彼に忠告したい----。 この国を離れてはいけない。またチベットの元首、政治的首長になろうという要求は捨てなさい。実際、政治的首長になろうという願望を持つことは宗教者としてふさわしいことではない。そんな考えは捨て、ただの瞑想者になって、ブッダを愛することだ。そうすれば中国も引渡しを要求しないだろう。中国がそう要求するのも、君がチベットの首長にもどりたいと執拗に求めているせいだ。歳月は過ぎ去り、ガンジスを流れ下った水はおびただしい。それは無理な話だ、少なくとも君の生きている間は・・・・・。 だいたい君の要求こそまちがっている。チベットはもう君の手中にはない。君はそれをあきらめてしかるべきだった。権力に対する君の要求は政治的な要求だ。瞑想者とみなされている人間にとって、それは恥ずべきことだ。だからヒマラヤにとどまった方がいい。そうすれば誰も邪魔をしないだろう。その邪魔は君の内側から起こる。チベットをふたたび支配したいという君の欲望こそが問題だ。 そんなものはみな忘れてしまうのだ。そんな欲望を抱くのはひどく醜いことだ。非難されてもしかたがない。それがゴータマ・ブッダの唯一の教えだった。つまり、この世ではどんな要求も持ってはいけない。別の世界、神秘の世界は、いつでも扉を開こうとしている。なのに、君は幻のような権力を求めている。 つまりダライ・ラマは瞑想者ではないということだ。 君にはどこへも行ってほしくない。君にはダラムサラに美しい場所がある。だから内側へのと向かうのだ。いまこそ世に示してほしい----内的世界には外的世界よりもよほど貴いものがあるということを。もし君にそれができなかったら、いったい誰がそれをやる。 ひとたび彼がその欲望と要求を捨ててただの普通の人になれば、もう中国も手出ししなくなる。そうすれば彼もヒマラヤに住める----ヒマラヤに住むのは慣れたものだ。 ふたたび言うが、君に友好を求めるものは誰もいない。いったい君に何ができる。中国には巨大な力がある。だから君は世界のどこにも安住の地を得られないだろう。 世界は君の思っているほど文明化していない。力だけが迎えられるこの世界だ。力ある者が正しく、力なきものは誰にも相手されない。正しいか否かは関係ない。 私にはそれがひどく気にかかっていた。まず第一に、チベットは中国の内政問題ではない。しかもラジブ・ガンディーは何千キロにもおよぶヒマラヤの領土についてすっかり忘れて去っている。触れさえもしない。 また、特にダライ・ラマに言いたい。いわゆる「民主主義、独立、自由」などという論議にまどわされていけない。そんなものは存在しない----力ある者がただ口にしているだけだ。この世界はまだ何千年も遅れている。いまだにその心は野蛮なままだ。良くなったのは、家とか、道とか、科学技術ばかりで、人間はといえば・・・・今ほどひどかったことはかつてなかった! たとえば、原始的で野蛮な人間がいかに暴力的だったとしても、その手にミサイルとか、核兵器とか、原爆などはなかった。 人間は今も野蛮なままだ。近代的な服を着てはいるが、その心はまったく動物と変わるところがない。そういった野蛮なチンパンジーの手に核兵器が握られている。それはこの地球全体をいっさいの生命ものともに十分間で破壊し尽くしてしまう。 この野蛮な人間、このチンパンジーのたどり着いた最終地点がここだ。その先には自殺しかない。(中略) ふたたび繰り返そう。ダライ・ラマはどこへ行く必要もない。今こそ君臨という外的な要求を捨て、内へと向かうときだ。君はどんどん年取っていくが、そのわりには成長していない。さあ、中へ入って、この世ならぬ王国を見つけるのだ。 p184 1989年1月2日 <第8話・・・・・真理に歴史はない>より <2>へつづく
2008.04.07
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<2>からつづく 「臨済録」 <3>Osho OshoがこのZenシリーズの中で、用いたジベリッシュやレットゴーの技法は、やがて、ノー・マインド瞑想となった。あるいは、連発されるジョークは、一冊の本となってまとめられている。この「臨済録」のなかでは、「No Mind瞑想」の部分も「TAKE IT REALLY SERIOUSLY」のジョークもカットされている。それだけに、臨済の不合理な面がより強調されている。 臨済が繰り出す「喝」は、もともと伝統的な禅の中にない私には、理解しがたい。いや、その理解しようとする行為自体が、臨済の「喝」を受けているのだろう。この本をどのように楽しむかは、ひとりひとりの嗜好と才能にかかっているのだろうが、日本語と英語をない交ぜにしながら進む私の読書では、臨済もRinzaiも、私の網の目をくぐり抜け、にわかごしらえの枠組みから、簡単にはみ出していく。 このシリーズの中で生まれたノー・マインド瞑想の前には、ミスティック・ローズ瞑想が作られたし、ノー・マインド瞑想の後には、ボーン・アゲイン瞑想や、ホワイトローブ・ブラザーズフット瞑想が残された。 OshoのZenシリーズ28冊の中の日本語訳は、残り「ノー・マインド」で全6冊。これを読み終わったあとは、残りのZenシリーズの英語版を読み進めるのもいいだろうし、あるいは、Osho・Zenタロットの中のZenを追っかけてもいいだろうし、さらには玉川信明のリストを追っかけてみることも興味深い。しかし、Oshoは、その思いこそ、お前が何にも読んでこなかったという証明になりかねない、と一撃をくだす。 