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★リノ・ガエターノ (vm) Rino Gaetano 本名サルヴァトーレ・アントニオ・ガエターノ (Salvatore Antonio Gaetano)、1950年10月29日長靴の指の付け根部分にある小都市クロトーネ(Crotone)生、1981年6月2日ロ―マ没は歌手、カンタウトゥーリ。 活動期間:1973 – 1981 所属レコード会社:It, RCA Italiana サンレモ音楽祭出場1回:1978年第3位 サンレモ音楽祭出品2曲:1978年自己出場曲、2007年入賞 公式サイト: リーノ・ガエターノの支持層は彼が商業的成功をするよりも、新しいカンツォーネのガエターノ・ワールドを築くことを望んでいたようです。レコード会社はレコードの売上げをいかに上げていくか、そういう歌手をどう育てるかを考えており、その中で歌手リノ・ガエターノをどう位置づけるか悩ましい状況となります。 こうしてRCAイタリアーナの総帥(エンニオ・モリス(Ennio Melis)は彼が発案したフェスティヴァルバールに参加さすことを公表したようです。このフェスティヴァルは発売されたレコードがパールに設置されているジュークボックスで何回再生されたかを競うコンテストで、外国人が歌う曲も対象とされています。サンレモ音楽祭のように新曲を歌手が歌い勝敗を競う音楽祭よりはガエターノもその支持層にも抵抗感が少ないと考えたからでしょう。 エンニオ・モリスの『巧妙な陰謀』に懐柔されリノもサンレモ音楽祭出場を決心した様ですが、彼自身は新たなアルバムに入れる“Nuntereggae Più”を歌う心算だったようです。ただ5分を超える長い曲で、歌詞に有名人の名前が出てくることから音楽祭向きでなく、難解で皮肉でな抽象的歌詞の“ジャンナ”を出場曲にするように勧めました。ただ歌詞に音楽祭史上初めて「Sesso (セックス)」という言葉があり、当日は大騒ぎになりました。 “ジャンナ”は見事第3位となり78年出場曲中一番の売上げ、60万枚を記録しました。週間ナンバー・ワン、年間ヒット・ランク13位となり、サンレモで真の成功者とされました。アルバム「Nuntereggae Più」は同年の年間ヘスト・セラー61位になります。 ただヒット・チャートに彼の名前をのこしたのは78年のみでした。 ZBT- 7086 (1978年 It – RCA Italiana) Gianna (ジャンナ)/Visto Che Mi Vuoi Lasciare ZBT- 7086 (2013年 It – Sony Music Entertainment Italy) Gianna (ジャンナ)/Visto Che Mi Vuoi Lasciare 74321-64968・2 (1993年 RCA – BMG Ricordi) CDs Gianna (ジャンナ)/Visto Che Mi Vuoi Lasciare [7 43216 49682 2] ZBT- 7086 74321-64968・2 ZBT- 7091 (1978年 It – RCA Italiana) Nuntereggae Più/E Cantava Le Canzoni ZBT- 7091 ZPLT-34037 74321-14968・2 ZPLT-34037 (1978年7月 It – RCA Italiana) Nuntereggae Più 74321-14968・2 (1994年3月 RCA – BMG Ariola) CD Nuntereggae Più [0743211496827] 74321-76539・2 (2002年 RCA – BMG Ricordi) CD Nuntereggae Più [0 743217 653927] TUCD-03・07 (2002年12月 Tutto– BMG Ricordi) CD Nuntereggae Più [CD Insert In "Tutto N.12"] 80324-841571・1 (2014年 RCA – Sony Music Entertainment Italy) Nuntereggae Più [8032484157118] 88843-07009・1 (2014年 RCA – Sony Music) Nuntereggae Più [888430700918 Limited Edition 500] 17SC-0010 (2017年 RCA – Sony Music) CD Nuntereggae Più [88985361282-10] 88985-44979・1 (2017年 RCA – Sony Music Entertainment Italy) Nuntereggae Più [Limited edition 500 copies 889854497910] 88985-44237・1 (2017年9月 RCA – Sony Music Entertainment Italy) Nuntereggae Più [889854423711] 74321-76539・2 TUCD-03・07 80324-841571・1 1.Nuntereggae Più 2.Fabbricando Case 3.Stoccolma 4.Gianna (ジャンナ) 5.E Cantava Le Canzoni 6.Dans Le Chateau 7.Capofortuna 8.Cerco 9.Nuntereggae Collection 88843-07009・1 17SC-0010 88985-44979・1 88985-44237・1 エンニオ・モリスは嘘をつかず、78年フェスティヴァルバールに“Nuntereggae Più”で参加させました。サンレモ音楽祭を避けた理由、有名人や政治家の名前が歌詞に入っており、リノ自体は『洒落』としていますがRAIは放送でわせず、またコンサートでこの曲が歌われると噂されたり、何かと物議をかもしました。 ミコッチはモリスとの契約通り彼を将来性のある歌手としてRCAイタリアーナに移籍させました。商業的大成功でRCAイタリアーナの廉価盤リネア・トレはリノ・ガエターノの編集ベスト盤を発売しました。 ZNLT-33061 (1978年 Linea Tre – RCA Italiana) Rino Gaetano – Ad Esempio ... 1.Berta Filava (紡ぎ女工ベルタ) 2.Aida (アイーダ) 3.Sfiorivano Le Viole 4.Mio Fratello E' Figlio Unico 5. Spendi Spandi Effendi 6.Ad Esempio A Me Piace Il Sud (みどりの園) 7.Ma Il Cielo È Sempre Più Blu (空はいつまでもより青く) ZNLT-33061 ガエターンは5枚目のアルバムの制作に入りましたがサンレモ音楽祭出場の余波が収まらず、シチリアの離島ストロンボリ島(Isola di Stromboli)にインスピレーションを求めに行きます。彼は相当消耗していたようで、アルバム・タイトル曲“Resta Vile Maschio, Dove Vai ?”の作詞をモゴール(Mogol)に頼ることになります。 79年2月彼はメキシコ・シティに行き、メキシコのミュージシャンをバックに5枚目のアルバムを録音しました。新曲“Resta Vile Maschio, Dove Vai ?”は “ジャンナ”の3割ほどしか売れませんでした。 PB-6343 (1979年 RCA Italiana – RCA Italiana) Resta Vile Maschio, Dove Vai ?/Ahi Maria PB-6343 (1979年 RCA Italiana – RCA Italiana) CDs Resta Vile Maschio, Dove Vai ?/Ahi Maria PB-6343 PD-6351 PD-6351 (1979年 RCA Italiana – RCA Italiana) 12” Maxi Resta Vile Maschio, Dove Vai ?/Ahi Maria PL-31449 74321-14967・2 PL-31449 (1979年 RCA Italiana - RCA Italiana) Resta Vile Maschio, Dove Vai? 74321-14967・2 (1994年 RCA – BMG Ariola) CD Resta Vile Maschio, Dove Vai? [0743211 496728] 88843-09817・1 (2014年 RCA – Sony Music) Resta Vile Maschio, Dove Vai? [888430981713 Limited Edition 500] 17SC-0014 (2017年 RCA – Sony Music) CD Resta Vile Maschio, Dove Vai? [88985361282-14] *88985-44423・1 (2017年 RCA – Sony Music Entertainment Italy) Resta Vile Maschio, Dove Vai? [Limited edition 500 copies 889854497910] 889854442316 1.Resta Vile Maschio, Dove Vai? 2.Nel Letto Di Lucia 3.Grazie A Dio, Grazie A Te 4.Io Scriverò 5.Ahi Maria 6.Ma Se C'È Dio 7.Anche Questo È Sud 8.Su E Giù 88843-09817・1 17SC-0014 88985-44423・1 80年6枚目で最後のアルバム「E Io Ci Sto」を制作しました。支持者の意向をくみ取りロックを大幅に取り入れたものにしています。これまでより売上げは下がったにもかかわらず、ガエターノはこれまでのアルバムより意欲作であることを宣言します。 PB-6487 (1980年 RCA Italiana – RCA Italiana) E Io Ci Sto/Metà Africa Metà Europa PB-6487 PL-31539 74321-14966・2 PL-31539 (1980年 RCA Italiana - RCA Italiana) E Io Ci Sto 74321-14966・2 (1994年 RCA – BMG Ariola) CD E Io Ci Sto [0 743211 496629] 88875-04427・1 (2014年 RCA – Sony Music) E Io Ci Sto [88875044271 Limited Edition 500] 17SC-0015 (2017年 RCA – Sony Music) CD E Io Ci Sto [88985361282-15] 1.3E Io Ci Sto 2.Ti Ti Ti Ti (ティティティティ) 3.Ping Pong 4.Michele 'O Pazzo È Pazzo Davvero 5.Metà Africa Metà Europa 6.Jet Set 7.Sombrero 8.Medley a.La Donna Mia b.Scusa Mary 88875-04427・1 17SC-0015 81年イタリアを代表するベーシストになるジョヴァンニ・トーマス(Giovanni Tommaso) の招待でアンナ・オクサ(Anna Oxa)、ルチオ・ダッラ(Lucio Dalla) 、イヴァン・カッタネオ(Ivan Cattaneo)と共にニュー・ペリジェオ(New Perigeo)のアルバム「アリーチェ(Alice)の」レコーディングに参加し、マリア・モンティ(Maria Monti)や他の参加者と共に“Confusione Gran Confusione”を歌っています。 またシェル・シャピロ(Shel Shapiro)の主催するRCAレコードの新たなツアーにリッカルド・コッチャンテ(Riccardo Cocciante)やニュー・ペリジェオと共に参加しました。これがRCAが開発したQ-ディスク(Q-DISC)で「Q Concert」で発売されています。 Q-ディスク (Q-DISCまたはQ-DISK)とはRCAイタリアーナが開発したレコード盤で、気軽に買ってもらえるEP盤と同じ4曲の30cmLP盤を作りました。日本の17cmの33・1/3回転盤、コンパクト盤(ミニLP)と同じ考え方です。CD(コンバクトディスク)ではありません。Q-ディスクは80年代前半で消えましたが、リコルディ、ドゥリウム、アリストンが同様の盤を出しました。 しかしガエターノに対する風当たりは強く、ツアー・オープニングのローマ・テント劇場で彼は父が集中治療室に入院していたこともあり、非常に地味ないでたちで出演していました。尚コッチャンテと共作した“Ancora Insieme”のコッチャンテがスタジオ録音したヴァージョンは84年になってから発売されています。 PG-33417 (1981年 RCA Italiana – RCA Italiana) Q Concert 74321-5737・2 (1998年 RCA – BMG Ricordi) CD Q Concert [7 43215 73722 3] 82876-59287・2 (2004年 RCA – BMG Ricordi) CD Q Concert [828765 928724] 1.Ancora Insieme [Riccardo Cocciante, Rino Gaetano, New Perigeo] 2.A Mano A Mano [Rino Gaetano] 3.Aida (アイーダ) [Riccardo Cocciante] 4.Aschimilero [New Perigeo] PG-33417 74321-5737・2 82876-59287・2 PB-6508 (1981年 RCA Italiana – RCA Italiana) Q concert 1.A Mano A Mano [Rino Gaetano] 2. Sicilian Sunset [New Perigeo] 3.Ancora Insieme [Riccardo Cocciante, Rino Gaetano, New Perigeo] 4.Ancora Insieme [Riccardo Cocciante, Rino Gaetano, New Perigeo] 5.Aida [Riccardo Cocciante] PB-6508 NL-33183 NL-33183 (1981年 Linea Tre – RCA Italiana) Rino Gaetano – ...E Cantava Le Canzoni 1.Gianna (ジャンナ) 2.Cogli La Mia Rosa D' Amore 3.La Festa Di Maria 4.Stoccolma 5.Sei Ottavi 6.Rare Tracce 7.Nuntereggae Più 8.Escluso Il Cane 9.Fabbricando Case 10.Ok Papà 11.E Cantava Le Canzoni (歌を歌えば) 81年6月2日早朝4時前、自宅の近くノメンターナ通(Via Nomentana)のカルロ・フェア通 (Via Carlo Fea) との交差点で,反対車線を走っていたトラクックと彼が運転するヴォルヴォ3.55は正面衝突し、ヴォルヴォの右側が大破し、リノ・ガエターノは午前6時に亡くなりました。享年30才若すぎる死でした。 彼の死後だと思いますが、RCAイタリアーナのリニア・トレから編集ベスト盤が発売されています。 リノ・ガエターノの国内盤 GP- 566 (1978年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP第28回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1978) 3.ジャンナ (GIANNA) GP- 566 CM- 130 CM- 130 (1978年6月 SEVEN SEAS - キング) 青春 (UN'EMOZIONE DA POCO)/ジャンナ (GIANNA) [アンナ・オクサ (ANNA OXA)/リーノ・ガエターノ] GXC-9027~8 (1978年10月5日 SEVEN SEAS - キング) 最新決定盤/カンツォ-ネ (CANZONE GOLD SUPERDISC) 2-6.ジャンナ (GIANNA) GXC-9027~8 GXF- 81~90 GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP BoXサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 10-19.ジャンナ (GIANNA) リノ・ガエターノ 3は次回にに続きます
2019.03.30
