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★アンセルモ・ジェノヴェーゼ (vm) Anselmo Genovese1948年10月25日サンレモとフランス国境の中間にある町カンポロッソ(Camporosso)生、自作自演歌手。芸名アンセルモを使った時期もある。 活動期間:1965 - 現在所属レコード会社: Ellery、 Victory、 Ariston、 Carosello、 Peer Southernサンレモ音楽祭出場1回:1978年5位サンレモ音楽祭出品1曲:1978年自己出場曲オフィシャル・サイト:http://www.anselmogenovese.com/ アンセルモは教会に通い友達とサッカーをして遊ぶカンポロッソの小学生として普通に育ちました。音楽に熱中しだしたのはキーボードを買ってからでした。 17才の時にカイツ(I Kites)と言うバンドのメンバーになり、初めて“Ora”という曲を作りました。バンドはこの曲を歌いジェノヴァの東にある小都市ラパッロ(Rapallo)の音楽祭で成功しました。 RCAイタリアーナから1966年メジャーデビューを果たし、“Ora”はARCの新人ばかり集めたコンピレーション「Vietato Ai Maggiori Di Pochi Anni」に収録されます。この盤にはニュー・トロルス(New Trolls)のヴィットリオ・デ・スカルツィ(Vittorio De Scalzi)がデ・スカルツィとして2曲収められています。 その頃アンセルモはベースのマウロ・マレンゴ(Mauro Marengo)と意気投合し新たな4人編成のロック・バンド、スキッパーズ(The Skippers)を結成しうまくいくように思われたが1年で解散してしまいます。 ジェノヴェーゼは直ぐに結成されたバンド、セックストンズ(Sextons)に短期間所属しますが、67年キッドナッパーズ(Kidnappers)のメンバーになりました。 彼はカンタウトゥーリとしてキッドナッパーズのためにデビューシングルの曲を書きました。とはいえ自主録音で聞いたこともないようなマイナー・レーベルのエリーから出し、自らアンセルモと名乗りリードヴォーカルを歌うシングル盤でした。 このデビュー曲“E Se Un Angelo”でテディー・レーノ(Teddy Reno)が主宰アリッチャの名もなき者の音楽祭(FESTIVAL DEGLI SCONOSCIUTi DI ARICCIA)」 (62年優勝者リタ・パヴォーネとテディー・レーノは結婚しています)に出場し、決勝戦に残りました。 Ellery-088 (1967年 Ellery - ?) E Se Un Angelo/Ho Sete (come Anselmo) Ellery-088 この結果でアリストン傘下に入っているヴィクトリーとソロ歌手として契約を結ぶことが出来ました。“Il Fuoco È Spento”の曲でサンレモ音楽祭の司会者でもあるピッポ・バウド(Pippo Baudo)のTV番組「セッテヴォーチ(Settevoci)」の出演が決まります。 彼は運命的出会いをします。セッテヴォーチ出演のため早朝の列車でミラノに付いた彼はコーヒーを飲むためバールにいたところミーナ()と巡り合います。 VY-023 (1969年 Victory – Ariston) Era Soltanto Ieri/Il Fuoco È Spento VY-023 翌70年“Per 70 Lire”に初出場しました。予選落ちでした。レコードを4年ほど出せず歌手としては不遇の時代でしたが、ソング・ライターとして大成功を収めます。 VY-025 (1970年 Victory – Ariston) Per 70 Lire/ Dove Sei VY-025 親会社アリストンのトップ・スター、オルネラ・ヴァノーニにカンツォニッシマで歌う曲を作る機会が与えられました。アンドラッコ(Andracco)名義を使って出来た曲をヴァノーには『一目惚れ』し、決勝戦に歌くことにしました。72年年間ヒット・ランク56位のヒットになった“陶酔のとき”でした。 AR-0528 (1971年12月Ariston - Ariston) Il Tempo D'Impazzire (陶酔のとき)/VarianteAR-0528 HIT-1985 HIT-1985 (1972年2月25日 Ariston - Ariston) 逢びき (L'APPUNTAMENTO)/陶酔のとき (IL TEMPO D'IMPAZZIRE) この成功により73年ジョヴァンナ(Giovanna)のアルバム「Ho Passato Un Brutto Inverno」に“La Grande Risposta”を、74年サンレモ音楽祭にピエロ・フォッカチャ(Piero Focaccia)が出場した“ヴァレンティン・タンゴ(Valentintango)” のB面曲“FareiAnche Il Meccanico”を提供する仕事が入ってきます。 歌手としては74年夏のディスク・フェスティヴァルに“初恋の忘れな草”で2度目の挑戦し、本選に進むことが出来ました。 AR-0607 (1974年 Ariston – Ariston) La Prima Volta (初恋の忘れな草) /Decidi TuAR-0607 AR-0673 AR-0673 (1975年 Ariston – Ariston) La Nostra Buona Educazione – Sensazioni Di Un Grande Amore 75年彼は“La Nostra Buona Educazione”を出しました。本格デビューして間もない69年ミラノのバールで偶然に会ったミーナを想定して作ったようです。ミーナにこの曲の提供を申し出たのですが、アリストンの版権でなくミーナの会社PDUの単独版権を主張され、アリストンも版権を渡さない姿勢でした。 アンセルモは会社間の板挟みで納得しがたい気持ちのまま76年は“Comunque Sia”を出しました。 AR-00753 (1976年 Ariston – Ariston) Comunque Sia/Sensazioni Di Un Grande AmoreAR-00753AR-00791AR-00791 (1977年 Ariston – Ariston) Un Grido Di Gabbiani/Nel Mio Cielo 77年フェスティヴァルバールに“Un Grido Di Gabbiani”で参加しました。この年ツアーに出たアンセルモはアリストンを退社することを決意します。アリダ・ケッリ(Alida Chelli)のご主人でもある俳優、喜劇役者、演出家のワルター・キアリ(Walter Chiari)に仲介役をたのみ、多額の違約金を支払いアリストンから移籍しました。 アリストンは彼がミーナに歌ってもらう心算の“La Nostra Buona Educazione”をフリオ・イグレシアスに版権を渡し、イグレシアスは79年のアルバム「A Vous Les Femmes」に“Les Traditions (La Nostra Buona Educazione)”として5ヶ国語で吹込み、世界中で1800万枚を売上げたという後日談が残っています。 アリストンからカロセッロに移籍したアンセルモ・ジェノヴェーゼは78年サンレモ音楽祭に“あなたひとり”で出場し5位入賞を果たしました。 CI-20460 (1978年 Carosello – Dischi Ricordi) Tu Sola (あなたひとり)/Sempre Un GiornoCI-20460 CI-20467 CI-20467 (1979年 Carosello – Dischi Ricordi) Sul Mio Cuscino/Anche Un Uomo (男としても) 79年カロセッロで2枚目のシングル“男としても”を出しました。作詞はアルベルト・テスタ(Alberto Testa)ですが妻の名前ディナ・トージDina Tosi)をペン・ネームとして使っています。この曲でやっとアンセルモの想いはミーナに届いたようで、同年ミーナもこの曲を取り上げました。 ミーナが歌った“男としても”は79年年間ヒット・ランク45位のヒットとなりました。またアルバム「Attila」も80年年間ベスト・セラー10位となる大成功を収めています。 PA-1136 (1979年 PDU – EMI Italiana) Anche Un Uomo (男としても)/Se Il Mio Canto Sei Tu [ミーナ]PA-1136 Pld・L-7015~6 Pld・L-7015~6 (1979年10月 PDU – EMI Italiana) 2LP Attila [ミーナ]1-1.Tiger Bay1-2.Ma Ci Pensi1-3.Se Il Mio Canto Sei Tu1-4.Non Tornerò1-5.Che Novità1-6.Bonne Nuit1-7.Sensazioni1-8.Un Pò Di Più1-9.Il Vento2-1.Don't Take Your Love Away2-2.Rock And Roll Star2-3.Fiore Amaro2-4.Sei Metà2-5.Anche Tu2-6.Street Angel2-7.Che Volgarità2-8.Anche Un Uomo (男としても)2-9.Shadow Of My Old Road 80年世界中で主にオールディーズのコンピレーションを発売しているケーテル(K Tel)からイタリア・ローカル企画で70年代の歌手達を集めた盤にアンセルモ・ジェノヴェーゼの“È Facile”も収録されました。 TI- 155 (1980年 K Tel – RCA Italiana) 30cm LP Raccomandato…1.Il Vento Caldo Dell'estate [Alice]2.Io Ti Voglio Tanto Bene [Roberto Soffici]3..Innamorati [Toto Cutugno]4.Notti D'Agosto [Loretta Goggi]5.In Alto Mare [Loredana Berté]6.Si Può Fare [P.F.M.]7.Non L'hai Mica Capito [Vasco Rossi]8.