彼は三年のあいだ師を見ていたが、欲望で一杯になっていたせいで、師の弓がまったく違うことを見抜けなかったのだ。価値は的にはない。価値は仕草のなかに、あなたの中にある。あなたはくつろいでいるだろうか? あなたは全一(トータル)だろうか? あなたの心(マインド)は完全に静かだろうか? 異なる態度・・・・なぜなら、弓そのものが重要なのではなく、瞑想が大切だからだ。そして瞑想の人は、的のことなど気にもかけずに、簡単に的に当ててしまう。力を抜き、静かで澄み切った無心の境地で。p241 日本語版にはない要素が英語版にある。ひとつは「ノー・マインド瞑想」、そして、「TAKE IT REALLY SERIOUSLY」なジョーク集。さらには、英語版の巻末には、書道の墨蹟群と、そして、ドラゴンの巨大な縫いぐるみ(まるで獅子舞のようだ)のスナップ画像がついている。。私はこのドラゴン獅子舞には、ちょっとした因縁を感じている。 最後に、英語版は、次の言葉で完結している。Come back,but come with the same serenity,silence, grace, beauty,and sit for a few momentsremembering the space you have been in,remembering the path, the golden path,that you have followed to reach your center.Remenber that at the centeronly witnessing is the truth.Everything dies, only witnessig remains.Witnessing is our eternity,but live it in your actions, in your words,in your responses, in your silences,in your songs, in your dances.We can create a world of great splendor,in spite of all the idiotswho are determined to destroy it.Okay, Maneesha? Yes, Beloved Master. 「Rinzai」p185<4>につづく
2008.04.06
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「宗教と現代がわかる本(2008)」渡邊直樹 2008/3 平凡社 単行本 317p Vol.2 No.0038★★☆☆☆ 一番近くにある公立図書館が受け入れる図書は月に2千数百冊。仮に全部読むとしたら、一日に7~80冊読まなければいけないので、それは無理だし、その必要もないだろう。仮に一日一冊、年に3百数十冊読むとすると、年に2万冊以上の未読の資料が増えていくことになる。これだけの情報の海の中で、出会うことのできる一冊一冊は、貴重なものであり、縁のあるものであるのだろう。 ネット上の図書館新刊案内の中から、一冊一冊選び出してみるものの、店頭で現物を手にとってみるのと違って、実際にリクエストしてカウンターで受け取ってみると、情報だけのイメージにぴったりの場合もあるし、かなり違ったものであることもある。 この本、面白いのか面白くないのか、私にはわからない。でも、リクエストしてまで目を通しておくことは無駄ではなかった。まず、その理由の一番は、島薗進という人の写真つき対談集が巻頭にあったこと。この人の本は何冊か読んだが、いつも不満ばかりが残って納得したことがない。この人、いつも他人のスカートの中ばかり覗いて、自分のことを書かない。 その人のスナップ写真が4枚挿入されていて、なお、ご本人自らの生い立ちなどがすこし書かれている。いままでの不満がすこし解消されたことにはなるが、ただ、そのことによっていままで抱えてきたこの人物への不信感が払拭されたわけではない。その他、約50人ほどが関わっているこの本の執筆陣の中には、島田裕己、井上順孝などの「宗教学者」たちも名を連ねているが、いままでのイメージを覆すほどの、なにものもない。 「宗教」と「現代」がわかる本、という触れ込みの中で、あえて「現代」がわかるとすれば、関心をもつべきところは、チベット関連の記事であろうか。今回の「FREE TIBET」ムーブメントの盛り上がりの前に出された本ではあるが、この本の周辺がどのようにチベットを見ているか、多少はわかる。 彼の訪問地が主として多額の寄付金が集まる先進国に限られていることに、私は疑問を感じている。彼は仏教を代表する顔でありながら、人類の悲劇に対して無関心でありすぎるのではなかろうか。身辺の安全上の問題があるのかもしれないが、大量殺戮が起きてしまった地域を訪れて慰霊したり、地震など大規模災害の中で絶望に暮れる人々を慰問したりすることによってこそ、仏教の説く慈悲の実践者として、ダライ・ラマの役割が真に文明史的なものになり得るように思えてならない。p79町田宗鳳「ダライ・ラマと近代文明」 わずか4ページの短いエッセイの中に全てを書き込めるわけではないが、前段の当たり前のダライ・ラマ論に比べ、この結論部分に、筆者の本音がほのかに見えていると思う。ダライ・ラマは、宗教的なオモチャにされているところがあり、政治的に利用されていることを自他ともに認めている。