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★リノ・ガエターノ (vm) Rino Gaetano 本名サルヴァトーレ・アントニオ・ガエターノ (Salvatore Antonio Gaetano)、1950年10月29日長靴の指の付け根部分にある小都市クロトーネ(Crotone)生、1981年6月2日ロ―マ没は歌手、カンタウトゥーリ。 活動期間:1973 – 1981 所属レコード会社:It, RCA Italiana サンレモ音楽祭出場1回:1978年第3位 サンレモ音楽祭出品2曲:1978年自己出場曲、2007年入賞 公式サイト: 第二次世界大戦でリーノ・ガエターノ家族が疎開していたヴェネチアの郊外ドーロ(Dolo)で姉アンナ(Anna)が生まれ、両親は戦後故郷のクロトーネに戻りました。1950年10月、そこでサルヴァトーレが生まれました。姉アンナは小さな弟をリノと呼びます。 故郷のカラブレーゼには10才になるまでしか住んでおらず、60年仕事の関係で両親はと共にローマに引越しました。その後両親が共働きしていたこともあり、ローマの北50kmにあるテルニにあるナルニ・イエスの御心神聖小学校に預けられます。 67年ガエターノはローマに中心部に近い北東地区、第3区チモーネ通(Via Cimone)のセンピオーネ広場(Piazza Sempione)周辺に戻り、70年にはノメンターナ・ヌオーヴァ通(via Nomentana Nuova)に引越しました。 翌71年友達と四人編成ノバンドで当時流行っていた曲をカヴァーするイ・クロウンクス(I Krounks)を結成しました。読み方も意味も良く判りません。 ガエターノはベース担当で作詞・作曲も始めました。この頃目標としてカヴァーしていたのはエンツォ・ヤンナッチ(Enzo Jannacci)、ファブリツィオ・デ・アンドレ(Fabrizio De André)、アドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)、グーフィ(i Gufi)、ジャン・ピエレッティ (Gian Pieretti)、リッキー・ジャンコ(Ricky Gianco)達やボブ・ディラン(Bob Dylan)、ビートルズ(The Beatles)であったようです。 ガエターノはアマチュア・ロック・バンドをやりながら69年頃から若いアーティストが実力を試す演劇の劇場フォーク・スタディオ(Il Folkstudio)へ出入りするようになりました。ここにはアントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti )、フランチェスコ・デ・グレゴリ (Francesco De Gregori)も出演しており、リノはこの場でも強烈な皮肉な歌を歌い俳優兼歌手として異彩を放っていたようです。 70年から71年にかけて、ガエターノはキャヴァレーに出演して歌を歌いながら、演劇の俳優として劇場で軽演劇を演じていました。 一方彼は会計学校を卒業し、家族のために銀行員として勤める事になっていました。しかしリノは歌と演劇が諦めきれず、父と話し合いましたが歌手や俳優になって成功することはないと父は反対していました。72年妥協点としてイタリアの音楽著作権や興行権を管理する団体シアエ(SIAE)に就職しました。ここでレコード会社のイト(It)のオーナーで大プロディーサーのヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)と巡り合います。 この年プロドゥットリ・アッソチアーティ(Produttori Associati)で初めて“Jacqueline”と“La ballata di Renzo”を吹込みましたが、発売されることはありませんでした。 73年ミコッチのイトからカンマムリス(Kammamuri's)としてレコード・デビューをします。曲はロスヴェモン(RosVeMon)がプロディースする“I Love You Maryanna”/“Jaqueline”でした。歌手名もプロデューサーの名前も相当ユニークです。ロスヴェモンはアウレリオ・ロッジット(Aurelio Rossitto)、アントネロ・ヴェンディッテ (Antonello Venditti)、ピエロ・モンタナーリ(Piero Montanari)三人の頭文字からとったペンネームです。 デビュー曲はコミッカルな歌詞ですが、グロテスクさ、愚かさとナンセンスに特徴づけられるものでした。ガエターノは政治を批判する内容で政治的な干渉や圧力を受けることを嫌ったようで、もし彼が早死にすることがなければ歌手の分類でいくとエンツォ・ヤンナッチな歌手になたと思われます。 ZT-7047 (1973年5月 It – RCA Italiana) I Love You Maryanna/Jaqueline (come Kammamuri's) ZT-7047 (2016年 RCA – Sony Music Entertainment Italy) I Love You Maryanna/Jaqueline (come Kammamuri's) ZT-7047 88843-01853・1 (ZT-7047) 74年は重要な年となりました。ブルーノ・フランチェスエスケッリ(Bruno Franceschelli)と出会い、どうもノン・クレジットですが1st.アルバム「Ingresso Libero(「入場無料」の意味)」に歌詞を提供してもらっています。ここで初めてリノ・ガエターノの芸名を使っており、シングル・カットしたフランチェスケッリが歌詞を提供した“Tu, Forse Non Essenzialmente Tu”はマイナー・ヒットをして小さな成功をえました。 ZT-7057 (1974年 It – RCA Italiana) Tu, Forse Non Essenzialmente Tu/I Tuoi Occhi Sono Pieni Di Sale ZT-7057 ZSLT-70024 74321-14971・2 ZSLT-70024 (1974年7月 It – RCA Italiana) Ingresso Libero 74321-14971・2 (1994年3月 RCA – BMG Ariola) CD Ingresso Libero [0743211 497121] 88843-01853・1 (2015年3月 RCA – Sony Music Entertainment Italy) Ingresso Libero [*Limited edition 500 copies 888430185319] 17SC-0012 (2017年 RCA – Sony Music) CD Ingresso Libero 1.Tu, Forse Non Essenzialmente Tu 2.Ad Esempio A Me Piace Il Sud (みどりの園) 3.AD 4000 D.C. 4.A Khatmandu 5.Supponiamo Un Amore 6.E La Vecchia Salta Con L'Asta 7.Agapito Malteni Il Ferroviere 8.I Tuoi Occhi Sono Pieni Di Sale 9.L'Operaio Della Fiat «La 1100» * I Love You Marianna *Jaqueline 88843-01853・1 17SC-0012 同年RCAイタリアーナのニコラ・ディ・バリ()に3曲提供しています。ガエターノが作詞・作曲した“みどりの園(Ad Esempio A Me Piace Il Sud)”、ディ・バリと共作した“この素晴らしき愛(Questo Amore Tanto Grande)”はディ・バリのアルバム「愛の映像 (TI FA BELLA L'AMORE)」に収録されています。 75年に出したシングル曲“Ma Il Cielo È Sempre Più Blu”は2つのパートニに別れた非定形型の曲でした。初めて週間ランキングに入り最高20位、在位9週間で商業的成功をした曲です。ガエターノはアントネロ・ヴェンディッテのようなコンサート・ツアーを行いました。 ZT-7060 (1975年2月 It – RCA Italiana) Ma Il Cielo È Sempre Più Blu/Seconda Parte ZT-7060 (2013年 It – Sony Music Entertainment Italy) Ma Il Cielo È Sempre Più Blu/Seconda Parte [190758334172] 190758-3341・7 (2018年 RCA – Sony Music Entertainment Italy) Ma Il Cielo È Sempre Più Blu/Seconda Parte [1 90758 33417 2] ZT-7060 190758-3341・7 ZT-7062 (1976年 It – RCA Italiana) Mio Fratello È Figlio Unico (兄弟は一人息子)/Berta Filava (紡ぎ女工ベルタ) ZT-7062 ZT-7064 ZT-7064 (1976年 It – RCA Italiana) Mio Fratello È Figlio Unico (兄弟は一人息子) /Berta Filava (紡ぎ女工ベルタ) 2nd.アルバムは「兄弟は一人息子」と題したテーマ曲と同名のアルバムをリリースし、シングル盤は2ヴァージョン出ています。このアルバムは「孤独」と「疎外」を扱っており、音楽的にはシタール、バンジョー、マンドリンを使用し、より複雑で成熟したアルバムに仕立てました。”紡ぎ女工ベルタ”は週間ランキング最高位17位(在位14週)と息の長いヒットとなりました。 ZSLT-70029 74321-14970・2 74321-76540・2ZSLT-70029 (1976年7月 It – RCA Italiana) Mio Fratello È Figlio Unico 74321-14970・2 (1976年7月 RCA –– BMG Ariola) CD Mio Fratello È Figlio Unico 74321-76540・2 (2001年 RCA – BMG Ricordi) CD Mio Fratello È Figlio Unico [0 743217 654023] 88843-00474・1 (2013年 RCA – Sony Music) Mio Fratello È Figlio Unico [88843004741 Limited Edition 500] 88843-00474・1 (2015年 RCA – Sony Music) Mio Fratello È Figlio Unico [88843004741 Limited Edition 500] 88985-36128・2 (2016年 RCA – Sony Music Entertainment (Italy)) CD Mio Fratello È Figlio Unico [88985361282-11] 17SC-0011 (2017年 RCA – Sony Music) CD Mio Fratello È Figlio Unico [88985361282-11] 88843-00474・1 1.Mio Fratello È Figlio Unico (兄弟は一人息子) 2.Sfiorivano Le Viole 3.Glu Glu 4.Cogli La Rosa D'Amore 5.Berta Filava (紡ぎ女工ベルタ) 6.Rosita 7.Al Compleanno Della Zia Rosina 8.La Zappa...Il Tridente Il Rastrello La Forca L'Aratro Il Falcetto Il Crivello La Vanga 88985-36128・2 17SC-0011 アルバム発売後バックバンドのペリジェオ(i Perigeo)を伴ってイト主催のツアーに出かけました。このツアーはファンや批評家は納得していませんでした。 翌77年3rd.アルバム「アイーダ」を出します。ヴェルディ(Giuseppe Verdi)のオペラのタイトルを使ったのはイタリア女性とイタリアを象徴し、アイーダのイデアでガエターノの人生を振り返る意図でした。アルバム・タイトル曲“Aida”がシングル・カットされました。 ZBT-7078 (1977年 It – RCA Italiana) Aida/Escluso Il Cane ZBT-7078 ZBT-7081 ZBT-7081 (1977年 It – RCA Italiana) Aida/Spendi Spandi Effendi ZPLT-34016 74321-14969・2 74321-91861・2 ZPLT-34016 (1977年7月 It – RCA Italiana) Aida 74321-14969・2 (1994年3月 RCA – BMG Ariola) CD Aida 74321-91861・2 (2004年 RCA – BMG Ariola) CD Aida [74321 9186126] 88843-05231・1 (2014年 RCA – Sony Music) LP Aida [888430523111 Limited Edition 500] 17SC-0013 (2017年 RCA – Sony Music) CD Aida [88985361282-11] 88985-44330・2 (2017年7月 RCA – Sony Music Entertainment Italy) 2CD Aida [# 889854433024] 88985-44332・1 (2017年 RCA – Sony Music Entertainment Italy) LP Aida [0889854433215] 88985-44333・1 (2017年 RCA – Sony Music Entertainment Italy) LP+Single Aida [*Limited edition 500 copies 889854433314] 88843-05231・1 17SC-0013 88985-44330・2 1.Aida 2.Fontana Chiara 3.Spendi Spandi Effendi 4.Sei Ottavi 5.Escluso Il Cane 6.La Festa Di Maria 7.Rare Tracce 8.Standard 9.Ok Papà *Aida [Gianluca Grignani] *Escluso Il Cane [Fabrizio Moro] Aida / Gianluca Grignani # BONUS DISC CON LIVE e le COVER INEDITE di Gianluca Grignani, Fabrizio Moro, Briga 2-1.Escluso Il Cane [Fabrizio Moro] 2-2.Spendi Spandi Effendi [Briga] 2-3.Escluso Il Cane [Tricarico] 2-4.Aida (live) [Rino Gaetano & Tour In Città Band] 2-5.Escluso Il Cane (live) [Rino Gaetano & I Crash] 2-6.Spendi Spandi Effendi (live) [Rino Gaetano & I Crash] 2-7.Aida (live) [Rino Gaetano & I Crash] 2-8.Spendi Spandi Effendi (live) [Rino Gaetano] 2-9.Aida (q Concert) [Riccardo Cocciante] 88985-44330・2 (Degipack) 88985-44332・1 88985-44333・1 同年今度はバックバンドに新興のクラッシュ(I Crash)を伴ってツアーを行いました。 ガエターノの発見者ヴィンチェンツォ・ミコッチの直属上司でRCAイタリアーナの総帥(エンニオ・モリス(Ennio Melis)が彼の才能を認めサンレモ音楽祭の出場を目論見ます。まずはモリスが発案したフェスティヴァルバールの出場を匂わせ、周囲とリノの抵抗感を薄めます。 リノ・ガエターノの国内盤は次回です リノ・ガエターノ 2は次回にに続きます
2019.03.27
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★マティア・バザール (compl) Matia Bazar 1975年ジェノヴァでプログレッシブ・ロック・バンドのジェットのメンバーを核にして結成された実験的電子音楽(テクノ・ミュージック)を使ったロック、ポップス・バンド。女性ヴォーカル“マティア”も含むメンバー交代を重ねながら現在も活動を続けている。 AR-00819 活動期間:1975年 – 現在 所属レコード会社:Farn music, Ariston, CGD, DDD, Polydor Records/PolyGram, Sony Music, Universal Music Group サンレモ音楽祭出場1回:1973年参加曲(ジェットとして)、77年参加、78年優勝,83年4位、85年10位、88年10位、92年5位、93年4位、2000年8位、01年第3位、02年優勝、05年第3位、12年参加 公式サイト:http://www.matiabazarofficial.com/ マティア・バザール結成メンバー (太字は旧ジェットのメンバー) ・アルド・ステッリタ (Aldo Stellita):ベース、ヴォーカル 本名アルド・サルヴァトーレ・ステッリタ(Aldo Salvatore Stellìta) 1947年8月2日シチリア島最西端近くの小さな町カンポベッロ・ディ・マツァーラ(a Campobello di Mazara)生れ学生時代をジェノヴァでおくる、1998年7月9日イタリア最東北部の都市ウーディネ(Udine)没、作詞家、歌手、ベース奏者。マティア・バザールの創立メンバーの一人でジェット、マティア・バザールの「静かなる」リーダー。 ・ピエロ・カッサーノ (Piero Cassano):キーボード、作曲 本名ピエランジェロ・エウジェニオ・カッサーノ(Pierangelo Eugenio Cassano) 1948年9月13日ジェノヴァ生、作曲家、編曲家、演奏家、歌手。マティア・バザールの創立メンバーの一人で81年に脱退し、ソロ歌手として82年サンレモ音楽祭で参加曲に終わる、同年ヤマハ国際歌謡祭出場。 ・カルロ・マッラーレ (Carlo Marrale):ギター、ヴォーカル 1952年3月15日ジェノヴァ生、歌手、ギタリスト、仇名は」ビンボ(Bimbo)。マティア・バザールの創立メンバーの一人で93年に脱退し、ソロ歌手として94年サンレモ音楽祭出場15位。 ・ジャンカルロ・ゴルツィ (Giancarlo Golzi):ドラムス、作詞 [在籍1975-2015年] 1952年2月10日サンレモ生.-2015年8月12日サンレモの西5kmにある町ボルディゲーラ(Bordighera)没。元ムゼオ・ローゼンバッハのドラムス、元サンレモ市長ジョヴェナーレ・ボッティーニ(Giovenale Bottini)のイトコ、2003年までサンレモ音楽祭新人の部出場者の登竜門、アカデミア・ディ・サンレモの監督も務めた。 ・アントネッラ・ルッジェロ (Antonella Ruggiero):女声ヴォーカルのマティア、自作自演歌手1952年11月15日にジェノヴァ生。[在籍1975 -89年] マティ・バザールのプロデューサーでもあるロベルト・コロンボ(Roberto Colombo)と結婚し、息子ガブリエレ(Gabriele)の出産を含め7年間の活動中止後96年からソロ歌手として活動を再開しました。 1977年3月に出したセカンド・アルバム「グラン・バザール()Gran Bazar」がアルバム・ヒット・チャート43位にランクされたマティア・バザールですが、年末に出した初めてにベスト盤「L'Oro Dei Matia Bazar - Solo Tu」が翌78年年間ヘスト・セラー15位の大成功となりました。 