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<1>よりつづく「チベットの死者の書」 原典訳 川崎信定 1989/05 筑摩書房 単行本 214p、 ちくま学芸文庫 1993/06 243p ★★★★★ 「裸形のチベット」を読みながら、「チベット<歴史>深読みリスト」にラインナップされている書籍も読みすすめてきた。その中でも、必ずしも意図したわけではないが、結果的に現在は、「ニンマ派をよく知るために」7冊の再読モードにはいりこんでいる。「改稿 虹の階梯」をちょびちょび読みすすめながら、横道に入り込んではうろうろ、引きさがってはちょろちょろ、という作業の繰り返しである。 そしてこの「チベットの死者の書」をまた読みなおすことになって、あらためてらせん階段の一段違ってはいるが、また振り出しに戻ったな、という感慨がわきあがってくる。この本を読み進めるには、中沢新一の「三万年の死の教え」を併読しながら、現代地球を考えながら、この「死者の書」を味わってみることも有効であろうかと思う。 存在本来(法性)が持つみずからの響きが千の雷鳴をもって轟く時に、これらすべてがオン・マ・ニ・ペェ・メェ・フームの六シラブルの声音となりますように。p91 「チベット死者の書」あるいは「チベットの死者の書」と通称されているこの本だが、「バルドゥにおける聴聞(トエ)による大解脱(ドルチエンモ)」という部分が中核となっているらしい。この書を読みすすめていくと、夥しいシンボルや特殊用語あるいは隠語が続出し、このまま字義通り暗証したり読み下したりしたとしても、現代人にとって、ましてやチベットの文化を知らず、ラマに帰依もせず、来世や輪廻転生システムを心底から理解しているわけでもない私のような者にとって、はてどれだけの価値があるのか定かではない。 ユングが絶賛したり、LSD体験と通底するとささやかれたりする本書ではあるが、ただただページをめくるだけでは、ほとんど意味がなさそうだ。これらのシンボルや用語をもう一歩深く理解するには、「増補 チベット密教」巻末の「チベット<密教>深読みリスト」に移行して、「密教」や「マンダラ」についての「土台」を作っていく必要があるのだろうが、それはまだまだ先のことだ。 密教の行者のなかで中程度から上級の者たちで<生起のプロセス(生起次題)>(ウトバッテイ・クラマ)と<完成のプロセス(究竟次第)>(ニシュパンナ・クラマ)の瞑想を行なった者やマントラ(真言)を唱えることなどの実修を行なった者は、この<チョエニ・パルドゥ(存在本来の姿の中有)>にまで彷徨ってくることはない。彼らの吐く息が絶えるとすぐにヴィディヤーダラとシューラーとダーキニーなどがお迎えに来て、かならず<清浄なクァサルパナ>の世界へと案内してくれるだろう。その証拠となる徴候として、空は曇りなく、彼らの姿は虹と光に溶け入り、花の雨や薫香のかおりが満ちる。虚空には楽器の音や光明が現れ、それに遺骨や舎利灰に聖像などが現れる瑞兆がでる。それがその証拠である。しかし、戒律を堅固に守る和尚とか顕教の学者や、誓いを守る意志を弱めてしまった密教行者や、一般の俗人たちすべてにとっては、この「パルドゥにおける聴聞による大解脱」の助けがなければ解脱のための手段(方便)がないことになってどうしようもなくなるのである。p67 巻末にある「補注」や「解説」、「あとがき」など、ひとつひとつが興味深く、まだまだこの書を終了することはできない。何度も戻ってこざるを得ない原点のようなものだ。 オン・マ・ニ・ペェ・メェ・フーム
2008.09.29
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<2>よりつづく「虹と水晶」 <3> チベット密教の瞑想修行ナムカイ・ノルブ /永沢哲 1992/02 法蔵館 単行本 242p すべてを生み出す王である心を、あるがままの本然の境地に置いておくのでなければ、たとえ密教の「生起次第」や「究境(ママ)次第」を修行し、無数回、マントラを唱えたとしても、完全な解脱にいたる道を進んでいるとはいえない。一つの国を征服するには、国王や重臣など、中心となる者たちを屈伏させる必要がある。国民の一部や大臣を何人か従えたところで、自分の目的を果たすことはできない。 気を散らすことなく、目ざめたまま、自分の心を観察し続けるのだ。それができずに、心が外にさまよい出ていくようでは、終りのないサンサーラから、自分を解き放つことは不可能だ。散失と忘却と幻影の支配から心を解き放ち、自分をコントロールして、覚醒を保ちながら真の境地にとどまる。そうすれば、すべての教えのエッセンス、すべての道の根本を自分のものにすることができる。p198 ここで、何が語られ、何が語られなかったのか、は、一読書子としては明確な判断はつかない。ゾクチェンの真髄、ゾクチェンの境地、それらの言葉やシンボルから、判断するだけだが、ここで指し示されようとしていることは、そのまま、違和感なく飲み込むことができる。 行為における自己解放が、ゾクチェンのタントラ、アーガマ、ウパデャすべての基本原則だと言うと、現代の若者たちは大喜びする。だが、中には、覚醒した知恵が自己解放の真の土台だということを理解していないものもいる。それ以外にも、理論上はそれについてすこしは知っているため、議論はできても、あいかわらず現実に実践しないという欠点を持っている者も多い。薬の性質と効能を良く知っている病人がいて、その薬を上手に説明することができたとしよう。それでも、本人がその薬を飲まなければ、けっして病気を治すことはできない。わたしたちの心も同じだ。無量の時間のあいだ、わたしたちは二元論的なあり方に条件づけられ、その限界に服するという深刻な病を抱えてきた。それを治す唯一の治療法は、さまざまな限界のわなに陥ることを避け、自己解脱の本然の境地を真の意味で理解することだ。p207 道を尋ねても、その道を行く気持ちがないのであれば、最初から道を尋ねる資格はない、ということは、そのとおりだと思う。 マハームドラーやゾクチェンについてたくさんおしゃべりしたところで、本当は、細部にいたるまで、世俗八法のとおりにふるまう専門家になるだけのことだ。それは真実の慈悲がまだ生まれていないことをはっきり示している。そして、その根源は、覚醒と知恵が、自分の心の連続体に、いまだ真の意味で、生じていないという点にある。p211 当ブログも、不注意なおしゃべりは無用だということを、肝に銘じておく必要がある。 いま、地球では、全体の交通の流動化の中で、新しい文明はどんなものでありうるのか、さまざまな模索が続いている。その基本的条件は、宇宙の発生や、生命の死の瞬間にかかわる、次元と、多様な生命のおりなす具体的領域とを、自由に往来する知性と生き方のスタイルを生み出せるか否かにかかわっている。一方で、心の本性について、自分の生体を実験室にして、現代の素粒子論と見まがうような精密な哲学を練り上げ、他方では、薬草の知識や民衆のアニミスティックな世界にも通暁し、日々の要求を満たしながら、生と死の薄い被膜をわたる、たわむれにみちた実存的自由の冒険をつづけてきたゾクチェンの伝統は、そんな新しい文明のあり方について考えるうえで、一つのモデルたりうるのではないか、と私は思う。p240「訳者あとがき」永沢哲 この本が日本で最初に出されたのは1992年。当時と比べ、交通ばかりか、情報網としてのインターネットが爆発的に発達した21世紀の現在、この訳者の予感、直観は、ますます妥当性を持っているのではないだろうか。
2008.09.28
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<1>よりつづく「虹と水晶」 <2> チベット密教の瞑想修行ナムカイ・ノルブ /永沢哲 1992/02 法蔵館 単行本 242p ★★★★★★★ さて、この本、「チベット密教の瞑想修行」というサブタイトルになっているが、本当にこの翻訳でいいのだろうか。 外側から見て、ゾクチェンの修行中だと思われるようなものは、何一つないのである。本当に修行しているかどうか、知る方法もない。ゾクチェンの修行は、外見とまったく無関係なのである。相対的な条件の中にあるすべてを修行に取り入いれ、両者を一つのものにするのである。p164 日本語の「修行」というイメージとここで書かれている「修行」では、まったく別次元の可能性がある。他の本に書かれている「チベット密教の瞑想修行」という単語と比較しても、まったく意味が違う可能性がある。 わたしは政治的な困難のためチベットを去り、イタリアのナポリ大学の東洋研究所にポストを得て、最終的に西欧に身を落ち着けた。そして、人々の生活の外的条件や文化は、たしかにチベットに残してきたものとは違っているけれども、あらゆる個人の基本的条件はまったく同じだということに、気がつくようになったのである。ゾクチェンの教えは、文化に依存していない。だから、異なる文化的コンテクストにおいても教えることができるし、理解し、また修行することができる。そのことをわたしは悟ったのである。p25 この文脈においての「修行」もまた、チベット語、イタリア語、英語、日本語を渡り歩くうちに、その言語の中にもっともなじみやすい言葉に翻訳されているのだろうが、私たち日本人もまた、簡単に自分のいままでのイメージでこの「修行」という単語を鵜呑みにしてはいけない。 禅は大乗の一つであり、「即座に悟る」方法だとよくいわれる。ゾクチェンも直接に悟らせる道なので、両者は同じものだと考えている人も多い。だが、両者の修行法と、修行結果である悟りの境地は、まったく別のものだ。p49 ゾクチェンは顕教でもなければ、密教でもない。ゾクチェンの伝授の基盤となるのは、導き入れであり、密教の場合のような顕現でもない。ゾクチェンの中心の修行は、直接、心に取り組み、個人を原初の境地に連れ戻す。この原初の境地は、ラマから直接に開示され、大いなる転移、または、虹の身体の完全な悟りが得られるまで、修行者はその境地にとどまりつづけるのである。p51 チベットにおけるパドマサンバヴァの最初の弟子たちは、自分たちが学派や宗派を形成しているなどとは考えてもいなかった。彼らは単に、タントラ仏教とゾクチェンの修行者だったのである。だが、その後、インド密教の成就者たちから始まる、ほかの伝授の系譜にしたがう修行の伝統がチベットに到着して、宗派に成長するようになった。そのため、パドマサンバヴァの教えに最初にしたがった人々は、「ニンマ派」、ないし「古派」と呼ばれるようになったのである。 だが、ゾクチェンそのものが、何か独立した学派や宗派だと考えたり、あるいはどこかの学派に属していると考えるあやまちをおかさないよう、気をつける必要がある。「ゾクチェン」という言葉が意味しているのは、いかなる時も、原初の境地そのものなのである。p61 現代のチベットを研究する学者たちは、おのおの好き勝手にいろいろなラベルを張っては、自らの研究の対象にしているようだが、本来、「派」と言う言葉のなかには、チベット側からすると、いわれのない「分別」が含まれてしまっているのである。 水晶に降りかかった太陽光線が、水晶に反射され、屈折すると、さまざまな色のスペクトルからなる、光線とパターンが生じてくる。この光線やパターンは、水晶とはまったく別もののように見える。だが、実際には、水晶そのものの特質のはたらきなのである。それと同じように、外部の現象世界としてあらわれているものも、実は、本人のエネルギーを自分の感覚によって、知覚したものに他ならない。実際に自分から切り離されたり、その外部にあるものなど、何一つない。ゾクチェンないし、大いなる完成とは、まさに、この「あるがままのもの」の根本的な統一性の経験に他ならない。p98 この部分が本書のタイトルの「虹と水晶」の依って立つところであり、チベットの人ナムカイ・ノルブの言わんとするゾクチェンの意味そのものなのである(もっとも英語原書のタイトルは「The Crystal And The Way of Light」)。 偉大なゾクチェンのラマだったユントゥン・ドルジェペルが、あるときこう聞かれた。「どんな瞑想を修行しているのですか?」答えて曰く、「なんの瞑想をしろと言うんじゃい」ふたたび尋ねて。「では、ゾクチェンでは瞑想はしないんですね?」それに答えて、「いつわしが(三昧の状態から)気をそらしたことがある」 p112 ゾクチェンの「秘密」は、本当に「公然の秘密」なのであって、誰でもいったんそれを理解してしまえば、まったく明白なことだ。誰かが、何かを秘密にして、他人から隠しているわけではないのである。p115 ゾクチェンの教えの区分は、ただ説明のためのものにすぎない。悟るというのは、自分自身の最初からの条件、すなわち土台を、現実のものにすることを意味している。悟りとは、何か作り上げていく必要があるようなものではない。すべての始まりからもともとそなわっている根本なのである。特にゾクチェンは、段階を踏んでいく方法ではないから、まさに、この原初の境地にはいることこそが道となる。この境地は土台であるとともに、結果でもあるのである。p163<3>につづく
2008.09.28
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初読よりつづく「三万年の死の教え」 再読=<2> チベット『死者の書』の世界中沢新一 1993/09 角川書店 単行本 199p 、 角川文庫 1996/06 186p ★★★★☆ 三つの部分からなりたっているこの本の中では、第二部の「『死者の書』のある風景」が、いちばん最初に出来上った。この部分は、『バルド・トドゥル』を主人公にした、NHKスペシャルの番組のために依頼された台本として、まず書かれたのだ。番組では、この台本をもとに、チベット人のケルサン・タウワとぼくの共同で、チベット語の台本がつくられ、さらにそれはラダック語に直されて、ラダックの僧侶たちによって、演じられたのである。p188「あとがき」 この番組は、「NHKスペシャル チベット死者の書 第2夜ドキュメンタリードラマ 死と再生の49日」として 、1993年9月24日にNHK総合で放送された。そして、プロデューサーであった河邑厚徳たちが、別途、単行本「チベット死者の書」 を出版している。ちょっと不思議だな、と思うのは、ここで1993年9月というものが3つも重なっていることだ。ましてや、放送日が9月24日なのに、他の二冊は9月発行とは言え、業界の通常として、その日付よりも早く8月位に店頭に並んでいた可能性がある。ひょっとして、放送はすでに一度行われていて、この日程は、「再放送」であった可能性がある。 1930年代のヨーロッパ思想に、『チベットの死者の書』は、大きな影響をおよぼしたのです。それは、偉大なる「誤訳」だったのかも知れません。私はこの「誤訳」という言葉に、最大限の肯定的な意味をこめたいと思います。それはたしかに、学問的にはいろいろな問題点をはらんでいます。しかし、エバンツ・ヴェンツのとったような、神智学的、オカルティズム的、ヴェーダーンタ哲学的なアプローチによって、この難解なチベット密教の書物を、曲解とはいわないまでも、積極的に自己流に解読することによって、この書物は、ヨーロッパの思想世界に、すんなりむかえられることができたのです。そうでなかったら、この書物はそんな話題になって、多くの思想家に影響をあたえたり、という事態には、ならなかったのではないでしょうか。ですから、「誤訳の効能」の、もっとも典型的な例が、『チベット死者の書』である、とも言えるのではないでしょうか。p22 エバンツ・ヴェンツの仕事を正確に評価することは難しいだろうが、「語訳」、「曲解」と推定しながら、なおその仕事を、「最大限の肯定的な意味をこめたい」と思うのは結構だが、それはひょっとすると、同時に進行していた、自らの「改稿 虹の階梯」1993/05を弁護していたのではないだろうか。私は、この「改稿 虹の階梯」を読みなおしながら、どうもいつもの中沢のカメラ視線の発言がとても気になってしかたないのだ。 私は文献学者でもなければ、理路整然とした読者でもない。だからイメージだけをメモしつづけるだけだが、むしろ初版の「虹の階梯」よりも、「改稿 虹の階梯」は筆者が「完全版」と豪語するのに反して、「誤訳」、「曲解」なのではないか、とうすうす感じ始めている。どうもに気になってしかたない。 「虹の階梯」の導師であるべきラマ・ケツン・サンポの自伝「知恵の遙かな頂」を読みなおしてみたり、ナムカイ・ノルブの一連の書「ゾクチェンの教え」や「虹と水晶」などを読みなおしてみると、いわゆる中沢が語ろうとする「ゾクチェン」と、実際の「ゾクチェン」には、かなりの開きがあるのではないか、とかなり危惧し始めている。それこそ、「最大限の肯定的な意味」を込めて「誤訳」・「曲解」してしまったのではないか、とおそれる。 もともと言語化できないものを言語化しているわけだから、誤解、曲解は避けられないものの、この一連の周辺の仕事が同時に進行していた麻原集団の所業に積極的な「誤解」「曲解」の足がかりを与えてしまったとしたら、結果責任として、中沢の仕事はやはり厳しく糾弾されてしかるべきだと思う。 最近のJ祐本人のサイトを見ても、この「改稿 虹の階梯」を別格にとらえ(彼は、逮捕後にこの本をさし入れてもらっている)ているところを見ると、やはり、中沢の「誤訳」「曲解」は、責任を負わなくてはならないだろう。ロバート・A.F.サーマンのように、積極的に現代人の立場から読みなおした「現代人のための『チベット死者の書』」 のように明確にその立場を明確にし、注意深くものごとを進める必要があったことは、間違いない。 さて、そういった周辺の事情や結果を考えながらも、なおこの「三万年の死の教え」を読むことは、時代の背景を理解することは大いに価値がある。「チベット<歴史>深読みリスト」のなかで紹介されている、ニンマ派とゲルク派の「チベット死者の書」、そしておおえまさのりがもともと訳していた「チベットの死者の書」を並べて読みなおしてみるのも、いつかは一度やってみたい作業である。
2008.09.28
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「チベット巡礼」小野田 俊蔵 (著), ペマ ギャルポ (著), 田中 公明 (著), 宮本 久義 (著), 永橋 和雄(写真) 1997/02 KDDクリエイティブ 176p Vol.2 No.322 ★★★★☆ ラマ僧たちの教義や密教修行にフォーカスしていると、逆に普通のチベット人の人々の純朴な巡礼がむしろ新鮮な風景として蘇ってくる。しかも写真集だから、圧倒的な説得力をもってチベット高原の風景が迫ってくる。ラマ僧たちの修行と、民衆の巡礼、この二つがあってこそのチベットの日常だ。 田中公明やペマ・ギャルポなどが文章を書いている。寺や地名、仏像やマンダラの詳細についてもっと知っていれば、もっともっとこの写真集を楽しめるに違いない。写真の永橋和雄には「ブータンのツェチュ祭」、 「図説チベット歴史紀行」、などがある。 厳冬の塔爾(タール)寺で、羊の毛を裏地にした牧衣(ドクチェ)を身につけて一心に「オン・マニ・ペメ・フーン」「オン・マニ・ペメ・フーン」と観音六真言を唱える巡礼 p11 オン・マニ・ペメ・フーン
2008.09.28
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<3>からつづく「ゾクチェンの教え」 <4> チベットが伝承した覚醒の道ナムカイ・ノルブ /永沢哲 1994/03 地湧社 単行本 197p 仏教僧は、戒律を捨てずに、十分ゾクチェンを修行できる。カトリックの僧侶、事務員、労働者にしても同じだ。社会的役割を捨てることなしにゾクチェンを修行することは、まったく可能なのだ。ゾクチェンは、外側から人を変えようとしないからだ。そうではなくて、内側から目を覚まさせるのだ。ゾクチェンのラマが言うことはただ一つ。自分を観察せよ、そして教えを日常生活で実践するための認識と知恵を獲得せよ、ということだ。p17 ゾクチェンにおいて<悟り>というのは、鏡のような心の境地を指している。この鏡のような心の境地を<明知(リクパ)>ともいう。そこにどんな像が映し出されても、その本性が汚されることはない。みずからの真の本性を悟ったままの境地にあるのだから、何かによって条件づけられることはありえない。生じてくるものはすべて、みずからの原初の境地そのものにそなわっている特質の一部として体験される。根本的に重要なのは、相対的な条件を捨てたり、変容させたりするのではなく、その本性を知ることだ。この目的を達成するためには、自分自身をおおっている、さまざまな誤った概念や歪曲を、すべてきれいに洗い流す必要がある。p25 密教経典(タントラ)の期限について、もっとも有名な経典のひとつ、カーラチャクラ・タントラを例にとって考えてみよう。カーラチャクラ・タントラは、釈尊によって伝授されたと考えれている。しかし、肉体的存在としての仏陀が伝授したとは、とても考えられない。なぜなら本尊のカーラチャクラは、その明妃(みょうひ)と抱き合った、<ヤブユム>(「父母」)と呼ばれる合一の状態にあると書かれているからだ。ところが、釈尊はまぎれもなく出家した僧侶だったのである。この例からわかることは、タントラの伝授が、日常的な接触から生じるものではなく、報身の次元の浄土に変化し、姿をあらわした如来によって行われるということだ。この浄土の次元は、それを知覚するに充分な能力をそなえた個人にのみ見える。p39 ふつう生きものは、不浄な顕現の中にとらわれている。その不浄な顕現を、密教行者たちは、瞑想と真言の力によって、本尊の清らかなマンダラの権限へと変容させるのである。すべての密教修行の土台にあるのは、このような変化の原則だ。密教はエネルギーのはたらきについての知識にもとづいているのである。<タントラ>という言葉は、ほかでもない<連続>という意味を持っている。顕現し続ける本然の境地のエネルギーの本性を、この言葉は表現しようとしている。p46 悟りの境地は、ゾクチェンの師から、口頭、象徴、そして直接の三種類の伝授をつうじて伝えられる。ゾクチェンの場合、密教のように灌頂の儀式が必要不可欠なわけではない。灌頂の真実の意味はリクパの境地の伝授であり、この伝授は、単純な説明を与えるだけでも起こりうる。それは弟子がどれくらいの理解力を持っているかにかかわっている。p68 チベット仏教では、見解という言葉は、ふつう、それぞれの宗派の土台になっている特定の哲学理論のことを意味している。チベット仏教のすべての宗派は、ナーガルジュナの著作に示されている哲学を認めている。ナーガルジュナの中観の見解は、大乗仏教の哲学の究極の到達点であり、最高の見解だと考えられている。この哲学的な伝統によれば、究極の心理、即ち勝義諦の観点からは、何かを絶対に真実であると断言することはできない。なぜなら、究極のリアリティは表現を絶した空だからである。こういった推論と呵責ない論理によって、ナーガルジュナは、同時代の他のすべての哲学的な学派の極端な見解を転覆してしまった。p113 ゾクチェンの修行は<無努力>だ、とよくいう。たしかにゾクチェンでは、何かを作り出したり、変えたり、修正しようとはしない。ただ「あるがまま」の本然の境地の中にとどまり続ければよい。ところが、概念を超えた境地を指しているはずの言葉が、一つの概念になってしまう場合がある。名前を聞かれ、名前はないと答えたのに、間違ってその人のことを「名なし」と呼ぶのと似たようなものだ。p123 このように変化の道である密教においても、修行の最終段階では、想像力によって作り出された構築物は破壊され、修行者は、概念の彼方にある清らかな光に満ちた神仏と一体となった境地に到達する。けれども、このレヴェルに達するには、何年もの隠棲修行が必要とされる。一方、<自己解脱>の道であるゾクチェンは、悟りの境地から出発する。それがすべての根本だ。けれども、だからといって、何かをいったん悟ったら、それを概念の枠にはめこみ、絶対にそれを変えない、という意志的な決断をするという意味ではない。p131 ゾクチェンの修行者は、山の頂上で瞑想するために、社会を放棄して隠棲する必要などない。隠棲してしまうのは、とくに現代社会においては困難だ。食べ、ふつうに生活していくために働く必要があるからだ。三昧をいかに日常生活と一つのものにしていくか悟ることができれば、日常生活を続けながら、隠棲しているのとまったく同じ進歩をとげることができる。p139 ゾクチェンの場合、唯一守らなければならない三昧耶戒とは、<真如>の境地にとどまることだ。それ以外のすべて、すなわち意識や判断がこしらえたいっさいの制限は、ただ虚偽であり、表面的なものにすぎない。必要なのは、気を散らすことなく、つねにリラックスした状態に入っているようにすることだけだ。p145 超宗派の伝統のラマたちもそれと同じだ。みなゾクチェンを修行していたし、その行為は宗派の枠組みを超えていた。けれども、だからといって宗派のものの見方にことさら対立しようとしたわけではない。 ゾクチェンにはこんな言葉がある。「限界にとらわれてはいけない。宗派に属してはいけない」。実際さまざまな限界づけは、二元論とは何か、きわめてはっきり示してくれる。二元論こそ、輪廻の原因に他ならない。p156 ゾクチェンにおいて、自分がどこに到達しようとしているのか、正確に知ることが重要だ。だが同時に、自分自身の能力を無視すべきではない。自分が覚醒と知恵にしたがって生きていくだけの充分な能力を持っていないことに気がついたら、覚醒と知恵が成長するまでは、何か規則にしたがう方がよいだろう。p160 ゾクチェンは、すぐれた能力の持ち主のための教えだと言われている。すぐれた能力というのは、教えを理解し修行することが可能な特性をもっていることを意味している。そういった特性がどれか欠けているなら、育てる努力をすればよい。結果を得るためにには、一瞬一瞬自己を観察する覚醒と知恵の両方が必要だ。p161 最初のゾクチェンのラマであるガラップ・ドルジェは一生を教えに捧げたのち、未来のゾクチェンの修行者のために、三行からなる短い遺言をのこした。そこにはこう書かれている。 直接に境地に導き入れよ。 疑いがない境地にとどまれ。 自己解脱の深遠なる悟りの中にとどまり続けるのだ。 p168
