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草子ブックガイド(玉川重機)一瞬と永遠と(萩尾望都)この2冊は、最近読んだ本の中で最も心に入り込み、同時に共感を覚えた本である。「草子ブックガイド」の言葉の海、本の世界を漂流したいという気持ち、「一瞬と永遠と」での、その世界へ誘い込む各章の並べ方。それらに例えようもない快感を覚えた。「草子ブックガイド」は「1」であり、今後が楽しみである。
2011年10月20日
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ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト原作の「モールス」とは映画「モールス」の原作である。まずは上巻を読み終えた。感想としては「面白い!」、「興味をひかれる」であり、もちろん下巻も読む。映画を見てから原作を読んでいるわけであるが、興味を削がれたり、内容を結末まで知っていることで鮮度が低下するわけでもない。映画化にあたっては、原作を実によくまとめ改変したことがよく判る。それにしても、少年少女の心情を描くにあたり、こんな設定をよく思いつくものだと感心。下巻に移ろう!映画「ぼくのエリ 200歳の少女」も見たくなった。
2011年10月03日
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「星新一が、新しい魅惑の星へのルートをつくり、小松左京がそこをブルトーザーで地ならしし、光瀬龍がパイロット・カーを駆る」これは日本SF黎明期の構図であるが、ここに登場する3人の作家のうち、星新一、光瀬龍は既になく、小松左京が亡くなられた。心よりご冥福をお祈りしたい。小松左京は、私のSF体験の始まりの作家の一人である。私が好きな小松作品としては、何よりも「果てしなき流れの果てに」である。これほどスケールの大きな作品は、今後も生まれないのではなかろうか。小松SFといえば、長編を思い浮かべるが、短編にも素晴らしい作品がある。「お召し」「新趣向」「召集令状」「夏の終わり」「牛の首」エネルギーに満ちた途方もない創造力と想像力の持ち主であっり、そこから鋭い文明批評が展開されたが、現体制への刃になっていないのが残念であり、不思議であった。
2011年07月29日
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小説「海炭市叙景」(佐藤泰志・作)を読み始める。雑誌「シナリオ」(2011年1月号)も同時に並行して読む。映画は、ほぼ原作が持つテーマをそのまま映画化していることがわかる。それにしてもこれが、日本が行け行けのバブル期に書かれたということがショックである。佐藤泰志という作家が、当時の浮かれた一見リッチな世相の奥にある日本社会の実相を冷徹に見ていたということが判る。全体の感想は後日に書いてみたい。
2011年05月28日
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主人公の少年がジンジャーの香りで目が覚めるシーンから始まる。アメリカの平和な田舎町が舞台のこの作品には彼女が好んで手がけたブラッドベリの作品の世界である。この町は8月の最後の週の金曜日に消滅してしまうのであるが、主人公の姉の力を借りて1年前に戻ることができる。そして、その1年間をずっと繰り返してきている。記憶もなくなり、またあらたな気持ちで、その1年を過ごすことが出来るが、そこには未来はない。主人公の少年は、そのことに気づき、町から脱出しようとするが・・・。主人公の少年は憧れの少女と一緒に映画を見に行くことも、天文学者になることも出来ない、その憧れの少女と町を逃れようとする瞬間の絵の美しさとせつなさは、萩尾望都タッチが見事に活きていて読む者の心に刻まれる。これは「アルジャーノンに花束を」(短編版)、「冷たい方程式」と共に心うつ、せつない短編SFのベスト作品にあげたい。
2011年05月19日
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本多猪四郎監督と言えば、怪獣映画とかSF映画の職人監督という固定されたイメージで語られるが、本多監督の人となりや他にどんな作品を撮ったのかなどはあまり語られることはない。そもそもどのような考え方で映画製作に向かい合っていたのかということはあまり知られていない。「『ゴジラ』とわが映画人生」は、彼の人生や社会観、映画観を語ったインタビュー集である。これを読むことで、本多作品に新しい側面が浮かび上がってくる。チャップリンの「ライムライト」のあるシーンに高齢になって改めて感動したこと、「2001年宇宙の旅」での「光の洪水」のシーンへの違和感など非常に興味深い。好きなジャンルがドキュメンタリーであり、中でも最も敬愛する作品がロバート・フラハティの「アラン」であること、そして海が好きであることなど、「ゴジラ」に通じるものがありそうだ。何よりもその真摯な生き方に深い感銘を受けた。
2011年03月22日
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ここに収められている作品には童話と共にカラーイラストがある。童話も素晴らしいのであるが、カラーイラストもずっと見つめていたいほどに素晴らしい。その中から二つ。「水色のエプロンの女の子」「眠りの精」前者の無邪気なまでの、これは世間のしきたりなどを無視したプロポーズには「感動的な」という言葉も陳腐になるほどのものみ満ちている。それは後者のあの静謐なひとときにもこめられている。この二つのイラストには共通したものが流れている。ラブレターを書く前に、愛する人と話す前に見るべき絵であると思う。
2011年03月03日
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まさか図書館で手芸の本が並んでいる棚を探すことになるとは思わなかった。ビーズについての本。萩尾望都の「夢見るビーズ物語」。実に素晴らしい内容。冒頭のエドガー人形の「少年の花冠」の美しさ。文章も素晴らしい。特別インタビューの「きらめく宇宙をつくる」では萩尾望都の作品の秘密ともうひとつの顔を見た思いである。このページには望都さまの写真が掲載されているのであるが、彼女の背景にある絵は誰の絵であろうか?これがとても気になっている。アンリ・ルソーであろうか?
