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ハンガリーのオルバーン・ビクトル首相が11月28日にモスクワを訪問した。バラク・オバマ政権が2014年2月にキエフでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させてから始まったヨーロッパのエネルギー危機を議題にする可能性が高い。 ロシア産の安い天然ガスを入手できなくなったドイツでは基幹産業である自動車ビジネスが窮地に陥り、経済崩壊はヨーロッパ全域に広がっている。そうした状況を生み出した欧州委員会の政策に異を唱えている国のひとつがハンガリーにほかならない。 歴史的にロシアとの関係が深いセルビアではアレクサンダル・ブチッチ大統領はNATO側へ傾いているが、スロバキアのロベルト・フィツォ首相はモスクワで5月9日に開催された戦勝80周年を祝う式典へ出席している。 ロシアとの戦争を推進しているウルズラ・フォン・デア・ライエンが率いる欧州委員会は5月6日、EU域内におけるエネルギー供給をロシアに依存している状況から脱するための行程表を発表したが、ハンガリーやスロバキアはこうしたEUの計画に反対している。12月1日からチェコの首相を務めるアンドレイ・バビシュもロシアとの関係を重視する立場だとされている。西ヨーロッパでも一般国民は欧州委員会の政策に反対している。 フォン・デア・ライエンたちが自滅的な政策を推進、ロシアとの戦争を継続させようとしているのは、彼らの計画がロシアを短期間に屈服させられるという前提で成り立っているからだ。ロシアの肥沃な大地、豊富な資源、蓄積された富を略奪できると考え、莫大な資金を投入している。ウクライナ人とロシア人を戦わせることでロシアを疲弊させ、崩壊させて利権を手にしようとしているのだ。欧州委員会を動かしている勢力はウクライナでの戦争を長引かせ、少しでもロシアを疲弊させようとしている。 しかし、ロシア軍の勝利は決定的で、しかも同軍はこれまで慎重な戦い方をしてきた。疲労の色は見えない。それに対し、ウクライナ軍が崩壊状態になってからイギリス、フランス、ポーランドなどは戦闘部隊をウクライナへ派遣、ロシア軍と戦わせているが、少なからぬ戦死者が出ているようだ。 そうした中、ドナルド・トランプ政権は28項目の「和平計画」を作成したとAxiosが伝えた。スティーブ・ウィトコフによると、Axiosの執筆者は計画案を「Kから入手した」という。 アメリカの有力メディアはこの「K」をロシアのキリル・ドミトリエフ特使だと宣伝したが、その可能性は小さく、ウクライナ特使を務めるキース・ケロッグだろうとされている。ケロッグはネオコンの一員で、ロシア嫌いとしても有名。ネオコンが描いているシナリオを「事実」として主張していた。Axiosへのリークがあった翌日、そのケロッグが来年1月に退任すると伝えられた。 この計画についてウラジミル・プーチン露大統領は11月27日、交渉の出発点となるかもしれないとしたものの、戦闘を停止するにはウクライナ側の主要な譲歩が必要だと強調した。プーチン大統領は以前からウクライナにおける戦争の目的として、ウクライナを非軍事化、非ナチ化、中立化したうえで西側諸国が凍結したロシア資産を返還させ、領土の「現実」を認めさせることだとしている。 西ヨーロッパの「エリート」が現実を認めない以上、ロシアは戦場で決着させるしかない。NATO諸国は停戦合意、いわゆる2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」を利用し、8年かけてクーデター体制の戦力を増強、ロシアと戦争できるように戦力を増強した。ロシア政府は同じ失敗を繰り返さないだろう。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.29
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【キエフで英国人将校が戦死との情報】 ウクライナ軍はロシアのクラスノダールとロストフを約250機の攻撃用ドローンで攻撃、3名が死亡、数十人が負傷したと伝えられている。ロストフでは航空機工場が被害を受け、エンジンや装置類が取り外されていた地上訓練用に使われていたIl-76輸送機とA-60実験機が破壊されたようだ。 それに対し、ロシア軍は11月26日、オデッサとキエフの軍事施設をドローンなどで報復攻撃したが、キエフでは3機のSu57戦闘機から亜音速のKH-69巡航ミサイルを発射、兵器庫やパトリオット防空システム、そして「意思決定センター」を破壊したのだが、ロシア軍の発表によると、前日のクラスノダールやロストフに対する攻撃を指揮したのはそのセンターで、そこには15名のウクライナ人将校と7名のイギリス人将校がいた。全員が死亡したとされている。【ロシア軍と戦っているのはNATO軍】 本ブログでも繰り返し書いてきたが、ウクライナ軍が崩壊状態になってからNATO軍、特にイギリス軍やフランス軍が前線で戦うようになっている。例えば、ウクライナ東部の都市で兵站の要衝としても知られているポクロフスクではロシア軍に包囲されたウクライナ軍部隊の中にNATO軍将校、あるいはCIAの幹部工作員が含まれていたという。 包囲されつつあったポクロフスクでウクライナの情報機関GUR(国防省情報総局)は特殊部隊をUH-60Aブラックホークで運び、無謀な救出作戦を強行して失敗している。10月28日にはGURの特殊部隊員11名がヘリコプターから降りたところをロシア軍に殲滅される様子をロシア軍の偵察ドローンが撮影した映像が公開された。10月30日には2機のブラックホークで約20名から24名の特殊部隊員を送り込まれ、同じように殲滅されている。 また、今年8月2日にはロシアのスペツナズ(特殊部隊)がオデッサに近いオチャコフでイギリス陸軍のエドワード・ブレイク大佐とリチャード・キャロル中佐、そしてMI6の工作員ひとりを拘束した。ロシア深奥部に対するミサイル攻撃やテロ攻撃はMI6がオデッサから指揮していると言われている。ロシアのSVR(対外情報局)は、フランスがウクライナに約2000人の部隊を秘密裏に派遣する準備を進め、兵士をポーランドで訓練を行っているともしていた。 イギリスやフランスだけでなく、ほかのNATO加盟国も戦闘員をウクライナへ送り込んでいる可能性が高い。アメリカ軍の退役将校やCIAの元分析官など西側の軍事や情報の専門家もウクライナでロシア軍が戦っている相手はNATO軍だと指摘している。これは理屈の上からも明らかなことである。戦闘員が数千人単位で戦場に現れ、いなくなるというのは部隊として動いているからだとも指摘されている。中でも戦死者が多いとされているのはイギリスやフランスで、こうした国の政府はそうした事実を隠すため、軍隊を正式に派遣したがっている可能性もある。そうした部隊を派遣している国の中に日本が含まれていないとする保証はない。 ドイツのフリードリヒ・メルツ首相は空中発射型巡航ミサイルの「タウルスKEPD 350」をウクライナへ供与すると主張していたが、この攻撃計画はドイツ空軍の中で議論されていることを示す会話がすでに公表されている。 ドイツ軍のインゴ・ゲルハルツ総監や作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将、そして連邦軍宇宙本部に所属する2名が2024年2月19日にリモート会議で行った会議の中で、クリミア橋(ケルチ橋)をタウルスで攻撃する計画が議論されていたのだ。イギリスの情報機関もこの橋の爆破を試み、失敗したと言われている。 ドイツ空軍幹部の音声は2024年3月にRTが公開したが、ディルク・ポールマンとトビアス・アウゲンブラウンの分析によると、ゲルハルツらは2023年10月の時点で計画の内容を太平洋空軍司令官だったケネス・ウイルスバックに伝えているという。ウィルスバックは2025年11月から空軍参謀総長だ。 ウイルスバックの後任として太平洋空軍司令官にケビン・シュナイダーが就任したのは2024年2月9日。問題のリモート会談が行われる10日前のこと。その時点でシュナイダーはウクライナでの攻撃計画について知らなかったようだ。グレーフェによると、シュナイダーは彼が何を話しているのか理解できていなかったという。太平洋空軍は独自の判断でロシア軍と戦争する準備を進めていたのだろうか? タウルスに限らず、アメリカのATACMSにしろ、イギリスのストームシャドウにしろ、オペレーター、地上や衛星からの情報、あるいはミサイルを誘導するためのシステムが必要であり、NATO諸国の軍が関与しなければ使えない。つまりメルツの発言はドイツがロシアとの直接的な戦争を始めるという宣言に等しかった。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.28
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【高市発言と統合作戦司令部】 世界には多くの国が存在するが、その中でどの程度の国の政府が日本を主権国家と認識し、独自の判断で行動しているとは考えているだろうか。アメリカの属国、あるいは植民地にすぎず、日本政府を信頼できる交渉相手だとは考えていないように思える。高市早苗首相の「台湾有事発言」にしても、アメリカの軍事戦略という視点から見ているはずだ。 日本では陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊を一元的に指揮する常設組織として今年3月、敵基地攻撃能力を一元的に指揮する統合作戦司令部が編成された。これは2015年5月から18年5月までアメリカ太平洋軍の司令官を務めたハリー・ハリス海軍大将の提案に基づくという。ハリスが太平洋軍司令官から退いた2018年5月、アメリカ軍は太平洋軍をインド太平洋軍へ名称変更しているが、そのインド太平洋軍司令部と調整することが自衛隊で統合作戦司令部が編成された理由だという。自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入るということだろう。統合作戦司令部が編成された理由として「台湾有事」を挙げる人もいた。 高市首相の台湾有事に関する発言を単純な「舌禍事件」だと理解するべきではない。その背後にはアメリカの対中国戦略があり、そのために中国政府は厳しい対応をしている。ウクライナでNATO軍がロシア軍に敗北したことも、東アジアの軍事的な緊張を高めている一因だ。高市首相の発言はそうした中でのことだった。【アメリカの軍事戦略と日本】 本ブログで繰り返し書いてきたことだが、自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、それに続いて2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。こうした施設建設の理由をアメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書で説明している。これはGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するというアメリカ軍の計画に基づいているのだ。こうした事態になっていることを認識しなければならない。 この報告書が作成された当時、アメリカは日本が掲げる専守防衛の建前、そして憲法第9条の制約を尊重していた。そこでASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力するという形にするとしていたのだが、2022年10月になると「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」と報道された。があった。亜音速で飛行する核弾頭を搭載できる巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。要するに、アメリカの命令だということだろう。 こうしたアメリカの計画は1992年2月にアメリカ国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)の草案に基づいている。この指針は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツが中心になって書かれたことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 1991年12月のソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったとネオコンは確信、世界制覇戦争を始めようというわけだが、そのドクトリンにはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合し、民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。要するに、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 こうしたアメリカの独善的な計画が危険だということを日本の政治家も理解していたようで、1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊した。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.28
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アメリカ海軍の空母ジェラルド・R・フォードが5隻の艦船を伴って11月16日にカリブ海へ入った。閉鎖されていたプエルトリコの海軍基地を修復、使えるようにしている。9月からドナルド・トランプ政権は少なくとも8隻の水上艦船と1隻の潜水艦を派遣、「麻薬密売船」だとして小型船を9月から約20回にわたって爆撃し、少なくとも80人を殺害している。 しかし、ベネズエラからアメリカのフロリダまで約2000キロメートルあり、破壊されている小型船では辿り着けない。アメリカへ麻薬を密輸している船ではないことを承知でトランプ大統領は攻撃している。航空母艦が到着したなら、すぐにベネズエラへの軍事侵攻を始めるとする見方もあったのだが、今のところべネルズエラ上空に飛行禁止空域を設定しただけだ。 11月上旬、威嚇のために2機のB-52爆撃機をベネズエラへ向けて飛行させたが、陸地から約100キロメートルの地点でロシア製防空システムであるS-300に照準を合わされ、基地へ戻らざるをえなくなった。そのほか中低高度の防空システムであるブークM2e、シリアで有効性が証明された近距離対空防御システムのパンツィリ-S1も配備されたようだ。 10月下旬にロシアのアヴィアコン・ジトトランス所属のIl-76TD輸送機がベネズエラへ何かを運んできた。この会社はロシア軍や傭兵会社ワグナーの貨物を輸送したとしてアメリカから「制裁」されていることから軍事物資、あるいは戦闘員を輸送したのではないかと言われている。ロシアのスペツナズ(特殊部隊)もベネズエラへ入ったとする話も伝えられている。 カリブ海の軍事的な緊張が高まる中、ロシアだけでなく、中国やイランもベネズエラへの支援を始めている。イランは航続距離が2500キロメートルだという攻撃用ドローン「シャヘド」を供与、これによってベネズエラはフロリダのアメリカ軍基地を攻撃できる。アメリカ軍がベネズエラを軍事侵攻した場合、ロシアの防空システムや対艦ミサイルの洗礼を受けることになるだけでなく、アメリカ本土も戦場になる可能性がある。 アメリカを含むNATO諸国はロシアを征服、分割して石油や天然ガスを含む資源を手に入れようとしてウクライナで戦争を始めたが、ロシア軍に負けてしまった。中東ではイスラエルがイランに勝てないことが明確になっている。東アジアで軍事的な緊張を高めているが、それと並行してベネズエラの石油を手に入れ、それを利用してロシアや中東の産油国を屈服させようと考えているのかもしれないが、その前にはロシア、中国、イランが立ちはだかっている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.27
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ロシア軍は11月22日、ウクライナとルーマニアの国境にある検問所をドローンで爆撃、その翌日にオデッサからルーマニア近くまでの地域をミサイルなどで攻撃した。ルーマニアからオデッサにかけてはウクライナ軍やNATO軍の重要な兵站線。この攻撃によってイギリス、フランス、ルーマニアの兵士も死傷したと伝えられている。イギリスやフランスがロシアに対する攻撃の拠点にしているオデッサは厳しい状況に陥った。今後、ロシア軍はオデッサの制圧に乗り出すかもしれない。 アメリカを中心としてNATOは2014年2月から22年2月にかけてウクライナのクーデター体制を軍事的に強化するため、戦闘員の育成、兵器の供与、そして反クーデター軍が支配していたドンバスの周辺に要塞線を築いていた。 その要塞線の中核がマリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルに建設された地下要塞。すでにこの地下要塞はロシア軍に制圧されているが、要塞線全体がここにきて崩壊しはじめたようで、ロシア軍の進撃スピードが速まっている。 11月に入ってロシア軍はポクロフスクを制圧したが、ここはウクライナ軍の補給を支えていた幹線道路が交差する場所。ドンバスのウクライナ軍への補給路が立たれることになる。さらにロシア軍は周辺地域を制圧中だ。 キエフから撤退するなと命令されているウクライナ軍は包囲され、降伏するか戦死するしかない状態に追い込まれている。降伏しようとする兵士がウクライナ軍のドローンに攻撃されている映像も流れている。 ポクロフスクではウクライナの情報機関GUR(国防省情報総局)が特殊部隊をUH-60Aブラックホークで送り込んでいたが、CIAの上級工作員、あるいはNATOの将校が取り残されたからだと言われている。その人たちが現在どのような状況になっているかは不明だ。 ウクライナでの戦闘はロシア軍が攻撃を始めて間もない2022年3月上旬には停戦が内定していたのだが、これを壊したのがイギリスの首相を務めていたボリス・ジョンソン、同年4月9日にキエフへ乗り込み(ココやココ)んで戦争を継続するようキエフ政権に命令した。 そのジョンソンが現在、ウクライナでの戦争を継続させようと活動している。ウクライナ人は最後のひとりになるまでロシア人と戦い、ロシアを疲弊させろというわけだ。第2次世界大戦でソ連はドイツ軍に攻め込まれ、勝ったものの疲弊、結局立ち直ることができなかった。そのドイツの役割を今回、ウクライナにさせようとしているのだが、そうした思惑通りには進んでいない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.26
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マージョリー・テイラー・グリーン下院議員は11月21日、来年1月5日に議員を辞職すると発表した。ドナルド・トランプ大統領の同志だとされていた議員だが、ジェフリー・エプスタインに関するファイルの全面的な公開を求める彼女は大統領と対立していた。トランプ大統領がエプスタインと親しかったことを否定できない。またグリーン議員は今年初め、イスラエル軍によるガザにおける破壊と殺戮について「ジェノサイド」だと表現したが、こうした発言もイスラエルと緊密な関係にあるトランプ大統領と対立する一因になっただろう。 アメリカの政界においてイスラエル批判はタブーだ。辞職する理由について彼女は、大統領が支援する「傷つき憎しみに満ちた予備選挙」から家族を守るためだとしている。トランプ大統領はグリーン議員の辞職表明について、「国にとって素晴らしいニュースだ」と発言した。 グリーン議員はイスラエルと小児性愛の関係にも言及している。ラスベガス警察は今年8月16日、小児性愛者を標的にした囮捜査を実施、8名を逮捕した。そのうちのひとりがイスラエルの国家サイバー局で局長を務めるトム・アレクサンドロビッチ。専門家会議に出席するため、アメリカに滞在していたという。この捜査にはFBI、警察、国土安全保障省、ネバダ州司法長官事務所が参加していた。 アレクサンドロビッチは尋問後に釈放されてホテルへ戻り、2日以内にイスラエルに帰国した。警察の記録によると、この容疑者はヘンダーソン拘置所に収監され、その後判事の面前で1万ドルの保釈金を支払って釈放されている。誰が保釈金を支払ったのか、どのようにして出国してイスラエルへ戻れたのかは不明だ。 アレクサンドロビッチはイスラエルが小児性愛者を受け入れていることも知られている。CBSニュースによると、多くのアメリカ人小児性愛者がイスラエルに逃亡、彼らは法の裁きを受けていない。イスラエルには「帰還法」と呼ばれる法律があり、ユダヤ人であれば誰でもイスラエルへ移住し、市民権を取得できる。 小児性愛の容疑者を追跡しているアメリカの団体「JCW(ユダヤ人コミュニティ・ウォッチ)」は2014年から活動を開始、それ以来、60名以上がアメリカからイスラエルへ逃亡したとしているが、実数ははるかに多いと考えられている。 イスラエルのクネセト(国会)では今年6月3日、数人の女性が未成年時代に宗教儀式の一環として受けた性的虐待について証言した。イスラエル軍がイランを攻撃する10日前の出来事だ。 証言した被害者のひとりであるヤエル・アリエルによると、彼女は5歳から20歳まで儀式的な虐待を受け、ほかの子どもたちに危害を加えることを強要されたという。 警察に被害届を出したものの、数カ月で却下。しかも彼女が自分の体験を明かにすると脅迫を受けたとしているが、これは彼女だけではないようだ。別の被害者、ヤエル・シトリットによると、人身売買は全国で行われていた。薬物も使用され、レイプを含むサディスティックで残酷なことも行われ、その行為は撮影されていたとされている。被害者がそうしたことを証言しても荒唐無稽の話だと思われ、信じてもらえなかったという。 被害者たちによると、聖書の物語を模倣した虐待を受けたともいう。例えば、加害者がイサクの縛りを真似て被害者の女性を縛り付け、間に合わせの割礼の儀式を行うという儀式に強制的に参加させられたと複数の女性が証言している。 ひとりの被害者はいとこから虐待を受け、14歳になると地域社会の著名人から拷問と飢餓に苦しめられていたと主張した。「一般公開のイベントがあり、手錠をかけられて高い柱に縛り付けられる内部儀式もありました」と彼女は当時を振り返り、月経血を飲む儀式や猫などの動物の屠殺についても説明した。 1970年代にイスラエル軍の情報機関ERD(対外関係局)に所属、87年から89年にかけてイツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたアリ・ベンメナシェによると、エプスタインはギレーヌ・マクスウェルや彼女の父親でミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルと同様、イスラエル軍の情報機関、つまりアマンのために働いていた。ロバートは1960年代から、エプスタインとギレーヌは1980年代の後半からその情報機関に所属してたとベンメナシェは語っている。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) エプスタインの事件を明るみに出す上で重要な役割を果たしたひとりは被害者のバージニア・ジュフリーだが、時速110キロで走行していたバスと自分の自動車が衝突、腎不全に陥ったと3月31日にインスタグラムへ投稿した。彼女の家族によると、警察に通報したものの、現場に駆けつける人がいないと言われたという。その後、容態が悪化したため病院に搬送されたとされている。彼女は退院した後、4月25日に西オーストラリア州の自宅で死亡した。「自殺」とされている。 ジェフリーはフランスのモデル・スカウト、ジャン-リュック・ブルネルがエプスタインの人身売買に協力していたと告発していた。1998年から2005年にかけての時期、ブルネルはエプスタインのプライベート・ジェットに25回搭乗した記録が残っている。 また、ブルネルは2008年にエプスタインが逮捕された際、拘置施設でエプスタインと70回以上面会した記録が残っている。そのブルネルは2020年12月、未成年者へのセクハラと性的犯罪の罪で起訴されたが、22年2月に独房内で「自殺」した。 エプスタインがロスチャイルド家と親しかったことも有名。ギレーヌ・マクスウェルによると、イギリス王室のアンドリュー王子(ヨーク公爵)をエプスタインに紹介したのはエべリン・ド・ロスチャイルドの妻、リン・フォスター・ド・ロスチャイルドだったという。リン・フォスターはエプスタインの友人だ。ビル・クリントンとエプスタインが親しかったことも知られているが、ヒラリー・クリントンがリン・フォスターと親しいことを示す電子メールも漏洩されている。 なお、アンドリューはエプスタインとの関係や子ども時代からの性生活が暴かれた(Andrew Lownie, “Entitled,” William Collins, 2025)こともあり、貴族としての称号を返上すると10月17日に表明、同月30日に国王から剥奪された。 また、エドモン・ド・ロスチャイルド・グループのCEOを務めるアリアンヌ・ド・ロスチャイルドは「2013年から2019年の間に、銀行での通常業務の一環としてエプスタインと面会していた」という。彼女はエプスタインがニューヨークに保有していた自宅を訪れたこともあるようだ。新たに公開された電子メールによると、アリアンヌはエプスタインとブロードウェイ公演や2014年のモントリオール旅行など、私的な旅行や社交を計画していた。 エプスタインはイスラエルの元首相エフード・バラクとも親しく、その関係で同国の軍事情報局特殊作戦部に所属する秘密技術部隊の81部隊の人脈と繋がっていた。またエプスタインはバラクとロスチャイルド家との間のメッセンジャーを務めていたともされている。 エプスタインがイスラエルの情報機関と深く繋がっていたのだが、あくまでもネットワークの一部であり、「中間管理職」にすぎない。エプスタインと同じようなことをしているグループはいくつも存在し、そのネットワークの罠に落ちた「世界の要人」は少なくないはずだ。弱みを握られた人間だけを出世させ、世界を操るということもできる。 西側世界を支配している人たちは、買収、恫喝、暗殺、クーデター、侵略戦争へとエスカレートしていく。弱小国はひとたまりもないが、ロシアや中国が相手になると簡単ではない。 しかし、この「犯罪集団」とも言える勢力はウクライナでロシアに敗北した。西側世界が混乱している大きな原因のひとつはそこにある。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.25
