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8年ぶりに“オーガナイザー”に返り咲きジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)がサンレモ音楽祭の復活を掲げましたが、ミーノ・ヴェルニャーギ (Mino Vergnaghi) の優勝曲“アマーレ (Amare”が直ぐに失速し、週間ランキング最高位18位で14週間ランク・インしたものの79年年間ヒット・ランク99位に滑り込んだという状況でした。第3位となったカマレオンティ(Camaleonti)の“暗闇の心 (Quell'Attimo In Più)”も週間ランキング最高位35位(在位11週)、4位のコラージェ(Collage)も同34位(同11週)でドングリの背比べ、年間ヒット・ランク100位以内に入れませんでした。 エンツォ・カレッラ (IT) ロレッラ・ペッシェレッリ (ARC) 第29回 1979年1月11日(木)~13日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo) 司会:マイク・ボンジョルノ(Mike Bongiorno)、アンナマリア・リッツォーリ(Annamaria Rizzoli) オーガナイザー:ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera) [数]は外人歌手数、1979年は外人の出場は3歌手 ・RCA Italiana 4[0] RCA 2[0] ;ARC 1[0];IT 1[0])) ・CGD 4[0] (CGD 1[0];Ascolto 1[0]);Baby 1[0] ;Kontiki 1[0]))) ・Dischi Ricordi 4[1] (Ricordi 2[0]; Ariston 2[1]) ・Phonogram 2[0] (Polydor 1[0]);Philips 1[0])) ・Durium 2[0] ・EMI Italiana 2[1] ・Fonit Cetra 1[0] ・Ri Fi 1[0] ・WEA Italiana 1[0] (It Why 1[0]) ・SIF 1[1] Barclay 1[1]) 成功したのはただ一人、初出場の中年コメディアン、エンリコ・ベルスキ (Enrico Beruschi)の“花だろう(Sarà Un Fiore)”が年間ヒット・ランク97位になったことでした。カテリーナ・カセルリのレーベル、アスコルトから初出場した6位“殿様気取り(A Me Mi Piace Vivere Alla Grande)”のフランコ・ファニリューロ(Franco Fanigliulo)も週間ランキング最高位42位(在位10週)と期待外れに終わりました。 キム&キャデラックス (Ariston) エンリコ・ベルスキ (Baby) また女性歌手で決勝戦に残ったのは“ニュー・ヨーク(New York)”を歌ったロレッラ・ペッシェレッリ(Lorella Pescerelli)ただ一人でした。この曲は後にパティー・プラヴォー(Patty Pravo)が英語でカヴァーし知られるようになりました。 <参加曲> ◆黄色いページ Autunno, Cadono Le Pagine Gialle (Roerto Ferri - GiancarloTrombetti) 出版社 ARISTON マリネッラ (vf) Marinella (Ariston - Dischi Ricordi) AR-00847 [45] AR-00847 3C・006-18387 ◆アイックス・ディスコ AYX Disco (Riccardo Galardini) 出版社 BELRIVERアイックス (compl) AYX (EMI – EMI Italiana) 3C・006-18387 [45] ◆チャオ・バルバレッラ Ciao Barbarella (Oscar Avogadro - Daniele Pace - Ciro Sebastianelli) 出版社 AROMANDOチロ・セバスティアネッリ (vm) Ciro Sebastianelli (CGD) CGD-10141 [45] CGD-10141 6025-209 ◆偉大なる魔法使いGrande Mago (Nicoletta Bauce - Roberto Colombo) 出版社 INTERSONG ITALIANA. ニコレッタ・バウチェ (vf) Nicoletta Bauce (Philips – Phonogram)6025-209 [45] ◆秘密の日記 Il Diario Dei Segreti (Daiano - Giuseppe Adorno) 出版社 DURIUM オペラ (compl) Opera (Durium - Durium) Ld・Al-8038 [45] Ld・Al-8038 3C・006-14720 ◆理性を失なう時 (狂っちゃうわ) Impazziròi (Piero Civello - Basilivan) 出版社 BELRIVER イレテ・ユンヌ・フォワ (compl=f) Il Était Une Fois (EMI – EMI Italiana) 3C・006-14720 [45] ◆ふたりの影 In Due (Gianni Belfiore - Michele Vicino) 出版社 INTERSONG ITALIANA ミケ-レ・ヴィチ-ノ (vm) Michele Vicino (Cetra – Fonit Cetra) SP-1697 [45] SP-1697 KNT-4002 ◆太陽と雨 La Pioggia, Il Sole (Daniele Pace - Corrado Conti) 出版社 CONTAPE - SUGAR ロベルタ (vf) Roberta (Kontiki – CGD) KNT-4002 [45] ◆ナポリの叫び Napule Cagnarrà (Wanda Montanelli) 出版社 RCA - R マッシーモ・アッバーテ (vm) Massimo Abbate (RCA – RCA Italiana) PB-6290 [45] PB-6290 SRL-10・890 ◆黒いお守り Talismano Nero (Manipoli - Gianni Mocchetti) 出版社 JUBAL ジャンニ・モケッティ (vm) Gianni Mocchetti (Ricordi – Dischi Ricordi) SRL-10・890 [45] 以上参加曲、出場曲は以上です。 イレテ・ユンヌ・フォワ (EMI Italiana) ジャンニ・モケッティ (Ricordi) 前2回のように大化けする新歌手が出現することはありませんでしたが、強気のジャンニ・ラヴェーラは「掛かった費用の分だけは収入があったとしかお答えできません」また「今年サンレモが以前のものよりも良かったか悪かったかに関わらず、新らた出発点になった思っている」とコメントしています。サンレモ音楽祭の小さな第一歩が始まったと言う事でしょう。 なお79年のサンレモの舞台で歌われた曲で一番ヒットしたのはゲストのピッポ・フランコ(Pippo Franco)の“Mi Scappa La Pipì Papà”が年間ヒット・ランク15位になっています。 ミケーレ・ヴィチーノ (Cetra) ロベルタ (Kontiki) それでは前回に続き初出場のレコード会社の紹介です。残りの2社です。 イット・ホヮイ (It Why) 78年初参加のレコード会社3番手はイット・ホヮイという英語名のレーベルです。これまたほとんど資料の見つからない会社です。 78年WEAイタリアーナは同社のレコード番号を使って発売するサブ・レーベルを作りました。WEAイタリアーナに所属していたウンペルト・ナポリターナが第1号契約歌手だったので、私はナポリターナが設立した会社と思っていましたが、その証拠は見つかりませんでした。 80年代は右のレーベル・マークを使って主にダンス・ミュージック系のレコードを出していました。 2000年代はIT-WHY DistribuzioneとしてCDが出ていますが、同じ会社なのか不明です。 ベビー・レコーズ (Baby Records) 日本でも発売された知る人ぞ知るイタリアのレコード会社です。スティ-ブン・シュラックス (Steven Schlaks)、リッキとポ-ヴェリ(Ricchi E Poveri)はビクター音楽産業、ラ・ビオンダ (La Bionda)と後にテイチク発売となるD.D.