AR・LP-12326 (1977年 Ariston – Dischi Ricordi) L'Oro Dei Matia Bazar - Solo Tu OX- 3148 (1979年 Oxford – Dischi Ricordi) L'Oro Dei Matia Bazar - Solo Tu 1.Solo Tu (ソロ・トゥ) 2.Che Male Fa (悪戯) 3.Per Un'Ora D'Amore (ひとときの愛のために) 4.Un Domani Sempre Pieno Di Te (幸せの明日) 5.Stasera Che Sera (夜をとどめて) 6.Ma Perchè? (恋の冒険) 7.Per Un Minuto E Poi... (一時のために...そして) 8.Cavallo Bianco (白い馬) 9.Gente D'Ogni Età (世代) AR・LP-12326 OX- 3148 レコードの発売順ではサンレモ音楽祭出場曲が先に出たと思われますが、レコード番号では先の“Mister Mandarino”は2種類のピクチャー・スリーブが存在しています。これは78年年間ヒット・ランク64位になりました。 78年1月に開催されたサンレモ音楽祭出場曲“チャオとひとこと”は前年の“恋の冒険 (Ma Perchè?)”が入賞しなかったものの77年年間ヒット・ランク42位、さらにその後に出した“ソロ・トゥ (Solo Tu)”が同3位のメガ・ヒットでたちまちスターとなたので、本命視され見事に優勝しました。 しかし78年にはデビュー曲がサンレモの舞台で女性バンク・ロッカーとして話題をさらったアンナ・オクサ(Anna Oxa)とイタリアのギリバート・オサリバンのようなカンタウトゥーリ、リノ・ガエターノ(Rino Gaetano)の出現で、78年年間ヒット・ランク28位の好成績にもかかわらず、少し影の薄い存在となってしまいました。 本来ならマティア・バザールがユーロヴィジョン・ソング・コンテスト出場資格があるのですが、出場は早々とリッキとポーヴェリ(Ricchi e Poveri)で決まっており、マティア・バザールは翌79年のユーロヴィジョン出場となりました。 AR-00819 (1978年 Ariston – Dischi Ricordi) Mister Mandarino 78#64/Limericks (リムリックス) (realizzato con 2 copertine diverse 2種類のカバーで作られました。)※もう1枚のジャケット画像は顔写真画像をご参照 AR-00819 AR-00823 AR-00823 (1978年1月 Ariston – Dischi Ricordi) ...E Dirsi Ciao (チャオとひとこと)/Ma Che Giornata Strana (白日夢) 次のシングル盤がフェスティヴァルバール出場曲“Tu Semplicità”でした。“チャオとひとこと”には及びませんでしたが、年間ヒット・ランク33位と大ヒットとなります。 なぜかサンレモ優勝曲が収録されずフェスティヴァルバールの曲があるバム・タイトルとなった「Semplicità」は78年年間ヘスト・セラー60位になりました。 AR-00838 (1978年 Ariston – Dischi Ricordi) Tu Semplicità/È Così AR-00838 AR・LP-12345 OX-3181 AR・LP-12345 (1978年 Ariston – Dischi Ricordi) Semplicità OX-3181 (1980年 Oxford – Dischi Ricordi) Semplicità MPIT-1011 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) Semplicità [5 012984 101111] MPICD-1011 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) CD Semplicità [5 012982 101120] 7-88071・2 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) CD Semplicità [077778807124] 1.Tu Semplicità 2.Soli… A Volte Insieme 3.Accipicchia Che Nostalgia 4.Però Che Bello 5.È Così 6.Playboy 7.Ancora Un Pò Di Te 8.Guarda Un Pò 9.È Magia 10.Occhi Grandi Come Il Mare MPIT-1011 MPICD-1011 7-88071・2 79年のシングル盤1枚目はユーロヴィジョン・ソング・コンテスト出場“Raggio Di Luna”です。19曲中15位の成績でしたが79年年間ヒット・ランク60位にランクされました。 AR-00853 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Raggio Di Luna/Però Che Bello AR-00853 79年2枚目の“C'È Tutto Un Mondo Intorno”は80年年間ヒット・ランク24位の大ヒットでした。 この曲を収録したアルバム「Tournée」は同年年間ヘスト・セラー44位になり、順調なレコード・セールスでした。 私はファースト・アルバム「Matia Bazar 1」と「Tournée」しか聞き比べていませんが、格段のセンス・アップし、アントネラ・ルッジェロのヴォーカルが非凡なことに気づき前面に出していく様子が分かります。アルバムは80年年間ヘスト・セラー44位となります。 だたこの辺りでピエロ・カッサーノとの溝を深めていったのかもしれません。 AR-00875 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) C'È Tutto Un Mondo Intorno/Per Amare Cosa Vuoi AR-00875 AR・LP-12359 OX-3313 AR・LP-12359 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Tournée OX-3313 (1985年 Oxford – Dischi Ricordi) Tournée MPIT-1012 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) Tournée MPICD-1012 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) CD Tournée [5 012984 101227] 7-88070・2 (1995年 Virgin – Virgin Dischi) CD Semplicità [077778807025] 1.Tram 2.Non È Poi Tanto Male 3.Ragazzo In Blue Jeans 4.Per Amare Cosa Vuoi 5.C'È Tutto Un Mundo Intorno 6.Oggi Per Te 7.Come Un Fiore 8.Tutto Bene (All Right) MPIT-1012 MPICD-1012 7-88070・2 アルバム「Tournée」からマキシ・シングルが発売されました。 ARX-16018 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Mix 12" C'È Tutto Un Mondo Intorno/ Ragazzo In Blue Jeans/Tram/Non È Poi Tanto Male ARX-16018 AR-00897 AR-00897 (1980年 Ariston – Dischi Ricordi) Italian Sinfonia (イタリアン・シンフォニー)/Non Mi Fermare 80年になりシングル盤“イタリアン・シンフォニー”年間ヒット・ランクは80年77位、翌81年78位になります。年跨きのヒットですが微妙にランクを下げます。アルバム「Il Tempo Del Sole」は同年年間ヘスト・セラー58位になりました。 AR-00905 (1980年 Ariston – Dischi Ricordi) Il Tempo Del Sole/Mio Bel Pierrot AR-00905 AR・LP-12383 OX-3269 AR・LP-12383 (1980年 Ariston – Dischi Ricordi) Il Tempo Del Sole OX-3269 (1985年 Oxford – Dischi Ricordi) Il Tempo Del Sole MPICD-1013 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) CD Il Tempo Del Sole [5 012984 101326] 7-88110・2 (1995年 Virgin – Virgin Dischi) CD Il Tempo Del Sole [0777 7 88110 2 2] 1.Il Tempo Del Sole 2.Italian Sinfonia (イタリアン・シンフォニー) 3.Se Lei 4.Senzaguai 5.Ti Conosco Bene 6.Una Persona Normale 7.Non Mi Fermare 8.Mio Bel Pierrot 9.Ricordi MPICD-1013 7-88110・2 ピエロ・カッサーノとの路線対立は決定的でピエロは脱退しソロ歌手となり、バンドは事実上の1年間活動停止状態となりました。 マティア・バザ-ルの国内盤 GP- 566 (1978年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP第28回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1978) 1.チャオとひとこと (...E DIRSI CIAO) GP- 566 CM- 131 CM- 131 (1978年6月 SEVEN SEAS - キング) チャオとひとこと (...E DIRSI CIAO)/恋の冒険 (MA PERCHE') GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP BoXサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 10-17.チャオとひとこと (...E DIRSI CIAO) GXF- 81~90 GXC- 141~2 GXC- 141~2 (1979年7月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LPサン・レモ優勝のすべて (I VINCITORI DI SAN REMO) 2-2.チャオとひとこと (...E DIRSI CIAO) マティア・バザール 4は1983年サンレモ音楽祭の後に続きます
2019.03.24
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1973年、74年にオーガナイザーの一員に加わったヴィットリオ・サルヴェッティは75年のブルーノ・パレージ(Bruno Pallesi)が失敗した後、76年以降単独のオーガナイザーとなり3年目を迎えました。ただイタリアの不況と共にサンレモ音楽祭の人気や権威も低下し、77年の出場歌手が12歌手と最少規模となりました。そしてその手腕を問われましたが、78年はやや回復し、と言っても14歌手と寂しい限りですが、回復基調ではありました。 78年はソロ歌手(5)、カンタウトゥーリ(5)、グループ(4)と3つにカテゴリーを分け、決勝進出歌手を選びました。出場歌手が多ければカテゴリー制もありますが、14歌手では余り意味がなさそうです。多分前年が優勝、第2位、第3位全てバンド(グループ)に占められたのでそれを避けようとしたのかもしれません。こうして決勝戦には各カテゴリーから3歌手づつ9歌手が決勝戦に進みました。 リーノ・ガエターノ (IT) アンナ・オクサ (RCA) 第28回 1978年1月26日(木)~28日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo) 司会:ベッペ・グリッロ(Beppe Grillo)、ステファニア・カジーニ(Stefania Casini)、マリア・ジョヴァンナ・エルミ (Maria Giovanna Elmi) 楽団指揮:エル・パサドール(El Pasador) 再演奏音楽家、テーマ曲:エル・パサドールことエンゲル・グァルディ(Henghel Gualdi) オーガナイザー:ヴィットリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti) [数]は外人歌手数、1978年は外人の出場はなし ・Dischi Ricordi 4[0] (Ricordi 1[0]; Ariston 2[0] ; Carosello 1[0]) ・RCA ITALIANA 4[0] RCA 2[0];IT 1[0]);Spaghetti 1[0]) ・CGD 3[0] (CGD 1[0];Derby 1[0]);WEA Italiana 1[0]) ・Fonit Cetra 1[0] ・EMI Italiana 1[0] (EMI 1[0]) ・Ri Fi 1[0] 前年の送は第1夜、第2夜がラジオ中継のみ、ラジオ中継には初めて民放が参加しましたが、78年は第1夜、第2夜はラジオ、TV放送もなく最終夜だけ前年から始まったイタリア国内でもカラーでTV中継がされました。第1夜にゲスト出演したグレース・ジョーンズ(Grace Jones)が4曲歌ったミニ・ショーだけは数か月後にTVで放送されています。 開催期間中は大雪でメイン・プレゼンターのマイク・ボンジョルノ(Mike Bongiorno)がサンレモ入り出来ず、ベッペ・グリッロが代役を務めますが進行はステファニア・カジーニ、会場内のインタビューはマリア・ジョヴァンナ・エルミがすることになったようです。さらに初日開催直前に、爆弾を仕掛けたとの情報が入り当日は厳戒態勢の中で開催されましたが、単なる嫌がらせで終わり、実害はありませんでした。 チロ・セバスティアネッリ (Derby) ビーンズ (CGD) ラウラ・ルーカ (Ricordi) 78年サンレモ音楽祭の最大の話題はアンナ・オクサがパンク・ロッカーとして出場したことでした。しかも歌手デビューがサンレモの舞台という衝撃的な登場で賛否両論でしたが、アドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)のサンレモ初登場した61年の時と比較されましたが、実際は彼女を売り出す手段だったようです。 <優勝曲> チャオとひとこと…E Dirsi Ciao (Aldo Stellita - Giancarlo Golzi - Piero Cassano - Carlo Marrale - Antonella Ruggiero) 出版社 ARISTON <34 >マティア・バザール (compl) Matia Bazar (Ariston)AR-00823 [45] AR-00823 CM- 131 第2位 青春Un'Emozione Da Poco (Ivano Fossati - Guido Guglielminetti) 出版社RCA MUSICA - R <30> アンナ・オクサ (vf) Anna Oxa (RCA – RCA ITALIANA) PB- 6144 [45] PB- 6144 CM- 130 第3位ジャンナ Gianna (Rino Gaetano) 出版社RCA – IT - R <17> リーノ・ガエターノ (vm) Rino Gaetano (IT – RCA ITALIANA) ZBT- 7086 [45] ZBT- 7086 CM- 130 <入賞曲> 4位 暗がりIl Buio E Tu (Osccar Avogadro - Daniele Pace - Ciro Sebastianelli) 出版社出版社SIAE <16> チロ・セバスティアネッリ (vm) Ciro Sebastianelli (Derby – CGD) DBR-10026 [45] DBR-10026 CI-20460 5位 あなたひとり Tu Sola (Luigi Cappella - Anselmo Genovese) 出版社 FORTUNA <12> アンセルモ・ジェノヴェーゼ (vm) Anselmo Genovese (Carosello – Dischi Ricordi) CI-20460 [45] 6位 調和の幻想 Armonia E Poesia (Andrea Lo Vecchio - Santino Rocchetti) 出版社 USIGNOLO – SHESHA <11> サンティーノ・ロッケッティ (vm) Santino Rocchetti (Cetra - Fonit Cetra) SP-1675 [45] SP-1675 PB- 6142 7位 私の恋 Un Amore (Il Mio Amore) (Marco Luberti - Kico Fusco) 出版社 JEANS – RCA - R <9> スコラ・カントルム (coro) Schola Cantorum (RCA – RCA ITALIANA) PB- 6142 [45] 8位 明日に夢みて Domani Domani (Dante Pieretti - Alberto Nicoletti) 出版社 ILLER <4> ラウラ・ルーカ (vf) Laura Luca (Ricordi - Dischi Ricordi) SRL-10・857 [45] SRL-10・857 3C・006-18316 9位 メッザノッテ 1/2 Notte) (Zacar - Savino Grieco - Stefano Dammicco - Daniel Sentacruz) 出版社 BELRIVER <2> ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble (EMI – EMI ITALIANA) 3C・006-18316 [45] <参加曲> ◆アンナ・アンナ Anna Anna (Osccar Avogadro - Daniele Pace - Donato Ciletti - Alerto Cavallaro) 出版社 SUVINI ZERONI - BLUE TEAMドナート・チレッティ (vm) Donato Ciletti (Warner Bros.