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【与那国島へのミサイル配備】 与那国島へ日本がミサイルを配備しようとしていることを中国が非難したと伝えられている。与那国島へのミサイル配備計画が順調に進んでいると小泉進次郎防衛相が語ったことが引き金になったようだが、自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設している。それに続いて2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。【アメリカの軍事戦略と日本】 本ブログで繰り返し書いてきたことだが、こうしたミサイル配備の理由をアメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書で説明している。これはGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するというアメリカ軍の計画に基づいているのだ。 この報告書が作成された当時、アメリカは日本が掲げる専守防衛の建前、そして憲法第9条の制約を尊重していた。そこでASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力するという形にするとしていたのだが、2022年10月になると「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」と報道された。亜音速で飛行する核弾頭を搭載できる巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。要するに、アメリカの命令だということだろう。 こうしたアメリカの計画は1992年2月にアメリカ国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)の草案に基づいている。この指針は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツが中心になって書かれたことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 1991年12月のソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったとネオコンは確信、世界制覇戦争を始めようというわけだが、そのドクトリンにはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合し、民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。要するに、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 こうしたアメリカの独善的な計画が危険だということを日本の政治家も理解していたようで、1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊した。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。【米英の対中国戦略】 台湾の与党である民進党(DPP)がいう「台湾の独立」とは、アメリカにとって対中国戦争のための「不沈空母」を手に入れることにほかならない。例えば、2019年9月から21年1月まで国家安全保障補佐官を務めたロバート・オブライエンは20年10月、台湾を要塞化するべきだと語り、アメリカ空軍航空機動軍団のマイク・ミニハン司令官は23年1月にアメリカと中国が25年に軍事衝突する可能性があるとする見通しを記したメモを将校へ送っている。 ミニハンがアメリカと中国が軍事衝突する可能性があるとした今年の5月15日、エグザビエル・ブランソン在韓米軍司令官は、対朝鮮だけでなく中国を牽制するためにも在韓米軍の役割を拡大する必要があると主張、韓国は「日本と中国本土の間に浮かぶ島、または固定された空母」だと表現している。アメリカにとって韓国も台湾も「不沈空母」、つまり大陸を制圧するための重要な拠点なのだが、日本も同じだ。また、アメリカは台湾向けにATACMS(陸軍戦術ミサイル・システム)を製造している。ウクライナにおける対ロシア戦争と同じパターンだが、ウクライナではトマホークの供与には消極的になっている。。 中国中央軍事委員会の張又俠副主席がモスクワでアンドレイ・ベロウソフ国防相と会談、ミサイル防衛と戦略的安定について協議し、両分野における協力強化で合意したというが、台湾の問題とは中国と米英との問題であり、ロシアにとっても重大な問題なのである。米英との対立は少なくとも19世紀のアヘン戦争まで遡って考えなければならない。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.25
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アメリカのニューズ・ウェブサイトAxiosは11月18日、アメリカ政府がウクライナ戦争の終結に向けた新たな計画を秘密裏に策定中だと伝えた。キエフのウォロディミル・ゼレンスキー政権やロシアとの戦争継続を主張しているEUの指導部だけでなく、ロシア政府が掲げている戦争の目的とは相容れない内容で、合意は難しい。ロナルド・トランプ大統領も、その計画案で戦争を終結させることはできないと思っているはずだ。 この計画案を作成したスティーブ・ウィトコフは事実上、ウラジミル・プーチン露大統領担当特使。その案ではウクライナが東ドンバス地域全体の支配権を放棄することになっているが、その一方でロシア軍に対し、ヘルソンとザポリージャで軍事作戦を凍結し、ハリコフとスーミから撤退するように求めている。 プーチン大統領はウクライナにおける戦争の目的として、ウクライナの非軍事化、非ナチ化、中立化、西側諸国が凍結したロシア資産の返還、そして領土の「現実」を認めるように求めている。この条件は一貫していて、妥協はしないだろう。もしトランプ大統領が事実を把握しているなら、今回の計画案でロシアを説得できないことを理解しているはずだ。 この文書には、NATOの拡大とミサイル配備の根本原因を認識している兆候は全くなく、「米国を仲介としてロシアとNATOの間で対話が行われ、あらゆる安全保障上の問題が解決され、緊張緩和のための条件が整えられる。それによって世界の安全保障が確保され、協力と将来の経済発展の機会が拡大する」という漠然とした約束があるだけだ。 そこで、この提案の狙いはプーチン大統領を追い詰め、ロシア側が主張する基本原則を放棄させることにあるという推測が出てくるが、そうした展開になる可能性は小さい。戦況は加速度的にロシア軍が優勢になっている。この勢いをロシア側が止めるとは思えない。戦争の真の相手であるイギリスは19世紀からロシア征服を目論んでいるのであり、その長期戦略を放棄することはないだろう。ロシアとしては、中途半端な形で戦闘をやめるわけにはいかない。 ウィトコフによると、Axiosの執筆者は計画案を「Kから入手した」という。アメリカの有力メディアはこの「K」をロシアのキリル・ドミトリエフ特使だと宣伝しているが、その可能性は小さく、ウクライナ特使を務めるキース・ケロッグだろうとされている。ケロッグはネオコンの一員で、ロシア嫌いとしても有名。ネオコンが描いているシナリオを「事実」として主張していた。 Axiosへのリークがあった翌日、そのケロッグが来年1月に退任すると伝えられた。20日にはその情報が正しいとホワイトハウスは確認している。「自然な退任時期」だとアメリカの有力メディアは伝えているが、28項目の「和平計画」に関する情報を漏洩したことから解任されたと見られている。 11月20日にはダニエル・ドリスコル陸軍長官が率いるアメリカ軍高官代表団はキエフに到着、ゼレンスキーと会い、ロシアとの和平交渉の可能性に関する協議を再開するの話し合ったという。この代表団は来週末にモスクワへ飛び、クレムリンと「和平案」について協議する見込みだとされている。ドリスコルの代表団がゼレンスキーと会談した後、でトランプ大統領はケロッグにかわる新しい特使としてドリスコルを任命した。そのドリスコルは21日にキエフでNATO諸国の大使たちに説明したとも伝えられている。 ケロッグ退任の報道に合わせるかのうように、ロシア南西部にある都市ボロネジに向かって4機のATACMSが発射された。いずれもロシア軍によって撃墜され、ふたつの発射装置も破壊された。 ATACMSに限らず、ある程度以上の性能を持つ兵器の場合、訓練の期間が必要であるだけでなく、ターゲットに関する情報の収集、衛星によるミサイルの誘導も不可欠。つまり、NATO軍が直接関与しなければならない。今回の攻撃にはアメリカ軍将校がオペレーターとして関与し、ロシア軍の反撃で戦死したとされている。 兵士不足のウクライナでは街頭で男性を拉致するだけでなく、コロンビアをはじめとするラテン・アメリカ諸国、あるいはドイツ、フランス、イギリス、ポーランドなどのヨーロッパ諸国から傭兵を連れてきていると言われているが、NATO加盟国は正規軍の将兵を送り込み、相当数の死傷者が出ていると主張する人もいる。そうした死傷者を出している国なら、正式に派兵すれば、秘密裏に行っていた戦争を誤魔化すことができるという推測もある。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.24
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ジョン・F・ケネディ米大統領はテキサス州ダラスで1963年11月22日に暗殺された。62年前の出来事だ。テキサス州は副大統領だったリンドン・ジョンソンの地元であり、ダラス市長だったアール・キャベルはケネディ大統領にアレン・ダレスCIA長官と共に解任されたチャールズ・キャベルCIA副長官の弟である。 ケネディは大統領に就任して間もない段階でアメリカ軍のキューバへの軍事侵攻を止めて軍やCIAの軍事強硬派と対立、ミサイル危機は話し合いで解決してソ連との核戦争を回避することに成功した。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなどは1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。楽勝できると思っていたのである。 ソ連が反撃するためにはアメリカの近くから中距離ミサイルを発射するしかない。そこで、1962年10月までにソ連はキューバへ中距離ミサイルを運び込む。これがキューバ危機だ。 またアメリカ軍をベトナムから撤退させることを決断したケネディは1963年10月にはNSAM(国家安全保障行動覚書)263を出した。アメリカ軍の準機関紙であるパシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙は「米軍、65年末までにベトナムから撤退か」という記事を掲載している。 しかし、この決定はケネディ大統領の暗殺で実行されていない。新大統領のリンドン・ジョンソンは1963年11月26日付け、つまり前任者が殺されて4日後にNSAM273を、また翌年3月26日付けでNSAM288を出し、ケネディのNSAM263を取り消してしまった。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Carol Publishing Group, 1996) ジョンソンのスポンサーはハリー・トルーマンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はシオニストの富豪で、彼が経営していたアメリカン・バンク・アンド・トラストはスイス・イスラエル銀行の子会社である。(Whitney Webb, “One Nation Under Blackmail Vol. 1,” Trine Day, 2022) 第2次世界大戦後、アメリカでは「反ファシスト派狩り」が展開された。いわゆる「赤狩り」だが、その中心的な人物だったジョセフ・マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンはジョン・ゴッチを含むニューヨークの犯罪組織を顧客としていた人物で、のちにドナルド・トランプの顧問にもなっている。そのコーンはリンドン・ジョンソンも支援していた。 また、ケネディは巨大資本の横暴を批判、その一方でイスラエルの核兵器開発に厳しい姿勢をとり、CIA(中央情報局)の解体を目論み、その代わりにDIA(国防情報局)を設置した。通貨制度へもメスを入れようと考え、EO11110という大統領令を出している。 そして1963年6月10日にケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。 アメリカにとって都合の良い「平和」を軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけた。 ケネディ大統領に続き、マーチン・ルーサー・キング牧師が1968年4月4日に、大統領の弟で元司法長官のロバート・ケネディが同年6月6日に暗殺されている。ロバート・ケネディは1968年の大統領選挙における最有力候補で、キングが副大統領になるとも言われていた。 ケネディ大統領の暗殺にはナチ親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーの名前も出てくる。大戦後、アメリカ政府はナチの元幹部や協力者の逃走させ、保護している「ブラッドストーン作戦」だ。そのひとりがスコルツェニーだった。 スコルツェニーは拘束される前にナチスの仲間をアルゼンチンへ逃がすための組織ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立、1948年7月には彼自身も収容施設から逃亡することに成功した。この逃亡にはアメリカ軍憲兵の制服を着た元親衛隊将校3名が協力しているのだが、スコルツェニーはアメリカ政府が協力したと主張している。この組織のアメリカでの暗号名がODESSAだという。 スコルツェニーは1950年までパリで生活、そしてマドリッドへ移動し、そこでイルゼ・フォン・フィンケンシュタインという女性と結婚した。2度目の結婚だ。この女性はドイツの国立銀行総裁や経済大臣を務めたヒャルマール・シャハトの姪にあたる。イスラエルでの報道によると、スコルツェニーはケネディが殺された1963年、イスラエルの情報機関であるモサドに採用された。 スコルツェニーとシャハトはドイツの高等弁務官だったジョン・マックロイに助けられた。このマックロイはウォール街の大物で、1947年3月から49年7月まで世界銀行の総裁を務めている。ケネディ大統領暗殺未遂を調査したウォーレン委員会のメンバーでもあった。 ケネディ大統領を敵視していた勢力の多くはソ連を壊滅させたいと考えていた。本ブログでは繰り返し書いてきたことだが、こうした戦略は19世紀にイギリスで始まった。そして現在まで続いている。ウクライナでの戦争を中途半端な形で「停戦」した場合、欧米諸国が近い将来に再びロシアを征服しようと仕掛けてくることは必定。ドナルド・トランプ米大統領がどのような条件を出そうとも、ロシアは自分たちの特別軍事作戦が目的を達成した場合にのみ、戦争を終結させると見られている。ウクライナでの戦争はロシアの存亡がかかっている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.23
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ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーは2024年5月に大統領の任期が切れた後も大統領を自称している。そうしたことを可能にしているひとつの理由は彼がイギリスの対外情報機関MI-6を後ろ盾としているからだろうが、ウクライナがロシアに敗北していることを隠し切れなくなった現在、西側のメディアもゼレンスキーにとってマイナスになる情報を伝え始めている。そうした記事のひとつがイギリスの体制派メディアとして知られているスペクテイターに掲載された。 ウクライナ国家汚職対策局(NABU)の捜査により、ティムール・ミンディッチの所有物の中に、純金製のトイレや200ユーロ札が詰まった戸棚などが含まれていることが判明した。ミンディッチは家宅捜索の数時間前に国外へ脱出、イスラエルへ向かったとも言われている。 ミンディッチは不動産、肥料、銀行、ダイヤモンドの取り引きで富を築いているが、ゼレンスキーが率いるテレビ制作会社「クヴァルタル95」の共同所有者でもある。ふたりの関係は緊密だ。 アメリカ大使館が管理していたNABUとSAPO(専門汚職対策検察庁)をゼレンスキーは自分の配下に置くことに決め、自分が任命する検事総長に従属させる権限縮小法案を今年7月に可決させた。自分たちに対する汚職捜査を阻止するためだったと見られているが、この試みは国民の抗議活動を引き起こし、失敗に終わる。アメリカ政府からの圧力もあったはずだ。 NABUが注目していたのは、ロシアのミサイルやドローンからエネルギー施設を守る防空システムの建設を請け負った業者からの「キックバック」疑惑に焦点を当てていたようだ。これは1億ドル規模の汚職計画で、ウクライナの国営原子力発電会社エネルゴアトムを含む大手公営企業が関与していたとされている。 イギリス、ドイツ、フランスの政府や欧州委員会の幹部は今でもゼレンスキーを支援、これまで彼をコントロールしてきたイギリスのMI-6、ゼレンスキーに忠誠を誓っている治安機関のSBU(ウクライナ保安庁)を傘下に置いてきたCIAがどのように出るかが注目されている。 かつてロシア人を虐殺するべきだと主張していたユリア・ティモシェンコ元首相はウクライナが「主権を失いつつあり、権利を奪われた植民地」だと訴えたようだが、2004から05年にかけての「オレンジ革命」でビクトル・ヤヌコビッチ大統領の誕生を阻止された段階で主権は奪われていた。ティモシェンコ自身、ウクライナの主権を放棄した仲間のひとりだ。 西側諸国からウクライナへ流れ込んだ資金の相当部分をゼレンスキーたちが盗んだことは明確になっているが、資金を送った国々の「エリート層」へもキックバックされていた可能性もある。2013年11月から14年2月にかけてキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で展開されたクーデターの後、ウクライナはマネーロンダリングの舞台になったとも言われてきた。盗まれた資金はシティを中心とするオフショア市場のネットワークへ流れ込んでいる可能性が高い。 クーデター当時、アメリカの副大統領だったジョー・バイデンの息子であるハンターはウクライナのエネルギー企業ブリスマ・ホールディングスの取締役を務めたが、元国務省職員でFFO(自由オンライン財団)を創設したマイク・ベンツによると、ブリスマはCIAの作戦であり、ロシアのガスプロムを解体しようとしていたという。 ハンターはNDI(ナショナル民主主義研究所)の所長諮問委員会メンバーを務めていたが、この団体はIRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターなどと同じように、NED(ナショナル民主主義基金)の資金、つまりCIAの資金を流す役目を負っている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.17
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モスクワを訪問していた中国中央軍事委員会の張又俠副主席がアンドレイ・ベロウソフ国防相と会談、ミサイル防衛と戦略的安定について協議し、両分野における協力強化で合意したという。アメリカはヨーロッパだけでなく日本列島にも大陸を攻撃できるミサイルの発射施設を建設しているが、そうした動きを意識したものだろう。 自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書は、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画について説明している。アメリカの計画に基づいて自衛隊は軍事施設を建設したと言える。核弾頭を搭載できるトマホークを配備するともされているが、トマホークが発射されたなら、相手は核弾頭が搭載されているという前提で反応する。つまり核兵器で反撃される可能性がある。 ロシアの周辺部にもアメリカはミサイルを配備、NATOを東へ拡大させた。これはナチ時代のドイツによるソ連への軍事侵攻、バルバロッサ作戦を彷彿とさせる動きであり、ロシアが反発しただけではない。 ウォール・ストリート・ジャーナルによると、リチャード・ニクソン元米大統領は1994年3月21日にビル・クリントン大統領へ手紙を出し、その中でウクライナの内部状況が非常に危険だと警告。ウクライナで戦闘が勃発すれば、ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争は「ガーデンパーティー」のように感じられるとしている。 また、「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンは1998年、NATOが拡大について「これは新たな冷戦の始まり」であり、悲劇的な過ちだと批判、この政策を決めたアメリカ上院での議論について表面的で無知だと指摘している。 こうした政策は必然的にロシアから悪い反応を引き出すことになる見通し、NATOがロシア国境までの拡大すれば新たな冷戦を引き起こすことになるとしていた。ポーランド、ハンガリー、チェコで拡大が止まれば、そこで新たな分断線が引かれるともケナンは予測していたが、実際はそこで止まらず、ウクライナを制圧しようとする。「新バルバロッサ作戦」だ。 ヘンリー・キッシンジャーは2014年3月5日付けワシントン・ポスト紙でウクライナとロシアの関係について論じている。 ロシアの歴史はキエフ・ルーシで始まり、宗教もそこから広がり、ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、その前から両国の歴史は複雑に絡み合っていたと指摘している。ロシアにとってウクライナが単なる外国ではないということだ。特に東部と南部はロシアとの繋がりが強い。 こうした「旧保守」の警告をネオコン(新保守)は無視、対ロシア戦争を始めてしまった。簡単にロシアを屈服させられると考えていたのだろうが、逆襲で敗北必至のNATO諸国はパニックに陥っている。NATO諸国を率いている人びとは今でもロシアの戦力、工業力を過小評価し、自分たちの戦力と工業力を過大評価しているようだ。 ウクライナで敗れたアメリカやイギリスは東アジアの軍事的な緊張を高め、自分たちの存在感を高めようとしているが、中国とロシアの同盟は強化されている。バラク・オバマ政権がウクライナでクーデターを仕掛けた当時、日本でも中国とロシアが手を組むことはありえないと主張する「知識人」が少なくなかったが、それは妄想にすぎなかった。 東アジアの均衡を保つための前提、「ひとつの中国」を高市早苗首相は否定、核を保有しない、製造しない、持ち込まないという非核3原則に否定的な姿勢を示した。台湾と中国が別の国だということは台湾にアメリカが軍事基地を建設して「航空母艦」にできるということであり、日本列島に並べられたミサイルの核弾頭を搭載することもできるということを意味する。高市は首相に就任して早々、中国を軍事侵略するかもしれないと脅したわけだ。 ネオコンは中国やロシアを脅して屈服させようとして失敗したが、高市首相も同じことをしている。EUは自分たちの経済を支えていたロシアのエネルギー資源を断ち切ることで破滅へ向かっている。菅直人政権の前原誠司と同じように、高市首相は日本にとって最大の貿易相手国である中国との関係を悪化させた。日本を破壊しようとしている。 高市首相が民族派? まさか!**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.22