サウンド (D.D.Sound)が日本フォノグラム、ガゼボ (Gazebo)とロンド・ヴェネチアーノ (Rondo' Veneziano)がCBSソニー、ピンク・プロジェクト (Pink Project)はアルファ、デン・ハーロウ (Den Harrow)がファンハウス、ユ-ロビ-ト系がポニー・キャニオンなどバラバラ状態ですが色々な曲が国内盤として出ています。 ベビー・レコーズ(以下ベビーと略)は74年エジプト系イタリア人フェデリコ・ナッジャール(Federico Naggiar)がミラノで設立しました。新感覚の音楽で民族系レコード会社の新興メジャー・レーベルとして94年まで活動を続けます。 当時のメジャー会社と対抗していくには、目新しい革新的音楽の分野に進出する必要があり、イタリア人歌手に英米風芸名を付け英語で歌わす曲で参入を図りました。80年代になり、ディスコ・ミュージック、ユーロビートとして受入れられます。 しかしベビーの最初の成功は意外なものでした。イタリアに移住したアメリカ生まれでイージーリスニング畑のピアニスト、スティ-ブン・シュラックス(Stephen Schlaks)の“ブルー・ドルフィン(Blue Dolphin)”という曲が週間ランキング42位(在位5週)というマイナー・ヒットとなりました。 また80年サンレモ音楽祭で第3位となる歌手のプーポ(Pupo)が入社し、75年に出したデビュー曲“Ti Scriverò”が翌年週間ランキング48位(在位2週)でしたがこれもマイナー・ヒットで着実に実績を作りました。 さらに74年12月にYepレコードでデビューしたサント・カリフォルニア(Santo California)が歌う“トレビの泉(Tornerò)” の国内販売権を獲得し、75年年間ヒット・ランク5位となるメガ・ヒットになり経営的に大成功しました。 77年に79年サンレモで成功したエンリコ・ベルスキ (Enrico Beruschi)と契約します。80年代に入りベビーはサンレモ音楽祭に毎年出場歌手を送り、84年アル・バーノとロミナ・パワー (Al Bano & Romina Power)の“愛の架け橋(Ci Sarà)”で初優勝しました。翌年リッキとポーヴェリ (Ricchi e Poveri)の” 恋に落ちて(Se M'Innamoro)“で連続優勝し、イタリアで最もホットなド会社となります。 また77年はラ・ビオンダ(La Bionda)、D.D.サウンド(D.D.Sound)が契約します。D.D.サウンドはラ・ビオンダ兄弟の別名プロジェクトです。彼らはディスコ・ブームでイタリア国内や西ドイツを中心に欧州で大ヒットとなりました。 80年新しい音楽に挑戦します。女性だけで結成した室内楽風アンサンブル、ロンド・ヴェネチア-ノにクラシックとポップスを融合した音楽で売出しました。82年にはテクノ・ポップのガゼボ(Gazebo)を送出し、日本では彼の“アイ・ライク・ショパン (I Like Chopin)”を松任谷由実が日本語の歌詞を作り“雨音はショパンの調べ”として忘去られていたアイドル小林麻美が歌い大ヒットしました。 しかし90年代に入りベビーも時代に乗切れず94年に閉鎖されました。 サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1979年出場曲は以上です。 ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。 ・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。 ・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。 ・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2019.11.23
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1979年第29回大会で一番の話題は、音楽祭全体のマネージメントをする時期によってパトロン、オーガナイザー、芸術監督と表現が変りますが、なんと総責任者の事でした。テーマも「サンレモ音楽祭の復活」でその名の通り『サンレモ男』も復活しました。 ミーノ・ヴェルニャーギ (RI FI) フランコ・ファニリューロ (Ascolto) その男こそジャンニ・ラヴェーラで54年に歌手として出場しますが、目だった成績を残していませんでした。 彼が有名となったのは62年(第12回)から68年(第18回)まで連続7回と共同開催で71年、生涯で17度オーガナイザーを務めています。彼の功績は音楽祭の発展と、国際音楽祭に昇格させ世界のポピュラー音楽祭の仲間入りをさせたことでした。 そのラヴェーラとマイク・ボンジョルノが79年の音楽祭、存続の危機にもなった状態から這い上がろうとしているサンレモに戻ってくるという話は大きな話題でした。 第29回 1979年1月11日(木)~13日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo) 司会:マイク・ボンジョルノ(Mike Bongiorno)、アンナマリア・リッツォーリ(Annamaria Rizzoli) オーガナイザー:ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera) [数]は外人歌手数、1979年は外人の出場は3歌手 ・RCA Italiana 4[0] RCA 2[0] ;ARC 1[0];IT 1[0])) ・CGD 4[0] (CGD 1[0];Ascolto 1[0]);Baby 1[0] ;Kontiki 1[0]))) ・Dischi Ricordi 4[1] (Ricordi 2[0]; Ariston 2[1]) ・Phonogram 2[0] (Polydor 1[0]);Philips 1[0])) ・Durium 2[0] ・EMI Italiana 2[1] ・Fonit Cetra 1[0] ・Ri Fi 1[0] ・WEA Italiana 1[0] (It Why 1[0]) ・SIF 1[1] Barclay 1[1]) マリネッラ (Ariston) パンデモニウム (RCA Italiana) 参加レコード会社はRCAイタリアーナ・グループとリコルディ・グループが4歌手で前年通り、CGDグループが3から4歌手に1増で親会社CGDの他はカテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)が起ち上げたアスコルト(Ascolto)と傘下のベビー・レコーズ(Baby)、マイナー・レーベルのコンティキ(Kontiki)が加わりました。 1歌手から2歌手に増えたのはEMIイタリアーナ、フォノグラム、ドゥリウム、前年と変わらず1名がフォニット・チェトラ、リフィ、WEAイタリアーナでした。前年実績なしはフランス人のアントワーヌ(出場4回目)を招いたバークレイのイタリア法人SIFです。 前年実績1歌手からゼロになったのがサール(SAAR)、イェップ(YEP)、アリス(ARIS)の3社でした。 <優勝曲> アマーレ Amare (Piero Finà - Sergio Ortone) 出版社 RI-FI Mus. <1441> ミーノ・ヴェルニャーギ (vm) Mino Vergnaghi (Ri Fi)RFN・NP-16772 [45] RFN・NP-16772 第2位 バルバラ Barbara (Pasquale Panella - Enzo Carella) 出版社 IT –Jeans –RCA – R <1257> エンツォ・カレッラ (vm) Enzo Carella (IT – RCA Italiana) ZBT- 7127 [45] ZBT- 7127 Ld・Al-8039 第3位 暗闇の心 Quell'Attimo In Più (Oscar Avogadro - Daniele Pace - Mario Lavezzi) 出版社SUGAR – DURIUM <1256> カマレオンティ,{イ・} (compl) Camaleonti (Durium) Ld・Al-8039 [45] <入賞曲> 4位自由な瞳 La Gente Parla (ntonello De Sanctis - Sandro Di Nardo - Marcello Marrocchi) 出版社JUBAL - NUOVA IDEA < 1210> コラ-ジェ (compl) Collage (Ricordi – Dischi Ricordi) SRL-10・891 [45] SRL-10・891 BR-077 5位花だろう Sarà Un Fiore (Daniele Pace - Mario Panzeri - Corrado Conti) 出版社 TELEVIS <1196> エンリコ・ベルスキ (vm) Enrico Beruschi (Baby Records – CGD) BR-077 [45] 6位 殿様気取り A Me Mi Piace Vivere Alla Grande (Daniele Pace - Oacar Avogadro - Franco Fanigliulo -Riccardo Borghetti) 出版社 SUVINI ZERONI <1156> フランコ・ファニリューロ (vm) Franco Fanigliulo (Ascolto - CGD) ASC-10142 [45] ASC-10142 PB-6283 7位ニュー・ヨーク New York (Franco Migliacci - Flavio Paulin) 出版社 RCA - R <1149> ロレッラ・ペッシェレッリ (vf) Lorella Pescerelli (ARC – RCA Italiana) PB-6283 [45] 8位 青空の稲妻 C'Era Un'Atmosfera (Aldo Stellita - Piero Cassano) 出版社 LA BUSSOLA <1054> キム&キャデラックス (compl=e) Kim & The Cadillacs (Ariston - Dischi Ricordi) AR-00846 [45] AR-00846 T-17308 9位 私の少女 Bimba Mia (Umberto Napolitano) 出版社 BLUE TEAM - IT WHY <1044> ウンベルト・ナポリターノ (vm) Umberto Napolitano (It Why – WEA Italiana) T-17308 [45] 10位 ふきげんなあなた Tu Fai Schifo Sempre (Anelo Giordano - Gianni Mauro - Michele Paulicelli) 出版社 RCA – R <993> パンデモニウム (coro) Pandemonium (RCA – RCA Italiana) PB-6280 [45] PB-6280 BRC・NP-40089 11位 ノッチョリーノ Nocciolino (Maurizio Piccoli) 出版社 FAMA <957> アントワーヌ (vm=f) Antoine (Barclay – SIF) BRC・NP-40089 [45] 12位 リアーナ Liana (Loreno Lazzarini) 出版社 INTERSONG ITALIANA <854> グリム、{イ・} (compl) Grimm (Polydor – Phonogram) 2060-190 [45] 2060-190 以上入賞曲 77年のマティア・バザール (Matia Bazar)、78年のアンナ・オクサ (Anna Oxa)などの新人スターを輩出し、出場曲が少ないのにもかかわらず年間ヒット・ランク100に4,5曲入る好成績を収めたことが各レコード会社にも認められ、参加応募曲も増えました。 79年はレコード会社の応募曲800曲から20曲が選ばれ、音楽出版社団体に所属しない作曲家の楽曲を2曲追加した22曲で争われました。 イ・グリム (Polydor) ニコレッタ・バウチェ (Philips) 予選の第1夜、第2夜にそれぞれ11曲が披露され、その中から上位6曲が最終日(第3夜)の決勝戦に進みます。予選2夜はTV放送がなくラジオ放送のみで、審査員はイタリア全土で10ヵ所、学生、兵士、工場労働者、農民など各階層の10人グループが審査員となり投票をして順位を決めていきます。決勝戦はTV中継があり同様の方法で投票されますが、最終順位は予選での獲得投票数が加算され、優勝から12位までが決まり、上位3位までが表彰されます。 アイックス (EMI Italiana) マッシ-モ・アッバ-テ (RCA Italiana) 79年初参加のレコード会社4社、CGDのアスコルト(Ascolto)、CGD傘下のベイビー・レコーズ(Baby)、コンティキ(Kontiki)とWEAイタリアーナ傘下のイット・ホヮイ(It Why)でした。まずカテリーナ・カセルリが設立したアスコルトから紹介していきます。 アスコルト(Ascolto) 70年CGDの所有会社シュガー・ミュージックの御曹司ピエロ・シュガーと結婚したカテリーナ・カセルリは75年歌手を引退し、カテリーナ・カゼッリ・シュガーとして夫ピエロに協力しCGDのマネージメントに携わります。CGDに所属していた同郷のフォーク系自作自演歌手ピエランジェロ・ベルトーリ(Pierangelo Bertoli)が会社の方針に沿わず、自分の方針に固執して軋轢を生じていました。 カテリーナは彼の才能を伸ばす場、新たな音楽を目指すレーベルをグイド・カロータ(Guido Carota)とイタリア最初の民間ラジオ局開設者チェザーレ・モンタルエッティ(Cesare Montalbetti)の協力を得てアスコルトを作りました。 一方親会社CGDが大変な困難に遭遇します。アメリカCBSと資本提携し、CBSシュガーとして協力していましたが、CBSがプーやマルチェラ、ウンベルト・トッツィ等看板スターを連れてCBSディスキとして独立し、いっぺんに経営が傾きます。 こうしてアスコルトは親会社を頼る経営が出来なくなりました。ベルトーリの他に日本でもレコードが出ているロック・バンドのアレア(Area)、地中海音楽のペペ・マイナ(Pepe Maina)、元PMFのマウロ・パガーニ(Mauro Pagani)、日本で未発売のファウスト・O(Faust'O)、ミクソ(Mixo)や79年サンレモ音楽祭出場のフランコ・ファニリューロが加わります。 親会社CGDの経営環境は一層厳しさを増し、新たな音楽を目指したアスコルトは82年に閉鎖となります。CGDの録音スタジオはラ・ビオンダ兄弟の貢献で大会社となったベビー・レコーズに売るなど資産売却等のリストラを進めますが、遂に88年世界資本WEAにCGDを売却せざるを得ませんでした。シュガー一族はCGDから撤退を余儀なくされます。 しかしカテリーナはその後アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)、フィリッパ・ジョルダーノ(Filippa iordano)などを輩出し、イタリアを代表する女性プロデューサーとしてシュガー・ミュージックを再興しました。次もCGD傘下のコンティキです。 コンティキ(Kontiki) 詳しい情報が一切ないレコード会社です。79年サンレモ音楽祭に出場したロベルタが第1号契約歌手で78年に初めてレコードを出しています。親会社は音楽出版社CONTAPEではないかと思われます。レコード会社、音楽出版社にはCGDの設立メンバーでイタリアのジャズピアニスト、楽団オーナー、作曲家のレリオ・ルッタツィ(Lelio Luttazzi)が関係しているようです。 サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1979年 2は次回に続きます ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。 ・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。 ・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。 ・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2019.11.19