しかし、本当にダライ・ラマに求めるものがこんなことで良いのだろうか。ましてや、そのことをダライ・ラマに求めること自体、おかしくはないだろうか。 亡命チベット社会の場合、政治倫理とは多分に仏教的価値観から導き出されるものである。CTA(中央チベット行政府)のような政治形態は、物心両面で閉じた社会の中では独裁に繋がる政体だが、指導者が有能で、開かれた社会として存続し、普遍的価値観を提示できる限りにおいて、国民国家よりも柔軟性がある人間集団の統合を推進し得る。哲人政治が最善かどうかはチベット人自身が判断することだろうが、現時点で絶対的権威を持つダライ・ラマ14世が、今後も非暴力と平和を掲げ、民主化を推進する中で民衆が覚醒することを見守るのが支援する側に求められるだろう。p103「亡命チベット人の宗教と政治の現状」榎本美樹 こちらも4ページのエッセイの結論部分だが、やはり、ちょっときれいごとに傾きすぎている感じがする。ましてや3月10日以降の、チベット弾圧の嵐の中で、見守ることだけが、地球全体にとっていいのかどうか、人類にとっていいのかどうかは、再考の余地があるだろう。 その他、「ミャンマー社会の中の仏教と僧侶」土佐桂子、「現代モンゴル国における宗教事情」島村一平、「台湾仏教の隆盛」藤井健志、「中央アジア、コーカサスにおけるイスラーム事情を読み解く」佐藤優、など、関連記事もあることはあるが、全体的に短文で、深みにもの足りなさを感じる。 この他、この本で記録しておくべきことは、IT関連について触れているところか。 電子空間にある種の「宗教的なるもの」さえ立ち現れる。それを指摘したのは愛知学院大学・伊藤雅之准教授の「ネット恋愛のスピリチュアリティ」という論文だ。スピリチュアリティとは宗教の枠に必ずしも収まらない宗教意識のこと。p197「宗教の代替的機能を演じるネット空間」磯村健太郎 ちょっと気の利いたコメントをしているが、全体的にネット空間について書かれたいくつかの印象を紹介しているだけで、独創性のある見解を展開しているとは思えなかった。 あえて、いうならセカンドライフにふれた文が一つあったことが目立った。この本をリクエストしたのは、この一文がこの本に入っていることが主なる要因であった。 筆者はいくつかの(セカンドライフ内の)宗教施設を訪れてみたが、生活時間帯の違いからか、どこも閑散としていて、数人のアバターがチャットをしているのを目にする程度だった。しかし、それぞれの施設はよく整備されている。たとえばユダヤ教のシナゴーグでは、ユダヤ教徒の持ち物一式入った箱(無料)、行事日程が記されたカレンダーデータが提供されており、書棚をクリックすると、ユダヤ教の教義に関するウェブサイトにハイパーリンクで飛ぶようになっている。福音主義キリスト教の教会では、オンデマンドでビデオによる説教が流れる。p200「『セカンドライフ』の中の仮想宗教の動き」黒崎浩行 たしかにSLは閑散としており、混雑しているイメージはないが、どこもキチンと作られていることが多い。黒崎はティム・ゲストの「セカンドライフを読む。」にも触れているp203。 このような総覧的書物は、必要性を感じないわけではないが、ひとつひとつの深みがなく、また相矛盾する論説が乱立していて、不要な混乱を招くこともある。誰もが読んで益ある一冊とは思えないが、出版社としては、おなじタイトルで「2007年版」を出して好評だったので、続刊を出したということらしい。だが、私はあえて、過去までさかのぼって、このシリーズを読みたいとは、思わなかった。
2008.04.06
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<1>からつづく 「臨済録」 <2>Osho 以前は、この臨済録の中に、ジョークやジベリッシュ、ドラムのシーンが入っていないことをよしとして、その講話を楽しんだのに、今回は、Zenシリーズの中の一冊として読むとなると、なんとも、物足りないものがある。そこで、一案、前文の講話は日本語を読み、後段のジョークやジベリッシュの部分は英文の「Rinzai Master of The Irrational」を読むことに。あはは、こんな読み方もあっていいかも。もっとも、誘導瞑想の部分はともかくとして、英文のジョークの部分は、時によく理解できないことも(日本語でもわからないことがままあるしネ)・・・・。 なにはともあれ、この本を読んでしまうと、あと一冊でZenシリーズ28冊のうち日本語訳になっている6冊を全部読んでしまうことになる。なにはともあれ、この6冊をフォト・セッションしておくことにした。 ここで気がついたのだが、この6冊の翻訳者達に、私は全員会ったことがある、ということになる。もっとも、それは当たり前なのかもしれないが、最近のOshoの本は、ぜんぜん名前も知らない人が翻訳していることもあるので、正直って、すなおな驚きだった。「これ、これ、千回もこれ」 ソパン / チダカッシュ「道元」 ガータサンサ / ナルタン「空っぽの鏡・馬祖」 ソパン / モンジュ「臨在録」 モンジュ「ノーマインド」 パルヴァ / ソパン「禅宣言」 パルヴァ / モンジュ<3>につづく
2008.04.05