È Facile [Anselmo Genovese]9.Te Ne Vai [Michele Pecora]10.Ti Chiami Africa [Enzo Avallone]11.Ehi, Ci Stai [Goran Kuzminac]12.Cambierò Cambierai [Alex Damiani]13.Marta Marta [Ciro Sebastianelli]14.Macchè Amore [Santino Rocchetti]15.Vivo Da Re [Decibel (8)]16.Non Mi Lasciare Mai [Adriano Pappalardo]TI- 155 CI-20493 CI-20493 (1981年 Carosello – Dischi Ricordi) Mia Cara Brooklyn/Love 81年最後のシングル盤“Mia Cara Brooklyn”をカロセッロから出しました。 その後は82年から85年の間に出されたミーナのアルバムに楽曲の提供をする以外は芸能界から距離を置き、音楽活動も休止状態となりました。 この頃息子のマニュエル・ジェノヴェーゼ(manuel genovese)が生まれ、数年間子育てに専念したことも音楽活動をしていなかった理由のようです。彼は息子マニュエルに英才的音楽教育をしたようで、父曰く8才にしてキーボードを習得し、プログラミングを使い作曲を始めたとのことです。 87年サンレモ音楽祭新人部門の出場したミラノのグループ、フトゥーレ(I Future)がジェノヴェーゼの“Fiore Di Lloto”を吹込んだこと知り大変喜びました。翌年フトゥーレのアルバム「Canta Con Noi」にも収録されました。 87年ジェノヴェーゼは6年ぶりにシングル盤“Anno 2000”をピエール・サザンから発売しています。彼の市販されたレコードの最後となりました。 06-201592・7 (1987年 Peer Southern - EMI Italiana) Anno 2000/Senza Umanità06-201592・7 LP・AR-3127 LP・AR-3127 (1988年 Alpharecord – Dischi Ricordi) Future – Canta Con Noi6.Fiore Di Loto [フトゥーレ] 86979-9751・2 (2011年 PDU – Sony Music Entertainment) CD PICCOLINO MINA [8 86979 97512 5] [ミーナ]12.Rattarira 86979-9751・2 久しぶりにミーナのアルバム「Piccolino」のデラックス版に新曲“Rattarira”を提供、作詞は父アンセルモ、作曲は息子のマニュエル・ジェノヴェーゼと親子での楽曲作りをしています。 アンセルモ・ジェノヴェーゼの国内盤SR- 874 (1974年8月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 愛をたずねて/サン・ヴァンサンカン・フェスティヴァル (ST. VINCENT FESTIVAL)10.初恋の忘れな草 (LA PRIMA VOLTA) [アンセルモとして] SR- 874 アンセルモ・ジェノヴェーゼは以上です。
2019.10.30
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★スコラ・カントルム (compl) Schola Cantorum 1973年RCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)の命によって、自社のカンタウトゥーリ達の作品をカヴァーするため結成したミュージック・グループ。80年に一旦解散をしましたが、84年に再結成し95年まで活動を続けました。多くの歌手を輩出しました。 活動期間:1974 – 1980; 1984 – 1995 所属レコード会社: RCA Italiana, Delta, CGD サンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、93年参加 1978年サンレモ音楽祭出場メンバー アルベルト・ケリ(Alberto Cheli) アルド・ドナーティ (Aldo Donati) キコ・フスコ (Kico Fusco)、本名エンリコ・フスコ(Enrico Fusco) アニー・トベルト (Annie Tobert) Annie Robert ルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani) Luisella Mantovani エドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis) ミミ・ゲイツ(Mimi Gates)、旧芸名メリル(Merrill) ジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini) エディー・ヴィオラ(Eddy Viola) マリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli) エドアルド・デ・アンジェリスとキコ・フスコの次は78年サンレモ音楽祭直後に脱退したマリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli)です。彼女は86年ノヴァ・スコラ・カントルム(Nova Schola Cantorum)の一員として、89年にはソロ歌手で出場。アルベルト・ケリ (Alberto Cheli)とアルド・ドナーティ (Aldo Donati)も80年ソロ歌手としてサンレモに出場しています。詳細はその時として概略のみの紹介にとどめます。 ☆マリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli) 1956年3月17日ボローニャ生、自作自演歌手。 活動期間:1972 – 1989 所属レコード会社: サンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、(ノヴァ・スコラ・カントルムとして)、89年中堅歌手部門参加(ソロ歌手として) ☆アルベルト・ケリ (Alberto Cheli) 1951年11月2日フィレンツェ生、自作自演歌手。 活動期間: 所属レコード会社:Parlophone (Le Madri) RCA Italiana (Schola Cantorum), CGD, Pipol Record サンレモ音楽祭出場4回:1978年7位、86年参加、93年参加:1980年19位(ソロ歌手) サンレモ音楽祭出品7曲:1980年19位、86年19位、86年参加、89年新人の部第2位、91年新人の部第3位、93年参加、2003年第2位、 ☆アルド・ドナーティ (Aldo Donati) 1947年9月2日ローマ生、2014年8月24日ローマ没、自作自演歌手、俳優、テレビ司会者。 活動期間:1975 – 2014 所属レコード会社: Roch Records、RCA Italiana, Cinevox, Durium, Rossodisera Records, Interbeat サンレモ音楽祭出場4回:1978年7位、86年参加、93年参加:1980年13位(ソロ歌手) サンレモ音楽祭出品5曲:1980年19位、86年19位、86年参加、93年参加、2003年20位、 以下5名の結成メンバーはサンレモ音楽祭出場はスコラ・カントルムとしてのみです。順番に資料のある範囲で書いていきます。 ・アニー・トベルト (Annie Tobert) Annie Robert 本名アニー・ロバート(Annie Robert)、1955年1月15日ヴェトナムのサイゴン(現ホーチミン市)生、歌手。芸名アニー・パスカル(Annie Pascal)も使う。リッカルド・コッチャンテ(Riccardo Cocciante)のイトコ。 SRL-10・944 活動期間:1974 – 現在 所属レコード会社: RCA Italiana, Delta, CGD サンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、93年参加 (スコラ・カントルムの一員として) 子供の頃にヴェトナムからイタリアに移住しました。 74年RCAイタリアーナが主催するコンテストに優勝しバック・コーラスのグループに採用されます。間もなく結成するスコラ・カントルムのメンバーに抜擢されます。 彼らのヒットした代表アルバム「Le Tre Campane」の“L'Aquilone”ではソロ・ヴォーカルを取りました。76年夏のディスク・フェスティヴァルとフェスティヴァルバールにスコラ・カントルムの一員として“La Mia Musica”を歌い、78年サンレモ音楽祭に“私の恋”で出場を果たしました。 80年スコラ・カントルムの解散後、アニーは翌81年アニー・パスカル名でソロ・デビューしました。 SRL-10・944 (1981年 Ricordi – Dischi Ricordi) Non Uccidere La Luna/ Fiore Rosso Carnale ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 84年スコラ・カントルムが再結成されアニーも復帰し、メンバーとなりました。84年、93年のサンレモ音楽祭にもメンバーの一員として出場しました。 ルイゼッラ・ラッザーニとジャンナ・ジョヴァンニーニは同じヴォーカル・グループのヴォーチ・ブルー(Le Voci Blu)の出身なので、一緒に紹介いたしましょう。 ・ルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani) 本名ルイゼッッラ・キアヴァッチ・マントヴァーニ(Luisella Chiavacci Mantovani) 1949年フィレンツェ生、歌手。芸名ルイゼッラ・マントヴァーニ(Luisella Mantovani)も使う。 ・ジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini) 詳細不明 まず二人の出身のグループ、ヴォーチ・ブルーから見ていきましょう。 ・ヴォーチ・ブルー (Le Voci Blu) 活動期間:1969 – 1973 所属レコード会社:RCA Italiana, MiMo アルバム:1 68年ローマで3人の娘がヴォーカル・グループを結成しました。ローマ育ちのエマルネラ・ヴェントゥラ(Emanuela Ventura)、オスティア育ちダニエラ・ベッレッタ・スキャヴィ(Daniela Berretta Schiavi)、フィレンツェ生れのルイゼッッラ・キアヴァッチ・マントヴァーニ(Luisella Chiavacci Mantovani)の3人でヴォーチ・ブルーと名乗りました。 ジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)と作詞家フランコ・ミリアッチ(Franco Migliacci)に見出されRCAイタリアーナと契約し、ビージーズの作った“君を求める淋しき心(The Walls Fell Down)”のイタリア語カヴァー曲“Il Muro Cadrà”でデビューしました。 PM-3495 (1969年 RCA Italiana – RCA Italiana) Il Muro Cadrà/Quando Un Uomo Non Ha Più La Sua Donna PM-3495 ZM-50054 ZM-50054 (1970年6月 Mimo – RCA Italiana) Emanuela, Gianna, Luisella/Sitar ダニエラが去りジャンナ・ジョヴァンニーニが加入、まもなくエマルエラは69年夏のディスク・フェスティヴァル等に出場したことのあるエリザベッタ・レオカータ(Elisabetta Leocata)と交代し、2作目からはジャンニ・モランディとフランコ・ミリアッチか作ったミモ(Mi-Mo)に移籍しました。 71年3枚目のシングルを出します。“Una Vecchia Foto”はカンタジーロのジローネB(新人部門)の出場曲でした。 ZM-50097 (1971年 Mimo – RCA Italiana) Cosa Non Pagherei/Una Vecchia Foto ZM-50097 72年5月アルバム「Le Voci Blu」を出し、“Senti... Sentimenti”をシングル・カットしています。 ZSLM-55087 (1972年 Mimo – RCA Italiana) Le Voci Blu 1.Senti..... Sentimenti 2.The Witches 3.Rock Music Roll 4.Cherie Cherie 5.Revival Day 6.Medicin Man 7.Look At Me 8.It's Over, It's Over, It's Over 9.Sankapu' ZSLM-55087 ZM-50216 ZM-50216 (1972年5月 Mimo – RCA Italiana) Senti... Sentimenti/Revival Day 73年にヴォーチ・ブルーは解散しルイゼッラとジャンナは男性歌手ジョルジョ・バラルデッリ(Giorgio Baiardelli)と共にヴォーカル・グループ、グランデ・ファミリア(La Grande Famiglia)を結成し10月にシングルとアルバムをRCAイタリアーナから出しました。 PM-3694 (1973年 RCA Italiana – RCA Italiana) Frutto Verde/La Musica Del Sole PM-3694 DPSL-10622 DPSL-10622 (1973年10月 RCA Italiana – RCA Italiana) Una Città Possibile 1.Una Città Possibile 2.L'ultima Città 3.E Di Sera La Gente Torna A Casa 4.Frutto Verde 5.Bidonville 6.Oceano 7.Periferia 8.La Musica Del Sole 9.Sognando Una Città 10.Canzone Per Tutti 11.Campo Di Battaglia 12.Buonanotte A Mio Figlio ルイゼッラとジャンナは翌74年スコラ・カントルムにスカウトされます。 ・ミミ・ゲイツ(Mimi Gates) 詳細不明、旧芸名メリル(Merrill) 86年サンレモ音楽祭に2度目の出場をした“Azzurra Anima”のノヴァ・スコラ・カントルム(Nova Schola Cantorum)の時まで在籍していました。スコラ・カントルムに所属しながら多くのバッキング・コーラスの仕事もしていたようです。 SMRL-6193 (1976年 Ricordi – Dischi Ricordi) Patty Pravo 1.La Mela In Tasca 4.Sconosciuti Cieli 6.Stella Cadente 10.Facciatosta [Percussion] SMRL-6193 MDF-33・140 MDF-33・140 (1980年 Cinevox –Dischi Ricordi) Nervi A Pezzi/ Walter Martino [Drums, Percussion] 1.Time Of Libra 2.I'm Missing You 3.What Love Can Do 4.Delirious Fever 5.Romantic Fugue 6.Shantij 25613(DDD) (1983年 Cinevox – CBS Dischi) Mia Martini – Dal Vivo - Miei Compagni Di Viaggio 1.Il Pescatore 2.Suzanne 3.Un Giorno Dopo L'Altro 4.Señora 5.Cime Tempestose (Wuthering Heights) 6.Taxi Giallo (Big Yellow Taxi) 7.Alice 8.Valsinha 9.Le Ali Della Mente (Little Wing) 10.Rotativa 11.Vedrai Vedrai 12.Guilty 13.Imagine 14.Ed Ora Dico Sul Serio 25613(DDD) SPRQ-401 SPRQ-401 (1984年 Spaghetti Records, -) Mia Madre Parla A Raffica/ Edoardo De Angelis 2.La Stella Di Davide 5.Maracanà ・エディー・ヴィオラ (Eddy Viola) パドヴァ(Padova)生、自作自演歌手、その他詳細不明。 69年にシングル盤“Un Uomo”を出した後、73年初演トニー・クッキアーラ(Tony Cucchiara)のミュージカル「Caino e Abele」に参加しています。その後74年スコラ・カントルムに加わりました。 78年サンレモ音楽祭に出場後、意見の相違を理由に脱退しました。その後ロック・グループに参加しますが、80年代に入るとファッション・デザイナー、アントネッラ・スピノ(Antonella Supino)のブランド、バーチ・ダ・ローマXXXX(Baci da Roma XXX)のマネージャーに転身しました。 その後写真小説(fotoromanzi)を出す出版社の編集員として再出発しますが、21世紀になり自分の音楽グループ、オーケストラ・ヴィオラ&リ・アルモニア(Orchestra Viola e gli Harmoni)を結成し音楽の道に戻りました。 スコラ・カントルムは1986年サンレモ音楽祭の後に続きます
2019.10.26
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★スコラ・カントルム (compl) Schola Cantorum 1973年RCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)の命によって、自社のカンタウトゥーリ達の作品をカヴァーするため結成したミュージック・グループ。80年に一旦解散をしましたが、84年に再結成し95年まで活動を続けました。多くの歌手を輩出しました。 活動期間:1974 – 1980; 1984 – 1995 所属レコード会社: RCA Italiana, Delta, CGD サンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、93年参加 1978年サンレモ音楽祭出場メンバー アルベルト・ケリ(Alberto Cheli) アルド・ドナーティ (Aldo Donati) キコ・フスコ (Kico Fusco)、本名エンリコ・フスコ(Enrico Fusco) アニー・トベルト (Annie Tobert) Annie Robert ルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani) Luisella Mantovani エドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis) ミミ・ゲイツ(Mimi Gates)、旧芸名メリル(Merrill) ジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini) エディー・ヴィオラ(Eddy Viola) マリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli) 今回はスコラ・カントルムでただ一人国内盤が出ているキコ・フスコを紹介していきましょう。 ☆キコ・フスコ (Kico Fusco) 本名エンリコ・フスコ(Enrico Fusco) 1945年3月3日-2015年5月1日ローマ生、没。歌手、作詞・作曲家、プロデューサー。映画音楽作曲家ジョヴァンニ・フスコ(Giovanni Fusco)の息子(以前は甥だとされていた息子と確認済)。キコの表記はKicho, Kikoとした時期もあります。 活動期間:1960? – 2015 所属レコード会社: RCA Italiana サンレモ音楽祭出場1回:1978年7位 キコ・フスコの経歴が分かる資料がありませんが、ニコ・フィデンコ(Nico Fidenco)の出世作となったフランチェスコ・マゼッリ(Francesco Maselli)監督の映画「太陽の誘惑 (I DELFINI)」の主題歌“太陽の誘惑 (What A Sky)”のオーディションにリトル・トニー(Little Tony)とキコ・フスコが呼ばれたとされてます。60年代に入る頃には歌手活動をしていたようです。 現在確認できたのは日本でTV放映時「ああ離婚(I Fuorilegge Del Matrimonio)」のタイトルが付けられた父ジョヴァンニ・フスコが音楽担当のオムニバス映画の挿入曲を歌ったシングル盤です。 日本では63年製作(本邦公開64年6月)のイタリア映画「砂上物語(Storie sulla Sabbia)」の挿入歌としてキコ・フスコのシングル盤が発売されましたが、イタリア盤の確認ができていません。 CA-2537 (1963年 CAM – Durium) I Fuorilegge Del Matrimonio Un Nuovo Mondo/La Tua Bocca CA-2537 S・ERL-217 S・ERL-217 (1965年Ricordi - Ricordi) 17cmEP I Quattro Finalisti Del Concorso Voci Nuove 1.Apoco a poco (恋するハート) (Marina) 2.SonoQui E Sono Solo (Gianni Di Cristina) 3.NonTi Chiedo (Marcello Fattorini) 4.Ehi Tu ! ("Hey Girl" originally done by Freddie Scott) (Kico Fusco) 次に確認できたのが芸能週刊誌「セッティマーナ・ラディオ TV」の付録と思われるリコルディ新人歌手4人のEP盤に収録されたフレディ・スコットの“ヘイ・ガール”のカヴァー曲です。 MRL-6044 (1965年Ricordi - Ricordi) Le Canzoni Di San Remo '65 太字=オリジナル曲 1.Se Piangi, Se Ridi (君に涙とほほえみを) [Bobby Solo] 2.Invece No (悲しい運命) [Wilma Goich] 3.Amici Miei (青春に恋しよう) [Don Powell] 4.Ti Credo (君を信じて) [Gianni Di Cristina] 5.Vieni Con Noi (黒い想い出) [Kico Fusco] 6.Le Colline Sono In Fiore (花咲く丘に涙して) [Wilma Goich] 7.Abbracciami Forte (強く抱きしめて) [Ornella Vanoni] 8.Cominciamo Ad Amarci (愛ははじまる) [Don Powell] 9.Ho Bisogno Di Vederti (あこがれはいつも心に) [Wilma Goich] 10.Fusco Prima O Poi (恋は君のもの) [Kico Fusco] 11.Il Tuo Amore (君の愛) [Don Powell] 12.Io Che Non Vivo Senza Te (この胸のときめきを) [Kico Fusco] MRL-6044 キコ・フスコは64年中にリコルディに移籍したようです。リコルディの第16回サンレモ音楽祭のコンピレーションに3曲吹込んでいます。サンレモ音楽祭にメジャー1社で3,4人の歌手を出しますが、コンピレーションを作るには他社の曲も入れなければなりません。他社の曲をカヴァーするのは新人歌手の仕事です。新人歌手でサンレモに出場したウィルマ・ゴイクでさえカヴァー曲を入れています。 60年代初頭からクィリティ(i Quiriti)、ズヴィターティ(Gli Svitati), レオ・ディ・サン・フェリーチェ・バンド(Leo Di San Felice Band)でベーシストとして活動していたマウロ・キアリ(Mauro Chiari)がキコ・フスコをキーボーダーとして誘い、ペコレ・ネーレ(Le Pecore Nere)をローマで結成しました。他にギタリストのステファノ・メルカンティ(Stefano Mercanti)とドラムスのエンツォ・タランティーノ(Enzo Tarantino)が加わります。 やがてローマで老舗のクラブ、パイパー・クラブ(Piper Club)、と言っても65年2月17日からローマで営業を始めていますので、当時は最新、最先端のクラブで人気バンドのジガンティ(I GigantiI)と交互に出演できるようになりました。 彼らはパイパーに来ていたジャズ・ピアニストのアマデオ・トマージ(Amedeo Tommasi)の目にとまり、RCAイタリアーナと契約できました。 デビュー曲は67年カンタジーロ、ジローネB(新人部門)の出場曲“少年の想い出”、B面は父ジョヴァンニ・フスコの営業があったか? 映画「Il Fischio Al Naso」の挿入曲“La Conta”でした。 PM45-3401 (1967年 RCA Italiana – RCA Italiana) Ricordo Un Ragazzo/La Conta PM45-3401 PM-3401 PM-3401 (1967年 RCA Italiana – RCA Italiana) Ricordo Un Ragazzo/La Conta 異例の早さでアルバム「Il Nostro Punto Di Vista」も発売されました。 S- 17 (1967年 RCA Italiana – RCA Italiana) Il Nostro Punto Di Vista 64OSMLP-004 (2013年 On Sale Music – Italo Gnocchi) Il Nostro Punto Di Vista 1.La Conta (Tema Dal Film "Il Fischio Al Naso") 2.Grandi Stelle 3.Per Lei (Someday Someday – シンドッグズ) 4.Un Uomo 5.Sotto Il Letto 6.Era Così Che Cantava 7.Il Profeta 8.L'Eroe 9.C'e' Qualcosa Che Non Va 10.Torna 11.Bandiera Gialla (Changin Times –パイド・パイパース) 12.Vecchia Città S- 17 64OSMLP-004 64OSM-096 64OSM-096 (2013年 On Sale Music – Italo Gnocchi) CD Il Nostro Punto Di Vista 1.La Conta (Tema Dal Film "Il Fischio Al Naso") 2.Grandi Stelle 3.Per Lei 4.Un Uomo 5.Sotto Il Letto 6.Era Così Che Cantava 7.Il Profeta 8.L'Eroe 9.C'e' Qualcosa Che Non Va 10.Torna 11.Bandiera Gialla 12.Vecchia Città 13.Ricordo Un Ragazzo 14.Luna Gialla 15.Se Non Hai Niente Da Perdere 16.Ma Ora È Con Me 17.Viva La Libertà 64OSM-09 68年サポート・メンバーに管楽器の3人を補強しました。サックスのミケーレ・ボヴィ(Michele Bovi)、トランペットのアルべリコ・ピロンティ(Alberico Pironti),ファゴットのクラウディオ・レオナルディ(Claudio Leonardi)でした。そして2枚目“Luna Gialla”を出します。 PM-3441 (1968年 RCA Italiana – RCA Italiana) Luna Gialla/Se Non Hai Niente Da Perdere PM-3441 D-1924 D-1924 (1969年 Diamant – Campi) In Bianco E Nero/Io Non Vorrei 翌69年結成の中心だったマウロ・キアリが脱退し、新たなベーシストとしてマウリツィオ・アロイージ(Maurizio Aloisi)を迎えます。キコ・フスコをリーダーとして再出発。これを機にマイナー・レーベルのディアマントに移籍しました。 シングル盤“In Bianco E Nero”を1枚出しましたが、ついに70年ペコレ・ネーレは解散してしまいます。 73年RCAイタリアーナ・グループの総帥エンニオ・メリスは新たな音楽グループの結成を計画し、10人のミュージシャンを集めスコラ・カントルムを作り、そこにキコ・フスコも加わりました。これ以降のスコラ・カントルムついては私の過去ブログ「サンレモの歌手たち 571 スコラ・カントルム 1」をご覧ください。 