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1978年のサンレモ音楽祭は前年の最少12曲の出場曲より増えましたが、14曲と2曲増えただけで多いとば言い難い状況でした。 ただ出場曲の内6曲が年間ヒット・ランク100位以t内に入り、レコード・セールス面では前年に引続き成功したと言えます。しかも表彰上位3曲が後のイタリアのニュー・ミュージックを牽引する歌手たちが出現し、若者に対してアピールしたことが成功の一因だったと言えます。 出場歌手を出しているメジャー・レコード会社グループで複数歌手の参加はRCAイタリアーナだけで4歌手と圧倒的シェアで、他のレコード会社は各1名という状態でした。 本国イタリアでもこれではとても年度のコンピレーションを作ることもできず、後年出場歌手の大半を収録する呉越同舟型コンピレーションもまだ考えていないこの時代ではどこのレコード会社もサンレモ音楽祭に重要視しなくなっており、出場曲のコンピレーションは採算の合う仕事ではありませんでした。 年次コンピレーションを出した中で、日本のキング盤も奇跡のようなものでした。これは本来出せなかったRCAイタリアーナ音源を使ったためでした。キングは得意分野の一つ映画音楽でこれまでの実績を生かしイタリアのCAM社と直接契約をしていました。本国でCAMはRCAイタリアーナ傘下に入っており、親子関係が出来ています。 それを拡大解釈し(勿論本来の版権を持つRVCと交渉したと思いますが)、逆二次使用権の利用で国内盤を出したようです。 イタリアで不明歌手をつかったカセットがあるようですが、どう見ても路上で売っているような非正規品と思われます。 アメリカでカンツォーネを出しているマイナー・レーベルのピーターズがアメリカ版を出しています。イタリアの正規原盤を使ったもので、私も出場曲を確保するため手に入れました。 このアメリカ盤も全曲そろえることが出来なかったようで、ゲスト歌手のパティー・プラヴォーの歌った“禁じられた愛”を加えた13曲の編成でアンセルモ・ジェノヴェ-ゼ (Anselmo Genovese)” あなたひとり (Tu Sola)”、マルコ・フェッラディ-ニ (Marco Ferradini)“ テレ-ザが来れば (Quando Teresa Verrà)”は収録さてていません。 PLD-4204 (1978年 PETERS INTERNATIONAL - P.I.RECORDS,USA) 30cm LP SANREMO '78 1.チャオとひとこと (..E DIRSI CIAO) マティア・バザール 2.ジャンナ (GIANNA) リーノ・ガエターノ 3.明日に夢みて(DOMANI DOMANI) ラウラ・ルーカ 4.雪のかおり ('N 'ADDORE 'E CASTAGNE) ロベルト・カリーノ 5.私の恋 (IL MIO AMORE) スコラ・カントルム 6.暗がり (IL BUIO E TU) チロ・セバスティアネッリ 7.青春 (UN'EMOZIONE DA POCO) アンナ・オクサ 8.アンナ・アンナ (ANNA ANNA) ドナ-ト・チレッティ 9.メッザノッテ 1/2NOTTE ダニエル・センタクルス・アンサンブル 10.仲違い(なかたがい) (SOLI) イ・ビーンズ* 11.調和の幻想 (ARMONIA E POESIA) サンティーノ・ロッケッティ 12.禁じられた愛 (PENSIERO STUPENDO ) パティー・プラヴォー (Patty Pravo) 13.ひとりぼっち (ORA) ドラ・モローニ PLD-4204 Sanremo 1978 [Cassette/Unknown Artist] 1.Gianna (ジャンナ) 2.E Dirsi Ciao (チャオとひとこと) 3.'N'Addove 'E Castagne (雪のかおり) 4.Il Buio E Tu (暗がり) 5.Domani, Domani (明日に夢みて) 6.Ora (ひとりぼっち) 7.Il Mio Amore (私の恋) 8.Mezzanotte (メッザノッテ) 9.Un'Emozione Da Poco (青春) 10.Armonia E Poesia (調和の幻想) 11.Tu Sola (あなたひとり) 12.Anna, Anna (アンナ・アンナ) 13.Quando Teresa Verra' (テレ-ザが来れば) 14.Soli (仲違い(なかたがい)) イタリアで出たのはカセットのみで、しかもレコード会社不明、レコード番号なし、歌っている歌手も不明、どうみてもサンレモ音楽祭終了後道端で売っている模造品としか思えない物がディスコグス(Discogs)に有りました。ご参考程度で見ていただければ良いかと思います。 国内盤は例年発売しているキングのセブンシーズ・レーベルから5月に「第28回サン・レモ音楽祭」として10曲入りLPが出ました。内2曲はゲスト歌手の曲でミア・マルティーニ(Mia Martini)の妹ロレダーナ・ベルテの“グリ-ダ”とミケーレ(Michele)&マジック・サーカスの“アミ-コ・エルヴィス”を入れ、オリジナル曲8曲が入っています。 GP- 566 (1978年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第28回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1978) 1.チャオとひとこと (..E DIRSI CIAO) マティア・バザール 2.青春 (UN'EMOZIONE DA POCO) アンナ・オクサ 3.ジャンナ (GIANNA) リーノ・ガエターノ 4.グリ-ダ (GRIDA) ロレダーナ・ベルテ (Loredana Bertè) 5.アミ-コ・エルヴィス (AMICO ELVIS) ミケーレ (Michele Maisano & Magic Circus) 6.暗がり (IL BUIO E TU) チロ・セバスティアネッリ 7.調和の幻想 (ARMONIA E POESIA) サンティーノ・ロッケッティ 8.ひとりぼっち (ORA) ドラ・モローニ 9.雪のかおり ('N 'ADDORE 'E CASTAGNE) ロベルト・カリーノ 10.仲違い(なかたがい) (SOLI) イ・ビーンズ GP- 566 GXF- 81~90 GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP Boxサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 10-20.明日に夢みて(Domani Domani) ラウラ・ルーカ この年次アルバム「第28回サン・レモ音楽祭」に収録されませんでしたが、79年リコルディがポリドールからキングに復帰した後に出た10枚組ボックス「サン・レモ音楽祭大全集」に未発売だったラウラ・ルーカ (Laura Luca)の“明日に夢みて(Domani Domani)”が初めて収められました。 1978年年次コンピレーションの事は発売種類が少ないため終わりますが、残った字数でこれまでに書いてきて字数制限で書けなかった追補・訂正をしていきます。 エドアルド・デ・アンジェリスについてはアマゾンに未掲載になっていたCDが1枚出ていたのですが、アマゾンは各メーカーのカタログ番号を明示せず、アマゾンのASINコード(B00QUC81QW)のみで、処理し辛かったのと字数制限もあり、掲載を見送りました。追加するスペースが確保できたのは幸いです。 2019年10月18日 サンレモの歌手たち 573 スコラ・カントルム 3 (エドアルド・デ・アンジェリス 2) の追補 エドアルド・デ・アンジェリスのCDはカタログ番号が不明ですが、2014年にもう1枚出ておりました。追加いたします。 * (2014年Helikonia - Egea) CD Edoardo De Angelis Non Ammazzate Anna 1.Non ammazzate Anna 2.Io credo io penso io spero (con Antonella Ruggiero)(E.De Angelis-M.Di iuseppe-M.Testoni) 3.Stella stella mia 4.Notte di settembre (con Lucilla Galeazzi)(E.De Angelis-G.Benigni-E.De Angelis)) 5.Il coraggio delle parole 6.Piccola principessa 7Novalis (con Annie Robert) 8.Benedetta (con Amedeo Minghi) 9.Terraferma (con Ileana Pozzi) 10.Infinito piano (Primiamo Di Biase) 11.