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(2)よりつづく「生と覚醒のコメンタリー」(3)新装版 クリシュナムルティの手帖よりジッドゥ・クリシュナームーティ /大野純一 2005/04 春秋社 全集・双書 369pVol.2 No.497 ★★★★☆ 瞑想は、生における非常に重要な行為である。たぶんそれは、最も大きな、深い意義を持つ行為である。それは、容易には捕えがたい芳香である。それは、努力や訓練によって買い入れられるべきものではない。方式は、それが与える産物のみを生み出すことができる。そして方式、方法は、羨望や食欲にもとづいている。p68 コメンタリーの4分の3を経過したところ。淡々としたクリシュナワールドが繰り広げられるが、風景描写が前にあるというパターンばかりではなく、直接的なクリシュナムルティ本人の心境から始まることもある。 瞑想することができないことは、日光、暗い影、きらめく水や若葉を見ることができないことである。しかしこれらのものを見る者は、いかにわずかであることか! 瞑想は、何一つ与えるものを持たない。あなたは、両手を合わせて物乞いにくることはできないのである。それはあなたを、いかなる苦痛からも救い出さない。それは、ものごとを溢れんばかり清澄で、単純にする。しかしこの単純さを知覚するためには、精神は、いかなる原因も動機もなしに、自ら原因や動機によって蓄積してきたすべてのものから、それ自身を解放させなければならない。p68 クリシュナムルティから、直々に「瞑想は、何一つ与えるものを持たない。あなたは、両手を合わせて物乞いにくることはできないのである。それはあなたを、いかなる苦痛からも救い出さない。」と厳粛に宣告されると、言われていることは当然のことでありながら、やっぱりそうなのかぁ・・・、と、ちょっとシュンとした気分になる。「それは、ものごとを溢れんばかり清澄で、単純にする。」と、これまた当然のことが続いて語られても、なかなかダメージからは立ち直れない。 瞑想は、既知のものを一掃することである。さまざまな異なった形をした既知のものを追い求めることは、自己欺瞞のゲームであり、そのときには瞑想者が主人であって、瞑想の単純な行為はない。瞑想者は、既知なるものの領域でのみ行為できる。未知なるものがあるためには、彼は行為することをやめねばならない。不可知のものはあなたを招かない。そしてあなたはそれを呼び招くことはできない。それは風のように去来する。そしてあなたはそれを捕えて、あなたのため、あなたの使用のために蓄えておくことはできない。それは、何一つ実用的価値を持たないが、しかしそれなしには、生は限りなく空しい。p68 既知、未知、不可知。この三つをOshoともに散策していたことを想い出した。あちらは、自分の不純な思いつきでスタートした読書であったが、いまだに終結しないままで、突然中断したままになっていたのだった。そろそろ再開できるであろうか。 問題は、どのように瞑想するか、どんな方式に従うべきかではなく、瞑想とはなにかということである。「いかにして」は、方法が与えるものを生み出すことができるが、しかし瞑想とは何かへの探究それ自体が、瞑想へのドアを開くことだろう。探究は精神の外側にあるのではなく、精神それ自体の運動の内側にある。その探究を調べる際に最も重要になるのは、探究者自身を理解することであって、彼が何を探究しているかではない。p69 クリシュナムルティの宣告は、どこまでも冷徹で、鏡に写った無の空間のようだ。 ・・・・と、ここで2008年の書き込みは終了した。
2008.12.31
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「注目すべき人々との出会い」ゲオルギー・イヴァノヴィチ・グルジェフ /星川淳 1981/12 めるくまーる 単行本 405p Vol.2 No.496 ★★★★☆ その当時、ミシン、自転車、タイプライターといったたぐいの最新の発明は、すさまじいスピードでいたるところに普及しつつあった。こうした品々が熱狂的に注文され、購入されたのだ。ところが、いま述べたような最も簡単な専門的知識の欠如や、地元における修理業者と専門家の不在によって、どこかがほんの少しでもおかしくなると、その品物は役にたたないものとしてしまいこまれてしまったのである。p334 スズメを捕まえ、羽を切りそろえて色を塗ってはカナリアとして売り飛ばして資金をつくったり、ミシン修理業の話題などは、グルジェフにつきものの「ワーク」の一つだが、あいもかわらず、その生命力の旺盛なことには驚かされる。 ご存じのとおり、ミシンの中には、縫い目を調節するレバーの脇に、送りの方向を変えるレバーがもう一つついているものがある。このレバーを切り替えると、布の方向を変えられるようになっている。くだんのミシンも、誰かが知らずにこのレバーにさわったのは明らかで、布地が前進のかわりに後退するようになってしまったのである。p335 どっかで聞いたことあるような話だが、やたらとリアルな話が結構つづく。 早い話が、3日でなおすという約束で、私は彼から12ルーブル50コペイカを巻き上げたのである。もちろん彼が店から出るか出ないうちにミシンは動くようになり、番号をふって修理ずみのコーナーに移された。 p336 この本が邦訳されたのが、1981年。グルジェフの紹介は日本ではまだまだ少なかった。 教えの力点が、グルジェフとや対照的な無為、無努力にあるにもかかわらず、中核のところはグルジェフ的な要素が強く、実際にグルジェフ信奉者の多い、インドのラジニーシ・アシュラムで本書を読んだことから始まり、場所をアメリカに移して、版元トライアングル編集局の監督のもと、各章ごとの読み合わせ、日本での下訳完成、ふたたびアメリカで、サンフランシスコ禅センターにおいて道元英訳を進める棚橋一晃氏を監修者に得て、いま一度全文にわたる徹底的なチェックと、作業は紆余曲折を重ねた。p404「訳者あとがき」 訳者の先見の明とともに、その果たした役割は大きいものがあるが、グルジェフやクリシュナムルティなどが一気に邦訳されるきっかけになったポイントには、Oshoの一連の著作があったことは間違いない。シンクロニシティと言えばそれまでのことではあるが、日本も、東洋の一国という文化圏から、東西の出会いの時代へと突入していったのは、まさにこの時代の周辺だったと言える。 いまで言えば超大河SFじたての第一集(原本で千ページ以上)が、彼いわく「読者の心になじみのない思考の流れを起こすことにより、何世紀にもわたって人間の頭脳と感覚に根をおろしてきた信条や見解を無情に破壊する」とともに、より雄大かつ精緻な宇宙観に親しませる機能を持っているからである。そのうえで本書「注目すべき人々との出会い」が、「新しい世界の感覚を生み出すに必要な素材」を提供することになっていた。第一集、第二集、そして「人間の思考と感覚の中に、現在知覚している架空の世界ではなく、本物の世界が起こるのを助長する」第三集、「人生は”私が在って”はじめて本物(リアル)である」という読書序列は、いまでも正統的なグルジェフ・グループの中では遵守されている。p401 グルジェフにまつわる話は、21世紀の今日聞いても決して古びていないが、この本が訳出されたほぼ30年前の段階から今日に至るまで、まるで時間が止まっているような感じさえするほど、時代感覚を超越している。「ベルゼバブ」で破壊され、「注目すべき人々」で素材が提供されたあと、「私が存在して」へとグルジェフ・ワークはつづく。
2008.12.30
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「ウィトゲンシュタイン入門」永井均 1995/01 筑摩書房 新書 222p Vol.2 No.495 ★★★★☆ 書架の前を通り過ぎたら、やたらとウィトゲンシュタインのコーナーが目についた。当面忘れようとはしているのだが、どうも魅力的であることに変わりはない。クリシュナムルティを読んだりしてあの独特のネガティブ・アプローチや、グルジェフの「生は『私が存在し』て初めて真実となる」などというタイトルをながめていると、どうもウィトゲンシュタインを連想したらしい。 ウィトゲンシュタイン関連本はいままで何冊か読んでみた。「ウィトゲンシュタイン」 藤本隆志 1998/04「ウィトゲンシュタイン」 天才哲学者の思い出 ノーマン・マルコム /板坂元 1998/10 「ウィトゲンシュタイン」 言語の限界 飯田隆2005/10 「ウィトゲンシュタインが見た世界」 哲学講義 黒崎宏 2000/06「純粋仏教」 セクストスとナーガールジュナとウィトゲンシュタインの狭間で考える 黒崎宏 2005/11 「ウィトゲンシュタインから道元へ」 私説『正法眼蔵』 黒崎宏 2003/03「ウィトゲンシュタインから龍樹へ」 私説『中論』 黒崎宏 2004/08「私が愛した本」ウィットゲンシュタイン Osho1992/12「一冊で哲学の名著を読む」 『ソクラテスの弁明』から、サルトル『存在と無』まで17冊がよくわかる!荒木清 2004/5「ウィトゲンシュタインと精神分析」ジョン・M・ヒュートン2004/12 岩波書店「ウィトゲンシュタイン」「私」は消去できるか 入不二基義 2006/05 NHK出版 この本の巻末にも「文献案内」があるので、タイトルのみ転写しておこう。「論理哲学論考」「哲学探究」「哲学的考察」「哲学的文法1」「青色本」「ウィトゲンシュタイン読本」法政大学出版局黒田亘 アンソロジー 平凡社アンソニー・ケニー 法政大学出版局 「りぶらりあ選書」藤本隆志 講談社 「人類の知的遺産76」A・J・エイヤー みすず書房A・C・グレーリング 講談社選書メチエクリスティアンヌ・ショヴィレ 国文社「ウィトゲンシュタイン小辞典」山本信・黒崎宏シュテークミュラー「現代哲学の主潮流2」法政大学出版局 第9章黒田亘「経験と言語」 東京大学出版局 の3飯田隆 「言語哲学大全2」 第1章、第2章P・M・S・ハッカー「洞察と幻想」 八千代出版「<私>のメタフィジックス」 永井 均 前半「<魂>に対する態度」 永井 均 後半N・マルコム「心の諸問題」 法律文化社「科学理論はいかにして生まれるか」 講談社 N・R・ハンソンP・ウィンチ「社会科学の理念」 新曜社「ウィトゲンシュタインのパラドックス」 産業図書 S・A・クリプキ「保守主義の社会理論」 落合仁司 「行為の代数学」 大澤真幸「真理という謎」 M・ダメット「理性・真理・歴史」 H・パトナム「哲学と自然の鏡」 R・ローティー「ウィトゲンシュタインとデリダ」 H・ステーテン「ウィトゲンシュタイン評伝」 B・マクギネス「ウィトゲンシュタイン」 R・モンク などなど
2008.12.30
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<16>からつづく「OSHOの超宗教的世界」 <17>トランスパーソナル心理学との相対関係玉川信明 2001/04 社会評論社 単行本 283p 当ブログ、現在は、クリシュナムルティとグルジェフの読みなおしモードに入っているが、そのきっかけを作ったのはこの本である。必ずしもこの両巨頭に深く言及しているわけではないが、当ブログにとっては読みなおしのよい機会であった。両巨頭についてはもうすこし追っかけが続くのだが、こちらの本はそろそろ、一回ソーカツしておかなくてはならないと思う。 テーマは「トランスパーソナル心理学との相対関係」であるかぎり、そちらとの併読作業ももうすこし続けなければならないのだが、しかし、すでに「ガイドブック」的理解に対する対応はすでに終わったと考えることもできる。現在は、「エスリンとアメリカの覚醒」を読みすすめているところだが、こちらは読み進めるのに一苦労するところがあり、当ブログの残りのエントリーの中で完了する可能性は低くなってきた。 しかし、玉川にとってのトランスパーソナル心理学とは、ケン・ウィルバーとスタニスラフ・グロフが代表的な指標であってみれば、「エスリンとアメリカの覚醒」の中から、グロフを拾いだし、残りのグロフの著書と付き合わせれば、それで一応の一段落と言える。もっともケン・ウィルバーについては、現在「インテグラル・スピリチュアリティ」を読みこみ中だが、すでに玉川ワールドとも、Oshoワールドとも、ウィルバーはある一程度の距離感ができているので、当ブログの最終章に向けての読み込みには、特段にふさわしい、ということではなくなってきている。 さて、当ブログ、現在のところ、「OSHOを理解するための総括的観点」、「 瞑想による自己超越の世界を説く」、 「 この地上においていかに生きるか?」という三つのカテゴリを同時同質同量的に進行させているが、もともとはこの玉川本の章建てのタイトルを借りている。本来は、「OSHO@Earth.Spirit 0.3」、 「 Integral」、「 Agarta-David」というカテゴリ・タイトルが正しいのだが、玉川本のコンセプトを借りた進行を試みてきたのだった。 玉川本が「ガイド・ブック」である限り、旅本来は、そのガイド・ブックから目を離し、直に自らの目でみるところから始まるものだろう。この辺で、玉川ガイドには厚く御礼を述べ、次第に分かれを告げることとする。 「OSHOを理解するための総括的観点」=「OSHO@Earth.Spirit 0.3」、このテーマでいえば、当ブログの進行上、一番役立ったのは、「私が愛した本」と 「英知の辞典」だった。最近は「21世紀への指導原理OSHO」へと関心を移しつつあるが、それは、最終カテゴリ「21th Category」へつなげるための準備である。そういう意味では、「魂の螺旋ダンス」 や 「現代社会とスピリチュアリティ」も役立ってくれそうなのだが、いまのところは展開の予想はつかない。 「瞑想による自己超越の世界を説く」=「 Integral」カテゴリについては、「オレンジ・ブック」、「瞑想-祝祭の芸術」、「新瞑想法入門」、「瞑想--内なる世界への扉」などに集約されているので、特段に不足は感じないし、ネットでも十分にそのガイドを得ることができる。また、トランスパーソナル心理学的セラピーについては、「エスリンとアメリカの覚醒」をもうちょっとだけ読みこむつもりではいるが、ほぼ結論はでている。とにかく「ブッタたちの心理学」に到達するまで、心理学の幼年期はしばらく続くのである。 「この地上においていかに生きるか?」=「 Agarta-David」カテゴリこそは、「21th Category」へとなだれ込むメインテーマとなるはずである。最終カテゴリの仮名称は、こちらの玉川本の章建てのタイトルをもじって「ゾルバ・ザ・ブッダと具体的社会構想」となるはずである。本来のタイトルは「OSHO2.0」とでもしようか。そちらでは、「ニュー・マン」や「黄金の未来」に触れることになるだろうが、話題は旧聞に属するので、自らの関心を持続させるには、なにかひと工夫必要となるだろう。 忘れていたが、「私が愛した本」は、歯科椅子シリーズの中の第三作であり、第一作と第二作は「狂人ノート」、第四作の「ゴールデン・チャイルドフッド」の中の一冊であることはメモしておかなくてはならない。また日本語版「英知の辞典」は、英語版「The Book: An Introduction to the Teachings of OSHO」 三冊分冊の独自編集版であることも要メモである。ただし、どちらも、当ブログにおいては、単独でも大いに役立った。 これで玉川本については、簡単なソーカツとしておく。あと数度振り返ることになるだろうが、とりあえずここで、貴重なガイドブックだったことにあらためて感謝しておきたい。<18>につづく
2008.12.28
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「ベルゼバブの孫への話」 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判<1>ゲオルギー・イヴァノヴィチ・グルジェフ /浅井雅志 1990/08 平河出版社 単行本 787pVol.2 No.494 ★★★★☆ 先日からパラパラとめくり出し、メモするのも、もうすこし後にしようと思っていたのだが、この本が三部作の第一作である限り、二部、三部の頁めくり作業も目白押しで待ち続けている。ここは暫定的に第一部をざっと通り過ぎ、二部、三部をめくって、再び第一部に戻ってくることにしようと思う。 しかし、1920~30年代の、光明を得たと言われる二人の人間の主著とされるものの、なんという両極端か、と驚かされることになる。かたやクリシュナムルティの「自我の終焉」や「生と覚醒のコメンタリー」の、なんとも素朴でベーシックな言語体系の中に、研ぎ澄まされた感性の、ひとつまみの繊細さの輝き。かたやグルジェフの「森羅万象」、なんでもありあり、なんでも来いの、バリバリ造語、パキパキ虚構、メキメキ論理の、グルグル迷路のオンパレードの中に隠された、ひとつまみの真理。 たとえば比較されるところの、ウスペンスキーの「奇跡を求めて」とか、シュタイナーの「神秘学概論」などのコスモロジーなどは、やはり6の世界の物事というイメージとしかいいようがない。この一種、整合性と合理性で組み立てられたコスモスは、一回ご破算にされなくてはならないのだ。でなければ、円環する永久活動は止まってしまう。 だから、クリシュナムルティーはたんたんと、自らの世界をベーシック言語だけで指標のように指し示すだけだ。その言葉は否定的装飾に満ち満ちている。言語は超えて行かれなくてはならないものだから。 グルジェフは、最後の最後まで、マスターであろうとする。自らは弟子のために存在する。弟子たちの暫定的なコスモロジーを、一気に爆破することによって、覚醒を呼び起こそうとする。なんでもありありの道行きのなかに、無数に仕掛けられた地雷の数々。 小説もSFもまったく受け付けないアレルギー体質の当ブログではあるが、意外とこの「ベルゼバブ」は読めるかも知れないという予感がする。しかし、それは数ページ単位にかぎった話である。これだけの大冊を根気づよく読みこむことはできるだろうか。そう遠くない未来に、この一冊だけを抱えて、部屋にこもってみたい気はある。 この書、最初は口述され、弟子が記述したらしいが、この辺はなんだか、出口王仁三郎の「霊界物語」を連想させる。いまや「霊界物語」はネット上からすべてダウンロードできるようになっているようだ。しかしまぁ、この物語を全部読むことも至難の業だ。 「ベルゼバブ」もひょっとするとオンラインで全部読めるような時代になっているかもしれない。だが、それでもやっぱり、こちらも全部読むことなんか、そうそうできるものではないだろう。 常に対で語られてしまう「森羅万象」と「奇跡を求めて」だが、どちらが書物として優れているかは知らないが、ことその存在の意味合いにおいて、やはり、ひとつの体系として形作られるコスモロジーは常に乗り越えられていかなくてはならない宿命にある。さもビックバンのような超爆発で散乱した、全きの超々カオスのなかに、移ろいゆく一瞬のカオスを幻視しつづけることこそ、7である。 この6年間というもの、私は自分に無慈悲なまでに絶えまなく過酷な思考活動を強いてきた。その結果、ようやく昨日、以前から計画し、6年前に書き始めた三部作の第一部を、誰にでも理解できると思われる形に完成することができた。この三部作の中で私は、まず第一に理論面で、次に実践面で考えを発展させていくことにより、そして同時に、以前に考え、用意しておいた手段を用いて、自分に課した三つの必要不可欠な課題をやりとげようとした。すなわち、第一シリーズで、人々の誤った理解の中にあたかも真実であるかのように存在しているものをすべて破壊すること、言いかえれば、<何十世紀にもわたる人間の思考活動を通して蓄積されたガラクタをすべて情け容赦なく粉々にしてしまうこと。そして第二シリーズでは、いうなれば<新しい建築材料>を用意すること、そして第三シリーズでは、<新しい世界を構築すること>。p722 ドレミ<ファ>ソラ<シ>、そしてド。一オクターブの円環がこれでつながる。<2>につづく
2008.12.27
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<14>からつづく「英知の辞典」 <15>OSHO ブッダフィールド BUDDHAFIELD 私のブッダフィールド(覚者のエネルギー場)は、私が数千人のサニヤシンたちと住むような、そういった狭い場所には限定されない。世界中の小さなコミューン、アシュラム、センターのひとつひとつが小さなブッダフィールドになる。 私たちは地球全体をブッダフィールドで満たさなければならない! 私たちはブッダフィールドの連鎖をつくりださなければならない。それをやりとげることは可能だ。どこへ行くときも私の喜び、私の愛、私の笑いのいくらかを携えていくなら、あなたはブッダフィールドのかぐわしい香りを携えていくことになる。種子を携えていくことになる。 科学者たちは、はるかな昔に、何かの偶然でたった一粒の種子が地球に到達したのだと言っている---たぶん星どうしの衝突か、星の爆発が原因で。たった一粒の種子によって・・・・地球全体がだんだん緑になっていった。地球全体を緑の園に変容させるには一粒の種子だけで充分だ。 より高い次元についても同じことが言える。ブッダフィールドをつくるには、たった一粒の愛、<気づき>、喜びの種子だけで充分だ。だからどこへ行くときも、どこにいるときも、あなたは私から遠く離れてはいないことをかたときも忘れてはいけない。 師(マスター)と弟子のあいだにはいっさい物理的距離というものがない。ここに肉体的に坐っていても、あなたは私と調和していないかもしれない。そうしたら、あなたはここにいない。あなたは何千キロも離れた場所に、たぶん月の上か、火星の上にいるのかもしれないが、どこであろうと違いはない。だが、あなたのハートが私とともに鼓動しているなら、あなたが私に調和しているなら、そこに内なるつながりがあるなら、あなたは実際に私の存在のもとにいるのと同じだ。時間も空間もどのような違いも生まない。違いを生むのは愛だ・・・・。 イエスはこう言ったと伝えられている。「私の4人の弟子がともに集うとき、私はそこにいる」 彼は私のように幸運ではなかった。彼の弟子たちはとてもありふれた人々だった。私は多くの面で幸運だ----私の弟子たちは多くの面できわめて創造的であり、才能があり、大いに知性的で、愛に満ちあふれている。だから私は4人さえ必要ないと言うことができる。ひとりのサニヤシンがいるだけで、人々は私の臨在を感じることができる。 OSHO p499 COME、COME、YET AGAIN COME<16>につづく
2008.12.27
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「グルジェフ・弟子たちに語る」ゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフ, 前田 樹子 1985/09 めるくまーる 単行本: 419p Vol.2 No.493 ★★★★☆ あの松岡正剛でさえなんとなくお手上げ状態である。 先に訳された『グルジェフ・ワーク』や『グルジェフ、弟子たちに語る』を読んでいても、手に負えない。きっと日本人でちゃんと読んだのは訳者の浅井雅志さんと担当編集者の藤井愛子さんと著者の活動拠点であるイーデン・ウェスト・キョートのメンバーくらいのものではないだろうか。 いやいや、そんなことはないかもしれない。ぼくの予想に反してこのような怪物的書物のほうがかえって熱中して読める人々がけっこういるのかもしれないが、しかし、それにはグルジェフ語とグルジェフ文法をマスターしなければならないにちがいない。松岡正剛 「千夜千冊」第六百十七夜『ベルゼバブの孫への話』 グルジェフにはグルジェフのアルファベットがあり、解読することは不可能ではないが、そのアルゴリズムを研究する必要がある。 グルジェフの著書や、弟子たちに与えたある種類の訓練は、どれも公開を予定されていなかった。こうしたものは彼の仕事(ワーク)のある時期に必要な役割を果たし、特定の状況に相応し、ある明確な方向に刺戟を与えた。それを今日読んでも、その状況に直接かかわった人たちにもたらしたのと同じ効果はもたらさない。p7 Oshoはグルジェフの著書に触れて次のように述べている。 私はこれを一度ではなく、何度も読んだことがある。その中に入って行けば行くほど、私はますますこれが好きになった。というのは、このならず者のことが分かれば分かるほど、知るべきではない人間たちから彼が何を隠したかが、ますます理解できるようになったからだ。知識は、まだそれを吸収する力がない者たちのためのものではない。知識は軽率な者たちには隠しておかなければならない。それは、それを吸収することができる者たちだけのためのものだからだ。それはそのための準備ができている者たちにのみ与えられなければならない。それこそが、こんな奇妙なやり方でものを書いた目的だ。Osho「私が愛した本」 p173「森羅万象(オール・アンド・エブリシング)」(邦題「ベルゼバブの孫への話」)について クリシュナムルティは1895年5月12日おうし座生まれ。グルジェフは1877年アルメニアに生まれたとされるが定かではない。同時代人として思い出すのは 1871年8月27日生まれとされる出口王仁三郎がいる。少なくともこの3人がこの世に生きていた時代があったのである。 グルジェフのアルファベットを考えるとき、王仁三郎のアルファベットと比較すると、必ずしもグルジェフのアルファベットが飛びぬけて奇異なものでもないことに気づく。グルジェフがこの本のように弟子たちに語ったとされる1920年代は、21世紀の今日のように科学万能の時代ではない。そのような時代背景を考えつつ、隠されたものと、隠されなかったもの、目くらましのために置かれたものと、目くらましをせざるを得なかったわけを思いつつ、ひととおり目を通してみた。
2008.12.27
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「クリシュナムルティ人と教え」クリシュナムルティ・センター 1992/11 めるくまーる 単行本 221ページ Vol.2 No.492 ★★★★☆ クリシュナムルティって、いったいどんな人? どんな人がこの人の本を読むんだろう?っていう好奇心をちょっぴり満たしてくれる本。 自己の変容 松本恵一(塾経営) 30代の半ば、私はあることで苦しんでいた。何とかそこから逃れようとして、バグワン(ラジニーシ)の本を読み漁っていた。しかし、その苦しみと執着はどうにもならなかった。ある日、葛藤に疲れ果てた私は書店に行き、バグワンの本の隣にあった「真理の種子」をふと手にとった。それがクリシュナムルティとの出会いだった。p131 一般的にはやはり、書店における出会いが圧倒的に多いようだ。この方も「苦しみから逃れよう」としてOshoの本を読み漁っていたということだが・・・・・。個人的な体験でいえば、Oshoとの出会いは、本との出会いは始まりではあるが、ほんの始まりでしかない。 問題意識 → 本 → 瞑想 → グループセラピー → サニヤス → ワークに参加 → デボーティ ・・・・というプロセス経ていくのが、一般的なOsho体験のようである。もちろん、順不同であるし、ひとによってはバラツキがある。 気づきの深まり 臼井正俊(旅館経営) 当時の私は、朝から晩までラジニーシの講話録を読むことに夢中でした。そしてその中でしばしば目にするのが、グルジェフとクリシュナムルティの名でした。ラジニーシ自身はクリシュナムルティに対して、「彼の教えは全くの真理に他ならない。しかしの彼の下で光明を得た者は誰もいない」といった肯定とも否定ともとれる立場をとっていたと思います。この頃から私の心の中に、クリシュナムルティとはいったい誰なのだろう、セコハンのグルやマスター達に容赦なく中傷を下す、ラジニーシすら一目置く人物とは、いったいどんな人なのだろう、という興味がかすかに湧き始めていました。 そんなある日、書店でふと目についたのが、「クリシュナムルティの日記」でした。すぐに購入して一晩で読み尽くしてしまいました。うっとりするような自然描写、まるで詩のような美しい文章の流れ、それでいてその根底には非情なまでの厳しさ、真剣さ、そして深い優しさが感じられました。またそこには、神秘主義的な専門用語や、教義や、テクニックの解説は、一言も述べられてはいませんでした。それまで読んだ宗教書や経典の類とは、全く異質なものを感じました。何かとても大きなものに触れた思いがしたのを覚えています。 p191 当ブログも最終章に近づきつつありながら、クリシュナムルティとグルジェフを思い出して読み始めた。この方も「朝から晩まで」Osho本を読むことに夢中だったようだ。だが、私自身はそういうことはなかった。自分がOshoのもとに尋ねてサニヤシンになるまで、一冊しかOshoの本がなかったせいもあるが、むしろ、ワンセンテンスで十分だった。十分だったというのはすこし余裕がありすぎる。ワンセンテンス以上、読み進めることができなかったというほうが正しい。 クリシュナムルティーはマスターにつくな、というし、グルジェフはマスターがなければ真理には到達しえないという。いずれが本当かは知らないが、私はこの問題に悩んだことはない。私の体験は、こちらから選ぶという体験ではなくて、拉致された、というイメージのほうが強い。北朝鮮による若者の拉致事件が続発していた時代であり、たしかに拉致された人々と同じような年代であったが、もちろん、そのような意味合いの拉致ではない。 すべては、自分が選んだものであり、自分の選択でひとつひとつのプロセスを理解しながら歩んでいったのだが、むしろ必然であったとしかいいようがない。存在が最初からそう決めていたようなものだった。 しかし、リアリティはリアリティとして進行した。だから、マスターと弟子の関係というものは、自分が選ぶとか、その良しあしを考慮するものではなかった。すくなくとも私の場合は、すでに決まっていたのだ。おおげさな言い方をすれば、ずっと昔からそうなっていた、としかいいようがない。 この本には30数名の日本の一般人のクリシュナムルティ体験がつづられているとともに、クリシュナムルティの教えや生涯についてダイジェストされており、この本が発行された1992年当時においては、かなりまとまったガイドブックになっていたと思われる。出版社もめるくまーる社だ。 最近のエレクトロニクス科学、つまりコンピューターの技術の進歩は目を見張るものがあります。それこそ日進月歩です。この進歩の歩調は今後もずっと続くでしょう。特にアメリカと日本はそれぞれ最高の頭脳と巨額の資金を注ぎ込んでトップの座を守ろうとして競り合っています。p24 プライムローン崩壊の2008年の年末に、このような希望的観測の本を読んでいてもしかたないのだが、しかし、このような雰囲気の中でクリシュナムルティは次第に日本の社会に入り込んできた。 その他、遺伝子工学の問題があります。遺伝子の配列を変えて、生まれて来る人間を新しくつくり変えてしまうというのです。それこそ新しい神様の出現だとも言えそうです。遺伝子工学はまだ初歩的な段階にすぎないのですが、今後次々に未知の分野が解明されてゆくでしょう。p25 ヒトゲノムの二重らせん構造の解析が完了して久しい2008年である。まもなく2009年になろうとしているが、科学の進歩ほど、人間そのものは進歩しているのであろうか。 クリシュナムルティの生涯を語るのに神智学協会を度外視するわけにはゆかない。この協会は1875年にアメリカで設立されている。設立者はオルコットという南北戦争あがりの陸軍大佐であるが、協会の中心人物はむしろ最初から彼と一緒だったロシア系女性であるブラヴァッキーであった。設立当時オルコットは43歳、ブラバッキーは44歳である。p45 私たちが今日知っているクリシュナムルティとは、この協会から手を切ったあとの彼の言動であるが、彼を愛する人々は、もちろん、この過去があったことを、マイナスではなくプラスに評価していることが多い。クリシュナムルティの魅力の50%は、彼自身がなんと言おうと、この前半生にあることは間違いない。 夜になると少年クリシュナムルティはアストラル体となってレッドピーターと共にヒマラヤに飛んだ。ヒマラヤ山中に人間の姿をして何百年も住んでいたと言われたクートフーミ大師に会って人の生きる道の教えを乞うためである。帰って来た翌朝は必ず二人で昨夜学んできた教えを複習し合ったが、この出来事に対する二人の記憶には少しの違いもなかったという。レッドピーターの霊性は冴え切っていて、クリシュナムルティの過去生を探り、34生前まで遡ることが出来たほどであった。このアストラル体での旅では、クートフーミ大師の他に、ロード・マイトレーヤー、キリスト、仏陀などにも少年クリシュナは会うことが出来、彼等から直接の質問にも正確に答えることが出来て面目をほどこしている。彼の最初の著作だと言われる「大師のみ足のもとに」は、この当時書かれたものだと言われているが、神智学協会を通していまだに広く読まれている。もっとも、内容はさておいてその文体はレッド・ピーターのものと似ているとも評されるが、かなり補正されたものであるのは間違いあるまい。著者名はアルシオネになっているが、これはクリシュナムルティの過去生の名前である。p46 この辺の文章は、いわゆる科学論文や医者のカルテのように読まれるべきところではない。むしろ詩的に読まれるべきところであり、さらには、他者によって書かれている限り、まったく無視してかまわないはずである。もしこの点についてクリシュナムルティ本人が触れているところがあれば、その時は、そのところを精読し、瞑目して感触を味わってみよう。 Oshoはこの本はアニー・ベサントの手によるものだ、と断じている。さらには、マダム・ブラバッキーの本が秘教的デタラメであったしたら、このチベットのクートフーミ大師などの話は、ひとつの方便ということになる。チベット関連本や、チベット密教の本をひととおり読みすすめてきた当ブログとしては、クリシュナムルティやグルジェフが、秘教的方便としてどのよう形で利用したかを糾弾するよりは、むしろOshoがこのような方便に依拠しない形で自らの悟境を展開したことを再確認するところにとどめておこうと思う。 「神秘学概論」の巻末で解説の笠井叡は次のように述べている。 シュタイナーが90年後にどう改訂版を書くか、と問うよりも、読者は自らの霊聴にしたがって、個々の「神秘学概論」を生み出すべきなのであろう。p458 クリシュナムルティも、グルジェフも、このようなセンスで持って読まれ、「利用」されるべきなのである。それがまた科学的姿勢でもあると言える。もちろん、Osho本についても、このような態度で挑まれるべきである。しかしながら、幸か不幸か、Oshoはこれらの中で最も若い現代人であるばかりでなく、その人間観に秘教的ブルシットを基礎としていない、というところを確認すれば、今回の読書は十分役立ったということになろう。