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国連の安全保障理事会は11月17日、ドナルド・トランプ米大統領のガザ計画を承認する決議を採択した。13カ国が賛成し、中国とロシアは棄権している。当初の決議案ではパレスチナ主権の可能性について言及されていなかったのだが、追加されたことでアラブ諸国やパレスチナ自治政府が決議を支持、ロシアは拒否権を行使するという姿勢を撤回、中国も棄権に加わった。s ガザを民族浄化して地中海リゾート開発を行うべきだとトランプが公言していたことを考えると、この決議はトランプが構想する開発を実現するための地上げを承認するためののものだと見ることもできる。 この決議によると、ガザの復興調整を担う暫定政権としての平和委員会設立を歓迎、暫定的な国際安定化部隊(ISF)を設置する権限をその委員会に与えている。その委員会を指揮するのはトランプ大統領になるため、ISFもトランプの指揮下に入る。 ガザではイスラエルによる破壊と殺戮に抵抗するため、ハマスが武装闘争を続けてきたが、そのハマスを武装解除することが決議では定められている。 ハマスが武装解除されたのち、イスラエル軍はガザから撤退するというのだが、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はパレスチナ国家への反対を改めて表明し、そのような事態は決して起こらないと断言している。ハマスもこの決議について、これはガザに国際的な監視メカニズムを押し付けるものであり、パレスチナ国民はこれを拒否していると宣言、決議を拒否した。つまり、今回の決議では当事者の意思が無視されている。 ハマスが武装解除を拒否する可能性は小さくないが、そうなると、トランプが指揮する部隊とハマスの戦闘が始まる可能性がある。しかもハマスが武装解除されなかった場合、イスラエル軍はガザに居座るとしており、三つ巴の戦いになるかもしれない。イスラエルやアメリカの影響下にあるパレスチナ自治政府が出てきても、事態が複雑になるだけだろう。安定化部隊はパレスチナ自治政府と連携しないという見方をする人もいる。 パレスチナでは今回と似たような展開の出来事があった。1981年6月7日にイスラエル軍はイラクのオシラク原子炉を空爆、7月17日にはベイルートにあったPLO(パレスチナ解放機構)のビルに対して大規模な空爆を実施した。 それに対して国連のブライアン・アークハート事務次長がイスラエルを説得するようにアメリカ政府へ働きかけ、停戦が実現する。イスラエル側ではアリエル・シャロン国防相も準備不足だとして停戦を望んでいた。 シャロンは1982年1月にベイルートを極秘訪問、キリスト教勢力と会い、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決め、1月の終わりにはアメリカに送るメッセージについて話し合うためにペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開いた。イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないという合意を取り付けることが目的だった。 1982年6月に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使を暗殺しようとするが、この3名に暗殺を命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派だった。イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという。(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018) この出来事を口実にしてイスラエル軍はレバノンへ軍事侵攻するが、8月21日にアメリカの仲介で戦闘は終結、西側諸国が監視する中、パレスチナの戦闘員は9月1日までにベイルートから撤退。西側諸国は難民と難民キャンプの保護を保証していた。 撤退の直後、イスラエルのメナヘム・ベギン首相はレバノンのバシール・ジェマイエル大統領と会談し、イスラエルとの和平条約への署名を強く求めたが、イスラエルとの和平条約の締結を拒否し、残存するPLO戦闘員を掃討するための作戦を承認しなかった。 パレスチナ難民の安全を保証していた国際部隊は9月11日にベイルートから撤退、ジェマイエルは9月14日に暗殺され、その翌日にイスラエル軍は停戦協定を無視して西ベイルートへ侵攻するが、パレスチナ難民キャンプへはファランヘ党の部隊を入れることにしていた。 ファランヘ党を中心とする部隊は9月16日、イスラエル軍から提供されたジープに乗り、イスラエル軍から提供された武器を持ち、イスラエル軍の命令に従って行動、サブラとシャティーラの難民キャンプに侵攻し、大量虐殺を始めた。1万数千名の市民が殺されたとされている。その際、レイプなどの残虐行為も行われたという。 パレスチナ人を虐殺したのはレバノンのファランヘ党だが、そのファランヘ党にパレスチナ人を虐殺させたのはイスラエルであり、反イスラエル感情は世界に広がる。 要するに、イスラエルはパレスチナでの民族浄化を放棄することはなく、保護するという西側諸国の保証は信用できない。ハマスが武装解除に応じようとしないのは当然なのだ。トランプ政権もそうした展開を予想しているだろう。西側諸国にしろ、アラブ諸国にしろ、ロシアや中国にしろ、ハマスが武装解除に応じなければ、イスラエル軍がガザ占領を続けることを容認する口実ができる。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.20
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Meiji Seika ファルマなる製薬会社が立憲民主党の原口一博議員を東京地裁に近く提訴すると伝えられている。同社が製造販売する「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」について、安全性が確認されていないと議員が批判してきたことが誹謗中傷に当たるとしているのだ。 しかし、議員の主張は事実である。少なからぬ研究者が科学的根拠な根拠に基づいて原口と同じようにmRNA技術を利用した新薬を批判、特にレプリコン・ワクチンのリスクが高いとしている。「Meiji Seika ファルマの現役社員」を名乗る人、あるいはグループが書いた『私たちは売りたくない!』という書籍も出版されている。 このタイプの新薬が高リスクであることを製薬会社や厚生労働省が認識しているであろうことは、重要な情報が開示されていないことからも類推できる。つまり「国と取り組んできた公衆衛生向上への取り組み」が問題なのであり、これは水俣病などの公害と同じ構造だ。 原口議員の主張が「非科学的断定でないなら名誉毀損等は成立しないので、製薬会社も提訴しません」と別の議員がXに書き込んでいたが、この議員は会社が提訴した時点で原口議員の主張は「非科学的断定」であると断定していることになる。原口議員に対する誹謗中傷だと言われても仕方がないだろう。 原口議員に批判的なこの議員は「科学的判断は科学的機関が行」うと考えているようだが、その「科学的機関」とは何を指しているのだろうか。そもそも判断するのは人間であり、この場合は科学者だと言うべきだ。さまざまな判断が出てくるだろう。何が正しいのかはそこから議論することになる。 過去の薬害や公害では政府主導の「科学的判断」が押し付けられ、少なからぬ人を苦しめることになった。mRNA技術を利用した新薬の場合、そうしたケースよりもリスクは大きい。 COVID-19騒動が始まって間もない頃からサーシャ・ラティポワは騒動の黒幕はアメリカ国防総省で、バラク・オバマ政権が始めたと主張している。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 しかも、レプリコン・ワクチンの仕組みから想定される特性はアメリカがウクライナで研究開発していた「万能生物兵器」と似ている。ロシア議会が発表した報告書の180ページから181ページにかけて次のような記述がある。「アメリカは人間だけでなく動物や農作物も標的にできる普遍的な遺伝子操作生物兵器の開発を目指している。その使用はとりわけ敵に大規模で回復不可能な経済的損害を与えることを前提としている。」「避けられない直接的な軍事衝突の可能性を見越して、秘密裏に標的を定めて使用することで、たとえ他の大量破壊兵器を保有している相手であっても、アメリカ軍が優位に立てる可能性がある。アメリカ軍の戦略家によれば、ある特定の時期に、ある特定の地域で、異常な伝染病を引き起こす可能性のある生物学的製剤を、秘密裏に、かつ標的を定めて使用した場合の結果は核の冬に匹敵する可能性がある。」 かつて日本では軍医学校、東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部が中心になって生物化学兵器の開発が進められていた。その一環として生体実験をおこなう加茂部隊を中国に設置している。その責任者が京都帝国大学医学部出身の石井四郎中将であり、その後ろ盾は小泉親彦軍医総監だったとされている。その後、加茂部隊は東郷部隊へと名前を替え、1941年には第七三一部隊と呼ばれるようになり、捕虜として拘束していた中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人を使って生体実験していた。 こうした部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めた人物が石井四郎。途中、1942年から45年2月までを東京帝国大学医学部出身の北野政次少将が務めている。こうした第七三一部隊の幹部の大半は日本へ逃亡、1946年に入ると幹部たちはアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。 尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。 1950年6月に朝鮮戦争が勃発、52年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に抗議した。アメリカ側は事実無根だと主張したが、1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官は議会証言の中で、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。 朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立されたが、北野政次が顧問に就任するなど、この会社は第七三一部隊と深い関係がある。後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになった。現在は田辺三菱製薬の一部だ。 大戦後、第七三一部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は「伝染病対策」の中枢を形成し、その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設された。当初は厚生省の所管だったが、1949年には国立になる。1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名され、現在、「COVID-19対策」で中心的な役割を果たしている。 Meiji Seika ファルマが原口議員を提訴した場合、正常な裁判が行われれば、これまで隠されていた情報が出てくる可能性もある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.10.31
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イギリスの有力メディア、BBC(英国放送協会)は2月4日、「USAIDの資金援助に関する声明」を発表した。その中で同協会の「国際開発慈善団体」だというBBCメディア・アクションが2023年から24年にかけて収入の約8%をUSAID(米国国際開発庁)から得ていたことが明らかにされた。この「慈善団体」は、政治的に不安定な地域で現地のメディアと連携して影響力を拡大させるキャンペーンを展開している。 USAIDはCIAの工作資金を流す仕組みのひとつ。「独立系メディア」と同様、BBCも情報機関の資金を受け取っていたことになるが、ドナルド・トランプ米大統領が対外援助のほぼ全面的な凍結を命令したことから、西側で好まれている「独立系メディア」と同じように、BBCの「慈善団体」も影響を受けた。 そのBBCは2019年6月、世界の報道機関やソーシャル・メディアの幹部を集めて「信頼できるニュースサミット」を開催、9月には「信頼できるニュース憲章」を発表し、「TNI(信頼できるニュース戦略)」を組織した。「偽情報が定着する前に迅速かつ共同で行動して偽情報を弱体化させる」ことが目的だとされているが、要するに国際的な検閲体制の構築であり、日本からはNHKが参加している。 その年の12月に中国の湖北省武漢の病院でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見され、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動が始まり、西側では情報が厳しく統制される。公式発表に反する情報は「フェイク」だとされ、封じ込めようとする動きがあった。その後、「フェイク」とされた情報が事実であり、公式発表がフェイクだといことが明らかになってきた。 以前から言論統制の仕組みがあったことは本ブログでも繰り返し書いてきた。例えば、1948年にスタートしたCIAの極秘プロジェクト「モッキンバード」。責任者はコード・メイヤーで、実際の工作で中心的な役割を果たしたのはアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだという。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) グラハムの死後、妻のキャサリーンが社主に就任、その下でワシントン・ポスト紙は「ウォーターゲート事件」を暴くのだが、その取材で中心的な役割を果たしたカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞めて「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) またフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ていると彼は警鐘を鳴らしていた。 2003年3月にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒したが、その際、ジョージ・W・ブッシュ政権は軍事侵攻を正当化するために「大量破壊兵器」の話を宣伝した。その話をもっともらしく見せるため、02年9月にイギリスのトニー・ブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成している。いわゆる「9月文書」だ。これはメディアにリークされ、サン紙は「破滅まで45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載している。 この報告書をアメリカのコリン・パウエル国務長官は絶賛したが、大学院生の論文を無断引用した代物。その文書をイギリス政府はイラクの脅威を強調するため改竄している。 BBCのアンドリュー・ギリガン記者は2003年5月にラジオ番組で「9月文書」を取り上げ、粉飾されていると語る。サンデー・オン・メール紙で彼はアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。2004年10月にジャック・ストロー外相は「45分話」が嘘だということを認めている。つまりギリガンの話は事実だった。 ギリガンの情報源はイギリス国防省で生物化学兵器部門を指揮していたデイビッド・ケリー。そのケリーはイラクの大量破壊兵器がないとブレア首相に説明したが、その首相は偽情報で世論を戦争へと誘導しようとする。そこでギリガンに事実を伝えたのだ。 しかし、ブレア政権の言論弾圧は厳しく、ケリーは変死している。ギリガン記者はBBCから追い出され、放送局の執行役員会会長とBBC会長は辞任に追い込まれた。 ドナルド・トランプ米大統領はウォロディミル・ゼレンスキーを支持しているウクライナ国民は4%だと発言、西側の有力メディアはその話を否定しようと必死だが、BBCやウクライナの「独立系メディア」を信じろという方が無理だ。西側の有力メディアが根拠にしている民間世論調査会社はゼレンスキーの仲間が所有、USAID、同じようにCIAの資金を流しているNED、あるいはソロス財団からも間接的に資金が提供されているという。そもそもウクライナでは政府に批判的なメディアは潰され、野党は禁止されている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.02.23
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ポクロフスクをロシア軍が制圧、ウクライナでの戦闘が大きな節目を迎えている。ポクロフスクにはふたつの幹線道路が通り、ウクライナ軍の補給にとって重要な場所。これまでロシア軍は自軍兵士の死傷者をできるだけ少なくするため、慎重に作戦を進めてきたが、この要衝を抑えたことから進撃のスピードが上がる可能性がある。 すでにロシア軍はポクロフスクで相当作戦を展開しているが、そうした状況の中、ウクライナの情報機関GUR(国防省情報総局)が特殊部隊をUH-60Aブラックホークで送り込み、救出しようとした。少なからぬ人が無謀だと指摘していたが、CIAの上級工作員、あるいはNATOの将校を救出するためだったようだ。同じようにロシア軍が包囲しているクピャンスクにはNATOの突撃部隊と2名のアメリカ軍将校もウクライナ軍部隊と一緒に取り残されている。 バラク・オバマ政権が2014年2月にネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した当初からCIAやFBIの専門家数十名が顧問として送り込まれたほか、傭兵会社の「アカデミ(旧社名:ブラックウォーター、Xe、2014年6月にトリプル・キャノピーと合併してコンステリス・グループ)」の戦闘員約400名もウクライナ東部での戦闘に参加したが、2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」を利用し、8年かけてNATO諸国はクーデター体制の戦力を増強している。 2022年に入ると戦力を増強したウクライナ軍がドンバスに対する砲撃を強め、大規模な軍事侵攻を計画していると言われるようになる。アメリカ国防総省はウクライナで生物兵器の研究開発を進めていたが、そこで作られた生物兵器を利用する疑いもあった。そして2022年2月にロシア軍はドンバス(ドネツクとルガンスク)周辺に終結していたウクライナ軍の部隊、ウクライナ領内の軍事基地、そして生物兵器の研究開発施設を攻撃し始めた。 しかし、3月にロシア政府とウクライナ政府は停戦で合意、仮調印している。ウラジミル・プーチン露大統領は善意の印として、キエフ北部の地域を支配していた戦車部隊を3月31日から撤退させるようロシア軍に命じた。 そうした停戦の動きをイギリスとアメリカが潰している。例えば、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンが4月9日にキエフへ乗り込んでウォロディミル・ゼレンスキー大統領に対して戦争継続を命令(ココやココ)、4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。 交渉が決裂した後、ロシア軍は要塞戦の西端にあるマリウポリを攻撃し始め、2022年5月末までに制圧し、数千人のウクライナ兵を捕虜にすると同時に住民を解放した。 この時点ではイギリスもアメリカもロシアを簡単に打ち負かせるとまだ信じていたようだが、米英の動きを見たロシア政府は2022年9月に部分的動員を発表した。30万人の予備役を動員するということだ。2022年8月までにロシア軍では数千人の兵士が契約期限切れになることも動員を決意させた一因だろう。また消耗戦対策として、同年9月から12月にかけてヘルソン西岸から撤退し、ザポリージャとドネツクに防衛線を構築、2023年1月にはバフムートで激しい戦闘が始まる。 ドナルド・トランプ政権でウクライナにおける戦争に積極的な人物のひとりはウクライナ担当特使を務めているキース・ケロッグ退役中将。本ブログですでに書いたように、この人物はジョー・バイデン政権下の2023年2月28日にアメリカの上院軍事委員会で、「もしアメリカ軍を一切投入しないで戦略的な敵国(ロシア)を打ち負かすことができれば、それはまさにプロフェッショナルの極みだと私は考えている」と語っている。この段階でもロシアとの戦争に勝てると考えていたのだろう。 ところが、イギリスの国防相を務めていたベン・ウォレスは2023年10月1日付のテレグラフ紙に寄稿した論考の中で、ウクライナ兵の平均年齢はすでに40歳を超えていると指摘した。この時点でウクライナ側には十分な兵士がいなくなっている。ロシア軍が本格的な戦闘を始めてまもなく、戦況はロシア軍が有利になったわけだ。この後、ウクライナ軍の壊滅が始まった。 ロシア軍が作戦を慎重に進めた理由のひとつは自軍兵士の死傷者をできるだけ少なくするためだが、ゆっくり攻めることで兵站線が伸びることを避けたと見られている。それに対してウクライナ側の兵站線は西のポーランドから伸びているため厳しい。消耗戦はNATO諸国にもダメージを与えている。 かつて日本軍は第2次世界大戦の終盤、沖縄でアメリカ軍と激しい戦闘を繰り広げた。沖縄の自然は破壊され、戦死者は日本軍が9万4000人以上、アメリカ軍が約1万2500名、さらに住民約9万4000人も殺されているという。日本軍は沖縄を「捨て石」にしたと言われている。日本の中枢は沖縄で人びとが殺されることを気にしていなかっただろう。彼らは自分たちのことしか考えていない。ウクライナをめぐり、NATO諸国は似たようなことをしている。 そのウクライナに対する支援とロシアに対する「制裁」、つまり経済戦争を続けると高市早苗首相は主張している。官民一体となってウクライナの復旧復興を支援するとも語っているが、戦争がどのように決着すると考えているのだろうか?ウクライナで戦争を始めた当時に西側諸国が妄想した利権の獲得は困難な情勢だ。ロシアは永続的な平和を実現するため、アメリカやその同盟国をウクライナから排除するはずだ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.09