(Innamorato del) Vento 12. Il mondo sta bruciando (con Neri Marcore) (E.De Angelis-B.Paparazzo-E.De Angelis) 13.Io sono l’amore (con Enrica Arcuri) (E.De Angelis-M.Di Giuseppe-F.Simone) 11月7日のミーナの項であらかじめ邦題が付いた曲を把握しておりましたが、字数制限もありネグレクトしておりましたが、書くスペースを確保いたしましたので2枚の編集ベスト盤を再掲いたします。 2019年11月7日 サンレモの歌手たち 578 ミーナ 12 CGDの廉価盤シリーズの2枚について、邦題がある曲に追加表示をいたしました。 RB- 209 (1979年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) 30cmLP Mina Pizza Y Café 1.'Na Sera 'E Maggio (五月の夜) 2.Celeste 3.Te Vulevo Scurdà 4.Malatia (悪い女) 5.'O Ffuoco 6.Sciummo (河) 7.Moliendo Cafè (コーヒー・ルンバ) 8.Chega De Saudade (想いあふれて) 9.Que No Que No 10.Chihuahua (チウァウァ) 11.Dindi (ジンジ) 12.Chopin Cha Cha RB- 209 RB- 210 RB- 210 (1979年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) 30cmLP Mina American Portrait... 1.Summertime (サマータイム) 2.Slowly (スローリー) 3.Goodbye Is A Lonesome Sound 4.Venus 5.The Diary (恋の日記) 6.Dance Darling Dance 7.Young At Love (Non So Resisterti) 8.Pretend That I'm Here (嘘のある恋) 9.Julia (ユリア) 10.Give Me A Boy 11.My Crazy Baby 12.Just Let Me Cry (涙の手ほどき) 1978年(第28回)サンレモ音楽祭は以上で終了です。
2019.11.11
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ミーナ1〜ミーナ 11もご覧ください。62年を最後にミーナはサンレモ音楽祭に出場していませんが、彼女のその後の事を書き続けます。★ミーナ(vf) Mina本名ミーナ・アンナ・マッツィーニ (Mina Anna Mazzini)、1940年3月25日ミラノの近郊ブスト・アルシツィオ(Busto Arsizio)生、イタリアの歌手。デビュー当時外国のカヴァー曲を歌う時にベビー・ゲイト(Baby Gate)の芸名も使った。 PA-1129 所属レコード会社: Italdisc, RI FI, PDU (Durium, EMI, RTI, Sony Music)サンレモ音楽祭出場2回(4曲):1960年8位、参加、61年4位、5位公式サイト:https://www.minamazzini.it/it/ ミーナは1978年夏の放送されるTV番組「Mille e una luce」のエンディング・テーマ“アンコーラ・アンコーラ・アンコーラ (Ancora Ancora Ancora)”を吹込み、シングル盤のB面に入れて5月に発売しています。 この曲は年間ヒット・ランク41位(週間ランキング最高位4位)となりました。TV出演しこの曲を歌いましたが、ミーナの正式なTV出演はこれが最後と言われています。 A面は64年リフィ時代に録音したことのある“夜が“夜が欲しい (うつろな街)”で、未婚の母としてTV復帰した最初の曲でした。ミーナにしては珍しくセフル・カヴァーをシングル盤としてリリースしています。PA-1129 (1978年5月 PDU - EMI Italiana) Città Vuota (It's A Lonely Town) (夜が欲しい (うつろな街))/ Ancora Ancora Ancora (アンコーラ・アンコーラ・アンコーラ) ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 これを受けて、旧籍のリフィもオリジナルの“夜が欲しい”と“別離(わかれ)”をカップリンッグして発売しました。RFN・NP-16754 (1978年 Ri Fi - Ri Fi) Città Vuota (It's A Lonely Town) (夜が欲しい)/Un Anno D'Amore (別離(わかれ)) RFN・NP-16754 久々の78年はライヴ・コンサートを行っています。ピサ北20km保養地マリーナ・ディ・ピエトラサンタ(Marina di Pietrasanta)にあるヴェルシリア(Versilia)のクラブ・ブッソラドマニ(Bussoladomani)で開催されました。 オープニングはアリダ・ケッリ(Alida Chelli)のご主人でもある俳優、喜劇役者、演出家のワルター・キアリ(Walter Chiari)などイタリアのコメディアンのモノローグから幕が上がります。当初ミーナの公演は夏のヴァカンス・シーズンに15回予定されていましたが、ミーナが肺の病気を患ったため11回に短縮されたにも関わらず、大成功を収めました。 このライヴ・コンサートの模様は2枚組のアルバム「Mina Live '78」としてリリースされ50万枚以上を売上げ年間ベスト・セラー17位(週間・ランキング最高位4位)となる大成功でした。これが現時点でミーナの最後のライヴ・アルバムとなっています。Pld・L-6098~9 (1978年 PDU - EMI Italiana) 30cm 2LP Mina Live72435-36518・2 (2001年 PDU - EMI Italiana) CD Mina Live '78 [724353651824]1-1.Stasera Io Qui1-2.Stayin' Alive (スティン・アライブ)1-3.L'Importante È Finire (おわりが大切/愛の火は燃えて)1-4.Non Può Morire Un Idea1-6.Sognando1-7.Ancora Ancora Ancora (アンコーラ・アンコーラ・アンコーラ)1-8.Lacrime Napulitane (ナポリ人の涙)1-9.El Porompompero (エル・ポロンポンペロ)2-1.Georgia On My Mind (わが心のジョージア)2-2.Angela (アンジェラ) [ホセ・フェリシアーノ]2-3.Margherita (マルゲリータ) [リッカルド・コッチャンテ]2-4.Città Vuota (It's A Lonely Town) (うつろな街)2-5.Amante Amore2-6.Emozioni (エモツィオーニ)2-7.Ancora Tu (もう一度)2-8.Si, Viaggiare2-9.I Giardini Di Marzo (三月の庭)2-10.We Are The Champions (伝説のチャンピオン) [クィーン]2-11.Grande Grande Grande (グランデ・グランデ・グランデ)Pld・L-6098~9 72435-36518・2NL-33069 (1978年 Linea Tre – RCA Italiana) 30cmLP 15 Grandi Successi Di MinaCD-74427 (1990年 Linea Tre – BMG Ariola) CD 15 Grandi Successi Di Mina [035627442728]1.Il Cielo In Una Stanza (しあわせがいっぱい)2.Renato (月影のレナート)3.Stringimi Forte I Polsi (手首を強く握る)4.Chihuahua (チウァウァ)5.Tintarella Di Luna (月影のナポリ)6.'Na Sera 'E Maggio (五月の夜)7.Le Mille Bolle Blu (青い泡がいっぱい)9.Folle Banderuola (沢山の小旗)10.Sabato Notte (恋の土曜日)11.Una Zebra A Pois (水玉のしま馬)12.Coriandoli (コリアンドリ)13.Stessa Spiaggia Stesso Mare (太陽の海)14.Prendi Una Matita15.Nessuno (ネッスーノ)NL-33069 CD-74427 この後イタルディスク音源でRCAイタリアーナの廉価盤、リネア・トレから編集ベスト盤「Grandi Successi Di Mina」が出、CGDからはレコード・バザールから「Mina Graffiti」も発売されました。