(WEA Italiana)) – CGD)T-17047 [45] T-17047 RFN・NP-16737 ◆ひとりぼっち Ora (Franco Marino - Claudio Rego - Enrico Intra - Donatella Rettore) 出版社 RI FI Mus. - ACCADEMIA ドラ・モローニ (vf) Dora Moroni (Ri F i- Ri Fi) RFN・NP-16737 [45] ◆雪のかおり 'N'addore 'E Castagne (Mario Coppola - Robberto Carrino) 出版社 ARISTON ロベルト・カリーノ (vm) Roberto Carrino (Ariston - Dischi Ricordi) AR-00820 [45] AR-00820 ZBSR-7047 ◆テレ-ザが来れば Quando Teresa Verrà (Simonluca - Marco Ferradini) 出版社 WIZ Mus. マルコ・フェッラディーニ (vm) Marco Ferradini (Spaghetti – RCA ITALIANA)ZBSR-7047 [45] ◆仲違い(なかたがい) Soli (Antonio Bella - Gianni Bella) 出版社 SIAE ビーンズ、{イ} (compl) Beans (CGD - CGD) CGD-10050 [45] CGD-10050 出場曲は以上です。 一方期待通りいかなかったのが優勝したマティア・バザールでした。彼らはその後独自の音楽を作り出していきます。 こういうことは往々にあることで62年4位のトニー・レニス (Tony Renis)とエミリオ・ペリコーリ (Emilio Pericoli)が歌った“クァンド・クァンド・クァンド (Quando Quando Quando)”が大ヒット、翌63年2人が歌って優勝した“僕の選ぶ人 (Uno Per Tutte)”は今一、同様にボビー・ソロ(Bobby Solo)の64年“ほほにかかる涙”と翌65年優勝曲“君に涙とほほえみを(Se Piangi Se Ridi)”、ニコラ・ディ・バリ(Nicola Di Bari)は70年“愛の贈りもの(La Prima cosa bella)”で初優勝し年間ヒット・ランク3位とメガ・ヒットになりましたが71年“恋のジプシー(16.Il Cuore è Cuno Zingaro)”で連続優勝したものの、年間ヒット・ランク16位と前年よりセールス面で後退してしまっています。 ドナート・チレッティ (WEA Italiana) マルコ・フェッラディーニ (Spaghetti) ロベルト・カリーノ (Ariston) 78年出場曲の成績は、優勝したマティア・バザールの“チャオとひとこと”は78年年間ヒット・ランク28位の大ヒットとなりましたが、それを凌ぐのはサンレモがデビューのアンナ・オクサが歌う“青春”の同14位、リノ・ガエターノの“ジャンナ”が13位と素晴らしい成績を残しました。 その他では入賞4位チロ・セバスティアネッリの“暗がり”が同65位、入賞8位ラウラ・ルーカ“明日に夢みて”は同57位、“メッザノッテ”を歌ったダニエル・センタクルス・アンサンブルが同69位に入っています。 参加曲で年間ヒット・ランク100位以内に入る番狂わせはありませんでしたが、入賞9曲中6」曲がランク・インしたのは成功したと言えます。 オーガナイザーのヴィットリオ・サルヴェッティも出場曲合計で200万枚売上げたことは納得いったらしく、サンレモ音楽祭はなくならないと宣言しています。 この年の一番の成功者はリノ・ガエターノでした。将来を期待されていたのですが、しかし81年僅か30才で亡くなりました。余りにも早すぎる死でした。 ドラ・モローニ (Ri Fi) スコラ・カントルム (RCA) アンセルモ・ジェノヴェーゼ (Carosello) 78年初参加のレコード会社はSPAGHETTI,のみです。 スパゲッティ(SPAGHETTI)は77年ミラノでロークス(Rokes)のリーダーだったシェル・シャピロ(Shel Shapiro)とレコード・プロデューサーで作詞家のアレッサンドロ・コロンビーニ(Alessandro Colombini)、同プロディーサーシルヴィオ・クリッパ(Silvio Crippa)が新人育成のため設立しました。ここはロザリーノ(Rosalino)が移籍してロン(Ron)と改名し大歌手となったこと、エンリコ・ルッジェリ(Enrico Ruggeri)がバンドのデチベル(i Decibel)のメンバーとしデビューした事などが知られます。 しかし思うほど新人が育たず80年代半ばに閉鎖しましたが、2010年に復活、活動を再開しました。RCAイタリアーナ・グループに入っています。 サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1978年出場曲は以上です。 ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。 ・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。 ・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。 ・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2019.03.21
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1977年のサンレモ音楽祭は始まって以来最少の出場曲となりました。応募12曲は全曲出場が認められています。ただ出場曲の内5曲が年間ヒット・ランク100位以t内に入り、レコード・セールス面では成功したと言えます。しかも表彰上位3曲が全てグループ、バンドの出場者で若者に対してアピールしたことが成功の一因だったと言えます。 本国イタリアでも出場歌手を出しているレコード会社グループでも3歌手と、とても年度のコンピレーションを作ることもできず、後年出場歌手の大半を収録する呉越同舟型コンピレーションもまだ考えていないこの時代ではどこのレコード会社もサンレモ音楽祭に重要視しなくなっており、出場曲のコンピレーションは採算の合う仕事ではありませんでした。 辛うじてリフィ(Ri Fi)のサブ・レーベル、ヴァラエティー(Variety)からピエロ・ソフィッチ楽団の演奏物アルバム「Orchestra Di Piero Soffici – I Successi Dal 27 Festival Di Sanremo 77」がでました。ただ半端なことに10曲しか収録しておらず、少ない出場曲12曲なら十分1枚に収まる物を!全曲集を作ってよ!です。 RLV・ST-90538 (1977年 Variety – Ri Fi) 30cmLP Orchestra Di Piero Soffici – I Successi Dal 27 Festival Di Sanremo 77 1.Dedicato A Te (ほほえみのために) 2.Miele (ぼくに恋するミエ-レ) 3.Con Te Ci Sto (コンテ・チ・スト) 4.Ma Perchè ? (恋の冒険) 5.Monica (モニカ) 6.Bella Da Morire (涙の日曜日) 7.Gran Premio (グラン・プリ) 8.Tu Mi Rubi L'anima (長い髪の少女) 9.Tesoro Mio (夢みるくちづけ) 10.E Invece Con Te (あなたなら) ピエロ・ソフィッチ楽団 (PIERO SOFFICI) RLV・ST-90538 日本での国内盤はキング1社のみ。RCAイタリアーナは参加せず、リコルディも本体は参加しておらず、しかも傘下のカロセッロ(Carosello)とアリストン(Ariston)はキングと直接契約を結んでおり、残ったプロドゥットリ・アソシアーティ(Produttori Associati)のドナテラ・レットーレだけではどうしようもありません。 惜しいことに以前契約のあったアドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)やトニー・ダララ(Tony Dallara)のデビュー会社SAARが契約切れで、第2位コラージェ(Collage)の“長い髪の少女(Tu Mi Rubi L'Anima)”が入れられなかったことです。 イタリアで唯一出たサンレモ盤の中から“長い髪の少女”と“夢みるくちづけ”がピエロ・ソフィッチの演奏で収録されています。他は豪華なゲスト陣の歌った曲でアルバム構成をしています。 GP- 483 (1977年6月 SEVEN SEAS -.キング) 30cmLP第27回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1977) 1.涙の日曜日 (BELLA DA MORIRE) [ホモ・サピエンス (HOMO SAPIENS)] 2.グラン・プリ (GRAN PREMIO) [アルバトロス (ALBATROS)] ぼくに恋するミエーレ (MIELE) [ジャルディーノ・ディ・センプリーチ (IL GIARDINO DEI SEMPLIC)] 3.恋の冒険 (MA PERCHE') [マティア・バザール (MATIA BAZAR)] 4.長い髪の少女 (TU MI RUBI L'ANIMA) [ピエロ・ソフィッチ楽団 (PIERO SOFFICI)] 5.ほほえみのために (DEDICATO A TE) [サンティーノ・ロッケッティ (SANTINO ROCCHETTI)] 6.夜の恋人たち (UN MOMENTO FA) [ジリオラ・チンクェッティ (GIGLIOLA CINQUETTI)] 7.恋の逃亡者 (ABBRACCIATI') [マルチェラ (MARCELLA)] 8.さまよう老人 (IL VECCHIETTO) [ドメニコ・モドゥーニョ (DOMENICO MODUGNO)] 9.恋人いつまでも (ANCORA INNAMORATI) ロレッタ・ゴッジ (LORETTA GOGGI)] 10.夢みるくちづけ (TESORO MIO) [ピエロ・ソフィッチ楽団 (PIERO SOFFICI) 11.アリヴェデルチ・パードレ (ARRIVEDERCI, PADRE) [イヴァ・ザニッキ (IVA ZANICCHIf)] GP- 483 これまで紹介してきたサンレモ音楽祭のコンピレーション(オムニバス)盤とは違いますが、こういう機会が無ければこの『サン・レモ・ヒット集』を書くことはないでしょう。 『イタリア音楽祭』とは何かから説明しますと、民音が主催する音楽イベントでなぜかカンツォーネを念芯に取り上げてもらいました。民音=民主音楽協会は1963年10月18日に創価学会の池田大作氏の提唱により音楽などの芸術の交流を推進する音楽文化団体として設立された団体です。 第2回の出演者は皆サンレモ音楽祭出場歌手ですが、収録された曲は一部サンレモ音楽祭出場曲でないものも含まれています。イヴァ・ザニッキやピノ・ドナッジォが来日した事は特筆すべきことですが、デリアはこのような機会がなければ日本でレコードが出ることはなかったでしょう。 イタリアでも出ていないライヴ盤ですので、オークションなどで見つけたら(高額な入札開始価格でなければ)入手して聞いてみる価値はあると思います。 GXH- 11~2 (1977年3月 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP 第2回イタリア音楽祭(実況録音)サン・レモ・ヒット集 (MIN-ON SECONDO FESTIVAL DELLA CANZONE ITALIANA) 1-1.アモ-レ・スク-ザミ <L> (AMORE SCUSAMI <L>) 1-2.ワン・モア・チャンス <L> (VITA MIA <L>) 1-3.愛の幻想 <L> (MAGIA <L>) 1-4.ヴェニスである時 <L> (CERTE VOLTE A VENEZIA <L>) 1-5.心遥かに <L> (TESTARDA IO <L>) 1-6.国境のなみだ <L> (LA RIVA BIANCA LA RIVA NERA <L>) 1-7.ヴォラ-レ <L> (NEL BLU DIPINTO DI BLU <L>) 1-8.チャオ・チャオ・バンビ-ナ <L> (PIOVE <L>) 1-9.コメ・シンフォニア <L> (COME SINFONIA <L>) 1-10.クァンド・クァンド・クァンド <L> (QUANDO QUANDO QUANDO <L>) 1-11.夢みる想い <L> (NON HO L'ETA' (PER AMARTI) <L>) 1-12この胸のときめきを <L> (IO CHE NON VIVO (SENZA TE) <L>) 2-1.青空に住もう <L> (UNA CASA IN CIMA AL MONDO <L>) 2-2.狂ったハ-ト <L> (CUORE MATTO <L>) 2-3.カンツォ-ネ <L> (CANZONE <L>) 2-4.静けさの声 <L> (LA VOCE DEL SILENZIO <L>) 2-5.過ぎ去ったひととき <L> (UN'ORA FA <L>) 2-6.雨 <L> (LA PIOGGIA <L>) 2-7.ノアの箱舟 <L> (L'ARCA DI NOE <L>) 2-8.恋のジプシ- <L> (IL CUORE E' UNO ZINGARO <L>) 2-9.最後の夢見る人 <L> (L'ULTIMO ROMANTICO <L>) 2-10.さよならも言わずに <L> (CIAO CARA, COME STAI? <L>) 2-11.愛のわかれ <L> (NON PENSARE A ME <L>)>) GXH- 11~2 1-1,8,2-2,3,2-8パオロ・メンゴリ (PAOLO MENGOLI);1-2,3,7,2-4,5トニ-・デル・モナコ (TONY DEL MONACO);1-4,9,12,2-1,9ピノ・ドナッジォ (PINO DONAGGIO);1-5,6,2-7,10,11 イヴァ・ザニッキ (IVA ZANICCHI);1-10,11,2-6デリア (DELIA) (ご参考) ピエロ・ソフィッチ (Piero Soffici) 本名ピエトロ・ソフィッチ(Pietro Soffici) 1920年7月28日イタリア東国境の都市トリエステの南40kmにある現クロワチア共和国ロヴィニ(Rovigno)生、2004年5月4日ミラノ没、指揮者、作曲家(希に作詞家)、ピアニスト、サックス奏者。自作自演歌手ロベルト・ソフィッチ(Robbberto Soficci)は息子。 活動期間:1946 – 1990年 所属レコード会社:Primary, Variety, Ri-Fi サンレモ音楽祭出品8曲:1961年参加、64年参加、67年13位、69年10位、13位、70年参加、74年参加、83年12位 1950年代にフィリップスの編曲者となり、59年ジョヴァンニ・アッティスタ・アンソルディ(Giovanni Battista Ansoldi)の要請でリフィの設立に協力、傘下のプライマリー(Primary)とヴァラエティー(Variety)の芸術監督になり,フレッド・ボングスト(Fred Bongusto)、コッキ・マゼッティ(Cocky Mazzetti)などを育てました。 日本で知られている代表作はミーナ(Mina)の“砂に消えた涙 (UN BUCO NELLA SABBIA)”でしょう。他に“太陽の海 (STESSA SPIAGGIA, STESSO MARE)”もイタリアでは大ヒットしました。 FON- 1041 (1965年1月. FONTANA - 日本ビクター) 砂に消えた涙 [日]/[伊] (UN BUCO NELLA SABBIA FON- 1041 LL- 810・LT LL- 810・LT (1965年9月. COLUMBIA INTERNATIONAL - 日本コロムビア) 太陽の海 (STESSA SPIAGGIA, STESSO MARE)/スローリー (SLOWLY) ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)の初期のヒット曲“バルバブル (BARBABLU')” HIT-1249 (1965年9月 SEVEN SEAS - .キング) バルバブル (BARBABLU')/グラツィエ! アモーレ (GRAZIE, AMORE) HIT-1249 カテリーナ・カセルリ (Caterina Caselli)の“涙を許して(PERDONO)”や“恋の100日(CENTO GIORNI)” HIT-1486 (1968年1月 SEVEN SEAS - .キング) 涙を許して(PERDONO)/涙の日 (IL GIORNO) HIT-1486 HIT-1426 HIT-1426 (1967年3月20日 SEVEN SEAS - .キング) 風に消えた恋 (IL CAMMINO DI OGNI SPERANZA)/恋の100日 (CENTO GIORNI) ジャンニ・ペッテナーティ (GIANNI PETTENATI)の“恋の革命(LA RIVOLUZIONE)” HIT-1423 (1967年3月20日 SEVEN SEAS - .キング) この愛に生きて (IO PER AMORE) [カルメン・ヴィラーニ]/恋の革命 (LA RIVOLUZIONE) HIT-1423 マッシーモ・ラニエリ (Massimo Ranieri)やオリエッタ・ベルティ()の“ 愛の詩(QUANDO L'AMORE DIVENTA POESIA)” HIT-1613 (1969年3月20日 SEVEN SEAS - .キング) 雨 (LA PIOGGIA) [ジリオラ・チンクェッティ]/愛の詩 (QUANDO L'AMORE DIVENTA POESIA) HIT-1613 DP-1733 DP-1733 (1970年9月 POLYDORI - 日本グラモフォン) 愛の鐘が鳴るとき (FIN CHE LA BARCA VA)/愛の詩 (QUANDO L'AMORE DIVENTA POESIA) 珍しいところではアンナ・マリア・イッツォ (Anna Maria Izzo)“恋の乗合馬車 (LA CORRIERA)”/“リディー(RIDI)” SFL- 1351 (1971年 FONTANA - 日本フォノグラム) 恋の乗合馬車 (LA CORRIERA)/リディー(RIDI) SFL- 1351 DW-1049 DW-1049 (1972年1月 RICORDI -ポリドール) ふたりの誓い (LA NOSTRA STORIA D'AMORE)/草原(LA PIANURA) ミルバ (Milva) の“草原(LA PIANURA)”があります。ピエトロ・ソフィッチは生涯で443曲を作っています。 1977年(第27回)サンレモ音楽祭は以上で終了です。