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「臨済録」 <1> Osho /スワミ・アナンド・モンジュ 1991/6 めるくまーる 単行本 Vol.2 No.0037★★★★★Osho最後のZENシリーズ目次 道元、とくれば、臨済でしょう、というくらい、私たち日本人にはなじみの禅師ではあるが、このふたつの流れには微妙な違いがある。もちろんかたや日本人で、かたや中国人、という出自はともかくとして、その禅風には、秋と春くらいの差があるような感じが私にはある。あるいは冬と夏、といってもいいか。道元のどこまでも質素で透徹な空気に反して、臨済には、どこか熱気がある。cool に対するhotと言い換えてもいいかもしれない。もちろん、私の単なるイメージだが。 今回、この本を久しぶりに手にとって、おやっと思ったことは、あのOsho最後の講話録・ZENシリーズのなかの一冊にしっかり入っている一冊である、ということであった。それにしては、この「臨済録」、Oshoの最期のZenシリーズの中では、ちょっと雰囲気が違うなぁ、と思い、英語版にあたってみることにした。 そして分かった。なるほど、最期のZenシリーズのどれにも入っている、ジョークとドラムと、ジベリッシュと、Oshoの誘導瞑想が、すっぽり抜けているのだ。なるほど、そうだったのか。Oshoは、ことのほか臨済を愛していたので、いくつも講話録があり、ひょっとすると他の時期のものなのかな、とさえ思っていたのだが、そうではなかった。 道元は、あまりに深刻すぎる。やはりOshoのジョークが必要だ。それでこそようやくDogenになる。ところが、臨済もまた超ど級のまじめはまじめなのだが、そこが抜けたまじめさである。どこかすでにジョークっぽい。だから、また、Zenシリーズのドラムやジベリッシュがなくても、まぁいいか、って感じがしないわけでもない。 この本の翻訳がどうしてこうなったのか、考えてみた。本来、翻訳とはかなり恣意的な芸術だ。味付け加減ではどうにでもなってしまう。そこに翻訳者たちの面白さがあり、難しさがあるのだろう。ましてや、宇宙的おしゃべりBOXのOshoが「Master of Irational」つまり不合理のマスター=臨済を「語ろう」というのである。それを翻訳することは、そもそもが、簡単なはずはない。しかしまた、そこにチャレンジすることこそ、翻訳家達の喜びもあるに違いない。 この本が日本語訳されたのが、1991年6月。この当時の空気を読めば、この本のなかから、各講話の最後のジョークやジベリッシュがなぜ落とされたのか、わかる気がする。日本にはすでに根強い臨済のイメージが定着していた。それはもう、どんなことがあってもくつ返ししようがないくらいに、一般に流布している。この臨済のイメージを借りて、Oshoは日本の社会の中に染み出ようとしていた、といえなくもない。 しかし、あれから十数年。地球は何千回自転し、ガンジス河の水はどれほど流れさったことだろう。今、ちょっぴりづつめくりながら、思う。あのOshoのジョークや、ジベリッシュは、この本にも必要だったのではないか。あまりにお行儀のよいOshoの臨済では、本当のことが伝わっていないのではないか。Oshoは臨済ではなく、Rinzaiをこそ語っていたのではないか。 日本の社会が、いくら臨済を尊敬し、仏壇の奥深くに祭り上げたところで、何がどう変わっていっているというのか。何がどうなったのか。宗教的偉人が、到底、凡人がたどりつきようのない聖人が祭壇に祭られて分離されたにすぎないのではないか。OshoのRinzaiは、そうではないだろう。仏壇の奥深くにある偉人についてではなく、誰もがみんなの中にあるRinzaiについてこそ語っていたのではないか。 まずは、そんなことを思いながら、また、読み始めてみた。<2>につづく
2008.04.04
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<7>よりつづく「禅宣言」 <8> Osho 今回のチベット暴虐に対する、緊急でありながらもゆるいネットワークが静かに張り巡らされつつある。思えば、Oshoも20年前にチベットに対する中国の態度を、そして周囲の国々の態度を、言葉をきわめて批判しているのだった。 そういえば、この「禅宣言」の出版に大きな力を示し、まえがきを書いている喜納昌吉は、今、チベットについてどういうことを考えているのだろう、という話題がでた。現在の彼はいまや参議院議員ではあるが、彼ひとりに何かを期待することは、公平な視点ではない。しかし、若い時分からの彼の考え方や行動をみていると、この際、なにかを考えているのではないか、と期待してしまうことは、ごく当たり前な周囲の反応だと思う。 現在の彼のことはよくわからないが、「禅宣言」に書かれた、彼の文章を転載しておこう。-------------- まえがき 禅は、インドで種を落とされ、中国で芽を出し、日本で花開いたという。そしてまた新たに、和尚によりふたたび種を落とされ、今日「禅宣言(マニフェスト)」として世界に花ひらく。21世紀という新しい世紀を目前にし、私たちはこれを大いなる光として受け入れなければならない。 人類は、わずかの時間であらゆる地球上の富を独占し、望みを叶えたような感じがする。しかし、内なる世界は、砂漠の世界となりつつある。我々の太古の魂の世界には、いきいきとした緑の森があり、いきいきとした生命たちが謳歌していた。しかし今日、地球上のすべての生命は疲れ、傷ついている。幸福を謳歌するために編み出された科学や物質文明は、期待とはうらはらに逆流しているような気がする。 私たちはもう一度思いとどまり、いま「禅宣言(マニフェスト)」の視点から、世界を見渡さなければならない。