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トルコ軍は8月22日からシリアのジャラブルスを砲撃、24日には特殊部隊を含む戦車部隊をシリアへ侵攻させて制圧することに成功した。この際、アメリカ軍が主導する連合軍の支援を受けている。ジョー・バイデン副大統領がトルコへ到着したのは侵攻開始の数時間後。当然、シリア政府は侵略行為だと非難、ロシア政府も両国の合意に違反していると怒っている。そこでトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は27日にロシアのウラジミル・プーチン大統領へ電話して話し合ったというが、ロシア側を丸め込めるかどうかは不明だ。 トルコがロシアへ接近しはじめたのは6月下旬。夏のバカンス・シーズンを控え、ロシアやシリアとの関係が悪化したことでトルコ経済は破綻状態になり、何らかの打開策が必要になっていた。シリア侵略の中核になっているのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアで、トルコはそうした同盟国に参加したということ。リビアのように短期間でシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すことができ、利権を手にできると予測していたのだろうが、実際は戦闘が長引き、負の側面が膨らんで矛盾が生じている。 6月下旬にエルドアン大統領はプーチン大統領に対してロシア軍機の撃墜を謝罪し、7月13日にはトルコの首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。6月19日にサウジアラビアのモハンマド・ビン・サルマン国防相はロシアを訪問、プーチン大統領と会っているが、これもトルコの動きが何らかの形で反映されているのだろう。 そして7月15日にトルコで武装蜂起があった。短時間で鎮圧されてしまうが、トルコのクーデター未遂について情報の正確さは不明ながら、背後に外国勢力が存在し、武装蜂起の数時間前にロシアの情報機関からトルコ政府へ警告があったという話がイスラム世界では流れていた。イランも軍事蜂起が始まった2時間後にはクーデターを批判している。 ロシア側で最初にクーデター計画の情報を最初につかんだのはシリアの北部に駐留しているロシア軍の通信傍受部隊で、エルドアン大統領が滞在しているホテルへ数機のヘリコプターを派遣、大統領を拉致、あるいは殺害しようとしていることもトルコ側へ伝えたとも報道されている。イランも軍事蜂起が始まった2時間後にはクーデターを批判していた。 また、サウジアラビアから流れてきた情報によると、同国の副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマンがクーデターに関与している。この副皇太子と連携しているひとりがアラブ首長国連邦のモハンマド・アル-ナヒャン皇太子はアメリカへ亡命しているフェトフッラー・ギュレンと関係があり、クーデターを始めるために2億ドルを提供したと主張する人もいる。 クーデター未遂後、エルドアン政権はこの武装蜂起を利用して反対勢力を一掃し、支配体制を強化しようとする一方、シリアへ軍事侵攻した。エルドアン政権はアメリカ側の支援を受け、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)やクルド人勢力を攻撃しているとしているが、ジャラブルスでは戦闘らしい戦闘がなかったともいわれ、アメリカはダーイッシュを別のタグに付け替えているだけだとも見られている。 8月16日、アメリカ軍は記者会見で広報担当のクリストファー・ガーバー大佐は自分たちが戦っている相手はダーイッシュだけであり、アル・ヌスラではないと明言している。最近、ダーイッシュを悪役として残し、アル・ヌスラなどのタグを新しい「ファテー・アル・シャム(レバント征服戦線)」というタグに付け替え、「善玉」に仕立て上げようとしているが、笑止千万。 ともかく、アメリカ軍はアル・カイダ系武装集団を敵だとは考えていないということになるが、2001年9月11日以降、アメリカ政府は「アル・カイダ」を「テロリスト」の象徴として扱い、それを利用して中東や北アフリカを侵略、その地域の建造物や遺跡を破壊し、住民を殺戮してきた。 「9/11」の直後、アル・カイダの象徴だったオサマ・ビン・ラディンは自分たちが実行したのではないとする声明を出したと伝えられたが、そうしたことには関係なく大々的なプロパガンダが展開された。しかも、アフガニスタンやイラクは「9/11」と無関係。イラクのサダム・フセイン政権はアル・カイダ系の武装集団を「人権無視」で厳しく取り締まっていた。 21世紀に入り、アメリカはアフガニスタン、イラク、シリア、ウクライナを含む多くの国や地域を侵略、ブラジルなどでもクーデターを成功させ、ロシアや中国に対する軍事的な圧力を加えている。ロシアは自国の戦闘能力をアメリカ側に知らせ、戦争になれば両国とも破滅することを伝えているが、ネオコン/シオニストを含む好戦派は意に介していない。 外交問題評議会が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとされていた。両国と戦争を始めても簡単に勝てると見通しているわけだが、それが間違っていることは明確。 例えば、論文が掲載された2年後の2008年8月7日、ジョージア(グルジア)のミヘイル・サーカシビリ政権は深夜に南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で惨敗した。その1カ月前、7月10日にはアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官がジョージアを訪問、8月15日にも再訪している。 2001年以降、イスラエルの軍事会社がジョージアへ無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器を提供、軍事訓練も行っていた。南オセチアへの奇襲攻撃はイスラエルが作戦を立てたと推測する人もいる。2008年1月から4月にかけては、アメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣し、「アフガニスタンに派遣される部隊」を訓練していた。 南オセチアへの奇襲攻撃はアメリカとイスラエルの支援を受けて行われたもので、侵略側としては、練りに練った作戦だったのだろう。それがロシア軍によって粉砕された。当時、「無謀だった」とジョージア政府が批判されていたが、これは無惨な結果を糊塗するためのものだろう。 昨年9月30日にロシア軍がシリア政府の要請でアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを攻撃しはじめると、ロシア軍の戦闘能力の高さはより明確になった。現段階でロシアを軍事的に挑発することは間違いなく無謀なのだが、その無謀なことをネオコンたちは行っている。ロシア政権内で西側巨大資本へ自分たちの主権を譲り渡す動きが出てこない限りアメリカはロシアに勝てない。 今年の3月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めていたフィリップ・ブリードラブは好戦派として知られているが、2014年当時、彼はバラク・オバマ大統領を戦争へと導くためにコリン・パウエル元国務長官やウェズリー・クラーク元SACEURを含む人びとに相談していたようだ。そのことを示す電子メールがハッキングされ、公表されている。このブリードラブもヒラリー・クリントンの仲間だ。
2016.08.31
安倍晋三政権は現在の日本社会を完全に破壊し、二度と民主化への道を歩めないようにしようと必死だ。さまざまな問題を抱えてはいるものの、現在の憲法は民主主義という柱を持っていることも事実。その憲法を壊そうとしている。国を巨大資本の支配下に置く、つまり庶民から基本的人権を奪うTPP(環太平洋連携協定)の推進とも深く関係していると言えるだろう。 彼らが嫌っている憲法の条文のひとつが第9条だが、これについては2004年にリチャード・アーミテージが自民党の中川秀直らに対し、「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明していた。自分たちが従属しているアメリカの好戦派の命令なので第9条を変えたがっているわけだ。 憲法が施行された直後、この第9条を嫌っていた代表的な人物が昭和(裕仁)天皇。彼は、コミュニストが日本を制圧して自分を絞首台や断頭台の前に引きずり出すのではないかと恐れていたようだ。そこで天皇はダグラス・マッカーサーに対して憲法第9条への不安を口にしたという。 この話は通訳の奥村勝蔵がメディアにリークしているが、その立場からすれば、天皇を含む日本の支配層にとって都合良く加工されていたはずだと考えるのが常識的。奥村の流した話では、マッカーサーが天皇に対してアメリカが日本の防衛を引き受けると保証したということになっているが、奥村が隠した後半部分に重要な会話があった。 その後半部分で「日本としては如何なる軍備を持ってもそれでは安全保障を図ることは出来ないのである。日本を守る最も良い武器は心理的なものであって、それは即ち平和に対する世界の輿論である」とマッカーサーは語ったという。(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』) 日本では「冷戦」によってアメリカ側の姿勢が変化したかのように説明する人がいるのだが、本ブログでは何度も書いているように、1945年4月にルーズベルト大統領が急死した時にアメリカは反ファシストから反コミュニストへ主導権が移っている。5月のドイツが降伏するが、その直後にイギリスのウィンストン・チャーチルがソ連に対する奇襲攻撃を計画していたことも本ブログで紹介している。アレン・ダレスたちは戦争の終盤、ルーズベルト大統領に無断でナチスの幹部たちと接触していたことも知られている。 アレン・ダレスは兄のジョン・フォスター・ダレスと同じようにウォール街の大物弁護士、つまり巨大資本の代理人。その巨大資本はナチスのスポンサーであり、ルーズベルトが大統領に就任した1933年から34年にかけてクーデターを目論んでいたことも海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言で明らかにされている。この当時からアメリカの巨大資本はファシストだということであり、TPP、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TISA(新サービス貿易協定)を推し進めようとするのは必然だ。 現在のアメリカを築いたのは、1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡ったピューリタンだとされているが、この人びとに続くヨーロッパ人は先住民を殲滅し、土地や資源を奪い、生態系を破壊した。北アメリカでの制圧が一段落すると、カリブ海、中央アメリカ、そして南アメリカを侵略していく。彼らの富は生産でなく銃口で築いたと言える。この点、やり口はイギリスに似ている。 19世紀のイギリスは経済力で中国(清)に完敗、貿易赤字を埋め合わせるためにアヘンを売りつけ、侵略戦争で富や利権を手にした。そのイギリスの手先になることで徳川幕府を倒し、実権を握ったのが長州藩や薩摩藩を中心とする勢力だ。彼らが東アジアを侵略するのは必然だった。 ピューリタンは1640年から60年にかけて革命を成功させているいるが、その際に議会軍を指揮したのがオリバー・クロムウェル。王党派を破った後、小農民や職人層に支持されていた水平派を弾圧し、アイルランドを侵略して住民を虐殺した。彼は宗教的な信念からユダヤ教徒をイングランドへ連れて来るが、その先、パレスチナへ移住させることを想定していたようだ。 こうした伝統を受け継いでいるのか、現在のアメリカを支配している人びとも破壊と殺戮を繰り返し、「平和に対する世界の輿論」など意に介していない。メディアやハリウッドの力で庶民は簡単に操れると考えているのだろう。こうした種の人びとに対して憲法第9条は無力だ。アメリカにこの条項は通用しない。
2016.08.31
自分自身の電子メールを大量に消去したヒラリー・クリントンだが、消したはずのメールがWikiLeaksなどによって公表されている。そうしたメールによって判明した事実のひとつは、彼女の頻繁に連絡している人物のひとりがリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドだということだ。 この女性は1998年に開かれたビルダーバーグ・グループの会合で知り合った23歳年上のエベリン・ド・ロスチャイルドと知り合い、ふたりは2000年にロンドンで結婚している。ふたりを結びつけた人物はヘンリー・キッシンジャー。このタイミングは興味深い。 本ブログでは何度か書いているが、戦争に消極的だったビル・クリントン大統領を戦争へと導いたのはヒラリー。彼女は親しくしている好戦派のマデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)を夫の政権へ引き込んでいた。ヒラリーは上院議員になって間もない頃、イラクへの軍事侵攻にも賛成していた。 オルブライトは1997年1月から国務長官を務め、99年3月のNATO軍によるユーゴスラビアへの先制攻撃につながっている。言うまでもなく、ヌランドは選挙で選ばれたウクライナの政権をネオ・ナチのクーデターで破壊した人物だ。以前にも書いたが、オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの弟子。 1997年当時、クリントン夫妻はスキャンダル攻勢で経済的にも厳しい状況だったと言われている。その攻勢で黒幕的な役割を果たしていたのがメロン財閥のリチャード・メロン・スケイフ。情報機関やネオコンと近い人物だ。ネオコンのニュート・ギングリッチ下院議長(当時)の後ろ盾だったシカゴの富豪、ピーター・スミスもビル・クリントン攻撃に資金を提供していた。現在、クリントン夫妻は大金持ちである。
2016.08.30
中国海軍の関友飛少将がシリアを訪問、軍事的な連携の強化が話し合われたようで、軍事訓練だけでなく、戦闘機を派遣するという話が伝わっている。シリアでバシャール・アル・アサド体制の打倒を目指している武装集団の中心はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団だが、チェチェンやウイグルなどからも参加している。最近、アメリカの支配層は東アジアでの工作に積極的で、ウイグル族を使った破壊工作を中国側は警戒しているだろう。 そのシリアでアメリカ政府は停戦合意を利用、侵略体制の立て直しを図っている。まずアル・ヌスラやダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を整理し、新たなタグのジャバハト・ファテ・アル・シャム(レバント征服戦線)を戦闘集団につけ、ロシア人やイラン人を殺すと公言している。脅しのつもりなのだろう。 例えば、元CIA長官のマイク・モレルはシリアを侵略して制圧するという計画をロシアやイランが妨害していることに怒り、チャーリー・ローズが8月8日に行ったインタビューでそのように語っている。また、8月22日にはアメリカ国防総省の広報官、ピーター・クックは自分たちが中心になっている連合軍を守るために必要ならシリアやロシアの戦闘機を撃墜すると語っていた。口先でロシアのミサイルや爆撃機を押さえ込めると考えているのだろうか? ネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの好戦派は1991年にイラクへ軍事侵攻して以来、アメリカが軍事的に何を行ってもソ連/ロシアは出てこないと思い込んでいるようだ。しかも、その年の12月にソ連は消滅、アメリカには迎える国は存在しないという前提で1992年の初めに国防総省のDPGという形で世界制覇プランを描き上げた。 フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文で、アメリカ軍は先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できると主張していた。アメリカの支配層は今でもそう考えている可能性がある。
2016.08.29
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は8月26日に2016年度第1四半期の運用状況を発表、5兆2342億円の損が出たことを明らかにした。投資先別の損失額は国内株式が2兆2574億円、外国株式が2兆4107億円、外国債券が1兆5193億円だとされている。投資リスクの高い株式で4兆6681億円の損が出たわけだ。損を出した債券がどの国のものかも興味深い。 損が膨らんだ株式取引は2014年に増やされている。日銀の黒田東彦総裁が推進してきた「量的・質的金融緩和(異次元金融緩和)」の一環と言えるだろう。この政策は投機市場のバブルを支え、欧米の富豪や投機グループを助けることになっていた。 2014年1月にスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラムで、安倍晋三首相は「日本の資産運用も大きく変わるでしょう。1兆2000億ドルの運用資産をもつGPIF。そのポートフォリオの見直しをして、成長への投資に貢献します。」と宣言、10月には国内債券を60%から35%に引き下げる一方、国内株式と外国株式を12%から25%に、外国債券を11%から15%へそれぞれ引き上げている。株式の運用比率を引き上げた理由が国外にあることを安倍の発言は示唆していると言えるだろう。 2014年10月に株式投資の比率を高めたということは株式市場に大量の買いが入ったわけで、相場が上昇するのは当然。そうした動きを知っていた投資家の提灯買いも相場を押し上げる要因になる。そうした値上がりで投資がうまく進んでいると思う人間がいるとするならば、相当の虚け者だ。安倍首相が証券取引に無知だったとしても、周辺にはプロがいたはずであり、そうしたことは理解していただろう。 日本政府主導の買いが一巡した後、2015年度の第2四半期には評価損が出ている。日本政府は独り相撲をとっているということだ。GPIFやETF(上場投資信託)の買いが途切れれば、相場は崩壊すると見なければならない。そうした時に日銀の黒田東彦総裁は自身の政策について、「飛べるかどうかに疑問を持った瞬間、永遠に飛ぶことができなくなる」と発言、それ以来、彼を「ピーター・パン」と揶揄する人がいる。「狂っている」と言う人もいた。次の四半期は押し上げることに成功したものの、すぐに息切れした。 2014年と言えば、石油相場の急落でサウジアラビアが390億ドルの財政赤字が出た年である。その翌年に赤字額は980億ドルへ膨らみ、状況に変化がなければ同国の金融資産は5年以内に底をつくと予測されていた。そうなると、ドルを支える柱のひとつであるペトロダラーの仕組みが崩壊、投機市場も収縮して金融パニックになる可能性があり、アメリカ支配層にとっても危機的な状況だ。 石油相場の引き下げはサウジアラビアとアメリカがロシアの石油収入を減らすために仕掛けたと言われているが、アメリカのシェール・ガス/オイル業界も大きなダメージを受け、ロシアよりも仕掛けた両国が厳しい状況に陥ってしまった。石油相場の下落と並行してロシアの通貨ルーブルも下がり、ルーブルでの決済では大きな変化がなく、アメリカ支配層が望んだような効果はなかったのである。サウジアラビアは財政赤字を補填するために証券を投機市場で売却しなければならないとも見られていたが、そうしたときに買い手として登場したのが安倍政権だ。舞台裏ではアメリカの支配層から相当、おだてられたのだろう。安倍政権は見通しを誤ったのではなく、自分たちが従属しているボスが望むことを嬉々として進めているようにしか見えない。 そして今、日本の庶民がツケを払わされつつあるが、アメリカ支配層の一部は侵略と略奪で窮地を脱しようと目論んでいるようだ。かつてイギリスが経済的な苦境から抜け指すため、中国(清)へアヘンを売りつけ、戦争を仕掛けたように。
2016.08.27
このブログは皆様によって支えられています。ブログを存続させるため、カンパ/寄付をお願い申し上げます。 日本の支配層は自分たちの地位と富を築き、維持するためにアメリカの支配層へ従属、そのアメリカの支配層は情報支配に力を入れてきました。全ての情報を入手し、自分たちに都合良く加工、あるいは作り上げた話を発信して人心をコントロールしようということです。そうした情報支配の核に据えられているのが教育、報道、エンターテイメントにほかなりません。こうした仕組みを利用して描き出す幻影を利用する幻術使いが支配層の正体だと言えるでしょう。 幻術を打ち破るためには事実を知らねばなりませんが、事実を知ることは容易でありません。最近、西側の有力メディアは偽情報のオン・パレードで、嘘も露骨なため、事実と嘘を分け入る作業は楽になりましたが、事実を探り出すためには信頼できる情報源を探し出し、情報を集めて分析する努力は必要です。 支配層が描く幻影を信じていれば、破滅が待っています。未来を切り開くためには事実を知ることが必要であり、本ブログがその一助になればと願っています。 安倍晋三政権の政策もあって経済的な環境が厳しさを増している現在、こうしたことを書くのは心苦しいのですが、このブログを継続させるため、皆さまの御協力をお願い申し上げます。櫻井 春彦振込先巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦
2016.08.27
アメリカの大統領候補であるヒラリー・クリントンの重要な内容の電子メールをさらに公表するとWikiLeaksのジュリアン・アッサンジはFOXニュースの番組で語っている。7月5日に発表されたジェームズ・コミーFBI長官の声明で、ヒラリー・クリントンは機密情報の取り扱いに関する法規に批判した可能性があり、そうした情報を軽率に扱っていたことを認めているのだが、司法省に対して彼女の不起訴を勧告した。こうしたFBIの姿勢もWikiLeaksを刺激した可能性がある。 FBIが彼女を起訴しないと決めた一因は、証拠となる万2000件近い電子メールが削除されていたことが挙げられている。その中には記録として残すことが義務づけられているメールも含まれていたのだが、大きな問題とはとらえられていない。 サウス・カロライナ州選出の下院議員トレイ・ゴウディによると、クリントンは削除のためにブリーチビットというソフトウェアを利用している。これを使うと、削除した文書を回復させられないだけでなく、削除した痕跡を消すこともできるという。 しかし、NSAの内部告発者であるウィリアム・ビニーは、NSAが全ての電子メールを記録していると指摘する。つまり、FBIがその気になれば、問題のメールも入手できるというわけであり、何をしたかに関係なく、FBIは彼女を起訴する意思がないということだ。 クリントンの電子メールはハッキングに対して無防備で、少なからぬ人物や組織が盗み出していると言われている。7月22日に民主党本部のサーバーをハッキングして入手したと思われる1万9252件の電子メールと8034件の添付ファイルをWikiLeaksは公表している。 投機家で体制転覆の仕掛け人としても知られているジョージ・ソロスの電子メールも外部に漏れ、その中でソロスが国務長官時代のヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスしている。そのメールが書かれたのは2011年1月24日で、国務長官だったクリントンはソロスのアドバイスに従って動いたようだ。 そのほか、2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃され、そこでクリストファー・スティーブンス大使が殺された事件に関するものも含まれている。ベンガジを含む襲撃に資金を出したのはサウジアラビアのスンニ派(ワッハーブ派)だということを示す証拠をフランスとリビアの情報機関が持っているというのだ。 候補者選びで不正があった疑いが濃厚な民主党は、自分たちのサーバーがロシアにハッキングされているとする情報をメディアへ流して人びとの視線をウラジミル・プーチンへ向けさせようとしているほか、ニュージャージー州高裁の元判事で、現在はFOXニュースの上級司法アナリストを務めているアンドリュー・ナポリターノは5月9日、ロシアでは外務省と情報機関との間でヒラリー・クリントンの2万に及ぶ電子メールを公開するかどうかが議論されていると語っていた。勿論、ロシア説が事実であったとしても事実を消すことはできない。NSAの内部告発者のひとりは、アメリカの情報機関内からリークされている可能性を指摘している。 ところで、ハッキングや通信傍受はアメリカの電子情報機関がイギリスの機関と手を組み、1970年代から実行してきたこと。アメリカの電子情報機関NSAが全通信を傍受、記録するシステムECHELONを持っていることは、ダンカン・キャンベルが1988年8月に暴露している。ロッキード・スペース・アンド・ミサイルの従業員による内部告発がシステムの存在を明らかにする発端だったとう。(Duncan Campbell, 'Somebody's listerning,' New Statesman, 12 August 1988) 1996年にはニッキー・ハガーも自著の中でECHELONを取り上げ(Nicky Hager, "Secret Power," Craig Potton, 1996)、98年にはヨーロッパ議会が「政治的管理技術の評価」というタイトルの報告書を出している。(Steve Wright, "An appraisal of technologies for political control," European Parliament, 19 January 1998)ヨーロッパ議会の報告書はECHELONのターゲットとして、反体制派、人権活動家、学生運動指導者、少数派、労働運動指導者、あるいは政敵を挙げている。そうして集めた情報をアメリカの支配層は国内外の要人に対する恫喝にも使ってきたと信じられている。ロッキード・スペース・アンド・ミサイルの内部告発は、共和党のストローム・サーモンド上院議員の電話をNSAが盗聴しているとするものだった。 現在、ロシア政府が核戦争を回避しようと努力しているが、そうした姿勢をアメリカの支配層は利用し、さらに核戦争の脅しを強めている。リチャード・ニクソンの凶人理論、モシェ・ダヤン将軍の狂犬戦術を使っているわけだが、そうした好戦派の姿勢を危惧する人は西側にもいるはず。さらなる電子情報の漏洩はありえると考えられ、それが現実になるとクリントンを揺さぶることになる。 また、8月8日にはヒラリー・クリントンの2014年の医療記録のコピーとされる書類もリークされたのだが、そこには彼女が初期の皮質下血管性認知症だと書かれている。ヒラリー陣営は偽物だとしているが、彼女がバランスを崩すことは話題になっていた。もし認知症の人間が大統領になった場合、核戦争が勃発する可能性は高まる。