2019.03.18
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★マティア・バザール (compl) Matia Bazar 1975年ジェノヴァでバンドのジェットが発展的解消してロック、ポップス・バンド。メンバー交代を重ねながら現在も活動を続ける。 活動期間:1975年 – 現在 所属レコード会社:Farn music, Ariston, CGD, DDD, Polydor Records/PolyGram, Sony Music, Universal Music Group サンレモ音楽祭出場1回:1973年参加曲(ジェットとして)、77年参加、78年優勝,83年4位、85年10位、88年10位、92年5位、93年4位、2000年8位、01年第3位、02年優勝、05年第3位、12年参加 公式サイト:http://www.matiabazarofficial.com/ 1971年ジェノヴァで結成された4人編成のプログレッシブ・バンド、ジェット(J.E.T.)は73年サンレモ音楽祭に出場し“アニカ・ナ・オ”を歌いました。そのバック・コーラスにアントネッラ・ルッジェロ(Antonella Ruggiero)がいたとも言われています。しかしジェットは74年に解散します。 ジェット ジェットのメンバー構成 (太字はマティア・バザール結成メンバー) ・アルド・ステッリタ (Aldo Stellita):ベース、ヴォーカル 本名アルド・サルヴァトーレ・ステッリタ(Aldo Salvatore Stellìta) 1947年8月2日シチリア島最西端近くの小さな町カンポベッロ・ディ・マツァーラ(a Campobello di Mazara)生れ学生時代をジェノヴァでおくる、1998年7月9日イタリア最東北部の都市ウーディネ(Udine)没、作詞家、歌手、ベース奏者。マティア・バザールの創立メンバーの一人でジェット、マティア・バザールの「静かなる」リーダー。 ・ピエロ・カッサーノ (Piero Cassano):キーボード、作曲 本名ピエランジェロ・エウジェニオ・カッサーノ(Pierangelo Eugenio Cassano) 1948年9月13日ジェノヴァ生、作曲家、編曲家、演奏家、歌手。マティア・バザールの創立メンバーの一人で81年に脱退し、ソロ歌手として82年サンレモ音楽祭で参加曲に終わる、同年ヤマハ国際歌謡祭出場。 ・カルロ・マッラーレ (Carlo Marrale):ギター、ヴォーカル 1952年3月15日ジェノヴァ生、歌手、ギタリスト、仇名は」ビンボ(Bimbo)。マティア・バザールの創立メンバーの一人で93年に脱退し、ソロ歌手として94年サンレモ音楽祭出場15位。 ・レンゾ・コッキス (Renzo Cochis):ドラム、作曲 仇名がルッチ(Rucci)という以外は一切不明 マティアことアントネラ・ルッジェーロ(Antonella Ruggiero)はジェノヴァに生まれ、美術研究所でデザインの勉強をし,短期間ですがグラフィック・デザイナーとして広告代理店で働きます。 アントネラのイタリア版ウィキペディアではジェットの唯一のLPでバッキング・コーラスに参加したと書いてあります。 経過分は不明ですがアントネッラをアリストンのオーナーのアルフレッド・ロッシ(Alfredo Rossi)が見出し、彼女の才能を開花させ新たな音楽を作ろうと思いました。 その頃ドゥリウムに所属してサンレモ音楽祭にも出場したプログレッシブ・バンドですが今一つ陽の目を見ないジェットが解散したところでした。ロッシは同郷の女性ヴォーカリストとプログレ・バンドを合体させることを思いつきました。 まずアントネラ・ルッジェーロをマティアとしてステッリタとカッサーノの曲でソロ・デビューさせました。バックはジェットのメンバーが付けています。 AR-0634 (1974年 Ariston – Ariston) La Strada Del Perdono (ひとすじの途)/Io Matia (私はマティア) (come Matia) AR-0634 75年ジェットのメンバー3人を残し、ドラムスのレンゾ・コッキスを73年解散したプログレッシブ・バンド、ムゼオ・ローゼンバッハ(I Museo Rosenbach.)のドラムス、ジャンカルロ・ゴルツィ(Giancarlo Golzi)に交代させ、さらに女性ヴォーカルのマティア(Matia)ことアントネッラ・ルッジェーを加えて5人編成バンド、マティア・バザール(Matia Bazar)として再出発させます。 マティア・バザール結成メンバー (太字は旧ジェットのメンバー) ・アルド・ステッリタ (Aldo Stellita):ベース、ヴォーカル、リーダー[在籍1975 -98年] ・ピエロ・カッサーノ (Piero Cassano):キーボード、作曲 [在籍1975-81; 99-2017年] ・カルロ・マッラーレ (Carlo Marrale):ギター、ヴォーカル[在籍1975-93年] (以上3人はジェットの項ご参照) ・ジャンカルロ・ゴルツィ (Giancarlo Golzi):ドラムス、作詞 [在籍1975-2015年] 1952年2月10日サンレモ生.-2015年8月12日サンレモの西5kmにある町ボルディゲーラ(Bordighera)没。元ムゼオ・ローゼンバッハのドラムス、元サンレモ市長ジョヴェナーレ・ボッティーニ(Giovenale Bottini)のイトコ、2003年までサンレモ音楽祭新人の部出場者登竜門、アカデミア・ディ・サンレモの監督も務めた。 ・アントネッラ・ルッジェロ (Antonella Ruggiero):女声ヴォーカルのマティア1952年11月15日にジェノヴァ生。自作自演歌手 [在籍1975 -89年] マティ・バザールのプロデューサー、編曲者のロベルト・コロンボ(Roberto Colombo)と結婚し、息子ガブリエレ(Gabriele)の出産を含め7年間活動中止後、96年からソロ歌手として活動を再開しました。 彼らのデビューは75年夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“夜をとどめて”でした。初戦敗退でしたが75年年間ヒット・ランク69位に入るヒットとなります。 AR-00669 (1975年3月 Ariston – Dischi Ricordi) Stasera...Che Sera! (夜をとどめて)/Io, Matia (私はマティア) AR-00669 AR-00720 AR-00720 (1975年11月 Ariston – Dischi Ricordi) Per Un'Ora D'Amore (ひとときの愛のために)/Cavallo Bianco (白い馬) 第2弾は11月に“ひとときの愛のために”ですが、これも翌76年年間ヒット・ランク97位に入ります。 この成功で76年3月、早速アルバム「マティア・バザール1(Matia Bazar 1」」が作られ、日本でも1989年12月になってCDで発売されました。初期のマティア・バザールを知るには貴重な盤です。 AR・LP-12283 OX-3067 MPIT-1009 AR・LP-12283 (1976年3月 Ariston – Dischi Ricordi) Matia Bazar 1 OX-3067 (1977年 Oxford – Dischi Ricordi) Matia Bazar 1 MPIT-1009 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) Matia Bazar 1 MPICD-1009 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) CD Matia Bazar 1 [5 012984 100923] 7-86615・2 (1995年 Virgin – Virgin Dischi) CD Matia Bazar 1 [077778661528] CDM-7・86615・2 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) CD Matia Bazar 1 [077778661528] 1.Per Un'Ora D'Amore (ひとときの愛のために) 2.Cavallo Bianco (白い馬) 3.Ma Che Giornata Strana (白日夢) 4.Blue (ブルー) 5.Un Domani Sempre Pieno Di Te (幸せの明日) 6.Stasera Che Sera (夜をとどめて) 7.Suffering From Memories (サファリング・フロム・メモリー) 8.Limericks (リムリックス) 9.Io, Matia (私はマティア) 10.Gente D'Ogni Età (世代) MPICD-1009 7-86615 CDM-7・86615・2 76年に発売されたシングルは“悪戯”のみです。この曲も同年年間ヒット・ランク80位になります。 AR-00754 (1976年 Ariston – Dischi Ricordi) Che Male Fa (悪戯)/ Un Domani Sempre Pieno Di Te (幸せの明日) AR-00754 AR-00772 AR-00772 (1977年 Ariston – Dischi Ricordi) Ma Perchè? (恋の冒険)/Se... (もしも...) これらの実績で直ぐ翌77年サンレモ音楽祭に出場する権利を得ました。出場曲は“恋の冒険”を歌いますが入賞出来ませんでした。しかし同年年間ヒット・ランク42位になるヒットになります。 サンレモ終了後ただちにセカンド・アルバム「グランバザール(Gran Bazar)」が出ました。新人のため曲が揃わずA面5曲はライヴ録音でした。 AR・LP-12320 OX-3091 AR・LP-12320 (1977年3月 Ariston – Dischi Ricordi) Gran Bazar AR・LP-12320 (1977年 Ariston – Dischi Ricordi) Matia Bazar OX-3091 (1978年 Oxford – Dischi Ricordi) Gran Bazar MPIT-1010 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) Gran Bazar MPICD-1010 (1991年 Virgin – Virgin Dischi) CD Gran Bazar [5 012984 101029] 7-88072・2 (1995年 Virgin – Virgin Dischi) CD Gran Bazar [077778 807223] 1.Gran Bazar (グランバザール) 2.Yesterday (イエスタデイ) 3.Noi... (私たち) 4.Che Male Fa (悪戯) 5.Per Un Minuto E Poi... (一時のために...そして) 6.Se... (もしも...) 7.La Strada Del Perdono (ひとすじの途) 8.Ma Perché (恋の冒険) MPIT-1010 MPICD-1010 7-88072・2 続いて出したシングル盤“ソロ・トゥ”が決定打となります。週間ナンバー・ワンを取り、年間ヒット・ランクが3位のメガ・ヒットでした。これでマティア・バザールの評価はサンレモ音楽祭の『真の勝利者』とされました。 AR-00793 (1977年 Ariston – Dischi Ricordi) Solo Tu (ソロ・トゥ)/Per Un Minuto E Poi ... (一時のために...そして) AR-00793 ARX-16003ARX-16003 (1977年 Ariston – Dischi Ricordi) Mix 12" Ma Perchè? (恋の冒険)/Che Male Fa (悪戯) “恋の冒険”と“悪戯”の入ったマキシ・シングルも発売されました。 マティア・バザ-ルの国内盤 GP- 382 (1975年9月 SEVEN SEAS - キング) サン・ヴァンサン音楽祭/夏のディスク・フェスティヴァル1975 (ST. VINCENT FESTIVAL/UN DISCO PER L'ESTATE 1975) 7.夜をとどめて (STASERA... CHE SERA!) GP- 382 GXC- 5~6 GXC- 5~6 (1977年2月21日 SEVEN SEAS - キング) 2LP ネグロ・炎・別離のローマ空港/イタリアン・ポップスの新星たち (NEGRO/NESSUNO MAI/VOLO AZ504 ITALIAN POPS ALL STARS) 2-11.ひとときの愛のために (PER UN'ORA D'AMORE) 2-12.夜をとどめて (STASERA CHE SERA) GP- 483 (1977年6月 SEVEN SEAS - キング) 第27回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1977) 4.恋の冒険 (MA PERCHE') GP- 483 マティア・バザール 3は1978年サンレモ音楽祭の後に続きます
2019.03.15
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★ドナテッラ・レットーレ (vf) Donatella Rettore 1955年7月8日ヴェネツィアの北西20kmにある小都市カステルフランコ・ヴェネート(Castelfranco Veneto)生。自作自演歌手、女優。レットーレを芸名とした時期もある。 AR-00934 活動期間:1973 – 現在 所属レコード会社:Edibi, Produttori Associati, Ariston, CGD, Ricordi, Bubble, Lupus,Fonit Cetra, RCA Italiana, Ros, Tring International, Sony, Nar International, Novunque, Edel サンレモ音楽祭出場4回:1974年参加、77年入賞、86年13位、94年10位 サンレモ音楽祭出品4曲:78年入賞”Ora”と自分の出場曲で86年以外の3曲 公式サイト:http://www.rettore.com/ 1976年ブルーベルを継承し、ファブリツィオ・デ・アンドレ(Fabrizio De Andrè)やアルンニ・デル・ソーレ(Gli Alunni del Sole)が在籍したことで知られるP.A.(プロドットリ・アソシアーティ)に移籍してシングル盤“Lailolà”を出し、ドイツやスイスなどヨーロッパ諸国でヒット。世界で500万枚売れる大きな商業成功を得ました。B面の“La Berta”はサンレモ出場出場曲を収めたセカンド・アルバムのテーマ曲となりました。 PA・NP-3251 (1976年 Produttori Associati – Dischi Ricordi) Lailolà/La Berta PA・NP-3251 PA・NP-3264 PA・NP-3264 (1977年 Produttori Associati – Dischi Ricordi) Carmela (オー! カルメラ!)/ I Suoi Baci Negli Occhi 77年サンレモ音楽祭に2度目の出場を果たします。出場曲は“オー! カルメラ!”でレコードは『オー』が付いていませんが、RAIのTV中継画面では“Oh, Carmela!!”となっています。彼女自身とパートナー(21世紀になって結婚)のクラウディオ・レゴ(Claudio Rego)の作でカントリー・フォーク調ですが、内容は極めて政治的反体制フォーク・ソングです。 この頃のドナテラ・レットーレはちょうど女ルチオ・ダッラ(Lucio Dalla)と言ったところでしょうか。 77年サンレモ音楽祭出場曲“オー! カルメラ!”が入ったアルアム「Donatella Rettore」をP.A.から出しました。彼女にとってセカンド・アルバムです。これを残してアリストンに移籍しました。 PA・LP- 75 (1977年 Produttori Associati – Dischi Ricordi) Donatella Rettore ORL- 8484 (1980年 Orizzonte – Dischi Ricordi) Donatella Rettore 1.Carmela (オー! カルメラ!) 2.I Suoi Baci Negli Occhi 3.La Berta 4.Nel Viale Della Scuola É Sempre Autunno 5.Il Patriarca 6.Padre, Non Piangere 7.É Morto Un Artista 8.Caro Preside 9.Svegliati 10.Gabriele PA・LP- 75 ORL- 8484 80年アリストンからダンス・ミュージックを取入れた女性ポップ・ロック歌手、レットーレとして“英雄(Eroe)”で再デビューします。パートナーのクラウディオ・レゴの考えか、ドナテッラの考えか分りません。“Eroe (英雄)”は彼女のお気に入りの1曲になったようですが、ヒット・チャートに載りませんでした.しかし方向性は間違いなかったようです。 AR-00840 (1978年 Ariston – Dischi Ricordi) Eroe (英雄)/ L'Aquila Nera AR-00840 AR-00857 AR-00857 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Splendido Splendente (スプレンディード)/Salvami 翌79年アリストンで2枚目のシングル“スプレンディード”を出しました。これが年間ヒット・ランク21位になる超特大のヒットになり、レットーレの『華麗なる変身』は見事な大成功となります。 この大ヒットですぐにアルバム「Brivido Divino」が製作されました。レットーレにとってサード・アルバム、ヨーロッパ全土で発売されます。ジャケットは左上から右下に対角線に切られたポケット状にしたジャケットにカラー・レコードを差込むというユニークなものでした。