2008.09.26
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「破産者オウム真理教」管財人12年の闘い阿部三郎 2008/06 朝日新聞出版 単行本 276p Vol.2 No.321 ★★★★☆ 眼を通したものの、なんのメモもしないで終わってしまった本もある。再読したり、何かの機会のついでに書いたりして、お茶を濁すことも多い。さて、この本もメモしておくかどうか悩んだ一冊。当ブログでは「麻原集団事件」に関する本をすこしづつ読みすすめている。長年直視することができなかったが、事件後10年が経過した時点で、ようやくざっと読んでみようかなと思ったのだった。 そして、何十冊か読んだ時点では、「慟哭--小説・林郁夫裁判」佐木隆三著を持って、とりあえずの中間結論としておいた。しかし、それでかの集団についての追求が終わったわけではない。もうすこし時間をかけた上で、またかの事件を直視する作業を再開しようと思っている。当ブログで現在「チベット<歴史>深読みリスト」を読みすすめているのも、かの事件をもうひとつ別な次元で解体してみようと思っているからでもある。 1987年6月ごろ、オウム真理教に名称を変更する。同年7月、麻原は説法でそれまでの小乗仏教から大乗仏教の教えに重点を移した。そして、核戦争が起きて世界は滅びるが、教団が三万人の解脱者を生み、解脱者が世界へ広がれば核戦争は回避できるなどと人類救済を説き始める。 教義はその後、大乗から秘密乗(タントラヤーナ)、そして秘密金剛乗(タントラ・ヴァジラヤーナ)へと移る。秘密金剛乗とは修行の最上級にあたるステージで、グルに絶対的に帰依し、「救済のためには殺人もやむを得ない」とする教義である。また、説法の中で「ハルマゲドン(人類最終戦争)は不可避」として、人類救済の重要性を説き、オウムによる救済活動の重要性を説いた。 刊行された著書「滅亡と虚空へ」の中で、「まず、ハルマゲドンは回避できない。しかし、オウムが頑張って多くの成就者を出すことができれば、その被害を少なくすることができる。ハルマゲドンで死ぬ人々を、世界人口の4分の1に食い止めることができる。そして、残りの4分の3の人口の中でどれだけ生き残れるかは、オウムの救済活動次第だと。わたしは、わたしに与えられたこの使命に命を懸けている」などと説いている。p14 1996年に当団体破産管財人を引き受けた時点で、すでに著者は70歳を超えていた。その後12年を経て、今年この本を出したわけだが、この人の口からこのようなかの集団の経緯を聞くと、なんとも不思議な違和感を感じてしまう。 ここに書かれているのは、すでに何度もメディアを通じて語られた、かの集団のステレオタイプの経緯を示す文脈だ。煎じつめればこのような経緯になったとまとめることはできるだろうが、当の集団自体は、そのような経緯などほとんど関係なく、ただただ世紀末幻想に向って突っ走ってしまっただけではなかったのか。教義や予言などは、もちろん、なんの裏付けもなく、集団が暴徒と化す過程でのカモフラージュでしかなかったのだ。 林郁夫も一人で松本に報告に行き、「今、さっき戻りました。やってきました。」と言うと、松本は、違和感もなく、「そうか。」とうなづきながら「三塩化リンとフッ化ナトリウムを治療棟に隠すから協力してくれ。指示はマンジュシュリー(村井)がするから。シヴァ大神とすべての真理勝者方にポアされてよかったね。マントラを1000回唱えなさい。」などと言った。 「ポアされてよかったね」とは何事だ。 人間の尊厳はどこにあるのだ。 p71 一時、流行語にさえなった「ポア」。 「改稿 虹の階梯」などでは「ポワ」だが、かの事件後、チベット密教の文脈でその含蓄を味わいなおした人々はどのくらいあっただろうか。 いつ死が訪れてくるか、それは修行者にとっても定かではない。ゾクチェンの境地に到達し、心の本性を知った者にとって、死は少しも恐ろしいものではなく、むしろすべての束縛から解き放たれた心がその本然の姿に立ちかえる。喜ばしい出来事と受けとられるようになる。しかし、そこにたどりつく前に死を迎えなければならない者がほとんどである。ポワは、たとえいつ死が訪れても動ずることなく、確実に心(意識)を身体からぬきだして、より高い状態へと移し変えるための身体技法であり、チベットでは密教行者ばかりではなく、一般の人々にも広く学ばれてきたものである。「改稿 虹の階梯」1993/04 p553 この部分は初版1981/07でもまったく同じ文章が書いてある。この死生観を、文化的背景、社会的歴史を無視して、中世チベットの地からいきなり現代日本に輸入したとしても、このままではまったくなんの意味もない。かの集団は、本質的には、チベット密教とはまったくなんの関係がなかった。 しかし、ここまで来てみると、それでは、それらチベットの文化や歴史を十分に吟味しないで、一連の「ポワ」という文化を不容易に紹介してしまった「虹の階梯」などの「責任」も、やっぱり問われることになるのではないだろうか。「階梯 虹の階梯」も誰が誰に向って何をどう書こうとしているのか、非常にデリケートな問題だ。法は人を見て説け、と言われているのだが。 この本、事件後に委任された弁護士が、破産した教団に残された財産を明確にして、重篤な被害にあっている被害者の賠償にあてる、と言う作業の12年間の経緯をまとめたものだ。だから、いわゆるスピリチュアリティとしての側面からのアプローチはない。しかし、5000人を超える被害者を考える時、決してあの事件があったことは忘れてはいけない。著者は1926年宮城県女川町生まれ。1999~2005、中央大学理事長も務めている。
2008.09.26
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「KUNDUN クンドゥン」 なぜ、彼はチベットを逃れねばならなかったのか--?1997年 アメリカ 監督マーティン・スコセッシNo.V091★★★★★■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■Kundun Part 1Kundun Part 2Kundun Part 3Kundun Part 4Kundun Part 5Kundun Part 6Kundun Part 7Kundun Part 8Kundun Part 9Kundun Part 10Kundun Part 11Kundun Part 12■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
2008.09.25
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<2>よりつづく「ゾクチェンの教え」 <3> チベットが伝承した覚醒の道ナムカイ・ノルブ /永沢哲 1994/03 地湧社 単行本 197p ★★★★★★ 「わたしは彼のことを何年もの間知っていたにもかかわらず、そんなに立派な行者だったとは一度も気づかなかった」。しかしゾクチェンの修行者の多くはそういうものだ。大半はふつうの庶民であり、外部にはそんな素振りはちっとも見せないのに、心の中には真実の悟りを抱いているのだ。p82 ますますゾクチェンの成就者の姿は、十牛図の十番のイメージと大きく重なる。 エネルギーのあらわれ方の一つである<ツェル>は、水晶球にたとえることができる。なぜなら水晶は透明であり、その本性は明燈、純粋かつ透明だからだ。すでに見たように、二次的な原因(縁)となる太陽光線があれば、水晶からは無限の虹の光が放たれる。この比喩は、次のようなことを示している。すなわち、守護尊のマンダラという形をとって顕現する如来たちの清浄な顕現も、二次論とカルマによって制約されている生きものたちの不浄な顕現も、それぞれの土台となる本来の境地からあらわれてくるもので、水晶に太陽の光があたったときにあらわれてくる光線と、同じようなものだということだ。水晶からは何千もの色や形があらわれてくる。それと同じように、みずからの原初の境地から、無現に多様な現象が生まれてくるのだ。p106 著者ナムカイ・ノルブには 「虹と水晶 チベット密教の瞑想修行」がある。この本を読んだ時は、虹と水晶という言葉に魅力は感じたが、はっきりした意味はつかめなかった。今回、上の話を読んでようやく意味がわかった。ゾクチェンは透明でありながら、虹のような身体としての「実体」があるということか。 ゾクチェンを禅と対比しながら、<頓悟の道(チクチャル)>に分類した学者がいる。この頓悟という表現は禅でよく使われる。だが、ゾクチェン経典の中には<直接的な道>とか<頓悟の道>といった表現は、まったく出てこない。なぜなら直接的な道という考え方の中には、一方に自分の出発する場所、そしてもう一方に目的地といったものが必ずあるという意味が含まれているからだ。ところがゾクチェンにおいては、悟りの境地という唯一の根本があるだけだ。そしてこの境地に入っていさえすれば、すべてのはじまりから、自分はすでに自分が到達したいと思っている場所にいるのだということが、直接明らかになる。そのため、この境地<あるがままで完璧な(ルントウップ)>と呼ばれている。p110 この辺までくると、かなり聞き慣れた話題になってきた。聞き慣れているというだけで、それを体で理解しているとは言えないが、すくなくとも今までの自分のなかの<伝統>に組み込みやすい形に噛み砕かれている。しかしながら、それは食べやすいだけに、自分のほうは無意識にわけもわからず飲み込んでしまう可能性もある。 ゾクチェンの修行をするのに、宗教的・哲学的な伝統のさまざまな概念を学ぶ必要はない。ゾクチェンは、入り組んだ概念や表現をたくさん使うことなしに、完全に理解することができる。p111 同時に「改稿 虹の階梯」を読みすすめているのだが、そちらは、初版本より、余計な飾りが増えたようなイメージがある。同じゾクチェンをテーマに扱っているのなら、こちらのナムカイ・ノルブのほうがわかりやすい。しかし、わかりやすいことだけが善いことでもない。つまりは、自分がゾクチェンの境地にいるかかどうか、というところが問題だ。 密教においては、すべてのはじまりからある心の本性を直接に示す導き入れは、<生起次第>と<究竟次第>が終わってから、修行の最終段階で行われる。ところが、ゾクチェンの場合、この境地に直接に導き入れる。この導き入れは、意のレヴェルだけでなく、身体とエネルギーを含む、すべてのレヴェルにかかわっている。三昧の境地に入り、どんな状況においてもそれを持続するためには、存在のすべての側面が、この修正されることのない境地の中にある必要があるからだ。p124 ここまでくると、ここで書かれているゾクチェンというものの魅力がますますアップしてくる。他の書で書かれているものから自分が受け取ったイメージがかなり違う。この本が本当なのか、この本のほうが異端なのか。 学問や分析や哲学的な探究は、それをどう生かすかがわかっているのなら、有益なものだ。けれども、悟りに対する障害になってしまうことだってありうる。p154 くわばら、くわばら。持って肝に銘すべし。 ゾクチェンの根本は、いっさいの欺瞞と作り物から遠ざかり、自分の行為の理由を本当の意味で理解することだ。自分はどの宗派、伝統、あるいは、見解を守っている、と枠づけすることは無意味だ。自分が仏教徒であるかないか、考えるのも無意味だ。そもそも何かを信じているかどうか考えこむのは、狭苦しい限界の中にある心のはたらきに他ならない。本当に必要なことは、自分自身の本来の境地を悟り、自分を開き、そういった障壁をすべて取り除いてしまうことだ。p155 うむ、ますますゾクチェンの世界が好きになりそう。<4>に続く
2008.09.25
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<1>よりつづく「ゾクチェンの教え」 <2> チベットが伝承した覚醒の道ナムカイ・ノルブ /永沢哲 1994/03 地湧社 単行本 197p ゾクチェンは、学派でも、宗派でも、宗教制度でもない。ゾクチェンとは、ラマたちが、宗派や僧院の伝統の周囲に形成されてきた制約を、すべて超えて伝えてきた、悟りの境地に他ならない。ゾクチェンのラマの中には、農民、遊牧民、貴族、僧侶、偉大な宗教的人格など、ありとあらゆる社会階層の人間がいた。その宗教的霊的出自も、すべての宗派に広がっていた。p15 このようにすっきりと言明してもらうと、時間が省ける。最初からこのような文言に出会えば楽なのに、ボンクラの目にはなかなか読む込むことができなかった。まぁ、次第次第に、大事なところが目に飛び込んでくるようになれば、結果的に時間がかかってもそれはそれでOKということにしておこう。 密教の修行には<生起次第(キエリム)>と<究竟次第(ゾクリム)>という二つの過程がある。生起次第においては、マンダラの主尊の種字や四元素の種字からはじめて、しだいにその全体を観想していく。創造的想像力によってマンダラのイメーを作り上げたら、その観想を保ち、本尊に変化したままで真言を唱え続ける。この過程においては、意識の想像力を駆使して、それを究極に押し進めるのである。次の究竟次第の中心は、チャクラや脈管が作りなす内なるマンダラを観想し、真言の種字に意識を集中することだ。真言の種字は、たえず、本尊の中心の種字の周囲を回転している。p46 あちこちで何度も聞いたフレーズだが、よくまとまっているし、またすぐに忘れるといけないので、メモしておく。 段階を踏みながら、徐々に本尊の姿を観想し変化を深めていくこの修行法は、ニンマ派のマハーヨーガと、ニンマ派以外の宗派の無上ヨーガタントラのものだ。これに対して段階的にイメージを作りあげていくのではなく、一瞬にして本尊に変化に変化する観想のやり方による密教の修行法もある。この修行法は、ひとりひとりの根源にある原初の境地においては、マンダラも本尊も、すべてのはじまりから、あるがままで完成を遂げているから、段階を踏みながら細部を作りあげ観想していく必要はない、という考え方にもとづいている。したがってこの修行法の場合、マンダラの浄土がただちに顕現する。一瞬にして浄土が姿をあらわすのである。また、この修行は、二つの次第のうち、おもに<究竟次第>に重点を置いている。アヌヨーガの場合、修行を成就した結果生まれる完全な統一の境地は、マハームドラーではなく、<ゾクチェン>と呼ばれる。ゾクチェンの教えと同じく、あるまがままで完璧であるという原則が、この方法の土台となっているからである。ただ、ゾクチェンの悟りにいたる実際の道だけが違っているのだ。p47 マハームドラーとゾクチェンの違いが述べられているということは、二つの境地が似通ったものという逆の真理でもある。その違いは、今後もうすこし、機会をとらえて、より解像度をあげて理解していくこととする。 翻訳にあたっては、1989年の英語版初訳を底本とし、必要に応じてイタリア語版を参照した。その際、ヨーロッパ語で書かれている内容を、チベット語にもどし、現代の日本語によってその意味を伝えることを考えた。p196「訳者あとがき」 この訳者の苦労を考える時、容易に図書館から借りだして、お手軽にこの深遠な世界に触れることのできる自分の立場が、実に幸運なことを感謝せざるを得ない。 <光明>というのは、最初のその知覚が、そのまま生き生きと新鮮かつ直接あらわれている状態を指している。判断や、意識作用はまだはたらきはじめていない。そこには、すべての生きものにもともとそなわっている根源の境地が、自然に顕現している。同じことは思考についてもいえる。思考のあとを追いまわしたり、意識の判断作用の中に取りこまれたりしなければ、思考もまたわたしたちの自然な光明の一部なのである。p55 ここにおける<光明>なども、チベット語、英語、イタリア語、日本語、などを渡り歩くうちにどのような変化を遂げているのだろうか。 輪廻と悟りがどのように生まれるかを考えるために、ここでエネルギーの三つの現れ方を説明する必要がある。この三つのエネルギーの様態は、<ツェル><ロルバ><ダン>と呼ばれるが、チベット語以外の言葉には翻訳しがたい。p56 チベット語以外の言葉に翻訳しがたい、とは実に実感のこもった話だ。 自己解脱の境地を知ることが、ゾクチェンの修行の根本である。「ゾクチェンの修行者は瞑想することなしに瞑想する」とよく言われる。それはただの言葉の遊びのように聞こえるかもしれないけれど、深い真実をはらんでいる。一番大切なのは、気を散らすことなく、すべての行為においてリクパの境地を保つことだ。p64 実にパラドキシカルな話だが、もともと言語化できないと言われているものを言語化しているだけなのだから、当然と言えば当然なのである。このパラドックス・逆説こそが面白いと言えば、やっぱり最高に面白いところなのだ。 <3>につづく
2008.09.24
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<2>からつづく「解脱の宝飾」 <3> チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』ガムポパ /ツルティム・ケサン 2007/07 UNIO /星雲社 単行本 445p ボチボチ目を通している。あせらず、じっくり読んでみようと思う。それにしても、この本一冊を読みとおすに当たっても、「チベット<歴史>深読みリスト」でその存在を確認しておいた書籍類がすこしづつ役立ってきている。ゲルク派、ニンマ派、カギュー派、サキャ派、などなど、いろいろな流れに振り回されがちなチベット仏教(密教)の流れだが、もともと教義などで峻別されて非和解的対立している流れではない。 師から弟子へ、弟子から信者へ、あるいはそれぞれの時代や地域の中で、さまざまな色取りを持った流れがネーミングされているだけであって、チベットにおこった仏教(あるいは精神的探究の世界)の全体を、シームレスにつながっているひとつの多様性と見ておいたほうがいいだろう。 ツォンカパの流れを見ていると、ゾクチェンという言葉でてくるが、そのゾクチェンとはもともとポン教の流れにあった言葉「ゾクパチェンポ」の略語であってみれば、インド後期仏教の影響を受けた言葉「マハムドラー」とほとんど言葉の意味するところは同じだ。ゾクチェンは「大いなる完成」であり、マハムドラーは「完全なる自由」と翻訳されることがある。日本人の感覚でいえば、「大悟」とほとんど同じことを指している、としておいてもいいだろう。 シーというか、オーシャンというか、マリンというか、あるいは海と言うか海原というか、それぞれに表現は違うだろうが、学者たちはその違いにこそ着目するかもしれないが、当ブログにおいては、むしろそれらの差異を統合して、より自らの手元に引き寄せて理解することのほうがより役に立ちそうだ。 この「解脱の宝飾」を読み始めて、ミラレパ伝記や「十万歌」、あるいは「チベット死者の書」をもう一度読んでみたいと思ったし、Oshoの「存在の詩」から再スタートかな、とさえ思う。さらには、よく引き合いにだされる竜樹(ナーガルジュナ)の中観思想や、西洋哲学の一つの到達点であるウィトゲンシュタインとの比較ないしは等質性について瞑想するのも必要だと思った。 空や無とマハムドラーやゾクチェンの比較の中で、実体があるのかないのか、などの論争があるようであるが、当ブログのとりあえずのイメージは、Oshoが言うところのゾルバ・ザ・ブッタや、十牛図の十番にとりあえずの具体的なイメージを借りておくことは、まったくの間違いとは言えまい。 ただ、エンライトメントという言葉は、光明化するというイメージから、すこし誤解を生みそうだ。「チベット死者の書」の翻訳にあたっての「クリアーライト」という言葉も、ひとりの翻訳者は苦言を呈していた。しかし、それは英語に翻訳するにあたっての英語の語彙の貧困さを語るのであって、今後、新しい言葉をつくのもいいが、まずは「光とは関係ないエンライトメント」というややひねくれた使い方をしておく。意味するところは、ゾクチェンやマハムドラーと同じようなものと仮定する。 犬も歩けば棒にあたる、下手な鉄砲数打ちゃ当たる、でもないが、闇雲にチベット本をめくりつづけていると、それなりにチベット文化の概略がうすうすと浮かびあがってくる。あと必要なのは次第に解像度をあげていくことだろう。<4>につづく
2008.09.24
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「ダライ・ラマ、生命と経済を語る」ダライ・ラマ(14世) /ファビアン・ウァキ 中沢新一/鷲尾翠・訳 2003/03 角川書店 全集・双書 254p Vol.2 No.321 ★★★★★★ フランスに住むビジネスマンで、父親からの事業を受け継いだユダヤ人でもある著者が、インドのダライ・ラマをたずね、率直に、時には失礼にあたるのではないか、というほどに質問を投げ続ける。それに対してダライ・ラマは笑いながら、時には、無言、あるいは答えに窮しながらも、かつての宗教的話題に振られがちだったイメージを払拭するような自分の意見を、包み隠すことなく、答え続ける。 20世紀のはじめには、マルクスやレーニンの信奉者たちが、全体主義的な体制によって人類を変えることができると信じていました。今では、その考えが誤りだったことは、誰もが認めています。それから、ある人々は、社会主義が人間の抱える問題のすべてを解決するのにいちばんよい方法だと考えていましたが、これもまた、すでにうまくいかなくなっていますね。個人的には、社会主義の有効性についてはまだ信じているところがあります。ソビエト連邦の崩壊はマルクス主義の崩壊ではなく、マルクス主義的な全体主義体制の崩壊です。さらに70年代、80年代くらいまで、多くの人々は、戦争だけが最終的な解決方法だと思っていました。そういう考え方もなくなりましたね。次に、環境問題が現れました。20世紀のはじめには、誰が環境のことなど心配していたでしょうか?(後略) p65 ダライ・ラマとの対談は、「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」 1994/07や「目覚めよ仏教!」 2007/06などを読んできたが、この対談集は、また一風違った突っ込んだ話が多い。 まことに類まれな師がこの世に現れると、世の中は変わりますが、しかし、それは地球上のごく一部の地域にしか及ばないのです。全世界は一度には変革されません。過去においてはそうでした。でも私たちの時代は、違います。人々は現在の状況と未来に対してより正確な意識をもっています。実際、あなたが求めているような希望を与えてくれるのは、こうした意識なのです。状況はよくなっています。メディアや教育のおかげで、理解は進んでいます。私たちが望んでいる変化は、世界中に設置されている教育システムを通して実現できるのではないだろうか、と私は思っています。さらに、経済やメディアの構造は、ますます統合されつつあります。もしも、世界中のいたるところで、私たち一人一人がいっしょに努力していけば、人々の考え方を変えるに十分な力を得ることができるでしょう。また、私たちの基盤をなしている共同体が、とても大切です。それは、仏教とかキリスト教とか、あるいはその他のイデオロギーなどの違いを超えて、私たちはみな人類であるという考え方です。イデオロギーはどれも、限界をつくりだします。そしてその限界をあきらかにすることもなければ、ものごとの本質や人間存在をわかりやすく説明することもありません。慈悲心について語るときも、仏典や聖書のなかに書いてあることについて考えるのではなく、日々の生活を通して考えるのです。こうした姿勢によって、私たちはもっと視野の広い意識を育むことができるでしょう。p82 この本の日本語のタイトルはどうであれ、実は原書のフランス語では、「人生は私たちのもの」という意味を表している。ダライ・ラマの本は、通りがかりに脈絡なく目を通してきたのだが、発行年が近ければ近いほど、よりリアルでタイムリーな内容になっている。原書の年代が古くとも、編集の努力もあるのだから、当然と言えば当然か。 何年も前になりますが、社会主義がたくさんの人々を魅了した時代がありました。私自身、イスラエルのキブツのシステムは非常に興味深く思ったりしたものです。キブツの思想は、このごろでは少々色あせて見えますが、最初の世代においては、すばらしく機能していました。一つの国のなかの、一つの共同体のなかでは、一人一人が、信条に従って、自分の生き方を選ぶ権利を持つ。イスラエルでは、キブツは定められたシステムでも、法律でもありませんでした。それは実用的な考え方に基づいた、独立生産経済のシステムだったのです。p109 チベット密教の法王というと、なにか神秘めいていて、私たちと隔絶した世界にすむ、隔絶した境地の存在か、と誤解しがちだが、彼がこうして対談者たちに見せる姿は、実に好奇心に充ち溢れ、試行錯誤を繰り返しながらも、希望を失うまいとする、ひとりの同時代人である、ということを強烈に認識させる。 宗教が人間にとって絶対的に必要なものだと断言することはできないですね。というのも、現状を見渡してみても、人々は、宗教なしでまったく問題なく生きていますからね。