2016.08.26
トルコ政府は武装蜂起を鎮圧した後にロシアへ接近してアメリカ政府を刺激、アメリカ政府は8月24日にジョー・バイデン副大統領をトルコへ派遣した。22日からトルコ軍はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)がいるジャラブルスやクルド人勢力(民主統一党)がいるマンビジを砲撃していたが、副大統領がトルコに到着する数時間前には特殊部隊を含む戦車部隊をシリアへ侵攻させた。この侵攻はアメリカ軍が主導する連合軍が空爆で支援したようだが、アメリカ軍はクルド人勢力も支援している。トルコを引き留めておくため、アメリカ政府はクルド人を切り捨てる可能性もあるだろう。こうした軍事侵攻に対し、シリア政府は侵略行為だと非難したが、トルコは軍隊をシリア領内へ侵攻させているわけで、当然の反応だ。 本ブログでは何度も指摘してきたが、ダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする侵略勢力が手先として使ってきた傭兵集団であり、その侵略にトルコも荷担してきた。侵略軍へ物資を運ぶ兵站線がトルコから伸びている。 イスラエルやネオコンは遅くとも1980年代にイラクのサダム・フセイン体制を倒すべきだと主張していた。イラクに傀儡体制を築けば、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯ができ、シリアとイランを分断して弱体化できると考えていたと言われている。つまり、この段階からイラク、シリア、イランの「レジーム・チェンジ」を狙っていた。 フセイン排除のチャンスは1990年8月にやって来た。イラク軍がクウェートへ軍事侵攻、それを口実にしてアメリカ軍が攻め込んだのだ。いわゆる湾岸戦争である。 イラクがクウェートへ攻め込んだ理由は石油にある。イランとの戦争で戦費がかさんでいたうえ、石油相場が1980年の約60ドルから80年代後半には20ドルを切る水準まで低下し、イラクの収入は大きく低下していた。その相場下落はクウェートがOPECの決めた価格より安く売っているからだとフセインたちは考える。1986年にクウェートとサウジアラビアは40%以上の増産を決めている。その背景では、ソ連の石油収入に打撃を与えようというアメリカ支配層の思惑があった。 こうした状況にあるため、CIAは1988年の時点でイラクがクウェートへ軍事侵攻すると予想していた(Jonathan Cook, “Israel and the Clash of Civilisations”, Pluto, 2008)が、ジョージ・H・W・ブッシュ政権は無関心を装った。例えば、1990年7月にアメリカ国務省の広報官だったマーガレット・タトワイラーは、クウェートをアメリカが守る取り決めはないと発言、エイプリル・グラスピー米大使はサダム・フセインと会談した際、アメリカはアラブ諸国間の問題には口を出さないと伝えている。また、下院のヨーロッパ中東小委員会で、アメリカはペルシャ湾岸諸国と防衛条約は結んでいないとジョン・ケリー国務次官補が語っている。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eight Windows, 2003) こうしたアメリカ側の発言に不審を抱いた人もいる。そのひとりがPLOのヤセル・アラファト議長で、アメリカ支配層の少なくとも一部がフセインを罠にかけようとしていると疑い、フセインに対し、挑発されてもクウェートを攻撃するべきでないとアドバイスしている。ヨルダンのフセイン国王もアラファトと同じ懸念を抱いている。両者はクウェート側に金銭による解決を持ちかけたものの、クウェート側は聞く耳を持たなかったという。(Alan Hart, “Zionism: Volume Three,” World Focus Publishing, 2005) 結局、イラク軍は1990年8月にクェートへ侵攻する。それを見たアメリカ政府は間髪を入れずにイラクからの石油輸入を禁止、アメリカにあるイラクの資産を凍結、艦隊をペルシャ湾に派遣、イラク政府の軍を撤退させるという提案を拒否、国連安全保障理事会が決議660を採択し、イラクの軍事侵攻を非難して即時、無条件の撤退を求めた。 そして1991年1月にアメリカ軍を中心とする連合軍はイラクに対する軍事侵攻を開始するのだが、フセインを排除しないまま、停戦になる。それを見てイスラエル/ネオコンは怒り、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを5年で殲滅すると話していたという。この話はウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官が2007年に語っている。 ウォルフォウィッツ発言が現実になるのは2003年。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、この攻撃には関係のないイラク、さらにシリア、イラン、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンを攻撃するプランをドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺が立てていたともクラークは語っている。 また、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いたレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めていた。イラクの破壊には正規軍を前面に出したが、それ以降はアル・カイダ系武装勢力を使っている。この工作にトルコも加わったわけだ。 その結果、トルコの経済状況は悪化、レジェップ・タイイップ・エルドアン体制を揺るがす事態になってしまった。そこでトルコ政府はロシアへ接近、アメリカの副大統領がトルコへ乗り込んだわけだ。 現在、ロシアは全面核戦争を回避しようとしているが、アメリカの好戦派は核戦争で脅せばロシアを屈服させられると考えているようだ。かつて、リチャード・ニクソンはアメリカが何をしでかすかわからない国だと世界の人びとに思わせれば、自分たちが望む方向へ世界を導くことができると考え、イスラエルのモシェ・ダヤン将軍は狂犬のように振る舞うことで世界を脅そうとした。現在のアメリカ支配層はそれ以上に危険だ。
2016.08.26
アメリカのジョー・バイデン副大統領が8月24日にトルコを訪問したが、到着する何時間か前にトルコ軍の特殊部隊がシリア領内へ侵入した。クルド人勢力とダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を全滅させることが目的だとトルコ政府は主張しているが、シリア政府は主権の侵害だと抗議、たとえダーイッシュを追い出したとしてもトルコとの関係が続いている武装勢力が入り込んでくるだけだともしている。 トルコ軍がシリアへ侵攻したタイミングから考えて、アメリカ政府に対するメッセージだと見る人もいる。トルコではレジェップ・タイイップ・エルドアン政権の打倒を目指すクーデターがあったが、その背後ではアメリカやサウジアラビアが蠢いていたと言われている。 軍事蜂起の前、エルドアン政権はロシアへ接近していた。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とするシリア侵略作戦に乗ったトルコだが、バシャール・アル・アサド政権を倒すことに手間取り、経済が破綻状態になっていた。経済的にシリアやロシアはトルコと関係が深く、当然の結果だ。ネオコン/シオニストの戦略から離脱するしかなかったのだろう。 トルコ軍は昨年11月24日にロシア軍のSu-24戦闘爆撃機を待ち伏せ攻撃で撃墜しているが、トルコ政府だけの判断でこうしたことを行えるとは思えない。内部告発支援グループのWikiLeaksによると、この撃墜は10月10日にエルドアンが計画しているが、撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問してトルコ軍の幹部と会談していたことも勘案すると、アメリカ側の承認、あるいは命令があったのだろう。 例年、夏のバカンス・シーズンにはロシアから多くの観光客がトルコを訪問していたのだが、こうした状況ではロシアからの客は望めず、すでに経済が疲弊しているトルコに止めを刺すことになりかねない。 6月下旬にエルドアン大統領がロシアのウラジミル・プーチン大統領に対し、ロシア軍機撃墜を謝罪しているが、その大きな理由はここにあるだろう。また、7月13日にトルコの首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。クーデターが企てられたのはその2日後だ。 エルドアン政権はクーデター部隊を鎮圧した後、国内で反対勢力の弾圧を強化する一方で、ロシアへの接近を進めている。そこで、ロシアと関係を強化しないように釘を刺すことがバイデンがトルコへ乗り込んだのだろう。 武装蜂起の数時間前、クーデター情報をエルドアン大統領へロシア政府が伝えたとする情報がある。シリアの北部に駐留しているロシア軍の部隊が通信を傍受、クーデター側はエルドアン大統領が滞在しているホテルへ数機のヘリコプターを派遣、大統領を拉致、あるいは殺害しようとしていることもロシアはトルコ側へ伝えたという。 また、サウジアラビアから流れてきた情報によると、同国の副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマンがクーデターに関与、この副皇太子と連携しているひとりがアラブ首長国連邦のモハンマド・アル-ナヒャン皇太子で、この人物はアメリカへ亡命しているフェトフッラー・ギュレンと関係があるという。エルドアン政権がクーデターの首謀者だとしている人物は、このギュレンだ。 今はアメリカとの関係が悪くなっているエルドアンだが、2011年3月には友好的な関係を築いてきたシリアへの侵略に荷担、ロシアとの関係も悪化させた。アメリカの好戦派に従ったわけだが、その関係が自らの地位と富を危うくすると判断すればロシアやシリアへ接近、そしてシリアへの軍事侵攻。その動向は中東だけでなくEUへも大きな影響を及ぼすトルコを支配している人物が信頼できないわけで、今後の世界情勢を不安定化させる一因だ。
2016.08.25
アメリカの支配層はシリアのバシャール・アル・アサド体制の打倒に執着している。そのアメリカの国防総省で広報官を務めるピーター・クックは8月22日、自分たちが中心になっている連合軍を守るために必要ならシリアやロシアの戦闘機を撃墜すると語った。 以前、FOXニュースの番組に軍事アナリストとして登場したロバート・スケールズ退役少将はロシア人を殺せと発言していたが、最近ではマイク・モレル元CIA副長官も似たようなことを言っている。シリアを侵略して制圧するという計画をロシアやイランが妨害していることに怒り、ロシア人とイラン人を殺すべきだとインタビュアーのチャーリー・ローズに対して8月8日に語っている。このモレルはヒラリー・クリントンの支持者だ。 ところで、アメリカがアサド体制を倒すために連合軍を組織したのは2014年9月。サウジアラビア、カタール、バーレーン、アラブ首長国連合、ヨルダン、トルコ、イギリス、オーストラリア、オランダ、デンマーク、ベルギー、フランス、ドイツなどが参加することになる。アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の創設にかかわり、支援して生きた国も含まれている。 この連合軍は2014年9月23日に攻撃を始めるが、その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。その後、アル・ヌスラやダーイッシュはシリアで勢力を拡大していくが、その理由は連合軍が本気で攻撃していなかったからだ。主なターゲットはシリアのインフラや市民だったようである。 イスラム武装勢力を組織、自分たちの手先として使い始めたのはズビグネフ・ブレジンスキー。サウジアラビアが戦闘員を雇い、武器を提供、アメリカが軍事訓練、イスラエルも支援している。 1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、アル・カイダとはCIAから訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味するが、「データベース」の訳としても使われている。つまり傭兵の登録リストであり、軍事的な組織ではない。 そうした傭兵を集めて編成した戦闘集団のひとつがダーイッシュ。その集団はアメリカの友好国と同盟国によって作り上げられたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は2007年に語っている。 また、2014年10月2日にジョー・バイデン米副大統領はハーバード大学で、シリアの戦乱を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだと述べている。 クラークとバイデンが口にしていないが、こうした武装集団を組織する上で最も重要な役割を果たしたのはアメリカであり、イスラエルも深く関与している。2007年3月5日付けのニューヨーカー誌でシーモア・ハーシュが書いているが、この段階でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始している。勿論、すでにイラクは破壊済みだった。 2011年2月にリビア、3月にシリアで侵略戦争が始まったがその年の10月にはリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制がNATO軍の空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上部隊の連係攻撃で倒されている。その時にカダフィが惨殺されたことをCBSのインタビュー中に知らされたヒラリーは、「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいる。 カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれているが、ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。つまり武器の輸送はCIAが黒幕だった。そうした事実をアメリカ国務省は黙認、輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、介入する口実に使用としたと言われている。 アメリカの好戦派はロシアに揺さぶりをかけるため、その周辺で武装蜂起を起こしてきた。そうした地域から戦闘員がシリアへ入り込んでいるが、それでも中心はサウジアラビアが集めているサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団。アル・カイダ系武装集団のAQIも組織として侵入、アル・ヌスラを名乗っていた。 リビアのカダフィ体制が崩壊した翌年の8月、アメリカ軍の情報機関DIAは反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIであり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告書を作成している。「穏健派」などはいないということであり、アメリカ政府の「穏健派支援」はこうした勢力、つまり「過激派」の支援にほかならなかった。 この報告書がホワイトハウスへ提出された当時、DIAの局長だったマイケル・フリン中将は2015年、アル・ジャジーラのインタビュー番組で、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。アル・ジャジーラはシリア侵略に荷担しているカタールの放送局。インタビュアーはフリンの発言をコントロールしようとしたができず、興奮していた。 シリアに攻め込んでいる傭兵部隊へ物資を運ぶ兵站線はトルコから戦闘地域まで伸び、イスラエルは公然とシリア政府側の部隊を攻撃していた。最近、アメリカやイギリスの特殊部隊が戦闘を支援しているという話が伝えられたが、こうしたことは2011の春から続いている。 イスラエルでの報道によるとイギリスとカタールの特殊部隊が潜入、WikiLeaksが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ダーイッシュの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも報道された。シリア政府によると、ドイツも特殊部隊を侵入させたという。 空爆はロシアによって阻止されていたが、特殊部隊や手先の武装集団を使ってシリア侵略を続けていたアメリカの好戦派を震撼させる出来事が昨年9月30日に起こった。ロシア軍がシリアで空爆を開始、その戦闘能力がアメリカの予想を遙かに上回るものだった。ロシア軍は本当にアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを攻撃、その支配地域は劇的に狭まる。 そこでアメリカなどは停戦で時間稼ぎを狙い、サウジアラビア外務大臣はシリアの戦況を変えるために携帯型の防空システムMANPADを供給しはじめたと発言、そのほか対戦車ミサイルTOWなどが大量に供給され、新たな戦闘員を送り込まれている。例によってタグの取り替えも行っている。 タグの取り替え中、新たなタグをつけた戦闘員がアル・カイダ系武装勢力などのタグをつけた戦闘員と混じり、そこへアメリカなどの特殊部隊が加わるという状態になったが、ロシア政府はアメリカの支配層に見切りをつけ、アメリカの特殊部隊員がいようと、必要ならロシア軍は攻撃しているようだ。 これまでロシア人を殺せと口にしていたのは軍や情報機関の元幹部だったが、ここにきて国防総省の広報官が同じようなことを言い始めている。それだけ追い詰められているのだろう。
2016.08.24
山口県にあるアメリカ軍の岩国基地へ、ロッキード・マーチンのF-35戦闘機が配備される。2017年1月に10機、8月に6機を予定、いずれも垂直離着陸が可能な海兵隊仕様だという。武井俊輔外務政務官と宮沢博行防衛政務官が8月22日に岩国市を訪れ、福田良彦市長に対して配備計画を説明したようだ。すでに計画内容は報道されていたが、福田市長によると、「配備が明らかになった後も日本政府からの情報がなく、不満の声がある。」 F-35の開発費がかさんでいることは事実で、プログラム・コストは1兆5000億ドル以上になりそうだが、性能には大きな問題がある。マスコミはF-35を最新鋭ステルス戦闘機と表現するが、実際は高額欠陥機。「空飛ぶダンプカー」の異名をとる代物だ。 すでにロシアのレーダー・システムはF-35を探知することが可能、つまりステルス機とは言い難い状態になっていると言われ、また昨年1月にカリフォルニア州にあるエドワード空軍基地近くで実施されたF-16戦闘機との模擬空中戦で完敗したと伝えられている。その際にF-16は燃料タンクを装着していたという。 ロシアの新しい戦闘機は高性能で、F-35が空中戦で勝てる見込みは少ないだろう。搭載されているレーダーや探知システムはすばらしいという評価はあるものの、空中戦は避ける必要がある。 すでのF-35に対する批判はアメリカ国内でも高まっていて、推進派はできるだけ早く実戦配備して実績を作る必要に迫られていた。高性能機だという宣伝が正しいなら、強敵、例えばロシア空軍と対峙している場所へ配備するはずだが、実際は岩国。中国の「海洋進出」、つまり中国の海上輸送ルート断つことや、朝鮮のミサイル開発を睨んでの配備だという。中国空軍との戦闘でF-35が役に立つかどうかは不明だが、朝鮮の戦闘機が相手なら何とかなりそうだ。 アメリカの好戦派は世界制覇のプランに従って動いているネオコン/シオニスト、戦争で儲けている軍需産業、そして戦争ビジネスに多額の投資をしている巨大金融資本が柱になっている。戦争で世界を制圧するためには高性能の武器/兵器が必要であり、カネ儲けが目的なら欠陥品でもかまわない。そうした矛盾の象徴がF-35だろう。 戦闘機としての能力に問題のあるF-35だが、1機あたりの価格は約3億3700万ドルだという。この高額欠陥機を日本は5機注文、さらに42機を購入する計画だという。
2016.08.23
中国の程永華駐日大使は今年6月後半、南シナ海に関する要求で譲歩したり主権を放棄することは戦争が勃発する事態になってもありえないと日本側に警告していたと伝えられている。アメリカが展開している「航行の自由」作戦に自衛隊の艦船が参加した場合、軍事行動もありえ、そこから全面戦争に発展することもありえるということのようだ。 6月1日に安倍晋三首相は官邸記者クラブのキャップと懇親、その席で記者たちに中国との戦争を想定していると受け取れる発言をしたようだ。オフレコの会だったというが、そこで「安全保障法制」、いわゆる戦争法制は「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。この話は週刊現代のサイトで取り上げられ、国外でも問題になった。それだけの覚悟ができているなら、まさか、中国大使の警告に驚きはしなかっただろう。 そうした状況の中、日本政府はフィリピン政府と巡視船2隻の貸与に関して話し合いを進めていると外務副報道官の大鷹正人は語ったと報道された。貸し出される艦船の全長は90メートル程度だとされているので、おそらく「ひだ型巡視船」。偵察機も貸すようだ。 しかし、現在のフィリピン大統領ロドリゴ・ドゥテルテは前任者でアメリカの傀儡であるベニグノ・アキノ3世とは違い、中国と話し合いを進めている。自らの意思で日本から巡視船を借りる理由がわからない。海上保安庁の巡視船を貸し出し、フィリピンの責任で南シナ海を航行させたいというアメリカや日本の意向に沿う話し合いなのだろう。 南シナ海の軍事的な緊張を高めているのはアメリカが紛争海域に軍艦や航空機を派遣して武力を誇示しているからだと中国側は主張、そのアメリカは「国連海洋法条約」に加盟していないと指摘している。 そのアメリカは日本を使い、1970年代の終わり頃からシーレーン防衛という名目で日本に海軍力を高めさせようとしてきた。中東から石油や天然ガスを運ぶルートを守るためだと言われたが、これだけの距離を守ることは不可能に近い。 アメリカや日本の支配層もそうした不可能なことを考えていたわけではないだろう。最もありそうな目的は他国の海上輸送を妨害すること、つまり中国のエネルギー源輸送を断つことにあったと考えるべきだ。 当然、中国はアメリカの動きを警戒する。そこで、マラッカ海峡を避けるため、ミャンマーやパキスタンにパイプラインを建設しようと計画した。それに対し、アメリカはミャンマーとの関係改善を図り、事実上、アウン・サン・スー・チーが支配する体制を作り上げている。 ウォール街は第2次世界大戦で日本が降伏した直後から中国支配を狙ってきた。その手先と考えられていたのが国民党。1945年4月、ドイツが降伏する前の月にフランクリン・ルーズベルト大統領が急死してホワイトハウスの主導権をウォール街が奪還、親ファシスト/反コミュニスト、そして植民地を肯定する方向へアメリカの舵は切られた。 しかも、1944年9月にソ連駐在のアメリカ大使だったアベレル・ハリマンはモスクワでソ連のヴャチェスラフ・モロトフ外相から中国共産党を援助しないと言われた。1945年4月にヨシフ・スターリンやモロトフと会談したパトリック・ハーレーによると、スターリンは蒋介石に好意をよせていたともいう。国際連合の創設に関する会議に中国共産党の代表を呼んだのはアメリカのルーズベルト大統領だった。(堀田善衛著『上海にて』筑摩書房、1959年) そのルーズベルトが死んだことで、中国は蒋介石が率いる国民党が制圧すると見る人は多かったようだが、実際は違い、1949年1月に解放軍が北京へ無血入城し、コミュニストの指導部も北京に入り、5月には上海を支配下におく。中華人民共和国が成立したのは10月のことだ。 大戦後、アメリカは破壊工作を目的としたOPCを創設、東アジアにおける拠点は上海に置かれていた。その上海が解放軍に制圧される見通しが立つと、拠点を日本へ移動させている。その拠点の数は6カ所で、中心はアメリカ海軍の厚木基地だった言われている。 その1949年の夏、日本では国鉄を舞台とした「怪事件」が続いた。下山事件、三鷹事件、そして松川事件だ。1950年末までにOPCは日本で1000人以上を訓練、ゲリラ戦の戦闘員として戦争が行われていた朝鮮半島へ送り込まれている。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, "The United States And Biological Warfare", Indiana University Press, 1998) 1950年10月にOPCはCIAへ吸収され、翌年の1月にはアレン・ダレスがCIA副長官になる。それ以前から破壊活動は「民間人」のダレスが指揮していたのだが、副長官に就任した意味は小さくない。1952年にOPCが中心になって計画局が設置された。(後に作戦局へ名称変更、さらにNCS/国家秘密局へ) 朝鮮戦争が勃発したのは1950年6月25日。朝鮮軍が先制攻撃したことになっているのだが、その前から小規模の軍事衝突はあったという。また、その当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。(F. William Engdahl, “Gods of Money”, Progressive, 2009) 朝鮮戦争が勃発する3日前、アレン・ダレスの兄であるジョン・フォスター・ダレスは朝鮮半島から日本へわたり、吉田茂と会談した後にニューズウィーク誌の東京支局長だったコンプトン・パケナムの家で夕食会に参加している。日本側から出席したのは大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。 1951年4月には約2000名の国民党軍がCIAの軍事顧問団とともに中国領内に侵入して一時は片馬(ケンマ)を占領、翌年の8月にも中国へ侵攻して国境から約100キロメートルほど進んだが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わっている。 朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定が成立するが、その2カ月前にベトナムではアメリカの支援を受けていたフランス軍がディエンビエンフーで北ベトナム軍に包囲され、翌年の5月にフランス軍は降伏した。 その前、1953年1月にドワイト・アイゼンハワー政権が成立し、ジョン・フォスター・ダレスが国務長官に就任する。ジョン・フォスター長官は翌年の1月にNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMMを編成して秘密工作が始まる。 1961年に大統領となったジョン・F・ケネディは核戦争の危機を外交で乗り切り、63年6月にはアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えた。さらに、同年10月にはNSAM263を出し、1963年末にアメリカの軍事要員1000名を撤退させ、65年12月までに1万1300名を完全撤退させる方針を打ち出した。これを受け、アメリカ軍の準機関紙と言われるパシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙は「米軍、65年末までにベトナムから撤退か」という記事を掲載している。 言うまでもなく、こうした方針は1963年11月にケネディがダラスで暗殺され、実現しなかった。後任のリンドン・ジョンソンは本格的な軍事介入へと進んでいる。 ダレス兄弟は共にウォール街の大物弁護士。つまりアメリカの巨大資本の代理人として活動していた。このふたりの動きを見ると、朝鮮戦争もベトナム戦争も中国を制圧することが最終的な目的だった可能性が高そうだ。 ベトナム戦争の停戦が確定的になったタイミングでリチャード・ニクソン米大統領が中国を訪問しているが、これを偶然と解釈すべきではないだろう。そのニクソン政権はデタント(緊張緩和)へ舵を切るが、スキャンダルで失脚し、副大統領から昇格したジェラルド・フォード政権政権ではドナルド・ラムズフェルドやリチャード・チェイニーらが中心になってデタント派の粛清が行われた。ネオコンが台頭してくるのはこの政権からだ。 ネオコンは1992年のはじめ、ソ連消滅の直後に世界制覇プランを作成したことは本ブログで何度も書いてきた。その基本戦術は買収と恫喝であり、その手法が通用しないロシアや中国との間では、軍事的な緊張を高めることになっている。ロシアと同様、中国もアメリカの好戦派は交渉で物事を解決できる相手ではないと認識、腹をくくったように見える。日本人も中国やロシアとの核戦争を覚悟しなければならない段階に突入してしまった。