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次の「櫻井ジャーナルトーク」を12月19日(火)午後7時から駒込の「東京琉球館」で開催、「ウクライナ後の東アジア」について考えてみたいと思います。予約受付は12月1日午前9時からですので、興味のある方は東京琉球館までEメールで連絡してください。なお、「櫻井ジャーナルトーク」は12月で定期的開催を終了します。東京琉球館https://dotouch.cocolog-nifty.com住所:東京都豊島区駒込2-17-8Eメール:makato@luna.zaq.jp アメリカの軍事や外交をコントロールしてきたシオニストは1991年12月にソ連が消滅した直後、世界制覇プロジェクトを始めました。その計画書とも言える文書が1992年2月に国防総省のDPG(国防計画指針)草案として作成されています。1990年代以降の世界を考える場合、この文書からスタートしなければならないということになるでしょう。 その当時の国防長官はリチャード・チェイニー、文書作成の中心にはポール・ウォルフォウィッツ国防次官がいました。そこで、この文書は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれています。このドクトリンの前提はライバルのソ連が消滅、アメリカが唯一の超大国になったということであり、他国に気兼ねすることなく、国連を無視して好き勝手に行動できるとチェイニーやウォルフォウィッツを含むシオニスト、いわゆるネオコンは考えました。 しかし、21世紀に入ってウラジミル・プーチンが登場、ロシアの再独立に成功します。そこでネオコンはロシアを再属国化するため、2度のクーデターを仕掛けました。2004から05年にかけて実行された「オレンジ革命」と2013年から14年にかけてのユーロマイダンを舞台としたクーデターです。 しかし、ソ連時代にロシアから割譲された東部や南部では住民の多くがクーデターを拒否、クリミアではロシアと一体化する道が選ばれ、東部のドンバスでは武装抵抗が始まりました。旧体制の軍人や治安機関の少なからぬメンバーがクーデター体制を拒否、その一部は武装抵抗に合流したとも言われています。 抵抗運動は強く、NATOはクーデター体制の戦力を増強しなければならなくなります。そのための時間を稼ぐ必要が生じました。そこで成立させた停戦合意が2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」です。その後、8年かけてNATO諸国は兵士の育成、訓練、兵器の供与などでクーデター体制の戦力を増強しました。 2021年から25年にかけて大統領を務めたジョー・バイデンはロシアに対して軍事的な挑発を強め、クーデター体制は22年に入ると反クーデター勢力への砲撃を強め、大規模な軍事作戦が始まると噂されました。そうした中、ロシアが先手を打って2月にウクライナ軍部隊や軍事施設などを攻撃、戦闘は始まります。 出鼻をくじかれたウォロディミル・ゼレンスキー大統領はロシアと停戦交渉を開始しました。交渉の仲介をしていたのはイスラエルとトルコで、仲介役のひとりだったイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットは交渉内容を詳しく説明しています。トルコ政府を仲介役とする停戦交渉は仮調印にこぎつけていました。 ベネットは2022年3月5日にモスクワへ飛んでプーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけることに成功、その足でドイツへ向かってオラフ・ショルツ首相と会っていますが、その3月5日、SBU(ウクライナ保安庁)のメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームで中心的な役割を果たしていたデニス・キリーエフを射殺してしまいました。そして4月9日、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとウクライナの停戦交渉を壊します。(ココやココ) ジョンソンはウクライナ人に対し、最後のひとりになるまでロシアと戦えと命令、ヨーロッパ諸国に対しては資金と長距離ミサイルをウクライナへ集中させるように求めました。ジョンソンを含むヨーロッパの嫌ロシア派やアメリカのネオコンは簡単にロシアを倒せると信じていたようですが、NATO側が8年かけてドンバス周辺に築いた要塞線も突破されてロシアの勝利は決定的です。最後のひとりになるまで戦えという号令の効果はありません。 すでにウクライナ戦争から距離を置き始めているドナルド・トランプ政権はロシア政府と停戦、安全保障、ヨーロッパの枠組み、将来の関係について水面下で話し合いを進めていると伝えられています。マイアミでアメリカのスティーブ・ウィトコフ中東担当特使とロシアのキリル・ドミトリエフ特使が会談しているようですが、これは事実上、敗者であるNATOと勝者であるロシアとの降伏交渉だと言えるでしょう。トランプ政権としては、その結果がアメリカの降伏に見えないように演出したいはずですが、プーチン政権は「ミンスク合意」の二の舞にならないよう事を進めるはずです。 それに対し、ヨーロッパの嫌ロシア派とアメリカのネオコンはそうした交渉を認めようとしないでしょう。「停戦」ではなく恒久的な和平が決まった場合、欧米諸国で戦争を推進してきた勢力は厳しい状況に追い込まれてしまいます。 権力を維持するため、欧米の「エリート」はベネズエラや東アジアで新たな戦争を始める可能性もあります。1995年以降、日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれ、中国やロシアと戦争する準備を進めてきたことは本ブログでも繰り返し書いてきました。そうしたことを最終回に考えてみたいと思います。櫻井 春彦
2025.11.21
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【日本はアメリカの従属国】 日本がアメリカの植民地なのかが国会で問題になった。高市早苗首相は日本を主権国家だと主張したが、日本がアメリカの支配層に従属していることは言うまでもない。 アメリカの支配層の中核には金融資本が存在、その下に日本の外務、軍事、治安のトライアングルが存在している。その支配構造の基盤が「日米安全保障体制」にほかならない。財務省の打ち出す政策もそこから出てくる。自衛隊がアメリカに刃向かう恐れがなくなった現在、アメリカは日本国憲法の第9条を必要としなくなったどころか邪魔な存在になった。 現在の日本は単にアメリカの従属国ということだけでなく、アメリカの戦争マシーンに組み込まれていることは本ブログで繰り返し書いてきた。ソ連が1991年12月に消滅した直後、92年2月にアメリカの国防総省内でDPG(国防計画指針)の草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」が作成された。 そのドクトリンの作成で中心的な役割を果たしたポール・ウォルフォウィッツはネオコンの大物だが、そのネオコンはソ連の消滅でアメリカが唯一の超大国になったと確信、世界制覇戦争を始めようとする。そして作成されたのがDPG草案だ。 その中にはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合して民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。アメリカにとっての平和地帯とは、アメリカが支配し、誰も逆らわないという地域を意味する。要するにドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 このドクトリンが作成された時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュだが、その政権の中にもネオコンの世界征服プロジェクトが危険だと考える人もいたようで、有力メディアにリークされた。日本の政治家や官僚の中にも危険だと考える人がいただろう。 1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、ウォルフォウィッツ・ドクトンに従ってアメリカは世界制覇戦争に乗り出すのだが、日本もそれ追随している。 国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていたが、すでにそうした配慮は放棄されている。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。 日本は中国やロシアと戦争する準備を進めてきたが、高市早苗首相はそうした動きを加速させようとしている。【明治維新から日本は米英の影響下にあった】 ところで、第2次世界大戦で敗北する前から米英の金融資本は日本に大きな影響力を持っていた。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、関東大震災以降、アメリカの巨大金融資本の影響下に入った。復興資金調達の結果、日本の政治や経済をアメリカの巨大金融資本JPモルガンが動かすようになり、治安維持法によって思想弾圧が強化され、「満蒙は日本の生命線」と言われるようになった。その構図を象徴する存在が1932年から駐日大使を務めたジョセフ・グルーだ。 その年にアメリカでは大統領選挙があり、ウォール街が支援していたハーバート・フーバーが落選、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが勝利する。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の大物たちはニューディール派政権を倒し、ファシズム体制を樹立すためにクーデターを計画したが、スメドリー・バトラー退役海兵隊少将によって阻止された。 グルーはアメリカの金融資本に属す人物である。彼のいとこ、ジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻なのだ。しかもグルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーにほかならない。こうした背景もあり、グルーは天皇周辺に人脈を持っていた。 グルーが親しくしていた日本人には松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、最も親しかったのは松岡洋右だと言われている。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945~1952』時事通信社、1994年)グルーは1942年6月に離日する直前、商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007) ジョン・W・ダワーによると、「上流階級の一定の『穏健な』人々に対して、個人的な敬意と好意を抱いていることは決して隠そうとしなかった」のだが、日本人一般は人間扱いしていなかった。日本を「全員が女王蜂(実生活では天皇)に使える騒がしいミツバチの巣」に例えていたという。(ジョン・W・ダワー著、猿谷要監修、斎藤元一訳、平凡社、2001年) 豊下楢彦が指摘しているように、第2次世界大戦後、日本はダグラス・マッカーサーと吉田茂ではなく、ウォール街と天皇を両輪として動き始めた。ドイツが降伏する直前、アメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、ニューディール派の力は急速に衰え、ウォール街が実権を奪い返していた。 そうした中、ジャパン・ロビーと呼ばれるグループが戦後日本の基盤を築き上げていく。そのグループの中核的な団体が1948年6月にワシントンDCで創設されたACJ(アメリカ対日協議会)。設立メンバーの中心的な存在はジョセフ・グルー。そのほか、ニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、同誌東京支局長だったコンプトン・パケナム、トーマス・ハート提督、ウィリアム・プラット提督、ウィリアムキャッスル元国務次官、弁護士のジェームズ・カウフマン、ユージン・ドーマン、ジョセフ・バレンタインたちが含まれ、その支援グループにはジョージ・マーシャル国務長官、ロバート・ラベット国務次官、ジェームズ・フォレスタル国防長官、陸軍省のケネス・ロイヤル長官とウィリアム・ドレーパー次官、ジョン・マックロイ、フランク・ウィズナーなどが名を連ねている。 JPモルガンの前はイギリスの金融資本と関係が深かった。例えば、日露戦争で日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。 この戦争について、セオドア・ルーズベルト米大統領は日本が自分たちのために戦っていると語り、日本政府の使節としてアメリカにいた金子堅太郎はアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。1910年に日本が韓国を併合した際、アメリカが容認した理由はこの辺にあるだろう。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) 明治維新の背後でもイギリスの怪しげな人脈が蠢いていた。アヘン戦争で清(中国)に勝利したとされているイギリスだが、内陸部を支配することはできなかった。そこで、サッスーン家と同じようにアヘン取引で大儲けしたジャーディン・マセソンは日本に目をつける。 同社は1859年にふたりのエージェントを日本へ送り込んできた。ひとりは長崎へ渡ったトーマス・グラバーであり、もうひとりは横浜のへ送り込まれてあウィリアム・ケズウィック。歴史物語ではグラバーが有名だが、大物はケズウィックだ。母方の祖母は同社を創設したひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉なのである。 グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決め、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)が選ばれる。この若者は1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンだ。 薩摩も1865年に留学生15名をイギリスへ派遣しているが、この時に船を手配したのはグラバー。その留学生の中には五代友厚、森有礼、長沢鼎も含まれていた。年少の長沢以外はロンドン大学へ入学した。 その後、薩摩からの送金が途絶えたことから9名の留学生は帰国したが、長沢や森を含む6名はアメリカへ渡り、ニューヨークに拠点があった心霊主義を信奉するキリスト教系団体「新生兄弟」へ入る。イギリスでこのカルトに取り込まれていたのだろう。 何人かはすぐに離脱したが、長沢と森は残る。その森も1868年に帰国したが、長沢ひとりは残った。のちに長沢は教団を率いることになるが、1890年代前半に解散している。その一方、ワインの醸造所を建設してビジネスは成功、「ワイン王」とも呼ばれている。 森は文部大臣に就任、「教育勅語」を作るなど天皇カルト体制の精神的な基盤を作るが、その一方、森の下、日本へ迎えられたルーサー・ホワイティング・メーションを中心に唱歌が作られる。安田寛によると、その目的は日本人が讃美歌を歌えるようにすることにあった。(『唱歌と十字架』音楽之友社、1993年) 日本の中国侵略は1872年に琉球を併合した時から始まる。「維新」で誕生した明治体制は琉球併合の後、1874年に台湾へ派兵、1875年に江華島へ軍艦を派遣、そして1894年の日清戦争、1904年の日露戦争へと進んだが、こうした侵略はアメリカやイギリスの外交官に煽られてのことだった。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.16
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ウクライナの情報機関がイギリスの対外情報機関MI6とオランダに拠点を置く「報道機関」のべリングキャットから支援を受けてキンジャール極超音速ミサイルを搭載したロシアのミグ31戦闘機を盗もうとしたとロシアの治安機関FSB(連邦保安庁)は11月11日に発表した。べリングキャットに所属しているとしていたフリスト・グロゼフはイギリスの情報機関員だという。 FSBによると、ミグ31のパイロットは昨年秋、ベリングキャットの研究員で、セルゲイ・ルゴフスキーと名乗る男から接触を受け、300万ドルの報酬とイタリアのパスポートを提示された。盗みだした戦闘機に黒海上空を飛行させ、ルーマニアのコンスタンツァ市近郊にあるNATO空軍基地で偽旗作戦を実施、その防空システムで撃墜されるかオデッサの飛行場に着陸させる計画だったようだ。 この作戦は11月4日に実行される予定だったというが、イギリスとしては、この作戦でNATO軍とロシア軍を軍事衝突させようとしたと言われている。 それに対し、ロシア軍は11月8日、スムイ、チェルニーヒウ、ニコラエフ、ポルタバ、ドネプロペトロフスク、ハリコフ、キエフに対して大規模なミサイル攻撃を実施した。ミサイルの中には多くのキンジャールが含まれていたようだ。 イギリスとしては、この作戦でNATO軍とロシア軍を軍事衝突させようとしたと言われているが、それに対し、ロシア軍は11月10日、キエフに近いブロヴァリーにあるGUR(国防省情報総局)の主要な電子情報センターとスタロコスティアンティニフ飛行場をキンジャールで攻撃したと報道されている。この飛行場は、ウクライナへ新たに供与されたF-16戦闘機が駐留していた。 ふたつの幹線道路が通り、ウクライナ軍の補給にとって重要な場所であるポクロフスクをロシア軍は制圧、NATO/ウクライナ側の兵站線を抑え、進撃のスピードが増すと見られている。しかも包囲された地域にウクライナ軍だけでなく、NATO軍の将校やCIAの上級エージェントも閉じ込められていると見られている。GURやCIAが必死に包囲網を突破して中の人間を救出しようとしているのはそのためだ。 すでにウクライナ側はNATO各国から特殊部隊や情報機関員を入れてロシアに対するテロ攻撃を繰り返してきたが、それも限界に来ているのだろう。対ロシア戦争の中心にいると見られているイギリスはNATOの正規軍を引き込みたいのだろうが、ロシア軍に勝てるとは思えない。アメリカはすでにウクライナから距離を置いている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.15
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リビアの反政府派に拘束されていた8名のイギリス人が解放され、ベンガジの港からフリゲート艦「カンバーランド」で帰路についた。そのイギリス人チームは6名のSAS(特殊部隊)メンバーと2名のMI6(対外情報機関)オフィサーで編成されていた。 チームの任務は反政府派と接触することで、3月2日にヘリコプターでリビアに入り、ベンガジの南西約30キロメートルの地点で拘束されたという。反政府派の内部に協力者がいたとしても、ヘリコプターで野外に着陸すれば目立つ。情報偵察活動に必要な機材を携帯、複数のパスポートと武器を携帯していたことから反政府派の人々に「誤解」されたともいうが、一般のリビア人に嫌われているイギリスのチームだとわかれば、やはり拘束されただろう。 イギリスにしろアメリカにしろ、中東/北アフリカを含む「南」の人々からみれば、民主主義の芽を摘み取り、独裁者を操って自分たちを苦しめてきた国。憎悪の対象でしかない。 チュニジアに続いて抵抗運動が盛り上がったエジプトもアメリカの強い影響下にあった国。つまりアメリカは嫌われている。とりあえず、独裁体制の象徴だったホスニ・ムバラクは排除したものの、体制そのものは生き残っているので、民主化が実現するかどうかはこれからの問題。 このエジプトでは、さらなる民主化(真の民主化)を求めて人々は活動を続けているのだが、弾圧も厳しい。抗議活動中の通信内容を当局は把握しているはずで、弾圧に使うだろう。政府はNarusなる会社が開発した装置を使い、インターネットや携帯電話を切断したり、監視している。そうした弾圧の最前線で活動してきたのが秘密警察のSSIS。このSSISに拷問の方法を教えてきたのがアメリカのFBI。 しかし、アレキサンドリアでは治安機関の本部が襲撃されるなど、民主化を求める人々のエネルギーは消えていない。「移行政権」としても、安易に抵抗運動を弾圧できない状態だ。クーデターと革命のせめぎ合いは続いている。
2011.03.07
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ふと、こんなことを考えた。 商品の売り上げは商品がどの程度売れたかで決まる。人気のある商品は売れるだろうが、人気がなくても売れれば売上高は膨らむ。商品が欲しいのではなく、買うことに意味がある場合もある。そうした買い手は通常の客ではない。そうした商品の場合、一般の客が不買運動をしてもカネの流れに大きな変化はないだろう。 かつてコロガシが問題になった。ある商品を何社かが転売していくのだが、その商品が欲しいわけではない。利益をプラスしながらコロガシていくのだ。誰も商品自体には興味がない。その商品を最終的につかんだ人間は、そのゲームの敗者だ。 昔々、そうしたゲームをして負けた会社が梱包を解いたところ、別の商品が入っていたことがあるという。
2019.04.24
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中国と戦略的な同盟関係を結び、朝鮮との関係を強化しているロシアは日本の対ロシア政策は非友好的だと考えている。ロシア大統領の報道官を務めるドミトリー・ペスコフは1月25日、日本はモスクワに対して非友好的な政策を続けていると述べた。アメリカに従属しているということだ。 こうした主張をロシアが突然言い出したわけではない。2021年9月、ロシア国家安全保障会議の議長を務めていたニコライ・パトロシェフはAUKUSについて中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」だと指摘、ロシアは朝鮮との関係を急ピッチで強化することになっている。 中国やロシアとの関係を維持しようとしていた安倍晋三が首相を務めていた時代ならロシアはそこまで言わなかったかもしれないが、2020年9月16日に体調の悪化を理由にして辞職してしまった。日本企業がアメリカの圧力を跳ね除けてサハリンにおける石油や天然ガスの開発を継続すると発表する直前の22年7月8日に彼は射殺されている。 アメリカへ従属する姿勢が目についた岸田文雄に次いで首相となった石破茂はロシアと「領土問題」を解決し、平和条約を締結したいと述べたというが、これは千島列島に属す択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島をアメリカ軍が支配することを意味する。ロシアにとってこうしたことは極東の安全保障だけでなく、北極航路の安全にも関わる問題だ。日本とロシアとの接近を阻止したいアメリカにとってこの領土問題は重要な仕掛けにほかならない。 日本の領土問題は1945年2月の「ヤルタ協定」から始まる。アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのウィンストン・チャーチル、ソ連のヨシフ・スターリンがクリミア半島のヤルタで会談した際に決められもので、ドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争が終結してから2カ月から3カ月後にソ連が日本に宣戦布告する条件を取り決めている。 その中には現在のサハリン南部や近くにある全ての島々をソ連へ返還し、千島列島はソ連へ引き渡すことが含まれてたのだが、日本側は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島を千島列島でないとしているわけだ。この主張の背後にはアメリカが存在していると言えるだろう。1956年10月に日本の鳩山一郎政権はソ連と共同宣言に署名した歯舞島と色丹島を日本領にするというソ連案を受け入れたのだが、問題解決を嫌ったアメリカ政府がこの案を潰している。 日本が従属しているアメリカは現在、苦境に陥っている。外交や軍事の分野で主導権を握ってきたネオコンはウクライナで戦争を仕掛けてロシアに敗北、中東でも思惑通りの展開にはなっていない。東アジアでは中国やロシアと戦うための準備を進めてきたものの、計画通りには進んでいないようだ。 アメリカは21世紀に入ってからロシアや中国と戦争する準備を進めてきた。日本から台湾にかけての島々は米英両国にとって中国を侵略するための拠点であり、朝鮮半島は橋頭堡にほかならない。 日本には自衛隊というアメリカ軍の補完部隊が存在、韓国には現役の軍人が50万人、そして予備役が310万人いる。その韓国を動かすためにアメリカは尹錫悦を大統領に据え、日米韓の「三国同盟」を推進しようとしたのだろうが、尹大統領の従米政策は国民の反発を招く。 韓国では政党に関係なく朝鮮半島が戦場になることを恐れていた。朴槿恵も戦争を嫌がり、中国との関係を重要視、アメリカがTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムを韓国へ配備することに難色を示していたのだが、2017年4月に持ち込まれた。朴大統領がスキャンダルで身動きできなくなり、阻止できなかったのだ。朴槿恵を失脚させ検事が尹錫悦にほかならない。 その尹をアメリカは大統領に据える。大統領として尹はアメリカの意向に沿う政策を推進、中国やロシアとの関係を悪化させ、韓国経済を失速させた。アメリカは日米韓の「三国同盟」を推進しようとしたのだろうが、尹大統領の従米政策は国民の反発を招き、クーデターというギャンブルを仕掛けざるをえなくなった。戒厳令宣言の黒幕は韓国駐在アメリカ大使のフィリップ・ゴールドバーグではないかと考える人もいる。 ゴールドバーグは2006年10月からボリビア駐在大使を務めていた人物だが、2008年9月、ボリビア大統領だったエボ・モラレスはクーデターを支援したとして彼を国外へ追放している。