地球上に暮らす60億人のうち、信仰を持っている人は少数派にすぎません。私はつねに、宗教と霊性に間に区別をつけています。霊性は、二つのレベルからなっています。「外面的」なレベルでは、善い人間であることが重要です。ただとにかく、人間的な温かさを身につけた人間になること、他人に対して悪をなさず、私たちがもっとも重要だと見なしている基本的な法を守ること。すなわち、殺さないこと、盗まないこと、うそをつかないこと、などです。宗教に属さなくても、このように生きることは可能です。 でも、宗教のいいところは、いくらかの人々に、希望を与えるという長所を持っていることです。私の考えでは、宗教は私たちの人間社会にまだまだ重要な役割を果たすことができると思っています。p112 別に仏教至上主義ではないのだが、宗教の存在はそれなりに価値があると認める。そして、仏教は素晴らしいものだが、完全無欠で、他の宗教を埋め合わすものだ、と主張しているのでもない。 宗教は人類の未来にとって重要なものです。しかし、宗教は人類とともに発展していかなければなりません。なによりも優先しなければならないことは、すべての宗教が、宗教的な多元性を認める考えをもち、発展させていくことです。もしも、ほかの宗教的指導者の方たちと一緒に、ほんものの宗教的多元性を発展させていくことができれば、すべてはもっと簡単になるでしょう。p118 そとの宗教に対して期待をもつとともに、自らのチベット仏教やその文化などにも、なかなか厳しい視点をダライ・ラマはもっている。 師・ラマ・霊性の指導者と、活仏との間には、絶対的に明確な区別をつけなければいけません。前者と後者は、別のものなのです。活仏に認定されるということは、少しづつ時間をかけて社会的な地位のある存在になっていくということを意味します。私たちの時代においては、深い真実の霊的な悟りを得ないままに、きわめて重要な称号を与えられてしまう人々も出てきています。p119 職業的宗教家という存在は、今後どうなるのか興味のあるところだが、チベット仏教においては、ラマ僧システムが今後もまだまだ続きそうだ。 私たちの伝統では、見習いの僧侶であろうが、得度を受けた僧侶であろうが、必ず貞潔の誓願を立てます。(中略) 得度を受ける僧は、253の誓願を立てます。締結の誓願は、四大誓願の一つです。私たちの僧院では、この誓願は守られていると私は思っています。121p(中略の部分は、楽天ブログの倫理規定にひっかかってアップされなかった) それぞれの文化や教義には伝統的に受け継がれてきたものもあるだろうが、この地球時代に、新しく見直されていくべきこともたくさんあるはずだ。この本、日本語タイトルの中に、「経済」という単語が入っているために、関心を持ってこの本を手に取る人がいたら、幸運なことだと思うし、もし「経済」という単語が嫌いなためにこの本を避けるとしたら、なんともったいないと思う。 よくも悪くもこの本の中で「経済」について書かれている部分は、ごくごく一部だ。むしろ、一連のダライ・ラマの本のなかでの、近著に属するの一冊として、読まれるべき本だろう。(対談の日時は1995/07/10~16、場所はインドのダラムサラの近く) 高度な密教、ゾクチェンやマハームドラーが説いているように、空(くう)は光明また霊性の透明な光として描かれています。つまり、空(くう)には二つの説明があるのです。顕教の説明と、密教の説明です。実際には、この二つの説明は、実は一つなのです。というのも、顕教も密教も同じものを別の側面から説明しただけだからです。ゾクチェンでは「カダー」といいますが、原初の純粋な光という意味で、これは空(くう)のある一面をさしています。一方、ルントゥプ、つまり自発性による完全状態はむしろ、縁起(相互依存)の面に結びついています。このレベルでは、シュニヤータ、つまり空(くう)は、透明な光であり、同時に宇宙の土台なのです。ここには、虚無主義に通じるものは何もありません・・・・・。p232 この本を読んで、地球人スピリットがさらに一歩近づいた。ダライ・ラマの素晴らしさが十分に表現されているとともに、ダライ・ラマの次の時代が、なにをどう克服していったらよいのか、についてもヒントが与えられている。
2008.09.23
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(2000~2004)よりつづく「アンベードカルの生涯」 ダナイジャイ・キール著 山際素男訳 2005 初版1983+1995「ブータン 地球の歩き方」 2005/2 ダイヤモンド・ビッグ社 「ブータン仏教から見た日本仏教」 今枝由郎 2005/06 日本放送出版協会「シャングリラ」 茂堂 久 2005/8 近代文芸社「チベット史」 ロラン・デエ /今枝由郎 2005/10 春秋社 「チベット密教新装版」 シリーズ密教2 立川武蔵・頼富本宏・編 新装版2005/8 初版1999/8 春秋社「中国はいかにチベットを侵略したか」マイケル・ダナム /山際素男 2006/3 講談社インターナショナル 単行本 277p 「天梯のくに チベットは今」 堀江義人 2006/3 平凡社 単行本 278p 「思いやりのある生活」 ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャムツォ 沼尻由起子 2006/3 光文社 原書 The Compassionate Life 2003「霊的人間」 魂のアルケオロジー 鎌田東二 2006/6 作品社「チベット第4版」 全チベット文化圏完全ガイド 長田幸康 2006/8 旅行人 初版1996/7「智恵のエッセンス」 ボン教のゾクチェンの教え シャルザ・タシ・ギャルツェン /森孝彦 2007/01 春秋社「モンゴル 地球の歩き方」 07~08(D 14(2007~2008年) 2007/2 ダイヤモンド・ビック社「現代人のための『チベット死者の書』」 ロバート・A.F.サーマン著 2007/5 朝日新聞社 原書1994「天空列車」 青蔵鉄道で行くチベット長岡洋幸 /長田幸康 2007/06 集英社インターナショナル /集英社「目覚めよ仏教! ダライ・ラマとの対話」 上田紀行2007/06 日本放送出版協会 「チベット 地球の歩き方('08~'09年)」 ダイヤモンド・ビッグ社 2007/12 ダイヤモンド社「ブータンに魅せられて」 今枝由郎 2008/03 岩波書店「マンダラ事典」 100のキーワードで読み解く 森雅秀 2008/04 春秋社 「増補 チベット密教」 再読 ツルティム・ケサン /正木晃 2008/05 筑摩書房 初刊2000/01「チベット問題」 ダライ・ラマ十四世と亡命者の証言 山際素男 2008/06 光文社 『チベットのこころ』 1994.11 三一書房 再編集・改題書 「中国が隠し続けるチベットの真実」 ペマ・ギャルポ 2008/06 扶桑社「アジアの試練 チベット解放は成るか」 櫻井よしこ・編 2008/07 文芸春秋「『チベット問題』を読み解く」 大井功 2008/07 祥伝社「変わる中国 変わるメディア」 渡辺浩平 2008/07 講談社「チベット」 多田等観 2008/07 岩波書店 1942年初版「裸形のチベット」 チベットの宗教・政治・外交の歴史 正木晃 2008/07 サンガ「日本をチベットにする中国の野望」 杉之尾宜生 2008/07 講談社「人民解放軍は何を考えているのか」 軍事ドラマで分析する中国 本田善彦 2008/08 光文社「ならずもの国家 中国の本性」 蹂躙されたチベット ペマ・ギャルポ /石平 2008/08 ワック 「日本人が知らなかったチベットの真実」 ペマ・ギャルポ 2008/08 海竜社「チベット大虐殺と朝日新聞」 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか 岩田温 2008/09 オークラ出版「新しい中国人」 ネットで団結する若者たち 山谷剛史 2008/09 ソフトバンククリエイティブ「オーム・マ・二・ぺ・メ・フゥン」
2008.09.23
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「智恵のエッセンス」 ボン教のゾクチェンの教えシャルザ・タシ・ギャルツェン /森孝彦 2007/01 春秋社 単行本 259pVol.2 No.320 ★★★★☆ 実際に精神的な修行を実践して、本書の中で述べられている「大いなる完成」を実現しようとしても、本書を「do-it-yourself」(自分自身でできる)の類のマニュアルだ、と考えてはならない。実際に修行を行なうためには、優れた能力を持ち経験を積んだラマによる、個人的かつ本格的な指導が絶対になくてはならないからだ。p18 序 ペル・クヴェルネ シャルザ・タシ・ギャルツェンは、古いポン教のゾクチェンの教えを、ニンマ派の用語を用いて再構築しているので、ザパ・タシ・ウーセルというニンマ派のラマとして見られている部分もあるらしい。 セムデの教えは、力量に恵まれない弟子を、ゾクチェンに導く場合に有効だ。それは大印契(マハームドラー)とも呼ばれる。p71 上の部分についての巻末の「注」の一部が以下である。 セムデは、空性の側面を強調したゾクチェンの教えであるから、セムデはマハームドラーと似ていると、著者はここで述べている。マハームドラーは空性を強調して、空性を追求する教えだ。しかし、ここでは、働きかけからも、瞑想することからも、観想することからも、意識を集中することからも離れて、心の本性はありのままに委ねられている。 ロポンによれば、セムデもメンガクも、すべてゾクチェンの教えである。なぜならば、セムデもロンデもメンガクデでも、意識と空性の不二が最終的な真実だからだ。セムデは空性の側面を強調し、ロンデでは意識の側面を強調している。しかし、空性と心の不ニがゾクチェンのエッセンスである。一方、マハームドラーは、空性と至福の不二である。ツォンカパが明確に解説しているように、マハームドラーの空性と中観論の空性は同じものである。そしてマハームドラーや中観論と、ゾクチェンでいう空性とは別のものだ。 ゾクチェンと他の学派の間で、同じような用語や言い回しを使うことがある。ひとつの言葉を他の学派に適用したために、混乱が生じることがある。例えばサキャ・パンディッタは、ゾクチェンは仏教の哲学からかけ離れている別物だ、と明確に説明している。他の学派の哲学的見解から離れ、ゾクチェンの文脈の中でだけ言葉の意味を考えることが重要だと、どのゾクチェンの経典も特別な注意を呼びかけている。p166 言葉の使いかたが違うといい、言葉では表せないといい、他の言葉とは、意味がちがうという。まぁ一読者としては、あまりその言葉たちに惑わされてはいけない。 ゾクチェンつまりゾクパチェンポという言葉は、ゾクパとチェンポの二つの言葉から成り立っている。チェンポというのはチベット語で「大きい」または「大いなる」といった意味合いである。一方、ゾクパという言葉には二つの意味がある。ひとつには「完成された」「究極の」という意味だ。この場合にゾクパチェンポといったときは、「あらゆる教えの頂上に立つ最も完成された教え」というほどの意味になる。ゾクパには、もうひとつの意味がある。それは「あらゆるものを備えた」という意味だ。この場合のゾクパチェンポは、「一切がその中に収まっている教え」という意味になる。p240 おもにカギュー派で使われるマハムドラーのマハーは摩訶般若波羅蜜多の摩訶とおなじで、大いなる、という意味である。つまりは「ゾクチェン」の「チェン」の部分であり、当ブログでは、あまり細分化しないで、マハームドラーとゾクチェンとは、同じものを指し示す、ちょっと違った言葉であるととらえておく。もっというなら、この語彙の中にエンライトメントという言葉も近似値の指標として含めておく。 チベット密教をたどっていくと、父タントラは方便であり、母タントラは知恵である、という言い方もある。生起次第と究竟次第という対語もあるが、なかなかすぐにはこまかい違いがわからないので、当ブログでは、往相と還相、あるいは、ブッタとゾルバ、という使い慣れた言葉に引き寄せて理解していくことにする。 つまりは、父タントラや生起次第はブッタ化の道であり、母タントラや究竟次第はゾルバ化の道である、と仮に理解しておく。そして、その統合(インテグラ)として、ゾルバ・ザ・ブッダという円環が成立するもの、としておく。
2008.09.23
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<2>よりつづく「知恵の遙かな頂」 <3>ケツン・サンポ /中沢新一 1997/07 角川書店 単行本 286p 輪廻の瞑想は、はじめは初心者を輪廻の生への執着から解き放つ力をもっている。六道のどこに生まれたとしても、輪廻の中で再生をくりかえし、苦しみを味わいつづけなければならないことも鮮明に印象づけるからである。 さあにそのうち、輪廻の瞑想は、加行の瞑想修行を終えてゾクチェンやマハームドラーのような高い見解に導く密教体系の瞑想修行に入っていこうとする修行者にとって、ふたたび重要性をおびてくる。p118 チベット本の、とくに教義についての書物をひも解いていくと、やたらとでてくるのがこの「ゾクチェン」という言葉だ。 ゾクチェンは、このうちの最高の段階、アティヨーガの段階にある密教なのである。ゾクチェンと同じレベルのものとしてはマハームドラー(これは、主にカギュ派に伝えられている)、ラムデ(サキャ派が、これを伝えている)などがあるが、その中でもゾクチェンはとりわけユニークな密教なのである。 教え方もユニークならば、体験を作りだす方法や技術がまた、ユニークなのだ。マハームドラーやラムデは、ベンガルを中心いした、インドの後期密教の考え方に、忠実にしたがっている。その意味では、インド正統的な密教と言えるかもしれない。しかし、ゾクチェンには、それだけではおさまりがつかないような、不思議なユニークさがある。 「改稿 虹の階梯」p27「はじめに」 なんせ中沢教授の御説のことだから、このまま信用するとあとで困ることになってはいけないが、ゾクチェンをマハムドラーと並列してくれると、理解は早まる。つまりは、究極の「さとり」をニンマ派的に理解するか、カギュ派的に理解するか、程度の差で記憶しておけばいいだろう。 大いなる完成(ゾクパチェンポ、ゾクチェン)はボン教徒にとって、最も高度で究極的な瞑想の修行である。このゾクチェンの教えは、他の伝統の中にも伝えられている。チベット密教のニンマ派にもゾクチェンの伝統があり、その教えは大成就者パドマアンバヴァ(西暦8世紀)と、その弟子に遡ると言われている。ボン教とニンマ派のゾクチェンの比較研究は、まだ着手されずに残っている。「智慧のエッセンス ボン教のゾクチェンの教え」p18 ペル・クヴェルネ つまりは、マハムドラーがインド的なネーミングなら、ゾクチェンはチベットのもともとの土着的ネーミングと見ておいてもいいだろう。 さて、この「知恵の遥かな頂」は、現在進行中の当ブログのカテゴリでいえば、「スピノザ」的であろうか、「環境心理学」的であろうか。もともと、外堀周辺をうろうろして、なかなか本丸に踏みこむことのなかった当ブログであるが、現在進行形の嗜好性は、より原理的な一点への集中である。そういった意味では、本書は最初は「スピノザ」的に見えたが、結局は「環境心理学」的に拡散していった感じがする。 「解脱の宝飾」において、「或る程度の基礎知識を持っているなら、読みすすめ理解することができます」と誘惑され、ダライ・ラマには「初期の段階においては、あえて師なしで取り組むことを勧めたい」と激励される限り、もう少し、猪突猛進的(?)な冒険を続けてみようと思う。もっとも、チベット密教の師ではないけれど、Oshoサニヤシンである私には、私なりの師からのインスピレーションを受けることができる。 さらに峠を越えていくと、ミンドゥ・チョウリンというお寺にたどり着いた。そこには、カギュ派の最高のラマである、ギャルワ・カルマパがいらっしゃった。カギュ派の法王に拝謁したのち、私はさらに一日中歩きつづけて、牧草地にたどり着き、そこで野宿した。p221 ここで言われているミンドゥ・チョウリンというお寺は、カルマ・パの即位式が行われたというインド、シッキムのルンテク寺院とは、どのようなつながりがあるのだろうか。 リンポチェの居室を訪ねると、リンポチェはまったく思いがけないことを、私に語り出したのである。 「ケツン・サンポさん。私の代理として、日本に行ってはくれませんか。今日本から学者が派遣されてきていて、私に日本の仏教学者を指導するために来てほしい、と言うのだ。しかしあなたも知っての通り、今の時期、ニンマ派を束ねる努めを与えられた私には、ここを離れることができないのだよ。そこでケツン・サンポさんに、この仕事を引き受けてもらえないだろうか、というのが、私の頼みなのだ。このことはすでにダライ・ラマ法王にも相談してあって、あとはあなたの考えしだいなのです。」 私にお断りする理由はなかった。p248 カリンポンには、日本からやって来た、多田等観先生と、東洋文庫の北村甫先生のお二人が、私を待っていた。多田等観先生がとても流暢なチベット語で話しかけてきたときには、さすがに私はびっくりした。p251 私は仕事場であった東洋文庫で、毎日のように、細かい文字で書かれた敦煌文書を解読する作業に打ち込んでいたので、自分でも気がつかないうちに、急速に目が悪くなっていたのだろう。p267 その日本には十年も滞在した。その間に、日本も大きく変わり、またチベットの本国とそこを脱出して世界中に散らばった亡命チベット人たちを取り巻く環境も、大きな変化をとげたのである。p270 国外に逃れたチベット人とその文明の伝統は、私が日本を去ってインドのダラムサラに居を移したそのころから、生き生きとした発展の時期をむかえはじめていた。p273 1970年の9月に、私は北インドのダラムサラに戻った。ダライ・ラマ法王のご依頼によって、私はダラムサラ図書館で、亡命以来チベットから持ち出された、膨大な宗教と歴史関係の文献の整理とインデックス化の作業を開始した。p274 ニンマ派の頭領であるドゥンジョン・リンポチェから私に、ニンマ派の子弟の教育のために、ラマカレッジ「シェトゥップ・ドゥンドンリン」を創立してくれないか、というご依頼があったとき、私はこれを一もニもなくお引き受けしたのである。p276 この学校はドゥンジョン・リンポチェが住まいを移動されるたびに、移転を重ねて、ついに1977年には、ネパールのボードナートという町に落ちつくことになった。 それから先のことは、中沢さん、あなたもよく知っているでしょう。1979年の早春に、あなたがはじめて私のもとを訪ねてきたときのことを、いまでもよく覚えている。p277 今は若いラマたちによって、現代のアメリカやヨーロッパの人たちにふさわしいような形に、伝統的な教えの形をつくりかえようとする試みも行われている。しかし、おたがいの理解がまだ不十分なときに、もともとの形を崩してしまうと、あとになってもっと深い相互の理解ができるようになったとき、それ以上には進めなくなってしまうのではないかというのが、私の心配なのだ。p280 時間のつながりの中で、「虹の階梯」が生まれた経緯がすこしづつ分かってきた。そしてそれは動きつづけているらせん階段の一段でしかないことも、はっきりわかる。一段の次には、次の一段がある。
2008.09.22
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<初読>よりつづく「知恵の遙かな頂」 <2> =<再読>ラマ・ケツン・サンポ /中沢新一 1997/07 角川書店 単行本 286p ★★★★★ 若い頃から今まで、自分の身に起こったことなどを、くどくどと書いてみたところで、読む人たちのたいした役には立つまいと思って、今の今までそんな仕事に手を染めようとは、思いもしなかった。ところが、私の日本人の弟子である中沢さんが、「先生はそういう人だからこそ、その人が人生で何を体験してきたのか、私たちには深い関心があるのですよ」と言って、再三にわたって熱心にすすめてくれるものだから、とうとう私もその気にさせられてしまって、こうして筆を執ることになったわけである。p6 前回は中沢追っかけで、急ぎ目を通したが、関連本を一巡したあとに周囲の経緯もすこしはわかり、今回こうして、減速しながら再読してみると、ラマ・ケツン・サンポという方の誠実なお人柄がしんしんと伝わってくる。半分ほど読みかけたところだが、なるほど、本当に人生を愛し、チベットを愛し、他人を愛した方なのだな、と感動する。そこでちょっと気になることが、ひとつ湧いてきた。それは「虹の階梯」の改稿問題だ。 はじめに あなたは私のもとに弟子入りして、密教を学びたいと言っている。よろしい、わたしはあなたを「ゾクチェン・ニンティク」という密教体系の継承系譜につなげ、こころの本然のありようを知るゾクテェン=アティヨーガの瞑想修行に入るための口頭による伝承をあたえていくことにしよう。初版「虹の階梯」1981年p13 初版本の「はじめに」では、まず「あなたはわたしのもとに弟子入りして、密教を学びたいと言っている」で始まっている。ところが・・・・ はじめに あなたは、自分の心の本質が知りたいと言って、私を訪ねて遠いところからやってきた。私には、あなたの求めているものに、答えることができる。 私は、まだ十代の小さな頃から、今のような老人になるまで、長い時間をかけて、ただそのことだけを、探究し続けてきたのだからね。私は世俗の仕事には、たいした才能をもっていない。しかし、心の本質についての探究にかんしてだけは、たぶんあなたが求めている以上のことを、教えてやることができるだろう。「増補 虹の階梯」1993年 21p と、まるっきり別ものになっている。この12年間の間に何が起きたのだろうか。完全に別モノになってしまった二冊とは言え、本の構成はほとんどおなじ。しかも、それが瞑想修行の体験記、あるいは、あらたに体験しようという読者に対しての案内書となっているとするなら、きわめて重要なポイントだと、私には思える。 まず、初版本では、「あなたは私のもとに弟子入りして、密教を学びたいと言っている」という部分は、ネパールに滞在していたラマ・ケツン・サンポを訪ねた中沢新一の気持ちは、まさにこの通りであっただろう、と思われる。「弟子」入りして、「密教」を学びたかったのだ。「密教」を学びたいために、「弟子」入りしたとも言える。そして、「密教」そのものにも関心あったのだろうが、「弟子」入りのプロセスも、フィールドワークとして、ぜひとも記録したい、と最初から思っていた。 ところが、改稿本では、「自分の心の本質が知りたいと言って、私を訪ねて遠いところからやってきた」となっている。「心の本質」を知りたくて、「遠いところ」を訪ねた。なるほど、そのとおりでありそうだが、簡単にはうなづけないところがある。 たとえば、ラマ・ケツン・サンポがこの「知恵の遥かな頂」で訥々と語る、10代の少年時代のお話ならば、「心の本質」を知るために「遠いところ」を訪ねることは、当時の1930年代のチベット地方における事情を考えた場合、「密教」を学ぶために「弟子」入りする、ということと、直接的に結びつくと容易に想像できる。むしろ、それしか方法がなかったとさえ言える。 ところが、1970年代の後半、すでに日本の最高学府をでたまもなく30歳になろうとする研究者の中沢が「心の本質」を知るために「遠いところ」を訪ねるとしても、それは「密教」であり、「弟子」入りである必然性は、ほとんどなかった。欧米のそれなりの研究機関に「留学」するか、哲学や思想、心理学の流れにでも身を投じることのほうが、通常の在り方だった。 だから、中沢側から見れば、ラマ・ケツン・サンポと出会ったのは、「弟子入りして、密教を学びたい」というのが本音であり、初版本のほうが正しいということになる。それをなぜ「自分の心の本質が知りたい」と「私を訪ね」ると言いかえなければならなかったのだろうか。 初版本「虹の階梯」の執筆が行われていたころ、同時に雑誌等に執筆された原稿をまとめた「チベットのモーツァルト」を読むと、当時話題となっていたカスタネダの「ドンファンの教え」に痛く傾倒していることがわかる。つまり、最初は、ネパールにおける体験談をほぼフィールドワークのような形で記録した「虹の階梯」初版本に比して、「改稿 虹の階梯」は、意図的に面白おかしくエンターテナー化させようという「野心」が生まれているのではないか、と推理する。 もともとこの体験は「口伝」とされている。だから、文献的資料にもとづくものでもなく、ましてや師と弟子という、きわめて密室的なところでの会話であり、どのような形につくりかえようとしても、それは可能だろう。だから、初版本、改稿本、いずれが正しいということは判断はつかない。しかし、同じ一つの体験が、二つの記述として現れる時に、その二つに差異があるとすれば、注意深く見る必要がある。 つまり、「改稿 虹の階梯」はドラマ仕立てに「書きなおされてしまったのではないか」という疑問が湧いてくる。つまり、話がうますぎる。つまりフィールドワークの記録のような形を取っていながら、実はかぎりなくフィクション化されてしまったのではないか。そういう疑惑が湧いてくる。 それが、初版本では<師 / 弟子>の順序だった共著者の名前が、改稿本では<弟子 / 師>の順番に変更されてしまったこととつながっていくのではないか。つまり、弟子は師をナメてしまった可能性がある。 弟子がそんな簡単に、師の言葉を書きなおしてしまっていいのだろうか。「弟子入りして、密教を学びたい」と発願することと、「自分の心の本質が知りたい」と「遠いところ」を訪ねることは、この場合、大きな違いがある。どちらが正しいということはないが、少なくとも、弟子は、師の言葉をこのように改稿してしまった。あるいはダブルスタンダードに持ち込んでしまった。このブレ、このズレに、「魔」が入りこむスキがあったのではないだろうか。 「知恵の遥かな頂」は、かの事件の発覚を受け、1997年に、中沢が聞き取る形で翻訳され編集されている。この辺も、希代の思想界エンターテナー中沢の、小手技にひかからないように、注意深く進んでいく必要を感じる。ラマ・ケツン・サンポという人のお人柄が純朴であるがゆえに、なんとも惜しいと感じる。手放しでこの本を読み進めない自分が悲しい。