2016.08.22
ブラジルのリオ・デ・ジャネーロではクーデター政権の下でオリンピックが開かれている。4年後には東京で開催され、競技の一部は臨海副都心で開催されるようだ。 臨海副都心は開発に失敗、都の財政にとって大きな負担になっている地域。この周辺では、東京都中央卸売市場が築地から豊洲へ移転してくる。言うまでもなく、豊洲は深刻な有害物質の汚染などを抱えている場所であり、この計画を立てた人間は正気でない。 臨海副都心開発は鈴木俊一知事の置き土産だ。1979年に初当選した鈴木は巨大企業が求める政策を打ち出し、新宿へ都庁を移転させて巨大庁舎を建設したほか、江戸東京博物館や東京芸術劇場も作り、臨海副都心開発の検討を開始した。臨海副都心で建設を始めたのは1989年のことである。問題が明らかになってもマスコミは例によって見て見ぬ振りをしてきた。 破綻が明らかになった後、2001年には「臨海副都心事業会計」を黒字の「埋立事業会計」や「羽田沖埋立事業会計」と統合、帳簿の上で赤字と借金の一部を帳消しにするという詐欺的な行為に出るが、地方債と金利負担がなくなったわけではなく、2013年から20年度までに約2465億円を返済しなければならないようだ。 臨海副都心には台場エリアも含まれているが、この地区にカジノを建設使用と目論んでいる人物がいる。イランを核攻撃で脅すべきだと2013年に主張していたシェルドン・アデルソンだ。日本にもカジノを合法化したいと考える人びとが昔からいて、2010年4月には超党派でカジノ議連(国際観光産業振興議員連盟/IR議連、通称:カジノ議連)が設立された。 アデルソンは日本でカジノ・ビジネスを展開するため、2013年11月にIS議連の細田博之会長にプレゼンテーションを行い、東京の台場エリアで複合リゾート施設を作るという構想の模型を披露しながらスライドを使って説明したという。その翌月、自民党などはカジノ解禁を含めた特定複合観光施設を整備するための法案を国会に提出した。「順調に手続きが進めば、カジノ第1号は2020年の東京オリンピックに間に合うタイミングで実現する可能性がある。」とも言われた。 そして2014年2月にアデルソンは来日、日本へ100億ドルを投資したいと語る。世界第2位のカジノ市場になると期待、事務所を開設するというのだ。そして5月、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は日本政府高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が今年2月5日付け紙面で伝えている。 アデルソンを単なる賭場の胴元だと考えてはならないことはイランへの好戦的な発言からもわかる。アデルソンに動かされていると言われるネタニヤフの好戦性はイスラエルの情報機関、モサドの長官を務めたメイル・ダガンらからも批判されるほど危険なものだ。 アデルソンはアメリカのラス・ベガスとペンシルベニア、東南アジアのマカオとシンガボールでカジノを経営しているが、カジノはタックス・ヘイブンと関係が深い。現在、アメリカが世界最大のタックス・ヘイブンになっていることは本ブログで紹介したことがあるが、中でもラス・ベガスは有名。マカオやシンガポールもタックス・ヘイブンだ。アデルソンはカジノを持っていないようだが、モナコもカジノとタックス・ヘイブンで有名。アメリカと同じように生産活動を放棄する政策進めてきた日本でもカジノを解禁し、富裕層が稼ぎを隠しやすいようにタックス・ヘイブン化が推進されるのかもしれない。
2016.08.22
8月に入ってからアメリカの国防総省に存在する多額の使途不明金の問題が話題になっている。同省の監察総監室が7月下旬に発表した昨年度の監査報告の中で、6兆5000億ドル、日本円に換算すると約650兆円の使途不明金があると指摘されているのだ。 以前から軍事関連の予算は「国家安全保障」を口実にして隠され、例えば、1990にはティム・ウェイナーが国防総省の予算をテーマにした『ブランク・チェック』という本を出している。国防総省は自分たちで勝手に金額を記入できる小切手を持っているような状態だというわけだ。 巨大企業が国防総省の仕事をしたがる理由は情報公開を避けることにもある。勿論、カネの管理がルーズなため濡れ手で粟の大儲けが可能だということも大きな理由だが、それだけではない。国防総省との契約は秘密保護が目的でもある。おそらく、日本の「エリート」たちもこの仕組みを取り入れたがっている。 CIAの予算も不明だが、それだけにとどまらず、麻薬取引など一般に違法行為だとされている手段で稼いでいる。例えば、ベトナム戦争では東南アジアの山岳地帯(黄金の三角地帯)でケシを栽培してヘロインを生産、ニカラグアの反革命戦争ではコカイン、アフガン戦争ではパキスタンとアフガニスタンの山岳地帯でケシを栽培し、これはコソボでの工作でも資金作りに使われた。この問題は拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』で紹介している。 ニカラグアでは反革命武装勢力、いわゆるコントラをアメリカは組織しているが、この組織は麻薬取引に手を出していた。この事実はCIAの監察総監室が報告書の中で認めているのだが、アメリカの有力メディアは無視した。 量の違いはあるが、コントラ以前にもラテン・アメリカからアメリカへコカインなどの麻薬が流入、CIAが関与している疑いが持たれていた。ロサンゼルス市警の捜査官だったマイケル・ルッパートは1977年にCIAの麻薬取引について捜査を進めたのだが、その翌年には退職することになる。 コントラ工作の開始を切っ掛けにして、アメリカへ流入するコカインの量が急増、ロサンゼルス市警察では特捜隊を編成、ロサンゼルスにおける麻薬密売の黒幕と見られていたリッキー・ロスを逮捕、1987年に解散した。 ところが、その特捜隊の元メンバーは直後から司法省の調査対象になり、1990年頃、スキャンダル攻勢で警察から追い出されてしまう。警察の腐敗を追及しなければならないのは当然だが、司法省が動いた本当の理由はロサンゼルス市警察が麻薬取引の黒幕に肉薄、つまりCIAを脅かすようになっていたからではないかとも言われている。 メディアでは、オリバー・ノース中佐たちのコントラ支援工作を調べていたAP記者のロバート・パリーとブライアン・バーガーは、CIAとコントラの麻薬密輸に関する証言者を見つけ出し、1985年に記事を書いた。この記事にAP本社の編集者は反発、お蔵入りになりそうだったのだが、スペイン語版が世界に流れた。 1996年にはサンノゼ・マーキュリー紙のゲーリー・ウェッブがコントラと麻薬密輸の関係を連載記事にしている。当初、ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、ロサンゼルス・タイムズ紙など有力紙は無視していたが、公民権運動の指導者やカリフォルニア州選出の議員が麻薬問題の徹底的な調査を要求し始めると状況は一変、有力紙やネットワーク局は激しくウェッブを攻撃しはじめ、サンノゼ・マーキュリー紙から彼は追い出されてしまう。ロサンゼルス・タイムズ紙の場合、ジェシー・カッツ記者は、ウェッブを攻撃するため、自分がその2年近く前に書いた記事を否定している。 この記事が出た1996年、元捜査官のルッパードはある集会でCIAのジョン・ドッチ長官に対してCIAと麻薬取引について質問、この遣り取りが切っ掛けでCIAの内部調査が始まり、CIA監察総監室の報告書につながった。この報告書の内容はウェッブの記事が正しいことを示すものだが、有力メディアは訂正もウェッブに対する謝罪もしていない。
2016.08.21
電子メールのハッキングが続いている。今回は投機家で体制転覆に多額の資金を提供してきたジョージ・ソロスだ。彼がターゲット国の体制を転覆させるために使っているオープン・ソサエティ基金もハッキングされたという。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスするものがある。そのメールが書かれたのは2011年1月24日で、国務長官だったクリントンはソロスのアドバイスに従って動いたようだ。 ヒラリー・クリントンは夫が大統領だった1990年代、マデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)と連携して政権をユーゴスラビアに対する先制攻撃へと導いているが、その背後にソロスがいたということだろう。国務長官に就任したオルブライトが主導する形で1999年3月にNATO軍は偽情報で環境作りをしながらユーゴスラビアを先制攻撃、ひとつの国を破壊した。 2003年11月にはジョージア(グルジア)で「バラ革命」、04年から05年にかけてはウクライナで「オレンジ革命」があり、新自由主義体制になった。当然、一部のグループが不正な手段で国民の財産を奪って莫大な富を築き、その後ろ盾になっていた西側の巨大資本も利益や利権を手にした。こうした「革命」でもソロスはスポンサーとしての役割を果たしていた。 言うまでもなく両国の庶民は貧困化、そうした状況への怒りからソロスたち西側の富豪や巨大資本にとって好ましくない方向へ動いた。そこで仕掛けられたのがキエフのクーデター。2014年2月22日、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とするグループがビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除している。そのクーデターを現場で指揮していたのがヌランド国務次官補だった。クリントンは2013年2月に国務長官を辞めているが、ヌランドは彼女の同志だ。 クリントンが長官に就任したのはバラク・オバマが大統領に就任した2009年1月のことだが、その年の6月にホンジュラスで実行されたクーデターでクリントンは黒幕的な役割を果たしたと言われている。約100名の兵士が大統領官邸を襲い、マヌエル・セラヤ大統領を拉致され、コスタ・リカへ連れ去られている。 現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クーデター政権には正当性がないと明言した。このクーデター政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したとも報告されている。そのクーデターの背後にクリントン長官がいたということだ。 2011年にアメリカはサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国やイスラエルと新たな侵略戦争を始める。2月からはリビア、3月からはシリアだ。2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、その時にカダフィが惨殺されている。その事実をCBSのインタビュー中に知らされたヒラリー・クリントンは「来た、見た、死んだ」と口にして喜んでいる。 カダフィ体制が倒された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされた。その事実をイギリスのデイリー・メイル紙でさえ、伝えている。リビアを侵略した軍隊は空がNATO軍、地上はアル・カイダ系のLIFGだった。 リビアを破壊した後、侵略軍はリビア軍の倉庫から武器/兵器を持ち出してトルコへ運んでいる。勿論、戦闘員も同じように移動した。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、シリアへ軍事介入する口実にしようとしたと言われている。 そうした武器や戦闘員の輸送をアメリカ国務省は黙認した。2009年1月から13年2月まで国務長官を務めたヒラリー・クリントンもこの工作を知っていたはず。しかも、クリントンの部下にあたるクリストファー・スティーブンス大使は2012年9月10日、CIAの武器輸送担当者と会談、その翌日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。勿論、武器はトルコ経由でシリアの侵略軍へ渡される手はずになっていた。 その9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃されてスティーブンス大使が殺されている。議会が首相を指名する前日だ。その2カ月後にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリーと緊密な関係にあることで知られ、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。 クリントンは戦争犯罪人と言われても仕方のないようなことをしてきたわけだが、欧米の支配層はクリントンを支持してきた。ソロスも支援者のひとり。この支配層は軍事的に世界制覇を進めるだけでなく、巨大資本が国や国際機関を支配する仕組みを作り上げようとしている。それがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、そしてTiSA(新サービス貿易協定)の3点セットだ。 世界的に見ると、その実態を多くの人が知るようになり、抵抗が強まっている。アメリカ大統領選では共和党の候補者であるドナルド・トランプや民主党の候補者選びに参加していたバーニー・サンダースもこうした協定に反対している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、これらはファシズム化を目指すものだ。 そうした中、クリントンは若干の手直しをするだけで協定を実現しようと目論んできたのだが、サンダース支持者の民主党幹部やクリントンに対する反発が強く、自分も反対だと言わざるをえなくなっている。 しかし、クリントンは弁護士である。契約や法律に違反することなく約束を破る方法を考えることを商売にしている人物だ。先送りと言うことはありえるだろうが、ファシズム化という方針をアメリカの支配層が放棄するとは思えない。ソロスもクリントンに何らかの悪知恵を授けているのだろう。
2016.08.20
安倍晋三政権は改憲を目指している。現行憲法は民主主義と天皇制官僚国家、ふたつの要素があり、そのうち民主主義を支える要素を破壊しようとしているのだ。中でも重要視されているのが緊急事態条項だが、これは1980年代にアメリカで導入されている。 自民党の改憲試案を読むと、特に重要な変更は第98条にある。「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」というのだ。 この条項がいかに危険かを知りたいならば、アメリカを見れば良い。1982年にロナルド・レーガン大統領がNSDD55を出し、憲法の機能を停止させる目的でCOGプロジェクトをスタートさせたことは本ブログで何度も指摘してきた。 アメリカには核戦争が勃発した場合に備えるため、ドワイト・アイゼンハワー政権の時代に「秘密政府」を設置することが決められ、1979年にはFEMAが作られた。それを発展させたものがCOGだ。アイゼンハワー政権で先制核攻撃計画が始動したことも本ブログでは繰り返し書いてきた。 ここで想定されている緊急事態は核戦争だけだが、1988年に出された大統領令12656によって、憲法は「国家安全保障上の緊急事態」の際に機能を停止できることになる。核戦争である必要はなく、自然災害でも何でも政府が「国家安全保障上の緊急事態」だと判断すれば事足りる。 そして2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃される。いわゆる「9/11」だ。その攻撃をジョージ・W・ブッシュ政権は「国家安全保障上の緊急事態」だと判断、「テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化する2001年法(愛国者法)」(注)が出現した。 この法律は340ページを超す代物だが、それを議会は1週間で承認、強制収容所の建設を推進する国家安全保障省の「エンド・ゲーム計画」も成立している。愛国者法案を大多数の議員は読んでいなかっただろう。こうしたことが可能だったのは、少なくとも13年という準備期間があったからにほかならない。 注意深い人なら、1988年の段階で緊急事態条項に注目していただろう。遅くとも2001年には日本人も警戒しなければならなかった。アメリカで導入された以上、早晩、日本でも実行されることは明らかだからだ。おそらく、自民党はアメリカの真似をしたのか、アメリカの支配層から命令されて緊急事態条項を持ち出してきたのだろう。 愛国者法は軍事侵略と表裏一体の関係にある。2001年9月12日、つまりニューヨークとワシントンDCが攻撃された翌日、ホワイトハウスでは会議が開かれている。その会議に出席したひとり、テロ担当のリチャード・クラークによると、そこで話し合われた議題は9/11についてではなく、イラク攻撃だった。 攻撃の直後、ブッシュ・ジュニア政権は詳しい調査をしないで「アル・カイダ」が実行したと断定していたが、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたイラクを攻撃する口実をどうするかと話し合っていたわけだ。 そこで決まった口実が「大量破壊兵器」。イラクがそうした兵器を保有していないことを知っているブッシュ・ジュニア政権は大量破壊兵器による報復がないことを前提にした攻撃プランを作成した。簡単に決着はつくと考えていたようだ。 当初、アメリカ政府は2002年の早い段階に攻撃するつもりだったようだが、統合参謀本部の反対で約1年間、開戦の時期が延びたと言われている。戦争の理由がなく、作戦が無謀だと考えたようだ。最近、明らかになったコリン・パウエル国務長官(当時)のメモによると、2002年3月28日にトニー・ブレア英首相はパウエルに対し、アメリカの軍事行動に加わると書き送っていた。この時、すでにブレアは開戦に同意している。 アメリカ政府が攻撃しようと考えていた国はイラクだけでなかった。9/11から10日後にペンタゴンを訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていた。このうち、シリア、イラン、イラクの3カ国は1991年の段階でポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が5年で殲滅すると口にしたという。 そしてアメリカは侵略戦争を始めるが、シリアとウクライナで躓く。特にシリアではロシアが軍事介入、アメリカの好戦派が手先として使ってきたアル・カイダ系武装集団などを攻撃、アメリカのプランは崩れてしまった。アメリカが中国とロシアを相手にした戦争を始めたと認識した中国はシリアで軍事訓練を始めるという。核戦争で脅せば中国やロシアでも屈服するとネオコン/シオニストは考えていたようだが、完全に誤算だった。 そうしたアメリカの好戦派に従属している安倍晋三首相は2015年6月1日、赤坂の「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会に出席、そこで安保法制について、「南シナ海の中国が相手なの」と口にしたと報道された。「仲間内」の集まりだったので本音が出てしまったのかもしれないが、これは重大な発言だ。 アメリカはすでに戦争を始めている。今のところ戦闘の中心は傭兵が行っているが、好戦派はアメリカ/NATO軍を直接、軍事介入させようとしてきた。それを何とか回避させてきたのがロシアのウラジミル・プーチン大統領である。アメリカの大統領選挙で共和党候補のドナルド・トランプが予想外の善戦をしているひとつの理由は、少なからぬアメリカ人がこうした事実を知り始めていることにあるだろう。ヒラリー・クリントンが大統領になった場合、最悪の事態、つまりロシアや中国との全面核戦争を覚悟しなければならない。こうした戦争に安倍政権は加わろうとしているのだが、その戦場が「南シナ海」だけに留まるとは限らない。(注)「Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001」のイニシャルをとってUSA PATRIOT Act
2016.08.19
シリアに対して侵略戦争を繰り広げている武装勢力に対する攻撃にロシア軍がイランのハマダン基地を使い始めた一因として、偵察衛星に対する対策がロシアでは挙げられている。侵略軍を支援する国から偵察衛星の情報が提供され、事前に隠れるようになっていたというのだ。これまでロシア軍は超音速長距離爆撃機Tu-22M3を使って攻撃する場合、ロシアの基地からシリアへ向かっていたのだが、ハマダンを使うようになって飛行距離は約3分の1に短縮され、侵略軍側の余裕は少なくなった。 シリア侵略の主体はアメリカの好戦派、イスラエル、サウジアラビアで、その手先としてアル・カイダ系武装集団やそこから派生した「ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)」が実際に戦っている。アメリカなどの特殊部隊が侵略軍に同行しているとも言われているので、偵察衛星の情報を入手し、分析することは難しくなさそうだ。 ダーイッシュなるタグが広く知られるようになったのは2014年だろう。この年の1月にファルージャで彼らは「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧、その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その後継は撮影されて世界中に伝えられた。 当然、アメリカの軍や情報機関は偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで武装集団の動きを知っていたはずだが、その時に何もしていない。ダーイッシュを敵だと認識していたなら、車列は格好のターゲットだ。 本ブログでも繰り返し指摘しているが、アル・カイダ系武装集団の歴史は1970年代の終盤までさかのぼることができる。ジミー・カーター大統領の補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、「ベトナム戦争」を味わわせるという計画を立て、戦闘集団を編成したのだ。そこからアル・カイダは生まれる。 ブレジンスキーのプランに従って編成された武装集団の戦闘員の中心はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。ワッハーブ派はサウジアラビアの国教であり、ムスリム同胞団もこの国と関係が深い。1979年4月、ブレジンスキーはフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始する。 7月にカーター大統領はアフガニスタンでの秘密工作を承認、9月にはモハメド・タラキが暗殺されてハフィズラ・アミンが実権を握り、12月にソ連軍の機甲部隊が軍事侵攻したわけだ。 戦闘員を集め、雇用していたのはサウジアラビア。その責任者だった人物が同国の総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサルで、オサマ・ビン・ラディンがその下で戦闘員を集めていた。その戦闘員を訓練、武器/兵器を提供するのがアメリカの情報機関や特殊部隊である。ブレジンスキー自身、戦闘集団と接触している。 2005年、ロビン・クック元英外相はガーディアン紙に、アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだと書いているが、これは事実だと考えられている。なお、この記事が出た翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて急死した。享年59歳。 後にブレジンスキーはフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌からインタビューを受け、ソ連を挑発するために実行した秘密工作について質問されている。戦争を引き起こしたことを後悔していないかと聞かれたのだが、彼は後悔していないとした上で、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998) ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官(SACEUR)はCNNの番組でダーイッシュを作り上げたのはアメリカの友好国と同盟国だと語っているが、勿論、アメリカ自身がその中心だ。また、2012年から14年までDIA局長を務めたマイケル・フリン中将は退役後、アル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュはバラク・オバマ政権が決めた政策によって勢力を拡大したと語っている。実際、2012年8月の報告書でホワイトハウスに対し、そうしたことを警告していた。アメリカにはいくつかの勢力が潜在しているが、まだネオコン/シオニストなど好戦派の影響力は強い。