RB- 171 (1978年 Record Bazaar – CGD MESSAGERIE MUSICALI) 30cmLP Mina Graffiti1.Il Cielo In Una Stanza (しあわせがいっぱい)2.T'Ho Vista Piangere3.Piano (そっとさようなら)4.Due Note (二つの音)5. È Vero (エ・ヴェーロ)6.Amorevole (アモーレ・ヴォレ)7.Come Sinfonia (コメ・シンフォニア)8.La Fine Del Mondo9.Rapsodie (ラプソディー)10.Le Tue Mani (あなたの手)11.La Notte (夜よ、わたしを恋して)12.ConfidenzialeRB- 171 RB- 193RB- 193 (1978年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) 30cmLP Mina Graffiti1.Tintarella Di Luna (月影のナポリ)2.Folle Banderuola (沢山の小旗)3.Briciole Di Baci4.Be Bop A Lula (ビーバップ・ア・ルーラ)5.Una Zebra A Pois (水玉のしま馬)6.Nessuno (ネッスーノ)7.Prendi Una Matita8.Le Mille Bolle Blu (青い泡がいっぱい)9.Renato (月影のレナート)10.Cubetti Di Ghiaccio11.Stessa Spiaggia Stesso Mare (太陽の海)12.Bum Ahi Che Colpo Di Luna 79年自作自演歌手アンセルモ・ジェノヴェーゼ(Anselmo Genovese)の作った“Anche Un Uomo (男としても)”を中心としたアルバム「Attila Vol. 1」、「Attila Vol.2」を作り、3月に“男としても”をシングル盤で発売しました。この曲はRAI-TVのクイズ番組「Lascia o Raddoppia?」のテーマになり、同年年間ヒット・ランク45位のヒットでした。PA-1136 (1979年3月 PDU - EMI Italiana) Anche Un Uomo (男としても) 79#45[sigla della trasmissione televisiva "Lascia o Raddoppia?" (Piero Turchetti, 1979)]/Se Il Mio Canto Sei Tu [9 (45)] PA-1136Pld・L-7015 CDP-7・90280・2 Pld・L-7015 (1979年 PDU - EMI Italiana) 30cm LP Attila Vol. 1CDP-7・90280・2 (199?年 PDU - EMI Italiana) CD Attila Vol. 1 [0 77779 02802]0777・7-90280・2 (199?年 PDU - EMI Italiana) CD Attila Vol. 1 [0777 7 9028 0 2] 72435-35503・2 (2001年 PDU - EMI Italiana) CD Attila Vol. 1 [724353550325]1.Tiger Bay2.Ma Ci Pensi3.Se Il Mio Canto Sei Tu4.Non Tornerò5.Che Novità6. Bonne Nuit7.Sensazioni8.Un Pò Di Più (雨)9.Il Vento0777・7-90280・2 72435-35503・2Pld・L-7016 (1979年 PDU - EMI Italiana) 30cm LP Attila Vol.2CDP-7・90281・2 (199?年 PDU - EMI Italiana) CD Attila Vol. 1 [0 77779 02812]72435-35504・2 (2001年 PDU - EMI Italiana) CD Attila Vol. 1 [724353550424]1.Don't Take Your Love Away (アイザック・ヘイズ)2.Rock And Roll Star3.Fiore Amaro4.Sei Metà5.Anche Tu6.Street Angel7.Che Volgarità8.Anche Un Uomo9.Shadow Of My Old Road Pld・L-7016 CDP-7・90281・2 72435-35504・2 アルバムは2枚組の「Attila」とばらした「Attila Vol. 1」、「Attila Vol. 2」の3種類が作られ合計95万枚売上げ、年間ベスト・セラー2位となりました。Pld・L-7015~6 (1979年 PDU - EMI Italiana) 30cm 2LP Attila1-1.Tiger Bay1-2.Ma Ci Pensi1-3.Se Il Mio Canto Sei Tu1-4.Non Tornerò1-5.Che Novità1-6. Bonne Nuit1-7.Sensazioni1-8.Un Pò Di Più1-9.Il Vento2-1.Don't Take Your Love Away2-2.Rock And Roll Star2-3.Fiore Amaro2-4.Sei Metà2-5.Anche Tu2-6.Street Angel2-7.Che Volgarità2-8.Anche Un Uomo2-9.Shadow Of My Old Road Pld・L-7015~6 PDUから公式編集ベスト盤「Del mio meglio n. 5」が出ています。Pld・L-7007 (1979年PDU - EMI Italiana) 30cmLP Del mio meglio n. 5CDP-746763・2 (2001年PDU - EMI Italiana) CD Del mio meglio n. 5 [5 099974 676323]72435-36567・2 (2001年PDU - EMI Music Italy) CD Del mio meglio n. 5 [7 24353 65672 0]1.Ma Che Bontà2.Ancora Dolcemente3.C'È Un Uomo In Mezzo Al Mare (海原の男)4.Nuur (恋の罠)5.Carlo Detto Il Mandrillo6.L'Abitudine (Daddy's Dream)7.Una Ragazza In Due (二人の少女)8.Pennsylvania 6-5000 (ペンシルバニア65000)9.L'Amore, Forse ...(Ao Amigo Tom)10.That's When Your Heartaches Begin (心のうづく時)11.Triste12.La Mia Vecchiaia Pld・L-7007 CDP-746763・2 72435-36567・2 CGDからはイタルディスク音源の編集ベスト盤2枚が発売されました。