2008.09.22
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<2>よりつづく「改稿 虹の階梯」 <3>チベット密教の瞑想修行中沢新一 /ケツン・サンポ 1993/05 中央公論新社 文庫 633p Vol.2 No.319 ★★★★☆ この本の改稿前の新装版1983というものを長いこと蔵書してきたのだが、この前にあった初版本1981のデザインがまったく違うものであったことに今回初めて気がついた。そして、さらにこの本が1993に大幅に加筆訂正されてこの「改稿 虹の階梯」がでたことにも、ほとんど気がついていなかった。 世間で言われるほどの出会いを、私はあまりこの本には感じなかったのだが、今ようやくその理由がわかりつつある。「つまり、この文庫本は、まったく新しい本」p10となっていたのであり、私は読んだつもりになって、実はなにも読んでいなかったと同じような状態だったのだ。 そう言えば、島田裕巳も「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」のなかで、この「虹の階梯」の改稿について、ながながと言及していたことを思い出した。一番は、英文の「クンサン・ラマの教え」をどのように組み込んだか、という話題であったと思うが、やはり気になるのは、ラマはブッタそのものであるとされるチベット密教の世界において、初版においては著者名ラマ・ケツン・サンポが前にあった著者名が、この1993年の改稿版では、何故か逆転して、弟子である中沢新一の名前が前にきていることだ。 日本に現代チベット密教ブームをもたらしたとさえ言われたこの本は、1995年に起きようとしていたあの忌まわしい事件にも多大な影響を与えたとも言われている。この10年間に流れた、この本にまつわるさまざまな経緯が、あの事件の背景の醸成に一役買ったとまではいえなくても、その変化のリトマス試験紙の一つにはなりえるかもしれない、と思う。 改稿と気がついて、二冊並べて少し読み比べてみた。うん、これは確かに違う。筆の走りが全く違う。初版本はまだまだ固く、それこそ入門者の初々しさがあったが、1993年ころになると、中沢はすでに日本現代思想界におけるチベット密教のオーソリティのようにさえ振る舞っている。なお、師でありラマであるラマ・ケツン・サンポの経歴も注目しておく必要がある。 1961年、突然、ダラムサラのダライ・ラマから、ニンマ派最高のテルトンであるドゥンジョン・リンポチェの代理として日本へおもむくよう要請がくだる。40歳になったケツン・リンポチェは東京に着き、以後約10年間にわたって、東洋文庫の研究員を務めるかたわら、全国7つの大学でチベット語や仏教哲学を講じる教師の生活を送り、その間にたくさんの日本人チベット学者を育てるのに力をつくした。p15「原著まえがき」 ここにでてくる「東洋文庫」こそ、あの一連の「西蔵仏教宗義研究」シリーズの発行元となっているところだ。このシリーズの各巻の巻頭には次の一文がある。 これは1961年以来、東洋文庫において行われている「チベット人との協同によるチベットの言語・宗教・社会の総合的研究」の成果の一部である。トゥカン「一切宗義」はインド・中国・チベットにおける各仏教諸派の歴史と教理をまとめたものであるが、このように広範囲な領域にまたがって簡潔に歴史と教理を概説した著作はチベットの典籍の中でも数少ない。「西蔵仏教宗義研究」7「まえがき」 つまり中沢の師は、ダライ・ラマによって日本に送られたチベット密教の権威であったし、中沢をネパールにまで送りだしたのも、日本のチベット研究の権威たちであったということになる。これらの背景を擁しながら、この本は2年後の急変にまだ気づいてはいなかった。 初版本1981↓ <4>につづく
2008.09.21
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<1>よりつづく「解脱の宝飾」 <2> チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』ガムポパ /ツルティム・ケサン 2007/07 UNIO /星雲社 単行本 445p さて、待望のこの本、どこから手をつけようか、どの順番でどの流れで、といろいろ思案はしてみたが、良案はなし。当ブログ名物の、とにかく手元からどんどんほおり込んでガラガラポン!方式で読み進めるしかない、と覚悟した。 この「解脱荘厳」は平明で完結な著述が展開されていて、或る程度の基礎知識を持っているなら、読みすすめ理解することができます。すでに1959年にギュンターによる英訳が出され、欧米での大乗仏教の理解に貢献しました。少し時代を降ったツォンカパの「道次第論」が、前提条件としてかなり高度な修学を必要としており、その上で詳細な問題の提起や分析を行っているのに対して、初学者にとっても着手しやすいし、修学をしてきた人にとっても、要点を容易に押さえやすい著述です。この伝統が優れた成就者を多く育ててきたことも納得できます。p442 翻訳者あとがき その道に精通している翻訳者たちがそうおっしゃるのだから、あまり臆することなく、気の向いたところから、目を通していこう。直前に読んだ「初版 虹の階梯」でも盛んに言及されていたアテイシャ著「菩提道灯論」の和訳が巻末に付録されている。わずか5ページの箇条書きの完結なものだが、精読する価値がある重要な文章となるのだろうか。 翻って、ツォンカパの「道次第論」は、「前提条件としてかなり高度な修学を必要としており、その上で詳細な問題の提起や分析を行っている」とのことだから、そちらはそちらなりの覚悟で対応して行こう。ここで言われている「道次第論」とは、ツォンカパの主著と言われる「大真言道次第論(ガクリム・チェンモ)」のことか。うむ、確かにかの解説本を手に取っただけでは、読み込もうとする気力が湧いてこなかった。もう少し助走をつけて、ジャンプする気になった時、またチャレンジしてみよう。<3>につづく
2008.09.21
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<1>よりつづく「虹の階梯」 <2> チベット密教の瞑想修行ラマ・ケツン・サンポ /中沢新一 1981/07 平河出版社 単行本 p296 なにはともあれ、当ブログにおける「チベット密教」の「スピノザ」化が始まった。久しぶりに意を決して読み始めた本書だったが、実に何とも読みやすかった。いくつも付いていた、過去に読んだときの付箋をすべてはずし、まったくの初心で読み始めてみた。 本書、1「共通の加行」、2「密教の加行」、3「ポワ」の構成となっており、1の「共通の加行」については、いわゆる仏教の広き門においては、その流れがどうであれ、仏陀へと続く道であるならば、当然ともいうべき内容である。3「ポワ」については、いろいろ後年の事件により色がついてしまったが、「チベットの死者の書」などで、一定程度の理解がすすんでいる部分である。 今回読みなおしてみて、やはり2「密教の加行」は一回だけ読みなおしただけでは、大事なところをたくさん見落としているな、ということがわかる。読むだけではなく、行じなければならない部分であるので、当然なのだが、それでもなお、やはり魅惑的な部分がたくさんある。そのためには、当ブログでも「マンダラ」についての理解をそろそろ始めなければならない、と思う。 本書において「クンサン・ラマの教え」という本のタイトルがさかんに登場するが、日本語としては翻訳されていないようだ。しかし、後年出版された「改稿 虹の階階梯」1993/05では、この「クンサン・ラマの教え」の部分が大幅に増補されたようだから、そちらを読みなおす必要がありそうだ。 輪廻に迷う六道のものたちを救済しようという観世音菩薩の請願は、チベット人が日々唱えつづけているその真言、「オーム・マニ・ペメ・フーム」の一字一字に吹き込まれている。「オーム」はすべての仏陀たちの身体を象徴し、神に生まれる条件を浄化する力がある。神は六道の中では最高の存在だが、自分の幸福な状態にみちたりていて、本当の心の解放をもたらす道をかえって自分に閉ざしてしまっている。だから「オーム」音でその条件を焼き滅ぼさなければいけないのだ。 同じように「マ」は、嫉妬というアシュラに生まれる条件を滅し、「ニ」は人間、「ぺ」は動物、「メ」は餓鬼、「フーム」は地獄の住人に生まれる条件を浄化してしまう力を持っている。この真言を唱えることによって、あなたの心の連続体から輪廻に再生する条件を浄化するために、慈悲にあふれた観世音菩薩が神秘の力をさずけてくれるだろう。 その時あなたが、真言の力がすべての生きものの上にも及んで、彼らの生存の条件を浄化してくれるようにという願いをこめているとしたら、あなたの行は菩薩の心がまえにみたされたものといえる。p42 この本では、ミラレパやナロパ、マルパやティロパなどの名前が盛んに登場する。何派、彼派と勝手に分別している自分がちょっと愚かしく思えてきた。チベットにおける仏法の流れは一つなのであり、偉大なる聖人たちは、誰にとっても宝物なのだ。またアティシャの「菩提道灯論」も盛んに引用されるが、その和訳がガンポパの「解脱の宝飾」の巻末に付録として収録されている。 オーム・マニ・ペメ・フーム <3>につづく
2008.09.21
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「人民解放軍は何を考えているのか」 軍事ドラマで分析する中国本田善彦 2008/08 光文社 新書 245p Vol.2 No.318 ★★★☆☆ 元・中国ラジオ放送の記者兼アナウンサーが、中国のテレビ番組の「軍事ドラマ」から、中国共産党や人民解放軍の現在を読み説く。荒唐無稽とも思える方法ではあるが、独裁国家中国のテレビがプロパガンダであるかぎり、その方法論は、なるほど、妥当性を得ているようだ。 昭和20年代の最後に生まれ私は、第一次テレビ世代だが、力道山のプロレスやホームドラマなどを見せられながら、「ギャラントメン」や「コンバット」などというアメリカの「戦争映画」も一緒に見せられてきた。 歌番組といえば、軍歌はかならず登場したし、「戦争を知らない子供たち」世代ではあるが、第二次世界大戦最中に歌われた日本の軍歌はかなり歌える。だけど、現代日本はいつのころからか、テレビで戦争映画は放映しなくなり、軍歌も登場しなくなった。その代わり、暴力映画や、過剰なバトルシーンのつづくゲームソフトなどが流行するようになった。 これらの現象が、日本人にどのような影響を与えているのかは、いますぐにはわからないが、いずれ現在の潮流はおおいに見直しされる季節がくるに違いない。それに比して、現在の中国では、完全に意図的に中国国民向けにテレビがプロパガンダとして使われている。インターネットだって、中国ではかなり勝手が違う。 なにはともあれ、今後も継続的に中国情報をウォッチしていく必要性は大いにある。
2008.09.20
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「ならずもの国家 中国の本性」 蹂躙されたチベットペマ・ギャルポ /石平 2008/08 ワック 新書 211p Vol.2 No.317 ★★★★☆ 雑誌「月刊WILL」に今年の3月号~8月号に掲載された記事が中心なり、再編集されて、他の2.3の記事を加えて一冊となっている。このところ、FreeTibetムーブメントや、いわゆるチベット問題関連の情報を読むことが多くなってきた。「裸形のチベット」の正木晃が言うように、事実を知ろうとする努力は続けなくてはならない。 事実を知らずに、ただ「かわいそう!」と単純な動機から同情するだけでは、チベットを救うことはできない。私たちに何ができるのか? それを考えるためには、なににもまして、事実を知ることだ。そこからしか、真の意味では、なにごとも始まらない。「裸のチベット」 09p これまでも何冊かの時事的アプローチの本を何冊か読んでみた。雑誌などに掲載された記事の再編集モノも何冊かあり、その雑誌は、普段、自分の好みとしてはあまり読まない本だったりすれば、このような形で一冊にまとめてもらえば、多少読むタイミングは遅くはなるが、どんなことが報道され、議論されているのか、改めて認識することができる。「『チベット問題』を読み解く」 2008/07 「アジアの試練 チベット解放は成るか」 2008/07 「チベット問題 ダライ・ラマ十四世と亡命者の証言」 2008/06 「中国が隠し続けるチベットの真実」 2008/06 「変わる中国 変わるメディア」 2008/07 「チベット大虐殺と朝日新聞」 2008/09 「囚われのチベットの少女」 2002/05 「ならずもの国家 中国の本性」 2008/08「人民解放軍は何を考えているのか」 2008/08 自分の気付かない視点からの指摘は多いに刺激的だが、これらの記事が掲載された雑誌のほかの記事を読むと、普段の自分とはかなり違う意見が展開されているから、これらの雑誌の視点の一連の流れの中での「チベット問題」の取り組みなのだ、ということは留意しつづけなくてはならない。たとえば「月刊Will」のバックナンバーのタイトルなどを見ると、私の好みとは少し違う。 しかし、まぁ、それにしても、これらの記事が雑誌に掲載された時点より、もっともっと事態は変化している。北京オリンピックが終了し、福田首相が辞意を表明し、中国の食品偽造問題はますます悪化している。四川省の地震についての情報はほとんど報道されなくなり、一時は「悪魔」とまでののしったダライ・ラマとの対話の件も、一時は開かれたかと思われた窓口が、現在はほとんど報道されることはない。 私は反共主義者ではなく、むしろ、アントニオ・ネグリあたりのあたしい共産主義の流れに注目している一個人だが、中国を見ても、北朝鮮も見ても、「共産主義」が実態をもつということは、なんという悲惨なことだろう、と思わざるを得ない。中央集権的な「共産国家」とは、あまりに私が理想する社会とは違いすぎる。 中国の若者の大半は宗教にまったく興味がなく、いわば「無宗教」であることがわかる。 しかし視点を変えれば、キリスト教や仏教など、一般でいう宗教というものを持たない代わりに、彼れらは実は一つの擬似的な「宗教信仰」を持つことになったのではないかとも考えられるのである。 自由も民主も公正も正義もいっさい信じないという彼らの心の空白を、完全に占拠したのは、すなわち「民族教」とも称すべきところの史上最大規模の新興宗教なのである。p135「中国ファシスト青年が夢見る『中華聖戦』」石平 これは大変なことだなぁ。このままいけば、かならずや悲劇的な結末を生み出してしまうだろう。どうにかしてこの流れは、回避されなくてはならない。すくなくとも無関心を装って、目をつぶっていることはできない。
2008.09.20
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「囚われのチベットの少女」フィリップ・ブルサール /ダニエル・ラン 今枝由郎訳 2002/05 トランスビュー 単行本 226p Vol.2 No.316 ★★★★☆ 「囚われのチベットの少女」は実在する。それはガワン・サンドルという名の23歳の尼僧で、中国による祖国チベットの占拠に対する反対運動に携わっている。彼女は1992年に投獄され、2014年釈放されることはない。p1 「ブータンに魅せられて」の今枝由郎が翻訳している。心が痛む。 尼僧はお布施集めによう歩き回った。信心が強いガワン・サンドルは一人前で、他の尼僧を代表して話し、とてもおだやかに寺の布施をお願いした。するといつも、村びとはこのよく笑う子供に魅了され、お茶を用意してこう言った。「尼さんや、ここにいてもっとお茶を飲みなさい。隣に行って、お布施をここに持ってくるように頼んであげるから」。 この間、他の尼僧は村の広場でオームマニペメフームの真言を唱えていた。p42 彼女のような身の上になっている人々がこの世にある、ということは記憶されなくてはならない。 政治犯が祈りの世界に入ると、邪魔するものはもう何もなかった。目を半ば閉じて、慈悲の真言オームマニペメフーム「蓮華の中の宝珠に帰命したてまつる」(宝珠はもちろんダライラマ)を唱えた。また、チベット仏教の他の神格、ことに「有雪国」の永遠の守り神、完璧な知恵であるターラー尊に祈った。p163 一緒に唱えたい。 オームマニペメフーム
2008.09.20
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「愛と非暴力」 ダライ・ラマ仏教講演集ダライ・ラマ(14世) /三浦順子 19 90/04 春秋社 単行本 318p 普及版 2008/06 単行本 318p 原書 KINDNESS, CLARITY AND INSIGHT 1984Vol.2 No.315 ★★★★☆ 1989年12月にノーベル平和賞を受けたダライ・ラマの記念講演を加えた形で、1984年に英文出ていた本が翻訳された。 地球上のどこに住もうとも、私たちはすべて同じ人間です。同じ人間として幸福を求め、苦しみを逃れようとしています。人間として同じように悩み、苦しんでいるのです。私たち人間はすべて、個人としても国民としても自由と自決の権利を求めています。これこそ人間の本質です。p2 地球人としてチベットに住もうが、他のどこかに住もうが、本質的には代わり様がないのだ。 世界宗教の可能性 質問 仏教、ユダヤ教、その他の宗教の最良の部分を集めて世界宗教は作れないものでしょうか? ダライ・ラマ 新たな世界宗教を作るのはむずかしいことですし、特に好ましいことでもありません。しかし慈しみの心がすべての宗教の中核であるという点において、慈しみの心から世界宗教というものを語ることはできるでしょう。慈しみの心を起こす手段と方法に関しては、永遠の解脱を得る方法と同様に、それぞれの宗教によって違いがあります。ですから、私は人類がただ一つの哲学、あるいはただ一つの宗教を作れるとは思いません。 それだけではなく、私は宗教間に違いがあることは有益であると考えています。さまざまな相違なる方法があるということは、豊かだということです。さまざまな傾向を習性をもった人がいるのですから、これはいいことなのです。 同時に、すべての修行法のもととなる動機は、皆似通っています。すなわち慈しみの心、誠実さ、正直さといったものです。実際、すべての宗教人の生き方は充足しています。忍耐、慈しみの心、あわれみの心の教えは皆同じです。基本的な目標は人類の幸せであり、いずれのシステムも、それぞれユニークな方法論をもって人類の進化を促進するものです。 私たちが自分たちの信奉する哲学、宗教、理論に重きをおきすぎたりするなら、また問題がおこることでしょう。p53 ここにおけるダライ・ラマは至って大乗的であり、顕教的だ。一般的に知られている、もっともダライ・ラマらしいスタイルだと言える。 ”オーム・マニ・ペーメ・フーム”の真言をとなえることはたいそうけっこうなことです。しかし、この真言の意味するところを思い起こしつつとなえなければなりません。この6音節の意味するところは深く広大です。 最初の”オーム”は、”ア” ”ウ” ”ム”の三つの音から構成されています。これは修行さやの不浄な身体・言葉・心を象徴しています。またこの三つは、仏陀の清浄なる身体、言葉、心をも象徴しています。(中略) ”マニ”とは摩尼(宝珠)の意味であり、方便の要素、つまり菩提心、慈しみの心(慈)、あわれみの心(悲)を象徴します。(中略) 次の二つの音節”ペーメ”は蓮の意味で、知恵を象徴しています。ちょうど蓮の花が泥の中からはえても蓮自体は泥に汚されていないように、智慧もまた矛盾のない状況に導いてくれる力を有しています。(中略) 清浄さは、智慧と方便の不可分な合一によって達成されねばなりません。最後の音節”フーム”はこの不可分を象徴します。(後略) p154 もっともポピュラーなマントラも、こうしてダライ・ラマの口を通して語られると一味ちがうものを感じることができる。 心を静止させる瞑想法の中でも最も代表的な瞑想法である「止}は、仏教徒にも非仏教徒にも共通した瞑想法です。また仏教の中でも、小乗・大乗に共通の瞑想法であり、大乗の中でも顕教と密教てに共通した瞑想法です。p79 チベット仏教は、顕・密ともに通じる道であるが、必ずしもひとつ道ではない。ダライ・ラマがリードするゲルク派においては、密教の地下水脈が滔滔とながれている。 マンダラの中の神々は無学位に達し仏陀となった出世間の神々(尊格)です。たとえば、ヨーガ・タントラですと、中央の本尊のあらわれである千もの神々(尊格)が登場するマンダラがあります。無常ヨーガ・タントラである「秘密集会タントラ」のマンダラには、一人の人間の構成要素の浄化の因のあらわれである32の神々(神格)が登場します。このように、マンダラにはたくさんの神々(尊格)が登場しますが、実際は一つの存在なのです。p159 最後の「実際は一つの存在なのです」という言葉は新鮮に響く。「秘密集会タントラ」と「時輪タントラ」は、それぞれに別々に発達したようであり、どちらか一方ということではなく、車の両輪のような、行って、帰ってくるような、円環を成す存在であるようだ。 この時点での内的兆しは、「秘密集会タントラ」によると、陽炎のようなあらわれを見ることです。しかし、「時輪タントラ」によると、煙を見ることになっています。こうした説明のくい違いは、タントラの修行者のそれぞれの脈管・風・心滴の物理的構造の微妙な差異---頭頂や咽喉部のチャクラの輻(や)の数の差といった---から生じています。どちらのタントラも広範囲には6つの、狭い範囲では4つのチャクラがあると述べていますが、チャクラの輻(や)の数は異なっています。p170 この他、本書においては、中観「チベットの死者の書」や、ニンマ派や、他のカギュ派、サキャ派、ゲルク派などにふれている貴重な部分もあるが割愛する。よくよく読んでみれば、とても貴重なことが、簡単に歯切れよく書かれているため、見落としてしまいそうになる。 オーム・マニ・ペーメ・フーム
2008.09.20