キコはライターとして74年にはアンナ・メラート(Anna Melato)の夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“Vola”をアレッサンドロ・スパシアーノ(Alessandro Spasiano)と作っています。 スコラ・カントルム解散後はスタジオ・ミュージシャン、バッキング・コーラスやアレンジプロデューサー、特にレコーディング・テクニカルの裏方に回ったようです。 キコ・フスコの功績の一つは78年イト(IT)からデビューしたカンタウトゥーリ、セルジョ・カップート(Sergio Caputo)を育てたプロデューサーとして知られています。キコは80年代後半までセルジョ・カップートと仕事をしました。カップートはその後87、89、98年とサンレモ音楽祭にも出場しています。 キコ・フスコは忘れた頃に歴史的名曲紹介のコンピレーションなどに1曲歌手として参加しています。 IPSOA-001 (1984年 IPSOA Edizioni Annali Economia Italiana – Fonit etra) Il Tempo Delle Mille Lire (L'Economia Italiana Nelle Canzoni 1919-1939) 25.UPIM [come Enrico Fusco] IPSOA-001 CD-109CD-109 (2007年 CASSARMONICA – MARSILI INIZIATIVE) CD ROMOLO e ROMA/ROMOLO BALZANI 1.Nina, Se Voi Dormite (ニーナ眠りたいなら) 90年代初頭から有名なシチリアのフォーク・グループ、アグリカンタス(Gli Agricantus)とコラボレーションをしたり、スコラ・カントルムの仲間アニー・トベルトのサポートを続けました。 晩年は体調を崩し2015年5月1日亡くなりました。 キコ・フスコの国内盤 JET-1371 (1964年4月 GLOBE -日本ビクター) 砂の上のバラ-ド(黒い星) (STELLE NERE)/ 私のロボット (SONO UN ROBOT) [KICO FUSCO] JET-1371 SH- 168 (1965年4月1日 SEVEN SEAS - キング) 12cmLP ステレオ・サンレモ'65 (STEREO SAN REMO '65) 4.黒い想い出 (VIENI CON NOI) 8.この胸のときめきを (IO CHE NON VIVO (SENZA TE)) 10.恋は君のもの (PRIMA O POI) SH- 168 SH- 289 SH- 289 (1967年3月10日 SEVEN SEAS - キング) 12cmLPカンツォーネ専科第4集 (LE CANZONI D'ORA Vol.4) 2.この胸のときめきを (IO CHE NON VIVO (SENZA TE)) キコ・フスコは以上です。 スコラ・カントルム5は次回に続きます
2019.10.22
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★スコラ・カントルム (compl) Schola Cantorum1973年RCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)の命によって、自社のカンタウトゥーリ達の作品をカヴァーするため結成したミュージック・グループ。80年に一旦解散をしましたが、84年に再結成し95年まで活動を続けました。多くの歌手を輩出しました。 活動期間:1974 – 1980; 1984 – 1995所属レコード会社: RCA Italiana, Delta, CGDサンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、93年参加1978年サンレモ音楽祭出場メンバーアルベルト・ケリ(Alberto Cheli)アルド・ドナーティ (Aldo Donati)キコ・フスコ (Kico Fusco)、本名エンリコ・フスコ(Enrico Fusco)アニー・トベルト (Annie Tobert) Annie Robertルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani) Luisella Mantovaniエドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis)ミミ・ゲイツ(Mimi Gates)、旧芸名メリル(Merrill)ジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini) エディー・ヴィオラ(Eddy Viola)マリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli) スコラ・カントルムの各結成メンバーを紹介しており、77年最初に脱退した エドアルド・デ・アンジェリスのことから書いており今回が第2回となります。☆エドアルド・デ・アンジェリス (Edoardo De Angelis)1945年12月ローマ生、自作自演歌手、作詞・作曲家、音楽、レコード・プロデューサー。 DA-1015活動期間:1970 – 現在所属レコード会社:Valiant, RCA Italiana, Polydor, Durium, Spaghetti Records, Virgin, Fonit Cetra, Il Manifesto, Rai Trade 1977年にスコラ・カントルムを脱退しカンタウトゥーリとしてソロ活動を始めますが、元々ローマ方言のフォーク歌手としてヒット曲を出すことを目指していたとは思えませんし、彼自身も目指していなかったでしょう。 ライターとしての仕事は80年にアメディオ・ミンギ(Amedeo Minghi)のアルバム「Mingh」にミンギと共作で“Troppo Poco”を提供しています。CBS-84156 (1980年 CBS – CBS Dischi) Mingh」COL-466420・2 (1980年 CBS – CBS Dischi) CD Mingh」1.Ti Volevo Cantare 2.Troppo Poco 3.Di Più 4.Ancora No 5.Annesa 6.Sicuramente Tu 7.Dicembre 8.La Foresta 9.MusicaCBS-84156 COL-466420・2また同年のサンレモ音楽祭に入賞したアルド・ドナッティ(Aldo Donati)のシングル盤“カンテロー (Canterò Canterò Canterò)”のB面の曲をドナッティと共作、この“愛のゆくえ(Così...)”はミーナが翌81年のアルバム「Salomè」で取上げます。日本ではミーナの最後の新譜アルバム「私だけの歌・ミ-ナ (UNA CANZONE・MINA)」に収録されています。PB-6380 (1980年2月 RCA - RCA Italiana) Canterò Canterò Canterò (カンテロー)/ Così... (愛のゆくえ)PB-6380 K28P- 339K28P- 339 (1983年2月21日 SEVEN SEAS -キング) 私だけの歌・ミ-ナ (UNA CANZONE・MINA)1.愛に溺れて (E VA BENE, TI VOGLIO)2.私だけの歌 (UNA CANZONE)3.リ-ザ (LIZA)4.ボ-イ (BOY)5.あなたは黄昏 (E TU, CHI SEI?)6.愛のことば (NO)7.蜜より甘く (MIELE SU MIELE)8.愛に出会うとき (QUANDO L'AMORE TI TOCCA)9.ためいきに惹かれて (UH UH)10.愛のゆくえ (COSI') エドアルドはヴァージンに移籍し、86年アルバム「Cammina Cammina」をリリースしました。 “Lella”を含む古い曲をリメイクし、タイトル曲“Cammina Cammina”と“Brutta Storia”の新曲2曲を加えています。この2曲の新曲はシングル・カットされました。DV- 500 (1985年 Virgin - Virgin Dischi) Cammina Cammina1.Brutta Storia2.Novalis3.Una Storia Americana4.Acqua Salata5.Lella6.Cammina Cammina7.Ramirez8.Buonanotte E Una Carezza9.Mia Madre Parla A Raffica10.Cantare In ItalianoDV- 500 NPV- 50NPV- 50 (1985年 Virgin - Virgin Dischi) Brutta Storia/Cammina Cammina 7年間歌手活動以外の事をして92年フォニット・チェトラで新アルバム「Gara Di Sogni」をリリーズしました。タイトル通り「夢の饗宴」で11曲中10曲を関係の深い有名歌手パオラ・トゥルチ、アメディオ・ミンギ、ルカ・バルバロッサ、ルチオ・ダルラ、フランチェスコ・デ・グレゴリ、アンジェロ・ウランドゥアルディ、ブンガロ、アントネロ・ヴェンディッティとのデュエット曲を収めています。LPX-311 (1992年 Fonit Cetra – Nuova Fonit Cetra) Gara Di SogniCDL-311 (1992年 Fonit Cetra – Nuova Fonit Cetra) CD Gara Di Sogni1.Rosso [con Mario Castelnuovo]2.Lettera Per Te [con Paola Turci] 3.La Gara Di Sogni [con Amedeo Minghi]4.La Casa Di Hilde5.Cantare In Italiano [con Luca Barbarossa]6.Sulla Rotta Di Cristoforo Colombo [ccon Lucio Dalla]7.Brutta Storia [con Francesco Di Giacomo] 8.Novalis [con Angelo Branduardi] 9.Acqua Salata [con Bungaro] 10.Luci, Fuochi E Stelle [cin Ron]11.Lella [con Antonello Venditti]LPX-311 CDL-311 この後古巣のRCAイタリアーナに戻ったようです。