2008.12.27
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(1)よりつづく「生と覚醒のコメンタリー」(2)クリシュナムルティの手帖よりジッドゥ・クリシュナムルティ /大野純一 2005/03 春秋社 全集・双書 393p Vol.2 No.491 ★★★★☆ クリシュナムルティ・・・・、この人の本をじっくり読む人とはどんな人だろう、と、奥さんに、この本の一節を読んできかせ、いろいろ周辺の人たちをイメージしてみた。なかなか思いつかないが、ちょっと条件つきで、あの人なら、この本のイメージかな、という人は数人いた。もちろん、クリシュナムルティを高く評価する友人たちもいることはいるが、その人の存在そのものがクリシュナムルティとなかなか結びつかないことも多い。 もうすこし年老いたなら、彼にはぴったりだ、とか、もし彼女が男性だったら、たぶんこの世界だね、とか、もしあいつがクリシュナムルティを読むんだったら、日ごろの不摂生を許してやろうとか、いろいろ勝手な人物論をしていた。あいつはまるでクリシュナムルティとは反対の極にいる、などと決めつけてしまったりもしたし、あいつこそクリシュナムルティを読ませるべきだ、と思える人物もいた。 さて、自分はどんなときになったら、クリシュナムルティを読みこむ気になるだろうと、と考えてみた。もちろん、現在はまさにその時なのだが、40冊ほどあるクリシュナムルティ本の何冊を読むことができるだろうか。結果が楽しみだ。とは言っても今回は、じっくりと一ページ一ページ読んでいるわけではない。たんにクリシュナムルティ街を通りすぎているだけだ。 20代では、余命半年を宣告されながら、がんセンターで闘病生活を送ったこともあったし、30代では、交通事故の後遺症のため4か月、ベットにはりつけられたことがある。思えば、結果論として、あのような状態でぽっかりと時間ができてしまったら、やはり私は本を読むだろう。40代では仕事上の都合で、時間があいて本を読む時間ができたこともあったが、今回は50代。たぶん、ベットに横になりながら、クリシュナムルティを淡々と読むような環境がやってきたら、今回はまっさきにクリシュナムルティの一連の本に目を通すに違いない。 と、勝手な印象を奥さんに言ったら、私なら、ベットの上で、ゲド戦記を読むわ、とおっしゃった。それとハリーポッターも読みなおしたいわ、と。ふむふむ、いろいろな好みがあるものだ。 彼は、一時神智学協会や、自ら主宰者であるはずの星の教団に対する関心を薄めていたようだ。しかし、教団自体は着実に伸び、クリシュナムルティが再び教団の活動に対する関心を取り戻した1920年当時には、世界各地で3万人以上の団員がいた。ちなみに、わが国では、今日出海さんのお父さんが、唯一の星の教団の団員だった。p380 今日出海は、今東光の弟であるから、この兄弟のお父さんがクリシュナムルティと親しくしていたという、今東光の「極道辻説法」のなかでのエピソードはここで裏打ちされている。クリシナ・ウォルテという表記も初々しいが、やはり、「自我の終焉」がでる1980年までは、日本においてクリシュナムルティはまったく無名であったということができる。 もっともここで今東光が言っている「主の御足にひれ伏して」は「「大師の御足のもとに」として日本でも翻訳されているが、Oshoは、その本はアニー・ベサントが書いたものだとしている。 今回、クリシュナムルティとグルジェフを交互に読みすすめていてあらたに気づいたことは、チベットの存在である。グルジェフはチベットのダライラマ13世のコンサルタントをしていたという俗説があり、本人もそれを否定していない。そしてクリシュナムルティは、マダム・ブラバッキーの神智学の流れから、チベットの奥地のクートフミやらグレート・ホワイト・ブラザーフッドなどという概念を受け入れていた時期もあったのだ。 この二人を、チベットという側面からアプローチしなおしてみるのも面白いと思った。(3)につづく
2008.12.26
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「覚醒のメカニズム」 グルジェフの教えの心理学的解明チャールズ・T. タート, 吉田 豊, 大野 純一 2001/01 単行本: 506ページ コスモスライブラリー 、原書 Waking Up: Overcoming the Obstacles to Human Potential 1986Vol.2 No.490 ★★★☆☆ この本がどのような位置づけになる本なのかわからない。図書館の蔵書を検索したところ、キーワード「グルジェフ」で出てきた本なので、「グルジェフの教えの心理学的解明」というサブタイトルについて書かれたことは間違いないだろう。2001/11に発行された本だが、原書は1986年で出ている 大学で人間性心理学とトランスパーソナル心理学の講座を指導する時、私はグルジェフの思想について二時限を費やす。目覚めるためには教師が必要だという考えは、毎回、学生たちからの強い抵抗を引き起こす。彼らはしばしばあまりにもこの抵抗にとらわれてしまうので、それがグルジェフの他の考えに近づくことを阻止してしまう。p404 いくらスクールやティーチャーという単語がグルジェフ・ワールドのものであったとしても、いきなり現代の大学での心理学の講義でグルジェフがでてきたら、あまりにも場にそぐわない感じがするのは当然だろう。ましてや20歳前後の学生が中心では、グルジェフの味わいがなかなかわからないに違いない。「目覚めるためには教師が必要だ」という言葉のオリジナルなグルジェフの言葉を、マスターという存在を予備知識のすくない欧米の若者に、教師という翻訳語で示すこと自体がなかなか難しいのではないだろうか。 高次センターとコンピューターの類比 コンピューター時代に生きているわれわれには、この状況への優れた類比がある。われわれ一人ひとりが専用の小さなパソコンを持っているということである。それは作動が遅く、小さなメモリーしか持っていないので、ごくわずかなデータしか保存できない。計算には、「知性ベーシック」、「感情ベーシック」、「身体/本能ベーシック」という、かなり原始的な三つのプログラミング言語が使われる。効率的に使えば、通常の生活ニーズの多くを満たすために非常によく機能でいる。われわれがこの小さなパソコンを愛し、尊重するのはもっともなことである。なぜなら、たとえ限られているとしても、それは見事な機械だからである。事実、われわれはそれと同一化してしまっており、それが考えることは自分が考えることだと思っているのである。p356 この本の原書がでたのは1986年であり、インターネットの爆発どころか、パーソナル・コンピューターの普及もまだまだほんの数パーセントの時代であったことを考える必要がある。しかも欧米に限られていた。だから、これらの表現は割り引いて評価すべきであり、この時代にここまでよく表現した、とすべきか、この時代の理解はここまでが限界であったとすべきか迷うところではある。しかし、この本の邦訳がでた2001年では、これらの表現は明らかに時代遅れになっている。 自分の小さなパソコンに執着し頼るあまりわれわれが忘れてしまったことは、巨大なスーパーコンピューターとわれわれをつなぐための端末としてパソコンが働くよう、それをプログラムする仕方があるということである。このスーパーコンピューターはわれわれのパソコンよりもずっと速く作動し、通常われわれに知られることのないきわめて重要な事実であふれたとてつもないメモリーを持ち、そして、知性ベーシック、感情ベーシックおよび身体/本能ベーシック言語では適切に対処できないあらゆる種類の重要な問題を解決することができる、二つの非常に強力かつ高度なコンピューター言語を計算に用いる。これらの言語とは「高次感情」および「高次知性」言語である。p357 インターネットの時代においては、スーパーコンピュータの計算が早いとか、メモリーがとてつもなく大きいとか、いうことは、当たり前というか、基礎的なこととなっており、むしろスーパーコンピュータが無数につながるモデルさえ想定されている。われわれのパソコンは、スタンドアロンで単立しているものではなく、これらのスーパーコンピューターのネットワークにつながる端末と機能しているのが2008年の現状である。 人生のもっとも重要な問題も、もしスーパーコンピューターがその膨大なデータバンクから適切な知識を引き出して、高次感情および高次知性言語でもって取り組めば、答えることができるだろう。が、悲しいかな! われわれはそれとつながっていないのだ。われわれはこれらの非常に重要な問題を自分の小さなパソコンで解決しようとするのだが、ベーシック・コンピュータ言語のどれかではそれらを解決できないのである。ハンガリー語のある種のジョークが英語に翻訳されるとその真髄である滑稽味が失われてしまうかもしれないのとちょうど同じように、一定の事柄は高次感情または高次知性言語においてのみ意味をなす。これは、第一章で論じたあの状態特定的知識の一種なのである。p358 スーパーコンピューターとつながっているパソコンを持っている21世紀の人間たちにも、決して「人生のもっとも重要な問題」は解決していない。膨大データの蓄積、膨大なデータの計算処理の高速化、そこから導き出される結果のアウトプットなどについてはこの20年間で比較のしようがないくらいに進歩があった。たしかに未知なるもの多くが既知なるものとなっては言ったが、依然として未知なる領域は計り知れない領域として残りつづける。 ある時点に至ったら、これを少しあれを少しというふうに混ぜこぜにすることはもはや不適切である。ほとんどの道はあなたがそれに注ぎ込むエネルギーの量に正比例し、あなたに効果を及ぼすであろうから、あなたは本腰を入れて一つに集中し、それに大量のエネルギーを注がなければならなくなるだろう。もしある道をずっと遠くまで行きたいなら、一度にいくつかの方向に進むことはできない。p474 あちこちの思想や技法を切り張りで貼り付けてもおかしいことになることは同感だ。しかし、このような言がでてくることに私は大いに疑問をもつ。もし、自分に体があり、その体が全体的なものであったとするなら、Gパンをはこうが、水着にしようが、ドレスアップしようが、帽子や靴や手袋やアクセサリー類は、自分の好き勝手にどのようにコーディネイトしたって、構わないはずだ。いや、むしろ、真理はそのような利用のされ方を待っている。 これを少しあれを少しというふうに「まぜこぜ」な感じになってしまうのは、もともとの裸の体に自信がないからだ。自信のない体を飾りたてようとするから、まぜこぜな感覚になるのであり、クラシックに決めようが、パンクでいこうが、外側の知識や技法だけなら、所詮はほんものにはならない。 今回、当ブログの読書マラソンにおいてつくづく感じたことだが、この本がでているコスモス・ライブラリーというところは、かなり貴重な本を数多く出している。お世話になっているので、心より感謝したい。しかしながら、この本のように、資料としては貴重ではあるが、本の出版という意味では時期を逃してしまっている本も数多くあるようだ。 もっとも一読者としても、時期をはずさない読書を心がけなければならない。このチャールズ・タートの本も貴重ではあるが、どこかピントがはずれてしまっている。そして、ピントが外れてしまっている本に、グルジェフを紹介されると、ひょっとして、グルジェフはすでに時代遅れなのではないか、とつくづく思ってしまうことになる。 「エニアグラム進化論」の前田樹子などは、グルジェフの言を借りるアリカ・インスティチュートのオスカー・イチャーゾなどの性格類型論に対して、激しく反論している。だが、こちらのチャールズ・タートは、これらイチャーゾなどにはいたって寛容なようだ。いずれが正しいかは保留するとしても、グルジェフの悟りを理解するには、自らの悟りをもって理解する以外にない。 これを少し、あれを少し、ではとんでもない混ぜこぜになるが、また、この道を一筋、グルジェフを一本、というのも実は妙なことになってしまう。基本は自分なのであり、自らに聴く以外に、本当の道はないのだ。<2>につづく
2008.12.26
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<13>からつづく「英知の辞典」 <14>OSHO 新しい人間 NEW MAN その2 p31 宗教が失敗したのは、それが見えない世界を指向し、この世を無視したからだ。この世を無視することはできない。この世を無視することは、自らの根を無視することだ。科学が失敗したのは、それが越えた世界、内なるものを無視したからであり、ひとは花を無視することができないからだ。花を、実存を最も奥深い核を無視してしまえば、生はその意味を失ってしまう。木に根が必要であるように、人間にも根が必要だ。そして根は地中にしか存在できない。葉をうっそうと繁らせ、何千もの花々を咲かせるためには、木は成長するための空の広がりを必要とする。そうして初めて木は自らを実現する。そして初めて木は意義を感じ、生は意味あるものになる。 人間は木だ。宗教が失敗したのは、それが花についてしか語らなかったからだ。それらの花々は哲学的なもの、抽象的なものにとどまり、けっして具体的なものにならなかった。具体的なものにならなかったのは、それが大地によって支えられていなかったからだ。そして科学が失敗したのは、それが根のことだけに注意を払ってきたからだ。根は醜く、花を想像することすらできない。 西洋は過剰な科学に苦しんでいる。東洋は過剰な宗教に苦しんできた。いまや私たちは宗教と科学がひとつの人間のふたつの局面になるような新しい人類を必要としている。その橋は芸術になるだろう。新しい人間は神秘家であり、詩人であるとともに、科学者でもある、と私が言うのはそのためだ。 科学と宗教を橋渡しできるのは、詩、音楽、彫刻といった芸術だけだ。私たちがこの新しい人間を生みだすことができるなら、この地上は初めてそのありうべき姿にあんるだろう。それは楽園になる---この身がまさにブッダ、この世がまさに楽園だ。 OSHO ZORBA THE BUDDHA<15>につづく
2008.12.25
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「生と覚醒のコメンタリー」(1)クリシュナムルティの手帖よりジッドゥ・クリシュナームーティ /大野純一 2005/03 春秋社 全集・双書 392p Vol.2 No.489 ★★★★★ クリシュナムルティという語感からして、どこかクリスタルを連想させる。そしてあの風貌。一つの世界観がそれだけで、出来上がっている感じがする。この本、当ブログのような、駆け足読書ブログのマラソン頁めくりゲームなどで読まれるべき本ではない。じっくりじっくり、しっかりと読まれるべき本であろうと思われる。この本は、まさに、クリシュナムルティ、という御方は、このような人、ということを分からせてくれる一冊だ。 しかしまた、このようなマラソン読書であればこそ、今回、この本をようやく手にしてみようと思ったのではなかっただろうか。クリシュナムルティの本が出始めた頃から、じっくりと一冊一冊を読む機会があるはずだった。しかし、私は読まなかった。いや、今だって、本を手にはしているが、読み込んでいるとはとても思えない。ただ、クリシュナムルティという人のエネルギーを再吟味しているというところか。 グルジェフにはグルジェフのアルファベットがあり、OshoにはOshoのアルファベットがある。クリシュナムルティは、きわめて平素なベーシックなアルファベットを使い、固有名詞や時事問題に触れて話題をそらしてしまうことはない。それでもやっぱりクリシュナムルティにはクリシュナムルティのアルファベットがあり、読み込めば読みこむほど、彼独自の言葉づかいや、世界観を指し示していることがわかる。 あなたは、「スピリチュアル」とはどういう意味か、ご存じだろうか? 第一に、野心的であることは、明らかにスピリチュアルではない。かれらは野心的ではないだろうか?(中略) 野心的でありながら、それを<マスター>、人間性、芸術、同朋愛についてのたくさんの仰々しい言葉でおおい隠すことは、美しいだろうか? 隣人や、海の向こうの人間まで引き入れるほど拡張される自己中心性を背負うことがスピリチュアルだろうか? あなたはスピリチュアルであると想定されている者たちを、スピリチュアルであるとは一体どういうことか知らずに手助けをしており、そして進んで利用されつつあるのである。p346 このシリーズは4巻ものになっていて、第1巻は1956年にでている。実に半世紀以上前のことである。私が生まれた頃、すでに地球のどこかでは、このようなクリシュナムルティの講演が絶賛を博していたのである。 クリシュナムルティには、グルジェフのような、システムも、ワークも、ソースも、マスターも、エニアグラムも、ない。ただただ、淡々と、クリシュナムルティの素朴で実直なアルゴリズムが積み上げられている。あるいは詩と言ってもいいのだが、やはり詩と言い切ってしまうには、クリシュナムルティの世界は知性と理性と論理性が際立って目だつ。 クリシュナムルティの世界には、Oshoにありがちな猥雑な逸脱もないかわりに、呵々大笑するような豪快さもない。淡々と、ひとつひとつ語られてはいくが、非常にベーシックな言葉を使い、ベーシックなものの見方をつかいながらも、これは決して、よくも悪くもベーシックな人間観ではない、と思わせる何かがある。 これがこの人の悟境であり、この悟境にシンパシーを持つ人にはたまらない魅力があるのは確かにわかる。しかし、これは、光明を得た人のベーシックな標準の姿ではない。これはあくまでもクリシュナムルティ独自のスタイルなのだ。とっつきやすそうではあるが、実は、きわめて複雑だ。グルジェフやOshoや他のマスターたちのような特殊なアルファベットを使っていないように見えても、やはり、彼には彼のアルファベットとアルゴリズムがある。 クリシュナムルティの本を図書館で検索すると約40冊くらいある。この一冊一冊を読みこんでいくことに、当ブログは耐えることができるだろうか。早々に撤退したほうがいいのではないか、と弱腰とも、偏見とも思える意見が、自分のなかから湧いてくる。 当ブログは、現在、グルジェフとクリシュナムルティとOshoを中核とした乱れ読みに入らんとしている。玉川本をきっかけとしたトランスパーソナルな流れや、エサレンの動きとやや連動させつつではあるが、この一体のながれは、やはり20世紀における地球人スピリットの流れのなかでは、避けては通れない歴史となっている。 ケン・ウィルバーやエサレンの人々や、フリチョフ・カプラなど、クリシュナムルティに啓発された20世紀のスピリチュアリストたちは数限りなくいる。決して抽象的な言語体系を用いることなく、シンプルに、しかも力づよく語り続けるクリシュナムルティは、多くに人々に今でも愛されている。(2)につづく
2008.12.25
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<12>からつづく「英知の辞典」 <13>OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本 579p 新しい人間 NEW MAN その1 p31 私のメッセージは「新しい人間」、ホモ・ノウス(homo novus)だ。古い概念では、人間は「あれか/これか」だった。物質主義か精神主義か、道徳的か不道徳か、罪人か聖者か。それは分割に、分裂に基づいていた。それは分裂症的な人類をつくりだした。人類のすべての過去が病んでおり、不健康で、狂気に満ちている。この3000年間に、5000もの戦争が起こった。これは狂っているとしか言いようがない。とても信じられない。愚かしく、知性を欠き、非人間的だ。 人間が二つに分割されてしまうと、惨めさと地獄しかなくなる。健康でいられないし、全体になることができず、否定されたもう一方の部分を復讐をしつづける。それはあなたが自分自身に強いた部分に打ち勝とうとして、あの手この手を繰りだしてくる。あなたは戦場に、内乱状態になる。これが過去の実情だった。 過去には、私たちはほんとうの人間をつくりだすことができず、人間もどきをつくりだしてきた。人間もどきは人間のように見えるが、まったくの無能で、役立たずだ。彼は全面的に開花することを許されなかった。彼は半分であり、そして半分であるがために、つねに苦悩と緊張のなかにある。彼は祝うことができない。全一な人間だけが祝うことができる。祝祭は、全一(トータル)であることが放つかぐわしい香りだ。 全一に生きた木だけが花を咲かせる。人間はまだ花咲いていない。 過去はきわめて暗く陰気だった。それは魂の闇夜だった。それは抑圧的だったので、攻撃的にならざるをえなかった。何かが抑圧されていたら、人は攻撃的になり、彼はすべての柔軟な質を失ってしまう。それが今日まで続いてきた。私たちは、いまや古いものが落とされて、新しいものの到来が告げられねばならない地点まで立ち至っている。 新しい人間はあれか / これかではなく、あれも / これもであるだろう。新しい人間は地に着いているとともに神々しく、この世にあるとともにそれを超えてもいるだろう。新しい人間は自らの全体性を受け容れ、どのような内なる分割もなくそれを生き、分裂はしていないだろう。彼の神は悪魔に対立したものではなく、彼の道徳は不道徳に対立したものではない。彼はどのような対立も知らない。彼はニ元性を超越し、分裂症的ではない。新しい人間とともに新しい世界がやって来る。なぜなら、新しい人間は質的に異なったやり方で知覚し、これまでに存在したことがなかったような、全面的に異なった生を生きるからだ。彼は神秘家であり、詩人であり、科学者であり、それらすべてのものだ。彼は選ばない---彼は無選択に自分自身だ。 それが私の教えるもの---ホモ・ノウス、新しい人間だ。それは人間もどきではない。人間もどきは自然現象ではない。人間もどきは社会によってつくりだされた---聖職者たち、政治家たち、教育者たちによって。人間もどきはつくりだされたもの、製造されたものだ。子どもは人間としてやって来る---全一で、全体的で、生き生きとして、どのような分裂もない。ただちに社会が彼を窒息させて、彼を抑えこみ、彼を断片に切り刻み、これをしなさい、あれをしてはいけない、こうなりなさい、ああなってはいけないと彼に教えはじめる。彼の全体性はじきに失われてしまう。彼は自分の全体的な存在に罪悪感を感じるようになる。彼は自然なものの多くを否定する。そしてまさに否定することで彼は非創造的になる。いまや彼はただの断片だ。断片は踊ることができないし、歌うことができない。断片はつねに自殺的だ。なぜなら、断片は生が何であるのかを知ることができないからだ。人間もどきは自分の意志を持つことができない。ほかの者がすべて決定してきた---彼の両親が、教師が、指導者が、聖職者が。彼らは彼意志のすべてを奪い去った。彼が決定し、彼らが命令する。彼はただそれに従う。人間もどきは奴隷だ。 彼は自由を教える。いまや人間はありとあらゆる束縛を打ち壊して、すべての牢獄から出て来なくてはならない---もはや隷属はいらない。人間は<個>にならなくてはいけない。彼は反逆的になるべきだ。いつであれ人間が真に反逆的になったなら・・・・。ときに少数の者が過去の圧政から逃げだしたが、それはごくまれだなことだった---イエスのような人がひとりか二人、仏陀のような人がひとりか二人、といったほどのことだった。彼らは例外だ。そしてこれらの人々、仏陀やイエスでさえ、全一(トータル)に生きることはできなかった。彼らは試みたのだが、社会全体たそれに反対した。 私の考えによる新しい人間は、ギリシャ人ゾルバであるとともにゴータマ・ブッダでもあるだろう---新しい人間は「仏陀であるゾルバ(ゾルバ・ザ・ブッダ)」になるだろう。彼は感覚的であるとともに精神的だ。彼は肉体的であり、完全に肉体的であり、体のなかにあり、感覚のなかにあり、肉体と肉体が可能にするすべてのことを楽しんでいるが、同時にそこには大いなる意識、大いなる目撃者がいるだろう。彼はキリストであるとともにエピクロスだ。 古い人間の理想は世を捨てることだったが、新しい人間の理想は祝い喜ぶことだ。そしてこの新しい人間は日々到来しつつあり、毎日到着しつつある。人々はまだ彼に気がついていない。実のところ、彼は登場しはじめている。古い人間は死につつあり、古い人間はその臨終の床にある。私はそれを嘆かないし、あなた方もどうかそれを嘆かないでほしい。それが死ぬのはよいことだ。なぜなら、その死のなかから新しい人間が現れてくるからだ。古い人間の死が新しい人間の始まりになる。新しい人間は古い人間が死に絶えて初めてやって来ることができる。 古い人間が死ぬのを助け、新しい人間が生まれるのを助けなさい! だが、いいかな、古い人間はすべての尊厳を勝ち得ており、過去全体が彼の支持にまわっている。そして新しい人間はまったく奇異な現象だ。新しい人間は新しすぎて尊重されない。新しい人間を破壊するためにあらゆる努力がなされるだろう。新しい人間が尊重されることはないが、この新しい人間に全人類の未来がかかっている。新しい人間が生みだされねばならない。 私の仕事はブッダフィールド、新しい人間が生まれることのできるエネルギーの場を創造することにある。私は新しい人間が世界にやって来るのを助ける産婆にすぎない。世界はそれを歓迎しようとしない。新しい人間は理解する者からの、何らかの革命が起こることを望んでいる者からの、多くの支援を必要とするだろう。だが、機は熟しており、それがこれほどまでに熟したことはかつてなかった。いまがその時機であり、ほかにこのほど適切な時機は考えられない。新しい人間は自らを主張しうるし、難関突破はすでに可能になっている。 古い人間は腐りきっており、あらゆる支持にもかかわらず、それは生き延びることができない。死が運命づけられている! 遅らせることはできるし、古い人間を礼拝しつづけることはできるが、それはたんにプロセスを引き延ばすことでしかない。新しい人間は到来せざるをえない。私たちはそれを早く来させるか、そのじゃまをして、その到来を遅らせることぐらいしかできない。新しい人間を手助けすることはいいことだ。それが早くやって来れば来るほど、人類は未来への、それも大いなる未来への希望を持つことができる---自由な未来、愛ある未来、喜びに満ちた未来への。 私は新しい宗教を教える。この宗教はキリスト教はないし、ユダヤ教ではないし、ヒンドゥー教でもない。この宗教はどのような形容詞もついていない。この宗教は全体的であることがかもしだす純粋な宗教性だろう。 私のサニヤシンは地平線に現れる曙光にならなければいけない。それはとてつもない責務、ほとんど不可能な責務だが、その不可能さゆえに、自らの内に魂を残しているすべての者たちを魅了するだろう。それは自らの実存の内に冒険心を宿している。勇敢な、恐れを知らないすべての者たちのなかに大いなるあこがれをつくりだすだろう。なぜなら、それはまさにすばらしい新世界をつくりだすことになるからだ。 私は仏陀を語り、キリストを語り、クリシュナを語り、ツァラツストラを語るが、それは過去の最良のものすべてと最善のものすべてが残されるようにするためだ。だが、それらはいくつかの例外にすぎない。人類全体が大いなる隷属のなかにあって、鎖につながれ、分断され、狂気のなかを生きてきた。 私のメッセージは単純だが、それを実現することはきわめて困難であり、難しい。だが、それが難しければ難しいほど、不可能であればあるほど、その挑戦はそれだけ大きなものになる。そして宗教が失敗し、科学が失敗しているいま、時機は正しい。東洋が失敗し、西洋が失敗しているいま、時機は正しい。東洋が西洋が出会い、宗教と科学が出会うことができる、何らかのより高い統合が必要とされている。 OSHO新しい人間(ニューマン)その<2>につづく
2008.12.24