2016.08.18
ロシア軍は8月16日、超音速長距離爆撃機Tu-22M3を使ってシリアのアレッポ、デリゾール、イドリブを空爆、アル・カイダ系武装集団や、そこから派生した「ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)」の司令部や兵器庫を破壊したという。Tu-22M3による爆撃はこれまでも実施しているが、今回は特別の意味がある。ロシアからではなく、イランのハマダン基地からSu-34戦闘爆撃機と一緒に離陸、シリアでSu-30やSu-35と合流したというのだ。 ロシアの基地から飛び立つと約2000キロメートルを飛行しなければならないが、ハマダンからなら700キロメートルにすぎない。これだけでも大きな意味があるのだが、イラン政府が自国の基地をロシア軍に使わせたということは、それだけ両国の関係が緊密になったことを意味する。かつてヒラリー・クリントンはイランを攻撃すると口にしていたが、ハードルは高くなった。 1980年代からネオコン/シオニストやイスラエルはイラクのサダム・フセイン体制を倒すべきだと主張していた。イラクに傀儡政権を樹立させれば、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国でイランとシリアを分断することができると考えたからである。すでにイラクを破壊、今はシリアを侵略している。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたことのあるウェズリー・クラークによると、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしていたという。そうした発言の背景には、そうしたネオコンの戦略があったということだ。「アラブの春」、「民主化」、「人権」などは侵略を正当化するために掲げた中身のない看板にすぎない。 しかし、すでにロシアはシリアやイランとの関係を強め、イラクもロシアへ近づこうとしている。さらに、最近はトルコがアメリカ離れを始めてロシアへ接近している。 それに対し、サウジアラビアはイスラエルとの関係を強化し、ヨルダンでは自国の情報機関員が軍事キャンプを設置して7000名以上を訓練していると伝えられている。この訓練には、イギリスやアメリカを含む西側諸国から教官が派遣されているようだ。 現在、中東ではロシア、シリア、イランの勢力とアメリカ/NATO、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルの勢力が対立していると言える。そうした中、ロシアは自分たちの攻撃力がアメリカを上回ることをシリアでの作戦で示し、アメリカに対する恐怖感を弱めることに成功したようだ。その結果、アメリカの支配力も低下、アメリカに従属していたはずのイラクやトルコもロシアへ近づきつつある。アメリカの支配層、特に好戦派は形勢逆転を図るため、何かを仕掛けてきそうだ。 ところで、シリアで活動してきたアル・カイダ系武装集団は「アル・ヌスラ」が有名だが、アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、アル・ヌスラはAQIの別名。これはイラクのアル・カイダを意味する英語のイニシャルだが、アラビア語の名称は「ふたつの河の国の聖戦ベース機構」を意味している。このAQIが中心になって編成されたのがISIで、活動範囲がシリアへ拡大してからISISと呼ばれるようになった。アラビア圏で呼ばれている名称の音声に近い表記はダーイッシュだ。つまり、AQI、アル・ヌスラ、ダーイッシュは本質的に同じである。 今年7月、アル・ヌスラはファテー・アル・シャムへ名称を変更、アル・カイダと関係を断ったというが、形だけのことだろう。何しろ、アル・カイダなる武装集団は存在しないのだ。本ブログでは何度も引用しているが、1997年から2001年にかけてイギリスの外務大臣を務めたロビン・クックによると、アル・カイダはアラビア語でベースを意味し、CIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまりデータベースにすぎない。 こうした戦闘集団はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力が使ってきた傭兵の集まりで、状況によってタグが付け替えられてきた。名称が変更され、「自由の戦士」になったり「テロリスト」になったり、また「過激派」になったり「穏健派」になったりするのは雇い主の事情による。 こうしたタグの付け替えで人びとをたぶらかし、軍事侵略を続けようとアメリカの支配層は目論んでいるようだが、ロシアは勿論、シリアにもイランにもイラクにもトルコにも通じないだろう。中国はすでに艦船を地中海に派遣したりしているが、ここにきてシリアで軍事訓練を実施することが決まったという。アメリカの好戦派がロシアや中国などに対する「世界大戦」を始めたと中国も認識したように見える。アメリカ好戦派の手先、日本に対する姿勢も厳しくなる可能性があるだろう。
2016.08.18
クリミアへウクライナの特殊部隊が侵入、銃撃戦になってロシア兵が2名死亡、侵入部隊の5名がロシア側に拘束されたとFSB(連邦安全保障庁)が発表したのに対し、ウクライナ政府や西側の有力メディアは侵入の事実を否定している。ロシア側が証拠、証人を明らかにしているのに対し、いつものことながらウクライナ/西側メディアは主張の根拠を示さない「お話」。拘束されたユグニ・パノフの兄弟はザポリージャで誘拐されてクリミアへ連れて行かれたと思うと語っているが、この発言も根拠は示されていない。 説得力が全くないウクライナ政府や西側メディアの主張に沿う話をジェオフリー・パイアット米大使はツイッターに書き込んだが、NATOと関係の深いシンクタンクの大西洋会議は、パノフの逮捕によって侵入事件をFSBのでっち上げだと言えないことが明瞭になったとしている。しかも、ジョー・バイデン米副大統領はロシア側だけでなく、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領に対して緊張を高めないようにと強く求めたとする声明が発表された。ロシア側の主張が事実だとアメリカ政府も認めたと言えるだろう。 アメリカ支配層の内部で一貫して軍事的緊張を高めようとしている勢力がネオコン。彼らは1991年12月にソ連が消滅したことでアメリカが唯一の超大国になったと認識、1992年の始めに国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランをまとめた。自立した国、体制は勿論のこと、潜在的なライバルを破壊し、力の源泉である資源を支配、世界制覇を実現しようというわけだ。このプランの作成がポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心に行われたことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。 ウォルフォウィッツはドクトリンを書き上げる前年、シリア、イラン、イラクを5年で殲滅すると口にしたという。これは欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の元最高司令官、ウェズリー・クラークの話だ。予定通りに進まなかったのは、ジョージ・H・W・ブッシュが再選されず、ビル・クリントンが大統領に就任したからだと見られている。この政権はブッシュ政権に比べてネオコン/シオニストの影響力が弱く、前政権より好戦度は低かった。 しかし、アメリカが偽情報を広めながら侵略戦争を始めたのは、このビル・クリントン政権。選挙戦のときからスキャンダル攻勢にさらされ、大統領になっても動きにくい状況だったが、有力メディアが必死に好戦的な雰囲気を強めようとしてもユーゴスラビアへの攻撃には消極的だった。状況が一変したのは1997年。国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリン・オルブライトに替わったことが大きい。 クリストファーは戦争に消極的な人物だったが、オルブライトはコロンビア大学でズビグネフ・ブレジンスキーに学んだこともあり、好戦派。1998年秋に彼女はユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月にNATO軍は先制攻撃を実行している。 クリントン政権には、オルブライトと同じように好戦的な人物が国務副長官の首席補佐官として入っている。現在の国務次官補、ビクトリア・ヌランドだ。政権の中で異質だったふたりを引っ張ってきたのがビルの妻、ヒラリー・クリントンだと言われている。この3人は親しい間柄だという。 ビル・クリントン政権では、もうひとりの重要な女性が登場してくる。現在、ヒラリーの側近としてぴったり寄り添っているたヒューマ・アベディンだ。1996年、ジョージ・ワシントン大学の学生だったアベディンはインターンとしてヒラリーの下で働き始め、それから20年にわたってヒラリーの国際認識に大きな影響を及ぼしている。 興味深いことに、アベディンの母親、サレハはムスリム同胞団の女性部門を指導してきた人物。父親のシードはアル・カイダと関係していると主張する人もいる。しかも、彼女はヒラリーと親しいアンソニー・ウィーナーと結婚しているが、この人物は筋金入りの親イスラエル派、つまりシオニストだ。ムスリム同胞団とシオニストが結びついている。 ウクライナのキエフでネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が前面に出て混乱の度合いが高まっていた2014年2月4日、インターネット上にヌランドとパイアットとの電話会談の音声がアップロードされた。その中でふたりは「次期政権」の閣僚人事について議論している。また、混乱を話し合いで解決しようとしていたEUに対し、ヌランドは「EUなんかくそくらえ」と口にした。暴力的に大統領を排除し、次の政権はアメリカ側の意向に沿うものにしようという相談だった。 この会話の当事者であるパイアットがウクライナの特殊部隊によるクリミア侵攻を擁護している。ヌランドたちも同じ立場だろう。ネオコンが描いた世界制覇プランに対する反発は西側の支配層にも広まっているようで、そうした障害を取り除くため、ロシアとの戦争へ突入しようとしている可能性はある。 ジョージ・W・ブッシュ大統領はネオコンに担がれていたが、大統領に就任した当初は反対勢力の影響力も小さくはなかった。そうした反対勢力を駆逐し、ネオコンに圧倒的な力を与えたのが2001年9月11日の出来事だ。似たような出来事が実行されないとは言いきれない。 ネオコンのプランを崩壊させた最大の要因はロシア軍がシリアでアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を本当に空爆、大きな打撃を与えたことにある。そうしたシリアにおけるロシア軍に怒っているひとりがCIAの元副長官、マイク・モレルだ。ロシア人とイラン人を殺すべきだとインタビュアーのチャーリー・ローズに対し、8月8日に語っている。この人物、ヒラリー・クリントンの支持者だと公言している。
2016.08.17
昨年9月30日にロシア軍がシリアで空爆を始めて以降、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアが中心になって利用してきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は大きなダメージを受けた。それに対し、ネオコン/シオニストなどアメリカの好戦派、そしてサウジアラビアは巻き返そうと必死に戦闘集団を支援、世界を不安定化させている。ネオコンはロシアや中国を制圧するつもりで戦争を始めたのだろうが、逆に自らが窮地に陥っている。地上げ ところで、日本国内では株式相場だけでなく不動産の取引価格も暴騰した1980年代、「地上げ」を生業とする集団が現れた。1970年代に経済活動は行き詰まり、企業は投機の世界へ足を踏み入れて「財テク」なる用語も使われ始めていた。石油価格の暴騰を不景気の原因であるかのように説明する人もいるが、それは世界的な経済の行き詰まりが招いたひとつの結果にすぎない。 何らかの事情で巨大企業が不動産を必要とするようになった場合、そこに住んでいる人びとを排除しなければならないが、住み慣れた場所を離れたくない人を説得するのは難しい。カネを積んでも拒否する人はいる。中には、金額を引き上げるために粘る人もいる。かといって企業が暴力を行使することは無理。 カネにしろ、暴力にしろ、建前上は法律を遵守する清く正しい企業が表立ってできることではない。そこで登場したのが地上げ屋。この人たちがきわどい手段、しばしば法律を無視した手段で住民を追い出し、企業へ売るわけだ。地上げに必要な資金を提供するのは勿論、銀行。裏地事情を知っているため、安心して融資していた。つまり、買い主、地上げ屋、銀行がトライアングルを組んでいたのである。仕事柄、地上げには広域暴力団が関与していた。 このシステムが機能している間は警察も違法行為を放置、トライアングルの内部は平穏だったが、大手企業側で不動産を購入する必要がなくなった、あるいは購入できなくなったときに問題が発生する。特に、途中まで地上げが進んでいた場合は深刻。地上げ屋はすでに銀行から多額の融資を受け、返済の義務があり、不動産を転売できなければ膨大な借金を抱え込む。死活問題だ。そうしたとき、大手不動産会社の幹部が襲撃されても不思議ではない。アメリカの「テロリスト」 似たようなことがアル・カイダ系武装集団などにも言える。このブログでは何度も書いてきたが、この集団の歴史はズビグネフ・ブレジンスキーから始まる。ジミー・カーター大統領の補佐官だったブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、「ベトナム戦争」を味わわせるという計画を立て、戦闘集団を編成したのだ。カーターが大統領に就任した翌年、まだ王制だったイランの情報機関SAVAKの協力を得てブレジンスキーはアフガニスタンの体制を揺さぶり始めている。 ただ、アフガニスタンに対する工作の準備はその前から始まっていた。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助していたという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) ブレジンスキーのプランに従って編成された武装集団の戦闘員の中心はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。ワッハーブ派はサウジアラビアの国教であり、ムスリム同胞団もこの国と関係が深い。 1954年にムスリム同胞団はエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化された。その後、メンバーの多くが逃げ込んだ先がサウジアラビアだった。そこでワッハーブ派の強い影響を受けることになったわけだ。 1978年にクーデターで実権を握ったモハメド・タラキは翌年の3月にクレムリンへ出向き、ソ連軍の派遣を要請するのだが、断られている。軍事介入すると、アフガニスタンの泥沼から抜け出せなくと考えた、つまり「ベトナム化」を恐れたのである。この年の4月には大韓航空の902便がソ連の領空を侵犯、重要な軍事基地があるムルマンスク上空を飛行して強制着陸させられている。 1979年2月にはイランで王制が倒されてホメイニが帰国、3月にはアフガニスタンでイスラム勢力がヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問を襲撃して殺害、その際にソ連人顧問の子どもや妻も殺している。このイスラム勢力はイランとつながっていたという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) そして4月、ズビグネフ・ブレジンスキーはフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始している。パキスタンの情報機関ISIのアドバイスに基づき、その指導者として麻薬業者のグルブディン・ヘクマチアルが選ばれた。ニューヨーク・タイムズの報道によると、1979年からの10年間でCIAは50億から60億ドルをイスラムの武装勢力へ注ぎ込んいる。(John Burns, 'The West in Afghanistan, Before and After,' New York Times, Feb. 18, 1996) ジミー・カーター大統領がアフガニスタンでの秘密工作を承認したのは7月。9月にはタラキが暗殺されてハフィズラ・アミンが実権を握り、12月にソ連軍の機甲部隊が軍事侵攻したわけだ。 革命後のイランはサウジアラビアとの関係が悪化、ブレジンスキーの発案で編成された武装集団の戦闘員はサウジアラビアが雇うようになる。その責任者だった人物が同国の総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサル。その下で戦闘員を集めていた人物がオサマ・ビン・ラディンで、1984年にはムスリム同胞団のアブドゥラ・アザムと一緒にMAK(マクタブ・アル・ヒダマト)を創設している。 また、サウジアラビアには戦闘員をアフガニスタンへ派遣しなければならない事情もあったと言われている。1979年当時、サウジアラビア王室の腐敗を批判するグループが国内に現れ、メッカにあるアル・ハラム・モスクが占拠されるという事件が起こっていたのだ。これを切っ掛けに「過激派」は戦闘員としてアフガニスタンへ送られたという。 2005年にロビン・クック元英外相はガーディアン紙に、アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだと書いているが、これは事実だと考えられている。なお、この記事が出た翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて急死した。享年59歳。 CIAはソ連軍と戦わせるため、戦闘員に爆弾製造や破壊工作の方法を教え、都市ゲリラ戦の訓練もしている。勿論、武器/兵器も提供したが、それだけでなく、麻薬取引の仕組みも作り上げた。 ベトナム戦争の際、CIAは東南アジアの山岳地帯、いわゆる「黄金の三角地帯」でケシを栽培、ヘロインの密輸で資金を稼いでいたが、その拠点をパキスタンとアフガニスタンにまたがる山岳地帯へ移動させたのだ。ここは現在でも非合法ヘロインの主要供給地だ。この麻薬ルート上にはコソボがある。アメリカはコソボ乗っ取りでも麻薬取引を資金調達に利用した。 1988年にソ連軍はアフガニスタンから撤退、91年にソ連が消滅する。その後、アメリカの支配層は旧ソ連圏を支配下におきはじめ、チェチェンを含むカフカスを奪おうと画策し始め、再びサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする武装集団が登場してくる。 後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌からブレジンスキーはインタビューを受け、ソ連を挑発するために実行した秘密工作について質問されている。戦争を引き起こしたことを後悔していないかと聞かれたのだが、彼は後悔していないとした上で、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998) アフガニスタンへ傭兵として送り込まれた人びとの中にはサウジアラビアで持て余していた若者が含まれていた。その後、アメリカは各国の狂信的な考え方の持ち主を同じように侵略の手先としてリビア、シリア、ウクライナなどで使ってきた。日本でも同じようなことが行われている。もし戦争が下火になり、軍事的な緊張が緩和され、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアなどによって育成された戦闘員が解雇されたなら、彼らはコントロール不能になる。ブレジンスキーの秘密工作は世界に惨禍をもたらす愚かなアイデアだった。
2016.08.16
第2次世界大戦で日本が降伏したのは1945年9月2日のこと。この日、政府全権の重光葵と軍全権の梅津美治郎が東京湾内に停泊していたアメリカの戦艦、ミズーリ号で降伏文書に調印したのである。8月15日は「玉音放送」、あるいは「終戦勅語」と呼ばれている昭和天皇の朗読がラジオで流された日にすぎない。その放送を記念し、毎年、8月15日に日本政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」なるセレモニーを行っている。大戦で戦死した旧日本軍の軍人と軍属約230万人と空襲などで死亡した市民約80万人が追悼の対象で、日本が侵略した国々の犠牲者は無視されているようだ。 8月15日には「靖国神社参拝」というセレモニーを行う議員もいる。単独で行動できないのか、尾辻秀久を会長とする「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という集まりも存在、そこには安倍晋三、甘利明、石破茂、稲田朋美、衛藤晟一、平沼赳夫、原口一博、小沢一郎らも含まれている。 この靖国神社は1869年の創建。当初の名称は「招魂社」だったが、1879年には現在の名称に変更され、第2次世界大戦に日本が敗れるまでの所轄は陸海軍省だった。日本軍と一心同体の関係にあったわけだ。最初に祀られているのは、戊辰戦争や西南戦争において薩摩藩や長州藩など(新体制)の側で戦死した人びとから始まり、第2次世界大戦で戦死した人びとまで。 こうした歴史があるため、日本が降伏して連合国に占領されていた時期、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の内部では、将校の多数派が靖国神社の焼却を主張したという。これを阻止したのがイエズス会のブルーノ・ビッテル(ビッター)とメリノール会パトリック・J・バーン、ふたりのカトリック司祭だったとされている。 前にも書いたように、ビッテルは1898年にドイツで生まれ、1920年にイエズス会へ入り、アメリカで過ごしてから1934年に来日している。ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされているが、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ重要人物。CIAはアメリカの巨大金融資本と密接な関係にある機関であり、関東大震災からアメリカでフランクリン・ルーズベルトが大統領になる直前までの機関、日本がウォール街に君臨していたJPモルガンの強い影響下にあったことを考えれば、当然のことだろう。 戦後、このビッテルは為替に絡む犯罪で逮捕されたことがある。今と違って国外へ自由に出られない時代、日本人エリートは海外旅行する際、日本カトリック教団本部四谷教会のビッテルを介して「闇ドル」を入手していた。霊友会の小谷喜美会長もビッテルからドルを手に入れたのだが、これは法律に違反した行為であり、事件になったのだ。 ところが、警視庁が押収した書類は「ふたりのアメリカ人」が持ち去り、捜査は打ち切りになった。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。ビッテルは日米をつなぐ闇資金に深く関係していたと見られている。 月刊誌「真相」の1954年4月号によると、リチャード・ニクソンも闇資金につながっていて、その資金のおかげで彼は若くして副大統領になることができた。1953年秋にニクソンは来日するが、その際にバンク・オブ・アメリカの副支店長を大使館官邸に呼び出して闇資金の運用についても話し合われたが、この会議にビッテルも同席したという。 ちなみに、アメリカは閣僚の靖国神社参拝を嫌がっているが、理由は韓国を刺激するからだろう。韓国は中国に対する軍事的な圧力を加える上で重要な国であり、中国側へ追いやるようなことは避けたいはずだ。