94年に出た思われるアルバム「De Angelis」が情報未確認です。74321-14622・2 (1994年 RCA Italiana – BMG Ariola) CD De Angelis1.Lettera Per Te2.Novalis3.Acqua Salata4.Cantare In Italiano5.Rosso6.Notte Di Settembre7.Luci Fuochi E Stelle8.Lella9.Incendiare Questa Mezzanotte10.Sulla Rotta Di Cristoforo Colombo11.Brutta Storia12.La Gara Di Sogni13.Piccola Italia14.La Casa Di Hilde 74321-14622・2 94年RCAイタリアーナに戻って2枚目のアルバム「Edoardo De Angelis」はフォニット・チェトラで出したようなデュエット集でした。エドアルドのアンソロジーとも言え、彼と仕事をした仲間を中心にアニー・ロバート、ロン、アントネロ・ヴェンディッティ、トスカ、ルチオ・ダルラ、フランチェスコ・デ・グレゴリ、アメディオ・ミンギ、フランチェスコ・ジュンタ、ルチッラ・ガレアッツィ、パオラ・トゥルチ、アンジェロ・ブランドゥアルディ、ブンガロ、ルカ・バルバロッサ、マリオ・カステルヌオーヴォ達でした。74321-14622・2 (1994年 RCA Italiana – BMG Ariola) CD Edoardo De AngelisTRI-040 (1997年Tring –Teatro Del Sole) CD Antologia D'Autore – Edoardo De Angelis [5 030240 035826]1.Notte Di Settembre [con Annie Robert]2.Luci Fuochie Stelle [con Ron]3.Lella [con Antonello Venditti]4.Incendiare Questa Mezzanotte [con Tosca]5.Sulla Rotta Di Cristoforo Colombo [con Lucio Dalla]6.Brutta Storia [con Francesco Di Giacomo]7.La Gara Dei Sogni [con Amedeo Minghi]8.Piccola Italia [con Francesco Giunta]9.La Casa Di Hilde [con Lucilla Galeazzi]10.Lettera Per Te [con Paulo Turci]11.Novalis [con Angelo Branduardi]12.Acqua Salata [con Bungaro]13.Cantare In Italiano [con Luca Barbarossa]14.Rosso [con Mario Castelnuovo]74321-14622・2 TRI-040 次に出したアルバム「Parole Nel Cuore」は最後の曲“Notte Di Settembre”以外はすべて新曲を集めた物でした。743221-33738・2 (1996年RCA Italiana – BMG Ricordi) CD Parole Nel Cuore [074321 33738 2 9]1.Ho Visto Amori2.Rosario E Raffaella3.Così Vicino Così Lontano4.Parlare Con La Luna5.Una Canzone Divertente6.In Fondo Al Cuore Mai7.Fratellino8.Parole Nel Cuore9.Condizionale10.Caro Mondo11.L'Uomo Col Vento Nei Capelli12.Notte Di Settembre743221-33738・2 DA-1004DA-1004 (2002年 D'Autore - Azzurra Music) CD Il Coraggio Delle Parole [8 028980 083426]1.Troppo Poco2.Stella Mia3.Il Coraggio Delle Parole4.Che Cosa Serve A Un Viaggio5.La Casa Senza Porte6.Del Cielo E Della Terra7.Piccolo Sole8.Zucchero E Sale9.Vendo Poesie10.Non Ammazzate Anna11.Nel Mio Cuore12.Gli Sposi Di Tirana13.Amici Della Musica RCAイタリアーナからコンスタントにアルバムを出していたエドアルド・デ・アンジェリスでしたが、また6年ほどアルバム制作から遠ざかります。2002年アッツーラ・ミュージックのダウトーレからアルバム「Il Coraggio Delle Parole」が出ました。 03年、10年前94年に出したアルバム「Edoardo De Angelis」にフランコ・シモーネとデュエットをした“Terraferma”と“Canzone Mia”を追加したアルバム「Antologia D'Autore 2 – Edoardo De Angelis」を出しました。DA-1015 (2003年 D'Autore - Azzurra Music) CD Antologia D'Autore 2 – Edoardo De Angelis ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照1.Terraferma [con Franco Simone]2.Notte Di Settembre [con Annie Robert]3.Luci Fuochie Stelle [con Ron]4.Lella [con Antonello Venditti]5.Incendiare Questa Mezzanotte [con Tosca]6.Sulla Rotta Di Cristoforo Colombo [con Lucio Dalla]7.Brutta Storia [con Francesco Di Giacomo]8.La Gara Dei Sogni [con Amedeo Minghi]9.Piccola Italia [con Francesco Giunta]10.La Casa Di Hilde [con Lucilla Galeazzi]11.Lettera Per Te [con Paulo Turci]12.Novalis [con Angelo Branduardi]13.Acqua Salata [con Bungaro]14.Cantare In Italiano [con Luca Barbarossa]15.Rosso [con Mario Castelnuovo]16.Canzone Mia 05年新曲アルバム「Le Allodole Di Shakespeare」を制作しました。DA-1026 (2005年 D'Autore - Azzurra Music) CD Le Allodole Di Shakespeare [8 028980 156922]1.Le Allodole Di Shakespeare2.L'orso E La Stella3.Una Storia Americana4.Vento5.Prendi Le Ali6.Un Dolore Piu' Gentile7.Nostra Signora Del Golpe8.La Stella Di Davide9.Waterloo10.Terraferma11.Senza Saluti12.Song For ValeDA-1026 CD-188CD-188 (2008年Il Manifesto - Il Manifesto) CD Historias [8 028778 891882]1.Cinque Parole2.La Stella Di Davide3.Sulla Rotta Di Cristoforo Colombo4.Una Storia Americana5.Un'altra Medicina6.Ramirez7.Lella8.Mamèn9.La Casa Di Hilde10.Maracana'11.Rosso12.Waterloo13.L'anima Intera[Videoclip] Una Storia Americana 08年イタリアの新聞社系列のレコード会社イル・マニフェストから新アルバム「Historias」と言うビデオ・クリップを付けたセルフ・カヴァーを発売しています。 10年21曲を収録したCD付きの書籍「Te La Ricordi Lella」を出版しました。