RB- 209 (1979年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) 30cmLP Mina Pizza Y Café1.'Na Sera 'E Maggio (五月の夜)2.Celeste 3.Te Vulevo Scurdà 4.Malatia 5.'O Ffuoco 6.Sciummo 7.Moliendo Cafè 8.Chega De Saudade 9.Que No Que No 10.Chihuahua (チウァウァ) 11.Dindi 12.Chopin Cha ChaRB- 209 RB- 210RB- 210 (1979年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) 30cmLP Mina American Portrait...1.Summertime 2.Slowly 3.Goodbye Is A Lonesome Sound 4.Venus 5.The Diary 6.Dance Darling Dance 7.Young At Love 8.Pretend That I'm Here 9.Julia 10.Give Me A Boy 11.My Crazy Baby 12.Just Let Cryミーナの国内盤 (1978~79年) ※キング発売分で特記のない物はRi Fi原盤GXC-9027~8 (1978年10月5日SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP最新決定盤/カンツォーネ (CANZONE GOLD SUPERDISC)1-1.わかれ(別離) (UN ANNO D'AMORE)GXC-9027~8 GXF- 81~90GXC-9027~8 (1979年2月5日SEVEN SEAS – キング) 30cm 10L P Boxサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)2-18.エ・ヴェーロ (E' VERO) [原盤ITALDISC]3-3.青い泡がいっぱい (LE MILLE BOLLE BLU) [原盤ITALDISC]GXC- 104 (1979年5月21日SEVEN SEAS – キング) 30cm LP砂に消えた涙/ミ-ナ (カンツォーネ・ベスト・ライブラリー) (UN BUCO NELLA SABBIA/MINA (CANZONE BEST LIBRARY)) 1~7:原盤ITALDISC1.月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA)2.月影のレナ-ト (RENATO)3.真実 (E' VERO)4.マグダレ-ナばあさん (LA NONNA MAGDALENA)5.青い泡がいっぱい (LE MILLE BOLLE BLU)6.太陽の海 (STESSA SPIAGGIA, STESSO MARE)7.しあわせがいっぱい (IL CIELO IN UNA STANZA)8.砂に消えた涙 (UN BUCO NELLA SABBIA)9.別離 (UN ANNO D'AMORE)10.涙に咲く花 (L'IMMENSITA')11.青空に住もう (UNA CASA IN CIMA AL MONDO)12.愛のひきしお (SE TU NON FOSSI QUI)13.ひとりぼっちの週末 (SABATI E DOENICHE)14.君に涙とほほえみを (SE PIANGI SE RIDI)GXC- 104 GXC- 137~8GXC- 137~8 (1979年7月21日SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LPカンツォーネ・デラックス (CANZONE DOUBLE DELUXE)1-6.別離 (UN ANNO D'AMORE)1-10.砂に消えた涙 (UN BUCO NELLA SABBIA)この後ミーナ13は1980年サンレモ音楽祭の後に続きます
2019.11.07
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★アンナ・オクサ (vf) Anna Oxa 本名アイリリンナ・ホッジャ (Iliriana Hoxha) 1961年4月28日長靴の踵プーリァ州の州都バリ生、アルバニア系イタリア歌手、TV司会者。 1985年76才で亡くなったアルバニアで鎖国政策を取った大統領、独裁者のエンヴェル・ホッジャ(Enver Hoxha)の孫娘と言われている。 活動期間:1978 – 現在 所属レコード会社:RCA Italiana, CBS, Columbia, Sony BMG, EMI, Cose di Musica e suoni coscienti サンレモ音楽祭出場14回,(内優勝2回):1978年第2位,82年入賞,84年7位, 85年7位,86年5位,88年7位,89年優勝(ファウスト・レアーリとデュエット)、90年入賞、97年第2位,99年優勝,2001年10位,03年14位,06年参加,11年参加, オフィシャル・サイト: https://myspace.com/annaoxa アルバニア中部クルヤ出身で洋装店を経営する父親とイタリア人の母との間に8人兄弟の末っ子として1961年4月28日南部プーリァ州州都バリで生まれました。 子供の頃からバロックの巨匠サビーノ・シャネッリ(Sabino Sciannelli)にピアノを習い、やがて彼女は街のピアノバーで演奏し始めました。 15才の時にマリオ・パンゼリ(Mario Panzeri)とヴィットリオ・マスケローニ(Vittorio Mascheroni)が作った“草原の花 (Fiorellin Del Prato)”の歌をバリ小さなレコード会社で最初のシングルを録音しました。 そして芸術高校に通いながら、プーリアの新人コンテストに出場し、歌っているところをRCAイタリアーナのスカウトに認められました。 16才のアイリリンナのデビューは翌78年のサンレモ音楽祭に決まり、アルバニア語の本名からイタリア語のアンナ・オクサの芸名に変えて、“青春 (Un'Emozione Da Poco)”を歌うことになりました。 RCAイタリアーナは70年代半ばから台頭したパンクロックの流れに乗りイタリアのパンクロック女性歌手として売り出す戦略を取ります。舞台衣装もだぶだぶの男性用スーツ、歌舞伎の隈取のようなメイクに意味ありげな腰を振るいかにも世間に挑戦する演出で歌を歌わせました。これは新人歌手を売り出すレコード会社の方針として彼女は受容れましたが、アンナ自身はセックスピストルズ(Sex Pistols)のシド・ヴィシャス(Sid Vicious)よりはブライアン・フェリー(Brian Ferry)やイギー・ポップ(Iggy Pop)などを好んでいたようです。 この年のサンレモ音楽祭で一番センセーショナルな舞台となり、騒然として話題の中心となります。61年のアドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)がサンレモにデビューして以来の出来事です。 曲はデリリウム (Delirium)を脱退してソロのカンタウトゥーリになったもののイマイチ冴えなかったイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)とグイド・グリエルネッティ(Guido Guglielminetti)が作った“青春”でしたが、78年年間ヒット・ランク14位になってフォッサーティにも脚光が当たるようになりました。この年のサンレモ音楽祭出場曲中でリノ・ガエターノ(Rino Gaetano)同13位の“ジャンナ(GIANNA)” に次ぐ、およそ55万枚を売上げたメガ・ヒットになりました。 PB-6144 (1978 年1月RCA Italiana - RCA Italiana) Un'Emozione Da Poco (青春)/ Questa È Vita (Livin' Thing (オーロラの救世主) ELO=エレクトリック・ライト・オーケストラ) *PB-6144 (2018 年4月21日 RCA Italiana - Sony Music) Un'Emozione Da Poco/ Questa È Vita (Livin' Thing (オーロラの救世主) ELO=エレクトリック・ライト・オーケストラ) [190758334578] 74321-64983・2 (?年 RCA Italiana - BMG Ricordi) Un'Emozione Da Poco/ Questa È Vita (Livin' Thing (オーロラの救世主) ELO=エレクトリック・ライト・オーケストラ) PB-6144 74321-64983・2 ファースト・アルバムは“青春”を書いたイヴァノ・フォッサーティが4曲提供し、レオ・セイアーの“It's Over”、レックレス・エリックの“Whole Wide World”、ジョン・ヴァスタノの“There Isn't Anything”の外国曲3曲をイタリア語カヴァーした曲を含みます。