2016.08.15
日本政府はフィリピン政府と巡視船2隻の貸与に関して話し合いを進めていると外務副報道官の大鷹正人は語ったという。全長90メートル程度と言っているので、おそらく「ひだ型巡視船」3隻のうち2隻を貸し出す意向なのだろう。偵察機も貸すようだ。勿論、相手として想定されているのは中国。 岸田文雄外相が話し合っている相手はフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領のらしいが、この人物が大統領に就任したのは今年6月で、前任者のベニグノ・アキノ3世による中国を敵視政策を軌道修正している。巡視船の貸与問題を両国で話し合っているとするならば、現フィリピン政権の要求というより日本、そしてその背後にいるアメリカの意向だと考えるべきだろう。 ベニグノ・アキノ3世の父親は1983年8月にマニラ国際空港で殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアで、母親は86年2月から92年6月まで大統領を務めたコラソン・アキノ。アメリカの支配層と関係の深い一家だ。 アキノ3世がフィリピンの大統領に就任した3カ月後、2010年9月に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を取り締まり、中国側を怒らせた。漁業協定に従うならば、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行わなければならない。 海上保安庁の現場が独断で2国間の協定を無視したとは考え難い。海上保安庁は国土交通省の外局なので、国土交通大臣だった前原誠司が承認していたと見るべきだろう。この協定破りで悪化した中国との関係を修復する役割を負うのは外務省だが、事件の直後に前原が外務大臣に就任する。この人事を見ると、日本と中国との関係を悪化させるのは菅直人政権の意思であり、その背後にはアメリカの好戦派がいることを示している。 本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカやイギリスの世界制覇プランはロシアを包囲して締め上げるというもの。そのプランをまとめたものがハルフォード・マッキンダーが1904年に発表したハートランド理論。 この理論では世界を3つの「島」に分ける。まずヨーロッパ、アジア、アフリカを「世界島」、次にイギリスや日本などを「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアを「遠方諸島」と呼ぶ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指す。このハートランド/ロシアの制圧が世界制覇のカギを握っているとマッキンダーは考えた。 ハートランド/ロシアを支配するため、ふたつの「三日月帯」で締め上げていくという戦略を彼は立てた。西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年のこと)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」と、その外側の「外部三日月地帯」だ。 一方、中国は経済発展の基本プランとして「一帯一路」、つまり「シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード」を打ち出している。その海上ルートが始まる場所が南シナ海。ここでハートランド理論の内部三日月帯とここでクロスする。中東におけるシリアと同じように重要な場所だと言える。 アメリカは「一帯一路」の海上ルートを断ち切るため、「東アジア版NATO」を考えている。その中軸が日本、ベトナム、フィリピンで、そこへ韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしている。THAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムをアメリカが韓国へ配備しようとしている理由もそこにある。 封じ込め政策は第2次世界大戦の直後にも打ち出されている。フォーリン・アフェアーズ誌1947年7月号にソ連への警戒を呼びかける論文が掲載され、その中でソ連は基本的に西側との共存を望まず、ソ連流の支配システムを世界に広めようとしていると主張している。それに対抗するため、西側がそうした計画に反対していることを強く示せばソ連を封じ込めることができるという議論だった。この論文は匿名で書かれたが、執筆したのはジョージ・ケナンだ。ここでソ連の戦略としているものは、アメリカのそれにほかならない。その戦略に基づいてアメリカは世界に破壊と殺戮を蔓延させてきた。 この封じ込めは軍事衝突を想定していないことになっているが、イギリスやアメリカの支配層は大戦中からソ連を敵国と見て動いている。そうした中、ファシズムや植民地に反対していたフランクリン・ルーズベルトは異質の存在だった。 そのルーズベルトは1945年4月、執務中に急死するが、その時点でアレン・ダレスなどはナチスの高官や協力者と会い、取り引きをしている。この交渉を大統領は知らされていなかった。 ルーズベルトが死んだ翌月、ドイツが降伏する。それを受け、ウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、提出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が実行されなかったのは、参謀本部が反対したからだという。 一方、核兵器を手にしたアメリカでは、1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告の中で、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とす(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)という計画が書かれている。 1954年になると、SAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下して、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。(前掲書)1956年にSACが作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。 1957年の初頭にアメリカでは、300発の核爆弾をソ連の都市へ投下するという内容の「ドロップショット作戦」をスタートさせている。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、ICBMの準備ができる1963年の後半にはソ連を核攻撃するというスケジュールになっていたという。それより遅くなるとソ連もICBMを配備すると見ていたのだ。 そうした計画の実行を妨げる最大の障害はジョン・F・ケネディ大統領だった。そのケネディは1963年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺された。その背後にキューバやソ連がいるとする情報をCIAは流すが、この情報が正しくないことをFBIがリンドン・ジョンソン大統領へ伝え、核戦争にはならなかったと言われている。 アメリカの核攻撃計画に日本が無関係だったということはありえない。沖縄では1953年4月に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、武装米兵が動員された暴力的な土地接収が強行され、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になるが、これも戦争を見据えてのことだろう。 この時期、住民側のリーダー格だった人びとが排除されている。例えば、1954年7月には人民党中央委員の林義己と畠義基に退島命令が出され、10月には同党の瀬長亀次郎書記長らが逮捕され、それを不当だと抗議した二十数名がさらに逮捕された。弁護士のいない裁判で瀬長は懲役2年の判決を受けている。また、1956年10月には比嘉秀平琉球主席が55歳の若さで急死した。 1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーはカーティス・ルメイと並ぶ好戦的な軍人で、第2次世界大戦の終盤にはルーズベルト大統領を無視する形でアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行している。 こうした展開を見てもわかるように、封じ込めは核戦争に直結する。ここにきて影響力は弱っているようだが、それでもまだ主導権を握っているネオコン/シオニストは買収と並行して、軍隊や「テロリスト」を使ってターゲットを脅し、屈服させきた。そうした手法が通用しない中国やロシアも脅しているつもりだが、相手は屈服しない。しかも通常戦でアメリカはロシアに勝てない。必然的に核戦争ということになる。 6月1日、安倍晋三首相は官邸記者クラブのキャップとの懇親会で「安全保障法制」、いわゆる戦争法制は「南シナ海の中国が相手」だと口にしたと伝えられている。当然、巡視船2隻の貸与もこの戦略に基づいているはずで、軍事的な緊張を高めることになる。その背景にはアメリカの好戦派が描く戦略がある。アメリカ支配層が一枚岩だということはできず、核戦争へ向かう道を驀進中の勢力がいる事実から目を背けるべきではない。
2016.08.14
サウジアラビアの情報機関員がヨルダン領内、シリアとの国境近くに軍事キャンプを設置して7000名以上を訓練、イギリスやアメリカを含む西側諸国からも教官が派遣されていると伝えられている。 北部ではロシア軍の支援を受けたシリア政府軍がダーイッシュを圧倒、要衝のアレッポを奪還しそうだが、それだけでなく、クーデター未遂以来、トルコとアメリカとの関係が険悪化していることも要因のひとつ。8月9日にはサンクトペテルブルグでレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領らがロシアのウラジミル・プーチンらと会談している。そうした状況にあるため、トルコからシリアへ伸びていた侵略軍の兵站線が断たれそうな雲行きで、シリアの南にあるヨルダンを拠点にせざるをえない。 2012年にもアメリカの情報機関や特殊部隊はヨルダンの北部に設置された秘密基地で戦闘員を軍事訓練、その中にはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に参加する人も含まれていたとされている。 そのダーイッシュが広く知られるようになったのは2014年。まず1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧した際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その様子が撮影されて世界に配信されたことが大きかった。 アメリカ軍はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人からの情報などでダーイッシュの動きを把握していたはず。当然、ダーイッシュの部隊が小型トラックでパレードしていることを知っていただろうが、何もしていない。多くの人びとにダーイッシュの存在を知らせたかったのではないかと疑惑を持つ人は少なくないだろう。 そして2014年8月にダーイッシュは拘束していたジェームズ・フォーリーの首を切り落としたと宣伝、映像が公開される。ところが、その映像では首の前で6回ほどナイフが動いているものの、実際に切っていないうえ、血が噴き出していない。つまり、少なくともカメラの前で彼は殺されていない可能性が高い。 この行為がひとつの切っ掛けになり、アメリカ軍を中心とする連合軍は2014年9月にシリアで攻撃を始めるが、その時に現地で取材していたCNNのアーワ・デイモンは翌日朝の放送で、ダーイッシュの戦闘員は空爆の前に極秘情報を入手、攻撃の15から20日前に戦闘員は避難して住民の中に紛れ込んでいたと伝えている。 その後、ダーイッシュは支配地を拡大していったが、当然だ。そうした構図をひっくり返したのがロシア軍だった。昨年9月30日以来、ロシア軍は本当にダーイッシュやアル・カイダ系武装集団を攻撃しているのだ。そのロシア軍と戦うため、タグを付け替えた戦闘員たちはシリアへ侵入するのだろう。
2016.08.14
クリミアへ侵入したウクライナの特殊部隊が最初に発見されたのは8月6日から7日にかけてのことだったとロシアの情報機関FSB(連邦安全保障庁)は発表している。侵攻してきたのは約20名で、そのうち15名ほどはウクライナへ撤退したものの、残りは拘束、あるいは死亡したようだ。8日にもウクライナの特殊部隊は2度にわたってクリミアへの侵攻を試み、激しい戦闘になったという。拘束されたひとりのユグニ・パノフは侵攻部隊を率いていたと見られ、その証言はロシアのテレビ局が流したようだ。軍事侵攻の目的は重要な基盤施設やライフラインを破壊だったと見られている。 ロシアから戦闘に関する発表があった直後、イギリスのガーディアン紙はウラジミル・プーチン露大統領がオリンピックを利用して軍事侵攻を目論んでいるかもしれないというルーク・ハーディングの記事を掲載している。 この記者によると、ロシアは北京オリンピックのあった2008年にジョージア(グルジア)を、2014年のソチ・オリンピック直後にはウクライナを侵略したかのように書いているのだが、ジョージアの場合は同国のミヘイル・サーカシビリ大統領が南オセチアを奇襲攻撃してロシア軍が反撃したのであり、ウクライナの場合はオリンピックでロシアが動きにくいのを利用し、アメリカがキエフでクーデターを実行したのである。ウクライナの場合、ロシア軍は国境を越えていない。 ジョージアのサーカシビリはイスラエルやアメリカを後ろ盾にしている人物で、彼が大統領だった2001年からイスラエルの会社がロシアとの戦争に備えてグルジアに武器を提供、同時に軍事訓練を行っていた。軍事訓練の責任者はイスラエル軍の退役したふたりの将軍、ガル・ヒルシュとイースラエル・ジブだったとされている。さらに、イスラエルは無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを提供していた。(Tony Karon, “What Israel Lost in the Georgia War”, TIME, August 21, 2008) また、ロシア軍のアナトリー・ノゴビチン将軍もイスラエルがグルジアを武装させていると非難している。2007年からイスラエルの専門家がグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器、電子兵器、戦車などを供給する計画を立てていたというのだ。(Jerusalem Post, August 19, 2008) ジョージアとイスラエルの関係は軍事面だけに留まらない。イスラエルに住んでいたことのある閣僚がふたりいるのだ。ひとりは奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリであり、もうひとりは南オセチア問題で交渉を担当しているテムル・ヤコバシビリだ。ふたりは流暢なヘブライ語を話すことができ、ケゼラシビリはイスラエルの市民権を持っていたことがある。 2008年7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官がジョージアを訪問、それから1カ月足らず後の8月7日にサーカシビリ大統領は南オセチアの分離独立派に対して対話を訴え、その約8時間後、深夜に奇襲攻撃を開始した。対話の呼びかけは相手を油断させるためだったということになる。 その当時、南オセチアに駐留していた「平和維持部隊」の軍事的能力は低く、アメリカやイスラエルの軍事訓練を受けているグルジア軍の前になす術がなかった。そこでロシア軍は戦闘車両150両を送り込むなど即座に反撃、空爆も始めてジョージア軍を粉砕してしまった。ロシア軍が出てくると、こうなるということだ。この程度の攻撃でロシア軍を打ち負かすことができるとイスラエルやアメリカは思い込んでいた可能性が高い。そして8月15日、ライス国務長官は再びジョージアを訪問してサーカシビリと会談した。善後策を協議したのだろう。 ウクライナの場合、アメリカのネオコン/シオニスト、つまり親イスラエル派がネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を利用してクーデターを行ったことは明らか。流れを見ると、2013年7月にサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官(当時)がモスクワを秘密裏に訪問、プーチン大統領と会談している。その際、スルタンはロシアがシリアから手を引けば、ソチで開催が予定されている冬季オリンピックの安全を保証できると持ちかけたされている。チェチェンのグループはサウジアラビアの指揮下にあり、攻撃を止めさせられるというわけだ。 この提案をプーチンは拒否、「ここ10年の間、チェチェンのテロリスト・グループをあなたたちが支援していることを知っている」と言い放ったという。その後、ロシアの姿勢は強硬になった。 2013年11月にはウクライナのキエフで反政府行動が始まる。その拠点になった場所がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)。ビクトル・ヤヌコビッチを批判する人びと約2000名が集まっているが、その前日、議会ではオレグ・ツァロフ議員がクーデター計画の存在を指摘していた。 ツァロフ議員によると、ウクライナを内戦状態にするプロジェクトをアメリカ大使館はジェオフリー・パイアット大使を中心に準備、NGOがその手先として動くことになっていたという。 アメリカはソーシャル・ネットワーキングを使って世論を誘導し、抗議活動はカーニバル的な演出で人を集めていく。12月の段階で約50万人が集まったとも言われている。そしてネオ・ナチが全面に出てくる。 現場で中心的な役割を果たしていたのは、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット大使。このふたりが「ヤヌコビッチ後」の閣僚人事について話し合っている音声が2014年2月4日にYouTubeへアップロードされている。 ヤヌコビッチを排除するということだが、EUのように話し合いで混乱を解決したならば、その目論見は実現できない可能性が高い。アメリカは暴力を使うつもりだった。だからこそ、ヌランドは「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたわけである。ヌランドが高く評価したいた人物がアルセニー・ヤツェニュクはクーデター後、実際に首相を務めている。 今回、戦闘の舞台になったクリミアはネオコンのロシア制圧計画で重要な位置を占めている。その歴史を振り返ると、1941年にドイツに占領されている。その年の6月にドイツ軍はソ連侵攻、つまりバルバロッサ作戦を開始、42年8月にはスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入するが、11月からソ連軍が反撃に転じ、43年1月31日にドイツは降伏している。その間、クリミアはドイツに占領されていた時期があるのだ。占領時代にタタール人の一部はドイツに協力、第2次世界大戦後にヨシフ・スターリンは報復として約23万人を中央アジアへ強制移住させている。 ウクライナにも親ナチス派は多く、そうしたこともあって1954年にソ連政府は住民の意思を無視する形でクリミアなどをウクライナへ編入させている。それまではロシアに属していた。当時はウクライナもロシアもソ連の一部であり、それほど大きな問題とは考えられなかったようだが、ソ連が消滅してから状況は変わる。 ロシアもアメリカもクリミアを重要視しているが、その理由のひとつは、そこにロシア海軍の黒海艦隊が拠点にしているセバストポリがあるからだ。ソ連消滅後の1997年にウクライナとロシアは協定を結び、ロシアに20年間の基地使用権が与えられ、さらに25年間の延長が認められる。それに伴ってロシア軍は2万5000名の駐留が可能になり、協定が結ばれた当時から1万6000名が駐留していた。 おそらく、ネオコンはクーデターでウクライナを制圧すればクリミアが手に入り、ロシア制圧に向かっての大きな一歩になると考えていただろう。その目論見が住民の意思によって崩れたのだ。そこで、キエフのクーデター政権や西側の政府やメディアは駐留ロシア軍を侵略軍だと宣伝、それを真に受けた人は少なくなかった。今回のガーディアン紙の記事はその延長線上にある。
2016.08.12
ロシアの情報機関FSB(連邦安全保障庁)などの情報によると、ウクライナの特殊部隊が8月8日夜にクリミアへ侵入、クリミアの国境警備隊やFSBと戦闘になり、ロシア兵2名が死亡し、ウクライナの特殊部隊員も1名が死亡、7名が拘束されたという。予定されている選挙をにらみ、破壊活動でクリミアを不安定化させることが目的だったようだ。ウクライナ側は戦闘を否定しているが、ロシア側の主張が正しいと見られている。キエフのペトロ・ポロシェンコ大統領はクリミア近くの部隊に対し、警戒態勢を取るように命じた。 ネオ・ナチのクーデターで成立したキエフ政権をウクライナ東部、ドンバスに住む人びとは認めていない。ドンバスはドネツクとルガンスクに分かれているが、ルガンスクの指導者であるイゴール・プロトニツキーの自動車が8月6日に爆破され、本人も負傷した。この破壊工作とクリミアへの侵攻はリンクしていると見る人もいる。 アメリカ/NATOはユーゴスラビアやイラクに対する先制攻撃では正規軍を使ったが、イラクの結果が思わしくないこともあり、リビア、シリア、ウクライナではアル・カイダ系武装集団やネオ・ナチを使った。クリミアやドンバスをゲリラ戦で破壊しようとしている可能性がある。その中核になるのは特殊部隊であり、傭兵が手先になる。 この戦法は1970年代の終わりにズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで導入しているが、ベトナム戦争でも使われている。 1953年7月に朝鮮戦争が休戦になり、54年5月にはベトナムのディエンビエンフーでフランス軍が敗北しているが、そうした中、54年1月にジョン・フォスター・ダレス国務長官はNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。ベトナムにおける秘密工作はこの時点で始まっている。 1961年にアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディはアメリカ軍をインドシナから撤退させるため、63年10月にNSAM(国家安全保障行動覚書)#263を出した。ただ、その翌月に暗殺されたので実行されていない。 1964年1月にリンドン・ジョンソン大統領が承認した計画に基づいて統合参謀本部直属の秘密工作部隊が編成され、陸軍、海軍、空軍の特殊部隊からメンバーが集められた。この部隊がSOG。7月31日にこの部隊のメンバーは約20名の南ベトナム兵を率いてハイフォン近くのレーダー施設を襲撃、その報復として北ベトナム軍は8月2日に情報収集活動をしていたアメリカ海軍のマドックスを攻撃した。 この軍事衝突をアメリカでは北ベトナムによる「先制攻撃」と宣伝され、8月7日に議会は「東南アジア決議(トンキン湾決議)」を可決した。これがいわゆるトンキン湾事件である。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)この後、アメリカのベトナムに対する軍事介入は本格化した。 1967年6月になると、MACV(ベトナム軍事支援司令部)とCIAは共同でICEXを始動させる。後にフェニックス・プログラムと呼ばれる秘密プログラムだ。ICEXを立案したCIAのロバート・コマーはプログラムの指揮官としてジェドバラ出身のエバン・パーカーを選んだ。なお、ジェドバラは本ブログでは何度も登場しているゲリラ戦の部隊で、第2次世界大戦の終盤、イギリスとアメリカの情報機関(SOEとSO)によって編成された。 フェニックス・プログラムにはCIAの人間や特殊部隊の隊員が参加、命令はCIAから出ていた。その下にはPRUという実行部隊が存在、海軍の特殊部隊SEALに所属していたマイク・ビーモンによると、PRUの隊員は殺人、レイプ、窃盗、暴行などで投獄されていた囚人たちが中心。PRU入りを条件に釈放されたのだという。CIAや特殊部隊はこの種の人びとを手先として使うのが好きなようだ。 ベトナムではリビアやシリアなどと違い、解放戦線は住民に支えられていた。そこで、解放戦線を支持していると見なされた農村で殺戮と破壊が繰り返されている。解放戦線を支援すると殺されるという恐怖心を植えつけ、さらに村落共同体を破壊してアメリカの価値観を植えつけようとしたと言われている。フェニックスは「ベトコンの村システムの基盤を崩壊させるため、注意深く計画されたプログラム」だとビーモンは見ていた。 1968年3月、ソンミ村のミライ部落でウィリアム・カリー大尉の率いる部隊が数百名の村民を虐殺している。1969年3月に事件は初めて報道され、11月にシーモア・ハーシュ記者は記事の中で、村民504名がどのように虐殺されたかを詳しく書いている。この事件はフェニックス・プログラムの一環だった。 1971年に開かれたアメリカ上院の公聴会でウィリアム・コルビーCIA長官はフェニックス・プログラムについても証言、「1968年8月から71年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」としている。期間を見ても明らかなように、この数字は犠牲者の一部が反映されているにすぎない。なお、コルビーもジェドバラの出身者だ。 また、ジェドバラ人脈がヨーロッパを支配するために作り上げたのが「NATOの秘密部隊」のネットワーク。その中でも有名な部隊がイタリアのグラディオだ。1960年代から80年代にかけ、「極左」を装って爆破工作を繰り返し、左翼陣営に打撃を与え、治安体制を強化することに成功した。この組織に関する報告書をイタリアのジュリオ・アンドレオッチ政権が1990年10月に提出、その存在を正式に認めている。 こうした秘密部隊は日本とも関係がある。例えば、1969年12月にミラノのフォンタナ広場にある国立農業銀行が爆破されているのだが、この事件の実行犯のひとりとして起訴され、2001年6月にミラノ地裁で終身刑を言い渡された人物が日本へ逃げ込んでいる。つまり、1979年から日本で生活、80年に日本人女性と結婚、89年に日本国籍を取得した。 この問題は2000年に国会の決算行政監視委員会で取り上げられ、質疑の中で政府側の参考人は、問題の人物が1973年にベニス地裁から武器および爆発物の不法所持で有罪判決を受けている情報のあることを認めている。(2000年4月20日、決算行政監視委員会第一分科会)なお、イタリアのジャーナリストによると、1974年に武器の不法所持で有罪判決を受けていたという。 この人物は1995年にイタリア国籍を回復させるが、97年に国際指名手配されると旅券を大使館に返納してイタリア国籍を抹消した。1995年から97年にかけては二重国籍になりそうだが、法務省の細川清民事局長(当時)は日本国籍を取得した段階でイタリア国籍は失っているから問題ないという意味不明の説明をしている。 ミラノ地裁で終身刑を言い渡されたということは「テロリスト」だと認定したことを意味するが、そのように表現した日本のマスコミに対し、東京地裁の和田剛久判事(当時)は2003年6月、合計300万円の支払いを命じている。「一審で有罪判決が出ても、上級審で変更される可能性があり、実行犯または主犯格だとは認められない」ということらしいが、そんなことを認められた人はほかにいないだろう。 ジェドバラ人脈は大戦後、OPCという極秘機関を組織、東アジアでも活動している。当初、その拠点は中国の上海だったが、1949年1月に解放軍が北京へ無血入城するころに日本へ移動する。その中心は厚木基地に置かれたと言われている。この年の7月に国鉄を舞台とした3事件があり、それを口実として政府が左翼攻撃を展開している。その3事件とは、7月の下山事件と三鷹事件、8月の松川事件だ。 こうした破壊活動を行う仕組みは現在も生きている。その仕組みを動かしている勢力がアメリカの次期大統領にしようとしている人物がヒラリー・クリントン。ところが、ハッキングで盗まれた民主党全国委員会(DNC)の電子メールが公表されて彼女の違法行為が明るみに出つつある。バーニー・サンダースを潰すことには成功したが、ドナルド・トランプに負ける可能性はある。選挙戦の途中からネオコンの一部はトランプ支持を表明しているが、どこまでコントロールできるかは不明。コントロールしきれず、ネオコン/シオニストの計画が挫折することも考えられる。そこで、選挙前にネオコンは戦争を始めるという説が流れているのだが、クリミアや東アジアでの動きを見ていると、ありえない話とは言えない。