真理も悟りも神も、進化するものだと。永遠に変わらぬものとは、永遠に変わり続けるものであり、そしてそれは、永遠に宇宙でダンスをしながら、歌いながら、創造のメッセージを送り続けていることを・・・・。 私にとって和尚との思い出は、不思議なことに過去ではなく未来に輝く。その本来でさえ、単なる時間の皮にしかすぎない。生命にあふれた思い出というものは、過去も未来もすべて焼き尽くしてしまうものである。 ある人から一冊の本をプレゼントされた事から始まった私の和尚体験。ページをめくるたびに、まったく新しい世界へと誘われ、魂の爆発の連続に導かれるまま、目が覚めるとプーナのブッダホールの中に座っていた。私は臨在のシャワーを浴び、いつのまにか覚醒の中に招かれていた。そいう、いびきをかきながらも覚めていたのである。 懐かしい牛やセミや鳥の声、風や木々の声、そして子どもたちの声。あらゆる生命の営みの声。そこでは都会で分断されてしまった生命のセレブレーションが蘇っていた。私の疲れ切った身体の全細胞が反応するように、この喜びを受け入れていた。まさに、和尚の私に対する最初の講話は、牛の声であり、鳥の声、風や木々の声であった。 そして和尚は相も変わらず、鳥や花や波や風、雲や星々を通じて、禅マニュフェストの講話をしてくる。 全細胞をつき動かし、あらゆる存在と手をつなぎ、全宇宙に花開くように、 さー踊れ、さー歌え、 黄金の未来のための大いなる祭りを、と。 喜納昌吉<9>につづく
2008.04.04
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<2>よりつづく「道元 その探求と悟りの足跡」 <3> 道元で検索すると、おびただしい量の資料がヒットする。それだけ日本人に愛されている歴史的な宗教人ということであろうし、また、日本の文化にしっかり根ざして染込んだ存在の大きなひとりであるということなのだろう。ゴータマ・ブッダの時代と違い、道元本人の残した墨蹟も多く、より親しみを感じることもあるのだろう。 しかし、今回、OshoのDogenを読んでみて、さてそれでは、道元リンクで、図書館漁りをしようか、と、なぜか私は思わない。OshoはOshoでしっかりとDogenを語っているのに、そこから私の中の道元につながってこない。あるいは、つなげるものか、と踏ん張っている自分がいる。 道元はあまりに日本人的センスで語られるすぎるのではないか。しかも、それは、ちょっとお行儀が良すぎる。モラリスト、道徳家、規を超えないというか、爆発的な破壊力がいまいち少なくないか・・? そんな感じがしてくるのだ。 道元は、小さいときに、父親も母親も亡くした。それが縁で仏寺に預けられ、禅をまなび日本に禅を花咲かせる偉業を遂げた。しかし、それがどこか、親を亡くした子供の悲しさ、深刻さを感じさせないでもない。それが真摯な率直な法風を生み出し、それがゆえに、日本人の心をヒットしていることもよくわかる。私もまた8才で父親を亡くしたが、それがまた一つの仏縁となった。それがどこかで、私のなかの深刻さを生み出す原因になっているかも知れない。 OshoのDogenは、深刻さを笑い飛ばす。ジベリッシュで、シモネタ・ジョークで、ぐちゃぐちゃにしてくれる。ドラムで打つ。そして、沈黙へのいざない。 道元というタイトルで、あまりOshoを知らない日本社会へ、Oshoを紹介したことは、この本の大きな功績であるだろう。紀野一義氏に序文を書いてもらい、しかも、かなりな長文な序文を書いてもらったなどというのは、この本が出版された当時としては快挙に近い。 しかし、今回読み直してみて、あらたなるOshoのDogenがここに坐っていることを発見した。Oshoは道元を語りながら、Dogenを再構成し、そして、さらには、道元もDogenもすでにいない世界へと、私たちを誘い込んでいる。<4>につづく
2008.04.04
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「アメリカ・インディアンとチベット」Native Heart 地球での生き方を学びなおす探求の旅 by Kitayama "Smiling Cloud" Kohei 著作権的には、いつもお行儀の悪いおこないをしてしまう当ブログではあるが、©2004-2008 All rights reserved.となっていたのでは、転記するのは遠慮しておこう。 アメリカ・インディアンとチベットの関連を語る人は多そうだが、はて、本当の意味で、どんなところでつながっているのだろう。
2008.04.03
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「Om Mani Padme Hum」: The Sound of Silence, The Diamond in the Lotus <1>出版社: Rebel Publishing House, India 1988/01講話 ISBN: 3893380507Vol.2 No.0036★★★★★★ 前から気になっていた一冊。本日、swモンジュ氏がSNSの日記にアップしてくれたので、下記、転載させていただきました。さっそく私も一冊注文。--------------------------- 不幸なことに、チベットは暗黒のなかに堕ちてしまった。僧院は閉鎖され、真理の探求者たちは収容所で強制労働を課せられている。