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「エニアグラム進化論」グルジエフを超えて前田樹子 1994/04 春秋社 単行本 p292Vol.2 No.488 ★★★★★ 著者は、性格判断のような使われ方をしているエニアグラムを、激しく糾弾し嫌っている。実情はよく知らないが、だとするならば、私もまた著者に同意するものである。著者はまた、グルジェフではなくて、日本語表記をグルジエフとすることを提案している。グル--ジェフの二音節ではなく、グル--ジ--エフという三音節が正しい発音だから、ということである。このことについても、私は大きくこだわるつもりはないが、ことがことだけに、著者の言には耳を傾けておく必要がある。 グルジエフのエニアグラムはさまざまな理解や曲解のされかたをして今日に至っているようであるが、どれが正解というものでもない状況が続いているようだ。三の法則、七の法則。その組み合わせだ。 Oshoのワークを、ダイナミック瞑想の5つのステージに譬えてみることもできるが、エニアグラムで解釈できないこともない。エニアグラムは9つの段階のうち、3--6--9が抜けて、6つの数字で一音階、つまり、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、を構成している。そして、ミ→ファ、のところと、シ→ドのところにショックを与える必要があるという。つまり半音だけあがる部分である。 ドをボンベイ時代までとし、レをプーナ1とする、ミをオレゴン時代として、ここからファに上るとき、1985年の「ショック」を与える必要があった。ソはワールドツアー時代であり、ラはプーナ2の時代だ。そして、そこでOshoが肉体を離れるという二つ目の「ショック」を与えることでシとなり、やがて、あたらしいオクターブとしてのドとなる。これで円環が完成するのである。 この時の3--6--9の三角形を形成するのは、当然、ブッダム、ダンマム、サンガムのトリニティである。この三の法則に、永遠の力を与えているのが、上のオクターブの七の法則だ。新しいドで、サニヤシン達のあたらしい旅が始まったのだった。 Oshoは初期的に、このエニアグラムに強く影響を受けたと見られるマークを使っていた。逆三角形は母体を表し、9角形は、胎児が母体にいる9か月を意味していると、説明していた。 アシュラムが新しい人間の誕生のための場であってみれば、このマークはOshoにとっては必然的な意味合いを持っていた。 さて、この本においても、1980年に工作舎から出版されたウスペンスキーの「超宇宙論」は「私のみるところ、これは改竄といっていいほどの杜撰な訳であった」p83とまで酷評されている。当ブログに登場した1500冊以上の本の中で、あちこちからこれだけ悪評を買っているのは、この本が唯一と言ってもいいくらいだ。翻訳者に同情したくなるが、ここはグッとこらえよう。もっともこの本は、2002年に「新しい宇宙像」上下巻としてコスモス・ライブラリーから、新訳が発行されている。当ブログではまだ読み込んでいない。 20世紀の神秘思想家のなかには多くの読者や信奉者をもつクリシュナムルティ、ラジニーシ、ルドルフ・シュタイナーなどがおり、こうした巨人の著書もかなりの数にのぼる。が、その大部分は自著または講話を集めたものだ。弟子または師を親しく知っていた人の書いたものはあまりない。p83 と、いきなりラジニーシという名前が飛び出してきたので、背筋を伸ばした(笑)。なにはともあれ、日本人のオリジナルな研究は貴重である。
2008.12.23
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「グルジェフと共に」トーマス・ド・ハートマン+オルカ・ド・ハートマン / 前田樹子・訳1988/12 めるくまーる 単行本 p291Vol.2 No.487 ★★★★☆ 7番目。ふたたびグルジェフのもうひとりの弟子のハートマンの本だ・・・・。その本は「グルジェフと共に」だ。ハートマン・・・・正確な発音は知らない・・・・どこかでくすくす笑いが聞こえるからね。だが発音については気にしないことだ。ハートマンと彼の妻は両方ともグルジェフの弟子だった。ハートマンは音楽家でグルジェフダンスの演奏をしていた。グルジェフは踊りを瞑想として使った。それも踊る弟子のためだけではなく踊っている弟子を見ている人びとにとってさえ瞑想になるようにだ。 ニューヨークでグルジェフが初めて演奏したとき、ハートマンはピアノを弾いていた。弟子たちは踊っていたが、グルジェフが「ストップ!」と叫んだ瞬間・・・・。それはストップ・エクササイズだった----お前ではない、デヴァギート、お前は書き続けなさい・・・・。グルジェフが「ストップ!」と叫ぶと、踊り手たちは本当に停止した。ダンスの途中でだ! 彼らはちょうど舞台のの先端にいた。彼らは全員折り重なって床の上に落下した。だがそれでも誰ひとり動く者はなかった! 観客は畏怖の念に打たれた。彼らは人間がこれほどにも従順でありうるということが信じられなかった。ハートマンは「グルジェフと共に」を書いた。それは弟子によるすばらしい叙述だ。この本は、途上にある者すべてにとって役に立つだろう。 番号はいくつかね? 「今は7番でした、Osho」 グッド、聞いているね。 OSHO「私の愛した本」p147 ストップ・エクササイズは、Oshoのダイナミック瞑想に取り入れられているが、私は、Oshoの「ワーク」全体が一つのダイナミック瞑想だったのではないか、と仮定することがある。そういうイメージを持ったのは私だけかもしれない。数人の友人に私の印象をうちあけたところ、その洞察を大いに称賛してくれたけど、一向に一般的な認識にはならない。それでも、いちおう、ここにメモしておこう。 Oshoワーク全体の中で、「ストップ!」がかかったのは、1985年のオレゴン州のコミューンにおいてだろう。私はちょうどそのころ、山形の月山をシャンタンと登っていた。遠く地球の反対側からのストップエクササイズの声が聞こえた。 大学の教員時代からボンベイまでの時代のOshoは、ダイナミックに摸すと、第一のステージだっただろう。激しい呼吸の中で、エネルギーだけがどんどん上昇してきた。 プーナ1のアシュラム時代は、カタルシスの時代。ダイナミック瞑想の第2のステージだ。あらゆるカタルシスが放出された。心理学的グループワークも、他の地球上のどのセンターにもないほど、過激を極めた。 オレゴンのコミューンづくりは、ダイナミック瞑想の第3ステージだ。ジャンプ、ジャンプ。ジャンプに次ぐジャンプ。すべてのエネルギーを使いきることが目的だ。HOO! HOO! HOO! マントラに次ぐ、マントラ。すべてはピークに足した。 と、その時、「ストップ!」の声がした。ジャンプしていた者たちは、すべてその動きを停止し、前のめりに床に叩き落とされた。Oshoはオレゴンを離れ、コミューンは閉鎖された。 Oshoのワールド・ツアー時代、世界中のサニヤシン達は、自分たちが自分がいる場所に留まることを学んだ。停止したなかで、何が起きているのかを見ていた。 Oshoがプーナ2にもどり、次第に体に動きが戻ってきた。そこではミステリースクールという踊りが始まった。静かに静かにセレブレーションが始まり、Oshoが肉体を離れることによって、そのセレブレーションの波は永遠のものとなった。 これが私のOshoワーク=ダイナミック瞑想論、である。Oshoのワークには常にグルジェフが立ち会っていたし、グルジェフはまた、自らのワークをOshoのなかに続けていたのだった。Oshoは常に、グルジェフと共に、あった。 問い7 グルジェフ氏がヨーロッパでやりたいと思っていることは何ですか? 西欧の知識をどう評価しますか? なぜパリを選んだのですか? 答え パリを選んだのは、パリがヨーロッパの一中心地であり、ここにも研究所が必要だと、ずっと前から考えていたためである。2年間もそうできなかったのは、ひとえに政治状況によるものであった。 西洋からは、東洋にない知識を得たいと思った。東洋から理論を学び、西洋からは実行を学んだ。東にあるものは西になく、西にあるものは東にない。片方だけでは価値がない理由がここにある。両方が一緒になって互いを完全にする。 p210 問い10 グルジェフ氏のもつ知識は、彼の言う「偉大な教え」の一部分として存在するのですか? この知識の上に築かれた文明が、どこかに存在していましたか? たとえば、グルジェフ氏の言う「偉大な教え」の実践を理想とする階級(カースト)に託された政府が、インドにありましたか? 答え あった。たとえば、10年前のチベットでは、統治は僧の掌中にあった。当時、私の知識体系を実行することはできなかった。というのは、私の教えは私自身の仕事(ワーク)につながるあらゆる古代の真理から収集したもの全部を、一つにまとめる教えだからである。p212
2008.12.23
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<11>その1乙よりつづく 「小説(文学)」編「カラマゾーフの兄弟」F・ドストエフスキー「ミルダッドの書」ミハイル・ナイミ「かもめのジョナサン」リチャード・バック「預言者」カリール・ジブラン「ルバイヤット」オマール・ハイヤーム「草の葉」ウォルト・ホィットマン「ギータ・ゴヴィンダ」ジャヤ・デヴァ「イソップ寓話集」 「その男ゾルバ」ニコス・カザンザキス「シッダールタ」ヘルマン・ヘッセ「革命家のための金言」G・B・ショー「人の子イエス」カリール・ジブラン「狂人」カリール・ジブラン「預言者の園」カリール・ジブラン「大師の声」カリール・ジブラン 「シーシュポスの神話」アルベール・カミュ「生への渇望」アーヴィング・ストーン「苦悶と歓喜」アーヴィング・ストーン「復活」トルストイ「戦争と平和」トルストイ「母」マクシム・ゴーリキー「父と子」ツルゲーネフ「不死鳥」D・H・ロレンス「アジアの光」エドウィン・アーノルド 「河の島」サッチナンダ・ヴァチャヤーナ 「地下室の手記」ドストエフスキー「散文詩集」カリール・ジブラン「思想と瞑想」カリール・ジブラン「告白」アウグスティヌス「アンナ・カレーニナ」トルストイ「不思議の国のアリス」ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」ルイス・キャロル「漂泊者」カリール・ジブラン「霊の言葉」カリール・ジブラン「ゴドーを待ちながら」サミュエル・ベケット 「シヴァ・プリ・ババ」 J・G・ベネット ----------------------- 追補記「西洋哲学」編やその他のジャンルに移動できそうなものは、それぞれのジャンルに移動しました。2009/1/28/14:00----------------------- 追々補記 <11>その2が容量を超えたので、甲・乙、二分割した。2010/3/31 -----------------------<11>その2 乙につづく
2008.12.23
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「バイオエナジェティックス」 原理と実践アレクサンダー・ローエン /菅靖彦 1994/04 春秋社 単行本 440p Vol.2 No.486 ★★★☆☆ この本をメモすれば、例の玉川リストにアップされた本にはひととおり目を通したことになる。リストアップされてはいるが、まだメモしていないOsho本もあることはあるが、当ブログにはメモしていなくても、個人的にはすでに読み込み済みの本たちである。もっともこの機会に再読してみる価値もあるので、機会があれば、その動きもでてくるだろう。 リストアップされていながら結局現在のところ入手不能で読めないのは2冊。その一冊の「グルジェフ・ワーク---生涯と思想」はどこかの図書館に入っていそうなものだが、いまのところ、地域の図書館は全滅。ネット上の情報も少ない。しかしながら、個人的にはすでに発行された時点で一度目を通しているので、一定程度の印象は残っている。いや本も残っているはずなのだが、納戸のどっかに隠れてしまっていてでてこない。でてきた時点であらためてメモすることにしよう。 もう一冊はアンリ・セルーヤ「神秘主義」。同じタイトルの本をすでに読んだからいいや(笑)、というわけにはいかないが、でてこないのでは読めない。こちらも今後も探索を継続するが、現在は保留としておく。 こうしてようやく玉川リスト一覧のほとんどの本を手にしたのだから、いよいよ、玉川本の総括をはじめなくてはならない。結論はすでにでている。そして、それをどのように次につないでいくかも見えている。最初から見えていた方向性に大きな変化はないが、さまざまな肉付けをしていくなかで、あらためて確認したことも多かった。 さてバイオエナジェティックスである。いくつかのセラピー・ワークショップで何度か体験させられた。体系的には学んだことはないが、さまざまな他の技法との組み合わせで、ざっとしたイメージが出来上がっている。効果そのものはともかくとして、個人的にはあまり好きな技法ではない。体がしんどい(笑)。というか、身体のエナジーに働きかけるのだから、当然と言えば当然か。Oshoの瞑想など、とくにダイナミックやマンダラなどは、このバイオエナジェティックスと底通する部分があるだろう。 ローエンはライヒ派セラピストとしてスタートしている。ライヒの「聞け!小人物よ」(片桐ユズル訳)について、Oshoは「私が愛した本」p234のなかで「この本は、私のサニヤシンたちがすべて瞑想すべき本だ。私はこれを、無条件に推薦する」と絶賛している。ライヒの人生は必ずしも幸せな一生ではなかったし、その心理学も成功したとは言い難い。その流れをくむローエンの心理学も、ダイレクトにブッタたちの心理学につながっていくものではない。むしろ病理学的心理学と言えよう。 自然に発生したかに思えるこの予期せぬ健康の出現とその喪失をいかに説明すればいいのだろう? この患者の体験は、当時人気のあったジェームズ・ヒルトンの「失われた地平線」を思い出させた。この物語の中で、主人公のコンウェイは飛行機の同乗仲間と一緒に誘拐され、文字通り、「この世の外にある」人里はなれた山のとりでであるシャングリ・ラと呼ばれるヒマラヤ高地の秘密の谷間に連れて行かれる。この谷間に住んでいる人達にとって、老いや死は延期ないし停止されているように見えた。そこを支配している原理は、これまた「この世のもの」とは思えぬ中庸であった。コンウェイはシャングリ・ラに留まりたい誘惑にかられる。彼はのどかで合理的なそこの生活に非常に共感する。彼は谷間の共同体の指導者の地位を提供されるが、それはすべて幻想にすぎないと兄弟に説得される。若い中国娘と恋に落ちた彼の兄弟は、一緒に「現実」に逃げようとコンウェイを誘う。彼らは谷間を出るが、外界に出たとたん、若い中国娘が老婆になり死んでいく姿を見て、コンウェイは驚愕する。どちらの現実が本物なのか? コンウェイはシャングリ・ラに戻る決心をする。物語の終りでコンウェイが「失われた地平線」を求めて山中をさまよっている姿が読者に知らされる。p24 文庫本「失われた地平線」を読んだり、映画「失はれた地平線」 をビデオでみたことを思い出した。1910年生まれのローエン。彼の心理学を検討する場合、彼がどのような時代背景で生きていたのかを、確認しておく必要をあらためて感じた。今や21世紀。この時代に生きている、この時代を背景とした、この時代の人たちのための心理学が開発される必要がある。
2008.12.21
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2008上よりつづく 2008年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10 第1位「日本人が知らなかったチベットの真実」ペマ・ギャルポ 2008/08 海竜社 単行本 285p 第2位「裸形のチベット」チベットの宗教・政治・外交の歴史正木晃 2008/07 サンガ 新書 279p 第3位「マハムドラー瞑想」MEDITATION FROM THE WORLD OF OSHO 第4位「反密教学」改訂版津田真一 2008/10 春秋社 単行本 385p 第5位「増補 チベット密教」ツルティム・ケサン /正木晃 2008/05 筑摩書房 文庫 261p 第6位 「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」 新装版ダライ・ラマ /宮坂宥洪 2008/08 春秋社 単行本 331p 第7位「『チベット問題』を読み解く」大井功 2008/07 祥伝社 新書 227p 第8位「アジアの試練 チベット解放は成るか」櫻井よしこ・編 2008/07 文藝春秋 単行本 306p 第9位「新しい中国人」ネットで団結する若者たち山谷剛史 2008/09 ソフトバンククリエイティブ 新書 247p 第10位「21世紀のブディストマガジン『ジッポウ』」平和なれチベットダイヤモンド社 /仏教総合研究所 2008/06 単行本 140p 次 点「神秘の地底王国『シャンバラ』大預言」月刊ムー8月号 2008/07 学習研究社四川大地震、チベット動乱は、光と闇の最終戦争の幕開けだった!?2009上につづく
2008.12.21
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<3>よりつづく「21世紀への指導原理OSHO」 <4>スワミ・パリトーショ 1994/08 壮神社 単行本 465p 第六章 滅びるものと永遠なるもの 物質と真空OSHO意識は静止したままだ。人は世界中を動きまわるかもしれない。だが、内側の何かはけっして動かない。そして、あらゆる動きはその不動の中心を根拠にしている。見張りは見張りであること以外、何もできない。見張りが何か他のことをした瞬間、それは滑り落ちる。それがマインドだ。マインドとは副産物を意味する。それは肉体と共に生まれ、肉体と共に死ぬ。それは時間の中の現象だ。大脳の一部は目覚めたままだ。ちょうど立会人が窓を通して見ているようなものだ。窓そのものは目覚めていないが、窓の背後の立会人がそれを開けたままにしている。立会人は大脳の一部ではない。だが立会人は大脳をひとつのメカニズムとして使用する。最後に、あらゆるものが消え去ったとき、その見張りだけが残る。その体験はあなたのマインドのどんな体験とも比べることはできない。至福、、歓喜、恩寵---そういうものの背後にいる。それはただ見守っているだけだ。大空はいたるところにあり、しかも何処にも存在しない。大空はすべてを包含し、大空を包含するものは名は何もない。大空はすべてに浸透し、しかも何ひとつ邪魔しない。 p224 第七章 欲望の階梯 執着と超越OSHOあらゆる欲望は狂気だ。欲望そのものが狂気だ。なぜなら欲望とは未来に生きることであり、未来など存在しないからだ。存在するものを、存在しないもののために犠牲にすることこそが狂気だ。欲望そのものがマインドの一部だ。そしてマインドこそが障害物だ、架け橋ではない。仏陀の信頼とは、どんなものを欲望しようと間違うことになるという事実の、深い理解のことだ。オーガズムの体験は、肉体が支えうる究極の体験を与えるだけでなく、これがすべてではないという洞察も与える。ひとたび意識エネルギーの領域に入ったら、人は最も素晴らしい生の体験、最も明るい、最も彩り豊かな、最も詩的な、最も創造的な体験を持ち始める。その素晴らしい体験は、肉体とマインドとこの世に関する限りの充足と満足を与えるが、一方では、途方もない神性な不満足を生み出す。 p268 第八章 競争原理と射程距離 比較と競争OSHO他人は味方ではありえない。他人は敵だ。他人であるというそのことで敵なのだ。なぜなら、他人との間には、競争が、嫉妬が、闘いが起こらずにはいないからだ。貧欲は、人生を意味あるものにしようとする愚か者の努力だ。いななる量的変化も、人生を真の意味で変容することはできない。比較は病いだ、最大の病いのひとつだ。比較は競争をもたらす。比較は、傷とエゴをもたらす。劣等感という傷と、優越感というエゴを。そして、人はこの二つの岩の間で押しつぶされる。賢ければ、生きるための比較より、むしろ生きることを始めるだろう。あるがままの自分を受け入れた瞬間、あらゆる重荷、山と重なっていた重荷はただ消えてしまう。あなたのような人は、この世界にひとりもいない---これまでいたこともなかったし、二度と現れることもない。あなたひとりだけだ!一人ひとりの個性がユニークだ。ユニークさとは、存在からの贈り物だ。 p312 第九章 変容のための危機 危機こそ好機OSHO私たちはマハヴィーラと仏陀の後、インドが解体したことを知っている。人々は普通、このことはマハヴィーラと仏陀ゆえに起こったものと思っている。だが事実はまさにその逆だ。実際は、崩壊が始まる直前にこそ、マハヴィーラや仏陀のように大きな器をそなえた人々が仕事をなしうるのであって、それ以前ではない。なぜなら、崩壊の直前にはあらゆるものが無秩序になり、解体の危機に瀕するからだ。まさに死が個人の目前に迫る時のように、今は全文明の集団無意識の前に死がその暗い顔を見せている。人の手は別々に見えてはいるが、ひとつの手がもうひとつを叩けば、両方がその痛みを感じるのだ。危機とは危険でもあり、好機でもある。それはあなた次第だ。過去から反応し続けるなら、あなたは自殺の道を歩んでいることになる。問題が新しい以上、解決も新しくなければならないこと、古い解答では用をなさないこと、それが理解できるだけの知性があれば、それは大いなる好機となる。どんな既得権益にもこの惑星を破壊させはしないということ、それがすべての知性ある人の、確固とした決意になるべきだ。 p362 第十章 黄金の未来 「個」たちの世界OSHO新しい世界とは、もはや誰にも、どんな美名のためにも、自分を犠牲にさせはしないということだ。私たちは、いろいろな理想に合わせるのではなく、自分自身の憧れ、自分自身の熱烈な直観に従って自分の生を生きていく。そして私たちはその瞬間瞬間を生きていく。私たちはもはや「明日」と明日への約束によって騙されるつもりはない。この地球はひとつの輝き、魔法、奇跡になることができる。私たちにはそれだけの技がある。ただこれまで一度もそれを試したことがないだけだ。人間は、喜ぶために、可能な限り生を美しく、平和に満ちて、快適に生きるためにここにいる。コミューンとは、非野心的な生と万人のための機会均等の宣言だ。貨幣は社会から消えなければならない。 p420<5>へつづく
2008.12.21
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<2>よりつづく「21世紀への指導原理OSHO」 <3>スワミ・パリトーショ 1994/08 壮神社 単行本 465p 本日は冬至だ。一年の中でもっとも昼の時間が短い日とされている。ということは夜が最も長い日と言える。今、ここにおいて対立概念が2個でてきた。昼と夜、であり、短いと長いである。さらに、冬至と言えば夏至という日と対応しており、これも対立概念だ。そして、冬至と夏至の間には、春分の日、と、秋分の日、という昼と夜の長さが同じ日が挟まっている。 さらにはもっと細かに、立春、小暑、白露、大雪などと名づけられた季節ごとの切れ間があり、二十四節季と名づけられている。そしてこれらをさらに細かくわけていくことも可能であるが、冬と夏という2つの概念、春夏秋冬という4つの概念、あるは24の概念も、実は、それぞれが独立して存在しているものではない。地球上には雨季と乾季とふたつにしかわけられない地域もあるが、それであっても、決して対立しているわけではない。 事実は、中空に浮かんだ地球が、地軸の傾きをもとに自転しながら、太陽に向かって大きく公転しているだけにすぎない。そこには二つの対立も24の連なりも、本当はないのである。 さまざまな精神世界の道をたどると、さまざまなアルファベットやアルゴリズムに出会うことになるが、それらひとつひとつに振り回される必要はない。根本をつかんでしまえば、ひとつひとつの現れは、とるに足らない瞬間のできごとでしかない。冬来りなば春遠からじ。今日はもっとも昼が短いが、すでに今日から昼は長くなりはじめているとも言える。 このパリトーショの「21世紀への指導原理OSHO」も結局はそういうことを言おうとしているのである。春や秋、朝焼けや夕方、高き山々や、洋々と広がる大海原も、ひとつのことが分かれば、それら全体が一つであることが、あたり前のようにわかる、ということなのだ。OSHOというマスターキーは、全てを解決する「原理」であると。 本書の各章のひとつひとつに入っていく前に、10章ある章建ての分頭にあるOshoの言葉の引用文をまず転写しておく。 第一章 問題はなぜ発生するか 問題と判断停止OSHOマインド(論理・思考)こそが唯一の問題だ。マインドこそがすべての根本原因だ。問題は、樹の繁るように、マインドの上で成長する。マインドは問題の解決を試み続けることはできるが、問題を解決することはできない。問題とは作られた物だ。状況は存在するが、問題は存在しない。問題とは、状況の解釈だ。問題は実在の中には存在しない。それは人間の心理の中にしかない。問題はけっして解決されることはない。ただ、人が意識においてより高く上がらなければならないだけだ。未来の問題を解きそえを解消しようとするなら、私たちは過去の中にその根を探さなければならない。 p10 第二章 リアルな”自分”とは誰か 「全体」と「個」OSHO人間はエゴとして存在する。それが、人間が絶えず恐れを、無防御を、不安を感じる理由だ。人は全体より賢くはありえない。部分は全体より大きくはありえない。これより良い世界が考えられるだろうか 賢ければ考えられない。愚かなら考えられる。意識が分割され、鏡のようにでなくなったとき、それはマインド(思考・論理)になる。思考とは割れた鏡だ。マインドは、健康ではありえない。それが全体ではありえないからだ。あなたは肉体ではない。あなたはマインドではない。あなたはハートではない。あなたはそれに立ち会っている意識だ。必要なものはただイン---サイト(内側への視力、洞察)だけだ。 p44第三章 後ろ向きの<ソフト> <ソフト>と<タオ>OSHO科学は必要なだけの、いやそれ以上の富を生み出す能力がある。だからそれは大きな問題ではない。それは問題の外側だ。そして問題の内側は、他人より多くを持ちたいという貧欲を変えることだ。親の条件付けこそ、この世での最大の隷属だ。子どもは種子だ。その子どもそのものが、良かれと望む善意の人々によって害され、壊されたら、自由な個人が生まれる希望はない。その夢が実現することはけっしてない。この地球規模の自殺は、私たちすべての文化、すべての哲学、すべての宗教の究極的な結末だ。私たちは量子的飛躍をし、次の世代に、自分たちが生きてきたやり方を続けてはならないと教えなければならない。そうして初めて、未来を変えることができる。 p82第四章 コンピュータ時代の思考と意識 心(マインド)と意識OSHOあなたの大脳は自然によって生み出された。あなたの大脳は肉体に属するメカニズムだ。だがあなたのマインドは、あなたが住む社会の中で生み出せるものだ。理解しなければならないことは、その自己同化の過程だ。あなたには突然その思考(マインド)が中間にあること、その両側に大脳と意識があることが分かる。コンピュータにできないことがひとつだけある、それは生きること、主人になることだ。科学は、物質の秘密を洞察することで成功したのとまさに同じく、意識の秘密そのものを洞察する能力を持っている。 p124 第五章 東洋と西洋の真の統合 科学と瞑想OSHOその新しい科学は、二つの領域を持つただひとつの科学になるだろう。ひとつの領域は外なる世界に働きかけ、もうひとつの領域は内なる世界に働きかける。あちらの世界のはこちらの世界に反してはいない。あちらの世界はこちらの中に隠されている。こちらは向こうの現れに過ぎず、向こうはこちらの現れていない部分だ。科学は、物質の秘密を洞察することで成功したのとまさに同じく、意識の秘密そのものを洞察する能力を持っている。まずはゾルバに、この地上の花になりなさい。そしてそれを通して、ブッダに、超えたる世界の花になる力量を稼ぎ取りなさい。ゾルバ・ザ・ブッダが究極の統合だ。 p176 <4>につづく
2008.12.21