2016.08.12
内部告発を支援しているWikiLeaksは8月9日、民主党全国委員会(DNC)のデータ担当スタッフだったセス・リッチが殺された事件に関する情報提供者に2万ドルを提供するとツイッターに書き込んだ。リッチは7月11日に複数回の銃撃を受けて殺されている。警察は強盗にあったと発表したが、何も盗まれていない。そのリッチについて、WikiLeaksのジュリアン・アッサンジはDNCの電子メールを提供した人物だと示唆している。 7月5日に発表されたジェームズ・コミーFBI長官の声明で、ヒラリー・クリントンは機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性があり、また、そうした情報をきわめて軽率に扱っていたことを認めている。その上で、FBIは司法省に対して彼女の不起訴を勧告したわけだ。政府機関の不正を内部告発した人びとは厳しく処罰されてきたが、それとは対照的だ。この決定をWikiLeaksは批判していた。 ハッキングが明らかになって以来、西側の有力メディアは電子メールの中身を問題にせず、盗み出したのはロシアだと宣伝してきた。例えば、5月9日の時点でアンドリュー・ナポリターノは、ロシアで外務省と情報機関との間でヒラリー・クリントンの2万に及ぶ電子メールを公開するかどうかが議論されていると語っている。ナポリターノはニュージャージー州高裁の元判事で、現在はFOXニュースの上級司法アナリストを務めている。 ナポリターノ発言の約1年前、民主党幹部たちが昨年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールはすでに露見していたが、今年7月22日にWikiLeaksはハッキングされたDNCの電子メールを公表する。その中には、民主党の幹部へサンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう求めるものも含まれていた。(例えばココ) WikiLeaksが電子メールを公表すると、アメリカの有力メディアはロシア政府が情報源だとする宣伝を展開、これについてアッサンジは肯定も否定もしない姿勢を見せていたものの、DNI(国家情報長官)のジェームズ・クラッパーは情報源を特定していないと述べていた。ロシアではない事実をつかんでいた可能性が高い。 NSAの内部告発者であるウィリアム・ビニーは、電子情報機関NSAが全ての電子メールを記録しているとした上で、FBIがその気になれば入手できると指摘している。FBIはその気にならなかったということだ。ちなみに、ビニーはNSA史上、最高の分析官のひとりと言われている。 FBIがヒラリー・クリントンの不起訴を勧告した後、WikiLeaksが電子メールを公開する10日前、7月12日にバーニー・サンダースはクリントンを次期大統領にすることを支援すると表明した。WikiLeaksが電子メールを公表した後にサンダースがクリントン支持を口にすることは難しかっただろう。 しかし、それでもサンダース支持者の中に反発は強く、民主党全国大会が開幕する前日の7月24日に同党のデビー・ワッサーマン・シュルツ全国委員長は大会閉幕と同時に辞任すると表明した。事態の沈静化を図ったのだろうが、サンダース支持者の一部は緑の党へ流れると見られている。 リッチが電子メールの提供者だとする情報に疑問を持つ人もいるが、ここにきてクリントンの周辺で変死が相次いでいることも疑惑を強めている一因。例えば、彼女やDNCに関する証言をする前日、6月22日に心臓発作で急死した元国連総会議長のジョン・アシュ。この人物は中国人実業家から130万ドル(約1億6000万円)の賄賂を受け取った疑いで昨年、逮捕されている。6月23日にはクリントン夫妻の資金に関する疑惑を記事にした編集者のマイク・フリンが死亡、7月10日にセス・リッチが殺され、8月1日にはクリントン夫妻に関する本を書いたビクター・ソーンが自宅近くの山で銃撃による傷が原因で死亡、8月4日にはクリントンとDNCの不正を追及していたサンダース支持者の弁護士のショーン・ルーカスが自宅で死体になって発見されている。死の前、ルーカスは元気に活動していた。 また、ヒラリー・クリントンを担いでいる民主党の戦略家、ボブ・ベッケルは2010年にアッサンジ殺害をフォックス・ニュースの番組で口にしている。彼を反逆者だとしたうえで、死刑を望めないので、法律を無視して撃ち殺すしかないと語っている。その翌年にベッケルはフォックス・ニュースに雇われ、現在はCNNのコメンテーターだ。 勿論、こうした事実によってヒラリー・クリントンやその周辺の犯罪行為が証明されたわけではないが、状況によってアメリカの有力メディアは「疑惑」を攻撃の材料に利用する。 ヒラリーの夫、ビルの場合、選挙戦のときからアメリカの有力メディアは怪しげな証言に基づいて彼を激しく攻撃していた。その攻撃、いわゆる「アーカンソー・プロジェクト」のスポンサーはメロン財閥の一員で大富豪のリチャード・メロン・スケイフ。情報機関やネオコンと近い人物だ。また、ネオコンのニュート・ギングリッチ下院議長(当時)の後ろ盾だったシカゴの富豪、ピーター・スミスもビル・クリントン攻撃に資金を提供していた。 それに対し、ネオコンと緊密な関係にあるヒラリー・クリントンを有力メディアは守ろうとする。もし彼女の周辺で起こったようなことがロシアのウラジミル・プーチンの周辺であったなら、西側の有力メディアは疑惑を事実であるかのように扱い、大キャンペーンを展開してプーチンやロシアの「悪魔化」に利用するだろう。
2016.08.11
アメリカの好戦派が進めてきた世界制覇の目論見は中東/北アフリカやウクライナで崩れ始めている。その基本プランが国防総省のDPG草案として作成されたのは1992年。このことは本ブログで何度も書いてきた。 DPGが作成された当時、国防総省のトップはリチャード・チェイニー長官で、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心に書き上げられた。国防総省内部のシンクタンクONAの室長だったアンドリュー・マーシャルの戦略に基づいて書き上げられたと言われている。チェイニー、ウォルフォウィッツ、マーシャルなどDPGの作成に関わった人の多くはネオコン/シオニストと言われている人びとだ。 ネオコンがホワイトハウスで台頭したのはジェラルド・フォード政権、つまり1974年から77年にかけての時期。フォードはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領が辞任したことを受けて副大統領から昇格したのだが、選挙の時には副大統領でもなかった。副大統領候補はスピロ・アグニューだったのだが、汚職事件の捜査対象となって1973年10月に辞任、下院議員だったフォードに交代したのだ。 辞任当時、ニクソン政権はデタント(緊張緩和)へ舵を切ろうとしていたのだが、そうした政策変更に強く反発する人びとも存在した。ポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターを中心とするグループだ。 1975年11月にフォード政権はデタント派の粛清を始める。例えば、この時にジェームズ・シュレシンジャーが国防長官を解任され、大統領首席補佐官だったドナルド・ラムズフェルドが就任している。空いたポストには副補佐官だったリチャード・チェイニーが収まった。粛清劇を指揮したのはこのふたりだと言われているが、ラムズフェルドを動かしていたのはマーシャルONA室長や陸軍参謀本部の顧問を務めたこともあるフリッツ・クレーマーだ。 一連の粛清で最も注目されたのはCIA長官の人事。1976年1月にウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代したのだが、ブッシュはエール大学でCIAにリクルートされた可能性が高く、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された当時、CIAの幹部だったことを示すFBIの文書が存在する。この文書を明るみに出したのはジャーナリストのジョセフ・マクブライドで、ネイション誌の1988年7月16/23日号に掲載された。その文書によると、ブッシュは暗殺事件について詳しい情報を持っていたようだ。CIAから反論があったが、再反論で否定されている。(ブッシュがCIA高官だったことは元特務機関員で戦後はCIAの仕事をしていた人物から筆者も聞いている。) 政府から離れた後もクレーマーは影響力を維持、彼の自宅へはアレキサンダー・ヘイグ、ヘンリー・ジャクソン、リチャード・パール、ウォルフォウィッツ、ラムズフェルドを含む人びとが出入りしていた。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009) フリッツ・クレーマーの息子、スベンはNSC(国家安全保障会議)で軍備管理の専門家として働いていたが、その時にウォルフォウィッツと親しくなっている。NSCを辞めてからスベンはジョン・タワー上院議員の国家安全保障問題担当の顧問に就任する。 1972年の大統領選挙でニクソンと争った民主党のジョージ・マクガバンはベトナム戦争に反対していた人物。有権者からは支持されたが、民主党の内部にも敵はいた。そのひとりがヘンリー・ジャクソン上院議員。その事務所の顧問はリチャード・パイプス教授で、リチャード・パール、ダグラス・フェイス、エリオット・エイブラムズ、エイブラム・シュルスキーなどが働いていた。ジャクソンたちは民主党の内部にCDM(民主多数派連合)なるグループを設立、CDMは1976年にCPD(現在の危機委員会)の創設を助けている。 ニッツェ、ウールステッター、マーシャル、クレーマー親子、ラムズフェルド、チェイニー、ウォルフォウィッツ、ヘイグ、ジャクソン、パール、パイプス、フェイス、エイブラムズ、シュルスキーなどは親イスラエル派で、後にネオコンと呼ばれるようになる。タワーもイスラエルと緊密な関係にあった。 ロナルド・レーガン政権でこうしたネオコンはイラクのサダム・フセインを排除すべきだと主張、フセインをペルシャ湾岸産油国の防波堤だと認識していたブッシュたちと対立している。ネオコンが主導権を握り、暴走を始める切っ掛けになったのは2001年9月11日の出来事だ。その辺の事情については別の機会に説明したい。
2016.08.11
8月1日にアメリカ軍はリビアのシルテに対する空爆を開始した発表された。ここはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が拠点にしている都市。イランでの報道によると、そのリーダーと言われているアブ・バクル・アル・バグダディが昨年10月にイラクで負傷した際、CIAとMIT(トルコの情報機関)は彼を治療のため、トルコ経由でシルテへ運んだという。それだけダーイッシュの強い影響下にある場所だということだ。 2011年2月からリビアはアメリカ/NATO、サウジアラビアやカタールなどペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどに先制攻撃され、10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊した。その時にカダフィが惨殺されているが、その事実をCBSのインタビュー中に知らされたヒラリー・クリントンは「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいる。その姿は映像として残された。 この侵略で地上軍として戦っていた部隊の中心はアル・カイダ系武装集団のLIFG。カダフィ体制が倒された後、その幹部はダーイッシュに加わったと主張するジャーナリストもいる。また、2012年7月に行われた選挙で成立した政府はイスラム色が濃く、ダーイッシュとつながっているとも言われていたが、最近はシルテに対する攻撃を続けているようで、状況が変化している。 これはシリアにおけるロシア軍の空爆でアレッポをシリア政府軍が奪還しそうになっていることも関係していると見る人もいる。昨年9月30日にロシア軍が空爆を始めて以降、ダーイッシュなど侵略軍は大きなダメージを受けている。7月中旬にジョン・ケリー国務長官がロシアを訪問したことも無視できない。 カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれたが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、シリアへ軍事介入する口実にしようとしたと言われている。 そうした事実をアメリカ国務省は黙認した。2009年1月から13年2月まで国務長官を務めたヒラリー・クリントンもこの工作を知っていたはず。しかも、クリントンの部下にあたるクリストファー・スティーブンス大使は2012年9月10日、CIAの武器輸送担当者と会談、その翌日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。勿論、武器はトルコ経由でシリアの侵略軍へ渡される手はずになっていた。 その9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃されてスティーブンス大使が殺された。議会が首相を指名する前日だ。その2カ月後にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリーと緊密な関係にあることで知られ、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。 こうした工作がアル・カイダ系武装集団の増強につながることはバラク・オバマ大統領も情報機関から警告されていた。例えば、2012年8月にDIA(国防情報局)は反シリア政府軍について、主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIだとホワイトハウスへ報告している。シリアのアル・カイダ系武装集団としてアル・ヌスラが有名だが、DIAによると、アル・ヌスラはAQIの別名で、こうした集団は西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしていた。 後にクリントンの電子メールがハッキングされるが、その中にはスティーブンス大使らが殺された事件に関する情報が含まれ、ベンガジを含む襲撃に資金を出したのはサウジアラビアのスンニ派(ワッハーブ派)だということを示す証拠をフランスとリビアの情報機関が持っているとされている。 2014年に行われた選挙では世俗派が勝利したが、イスラム系は政権交代を認めない。新政権はリビア東部のトブルクに新たな議会を設立、アメリカ、イギリス、フランス、エジプト、アラブ首長国連邦などから支持されている。 ダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団は傭兵集団。1997年から2001年にかけてイギリスの外務大臣を務めたロビン・クックによると、これはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだ。アラビア語でアル・カイダは「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われている。その仕組みを作り上げたのは、ジミー・カーター政権で大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーだ。 こうした傭兵集団をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが雇っていることは広く知られているとはいうものの、具体的な証拠が出てくると、こうした国々は困るだろう。シリアでダーイッシュなどが壊滅した場合、アメリカが行ってきた「テロとの戦い」に対する批判も高まる。 アメリカは新たなタグを作ってダーイッシュなどを処分する動きも見せているが、そうしたタグの付け替えをロシアは無視している。戦闘員の「雇い止め」は別の問題を発生させるだろう。アメリカの好戦派は自分たちが作り上げたモンスターの処分に困り始めている。東アジアへの移動は人種的な問題があって難しく、カフカスやEUへの移動だけでは解決できそうにない。 そうしたこともあり、中東/北アフリカ侵略を主導してきたネオコンなど好戦派はシリアに対するアメリカ/NATOによる本格的攻撃を目論んでいるが、それはアメリカとロシアとの直接的な軍事衝突に発展する可能性がある。現在、通常兵器での戦いならロシアが勝つと見られているので、負けるわけにはいかないネオコンは核戦争を始めるしかない。そうした好戦派に担がれている大統領候補がヒラリー・クリントン。そうした構図の中でアメリカの好戦派は東シナ海や南シナ海で軍事的な緊張を高めてきた。それに従っているのが日本の菅直人、野田佳彦、安倍晋三の3政権である。
2016.08.10
1945年8月9日にアメリカ軍は原子爆弾で長崎市を破壊、最初の数カ月間で6万から8万人が死亡、被爆者はその後も癌などの発症に苦しんできた。爆心地から500メートルほどの場所に建っていたカトリックの浦上天主堂(浦上教会)も破壊され、「赦しの秘跡(洗礼した後に犯した罪の許しを与える秘跡)」を行っていた司祭や数十名の信徒も死んでいる。浦上天主堂は「隠れキリシタン」の歴史を背負った教会だ。 その原爆を投下したアメリカの現大統領はバラク・オバマ。この人物は5月27日に「核なき世界を追求する勇気」について語ったというが、その一方、30年間に9000億ドルから1兆1000億ドルを投入する計画を打ち出している。 その背後でオバマ政権は核兵器の高性能化を図っている。例えば、戦闘機での運搬が可能な核弾頭B61の場合、新しく開発されたB61-12では命中精度を向上させることに成功している。B61-11の誤差は110から170メートルだが、このB61-12は30メートル。B61-11で必要な核弾頭が400キロトンだとすると、B61-12では50キロトン。爆発に伴って放出される放射性物質も少なくなり、使いやすくなるわけだ。また、LEP(核弾頭延命プログラム)によって少なくとも核弾頭の使用可能期間が20年間は延びるという。 要するに、オバマ大統領は「核なき世界を追求する意思」を持っていない。こうしたことは2014年から15年にかけて明らかになっているわけで、16年になってから「核なき世界を追求する勇気」を語る彼は相当の厚顔無恥だ。発言と行動が矛盾していること、自分が嘘をついていることを認識できないのかもしれない。こうした人物の発言を引用することも無責任だ。
2016.08.09
8月3日付けのニューヨーク・タイムズ紙にシリアを爆撃するべきだとする主張が掲載された。この記事を書いたのは中東ワシントン研究所のデニス・ロスとアンドリュー・テイブラー。ダーイッシュやアル・カイダ系の武装集団(アル・ヌスラなど)を攻撃しているロシアとの協力も止めるべきだという立場でもある。この主張はネオコン/シオニストのもので、ヒラリー・クリントンも同じ考え方の持ち主だ。 しかし、アメリカには別の考え方をする人もいる。例えば、マイケル・フリン中将。この人物が局長だった2012年8月にDIA(国防情報局)は、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者/ワッハーブ派、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・ヌスラと実態は同じだという)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている、つまりシリアに「穏健派」は事実上、いないと政府に報告している。バラク・オバマ政権が実行してきた「穏健派」の支援は「過激派」を支援することにほかならないということだ。退役後の2015年、フリン中将はオバマ政権の決定がダーイッシュの勢力を拡大させたと指摘している。 言うまでもなく、ワッハーブ派はサウジアラビアの国教。ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化され、そのメンバーの多くはサウジアラビアへ逃れ、ワッハーブ派の強い影響を受けるようになった。現在、サウジアラビアでこうした武装集団と最も強く結びついているのは、副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマン。この人物はトルコのクーデター未遂にも関係していると言われている。 ムスリム同胞団がヒラリー・クリントンとも緊密な関係にあることは本ブログでも何度か指摘した。彼女の側近中の側近、ヒューマ・アベディンがパイプ役だ。ヒューマの母親であるサレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードとアル・カイダとの関係を指摘する人もいる。また、夫のアンソニー・ウィーナー元下院議員で、ネオコン。イスラエルとサウジアラビアの友好的な関係を象徴する夫妻だ。 2011年10月から統合参謀本部議長を務めていたマーチン・デンプシー大将もダーイッシュを危険視、ロシアやシリアとも手を組むべきだと考えていたようだ。実際、オバマ政権の政策を懸念した軍の幹部は2013年秋からダーイッシュやアル・カイダ系武装集団に関する情報をホワイトハウスの許可を得ず、シリア政府へ伝え始めたという。 2013年2月から国防長官を務めたチャック・ヘーゲルも武力によるアサド政権転覆には消極的な姿勢を見せていたのだが、15年2月に好戦派のアシュトン・カーターと交代させられてしまう。カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物だ。 2015年9月にはデンプシーも辞めさせられ、後任はロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言していたジョセフ・ダンフォードだ。統合参謀本部議長が交代した直後、9月30日にロシアはシリアで空爆を始めている。ロシアは出てこないと高をくくっていたネオコンはショックを受けたようだ。 デンプシー統合参謀本部議長やヘーゲル国防長官がシリアに対する本格的な軍事介入にブレーキをかけていた当時の2013年8月、安倍晋三首相はカタールで「シリア情勢の悪化の責任はアサド政権にある。アサド政権は道をゆずるべきだ」とネオコンをはじめとする好戦派の主張を繰り返している。ここでも安倍政権がネオコンの操り人形だということが確認できる。安倍は「総合的判断」などしない。ボスに言われたことを繰り返すだけだ。 ネオコンが有力メディアを押さえ、宣伝に利用していることは広くしられているが、そのひとつがニューヨーク・タイムズ紙。イラクを先制攻撃する雰囲気作りのため、偽情報を盛んに流していたひとりは同紙のジュディス・ミラーだった。この人物は第101空挺団に「埋め込まれた」、つまり支配層から認められた記者。化学兵器、細菌兵器、核兵器に関する極秘施設に関する情報を流し、サダム・フセイン政権が生体実験を行っていると伝えていたが、全て嘘だった。 アメリカは巨大金融資本が支配する国で、戦争ビジネスはその下に位置し、宣伝部門が有力メディアだ。現在、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットで巨大資本が国を支配するファシズム体制へ移行しようとしているが、その新体制も「嘘の帝国」であることに変わりはなく、事実を語ることは反逆と見なされるだろう。