また2013年12月から16年10月にかけてフィリピン駐在大使を務めていた際、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領からCIAがドゥテルテの追放、あるいは暗殺を企てていると非難されていた。 その一方、アメリカは日本でも戦争の準備を進めている。自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させているが、これはアメリカの軍事戦略に基づく。 この戦略は2022年の4月にアメリカ国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が明らかにしている。GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するという計画を公表したのだ。 南西諸島にミサイル発射基地が建設されつつあった2017年11月、アメリカはオーストラリア、インド、日本とクワドの復活を協議、18年5月にはアメリカ太平洋軍をインド太平洋軍へ名称変更した。インド洋と太平洋を一体のものとして扱うということだろう。 2020年6月にNATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長はオーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言。2021年9月にはアメリカ、イギリス、オーストラリアのアングロ・サクソン3カ国が太平洋でAUKUSなる軍事同盟を創設したとする発表があった。 アメリカとイギリスはオーストラリアに原子力潜水艦の艦隊を建造させるために必要な技術を提供するとも伝えられたが、そうした潜水艦を動かすためにはアメリカの軍人が乗り込む必要があり、事実上、アメリカ海軍の潜水艦になる。その原子力潜水艦を受け入れる可能性があると山上信吾オーストラリア駐在大使はキャンベラのナショナル・プレス・クラブで2022年11月14日に表明した。 与那国島にミサイル発射施設を建設する前年、2015年の6月、総理大臣だった故安倍晋三は赤坂の「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で、「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたと報道されている。安倍首相は南シナ海における中国との軍事衝突を見通していた。 岸田文雄政権は2022年12月16日に「国家安全保障戦略(NSS)」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」の軍事関連3文書を閣議決定、2023年度から5年間の軍事費を現行計画の1.5倍以上にあたる43兆円に増額して「敵基地攻撃能力」を保有することを明らかにした。 2022年10月には、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 アメリカは千島列島から南西諸島までの島々を軍事的な拠点と考えている。中曽根康弘は首相に就任して間もない1983年1月にアメリカを訪問、その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受けたのだが、その中で「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったと報道された。 当然のことながらこの発言は問題になり、中曽根は「不沈空母」発言を否定しようとするのだが、インタビューが録音されていたことを知ると「巨大空母」と言ったのだと主張して誤魔化した。その前からイスラエルは自国のことをアメリカの中東における不沈空母だと表現していたので、それを記者は使ったのかもしれない。 ダグラス・マッカーサーは第2次世界大戦や朝鮮戦争の際、台湾を「不沈空母」と呼んでいたが、日本軍も中国を空爆するための空母として利用していた。 その台湾も韓国と同じように、アメリカの軍事戦略から離れたがっているが、日本はアメリカから離れられないようだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.02.11
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日本のマスコミが支配層のプロパガンダ機関にすぎないことは否定しようのない事実である。情報に少しでも関心のある人なら、信用などしていないだろう。 4月20日に「国境なき記者団(RSF)」なる組織が発表した「報道の自由度ランキン」で日本は180カ国中72位だという。ちなみに2003年にアメリカ軍を中心とする連合軍がイラクを先制攻撃する前、戦争を正当化するために嘘を大々的に伝えていたイギリスとアメリカはそれぞれ38位と41位だった。 日本にしろ、イギリスにしろ、アメリカにしろ、「有力」と修飾されたメディアはプロパガンダ機関にすぎない。かつては事実の中に嘘を紛れ込ませていたが、2001年以降、偽情報の氾濫。それでも米英の有力メディアを信じているとするならば、それは思考でなく、米英を盲目的に崇拝する「信仰」の結果だろう。 本ブログでは何度も指摘してきたが、CIAは情報をコントロールするためにメディアを支配する仕組みを作り上げてきた。ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、第2次世界大戦後にアメリカの支配層は情報操作プロジェクトを始めている。その中心にいたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムの4名。このプロジェクトは「モッキンバード」と呼ばれている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) ダレスは元々ウォール街の大物弁護士で、第2次世界大戦ではスイスから工作を指揮していた。ウィズナーもウォール街の弁護士で、ダレスの側近。大戦後、破壊活動(テロ)を実行した極秘機関OPCを率いた人物だ。ヘルムズもダレスの側近で、1966年から73年にかけてCIA長官を務めている。祖父のゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家だった。また、グラハムはワシントン・ポスト紙のオーナーで、義理の父親にあたるユージン・メーヤーは1946年に世界銀行の初代総裁に就任している。 グラハムの妻、つまりメーヤーの娘であるキャサリン・グラハムはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを辞任に追い込んだことで知られ、日本では「言論の自由」を象徴する人物として崇拝している人もいるらしい。その彼女は1988年にCIAの新人に対して次のように語っている: 「我々は汚く危険な世界に生きている。一般大衆の知る必要がなく、知ってはならない情報がある。政府が合法的に秘密を維持することができ、新聞が知っている事実のうち何を報道するかを決めることができるとき、民主主義が花開くと私は信じている。」 ウォーターゲート事件ではワシントン・ポスト紙の若手記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインが取材の中心だった。ウッドワードは元情報将校で、報道に関しては素人。情報源を連れてきただけ。実際の取材はバーンスタインが中心だったようである。 そのバーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後にローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いている。この雑誌しか彼の原稿を受け入れてくれなかったということだ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) バーンスタインによると、その当時、400名以上のジャーナリストがCIAのために働いていたほか、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。 CIAが取り込んだ記者や編集者はアメリカに留まらない。フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、ウド・ウルフコテによると、ドイツを含む多くの国でジャーナリストをCIAは買収、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているという。この話は書籍という形で2014年に内部告発されている。 ところで、「報道の自由度ランキング」を発表している「国境なき記者団」は1985年にフランスで設立された組織。「人権」や「言論の自由」を掲げているのだが、スポンサーは胡散臭い。西側巨大資本がカネ儲けしやすい環境を作るため、自立した体制を揺さぶり、破壊する先兵として活動してきた投機家のジョージ・ソロスが創設した基金、キューバのカストロ体制を攻撃しているCFC(自由キューバ・センター)、CIAの秘密資金を流しているNEDが存在している。いわゆる「パナマ・ペーパーズ」を公表した国際調査ジャーナリスト協会(ICIJ)もソロスやNEDと関係、両組織の背景は同じだ。 国境なき記者団の創設者、ロベ−ル・メナールがCFCから資金を引っ張るときに交渉した相手はオットー・ライヒ。ロナルド・レーガン時代にはニカラグアの反革命ゲリラ「コントラ」を支援する秘密工作に深く関与していた人物で、ラテン・アメリカの軍人を訓練し、アメリカ巨大資本の傀儡である軍事独裁政権を作り上げてきたWHINSEC(治安協力西半球訓練所/かつてのSOA)にも関係している。 こうした背景があるため、必然的にアメリカの支配層から敵視されてる国の評価は低くなる。例えば、ロシアは148位、イラクは158位、イランは169位、キューバは171位、中国は176位、シリアは177位だ。中東、北アフリカ、ウクライナなど国際情勢に関する情報でアメリカやイギリスの嘘を暴いてきたのはロシア、イラン、シリアなどのメディアだった。RSFのランキングはお笑い種だ。 RSFやICIJは胡散臭い組織だと言えるが、見方を変えれば西側支配層を後ろ盾とする権威。日本では「権威」の好きな人が多く、マスコミ社員や活動家も例外ではない。その権威に飛びつく。結果として「大本営発表」に踊らされることになる。
2016.04.20
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アメリカの支配層は現在、傭兵を使って侵略を繰り返している。例えば、中東/北アフリカではワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が利用されていた。ロシアではチェチェン、中国では新疆ウイグル自治区の武装勢力がアメリカ支配層の手先として動いている。 現在、中東で最も注目されている国はシリア。地中海東岸の天然ガス田であり、パイプラインの通過地点としても重要な石油利権のポイント。サウジアラビアのライバルである産油国のイラン、石油と水(チグリス川やユーフラテス川)のイラク、そしてシリアはアメリカ支配層から自立、それも攻撃される大きな要因だ。 1991年にイラン、イラク、シリアの3カ国を5年以内に殲滅すると口にしたのがネオコンの大物で国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)。その年の12月にソ連が消滅、翌年の初めにはウォルフォウィッツが中心になって世界制覇プランを国防総省のDPGの草稿という形で作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 このドクトリンはアメリカが「唯一の超大国」なったという前提で書き上げられ、潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどがライバルに成長することを防ぎ、膨大な資源を抱える西南アジアを支配するとしている。 まずアメリカはNATOを使い、1999年3月にユーゴスラビアを先制攻撃した。その前段階として、1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア、92年にボスニア・ヘルツェゴビナが相次いで独立を宣言、さらにセルビア・モンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成してユーゴスラビア社会主義連邦人民共和国は解体されている。さらにアメリカはコソボを奪ったが、その時に手先として使ったKLA(コソボ解放軍。UCKとも表記)は麻薬取引で資金を調達していた。こうした攻撃を正当化するため、西側の政府やメディアは「人道」や「人権」を掲げていたが、嘘だったことが判明している。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) アメリカがイラクを先制攻撃する口実に使ったのが2001年9月11日の出来事。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。ジョージ・W・ブッシュ政権は本格的な調査をせず、即在に「アル・カイダ」の犯行だと断定、そのトップであるオサマ・ビン・ラディンを匿っているとしてアフガニスタンを攻撃、2003年3月にはアル・カイダ系武装集団を「人権無視」で弾圧していたイラクを先制攻撃した。 サダム・フセイン体制が倒されたイラクでアル・カイダ系の武装集団AQIが誕生する。2006年1月にAQIを中心としてISI(イラクのイスラム国)が編成され、活動範囲がしらに拡大するとIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュとも表記)と呼ばれるようになった。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した報告書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI。このAQIはシリアでアル・ヌスラを名乗っている。つまりAQI、アル・ヌスラ、ダーイッシュの実態は同じであり、「穏健派」は存在しないに等しい。クラーク元欧州連合軍最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語っている。 アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを支える兵站線はトルコからシリアへ延び、この勢力が資金源にしている盗掘石油はシリアやイラクの油田からトルコへ運び込まれている。これらの輸送ルートを守ってきたのはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権だ。このトルコとサウジアラビアは今でもシリアへ軍事侵攻する意思を示している。 年明け後、しばらくの間はアメリカもこうした動きに同調していた。例えば、1月22日にはアシュトン・カーター国防長官が陸軍第101空挺師団に所属する1800名をイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると語り、翌23日にはジョー・バイデン米副大統領が訪問先のトルコでアメリカとトルコはシリアで続いている戦闘を軍事的に解決する用意があると口にしている。 2月にトルコ外相はサウジアラビアの軍用機や人員をトルコのインシルリク空軍基地へ派遣、シリアで地上戦を始めることもできると語り、サウジアラビア国防省の広報担当は、同国の地上部隊をシリアへ派遣する用意があると表明した。その直後にアメリカのカーター国防長官はサウジアラビアの表明を歓迎すると発言している。 アメリカの雰囲気が変化するのは、ヘンリー・キッシンジャーがウラジミル・プーチン大統領と会談するためにロシアを訪問した2月10日。アメリカ政府とロシア政府は2月22日、シリアで2月27日から停戦することで合意したと発表している。当初、アメリカは停戦をダーイッシュをはじめとする武装集団の体勢を立て直すために利用したと思われるのだが、ロシアはこうした武装集団に対する攻撃は継続すると言明している。その条件で合意は成立した。 トルコやサウジアラビア、特にトルコは梯子を外されたような状況。トルコのエルドアン大統領と親しいという安倍晋三政権も同じようなことになりかねない。アメリカという後ろ盾がついているつもりで中国と戦争を始めた後、気づいたら周りに誰もいなかったということはありえる。 世界の近代史を振り返ってみると、日本はアングロ・サクソンに操られてきたとしか思えない。19世紀にイギリスは中国(清)の富を盗もうとしていた。そこで始めたのがアヘン戦争(1840年から42年)とアロー戦争(1856年から60年)。 アヘン取引でイギリス人やアメリカ人は大儲けしたが、そうした会社のひとつがジャーディン・マセソン商会。儲けの大半はアヘンの取り引きによるものだった。この会社が1859年に長崎へ送り込んできた人物がトーマス・グラバー。ほどなくして彼はグラバー商会を設立、長崎のグラバー邸は武器取引に使われた。そこに坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎たちも出入りしていたことが知られている。 1865年にはイギリスが麻薬取引の拠点にしていた香港で香港上海銀行が創設され、66年に横浜へ進出、さらに大阪、神戸、長崎にも支店を開設している。1867年には「大政奉還」、長州藩と薩摩藩を中心とする新政府が誕生した。 この当時、イギリスの支配層は世界制覇を目論んでいたが、そのためには兵力が不足していた。ライバルのフランス、ドイツ、ロシアに対抗するために約14万人の兵士が必要だと見られていたが、実際の兵力は7万人。そこで目を付けられたのが日本で、1902年には「日英同盟協約」が結ばれる。1904年に日本は帝政ロシアと戦争を始めるが、戦費とし約2億ドルを融資したのはロスチャイルド系のクーン・ローブ。この金融機関を率いていたジェイコブ・シフと日銀副総裁だった高橋是清は親しかった。この日露戦争で棍棒外交のセオドア・ルーズベルト米大統領が乗り出した背景もシフと同じだ。 関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼った相手がJPモルガン。ロスチャイルドがアメリカにおける代理人として使っていた金融機関で、その後日本に大きな影響力を持つようになる。1932年に駐日大使として赴任してくるジョセフ・グルーはいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻。戦後、グルーは日本の民主化を止め、ファシズム化へ方向転換させたジャパン・ロビーで中心的な役割を果たすことになる。 簡単に言うと、日本の支配層はアングロ・サクソンが東アジアを侵略する手先として働いてきた。その代償として自分たちの富と地位が約束されてきたのだろうが、アングロ・サクソンの支配システムが揺らいでいる今、日本も梯子を外される可能性がある。
2016.02.29
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ジョー・バイデンがアメリカ大統領に就任する3日前、アメリカの支配者がロシアで作った「民主派キャラ」のアレクセイ・ナワリヌイがロシアへ戻った。 ナワリヌイは昨年8月、シベリアのトムスクからモスクワへ航空機で移動中に倒れて昏睡状態になり、シベリアの都市オムスクへ緊急着陸、そこの病院で治療を受けて回復している。ナワリヌイの側近は彼をすぐドイツへ移動させ、そこから「神経ガス」キャンペーンが始まった。 本ブログではすでに書いたが、オムスクの病院の医師によると、昏睡状態になった原因は低血糖。彼は糖尿病を患っていることから、糖尿病性ショックとも呼ばれる重度の低血糖が原因だと見るのが常識的なのだが、そうした常識を西側は受け入れない。 ナワリヌイの広報担当者は空港のバーで飲んだ紅茶の中に毒が入れられていたと主張しているが、その紅茶を運んで来たのはナワリヌイと一緒に紅茶を飲んでいた人物。これは空港のCCTVで確認されている。 西側の政府や有力メディアはロシアが毒薬を使ったと宣伝してきた。例えば、2018年3月にセルゲイ・スクリパリとユリア・スクリパリの親子に対してイギリスのソールズベリーで「ノビチョク(初心者)」なる神経ガスが使われた宣伝されている。 セルゲイはロシア軍の情報機関GRUの元大佐で、スペインに赴任中の1995年にイギリスの情報機関MI6に雇われ、99年に退役するまでイギリスのスパイとして働いていた。そうした事実が退役後に発覚して2004年12月にロシアで逮捕され、06年には懲役13年が言い渡された。 しかし、2010年7月にスパイ交換で釈放され、それからはソールズベリーで生活。本人もイギリスの当局も命を狙われるような状況にはないと判断していたようで、本名で生活していた。娘のユリアは2014年にロシアへ戻っている。ロシア側にセルゲイを殺す理由は見当たらない。 ノビチョクの毒性は別の神経ガスVXの10倍だとされている。VXガスの致死量は体重70キログラムの男性で10ミリグラム。単純に考えるとノビチョクは1ミリグラムにすぎない。これだけ毒性の強い物質が意図的に使われてターゲットを殺せなかったというのは驚きだ。この親子は退院してユリアは元気な姿をロイター取材陣に見せたものの、その後、行方はわからない。(記事、映像) この世には痕跡を残さずに殺せる毒物が存在、実際に使われていると信じられている。実際、アメリカの私的権力にとって都合の悪い言動をする人物が心臓発作などで死亡するケースは少なくない。発癌性のウイルスが使われているとも言われている。 西側ではスター扱いのナワリヌイだが、ロシアでの支持率は2%にすぎない。ロシア人からは相手にされていない。問題はこの人物の背後にアメリカなど西側の強大な私的権力が存在、その私的権力を後ろ盾としてアメリカ大統領に就任したバイデンが対ロシア戦争を本格化させる雰囲気があることだ。 バイデンが副大統領を務めたバラク・オバマ政権の時代、侵略や体制転覆のため、ムスリム同胞団、ワッハーブ派、ネオ・ナチ、法輪功などを傭兵として使っていた。そうした工作の中心になる組織がCIAだ。 そのCIAが工作資金を流すために使っている定番のルートがNED(国家民主主義基金)やUSAID(米国国際開発庁)。 NEDは1983年にアメリカ議会が承認した「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織で、政府から受け取った公的な資金をNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流しているのだが、そうした資金がどのように使われたかは議会へ報告されていない。CIAの活動内容を明らかにすることはできないからだ。USAIDもクーデターや破壊活動などCIAの秘密工作で名前が出てくる。 バイデン政権でUSAID(米国国際開発庁)の長官に指名されたのはサマンサ・パワー。本ブログでは繰り返し書いてきたが、この人物はスーザン・ライスと同じように「人道」を口実にして侵略戦争を推進してきた。このふたりやヒラリー・クリントンはオバマ大統領に対し、リビア攻撃を強く迫ったことが知られている。 リビアを含む中東から北アフリカにかけての地域でオバマ政権は従属度の低い体制を転覆させ、目障りな人物をドローン(無人機)などで暗殺した。 政権転覆にはムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使ったが、その始まりは2010年8月に出されたPSD-11。この指針を決定したチームにパワーも含まれていた。そのほか2015年から17年までUSAIDの長官を務めたゲイル・スミス、12年から14年までロシア駐在大使を務めたマイケル・マクフォールもメンバーだった。 マクフォールが2012年1月にロシアへ赴任したのは同国の大統領選挙に介入することが目的。大使を辞めたのはウクライナでクーデターを成功させた2104年2月だ。彼がモスクワへ着いた3日後には反ウラジミル・プーチン派のリーダーがアメリカ大使館を訪れている。 その中には「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらがいた。 戦略31はNEDから、モスクワ・ヘルシンキ・グループはNEDのほかフォード財団、国際的な投機家であるジョージ・ソロス系のオープン・ソサエティ、そしてUSAIDから、GOLOSもやはりNEDから資金を得ている。 バイデン政権はオバマ政権やヒラリー・クリントンを支えた勢力を後ろ盾にしている。オバマ政権における対ロシア戦争は成功せず、ロシアと中国を同盟させるという大失敗を犯したのだが、また同じことを目論んでいるようだ。
2021.01.25