こちらも79年年間ベスト・セラー32位と大成功を収めました。夏の国内ツアーを実施しました。 AR・LP-12353 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Brivido Divino OX-3191 (1981年 Oxford – Dischi Ricordi) Brivido Divino 74321-87093・2 (2001年 Ricordi – BMG Ricordi) CD Brivido Divino 1.Brivido 2.Salvami 3.Il Mimo 4.Splendido Splendente (スプレンディード) 5.Eroe (英雄) 6.L'Aquila Nera 7.La Mia Più Bella Canzone D'Amore 8.Divino Divina 9.Brilla AR・LP-12353 OX-3191 74321-87093・2 80年大胆で挑戦的な内容の曲“コブラ”を発売しました。この曲で9月に決勝戦が行われるフェスティヴァル・バールに出場し、ミケール・ボゼ(Miguel Bosé)の“Olympic Games”に次ぐ成績で、80年年間ヒット・ランク13位のメガ。ヒットになります。 AR-00893 (1980年4月 Ariston – Dischi Ricordi) Kobra (コブラ)/Delirio AR-00893 AR・LP- 12377 74321-91074・2 AR・LP- 12377 (1980年 Ariston – Dischi Ricordi) Magnifico Delirio 74321-91074・2 (2002年 Ricordi – BMG Ricordi) CD Magnifico Delirio [0743219107428] 1.Delirio 2.Gaio 3.Benvenuto 4.Kobra (コブラ) 5.Stregoneria 6.Leonessa 7.Magnifica 8.Le Mani 9.Il Granchio “コブラ”の大成功でフォース・アルバム「Magnifico Delirio」が製作されました。ジャケットはご覧のようにレットーレをコブラにしたデザインで、これに黄色、赤、緑のどれかの色のプラスチク製格子が付いていて,レットーレ・コブラを捕えておくというデザインでした。80年年間ベストセラー23位という大成功をしています。アリストンはレットーレとマティア・バザ-ルのおかげで息を吹返します。 80年代前半レットーレが一番派手に活劇した時期でした。雑誌にセミ・ヌードのピンナップを載せ、イタリアの女性パンク・ロッカーとしてマス・メディアに取上げられます。 アルバム「Magnifico Delirio」から4曲をカットしてマキシ・シングルとして発売もされています。 ARX-16020 (1980年 Ariston – Dischi Ricordi) 30cm Maxi 1.Magnifica 2.Delirio 3.Benvenuto 4.Leonessa ARX-16020 この年初めてジャンカルロ・プレーテ(Giancarlo Prete)監督の映画「La Ragazza Che Portava Fortuna」に出演しました。 81年シングル曲“Rettore”を出しました。この曲はまだイタリアでは珍しかった最も踊りやすいスカの曲としてディスコで流行。同年のフェスティヴァル・バールに出場し優勝、年間ヒット・ランク17位の大ヒットとなります。 AR-00913 (1981年4月 Ariston – Dischi Ricordi) Donatella (ドナテッラ)/Clamoroso AR-00913 AR・LP-12387 74321-95376・2 AR・LP-12387 (1981年 Ariston – Dischi Ricordi) Rettore – Estasi Clamorosa 74321-95376・2 (2002年 Ricordi – BMG Ricordi) CD Rettore – Estasi Clamorosa [0 743219 537621] 1.Diva 2.Curiosa 3.Mamma 4.Estasi (恍惚) 5.Donatella (ドナテッラ) 6.Gotta Go (Gola Giù-Liva) 7.Meteora 8.Il Filo Della Notte 9.Clamoroso 10.Verrò 11.Remember またアルバム「Rettore – Estasi Clamorosa」で最後の曲“Remember”はエルトン・ジョン (Elton John)がレットーレのために作り、そのまま英語で歌ったことが話題となりました。81年年間ベストセラー28位で前作「Magnifico Delirio」には及ばなかったもののゴールド・ディスクとなり大成功でした。 日本の過去と現代文化に興味を持っているレットーレはアルバム「Rettore – Kamikaze Rock 'n' Roll Suicide (直訳はレットーレ/神風ロックン・ロール・自殺)」で日本人にとっての自殺をテーマにしています。アルバムは82年年間ベストセラー69位になっています。日本でも翌83年1月にこのアルバムの国内盤とシングル盤“神風ロックン・ロール”/“腹切”が発売されました。 AR・LP-12398 (1982年 Ariston – Dischi Ricordi) Rettore – Kamikaze Rock 'n' Roll Suicide 74321-95375・2 (2002年 Ricordi – BMG Ricordi) CD Rettore – Kamikaze Rock 'n' Roll Suicide [743219537522] 1.Kamikaze Rock 'n' Roll Suicide (神風ロックン・ロール) 2.Karakiri (腹切) 3.Oblio (忘却) 4.Sayonara (さようなら) 5.Lamette (刄) 6.Garage (ガレージ) 7.Sangue Del Mio Sangue (私の血) 8.Canta Sempre (いつも歌って) 9.Giulietta (ジュリエッタ) AR・LP-12398 74321-95375・2 AR-00934 (1982年5月 Ariston – Dischi Ricordi) Lamette (刄)82#44/ Canta Sempre (いつも歌って) ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 アルバムからシングルカットされた“刄”は年間ヒット・ランク44位になります。テーマ自体が重たいこともありますが、彼女の勢いが少し衰えてきたようです。 82年イギリスのゲイリー・オズボーン(Gary Osborne)とリチャード・カー(Richard Kerr)の作った“This Time”を出しました。同年年間ヒット・ランク47位になります。 AR-00938 (1982年 Ariston – Dischi Ricordi) This Time/M'È Scoppiata La Testa AR-00938 AR・LP-12400 AR・LP-12400 (1982年 Ariston – Dischi Ricordi) Rettore – Super Rock 1.This Time 2.Eroe (英雄) 3.Benvenuto 4.Estasi (恍惚) 5. Donatella (ドナテッラ) 6.Kobra (コブラ) 7.M' É Scoppiata La Testa 8.Remember 9.Brivido 10.Splendido Splendente (スプレンディード) シングル盤の2曲と既発売曲を集めたアルバム「Rettore – Super Rock」を出しましたが、年間アルバム・チャートには入りません。 82年出版系Profili Musicaliから特販物として編集ベスト盤が出ています。 SRIC-026 (1982年Profili Musicali – Dischi Ricordi)Rettore 1.Kobra (コブラ) 2.Diva 3.Donatella (ドナテッラ) 4.Eroe (英雄) 5.Remember 6.L'Aquila Nera 7.La Mia Piu Bella Canzone D'Amore 8.Clamoroso SRIC-026 同年2度目の映画出演で主演女優をつとめます。ウンベルト・レンツィ(Umberto Lenzi)監督の「Lenzi Cicciabomba (Fatty Girl Goes to New York)」でした。映画は太り過ぎの女子高校生がみんなから苛められ、80ポンド減量するとニューヨーク旅行がもらえる企画に挑戦、成功して皆を見返すというお話。役作りで体重の増量と減量に大変苦労したようです。 レットーレの国内盤 K07S- 7036 (1983年1月21日 SEVEN SEAS - キング) 神風ロックン・ロール (KAMIKAZE ROCK'N'ROLL SUICIDE)/腹切 (HARAKIRI) K07S- 7036 K28P- 310 K28P- 310 (1983年1月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP神風ロックン・ロール/レットーレ (KAMIKAZE ROCK'N'ROLL SUICIDE) 1.神風ロックン・ロール (KAMIKAZE ROCK'N'ROLL SUICIDE) 2.腹切 (HARAKIRI) 3.忘却 (OBLIO) 4.さようなら (SAYONARA) 5.刄 (LAMETTE) 6.ガレージ (GARAGE) 7.私の血 (SANGUE DEL MIO SANGUE) 8.いつも歌って (CANTA SEMPRE) 9.ジュリエッタ (GIULIETTA) ドナテラ・レットーレ 3は1986年サンレモ音楽祭の後に続きます
2019.03.12
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★ウンベルト・ナポリターノ (vm) Umberto Napolitano 1947年3月25日ミラノの東50kmにあるロンバルディア州の中都市ブレシア(Brescia)生、歌手、作詞・作曲家。デビューから1972年までウンベルトの芸名を使った。 活動期間:1964年 – 現在 所属レコード会社:Vedette, Jolly, RCA Talent, RCA Milano, Durium, Warner Bros. Records, Why Records, Amiamoci, Fonit Cetra, Harmony, Esquire Records, NAR(Iperspazio), Dig-It, Fuego, D.V. More, Dielle Record サンレモ音楽祭出品3回:1977年参加、79年9位、81年参加、 サンレモ音楽祭出品6曲:1967年参加、70年参加、76年参加、自己出場曲 公式サイト:https://myspace.com/umbinapolitano 1947年北イタリアのブレシアで生まれました。その後一家はトリノに引越し、マエストロ、アドリアーノ・デ・グランディス(Adriano De Grandis)の元で音楽の勉強をします。一方で彼は作曲の勉強も始めました。 そしてミラノにあるピアニストで楽団オーナーのフランコ・ネッピア(Franco Nebbia)が作ったキャヴァレーで60年代半ばに歌手として活動を始めました。 ヴェデッテと契約が出来、このレコード会社に所属していたフォーク・ロック系のカンタウトゥーリ、ジャン・ピエレッティ(Gian Pieretti)とH.ティカル(H. Tical)ことヴェデッテのオーナーで楽団主アルマンド・サーシァ(Armando Sciascia)の作った曲“La Croce Di Un Uomo”で芸名をウンベルト・マイ(Umberto Maj)としてレコード・デビューをしました。 VVN-33676 (1964年Vedette – Ri Fi) La Croce Di Un Uomo/Ti Prego, Torna ! (come Umberto Maj) VVN-33676 2年後の66年芸名をウンベルトとしてサールのジョリー・レーベルから当時流行していたフォーク・ロック系歌手として“Guarda Il Mondo”を歌い再デビューしました。 J-20378X45 (1966年6月 Jolly - SAAR) Guarda Il Mondo/La Vita Del Bar (come Umberto) J-20378X45 J-20385X45 J-20385X45 (1966年 Jolly - SAAR) Chitarre Contro La Guerra (戦争に向かうギター)/Che Ragioni Come Te (come Umberto) ジョリーでの2作目はローマのヒルトン・ホテルで開催された第2回ばらのフェスティヴァル(Festival delle Rose)でマリオ・デ・サンッチェス(Mario De Sanctis)と作った“戦争に向かうギター”をカルメン・ヴィラーニ(Carmen Villani)をパートナーに歌い、観光賞を受賞しました。ヴィラーニのタイトルは“Mille Chitarre Contro La Guerra”です。彼女が反戦フォーク曲を歌った子をは話題となりました。 そしてライターとして同じレコード会社のビートニック・バンドのスクータース(Gli Scooters)に“Le pigne in testa”やジェレッミ(I Gemelli)に“Dove Sei”を書いています。 67年夏のディスク・フェスティヴァル出場に“Gioventù”で出場し、本選に進むことが出来ました。 J-20414X45 (1967年4月 Jolly - SAAR) Gioventù [Un Disco Per L'Estate 1967]/Noi, Noi, Noi, Noi (come Umberto) J-20414X45 J-20430X45 J-20430X45 (1967年 Jolly - SAAR) Ferma La Musica/Mia Cara Ragazza (come Umberto) 67年11月から始まったサンレモ司会者でもあったマイク・ボンジョルノ(Mike Bomgiorno)のラジオ番組「Ferma La Musica」のテーマ・ソング“Ferma La Musica”を歌うことになりました。 一方ライターとしてはジョリーの女性歌手ロベルタ・マッツォーニ(Roberta Mazzoni)の日本でもシングル盤が発売された“Ho paura (さよならが云えない)”や彼の名前を印象付けることtなった前年鮮烈な再デビューを果たしたビート・ニック女王カテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)が歌う67年サンレモ音楽祭出場曲“Il Cammino Di Ogni Speranza (風に消えた恋)”を書いたことでした。 しかし歌手としては大成しておらず、68年にRCAイタリアーナの新人育成レーベルでナーダ(Nada)がデビューしたタレントに移籍し“Cade La Pioggia”を出しました。68年ライターとして後にPMFとなるクェッリ(Quell)に“Mi sentivo strano (変な気がした)”、ボビー・ソロ(Bobbby Solo)やリッキー・ジャンコ(Ricky Gianco)には“I Miei Pensieri (想いはるかに)”、リタ・パヴォーネ(Rita Pavone)の“Il Raffreddore”などリコルディの歌手に曲を提供しています。 TL- 12 (1968年 RCA Talent – RCA Italiana) Cade La Pioggia/Chiudo Gli Occhi (come Umberto) TL- 12 M- 5 M- 5 (1969年 RCA Milano - RCA Italina) Occhi Caldi/Tante Porte, Tante Finestre (come Umberto) 翌69年RCAイタリアーナのサブ・レーベル、RCAミラノに移り“Occhi Caldi”を出しましたが成功しませんでした。この年の後半ドゥリウムに移籍しました。サンレモ音楽祭司会者でもあるピッポ・バウド(Pippo Baudo.)の新人歌手挑戦番組「セッテヴォーチ(Settevoci)」で決勝進出した曲“A Laura”を出しています。 Ld・A-7656 (1969年 Durium - Durium) A Laura/Inverno (come Umberto) Ld・A-7656 Ld・A-7688 Ld・A-7688 (1970年 Durium - Durium) Fiori Sul Davanzale/Ragazza Innamorata (come Umberto) 70年ドゥリウムの2枚目は“Fiori Sul Davanzale”です。ランターとしては70年サンレモ音楽祭出場曲“Ahi ahi ragazzo! (アイ・アイ・ラガッツォ)”を書き、リタ・パヴォーネとバレリア・モンガルディーニ(Valeria Mongardini)が歌っています。 71年にウンベルト自身はレコードを出していませんが、ロッサーノ(Rossano)に“Le Piccole Domande Dell'Amore”を書きました。 72年に出した“La Prima Volta”だけはピクチャー・スリーブの画像が見つかりませんでした。これがドゥリウム最後のレコードになります。同年にはドゥリウム所属の女性歌手ドリ・ゲッツィ(Dori Ghezzi)に“Ma chi è che cos'è (わからないの)”を提供し、日本でもシングル盤が発売されています。 Ld・A-7749 (1972年 Durium - Durium) La Prima Volta/Il Viaggio (come Umberto) Ld・A-7749 AR-0596 AR-0596 (1973年7月Ariston - Ariston) Era Tanto Tempo Fa/La Ballata Del Pendolare 73年アリストンに移籍し“Era Tanto Tempo Fa”を本名ウンベルト・ナポリタ-ノ(Umberto Napolitano)で出しています。ライターとしてはアリストンの新人女性歌手ジュリダ・ジュリアーニ(Gilda Giuliani)に“Amore Amore Immenso (愛に生きる)”を書いています。アリストンではこの1枚だけでした。 