2016.08.09
アメリカでは巨大金融資本が大きな影響力を持ち、歴史的にファシストと結びついている。フランクリン・ルーズベルトは1938年4月29日、ファシズムについて、「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」と定義している。巨大資本とファシズムは表裏一体の関係にあると言えるだろう。 この関係は現在も続いているが、欧米の支配層はネオ・ナチに別のタグ、例えば「自由の戦士」とか「民主化勢力」などをつけて批判を回避している。タグの付け替えは有効な手段のようで、多くの人びとは納得しているのだろう。 巨大資本は第2次世界大戦の前も支配的な地位にいたが、今ほどの強さはなかった。そこで、1932年の大統領選挙ではそうした勢力と対立していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選している。 そこで、本ブログでは何度も書いてきたように、1933年から34年にかけてクーデターが計画されたが、失敗している。ファシズム体制の樹立を目指していた金融資本の代理人として働いていた典型例がジョン・フォスター・ダレスとアレン・ダレスの兄弟だ。 このクーデター計画はスメドリー・バトラー少将やジャーナリストのポール・フレンチの議会証言で発覚したが、フレンチによると、クーデター派は「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたという。ナチスが台頭する過程でアメリカの巨大資本が資金面から支援していたことはクリストファー・シンプソンらの研究で明らかにされている。 1945年4月にルーズベルト大統領が執務室で急死すると、こうした親ファシズム派が息を吹き返し、ホワイトハウスで主導権を奪還する。そうした流れを止めようとしたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。その後、ウォール街に立ち向かった大統領は見当たらない。 第2次世界大戦は1939年9月にドイツ軍がポーランドへ軍事侵攻したところから始まった。当時、ドイツとポーランドとの間には領土問題があり、対立していた。いわゆるポーランド回廊によって東プロイセンが飛び地になり、さまざまな問題が生じていたのだが、それをドイツは解決しようとしていた。 それに対し、イギリスを後ろ盾とするポーランドは強硬で、話し合いでの解決は困難の状況。そこで軍事侵攻、イギリスとフランスは宣戦布告したが、目的が飛び地問題だったため、本格的な戦争はそれから約半年の間、始まらなかった。いわゆる「奇妙な戦争」である。 ドイツがポーランドへ攻め込む2年前、つまり1937年12月に日本軍は南京を攻略している。中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将が指揮したことになっているが、事実上のトップは昭和天皇の叔父にあたる上海派遣軍の司令官だった朝香宮鳩彦だった。そこで何が行われたかをイギリスも知っていたはずだが、その直後、イギリスの支配層でソ連を第1の敵と考える勢力が「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようと考えていたという。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)、 動き始めたドイツは1941年4月までにヨーロッパ大陸を制圧、5月10日にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスがスコットランドへ単独飛行、そして6月22日にドイツ軍はソ連侵略、つまりバルバロッサ作戦を開始した。 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入するが、11月からソ連軍が反撃に転じ、ドイツ軍25万人は包囲されてしまう。生き残ったドイツ軍9万1000名は1943年1月31日に降伏、2月2日に戦闘は終結した。 この段階でドイツの敗北は決定的。ドイツが降伏すれば日本は戦争を続けられないと考えられていたわけで、日本の敗北も不可避だった。ソ連軍は西に向かって進撃を開始、慌てたアメリカ軍はシチリア島へ上陸する。それまでアメリカやイギリスはドイツのソ連に対する攻撃を傍観していた。 1943年9月にイタリアは無条件降伏、44年6月にアメリカ軍はノルマンディーへ上陸する。「オーバーロード作戦」だ。この上陸作戦は1943年5月、ドイツ軍がソ連軍に降伏した3カ月後にワシントンDCで練られている。 スターリングラードの戦いでドイツ軍が劣勢になると、ドイツのSS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。当時、ダレスは戦時情報機関OSSのSIB(秘密情報部)を率いていた。 1944年になるとドイツ陸軍参謀本部でソ連情報を担当していた第12課の課長を務めていたラインハルト・ゲーレン准将(当時)もダレスに接触、45年初頭にダレスはSSの高官だったカール・ウルフに隠れ家を提供、北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談も行われた。サンライズ作戦だ。ウルフはイタリアにいる親衛隊を統括、アメリカ軍のイタリア占領を迅速に実現させることができる立場にあった。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014) こうしたドイツとアメリカが単独降伏の秘密交渉を水面下で行っていることを察知したソ連のスターリンはドイツにソ連を再攻撃させる動きだとしてアメリカ政府を非難する。ルーズベルト大統領はそうした交渉はしていないと反論しているが、そのルーズベルトは執務室で急死、その翌月にドイツは降伏した。 その直後にウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連への軍事侵攻作戦を作成するように命令している。そして5月22日に提出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。 この作戦が発動されなかったのは、参謀本部が計画を拒否したため。攻撃ではなく防衛に集中するべきだという判断だったが、日本が降伏する前にソ連と戦争を始めると、日本とソ連が手を組むかもしれないとも懸念したようだ。 こうした流れを見れば明らかなように、アメリカやイギリスは事実上、ドイツと戦っていない。ドイツ軍が壊滅状態になったあと、慌てて動き始め、自分たちがドイツを倒したという宣伝を始めただけのことである。その宣伝には映画も大きな役割を果たした。 ここでは詳しく書かないが、アメリカの支配層はナチスの元高官や協力者の逃走を助けるだけでなく、保護し、後には雇用している。アドルフ・ヒトラーが敗戦直前に死亡したことを示す証拠はなく、アルゼンチンで目撃されたとする話は今でも語られている。 日本の場合、最大の問題になる人物は昭和天皇。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』)が、同じことを考える人が日本軍と戦った国々、例えばイギリスやオーストラリアには少なくない。ソ連も天皇に厳しい姿勢を示していた。 つまり、そうした人びとの影響力が強まる前にアメリカの支配層は天皇制官僚国家を維持するために手を打とうとする。1946年1月に設立された極東国際軍事裁判(東京裁判)の目的はそこにある。その裁判では厳罰に処せられた人がいる反面、本来なら起訴されるべき人が起訴されていない。 新憲法が作られるのは早く、1947年5月3日に施行されているが、その理由も東京裁判と同じだ。当時、日本の支配層は認められるはずのない「大日本国憲法」に執着、時間を浪費していた。そのため、アメリカ主導で天皇制の継続が謳われた新憲法が作成されたわけである。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と第1条にある。 占領時代、アメリカ軍が中心のGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の内部でも、多くの将校は天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張していたという。焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年) ビッターはニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟で、この枢機卿はジョバンニ・モンティニ(ローマ教皇パウロ6世)と同様、CIAと教皇庁を結びつける重要人物だった。 月刊誌「真相」の1954年4月号によると、1953年秋に来日したリチャード・ニクソンはバンク・オブ・アメリカ東京支店の副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」というのだが、この会談では闇資金の運用について話し合われたとされている。 こうした関係は現在でも続き、ウクライナでアメリカが仕掛けたクーデターはネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が全面に出ていた。キエフで指揮していたひとりは、ヒラリー・クリントンと親しいネオコン/シオニストのビクトリア・ヌランド国務次官補だ。
2016.08.07
沖縄の東村高江周辺で沖縄防衛局はヘリパッド建設工事を再開、反対派はテントを張って抗議活動を続けている。そのテントを安倍昭恵、つまり安倍晋三首相の妻が三宅洋平に付き添われ訪問、住民の反発を招いたようだ。彼女が何を考えているのかは不明だが、誰かが「悪い安倍」と「良い安倍」を演出、「安倍政権にも希望はある」と宣伝しているようにも見える。 似たことをアメリカは手先の武装勢力を使って軍事侵略する場合に使ってきた。例えばシリアの場合、「残虐な独裁者」に立ち向かう「自由の戦士」という筋書きを西側メディアは広めていたが、途中で「残虐な独裁者」を宣伝している人物の嘘が発覚、政府軍の化学兵器使用も嘘だということが明らかになってしまった。 そこで残虐行為を繰り返す武装勢力、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が登場し、2014年8月にはジェームズ・フォーリーなる人物の首を彼らが切り落とすところだという映像が公開された。 ダーイッシュは当初、イラクで活動、その当時はISIと呼ばれていた。この集団は2006年にAQI(イラクのアル・カイダ)が中心になって編集されている。AQIが創設されたのはイラクが先制攻撃され、サダム・フセイン体制が崩壊した後の2004年だ。 2014年1月にダーイッシュはイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言し、6月にはモスルを制圧する。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その映像が世界へ流れて有名になった。 フォーリーの「殺害」はイラクでダーイッシュを攻撃している勢力をアメリカ軍が支援していることに対する報復だというのだが、ナイフはフォーリーの首の前で6回ほど動いたものの、血は吹き出さず、実際に切っているようには見えなかった。そこで、カメラの前では殺されていないと推測する人が少なくない。 この「惨殺」の翌月、アメリカ軍はシリア政府の承諾を受けず、同国で空爆を始めるのだが、最初に破壊されたビルは、その15から20日前の段階で蛻の殻だったとCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で伝えている。その後、アメリカ軍はシリア社会の基盤施設を破壊、非戦闘員を殺傷、反政府武装勢力には物資を「誤投下」することになる。 アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)が2012年8月に作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている。アル・ヌスラはAQIの別名で、実態は同じだという。 そうした報告を受けた上でアメリカ政府はバシャール・アル・アサド政権を倒すため、侵略軍への支援を続けた。2012年の報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン中将はアル・ジャジーラの取材に対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語ったが、それはこうした背景があるからだ。またウェズリー・クラーク元SACEURは、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語っている。 AQI、アル・ヌスラ、ダーイッシュの実態は同じで、タグが違うだけ。イギリスのロビン・クック元英外相によると、アル・カイダはCIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵リストにすぎない。アル・カイダはアラビア語でベースを意味するが、「データベース」の訳語としても使われる。 シリアに限っても、体制転覆を目指している戦闘集団にはAQI、アル・ヌスラ、ダーイッシュ、最近ではいくつもの「穏健派」が出現、アメリカの支援を受けているが、その戦闘員はアル・ヌスラなどと渾然一体で、恐らくアメリカの特殊部隊も一緒にいると言われている。 アメリカは戦闘員を分離するので、それが終わるまでロシアは空爆しないでくれと言っているようだが、分離する気はないだろうし、その気が合っても不可能だろう。そうした集団のひとつ、ヌール・アル・ディン・アル・ジンキは13歳になるパレスチナ難民の子どもの首を切り、その映像が最近、インターネット上を流れている。 手先の武装集団に何らかの問題が生じたとき、新たなプロジェクトで必要なとき、アメリカの支配層はタグを付け替えて人びとの目を眩ましてきた。安倍夫妻を見ていると、その手口を思い出す。クリントン夫妻の場合、夫のビルが大統領だったときに戦争へと誘導していたが、政府の人事にその意思が反映されていた。そうした影響力を行使できないのならば、安倍昭恵がどのような考えを持っているとしても、特別扱いする意味はない。
2016.08.07
1945年8月に広島と長崎へ原子爆弾が投下された。6日に広島へ落とされた「リトル・ボーイ」はウラニウム235を使用、9日に長崎へ落とされた「ファット・マン」はプルトニウム239が使用されている。原爆が投下されてから最初の数カ月間で広島の場合は9万から16万6000人、長崎の場合は6万から8万人が死亡、その約半数は投下当日に亡くなったと推定されている。被爆者はその後も癌などの発症に苦しんできた。 その広島にある平和記念資料館でバラク・オバマ大統領は5月27日、「核なき世界を追求する勇気」について語ったというが、2014年の段階で、30年間に9000億ドルから1兆1000億ドルを投入する計画を打ち出している。オバマに「核なき世界を追求する勇気」があるのかどうかは知らないが、「核なき世界」の実現に向かって進んではいない。 アメリカはロシアの周辺で「ミサイル防衛システム」を建設、ルーマニアやポーランドでも計画されている。ロシアがこのシステムを批判している理由は、そのシステムが先制攻撃のためだと認識しているからだ。 先制攻撃した場合、全ての兵力を破壊しない限り、相手側は報復してくる。その報復攻撃に対処するという目的が「ミサイル防衛システム」にあるのだが、先制攻撃に使う射程が1000キロメートルから2400キロメートルという攻撃的ミサイルへ切り替えることも難しくない。 アメリカがソ連/ロシアを先制核攻撃する計画を考え始めたのは第2次世界大戦で日本やドイツが降伏した4年後のこと。JCS(統合参謀本部)が作成した研究報告に、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。 1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成、57年初頭には300発の核爆弾でソ連の100都市を破壊するという「ドロップショット作戦」が作成されている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 1956年にSACが作成した核攻撃計画に関する報告書によると、モスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が攻撃目標に含まれていた。 1950年代から核攻撃の準備は始まり、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーJCS議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲核攻撃を実行する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。この攻撃を成功させるためにもキューバを制圧し、ソ連の中距離ミサイルを排除する必要がある。 この計画を実現するためには大きな障害を取り除く必要があった。1963年6月10日、アメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行ったジョン・F・ケネディ大統領である。この年の11月22日にテキサス州ダラスでケネディ大統領は暗殺され、ソ連やキューバが黒幕だとする偽情報をCIAが流したものの、FBIから事実を知らされたリンドン・ジョンソン新大統領はソ連との戦争へ突入することはなかった。 日本では第2次世界大戦の頃から核兵器の研究開発は進められている。理化学研究所の仁科芳雄を中心とした陸軍の二号研究、そして海軍が京都帝大と検討していたF研究が始まりである。 大戦後の1957年5月、安倍晋三の祖父にあたる岸信介は参議院で「たとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈」として持っていると答弁、59年3月には参議院予算委員会で「防衛用小型核兵器」は合憲だと主張している。 NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立され、69年に日本政府は西ドイツ政府に対して核武装を持ちかけ、拒否されている。 しかし、1969年にアメリカ大統領となったリチャード・ニクソン大統領の補佐官、ヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語ったという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) 日本側は核武装に関する調査を進める。10年から15年の期間での核武装を想定、核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などについて調査、技術的には容易に実現できるという結論に達したという。原爆の原料として考えられていた高純度のプルトニウムは、日本原子力発電所の東海発電所で年間100キログラム余り、つまり長崎に落とされた原爆を10個は作れると見積もっていた。 ジミー・カーター政権は日本の核武装計画を警戒、つぶそうとしたが、ロナルド・レーガン政権に状況は一変する。アメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てきたのだ。その象徴的な施設が1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)だ。これは東海再処理工場に付属、プルトニウムを分離/抽出するための施設。この建設で、アメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術を提供していた。 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、2011年3月11日に東電福島第1原発が地震で過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントに限らず、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信している。(情報機関や軍は日本の核兵器開発を警戒している。) この事故の3日前、2011年3月8日付けのインディペンデント紙には、石原慎太郎のインタビュー記事が掲載された。それによると、外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうと石原は発言したという。 こうした背景を考えると、日本会議系の政治家が核武装を口にしても不思議ではない。アメリカとしては日本と中国が核兵器を撃ち合い、自分たちは高みの見物という展開が理想なのかもしれないが、そうなると日本の原発も全滅、太平洋は今と比較にならないほどの放射性物質が溶け込んだ海になる。
2016.08.06
スマートフォン向けゲームの「Pokémon GO」でプレイする人を街中で見かける。現実世界に架空の情報を付加、削除、強調、減衰させる「拡張現実」の技術とスマートフォンのGPSを使った位置情報取得能力などを利用、現実世界で実際には存在しないポケモンを捕獲・育成・交換・バトルをするゲームらしい。 現実世界の中で架空のポケモンを追いかけるため、崖から転落したり、歩行中や自転車に乗っていて転んだり、運転していた自動車を道路際の樹木に衝突させたりする事故が起こっているという。また、原発の敷地や地雷が埋まっている可能性のある地域へ入り込んだりすることも問題になっている。 このゲームを任天堂やポケモン社と共同で開発したナイアンティックはGoogleの社内で作られ、スピンアウトした企業。ナインティックのCEOジョン・ハンケはテキサス大学を卒業した後、ワシントンDCやミャンマーで外交の仕事をし、1996年にカリフォルニア大学でMBA(経営学修士)を取得している。Googleで働き始めるのはその後だ。 国務省で働いてからGoogleにいたジャレド・コーエンに国務長官時代のヒラリー・クリントンは接触したことをWikiLeaksが公表した電子メールは示している。彼女は位置情報を使ったアプリをシリア政府転覆に使う方法について相談、コーエンは人物の追跡に使うというアイデアを提案している。 「Pokémon GO」が広まってから、特定の場所にプレーヤーが殺到しするという問題も伝えられている。人びとを誘導するために使えることを示しているわけだ。このゲームを使ってプレイヤーを誘き出し、金品を奪うという犯罪者も出現しているようだが、アメリカの大統領選では得票に結びつけようとする動きもある。選挙人登録へ誘導したり、候補者の宣伝をしたりしようということのようだ。このゲームの仕組みにクリントン長官時代の国務省は目をつけているわけで、それを選挙に使おうとするのは自然な流れだろう。勿論、ドナルド・トランプも同じことをするだろうが。
2016.08.06
シリア政府軍はアレッポの奪還まであと一歩というところまできている。市民が脱出するために7つのルートが設定されているが、アル・カイダ系武装集団(アル・ヌスラ)やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は市民の脱出を妨害、そうした武装勢力の一部は「穏健派」のタグをつけて化学兵器を使用。中には人道的援助を行っているという「白ヘル」としてアル・ヌスラによるシリア政府軍兵士の処刑に立ち会ったりしている。 非武装で中立の立場だと宣伝している「白ヘル」だが、CIAが資金を供給するために利用しているUSAIDを通じ、アメリカの国務省は彼らに2300万ドル(総額か年額か不明)提供していることを認めている。しかも、シリアで活動している「白ヘル」の責任者ラエド・サレーはアメリカへの入国を拒否されている。FBIは彼を「テロリスト」だと認識しているようだ。その「白ヘル」を創設したジェームズ・ル・メジャーには出身国のイギリスだけでなく、日本、デンマーク、オランダの政府が資金を出しているようだ。 シリアでは2011年3月から戦闘が始まっているが、これはリビア、イラク、アフガニスタ、ユーゴスラビアなどと同じように侵略戦争。1980年代からネオコン/シオニストはイラクのサダム・フセイン政権を倒して傀儡体制を樹立、シリアとイランを分断して潰すという戦略を立てていた。その当時、イラクをペルシャ湾岸産油国の防波堤と認識していたアメリカ支配層の一部、つまりジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・ベーカーはネオコンやイスラエルと対立、それが原因で「イラクゲート事件」が浮上している。 ブッシュが大統領だった1990年8月にイラク軍がクウェートへ軍事侵攻、91年1月にアメリカ軍を中心とする連合軍がイラクを攻撃している。いわゆる湾岸戦争だ。この戦争でネオコンはフセインを排除するつもりだったが、ブッシュ大統領はその前に停戦、怒ったポール・ウォルフォウィッツ国防次官は、5年以内にイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。 イラクがクウェートを侵略したのは、クウェートによる石油盗掘問題のもつれから。その直前にアメリカ政府はイラク軍がクウェートへ侵攻することを容認するかのようなメッセージを出していたが、これは罠だった可能性がある。そのとき、PLOのヤセル・アラファト議長やヨルダンのフセイン国王はフセインに対して罠の疑いがあると警告したのだが、フセインはそれを無視して攻め込んだ。 軍事侵攻を受け、アメリカ下院の人権会議で「ナイラ」なる少女がイラク軍の残虐性を涙ながらに告発、アメリカで好戦的な雰囲気を高めることに成功したが、この「告発劇」はPR会社のヒル・アンド・ノールトンが演出したもので、主演の少女はアメリカ駐在クウェート大使の娘。つまり、全くの作り話だった。 この時以来、ネオコンはイラクを乗っ取るチャンスを待っていた。そして2001年9月11日がやってくる。その日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ジョージ・W・ブッシュ政権はすぐにアル・カイダの犯行だと断定する。本ブログでは何度も説明したように、アル・カイダは戦闘員の登録リストにすぎず、そうした武装集団は存在しない。 攻撃の翌日、ホワイトハウスでの会議に臨んだ対テロ担当のリチャード・クラークを待ち受けていたのは予想に反し、イラク攻撃をめぐる議論だった。どのような口実でイラクへ攻め込むかということだ。そして「大量破壊兵器」を理由にして攻撃することに決まった。イラクが「大量破壊兵器」を保有していないことを知っているブッシュ・ジュニア政権はそれを前提にした攻撃プランを作成、簡単に決着はつくと考えていたようだ。 しかし、大量破壊兵器をイラクが保有していなくても簡単に戦争は終結しないと考えたのが統合参謀本部。リチャード・チェイニー副大統領やドナルド・ラムズフェルド国防長官たちと将軍が対立、開戦は約1年延びたと言われている。言うまでもなく、将軍たちの見通しが正しかった。 恐らく正規軍を投入したイラクでの戦法を反省したネオコンは昔の手口を使う。つまりズビグネフ・ブレジンスキーが1979年に始めたゲリラ戦だ。パキスタンの情報機関が主体となる武装勢力を選定、サウジアラビアが資金と戦闘員(大半がサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団)を供給、イスラエルも協力した。サウジアラビアの情報機関、総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサルの下で戦闘員を集めていた人物がオサマ・ビン・ラディンだ。 そのアル・カイダ系武装集団をリビアやシリアに投入、リビアではNATOが空爆、地上ではアル・カイダ系のLIFGが政府軍と戦い、ムアンマル・アル・カダフィ体制を倒すことに成功したが、シリアでは失敗する。NATOを介入させるために偽情報を流したが、その事実が発覚、化学兵器の使用を宣伝したが、それも嘘だということが明らかになってしまった。しかも、地中海方面から発射したミサイルが海中へ落下している。 この軍事侵略をアメリカの支配層は「独裁者に対し、自由と民主主義を求めて人民が武装蜂起した」と宣伝してきた。途中、そうした主張が嘘だと言う事実は次々と明らかにされたが、西側の有力メディアは事実を無視してプロパガンダに徹している。そのメディアを信奉、「造反有理幻想」の中に浸り、侵略軍を「反体制派」と呼んでいる人がまだいるようだ。 アメリカにもマーチン・デンプシー元統合参謀本部議長やマイケル・フリン元DIA局長のように、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュを手先として使うことの危険性を認識し、バラク・オバマ政権の方針に批判的な人もいるが、ヒラリー・クリントンを含む好戦派は意に介していない。現在、威シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒し、イランを攻撃したいと考えている。安倍晋三首相はその好戦派と同じことを叫んでいるだけである。