2011年02月25日
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私がこれまで読んだ範囲であるが、貫井徳郎作品にカスはない。この作品も同様。彼の作品には叙述形式で騙す巧さがあり、この作品も同様。作品紹介から、一家惨殺事件をルポする物語だと判るのであるが、まず最初にネグレクトによる子ども殺しを伝える新聞記事が紹介される。ここから、読者としては「さあ、騙しの手だな」と思わせ、ある種の期待を抱かせる。それはそれとして、物語は2つのパートが平行して語られるが、この2つが一家殺人事件にどのように絡むのか、また、冒頭の新聞記事とどのように関係あるのかが、なかなか判らない。そのヒントも全くなく、しかし、ラストでは2つのパートと新聞記事は見事につながり、ここはまさに騙される快感。この作品に登場する人物は、そろって共感できない人ばかりであり、極めて不快なはずなのであるが、読後感はある種、痛快ですらあるのは貫井作品の読ませる技術の勝利であろうか。
2011年02月11日
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収録されている作品の中で最も気になるものは「月夜のバイオリン」。婚約者を残して戦地に行ったバイオリンを弾く青年の話である。読みながら、私は青年が戦死するか、あるいは青年が復員する前に婚約者が亡くなるのかという悲劇に終わるのかと思っていたら、実は違った。青年は無事に帰国して、結婚し、子どもも生まれるのである。この物語の最後の文章が私を捕らえた。決して驚愕のラストなどではない。普通の日常的な描写である。しかし、その背景には人生の真理が潜んでいるような感じがするのである。この作品、何度も読んでみたいのだ。
2011年02月04日
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絵本のパートで印象に残るのは「食肉花」。美を創る者の罪深さを描いたという意味ではこれは萩尾望都の創作者としての彼女自身の内面なのかと思った。グロテスクな物語なのであるが、そのような物語ですら、萩尾望都の手にかかるとある種の透明感を感じるものになる。そこが凄い!
2011年01月16日
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「銀河」は萩尾版の「百億の昼と千億の夜」ではないかと思ってしまった。滅び行く銀河を補修する人がいて、また、それは銀河全体の監視人であってという設定は光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」に通じるものがあるではないか。この作品が1974年のものであるので、光瀬作品からインスパイアされたものである可能性はなきにしもあらず。だからこそ、彼女はあの難解な小説を、あそこまで自分の世界に引き込んでコミック化出来たのではなかろうか。それにしても、カーテンに銀河の補修素材がまぎれていたとは、なんというチャーミングでスケールの大きい発想であることか!
2011年01月09日
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オチがすごい短編小説がある。例えば、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」に収録されている小説は、ほとんどオチのすごさで読ませる。この萩尾望都の童話集「銀の船青い海」も、最後の1~2行の文章が見事なのである。但し、この場合はいわゆるオチではない。最後でその作品が持つもうひとつの表情が現れて、それによって読者の心をつかみ、痛みを与えるのである。実はその痛みこそが萩尾作品の魅力であり、その痛みに出会う為に彼女の作品を読んでいると言っても過言ではない。とにかく素晴らしいのひとことである。作品が書かれた年代としては初期の頃であり、それだけに彼女の作品歴の原点的なものにふれることが出来る。具体的な作品感想については、今後、書いてみたい。
2011年01月07日
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佐野洋子さんといえば、「100万回生きたねこ」であろうが、私には「ふしぎ猫マキャヴィティ」である。「ふしぎ猫マキャヴィティ」は大和書房から出たハードカバーの本。私にとって現在に至るまで萩尾望都、光瀬龍、ブラッドベリと共に何かのときにひっぱり出して繰り返し読む本のひとつである。これはミュージカル「ザ・キャッツ」の原作。この本と最初に出逢ったのは、まだ、このミュージカルが上演されていなかったときである。原作はもちろん、T・S・エリオットで、佐野洋子さんはイラストである。そのイラストが実に魅力的で、マキャヴィティやラムタムタガーといった猫の名前がとても気に入り、この本によって私には「佐野洋子さん」がしっかりと心の中に刻印されたのである。「ふしぎ猫マキャヴィティ」との出会いは、私にとって、もっと素敵なものとの出会いを引き寄せてくれたのであるが、そのことはここでは省略しておこう。その引き寄せ役となった「佐野洋子」という名前は、私にとって素敵なキーワードのひとつなのである。
2010年11月07日
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22日に書いた「百億の昼と千億の夜」であるが、原作も萩尾版も両方好きである。これは実は不思議なことで、この作品に限っていえば、原作との比較をしながら、批評家的視点で萩尾作品を読むことはないのである。そこは萩尾望都という作家のすごさであろうが、原作との比較をすることを忘れさせる力があるわけだ。この作品は「滅び」の物語であるが、何度読んでも、心洗われ、心開かれるのである。この作品は私の想像力と創造力を刺激するそんな作品なのである。
2010年10月25日