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「奇蹟を求めて」グルジェフの神秘宇宙論<1>P・D・ウスペンスキー /浅井雅志 1981/02 平河出版社 単行本 606p Vol.2 No.485 ★★★★★ 二人の巨人が出会う経緯、ウスペンスキーが学んだグルジェフのワークやスクール、エニアグラムと言った特異な教えについて、小森健太朗「Gの残影」でダイジェストのように読み込んだ。小森はその改題版「グルジェフの残影」2006/07では、ウスペンスキーの側近として書かれているオフロフは架空の存在だと明かしている。小森 ただ、書き手としては、ミステリを使ってかろうじて読者と通路を持てるかなという気がしています。読み手としては、十代のころにミステリにはまってかなりの冊数を読んだのですが、ある程度読んだら飽きてしまい、大学時代は哲学書ばかりで、ミステリはほとんど読まなくなりました。今回の「グルジェフの残影」でも、大学時代に夢中で読んだウスペンスキーやグルジェフの思想で一気に走ってしまって、ミステリは必ずしも主眼でなくなったところがある。(中略)だから、僕の中にある興味関心の半分くらいはミステリなんですけど、半分くらいは精神世界に関するものですね。「グルジェフの残影」文庫本p415 古書中心ですこしアナクロになっている当ブログだが、このように2006年代に書かれた文章を読むと、ほっとする。 小森 こと「グルジェフの残影」に関してはウスペンスキー、グルジェフへの興味関心が強すぎて、ついそっちのほうへ暴走してしまった(笑)。たとえば他にも大好きな思想家、ニーチェとかコリン・ウィルソンなどをもし小説で扱ったとしたら、それらがミステリーを喰ってしまうだろうという気はします。そういうテーマさえ避けられれば(笑)、こだわりを持ってミステリを書けると思う。 同上p417 このへんに、当ブログが小説を読みこまない理由と連なる部分がある。「仕掛け」を追っかけて小説を読みつづけるよりも、人生の神秘をみつめて、自らの生を生きることのほうが、はるかに面白い。 さて、「奇蹟を求めて」だが、この一冊を持ってして、ウスペンスキーもグルジェフも終わりにしてもよいくらいだ。3の法則、7の法則、エニアグラムの「ショック」、スクール、ワーク、エクササイズなど、グルジェフの思想の紹介もふんだんだ。 「現代心理学についてどう思いますか」と、私は一度、最初に耳にしたときからどうも信用できなかった心理分析という問題を持ち出すつもりで、Gに聞いてみた。しかし、Gはそこまで私をいかせてくれなかった。G---心理学について話す前に、それは誰を扱うのか、また誰を扱わないのかをはっきりっさせておかなければならない。 ”心理学”は人々、つまり人間、人類を扱っている。機械を扱う”心理学”(彼はこの語に力を入れた)はあるのだろうか? 機械の研究には、心理学ではなくて力学が必要なのだ。だからこそ、我々は力学から始めるのだ。心理学までは、まだまだ先が遠い。 p41 ウスペンスキーの「人間に可能な進化の心理学」は、示唆に富んでいるが、全面的に賛成することはできない。 「超宇宙論」において、日本語翻訳者は、心理学を「魂理学」と「意訳」して、一部批判を浴びているが、私は受容的だ。しかし、単語もアルゴリズムも、あまり凝りすぎないでいただきたい。 人間は一人では何一つすることができないのだ。 人間はなによりもまず助けを必要としている。しかし、助けは一人の人間にだけやってくることはありえない。助けを与えることのできる人たちは自分の時間を非常に大切にする。だから当然、目覚めたい人を助けるのなら、一人よりは2,30人の方が都合がいいわけだ。p344 この辺は、当然ながらJ・クリシュナムルティのアルファべットとは大きく違ってくる。Oshoのアルファベットに云い直せば、瞑想と愛がふたつの翼だとして、クリシュナムルティは大きく瞑想を強調し、グルジェフ+ウスペンスキーは愛を強調していた、ということだろう。 私はGの示した特徴の芸術的仕上げに驚嘆した。それは心理学でさえなかった。まさに芸術であった。G---それに、心理学は芸術であるべきだ。心理学はとても単なる科学などで終わることはできない。 p417 トランスパーソナルな流れも、この点には気づいている。もし、心理学が、科学の域を脱して、芸術の域に到達しても、まだブッダたちの心理学は完成したことにはならない。既知、未知、不可知の三つ、つまり、不可知の部分を取り入れることができなければ、ブッタたちの心理学とは呼べない。 誰かが少しでも宗教に関連したことを質問すると、Gはきまって、宗教の問題に対する我々の通常の態度には、確かに何かまちがったところがあると強調することから始めるのだった。G---まず第一に、宗教は相対的な概念だ。それは人間の存在(ビーイング)のレベルに相応している。だから、ある人の宗教は他の人には全く適さないかもしれず、言いかえれば、ある存在(ビーイング)のレベルにいる人間の宗教は他の存在(ビーイング)レベルにいる人間には適さないのだ。p461 当ブログのサブタイトルを「New Man : One Earth One Humanity」から変えようとは思わない。それぞれの人間のいまあるところから、問題を解決するための”心理学”であるならば、それぞれ症状に合わせて療法や薬剤が調合される必要がある。しかし、症状に合わせるのではなく、人間のありようのもっとも基準となるものが見えてくるなら、地球上のすべての問題は、「ひとつの人間性」において解決し得る。 当ブログが、チベット密教であれ、トランスパーソナル理論であれ、あるいはグルジェフワークであれ、それぞれの仔細なアルファベットにはこだわりをもたないことにしているのは、その辺に理由がある。 Gの行動や方法が間違っていたとか、それが期待に応えてなかったとか言っているのでは全くない。私自身がそのエソテリックな性格を認めているワークの指導者に関してそんなことを言うのはおかしいし、全く的はずれでもある。p572 と、ここではウスペンスキーはジェントルマンを演じているが、死後発行された「人間に可能な進化の心理学」では、もっと率直な意見が吐露されている。グルジェフ+ウスペンスキーの大いなる実験、大いなるワーク、大いなるエクササイズは、未完のままその輪を閉じた、と言える。不可知部分を扱わざるを得ないスクールは、いまだ未完のまま存在し続けている。スクールはそのように存在せざるを得ないことは最初から運命づけられているのである。 彼(グルジェフ)の主著「全体とすべて」は、しかしながら非常に難解である。その第一シリーズ「ベルゼバブの孫への話」は、量的に膨大だけでなく、凝った寓話の形をとり、そおの英語はかなり難解で、おまけに彼の造語が頻出する。p602 グルジェフのアルファベットのひとつクンダバッファーは、別なところでグルジェフはきちんとクンダリーニという言葉を使っているのだから、完全な造語と言える。言葉だけでなく、その意味、その働き、そのコンセプトも、グルジェフのアナロジーで組み直されているが、当ブログは、あまり仔細な部分には拘泥しない予定である。 第二シリーズは「注目すべき人々との出会い」で、普通グルジェフの自伝と考えられている。しかしまた多くの者が指摘している通り、これを純粋な自伝とみなす必要はなく、むしろ彼はこれをもって真理探究者のたどる道の一例を示そうとしたのではあるまいか。 p602 江本嘉伸「西蔵漂泊」には、ダライ・ラマ13世の信を得て側近になったとされるガワン・ロサン・ドルジェ、なる人物の全身像の写真が掲載されている。経緯からして、この記事の信ぴょう性は低くはないが、この写真を史実として確実視することはできない。この写真をみるかぎり、このドルジェ、あるいはドルジェフと、G・I・グルジェフの伝えられている写真とを比較すると、同一人物のものとは認めがたい。 Oshoのアルファベットに従えば、グルジェフは「何年間もチベットにいた」し、「チベットどころか、何年間もラサの宮殿に住んでいた」という。グルジェフは多重人格者的なところがあり、また変装の達人でもあったという。この写真がグルジェフでは「ない」と断定することは、まだまだ早計だ。 第三シリーズは「生は<私が存在する>ときにのみ真実である」で、長いプロローグとイントロダクション、ニューヨークのオレージのグループのメンバーになされた5つの講話、そして「人間の内的世界と外的世界」から成る。文章は第一シリーズにもまして極度に難解になる。この中で彼は、それまでのワークの経緯を詳しく述べ、それが成功しなかった理由を述べつつ新しいワークの方向を模索している。p603 この「奇蹟を求めて」が発行された1980年初頭にはこのグルジェフ三部作は日本語訳がなかったが、その後すでにすべて翻訳されている。<2>につづく
2008.12.21
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「自我の終焉」絶対自由への道 <1>ジッドゥ・クリシュナームーティ /根木宏 1980/08 篠崎書林 単行本 446p Vol.2 No.484 ★★★★★ さて、クリシュナムルティ読み込みの重い腰を上げなければならない。なにはともあれ、クリシュナムルティ関連本の読書リストを作っておいた。そのうち7~8割は在庫があるので、なんとか読むことはできそうだ。 Oshoは「私の愛した本」の中では、この「自我の終焉」と「大師の御足のもとに」、そして「生と覚醒のコンタリー」シリーズに触れている。「大師の御足のもとに」については、クリシュムルティ本人が書いたものではないとしていて、ススナガ・ウェーラペルマ「気づきの探究」 の中でも大きなテーマのひとつになっている。誰が書いたものであろうと、当ブログにおいて細かく判断することは、その当の本を手に取るまでは保留としておこう。ただ、この本、現在リクエスト中ではあるが、今のところ、図書館ルートではなかなか読めそうにない。 クリシュナムルティが日本で一般的に知られるようになったのは、この本が1980年に出版された頃からであろうか。それ以前は、今東光の「最後の極道辻説法」のなかに”クリシナ・ウォルテ”という名前で登場してきたのが目立つくらいだ。もっとも、Oshoの本を読んでいた人々は、Oshoの本を通じて、クリシュナムルティのことを知った人も多いはずだ。むしろOshoが日本社会に紹介したのをきっかけに、クリシュナムルティ本の翻訳が一挙に始まったということもできるだろう。時間経過的にはそれははっきり言える。 この経緯はほとんど同時にスタートしたグルジェフ+ウスペンスキー本の紹介の始まり方と、同じプロセスを経ているように見える。少なくとも、75年頃からのOshoサイドから見ていれば、そう見えたのだった。 これは彼が光明を得た後の最初の本だった・・・・・そして最後の本でもある。ほかにもたくさんの本を著したが、それらは同じことの貧しい繰り返しにすぎない。彼は「最初にして最後の自由」以上のものは、ひとつも生みだすことができなかった。Osho「私が愛した本」p35 OshoはOshoのアルファベットで物事を語るので、割り引いて聞かなければならないことも多々あるが、ここでは「彼が光明を得た後の・・・」というくだりである。クリシュナムルティが光明を得たとされるの何時だったのだろう。 クリシュナムーティが長年にわたって探究していた「真理」、あるいは「真の実在(リアリティ)」を実際に発見したのは1927年ではないかと思われます。31歳になった頃か、32歳頃になった頃と思われます。というのは1927年6月30日に、神智協会の総会の演説の中で彼は次のように言っているからです。 「真理はまるで夜盗のように、ほとんど予期もしていないときにやってくるものです・・・・いかなる人間もあなたに自由を与えることはできません。あなたはあなた自身の中に自由を発見しなければならないのです。しかし私はそれを見い出したので、その道を皆さんに示したいのです・・・・その焔の中に入り、焔と一体になることは誰にもできることなのです・・・・そのときあなたは自由です。たいていの人たちは個人というもの、つまり「私」という意識にしがみついています。これこそ業(ごう)を生み出すものなのです。」 根本宏「あとがき」439 あるいはまた、一つの質問についてこう答えている場面もある。 質問 あなたは「真の実在」を悟られました。そこで「神」とはどのようなものか話していただけないでしょうか。 クリシュナムルティ 私が「真の実在」を悟ったということを、あなたはどうして知っているのでしょうか。私が悟ったということを知るためには、あなたも悟っていなければなりません。これは単なる懸命な解答ではすまないのです。何かを知るためには、あなたもそれにならなければなりません。あなた自身もその経験を持たなければなりません。従って、私が「真の実在」を悟ったというあなたの言葉は、当然何の意味もないのです。私が悟ったかどうかということは問題ではありません。私の”言っていること”が真実なのではないでしょうか。たとえば私がもっとも完璧な人間であったとしても、もし私の言っていることが真実でなければ、どうしてあなたは私に耳を傾けたりするでしょうか。明らかに私の悟りは、私の言っていることとは何の関係もありません。また、他人が悟ったという理由からその人を崇拝する人は、実際は権威を崇拝しているのです。それゆえ、その人は決して真理を発見することができません。悟ったことを理解したり、悟った人を知るのは少しも重要なことではないのです。p389 クリシュナムルティの言葉は平素な単語を用い、単層でシンプルなアルゴリズムで組み立てられているが、やはりクリシュナムルティのアルファベットが使われているので、よく噛みしめることが必要だ。 ウスペンスキーなどは、ひとが真実に至るには、「スクール」が絶対に必要だ、と何度もなんども強調している。ウスペンスキーのアルファベットはグルジェフのそれと同一ではないが、その影響化にあると見ていいだろう。ここでは光明を得たマスターが絶対に必要であり、その元にあるスクールのワークに参加して、努力することが絶対に必要だ、と何度も何度も強調している。<2>につづく
2008.12.20
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「Bhagwan」 The God That Failed Hugh Milne 1986 Publisher: St Martins Pr; 1 edition Language: English 322 pages Vol.2 No.483 ☆☆☆☆☆ 玉川リストにこの本の翻訳本もリストアップされているかぎり、なんらかのかたちでこの本にも触れておくことも誠実な対応と言えるだろう。ましてや著者は、私自身がOshoからイニシエーションを受ける場に立ち会っている。もっともガードマンとしてだが、あの写真にも足だけ写っている。同じ場の別な写真にはバッチり顔も写り込んでいる。他人とは思えない。 ガードマンとしてだろうと、カメラマンとしてだろうと、通訳としてだろうと、固定した役割としてその場に参加しているわけではないので、ガードマンであったということだけで、発言権なしとはできない。目撃者は目撃者であることには変わりない。しかし、その目撃の質は、個人として体感したものと、文章化され、出版され、ましてや翻訳される、という過程のなかで、よくも悪くも大きく変化してしまっているようだ。 それはこの本に限らないだろう。それは知識というものの本質的な欠陥だし、他の本すべてにおいて、このような点を十分留意して読みこんでいく必要がある。この本のできる過程に立ち会っているからこそ、この本の陥穽を知ることができるのだが、何も知らない人たちは、ここに表現されていることを、そのまま誤解してしまうこともあるだろうと、ちょっと残念な思いになる。 この本の翻訳本は、書店においても図書館においても、古書店においても、かなり出回っている。それはそれでいいだろう。甘いだけでなくて、甘さをひきたてるために塩も隠し味としてひとつまみ加えてみることも必要だ。エピソードとして一冊が加わっている程度に考えておけばいいだろう。 ただ、英文の原書と翻訳本を比べてみるだけでも、その出版に関わる人々のマインドというものが見えてくるから面白い。英文にはないサブタイトルがついているし、原書に入っていない写真が、なぜか日本語版ではトップにわざわざ入れられている。その他、翻訳の段階でも改ざんされているところが多々ある。この本を出したことを持って、私の中では、この日本語版出版社のイメージが極端に下落した。 私は翻訳本がでるまえに、類書とともに、この本の原書も蔵書していた。私は性癖として、どうしてもこのような批判本をきちんと読んでおきたい、と思う方なので、ある意味、この本はありがたかった。一般の日本社会には知られず、自分だけちょっぴりネタ本として持っている分には、多いに価値があった。でも、現在のように、この一冊だけ突出した形ででていると、逆の意味で独占となって、公平性に問題がでてくる。他にもたくさん批判本があるのだから、そちらも複数読まれれば、ステレオ効果で、お互いの間違いが相互チェックできるだろうに。残念なことではある。
2008.12.20
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「私は何も信じない」新装版 クリシュナムルティ対談集ジッドゥ・クリシュナムルティ /大野純一 2000/08 コスモス・ライブラリー /星雲社 単行本 258p Vol.2 No.482 ★★★☆☆ 78年の初夏頃、クリシュナムルティはボンベイで講演をして、その時、自分もプーナにいたので、この高名な講演者を一目見るいいチャンスだったかも知れない。周りの知人たちも何人か連れだっていったようだったが、私はいかなかった。今になっても、あの時、行かなかったことを惜しかったな、と思ったことはない。これはしかたないことなのだろう。この人に対して最も接近したのはこの時が最後で、あとはそれ以上、物理的にも感性的にも、あるいは他の意味においても近くに感じたことはない。 クリシュナムルティのすべての本がこうでもないのだろうが、この本は、対談集になっているので、言葉が細切れで、イメージが散漫で皮相なものになっているように思う。なんだか最初から冷やかにこの本を見てしまったのは、最初に「あとがき」を読んでしまったからかもしれない。 当時、訳者の家の近くにカリフォルニア帰りの吉副伸逸さんが仲間と一軒家を借りて暮らしており、主にトランスパーソナル心理学関係の翻訳紹介に精力的に携わっていました。古い家でしたが、なかの雰囲気は実に開放的で、カリフォルニアの新しい息吹がじかに感じられるものでした。そこにバグワン・シュリ・ラジニーシのアシュラムから戻った彼の弟子たちが出入りし、そのためラジニーシとクリシュナムルティがなにかと対比的に話題にされ、とくに「グル」、「グルイズム」や、人間の「変容」における薬物使用の問題など、昨年のオウム真理教事件以来にわかにわが国のマスコミを賑わすことになった問題が熱心に話し合われたものです。p240 これは1986年当時のことと推測するが、少なくともYを「カリフォルニア帰り」などと紹介するのはあまりにも陳腐過ぎるのではないだろうか。Yはすでにその10年前に帰国しているのであり、その後、何度か訪米はしていただろうが、ちょっと紋切型過ぎると思う。さらにそれに連なる形で、このような話題の展開をしていることが、この本のあとがきという意味ではあまりに唐突すぎて違和感をつよく感じる。 このGイズムとやらも、しょせんYたちが一生懸命流した傍線のお話であって、ためにする論議しかなかったと、私は最初から最後まで見てきた。グルにつきたくなければグルにつかなければいいのであり、そのことで他人を批判しているのは、おかしい。麻原集団=Gイズムみたいな構図を一生懸命つくっているようだが、この辺の風土全体が、Yあたりを中心とした妄想でしかない。 グルにつくというのは、曰く言い難しと言うのが本当で、つくとかつかない、とかいう問題ではない。つこうと思ってもつけない人はつけないのであり、つきたくないと思っても、つくことになっている人はつくのである。この議論は、ものごとをよく知らないひとが議論のレッスンとする好材料ではあるが、何も理解せずにただ、議論しているだけなのである。 私も78年の暮に帰国した時に、Aに連れられてYのところに行って、ひどい目にあった。当時は一軒家ではなく、ビルかマンションの広めのところだったと思うが、あのような形で、他人の精神性を好奇心でもって、集団で眺めるものではない。たしかにあの日の新聞には人民寺院のニュースが踊っていたが、それとこれとはまったく違う。このGイズムの議論を私なりにその後ずっと手元のおいて30年も考えてきたが、Y達の中傷は、結局は、最後の最後まで中傷でしかなかった。すくなくとも私にとってはその結論で、間違いない。 と、まぁ、そんなわけでクリシュナムルティには悪いが、彼の言葉を吟味するチャンスはこれからたっぷりあるので、後回しにする。今回は、「あとがき」論義になってしまった。本書のタイトルも「私は何も信じない」だ。こちらもちょっとつっけんどんなメモを残しておこう。
2008.12.19
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「人間に可能な進化の心理学」 <1>P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162ページ Vol.2 No.481 ★★★★★ それは小さな本だ。その本の名前は「人間の未来の心理学」(邦題「人間に可能な進化の心理学」という。ウスペンスキーはその遺書に、自分が死んでからそれを出版するようにと書き遺していた。私はこの男が好きではない。だが私は、しぶしぶだが、ウスペンスキーはこの本の中で、ほとんど私と私のサニヤシンたちを予言していたと言わなければならない。彼は未来の心理学を予言していた。そしてそれこそは、私がここでやっていることだ・・・・未来の人間、新しい人間(ニュー・マン)だ。この小さな本は、サニヤシンすべてにとっての必須の研究対象にならなければならない。OSHO 「私が愛した本」p149 小さな本である。でも、Oshoが上のように「ウスペンスキーはこの本の中で、ほとんど私と私のサニヤシンたちを予言していた」とまで言う限り、無視はできない。「彼は未来の心理学を予言していた」と絶賛し、「それこそは、私がここでやっていることだ」とまで引き寄せている。「未来の人間、新しい人間(ニュー・マン)」を、OshoはOshoの別の言葉で話すが、「サニヤシンすべてにとっての必須の研究対象にならなければならない」とまで宿題を残していってくれた。 グルジェフにはグルジェフのアルファベットがあり、ウスペンスキーにはウスペンスキーのアルファベットがある。OshoにはOshoのアルファベットがあるのだが、ここで、これらの言語体系が限りなく同心円化しようとしている。 ウスペンスキーはこの本を自らの死後に発行するようにとの遺言を残したという。なぜだろうか。 日本語版には、巻末に「1937年9月23日木曜日の講座」がついている。私はたまたまこの本の英文本「The Psychology of Man's Possible Evolution」1978年発行を持っているが、この部分は掲載されていない。1972年発行の本にはこのレクチャーが入っているようだ。 小森健太朗は、ウスペンスキーがグルジェフの元を離れたのは、当時のロシア革命の画策に関するなにごとかによるという説を出しているが、この1937/9/23のレクチャーを読めば、かなり率直にウスペンスキーはその理由を述べている。かなりマトモというか、「誠実」なウスペンスキーらしい弁解である。グルジェフとの大きな違いがここではっきりする。 なにはともあれ、グルジェフとウスペンスキーの関連本リストを作っておく。「グルジェフ・弟子たちに語る」 G.I.グルジェフ「ベルゼバブの孫への話」 G.I.グルジェフ「注目すべき人々との出会い」 G.I.グルジェフ「生は『私が存在し』て初めて真実となる」 G.I.グルジェフ「超宇宙論」 P・D・ウスペンスキー「奇蹟を求めて」 グルジェフの神秘宇宙論 P・D・ウスペンスキー「人間に可能な進化の心理学」 P・D・ウスペンスキー「ターシャム・オルガヌム」 第三の思考規範第三の思考規範 P・D・ウスペンスキー「新しい宇宙像」(上巻) P・D・ウスペンスキー「新しい宇宙像」(下巻) P・D・ウスペンスキー「グルジェフ・ワーク---生涯と思想」 キャサリン・リョルダン・スピース「魁偉の残像」 グルジェフと暮らした少年時代 フリッツ・ピータース「グルジェフと共に」 トーマス・ド・ハートマン他「エニアグラム進化論」 グルジエフを超えて 前田 樹子「覚醒への戦い」 コリン・ウィルソン「二十世紀の神秘家ウスペンスキー」 コリン・ウィルソン「グルジェフとクリシュナムルティ」 エソテリック心理学入門 ハリー・ベンジャミン「覚醒のメカニズム」 グルジェフの教えの心理学的解明 チャールズ・T.タート「覚醒の舞踏」 グルジェフ・ムーヴメンツ : 創造と進化の図絵 郷尚文「グルジェフ伝」 神話の解剖 ジェイムズ ムア「回想のグルジェフ」 ある弟子の手記 C.S.ノット「グルジェフから40年」 ワーク実践のためのガイド ジョン・フックス「グルジェフを求めて」 「第四の道」をめぐる狂騒 W・P・パターソン「Gの残影」 小森 健太郎「グルジェフ・ワークの実際」セリム・エセル <2>につづく
2008.12.19
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<1>よりつづく「21世紀への指導原理OSHO」 <2>スワミ・パリトーショ 1994/08 壮神社 単行本 465p ★★★★★ OSHOとは何か---来るべき世紀の胎動 かすかなるOSHOの胎動 今この地球を、内側と外側から、何やらかすかな雰囲気のように、OSHOというものが取り巻いているという。 それを地平線の彼方に輝く導きの星のように言う者もいれば、何やら不気味な終末の予告のように噂する者もある。 それは徐々に、地表のいたるところでその姿を現し始めているらしい。 ひとたびこれに触れれば、骨をも溶かされ二度と立ち上がれなくなる、と声を潜めて言うものもあれば、これに触れた瞬間、まるでそれが「生きる意味」そのものの発見ででもあったかのように、恍惚として全身をゆるめる者もあるという。 夜間に発信する宇宙の救助艇のように、最も意識的な人々の手によって地球上のいたる所で、そのOSHOなるものが音もなく離陸し始めているという。 それが何であるにせよ、このOSHOなるものの出現によって人類が二分されることだけは確かだ、と確信する者もあるという。 OSHOとは何か。 何がこれほど人々を歓喜せしめ、何がこれほど人々を恐怖せしめるのか 存在する唯一の問題 今この地球を覆っている問題は山ほどある。それぞれに複雑な問題を抱え、それぞれ複雑に絡みあっている。 けれどもこのOSHOなるものは言う。 問題は単純だ。たったひとつの問題しかない。しかもそれは、実在する問題ですらない。あるのはたったひとつの虚構の問題だけだ、と。 しかしそれは、必ずしもその問題の解決が容易だということではないようだ。 それもそのはず、実在する問題なら解決可能だが、実在しない問題を解決することはできないからだ。 ではその解決は不可能なのか。 ここで、このOSHOなるもの言うことは面白い。 いや、解決の道はある。虚構の問題は、それが虚構の問題であることに気づくことによって自然に消滅する、と。 もしそうなら問題は簡単ではないが、その虚構の問題とやらに気づきさえすればいいわけではないか、と畳み掛けると、そのOSHOなるものは言う。 いや、それが本当の問題だと気づくのは、そう簡単ではない。それは全身全霊のエネルギーの投入を要求する。中途半端なエネルギーの投入では足りない、と。 そんな面倒なことをいうなら、そんな虚構の問題なんか放っておいて、現実の問題を解決した方がいい、と言うと、そのOSHOなるものはこう言う。 そのいわゆる現実の問題は、その虚構の問題の投影に過ぎない。だからそれは樹の枝を払うようなものだ。一時しのぎにはなっても、問題の解決にはけっしてならない、と。 絶対にならないのか、と問うと、他に道はない、と言う。 まるで、そのOSHOなるものは、くっくっくっ、と笑ってでもいるかのようだ。 では、今地球上で起こっているさまざまな問題解決の努力は何の役にも立たないのか、と問いつめると、そのOSHOなるものは言う。 大いに役に立ちうるはずだ。だが今現在は、問題そのものの所在を見ようとしないのだから、随分とエネルギーを無駄にしている。無駄にするどころか、解決に役立つはずのその同じエネルギーを、問題を作る方に回している場合が多い。そもそも問題などというものが現れたのは、そのためなのだから。実はこの世界は解決すべき問題などではなく、生きるべき神秘なのだから、と。 来るべき世紀の指導原理 「来るべき世紀の指導原理」として台頭して来るこのOSHOなるものを紹介するにあたって、実はそのOSHOなるものが実際のところいかなる範疇に属するものなのかを、今ここではっきりと限定して伝えることができない。 その理由は、ひとつには、筆者自身がそれが何なのかをはっきり知っているわけではないからだ。 つまり、このOSHOなるものそのものが今もひとつの神秘だからだ。 けれどもまた、このOSHOなるものが何なのかを筆者がまったく知らないというわけでもない。それはどんなことを問うてもはっきりとした方向を示し、いささかも遅滞するこはない。 では、それがいかなる範疇に属するものであるかを、どうして今ここですぐに明示できないのか。それは筆者がこのOSHOなるものを、是非とも今ここで、あなたに紹介したいと思っているためだ。 どうか、筆者が無用の言辞を弄していると思わないでいただきたい。実は筆者は、このOSHOなるものをあなたに紹介しようとすることで、痛烈なジレンマに陥っている。辛いことに、そしてまたありがたくも喜ばしいことに、このOSHOなるものは実はあまりに本物なのである。もしこれがほどほどの本物なら、筆者も紹介にこれほど困りはしない。ところが本当の本物となると、こんな物を紹介するのは今までの地球では実はルール違反のようなものなのだ。 ほどほどの本物にはそれなりのタフネスがある。だが本当の本物となると、これには自らを防御することのない真実そのものの素朴な強さしかない。 たかだか十年、二十年を視野に収めるほどほどの指導原理なら、非常にもっともらしく自らを証することができるし、五十年、百年を視野に収めた指導原理となると、偉大な芸術作品の威厳を備えることができる。ところが数世紀を見通す指導原理となると・・・・、これはもう赤ん坊の強さ、薔薇の花のような素朴な強さをしか持つことはできない。 筆者の陥っているジレンマがご了解いただけるだろうか。 つまり、筆者はこのOSHOなるものをあなたにご紹介したいのに、それがあなたの手に渡る前に変質してしまうことを恐れているわけだ。 それはつまり、それをあなたにお渡しすることができなかったということなのだから・・・・。 そこで筆者は一計を案じた。 この神秘の薔薇であるOSHOなるものを、それが可能な限りあなたの手近かで---できることならあなたの身の内で---弾けることができるように、少々タフな包装紙で包装してお届けすることにしよう、と(包装紙に偽りが含まれていたとしても、中身が本物であれば、本当に傷つく人はいないはずだ!)。 そこで筆者はこのOSHOなるものを、あたかもひとつの原理であるかのような姿で提示することで、紹介を始めることにしようと思った。このOSHOなるものをひとつの原理のように見た場合、少しはそれを自分なりの輪郭を持って捕らえることができるかどうか試してみたいのだ。 そうすることによってこのOSHOなるものを矮小化することになるのは承知の上だ。けれども、このOSHOなるものを「原理」として紹介することによって、それを歪曲することだけは可能な限り避けたいと望んでいる。 このOSHOなるものが「原理」というような固定的なものでないことは、充分に承知しているのだから・・・・。 p3「序にかえて」<3>に続く
2008.12.19