ひたすらひとつのポイントに働きかける気風をもつ世界で唯一の国、内界への探究に捧げられる知性のすべてとその宝が、共産主義者によるチベットへの侵略によって終わりを迎えつつある。 それに対して異を唱える者がいないとはなんと醜い世界だろう。それどころか、中国は大きく、強大なパワーを有しているので、中国よりも大きなパワーを有しているアメリカのような国でさえ、チベットが中国の一部であることを認めてしまっている。それはまったくのナンセンスだ。ただたんに中国の力が強大なために、誰もが中国の側につきたがっている。ソビエトでさえ中国の主張を拒否しないし、インドでさえ異を唱えない。チベットは実にすばらしい実験場だった。そしてチベットには戦うための武器もなく、戦うための軍隊も有していない。それは彼らの念頭に決してよぎらなかった。内なる巡礼こそが彼らのすべてだったのだ。 人間の実存を発見するためにこれほど集中的な努力が払われてきた場所はどこにもない。チベットでは、どの家族もその長男をどこかの僧院に送り出したものだ。彼はそこで瞑想し、目覚めの近くまで成長してゆく。少なくとも家族の一人が全身全霊を挙げ、1日24時間内なる実存に働きかけていることは、家族全員の喜びだった。彼らもまた働きかけてはいたが、食べ物や衣服や住処を作らなければならないので、すべての時間を捧げるわけにはゆかなかった。チベットではそれはむずかしいことだった。気候がとても厳しいので、チベットで暮らすのは並大抵のことではない。だがそれでもなお、どの家族もその長男を僧院に差し出したのだ。何百もの僧院があった......けれどもこれらの僧院をカトリックの修道院などと比べてはならない。これらの僧院に肩を並べることができるものは世界中どこにもない。これらの僧院は、たったひとつのこと--あなたを目覚めさせることに関心を寄せていた。 時代が下がるにつれて、あなたのロータスが開花し、あなたがみずからの究極の宝、ダイヤモンドを見いだすことができるよう何千もの方便が編み出されてきた。これらは単なる象徴的な言語にすぎない。だが、チベットの破壊は、歴史に刻まれるべきだ。とりわけ人間がその気づきが多少とも増し、少しばかり人間らしさをもっているならば......。人の内に何かがあることを信じない物質主義者の手にチベットが落ちたことは20世紀最大の惨禍だ。あなたは物質にすぎず、意識は物質の副産物にすぎないと彼らは信じている。それは内なる体験を何ひとつ持ち合わせることのない、ただの論理的、合理的な哲学にすぎない。 共産主義者で瞑想をしている者など世界に一人も存在していないにも関わらず、みな口をそろえて内なる世界を否定するとは奇妙なことだ。内なる世界がなくして、どうして外なる世界が成り立ちうるかと考える者などひとりもいない。それらは共に存在している。分けることはできない。そして外なるものは内なるものを保護しているにすぎない。というのも、内なるものはとてもデリケートでソフトだからだ。だが、外なるものが受け容れられ、内なるものが否定されている。そしてたとえ内なるものが受け容れられることがあるとしても、内なる体験でさえ醜悪な目的で利用しようとするかくも汚い政治家たちに世界は支配されている。 つい先日知ったのだが、アメリカは今や兵士たちに瞑想の訓練をさせているという。神経衰弱を起こさず、発狂せず、恐怖を憶えることなく壕のなかで黙って身を横たえ、穏やかで冷静に正気を保ったまま兵士たちが戦えるようにするためにだ。瞑想は戦争にも利用しうるなどと思いつくような瞑想者などいない。だが、ひとたび政治家の手にかかるとあらゆるものが醜くなってしまう--瞑想ですらもが。今やアメリカの陸軍では瞑想を教えている。人々を殺している間、兵士たちがもっと平静さと落ち着きを保つことができるように。だが、アメリカに警告しておくが、君たちは火遊びをしている。瞑想がどのような働きをするのか君たちは正確に理解していない。こころが穏やかで、落ち着いてきたら、兵士たちは武器を捨て、人を殺すことをただ拒むことだろう。瞑想者は人を殺せない。瞑想者は破壊的にはなれない。だから彼らはいつの日にか驚くことだろう、兵士たちが戦い、戦争、暴力、殺人、何百万人の虐殺に対する興味を失っていることに。、もし瞑想の何かを味わってしまったら、それは不可能になる。そうなったら、彼は殺そうとしている外なるものを知ることになる。相手は兄弟なのだ。彼らはみな同じ大洋的な存在に属している。 もし人間に少しでも気づきがあるならば、チベットは解放されるべきだ。それはこの2000年の時を、何もすることなく、瞑想のなかにより深く入ってゆくことに捧げてきた唯一の国なのだ。そしてそれは全世界が必要としている何かを教えることができる。 だが、共産主義中国は、2000年間に生み出されてきたあらゆるものを破壊しようとしている。彼らのあらゆる方便、彼らのあらゆるスピリチュアルな風土が汚され、毒を盛られている。だが彼らは素朴な人々だ。彼らは自分自身を守ることができない。彼らは自分自身を守るものを何ももっていない。戦車もなければ、爆弾もないし、飛行機も、軍隊もない。2000年間、戦争を知ることなく暮らしてきた無垢な民族......チベットにたどり着くだけでも大仕事だ。彼らはまさに世界の屋根で暮らしている。最高峰の山々、万年雪が彼らの家だ。彼らを放っておいても、中国に失うものは何もない。むしろ、全世界が彼らの体験から益をうるだろう。 チベットは、人間の内なる探索に携わる実験施設として残しておかれるべきだ。ところが、チベットへのこの醜い侵攻に対して声をあげる国はどこにもない。そして中国は侵攻するだけでなく、チベットを併合してしまった。今や現代の中国の版図のなかにチベットは含まれてしまった。 私たちは世界は文明化したと考えているが、誰にも何の害も及ぼしていない無垢な人々が壊滅的な打撃を受けている。もし人間のなかに文明化したものが何かあるなら、あらゆる国が中国によるチベットの侵略に対して立ち向かうことだろう。それは物質による意識への侵略だ。それは物質主義による精神霊的な高みへの侵略だ。 (『オーム・マニ・マドメ・フム』#1より)<2>へつづく Om Mani Padme Hum