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私は光瀬龍と萩尾望都のファンである。「百億の昼と千億の夜」は、どちらの作品も私の愛読書なのであるが、先日、この両作品を改めて再読。それもある区切り、章毎に光瀬作品と萩尾作品を交互に並行して読み進んでみた。このような読み方をすれば、この難解な作品も理解が深まるというもの。何よりも楽しい。今回、改めてインパクトを受けたのは阿修羅王と悉達多の最初の出会いの場面。原作は文章から想像力を非常にかき立ててくれるのであるが、萩尾作品はそれを見事に視覚化している。単に見せただけではなく、更に想像力を刺激させるところがすごい。萩尾作品のこの場面は、もしかしたら映画「アラビアのロレンス」のアリのあの強烈な印象の残る映画ならではの登場シーンに発想の原点があるのではなかろうかと思った。
2010年10月22日
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ロバート・B・パーカーが亡くなる。このところ関心のあるまたは好きな人の訃報が多すぎるような気がする。パーカーの作品ではなんといっても「スペンサー・シリーズ」である。その中でも私は「初秋」と「レイチェル・ウォーレスを探せ」が好きである。前者はおそらく多くの方に依存ないであろう。この作品を読んで以来、私には「初秋」という言葉が非常に思い入れのある言葉となった。後者については、ストーリーには荒さがあるが、依頼人とスペンサーとの関係がなかなか面白い。スペンサーものの場合は、スーザンとの関係に注目。それにしてもロバート・B・パーカーはもうこの世にいないのか・・・
2010年01月21日
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奥田英朗の新作「無理」を読むんだ。昨年の「オリンピックの身代金」は読んでいないが、これは「邪魔」と「最悪」につながる「奥田ワールド」の快作である。舞台はゆめの市という架空の地方都市。そこに生きる人々の中の五人が描かれ、一種の群像劇であり、「ショート・カッツ」によく似ている。商店街はさびれ、大型ショッピングモールだけが客を集めている状況の中でこのまちへの将来の希望は全く持てないという有様が実によく描かれており、登場人物たちの生活や行動にある種の共感やどこかで見たことのあるという感じを受ける点では決して笑い事ではない。地方都市の低迷を、趣味の悪いショッピングモールや郊外レストランなどののぼりや看板、それらが象徴する文化度の低さ。何よりも希望を持たない人々の集合体という有様を実にリアルに描いた点で、この小説はまさに現代を描いて秀逸である。もちろん、ストーリーは面白い。これは映画化したら、もっと面白くなるはず!
2009年11月27日
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「少年サンデー」と「少年マガジン」と関わりを持った世代には必読の本であり、そうでない人にとっても、これは時代を創った人々のドラマとして、やはり是非、読んでいただきたい本である。未だに発行されている「少年サンデー」と「少年マガジン」こそは永遠のライバルなのかも知れない。この2誌の闘いは創刊号の企画から始まっていた。その闘いの日々を描く貴重なドキュメント。その闘いは編集部だけではなく、漫画家同志にもあった。これらはドラマ以上にドラマティックである。70年前後の「マガジン」の独創性は圧倒的であるが、もし大伴昌司が生きて、「マガジン」の編集に関わっていたら、その後の若者向け出版状況は大きく変化したのではないか。
2009年11月13日
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唯川恵の小説といえば、読みやすく後に残らないというジャンクノベルかと連想しがちであるが、「めまい」と「病む月」にはホラータッチの作品が並んでいる。ホラーといっても、オカルト小説ではなく、人間の心の怖さというべき内容である。短編集「息がとまるほど」は恋愛ものであるが、ここでも「病む月」や「めまい」の持つホラータッチが生きている。全部で8つの短編が収録されているが、私には「無邪気な悪魔」、「女友達」、「あね、いもうと」が印象的であった。「無邪気な悪魔」はラスト一行が非常に印象的であり、「女友達」には狂気、「あね、いもうと」はミステリータッチのホラーである。唯川恵という作家は、なかなかの職人ではないかと思う。
2009年11月01日
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映画「チェンジリング」では、これで終わりと思ったところに次の出来事がありという終盤のたたみかけるような展開が衝撃であったが、この「ルパンの消息」もまた、そうである。小説「ルパンの消息」は横山秀夫の処女作であるが、実に見事な作品である。警察の捜査もの、しかも時効まで24時間という中での捜査というタイムリミットもの独特の緊迫感と同時に、手がかりはすべて読者に提供される本格パズルミステリーでもある。それらだけにとどまらない。この小説には、登場人物たちの人間ドラマでもある。それは喪失のドラマである。主要な登場人物たちは、それぞれ何かを喪失している。読む前は、この「ルパンの消息」という題名は非常に変な題名だと思っていたが、読み終わった今、この題名に納得である。
2009年10月28日
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集英社文庫から出ている篠田節子の短編集「コミュニティ」はかって「夜のジンファンデル」というタイトルで出ていたハードカバーの文庫化である。内容はまったく同じ。篠田節子という作家はある特定のジャンルでは括れない不思議な魅力を持った作家であるが、基本には「ホラー」があると思う。そのホラー的要素が様々な形式で表現され、また作品に織り込まれている点が彼女の作品の魅力であろう。この作品の中で「恨み祓い師」、「永久保存」、「コミュニティ」がすごいと思った。もちろん他の作品も素晴らしいのであるが、私にはこの3作品が強烈なインパクトであった。「コミュニティ」については裏表紙の紹介で「引っ越した団地での人間関係の濃さに戸惑う家族を描く」とあり、これは団地での集団いじめと疎外感を描いたものかと思ったら、実はとんでもない結末であった。これにはびっくりした。とにかく読ませる短編集である!