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<4>よりつづく「エスリンとアメリカの覚醒」 <5> 人間の可能性への挑戦ウォルター・トルーエット・アンダーソン /伊東博 1998/09 誠信書房 単行本 336p アラン・ワッツその2 私は説教師でもないし宗教改革者でもない(とワッツは1960年に書いている)。というのは、私は浴槽で歌を歌ったり、海で水しぶきをあげるのと同じように物事を見る、そういう見方について話したり書いたりするのが好きなのだ。布教しているわけでもないし、改宗させようという意図もないが、ただこうした意識状態が普遍的になれば世界を動かす真面目な仕事と見なされるだろうというのぼせあがったナンセンスは、笑い飛ばしてしまう。私たちが理解しなければならないことは、そのためにお互いに殺し合ったり縛り合ったりしている高い理想なるものが、自然の驚異という意味ばかりではなく単なる実存という神秘的な事実においても空虚で抽象的なものであり、私たちを取り巻いている奇跡の代用品にすぎないということなのだ。こうした覚醒が人間からエネルギーや社会的関心を奪ってしまうなどとは一度だって考えたことはない。それどころかその喜びの半分でも、他人と分かち合わなければならない。そして精神も物質も分離できないものだから、そのことは洞察するばかりではなく、人生と物質を分かち合うということである。しかしそんなことが可能かどうかは、一にかかって人間を、それが可能な人間に変容することができるというビジョンがあるかどうかにかかっている。熱心に勧告したり、罪悪感に訴えたりしてできることではない。それはどんなにしつこくやっても、創造的なものにはならない。p53 彼は説教師として世に出ようとしたのではないが、どんな説教しも羨むような話術の才能をもっていた。歯切れよく、流暢な話し方をし、メモの準備もなしに完璧に構成された文章で、何時間でも話し続けることができた。声もすばらしく、自分でもそれを知っていてうまく利用した。自分の選んだ仕事、哲学のエンタテイメントにおいてすぐれた才能があり、洗練されたプロというべきひとであった。1958年にチューリッヒのカール・ユングを訪れユング研究所で講演をした。そこで彼は、ユングが形式的な講演はやらないで、週末ほどの期間継続するセミナーをやっていることに強い印象を受けた。こうしたセミナーでは、インストラクターと受講者が両方とも勉強し、質問と討論の時間もたっぷりあった。カリフォルニアに帰ってワッツは(もう「アジア研究所」はやめていた)、このモデルに基づいて自分のセミナーをやり始めた。p54 ワッツはビッグサーのあたりにも多くの友人をもっていた。そこはサンフランシスコへの道を初めてドライヴしたときから気に入ったところだったし、また何度もそこでセミナーを開いていた。前例はすでにあったのだ。ワッツがスレート温泉で初めてセミナーを開いたとき、古い石の暖炉の前に座り、ときにはビールを飲みながら、25人ほどの人と「こうしたもの」について話していたとき、それは決して未知への飛躍ではなくて、ずっと以前からビックサーで行われていたことの続きにすぎなかったのである。p54 悟りという禅の概念が論じられ、アラン・ワッツの即席の精神の目覚めが説かれ、マズローの至高体験が探究され、あるいはウィンクラーがその著書の最後に書いたような内面の開拓に向けての呼びかけがなされるならば、それを聞いた人は、それは結構だ、それではそういう状態にさせてくれと言うにきまっているのだ。おそかれ早かれ誰かが非理性的なことを始めるのは必至だった。p65 説得調のスタンフォード大学ウィリス・ハーマン教授は、1962年10月のワークショップで、人間精神の次元は現代心理学が考えているよりもはるかに偉大なものだと叫んだ。アラン・ワッツは、純粋な宗教体験のまわりには基本的に破壊的なものがまつわりついていると、常に警告していた。p65 こうした宗教的体験のなかにはこんな意味も含まれている。(アラン・ワッツは述べる)私たちが世界というものを正常に知覚し評価するならば、それは主観的なものだが一つの集団悪夢なのだ。実際の現実についてのごく普通の感覚---たとえば月曜日の朝起きたときに見る世界の感覚---は、社会化された条件づけと抑圧の一つの構造なのだ。つまりそれは選択された不注意の体系なのであり、それによって私たちは、現代文明生活のゲームとリールと一致しないような、自然のなかの諸局面・諸関係を除外してしまうように教えこまれているのだ。p66 もしサイケデリックの代弁者としてティモシー・リアリーのライバルがいたとしたら(ハクスリー自身は除いて)アラン・ワッツであった。ワッツはさまざまな薬物についての自分の経験を、1962年に出版した「楽しい宇宙論」という本に書いた。ワッツの述べ方はむしろ控え目だった。薬物による啓示の結果としてすぐにも文化革命が起こるといった予言もしなかったし、(リアリーのように)化学薬品によって悟りが得られるとも述べなかった。彼はただサイケデリックスは他の滴当な構造のなかで用いられるならば---、ほんとうの意識変革をもたらすだろうと示唆しているだけである。ワッツとリアリーは親友であり、お互いに仲間だと思っていたが、その個人的スタイルは違っていた。リアリーは人びとの気持ちを扇動するのが好きだったが、ワッツは学問的な(きわめて知的な)やり方で物事を議論するのが好きだった。p71 エスリンのもう二つの要素、ゲシュタルト療法とボディワークは1963年にビッグサーに漂着した。(中略)何人かの参加者は、ゲシュタルト療法についてオルダス・ハクスレーやアラン・ワッツから聞いていた。東洋宗教における気づきに近いと気いていたが、それを実際に経験した人は少なかった。ハクスリーやワッツでさえも経験してはいなかった。p81 マーフィーはエスリンの顧問団にサンフランシスコ支部について相談した。みんなその実現をすすめてくれた。(中略)(パイクは)エスリンでアラン・ワッツやジェームズ・ブーゲンタールと一緒にセミナーをやったこともある。(中略)アラン・ワッツとはとくに仲が良かったが、その高遠な神学を尊敬していた。p147 その夜アブラハム・マズローが、第一ユニタリアン教会で「人間性の限界の拡大」と題する講演をした。次の日の夜はアラン・ワッツが「超教派的聖餐」と自称するミサをやった。それは華麗なもので、地味なグレース寺院でやらなかったのは当然で、鳴りもの入りの宗教的バカ騒ぎといった夜だった。(中略)そしてワッツは「世界によろこびを」という説教をした。p148 1960年代末のエスリンは、(中略)エスリンの、起こるままにまかせるという方式の結果、多様なものが一度に進行するという結果になった。(中略)アイダ・ロルフもときどき宿泊したし、アラン・ワッツも常連の一人であった。p165 それは1968年夏期のエスリンの主要行事になった。参加者には、ジョー・アダムス、アラン・ワッツ、ユング派の分析家ジョン・ペリーなどのアメリカの最高の権威者たちのほか、LSDの心理療法ではヨーロッパで指導的な地位を占めているスタニフラフ・グロフなどがいた。p213 週末全期で一人あたり75ドルだったが、千人を超す人がこの運動の大物、アラン・ワッツ、バーニー・ガンサー、ウィル・シュッツ、アイダ・ロルフほか十数名、を見ようとホテルに押し寄せ、セスリンがどんなことをやっているのかを見て、聞いて、感じようとした。p215 彼らはウェスト・エンドのホテルで終日セッションを開いた。それはニューヨーク公演の縮小版だった。ともかくエスリンの知的な部分よりも体験的なものを中心とした。ワッツは黒い禅僧の着物を着て、鐘を鳴らしお経を読み、シュッツは人びとを飛び上がらせたり叫ばせたり、床に寝かせあり腕ずもうをさせたりした。p216 デール・カーネギーは、エストのなかでは最高の人物であり、アラン・ワッツ、フリッツ・パールズ、エイブ・マズロー、そしえサイエントロジーの創設者ロン・ハバートなどもそこに一緒に並べられていた。p249 彼は(エアハルト)はゲシュタルト療法の本も読み何度かエスリンにも行き、フリッツに会い、シュッツのエンカウンター・ワークショップもやり、ジュリアン・シルバーマンのゲシュタルト・ワークショップもやっていた。アラン・ワッツの本も読み、サウサリートの住宅船でのワッツのセミナーにも通った。p250 1973年の11月にエスリンはもう一人の長老を失った。アラン・ワッツだ。彼はエスリンがエスリンである前に、ビッグサー温泉のまだに最初のセミナーをやった人であり、それ以来ずっとそこでの魅力ある人物であった。ビッグサーを愛し、よく姿を現し、食堂で歓談し、あるいは浴場で海のほうに向って立ち(深夜によくやっていた)禅宗の老師のような太鼓腹を突き出して、まっ裸でマントラを唱えていた。エスリンの運営やその政策についてはあまり関心を示さなかった。特別な大義名分を主張するわけでもなかったし学派も作らなかった。正規の弟子をとるようなこともしなかった。彼の弟子になりたいなどと言うものがあればビール瓶をその人に投げつけるのだった(その前に瓶が空っぽになているのを確かめてから)。彼のグルジェフ批判は、導師についての彼の態度をよく表している。「ある人がやってきて彼の話を聞いて理解し立ち去っていく。ある人がやってきて彼の話を聞いて理解できずにそこに留まる」と。ワッツはエスリンのグロウス・センター的な、セラピー的な側面にはいつも超然としていた。友人たちはもっとからだを大事にさせようとしたが、とくに飲酒を控えるように注意したが、彼はきかなかった。「アランは、飲んでいてもいなくても、いつもアランらしくしている」とディック・プライスは言っていた。彼はいつも自分らしく振る舞っていたのだが、ある晩、心臓発作で亡くなってしまった。まだ58歳であった。p266<6>に続く
2008.12.19
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「心を元気にする色彩セラピー」 色が気持ちを変えてくれる!末永蒼生 2001/01 PHP研究所 単行本 145p Vol.2 No.480 ★★★★☆ つい最近、横尾(忠則)さんが70歳になったと聞いて、私はひっくり返りそうになるほどびっくりした。いつ逢っても横尾さんは若々しく、おしゃれで、男前だからである。 「画境の本懐」 p34 瀬戸内寂聴の言 とびっくりした瀬戸内はすでに85歳になっていたのだから、お互い大笑いだが、今回あらためて著者が1944年生まれと確認し、私は同じような感慨に陥った。そうかあの末永蒼生でさえ64歳か・・・・。ホントにびっくりする。ひっくりかえる。って、こちらは自分の年をすっかり忘れているのだが・・・。 1960年代末に彼の文を読んだのはまだ高校生のころ。彼だってまだ20代だった。当時少なかったカウンターカルチャーっぽい雑誌のひとつに「黒の手帳」というのがあった。「話の特集」のように、ちょっと小さめな中とじの月刊誌だったが、実に光っていた。 そこで著者が展開していたのが、アサリ式色彩診断。仔細は省くがその後、児童画研究会のスタッフとして私も参加したことがあったし、彼の絵の教室を見学に行ったこともある。自分たちの発行してたミニコミ誌に原稿を寄せてくれたこともあったし、その時の、原稿用紙にきちんと書かれた文字の美しさにうっとりとしたことがある。 私もカウンセリングの場で、絵をかくことによって、クライエントとの対話を進めることがよくある。寡黙な人、幼稚園児、混乱した場合、など、絵を書くことで、たくさんのことが表現されることがあり、それだけでカウンセリングの70%位は終わってしまうこともある。 正木晃もチベット密教を研究する過程で「塗り絵」がセラピー効果があることを発見して、「子どもとお母さんのためのマンダラぬりえ」などを開発しているようだ。チベット密教における色彩の意味についても、多々あるようだが、私はあまり深入りしないようにしている。意味の刷り込みをされてしまうと、かえって不自由になりそうなほうが怖い。まったく無知に色を使えたほうがいいかな、と思うことも多い。 色彩セラピーについては、いろいろは想いがある。「オーラソーマ」などとのつながりの中で、総合的に把握なおされる必要があろう。 今回、久し振りに末永ワールドに遊び、基本的には昔から一貫したベースはなにも変化することなく、しかし、その上に、時代にあわせた形で、新しいニュアンスの色彩セラピーの紹介をしていることを確認した。
2008.12.19
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<11>からつづく「英知の辞典」 <12>OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本 579p 禅 ZEN 禅は言う---禅とは自分がすでにかけている眼鏡を探すようなものだ、と。 ときおり人々が急いでいるときにそれが起こる---列車に乗らなければならない何かで---彼らは自分の眼鏡を探しはじめる。彼らは眼鏡を通して見ている。眼鏡は彼らの鼻の上にかかっている。だが、彼らはあまりにも急いでいるのでそれを忘れている。 禅は言う---仏性はどこか遠くにあるものではない、と。あなたはその真上に坐っている。あなたがそれだ! だからどこかへ行く必要はない。あなたはただ自分が誰であるかにすこし敏感にならなければいけない。それはすでに起こっている! 何ひとつ達成されるべきでものはないし、何ひとつ実践されるべきものはない! ただひとつだけ、あなたは自分が誰であるのかにもう少し敏感にならなければならない。 禅は、それゆえに、言葉では教えない。禅は、そえゆえに、目標を立てては教えない。禅は直接指し示すことによって教える。禅はあなたをじかに叩く。それは状況をつくりだす。それは方便をつくりだす。 ある男が禅師のもとにやって来て、尋ねた。「私はブッダになりたいのです」 すると師は彼を激しく打った。 男は訳がわからなかった。彼は外に出ると古い弟子のひとりに尋ねた。「あの方はどういう方なのですか? 私はごく簡単なことを訪ねたのに、ひどく腹をたてられたのです。私をこっぴどく叩かれました! まだほおがひりひりしています。どうやったらブッダになれるのかと尋ねてはいけないのですか? あの方はひどく無慈悲で乱暴なように見えます!」 弟子は笑った。彼は言った。「あなたはあの方の慈しみがわからないのです。あなたをこっぴどく叩かれたのは、慈しみからです。師は年老いて、もはや90歳です。彼の手のことも考えるがいい! さぁ、帰りなさい!」 だが、男は尋ねた。「でも、そこにはどんな教えがこめられているのですか?」 すると弟子は言った。「教えは単純です。ブッダがやって来て、どうやってブッダになれるのかと尋ねたら、ほかに何ができるでしょう? 相手を叩いて、あなたがそれなのだということを気づかせるしかありません。おまえは何というばかげたことを言っているのか! とね」 バラの繁みがバラの繁みになろうとしはじめたら、それは狂ってしまう。それはすでにバラの繁みだ。あなたは忘れているのかもしれない。禅は、あなたは仮眠状態にあり、自分が誰であるかを忘れているだけだと言う。何ひとつなされるべきことはない、ただ思い出すだけだ。それがナーナクの言うスラティ、カビールの言うスラティだ---ただ思い出すこと。あなたはただ自分が誰であるかを思いだすだけでよい! だから禅は言葉によっても、経典によっても、理論によっても教えず、じかに指し示すことによって、唯一の教えが意識の新しいレベルであるゲームに私たちを携わることによって教える。 OSHOZEN : THE PATH OF PARADOX,Vol.3p359<13>につづく
2008.12.19
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<3>よりつづく「エスリンとアメリカの覚醒」 <4> 人間の可能性への挑戦ウォルター・トルーエット・アンダーソン /伊東博 1998/09 誠信書房 単行本 336p この本の読み込みを虎視眈々と狙ってはいるのだが、なかなかチャンスがやってこない。なぜそうなのか、理由を考えてみると、いろいろあるのだが、結局、あまりにごちゃごちゃに多数の物事が輻輳して進行しており、なにがなにやらわけがわからなくなってしまっている、というのが本当のところだろう。 まず、主人公であるべき二人の創立者についても、特段に関心がなければ、あとは、エサレンという湯治場に現れる出演者たちの中の誰かに注目して、その人の動きを追っかけてみる方法があるだろう。ということで、まずはアラン・ワッツに着目してみた。 この本のなかでは第15章になると、「ラジニーシの動きまわる瞑想(東洋と西洋の統合)」という1章があるのだから、そこから入る方法もあるだろうが、結局は、この本における最終章の部分であり、全体とのかかわりがうすい。むしろ、エサレンの中の濃いキャラクターとなると、アラン・ワッツの姿を追うことが得策のようだ。 だがしかし、この本においてもそうだが、実際に、アラン・ワッツとOshoの接点は、結局なかったものと考えられる。当ブログにおいてのアラン・ワッツについては、「タブーの書」、「心理療法 東と西」、を読みこめた程度で、どうもいまいち納得がいっていない。アラン・ワッツの存在からして、日本語になっている文献がかなり不足しているようである。 このアラン・ワッツについてOshoは「私が愛した本」のなかで2度、3冊の本に触れているだけでなく、この「私が愛した本」全体を、Oshoはアラン・ワッツに捧げると締めている。そして、転生したアラン・ワッツがやってくることを待っているとまで言っている。 思うに、アラン・ワッツにおいては、代表的著作として「心理療法 東と西」があり、また、この本の中ではOshoは「東洋と西洋の統合」という章立てのなかで紹介されているが、エサレンという60年代から70年代にピークを迎えた、新しい人間の可能性を切り開く心理学のための実験場においては、東と西は、結局統合することはなかったのではないか、という印象が残る。 なにはともあれ、部分的にではあるが、「アラン・ワッツ@エサレン」を抜き書きしておく。 プライスはそこに行ってはみたが、驚いたことにまたまた強く心を打たれてしまった。後でまた、スピーゲルバーグが推薦したアラン・ワッツという人の講演も聞きに行った。ワッツは以前は監督協会の牧師だったが、禅仏教の学者になった。ワッツはただ禅を研究するだけではなく、西洋心理学と禅を統合して、新しいものを作っていた。ワッツの講義でプライスは、フレデリック・パールズという名前を初めて聞いた。p35 プライスは「アジア研究所」の講義を取り始めた。そこではアラン・ワッツがスターであった。ワッツは急速に、禅仏教の普及者としてリーダー的な人になっていた。サンフランシスコで彼は、禅または禅のような響きのあるものを、新しい時代精神の一部にしようとする若い芸術家・作家グループの知的な指導者になっていた。1958年の夏に「タイム誌」は、「禅仏教はますます粋なものなってきた」と述べ、アメリカにおける禅学者のリーダーであるとした。2,3カ月後に「ネーション」誌も同じような記事を載せ、彼を「アメリカ禅の仏陀であり、ブレーンだ」と呼んだ。こうした人びとが、いわゆる「ビート世代」として知られるようになった人たちであり、彼らの時代が「ビート・シーン」と呼ばれたのである。 「ビート・シーン」は一部は文学運動なのだが、一部は旅行者の人気商品のようなものでもある。文学面では、ローレンス・ファーリンゲティ、アレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、ゲーリー・スナイダーなどという作家に代表されるが、この人たちはワッツの講義に出てきて、禅のテーマをその作品の中に織り込んだ。p35 「禅ヒッピー」は簡単に謎の解けるロマンである。その主人公のジャフィ・ライダーはゲーリー・スナイダーその人であり、またアレン・ギンズバーグもアルヴァー・ゴールドブックという詩人として現れてくるし、アラン・ワッツはアーサー・ウェーンなのである。p36 1962年の1月にはアラン・ワッツがロッジでセミナーを開いた。それは彼が自分で計画したものであり彼の弟子たちが出席したもので、マーフィーとプライスが計画したものではなかったが、その場所を試運転する機会であり、その部屋のなかに漂うささやかな哲学を明確にする機会にもなった。当時ワッツは40代半ばだったが、哲学者、神学者、作家、講演者として、いささか分類困難ではあるにしても、かなりの名声を得ていた。自分では哲学のエンタテイナーだと自称していた。イギリスでの学生時代から東洋宗教に強い関心をもち、15歳のときに仏教に改宗した。その後間もなく正規の学校教育を中断し父の仕事を手伝っていたが、その間に空いている時間のすべてを、哲学書を読むことと、ロンドンのアングラ宗教の多彩な人物との交わりに当てたのであった。p49 神智学の運動はヨーロッパでもアメリカでも大事なものだった。多数のイギリス貴族を含んで、多くの人に、仏教やヒンズー哲学の偉大な経典を紹介したし、ワッツがロンドンで発見した精神運動の背後にある大きな勢力であった。この時期におけるワッツの師匠はクリスマス・ハンフレーズだった。裁判官であり、イギリスの大物仏教学者でもあった。ハンフレーズはケンブリッジの学生時代から神智学協会の会員であり、のちにロンドン仏教会も創立した。それはワッツの哲学研究の中心になったところだ。ワッツのハンフレーズの指導のもとで、まだ10代のときからまじめな仏教学者として身を立てた。彼の最初の著書「禅の精神」はちょうど20歳のときに出版された。この時期におけるワッツのもうひとりの指導者は、ドミトリユ・モチリノヴィクという神秘的なユーゴスラビア人だった。p50 ワッツが彼の指導のもとで読んだ本のひとつは、バローの「意識の社会的基礎」という本だった。自我は、環境から切り離された個々の自己という意味であり、社会的圧力によって造られ維持される虚構の概念なのだと論じている。ワッツはこの考えに興味をそそられた。それは彼自身の仏教にういての考え方と両立するし、また心理学と東洋哲学との間に結びつきがあるという、当時としてはまだ新奇な考え方とも一致するからだった。ワッツはミトリノヴィクのスタイルが好きだった。ごろつきのような神秘的な人柄も魅力的であったし、ワッツの人生観にもその影響ははっきりと認められた。 ワッツが師匠というよりは同僚として親しくしていたもう一人はフレデリック・スピーゲルバーグだった。ワッツは自叙伝のなかで、スピーゲルバーグは「極端につばの広い帽子をかぶり、ドイツなまの英語を話し、それが権威と豊かな教養という感じを与え、また宗教の最高形式は宗教を超越することだという彼の理論を宣伝していた」ことを想起している。p50 ワッツはロンドン時代にクリシュナムルティに会った。彼は精神生活について偶像を破壊するような思想をもったインドのすぐれた導師だった。p51 ワッツはクリシュナムルティに強く賛同した。ワッツは彼の、いかなる組織ともいかなる伝統的思想とも結託することなく自由に放浪する導師としての生活を送る、という立場とその決意を尊敬したのである。 ワッツはアメリカ人女性と結婚しており、1939年にアメリカに移住した。しばらくニューヨークに滞在し、本を書いたり講演をしたりしていたが、やがて安定した職業を探すことにし、僧職につくという考えにたどり着いた。結局、神学者も生計を得るために働くということは論理にかなうものだと言って友人を驚かせた。どんな教団もこの目的に適うものだが、彼は監督教会(エピスコパリアン)を選んだ。p51 ワッツはイリノイ州のある神学校の大学院の講師として迎えられた。そして1945年には30歳の若さで司祭に任命された。シカゴ郊外のエバンストンのノースウェスタン大学の監督教会の監督教会の牧師として活発な5年間を過ごしたが、その間に彼は、最高の音楽と儀式に彩られた華やかな礼拝を演出し、独特の神学に基づく説教をし、彼のもっともキリスト教的な本「たましいを見よ」を書いた。この時期は彼の人生においてかなり因習にとらわれた時期であったが、多くの問題について前衛的な見解をもち続けていた。p52 1950年代のサンフランシスコにおいてワッツは、西海岸の芸術家や作家の導師の役をするようになったが、それによって彼は全国的な注目を浴びることになった。ワッツはビート族や彼らの仏教の取り上げ方に対しては態度を保留していた。p52 ワッツは1960年代の初期には、かなりボヘミアン・ライフスタイルで生きていた。ヘンリー・ミラーの女友だちであった芸術家のジーン・ヴァーダとサウサリートのヨットのなかで同棲したこともあるが、当時の彼は非常に固い人で、講演旅行で地方に出かけるときなどは、角刈りの頭で、さっぱりとしたスーツを着て、ネクタイを着けていた。p53 <5>につづく
2008.12.18
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「Gの残影」<1>小森健太朗 文藝春秋 2003/03 単行本 407p、 改題文庫本 「グルジェフの残影」2006/07Vol.2 No.479 ★★★★★ 文庫本化された段階で「グルジェフの残影」と改題されているところからみてもわかるように、Gとはグルジェフの暗号。ウスペンスキー、あるいはその側近が主人公であり、グルジェフは脇役。タイトルだけみたのでは、この本なんの本だかわからないが、本格ミステリーマスターズ、というシリーズのミステリー小説ということになろう。作者がしてその手の作家なのだから、あたり前か。 単なるミステリー小説なら、当ブログにはマッチしないが、グルジェフ追っかけの中ではぜひ読みたいと思った一冊。あるいは、この作家のこのテーマならぜひ読みたいと思わせる。 普段、まったく小説も読まなければミステリーもトンと用事のない当ブログではあるが、ついついハマって、最後まで読んでしまった。各種の本から引用したできるだけ史実のはっきりした部分をベースにして、その上に、作者独自の構想と筆致が乗っかっているので、なかなかリアリティがある。何冊かのウスペンスキーものを読むよりも、一冊で大体のことがわかるから、お得な一冊と言えるかも。 ほとんどが実名ででてくるので、こりゃあホントだろうなぁ、と思わないわけでもないが、美に入り細に入り会話などが再現されているので、まさか、ここまでは残っていないだろう、とう感じがしないわけでもない。しかし、違和感もなく、それぞれのキャラクターが浮きあがってくるので、なるほど、さすがに素晴らしい作家だと、納得した。 ミステリーだからネタばらしはしないが、結局殺人事件がおこり、その解決に、グルジェフのエニアグラムが一役買う、というストーリーで、まぁ、この辺は作者の独創だろう。400ページを超える書き下ろしなのに、小説ぎらいの当ブログも、ついつい最後まで読んでしまった。あは。 当時のロシアの状況が背景にあり、その背景のなかで、歴史的人物たちが、生きていた姿が書かれている。ポイントポイントはキチンと書かれているようだ。 巻末につずみ綾の「小森ミステリから神秘の輪(エニアグラム)へ----小森健太朗論」があり、同じ人物が聞き手となるスペシャル・インタビューが続いている。 「インド」 これまで、5、6回行ったので、累計すれば三か月ほど滞在しています。また行きたいのですが、最近は、パキスタンとの戦争や、あるいはインド国内でのイスラム過激派のテロ事件があて、物騒なので安全性を考えると行きづらいですね。 「インド・ボンベイ殺人ツアー」という短編がありますが、あの作品は、インドにいたときに、インドを舞台にしたミステリも書けるんじゃないかと思って、駅の売店でインドの電車の時刻表を買っておいたのを材料に書きました。 p395 インドのどこに行ったのかは書いていないけれど、デカン高原のOshoアシュラムあたりを訪問した可能性はある。というか、ちょっと昔なのできちんと覚えていないのだが、作者とは、どこかのメーリングリストあたりで意見交換をしたことがあったことを思い出した。その時は、たしか彼の処女作にもあたるだろう「コミケ殺人事件」が話題になった。あるいはコスプレとか。私も中学一年から、同級生たちと漫画の肉筆誌を5号まで作った経歴があるので、話題についていけそうかな、と思ったが、ぜんぜんだめだった。時代が違う。 著者の筆の走りっぷりはなかなか素晴らしい。できれば、いつかOshoコミューン殺人事件、とか、密室・瞑想ルームの謎、なんていうテーマで、わくわくさせてくれるような小説を書いてくれると嬉しい。っていうか、もうあるのかも・・・・・。<2>につづく
2008.12.18
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<20>よりつづく「私が愛した本」 <21> OSHO マダム・ブラヴァッキー 5番目。ここで私は女性を取り上げることにする。何度も何度も女性を取り上げることを考えたのだが、男たちが扉の所でひしめいている。その非紳士的なことといったら! 決して女性を中に入れようとしない。そして何とか中に割り込んできたその女性というのは・・・・やれやれ! これはまた何という女性か! ブラーブラー・ブラヴァッキー夫人だ。私はブラヴァッキーを、いつもこんなふうに、ブラーブラーと呼んでいる。この女性はたわごと(ブラーブラー)を書くことにかけて、あらゆるありもしないことを書くことにかけて、もぐら塚から山を作ることにかけてはたいへんなものだ。そして私には彼女が最初に入ってくる女性であることが分かっていた。ブラヴァッキーは強い女性だった。他のパタンジャリ、カビール、バーダラーヤナたちをすべて押しのけて「シークレット・ドクトリン」7巻をたずさえて何とか割り込んできた。それが私の5番目の本だ。 これはほとんどひとつの百科全書、「秘教大全(エンサイクロペディア・エソテリカ)」だ。エソテリシズムに関するかぎり、誰もブラヴァッキーを打ち負かすことはできないと思う・・・・むろん私を除いてのことだが。私なら700冊でも書ける。だ私がこの「シークレット・ドクトリン」について話すことを避けてきたのはそのためだ。何しろこの「シークレット・ドクトリン」7巻について話したとなれば、インシャラー、神が許すなら、私は700冊を書くことになるからだ。それより少ないことはない。 私はすでに336冊の本を「話した」そうだ。やれやれ。神は慈悲深い。慈悲深いというのは、私がその本を読まなくてもいいからだ。私はどの本も読んだことがない。 だがブラヴァッキーなら即座にそこから何かを創りだしたに違いない。それが私がエソテリシズムと呼ぶものだ。336、3-3-6-だ。つまり3たす3は6・・・・66、6たす6は12・・・・ふたたび3だ! いったん3に辿りついたらもう秘教的なものをとめることはできない。鍵を手に入れたのだ。秘教はそれまで想像したこともないような扉を開く。「3」は、錠がかかっていようといまいと、あらゆる扉を開くことができる。 ブラヴァッキー、かわいそうな女性---私は彼女のことを気の毒にも思うし、愛してもいる。あの顔にもかかわらずだ。あの顔を愛することはできない。好きになることすらできない。愛するなどもってもほかだ。あの顔は、いたずらをしている子どもを驚かすのに使えるくらいのものだ。ブラヴァッキーはひどく醜い顔をしえいたが、私はこの女性にあわれみを感じる。男性によって作られ支配されている男性世界で、彼女こそたったひとり、女性による初めての宗教、神智学を主張し、支配し、創始したその人だからだ。この女性は仏陀と、ツァラトゥストラと、モハメッドと張り合った。そしてそのことで私はブラヴァッキーに感謝している。誰かがそれをする必要があった。男を本来の場所に戻す必要がある。そのことで私はこの女性に感謝している。 秘教的デタラメ(ブルシット)でいっぱいの「シークレット・ドクトリン」には、またたくさんの美しいダイヤモンドと蓮華もある。彼女の収集癖のせいで、その中にはたくさんのがらくたもある。ブラヴァッキーは、役に立つかどうかなど考えもせすに、手あたり次第、あらゆるところから、あらゆるがらくたを集め続けた。彼女は、無用かつ無意味なものをすべて系統的に整理していくことにかけて大変な手腕を持っていた。実に体系的な女性だ。だがそこにはわずかだが---悲しいことにわずかだが---ちらほらとダイヤモンドも含まれる。 全体としては、この本はさして価値のあるものではない。私がこれを含めているのは、ただ何人かの女性をリストに含めることによって、私が男性至上主義者ではないことを示すためにすぎない。私はそうではない。女性至上主義者ではあるかも知れないが、決して男性至上主義者ではない。OSHO p61 <22>につづく
2008.12.18
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<1>からつづく二十世紀の神秘家「ウスペンスキー」 <2>コリン・ウィルソン /中村正明 1995/10 河出書房新社 単行本 208p Vol.2 No.478 ★★★★☆ 一年半ほどのインターバルをおいて、またこの本にめぐりあうことになった。コリン・ウィルソン追っかけの中でウスペンスキーを見るのと、グルジェフ追っかけでウスペンスキーを見るのとでは、それぞれに意味合いが違う。現在はグルジェフとクリシュナムルティの対比の中で、ウィルソンを見ているので、あり、コリン・ウィルソンというキャラクターの存在は、すこし脇に押しやられている。 今回ウスペンスキーをめくりながら、「ターシャム・オルガヌム(第三の思考規範)」などを手にすると、これはこれは、他をひきたてる存在としてのウスペンスキーではなく、きちんとしたウスペンスキーをしなくてはならないのだな、とあらためて気がついた。そのような再評価、再研究も遅まきながらすすんでいる。特に日本ではまだまだ良質の関連書物が少ないようだ。この本の原書は1993年にでており、日本語訳は1995年である。 私はこれまで多くのこのジャンルの書物を読んできたが、ウスペンスキーのこの本に比肩しうる二十世紀の本は、他にはまったく見当たらない。十九世紀にまで視野を広げても、ウスペンスキーに匹敵する高みに(書物として)達しているのは、私の知るかぎり、フリードリッヒ・ニーチェただ一人だけである。小森健太朗「ターシャム・オルガヌム」解説p440 と絶賛する向きもあるが、ここで「書物として」と限定しているところが小森らしい誠実さの表れ、というべきか。もっとも、この本を書いた頃のウスペンスキーはともかく、晩年のウスペンスキーは必ずしも「幸せそう」でもなかったし、ご存じのようにニーチェも、人間性の最高表現(笑)とまではいかなかったのではないか。 もしウスペンスキーがグルジェフの代りにオーストラリアの神秘家ルドルフ・シュタイナーに会っていたら、きっともっと幸せになっていたであろう。コリン・ウィルソンp173 行きがかり上の半端な読者ではあるが、私としては、このコリン・ウィルソンの意見には組みしない。たしかにウスペンスキーはシュタイナーの世界のほうにほど近く、あの世界にとどまれば、自らを「幸せ」と感じることはあっただろうが、自らが「行きついた」という感覚にはなりえなかったであろう。 いかにウスペンスキーは「裏切りもの」という評価を受けようとも、グルジェフから離れたのは必然であっただろうし、そこで直面すべきは、他のマスターではなく、すでに自分自身でしかいなかったはずだ。そこから自らを見つめることのなにごとかにおいてウスペンスキーは究極にいたるあとひとつのステップを踏めなかった、ということなのだろう。