ISBN・10-8864381309 (2010年 Editrice Zona) libro + CD Te La Ricordi Lella1.Lella2.La Casa Di Hilde3.Sulla Rotta Di Cristoforo Colombo4.Acqua Salata5.Non Ammazzate Anna6.Una Storia Americana7.Ramirez8.Novalis9.Alain10.Cantare In Italiano11.Mia Madre Parla A Raffica12.La Stella Di Davide13.Gara Di Sogni14.Brutta Storia15.Notte Di Settembre16.Parole Nel Cuore17.Zucchero E Sale18.Stella Mia19.Vento20.Un Dolore Più Gentile21.Le Allodole Di Shakespeare.ISBN・10-8864381309 RTP-0252RTP-0252 (2011年Rai Trade - ) CD Sale Di Sicilia [8 016190202114]1.Sale Di Sicilia2.Benedetta3.Rosario E Raffaella4.Stella Stella Mia5.Una Storia Da Raccontare6.Speranza Disperata7.Abele8. Con Un Sorriso9.Il Giardino Di Giovanni10.Nostra Signora Del Golpe11.Voglio Un Amore12.La Valigia Dell'addio13.Alloro14.Parole Che Appartengono Al Mio Cuore15.Spasimo 60代半ばになりましたが制作意欲は衰えず、11年RAIトレードから新アルバム「Sale Di Sicilia」を発売しました。 70才を過ぎた16年エリコニアから「CD Il Cantautore Necessario/ Edoardo De Angelis, Michele Ascolese」を出ました。HK-1609 (2016年Helikonia - ) CD Il Cantautore Necessario/ Edoardo De Angelis, Michele Ascolese1.La Canzone Dell'amore Perduto2.Oltre Il Muro 3.Amara Terra Mia 4.Dicembre5.Santa Lucia6.Cosa Portavi Bella Ragazza7.Tango Solitario8.Io E Te Maria9.Io Che Amo Solo Te10.La Voce Di Tua Madre11.Mio Fratello Che Guardi Il Mondo12.Porta Romana13.Ortigia14.Il mare, Il Cielo, Un Uomo15.La Casa Nel Parco16.Megisti17.La Casa In Riva Al Mare18.Se Stasera Sono QuiHK-1609 ICN・CD-001ICN・CD-001(2018年Il Cantautore Necessario – G.T. Music Distribution) CD NuoveCanzoni [8 000006500018]1.Il Mago E Le Stelle2.Abbracciami3.Anna è Un Nome Bellissimo4.Arriva Il Tempo5.Sponde6.Galileo7.Il Tempo Sconosciuto8. Padre Nostro 9.Alleggiu10.Scegli Il Nome di Un Fiore11.Una Notte Romana12.Il Mago E Le Stelle [Strumentale] これが最新アルアムと思いますが18年イル・カンタウトーレ・ネチェッサリオからアルバム「NuoveCanzoni」を出しています。晩年には若いカンタウトゥーリの育成に力を注いでいるようです。 エドアルド・デ・アンジェリスの国内盤はありません、エドアルド・デ・アンジェリスは以上です。 スコラ・カントルム 4 は次回に続きます
2019.10.18
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★スコラ・カントルム (compl) Schola Cantorum 1973年RCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)の命によって、自社のカンタウトゥーリ達の作品をカヴァーするため結成したミュージック・グループ。80年に一旦解散をしましたが、84年に再結成し95年まで活動を続けました。多くの歌手を輩出しました。 活動期間:1974 – 1980; 1984 – 1995 所属レコード会社: RCA Italiana, Delta, CGD サンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、93年参加 1978年サンレモ音楽祭出場メンバー アルベルト・ケリ(Alberto Cheli) アルド・ドナーティ (Aldo Donati) キコ・フスコ (Kico Fusco)、本名エンリコ・フスコ(Enrico Fusco) アニー・トベルト (Annie Tobert) Annie Robert ルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani) Luisella Mantovani エドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis) ミミ・ゲイツ(Mimi Gates)、旧芸名メリル(Merrill) ジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini) エディー・ヴィオラ(Eddy Viola) マリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli) 2019年6月1日以来のブログ「サンレモの歌手達」です。約半年のブランクでしたが、以前のように3日に1度のアップとはいきませんが、不定期ながら少しずつ書進めていきましょう。 1978年1月26日から28日まで開催した第28回サンレモ音楽祭に“私の恋”初出場しましたが成功しませんでした。この時点でエドアルド・デ・アンジェリスとマリーナ・アルカンジェリが脱退しており8名のグループでした。 PB-6142 (1978年1月 RCA Italiana – RCA Italiana) Il Mio Amore (私の恋)/Pierrot Formazione PB-6142 PB-6225 PB-6225 (1978年10月 RCA Italiana – RCA Italiana) La Montanara (山の娘) [festivalbar]/Aiuto 78年10月この年2枚目のシングル盤、伝統的な民謡の名歌“山の娘”を発売し、週間ランキング最高40位(在位7週)の小ヒットになりましたが、彼ら最大の“谷間に三つの鐘が鳴る”のようにはなりませんでした。 年末にサンレモ出場曲“私の恋”の入った4枚目のアルバム「Quando Il Canto È Poesia」が出ましたが、廉価盤シリーズのリネア・トレとしてヒット曲を集めた物でした。 NL-33064 (1978年 Linea Tre – RCA Italiana) Quando Il Canto È Poesia 1.Il Mio Amore (私の恋) 2.Lella 3.Caterina (Annie's Song) (緑の風のアニー) 4.Alice (アリス) 5.La Mia Musica 6.Calendario 7.Roma Capoccia (ローマ・カポッチャ) 8.Pierrot 9.La Luna 10.Le Tre Campane (三つの鐘 (谷間に三つの鐘が鳴る)) 11.Questa Sporca Vita 12.Poesia (愛の詩(ポエジア)) NL-33064 さて「スコラ・カントルム1」でお約束したように、各結成メンバーを紹介していきましょう。 77年最初に脱退した エドアルド・デ・アンジェリスから始めます。 ☆エドアルド・デ・アンジェリス (Edoardo De Angelis) 1945年12月ローマ生、自作自演歌手、作詞・作曲家、音楽、レコード・プロデューサー。 PB-6009 活動期間:1970 – 現在 所属レコード会社:Valiant, RCA Italiana, Polydor, Durium, Spaghetti Records, Virgin, Fonit Cetra, Il Manifesto, Rai Trade エドアルドは高校の頃音楽に興味を持ちギターを習い、中学の友達ステリオ・ギッカ・パッリ(Stelio Gicca Palli)とデュオ・エドアルド&ステリオ(il duo Edoardo e Stelio)を結成し作曲も始めました。 大学の文学部に入り民俗学を勉強しながら、トニー・サンタガータ(Toni Santagata)達が興したフォーク・スタジオに出入りするようになります。ステリオとローマの方言で歌う恋人を殺した男の歌“Lella”が“君に涙とほほえみを”などで知られる有名作曲家ジャンニ・マルケッティ(Gianni Marchetti)に認められ、RCAイタリアーナの傘下、ヴァリアント(Valiant)からデビューします。 ZV-50064 (1970年11月 Valiant – RCA Italiana) Lella/Alle 7 Del Mattino D'Un Giorno Qualunque [come Edoardo & Stelio] ZV-50064 ZV-50212 ZV-50212 (1972年6月 Valiant – RCA Italiana) Eva/ Il Paese Dove Nascono I Limoni (come Edoardo & Stelio) 2枚のシングルとアルバム1枚を出しますが、これと言った成果は出せませんでした。ライターとしてはウィルマ・ゴイクとエドアルド・ヴィアネッロが夫婦デュオ、ヴィアネッラ(I Vianella)を結成した第1作目“Vojo Er Canto De 'Na Canzone”を提供し名前が知られるようになります。 