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イスラエル当局はアメリカ人ジャーナリストのジェレミー・ロフレドを逮捕した。10月1日にイラン軍は180機以上の弾道ミサイルを発射、イスラエルの軍事基地や情報機関の本部を攻撃した。イスラエル政府は否定しているが、周辺でミサイル攻撃の様子が撮影されたほか、何人かのジャーナリストが着弾地点を実際に調べている。そうした取材、報道していたひとりがロフレドだ。保釈にはなったが、出国は禁止されている。 攻撃された場所はF-35戦闘機を配備するネバティム基地、ハッサン・ナスララをはじめとするヒズボラの指導者を殺害したネツァリム基地、弾道ミサイルのあるテル・ノフ基地、そしてモサドの本部など。ロフレドは、ネゲブのネバティム空軍基地からテルアビブのモサド本部まで、イランのミサイル攻撃を受けた軍事基地や情報機関モサドの本部を訪れて被害を確認している。 このイランによる攻撃はイスラエルに対する報復だった。イスラエル空軍は4月1日にゴラン高原の方向からダマスカスを攻撃してイラン大使館領事部を破壊、IRGC(イスラム革命防衛隊)の特殊部隊コッズの上級司令官であるモハマド・レザー・ザヘディ准将と副官のモハマド・ハディ・ハジ・ラヒミ准将を含む将校7名を殺害、7月31日にはテヘランにいたハマスのイスマイル・ハニヤを暗殺している。 こうした攻撃に対するイラン政府の報復は不可避だと考えられたが、動きは鈍かった。焦らしているとする推測もあったが、イランのマスード・ペゼシュキアン大統領によると、イスラエルを攻撃しなければイランに対する実質的な制裁の解除と、ハマスの条件に沿ったガザでの停戦保証を欧米の当局者は提案、その提案をペゼシュキアは信じというのだが、それが事実ならあまりにもお粗末。愚かすぎた。 そして9月27日、イスラエル軍は南レバノンにバンカー・バスター爆弾(地中貫通爆弾)約85発を投下して破壊。レバノン社会医学協会のライフ・レダ会長はイスラエルがバンカー・バスター爆弾BLU-109の弾頭に劣化ウラン弾を使っている疑いがあると語った。サイード・ナスララをはじめとするヒズボラの幹部が殺されたほか、少なからぬ市民が犠牲になっている。そのイスラエルによる攻撃でペゼシュキアンは目が覚めたのかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.10.13
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アメリカ空軍の空中給油機7機がイギリスに立ち寄った後、カタールのアル・ウデイド空軍基地へ向かったと伝えられている。過去48時間にアメリカ空軍の約12機のKC-135とボーイング767-200がヨーロッパの基地に移されたともいう。イランに対する新たな攻撃が迫っていると推測される中での出来事だけに、注目されている。ウクライナから距離を置き始めたアメリカは中東、東アジア、あるいはベネズエラ沖で軍事的な活動を活発化させている。 イランで現体制を崩壊させることに成功した場合、受け皿としてアメリカやイスラエルが考えているのはクロシュ・レザ・パーレビだと考える人が少なくない。この人物を西側では「民主化運動家」なるタグをつけているが、実態はアメリカやイギリスの帝国主義者の手先にすぎないと考えられている。 父親のモハマド・レザ・パーレビは国王を名乗っていた。陸軍の一将校にすぎなかったモハマドは1921年にテヘランを占領、その4年後にカージャール朝を廃して王位についた。それ以来、レザ・シャー・パーレビを名乗っている。 こうした動きの背景には石油が存在している。1908年5月にペルシャ(イラン)で大規模な油田が発見され、その翌年にAPOC(アングロ・ペルシャン石油)が創設された。同社の発行済み株式のうち51%を保有したのはイギリス政府だ。APOCは1935年にAIOC(アングロ・イラニアン石油会社)へ改名され、54年にはブリティッシュ・ペトロリアムになる。 バーマー石油の会長だったストラスコナ男爵(ドナルド・スミス)がAPOCの会長に就任、イギリスは1919年にペルシャを保護国にした。この動きとモハンマドの動きは連携している。イギリスがペルシャの富を略奪するためにモハンマドの独裁体制は利用された。 イギリスとフランスはロシアを巻き込み、1916年5月にオスマン帝国を分割して植民地化する秘密協定を結んだ。協定作成の中心になったイギリスのマーク・サイクスとフランスのジョルジュ・ピコの名前をからサイクス・ピコ協定と呼ばれている。1917年11月にロシアで十月革命があり、実権を握ったボルシェビキがこの秘密協定を明るみに出した。 協定が結ばれた翌月の1916年6月にイギリス外務省アラブ局はアラブ人を扇動して反乱を起こさせている。その工作で重要な役割を果たしたのがトーマス・エドワーズ・ローレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」だ。ローレンスは1915年に軍情報部へ入っていた。 イランの石油はAIOCを介してイギリスの巨大資本とイランの王族に膨大な利益をもたらすが、これはイラン国民を怒らせることになり、登場してくるのがムハマド・モサデク。その政権はAIOCの国有化を決定するが、イギリスはそれを認められない。イランの富を盗むことでイギリスは成り立っていたのだ。イギリスの圧力でモサデクは1952年7月に辞任するが、庶民の怒りは凄まじく、5日後にはモサデクが首相に返り咲いた。 AIOCは反政府勢力を支援、油田が接収されると石油の生産と輸送を止めることで対抗。それに対してイラン政府はオープン・マーケットで売却しようとしたが失敗、収入が激減して経済状況は急速に悪化した。そこでAGIP(イタリア石油公団)のエンリコ・マッティ総裁に接触。イラン政府とAGIPとの交渉はうまくいくかと思われたのだが、合意には達しなかった。AIOCがマッティに対し、石油の供給を申し入れたと言われている。次にモサデクが選んだ交渉相手がソ連だ。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001) イギリスでは1951年10月にウィンストン・チャーチルが首相へ返り咲いていた。チャーチル政権はイランの内政へ積極的に介入する動きを強めた。イギリスの情報機関はアレン・ダレスに接触、イランでのクーデタに協力するよう求める。 ハリー・トルーマン大統領はクーデター計画に同意しなかったが、ドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任した1953年1月に事態は変わった。アレン・ダレスは2月にCIA長官となるが、その前に兄のジョン・フォスター・ダレスが国務長官に就任、クーデター体制は整った。アイゼンハワー政権でクーデターを強く主張したのはダレス兄弟だ。 ダレス兄弟は共にウォール街の弁護士で、サリバン・アンド・クロムウェルという法律事務所の共同経営者だが、その顧客リストにはAIOCも含まれていた。 結局、3月にアイゼンハワー大統領はクーデター計画を承認、5月にはCIAのエージェントがキプロスでイギリスの対外情報機関MI6のエージェントと会談、アメリカとイギリスは連携してイランのモサデク政権を倒すことになる。両国ら連携してクーデターを実行するが、これをイギリスはブート計画、アメリカはアジャックス計画と呼んでいる。CIAでクーデター計画を推進したのはカーミット・ルーズベルトだ。 クーデター後のイランにける米英の手先として想定されていたのは、言うまでもなく、モハマド・レザ・パーレビだ。そして今、その息子も米英の手先として想定されている。 このクーデタは成功、イギリスは石油利権を守ることに成功したものの、その代償としてアメリカの巨大石油企業をイランへ引き込むことになった。そして1954年、社名はBPへ変更された。**********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.01
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マスコミの支援を受けて安倍晋三政権が成立を目指しているTPP(環太平洋連携協定)はアメリカ国内での反発が強く、どうなるかわからない。ヒラリー・クリントンが大統領になれば弁護士流の屁理屈で成立を目指すだろうが、簡単ではないだろう。 TPPはTTIP(環大西洋貿易投資協定)やTiSA(新サービス貿易協定)とセットで、アメリカを拠点とする巨大資本/企業が協定に参加した国々を支配するシステム。本ブログでは何度も書いているように、ファシズムだ。(注) 安倍政権にはTPP以外の「実績」として、安保関連法制、秘密保護法、マイナンバー制度、量的・質的金融緩和などがある。 安保関連法制は日本をアメリカの戦争マシーンに組み込むことが目的。そのアメリカでは1992年の初め、国防総省のDPG草案という形で世界制覇の基本プランが作成された。そのプランを実行するために不足している戦闘員を補強しようということだろう。 1991年12月にソ連が消滅するとアメリカの支配層は自国が「唯一の超大国」になったと認識、世界に存在する自立度の高い体制、潜在的なライバルを破壊し、力の源泉である資源を支配しようと考えた。潜在的なライバルと見なされたのは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなど。膨大な石油資源を抱える西南アジアも支配の対象とされた。 1994年に国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、日本が自立の道を歩き出そうとしていると警告、それを受けて1995年に発表されたのが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。ここから日本をアメリカの世界制覇戦争へ組み込む準備が始まった。 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、99年には「周辺事態法」が成立し、2000年にはナイやリチャード・アーミテージが中心になって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」が発表される。 2001年9月11日にはニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、それを利用してアメリカ支配層は憲法を仮死状態にし、国外では侵略戦争を本格化させた。そして2002年に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。その延長線上に安保関連法制はある。 2003年3月にアメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃したときもそうだったが、戦争は嘘と共にやって来る。その嘘を広める役割を負っているのがメディアだ。その後、アメリカをはじめとする西側メディアは侵略戦争を正当化するため、偽情報を流し続けているが、ロシアが立ちふさがり、アメリカ支配層の世界制覇はまだ実現していない。時間の経過と共にメディアの嘘を知る人は増え、無惨なことになった。それでも西側、特にアメリカや日本のメディアは形振り構わず嘘をつき続けている。 アメリカの支配層は自国だけでなくターゲット国のメディアもコントロールしているのだが、それでも心配なのか、安倍政権は秘密保護法を成立させた。これは自分たちの悪事を隠すことも目的だろう。自分たちの刃向かう人間を見つけ、排除することをアメリカでも日本でも支配層は願う。そのために個人情報を集め、分析する必要があり、マイナンバー制度はそのために使われるはずだ。 安倍政権が宣伝している「アベノミクス」の柱。以前にも本ブログで書いたが、これは資金を世界の投機市場へ流し込むだけで、日本全体の景気を良くすることはない。豊かになるのは世界の巨大企業や富裕層だけである。そうした人びとに日本の庶民は「喝上げ」されているとも言える。 こうした政策を推進してきた安倍政権を支持するということは、日本をファシズム化、自分たちは監視されながら支配層に従い、貧困化など気にせずにカネを貢ぎ続け、アメリカの侵略戦争に協力して命まで捧げることを意味する。そうした日本人が半数近くいるらしい。【注】「ムッソリーニにとってのファシズム」 ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。「ルーズベルトにとってのファシズム」 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
2016.06.23
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ロシア軍がチェルノブイリ原発を制圧したと伝えられている。攻撃されない場所を拠点にするためだとする人もいるが、現在の状況はロシア軍が圧倒している。ロシア軍によると、ウクライナ軍の軍事施設74カ所をミサイルで破壊、ボロディミル・ゼレンスキー大統領はウクライナが孤立していると訴えていると伝えられている。ウクライナの一部勢力が原発を「ドゥームズデイ・マシーン」として使う、つまり放射性物質を環境中へ撒き散らすことを防ぐ、あるいは撒き散らすと脅すことを防ぐ意味もあるだろう。 ロシアのウラジミル・プーチン政権が軍事作戦の実行を決断したのはアメリカのウェンディ・シャーマン国務副長官とロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官がジュネーブで安全保障問題について話し合った1月10日の後だろう。 プーチン政権はアメリカ/NATOに対し、ウクライナをNATOへ加盟させず、モスクワを攻撃するシステムをロシアの隣国に配備しないように求めているほか、ロシアとの国境近くで軍事演習を行わず、NATOの艦船や航空機をロシアへ近づけないようにとも言っている。さらに定期的な軍同士の話し合いを実施、ヨーロッパへ中距離核ミサイルを配備しないことも要求。そして、それらを保証する文書を作成するように求めている。 こうしたロシア政府の要求をアメリカ政府は拒否、リャブコフ次官は交渉が袋小路に入り込んだと表現した。双方の問題への取り組み方が違い、交渉を再開する理由が見つからないともしている。この段階でロシアはアメリカ/NATOとの交渉に見切りをつけたと見られたが、その後も会談は続いた。 シャーマンとリャブコフが会談する直前、1月2日にカザフスタンの旧首都アルマトイで暴力的な反政府活動が始まり、暴動へエスカレートする。救急車やパトカーが放火されるだけでなく、市庁舎も放火される事態になった。この地区では非常事態が宣言され、夜間外出禁止令が出されている。 その際、カシムジョマルト・トカエフ大統領は外国が介入していると非難、CSTO(集団安全保障条約)に平和維持部隊を派遣するように求め、認められた。CSTOの動きは迅速で、短時間に暴動を沈静化させることに成功、撤退していった。なお、CSTOの加盟国はカザフスタンのほか、アルメニア、ベラルーシ、キルギスタン、ロシア、タジキスタンが含まれている。 何者かがクーデターを目論んだと見られているが、失敗に終わった。1月6日にはカザフスタンの安全保障会議で議長を務めていたカリム・マシモフが解任され、反逆罪で逮捕されたと伝えられている。未確認情報として、ヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領の甥も反逆罪で拘束されたともいう。 1月10日には取り調べを受けていた治安当局の大佐が飛び降り自殺、やはり捜査の対象になっていたジャンブール州の警察署長も自殺したと伝えられている。暴動の背後には大きな組織、あるいは国が存在していた可能性がありそうだ。カザフスタンでトカエフ政権が倒され、親米政権が誕生していたならシャーマンとリャブコフの会談でアメリカは優位に立てただろう。 その後、1月14日にホワイトハウスの報道官を務めているジェン・サキはロシア政府がウクライナの東部地区、つまりドンバス(ドネツクやルガンスク)の周辺で「偽旗作戦」を行おうとしているとする情報があると発言したが、ウクライナで戦争の準備を進め、挑発的な行為を続けてきたのはアメリカにほかならない。これは本ブログでも繰り返し書いてきたことだ。 昨年11月にアントニー・ブリンケン国務長官がロシアを恫喝、ロード・オースチン国防長官はウクライナを訪問。この月にはネオ・ナチの一派である「右派セクター」を率いるドミトロ・ヤロシュを参謀長の顧問に就任させたと伝えられている。ウクライナの親衛隊はヤロシュの部下がコントロールしている。 そして11月30日にプーチン大統領はNATOがウクライナの「レッド・ライン」を超えたなら、ロシアは行動せざるを得ないと警告した。ウクライナに超音速ミサイルが配備されたなら、5分でモスクワへ到達すると指摘、そうしたことは容認できないとしたわけだ。その後、プーチンはロシアにも自衛の権利があると発言している。 昨年12月にはアメリカ軍の偵察機が黒海の上空を何度も飛行、民間航空機の飛行ルートを横切るなどロシアに対する脅しを繰り返し、ウクライナ軍はアメリカ製の兵器を誇示してロシアを挑発した。そして12月の終わりにバイデン政権はウクライナに対する2億ドルの追加支援を承認する。そしてカザフスタンのクーデター未遂だ。 アメリカやNATOは1月7日にロシアが設定した「レッド・ライン」を拒否、1月13日にジェイク・サリバン国家安全保障補佐官はロシアがウクライナへ軍事侵攻する可能性が高いと発言する。 それに対し、1月24日にウクライナの国防大臣がロシアの軍事侵攻は迫っていないと発言、26日には外務大臣がロシアはいつでも攻撃できるとした上で、全面侵攻する準備はしていないと語った。有力メディアの「予定稿」にどう書いてあったか不明だが、ロシアの攻撃を全面侵攻と言うことはできない。ゼレンスキー大統領は、軍事侵攻が迫っているとする警告はウクライナ経済を危険な状態にしているとしていた。 クリミアを含むロシア南部で演習していた部隊が所属基地へ戻り始めたと2月15日に伝えられたが、2月17日にはウクライナ軍によるドンバス(ドネツクやルガンスク)へのミサイル攻撃が激しくなり、学校も標的になっていたことが現地での取材で判明している。そこでドンバスの住民はロシアへ避難したという。 2月18日にウクライナ国家安全保障国防会議の議長を務めるオレクシー・ダニロフは「ドンバス解放」の命令は出ていないと発言しているが、攻撃は始まっていた。ロシアはウクライナの軍や親衛隊への命令がNATOの司令部から出ていると考えているようだ。 そして2月21日、プーチン大統領はドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認、ウクライナに対し、クリミアとセバストポリがロシア領だと認めること、次にウクライナはNATO加盟を断念すること、第3にルガンスクと入植について話し合うこと、最後にウクライナは非武装化(攻撃的な軍事施設や兵器を持たない)して中立を宣言することを求めた。 バラク・オバマ時代からロシアとの軍事的な緊張を煽ってきたアメリカ/NATOだが、今のところロシアとの軍事的な衝突は避けている。アメリカ軍の上層部がロシア軍との軍事衝突を認めないだろうが、結果としてウクライナは孤立した。こうした状況を作ったアメリカの好戦派(いわゆるチキン・ホーク)を世界の人びとは見ている。
2022.02.25
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今から38年前の8月12日に日本航空の123便が群馬県南西部の山岳地帯、いわゆる「御巣鷹の尾根」に墜落、乗員乗客524名のうち520名が死亡した。運輸省航空事故調査委員会はボーイング社の修理ミスで隔壁が破壊されたことが原因だと主張しているが、再現実験で調査委員会のストーリーは無理だということが確認されている。医学的にありえないのだ。 その墜落から10年後の1995年8月、アメリカ軍の準機関紙である「星条旗」は日本航空123便に関する記事を掲載した。墜落の直後に現場を特定して横田基地へ報告したC-130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づいている。 その記事によると、大島上空を飛行中にJAL123の異常に気づいたC-130のクルーは横田基地の管制から許可を受けた上で日航機に接近を図り、墜落地点を19時20分に特定、基地に報告している。運輸省に捜索本部が設置する25分前のことだ。つまり、日本の当局が捜索を始めた時点で日本政府は日航機の墜落現場を正確に把握していたはずである。 C-130からの報告を受け、厚木基地から海兵隊の救援チームがUH-1ヘリコプター(ヒューイ)が現地に向かい、20時50分には現地へ到着し、隊員を地上に降ろそうとする。 ところが、この時に基地から全員がすぐに引き上げるように命令されたという。日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。 しかし、その後もC-130は現場の上空を旋回、21時20分に航空機が現れたことを確認、日本の救援部隊が到着したと判断してその場を離れるのだが、日本の捜索隊が実際に墜落現場に到着したのは翌日の8時半だ。10時間以上の間、自衛隊は何をしていたのだろうか。 墜落後、アメリカ軍の内部では、この出来事に関する話をしないように箝口令が敷かれたというのだが、墜落から10年後にアメリカ軍の準機関紙はその話を掲載した。軍の上層部が箝口令を解除したということだろうが、その理由は何なのか? 記事が掲載される前、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、その中で10万人規模の駐留アメリカ軍を維持するだけでなく、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。沖縄ではこの報告に対する怒りのエネルギーが高まった。普天間基地の返還合意が発表されるのは1996年4月のことだ。 ナイ・レポートが発表された翌月、帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、國松孝次警察庁長官が狙撃された。そして自衛隊がJAL123便墜落に関係していることを示唆する星条旗紙の記事。その後、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。
2023.08.13
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ロシアのウラジミル・プーチン大統領はイゴール・キリロフ中将の暗殺について、ロシアの治安当局者が攻撃を見逃すという重大なミスを犯したと批判している。キリロフの居住地や行動パターンを実行者に教えるなど支援のネットワークがモスクワに存在している可能性が高く、またCIAやMI6のような情報機関が関与していた疑いが濃厚で、そうした情報機関の動きを把握できていなかったと言えるだろう。 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が2020年10月にイギリスを公式訪問した際、ロンドンでイギリスの対外情報機関MI6のリチャード・ムーア長官と会談している。その際、ムーアから情報が漏れていると指摘され、ゼレンスキーの周辺にはイギリス人スタッフが配備されたと言われている。 自宅から出てきたイゴール・キリロフ中将は玄関近くに停められていたスクーターに仕掛けられた爆発物によって12月17日に暗殺された。容疑者はウズベキスタンのダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)と定期的に接触していたと伝えられているが、そうした背景を持つ人間をロシア当局が見逃していたとも言える。たとえ見逃していたとしても、建物の出入り口に監視システムを設置し、警備員を常駐させるべきだったと指摘する人が少なくない。 ロシア軍の放射線・化学・生物防衛部隊を率いていたキリロフ中将が行っていたことの重要さをロシア側は正しく認識していなかったのかもしれない。アメリカの国防総省は私的権力と手を組み、ウクライナで生物化学兵器の研究開発を進めていたが、その中にはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)の問題も含まれていた。 生物化学兵器の研究開発で国防総省と手を組んでいるのはアメリカの民主党、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、クリントン財団、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティと投資ファンド、ロックフェラー財団、エコヘルス・アライアンス、ハンター・バイデンのローズモント・セネカ・パートナーズが含まれるという。医薬品会社は国際安全基準を回避しながら医薬品の試験をするためにウクライナを利用、その見返りとして製薬会社は民主党に寄付していたという。 中国の武漢病毒研究所はこうしたアメリカ国防総省を中心とするシステムの一部にすぎないが、このシステムは研究所だけでなく、中国政府の内部にも入り込んでいる。 COVID-19騒動の幕開きは2019年12月、中国の湖北省武漢の病院でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見されたところから始まる。患者から回収されたサンプルが「上海市公共衛生臨床中心」の張永振へ送られて検査したところ、すぐに「新型コロナウイルス」が発見され、そのウイルスが病気の原因だと断定されたとされている。 中国で伝染病対策の責任者を務めている疾病預防控制中心の高福主任は2020年1月22日、国務院新聞弁公室で開かれた記者会見の席上、武漢市内の海鮮市場で売られていた野生動物から人にウイルスが感染したとする見方を示した。この仮説を有力メディアは世界へ拡げた。 高福は1991年にオックスフォード大学へ留学して94年に博士号を取得、99年から2001年までハーバード大学で研究、その後04年までオックスフォード大学で教えている。また、NIAID(国立アレルギー感染症研究所)の所長を務めてきたアンソニー・ファウチの弟子とも言われている。 2022年2月にロシア軍はウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設を攻撃し始め、機密文書を回収、そうした文書の分析からアメリカの国防総省に所属するDTRA(国防脅威削減局)がウクライナ国内で生物兵器の研究開発を進めていたことをつかんだ。 分析結果をロシア軍核生物化学防護部隊のイゴール・キリロフ中将は2022年3月7日に公表したが、それによると、研究開発はDTRAから資金の提供を受け、CBEP(共同生物学的関与プログラム)の下で進められたという。ウクライナにはアメリカのDTRAにコントロールされた研究施設が約30カ所あったとされている。 2023年4月にはロシア議会が報告書を発表したが、それから間もなくしてキリロフはインタビューに応じ、国家と「大手製薬会社」が世界を支配するために生物学的危機を作り出し、政府の権限を拡大、そうした作戦に付随して製薬会社は数兆ドルの利益を手にしたと語っている。そうしたことを示す証拠をロシア政府は国連に何度も提出したが、アメリカの拒否権で封じ込まれたという。 キリロフ中将は12月17日に暗殺されたが、その直前、11日にバイデン政権はCOVID-19に関連した大手製薬会社やmRNAワクチン・メーカーの責任を免除するため、PREPA(公共準備緊急事態準備法)に基づく宣言を2029年12月31日まで延長している。つまり、ドナルド・トランプが大統領を務めている間、製薬会社やワクチン・メーカーは守られ、被害者は守られないということだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.12.20