2008.12.18
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<15>からつづく「OSHOの超宗教的世界」 <16> トランスパーソナル・セルフとOsho 歴史の中の数多くのトランスパーソナルな体験というものは、事実あったことであり、そこからはたくさんの意味が引き出せる。そのためにこれから心理学としてのトランスパーソナル心理学の期待も大きくならざるを得ない。そこでイタリアの著名な「サイコシンセシス」のトランスパーソナル心理学者アサジョーリの弟子ピエロ・フェルッチ(「人間性の最高表現」)もこれまでの成果によって、その心理学的効果の意味合いを訴えかけている。p29 トランスパーソナルな体験とは何かを定義するのがまず先だが、しかし、定方晟「空と無我」の中の比較を借りるなら、「神秘主義にみなぎる異常への志向と、空思想に見られる日常の強調」という対比の中で、もしここでいうフェルッチや玉川がトランスパーソナル体験を、より「神秘主義にみなぎる異常への志向」へ高めていくとするなら、当グログとのつながりはそこまでということになる。 そもそも、「歴史の中の数多くのトランスパーソナルな体験」という玉川の切り出しが可笑しい。Oshoにあっては、歴史の中に数多くあったばかりではなく、人間はトランスパーソナルな体験から離れてことなど、一度もなかったのだ、というパラドックスが常に隠れているからだ。 私たちがもし通常の世界とは異なるトランスパーソナルな体験に気づいたとしたら、それは高度の知、強さ、愛、美に対して唯一の源泉が私たちの中にあるということを意味する。そして実際トランスパーソナルな世界は広大で、さまざまな実体があり、類別することも困難だ。しかしもっと近づいてみると、それらは何か共通する基本的な面を持っており、私たちが「トランスパーソナル」と呼んでいる多様な現象が実際には一つの同じ源泉から生じていることに気づく。p29 そもそも最初から玉川の悪い癖なのだが、その言葉が自分の言葉なのか他の誰の言葉なのかわからなくなるところがある。この部分では、フェルッチとOshoをつなげようとして、Oshoの言葉を要約しているように見えるが、これではOshoは十分代弁されていない。Oshoにおいては、トランスパーソナルな体験とは「通常の世界」なのだ。まったくここで玉川が表現しているのとは違う。 また「高度の知、強さ、愛、美に対する唯一の源泉が私たちの中にあるということを意味する」と言っているが、ここも微妙に違う。「私たちの中」にある、というけれど、もし「私」がいたら、そこには高度な知、強さ、愛、美、の源泉から断絶してしまう。「私」がいないからこそ、そこに源泉がもともとあった、ということが分かるのだ。 これらの共通する面とは驚き、正統性、知、一体感、普遍性、そして社会的かかわりだ。以下の項ではこれらの外観を見てみよう。p29 この辺の言葉のセンスは、まったくOshoの雰囲気から外れているなぁ。 驚き・・・・通常の体験と比較して、トランスパーソナルな世界ははかりしれないほどの大きな衝撃を与える。トランスパーソナルな世界は、個人的な世界のルールをいとも簡単に破ってしまう。トランスパーソナルな体験はそれに触れようとする人を変容させ、その人の生活をあらゆる面に影響を及ぼす。すなわち私たちを畏敬と魅惑で満たす一つの神秘なのだ。p29 ここで玉川は自分自身で、Oshoなりトランスパーソナルなり、今自分が言っていることを自分の体験、自分の言葉として言っているのだろうか。それとも、単語を並べているだけなのだろうか。ここで語られている言葉には力がない。体験された自分の言葉だとは到底受け取れない。 こうしたトランスパーソナル心理学の利点については、Osho自らも世界に宣言したいことであって、OshoはOshoでトランスパーソナル心理学とは別個に、根本的な人間変容を通じて「新人類社会」の実現を図っている。その影響、普及のためにもとりわけ教育問題であって、Oshoは多分フェルッチの次のような提案には全面的に賛成するであろう。p31 玉川の研究は、他に類するものがないほど、独特ではあるが、またそれだけに玉川のアルファベットのなかに置き換えられたOsho像には、私自身は違和感を持つ場合が多い。 「子供や生徒の中にトランスパーソナル・セルフの存在を認めることは、その人の中の価値あるすべてのものに命を与えることを意味します。本当の意味での教育とは、人がトランスパーソナル・セルフへの道を進むのを手助けすることなのです。本書では私たちが学んできたような能力や体験はすべて、認知し、刺激することが可能なものです。 例えばちょっと挙げるだけでも、発明の才能、共感、勇気、集中、美の鑑賞、直観力、細部への注意、分析的な考え方や統合的な考え方、身体を通じて喜びを覚ます能力、目に見えない世界への気づきと意識の広がり、苦痛な建設的な態度などがあります。このように教育は、もはや単に情報を伝えるものではなく、<普遍的(ユニバーサル)な人間>を呼び起こすものなのです」p31 この言葉はアサジョーリの言葉なのかフェリッチの言葉なのかわからないが、すくなくとも、このような文章があった場合、私はこの文章をOshoの文章だ、とは感じないし、この言葉にOshoは全面的に賛成するだろうとも思わない。もちろん、サイコシンセシスとやらについて何事も知らない私がどうのこうの言ってもしかたないが、すくなくとも、このようなセンスでは、Oshoは教育には、あまり熱心ではないのではないだろうか。つまり、子供たちを導くとか「手助け」をする、と言った場合には、子どものトランスパーソナルの状態よりも、子供のまわりにいる大人のトランスパーソナルが問われることが多くなるのではないだろうか。 玉川はこの本において、Oshoとトランスパーソナルの中に対応する何かをさがそうとしているが、このような「理論」のレベルでのすり合わせは、第三者には不可能なのではないだろうか。Oshoには基本的に「理論」はないのだから。もし、互いに融合するようなものあるとすれば、もっと感性的で、しだいしだいに原則そのものが溶けてなくなっていく方向にいくのではないだろうか。<17>につづく
2008.12.16
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(上)からつづく「人間性の最高表現」(下)その輝きを実現した人びとピエロ・フェルッチ /平松園枝 1999/07 誠信書房 単行本 249p Vol.2 No.477 ★★☆☆☆ アサジョーリは8カ国語を操る語学の達人でした。フロイトの精神分析を学び、ユングと交流をもち、ウィリアム・ジェームズやアンリ・ベルグソンの哲学に関心を抱き、ブラバッキー夫人の神智学にも通じていました。さらに、さまざまなヨーガや瞑想法を実践し、諸々の霊的伝統や哲学に関心をもちつづけました。このような幅広い見識と実践を統合することでサイコシンセシスは誕生したのです。「スピリチュアル臨床心理学」p228 ということだが、どうもこの網羅主義的なところが、チベット密教におけるツォンカパなどを連想させて、いまいち感心しない。100集めても1,000集めても、結局はその上の10,000や100,000がある限り、サイコーのものにはなりようがない。その努力自体が空しいように思う。梯子をかけて天に昇ろうとする愚行に匹敵する。 有効な道が見つかれば、たったひとつの道で十分なのだ。そして、そのたったひとつの道でさえ、行きついたあとは、不必要になる。つまりゼロが発見されなければ、その探訪は失敗だったということになる。 サイコシンセシスは、今日でも依然として先駆的な、とてもよくできた理論と技法です。アサジョーリは、現代の臨床心理学界からみれば、100年以上時代を先取りしていたといっても過言ではありません。「スピリチュアル臨床心理学」p229 そうかなぁ、100年遅れているような気がするが・・・・、と思ったが、次の一節で納得。 サイコシンセシス(精神統合)は、アサジョーリが1910年に発表したもので、サイコアナリシス(精神分析)と対比してつけられた名前です。(下)p229 なるほど、発表されたのがちょうど100年前なので、今でも通用するよ、と言いたかったのだろう。だが、どうもセンスは100年古いなぁ、と感じた私の直感も、かならずしも即否定されるべきものでもなさそうだ。 この本の主題は、古いものであると同時に新しいものです。スピリチュアルな内的体験は、いつでも予期せずに起こるような驚くべきものですから、この本のテーマはつねに新しいのです。しかし、同時にスピリチュアルな体験の本質は時を超えたものであり、その意味と美しさは、インターネット、多文化共存、そして、固定的なさまざまな信念が統合されることなく存在している今日と同じように、二千年前にもそのまま通用しますから、この本のテーマは古いものでもあるわけです。 (上)pi (日本語版への序文) まさにそのとおり、心理は時間も空間も超える。そういえば、先日より、当ブログのサブタイトルは「New Man : One Earth One Humanity」ということになっている。外側の統合には限界があり、内側においてゼロを発見することによって、人間の人間らしい状態が生まれる。そしてそこからすべてのものが生まれる。 しかしながら、アサジョーリのサイコシンセシス理論はともかくとして、この本は、流動的で時事的な外側の情報を満載してしまった。その点が、どうもこの本がちぐはくなイメージを生み、中に飛び込んでいけない薄っぺらさを感じさせるのかも知れない。
2008.12.16
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「人間性の最高表現」(上) その輝きを実現した人びとピエロ・フェルッチ /平松園枝 1999/07 誠信書房 単行本 287p 1999年07月Vol.2 No.476 ★★☆☆☆ う~む、パラパラめくってみると、どうも薄いなぁ。薄味。むかし、フォークソングは使用前、ロックは使用中、演歌は使用後、というようなジョークがあったが、この本は、どうもその例でいえば、青春フォークソングのような、さわやかクリアソング、という感じがして、どうも喰いたらない。世の中に、肉じゃがのような定食や、煮込みおでんとかのこってり料理があるとするなら、この本は、ポテトチップスか、ポップコーンのようなモノトーンな感じがする。 もともとのタイトルは、「INEVITABLE GRACE」だから、もっと別なタイトルの付け方があったような気もする。ネットの自動翻訳で翻訳させると、「必然の優雅」、「不可避グレース」、「避けられない優美」とかなってしまって、こいつらの翻訳機能も大したことないなぁ、と思うが、少なくとも「人間性の最高表現」というタイトルからはだいぶかけ離れている。 この「最高」表現という言葉が、いまいちよくない。最高学府や最高裁判所をイメージさせて、いかにも、下位の存在があるかの如く、あるいは、下位の劣等階級があることを前提として、ものごとが成り立っているような、そのようなイメージが強く残る。 そういえば、何年か前に、足裏診断とかいう団体の長が「サイコーですかぁ~~」とか叫ぶと、会場のみんなが「サイコーで~~す」とか合唱するとかしないとか、ということが話題になった。いや、あの足裏判断レベルの団体なら、ポテトチップスよりかは、煮込みおでんのほうにイメージは違いが・・・。 この「人間性のサイコー表現」は、サイコシンセシスのアサジョーリとの共同研究者による本ということだが、どうもいまいち、おもしろくない。型どおりのカタログを全体的になぞっただけで、スパーのチラシをながめているような、お手軽お惣菜コースのようなイメージがどうしてもつきまとう。 「読者は普通の人々であって、インテリになりたいわけではない」pivとか言っているけど、読者は「フツー」であって、この本に書かれていることは「サイコー」であって、みんな「サイコー」になれるんですよ、というお話だが、それって、やはり「人間」をナメていると思う。 親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」とか、道元の「仏道をならうといふは、 自己をならふなり。 自己をならふといふは、 自己をわするるなり。」とかいうような名言を吐きなさい、とまでは言えないが、やはり薄味ジャンクフードのイメージが否めない。<下>につづく
2008.12.16
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「超宇宙論」 <1> 魂の科学を求めてピョートル・デミノヴィッチ・ウスペンスキー /高橋克巳 1980/08 工作舎 単行本 389p Vol.2 No.475 ★★★☆☆ Oshoが「『宇宙の新モデル』は、詩的な本だが、私のヴィジョンにきわめて近い」とは言うものの、この「超宇宙論」は、ウスペンスキーの「宇宙の新モデル」の3分の1の抄訳でしかない。ましてや誤訳だ、悪訳だ、という風評を聞くと、ウスペネスキーをあまり知らない立場としては、この「超宇宙論」とOshoをつなぐことはかなり困難になってくる。 この本は、たしか出版直後に買ったのだったが、Oshoがつねにグルジェフ+ウスペンスキー=Oshoのような図式を書いていたので、そちらからの関心が強かった。当時工作舎からでたので、この濃い~~工作舎の中の一冊としての香りもフンプンとさせていた一冊ではあった。当然、深読みすることもなく、特段に感動することもなく、結局は納戸行きとなり、現在は消息不明とあいなった。 この本、地域の図書館にはなく、大学にもない。いろいろ検索していたら、実は、地域の国立工業高等専門学校の図書館にあることを発見。今回、この本一冊のため、またまた新たなる図書館を開発した、ということになった。しかし、このような形で地域の図書館がどんどん開放されていくことは、一利用者としては大変ありがたい。このような傾向は、間違いなくこの数年の傾向であろうと思われる。 インターネットが発達し、まずは本の情報がネット化された。そして、刺激されるように、図書館が自らの図書をPCのデータ化した。そして学校内でのイントラネットとして図書館利用ができるようになり、次には学校間の図書利用が活発化するようになった。さらには、インターネット上で、蔵書を検索し、自宅から借りだし予約をし、最寄り図書館への移送サービスも行われるようになった。ここまでは、ほとんど無料なのだから、一利用者としては大変にありがたい。 かつてなら、まずは書店に出向き、在庫がなければ、注文し、数週間待って、ようやく読めるようになった。そして、大枚をはたいた上で、万が一あんまり面白い本でなければ、そのままお蔵入りとなってしまうことが多かったので、なかなか、読書、という趣味も贅沢な趣味であった。蔵書しておくスペースも必要だった。別にプロの書き手ではなくても、本好きなら立花隆の「ネコビル」のような蔵書スペースが必要になってしまう可能性があった。 Oshoの「図書館の本とは売春婦のようなものだ。」という言葉は、その意味はわからないでもないが、この21世紀における私ごときの一読者には、もう当てはまらない現象だ。図書館の本もキチンと管理されている。たまにアンダーラインやメモがあったり、破損しているものもあるが、概してきれいだ。 手元になければ、再利用したい時にすぐ入手できない、という悩みもあるが、地域の図書館に入っていることが確認できたのなら、ほとんどいつでも借りられる体制ができたということでもありうる。ほとんど、自分の「ネコビル」として、図書館ネットワークを利用できる時代が来ている。 この時代、このスタイルは財布にもやさしい。当ブログでは現在、1024冊+475冊で、すでに既読本は1500冊になっているが、その7~8割は図書館本である。つまり約1000冊の本の平均単価が1500~2000円だとすると、約200万円の図書費が浮いたことになる。3年間のことだから、年60万円として、月5万円の経費が浮いたのだから、このところ小遣いを減らされっぱなしのワンコイン亭主としては、大変ありがたい。趣味としては、現在、もっとも金のかからない趣味が、読書、ということになるのではないだろうか。 もっとも、この現象は、出版社にとっては痛し痒しだろう。図書館利用が高まれば、本の売れ行きにも影響がでてこよう。図書館の利用者としても、ただなので、余計な本まで借りてしまい、図書館のスタッフの仕事を増やし過ぎているのではないだろうか、という反省もある。 あるいは、これは、私のような、哲学・思想ジャンルが主なテーマの図書館利用者にだけ言えることであるかもしれない。私の場合は、ほとんど他の借り手がない本がほとんどだ。たまにあっても、一人の人が読み終えれば数日から10数日のうちに私の番になる。ところが、我が家の奥さんのような、小説が主で、しかも、流行作家の最新作狙い、という図書館利用者なら、話が変わってくる。20~30番待ちはざらで、時には100人待ち、200人待ち、という本も決して珍しくはない。もっとも、このような本は複数の図書館が複数蔵書として抱えているので、1年も待たされるということはないが、しかし数か月は覚悟、という本は結構多いのである。 もちろん、私のようなジャンルでも、新刊本自体、なかなか図書館に入らないし、入れば、やはり貸出待ちは長くなる傾向がある。だから、どうしても早く読みたいものは購入するし、もちろん気にいった本は自らの枕もとに長く積んでおくこととなる。いずれにせよ、現在のようなインターライブラリーの傾向は大変ありがたい。 はてさて、したがって、この「超宇宙論」、国立工業高等専門学校の図書館にあったというのは、なかなか面白いめぐりあわせだなぁ、と思った。なんせ、ウスペンスキーは数学者だったので、そういうつながりでこの工業学校の図書館に入ったのかも知れない。神秘化ウスペンスキーではなく、数学者ウスペンスキー、として。 それと、この本で、もうひとつ思い出したことがある。工作舎は、80年代後半に、短波ラジオ放送で、「オブジェクトラジオ遊」(ちょっとタイトルが違ったかも)というものをやっていたことがあった。インターネットが発達する90年代に先駆けること10年前のことである。積極的に自家製のメディアを開発しようとしていた姿は、なかなか凛々しいものがあった。 当時の私は、この番組のために短波ラジオを買い、ピーピーガーガーという雑音のなかから、「エチカルアニマル」だの「TA0自然学」だのという、工作舎周辺の方言を聞いていたのだった。<2>につづく
2008.12.16
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「ターシャム・オルガヌム」(第三の思考規範) <1> 世界の謎への鍵ピョートル・デミアノヴィチ・ウスペンスキー /高橋弘泰 2000/06 コスモス・ライブラリー /星雲社 単行本 451p Vol.2 No.474 ★★★★☆コリン・ウィルソン「ウスペンスキーはグルジェフに出会わなかったとしても、20世紀のずばぬけて興味深い思想家になっていただろう」(「20世紀の神秘家ウスペンスキー」より)ラジニーシ「ウスペンスキーがグルジェフと出会う前にこの本を書けたのは奇跡だ。ターシャムを読めば、著者が光明を得ていないとは信じられない。神々のたくらみがあったにちがいない。」(「私が愛した本」より)鈴木大拙「ウスペンスキーのグループは、確かに禅と共鳴した原則で働いている」(「宗教と近代人」より) 本誌裏表紙見返し ウィルソンや大拙と並んでOshoがここに名を連ねているのは、巻末に13ページの長文の解説を書いている小森健太朗のアドバイスが影響しているだろう。小森には「 グルジェフの残影」2006/07という近刊がある。 学生時代に、神田の北沢書店で、"TERTIUM ORGANUM"(本書)の原書(英語版)を手にとって最初の方を少し読んだときには、突然予期せぬところから別世界への扉が開いたような気がして、一瞬眩惑感めいた不思議な感覚にとらわれた。この書物の最初の一行からして、別世界へと誘うだけの力強さに満ちていた。「解説」小森健太朗 p439 「この本なら、たとえ自分の命で購(あがな)わなければならないとしても、僕は買いますよ。最初の一行を読んだだけで十分だ。どんなに高くても僕はこれを買わなくちゃならない」と、私は言った。 Osho「私が愛した本」p29 二人の感覚はそうとうに似ているようだが、邪推すれば、小森はOshoの強い影響を受けていたか、あるいはモノマネした可能性がゼロではない。しかし、これらの人々がなんであれこれだけ絶賛しているのだから、それだけの意義のある一冊なのだろう。 Oshoがこの本を買ったとき、やはり学生時代だったというから1950年代中半だと思われるが、70ルピーしたという。70ルピーとはOshoの学生アルバイトひと月の給料と同額だったという。小森もまた「学生が買う本にしては比較的高価だった」というが、1965年生まれの彼の学生時代とは1980年代後半。 この二人の学生を圧倒的に魅了した「ターシャム・オルガヌム」は、21世紀の学生なら2,625円で日本語版が買える。なんと幸運なのだろう、と思いつつ、現代の学生に、この本はどれだけ愛されているだろう、とちょっと疑問にもなる。 この本につづくウスペンスキーの本「宇宙の新モデル」は、1980年に工作舎から「超宇宙論」として既に刊行されている。しかし、この翻訳本は芳しくない。翻訳の高橋弘泰は「「部分訳は出ているが、原文の意味とはかけ離れ誤訳が目だつ」p436と苦言を呈している。小森に至っては、「抄訳の上に悪訳だった」p441と酷評している。 かたや「超宇宙論」の翻訳者・高橋克己は「原題は『宇宙の新模型」12章分から、4章分を選定し訳出、三部作の第一部とした。「超宇宙論」エピローグp388と語っているのだから、本来であれば、抄訳ではなく、三部作になる予定だったのだろう。しかし、いまのところ続刊された様子も、これから出る気配もない。もっとも高橋だって「翻訳にあたっては、おもいきって意訳を前面に押しした」同p387ということだから、確信犯ということになる。 「松岡正剛がタイトルを『超宇宙論』と仕切った」同p388ということだから、当時の工作舎の社員だった高橋克己にとっては、この翻訳環境がよかったのかどうかは、いまいち再考する必要があろう。もっともこの本がでた1980年においては、このような本の日本のマーケットは成熟していなかった。工作舎の健闘は、一定程度評価されるべきだと思うが、時代の検証は厳しい。 当の松岡正剛においてはどうなっているのかというと、「松岡正剛が選ぶ365冊」には入っているが、「千夜千冊」には入っていない、ということだから、どこかやましい気分が残っているのかもしれない(笑)。<2>へつづく
2008.12.16
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こころがよくわかる「スピリチュアル臨床心理学」<1>石川勇一 2005/11 クレイヴ 単行本 271p Vol.2 No.473 ★★★★☆ 著者は文面から類推するに、岡野守也、安藤治などの日本的優等生的トランスパーソナル心理学を受け継ぐ、アカデミズムの中の人間だろうか。臨床心理士などの養成にも関わっていそうな、先生、という感じがする。 87年にでた「カウンセラーのための104冊」という本にやや雰囲気が似ているので比較してみると、日本の心理学の世界が、この20年の間にどれだけ進んだのかが、わかる。あるいは、これだけしか進んでいなかった、ということも分かる。「104冊」の方は欧米の紹介ということに汲々としているのに対し、こちらのほうは、かなり日本的に着地した日本のスピリチュアル臨床心理の現状をよく紹介している。この分野を専攻する学生なら、すでにみんなこの本を読んでいるに違いない。 この本は、決して本の紹介ではないが、108の項目を立てて、見開きページにわかりやすく、しかし「単純化しすぎて質を落とさないように学問的な水準を維持」(p2)しながら紹介している。108話、というところがうれしい(^0^)/ 第4話の「関連の資格」というところを見ると、26ほどの資格のリストがあり、それぞれがありがたそうな名前ではあるが、結局は「臨床心理士」が◎、「産業カウンセラー」が〇、というだけで、あとは名前のみ紹介というところ。私はすでに臨床心理士の資格をとる基準まで自分を作っていくことに関心を失っているが、産業カウンセラーとしては、今から16年前、当時の労働省認定関連資格になる第一回のときに取得し、協会から国の機関にカウンセラーとして5年間派遣されたりしていたのだから、まぁまぁ、まずは〇というところか。 資格や役割としては、小沢牧子 「『心の専門家』はいらない」などの指摘をまつまでもなく、絶対的に必要なものではなく、論議の別れるところだが、まぁ、あればあったなりに、議論に対する関わり方も違ってくる。キャリアとしても、まぁまぁ豊富とは言い難いが、あることはありますよ、と言える程度か。 その後はずっと、80話ほど、心理学の教科書として落してはならないところが説明され、84話になってトランスパーソナル心理学がでてくる。この本がでたのは2005年だから、当然といえば当然、しかし、他の流れに比して大きく紹介されているわけでもなく、まぁ、このような取組みなのだろうな、という感想。 ケン・ウィルバーやアサジョーリのサイコシンセシス、フランクルなどの紹介はともかくとして、江原啓之あたりまで紹介されているところが、2005年的と言えば言えないこともない。 最近、テレビや書籍で、スピリチュアルカウンセラーと称する江原啓之師が大活躍しています。彼の方法は、まず来談者がなにも話さないうちに、相談者しか知らないはずの情報を一方的に伝え、霊能力の確かさを示して信頼関係を形成します。たとえば、家族の口癖や家にある特別な物、過去の個人的な出来事などをいい当てます(これはシッティングと呼ばれる霊能力者の技術です)。そして、来談者の話を聞きながら、オーラの状態を見たり、守護霊と対話したり、前世を見たりして、独自のメッセージを伝達します。p210 当ブログにおいても、江原の本を話題にするとアクセス数がアップするという現象があるから、一般的に関心が高いのだろうとは思うが、当ブログが読んだ「ワースト10」の1位と2位は、江原がらみだった。一慨に一笑に付すことはできないが、現在の江原はすでに個人セッションは行っておらず、テレビなどでのパフォーマンスだけに特化している、ということだから、「スピリチュアル臨床心理学」の中でとらえることは、この本の対象から大きく外れてしまっているのではなかろうか。 「前世イメージ療法」としてワイスなども紹介されているのだが、この本の翻訳者夫婦が、私は苦手なので、まだこの本を読んでいなかった。そのうち読んでみよう。キューブラ・ロスについても紹介されているが、こちらも、そのうちまとめて読んでみる予定。 「瞑想の心理学」として、TMのマハリシ・マヘッシ・ヨーギが写真いりで紹介されているのは、お笑い。彼らの「科学的」データなどの提供がアメリカで大いに盛んであることはわかるが、「瞑想」としては、ごくごく初歩的、あるいはまがいものである、という評価も根強い。「瞑想の可能性」あたりでは、道元の「正法眼蔵」などもきちんと紹介されている。 筆者は、正統的でアカデミックな心理療法の訓練も受けてきましたが、それだけでは飽き足らず、より実践的なものや、霊性を求めて精神世界あるいはニューエイジと呼ばれる領域にも実際に足を踏み入れ、さまざまな経験をしました。そこでわかったことは、精神世界のなかには、アカデミックな臨床心理学界よりも、10年も20年も進んでいると思われるクリエイティブな技法や考え方がたくさんあり、本当にすぐれた人たちもいるということです。しかし一方では、非現実的なことばかりを追いかけて一つも実を結ばない、基礎のない根無し草のような人たちにも数多く出会いました。p271 きのうは「魂のプロセス」を読みながら、カウンセラー、であることと、転生輪廻のことについて考えていた。たとえば江原のように、個人の臨床から離れてしまう立場を「カウンセラー」と呼んでいいのだろうか、という疑問が湧いてくる。そして、もし、個人に対して、「密室」のなかであのようなカウンセリングを行っているとしたら、私は、多いに疑義をもつものである。 なぜなら、前世などは、ひとからいきなり指摘されるものではなく、自らの中に自らが見つけるものであり、そのこと自体が、人生の大きな意味を示している場合があるからだ。それを、カウンセラーがいきなり指摘してしまい、そして、その場かぎりの「信頼」はともかく、その後、また再び関係が切れてしまうなら、あるいは一方的なものになるとするなら、私は百害あって一利なし、という立場をとる。もっとも私と江原の接点はテレビで二・三回見た以上のなにもないので、議論もしようがないが。 前世記憶の客観性が保証されないことと、前世療法の臨床的効果とは別に考えなければいけません。少なくとも、催眠によって前世のイメージが浮かび、そして治療的な効果が見られる事例があることは事実です。そこで筆者は、前世記憶が客観的であるか否かは、心理療法家の仕事の範疇外であるために判断を棚上げし、前世を題材にしとしたイメージ療法としての「前世イメージ療法」を学術論文において提唱しました(2004年)。輪廻転生などの世界観にまつわる判断は、心理療法家が決めることではなく、最終的にはクライエンに委ねられるべきことなのです。p241 ここで著者の石川勇一が言っていることは正論だと思う。輪廻転生については、取扱いが容易ではないし、無邪気な扱いは危険だ。しかしまた、この扱いが、この程度であるのが2005年当時の「スピリチュアル臨床心理学」の現状なのであり、限界なのである。未来の「ブッダ達の心理学」においては、さらにこの領域に大きな変化があるだろうことは予想できる。 過去世を思い出すことによって、人生の意義を再発見したり、お互いの魂のレベルでの交流に、あらたな意味づけをすることができるとしたら、過去の人生がどうだったということより、現在の人生がより意義ある喜びに満ちたものになる可能性がある。そのような形でもっと「科学的」に研究がすすむことだろう。 こんなに多くの心理療法がひしめきあっているのですが、本当のところ、どれがもっとも効果的なのでしょうか? アメリカのある研究グループは、膨大な数に上る最近40年間のさまざまな心理療法の論文を調査し、どの心理療法がもっとも効果的なのかを分析しました。その結果、非常に興味深い結論に到達したのです。統計的なデータで見る限り、「治療モデルは、治療結果にさほどちがいをもたらさない」というのです。学界では、特定の心理療法の有効性が盛んに主張され、多くの心理学の教科書にその主張がそのまま記載されています。しかし、この大規模な調査結果は、それらの宣伝文句をすべて真っ向から否定する結果になったのです。p260 1997年に行われたというこの研究は興味深いことではあるが、当然と言えば、当然の帰結ということだろう。家を建てたり、レストランでメニューを選んだり、楽器をならったりするのと同じように、サイコセラピーもこれが最高という技能があるはずがない。まずはクライエント、あるいは探究者、あるいは本質としてのその人間が、まずはどのようなもの求めているかが、まず最初に問われるべきで、なんでもかんでも過呼吸だ、とか、なんでもかんでもマントラだ、という紋切型の解決法はないはずだ。あとは時代のはやりすたりもあるだろう。 この本、「こころがよくわかる」というところまではいかないが、2005年当時の日本的「スピリチュアル臨床心理学」理解は、よくわかる。<2>につづく