2008.04.02
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<1>よりつづく「道元 その探求と悟りの足跡」 <2> 父の家も、母の家も、道元を祖とする仏教の寺の檀家だった。だから、道元は割りと身近にいた感じがする。10代で座禅会に参加するようになった伊達政宗ゆかりの禅寺も道元を祖としていたし、インドから帰ってきた時に最初に迎えてくれた友人も、道元を祖とする寺のお坊さんだった。農業を学んだときに、田んぼの中にポツンとあった禅寺に行って友人達と坐ったものだが、ここもまた道元を祖とする質素なお寺だった。 長じて結婚した妻の実家もまた道元を祖とする寺の檀家だったし、その妹が嫁いだ先も、さらに別な道元を祖とする禅寺の檀家だった。他の親戚も、どういう因縁なのか、道元を祖とする禅寺の檀家がほとんどだ。道元が興した福井の永平寺にも短い間ではあったが訪れたこともあるし、みやげ物のすりこぎは、今でも我が家で活躍している。まわりを見渡せば、ほとんどが、道元、道元、という私の環境なので、仏教、といえば、道元、というのが、ごくごく自然な感覚だった。 だから、Oshoが最期の講話シリーズで、ZENを取り上げ、その中に道元を取り上げた時、それは当然だろうと、わが意を得たり、という感じで納得していた。だから、あまり本を読まない時期だったとしても、この本がでた92年10月には、すぐ購入した記憶がある。同時期にでた「空っぽの鏡・馬祖 」にはほとんど目を留めなかったのに比べると、雲泥の差だ。馬祖については、いまでもほとんど知らないが、多分Oshoが講話で触れることがなかったら、馬祖という名前さえ知らないで一生を終えたと思う。 だから、どこかで、ああ、このOshoの道元で、決まり、という想いが、少なからずあった。だが、しかしである。この本を手にとって、私の読書は遅々として進まなかった。翻訳者は敬愛するガタサンサである。その後、アートユニティとしてオーラソーマの販売元に邁進していくとしても、当時の彼の、Oshoへの愛は本物だった。その姿勢に間違いがない。「序文」を書いているのは、あの紀野一義氏だ。しかも異例の8ページという長文だ。出版元も長年Oshoの出版に関わってきたOEJだ。なのに、なぜか、私の心ははずまなかった。 あれから何年も過ぎて、私の傍らにあった本をなんどかめくりはじめたが、最後まで読み通したことはなかった。ほかのニューズレターなどで内容は分かっていたし、同じシリーズの類書と、どう違いがあるのか、そんなことさえ良く判明しなかった。 今回、このブログを進めるにあたって、次第次第にOshoのほうに打ち寄せられ、しかもZENシリーズを読むことになるに従い、この「道元」は、私にとっては、新たなる意味を持ち始めた。 道元は、あまりにも私にとって身近すぎた。ごく当たり前の風景でさえあった。であるがゆえに、Oshoからあらためて道元を聞くと、すこし違和感があった。ちょっと違うぞ。私の道元は、こうだ。そういう思いがわずかながら、あった。気がつかなかったが、あったのだろう。このOshoの道元にチャンネルをあわせるには時間がかかった。 Oshoは、意味的には和尚であっても、Oshoの和尚はOshoなのだ。だから、いくらOshoが禅を語ろうとも、それは禅ではなく、ZENなのだ。その伝でいくと、道元は道元であってはならないのだ。すくなくとも、私独自の道元に固着している限り、Oshoがいうところの道元は、いまいち理解できないことになる。私にとって、ここは、道元を一度、OshoのいうところのDogenとして、飲み干す必要があるようだ。 Dogenといわれると、ドガンとかドゲンじゃ、とか読みそうで、おっとっと、となる。でも、ここは、私の場合は、OshoのDogenをきちんといただく必要がありそうだ。Osho---ZEN---Dogenをそれぞれ別物ではなく、不可分のいったいのものと見て、それを味わいつついくことでこそ、私にとっての、和尚も、禅も、道元も、リフレッシュして、生まれ変わることができるのではないだろうか。 <3>につづく
2008.04.02