2009年07月28日
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「国宝・阿修羅展」により阿修羅が大変な人気である。新聞によると書店では関連書籍の特設コーナーも出来ているという。阿修羅といえば、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」に登場する阿修羅は実に魅力的である。阿修羅ブームの今、この小説に今、一度注目したい。光瀬龍の原作も、萩尾望都の劇画化作品も共にいい。「百億の昼と千億の夜」はタイトル同様に内容もスケールが常識外の大きさである。おそらく日本文学史上最大スケールであろう。
2009年07月04日
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現役の作家の中で恩田陸ほど、様々なジャンルの作品をてがけ、しかも個性的でかつ魅力的であることを実現できている作家はいないのではないか。いずれも根底にはミステリーのティストがある。恩田作品の魅力の核は「謎」であり、読者は、この謎の迷宮を読者は彷徨うことで恩田作品の魅力を堪能するのである。「ユージニア」は、そうした恩田作品の頂点のひとつではなかろうか?ひとつの事件を多くの人が語るという点では、この作品の前に発表された「Q&A」と同じ趣向であるが、「Q&A」が事件自体が謎であったのに対して、この「ユージニア」は、犯人そのものが謎のままである。犯人、協力者、動機など実に様々なケースが考えられるのである。作品では明確な真相が語られるわけではないが、だからといって欲求不満で終わるだけではない。余白やノートに書き込むペンと付箋を持って再読するとおそらく新しい発見が出来るのではなかろうか。ハードカバー版の表紙は非常に凝っているが、文庫本の表紙の写真もいい。文庫本の巻末にはそうしたブックデザインに関わった人たちの苦闘の跡が語られていて、これも楽しい。
2009年03月10日
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この本の献辞に映画「愛の嵐」でシャーロット・ランプリングが歌う詩の一部が書かれている。何故、「愛の嵐」かと思いながら読み始めていくと後半で、その意図が理解できる。そう、この小説は日本版の「愛の嵐」なのだ。最後の一行は二人の関係を、そして彼女の望みを的確に表現して実に映像的であり、同時に衝撃的である。小池真理子には連合赤軍事件を遠景においた「恋」という作品があるが、同様の時代背景のこの「望みは何と訊かれたら」は、「恋」以上の傑作であるといえよう。あの時代をこのように描いたということに驚いたが、このような描き方でこそ、あの時代の持つ空気を表現できるのかも知れない。すごい小説だ!