2016.08.05
キャロライン・ケネディ米駐日大使は都知事選で勝利した小池百合子に対し、「おめでとうございます!国務省の人物交流研修事業、インターナショナル・ビジター・プログラムで渡米された経験のあるリーダーが歴史を作りました。」とツイッターに書き込んでいる。このプログラムはアメリカの手先を作る仕組みのひとつと言うべきだろう。 前にも書いたが、小池は「日本会議国会議員懇談会」で副会長を務める人物。この懇談会と一心同体の関係にある「日本会議」は安倍晋三首相を支える柱。1973年6月に神社本庁と生長の家などが伊勢神宮で開いた懇談会を母体にして創設された「日本を守る会」が1997年5月に「日本を守る国民会議」と統合されて誕生した。 「日本を守る会」が宗教色の濃い団体なのに対し、「日本を守る国民会議」のメンバーは財界、学者、旧日本軍が目立つ。1978年7月に結成された時の名称は「元号法制化実現国民会議」で、81年10月に改組されて「日本を守る国民会議」と名乗るようになった。 「日本会議」の活動を支えてきた実務部隊が「日本青年協議会/日本協議会」。この団体は生長の家の創始者である谷口雅春の信奉者を中心とする人びとによって構成されているようで、「民族派」と見なされている。 民族派の定義は難しいが、民族、あるいは国民全体の幸福、あるいは利益を目指す人びとだと解釈すれば、彼らを民族派と呼ぶことは適切でない。戦前のような天皇制官僚国家を目指しているのであり、「天皇派」とか「皇党派」と呼ぶべきだろう。この点を曖昧にすると、アメリカ支配層が小池を歓迎している意味を理解できない。一体誰が日本青年協議会のメンバーに「民族派」というタグをつけたのだろうか? 天皇制官僚国家が成立したのは、いわゆる「明治維新」。薩摩藩と長州藩を中心とする勢力がイギリスと手を組んで徳川体制を倒したのであり、誕生の瞬間からアングロ・サクソンの影響下にあった。その辺の事情は本ブログで何度か指摘した通りだ。 アメリカの金融資本が大きな影響力を持つようになった切っ掛けは1923年9月1日の関東大震災。その復興支援の調達をJPモルガンに頼ったことから、この金融機関は日本に大きな影響力を持つようになる。その代理人として1932年に来日した人物がジョセフ・グルー駐日大使。そのいとこであるジェーンが結婚した相手がJPモルガンの総帥だったジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだった。またグルーの妻、アリスは少女時代に華族女学校(女子学習院)で九条節子(貞明皇后)と親しくなっている。つまり、皇室にもパイプがあった。 グルーが日本へ来た1932年までアメリカの大統領はハーバート・フーバー。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」した人物である。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) 1932年の大統領選挙でフーバーの再選を阻止したのは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルト。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の住人はニューディール派を排除してファシズム政権を樹立しようと目論む。 このクーデター計画はスメドリー・バトラー少将やジャーナリストのポール・フレンチの議会証言で明るみ出て実行されなかった。当時、軍の内部で人望の厚かったバトラーを抱き込もうとして失敗したのである。その際、バトラーはクーデター派に対してカウンタークーデターを宣言、内戦を覚悟するように伝えたという。この結果、日本の支配層が従属していたJPモルガンの影響力は低下してしまった。 日本国内でもJPモルガンの傀儡に反発していた勢力も存在する。例えば、血盟団や二・二六事件を引き起こした将校たちだ。現在の表現を使うならば、この傀儡たちは新自由主義者。庶民は貧困化し、東北地方では娘の身売りが増えた。労働争議や欠食児童も問題になっている。その一方、支配層は裕福になり、貧富の差は拡大した。 こうした政策の背後にはJPモルガンがいたのだが、この巨大金融機関と最も親しくしていた日本人は「適者生存」、つまり弱者切り捨てを主張していた井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じて親しくなったという。浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めている。この井上は1932年、血盟団に暗殺された。その前、1930年には浜口雄幸首相が銃撃されて翌年に死亡、井上が殺された翌月には三井財閥の大番頭で、ウォール街とも親しくしていた団琢磨が暗殺された。二・二六事件は1936年である。 その後も日本にはソ連へ攻め込もうと考える一派が強い影響力を持ち、1939年には中国東北部とモンゴルの国境地域で日本軍がソ連軍と衝突している。ノモンハン事件だ。参謀本部と陸軍省の意向に反して関東軍が戦闘を拡大したが、ソ連軍の機械化部隊は日本軍の第23師団を壊滅させてしまった。このソ連に対する攻撃はウォール街の意向に沿うものだったはず。ソ連に対する攻撃が成功していたなら、ソ連は西と東、両面作戦を強いられた。このソ連軍との衝突は台湾派兵、日清戦争、日露戦争、韓国併合、シベリア派兵、満州事変という流れの中で引き起こされたとも言える。つまり、米英の戦略に合致しているわけだ。 日本では「関東軍の暴走」という話をよく聞くが、もし本当なら日本軍は軍隊の体をなしていないということになる。説得力がない。もし、参謀本部や陸軍省が関東軍を押さえられなかったとするならば、理由はひとつしか考えられない。皇族の介在だ。 1941年6月に今度はドイツがソ連へ攻め込む。「バルバロッサ作戦」である。当初、ドイツ軍が優勢なときに米英の支配層は傍観、1943年1月にドイツ軍がソ連軍に降伏してから慌てて動き出したことは本ブログで何度も指摘してきた。バルバロッサ作戦が始まった半年後、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、アメリカとの戦争に突入する。その翌年までグルーは日本に滞在、日本とアメリカとの戦争を回避するために努力したというが、当然だ。彼らは日本をソ連侵略の手駒と考えていたのだから。投資の回収をどうするかも大きな問題だっただろう。離日の直前、グルーは岸信介からゴルフを誘われている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007) 大戦後、グルーは日本からニューディール派的、つまり民主主義的な要素を払拭する活動を始める。その中心になったグループがジャパン・ロビーだ。岸の孫にあたる安倍晋三が首相を務める政権はその延長線上にある。
2016.08.03
アメリカの大統領選挙は八百長だとドナルド・トランプは発言している。最近、世論調査に疑惑の目が向けられているが、これまでも投票妨害や投票マシーンの不正が指摘されてきた。(アメリカの後を追っている日本でも同じことが行われているだろう。) 例えば、2000年の大統領選挙ではバタフライ型投票用紙などが原因で混乱、最終的には最高裁が当選者を決める事態になった。今回、民主党の候補者を決めたのは通信社のAPだった。予備選の前夜、APが「クリントン勝利」を宣告したのである。「スーパー代議員(上位代議員、あるいは特別代議員と訳されている)」の投票予測でクリントンが圧倒し、勝利は確定していると宣伝、そうした雰囲気になってしまった。 投票マシーンの問題では、DESI(ダイボルド・エレクション・システムズ/現在の社名はプレミア・エレクション・ソリューションズ)の機械が実際の投票数と違う数字を集計結果として表示することを研究者に指摘されていたほか、ハート・インターシビックという会社はミット・ロムニー家との関係が明らかにされている。(例えば、ココ、ココ、ココ、ココ) 今年5月11日には、リー郡の選挙事務所などを実際にハッキングしてセキュリティの脆弱性を実証、それを公表したバンガード・サイバーセキュリティのデイビッド・マイケル・レビンらをフロリダの捜査当局が逮捕している。この指摘がなければ脆弱性は放置され、投票結果を外部から操作することが可能だったが、そうした投票制度の根幹に関わる問題は放置され、その問題を明るみに出した人物を摘発したようだ。 民主党幹部たちが昨年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールはすでに公表されていたが、7月22日にWikiLeaksが明らかにした電子メールでも民主党の幹部へサンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう求めるものがあったのだ。 クリントンを次期大統領にしたがっているのは民主党の内部に限らない。例えば、昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友であるジム・メッシナが参加していることも状況証拠だ。 ヒラリー・クリントンは巨大軍需企業ロッキード・マーチンの上院議員とも言われた人物で、巨大金融資本とも緊密な関係にある。2011年春に始まったリビアやシリアへの軍事侵略だけでなく、2009年6月のホンジュラスにおけるクーデターにも関与したと言われている。 これだけでも西側支配層がヒラリー・クリントンを好む理由がわかるが、それだけではない。1993年1月から2001年1月まで大統領だったのはヒラリーの夫であるビル・クリントン。この政権はネオコンとの関係が弱く、当初は戦争にも消極的だった。 そうした政権に好戦的なふたりの女性が入っている。ズビグネフ・ブレジンスキーの弟子にあたるネオコン色の濃いマデリーン・オルブライトとネオコン/シオニストのビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)だ。このふたりはヒラリーと親しく、オルブライトの国務長官就任はヒラリーの働きかけがあったからだと言われている。このオルブライトが主導する形でNATO(つまりアメリカ)はユーゴスラビアを先制攻撃、破壊してしまった。 現在、ヒラリーの側近として働いているヒューマ・アベディンがインターンとしてホワイトハウスへ入ったのは1996年のこと。それ以来、ふたりは寄り添うように過ごしてきた。本ブログでは何度か指摘したが、ヒューマの母、サレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードはアル・カイダと関係していると主張する人もいる。後にヒューマはヒラリーの友人でネオコンのアンソニー・ウィーナーと結婚した。ムスリム同胞団とネオコンの相性の良さを象徴しているかのようだ。 緑の党の大統領候補、ジル・スタインも言っているが、新自由主義者が生み出した経済的苦境に対する怒りが「トランプ現象」を作り出した。これは「バーニー・サンダース現象」でも言えることだ。 ヒラリーを担いでいる支配層が難民を自分たちの利益のために利用、それが庶民の不利益につながることを少なからぬ人が理解している。トランプは巨大資本が国を支配、庶民から基本的人権を奪うことになるTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットに反対しているが、ヒラリーは大して意味のない条件をつける形で賛成している。 それ以上に深刻な問題が戦争。トランプはロシアや中国に対する軍事的な挑発を止め、核戦争を始めるようなことをすべきでないと考えているが、ヒラリーは逆。ユーゴスラビアへの軍事侵略以来、戦争を推進してきた。2011年にNATOはアル・カイダ系武装集団のLIFGなどと連携してリビアを軍事侵略、同国のムアンマル・アル・カダフィが惨殺されたが、その事実をCBSのインタビュー中に知らされ、「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいた。この反応は彼女の正体を明確に示している。 現在、シリアやイランの問題を曲がりなりにも話し合いで解決しようという動きがあるのだが、ヒラリーにその気はなく、アサドをカダフィと同じように排除しようとしているのだろう。そうしたことを暗示する発言をしている。ユーゴスラビアを破壊したときと同じように、「人権」を口実にシリア人の人権どころか命を奪い、国を破壊しようと目論んでいる。安倍晋三政権が服従している相手は、ヒラリーを担いでいる人脈だ。
2016.08.02
アレッポで人道支援活動をしていたロシア軍のMi-8ヘリコプターが撃墜され、搭乗していた5名が死亡した。撃墜地点を支配しているジャイシュ・アル・ファターはサウジアラビアやカタールの支援を受け、アメリカが支援するFSAと連携している「穏健派」だ。 アメリカ政府は現在でもシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒し、自分たちの傀儡体制を築くことを目的にしている。そうした「レジーム・チェンジ」を拒否しているロシアのヘリコプターを攻撃しても不思議ではないが、アメリカ政府は「穏健派」、つまり自分たちの手先を攻撃しないようにロシア政府へ要求している。 本ブログでは何度も書いてきたことだが、アメリカの国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはソ連が消滅した1991年、イラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると語っている。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話。言うまでもなく、ウォルフォウィッツはネオコン/シオニストの中心グループの属している人物。つまり、ネオコンは遅くとも1991年からシリアの体制転覆を予定していた。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けニューヨーカー誌に書いた記事よると、その段階でアメリカはイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始、アメリカのバラク・オバマ政権とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は2012年のはじめ、アサド政権を打倒するための工作に関して秘密合意に達したという。 2012年の合意では、トルコ、サウジアラビア、カタールが資金を提供し、アメリカの情報機関CIAがイギリスの対外情報機関MI6の助けを借りてリビアからシリアへ武器/兵器を送ることになったという。こうした国々が傭兵として使ってきたのがアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。 アメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月、シリア情勢に関する報告書を政府へ送っている。それによると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 しかも、報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が行った決断によるとしている。シリアに「穏健派」は存在せず、アメリカ政府は警告を無視してダーイッシュを構成するサラフ主義者やムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団を支援したということだ。また、クラーク元欧州連合軍最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語っている。 2003年3月にアメリカ軍を中心とする連合軍がイラクを先制攻撃してサダム・フセインを倒した後、イラクへアル・カイダ系武装集団が入り込む。AQIが創設されたのは2004年のことだ。2006年には、このAQIが中心になってISI(イラクのイスラム国)が誕生、13年4月にシリアで戦闘を始めてからダーイッシュと呼ばれるようになった。つまり、アル・カイダ系武装集団とダーイッシュはタグが違うだけで、中身は同じ。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビア、カタール、トルコなどがシリア侵略の黒幕。アル・カイダ系武装集団、ダーイッシュ、あるいは「穏健派」は傭兵だ。アメリカなどがこの傭兵を本気で攻撃するはずはなかった。 1991年以来、ネオコンはアメリカが軍事侵攻してもソ連/ロシアは出てこないと高をくくっている。その思い込みを打ち砕いたのが昨年9月30日のロシア軍による空爆開始。しかも戦闘能力が高いことを示した。 ロシア軍を退場させる必要があると考えたのか、11月24日にトルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃して撃墜している。内部告発支援グループのWikiLeaksによると、この撃墜は10月10日にエルドアンが計画したという。 しかし、トルコ政府が独断でロシア軍機を撃墜するとは考え難く、実際、24日から25日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問、トルコ軍の幹部と会談している。シリア周辺ではギリシャを拠点とするアメリカのAWACS(早期警戒管制)機、そしてサウジアラビアのAWACS機も飛行、両機はトルコとシリアの国境付近で何が起こっているかも監視、あるいはトルコ軍機を指揮管制していた可能性が高い。 現在、ロシア政府内ではシリアから撤退し、国連の任せるべきだと主張する人びとがいるらしいが、ウクライナのクーデターで明らかになったが、国連に任せれば、アメリカ支配層の意向に沿う形で決着する。例えば、国連事務次長のジェフリー・フェルトマンは1991年から93年にかけてローレンス・イーグルバーガー国務副長官の下で東/中央ヨーロッパを担当、ユーゴスラビア解体に関与し、04年から08年にかけてレバノン駐在大使を務めているときにはレバノンでラフィク・ハリリ元首相が殺害されている。この殺害の責任をシリアへなすりつけ、アサド体制を倒す口実にしようとしていた。こうしたことはプーチンも十分に承知しているはずで、国連に任せることはないはず。 アメリカのメディアが必死に支援しているヒラリー・クリントンは軍事侵略で目障りな体制を倒し、破壊と殺戮で破綻国家を作り続けてきた人物。中国やロシアに対しては、かつてアメリカのリチャード・ニクソン大統領やイスラエルのモシェ・ダヤン将軍のように凶人、あるいは狂犬戦術をクリントンも使いそうだ。つまり、核戦争を始めると脅し、両国を屈服させようとするだろう。ロシアの親米勢力としては、プーチンに屈服させるしか自分たちが生き残る道はない。
2016.08.02
ヒラリー・クリントンは公務の通信に個人用の電子メールを使い、FBIも彼女が機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性があると判断、そうした情報をきわめて軽率に扱っていたことを認めている。彼女は3万2000件近い電子メールを削除しているが、その中には記録として残すことが義務づけられているメールも含まれていた。 その削除された電子メールをFBIは持っていないこともクリントンを起訴しない理由になっているようだが、アメリカの電子情報機関NSAは全ての電子メールを記録しているので、FBIがその気になれば入手できるとNSAの不正を内部告発したウィリアム・ビニーは指摘する。ビニーはNSA史上、最高の分析官のひとりと言われている人物だ。クリントンが何をしたかに関係なく、FBIは彼女を起訴する意思はないということになる。 クリントンの電子メールはハッキングに対して無防備で、少なからぬ人物や組織が盗み出していると言われている。7月22日に民主党本部のサーバーをハッキングして入手したと思われる1万9252件の電子メールと8034件の添付ファイルをWikiLeaksは公表したのだが、どこから入手したかはわからない。NSAの内部告発、あるいはリークという説もある。 WikiLeaksが公表したメールの中には、バーニー・サンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう民主党の幹部に求めるものがあり、サンダースの支持者を怒らせている。民主党幹部たちが昨年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆している電子メールの存在も知られているが、そうした雰囲気が現在まで続いていたわけだ。7月12日にサンダースはクリントンを支援すると表明したが、このクリントンは1990年代からアメリカを侵略戦争へ引きずり込んだ集団の一員で、今はロシアや中国と戦争を始める構えだ。 昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友であるジム・メッシナが参加、欧米の支配層は彼女を大統領にする方向で動き出したと言われていたが、その事実とも符合する。 サンダースが好戦派へ鞍替えしても、彼を支持していた人々は納得していない。そうした怒りを沈静化するため、民主党のデビー・ワッサーマン・シュルツ全国委員長は大会閉幕と同時に辞任すると表明したが、どの程度効果があるかは不明だ。 ニュージャージー州高裁の元判事で、現在はFOXニュースの上級司法アナリストを務めているアンドリュー・ナポリターノは5月9日、ロシアでは外務省と情報機関との間でヒラリー・クリントンの2万に及ぶ電子メールを公開するかどうかが議論されていると語っていた。また、候補者選びで不正があった疑いが濃厚な民主党は、自分たちのサーバーがロシアにハッキングされているとする情報をメディアへ流し、人びとの視線をウラジミル・プーチンへ向けさせようとしている。 ロシアとの戦争を避けるべきだと主張しているドナルド・トランプに対する攻撃も激烈で、トランプの指名受諾演説が行われた7月22日には「アメリカの悪夢」だと宣伝していたメディアもある。「アメリカ」を「ネオコン」と読み替えれば、正しい。 日本でもこのトランプはフランスのマリーヌ・ル・ペンと同様、否定的な存在だ。さすがにアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)も否定的に扱っているが、彼らがアメリカ/NATOの手先だという事実から目を背け、独裁者や巨大資本に対する怒りから凶暴化しているかのように描いている。 世界的に見ると、そうした侵略の構図は広く知られるようになってきた。西側支配層の内部からもそうした発言が聞かれるようになってきたが、日本は例外。核戦争への道を暴走中のネオコンに付き従っている。クリントンが大統領になれば核戦争で日本が消滅する可能性が高まるが、トランプが大統領になった場合、再び日本は迷走し、自爆への道を進むことになりそうだ。こうしたことを避けるためには日本人が事実を受け入れる必要があるのだが、それが難しい。
2016.08.01
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