タイトルを「Oxanna」として出し、この中からイヴァノ・フォッサーティの“Fatelo Con Me”とクラウディオ・マットーネの“Pelle Di Serpente”をシングル・カットして発売しました。この“Fatelo Con Me”は78年年間ヒット・ランク88位となっています。 PL-31384 (1978年RCA Italiana - RCA Italiana) Oxanna 74321-87261・2 (2001年RCA Italiana – BMG Ricordi) CD Oxanna 1.Fatelo Con Me 2.Dove (It's Over - レオ・セイヤー) 3.Un Cielo A Metà (Whole Wide World - Wreckless Eric) 4.Sara Non Piange Mai 5.Tu Non Sei L'America (There Isn't Anything - John Vastano) 6.Un'Emozione Da Poco 7.Pelle Di Serpente 8.Così Va Se Ti Va E Questo Finchè Mi Andrà 9.Un Click D'Ironia 10.Se Devo Andare Via PL-31384 74321-87261・2 PB-6195 PB-6195 (1978 年6月 RCA Italiana - RCA Italiana) Fatelo Con Me/Pelle Di Serpente サンレモ・デビューで大成功したものの、余りにも強烈な舞台衣装のためトランスジェンダーの噂も出回りました、何しろ40年前の事ですし18才の少女への世間の風当たりは想像を絶するものだったでしょう。 レコード会社も一時のものでは済まされず徐々にメイクも大人しくしたものの、女性パンクロッカーの価値は大きくアンナはそのギャップを重圧と感じていました。 79年セカンド・アルバム「Anna Oxa」を出しました。今回、鮮烈イメー“青春”を作ったイヴァノ・フォッサーティの曲は“Matto”の1曲だけになり、外国曲のカヴァーでは75年のニール・セダカ(Neil Sedaka)の曲“The Other Side Of Me”、クリフ・リチャード(Cliff Richard)も取上げた“Can't Take The Hurt Anymore”、ボブ・シーガー(Bob Seger)の“街の孤独(Till It Shines)”、ジニアス(Genius)の“If We Could Go Right Back Again”の5曲を取入れて変化に富んだアルアム作りをしたようです。 同時に“街の孤独”とRCAイタリアーナのカンタウトゥーリ、マウリツィオ・モンティ(Maurizio Monti)の作った“La Sonnambula”をシングル・カットしました。しかし年間ヒット100にランク・インすることはありませんでした。 PL-31444 (1979年RCA Italiana - RCA Italiana) Anna Oxa 74321-91319・2 (2002年RCA Italiana – BMG Ricordi) CD Anna Oxa 1.La Sonnambula 2.Codice Uomo 3.Un'Altra Me (The Other Side Of Me – ニール・セダカ) 4.Tango 5.Guidare Un Treno (Can't Take The Hurt Anymore) 6.Il Pagliaccio Azzurro (Till It Shines街の孤独 - ボブ・シーガー) 7.Matto 8.Notti Per Due (Because The Nightビコ-ズ・ザ・ナイト - パティ・スミス・グループ) 9.Un Sogno In Tasca (If We Could Go Right Back Again) PL-31444 74321-91319・2 PB-6341 PB-6341 (1979年 RCA Italiana - RCA Italiana) Il Pagliaccio Azzurro /La Sonnambula 80年、完全に女性イメージのジャケット・カヴァーでQ-ディスクと呼ばれるミニ・アルバムを出しています。ファースト・アルアム「Oxanna」から“Tu Non Sei L'America”、セカンド・アルバム「Anna Oxa」から“Matto”の2曲と、新曲の2曲“Controllo Totale”と“Metropolitana”を収録しています。 PG-33411 (1980年 - RCA Italiana) Q-Disc Controllo Totale 82876-59280・2 (2004年 RCA Italiana – BMG Ricordi) Q-Disc Controllo Totale [0 828765 928021] 1.Controllo Totale (Total Controlモーテルズ) 2.Matto 3.Tu Non Sei L'America (There Isn't Anything) 4.Metropolitana (You Might Need Somebodyとどかぬ想い) PG-33411 82876-59280・2 Q-Discの新曲を80年5月にシングル・カットして発売し、“Controllo Totale (Total Control)”は80年年間ヒット・ランク81位になりRCAイタリアーナ時代で最後のヒット・チャート・ランク曲でした。 PB-6455 (1980年5月 RCA Italiana - RCA Italiana) Controllo Totale (Total Controlモーテルズ)/Metropolitana (You Might Need Somebodyとどかぬ想い) PB-6455 PB-6513 PB-6513 (1981年4月 RCA Italiana - RCA Italiana) Toledo/Proprio Tu 81年4月RCAイタリアーナで最後のシングル盤を出しました。A面の“Toledo”はすでにCBBSイタリアーナに移籍していたアメディオ・ミンギ(Amedeo Minghi)の曲、B面はイギリスの曲をイタリア語カヴァーしています。 こうしてアンナ・オクサは激闘の時代を過ごしたRCAイタリアーナからCBSイタリアーナに移籍、イメージ・チェンジをして82年サンレモ音楽祭の舞台に立ちます。 アンナ・オクサの国内盤 GP- 566 (1978年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第28回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1978) 2.青春 (UN'EMOZIONE DA POCO) [アンナ・オクサ (ANNA OXA) RCA ITALIANA] GP- 566 CM- 130 CM- 130 (1978年6月 SEVENSEAS - キング) 青春 (UN'EMOZIONE DA POCO)/ジャンナ(GIANNA) [アンナ・オクサ (ANNA OXA)/リーノ・ガエターノ] GXC-9027~8 (1978年10月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP最新決定盤/カンツォーネ (CANZONE GOLD SUPERDISC) 2-7.青春 (UN'EMOZIONE DA POCO) GXC-9027~8 GXF- 81~90 GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LPサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 10-18.青春 (UN'EMOZIONE DA POCO) アンナ・オクサ 2は1982年サンレモ音楽祭の後に続きます
2019.11.03
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