2009年02月19日
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今年読んだ本で印象に残るものをあげてみると次の3冊がある。A:実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (若松孝二 朝日新聞社)B:連合赤軍事件を読む年表 (椎野礼仁 彩流社)C:本と映画と「70年」を語ろう (鈴木邦男、川本三郎 朝日新書)すべては、映画「実録・連合赤軍」が公開されたことに始まった。70年代以降の日本の状況を、それまでと一変させた事件を連合赤軍の側から描いた若松孝二の渾身の一作「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」。Aは、その映画のメーキング、シナリオ、論評であり、非常に考えさせられる内容である。この事件は過去のものではなく、現在も続いている。Bは、連合赤軍事件を中心とした日本現代史ともいうべき一冊である。この本を読むことでも、この事件が後の、つまり現在の日本に与えた影響の大きさがわかる。Cのタイトルである「本と映画と70年を語る」とは何とも魅力的であり、かつある種の畏怖を持った作業であることか。それを鈴木邦男と川本三郎というこれ以上もない二人が語り合う。この本が生まれたことは「事件」である。何と素晴らしい内容であることか。そしてこの対談する二人の間に生じる雰囲気のなんと素晴らしいこと!今年読んだ本としては「貧困大国アメリカ」や「酔眼のまち」も良いのであるが、ベスト3としてあえてこの3冊をあげておきたい。
2008年12月24日
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平凡社新書から出ている樋口尚文 のこの著作は昭和ブームに乗ってそのレトロティストをくすぐる本ではない。昭和30年代の絶頂期にあり娯楽の王座にあった映画が、その座をテレビに奪われるという娯楽メディアの変遷史の中に「月光仮面」というテレビ番組を位置づけて、そこに関わった人々を描いている。その点がこの本の独自性であり、日本映画史のヒトコマを活写している。この本は、同じく樋口氏の「グッドモーニング・ゴジラ」と併せて読むべき一冊だと思う。樋口氏にはもうひとつ執筆して昭和映画史3部作となることを期待したい。
2008年12月20日
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サラリーマンにとって組織の中でどのように生きていくのか、つまり自らの理想と組織の制約との葛藤は宿命的な課題であろう。特にそれが管理職であれば、なおのこと。それをリアルに説得力ある描き方をしているのが横山秀夫の作品。映画にもなった「クライマーズハイ」はその特長が活かされた作品であったと思う。彼の作品には警察ものが多いが、警察小説というより管理部門小説とか管理職小説というジャンルを作り上げたというべきかもしれない。「震度0(ゼロ)」は、彼の代表作ともいえよう。1995年1月の阪神大震災のさなか、700km離れたN県警本部の有能で人望厚い警務課長が失踪した。その理由は、そして本人はどこへ?その失踪をめぐり県警幹部の思惑がからまる権力闘争へ、そしてそれは幹部夫人をも巻き込んでいく。まさに警察内の「仁義なき戦い」ともいうべき内容。あの多数の死者を出した大災害などなかったかのような組織内の権力闘争は、まさに現在の日本において未曾有(麻生流には「みぞゆう」)の不況で国民が苦しんでいるにも関わらず党利党略にうつつを抜かしている状況に当てはまり、実にリアル。「震度0(ゼロ)」という題名が非常に皮肉が利いている。
2008年12月15日
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マイケル・クライトンが亡くなった。まだ66歳であり、十分に活躍できる年齢である。「ジュラシック・パーク」の原作者として有名であるが、私には「アンドロメダ病原体」を読んだときの衝撃は忘れられない。これのロバート・ワイズによる映画化作品も良かった。また、監督作品として「ウエストワールド」も印象に残る。このときのユル・ブリンナーは実に不気味であった。科学技術からの問題提起をうまく娯楽小説に織り込んだその作風は、非常にユニークで常に新作を期待させた。もうその新作を読むことは出来ない。書店ではマイケル・クライトン・フェアをやって欲しい。ご冥福をお祈りします。
2008年11月07日
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以前から欲しかった「ゴダール伝」をやっと購入。すごいボリュームである。とにかく読む時間をやりくりして確保しなくては!読後の感想はいずれ書きます。
2008年10月16日
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「嫌われ松子の一生」の男性版というコピーに惹かれて読んだ。作者は同じく山田宗樹。「嫌われ松子の一生」に比べると衝撃度は弱い。それは主人公のキャラクターによるもののようだ。転落していく過程で主人公は、もがかないし、落ちないようにと今いる場所への執着があまり感じられないのである。むしろ、転落していくことを淡々と受け入れていくようにすら感じる。そのあたりが衝撃の弱さになったのかも知れない。プロローグと後半に登場するラジカセを持った老人のホームレスは、もっと活かすことが出来たのではないだろうか?このラジカセが持つ意味とは何であったのか?タイトルの「ジバク」は「自爆」なのか「自縛」なのか?
2008年08月14日
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「ルポ貧困大国アメリカ」(堤 未果・岩波新書)を読む。貧困、それ自体が問題ではなく、貧困層を対象とした国家レベルのビジネスや事業であり、それを継続する為に常に貧困層を生み出していくという社会の仕組みそのものこそが問題である。そうして生み出された貧困層は決してそこから抜け出すことは出来ないという仕組みにしっかりと捉えられているのである。本来は国家が責任を持つべき「教育」や「医療」など「暮らし」を支える基本的な部分が民営化された国家とは、国民ひとりひとりが「商品」として扱われていることであり、それは果たして誰の為の国家であろうか。ここに描かれている状況は単にアメリカのことではない。日本にとって明日起きることである。ある種、絶望感や無力感にとらわれながらも、著者の「無知や無関心は『変えられないのでは』という恐怖を生み、いつしか無力感となって私たちから力を奪う。だが、目を伏せて口をつぐんだ時、私たちは初めて負けるのだ」という言葉に出会う。