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9月11日には世界の流れを変えるような大きな出来事が引き起こされている。1973年にチリでは、サルバドール・アジェンデ政権をアメリカのヘンリー・キッシンジャー国家安全保障補佐官に操られたオーグスト・ピノチェトの部隊がクーデターで倒し、2001年にはニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。 クーデター後のチリでは初めて新自由主義経済が導入され、富はアメリカの巨大企業へ流れ、その手先が富を築いた。その「実験」を経てイギリスのマーガレット・サッチャー首相が自国へ導入、それまでの社会システムを崩壊させた。2001年の9/11はアメリカ国内を刑務所化する「PATRIOT法(テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化する2001年法)」の導入や侵略戦争の本格化の切っ掛けとして使われている。 PATRIOT法は340ページを超す代物なのだが、それを議会は提出されて1週間で承認、憲法の機能を停止させてしまった。その結果、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになり、国内の治安機能を強化するため、2002年10月にはUSNORTHCOM(アメリカ北方軍)が設置された。 社会の収容所化は第2次世界大戦が終わって間もない頃、核戦争を想定して計画されているが、大きな節目は1982年のNSDD55。この指令によって戒厳令プロジェクトであるCOGが承認され、NPO(国家計画局)が創設された。 COGの内部は上部組織と下部組織に分かれ、「プロジェクト908」と呼ばれる上部組織にはジョージ・H・W・ブッシュ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジーたちが含まれていた。下部組織は「フラッシュボード」と呼ばれ、ホワイトハウスの役人、将軍たち、CIAの幹部、引退した軍人や情報機関員など数百人で編成された。(New York Times, April 18, 1994) このプロジェクトの基盤になったのはソ連を先制核攻撃する計画。例えば、1957年にはドロップショット作戦が作成され、それに合わせて沖縄の軍事基地かが推進され、アレゲーニー山脈の中、ウエストバージニア州のグリーンブライア・ホテルの地下には「地下司令部」が建設されている。いわゆるグリーンブライア・バンカーだ。この地下司令部は1990年代の前半に放棄され、ペンシルベニア州のレイブン・ロック山コンプレックスに新たな地下司令部が建設されている。いわゆるサイトRだ。 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出され、始動する条件が「国家安全保障上の緊急事態」に変更されている。核戦争が勃発しなくても支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。そして2001年9月11日にその緊急事態が起こる。 その日、世界貿易センターやペンタゴンに旅客機が突入、センターのツイン・タワーや7号館は爆破解体のように崩壊した。その不自然な崩壊から爆発物が仕掛けられていたと考える人もいる。 そこで注目されたのが1993年2月26日の事件。その日、世界貿易センターのノース・タワーにある地下駐車場に仕掛けられていた爆弾が遠隔操作で爆破される。これはラムジ・ユセフたちによる仕業だった。 ノース・タワーを倒し、サウス・タワーも破壊する計画だったが、建造物で最も弱いはずの地下を破壊してもノース・タワーはびくともしなかった。勿論、サウス・タワーも倒れていない。 その翌年の9月11日にはフランク・ユージン・コーダーなるトラックの運転手が盗んだセスナ150でホワイトハウスのサウス・ローンに突っ込み、本人は翌日に死亡。1995年2月には12機の旅客機を爆破する「ボジンカ計画」が阻止され、4月19日にはアメリカのオクラホマ州にある連邦政府ビルが爆破されて169名が死亡(ひとりは身元不明)した。 ノース・タワーでは地下駐車場が爆破された後、1994年から2000年にかけてACEエレベーターが貿易センターのエレベーター・システムの改良工事を実施(George W. Grundy, “Death of a Nation,” Skyhorse, 2017)、ストラテセク社は1996年から2000年にかけてビルの治安システムを導入するための工事を実施した。こうした工事を利用すれば、どのような仕掛けでも作れるだろう。 2001年の9/11ではサウジアラビアとイスラエルに疑惑の目が向けられていた。オサマ・ビン・ラディンの兄弟のひとりであるシャフィグは9月11日にジョージ・H・W・ブッシュやジェイムズ・ベイカーと会っていたほか、後にサウジアラニアの情報機関である総合情報庁を率いることになるバンダル・ビン・スルタンはアメリカ駐在大使として赴任中で、2005年9月までその職についていた。バンダルの後任大使、トゥルキ・ビン・ファイサル・アル・サウドは2001年8月31日、つまり9/11の11日前まで総合情報庁の長官を務めていた。 9月11日には140名のサウジアラビア人を乗せたチャーター機がアメリカを飛び立っているが、その中には24名のビン・ラディン家の人間も乗っていた。その航空機の搭乗者のひとり、アーメド・ビン・サルマンは9/11を事前に知っていたと後に語っているが、2002年7月に43歳の若さで心臓発作のために急死した。 9/11の前後に「イスラエル人美術学生」が逮捕されていることも話題になった。イギリスのテレグラフ紙によると、攻撃の前に140名のイスラエル人が逮捕され(Telegraph, March 7, 2002)、ワシントン・ポスト紙によると、事件後に60名以上が逮捕されている。(Washington Post, November 23, 2001)合計すると逮捕者は200名に達し、その中にはモサドのメンバーも含まれていた。後に全員が国外追放になる。 アメリカ国内に犯人はいると考える人も少なくないが、そのグループが国外の人間と連携した可能性もある。大々的に宣伝されたハイジャック話は信憑性が低い。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.09.12
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日本で「極右」を装っている人びとは第2次世界大戦で敗北する前における日本の在り方を肯定すると同時に、アメリカに従属している。これは矛盾だと主張する人がいるのだが、そうした人は戦前の日本がアメリカから自立していたと考えているのだろうか。本ブログで繰り返し書いてきたように、明治維新以降、日本の天皇制官僚構造は天皇を神と崇めるカルトであると同時に、アングロ・サクソン勢力の影響下にあったのだ。 明治維新によって徳川体制から明治体制へ移行した。1867年に「大政奉還」する前からイギリスの武器/麻薬承認であるジャーディン・マセソンが日本で暗躍していた。 この会社は中国(清)の茶や絹をイギリスへ運び、インドで仕入れたアヘンを中国へ持ち込んむという商売をして大儲けしていた。19世紀に麻薬取引を支配していたのは同社と「東方のロスチャイルド」ことサッスーン家だ。 麻薬取引を中国に受け入れさせるために行われたのが第1次アヘン戦争(1839年9月から42年8月)と第2次アヘン戦争(1856年10月から60年10月)。この戦争をビクトリア女王にさせたのは反ロシアで有名な政治家、ヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)にほかならない。2度のアヘン戦争でイギリスは勝利したわけだが、これは海戦でのことにすぎず、内陸部を制圧する戦力をイギリスは持っていなかった。 ジャーディン・マセソンは1859年に長崎へトーマス・グラバーを、横浜へウィリアム・ケズウィックをエージェントとして送り込む。歴史物語ではグラバーが有名だが、大物はケズウィック。母方の祖母は同社を創設したひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉なのである。 グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州の若者5名をイギリスへ留学させることにする。選ばれたのは井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)だ。 この5名は1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンにほかならない。1861年に武器商人として独立したグラバーも密航の手助けをしているが、ケズウィックは1862年にジャーディン・マセソンの共同経営者となるために香港へ戻っていた。 薩摩も1865年に留学生15名をイギリスへ派遣している。ここでも渡航のために船を手配したのはグラバーにほかならない。その留学生の中には五代友厚、森有礼、長沢鼎も含まれていた。年少の長沢以外はロンドン大学へ入学した。 その後、薩摩からの送金が途絶えたことから9名の留学生は帰国したが、長沢や森を含む6名はアメリカへ渡り、ニューヨークに拠点があった心霊主義を信奉するキリスト教系団体「新生兄弟」へ入る。 何人かはすぐに離脱したが、長沢と森は残った。その森も1868年に帰国したが、長沢ひとりは残る。のちに教団を率いることになるが、1890年代前半に解散している。その一方、ワシンの醸造所を建設してビジネスは成功、「ワイン王」とも呼ばれている。 森は文部大臣に就任、「教育勅語」を作るなど天皇カルト体制の精神的な基盤を作るが、その一方、森の下、日本へ迎えられたルーサー・ホワイティング・メーションを中心に唱歌が作られる。安田寛によると、その目的は日本人が讃美歌を歌えるようにすることにあった。(『唱歌と十字架』音楽之友社、1993年) 日本の中国侵略は1872年に琉球を併合した時から始まる。「維新」で誕生した明治体制は琉球併合の後、1874年に台湾へ派兵、1875年に江華島へ軍艦を派遣、そして1894年の日清戦争、1904年の日露戦争へと進んだが、こうした侵略はアメリカやイギリスの外交官に煽られてのことだった。自覚していたかどうかはともかく、明治体制はアメリカやイギリスの手先として動いていたのだ。 日露戦争は1904年2月8日、日本軍が仁川沖と旅順港を奇襲攻撃したところから始まる。その際、日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。 この戦争について、セオドア・ルーズベルト米大統領は日本が自分たちのために戦っていると語り、日本政府の使節としてアメリカにいた金子堅太郎はアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。1910年に日本が韓国を併合した際、アメリカが容認した理由はこの辺にあるだろう。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) 東京周辺は1923年9月1日、巨大地震に襲われた。その損害額は55億円から100億円に達したと言われているが、その復興資金の調達を日本政府はウォール街を拠点とする巨大金融機関のJPモルガンに頼った。それ以降、この巨大金融機関は日本の政治経済に大きな影響力を持つことになる。 当時、アメリカもウォール街の金融資本に支配されていたのだが、その構造を揺るがす出来事が1932年にあった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。 そこで、JPモルガンをはじめとするウォール街の住人はニューディール派を排除するためにクーデターを計画するが、これは海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将によって阻止された。その経緯は本ブログで繰り返し書いてきた。 フーバーは大統領の任期を終える直前の1932年にジョセフ・グルーを駐日大使として日本へ送り込んだ。グルーのいとこ、ジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻であり、グルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。 関東大震災の復興資金調達の結果、日本の政治や経済をアメリカの巨大金融資本JPモルガンの影響下に入った。そして日本では治安維持法によって思想弾圧が強化され、「満蒙は日本の生命線」と言われるようになるのだ。 1927年5月に日本軍は山東へ派兵。1928年6月に関東軍は張作霖を爆殺し、31年9月に柳条湖で南満州鉄道を爆破、中国東北部を制圧することになる。いわゆる「満州事変(九一八事変)」の勃発だ。 その後、軍事的な緊張が高まり、一触即発の状況になり、1937年7月に「盧溝橋事件」が起こる。二・二六事件の結果、米英金融資本に反発していた軍人が粛清されたのはその前年、1936年2月のこと。 1937年12月に日本軍は南京を制圧する。上海派遣軍の司令官として南京攻略戦を指揮した朝香宮鳩彦は昭和天皇の叔父にあたる人物だ。 この攻撃で日本兵は住民を虐殺するなど残虐行為を働いたと報告されているが、日本軍は組織的な財宝の略奪作戦「金の百合」を始めた。指揮したのは秩父宮雍仁、その補佐役は竹田宮恒徳だ。 その後も略奪作戦は続き、財宝はフィリピンに集積した後、日本へ運ばれるが、途中で戦局が悪化して輸送が困難になり、相当部分がフィリピンに隠された。運び出しに成功した金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003) 日本が降伏すると、アメリカ軍のエドワード・ランズデール大尉(当時)は1945年10月中旬、財宝の隠し場所を日本軍の捕虜から聞き出すことに成功した。 ランズデールは戦時情報機関OSSのメンバーだったが、彼がフィリピン入りした直後にOSSは廃止になり、ランズデールを含むOSSの50名はチャールズ・ウィロビー少将が率いるフィリピンのG2(アメリカ陸軍の情報部門)へ配属になる。財宝の隠し場所を聞き出した時、ランズデールはG2に所属していた。 ランズデールはその情報を東京にいたダグラス・マッカーサー元帥、ウィロビー少将、そしてGS(民政局)のコートニー・ホイットニー准将に報告、さらにワシントンDCへ行き、ジョン・マグルーダー准将に説明している。ランズデールをフィリピンへ行かせたのはこのマグルーダーにほかならない。マグルーダー准将はウィリアム・ドノバンOSS長官の部下だった。マグルーダー准将の指示で、ランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当していたスタッフにも会っている。 金の百合の回収が進められていた頃、ヨーロッパでは「ナチ・ゴールド」が回収されていた。ジョン・ロフタスとマーク・アーロンズによると、ナチがヨーロッパで略奪した資金はドノバンのWCC(世界通商)でロンダリングされ、戦後にタイへ運ばれたという証言もある。(John Loftus & Mark Aarons, “The Secret War against the Jews”, St. Martin’s Press, 1994) 1946年にドノバンがイギリス人の仲間と設立した会社がWCC。そのイギリス人、ウィリアム・スティーブンソンは大戦中、BSC(英国安全保障局)の責任者だった。ここはイギリスの対外情報機関MI-6の下部組織で、アメリカの情報機関との連絡を担当していた。戦後も米英両国が情報活動で協力することを目的としてWCCは作られたという。 WCCの背後には経済界の大物が名を連ねていた。その中にはネルソン・ロックフェラー、ジョン・マックロイ、あるいはゴールドマン・サックスに君臨していたシドニー・ワインバーグ、アヘン取引で富を築いて香港上海銀行を創設した一族のビクター・サッスーンなども含まれている。(Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010) 日本軍から得た情報にも続いて財宝の掘り出し作業が始まり、1945年から47年にかけてフィリピンで回収された金塊は42カ国の銀行の176口座に分散して預けられ、「ブラック・イーグル・トラスト」と呼ばれる秘密の基金が創設されたという。シーグレーブによると、後にイギリスの金融関係者も同トラストに参加した。 戦後日本を仕組みを決めたのはウォール街を後ろ盾とするジャパン・ロビーだが、その中心には元駐日大使でモルガン人脈のジェセフ・グルーがいた。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.06
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ロシアのアヴィアコン・ジトトランスに所属するIl-76TD輸送機がベネズエラに着陸した。この会社はロシア軍や傭兵会社ワグナーの貨物を輸送したとしてアメリカから「制裁」されている。ベネズエラにはロシア製の防空システムなどがすでに運び込まれていると考えられるが、さらに兵器を持ち込んでいる可能性がある。対艦ミサイルが配備するかもしれない。地上作戦も予想されていることから、ワグナーの戦闘員が輸送されたとも考えられている。 今年5月にモスクワで署名されたロシアとベネズエラの「戦略的パートナーシップ及び協力に関する協定」がロシアで数日前に批准された。この協定はエネルギー、鉱物資源の採掘、輸送、通信を含む政治経済分野、安全保障、テロ対策、過激主義対策における二国間協力を強化するものだとされている。 その間、8月中旬にアメリカのドナルド・トランプ大統領は、認石油埋蔵量が世界最大であるベネズエラの沖へアメリカ海軍の駆逐艦3隻を派遣、軍事侵攻する姿勢を見せた。 ロシアの石油を奪うことに失敗、中東ではイランの体制を転覆させられず、中国との資源戦争で負けているアメリカとしては、ニコラス・マドゥロ政権を倒してベネズエラを征服するしかないのかもしれないが、軍事侵攻すればロシアとの戦争に発展する可能性がある。 ベネズエラの刑務所で誕生したという犯罪組織トレン・デ・アラグアを艦隊派遣の口実にしているが、これは2003年3月にイラクへ軍事侵攻する際に使われた「大量破壊兵器」を思い出させる。この大量破壊兵器話は嘘だった。アメリカの有力メディアがトレン・デ・アラグアを初めて取り上げたのは2024年6月のことで、その頃にはベネズエラへの軍事侵攻作戦が作成されていたのだろう。 アメリカのような帝国主義国は植民地を支配するために代理人を使う。その代理人を「シャボス・ゴイム」と呼ぶ人もいるが、ニカラグアのソモサ一族もそのような役割を演じていた。その独裁体制が1979年7月、サンディニスタによって倒され、アメリカを拠点とする巨大資本の利権が揺らぐ事態になった。そこで、CIAは革命政権を倒す秘密工作を開始する。 CIAは反革命軍を編成したが、それにはソモサ体制の武装集団、国家警備隊の隊員を再編成したFDN(ニカラグア民主戦線)、元サンディにスタのエデン・パストーラをリーダーとするARDE(民主的革命同盟)が含まれていた。 こうした秘密工作を実行する際、工作資金としてCIAは麻薬取引を利用してきた。例えば、ベトナム戦争の時には東南アジア(黄金の三角地帯)のヘロイン、アフガン戦争の際にはパキスタンからアフガニスタンにかけてのヘロイン、そしてラテン・アメリカではコカインだ。その源流はイギリスが中国を侵略するために仕掛けたアヘン戦争だと言えるだろう。 1980年代に入るとアメリカではコカインの流通量が急拡大した。イギリスのオブザーバー紙によると、チリの独裁者オーグスト・ピノチェトの側近たちも関係していたようだ。言うまでもなく、ピノチェトの背後にはアメリカの国家安全保障補佐官だったヘンリー・キッシンジャーがいて、キッシンジャーの命令でCIAの秘密工作部門が動き、1973年9月11日に軍事クーデターを成功させ、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒している。 そのピノチェト体制の軍隊と秘密警察は膨大な量の麻薬を1980年代初頭からヨーロッパへ密輸出、その量は96年と87年だけで12トンに達すると言われている。その密輸を監督していたのは、ストックホルムとマドリッドのチリ大使館に赴任していた秘密警察の担当官だとオブザーバーは伝えている。稼いだ資金はチリの支配者を富ませ、秘密警察SNI(1977年まではDINA)の活動資金になった。 CIAとコントラが麻薬取引に関係しているとする話を最初に伝えたのはAPの記者だったロバート・パリーとブライアン・バーガーであろう。ふたりはコカイン取引の話を嗅ぎつけた。 ふたりは取材を通じ、マイアミのエビ輸入会社「オーシャン・ハンター」がコカイン取引に関係している疑いを持つ。コスタリカの姉妹会社「プンタレナス冷凍」から運ばれてくる冷凍エビの中にコカインが隠されているという噂を耳にしたのだ。この噂が事実だということは、後にアメリカ上院外交委員会の調査で明らかにされた。 コントラ関係者の証言を基にして、コントラが資金調達のためにコカインを密輸しているとする記事をパリーたちは1985年に書いたが、AP本社の編集者がふたりの記事に反発、お蔵入りになりかかる。ところが「ミス」でスペイン語に翻訳され、ワールド・サービスで配信されて世界の人びとに知られることになった。 その後、サンノゼ・マーキュリー紙のゲーリー・ウェッブ記者の書いたコカインとコントラを明らかにする連載記事『闇の同盟』が1996年8月に掲載された。 当初、有力メディアはこの記事を無視していたが、公民権運動の指導者やカリフォルニア州選出の議員はCIA長官だったジョン・ドッチに調査を要求し始めると状況は一変した。ウェッブを攻撃し始めたのだ。 コカインが蔓延していたロサンゼルスではジャーナリストや研究者だけでなく、警察官もCIAと麻薬との関係を疑っていた。1980年代になるとロサンゼルス市警は麻薬取引の中心人物を逮捕するために特捜隊を編成、87年に解散した。その直後からアメリカの司法省は麻薬業者ではなく警察官を調べはじめ、その警察官は1990年頃、税務スキャンダルで警察を追放されてしまう。CIAの存在に気づいていた特捜隊の隊員は目障りだったのだろう。 CIAとコカイン取引の関係を疑う声は広がり、ドッチ長官は内部調査の実施を約束せざるをえなくなる。そして1998年1月と10月、2度に分けて公表された。CIA監察室長による報告書、いわゆる『IGレポート』である。内部調査だという限界はあるが、10月に出た『第2巻』では、CIA自身がコントラとコカインとの関係を認めた。 APの記事はアメリカの議会を動かすことになり、上院外交委員会の『テロリズム・麻薬・国際的工作小委員会(ジョン・ケリー委員長)』が1986年4月、麻薬取引に関する調査を開始。1989年12月に公表された同委員会の報告書でもコントラと麻薬業者との深い関係が明確に指摘されていた。 ドナルド・トランプ大統領が本当に麻薬密輸を根絶させたいと思っているのなら、ラングレーを攻撃しなければならない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.30