2008.12.15
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<19>からつづく「私が愛した本」 OSHO <20> P・D・ウスペンスキー・その2 「テルティウム・オルガヌム」は高価な本だった。当時のインドで、毎月私はたった70ルピーの月給しかもらっていなかった。そして偶然、その本がちょうど70ルピーだったのだが、私はそれを買った。本屋はびっくりしてこう言った。「この町一番の金持ちだってこの本は買えませんよ。もう5年もうちにありますが、誰も買う人はいませんでしたからね。人は来て覗いては行くんですが、それで買うのはあきらめるんですよ。どうしてあなたみたいに昼働いて夜勉強しているような、ほとんど一日24時間働いているような貧乏な学生さんがこれを買ったりできるんですか?」 「この本なら、たとえ自分の命で購(あがな)わなければならないとしても、僕は買いますよ。最初の一行を読んだだけで十分だ。どんなに高くても僕はこれを買わなくちゃならない」と、私は言った。 その序文の中にあった最初の文章というのはこうだった。「これは思考の第三聖典である。聖典は三つしかない。第一のものはアリストテレスのそれであり、第二のものはベーコンのそれであり、そして三番目が私自身のものだ」。私は、「第三のそれは、第一のそれに先んじて存在していた」と言ってのけたウスペンスキーの度胸にぞくっときた。それが私のハートの火をとらえた文章だった。 私はその本屋にまる一か月分の給料を渡した。お前たちには理解できないだろう。何しろまる一か月というもの飢死しかねないありさまだったのだから。だがそれだけの価値はあった。あのすばらしい一か月を憶い出すことができる。食べ物なく、着る物もなく、ねぐらさえもなかった。下宿代が払えなくて、自分の小さな部屋から追い出されたからだ。しかし私は青空の下で「テルティウム・オルガヌム」をかかえて幸せだった。私はあの本を街灯の明かりで読んだ。これは告白だ。そして私はあの本を生きた。あの本はほんとうにすばらしい。しかも、その著者がまったく知らなかったのだと分かっている今はなおさらだ。では、どうやって彼にあれを書くことができたのか? 神々のたくらみだったに違いない。彼方からの何かだ。私はこれ以上、スーフィーたちが使うその名前を使わずにはいられない。彼らはそれをヒジラと呼ぶ。ヒジラというのは導きを必要としている者たちを導く触媒のことだ。 「テルティウム・オルガヌム」が二番目の本だ。 OSHO p29 2番目。私はもう一度、P・D・ウスペンスキーを取り上げるつもりだ。ウスペンスキーの本はすでに2冊取り上げている。ひとつは、彼が師のグルジェフに出会う前に書きあげた「テルティウム・オルガヌム」だ・・・・。「テルティウム・オルガヌム」は、特に数学者のあいだでよく知られている。それを書いたとき、ウスペンスキーは数学者だったからだ。2番目の本「奇跡を求めて」を、ウスペンスキーは何年もグルジェフとともに過ごした後に書いた。だが彼の手になる3冊目の本がある。その本を彼は、二つの本の中間---「テルティウム・オルガヌム」の後に、そしてゲオルギー・グルジェフと出会う前に書いた。この本を知る者はきわめて少ない。その題名は「宇宙の新モデル」(邦題「超宇宙論」)という。これは奇妙な本、実に奇妙な本だ。 ウスペンスキーは師を求めて、世界中を、特にインドを探し回った。何しろ愚かにも、導師はインドにしかいないと思われているからね。 ウスペンスキーはインドを、それも何年もかけて探し回った。彼は師を求めてボンベイまでやってきた。そのころ彼が書きあげた本が、この途方もなくすばらしい「宇宙の新モデル」だ。これは詩人の幻視だ。というのは、本人は自分が何について語っているのかを知らないからだ。だがその彼が語っていることは、非常に非常に、非常に真理に近付いている・・・・。だが近いだけだ。そして、いいかね、そこに髪の毛一本の隙間があっても、それは真理の外側でしかない。ウスペンスキーは外側にとどまった。彼は探しに探し求めたのだが・・・・。 この本の中で彼は、自分の探究を描いている。この本は奇妙にも、彼がグルジェフとであったモスクワのカフェテリアで終わっている。グルジェフは間違いなく、かつて存在した最も変わったマスターだ。彼はカフェテリアで書くのを常としていた。本を書くには何という場所だろう! 彼はよくカフェテリアに坐っていた---人々は食べ、かつ話し、子どもたちがあちこちを走り回っている。通りからの騒音、警笛の音・・・・。そしてグルジェフは窓際に坐り、これらすべてのナンセンスに取り囲まれながら、その本「森羅万象」を書いていた。 ウスペンスキーはこの男と出会い、そして彼に恋した。誰に抵抗できただろう? まったく死んだ人間か、石でできた人間、あるいは合成材でできた・・・・プレハブの人間でもないかぎり、導師と出会い、しかもその人に恋せずにいることなどとてもできるものではない。グルジェフを見た瞬間・・・・不思議なことに、ウスペンスキーには、自分が世界中を回って探し求めていたのは、あの埃っぽい、汚らしいインドの路上で探し求めていたのはその目だったのだということが分かった。ところがそのカフェテリアは、モスクワの自分の家のすぐそばにあったのだ! 時として、自分の探し求めているものがほんのすぐそばに見つかることがあるものだ。 「宇宙の新モデル」は、詩的な本だが、私のヴィジョンにきわめて近い。私がこの本を含めるのはそのためだ。 OSHO p105 9番目。私はいつもP・D・ウスペンスキーの著作を愛してきた。もっとも人間の方は決して好きにならなかったが。彼は導師(マスター)というよりは、校長(スクールマスター)のようだ。校長を愛することなどできるかね? 学生時代、好きになろうとしてみたが上手くいかなかった。単科大学でも上手くいかなかった。総合大学でも失敗した。私にはできなかった。誰にも校長を愛することなどできないと私は思う---特にその校長が女性となると・・・・もうどうしようもない! 校長である女性と結婚するほどの馬鹿者も中にはいるが! そういう人間はきっと心理学者たちが「マゾヒズム」と呼ぶ病を患っているのだろう。誰が自分をいじめてくれる人間を探しているに違いない。 私はウスペンスキーは好きではない。彼はグルジェフの教えを講義しているときでさえ、校長そのものだった。黒板の前に立って、手にはチョークを持ち、前には教卓と椅子を置いて、まさに校長そのものだった・・・・講義録をひろげ、そのほか何もかも、何から何までそろっていた。しかもその考え方ときたら!---黄金のメッセージを伝えていたにも関わらず、なぜ彼に惹かれる人間がこんなに少ないのかが理解できる。 第2に、私がこの男を嫌うのは、彼がユダだったからだ。誰にせよ、私は裏切り者は愛せない。裏切ることは自殺すること、精神的な自殺をすることだ。ユダでさえ、イエスが十字架にかけられてからわずか24時間のうちに自殺しなければならなかった。ウスペンスキーは私の恋愛の対象ではない。しかし私にどうしょうがある?---彼は才能ある書き手、天賦の才に恵まれた天才だった。私が触れようとしているこの本は、彼の死後出版された。生きている間に、彼はその出版を望まなかった。おそらく恐かったのだ。多分、自分の期待通りにはならないと思ったのだろう。 それは小さな本だ。その本の名前は「人間の未来の心理学」(邦題「人間に可能な進化の心理学」という。ウスペンスキーはその遺書に、自分が死んでからそれを出版するようにと書き遺していた。私はこの男が好きではない。だが私は、しぶしぶだが、ウスペンスキーはこの本の中で、ほとんど私と私のサニヤシンたちを予言していたと言わなければならない。彼は未来の心理学を予言していた。そしてそれこそは、私がここでやっていることだ・・・・未来の人間、新しい人間(ニュー・マン)だ。この小さな本は、サニヤシンすべてにとっての必須の研究対象にならなければならない。OSHO p149<21>につづく
2008.12.15
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<18>からつづく「私が愛した本」 OSHO <19> P・D・ウスペンスキー・その1 10番目。私はこの本を覚えていたのだが、あえて言及しなかった。というのは、これがグルジェフを裏切った彼の弟子、P・D・ウスペンスキーによって書かれたものだからだ。この裏切りがあるので、私はこの本を入れたくなかった。だがこの本は、彼がその師を裏切る前に書いたものだから、私は最終的にこれを入れることに決めた。その本の名前は「奇跡を求めて」だ。これは途方もなくすばらしい本だ。これが弟子に過ぎなかった男、自分自身ではまだ知るに到っていなかった男によって書かれたものであるだけに、なお素晴らしい。彼は弟子であっただけでなく、後にはユダとなった男、グルジェフを裏切った男だ。これは不思議なことだが、世界は不思議なことでいっぱいだ。 ウスペンスキーの本は、グルジェフ自身の本よりもはるかに明確にグルジェフを表している。おそらく存在のある状態においては、グルジェフはウスペンスキーを乗っ取って、彼を媒体として使ったものにちがいない。ちょうど私がデヴァギートを私の媒体として使っているようにだ。今の今、彼はノートを取っている、が私はこの半分閉じた目ですべてを見ている。たとえ目を閉じていても、私は見ることができる。私はまさに見ている者、丘の上の見物人だ。私には見物する以外に仕事はない。 OSHO p23 2番目はP・D・ウスペンスキーの「テルティウム・オルガヌム」だ。彼がこれを、まだグルジェフのことを聞いたこともないうちに書いたとは奇跡だ。彼はこれを、自分が何を書いているのかを知らないで書いた。後にグルジェフに会って、初めて彼はそれを理解した。ゲオルギー・グルジェフに対する彼の最初の言葉は、「あなたの目を覗いてみて、私は『テルティウム・オルガヌム』がわかりました。あれを書いたのは私ですが、今になってみれば、あれは自分でも気付かなかった未知の力が、私を通して書かせたものだと言えます」というものだった。 おそらく、彼を通じてそれを書いたのは、あのならず者のグルジェフだったのだろう。あるいはもしかしたら、それは、スーフィーたちが「究極のならず者」と呼ぶ他の誰かが、「テルティウム・オルガヌム」のような奇跡を行なってきた他の誰かがやったことかもしれない。 そのタイトルの意味は、「思考の第三聖典」だ。スーフィーたちは、究極の力に対してある名前を与えている。それは人ではなく、ひとつの臨在にすぎない。私はその臨在をまさに今、ここ・・・・この今の瞬間に感じることができる。彼らはそれを・・・・ある名前で呼ぶ。どんなものにも名前がなければならないからだ。だが私はそれを言うまい。この美しさの、この壮麗の臨在の下(もと)で・・・・この横溢・・・・この高揚の・・・・この歓喜の・・・・。 私は、ウスペンスキーが「テルティウム・オルガヌム」を、この世のあらゆる言語で書かれた本の中で最も偉大な一冊を書きえたことは奇跡だと言った。実際次のように言われている。しかもまさにその通りだ。いいかね。まさにその通りだということを強調して、もう一度言っておこう。つまり、偉大な本は三冊しかない。一冊目は、アリストテレスによって書かれた「オルガヌム」であり、二番めはベーコンによって書かれた「セカンド・オルガヌム」であり、三番目はP・D・ウスペンスキーの「テルティウム・オルガヌム」であると。「テルティウム」というのは「第三の」という意味だ。しかもウスペンスキーは実にいたずらっぽく---聖者にしかこのようないたずらはできない---どんなエゴもなく、素朴に、謙虚に、こう言ってこの本を紹介している。すなわち、「第一の書は、第三の書より以前は存在していなかった。この第三の書は、第一の書が存在する以前から存在していた」と。 どうやらウスペンスキーは「テルティウム・オルガヌム」で消耗し尽くしたようだ。そこに全面的に、完全に自分を使いきってしまった。というのも、彼は二度とふたたび同じ高みには達しえなかったからだ。「奇跡を求めて」の中でグルジェフについて書いているときでさえ、同じ高みに達することはなかった。 グルジェフを裏切ったとき、彼は最後に「テルティウム」以上のものを創造しようと試みた。最後の努力として、彼は「第四の道」を書いた。が、まったくの失敗だった。本はいい本だ。どこかの大学のカリキュラムに使うなら立派なものだ。私には私一流のけなし方があるのが分かるかね・・・。 「第四の道」は、大学の講座で正規のカリキュラムの一部にはなりうるだろうが、それ以上のものではない。彼は最善を尽くそうとしてはいるのだが、あれはウスペンスキーが書いた最悪の本だ。それが彼の最後の本だった。 それがあらゆる偉大なものにおける難しさだ。やろうとすれば失敗する。それは努力なしにくるか、あるいはまったく来ないかだ。「テルティウム・オルガヌム」では、それは彼を訪れたが、彼はそれに気づくことすらなかった。「テルティウム」の中の言葉はあまりにも強力で、その著者が光明を得ていないとは、まだ導師を探し、真実を求めていたなどとは信じられない。 私は貧乏学生で、一日中新聞記者として働いていた。あれは人にできる最悪の職業だ。だが当時、私にできることはそれしかなかった。あまりに貧乏で、私は夜学に通わなくてはならなかった。それで昼は一日新聞記者として働き、夜、大学に通った。ある意味では、私の名前は夜に属している。ラジニーシとは月のことだ。ラジニは夜を意味し、イーシは神を意味する。つまり、「夜の神」だ。 だから人はよく笑ってこう言ったものだ。「不思議だね。君は昼は一日働いて、夜勉強しに行くんだからな。自分の名前通りにするつもりか?」 今なら私は、彼らに答えることができる。「YES」---これを大文字で書いておきなさい---YES。私は生涯それを実現しようとしてきた。満月になること以上に美しいことが他にあるだろうか? そういうわけで、当時私は貧乏学生として昼は一日中働いていた・・・・だが私は狂った人間だ。金があろうがなかろうがそんなことはどうでもいい。 私は人から借りた本を読むのは、どうしてもいやだった。実際、私は図書館の本も借りるのもいやだ。図書館の本とは売春婦のようなものだ。私は他人がつけた印とかアンダーラインを見るのはいやだ。私はいつでも新鮮さを愛する。処女雪のような新鮮さを。 <20> ウスペンスキーその2につづく
2008.12.14
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「魂のプロセス」自己実現と自己超越を結ぶものフレデリック・ヴィーダマン /高野雅司 1999/11 コスモス・ライブラリー /星雲社 単行本 250p Vol.2 No.472 ★★★★☆ ひょんなことで始まった当ブログの読書ノートだったが、進行のプロセスにおいて、科学、芸術、意識の三分野の統合的人間、という意味で、プログラマ、ジャーナリスト、カウンセラー、という現代的職業要素の三面から点検をしていた時期があった。 養老孟司「バカの壁」、 レイ・カーツワイルの「スピリチュアル・マシーン」や神田敏晶「ウェブ3.0型社会」、デボラ・ブラム「幽霊を捕まえようとした科学者たち」、桧垣立哉「生と権力の哲学」、ジェームズ・レッドフィール 「新しき流れの中へ」、などなどを読みながら、何回も繰り返し考えてきた。 その三つの職業はより詳しくは次のように形容しておいた。 1)グローバル社会に対応する創造的なプログラマー2)マルチな表現を理解する瞑想的なジャーナリスト3)転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラー この現代を象徴するような職業像は、また、自分自身のなりたい自画像の反映であっただろうと思う。ある意味での自己実現の姿だ。なれるものならなってみたい。もちろん、多くの現代人たちがすでにこのような姿で働いているはずだ。でも、自分がなれるとしたら、かなり限定されてくるなぁ、と思われてきた。 まず、1)グローバル社会に対応する創造的なプログラマー、という時、頭の中には、リナックスな人々の中で生きていく、難解なアナロジーを自由に使いこなしていくようなクールな現代人のイメージがあった。そうだったらいいのにな、の世界ではあるが、時代はどんどん進んでしまって、リナックスどころか、ネット環境に対応するだけでも精一杯という感じになってしまった。ケータイの世界やiPodやらiTuneやらと、やたらと時代は進化する。リナックスのプログラミングどころか、パソコン一台で日常の仕事をこなすのがせいいっぱい、という感じになってきた。われながら、老いを感じるw。 つぎなる、2)マルチな表現を理解する瞑想的なジャーナリスト、だが、これもまた、なんだか形容矛盾でいまいちはっきりしないイメージではあった。つまりは、小学生のころにガリ版で学級新聞をつくってクラスメイトの情報係をやっていた感覚で、ブログを始めてみて、これはいけるぞ、と思って、ブログジャーナリズムとやらに、すこしは夢を馳せてみたのだった。しかし、「ブログ論壇の誕生」などを読むまでもなく、ブログはブログとしての機能は素晴らしいのだが、実際に個人ブログが、社会的に大きな力を単独で持つなんてことは、ほとんどありえないということが次第に痛感されるようになってきた。 さて、残る、3)転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラー、だが、これは割と最後まで生き伸び続けてきている。特にこの春からのチベット問題=FREE-TIBETムーブメントの盛りあがりのなか、チベット密教にふかく入り込もうとした時、いまのままの三分の一的探究の仕方では追いつかないぞ、と思った。その時に、1)や2)の人間像をすてて、3)に集中してみようじゃないか、という気分になってきた。これはまだなかなか可能性がありそうである。 トランスパーソナルな流れなかでスタニスラフ・グロフのマトリックス理論をながめたり、「高僧謁見記」を再読したり、津田真一の「反密教学」や、杉木恒彦「サンヴァラ系密教の諸相」などを見るにつけ、なにかの骨格ができあがり、次第次第に部分部分の肉付けが始まっているような感覚が湧いてきた。 さてさて、3)転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラー、というテーマだが、さらにここから、こまかく分解して、ていねいに見ていく必要がある。a,転生輪廻、とはなにかb,自ら体験する、とはなにかc,理解、とはなにかd,精神的、とはなにかe,カウンセラーとはなにか まず、b、自ら体験する、についてだが、プログラマであろうとジャーナリストであろうと、自らが体験すること自体は当たり前のことであり、体験的でなければ、意味がない。当然のこととしてある。 c、理解、については体験を十分に自分なりに消化して血肉にするということだから、時間をかけて熟練していけば、そのような帰結は、これまた当然のことであろうと思われる。 d、精神的とは、つまりスピリチュアルということであろうから、規定はあいまいであろうと、つまりそういうことだ、と、暗黙の了解を得やすい。自分自身でもなんとなく分かったような気になれる。 さてここまで来て、残る二つはなかなか難しい。難しいのは、この二つが、両極にあるからだ。つまり、e,カウンセラーとは、もろに職業的役割を意味し、自分のイメージや考えだけでは成立しない世界に立たされているということだ。クライエントがいてこそ成立し、また、現実にその行為があってこそ自らの存在が、そのように形容し得るのである。しかしながら、カウンセラーという名刺を作り、看板をかかげ、HPを作成して、クライエントとの出会いを待ち、それ相応の関係をつくることは、現実的に、難しいことではない。むしろおおいにあり得ることだし、経験もある。だから、ここまでは解決可能としておこう。 さて、a,転生輪廻だが、これは扱いが相当に難しい。キューブラ・ロスやスタニスラフ・グロフたちの先見的な研究は大いに力にはなるが、しかし、「科学的に証明」したことにはならず、また、密教的秘儀をもってして「自ら体験し理解」することが可能であっても、クライエントとどのように理解しあい、受容しあうかというテーマになると、ほとんど不可能ということになる。あくまでも主観的な感覚となる。 しかし、ここからは覚えたての言葉でいえば、マナ識やアラヤ識の理解を深める、つまり瞑想する、ということなのだが、これらについての理解が互いに深まっていった場合、カウンセラーとクライエントという立場に限らず、二つの魂、あるいは、複数の魂、あるいはもっと大きな魂のプールのなかで、同時的な理解、つまりシンクロニシティーが起きる可能性は十分あるのである。あるいは、そうあってほしい、ないしは、そうあるべきである、という思いが強まる。 当ブログは、世界の各地で起きている経済的情報や政治的事件をジャーナリスティックに報道するような参加のしかたはできないだろうが、しかし、魂のプロセスにおける同時性、そしてその進行具合については、多少はスピリチュアルな瞑想的ジャーナリストとして振る舞うことができるのではないだろうか、と思えてくる。 さらに言えば、アラヤ識が宇宙の意識の巨大なライブラリーやアーカイブスだとするなら、現在インターネット上で行われている情報の集積と利用可能領域の拡大は、実はほんの序の口であり、さらなる展開がありうるのだとした場合、ビジョンとして、プログラマ的センスで、次なる展開を提案し得るのではないか、という可能性も見えてくる。 そうなってくると、結局は、プログラマ、ジャーナリスト、カウンセラーという三面的要素は、ふたたび結合しうるのであって、ここまでくればめでたしめでたし、という結果になるのではないか・・・・・・。 などなど、この「魂のプロセス」を読みながら考えていた。
2008.12.14
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「気づきの探究」クリシュナムルティとともに考えるススナガ・ウェーラペルマ /大野純一 1993/05 めるくまーる 単行本 202p Vol.2 No.472 ★★★☆☆ さていよいよクリシュナムルティ本を読むことに。玉川リストと、Oshoの愛した本リストにあるクリシュナムルティ本はそれぞれ数冊だが、調べてみると、日本語では40冊以上でているようだ。そのうちの7~8割は図書館から借りて読めそうだ。 OshoにはOshoのアルファベットがあるし、グルジェフにはグルジェフのアルファベットがある。あまり特異な言葉使いをしないことで人気のクリシュナムルティではあるが、彼にも彼なりのアルファベットがある。すこしづつ慣れていくことにしよう。 この「気づきの探究」はスリランカのクリシュナムルティ信奉者の手によるエッセイ集だ。「大師の御足のもとに」の執筆者については、Oshoはアニー・ベサントだ、と言っているが、この本もまたこの点に疑念を持っている。 この陳述でクリシュナムルティは、彼がこの本を書いたことを否定はしていない。事実、彼は自分がそうしたことを漠然と憶えている。 問題は、もはやクリシュナムルティがこの本を著したかどうかではなく、その内容のよって来たる源が彼自身の意識にあるのか、あるいはどこか外にあるのかである。人は「オリジナルはオリジナルにあらず」という格言を思い出す。まことにしばしば、著者は自分のアイデアの独創性を主張するが、それは彼がうっかりそれらの出所を忘れたからなのだ! 少年の精神がうつろで夢見がちな状態だったとすれば、その本がマスターの思想ではなく彼自身の思想を述べたものだという真相を世間がけっして見破らないと期待して、その内容を考え出したり、それらを(マスターのものとして)通したりすることなどできただろうか? 私にはどうもその可能性を疑う。そのような抜け目なさは、この少年らしくない。そこにはまったく私心のない、純真な少年がいたのである。p158 全部読めるとは限らないが、以下にクリシュナムルティ日本語本のリストをアップしておく(順不動、不完全版)「大師のみ足のもとに」 1974 「自我の終焉 絶対自由への道 」1980.08 「クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔 」 1982.1 「クリシュナムルティの日記」 1983.7 「真理の種子 クリシュナムルティ対話集」 1984.2 「生と覚醒のコメンタリー 1 」1984.9 「生と覚醒のコメンタリー 2 」1984.9 「生と覚醒のコメンタリー 3 」1984.10 「生と覚醒のコメンタリー 4 」1984.11 「瞑想と自然」 1984.12 「クリシュナムルティの神秘体験」 1985.4 「生の全体性」1986.2「英知の教育」 1988.4 「クリシュナムルティ・実践の時代 」 メアリー・ルティエンス 1988.4「クリシュナムルティ・目覚めの時代」 メアリー・ルティエンス 1988.10 「未来の生」 1989 「クリシュナムルティ・開いた扉 」メアリー・ルティエンス 1990「学びと英知の始まり 」1991 「思考のネットワーク 」1991.4 「最後の日記」 1992.1 「子供たちとの対話 考えてごらん 」1992.6 「生の全変容」 1992「クリシュナムルティ人と教え」 1992.11 「自己の変容 : クリシュナムルティ対話録」 1992 「人類の未来 : クリシュナムルティVSデビッド・ボーム対話集」 1993 「気づきの探究 : クリシュナムルティとともに考える ススナガ・ウェーラペルマ 」1993.5「自由とは何か」 1994 「ザーネンのクリシュナムルティ」 1994.8 「恐怖なしに生きる」 1997.1 「学校への手紙」 1997 「クリシュナムルティの世界」 大野 純一編 1997「あなたは世界だ」 1998.11 「キッチン日記 : J.クリシュナムルティとの1001回のランチ」 マイケル クローネン 1999「私は何も信じない」クリシュナムルティ対談集 2000.08「クリシュナムルティの教育・人生論 : 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性」 2000.11 「あしどり : クリシュナムルティを糧とする友へ」 高橋重敏 2002.05 「知恵のめざめ : 悲しみが花開いて終わるとき 」2003 「白い炎 : クリシュナムルティ初期トーク集 : 付録:クリシュナムルティの言葉」 2003.4 「自由と反逆 : クリシュナムルティ・トーク集 」2004.2 「花のように生きる - 生の完全性」2005.10「いかにして神と出会うか 」2007.06「智恵からの創造-条件付けの教育を超えて」2007.10
2008.12.14
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<17>からつづく「私が愛した本」 OSHO <18> グルジェフ 9番目・・・・。私はグルジェフと彼の本「森羅万象(オール・アンド・エブリシング)」(邦題「ベルゼバブの孫への話」)について言うのを忘れていた。たぶんこれが実に奇妙な本で、読むことすら不可能な本だからだろう。私は、今生きている個人で、私以外にこれを最初のページから最後のページまで読み切った者はいないだろうと思う。私はグルジェフの信奉者には何人にもあったが、彼らの中には「森羅万象」を全部読み通すことができた者はひとりもいなかった。 これは大書だ。「イーシア・ウパニシャッド」とちょうど正反対で、1000ページの本だ。しかもグルジェフはああいうならず者の聖者だ・・・・どうかこの「ならず者の聖者」という表現を許してもらいたい。彼は読むこともできなくなるようなやり方で書く。ひとつの文章が数ページにもわたって続くこともある。その終わりまで来たころには、初めの方は忘れてしまう。しかも私と同じく、彼は自分の造語を使う。奇妙な言葉をだ・・・・。たとえばクンダリーニについて書いていて、彼はそれを「クンダバッファー」と呼んだ。それが彼のクンダリーニを表す言葉だった。この本は途方もない価値をもっている。だがそのダイヤモンドは、ふつうの石ころに混じって隠れている。人はそれを探し出さなければならない。 私はこれを一度ではなく、何度も読んだことがある。その中に入って行けば行くほど、私はますますこれが好きになった。というのは、このならず者のことが分かれば分かるほど、知るべきではない人間たちから彼が何を隠したかが、ますます理解できるようになったからだ。知識は、まだそれを吸収する力がない者たちのためのものではない。知識は軽率な者たちには隠しておかなければならない。それは、それを吸収することができる者たちだけのためのものだからだ。それはそのための準備ができている者たちにのみ与えられなければならない。それこそが、こんな奇妙なやり方でものを書いた目的だ。グルジェフの「森羅万象」よりも奇妙な本は他にない。そして確かに、これは何もかも全部(オール・アンド・エブリシング)だ。 Osho p21 5番目、私はグルジェフの本「注目すべき人々との出会い」に触れることができないのではないかと心配していた・・・・ありがたいことに、この追々補で挙げることができる。 これは大変な著述だ。グルジェフは世界中を旅した。特に中東とインドだ。彼はチベットにも行った。それどころか、彼は故ダライ・ラマの先生だった。今のではなく---あれは馬鹿だ---前のダライ・ラマだ。チベットのグルジェフの名前は、ドルジェブと書かれている。だからたくさんの人が、ドルジェブとは誰か別人だと思った。彼は、ゲオルギー・グルジェフ以外の誰でもない。なぜならこの事実が英国政府に知られていたからだ---グルジェフが何年間もチベットにいたということ、チベットどころか、何年間もラサの宮殿に住んでいたという事実が---英国はグルジェフが滞在するのを拒んだ。グルジェフは最初、英国滞在を望んだが、許可されなかった。 グルジェフはこの本「注目目すべき人々との出会い」を回想録として書いた。それは、彼が自分の人生で出会ったあらゆる不思議な人々に対する途方もない尊敬の想いをこめた回想だ・・・・。スーフィーたち、インドの神秘家たち、チベットのラマ僧、日本の禅僧たち・・・・。私は、グルジェフが全部を書いてはいないことを言っておかなければならない。グルジェフがたくさんの人たちをそこからはずしたのは単純な理由だ。この本は市場に出すためのものだった。だからそれは、市場の要求を満たすものでなければならなかった。私には誰の要求を満たす必要はない。私は市場のことなどぜんぜん気にするような人間ではない。それゆえ私は、彼は本当は最も注目すべき重要な人々をそこからはずしたと言える。しかしいずれにせよ、彼が書いたものはやはりすばらしい。それですら、私の目に涙を浮かばせる。何か美しいものがあると、いつも私の目は涙で溢れる。それ以外に褒め称える言葉がない。 これは研究すべき本で、ただ読むべき本ではない。英語には「パト」に当たる言葉がない。それは「生涯にわたって、毎日、同じことを読みに読むこと」という意味を表すヒンディ語だ。それは読書という言葉では翻訳できないものだ。特にペーパーバックの本を一度読むだけで投げ捨てたり、あるいは列車に置いて来るというような西洋の読書という言葉には。それはまた、研究という言葉にも翻訳できない。研究とは、単語あるいは語句の意味を理解するための集中した努力だからだ。「パト」は、読書でも研究でもなく、それ以上のものだ・・・・それは喜びにあふれて、それが自分のハートにしみとおるまでに、自分の呼吸になるほどにも喜びにあふれて復唱することだ。それには一生かかる。そしてもし本当の本を、グルジェフの「注目すべき人々との出会い」のような本を理解したいと思うなら、それこそが必要なことだ。 それは、アメリカ人カルロス・カスタネダが創作した仮空の人物である「ドン・ファン」のようなフィクションではない。この男は人類に対する大いなる害をなした。人は霊的虚構(スピリチュアル・フィクション)を書くべきではない。その理由は単純で、人々が霊性(スピリチュアリティ)とは虚構にほかならないと考え始めるからだ。「注目すべき人々との出会い」は、真実の書だ。グルジェフが触れている人々の何人かはまだ生きている。その2、3人に、私は自分で会っている。私は、あの人たちが仮空の人物ではないという事実を証人だ。もっとも私は、彼が出会った最も注目すべき人々をはずしたということで、グルジェフを許すことができないのだが。 世間に妥協する必要などない。どんなものにも妥協する必要はない。彼はあれほどにも強い人間だった。どうして彼が妥協したのか、なぜ彼が、本当はいちばん重要な人々を除外したのか、私は不思議に思う。私はあの本から除外した2、3の人々に会っている。その人たち自身が、グルジェフがそこに来ていたと私に語った。その人たちは今では非常な老齢だ。だがやはりあの本は言い---中途半端で不完全なものだが、価値がある。 Osho p173 <19>につづく