2008年07月23日
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広告を見ただけで無条件に買おうと思う本は非常に少ないのであるが、これはズバリそのひとつ。朝日新書の「本と映画と『70年』を語ろう」川本三郎と鈴木邦男の対談である。なんという見事な組合せ!今までこの二人の組合せがどうして実現できなかったのか。早速、購入して読み始める。川本三郎さんの本は非常に好きで出来るだけ読んでいるのであるが、一番好きな本は「マイ・バック・ページ」。この鈴木・川本対談は、この「マイ・バック・ページ」からスタートする。
2008年05月23日
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アーサー・C・クラークが亡くなった。ご冥福をお祈りしたい。ハインライン、アシモフと共にSF界のビッグスリーがついに全員亡くなったわけで、まさにひとつの時代が終わったという感じだ。クラークといえば、「2001年宇宙の旅」の原作者として世に知られているようで、新聞の訃報記事の見出しも、これであった。日本ではSFという単語自体がほとんど知られておらず、「空想科学小説」という名称で、「子ども向け」とか「幼稚な小説」と揶揄されていた時代においてクラークの「太陽系最後の日」や「幼年期の終り」が紹介されたことは日本のSF界にとって非常に良かったのではないか。その「幼年期の終り」は、「2001年宇宙の旅」が生み出される源のひとつであるが、こちらは何度か映画化が検討されたようだが、いまだに実現していない。出来たのは、冒頭部分のみをいただいた「インデペンデンス・ディ」というC級作品くらいのものである。「幼年期の終り」は最近、光文社文庫から、クラークによって内容が一部追加された版の新訳が出ているようだ。
2008年03月20日
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「マタンゴ」は東宝特撮映画の中では最もスケールの小さな作品であろう。何しろ舞台は絶海の孤島で物語の90%はここで展開される。スケールは小さいが傑作度は高い。その「マタンゴ」の続編が映画ではなく、小説となった。吉村達也の「マタンゴ・最後の逆襲」は、映画「マタンゴ」の設定をそのまま受け継ぎ、その50年後を描いたもの。その続編は、なんとスペースシャトルまで登場して、舞台が宇宙にまで飛び出すというスケールの大きさである。しかも、その背景にテロ計画があり、マタンゴの兵器化という国家的陰謀も登場。前半、都市伝説を探りに行った樹海でのホラータッチの展開から、後半には国際謀略小説のごとくなり、その展開は実に面白い。63年の映画「マタンゴ」の正統な続編であると同時に、それに対してオマージュをささげている。この小説「マタンゴ・最後の逆襲」の映画化を期待したい!
2008年03月06日
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東宝の特撮映画において「マタンゴ」は極めて異色の存在ではないかと思う。これは特撮で見せるものでも、怪獣が出てくるものでも、また破壊スペクタクルでもない。ここで描かれているのは、人間の持つエゴである。怪獣以上に怖いのは人間の内面であるということを描いており、それが非常に衝撃を与えている。そして、マタンゴという存在の不気味さと恐怖!その「マタンゴ」が小説になって帰ってきた。角川ホラー文庫の新刊「マタンゴ 最後の逆襲」(吉村達也)がそれである。早速、購入したが、感想は後日に。
2008年02月05日
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実を言うと私はレイ・ブラッドベリの大ファンである。「たんぽぽ」、「ハロウィン」、「霧笛」、「恐竜」、「雨」、などの単語で連想されるのがブラッドベリというのは当然として、フランソワ・トリュフォー(この人も大好きであるが)といえば、真っ先に思い浮かぶのは「華氏451」なのである。また、「白鯨」といえば、メルヴィルよりブラッドべりの名前が浮かぶのである。アイルランドという国名や「マルタの鷹」という映画の題名からも、ブラッドベリの名前を連想してしまう。それはブラッドベリがジョン・ヒューストンに依頼されて「白鯨」のシナリオを執筆したのが、アイルランドであるということからなのである。この執筆作業はブラッドベリにとってはジョン・ヒューストンのわがままもあって大変な苦労であり、もう二度と映画の仕事はしたくないと心に誓ったという噂があるほどである。そのとき、ブラッドベリはどんな気持ちでシナリオに取り組んでいたのだろうかと非常に関心を持っていた。「緑の影、白い鯨 」は、そんな私の気持ちに応えてくれるような本である。映画監督ジョン・ヒューストンと小説「白鯨」、どちらも怪物的存在であるが、それらと若き日のブラッドベリはアイルランドでどのように格闘し、過ごしたのか?とにかくこの本を読もう!レイ・ブラッドベリの「緑の影、白い鯨 」翻訳は何と川本三郎!
2008年01月31日
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リュミエールとは映画の原点である。それは映画史の上からも技術的な面からも共にそうである。現在の映画の始まりはリュミエール兄弟であり、エジソンと共に映画の父と呼ばれている。リュミエールとはフランス語で「光」を表す言葉であり、技術的には「光」こそ映画の原点である。光がなければ、映画は成立しない。その光については去る11月に亡くなったモーリス・ベジャールを描いたドキュメンタリー映画「ベジャール、バレエ、リュミエール」でベジャールが「光こそがすべてのものの源泉。我々は太陽から光が生じると思っているが、天地創造でも神はまず『光あれ』と言われ、太陽や星を作られたのは4日目だ。まず光なのだ」という意味のことを言っている。そうなると「光」によって生まれた映画とは、この世とは別のもうひとつの世界(一種のパラレル・ワールドか)を作り出しているのではなかろうか?セオドア・ロザック作「フリッカー、あるいは映画の魔」という壮大かつ空前説後の小説は、まさにこの世と並行して映画が作りだしたもうひとつの世界の秘密を探検するような内容である。この小説の面白さ、すごさ、魅力についてはリンクしているカインさんが圧倒的な熱意と愛情で書かれているのでここを読んでいただくとして、このような物語は演劇でも、音楽でも、小説でも映画以外のものでは決して成立たないと思う。それは映画がリュミエール、つまり光によって生まれているからではなかろうか?それにしてもこの本が品切れとは!