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「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」 輪廻転生−生命の不可思議 14世ダライ・ラマ 1994/07 クレスト社 単行本 235p、 徳間書店 文庫 1999/03 235p、角川学芸出版 文庫 2008/07 215p Vol.2 No.314 ★★★★☆ 偶然だが、当ブログにおける「環境心理学」と「スピノザ」の両カテゴリがちょうど75エントリーで並んだ。「環境心理学」はもともと、1991年の国際シンポジウムの後追いをしようと始まったものであるが、途中で減速し、途中から108に達してしまった「アンソロポロジー」カテゴリの後継エントリーの受け入れ先に変貌してしまった。 かたや「スピノザ」はもともとスピノザの「エティカ」一冊をまるまんま読んでみようという試みであったが、スタート時点で頓挫し、その後は、西洋哲学やより抽象性の高い分野のエントリーのほおり込みBOXと化してしまっている。 現在、当ブログは、チベット関連本の読み込みの途中であるが、チベット本にも様々な色合いがあり、FreeTibetの標語とともにより外向きのエネルギーと、「密教」をキーワードとするより内向きの志向がある。ここからは、これらのチベット本をより外向きのものは「環境心理学」に振り分け、チベット本でもさらに内向きのエネルギーをもつ本は「スピノザ」カテゴリに振り分けていこうと思う。 さて、この本、1994年発行の本だが、なかなか人気のある本らしく、ごくごく最近にも新しく文庫本化されている。一問一答式でダライ・ラマが話したものがアンソロジー的に簡潔にまとめられている。各章にある取材者の<解説>めいたところが(取材者は否定)、やや余計な感じもするが、当時からのダライ・ラマのスタイルが一貫していることがこの本でもよくわかる。 われわれチベット人の社会は、数千もの転生ラマを有している。こうした転生ラマたちの場合、輪廻転生が常に健全な形で起こっているとはいいがたい。ときとして、転生ラマの輪廻転生が偶然に、いわゆるカルマの必然を伴わないで、起こってしまうことがある。その輪廻が本物か否かを問わず、一人の転生ラマ、チベット語でトゥルクだが、そのトゥルクが死ぬと、人々は生まれ変わりを欲することになる。それが、このような不必要な転生を実現してしまう。p95 歴史の流れは逆流はできないものの、「あのまま」チベット社会が存続していたとしても、その社会自体が抱えていた問題も、さまざまな形で噴出していたということができる。 来世を生きるために自己を鍛えるには、かならずしも師が不可欠なわけではない。むしろ、初期の段階においては、あえて師なしで取り組むことを勧めたい。 師に頼らず、一人で自己を鍛練するについては、ふたつの有意義な点を指摘することができる。まず、一人で学び、修養を積めば、よりよき師を見分けるに充分な知識と経験を得ることができる。次に知識と経験が十分に備わっていれば、死の教えに簡単に満足してしまわずにすむ。 したがって、一人で励み、それがある程度の高さにまで至ったなら、はじめて師を求めればいい。修行の第二段階に入るための。p140 当ブログは、大きくわけて、「時輪タントラ」と「秘密集会タントラ」に次第に突入しつつある。しかも今のところ、チベット密教という道においては、あえて師を求めようとはしていない。しかし、師なしでも、文献的には、かなりのものがすでに公開されている。上のダライ・ラマの言葉があるかぎり、このままいけるところまで入ってみようとすることも、必ずしも悪くもなさそうだ。 私自身、ダライ・ラマ個人として、私自身の未来には何ら関心はない。ダライ・ラマという制度にも関心はない。ダライ・ラマという制度になんらかの有用性を認めてきただけのことである。だからこそ、この制度は生き残ってきた。 もし、人々がダライ・ラマの制度が過去の遺物となり、時代にそぐわないと判断すれば、それはそれでいい。自動的にこの制度は消滅するだろう。私はその存続にいかなる努力もする意志を持たない。もし、私のこの生命があと数十年ばかり続き、もし、人々がダライ・ラマの制度を不必要と感じるようになったなら、それはそれまでのことである。 私は最後のダライ・ラマとなることに、いかほどの痛痒も覚えないだろう。私は一個人の仏教徒であるのみだ。 人間は本来すばらしい知性と情感を有している。このふたつが相携えて働くなら、正しい方向に向かって進むなら、人類愛や慈悲心がそこには湧き出てくるはずである。本当に大切なことはそれだけだ。p228 最後に取材者の大谷幸三の文章だが、カルマパに触れたところがあったので転記しておく。転生のカウント数に疑問があるが、どの代を始祖とするかによって、カウントの仕方が違うかもしれない。 1993年3月、インド、シッキムのルンテク寺院に座する活仏、カルマ・パの即位式が行われた。と言うより、行われるはずであった。 カルマ・パは、ダライ・ラマよりも古い系譜を持つ、由緒ある活仏である。ダライ・ラマと前後してカルマ・パもインドに亡命し、以来、数十年、ルンテク寺院を本拠としてきた。 カルマ・パの即位式はダライ・ラマが主催する集団灌頂儀式(密教で行う頭頂に水を灌ぎかける儀式)、カーラチャクラ法要と同時に行われることになっていた。ところが、新しく19世カルマ・パに認定された少年は会場に到着しなかった。中国当局が少年の出国を認めなかったからだと噂されたが、真偽のほどはわからない。 そしてしばらくして、この少年の19世カルマ・パ即位について異論が唱えられはじめた。少年が実際の転生かどうか怪しいというのだ。異論を唱えたグループは他の候補者を立て、今も論争が続いている。 この事件が物語るのは、活仏の転生はきわめて精神的な出来事であり、政治勢力が関与した瞬間に、その神秘の霊力は色あせるということである。活仏を活仏たらしめているのは、チベット人の信仰であって、権力の後ろ楯などではない。p217
2008.09.20
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<3>より続く「裸形のチベット」 チベットの宗教・政治・外交の歴史<4>正木晃 2008/07 サンガ 新書 279p 「チベット<歴史>深読みリスト」の最後の最後に残ったのが、「仏教瑜伽行思想の研究」 ツルティム・ケサン他 文栄堂 「菩提道次第公論(ラムリム・チェンモ)」の「止の章」。探してみれば、某研究室に備え付けてあるらしいが、閲覧だけで、貸出は不可。その存在を認知するにとどめ、次の「増補チベット密教」修行編の再読過程の中で、深読みが必要になった段階で手にとってみることにする。 「裸形のチベット」の「チベット<歴史>深読みリスト」の各項目について、おおざっぱなイメージをメモしてまとめとしておく。<チベットの全体像を把握するために> チベットという言葉で喚起される多様なイメージに対して、より正確に、より大局的に、より今日的に、より資料性が高い本を求めようとすると、必ずしも多くの本はない。しかし、チベット研究はかなりの進歩のあとが見られ、次から次と新しい姿が見えてくる。今後もこのカテゴリーの新しい本は要チェックと感じる。<国際法から見たチベットと中国の関係を知るために> チベットの国家としての成り立ちや、独立問題は、はっきり言って当ブログの手にあまる分野である。また、地域の成り立ちや政治的な駆け引きなどは、ことチベットにだけ発生している問題ではない。ただ、当ブログとしては、未来における地球からは、ポジティブな意味で「国家」や「国境」は消えさるものとみているので、その面から注目しつづける必要はあるだろう。 <転生活仏制度を知るために> 考えようによっては一番生臭い分野であるが、もっとも神秘的でもあり、またもっともチベット的分野であるとも言える。ここでは一冊しか紹介されていなかったが、この本は、カルマパの流れをメインに据えているだけに、今後の当ブログの流れに大きく影響してくる可能性大。類書を求む。<モンゴルを知るために> シャンバラやアガルタなどの地下都市・地下文明の話になると、チベットの地ばかりかモンゴル平原が常に話題になる。当ブログにとっては、神秘の国「モンゴル」の地であったが、今回はより科学的視点からのモンゴルへのアプローチだった。あまりに広い地域なので、もっと地名や地形を念頭にいれて再読する機会があることを望む。<オイラト・ジュンガルを知るために> オイラト族ジュンガル部 という人々の流れを始めて聞いた。中央ユーラシア草原を席巻した最後の遊牧帝国という壮大なロマンを歴史的に紹介しているが、これらの世界になると、私はむしろ幻想小説のような形で自由な連想を楽しみたい。歴史小説や、後日の満州国のことなどと、もうすこし周辺知識を身につける必要性のあることを痛感する。<ダライ・ラマを知るために> ダライ・ラマ14世については、まだまだ沢山の書物があり、またご本人が元気であり、また話題の渦中に存在することを考えると、今後もますます多様な本が出版されることだろう。今後は積極的に読みすすめてみたいとは思うが、顕教的な部分より「密教」的部分を読んでみたいと思う。歴代のラマの系譜も、ひととおり頭にいれる必要がありそうだ。<チベット仏教(密教)の全体像を理解するために> この分野については、すでに「おおざっぱ」に知っている、という段階は卒業しなくてはならない。自分なりの視点なり、キチンとした立場を明確にしていかないと、迷うことになるだろう。つまり、これ以上、不用意に立ち入ってはならないボーダーラインに近づいているのであり、もしもうすこし奥に進もうとするなら、そろそろ覚悟を決めなくてはならないところまできているのだ。<日本人が体験したチベットを知るために> <日本人>が、と限定する時代はすでに終わりつつある。たしかに日本語文献や、日本民族の大陸進出などの経緯では留意すべきではあるが、当ブログとしては、今後はあまりこの視点は必要としなくなるだろう。ただ、これらの先輩たちが残した業績が身近なところに発見できることは、重ね重ね、大変ありがたいことだと、感謝する。<ツォンカパの著作> 今回は、ツォンカパの存在と、その著書や、ゲルク派という後継の流れの存在を確認するにとどまった。今後は、まずは「チベット密教」の中核としてのツォンカパを再読、三読、精読する必要がでてくるだろうと思う。カギュー派やニンマ派へと関心を移行していくにしても、やはり、ツォンカパを概観的に把握する必要はおおいにある。ただ、自分にどれだけ理解力があるのか心配だ。 <ゲルク派をよく知るために> チベット密教が、単なる哲学やファンタジーでないのであれば、行としてのチベット密教、儀式としてのチベット密教にもうすこし注目していくべきであろう。そのなかにあってゲルク派というより、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの絡みはよくよく注目しておく必要がある。そしてカルマパが絡んでくることによって、派を超えたチベット密教全体が見えてくるかもしれない。<サキャ派をよく知るために> 歴史的にはサキャ派を押さえておく必要は大いにある。全体のなか相関関係係や立体的全体像を知る上でも、少数派や対立派をよりよく知っておく必要がある。ただ、サキャ派についてはまだまだ資料がすくないようなので、もうすこし類書がでてくることを期待する。 <カギュー派をよく知るために> チベット密教の中では、一番関心があり、一番縁がありそうだ、と思われるのがこの流れだ。ただ、「縁がある、と思う」のと、「縁がある」ことは全く違う次元のことだ。今後、カギュー派を訪ねてさらに奥に入ることによって、どんなことが起こるのか、秘かな楽しみが残っている。ここから、さらに奥へ入っていけるのかどうか、は今のところはさっぱりわからない。<ニンマ派をよく知るために> 思いのほかニンマ派にはさまざまな文献があるようだ。個人的には中沢新一の個体史のほうから、逆照射することによってニンマ派が見えてくるのではないだろうか、と予測しているのだが、さて、どうなるか。その顛末は、まだまだ結論がでているわけではない。やや野次馬的にはなるが、ここのテーマを今後もおっかけてみようと思う。→<総括>08.10.03 <チョナン派をよく知るために> チベット密教においては「派」と名づけられていても、それは必ずしも、教義や組織的に明確に対立抗争の中にあるものではない。地名や法統によって、区別されているに過ぎない。しかしだからこそ、抽象的にそれぞれの流れを把握するのではなく、具体的な事象を把握しなければならないので、ちょっと面倒だなぁ、と思わないわけでもない。あとは、どのように自分がそれらの事象をさけて通れない地点にいくかどうかが問題だ。<女性とチベット密教をよく知るために> 仏教における女性や、チベットにおける女性というものは、現代のポピューラーな女性像と対比するとさまざまな違いが浮かび上がってくる。ましてやチベット密教における女性像を把握しておくことは、とても重要だと思われる。資料はあまり多くないが、もっと広く読みこむ必要があると思われるが、ちょっとデリケートすぎる問題でもある。<モンゴル仏教をよく知るために> モンゴル仏教を、大きな意味でのチベット仏教から分離してしまうことは、不要なのではないだろうか。大きな流れのなかで、モンゴル仏教を考える必要があるだろう。チベットに行けないから、モンゴルで調査という、なんだかお手軽コースにもなりかねないが、多様性のなかでチベット密教がとらえられることは必要であろう。<ブータン仏教をよく知るために> 山地にある人口60万ほどの小さな王国であり、ほとんど実質的な鎖国状態であったので、ブータンはほとんどその実態を知られることはなかったが、こうして少しづつ紹介されてくると、桃源郷や理想郷、ユートピア、という単語さえ思いだす。もちろん、人間が生きているかぎり地上天国であるはずはないのだが、でもやっぱり、こういうところが残っていたのだ、とあらためて感激。破壊される前のチベットに思いを馳せる。<最後に> この本に出会ってよかった。なにかが始まった気がする。1,2、3の1、イロハのイ、ABCのA、最初の一歩だ。たった一歩だが、確かなものが、しっかりスタートした実感がある。<5>につづく
2008.09.19
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<再読>よりつづく「増補 チベット密教」 <3>ツルティム・ケサン /正木晃 2008/05 筑摩書房 文庫 261p 「裸形のチベット」より突入した当ブログの「チベット<歴史>・深読み」シリーズもほぼ一巡した。どちらかというと、リストそのものに振り回されてしまって、内容を読みこむことがおろそかになってしまった嫌いがある。だが、世にこのような書があり、どこどこに行けばこのような稀有な書でも読めるという、図書館開拓にもつながった。どのような次へのステップが結論としてでてくるのかわからなかったが、なにはともあれ「増補チベット密教」を次のステップのガイドとしよう。 この本の構成はこうなっている。第1部 歴史編 第1章 チベット密教とは何か 第2章 チベット密教の歴史 第3章 ツォンカパの生涯第2部 修行編 第1章 ゲルク派の密教修行 第2章 秘密集会聖者流 第3章 カギュー派・サキャ派・ニンマ派の修行法補遺 チベット密教のマンダラ世界より深くチベット密教を知るための読書案内解説 上田紀行 初版の「チベット密教」2000では、巻末の「補遺」と「解説」はついていなかったので、まずは、この点が新しいのだが、これはすこし後回しにする。そして、「第1部 歴史編」は、むしろ「裸形のチベット」と重なるところがあるので、十分とはとても言えないが、おおざっぱに把握することができた。今回は、「第2部 修行編」を中心に見ていきたい。カギュー派などの流れも気にはなるが、まずはゲルク派にフォーカスして、読書を進めていこう。 「より深くチベット<密教>を知るための読書案内」もついているが、「チベット<歴史>深読みリスト」とかぶるところもあるし、「密教」というところでさらに範囲が広がって振り回されてしまいそうなところもある。まずは、いままで読み込んだものを基礎として、もうすこし「再読」モードで読みなおしていこうと思う。 「チベット<歴史>深読みリスト」のなかで、書そのものを発見できなかったものに、「大秘密四タントラ概論」 ガワン・パルデン他 永田文昌堂がある。これは、ツォンカパやゲルク派をもうすこし深めたところで、さらに理解が進んだところで、もういちど探し直すことにする。今は、この「増補チベット密教」p027の図をここに貼り付けることによって、その「大秘密四タントラ概論」とやらを、遠く推測するにとどめておく。 <4>につづく
2008.09.19
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「松長有慶著作集 全5巻」 松長有慶 1998/04 法蔵館 Vol.2 No.313 ★★★☆☆「松長有慶著作集(全5巻)」は次のような構成になっている。 第1巻 密教経典成立史論 第2巻 インド密教の構造 第3巻 空海思想の特質 第4巻 マンダラと密教美術 第5巻 秘密集会タントラの研究 今回は現在の当ブログの進行に直接関係のありそうな、第5巻に目を通してみることにした。松長有慶の名前はビッグネームらしく、たくさんの著書があり、関連の重要な書物がたくさんある。ただ気になることは、著者の経歴を見ると、高野山大学学長、、高野山真言宗管長を歴任し、現在は、財団法人全日本仏教会会長に就任しているというところあたりにある。 ダライ・ラマと対談した上田紀行などは、日本の既成仏教の動きに対して、やや失望ぎみで「がんばれ仏教!」とか、「目覚めよ仏教!」 と盛んにエールを送っている。しかし、ブータンに長いこと滞在して「ブータン仏教から見た日本仏教」を書いた今枝由郎などは、どうかすると、その失望のあまり、「くたばれ仏教!」とまで言い始めている。 日本の既成宗教に期待する声もあるが、失望して、すでに引導を渡している人々も多くいるようだ。日本仏教界のトップに、優秀な学者をかついだからと言って、日本仏教界が魅力的なものに変身するとは限らない。ましてや、チベット仏教などに対する見識が急に変わることにはならないようだ。 本自体はいたってまじめで、権威があることがすぐわかる。だから後日、この著者のシリーズをゆっくり読める機会がおとずれることを期待している。しかし、今回は、「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」における長松有慶著作集読書としては、この書を手に取ったことを持って、とりあえずの確認としておく。
2008.09.19
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「西蔵仏教宗義研究」 第7巻 トゥカン『一切宗義』ゲルク派の章立川武蔵/石浜裕美子/福田洋一著 1995/03 東洋文庫Vol.2 No.312 ★★★☆☆ この本、1995年3月に誕生している。まさにあの忌々しい事件のまっただ中の生まれたといえる。この東洋文庫の「西蔵仏教宗義理研究」シリーズは、「チベット密教の本」1994にも「チベット密教」2000にも、「増補チベット密教」2008にも、「裸形のチベット」2008にも、紹介されているのだが、この「ゲルク派の章」はなぜか紹介されていない。シリーズでもっともあとから出版されたということもあるだろうけれども、他の派とは違って、ゲルク派についての文献は、優れたものがかなりあるので、この本は割愛されたというべきだろうか。 著者の立川武蔵は「第1巻サキャ派の章」、「第5巻カギュ派の章」そしてこの「第7巻ゲルク派の章」の執筆にかかわっている。正木晃とツルティム・ケサンは立川のことを「私たちの共通の畏友」(「増補チベット密教」p016)と言っている。「畏友」とは自分が常に「及びがたし」との考えを抱いている親友のこと、らしい。 ゲルク派が他のものより特に優れている点がいろいろ挙げられているが、小見出しをみただけでも、その雰囲気がわかる。1、この最勝の宗義が他のものより特に優れている点2、ゲルク派の教えが三蔵と三学を備えていること3、見解の点で特に優れていること4、空と縁起のとの協調関係5、瞑想修行の点でも他のものより優れていること6、誤るりのない三昧を修行する仕方7、行いの点でも他のものより優れていること8、秘密真言についても他のものより特に優れていること9、幻身を成就する仕方10、経典の真意を、権威ある聖典と矛盾なく解釈する必要があること11、他の宗義の教えの真髄もすべて欠けることなく備わっているということ12、吉祥中間偈 p88~108 この書で個人的にあらためて再確認したことは二つ。一つは、チベットあるいはチベット密教をジャーナルするには、ゲルク派、あるいはツォンカパは避けては進めないということ。ふたつ、日本におけるチベット密教研究をジャーナルするには、立川武蔵という存在とエンカウンターする以外に前にすすめない、ということ。 このシリーズ「西蔵仏教宗義研究」第8巻「インドの思想と仏教」 川崎信定, 吉水千鶴子: 東洋文庫というものまで続いているが、今回は割愛する。
2008.09.18
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「ダライ・ラマ」その知られざる真実ジル・ヴァン・グラスドルフ /鈴木敏弘 2004/06 河出書房新社 単行本 574pVol.2 No.312 ★★★☆☆ 「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」の中の「14人のダライ・ラマ(上・下)」は、某研究室にあるのだが、現在閲覧できない。ダライ・ラマについては、たくさんの書物がすでにでている。積極的に読んできたわけではないが、次第にメモがたまってきた。ダライ・ラマ関連本「チベットわが祖国」 ダライ・ラマ自叙伝 木村肥佐生 1989/9 原著1962 中公文庫「愛と非暴力 ダライ・ラマ仏教講演集」 ダライ・ラマ仏教講演集ダライ・ラマ(14世) /三浦順子 1990/04 春秋社「雪の国からの亡命」 チベットとダライ・ラマ 半世紀の証言 ジョン・F・アドベン 三浦順子・他・訳 1991/1 原書 1984「ダライ・ラマ自伝」 ダライ・ラマ /山際素男 1992/01 文藝春秋 単行本 336p 文庫本化 2001/06 文藝春秋 「 ダライ・ラマ『死の謎』を説く」 輪廻転生-生命の不可思議 14世ダライ・ラマ 1994/07 クレスト社 単行本 235p「ダライ・ラマの密教入門」 秘密の時輪タントラ潅頂を公開するダライ・ラマ(14世) /石浜裕美子 1995/12 光文社 原書 Kalachakra Tantra Rite of Initiation For the Stage of Generation 1985 1989「宇宙のダルマ」 ダライ・ラマ十四世 永沢哲・訳 1996/11 原著 THE WORLD OF TIBET BUDDHISM 1995 「瞑想と悟り」 チベット仏教の教え ダライ・ラマ14世著 柴田裕之 1997/7 NHK出版 原著 THE WAY TO FREEDOM Core Teaching of Tibetan Buddism 1995 「チベットの七年」新装復刊 ダライ・ラマの宮廷に仕えて ハインリヒ・ハラー 福田宏年・訳 白水社 1997年 原著1966「活仏たちのチベット」 ダライ・ラマとカルマパ 田中公明 2000/4 春秋社「ダライ・ラマの仏教入門」 心は死を超えて存続する ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャムツォ 石濱裕美子・訳 2000/6 光文社知恵の森文庫 1995年光文社刊 原著 The Meaning of Life:Buddhist Perspecitive on cause and effect 1992 「バイオグラフィー 20世紀の指導者~ダライ・ラマ14世」 2000年7月 45分「ダライ・ラマの密教入門」 秘密の時輪タントラ潅頂を公開するダライ・ラマ(14世) /石浜裕美子 1995/12 光文社 原書 Kalachakra Tantra Rite of Initiation For the Stage of Generation 1985 1989「宇宙のダルマ」 ダライ・ラマ十四世 永沢哲・訳 1996/11 原著 THE WORLD OF TIBET BUDDHISM 1995 「瞑想と悟り」 チベット仏教の教え ダライ・ラマ14世著 柴田裕之 1997/7 NHK出版 原著 THE WAY TO FREEDOM Core Teaching of Tibetan Buddism 1995 「チベットの七年」新装復刊 ダライ・ラマの宮廷に仕えて ハインリヒ・ハラー 福田宏年・訳 白水社 1997年 原著1966「活仏たちのチベット」 ダライ・ラマとカルマパ 田中公明 2000/4 春秋社「ダライ・ラマの仏教入門」 心は死を超えて存続する ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャムツォ 石濱裕美子・訳 2000/6 光文社知恵の森文庫 1995年光文社刊 原著 The Meaning of Life:Buddhist Perspecitive on cause and effect 1992 「バイオグラフィー 20世紀の指導者~ダライ・ラマ14世」 2000年7月 45分 「高僧の生まれ変わり『チベットの少年』」 イザベル・ヒルトン 三浦順子・訳 2001/9 世界文化社 原書1999 「ダライ・ラマ 怒りを癒す」 ダライ・ラマ十四世・著 三浦順子・訳 2003/3 講談社ペック 原書 1997 HEALING ANGER 「ダライ・ラマ、生命と経済を語る」 ダライ・ラマ(14世) /ファビアン・ウァキ 中沢新一/鷲尾翠・訳 2003/03 角川書店「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」 ダライ・ラマ /宮坂宥洪 2008/08 春秋社「ダライ・ラマ その知られざる真実」 ジル・ヴァン・グラスドルフ /鈴木敏弘 2004/06 河出書房新社 原書 LE DALAI LAMA 2003 「思いやりのある生活」 ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャムツォ 沼尻由起子 2006/3 光文社 原書 The Compassionate Life 2003 「目覚めよ仏教! ダライ・ラマとの対話」 上田紀行2007/06 日本放送出版協会 全集・双書 「ダライ・ラマ 実践の書」 ダライ・ラマ(14世) /ジェフリー・ホプキンス 宮坂宥洪・訳 2010/01 春秋社 その他、 「チベット密教」関連一覧リストのなかにもダライ・ラマについての記述は多く見つけることができる。最近、ラマ・カルマパ16世についての記述も気になってきた。 カギュ派のカルマパ(カギュ派の精神的指導者)16世ランチュン・リクペー・ドルジェが座主に位しているツァルブ僧院が、ラサの北西にあった。そこにも数百名単位で巡礼が詣でていた。ランチュン・リクベー・ドルジェは、ゲルク派出身の二大精神的指導者よりずっと年上でもうじき31歳になるが、それでも修行僧も信者も、カルマパの北京行きをとても恐れていた。共産主義者と彼の対立は、チベット人に知れわたっていたのである。p293 カルマパをクローズアップした本は、 当ブログにおいては「活仏たちのチベット」が唯一。「14人のダライ・ラマ」は現在入手できていないので、今回はこの書き込みをもって、この本のおっかけは一旦停止する。
2008.09.17