1年間空白期間がありましたが、ウンベルト・ナポリタ-ノは75年設立されたばかりのWEAイタリアーナのワーナー・レーベルに入社しました。これまでライターの地位の方が高く、歌手としての成功が得られませんでしたが、ようやく陽の目を見るようになります。出したシングル盤“Ora Il Disco Va”は週間ランキング最高位35位(在位6週間)と地味ながら小ヒットをしました。ライターとしての仕事はノマーディ(I Nomadi)に夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“Senza Discutere”を提供しています。 T-16629 (1975年 Warner Bros. Records – WEA Italiana (Messaggerie Musicali)) Ora Il Disco Va/Irlanda T-16629 T-16809 T-16809 (1976年 Warner Bros. Records – WEA Italiana (Messaggerie Musicali)) Oggi Settembre 26/Il Cuscino Blu 翌76年は“Oggi Settembre 26”は週間ランキング最高位47位(在位3週間)とまことに地味なヒットとなります。ライターとしてはミア・マルティーニ(Mia Martini)の妹ロレダーナ・ベルテ(Loredana Bertè)に“Meglio Libera”を、WEAイタリアーナのアトランティック・レーベル在籍するサビーナ・チュッフィーニ(Sabina Ciuffini)に“No, No, No”を提供しています。 このように地道な実績の積み上げが認められ、77年サンレモ音楽祭に“コンテ・チ・スト”で出場しましたが入賞は出来ませんでした。週間ランキング最高位47位(在位3週間)いつもながら目立たない存在です。 T-16911 (1977年 Warner Bros. Records – WEA Italiana (Messaggerie Musicali)) Con Te Ci Sto (コンテ・チ・スト)/ Li Guardi Sempre Prima Tu T-16911 T-17033 T-17033 (1977年 Warner Bros. Records – WEA Italiana (Messaggerie Musicali)) Come Ti Chiami /Hey Musino サンレモ後に出した“Come Ti Chiami”も週間ランキング最高位44位(在位1週のみ)でした。とは言え、サンレモ音楽祭出場は歌手としては大きな実績で、レコード歌手デビュー13年目にしてファースト・アルバム「Giro Di "Do" - Una Canzone D'Amore Per Ogni Innamorato」を出すことが出来ました。 T-56376 (1977年 Warner Bros. Records – WEA Italiana (Messaggerie Musicali)) Giro Di "Do" - Una Canzone D'Amore Per Ogni Innamorato 1.Come Ti Chiami 2.Hey Musino 3.Nel Nostro Mondo 4.Il Cuscino Blu 5.Li Guardi Sempre Prima 6.Con Te Ci Sto (コンテ・チ・スト) 7.Io Non Posso Fare Il Tuo Nome 8.Autunno 9.Oda Il Disco Va 10.Oggi Settembre 26 T-56376 T-17184 T-17184 (1978年 It Why – WEA Italiana) Amiamoci/L'Ultimo Falò 78年出来たばかりのレーベル、イット・ホワイ(It Why)に移籍し、“Amiamoci”をだしました。ウンベルト・ナポリタ-ノはその後アミアーモチ(『私たちは愛します』の意味)を自分のレーベル名に使います。 ウンベルト・ナポリターノの国内盤はありません(ご参考) HIT-1481 (1967年12月10日 SEVEN SEAS - キング) さよならが云えない (HO PAURA)/はてしない想い (UN GRANDE AMORE) HIT-1481 HIT-1426 HIT-1426 (1967年3月20日 SEVEN SEAS - キング) 風に消えた恋 (IL CAMMINO DI OGNI SPERANZA)/恋の100日 (CENTO GIORNI) BVCM-35448 (2008年9月10日 RICORDI - BMGジャパン) CDクェッリ/クェッリ (I QUELLI/I QUELLI) 5.変な気がした (MI SENTIVO STRANO) BVCM-35448 HIT-1552 HIT-1552 (1968年10月 SEVEN SEAS - キング) 想いはるかに (I MIEI PENSIERI)/昼の夢 (SIESTA) SHP-6122 (1970年5月 5日 RCA - 日本ビクター) 30cm LP サンレモ1970 (SAN REMO 1970) 5.アイ・アイ・ラガッツォ (AHI, AHI RAGAZZO) [リタ・パヴォーネ] 11.アイ・アイ・ラガッツォ (AHI, AHI RAGAZZO) [バレリア・モンガルディーニ] SHP-6122 JET-2149 JET-2149 (1973年1月 5日 GLOBE - ビクター音楽産業) 恋は水車のように (GIRA LA ROUT)/わからないの (MA CHI E' CHE COS'E') SR- 856 (1974年2月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 愛の流れの中に/ジルダ・ジュリアーニ (PARIGI A VOLTE COSA FA/GILDA GIULIANI) 6.愛に生きる (AMORE AMORE IMMENSO) SR- 856 ウンベルト・ナポリターノ 2は1979年サンレモ音楽祭の後に続きます
2019.03.09
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★サント・カリフォルニア,{イ・} (compl) Santo California1970年代ナポリで結成されたラ・ヌオヴァ・フロンティエーラ(La Nuova Frontiera)がローマに進出してバンド名をサント・カリフォルニアに変えてデビュー。70年代後半のロマンティック・イタリアン・ポップスの代表的バンド。 活動期間:1974 – 現在所属レコード会社:Yep, Mia Records, Durium, Discomagicサンレモ音楽祭出場1回:1977年第3位公式サイト:結成時メンバー(太字:サンレモ音楽祭出場メンバー)・ピエロ・バルベッラ(Pietro Barbella) キー・ボード、ヴォーカル本名ピエロ・パオロ・バルベッラ(Pietro Paolo Barbella) 1951年アングリ(サレルノ) Angri (Salerno)生、(在籍1975年-)・ドナート・ファリーナ(Donato Farina) ドラムス、1958年ノチェッラ・インフェリオーレ(サレルノ)Nocera inferiore (Salerno)生、(在籍1975年-)・ジャンニ・ガリツィア(Gianni Galizia)ギター、1952年アングリ(サレルノ) Angri (Salerno)生、(在籍1975 -1990年)・ミンモ・アレッロ(Mimmo Aiello)本名ドメニコ・アレッロ (Domenico Aiello) ベース、1952年アングリ(サレルノ) Angri (Salerno)生、(在籍1975年-)・マッシーモ・カーソ(Massimo Caso) ギター、1958年ノチェッラ・インフェリオーレ(サレルノ)Nocera inferiore (Salerno)生、(在籍1975-1979年) 1977年サンレモ音楽祭で“モニカ”を歌い、同年年間ヒット・ランク62位がランキングの最後となりました。この曲の作者の一人にアンジェラ・クラッキオーロ(Angela Cracchiolo)がいます。彼女はアンジェラ・ビーニ(Angela Bini)と言う歌手で、サント・カリフォルニアのメンバーと言う説もありました。 週間ランキングも前作“Gabbiano”が最高38位(11週在位)でこの曲の作者にジュリオ・トドラーニ(Giulio Todrani)がいます。 トルトラーニの名前を聞いてお分かりなら、95年サンレモ音楽祭優勝歌手ジョルジァ(本名:Giorgia Todrani)の父で、この頃イェップのもう一組のスター、ユリ&ジュリー(Juli & Julie)のユリをお判りでしょう。ならジュリーはアンジェラ・クラッキオーロなのです。私は夫婦デュオと思っていましたが間違いでした。サント・カリフォルニアの楽曲にもこの二人が関わります。 尚ジュリーは82年のサンレモ音楽祭に出場したので、彼女の事とユリ&ジュリーの事はその時に書きましょう。 78年になって出したシングル“Manuela, Amore!!”はもう完全に飽きられたようです。YEP-00700 (1978年 Yep) Manuela, Amore!!/Piange YEP-00700 リコルディの廉価盤シリーズ、オリゾンテからベスト盤「Il Meglio De I Santo California」が出されました。IT-03 (1978年 Orizzonte – Dischi Ricordi) Il Meglio De I Santo CaliforniaORL-8289 (1978年 Orizzonte – Dischi Ricordi) Il Meglio De I Santo California1. Ave Maria No! No! (アヴェ・マリア・ノー・ノー)2.Un Angelo (天使)3.Non Lasciarmi Più Solo4.Dolce Amore Mio5.Tornerò (トレビの泉)6.Gabbiano7.I Toui Occhi Sorridenti8.Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー)9.Tutto Uguale10.Preparo Quattro Righe11.Torno A Settembre12.Portami Tante RoseIT-03 ORL-8289 “ヴェネツィア”が入ったアルバム「Venus Serenade」はプログレッシブに変化しようとしたアルバムですが、反対に従来のファンが納得したか?大きな賭けでした。YEP-004419 (1979年 Yep – Dischi Ricordi) I Santo California – Venus Serenade1.Venus Serenade2.Io, Tu3.Un Fiore Rosa4.Ciao E Non Addio5.Venezia (ヴェネツィア) 6.Più Dell'Amore7.Che Giorno È8.La Verità9.Da Solo Qui10.Noi Ieri11.Venus Serenade FinYEP-004419 YEP-00712YEP-00712 (1979年 Yep) Venezia (ヴェネツィア)/Venus Serenade 79年の“Butterfly 2000”はディスコ・ミュージックの方に振れたかもしれません。YEP-000719 (1979年 Yep) Butterfly 2000/Il Giorno Più BelloYEP-000719 YEPX-001YEPX-001 (1979年11月16日 Yep) 12” Maxi Butterfly 2000/Butterfly 2000 (Instrumental) 78~79年に出たシングル盤曲と最新のシングル曲“Ti Perdono Amore Mio”を入れたアルアム「Ti Perdono Amore Mio – I Santo California」を出しました。そしてギターのマッシーモ・カーソが脱退し、サント・カリフォルニアはデビューしたイェップを離れ、最後のレコードとなります。YEP-00736 (1980年 Yep – Shopping Record) Ti Perdono Amore Mio/Il Giorno Più BelloYEP-00736 YEP-004427YEP-004427 (1980年 Yep – Dischi Ricordi) Ti Perdono Amore Mio – I Santo California1.Ti Perdono Amore Mio2.Ciao E Non Addio3.Io Qualche Anno In Più4.Il Giorno Più Bello5.Piange6.Io Tu7.Pazzo D'Amore8.Soli Io E Te9.Che Giorno È10.Più Dell'Amore 80年ローマで76年設立されたミア・レコーズ(Mia= Movimento Internazionale Artistico)からアルバム「Il Meglio Dei I Santo California」が発売されました。内容が分かりませんが、その後、DVモアから出たCD「Il Meglio Dei I Santo California」と同じ内容ではないかと思います。MR-2991 (1980年 Mia Records) Il Meglio Dei I Santo CaliforniaMIA-1623 (198?年 D.V.More – Disco Piu) CD Il Meglio Dei I Santo California1. Tornerò (トレビの泉)2.Un Angelo (天使)3.Gabbiano4.Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー)5.Torno A Settembre6.Monica (モニカ)7.Venezia (ヴェネツィア)8.Ave Maria No! No! (アヴェ・マリア・ノー・ノー)9.I Tuoi Occhi Sorridenti10.Dolce Amore MioMR-2991 MIA-1623 81年日本では映画のサントラ盤で知られるビート・レコーズ(Beat Records)のサブ・レーベル、ドゥーセからシングル盤“Aspettandoti”を出しています。BTF-123 (1981年 Duse – Fonit Cetra) Aspettandoti/Con LeiBTF-123 DE-3221DE-3221 (1982年 Durium -) Questa Melodia/Non Sei Tu 翌82年にはドゥリウムからシングル盤“Questa Melodia”が出ます。その後フォノグラムの傘下に入ったイェップに戻り、新譜の製作をします。5390-748 (1982年 Yep – Polygram) Amore Fragile/Ciao E Non Addio5390-748 5390-7615390-761 (1983年 Yep – Polygram) Lassù/Dove SeiZBYE-7352 (1984年Yep – RCA Italiana) Maledetto Cuore/Per TeZBYE-7352 ZCLYE-33367ZCLYE-33367 (1984年 Linea tre – RCA Italiana) Il Meglio De I Santo California1.Tornerò (トレビの泉)2.Un Angelo (天使)3.Gabbiano4.Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー)5.Monica (モニカ)6.Venezia (ヴェネツィア)7. Ave Maria No No (アヴェ・マリア・ノー・ノー)8.Dolce Amore Mio9. Manuela Amore10.Lassù11.I Tuoi Occhi Sorridenti 12.Sono Io イェップが販売権をRCAイタリアーナに移行し、彼らのレコードもRCAイタリアーナから発売されています。イェップは80年代後半になると経営が苦しくなり、一旦会社を閉鎖します。 90年サント・カリフォルニアは再生編集ベスト盤制作会社ダック・レコーズからセルフ・カヴァー・アルバムを出します。DKCD- 128 (1990年Duck Record – Duck Record) CD Il Meglio De I Santo California [8 012958 151286]MOCD-6052 (1996年Duck Record – Duck Record) CD Il Meglio De I Santo California [*]1*2. Ave Maria No! No! (アヴェ・マリア・ノー・ノー)2*12.Un Angelo (天使)3*4.Non Lasciarmi Più Solo4*5.Dolce Amore Mio5*1.Tornerò (トレビの泉)6*6.Gabbiano7*7.I Tuoi Occhi Sorridenti8*3.Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー)9*8.Monica (モニカ)10*9.Tutto Uguale11*10.Preparo Quattro Righe12*11.Torna A SettembreDKCD- 128 MOCD-6052 91年にはダンス・ミュージック大手のディスコ・マジックからセルフ・カヴァーを出しました。LP- 553 CD- 553LP- 553 (1991年 Discomagic - Disco Magic) TorneròCD- 553 (1991年 Disco Magic - Disco Magic) CD TorneròRMCD-4040 (1992年Replay Music – Butterfly Music) CD I Santo California – Dolce Amore Mio [8015670040401]1.Ave Maria No No (アヴェ・マリア・ノー・ノー)2.Gabbiano3.Tornerò (トレビの泉)4.Dolce Amore Mio5.Un Angelo (天使)6.Caro Compagno Joe7.Un Po' Di Pace8.Ma Cosa Sei9.Non Ti Cerco Più10.Perché So Che Sei Un Sogno11.Dimmi Come Si Fa RMCD-4040RMCD-9290 (1992年Replay Music – Butterfly Music) 2CD Box Santo California/Teppisti Dei Sogni - Suona Chitarra [8015670040401]+[8015670040418]=[8015670092905] RMCD-9290 94年3人のメンバーでPBRからの新曲アルバム「Per Un Mondo Migliore」を製作しました。