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「YouTube民主主義」 メディア革命が変えるアメリカの近未来河内孝 2008/03 毎日コミュニケーションズ 新書 191p Vol.2 No.0035★★☆☆☆ ここまで媚を売られると、ほんと民主主義って奴も成り下がったものだなぁ、と思う。いや別に民主主義が悪いわけでもなく、価値がないわけでもない。でもYouTubeはYouTubeでいいじゃないか。なぜに民主主義なる接尾語をつけなくてはならないのだろうか。誰もケチをつけられないだろう、と言わんばかりに「民主主義」が、防腐剤か、乾燥剤のごとく、思想的商品に添付されている。 アメリカの大統領選の予備選挙の動向について本書は述べているのであり、その選挙選にYouTubeが活躍してますよ、ってことは良く分かる。でもなぁ、なんでもかんでも、民主主義って上げ底は、もうやめようよ。民主主義の次の、なんかかっこいいネーミングないのかな。 今回のチベット暴虐に抗議する友人達のネット上の日記を見ると、みんな相当に動画、とくにYouTubeを活用している。私も見たし、使った。今後は、この機能はそうとうに利用価値が高まっていくはずだ。そういった意味では今後のYouTubeはますます注目の度をますだろうなぁ。
2008.04.01
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「未来派左翼(上)」 グローバル民主主義の可能性をさぐる著者: アントニオ・ネグリ /廣瀬純 2008/03 日本放送出版協会 全集・双書 214p Vol.2 No.0034★★★★☆ いきなり「未来派」ってのは、ちょっと興ざめだなぁ。梅田望夫と茂木健一郎の対談集「フューチャリスト宣言」に似て、なんだかいい加減なネーミングな感じがする。もっといい名前が無かったのかな。原題は「Goodbye Mr. Socialism」、つまり、さようなら、ミスター社会主義、ってことですよ。ヘルマン・ヘッセの「さようなら世界夫人よ」に似て、なかなかかっこいいじゃぁ、ないですか。 大体において、NHKブックスがこのようなタイトルを持つ本を出版するってことが、ちょっと間違ってるんじゃぁないかな。「未来派左翼」が許されるなら「過去派右翼」も許される可能性もあるわけで、どっちもかっこ悪い。不偏不党なはずの国家的報道機関が、このような偏向したタイトルをつけていいのか、とまずは変な言いがかりをつけておこう。 だいたいにおいて、ネグリの「マルチチュード」上下巻もNHKブックスだったから、そのシリーズでの発刊の運びとなったのだろう。あるいは、NHKはなんらかの言論を統制する意図でもあるのだろうか。と、いっちゃもんをつけながらも、まずはネグリ本が増えたのはめでたい。イタリアの大学教師であり出版人でもあるラフ・バルボラ・シェルジの質問に答える形でのこの本の成り立ちは、とてもよみやすい。 下巻はまだでていないようだが、タイトルをみると、「天安門事件の中国から・・・・」というような項目もあったので、今回のチベット暴虐につらなる中国共産党を、今ネグリがどのように見ているのか、わかる感じがする。 ざっと通読するに、相変わらずのネグリのオーラだが、なぜにこのネグリがこんな形で魅力を持っているのだろうか、と、あらためて考え直さずにはいられない。ネグリひとりの洞察というよりは、世界的さよくの凋落傾向の中で、なんとか未来につなげたい、さよく残党達がいて、なんとかネグリの哲学に首の皮一枚でつかまっている感じがしないわけでもない。 それにしても、イメージが湧くのは、「マルチチュード」というネーミングのウマさだろう。この言葉の原点は、スピノザだ、ホッブスだ、などと自言他言されてはいるが、結局は、ネグリのマルチチュードは、ネグリが発明したものだ。だから、いくらでもイメージを膨らませていける。いまのところは、単にネグリの哲学にあるものでしかない。ある好ましそうな実態に、うまく網をかけるような形でマルチチュードなどと形容しているが、それは後付けであることが多く、自らが生み出したものではもちろんない。 ネグリ達は、ネット社会について、好ましいイメージを持っているようで、ネット社会に登場しつつある新しい潮流の中に、マルチチュードの形容をかぶせることも多いが、もちろん、ネグリやハートがIT技術者として活躍したなんてニュースは聞いたことがない。ただ、ネット社会にしても、ただただ技術の発達の中で、自らの特性を見失いかねない事態もたびたびおこり、そのような時には、ネグリ達いうところの、グローバルな民主主義の担い手としてのマルチチュードの登場の可能性を、ネット社会自体が夢見るのである。 マルクス・エンゲルスのプロレタリアートという概念に似ている、このネグリのマルチチュードという哲学の賞味期限は、あとどのくらいあるだろう。私は正直言って、そう長くはあるまい、と思う。せいぜいあと10年くらいか。ネグリ自身がGoodbye と言っているMr. Socialismばかりか、グローバル民主主義とやらも、結局は、過渡期における仮の標章となる可能性を私は感じる。 なぜなら、自由民主党も民主党も、民主主義を語っていながら、ぜんぜん、国民の支持を受けることができないでいるではないか。つまり、民主主義を語りながら、それは絵に描いた餅でしかないことが分かってしまっているのだ。この本はある意味では、「さようならmr.民主主義」でもある。共産主義であれ、社会主義であれ、民主主義であれ、結局は、真の意味では実現されていない。 真の意味での社会主義であれ、革命であれ、Oshoのビジョンを借りて再考する価値はあるのではないか。そして、また、制度や経済ばかりではなく、その意識や精神性をより本質的に取り込める概念でなければ、いくらマルチチュードという生まれたての青年の未来に夢をもとうと、やがては苦渋の結果に嘆くことになるのではないか。そんな感じを持つ。<下>につづく
2008.04.01
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