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「西蔵仏教宗義研究」〈第3巻〉トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章 <1>平松敏雄 1982/03 東洋文庫 Vol.2 No.311 ★★★☆☆ この本、このシリーズの全8巻の中でいちばん厚い。ニンマ派。あの中沢新一が潅頂を受けたという流れだ。現代日本にチベット密教を巻き起こしたとさえいわれる「虹の階梯」だが、私はまだ、はっきりと読んではいない。蔵書歴は長いが、本当の意味で、この本との出会いがまだない、ということだろう。 チベットにはさまざまな流れがあり、また弟子と師匠との出会いもさらに千差万別あるとは言え、あれから30年の年月の経過をみていて、不謹慎だが、ふと思うことがある。中沢が出会ったのは、ニンマ派でよかったのか、と。 本文中「一切宗義」を補足する資料としては、歴史に関しては「テプテルゴンポ」と「ニンマ派仏教史」を使う。前者は「一切宗義」が歴史上の記述の基本資料としているからであり、後者は「一切宗義」にない新しい部分を記しているからである。 教義に関しては、ロンチェン・パ「七つの宝蔵」を用いる。チベットでは現今に到るまで、ニンマ派の僧侶たちがニンマ派の教法を学ぶのに、この論書から始めるからである。p1 いや、中沢が出会ったのは、チベット密教でよかったのか、とさえ思う。中沢にとって、出会うべきものは、なぜにチベット密教だったのだろう。中沢にとって、あの時、ネパールのチベット密教のニンマ派でなくてならなかったのはなぜだろうか。島田裕巳の「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」を読み返してもそう思う。当時出された「チベットのモーツァルト」を読み返しても、ますますそう思う。 ひとりの人間が、精神的な世界と出会い、どのような道を自らの道として受け入れるかは、それぞれの信教の自由であり、他人がどうのこうのと干渉するべきではない。静かにその道を歩む人々は、しっかりと内外から守られてしかるべきだ。 しかし、その過程を「大袈裟」に公開し、まるでタレントのごとき振る舞いと、おしゃべりしまくりには、私ははっきり言って首をかしげざるをえない。当時からもそうであったが、今に至っても、その思いは消えることはない。そんな中沢の精神史をたどる意味からも、今後、ニンマ派とは何なのであるのか、当ブログなりにとらえなおすことができたらいいなぁ、と漠然と思っている。<2>へつづく
2008.09.17
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「西蔵仏教宗義研究」 第6巻 トゥカン『一切宗義』チョナン派の章 谷口 富士夫著 1993/3 東洋文庫 69pVol.2 No.310 ★★★☆☆ 「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」おっかけもだいぶ進み、ほとんど一巡に近くなってきている。完全に道を絶たれたものも数冊あるが、今後まったく入手不能ということでもない。ただ、当ブログは、もともと図書館の開架棚にある図書を気軽に手にとってメモして行こう、というお手軽コースで始まっている。稀少本やトンデモ本を無理やり追っかける必要はない。 例えば、チベット密教界最秘かつ最難の修行法とされる「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」は、私の立場からはほとんど入手不可能となっている。身近な図書館にはなく、購入するにしても、古書としてかなりの高値を呼んでいる。好事家たちの収集の対象になっているかもしれない。だが、そこまで追いかけなくても、私ごときの行きがかり上のチベット本の読者なら、「チベットの『死の修行』」で十分だ。いや、これだって、とてもとても読み切れない。むしろ、この本を読む前に、よまなくてはならない準備段階の本がもっともっとありそうだ。 グレン・H・ムリンの「14人のダライ・ラマ(上)」、「(下)」も私の立場ではなかなか入手できない。この本が存在するところは一か所探し出したが、私は読むことができない。残念だが、もともと高価な本でもあるし、個人的に取得することも簡単にはできない。しかし、どのような内容の本かわからないが、それほど深く追っかけしなくても、他の本でもすでにいろいろなことが分かっている。今回はジル・ヴァン・グラスドルフの「ダライ・ラマ---その知られざる真実」でも読んで間に合わせようと思っている。 ガワン・パルデン他の「大秘密四タントラ概論」も現在のところ入手不能。タイトルからしても、ぜひ読んでみたいとは思うので、今後アンテナを張りつづけていれば、なんらかの方法がでてくるかもしれない。 これら3冊の入手不能本を嘆くことも可能だが、むしろ私は、他のたくさんの貴重な本を読むことができた、ということを喜ぶべきだろうと思う。その本のなかでも、この「STUDIA TIBETICA」=「西蔵仏教宗義研究」全8巻などは、もともと非売品でもあり、一般の読者である私などは、もともと読める立場にはない。その本を手にとることができたばかりか、今後も継続的に利用可能である、ということがわかっただけでも、感謝すべきであろう。 「チョナン」と呼ばれる学派は、サキャ派と同様に、その学派に連なる人物にゆかりの土地の名から採られている。チョナン派の宗祖とみなされるのはユモ・ミキョードルジェであるが、彼から数えて7代目のトゥクジェツォンドゥーがチョモナンの地に僧院を建てたことから、この学派は「チョナン派」と呼ばれるようになった。p1 このシリーズで明かされている情報は、他の本を何冊か読んでいれば、次第次第に雑学としては身についてくるものだが、このシリーズは資料として一級の折り紙がついている。どことなく、これらの資料を手にとると背筋が伸びる。このような高級な資料を使いこなせる力量はまったくないが、しかし、いつかはこれらの書をひもとくことができたことに恩返しをしなくてはならない、という思いは忘れずにいたい。
2008.09.17
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「パックス・モンゴリカ」 チンギス・ハンがつくった新世界ジャック・マッキーバー・ウエザーフォード /星川淳監訳 横堀冨佐子訳 2006/09 日本放送出版協会 原書GENGHIS KHAN and the Making of the Modern World 2004 Vol.2 No.309 ★★★★☆ タイトルに惹かれて借りてはきたが、あまりに厚い本なので、よく読まずに返そうとしたところ、監訳者の名前に気づいて、ふと立ち止まった。相変わらずの鋭い感性で先進的な仕事をしている監訳者には、いつも敬服する。 出版企画の成立後、私が国際環境保護団体グリーンピース・ジャパンの事務局長に就任したため、序章以外の訳を横堀冨佐子さんに、お願いし、そのあとで監訳の作業を行なった。p428「監訳者あとがき」 1975年の「存在の詩」以来、2007年の「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」まで、訳書・著書を含め、その活動を傍らでぼぉと眺めてきた。あっと言う間の30数年だった。もう30年なのか、という気持ちと、まだ30年なのか、という気持ちがないまぜとなり、はて、何がどう変化したのか、いろいろ考えてしまうことになった。 パックス・モンゴリカ=モンゴル帝国下の平和、安定 表紙見返し 本書の英文タイトルは「GENGHIS KHAN and the Making of the Modern World」である。サブタイトルの「チンギス・ハンがつくった新世界」でほぼ言い尽くされている。では、さて、「パックス・モンゴリカ」というタイトルはどこから来たのであろうか。本文も全然読まないうちにそんなことを考え始まった。 監訳者も参考にしたという「モンゴル帝国の興亡」の杉山正明は、「モンゴル帝国と長いその後」でこう書いている。 ひとりひとりの人間が、人類というかたまりを意識して暮らさざるをえない地球化時代の鍵は、やはり地上最大のこの大陸のゆくえにかかるところが大きいだろう。そこは、人類文明の多くを生みだした交流の大空間であった。人間もしくは人類に役立つ大きな「知」というものがあるならば、それはおそらく、歴史と現在をつらぬくまなざしのなかにこそ、求められるのではないか。杉山正明「モンゴル帝国と長いその後」p17 そしてまた別な書においてはこうも書いている。 21世紀という「とき」の仕切りに、はたしてどれほどの意味あいがあるものなのか、わたくし個人にはよくわからない。しかし、人類社会もしくは地球社会という空前のあり方のなかで、生きとし生けるものこぞって、ともども生きていかなければならない時代となった。たしかに、「いま」は、これまでの歴史とは画然と異なった「とき」に踏み込んでいる。かつてあった文明などといった枠をこえて、人類の歩みの全体を虚心に見つめ直し、人間という立場から共有できる「なにか」をさぐることは、海図なき航海に乗り出してしまったわたくしたちにとって、とても大切なことだろう。それは、一見、迂遠な道におもえるが、実はもっともさだかで有効なことではないか。杉山正明「疾駆する草原の征服者」p374 杉山もまたモンゴルに暮しながらも、多言語を駆使し、多くの文献にあたりながら、新しいモンゴル像を描きながらも、そのような感想をもったようだ。本書の著者ジャック・ウェザーフォードもまた10年以上に渡る研究のなかから本書を生み出したということだ。 アメリカの文化人類学者である著者は、モンゴル人学者と共同研究チームをつくり、5年にわたってモンゴルをフィールド調査した。小説を読むようにおもしろい、新しい視点のモンゴル史。表紙見返し 小学生以来、地理や歴史の単語を覚えるのを最初からあきらめている私としては、まして小説嫌いを恥ずかしくもなく公言している当ブログとしては、「小説を読むようにおもしろい」と言われると、最初からひいてしまうのであった(笑)。しかし、モンゴルについての本の何冊か目読してみると、いままでもっていたイメージとあきらかに違うモンゴルの世界が見えてくる。だからモンゴル研究の最新に触れることは楽しみのひとつではある。そして、さらに私たちにはヨーロッパ+アジア=ユーラシアという世界観を超えた、地球丸ごとのグローバル時代に生きている、という自覚が芽生えてきている。 パックス・ロマーナやパックス・アメリカーナが文字どおりの「平和」を意味するものではないように、本書もモンゴル帝国による破壊と殺戮に目をつぶるわけではない。それに対する恐怖と憎悪は、われわれ日本人も含め、襲われた人々の集合意識に刻まれている。ここでいう「パックス」は、野放しの「カオス」に対する一定の体制秩序のことである。 しかも、その秩序内部ではおおむねプラスの影響連鎖をもたらし、辺縁でも鉱物の結晶化に似た新秩序形成作用を現す。元寇前後の鎌倉幕府と武家台頭を思い起こすとわかりやすい。そして、これらの影響連鎖がマイナスに転ずるとき、秩序は崩壊に向かう。モンゴル帝国の黄昏はペスト(黒死病)によって早められたらしい。 また、モンゴルの直接的打撃を受けたイスラム文明に対し、ルネサンスから大航海時代へつながるヨーロッパの興隆が、被害は比較的軽微でパックス・モンゴリカから得るもののほうが多かったところに起因する点も示唆に富む。以後、パックス・エスパーニャ、パックス・ブリタニカ、パックス・アメリカーナと続いた欧米秩序のあと、次にどこが浮上するかのめやすになるかもしれない。p430星川淳「監訳者あとがき」 ブータンに長く暮らした今枝由郎は著書の中でこう言っている。 ヒューマニズムとは、堂々たる体系をもった哲学理論でもなく、〇〇主義と称される思想でもなく、洋の東西も、時の古今も問わず、あたしたちがなにをする時でも、なにを考える時でも、かならずわたしたちに備わっていたほうが望ましい、ごく平凡な人間らしい心がまえである。今枝由郎「ブータンに魅せられて」 p168 パックス・モンゴリカやパックス・アメリカーナは、グローバル時代の未来の指標となることはないだろう。One Earth One Humanityを標榜する当ブログ「地球人スピリット・ジャーナル」としては、「パックス・ヒュマニカ」を提案したい。言語的に、このような表現が正しいかどうかわからないが、地域や民族や人種を超えて、ヒューマニティこそ基盤とする平和を求めたい。 チベット仏教とモンゴル帝国には、チベットを「帰依所」とみなし、モンゴルを「大施主」とみなす、という相互関係があったとすれば、新しき「パックス・ヒュマニカ」をもたらす「地球人スピリット」をささえる勢力はどこにあるのだろうか。その勢力は、すでに国家や、地域や、人種や、カースト、あるいは階級や世代、というところにはないだろう。それは、インターネット社会や国境なき自由な往来が生み出す新しい時代の人々であるに違いない。当ブログでは、そのヒューマニティの流れを仮称「アガータ」と呼んでいる。
2008.09.16
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「朝青龍はなぜ強いのか?」 日本人のためのモンゴル学宮脇淳子 2008/02 ワック 新書 233p Vol.2 No.308 ★★★★☆ 朝青龍云々は、つかみであって、サブタイトルの「日本人のためのモンゴル学」が本題である。宮脇淳子には「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」の中の「オイラト・ジュンガルを知るために」として、「最後の遊牧帝国」がある。 モンゴル、ジンギスカン、というと、見識のない私などは、ジンギスカン料理とか「ジンギスカン=源義経」説などくらいしか話題がでてこないのだが、最近の大相撲での外国人力士、とくにモンゴル出身の力士の活躍は、おおいにモンゴルを身近なものにさせてくれたと言える。 第4章「日本とってモンゴルは大切な国」においては、「ジンギスカン=源義経」説について20ページほどを割いて紹介している。ジンギスカンの出自がいまだに明確でない部分がある限り、かの奇説も一概に否定されるだけではないとは思うが、一定程度のステロタイプの情報以外、この奇説の事実、あるいは、論調の本流に属するような新しい情報はなにもない。 人種区分という考え方が生まれたのは、そんなに古い時代ではなく、じつは19世紀になってからだ。ドイツの人類学者ブルーメンバッハ(1752~1840)が初めて世界の人種を分類したのだが、彼は、コーカソイド、ニグロイド、モンゴロイドの他、アメリカ先住民とマラヤ人(太平洋の人びと)を別の人種と考えて、人類を五大人種に分類した。 その後研究が進み、アメリカ先住民も太平洋のマラヤ人もモンゴロイドだということになったので、コーカソイド・ニグロイド・モンゴロイドの三大区分だけがいまだに使われている。それで、この区分は単純に白人種・黒人種・黄色人種ということだ。p200 この本一冊を読めば、朝青龍がなぜ強いのか?がわかる。わずか260万の国民しかいないモンゴル国から、なぜにこれほど幕内力士が続出するのか。最近は、ロシア出身の力士たちの大麻騒動で、大相撲は朝青龍以外にも話題を提供する力士が増えてきたが、それまでのハワイ出身の力士たちなども含め、日本の国技・大相撲は日本とはなにか、国際とはなにか、地球人とはなにかを考えるよい機会をあたえてくれる。 1578年、アルタン・ハーンは、当時のチベット随一の高僧ソェナム・ギャツォと青海で会見し、彼に「ダライ・ラマ」の称号を贈った。「ダライ」はモンゴル語で「大海」のことで、知識が海のように深いという意味である。これがダライ・ラマの誕生であるが、すでにソェナム・ギャツォには前世の高僧が二人いたので、いきなり、ダライ・ラマ3世と呼ばれる。p170 ダライ・ラマ問題は「日本人のためのチベット学」を、朝青龍問題は「日本人のためのモンゴル学」を切り開いてくれていることは確かなようだ。現在の朝青龍は、戦後日本の力道山にも匹敵するような本国での人気を誇っているようだが、長い目でみれば、地球上の文化が広く交流し、次第次第に、One Earth One Humanityの文化が醸成されていくことは、好ましいことだと思える。
2008.09.16
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<本文より続く> 中沢新一関連リスト 「虹の階梯」 1981/7 平河出版「チベットのモーツァルト」 1983/11せりか書房 「ブッダの方舟」 夢枕獏/宮崎信也との共著 1989/10 河出書房新社「改稿 虹の階梯」 1993/05 中央公論新社「三万年の死の教え」 1993/9 角川書店「チベットの聖者ミラレパ 」 1994/07 法蔵館「哲学の東北」 1995/5 青土社「『オウム事件』をどう読むか」 1995/10 文藝春秋「インディアンの言葉」 北米インディアンの記録から コレクション〈知慧の手帖〉ミシェル・ピクマル /エドワード・S.カーティス 中沢新一・訳 1996/09 紀伊国屋書店 「知恵の遙かな頂」 1997/7 角川書店「ブッダの夢」 1998/2 朝日新聞社 「それでもあなたの道を行け」 インディアンが語るナチュラル・ウィズダム ジョセフ・ブルチャック 中沢新一・他訳 1998/08 めるくまーる「こころの生態系」日本と日本人、再生の条件 河合隼雄・他との共著 2000/10 講談社「フィロソフィア・ヤポニカ」 2001/3 集英社「人類最古の哲学」 2002/1 講談社「熊から王へ」 2002/6 講談社「愛と経済のロゴス」 2003/1 講談社「ダライ・ラマ、生命と経済を語る」 中沢新一/鷲尾翠・訳 2003/03 角川書店「神の発明」 2003/6 講談社「対称性人類学」 2004/2 講談社「網野善彦を継ぐ。」 2004/06 講談社「僕の叔父さん網野善彦」 2004/11 集英社 新書 「アースダイバー」 2005/5 講談社「芸術人類学」 2006/3 みすず書房「憲法九条を世界遺産に」 2006/8 集英社「三位一体モデル TRINITY」 ほぼ日刊イトイ新聞 (編集), 赤瀬川原平 (イラスト) 、2006/11 東京糸井重里事務所「ミクロコスモス(1)」 2007/04 四季社 単行本 「ミクロコスモス(2)」 2007/04 四季社 単行本 「ゲドを読む。」糸井重里プロデュース 2007/6 ウォルト・ディズニー・ジャパン社 「爆笑問題のニッポンの教養(02)中沢新一」 現代の秘境は人間の"こころ"だ 太田光 /田中裕二 2007/09 講談社 「古代から来た未来人 折口信夫」 2008/05 筑摩書房「思想家 河合隼雄」 河合俊雄らとの共編 2009/10 岩波書店「カイエ・ソバージュ」 2010/03 講談社「大津波と原発」 内田樹/平川克美との鼎談 2011/05 朝日新聞出版「日本の大転換」 2011/08 集英社「エコロジーの大転換」 管啓次郎との対談 現代思想 2011/11「日本の文脈」 内田樹との対談 2012/01 角川書店
2008.09.15
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「古代から来た未来人折口信夫」 中沢新一 2008/05 筑摩書房 新書 143p Vol.2 No.307 ★★★☆☆ 歩楽styleさんの書き込みから、中沢の新刊に属するこの本がでたことは知ってはいたが、どうもいまいち読む気になれなかった。だいぶ前から手元にあったのだが、読めない。当ブログはチベット密教の流れに突入していた。正木晃などが言うところの、日本のチベット密教ブームのきっかけをつくった中沢新一、という視点を当ブログでも借りるとしても、現在の中沢は、ひたすらチベット密教色を払しょくし、「芸術人類学」とやらに遁走中である。島田裕巳などの批判にまともに答えない以上、現在の仕事をどう正当に評価しようというよりも、どうしても批判的に現在の仕事を見つめてしまう、ということが先にくる。 彼の本は、ひととおり目を通してはみたが、率直に言って、私好みではないようだ。そのテーマはともかくとして、その文章のカメラ目線がどうも気になってしまうのである。つまり、この本もそうであるが、わずか新書本一冊にしても、あちこちの雑誌やテキストに書き散らされた文章を再編集したものである。だから、どこか一貫性がかけており、そのつどそのつど、一文一文に、短い文章で手っ取り早く読者を「つかもう」とする意図が透けてみえて、かったるいのである。 柳田国男、折口信夫、南方熊楠の三人の巨人の頭脳と心が生みだしたものは、日本人に残されたもっとも貴重な宝物である。わたしはこの宝物をしっかりと護り未来に伝える水中の龍でありたいと思う。p9 「虹の階梯」に始まる中沢のチベット密教情報まきちらしのお行儀の悪さには、ほとほとあきれているので、また新たなテーマを持ちだしたとしても、また同じように食い散らかして終わるのかな、という疑念がすぐ湧いてくる。もし私が柳田国男、折口信夫、南方熊楠を読むとするなら、中沢以外の道をたどる。この人々をおっかけるのに、中沢の後埃をかぶる必要は、なにも感じない。 いまさら「三人の巨人の頭脳と心が生みだしたものは、日本人に残されたもっとも貴重な宝物である」などと、いまさら中沢教授にお墨付きをもらわなきゃいけないような人々でもあるまい。地球に残された「もっとも貴重な宝物」かもしれない「チベット密教」をほおり投げておいて、あちこち逃げ回っている教授が、なんとなく哀れになるのである。 「わたしはこの宝物をしっかりと護り未来に伝える水中の龍でありたいと思う」ということであるが、その意味はわかるけれど、自らを「龍」にたとえるところなど、自分が周囲からどのように見られているか、すっかり忘れている破廉恥漢の所作にさえ見えるのである。 折口信夫の残した仕事を見渡してみるとき、わたしはその先駆性に、しばしば呆然とさせられる。彼はいまもまだ、前方をゆっくりと歩みながら、わたしたちの遅れた到着を待ちわびている人のようだ。彼が切り開いた道は、いまではすっかり雑草におおわれてしまっているように見える。その雑草を切り払い、わたしたちはもういちど、その道を歩みなおしてみる必要がある。折口信夫はいまも未来でわたしたちを待っている。p98 「わたしたち」という言葉の中に、どんな輩をひきづり込んで徒党を組もうとしているのか知らないが、とりあえず私は、中沢のいうところの「わたしたち」の範疇には加わらない。「チベット密教」を食い散らかした後始末に、納得がいくのであれば、考えなおすが、いまのところ、二度も三度も、同じような「詐欺」行為には、私はひっかかりたくない。この文章が「『日本』を超え『人類』を見る眼」などという題のなかに入っている文章であればなおのこと、ひたすら眉唾で見続ける以外にない。 ここに折口信夫の思想の未来性が宿っている、とわたしは思う。彼の考える神道は、歴史の中のどこでもまだ実現されたことのない、ひとつの理念の構造として考えられている。そしてそれが実現されるためには、いままでの宗教が一度も利用したことのない表現手段が活用されなければならない。だからそれはむしろ現代の高度なメディア・テクノロジーの時代でこそ、はじめて現実性をおびる思想なのではあるまいか、とすら思われる。p111 せっかく島田裕巳などは、いまだに中沢のことを「チベット密教」行者と言ってくれているのに、今度は、神道に浮気ごころを起こして、さかんに秋波をおくっている。しかもタイトルとしては「超宗教としての神道へ」とくる。上田紀行が「チベット密教」を「世界仏教」の可能性がある三つのうちの一つの存在に挙げるのに似て、なんとも商売人の売り口上の軽々しいことよ。 当ブログは中沢のよい読者ではないが、批判をする以上、彼の著者には今後もひととおり目を通していかぬばなるまい。以下に読書メモ一覧リストを転記しておく。 <中沢新一関連リスト>につづく
2008.09.15
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<初読>よりつづく「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」<再読>島田裕巳 2007/04 亜紀書房 単行本 254p 正木晃「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」のなかで、中沢新一「チベットのモーツァルト」を評して「現在のチベット密教ブームは、この本が出版されたことに始まったといってもいいくらいである、いう内容を書いているが、どうもこの言い方は納得感がない。中沢がこの本を書くことになった経緯について詳しい島田裕巳のこちらの本を思い出した。 「虹の階梯」は、最初、中沢のグルであるラマ・ケツン・散歩と彼の共著として、平河出版社から1981年7月に刊行された。副題は、「チベット密教の瞑想修行」であった。この平河出版社版の単行本は、一度、新装版として表紙のデザインを変えて再刊されたあと、1993年5月に、大幅な加筆訂正の上、「改稿 虹の階梯---チベット密教の瞑想修行」として中公文庫の一冊として刊行された。p110 島田の「中沢新一批判」においても、中沢新一と言えば、やはり「虹の階梯」の引用度のほうが圧倒的に多い。第三章では「『虹の階梯』の影響と問題点」をたててまで40ページにわたって、批評を加えている。再読してみて、初読時との印象にはとくに違いはないが、やはり中沢からの「まともな」反論はまだ出ていない、と言っていいだろう。 しかし、それにしても、「虹の階梯」を書きながら、「チベットのモーツァルト」をほぼ同時に執筆していたとすれば、「チベット密教」行者としての中沢は、やはりあまりに不用意で、「おしゃべり」であったというイメージはぬぐいきれない。 中沢をいったいどのような存在としてとらえるべきなのかは難しい。宗教学者であり、宗教人類学者であり思想家として紹介されてきたものの、その枠にはおさまりきれないものをもっている。彼がチベット密教の修行者である以上、宗教を客観的な立場から研究する宗教学者であると同時に、宗教を実践する宗教家としての側面をもっている。しかも、彼はチベット密教を紹介し、その本質について語ろうとしているわけだから、ただの修行者ではなく、指導者でもある。そして、彼の思想や彼の著した「虹の階梯」が、オウム真理教の形成と彼らが引き起こした事件に大きな影響を与えた点からすれば、オウム真理教の第二の教祖、「隠れた教祖」であるとさえ言える。あるいは「隠れたグル」と言った方がいいかもしれない。p240 島田の批判もまだまだ深くはないが、中沢の「新しい境地」もまだまだ開けてはいない。全世紀的しがらみを踏まえながらも、当ブログは、これら一連の問題意識に留意しながら、真に問われるべきテーマをすこしづつ明確にしていきたい。1、チベット密教とはなにか。その可能性と限界。とくに正木晃や田中公明などに注目。2、上田紀行言うころの「地球仏教」としてのチベット密教の現在。3、チベット密教を乗り越えたところにある「地球人スピリット」とはなにか。etc