(カタログ番号不明)。人類の霊とスピリチュアルな世界を歌ったコンセプト・アルバムでした。1994 Per Un Mondo Migliore (1994年 PBR Record)1.Il Viaggio Infinito2.Il Giardino Incantato3.Ninnanà4.Qualche Sogno In Più5.Sotto Voce6.Piccolo Concerto Per Un Grande Amore7.Il Segreto Della Vita8.Per Un Mondo Migliore9.199410.Gloria Alleluia CDDV-6036CDDV-6036 (1996年 D.V.More - D.V.More) CD I Santo California – Il Meglio Del Meglio1.Tornerò (トレビの泉)2.Un Angelo (天使)3.Gabbiano4.Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー)5.Monica (モニカ)6.Venezia (ヴェネツィア)7.Ave Maria No No (アヴェ・マリア・ノー・ノー)8.I Tuoi Occhi Sorridenti9.Dolce Amore Mio10.Più Dell'Amore11.Che Giorno È12.Io, Tu 96年再生編集ベスト盤制作会社のDVモアからセルフ・カヴァー・アルバム「I Santo California – Il Meglio Del Meglio」を発売しています。CDDV-6078 (1996年 D.V.More - D.V.More) CD I Santo California - I Successi: Tornero1.Tornerò (トレビの泉)2.Un Angelo (天使)3.Gabbiano4.Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー)5.Torno A Settembre6.Monica (モニカ)7.Venezia (ヴェネツィア)8.Ave Maria No! No! (アヴェ・マリア・ノー・ノー)9.I Tuoi Occhi Sorridenti10.Dolce Amore Mio11.Ma Cosa SeiCDDV-6078 PCD-2073PCD-2073 (2001年 It-Why - Pull) CD I Santo California Tornerò [8021939207324]1.Tornerò (トレビの泉)2.Dimmi Come Si Fa3.Ave Maria No, No (アヴェ・マリア・ノー・ノー)4.Dolce Amore Mio5.Un Po' Di Pace6.Gabiano「」7.Perché So Che Sei Un Sogno8.Un Angelo (天使)9.Caro Compagno Joe10.Non ti cergo piu11.Ma Cosa Sei 2001年編集ベスト盤制作会社プルのイットホワイ・レーベルからセルフ・カヴァー・アルバム「I Santo California Tornerò」が発売されました。 2003年MBOからセルフ・カヴァー・アルバム「Santo California Il Meglio」を5人メンバーで作りました。メンバー構成は不明です。MBO-300345・7 (2003年 MBO – Universal Music) CD Santo California Il Meglio [3259130034578]1.Tornerò (トレビの泉)2 Ave Mario No No3Monica (モニカ)4 Gabbiano5 Equador6 Lassù7 Amore Fragile8 Maledetto Cuore9 Un Fiore Rosa10 Noi Ieri11 Paese Mio12 Ti Perdono Amore Mio13Un Angelo (天使)14 Dolce Amore MioMBO-300345・7 SMI-785・DDDSMI-785・DDD (2006年 SMI=Sound Music International) CD I Successi - Santo California [8032779967859] 1.Tornerò (トレビの泉)2.Un Angelo (天使) 3.Caro Compagno Joe4.Dimmi Come Si Fa5.Ave Maria No No 6.Dolce Amore Mio7.Un Po' Di Pace8.Gabbiano9.So Che Sei Un Sogno10.Non Ti Cerco Più11.Ma Cosa Sei 2006年SMIからヒット曲を集めた編集ベスト・カヴァー・アルバム「I Successi - Santo California」が出ましたが、何人のどんなメンバーかも不明です。サント・カリフォルニアは以上です。
2019.03.06
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★サント・カリフォルニア,{イ・} (compl) Santo California 1970年代ナポリで結成されたラ・ヌオヴァ・フロンティエーラ(La Nuova Frontiera)がローマに進出してバンド名をサント・カリフォルニアに変えてデビュー。70年代後半のロマンティック・イタリアン・ポップスの代表的バンド。 活動期間:1974 – 現在 所属レコード会社:Yep, Mia Records, Durium, Discomagic サンレモ音楽祭出場1回:1977年第3位 公式サイト: 結成時メンバー(太字:サンレモ音楽祭出場メンバー) ・ピエロ・バルベッラ(Pietro Barbella) キー・ボード、ヴォーカル本名ピエロ・パオロ・バルベッラ(Pietro Paolo Barbella) 1951年アングリ(サレルノ) Angri (Salerno)生、(在籍1975年-) ・ドナート・ファリーナ(Donato Farina) ドラムス、1958年ノチェッラ・インフェリオーレ(サレルノ)Nocera inferiore (Salerno)生、(在籍1975年-) ・ジャンニ・ガリツィア(Gianni Galizia)ギター、1952年アングリ(サレルノ) Angri (Salerno)生、(在籍1975 -1990年) ・ミンモ・アレッロ(Mimmo Aiello)本名ドメニコ・アレッロ (Domenico Aiello) ベース、1952年アングリ(サレルノ) Angri (Salerno)生、(在籍1975年-) ・マッシーモ・カーソ(Massimo Caso) ギター、1958年ノチェッラ・インフェリオーレ(サレルノ )Nocera inferiore (Salerno)生、(在籍1975-1979年) バンドはナポリの南東の近郊にあるサレルノのアンジとノチェッラ・インフェリオーレ出身の5人の若者で結成されました。そして彼らはラ・ヌオヴァ・フロンティエーラ(La Nuova Frontiera)と名乗ります。イ・サント・カリフォルニアとなるバンドの誕生です。 彼らは路上ライヴなどで練習を積み、ヴァカンス・シーズンには観光地のアマルフィ海岸にある温泉施設のクラブで演奏をするようになりました。 1974年彼らのバンド、ヌオヴァ・フロンティエーラは地元ノチェッラ・インフェリオーレのお祭りにイヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)が出演した際、バック・バンドを務めました。 そこに80年代に入ると作詞・作曲家エリポ(Eliop)として活躍する74年に設立されたばかりのイェップ(Yep)・レコードのプロデューサーで共同経営者でもあるエリオ・パスカーレ・パルンボ(Elio Pasquale Palumbo)が来ており、彼らをスカウトしてローマで出来たばかりのイェップと契約させました。そしてバンド名はサント・カリフォルニア(I Santo California)と付けられデビューすることになりました。 彼らは練習を重ねエリオ・パルンボの作詞、イグナツィオ・ポリッツィ・カルボネッリ(Ignazio Polizzy Carbonelli)、クラウディオ・ナティリ(Claudio Natili)、マルチェッロ・ラモイーノ(Marcello Ramoino)作曲の“トレビの泉”で74年12月にレコード・デビューをしました。 “トレビの泉”は日本でもシングル盤が発売されるほど世界的ヒットとなり、100万枚以上売り上げるゴールド・レコードになりました。75年年間ヒット・ランク5位となるメガ・ヒット曲でした。 この大ヒットにより先輩で類似バンドの77年サンレモ音楽祭優勝したバンド、ホモ・サピエンス(Homo Sapiens)も75年4月に“トレビの泉”を発売し、ホモ・サピエンスのレコードも75年年間ヒット・ランク30位の大ヒットとなりました。また75年サンレモ音楽祭出場バンドのラ・クィンタ・ファッチャ(La Quinta Faccia)もカヴァーし、国内外で沢山のカヴァー盤がリリースされています。 こうしてディストリビューションは彼らの故郷ナポリの販売会社セ・ディ(Se・Di)と74年に設立され後にミラノの売れっ子レコード会社となるベビー・レコーズの2社が行うことになりました。余りにカヴァー盤が多いので、ピクチャー・スリーブにはオリジナル・ヴァージョンの刷り込みが入ります。後にベビー・レコーズが下り、販売権がセ・ディのみになり、ロング・セラーのこの盤にはピクチャー・スリーブは3種類存在しています。 YEP-00663 (1974年12月 Yep – Baby Records/Se・Di) Tornerò (トレビの泉)/Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー) YEP-00663 (1974年 Yep – Se・Di) Tornerò (トレビの泉)/Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー) YEP-00663 この1曲の大成功で、デビューしたての新人バンドは直ぐさまファースト・アルバム「I Santo California – Se Davvero Mi Vuoi Bene...Tornerò」を出しました。アルバムは75年年間ベストセラー59位となる大成功でした。 YEP-00446 (1975年 Yep – Se・Di) I Santo California – Se Davvero Mi Vuoi Bene...Tornerò ORL-8092 (1978年 Orizzonte – Dischi Ricordi) I Santo California – Se Davvero Mi Vuoi Bene...Tornerò 1.Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー) 2.Un Prato Per Noi Due 3.La Stessa Ragazza 4.Mente E Cuore 5.Fenesta Vascia 6.Tornerò (トレビの泉) 7.Per Favore 8.Non Lasciarmi Più Solo 9.Preparo Quattro Righe 10.Mi Vuoi Bene? YEP-00446 ORL-8092 75年第2弾のシングル“天使”を発売しました。前作同様ロマンティック・イタリアン・ポップスを続けます。76年年間ヒット・ランク13位の超特大ヒットになりました。すかさずセカンド・アルバム「I Santo California – Un Angelo」を出しました。アルバムは76年年間ベストセラー75位で出したレコードはすべてランクインするという栄光を得ます。 YEP-00669 (1975年 Yep – Se・Di) Un Angelo (天使)/Torno A Settembre YEP-00669 YEP-004410 REL・ST-19348 YEP-004410 (1975年 Yep – Se・Di) I Santo California – Un Angelo REL・ST-19348 (1977年6月 Penny – Ri Fi) I Santo California – Un Angelo 1.Un Angelo (天使) 2.Strane Cose 3.I Tuoi Occhi Sorridenti 4.Torna A Settembre 5.California Concert 6.Angelica E Medoro 7.Non Amo Che Lei 8.Sono Io 9.Tutto Uguale 10.Dan Dan Delen Delen 大成功の75年も終わり、真価が試される76年になり3枚目のシングル“Dolce Amore Mio”がフォニア・イタリアーナをディストリビューターとして発売されました。この曲も76年年間ヒット・ランク20位に入る大ヒットでした。 YEP-00675 (1976年 Yep – Fonia Italiana) Dolce Amore Mio/Lei Dorme Già YEP-00675 YEP-00679 YEP-00679 (1976年 Yep – Se・Di) Ave Maria... No! No! (アヴェ・マリア・ノー・ノー)/I Tuoi Occhi Sorridenti 4枚目のシングル曲“アヴェ・マリア・ノー・ノー”も同年年間ヒット・ランク44位と、その勢いは衰えてきましたが、これまで出したレコード全てをランクインさせています。 これまで出した曲を集めたアルバム「Hits In The World - I Santo California」をサード・アルバムとして出しました。本来ならこれが一番売れないといけないのですが、アルバム・チャートに入りませんでした。 YEP-004414 (1976年 Yep – Se・Di) Hits In The World - I Santo California 1.Tornerò (トレビの泉) 2.I Tuoi Occhi Sorridenti 3.Strane Cose 4.Non Amo Che Lei 5.Angelica E Medoro 6.Un Angelo (天使) 7.Fenesta Vascia 8.Sono Io 9.Lei Dorme Già 10.Dolce Amore Mio YEP-004414 YEP-00683 YEP-00683 (1977年2月 Yep – Fonia Italiana) Monica (モニカ)/Soli Io E Te デビュー以来の快進撃で77年サンレモ音楽祭の出場が決まり、“モニカ”を歌いました。第3位になり、因縁のホモ・サピエンスの“涙の日曜日”が優勝し後塵を拝しましたが、第2位コラージェの“長い髪の少女”と共に、サンレモ音楽祭で初めてのグループが3位までを独占しました。“モニカ”は77年年間ヒット・ランク62位に食い込みました。 サンレモ出場曲が先行し、発売が遅れていた“Fenesta Vascia”が出ましたが、サント・カリフォルニアの人気は急速に失われていきます。今度はディストリビューターをガブリック(Gabric)に変更されます。 イェップの場合はディストリビューターを次から次へと変更していく傾向があります。しかも聞いたことのない小会社です。単にレコードを配送するのではなく、本来は全国規模の販売網と強力なプロモーション能力のある大会社がする仕事なのです。イェップはその反対の方法を取ってしまいました。歌手の一時的人気が衰えると、次の展開が計画できず、どんどんじり貧状態になってしまいます。 YEP-00664 (1977年 Yep – Gabric) Fenesta Vascia/Un Prato Per Noi Due YEP-00664 77年最後のシングル盤“Gabbiano”がでました。ピクチャー・スリーブも写真を使わず淡色の非常に地味で安上がりのレコードの印象が残ります。この盤も前作同様ガブリックが販売しました。 YEP-00690 (1977年 Yep) Gabbiano/Io Qualche Anno In Più YEP-00690 サント・カリフォルニアの国内盤 VIP- 2428 (1976年7月 VICTOR - ビクター音楽産業.) トレビの泉 (TORNERO)/幸福のメロディー (SE DAVVERO MI VUOI BENE) VIP- 2428 (ご参考) トレビの泉 JET-2370 (1976年4月 GLOBE - ビクター音楽産業) トレビの泉 (TORNERO)/アクアリオ (ACQUARIO) ニニ・ロッソ (NINI ROSSO) JET-2370 CM- 2 CM- 2 (1976年6月 UNITED ARTISTS - キング) トレビの泉 (TORNERO)/アニック (ANNICK) クィンタ・ファッチャ (LA QUINTA FACCIA) MA- 13・V (1976年6月 OVERSEAS - テイチク) トレビの泉 (VT_ERROR (TORNERO))/哀しみのソレアード (ON NE VIT PAS SANS SE DIRE ADIEU (SOLEADO)) ミレイユ・マチュー (MIREILLE MATHIEU) MA- 13・V GP- 432 GP- 432 (1976年8月 BARCLAY - キング) 30cm LP 潮風のマリー/レーモン・ルフェーヴル (J'ATTENDRAI/RAYMOND LEFE'VRE) 7.トレビの泉 (TORNERO) VIP- 7263 (1978年6月25日 VICTOR - ビクター音楽産業) 30cm LP渚のセレナーデ (LOVE SERENADE) スティーブン・シュラックスとドリーム・サウンド (STEVEN SCHLAKS) 5.トレビの泉 (TORNERO) VIP- 7263 サント・カリフォルニア 2は次回に続きます
2019.03.03
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