2007年12月16日
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時代を写し取った写真というものがある。例えば、ロバート・キャパの作品はそれに当たるであろうし、映画でその時代を回想するシーンに使われるような、学生運動や万博など大きなイベントに集った人々を撮った写真はそれにあたるであろう。NHK教育テレビの「私のこだわり人物伝」で澁澤龍彦について語る写真家・細江英公が紹介した「細江英公写真集『鎌鼬』の芸術推奨文部大臣賞受賞記念パーティーにて」(1970年)という写真はまさにあの時代を見事に表現しているのではなかろうか。これはこの写真集に関わった人々が一堂に会してる写真なのであるが、そのメンバーとはメンバーは土方巽、横尾忠則、田中一光、種村季弘、瀧口修造、そして澁澤龍彦ら個性派ぞろい。細江氏の指示通り、皆それぞれ思い思いの方向を向いているのであるが、澁澤と瀧口、そして細江氏だけが真正面を向いているというもの。この日は細江が「自分が主役なので、他の方はカメラを見ないでそっぽを向いて下さい」とお願いしたというその写真である。実際に見ていただくのが一番良いのであるが、この個性派たちがそれぞれに視線を向けて、それでいてその場の空気を創造的でおだやかなものにしている。また、見方を変えれば、創造的で連帯のある空気の中にやがて来る「閉塞の時代」を予感させるものが感じられる。いずれにしてもここにあるのは60年代の空気であろう。まさに時代を表現した1枚と言えよう。詳しくは「NHK知るを楽しむ・私のこだわり人物伝」(10月11月号)をご覧いただきたい。
2007年12月13日
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東野圭吾の新作である。東野作品には「白夜行」、「幻夜」、そして「容疑者Xの献身」といった重量級の作品があり、これも期待して読んだ。素材になっているものは非常に重いのであるが、読後感は軽い凡作という印象。帯カバーには「衝撃のラストシーン」とあるが、この結末ではさほど衝撃ではない。「イニシエーション・ラブ」を読んだ直後ゆえの感想かもしれないが、軽い素材で重量級の作品になっている「イニシエーション・ラブ」とは反対である。このラストは、途中でこれはもしかしたらと思わせるもの(事実、私にも予想はついた)が、意表をつくものではなく、衝撃ではない。それよりあの父親が、あの時点でどうしてそのような判断をしたのかが、説明できていない点が弱いのではなかろうか?
2007年12月05日
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ミステリーの映画化は多く、傑作もあるが、この「イニシエーション・ラブ」(乾くるみ原作)は果たして映画化できるのであろうか?映画化すれば、「あの人」と「あの人」が実は「・・・」であることを具体的に示すことになり、どんでんがえしの効果は半減以下であり、この作品の魅力を大きく損なうことになる。ひとつやり方としては「悪女もの」に大きく改変することである。緻密で地味な捜査を描いて真犯人にたどり着くのが魅力であった小説「砂の器」を「日本の四季」をバックにした叙情スペクタクルにして成功した例もあるので、この方法は案外と可能かも知れない。
2007年12月03日
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どんでん返しが凄いと評判の乾くるみの「イニシエーション・ラブ」をやっと読んだ。最後の数行では「あれ?、おや?」と「?マーク」の連続であったが、最後の2行で「えっ!」と呆然驚愕であった。全体はSide-AとSide-Bとで構成されており、それぞれのタイトルも実にいい。実はSide-Bを読みながらところどころ違和感を感じていたのであるが、実はその違和感こそが伏線であった。もうこれ以上は言うまい。「二度も、三度も読みたくなる」というのは「物語の面白さ」というより「謎解明の掘り起こし」の為であるが、作者が仕掛けた様々な罠を発見していくのは、これはミステリーの醍醐味であろう。
2007年12月02日
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評判のいい蓮見圭一の小説を読む。背景が1970年の万博であるが、このイベントを物語の中でどのように活かしているのかについて注目した。この物語において、叶えられぬ恋の要因が「在日」であることに意表をつかれた。物語の展開でこの要因が出てきたことがあまりにも唐突であったが、二人が出会う場が「EXPO70」の会場であることが実は巧妙な伏線であったわけだ。ここで「在日」を取り上げてはいるが、それは決して政治的なものを述べようというものではあるまい。これは何かを「在日」に喩えたのではなかろうか?それが何であるのか、まだ掴みきっていない。
2007年11月30日
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昨日は「ゴジラの誕生日」について書いたのであるが、映画「ゴジラ」(1954年版の第1作)についての文章は数多あるが、私が最も好きなものは川本三郎氏の「ゴジラはなぜ『暗い』のか」である。これは中公文庫(現在は岩波現代文庫)の「今ひとたびの戦後日本映画」の中の1編として収められているが、いずれも戦争の影をいだきながらも、戦後日本のイメージを描いた極めて優れた映画論であり、なかでも、この「ゴジラはなぜ『暗い』のか」は迫力ある筆致である。------------------------------------------------------昨日のテーマで果たして何人の方が反応されるかと不安であった。確かに最近の公開作品のレビューよりはアクセス数は少なかったものの、トラックバックが1件。そしてそのブログにも更に1件のトラックバックがあり、そこから更につながっていける。これもブログの面白さではないか。