ZSLV-55047 (1972年2月 Valiant – RCA Italiana) Il Paese Dove Nascono I Limoni [come Edoardo & Stelio] 1.Lella 2.Amore Mio Con Gli Occhi Grandi 3.Edoardo & Stelio 4.Olga 5. Mafia 6.Alle 7 Del Mattino D'Un Giorno Qualunque 7.Eva 8. Sora Rosa 9.Hai Stato Tu 10.Il Paese Dove Nascono I Limoni 11.Il Tuo Nome Nel Vento 12.Ara Bell'Ara ZSLV-55047 BVCM-35444BVCM-35444 (2008年9月10日 RCA - BMGジャパン) CD カグアのための果実 (FRUTTI PER KAGUA)/カピトロ6 (CAPITOLO 6) 1.カグアのための果実 (FRUTTI PER KAGUA) 2.偉大なる神霊 (GRANDE SPIRITO) 3.ある民族の日暮れ (IL TRAMONTO DI UN POPOLO) 4.最後の夜 (L'ULTIMA NOTTE) 72年以降はフランチェスコ・デ・グレゴリ(Francesco De Gregori)とプログレ・バンドのカピトロ6のアルバム「カグアのための果実」を作っています。デ・グレゴリとのコラボレーションの他には73年から新時代のカンタウトゥーリのアメディオ・ミンギ(Amedeo Minghi)と一緒に曲作り、レコード制作の仕事を中心にしていました。 74年RCAイタリアーナ・グループの大方針のもとに結成されたスコラ・カントルム (Schola Cantorum)の一員に選ばれ参加する事になりました。(スコラ・カントルム 1をご参照) 75年彼らはカンタウトゥーリのカヴァー曲ではない独自のアルバム(2枚目)「Le Tre Campane」の中でオリジナル曲“Se Tu Fossi Una Rosa”を作詞・作曲し、“Calendario”をパオロ・ドッセナ(Paolo Dossena)と作り、またジョン・デンバー(John Denver)の“緑の風のアニー (Caterina (Annie's Song))”のイタリア語歌詞をキコ・フスコと書いています。 しかし77年ソロ活動をするためにスコラ・カントルムを脱退します。最初の仕事は世にエドアルドの名を知らしめる恩人となったヴィアネッラの新アルバム「ふたりだけの涙/ヴィアネラ)」に彼が得意とするローマ方言の新曲“ティアリ・ティアリ(Nun Se Pò Fà)”を提供することと、79年サンレモ音楽祭に初出場するカンタウトゥリーチェ、ニコレッタ・バウチ(Nicoletta Bauce)とコラボして、彼女のアルバムに“La Commedia”を提供することでした。 GP- 643 (1978年12月 SEVEN SEAS -キング) ふたりだけの涙/ヴィアネラ (DEVO AMARTI/I VIANELLA) 1.ふたりだけの涙 (DEVO AMARTI) 2.ローマ (ROMA) 3.可愛いベンチ (LE PACHINE) 4.愛の誕生日 (COMPLEANNO) 5.白い小猿 (SCIMMIA BIANCA) 6.アッドルメンタルシ・クイ (ADDORMENTARSI QUI) 7.夢の世界に (SE IO POTESSI) 8.恋する願い (NON GIRARE SEMPRE NUDA) 9.ティアリ・ティアリ (NUN SE PO' FA) 10.親愛なる友よ (IL DIAVOLO A QUATTRO) 11.愛と呼ぶ世界 (ETERNI E LIBERI) GP- 643 PL-31243PL-31243 (1977年 RCA Italiana – RCA Italiana) Il Tuo Cuore È Casa Mia 1.La Bambina Che Non Parla 2.Se Tu Fossi Una Rosa (- Schola Cantorum) 3.Cow Boy 4.Sulla Rotta Di Cristoforo Colombo (- Lucio Dalla) 5.Il Tuo Cuore E' Casa Mia 6.Buongiorno Amore Mio 7.Crocevia 8. Valzer 9.La Casa Di Hilde (- Francesco De Gregori) PB-6009 (1977年 RCA Italiana – RCA Italiana) Il Tuo Cuore È Casa Mia/La Bambina Che Non Parla ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 エドアルド自身は77年スコラ・カントルムのために書いた“Se Tu Fossi Una Rosa”や72年ルチオ・ダッラ(Lucio Dalla)に提供した“Sulla Rotta Di Cristoforo Colombo”、73年にフランチェスコ・デ・グレゴリと共作した“La Casa Di Hilde”などをセルフ・カヴァーしたアルアム「Il Tuo Cuore È Casa Mia」を制作し、“Il Tuo Cuore È Casa Mia”をシングル・カットしました。 翌78年ポリドールに移籍しました。直ぐにアルバム「Piccola Storia Di Libertà」を出しました。 2448-069 (1978年 Polydor - Phonogram) Piccola Storia Di Libertà 1.Piccola Storia Di Libertà 2.Bandito 3.Giorgia Non È L'America 4.Cuori Testardi 5.Lillo 6.Io Sono Qui 7.Rosso E Nero 8.Briociola Di Pane 9.Anelli 10.Fagiolino 11.Come Passa Il Tempo 2448-069 翌79年にはアルバム「Edoardo De Angelis」を出し、“Nerofumo”をシングル・カットしました。この曲でテレビ出演もして歌い、彼の中ではヒットした曲となっています。(しかし今のところプロモート盤の画像しか見つからず、地味なヒットだったと思われます) 2448-087 (1979年 Polydor - Phonogram) Edoardo De Angelis 1.Nerofumo 2.Tre Soldi Tre Storie Due Anime Ed Un Cuore 3.Chi Ci Salverà 4.Non Ammazzate Anna 5.Tra Le Stelle E Domani 6.Geografia 7.Acqua Salata 8.Tre Quarti Dolce 9.Dollaro 10.Faccia D'Angelo 2448-087 500-528 500-528 (1979年 Polydor - Phonogram) Nerofumo/Acqua Salata 80年にはドゥリウムに移り、アルバム「Anche Meglio Di Garibaldi」を発売し、その中から“Una Storia Americana”をシングル・カットしています。この曲はイタリア語で歌われたカントリー調で小ヒットとなりました。 Ms・AI-77415 (1980年9月 Durium - Durium) Anche Meglio Di Garibaldi 1.Una Storia Americana 2.Torrone 3.La Mia Canzone Su Milano 4.Buonanotte E Una Carezza 5.Pensieri Sulla Riva Della Sera 6.Ramirez 7.Canzone Mia 8.Storia Di Un Fiore 9.Il Mondo Sta Bruciando 10.Un Valzer 11.Una Nuova Canzone Nascerà Ms・AI-77415 Ld・A-8084 Ld・A-8084 (1980年 Durium - Durium) Una Storia Americana/Ramirez 2年後の82年チューイングからアルアム「Cantare In Italiano」とシングル盤“Vieni, Andiamo Via”が出ました。フォーク歌手としては手堅い成功を得ています。 CML-4001 (1982年 Chewing Music - Fonit Cetra) Cantare In Italiano 1.Cantare In Italiano 2.Abele 3.Novalis 4.Lella 5.Piccola Principessa 6.Alain 7.Venezia Non C’È Più 8.Stella Del Cielo CML-4001 CM-1001 CM-1001 (1983年 Chewing Music - Fonit Cetra) Vieni, Andiamo Via/Novalis ロークスのシェル・シャピロたちが作ったスパゲッティからQ-ディスク(Q-DISC)で「Mia Madre Parla A Raffica」を出します。 SPRQ-401 (1984年 Spaghetti Records, – Pressing) Mia Madre Parla A Raffica 1.Mia Madre Parla A Raffica 2.La Stella Di Davide 3.Waterloo 4.La Gara Di Sogni 5.Maracanà SPRQ-401 スコラ・カントルムの国内盤はありません スコラ・カントルム 3 (エドアルド・デ・アンジェリス 2)は次回に続きます
2019.10.14
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