2008.09.15
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「マイトレーヤ」(瞑想社1988)の中の「高僧謁見記」を読んでいて、その出典のとなる原典の英文の「The Silent Explosion」(1973)を探していて、同名のDVDがあることに気がついた。 「A visit to the OSHO International Meditation Resort, Pune, India. 」というサブタイトルがついていて、どうやら2004年に制作されたものらしい。28分という長モノなので、YouTubeからははみ出してしまい、Google Videoで全編を見ることができる。Deva Yokoの笛の音が印象的。 さて、かの「高僧謁見記」は、当ブログとしては、Oshoのサニヤシンとしての自分がチベット密教を読み進めるにあたって、きわめて重要なポイントが書いてあると直感した。そこには1973年にひとりのサニヤシンがラマ・カルマパ16世を訪ねたときのインタビュー記事が載っている。ネット上を探してみたが、詳しいページはないようだ。そこで、その35ページ分ほどを、いつか、何らかの形でアップしようと思っている。部分的ではあるが、今回読んでいて、あらためて重要だと思った部分をアップしておく。 「まさにそれだ!」 彼はOshoのロケットを自分の手に取り、それを額におし頂いて、言いました。 「Oshoは、インドの仏陀以来最大の<神性の化身>だ、生きているブッダだ!」 私はこれを聞いて、感極まって、たずねました。 「インドには、やはり光明を得、悟りをひらいたと言う人たちがほかにもおります。彼らについてはどうでしょうか?」 彼は答えました。 「彼らは領解(りょうげ)した魂(自覚した魂)ではあるが、光明を得た化身ではない」 次に、私は特にクリシュナムルティについてたずねました。彼は言いました。 「まず第一に、彼はインドにはいない。第二に、彼は領解した魂だが、神性の化身ではない」 それが、彼が特に私に教えたことでした。そこで私はたずねました。 「神性の化身と領解した魂とのあいだの違いはなんでしょうか?」 彼は言いました。 「領解した魂は自己領解に達してはいるが、かならずしもほかの人々を救うことができるとはかぎらない。もし他者を助けたければ、彼はそのために超自然的かつ秘教的な科学の訓練を特別に積まなければならなかったであろう。そしてこの訓練のためには、何度で何度も生まれ直さなければならない。そうすれば、再誕生の意識的選択をすることができるようになる。こういった事柄すべてを、Oshoはすでに通過してきている」 ラマは私に教えました---神性の化身とは、前世において他者を助ける訓練をした誰かの化身であり、たんに今世において領解した魂ではない。Oshoの場合は、すでに訓練を経てきており、すでに悟りをひらいている。そこで今世では、Oshoは霊的精神的に人々を助ける目的で特別に誕生した、ただこの目的だけのために・・・・・。彼は完全に意識的に誕生を選んだ---ラマはそう言いました。その点では、私は彼にバグワンは大勢の人々を教えていて、多くの深遠な事柄について語っている、と言いました。 すると、聖下は言いました。 「あなたは、彼があなた方のために語っていると感じているかもしれないが、彼が語るのはただあなた方のためだけではない。Oshoは同時に<アーカーシャの記録>のために語っている。語られたことはなんであれ、すべて忘れ去られていない。だから、あなた方は彼が言葉を繰り返しつづけるのに気づくだろう。彼は言葉を繰り返しつづける。そして、あなたは彼があなた方のために語っていると感じている。だが実を言うと、、彼はただ少数の人々のために語っている。Oshoの本質を認識する者はごくわずかしかいない。彼の言葉は<アーカーシャの記録>のなかに残る。それが未来の人々に対しても役立つように・・・・」 p55~p57 さらに詳しいことが書いてあるが詳細は次のチャンスに譲るとして、他の部分も気になるところが多くある。 Oshoに関して、聖下は言いました。光明を得たあとでは、もし光明を得た魂が自分自身の選択によって自分たちの仲間以外のどこかに再臨するとしたら、それをくいとめることはできない、と。Oshoの場合は過去世において自分たちとともにいた、とラマは言うのです。彼は私にこう語りました。 「Oshoは過去世に神性の化身として何回か現れたが、そのうちの一つの生ではチベットにいた。もし彼を見たければ、あなたはチベットへ行って、そこで神堂のなかに保存されている彼の黄金の像を見ることができる」 Oshoのひとつ前の誕生は約700年前に起こったと言われています。聖下は、それよりももうひとつ前におこった誕生のことに触れたのです。彼は、Oshoは現在の生から二生前の生においてそういう偉大な化身たちのひとりで、それゆえに彼の像が保存されているのだ、と言いました。p62~63 この辺は、チベット密教の転生活仏たちの中でも最も古いシステムの伝統をうけつぐカギュー派の代表でもあるカルマパ16世の言葉であってみれば、比較無類の重要性を持つ言葉となる。 本物の黄金の像がチベットのどこかに隠されています。ある人々だけが、深い瞑想に入っている人々だけが、それについて知っています。Oshoもそれについて知っています。深い瞑想に耽る人たちは、どこにそういうものが隠されているか、知ることができます。偽物の模造品だけが、中国人たちが破壊できるただの見せものとして、目に見えるところに置かれていました。チベット人たちは彼らがあるものを破壊したがるのを知っていたからです。 聖下によると、チベットにはこのような偉大なる神の化身たちの黄金の像が、99体あります。それらのうちのひとつが、二生前のOshoの像です。中国人たちはまだそれを破壊していません。できないのです。なぜなら、これらの像はチベットの人里離れた場所に移され、極秘のうちに隠されているからです。p63~64 こうして転記していて思うことは、以前に読んだところと同じようなところにやっぱり興味がひかれるのだが、その興味もすこしづつ角度や濃度が違ってきているな、ということ。 私は聖下にOshoは誰の化身かとたずねましたが、彼は言いました。 「いや、それは秘密だ。ある者がわれわれの僧院のひとつの長でないかぎり、われわれは彼が誰の化身であるかを明らかにしない」 しかし、彼はあるひとつのことをじつにはっきりと教えてくれました。それは--- 「Oshoは、みずからの仕事が終わるやいなや、消える。完全に消え去る。そうなればわれわれが彼を見いだすことはできなくなる」 彼は言いました。 「チベットの秘法によってのみ人は消えさることができる」 それと同じことがかつて老子に起りました。Oshoも、老子がどこへ去ったか知る者はいない、と私たちに教えたことがありました。彼は自分の時が来たときに、死ぬのではなく、ただ消えました。聖下はそれがいつOshoに起こるか口にしませんでした。 私は聖下に、彼がそのようにしてただ消えるということがどうやって可能なのか、とたずねました。彼は言いました。 「われわれの科学は、振動の科学だ。そしてOshoはすでにそれに熟達している。彼はただ自分の振動を鎮めさえすればいい。そうすれば彼は消えることができる」 人々の体が見えるのは、ただ人々の振動(バイブレーション)が眼に投射されるからです。そうしたら眼は振動を受け取って、その振動をひとつの姿に形成する---それがこの術の背後の秘密なのです。Oshoも、「あなたがそこにいると人々に感じさせたいと思えば、あなたの振動があなたの姿をつくり出す」と、言われたことがありました。Oshoはすでに自分の振動を鎮めきっており、ただ自分の仕事が仕上がるのを待っているだけだ、とラマ・カルマパ(注・16世)は言いました。それを為しおえるやいなや、彼は消え去るのです。Oshoの振動はすでに静かになっており、彼が地上に身をとどめているのは人工的な手段によるものであり、それは彼が仕事を完成させなければならないからです。p66~68 このインタビューの1973年の時点では「彼」の名前はバグワン・シュリ・ラジニーシであり、本文にもそのように記載されているが、この日本語の本がでた段階でも、まだOshoという名前にはなっていない。だが、「それを為しおえるやいなや、彼は消え去るのです。」というカルマパの言葉は重い。Oshoという最後に彼が送られた名前こそ、その象徴でもあるし、そのOshoという標章さえ、「チベットの秘法」によってかぎりなく<アーカーシャの記録>のなかに消えつつある。まさに今このときに。 当ブログでは少し混乱はきたしているが、「彼」についての標章は、引用文献に別名で載っている場合でもOshoに統一しておこうと思う。この「高僧謁見記」においても、Oshoの名前に変更した。
2008.09.15
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「ブータンのツェチュ祭」 神々との交感写真・永橋和雄 /文・今枝由郎 1994/03 平河出版社 単行本 167p Vol.2 No.306 ★★★★★ 「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」の中で、現在読めそうにない三冊のうちの一冊が今枝由郎の「ブータン中世史」。2003/02発行で割と新しい本なので、どこかにあるとは思うが、私の行動範囲のルートでは閲覧不能。7350円もする本なので、図書館にもないし、店頭にもない。個人的に入手することも考えたが、順序としては他に優先すべき本がいろいろある。 今枝の本だから、きっと面白かろう。他に「ブータン仏教から見た日本仏教」や「ブータンに魅せられて」などを読んだが、いずれも面白かった。彼の本は、他にもありそうなので、今回はそちらで間に合わせようと思う。 さて、この「ブータンのツェチュ祭」という本、実にカラフルで目にあざやか。写真家、永橋和雄の見事な写真が、ブータンの祭りをすっかり切り取っている。これまで、文献が中心のチベット読書案内が多かったので、久し振りにホッとした感じ。文字だけは、絶対わからないブータンの世界がここにある。 チベットは6~700万の人口と言われているが、ブータンはその10分の1の60万人程度の国民が暮らす小国家。ほとんど鎖国状態だったから、それこそブータンの中世がそのまま現代に生きているような錯覚におちいる。ブータンはブータンなりの理解のしかたがあるが、文化的にはチベット仏教の深い影響下にある。だから、中国共産党によって破壊されるまえの、チベットの文化がそのまま保存されているような雰囲気さえ感じられる。
2008.09.13
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「解脱の宝飾」 <1> チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』ガムポパ /ツルティム・ケサン 2007/07 UNIO /星雲社 単行本 445p Vol.2 No.305 ★★★★★(未読だが、期待を込めて) 「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」も、残すところ、タイトル別でいえば、あと7冊というところまできた。そのうちの3冊は近日中に図書館から借りることが決定している。さらに1冊は、研究室に行けば閲覧は可能。そして、最後の最後の3冊は、現在のところ、依頼はしているが、当面は読めそうにない。 あのリスト本の完読を期してはいたが、ものがないのではしかたない。今後、時間をかけて、さがしていこうと思う。それぞれのジャンルについては、再読本もまじえながら、すこしづつ総括していくことにしよう。 さて、「解脱の宝飾」、2007/07発行ということで、比較的新しい一冊だ。すこし前から手元にあったのだが、最後の最後にこの本を読もうと思ってとっておいた。当ブログでは、いわゆる法典類は、精読しないできたので、せめて何冊かはゆっくり読んでみたいと思っている。 この本にはちょっと思い入れがある。かのリストの中では「カギュー派をよく知るために」の筆頭にあり「もっとも本格的な書物」と紹介されている。チベット密教には諸派さまざまあれど、カギュー派が一番親近感がある。おおえまさのりがだした、ミラレパの「十万歌」、初めて読んだOshoの本「存在の詩」、チョギャム・トゥルンパの「精神の物質主義を断ち切って」、そして「マイトレーヤ」におけるカルマパ16世の話。あるいは最近のカルマパ17世の話など、カギュー派はどことなく話題豊富という感じがする。 あるいは、ツルティム・ケサンという人の仕事の流れに素晴らしいものを感じるし、今回のこの「解脱の宝飾」をだした出版社にもそれなりのつながりを感じている。最近はどうなっているか詳しくは知らないが、そのスタッフは、かつて30年前に同じインドで瞑想した仲間たちであるはずなのだ。 そんなこんなでページをめくる前から、ひとりで盛り上がっている。ゲルク派のツォンカパの一連の体系を横目でみながら、こちらカギュー派の深みもしっかり味わってみたいと思う。 <2>につづく
2008.09.12
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「西蔵仏教宗義研究」 〈第2巻〉トゥカン『一切宗義』シチェ派の章 西岡祖秀 1978/03 東洋文庫 75ページ Vol.2 No.304 ★★★☆☆ 羽田野伯猷氏によれば、シィテェ派はインド僧サンゲータムパによって興起した宗派である。彼は無上瑜伽密教のYoginであったが、その特質は単なるYoginではなく、波羅蜜、顕教を秘密真言にして行じることであった。p4 羽田野伯猷の著作集の存在はすでに確認している。あとはどのようなタイミングで読み始めることができるのか、というところだが、彼は「無上瑜伽密教のYogin」だとは知らなかった。 この本が書かれたのは1978年のこと。これ以降、日本にかぎらず、チベット仏教(密教)の研究は飛躍的に発展していると言われており、30年前の表記法や情報量は、当時はまだまだ準備段階にあったと思われる。それでもこの本などが重視されるのは、基礎的な資料の流れがはっきりしているからだろう。 チベット密教各派についての細かい説明があるが、今は、その名前に目を通してみているくらいがせいいっぱい。それでも、この本が「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」の中の「女性とチベット密教をよく知るために」のなかに分類されていることに、ピンとくるものがある。 シィテェ派、断境派では、女性が大きな役割をはたし、Mo-gcod派は女性による派であり、男性のPho-gcod派よりも隆盛であったとする。p5
2008.09.12
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「西蔵仏教宗義研究」第1巻(トゥカン『一切宗義』サキャ派の章)立川 武蔵 1974/06東洋文庫 166ページ Vol.2 No.303 ★★★★☆ シリーズ第一巻だから、始まり方がなんともスムーズですっきりしている。 いかなる宗教にも「二つの極」とも呼ぶべきものが存在する。「二つの極」の一方は日常の世界であり、宗教である限りこの日常の世界は何らかの方法で否定されるのであるが、その否定の末、目指す世界としてあらわれるものが他方の極である。それらは「人と神」、「迷いと悟り」、「俗と聖」などという言葉で表現される。p1 このシリーズ、第八巻まであるが、その中で紹介されるチベット密教各派の順序は何かの生成過程に関係あるのかな、と思ったが、そうではないようだ。 「一切宗義」サキャ派の章の構成 この章は「一切宗義」全体では第六番目の章ではあるが、トゥカンはチベット仏教に関する第五番目という意味で「第五」と呼んでいる。p12 いままで読書のなかで、さかんにでてきた「生起次第」と「究竟次第」であるが、ベーシック・コースとアドバンス・コース、くらいのイメージで読んできたが、実はもっと深い。 「次第」あるいは「歩み」とは「宗教における二つの極」の間の歩みである。いずれの宗教においても「相反する二つの極」の間には二つの方向、即ち「俗」から「聖」へ至る方向と「聖」から「俗」へ至る方向とが考えられてきた。仏教タントリズムにおいてもまたこの二つの方向にそれぞれの意味が付加され、それぞれの宗教実践の形態も異なっていた。「生起次第」とは「俗」から「聖」への歩みであり、「究竟次第」は「聖」から「俗」への歩みにあたる。p17 つまり、住相と還相と考えればいいわけだ。煎じつめれば、「密教」の最後のステージは、「meditation in the marketplace」というところにある、ということになるのだろう、やっぱり。 矛盾する二つの極を全的に肯定しうる真実の世界は言葉では表現できない。あえて言葉にするとき、それは逆説となる。トゥカン「一切宗義」(サキャ派の章)が最後に達したもの、それは逆説であった。p38 ここにきて、ようやく、チベット密教とやらの、その原理が一段と深まった感じがしてきた。<2>に続く
2008.09.12
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「チベット大虐殺と朝日新聞」 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか岩田温 2008/09 オークラ出版 単行本 293p Vol.2 No.302 ★★★★★ この本を開いてまずおどろいたのは、著者が1983年生まれの25歳の青年であるということ。比べるべくもないが、我が家の凡児・愚息たちと同世代なのだ。どのような内容であろうと、もし我が家の子どもたちがこのような本を書いたら、★を20個も30個もあげたい。これだけの意見をもち、これだけの行動力があり、これだけの調査をして、短期間にこれだけの本を作ってしまうのだから、まずはそのことに敬服した。 しかし、ひととおり目を通してみて、客観的に見た場合、私はこの本に★2つをあげることしかできない。意見としては、私とはかなり違う。視点も違うし、世界観がかなり違うと思った。 まず、「アジアの試練 チベット解放は成るか」を読んだときにも感じたのだが、「朝日新聞」ばかりが偏向した間違った報道を厚顔無恥にも続けているかのように評価していること。ここは私は基本的に最初から違和感を感じる。。「諸君」「正論!」「ボイス」「文芸春秋」といった、私から見ればやや右寄りを思える雑誌などにも、私は必要であれば、目を通す。普段は目を通さないので、これらを自分のオピニオン・リーダーとして認めているわけではない。しかし、自分と違った視点からはどのように見えているのだろう、という意味で無視は絶対しない。 じゃぁ、かといってやや左寄りと思われる朝日新聞を盲信してきたかというと、それも違う。私は個人的には朝日新聞には心地よい記事が多いとは感じるが、所詮、マスコミはマスコミ、メディアの限界として、見切りをつけているところがある。 ちなみに、この17か月ほど、宅配新聞はもう取っていない。たしかにそれまでは朝日新聞だった。だが、それは他の家族の要請もあったので、そうなっていたのであって、もし自由にできたら他の新聞にしていたし、予算があるなら、複数購読してみたいと、長いこと思っていた。 私自身は、高校時代に新聞部に属していて、70年安保当時、自分の学校の校内でバリ封事件がおき、その取材過程で、いかにマス・メディアというものが「ウソ」を書いているのか、ということを痛感したので、その後は、ほとんどマス・メディアは簡単には信用しないことにしている。当時でも、全国紙5紙と地方紙2紙、それにNHKと地方テレビ局の報道をウォッチしたことがある。それをグラフで比較し、文化祭で発表もしたりした。 だから、私は朝日新聞ばかりが偏向しているとは思わない。この本では一紙朝日新聞ばかりが取り上げられているようでもあるが、それなら、他の新聞とNHKや民放、その他のメディアがどのように対応してきたのかを、比較して語る必要があるのではないか、と思う。 著者は、過去の朝日新聞を調査し、チベット問題関連の記事を6000件探し出し、そしてそれらを整理する資料ファイルは10箱に達したという。それらを1945~56、1956~59、1960~80、1980~2008、に分類して解説しコメントを加えている。非常に情熱的もであるし、圧倒的な行動力でもある。 しかし、なぜ、こと朝日新聞にだけ固執するのかは、私にはわからない。もし、他の4紙なり、他の報道機関が朝日新聞と全く違って、完璧に「正しい」報道をしていたというなら、朝日新聞ばかりが可笑しいことになり、また、他のメディアが正しい報道してくれているわけだから、日本国民全体がミスリードされていた、などということはできない。 過去に振り返って、記事を調べることはとても必要だと思う。しかし、その当時の他の新聞なり報道機関がどのような記事を配信したのかも、キチンと比較検討する必要があるのではないだろうか。ましてや、日本の報道機関ばかりか、外国メディアや、国際報道機関なども動向も織り込まれないと、ことターゲットを朝日新聞だけに絞りこむことの理由が、わたしにはいまいち分からない。 それぞれの意見の違いはあるだろう。それは虹色の意見があるなかで、ある程度の「誤差」の範囲に収まることも多々あるのではないだろうか。他の報道機関が、全く誤報を出したことがなくて、こと朝日新聞だけが誤報しまくっていた、となれば、これは由々しき問題ではあるが、私にはそうとは思えない。 今回のチベット問題でもそうだが、著者が自分で長野に行って、聖火リレーがどのように行われたのか、自分の足でその場に立ち、自分の目でみることは本当に必要だと思う。今回現場に立ってみて、それらが十分正確に報道されていないと著者は感じている。たぶん、そうであろうと、現場に行かなかった私も思う。 最近はインターネットでマスメディア以外のニュースもいろいろ目にすることができるようになってきた。しかし、それらのことを含めたとしても、本当の事実なんていうものは、なかなかキチンと報道されないことのほうが多いと思う。 事実を知らずに、ただ「かわいそう!」と単純な動機から同情するだけでは、チベットを救うことはできない。私たちに何ができるのか? それを考えるためには、なににもまして、事実を知ることだ。そこからしか、真の意味では、なにごとも始まらない。 正木晃「裸形のチベット」 p9 当ブログは、正木のこのアドバイスに従って、巻末についていた「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」の空欄を埋めている最中だ。リストとしてはすでに90%埋めるまで来たが、それらの資料や情報の読み込みの密度でいえば、まったく何もできていない、と言ったほうが正しい。いまさら、楽天ブログの一つが、おっとり刀で走ったところで、何も本質的に解決することなどないだろう。 しかし、同時代人として、同じこの時期におなじ地球上に生きている人間として、チベット問題は無視はできない。意見は違うが、著者の仕事を、私は好ましい仕事に思う。彼が正しいとか間違っている、などという判断はまだまだ早い。少なくとも、彼のように意見をはっきり持っているということは、好ましい人物に思える。実際に会って話したり、議論したり、生活したら、はて、どうなるかわからない。でも、圧倒的にチベット問題について何も知らないし、なんの関心もない、という人々が多いなか、なかなか緊張させてくれる一冊に出会えたことは、大変うれしかった。 上では、意見としては星を2つしかつけられなかったが、その姿勢やエネルギーに感動して、最後に、やっぱり★★★★★としておく。
2008.09.12