2008.12.14
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「日本人が知らなかったチベットの真実」ペマ・ギャルポ 2008/08 海竜社 単行本 285p Vol.2 No.471 ★★★★★ そろそろ「当ブログが読んだ新刊本ベスト10」の下期分を発表する時期が近づいた。例年、夏至から冬至、冬至から夏至の間にでた本で、なおかつその時期に感動をともなった本をリストアップして、過去半年間を総括してきた。 今年もこの半年間で330冊ほどを読んできたが、残念ながら、この半年間の新刊本はわずかに一割。時代が要請し、執筆者が情熱を傾け、読者としてそれを受け入れる、という一連の作業がほぼ同時期に発生することはなかなか難しい。 当ブログは、必ずしも新刊だけを追いかけてはおらず、むしろ、過去に読み落としてきた本たちを拾い直そうというモードに入っており、新刊本どころか、戦後から20世紀末までの本にエネルギーをとられた、下半期だったと言える。 その30数冊の新刊本をみると、3分の2は、チベット関連本だった。残りはネット関連と、車関係がちょっぴりというところ。ネット関連は、特段に目新しいことはなかった。むしろ、ネガティブ情報の中から、いかにして前に進むか、というような内容が多かった。車は、個人的な趣味の範囲を出なかった。 例年、玉虫色に染まりやすいベスト10リストだが、今回はむしろ、チベット問題に絞り込んでベスト10を作ってみることにした。そうなってみれば、今年の後半は、そのほとんどを正木晃・本の巻末参考文献リストを追っかけてきた、と言っても過言ではない。「裸のチベット」にはじまり、「増補版チベット密教」、「マンダラとはなにか」、「密教的生活のすすめ」、という流れの一連を追いかけることに、ほとんどの読書生活が費やされた。 それ以前は、力道山や白洲次郎と正子やOshoのロールスロイス、Youtubeのビートルズを追っかけていたのだから、かなりの方向転換をしたと言っていいだろう。そして、チベット問題が一段落したあとの現在、玉川信明のOsho関連リストを追っかけ、次にはクリシュナムルティやグルジェフに関心が移りつつある。 今年の2008年8月8日夜8時8分(現地時間)に賭けた中国の北京オリンピックに対する世界の反応は様々であった。特に、チベット問題に関心を寄せる世界中のFREE-TIBETな人々の連帯意識はかなり大きなものとなった。 このエネルギーを背景として当ブログの読書も進んできたが、以前より読んできたチベット関連本が一挙に増大する結果となった。時代を背景として、いわゆる「チベット問題」の本も多数目につくようになった。必ずしも、街頭にでてデモンストレーションしようというところまで自分の情熱を高めることはできなかったが、内面的には、マントラ「オン・マニ・パドメ・フム」を唱える日々が続いた。ダライ・ラマ関連本の読書も、意図しているわけではないのだが、次第次第に増加していった。 そんな中にあって、この「日本人が知らなかったチベットの真実」は、新刊として登場してすぐリクエストしていたのだが、人気が高い本なので、私のところに廻ってくるのは、ちょうどこのこの時期になってしまった。ペマ・ギャルボには、「ドルジェのたび」 、「私のチベット」、「チベット入門・改訂新版」、「中国が隠し続けるチベットの真実」、「ならずもの国家 中国の本性 蹂躙されたチベット」などの著書、共書、訳書がある。 ここまで読み込んでしまったかぎり、日本人として「知らなかった」という記事は、この本の中にはそれほど多くなく、むしろ、当ブログの中においては、「FREE-TIBET2008ムーブメント」のしめくくりの位置にあるのがこの本であろう。この本、感動したとか、涙が出たとかいうレベルでは読むべき本ではない。むしろ、これはこれとして事実は事実として、しっかりと受け止め、「 この地上においていかに生きるか? 」を自らに問いかけるための一冊といえる。 チベットに生まれたペマ・ギャルポは、私とは同世代である。6歳でチベットを追われ、12歳で日本にやってきた。その数奇な人生を、自分の少年時代と並べ、この時代的背景に置き換えてみるとき、当然チベット寄りの発言が目立つものの、彼のなんとしても発言しなくてはならない、という気持ちに心から共感するものである。 「真言(マントラ)」とは仏さまの言葉 チベット人は僧侶に限らず、朝夕の勤行をはじめ、ことあるごとに「オムマニペメフム」(Om Mani Pedme Hum)という真言(マントラ)を唱える。真言とは真実の言葉という意味で、いわば仏さまの言葉である。真言は言葉の内容もさることながら、その音(声)自体に価値があるとされるため、チベット語の発音に直されることなく、サンスクリットの発音のままである。 このオムマニペメフムという真言は「六字真言」とも呼ばれ、チベットの守護神である観音菩薩の真言である。六字ということから想像がつくように、本当はオム・マ・二・ペ・メ・フムという六字から構成されているが、発音に従って四つにわけてその意味するところを見てみれば、オムは私たちの身体、言葉、思考(身口意)および釈迦への呼びかけの言葉であり、マニは秩序や慈悲の世界へと導く宝石のような要素、ペメは知恵の本質である蓮、そしてフムはすべてが調和した境地を表している。 チベットでは、この真言を口に出して唱えるだけでなく、岩やマニ車に掘ったり描いたりしているものを多く見かける。 マニ車とは、円形のシリンダー状になったもので、胴の周りにオムマニペメフムの真言が繰り返し書きこまれている。観音の真言のほかに、パドマサンバヴァ、文殊菩薩、ターラー菩薩などの真言が書かれたものもある。このマニ車を一回転させれば、真言を一回唱えたことになるため、チベットでは人々が盛んにマニ車を回す姿が寺院などでよく見られる。寺院のマニ車は、大きいものでは直径が3~4メートル、高さが2~3メートルあるものがあり、それが堂廊にずらりと並ぶ光景は圧巻である。赤ちゃんがガラガラのように手に持って回すことができる小型のマニ車もあるし、水車や風車のように水力や風力で回るものもある。このように真言を唱えたり、マニ車を回したりして、チベットの人々は観音菩薩への熱心な帰依を表す。それほどチベット人にとって、観音菩薩は特別な存在なのである。観音菩薩は、この世の衆生を救済し、あまねく慈悲を行き渡らせることを目的とする仏の化身だといわれる。観音の「観」とは観ること、捉えることを表し、「音」とは救いを求める人々の音(声)である。観音菩薩は十一面観音として、あるいは千手千眼観音の姿で表現されることが多いが、それもこの世の人々を一人残さず救済するという誓願の表れである。 ご存じのように菩薩とは衆生を救うべく活動する一方で、悟りをj開いて如来になろうと修行に励む存在でもある。その観音菩薩の真言であるオムマニペメフムは、人々がそれを唱えることによって自らの不浄や悪行、苦しみの海から逃れられることに対する感謝の気持ちであるし、誓願を果たし、如来としての悟りを開くための菩薩自らの言葉でもある。 p248 オムマニペメフム
2008.12.14
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「自我の行方」岸田秀コレクション岸田秀 /八木誠一 1993/10 青土社 単行本 257p Vol.2 No.470 ★★★☆☆ 岸田秀と八木誠一の対談集であり、話題に、その日行われていた早稲田実業と横浜高校の甲子園での決勝戦がでてくるという、実にレトロな時代感覚である。この1980年の両校のヒーローは荒木大輔と愛甲猛である。もうすでにこの両選手も、話題になることはほとんどなくなってしまった。(って野球話はあまり得意ではないが・・・・) 岸田秀については「ものぐさ精神分析」を読んだことがあり、その本も納戸のどこかに転がっているはずだ。八木誠一という人はまったく知らないが、関東学院大学神学部で岡野守也を教えたということだから、キリスト教に縁の深い人ということになろうか。当時岡野は春秋社の編集者であり、岡野が取り持ったことによってこの対談が成立したようだ。岡野という人は、このところ当ブログに何回もでてくる常連さんとなっている。そのうちまとめて読んでみようと思う。 さて、このレトロな本も、時代背景やら言葉の使い方やら、なんやかんやと今読みこむにはタイミングを逸したものになってしまっているが、この1930年代初めに生まれたお二人の反逆のスピリットはなかなかなものだと敬服せざるを得ないところが多い。 例えば、「ひるがえって、幼児のようにならなければ、神の国にはいることができない」などいうイエスの言葉がありますね。仏教の場合でも、悟りというのは要するに赤ん坊の状態にもどることだなんていうような言い方があるんですね。それはやはり、ひとつの重要な要素としてあるんですね。あるけれども、赤ん坊状態そのままの再現じゃ、文化的状況に適応できないから、ある仕方で、再現している。(八木)p59 親鸞の場合だって、「自然法爾(じねんほうに)」といいますでしょう。法というのは、個人を超えたほとけの知慧といのちのことでしょうが、人間のほとけのいのちの営みなのであって、だからそこが分かれば悪事を働くわけがない、人間の営みはほとけのいのちなの営みとしておのずから成り立つものだから、と言うんですね。全く同様に、道元も「諸悪莫作(しょあくまくさ)」と言う。ほとけのいのちの営みとしての人間存在は、悪をしないものだ、というんです。悪をするべからず、というのではなく(八木)p128 ついでに申しますと、これはあらためて対談の主題にしたいことなんですが、殺しと性は関係があると思うです。(八木)p130 対談だから、ほぼ同じ分量の発言があるのだが、今回はやたらと八木誠一の発言の部分だけが気になった。岸田秀のほうは、何をなんと発言しようが、こちらに免疫ができていて、特段に珍しくなかった。(笑)
2008.12.13
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<10>からつづく「英知の辞典」 <11>OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本 579p 瞑想 MEDITATION 瞑想はきわめて単純なプロセスだ。必要なのは正しいボダンを押すことだけだ。「ウパニシャッド」はそれを「目撃」と呼んでいる---それが正しいボタンだ。ただ自分の心(マインド)のプロセスを目撃し、何もやってはいけない。何ひとつなされる必要はない。ただ目撃者、観察者、見守る人になり、心の交通を眺めていなさい---思考が通り過ぎる、そして欲望、記憶、夢、幻想が。ただ超然として、冷静でいなさい---どのような裁きもなく、いかなる非難もせずに、「これはいい」とか「これはよくない」と言うこともなく、それを見守り、それを見つめていなさい。自分の道徳的な観念を持ちこんではいけない。そうでないと、あなたはけっして瞑想することができないだろう。 私がいわゆる道徳に反対するのはそのためだ。それは反瞑想的だ。なぜなら、いわゆる道徳的な人は自分の道徳的な考え、"べき"と、"べきでない"で、いっぱいなので、見守ることができないからだ。彼らはたんに見守ることができない。彼は結論に飛びついてしまう---「これは正しくない、これは正しい」と。何であれ自分が正しいと感じるもの、彼はそれにしがみつきたがる。そして何であれ間違っていると考えているもの、彼はそれを投げだしたい。彼は思考のなかでとび跳ね、けんかを、つかみあいを始め、そこですべての目標を失ってしまう。 目撃とはたんに超然とした観察、偏見なしに見守ることだ。それこそ瞑想の秘訣にほかならない。それは単純だ! いったんその”こつ”をつかんだら、それは世界でいちばん簡単なことだ。なぜなら、どんな子どももその無垢のなかに生まれるからだ。あなたはそれを母親の子宮のなかにいるときから知っていたし、幼い子どものころにも知っていたのだから、それは再発見にすぎない。瞑想はあなたの本性だ。それはあなたの本性であり、あなたの存在そのものだ。どうして難しいことがあろうか? ただそのこつさえわかればいい---見守りなさい。 川のほとりに坐って、川が流れてゆくのを見守りなさい。ときには流木が流れすぎ、ときには舟がやって来て、ときには死体が流れていゆき、ときには美しい女性が川のなかで泳いでいるかもしれない---あなたはただ見守り、何も気にせず、冷静なまま、興奮したりしない。何もすべきではないし、すべきことは何もない。川のことは川にまかせておけばよい。あなたはただ静かに坐っている。静かに坐っていると、少しづつそのわざがのみ込めてくる・・・・・そしてある日、あなたの見守ることが全面的なものになったとき、心は蒸発してしまう。 OSHOPHILOSOPHIA ULTIMA 瞑想とは、ただ現れていないものに波長を合わせることだ。肉体はそこにあり、あなたはそれを見ることができる。心(マインド)はそこにあり、あなたはそれを見ることができる。眼を閉じれば、あらゆる活動をしている。あらゆる働きをしている心が見える。思考が通り過ぎてゆく。欲望が起こってくる。記憶が浮かびあがってくる。そこには心のすべての活動があり、あなたはそれを見守っていることができる。 ひとつ確かなのは、見守る人は心ではないということだ。心の活動に意識的になっている者、それは心の一部ではない。見守る人は分離し、目撃者は分離している。この目撃者に気づくことが、本質的なもの、中心にあるもの、絶対的なもの、変わらないものを見つけることだ。 肉体は変化する。あなたはかつては子どもだったが、やがて若者になり、そして老人になる・・・・。あなたはかつては母親の子宮のなかにいたが、あるとき生まれて、いつの日にか死に、再び<存在>の子宮のなかに消え去ってゆく。肉体は変わりつづける、絶え間なく変わってゆく。 心は変わってゆく。あなたは朝には幸福だったが、午後には腹をたて、夕方は悲しくなる。気分、感情、感覚は変わってゆく。思考は変わってゆく。あなたのまわりで車輪が回りつづけている。これは台風(サイクロン)だ---現象世界は台風だ。それはけっして同じではない、一瞬が過ぎれば変わってしまう。 だが、何かがつねに同じだ・・・・つねに・・・・けっして変わらない。それは目撃者だ。その目撃者を見つけることが、神を見いだすことだ。 OSHOI AM THAT p536<12>につづく
2008.12.13
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「フランクル心理学入門」どんな時も人生には意味がある諸富祥彦 1997/04 コスモス・ライブラリー /星雲社 単行本 337p Vol.2 No.469 ★★★★☆ 本書は、巷に広がっているいわゆる自己啓発書とは一線を画します。 フランクル心理学のエッセンスと全体像とを、これまで出た本よりも正確に描くことを目指しています。わかりやすい言葉で書いてはいるものの、学術的なレヴェルは少しも落としていないつもりです。 もっとストレートに言いましょう。 私の見るところ、これまで日本で出されたフランクル関係の書物の中で、彼の思想のエッセンスをよく言い当てていると思えるものは、一冊も存在しません。フランクルの考えをその根本のところで曲解してしまっています。p2 フランクルの代表作「夜と霧」も読まないで感想を述べるのもちょっと気が引けるが、ここでの諸冨の大上段の構えも、なんとなく滑稽に見えてくる。フランクル心理学であれ、ユング心理学であれ、フロイト心理学であれ、あまりに小分けにして互換性のないものにしてしまっては、ちょっと窮屈になるのではないだろうか。 当ブログにおいては、小分けの心理学にはあまり関心はない。むしろ、パソコンに譬えれば、心理学というパソコンが存在するとして、そこにアプリケーションとしてのユングやらフロイトやら、アドラーやフランクルなどなどを入れれば、つまり、心理学のなかの一つのバリエーションを味わえる、という程度で十分なのだ。心理学というパソコンにおいて、すでにハードもOSも一定程度の完成を見ているのではないだろうか。あとは、とびぬけたアルゴリズムの中から、とびぬけたアプリケーションがでてくるのを待っているだけだ。 著者もカウンセラーだから、さまざまな技術を使うことだろうが、クライエントは、「自分自身と向かい合う」という意味では、なにか特別な「心理学」のクライエントになろうとしているのではない。心理学という技法のなかに、細かなテクニックがあるのなら、それはそれでいいのだけど、それはあくまで使い終わったら忘れられてしかるべき道具でしかないはずだ。 私自身、エンカウンター・グループのファシリテーターをやっているせいか、フランクルがエンカウンター・グループをどれほどきちんと理解しているか、疑問の残る点があります。フランクルが実例としてとりあげているグループでは、離婚した夫への怒りを現実の関係において処理しようとせず、その代わり、気球に怒りをぶつけさせ解放感を味わえればそれでよしとする、といったことがおこなわれていたようです。「怒りの理由(元の夫との現実の関係)はまだそこにある」、それでは単なる誤魔化しだ、とフランクルは言うわけで、この批判はこの批判で理解できます。けれどそんなのほんとうのエンカウンター・グループじゃない、と言いたくなる方も多いでしょう。p277 この辺では、吉福がなんどもくり返し何とかのひとつ覚えで言っているエピソードを思い出す。エサレンのリーダーが70年代のプーナにおけるエンカウンター・グループに参加したときのことだ。未確認ではあるが、そこでたまたまケガをした人がいたという。「たまたま」であろうと思う。私も当時プーナにいて、さまざまな類似のグループセラピーに参加していたが、私自身はそれを目撃したこともなく、聞いた範囲でいえば、友人の誰もそのような事実を見たことはなかった。あっても本当のレア・ケースだ。 しかし、たまたまそのような事があったとしても、ここでフランクルの言っているように、時には、そのクライエントに蓄積していたエネルギーが暴発してしまうことは多いに考えられる。気球に思いをぶつけるだけではだめで、壁にぶつかっていってしまってケガしてしまう、ということもないとは言えない。もちろん、壁はソフトラバーで覆われており、熟練したファシリテーターたちが複数いるわけだから、そのような事態は最大限避けられなければならない。 そして、その中で、クライエントが抱えていたなにかの問題点に解決が見えたとしたら、それこそケガの功名ということだってありうる。技法中心ではなくて、ロジャース流にいえば、それこそ来談者(クライエント)中心療法でいいのではないか。著者がフランクルを最大限に評価することは構わないが、セクト的ひきこもることは必要ないだろうと思われる。
2008.12.13
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「テキスト/トランスパーソナル心理学・精神医学」ブルース・W.スコットン /アラン・B.チネン他/ 訳・安藤治・他 1992/12 日本評論社 単行本 433p Vol.2 No.468 ★★★★☆ トランスパーソナル紹介本も80年代の吉福伸逸グループから、90年代以降になると岡野守也や諸冨祥彦、安藤治という人々が活躍しだした。とくに、安藤治は医学者の立場からトランスパーソナルという概念に、心理学+精神医学の視点を注ぎ入れ、かつての流れに一線を画す研究をはじめた。 この本は「テキスト」というタイトルが示すように、教科書として作られた本だが、日本語に翻訳される段階で、かなりの部分がカットされている。日本の実情に合わせるためとはいうものの、筆頭の翻訳者に名を出している安藤治たちの強い嗜好性があったようにも見受けられる。 原書にありながら、日本語版では削除されたものは、「意識・情報理論・トランスパーソナル精神医学」、「カバラとトランスパーソナル精神医学」、「北米先住民の癒し手たち」、「現代物理学とトランスパーソナル医学」、「宗教的な人々のトランスパーソナル心理療法」、「幻覚剤心理療法」、「前世療法」などである(p425「訳者あとがき」)。この本に掲載されている部分とは重なっている部分も多いし、これらを加えるとかなりの大冊になってしまうので、割愛されたことはやむえないとしても、この本に掲載された論文よりも、削除された論文のタイトルのほうに、なぜか関心がつよく引かれるのだった。 つまり、吉福グループの熱狂的紹介の仕方に比べ、安藤たちの紹介は、かなり落ち着いたスタイルであり、逆に言えば、すこし毒気が抜かれてしまったトランスパーソナル「運動」の状態である。安藤たちはいったい何を抜いたのだろうと、興味が湧いてくるのである。幻覚剤、前世、原住民、カバラ・・などからは、すこしづつ距離を持って離れていきたいというのが安藤たちの本音なのではないだろうか。 対抗文化において重要なことは、そこに東洋宗教への傾倒が見られたことである。アラン・ワッツや鈴木大拙と言った学者たちは1950年代以前から著作をしていたのだが、それらは、広く関心を呼んだビートルズのヒンドゥー教への関心に端を発し、1960年代には目を見張る勢いで大衆に広がっていった。たとえば、「ハーレクリシュナ」としてよく知られているクリシュナ意識運動は、A・C・バクティベーダーンタがニューヨークに最初のセンターを開いた1966年に始まり、1974年までに54のクリシュナ寺院が米国とヨーロッパに建てられた。ヒンドゥー教の伝統からはまた、マハリシ・マヘーッシ・ヨーギの<超越瞑想>が広がり、それを一度くらいは試した米国人は数百万人にのぼる。また、それらにはバグワン・ラジニーシのコミューン組織のような物議を醸した組織も含まれている。チベット仏教もまたこの当時入ってきたが、カリフォルニアのニンマ研究所とコロラドのナローパ研究所のようなセンターの発展とともに急速に大衆に広がっていった。「第一部 序節」p16 カウンター・カルチャーやニューエイジ、ヒッピーやトラスパーソナルなどなど、その時々で、流行の形容詞がどんどん作られては風俗化していき、ときに納得、ときに拒否しながらも、その流れたちとつかず離れずの関係が続いてきた。しかし、よくよく考えてみれば、名前の付け方や範囲の括り方、見方、とらえ方は、相変わらず、それぞれが実に曖昧に思考しているのであり、醒めた目で、注意深く、ひとつひとつウォッチングしている必要性を強く感じる。 この安藤たちのトランスパーソナル「精神医学」などの見地も、なかなか信頼できそうでいて、実は、距離はますます離れていっているようにも思う。定方晟の名言を借りれば「神秘主義にみなぎる異常への志向と、空思想に見られる日常の強調」という時、精神医学は異常心理への志向に傾いているように感じられる。当ブログとしては、むしろ「空思想に見られる日常の強調」のほうに重きがある。精神医学よりは心理学のほうが身近に感じられるし、心理学よりは文化運動(ムーブメント)のほうがより一体感を持てるようである。さらには、運動よりも思想や哲学のほうがより個人的で扱いやすそうだし、あえていうなら、ひとつの極であるトランスパーソナル瞑想とでもなずけるべき人間生活の在り方に関心が行きつく。
2008.12.13
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<16>からつづく「私が愛した本」 OSHO <17> 5番目、J・クリシュナムルティの「最初にして最後の自由」(邦題「自我の終焉」)だ。私はこの男が大好きだ。そして私はこの男が嫌いだ。私が彼を愛するのは彼が真実を語るからだが、彼の知性ゆえに私は彼を嫌う。彼はただ理性、合理性であるにすぎない。彼はあの忌むべきギリシャ人、アリストテレスの生まれかわりではないのかね。私が嫌いなのは彼の論理だ。私が尊敬するのは彼の愛だ。しかし彼の本はすばらしい。 これは彼が光明を得た後の最初の本だった・・・・・そして最後の本でもある。ほかにもたくさんの本を著したが、それらは同じことの貧しい繰り返しにすぎない。彼は「最初にして最後の自由」以上のものは、ひとつも生みだすことができなかった。 不思議な現象だ。カリール・ジブランは、彼の傑作「預言者」をわずか18歳ののときに書いた。そして全生涯それ以上のものを創り出そうとして苦闘したが果たさなかった。ウスペンスキーはグルジェフに出会い、何年も間彼と生活し仕事をしたが、それでも「テルティウム・オルガヌム」を超えることができなかった。そしてJ・クリシュナムルティの場合もそうだ。彼の本「最初にして最後の自由」は本当に最初で最後の本だ。p35 5番目・・・・このシリーズの中でも最も不思議な瞬間にやって来た。「大師の御足のもとに」という題名の本がある。著者として書かれている名前は、ジッドウ・クリシュナムルティだ。だがクリシュナムルティは、自分は書いたことを覚えてもいないと言っている。それが書かれたのはもっとずっと以前、クリシュナムルティがまだほんの9歳か10歳だった頃のことだ。その本が出版されたそんな昔のことをどうして彼が覚えていられる? だがそれは偉大な作品だ。 私は、世界に初めて、誰が真の著者かを明らかにしたと思う。アニー・ベサントだ。アニー・ベサントがその本を書いた。クリシュナムルティではない。ではなぜ彼女はそれを自分の著述だと言わなかったのか? その裏には理由がある。彼女は、クリシュナムルティが世界中に導師として知られることを望んだのだ。それはまさに母親の野心だった。ベサントはクリシュナムルティを育て上げた。そしてすべての母親が自分の子どもがかわいいのとまったく同じように、彼女はクリシュナムルティを愛していた。年を取ってからの彼女のたったひとつの欲望は、クリシュナムルティが世界教師に、ジャガット・グルになることだった。もしクリシュナムルティが世界に対して何も言うことを持っていないとしたら、どうやってクリシュナムルティを世界教師として宣言できるだろうか? この「大師の御足のもとに」という本で、ベサントはその要求を満たそうとした。 クリシュナムルティは、あの本の著者ではない。本人が。その本を書いた覚えがないと言っている。彼は誠実な人間だ。きわめて正直だ。だがその本はいまだにクリシュナムルティの名の下に売られている。彼はそれを差し止めるべきだ。自分がその本の著者ではないということを、この本の出版社にはっきりさせるべきだ。もし出版社がそれを出版したいのなら、著者不明として出版すればいい。だがクリシュナムルティはそれをしていない。それが私に、クリシュナムルティはまだ禅の十枚の札、あの十牛図の9番目の絵の中にいると言わせるのだ。彼はそれを否定できない。ただ、自分には思い出せないと言うだけだ。否定するがいい! 自分の著作ではないと言うべきだ。 だがその本はすばらしい。実際、誰でもそれを書いたことを誇りに思うだろう。求道の道を旅し、導師と波長を合わせたいと望む者は、「大師の御足の下に」を学ばなければならない。私は学びなさいと言う。読みなさいとは言わない。なぜならフィクションは、ロブサン・ランパや彼の何十冊もの本のような霊的(スピリチュアル)フィクション、その他の多くの虚構作家の本は読むものだからだ。今ではたくさんある。そこに需要が、市場があるからだ。今では誰もが導師になれる・・・・。 ババ・フリージョン・・・・笑ってしまう。何という品質低下だ! フリージョンでさえ・・・・彼は今では変えた----自分を変えたのではなく、名前を変えただけだが・・・・彼はもう自分をババとはよんでいない。以前は自分をババと呼んでいたものだ。ババ・ムクタナンダの弟子だったからね。インドでは敬愛をこめて、導師はババと呼ばれる。そこで彼は自分をババと呼び始めた。だがその後、それではものまねだと気がついた。それを捨てた。今では自分をダダ・フリージョンと呼んでいる。ダダであろうとババであろうと同じことだ。すべてナンセンスだ。だがこういう人間はそこら中にいる。こういう人たちに気をつけなさい。自分が全面的に明瞭でなければ、こういう連中の網に引っかかる可能性はいくらでもある。p111 5番目、私はもう一度、J・クリシュナムルティにみんなの注意を惹きつけたい。その本の題名は「生と覚醒のコメタンリー」だ。これは何巻もある。それは星々の世界と同じ材料でできている。 「生と覚醒のコンタリー」は彼の日記だ。ときどき彼は自分の日記に何か書く・・・・美しい日没とか、一本の古木とか、あるはただ夕方・・・・ねぐらに帰る小鳥たち・・・・どんなことでも・・・・海に流れこむ河・・・・何でも自分が感じたことを、彼はときどき書き止める。この本はそうして生まれた。これは系統的に書かれたものではない。日記だ。だが、それを読んだけで、別世界に誘われる・・・・美の世界へ、あるいは、それよりはるかにすばらしい壮麗の世界へ。私の涙が見えるね? しばらくこの本を読んでいないが、この本のことを口にするだけで、私の目には涙が浮かぶ。私はこの本を愛している。これはかつて書かれた中で最も偉大な書物のひとつだ。私は前に、クリシュナムルティの「最初にして最後の自由」(邦題「自我の終焉」)が彼の最高の本で、それを超えたものは書くことができなかったと言ったことがある。むろん本に関してはその通りだ。「コメンタリー」は日記にすぎないからだ。本当の意味での書物ではない。だがそれでも私はこれを中に入れる。p145 <18>につづく
2008.12.13
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