2007年11月04日
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字幕屋。字幕翻訳家。字幕製作者。いろんな呼び方があると思うが、この職種の方々がいないと私を含めて多くの人々が、外国映画を楽しむことはできない。しかし、「批判されることは多いが感謝されることは少ない」そうである。字幕は決して正確な翻訳ではなく、様々な制限があることが述べられている。それらの制限の中で、その作品の持つテーマや魅力を損なわないようにという努力は大変なことである。批判どころか、頭が下がる。この本はそうした字幕製作を述べながら、更に発展して一種の社会時評、それも言葉を通した社会への異議申し立てになっていると感じた。実に面白い!字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ 著者:太田 直子 出版社:光文社(光文社新書)
2007年05月22日
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望月峯太郎の「座敷女」は、非常に救いのない物語である。但し、これはホラーとしての結末のことで悪趣味ではない。しかし、山野一の「四丁目の夕日」は同じ救いのなさでも、こちらはかなり悪趣味。もちろん「三丁目の夕日」を意識したのであろうし、作り物の感動をちりばめた「三丁目の夕日」よりは、山野作品がリアルなのであろうが、ここから何が生まれてくるのであろうか?大体の内容は知った上で購入したのであるが、読後の気分は極めて悪い。こんな気分になるのも珍しい。はやいところ、誰かに渡そう。作品において、「悪趣味」、「リアルさ」、「救いのなさ」というものは何だろうかと考える素材としては最適かも知れない。例えば、これは映画であるが、石井輝男の作品と比較してみると面白いのではないか。(ちなみに私は石井輝男のファンである)
2007年01月17日
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ベストセラーで、評価も高い次の2作品、実はまだ読んでいない。「のだめカンタービレ」「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」「のだめ」は、原作を1巻どころかテレビドラマも見ていない。周辺の方々も、「おもしろいよ」とか、「『東京タワー』は泣けるよ」とか言って薦めてくれるのであるが、正直なところ、どちらにも食指が全く動かない。クラシック音楽には興味あるし、リリー・フランキーは興味ある人なのであるが・・・。そんなわけで、ここにこの2作品の感想なりが書かれることは当分ないと思う。
2007年01月16日
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「マカロニアクション大全」という本がある。サブタイトルは「剣と銃の鎮魂曲」。 著者は二階堂卓也で、洋泉社から発行されている。かって「キネマ旬報」誌上で「イタリアン・アクションの誇りと栄光」というタイトルで連載されていたものに加筆・修正したもの。 450ページを超すもので、そのうち索引だけでも42ページというボリュームのこの本は、決して学術的な映画史でもなく、映画評論でもないが、史劇から始まってマカロニウエスタン、スパイ、オカルトと流行の度に便乗しながら逞しくエネルギッシュに作品を創り続けたイタリア娯楽映画への、それらを愛した映画ファンの記憶と記録である。演じる側、作る側、配給する側の熱気が伝わり、現在の映画に失われたものが、ここにある!非常に魅力的な映画本である。
2007年01月02日
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現在、発売中の雑誌「BRUTUS(ブルータス)」(2006/11/15発売号 (No.606))は「映画・ラブ」というタイトルの映画特集。なかなか面白い。さいとうたかおの007への思い、ジャック・ニコルソンの「ディパーテッド」、チャン・ツィイーの新作などのインタビューが掲載されており、いずれも興味をかき立てられる。特に「もしも、あなたが○○だったら」という職業別主人公の映画特集では、アメリカ大統領、スパイ、医師、カメラマンなど実に様々な職業の人物を主人公にした映画の紹介特集でこれも面白い。「海賊」とか「ストリッパー」という項目もありで、実に多様!オススメです。
2006年11月21日
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本日の新聞広告でジル・ドゥルーズの「シネマ」が掲載されている。「シネマ2*時間イメージ」「シネマ1」は既に出たのか、注意していたのにいつの間にと思って調べたら、「シネマ1*運動イメージ」は来年の6月刊の予定。映画史を辿りながら、「時間」と「運動」をめぐる新たな概念を試みたドゥルーズの代表作である。実に長い間翻訳を待っていた本である。まずは書店で手にとってみよう!--------------------------------------------ここも開設1000日となりました。いつも読んでいただき、ありがとうございます。いただいたコメントへの返答が遅れて誠に申し訳ありません。今後ともよろしくお願い致します。
2006年11月09日
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