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「ニューズウィーク日本版」2008-7・30号 チベットの希望、カルマパ17世 2008-8・6号Vol.2 No.301 ★★★☆☆ 「オーマイニュース」で面白そうな記事を見つけたので、早速、当の雑誌をめくってみることに。 「私がチベットの希望だ」 85年にチベットの遊牧民族の家に生まれたアポ・ガガは、7歳でチベット仏教カギュ派の最高位、カルマパ17世に認定された。チベット仏教においてダライ・ラマ14世、パンチェン・ラマ11世に続く第3位の高僧だ。 チベット自治区で生まれ育ったカルマパだが、中国当局の監視に耐えかねて14歳のときに逃亡。ヘリコプターや馬を乗り継いで、チベット亡命政府のあるインドのダラムサラに亡命した。 ダライ・ラマは73歳という高齢で、パンチェン・ラマが95年から失踪したままであることを考えれば、若きカルマパがいずれチベット仏教の指導者になるとみる向きもある。23歳の誕生日を前に、5月の訪米やチベット問題、北京オリンピックなどについて本誌スディプ・マズムダムが聞いた。「ニューズウィーク」2008/07/30 p60 後継問題やアメリカ体験もともかくとして、時が時だけに、北京オリンピックをどうとらえているか、気になるところ。----北京五輪のボイコットを呼びかける動きについてはどうですか。 中国は大きな国で、共産党だけののものではない。中国の同胞たちのものだ。彼らが自分たちの経済成長を示し、考えを表現する機会を世界はもっと与える必要がある。五輪はいい機会になる。私はボイコットに賛成はしないし、ダライ・ラマも同じだ。p60 わずか1頁の短いインタビューだけに、こまかいディティールが分からないが、まずは、本人が元気であり、まったく「自由」とまではいかないまでも、あるい程度の範囲で発言できる環境であることを確認できたことは素晴らしい。----チベットの住むチベット人に言いたいことは。 言葉にするのはむずかしい。私がこの世に生きていることが、生を受けたすべての人のためになってほしい。そこにはすべてのチベット人も含まれる。そうでないとしても、私はいつも、自分の存在がすべてのチベット人のためになるよう願っている。同上 ところで、この記事では、なんと、当のラマ・カルマパ17世の写真を別人の写真と間違えてしまったということだ。なんという・・・・。雑誌などではよくあることだが、次の週に上に貼り付けた写真とともに訂正記事が載っていた。 「訂正」7月30日号60ページのカルマパ17世の写真が間違っていました。正しくは上の写真です。おわびして訂正します。p79 この記事も、ご本人の正しい写真を見ながら読むと、またニュアンスが違ってくるから不思議だ。彼こそは、「カルマパ16世」の生まれ変わりと言われている人。 ネット上を検索すると、彼の画像はいろいろでていくるようで、下の写真などは、カルマパを見るダライ・ラマのまなざしがなんとも「頼もしそう」に見ているのが微笑ましい。 追記 「ニューズウィーク」誌の写真の間違いの背景には、「2人のカルマパ17世」問題があるらしい。
2008.09.11
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「西蔵仏教宗義研究」 第四巻 トゥカン『一切宗義』モンゴルの章 福田洋一・石濱裕美子著1986/03 東洋文庫 p207 非売品Vol.2 No.300 ★★★★☆ これは、東洋文庫において1961年以来行われている「チベット人との協同によるチベットの言語・歴史・社会の総合的研究」の成果の一部である。「まえがき」より 1961年と言えば、1959年の「チベット動乱」の直後であり、「チベット人との協同」というところに、中国共産党の侵略によりチベットから日本へ亡命してきたチベット人たち、というイメージがあるが、さだかではない。すくなくとも、当時の動勢を背景にしながら、この研究が始まったのだろう。 ツォンカパ(1357~1419)は、当時のチベットの諸流派の行法を体系化したとするなら、トゥカン(1737~1802)はインド・チベット・中国などの諸流派の歴史をまとめ上げた、という位置づけなのだろうか。してみると、やはり、チベット密教「研究」には、この二者ははずすことができない位置づけとなる、らしい。 杉山正明らの最近の研究を見ても、一般に知られているチベットやモンゴルというものは、固定的なものではなく、時代時代によってかなりの流動性を持っているようである。だから、ユーラシア大陸に出現した世界国家モンゴル帝国の中で、いわゆるチベット仏教(密教)がどのように位置づけられ、どのような作用を果たしたのかは、きちんと押さえておきたいポイントだ。 すべては「サキャパンディッタのモンゴル行きがのちのチベット=モンゴル関係に持っていた意味は何か」という問いに集約することができるであろう。p29「第四章 サキャ派と元朝の関係」より チベット仏教(密教)や、このトゥカン「一切宗義」の全体の流れを知る上でも、やはり、まずは「第一巻 サキャ派の章」を読まなくてはならないようだ。今回は資料の存在を確認するのみにて、くわしくは次回を期す。
2008.09.11
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「西蔵仏教宗義研究」 第5巻 トゥカン『一切宗義』カギュ派の章立川武蔵著 1987/03 東洋文庫 229p 非売品Vol.2 No.299 ★★★★☆ この「西蔵仏教宗義研究」のシリーズは全八巻あり、「チベット密教の本」1995ブックガイド、「チベット密教」2000、「裸形のチベット」2008の読書案内、いずれにおいても紹介されている。「ゲルク派の学僧トゥカン(1737~1802)が、インド・チベット・中国などに誕生した仏教諸宗派の歴史と教義を紹介した書物『一切宗義』」の邦訳・注釈・解説であり、第一級の史料として定評がある」とのことである。 東洋文庫というから、文庫本なのかなと思っていたが、それぞれが独立したB5版の200頁を超える冊子である。版下もタイプ打ちしたのかな、と思えるような質素なもので、「非売品」となっている。ネット上においても入手や閲覧はなかなか難しいようだ。内容を十分活用できない私のような者には、猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏だが、なにはともあれ、このような本にまで辿りつけたことだけでもありがたいことだと思う。「第一巻 サキャ派の章」 立川武蔵 1974/06「第二巻 シチュ派の章」 西岡祖秀 1978/03 「第三巻 ニンマ派の章」 平松敏雄 1982/03 「第四巻 モンゴルの章」 福田洋一・石濱裕美子 1986/03 「第五巻 カギュ派の章」 立川武蔵 1987/03 「第六巻 チョナン派の章」 谷口富士夫 1993/3 「第七巻 ゲルク派の章」 立川武蔵, 石濱裕美子, 福田洋一 1995/03「第八巻 序章『インドの思想と仏教』」 川崎信定, 吉水千鶴子という構成になっており、チベット語の書籍も図版となってとじこまれている。 ミラレーパの弟子の中では、「太陽のような」タクポラジェと「月のようなレーチェンパの二人が重要である。後者は無体空行母の法類を求めて「ナーローパとマイトリーパの直弟子」と伝えられるティロパに請うた。インドで新しい行法をまなびチベットに帰ったレーチュンパは師ミラレーパに尊大な態度を取った。思い上がった弟子を師が超能力によって諌める場面が「十万歌」に見られる。ミラレーパはゲンゾン・トンパに教誠を与えるが、この者からは勝楽タントラの伝統が広まり、また一方レーチュンパ自身からも「レーチェン聴聞の伝統」が伝えられた。マルパ、ミラレーパ、レーチュンパと続いてきたいわば古いカギュ派の伝統は、レーチュンパ以後、カギュ派の諸教団の歴史の流床の中に潜むのであり、表面的に流れとしてはタクポラジェから広まったカギュ諸派の伝統がつづくのである。p6 全八巻のうち、最初から読めばいいのかもしれないが、まずは一番面白そうなところからめくってみた。カギュ派とゲルク派の「対立」に関心があるのだが、このシリーズでは、ツォンカパを抱えるゲルク派が最後の第七巻に収められているところに、どんな意味があるのか、今はわからない。 チベット仏教諸派の中で、中期に興隆したカギュ派はとりわけ観想法を主要な宗教実践としたことはよく知られている。すでに述べたように、カギュ派は、ゲルク派のように認識論、論理学を基礎とする巨大な理論体系を作りあげたわけでもなく、サキャ派のようにゲルク派の理論体系に正面から論争をいどむこともしなかった。もっともカギュ派の幾つかの分派、例えば、カルマ派やツァル派などと、ゲルク派やサキャ派との間に理論的抗争がないわけではなかった。しかし、教義および実践形態に関するカギュ派全体の関心は、ハタ・ヨーガなどを手段とする修行者個々人の宗教体験を追求することにあった。p10 ツォンカパを祖とするゲルク派は、体系的な教義を持っているので、学者などの研究対象としては面白いのだろうが、私としては、このミラレパなどを中心とした流れや、チョギャム・トウルンパ、あるいはラマ・カルマパなどのつながりのなかで、心情的にはカギュ派のほうによりシンパシーを持っている。 トゥカン『一切宗義』「カギュ派の章」に述べられるカギュ派の宗義は、『一切宗義』の他の章の場合と同様に、著者トゥカンの属するゲルク派の立場に引きよせたものである。p34 なにはともあれ、一連のこの「第一級の資料」を読める立場になれたことは喜ばしい。
2008.09.11
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<初読>よりつづく「チベットの『死の修行』」 <再読>ツルティム・ケサン /正木晃 2001/01 角川書店 単行本 241p ★★★★☆ 「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」は「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」の中でも、私にとってはもっとも入手しにくい本だ。別途手配中ではあるが、最終的にこの手でめくれるかどうかは今のところ不明。ところが、ツルティム・ケサン+正木「チベット密教」2000/01に次の文言があるのを発見。 「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」は、わかりやすい現代文に解説を加えたかたちで「チベットの『死の修行』」として出版されており、一般読者がチベット密教界最秘かつ最難の修行法を知ることが可能となった。「チベット密教」 2000 p217 つまりダイジェストだったことがわかった。この「チベット密教界最秘かつ最難の修行法」のマニュアルの本物を、私ごときが不用意に読んだとしても、理解することなどなにもないかもしれないので、かのリスト追っかけ読書としては、今回、このダイジェスト本を再読することで、読了としたい。 さて、初読時の自分のメモを読んでみて、一年半前の文章ではあるが、今の自分とはほとんど同じような印象を持っているようだ。しかもOsho関連の「マイトレーヤ」の文を引用しているなど、私の態度はほとんど変わりがない(進化していないのか、保守的なのか)。ただ、今回は、らせん階段を一回り上がったようで、これらの本がどのような位置にあるのかが、前よりはうすうす分かってきた。 この本を再認識したことによって、カーラチャクラ・タントラを解説した「ダライ・ラマの密教入門」とともに、チベット密教の奥行きと大きさがわかったということになる。大体の座標軸ができたということだ。チベット密教にはさまざまな修行方法があるようだが、この座標軸の中で把握していけば、より理解が早まるといえるだろう。 ところで「増補 チベット密教」2008版の巻末では、上田紀行が「解説」を書いている。 地球を宇宙から見下ろして、宗教の広がりを思い描いてみる。仏教はいま、どこに活きているだろうか。そうやって見てみると、「世界仏教」と呼べるのは、おそらく上座部仏教、禅仏教、そしてチベット仏教だろう。この三つの仏教は、国境を超え、東西の境界を超え、世界に広がりつつある。「増補 チベット密教」2008版p255 この上田の文を読んで、いまいち腑に落ちなかった。「『世界仏教』と呼べるのは、おそらく上座部仏教、禅仏教、そしてチベット仏教だろう」という一説が、なんとも納得がいかない。これらのレッテル主義は、青白き学者たちの悪しき習癖だ。禅を生きている地球人にとっては、禅仏教などという言葉はない。チベット仏教を生きている地球人にとっては、チベット仏教なんて言葉はない。上座部仏教を生きている地球人にとっては、さらになにをかいわんやである。 これらの三つが集まって「世界仏教」になるのではない。そもそも「世界仏教」なんてものはない。仏教は本質的に「世界仏教」なのであり、仏教そのものは、基本的には地球人スピリットへと溶け込んでいくべきものである。それは、いみじくも中沢新一が「チベットのモーツァルト」の中で「未来の哲学」と言い放ったものと、まったく同じものであるべきだ。あるいは、私ならネグリの「マルチチュード」との融合を夢見る。 上田について「ブータン仏教から見た日本仏教」の今枝由郎は「上田紀行氏に関して言えば、私が氏の立場であったら『がんばれ仏教!』ではなく『くたばれ仏教!』と題した本を書いたであろう。」p193とまで酷評している。私はここまで上田を罵倒するガッツはないが、「ダライ・ラマの密教入門」や今回のこの「チベットの『死の修行』」を読んだあとに、上田のダライ・ラマとの対談集「目覚めよ仏教!」を読んでみると、なんとも気の抜けたサイダーのような感じがする。読んだ時はとても感動したのに。 「死の修行」は修行者が生きながら死を体験する極限の瞑想法である。性的ヨーガの観想を含む49のプロセスで修行者が得るものは何か? ダライ・ラマが日本刊行を委託した至高の修行の書を翻訳・解説。真のチベット密教の知見に迫る。裏表紙コピー 地球上「最秘かつ最難の修行法」は、真の意味でまだ紐とかれてはいない。<3>につづく
2008.09.11
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<初読>よりつづく「活仏たちのチベット」ダライ・ラマとカルマパ <再読>田中公明 2000/04 春秋社 単行本 210p ★★★★★★ いやぁ、面白い。初読の時も面白いと思ったが、今回再読してみて、ますますはまった。この本2000年にでた本ではあるが、私にとっては全然古くない。アップデイトな内容だ。この続編もきっとでているに違いない。あれば見つけてぜひ読みたい。サブタイトルは「ダライ・ラマとカルマパ」だが、本書の執筆中の2000年初頭に、カルマパ17世(注・当時14歳)のチベットからインドへの亡命という事件が発生し、いきおい、本書の内容は、カギュー・カルマ派の転生活仏カルマパの話がメインストーリーになっている。 p146に掲載されているカルマパ16世こそ、1972年にスワミ・ゴヴィンド・シッダールタが会いにいったその人だった。彼の言葉は、「マイトレーヤ」の初読時と引用時に分散してメモしておいたが、キチンとしたかたちでアップする必要を感じる(すでにどこかにあるかも)。 カルマパ(注・16世)が体調の不調を訴えたのは、1981年6月のことであった。そこで同年9月に香港の病院で精密検査を受けたところ、すでにガンは各処に転移しており、手の施しようがない状態になっていた。やむなく空路アメリカに飛び、イリノイ州ジオンのアメリカン国際病院で末期治療を受けていたが、ついに11月5日に心臓が停止し、遷化した。p162 享年58歳。その後に発見されたのが、現在のカルマパ17世で、すでに23歳の若者になっている。 チベット亡命政権は、カルマパ(注・17世)を政権の次期首班に考えているといわれる。本来、ダライラマの空位機関を埋めるのは、パンチェンの役目なのだが、不幸にして中国政府とチベット亡命政権が、別のパンチェンを認定してしまったうえ、ダライラマ側が認定した霊童は、現在も中国国内に拘束されている。p178 この本の巻頭には「推薦のことば」を書いているのは、ペマ・ギャルポ。彼が「田中公明先生は、私たちチベット人にとって、身近で信頼に値する人物であると同時に、手ごわい批評家として、高い評価を得ています」と表現する部分は次のようなところだろう。 チベット仏教は単なる宗教ではない。それは世界の屋根を住処とするチベット民族が、自国の低い農業生産力を補うために創り上げた、社会システムであり最大の産業であったと、私は主張している。そして本書のテーマである転生ラマ制度も、このような事情を考慮に入れると、はじめて正しく理解することができるように思われる。p152 「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」のなかには「ダライ・ラマを知るために」として、グレン・H・ムリンの「14人のダライ・ラマ(上・下)」があげられているが、その調達が難航しているので、転生活仏制度については、いきおいこの本「活仏たちのチベット」への依存の方が大きくなってしまった。
2008.09.10
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「インド学密教学論考」宮坂宥勝 1995/11 法蔵館 単行本 575p Vol.2 No.298 ★★★☆☆ こちらの本は、なんと税込21000円也。このような本をネットで公開して欲しい、なんて寝言を言っているほうがどうかしているのかも知れない。すくなくとも、このような本が出来上がってくる経緯に感謝し、しかもその内容を提供されたなら、その義に報いるような、読者に、まずはならなくてはならないのだろう。いまのところは、恩知らずの恥知らず、世間知らずの自分を痛感するのみ。 こちらは「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」のなかの「チベット仏教(密教)の全体像を理解するために」に分類されている。なるほど「ゴータマ・ブッダという人」から始まって、「インドにおける無神論と有神論」、「『大日経』にみえるインド哲学思想」、そして最終章では「弘法大師空海請頼の梵字真言について」へとつながっていく。必ずしも「チベット仏教(密教)」だけということではないが、俯瞰的にその流れを理解できるようになっている。 全体の流れというものは、知らず知らずのうちに「なんとなく」理解しているつもりになっているのだが、それはそれ、どこにその根拠があるのかわからなくなっていることもかなりある(いやほとんどそうだ)。心機一転、このような本で自らの知識をブラッシュアップするのもいいかも、なんどと辛勝な気持ちをもつことは可能だが、漢文やら横文字(サンスクリットやチベット語の英語表記?)が目に飛び込んできて、鬱勃たるパトス(のように見えたのだが)も、いっぺんで萎えてしまう。 しかし、分からないところを、飛ばして飛ばして、目を通してみると、なるほど読めないこともないが、それでは、いままでとおんなじジャン。このような本は、部分的にでもいいから、とにかく落ち着いて精読しなくてはダメだな、と痛感。
2008.09.10
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「インド・チベット真言密教の研究」高田 仁覚 1978/03 密教学術振興会 541p Vol.2 No.297 ★★★☆☆ 高野山も真言密教ももともとシュミじゃないのに、いきなりこんな高踏な書物を探してくること自体、ちょっと無理がありすぎるのだが、しかし、「 さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」にリストアップされている限り、ひととおり追っかけをしてみようと、奮闘中。おかげで、いろいろな図書館や書店を開発できて、副産物はいろいろあった。図書館の開架棚や、書店の新刊コーナーを見ているだけでは、このような書物にぶち当たることは、まずない。 「チベット」や「仏教」はとりえず、「チベット仏教」まではなんとか興味を維持できるとしても、「チベット密教」となるとややあやしくなり、「密教」や「曼荼羅」などとなると、もうお手上げ状態。好奇心を掻き立てて、野次馬根性をパワーアップしようとするのだが、そんな小手先では、これから先は進みそうにない。 この著作、かのリストの「ツォンカパの著作」の中に分類されており、「チベット密教」や「密教」というより、より「ツォンカパをもっと深く知りたい」と思わなければ、なかなか手は出ないだろう。あちこちフラフラばかりしている私とて、いつかは「ツォンカパを読みたい」という欲求が湧きあがってくるかもしれない。そんな時のために、ああ、あそこにはあんな本があるはずだ、という目安がついただけ、今回は上等としよう。 今回、いわゆるこのような「学術的」文献をみていて思ったが、実は、貸出カードを見ても、それほど活発に読まれている形跡はないようだ。貸出は1~2年に一度程度。もちろん館内の閲覧は記録されていないのでわからないが、それでも、それほど活発に利用されているとは思えない。 ところが実際は、内容はあちこちとても貴重で、たとえばネット上でこのような情報がキチンと検索できるとすれば、かなりのヒット数がカウントされるのではないかなぁ、と思った。すくなくとも、私は使ってみたい。 もともとこのような本は、著者の独自の考えというよりは、より多くの文献の積み重ねだから、著者の信用度によって、その情報の信ぴょう性も高まる。だからナニナニ学の権威などという学者さんは、このような難しい本を書くこと自体が、ひとつの仕事になっているのだろうし、乱雑に活用されることを、もともと望んではいないのかもしれない。 しかし、世はインターネット時代である。知の集積であるならば、個人でコツコツ時間をかける時代は終わったのではないだろうか。地理や歴史、文献学などは、もっともっとIT機器でグレードアップできるのではないか、と思う。この本も高野山大学の教授にして、図書館長となる人物によって書かれている。 ジャン・ノエル・ジャンヌネー の「Googleとの闘い」などを読むと、ものごとは、私が考えているほど、そんな簡単なものごではないようではある。このような書物を公開し、その周辺にまつわるプロフェッショナルな存在たちを蹴散らしておいて、Googleだけが広告収入を得る、というのは確かにおかしい。では、もっと利用しやすいようにCD一枚にでも落とし込んで販売してみるか、と思うが、それでは、本を買うとのとそれほどの違いはない。ページをめくるとの、ディスプレイでみるのとの違いしかない。 しかし、それでもなんだか、私個人はわだかまりが残る。もともと図書館は、大体が無料かほぼ無料に近いかたちで利用提供されている。もともとオープンでフリーなネット環境とは親和性が非常に高いと思う。「密教」やスピリチュアリティ関連では、完全にオープンにできない知の体系というものがあるのだろうから、全部がそうなればいいな、ということではない。可能な範囲でいいから、もっと活用されればいいのに、と思う。 もっとも、このような本を手にして初めてそんなことを感じているだけで、本当はすでにこの本に書かれているような内容は、ネット上に公開されているのかもしれない。まだまだ図書館もネットも活用方法を考えなくてはいけないな、と思わされた一冊。 本書は、ツォンカパ(宗喀巴)造『ガリム』(大真言道次第論)の第一、第二、第三および第四章を中心とした、インド・チベット真言密教の研究である。p1「はしがき」 いつか近いうちに、ツォンカパを体系的にとらえようとする意欲が湧きあがってくることを、自分自身に期待する。
2008.09.10
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「ゾクチェンの教え」 <1>チベットが伝承した覚醒の道ナムカイ・ノルブ /永沢哲 1994/03 地湧社 単行本 197p Vol.2 No.296 ★★★★☆ ゾクチェンの教えは哲学ではないし、宗教の教義でも、文化的伝統でもない。教えの意味を理解するというのは、心が作りだす自己欺瞞や歪曲をはぎ取り、自分自身の真の本質を見出すということだ。チベット語のゾクチェン(rDzogs-chen)、すなわち<大いなる完成>とは、すべての生きものに、すべてのはじまりからそなわっている原初の境地を指しているのであって、生きもののあり方から切り離された、超越的なリアリティを指しているのではない。p8 大究竟とも翻訳されるゾクチェンだが、正直言っていまいちよくわからない。究極の教え、大いなる完成、と言いながら、最終地点はごくごく普通に生きることにある。そして、絶対的にラマに師事することを要求している。 この本は「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」のなかでは「ニンマ派をよく知るために」に分類されているが、「1954年、(中略)四川省に滞在中にカルマカギュ派の高名あ導師コンカー・リンポチェから、ゾクチェンとともに、ナローパの六法ヨーガを学んだ。」p188(訳者あとがき)とあるように、かならずしもニンマ派の「特技」ではないようだ。さらに、「知恵のエッセンス ボン教のゾクチェンの教え」(2007春秋社)などをみると、むしろチベット密教の特許などではなく、チベット古来の伝統でもあるようにも思えてくる。著者ナルカイ・ノルブには他に「虹と水晶 チベット密教の瞑想修行」などがある。 密教の根本原理を理解するには、金剛と金剛鈴という二種類の法具が、何を象徴しているのか、考えてみるのがよいだろう。金剛は、根源的な境地が形をもってあらわれるくる<方便>の側面を象徴しているのに対して、金剛鈴は、その現象の本質でもある<空性>ないし<エネルギー>を象徴している。また、金剛が<不壊>を意味し、個々の生きものの生き死にを超えた根源的な境地を指すのに対し、金剛鈴は<音>を象徴し、根源的な境地のエネルギーを象徴している。p37 この本のどこをどう切り取ったとしても、この本の本質は理解できない。あるいは私のようなボンクラでは、この本全体を一読し、あるいは精読したとしても、納得できるような理解には到底至らないようだ。さらには、師について、道を学ぼうという求道心も、この本だけではおこってきそうにない。因も縁も必要だ。起きるべきときに、起こるべきことが起こるだろう。時期を待つことも必要だ。<2>につづく
2008.09.10
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