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モスクワのトロエクロフスコエ墓地で破壊工作グループがセルゲイ・ショイグ安全保障会議書記を暗殺しようと計画、それをFSB(連邦保安庁)が阻止したと11月14日に発表された。花瓶に偽装された爆弾を国外からの遠隔操作で作動させる仕掛けになっていたようだ。 爆弾を仕掛けようとしたグループには中央アジアからの不法移民、麻薬中毒で有罪判決を受けたロシア人ふたり、そして殺人と武器密売の容疑でロシアが指名手配していたキエフ在住の人物が含まれ、その容疑者とウクライナの情報機関GURの工作員が連絡を取り合っていたことが判明したとされているが、その背後からアメリカやイギリスの情報機関が指揮していたはずだ。 すでにNATOはロシアをテロで攻撃している。例えば、ロシア軍の放射線・化学・生物防衛部隊を率いていたイゴール・キリロフ中将は昨年12月17日にモスクワで暗殺された。電動スクーターに取り付けられた爆発物が遠隔操作で作動したという。ウクライナの情報機関が実行したとされているが、その背後にはアメリカやイギリスの情報機関がいる可能性は高い。 実は、2022年2月にロシア軍がウクライナを攻撃する前からCIAはロシア政府の高官を暗殺していた疑いが濃厚だ。バラク・オバマ政権は2014年2月にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、その2年後の16年8月、マイク・モレルはチャーリー・ローズの番組に出演した際、司会者のローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語ってる。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えているのだ。モレルは2010年から13年までCIA副長官を務めた人物。退職した理由はヒラリー・クリントンを支援するためだった。 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡。 さらにロシア政府の幹部が変死していく。例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。モレル発言の前、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTの創設者がワシントンDCのホテルで死亡している。 テロを実行するのは軍事的に相手を倒すことが困難な集団、つまり弱者が採用する戦術だ。CIAやMI6には正規軍を動かす力はなく、破壊活動、つまりテロを使うしかない。ウクライナでは当初、ウクライナ軍を手先として利用していたが、兵士も兵器も枯渇してロシアに勝つことは不可能に近い状態になっている。少しでもロシアを疲弊させようとアメリカやヨーロッパの国々はウクライナ政府に対して対ロシア戦争の継続を命令してきたが、限界に達し、NATO軍が前面に出ざるをえなくなっている。 ロシア軍が掃討作戦を進めているポクロフスクではGURが特殊部隊をUH-60Aブラックホークで送り込み、救出しようとしたが、これは包囲された舞台の中にCIAの上級工作員、あるいはNATOの将校がいるからだと見られている。 また、キエフ州ボルィースピリにある特殊部隊の訓練基地をロシア軍はマッハ10という極超音速ミサイルのキンジャールで破壊したが、そこで訓練を受けていた傭兵の出身国はドイツ、フランス、イギリス、そしてポーランドだとされている。ロシア軍はスムイにある深さ50メートルという地下バンカーを極超音速巡航ミサイルのツィルコンで破壊したとも伝えられているが、そこにはイギリス軍の将軍とフランス軍の大佐、そしてウクライナのGUR(国防省情報総局)高官がいたという。キリーロ・ブダノフが公の席に現れるかどうかが注目されている。 西側ではNATOの正規軍が出てくると主張する人もいるが、アメリカ軍が出てくる可能性は小さく、ヨーロッパ諸国だけではロシア軍に蹴散らされることは必至だ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.19
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米英支配層の長期戦略はロシアを制圧し、世界の覇者となること。2017年の十月革命でソ連と名前が変更しても戦略に変更はなかった。そのソ連が1991年12月に消滅、ロシアはアメリカの属国になった。そこで長期戦略の目標を達成、自分たちは世界の覇者になったと考えたネオコンは残された国の中で最も警戒すべき潜在的ライバル、中国を押さえ込もうとする。それが東アジア重視政策。同時に、エネルギー資源を抱える中東支配を強固なものにするため、従属しきっていないイラク、シリア、イランを殲滅しようとする。それがポール・ウォルフォウィツたちネオコンの計画。イラクは2003年3月に正規軍で破壊したが、傀儡体制の樹立には失敗した。それでもアメリカの好戦派は自分たちの軍事力が他国を圧倒していると信じていたようで、例えば、フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載された論文の中でキール・リーバーとダリル・プレスはロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張している。核戦争になってもアメリカは生き残れるという判断だ。しかし、その論文が出た2年後の2008年にアメリカ支配層の幻想を打ち破る出来事があった。その年の7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官はジョージア(グルジア)を訪問、8月7日にミヘイル・サーカシビリ大統領は分離独立派に対して対話を訴えてから8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。ジョージアは2001年以降、イスラエルの軍事会社から無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器の提供を受け、軍事訓練も受けていた。2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。つまり、アメリカやイスラエルは周到に準備した上でジョージアに南オセチアを奇襲攻撃させている。圧勝する予定だったのだろうが、ロシア軍に粉砕されてしまった。この時点でアメリカ軍やイスラエル軍はロシア軍に通常戦で勝てないことが明らかになったのである。リーバーとプレスの分析は間違っていた。2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に興味深い記事を書いている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めたというのだ。その記事の中で、ジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のディーンで外交問題評議会の終身メンバーでもあるバリ・ナスルの発言を引用している。サウジアラビアは「ムスリム同胞団やサラフィ主義者と深い関係がある」としたうえで、「サウジは最悪のイスラム過激派を動員することができた。一旦、その箱を開けて彼らを外へ出したなら、2度と戻すことはできない。」と指摘している。ズビグネフ・ブレジンスキーが1980年代にアフガニスタンで使った戦法を使う危険性を指摘しているのだが、バラク・オバマ政権はその戦法を採用した。サウジアラビアなどが雇い入れ、CIAが軍事訓練、武器/兵器を供給して編成した武装集団を侵略に使うということだ。2008年の南オセチアに対する奇襲攻撃で正規軍の戦いではロシア軍が出てくると粉砕されることを理解したのだろう。三国同盟のほか、サイクス-ピコ協定コンビのイギリスとフランス、ペルシャ湾岸産油国のカタール、そしてトルコが参加して2011年3月にはシリアへの侵略戦争が始まる。民主化運動に対する流血の弾圧などはなかった。この辺の事情は本ブログでも何度か書いてきたことなので、今回は割愛する。バシャール・アル・アサド体制を転覆させ、アサドを排除するために戦う武装勢力が住民を虐殺していることを隠しきれなくなると、オバマ政権は「穏健派」というタグを使い始める。反政府軍には碌でない過激派だけでなく穏健派もいるので、その穏健派を支援しているというわけだ。そうした武装勢力が存在しないことはアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)も指摘していた。2012年8月にホワイトハウスへ提出された報告の中で、オバマ政権が武器/兵器を供与している相手はサラフィ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団、アル・カイダ系のアル・ヌスラ(AQI)であり、そうした政策を続けると東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があると警告していたのだ。実際、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で警告は現実になるのだが、それはオバマ政権の政策でもあった。失敗でも計算違いでもない。そのダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力を攻撃、その支配地域を大幅に縮小させたのがロシア軍。そこでアメリカ側は残った戦闘員のうち配下の者を救出、クルド勢力と合流させて新たな戦争を始め、次のターゲットであるイランの体制を倒そうとしている。ネタニヤフもその戦略を推進しているひとりだ。このネタニヤフはトランプと浅くはない関係がある。そのトランプ大統領を攻撃していた司法省、FBI、CIAなどの幹部がスキャンダルで窮地に陥った。そうした中、ロシアの対外情報機関SVR、治安機関FSB、軍情報機関GRUの長官がワシントンDCを訪問、すくなくともSVR長官とFSB長官はCIA長官と会談したと伝えられている。軍事的な緊張を高める動きではないだろう。戦争へ突き進もうとしている勢力と戦争を回避しようとしている勢力が綱引きしているように見える。勿論、日本は戦争推進派に従属している。
2018.02.12
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マリウポリにある産婦人科病院を3月9日に破壊したのはロシア軍だという話を西側の有力メディアは広げている。そうした「報道」でアイコン的に使われたマリアナ・ビシェイエルスカヤはその後、報道の裏側について語っている。 彼女は3月6日、市内で最も近代的な産婦人科病院へ入院したが、間もなくウクライナ軍が病院を完全に占拠、患者やスタッフは追い出されてしまう。彼女は近くの小さな産院へ移動した。最初に病院には大きな太陽パネルが設置され、電気を使うことができたので、それが目的だろうと彼女は推測している。 そして9日に大きな爆発が2度あり、爆風で彼女も怪我をした。2度目の爆発があった後、地下室へ避難するが、その時にヘルメットを被った兵士のような人物が近づいてきた。のちにAPの記者だとわかる。そこから記者は彼女に密着して撮影を始めた。彼女は「何が起こったのかわからない」が、「空爆はなかった」と話したという。 APだけでなく、西側の有力メディアはロシア軍の攻撃で産婦人科病院が破壊され、母親と乳児が死傷しているというストーリーに仕上げたかったはず。実際、彼女の証言は記者に都合よく改竄されてしまう。 問題の病院から患者やスタッフがウクライナ軍に追い出されたことはマリウポリから脱出した市民も異口同音に語っている。その部隊はおそらくアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)だろう。脱出した市民によると、脱出しようとした市民をアゾフの隊員は銃撃、少なからぬ人が死傷したという。また市民の居住空間に入り込み、ロシア軍の攻撃を避けようとしてきたともしている。 現在、アメリカをはじめとする反ロシア連合はイメージ戦争を中心をブチャの死体へ移しているが、これは穴が多く、病院のケースと同じように信頼度は低い。ニューヨーク・タイムズ紙は4月4日、マクサー・テクノロジーズという会社かた提供された写真を掲載し、3月19日には死体が路上に存在していたと主張しているが、これも不自然な点がすぐに指摘され始めた。 おそらく多くの人が抱く最初の疑問は、比較のために載せられた2月28日の写真に比べ、肝心の3月19日に撮影されたという写真の解像度が悪すぎるのはなぜかということだろう。影や天候の分析から実際の撮影日は4月1日だとする推測もあるが、もし19日から約2週間、道路上に死体は放置されていたことになる。その間、氷点下になったのは28日の早朝だけ。29日には17度まで上昇している。 キエフの周辺で拷問を受け、殺害された死体が発見されているが、その一部が白い腕章をつけていることも注目されている。ロシア軍を意味するからだ。また、ロシア軍が配った食糧を持っている人もいたとされている。ロシア軍が撤退した後、親衛隊はロシア軍に対して友好的な態度を示していた市民を殺して回ったとも言われている。 しかし、西側の政府や有力メディアはネオ・ナチの親衛隊を善玉、ロシアを悪玉として描かなければならない。そのため、出来事を全て反転して描くわけだ。そうして作られた話に飛びつく人も少なくない。
2022.04.08
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6月29日から30日にかけてスペインで開かれる予定のNATO(北大西洋条約機構)首脳会議に岸田文雄首相が出席する。ウクライナや台湾の情勢に対応するため、アメリカやヨーロッパとの連携を強めることが目的だというが、NATOは軍事同盟であり、その提携は軍事的なものになる。 日本とアメリカはすでに軍事同盟を結んでいる。1951年9月8日にサンフランシスコのオペラハウスで日米両国は「対日平和条約」に調印、同じ日の午後にプレシディオで「安保条約」に調印した。その1週間前に同じプレシディオでアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約を結んでいる。 この安保条約が締結されたのは朝鮮戦争の最中で、アメリカが中国との戦争を想定していたであろうことは本ブログで繰り返し指摘してきたことだ。その条約ではアメリカ軍による日本占領の継続と日本の内乱や「付近の安全の乱れ」への介入が認められていた。 1945年4月にフランクリン・ルーズベルトが急死するまでホワイトハウスで実権を握っていたのはニューディール派だったが、1933年から34年にかけて反ニューディール派のクーデターを計画していたウォール街の巨大金融資本も力を維持していた。ルーズベルトの急死でウォール街が主導権を握る。 大戦中、ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上、ソ連とレジスタンスだけだった。アドルフ・ヒトラーは全戦力の4分の3を東部戦線へ投入したが、その主力部隊が1942年の冬に壊滅、ドイツの敗北は決定的になった。そこでSS(親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいた戦時情報機関OSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣している。そこからダレスはドイツ側との接触を繰り返し、ナチスの高官を保護するために「サンライズ作戦」を始めた。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) ドイツ軍がソ連を壊滅させると見通していたイギリスやアメリカの支配層は衝撃を受け、1943年7月にシチリア島上陸作戦を実行する。その際、レジスタンスの主力だったコミュニストを抑え込むため、アメリカ軍はマフィアの協力を得ている。ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月だ。 その頃になるとOSSのフランク・ウィズナーを介してダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)と接触している。ソ連に関する情報を持っていたゲーレンをダレスたちは同志と見なすようになった。大戦後、ゲーレンを中心として情報機関が編成され、BND(連邦情報局)になる。 大戦中、中国の昆明ではOSSの第202部隊も活動、その中には後にさまざまなCIAの秘密工作で名前が出てくるレイ・クライン、リチャード・ヘルムズ、E・ハワード・ハント、ジョン・K・シングローブ、そしてワシントン・ポスト紙のコラムニストになるジャック・アンダーソンもいた。 1942年にOSSは中国でSACO(中美合作社)を組織、ゲリラを訓練するが、この組織を指揮していたのが蒋介石の側近だった戴笠。この戴笠はアメリカから提供された武器を新四軍(中国共産党軍)などを叩き潰すために使うことになる。 OSSのエージェントとして中国で活動していたポール・ヘリウェルは1948年にシー・サプライを設立、極秘の破壊工作機関OPC(後にCIAの破壊工作部門になる)が東南アジアで行っていた国民党軍の支援工作に協力する。このヘリウェルと手を組むことになるアメリカ空軍のクレア・シェンノートは1937年から蒋介石の顧問を務めていた人物だ。 大戦後の中国を支配するのは蒋介石が率いる国民党だと推測する人は少なくなかったが、大方の予想に反して国民党は劣勢になり、1949年に入る頃には敗北が決定的になる。国民党に肩入れしていたシェンノートは同年5月にトルーマン大統領と会談、蒋介石を支援するため、さらなる資金援助を求めたものの、拒否された。そこに手をさしのべたのがOPCだ。 OPCが最初に行った作戦は中国共産党の幹部を砲撃で皆殺しにし、偽装帰順させていた部隊を一斉放棄させるというものだが、これは途中で計画が漏れて失敗した。そして始まるのが朝鮮半島で緊張を激化させるための秘密工作。 戦争を行うためには輸送を支配する必要があり、国鉄の強力な労働組合を潰す必要が生じた。そうした中、1949年に引き起こされたのが国鉄を舞台とした下山事件、三鷹事件、松川事件だ。これらの事件で労働組合は総攻撃を受け、致命的なダメージを受けた。 朝鮮戦争が始まる3日前の1950年6月22日、ニューズウィーク誌の東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で夕食会が開かれ、パケナムのほかニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、ドワイト・アイゼンハワー政権で国務長官に就任するジョン・フォスター・ダレス、ダレスに同行してきた国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、そして、日本側から大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三が参加した。 1951年1月にジョン・フォスター・ダレスは講和使節団を率いて来日し、占領後の日本をめぐる交渉が始まる。ダレスは日本に対し、自分たちが「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を求めようとしていたという。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年) 1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任するとジョン・フォスター・ダレスは国務長官に任命される。この当時、インドシナではフランスがこの地域を再植民地化するために戦っていたのだが、1953年11月にディエンビエンフーを守るフランス軍をベトミン軍が包囲、翌年の5月にフランス軍は降伏した。 それに対し、ダレス国務長官は1954年1月にNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。ここからアメリカのインドシナへの軍事介入が始まるが、本格的な介入はジョン・F・ケネディが暗殺され、リンドン・ジョンソンが大統領になってからだ。 この間、アメリカの好戦派はソ連や中国に対する核攻撃を計画している。1945年8月15日に天皇の声明が日本人に対して発表されてから半月ほど後にローリス・ノースタッド少将はレスニー・グルーブス少将に対し、ソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出している。 グルーブス少将は1944年、マンハッタン計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) 1945年9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出していた。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945) 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという記載がある。1952年11月にアメリカは初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てる。 1957年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。沖縄の軍事基地化はこの作戦と無縁ではないだろう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれる。彼らは1963年後半に先制攻撃する計画を立てた。 沖縄が軍事基地化されていく背景にはこうした核攻撃計画がある。アメリカにとって沖縄への核兵器持ち込みは戦略上、必然であった。 そして現在でも沖縄はアメリカが中国やロシアを攻撃する拠点だ。自衛隊は2016年に与那国島、奄美大島、宮古島に施設を建設、23年には石垣島にも建設する予定だ。 アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」は今年、アメリカのGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する戦略について分析している。 アメリカ、イギリス、オーストラリのアングロ・サクソン系3カ国は2021年9月に「AUKUS」という軍事同盟を結んだ。日本はアメリカ、オーストラリア、そしてインドと「Quad(クアッド)」と呼ばれる軍事同盟を結んだが、インドは腰が引けている。 インド・太平洋地域でそうしたミサイルの配備はオーストラリアも嫌がっているようで、結局、ミサイル配備を容認する国は日本しかないのだが、その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでアメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという案をRANDは提示している。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。 1991年12月にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になり、単独で行動できると考えた人は少なくなかったが、ネオコンもその中に含まれている。その当時、国防総省はネオコンのディック・チェイニー長官とポール・ウォルフォウィッツ次官補を軸に動いていた。 そのウォルフォウィッツを中心に「DPG草案」という形で世界制覇プランが1992年2月に作成されている。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 それに対して細川護熙政権は国連中心主義を掲げていた。そこでこの政権は1994年4月に潰される。この時、最初に動いたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニンのふたり。カート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触し、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告」を発表したのだ。グリーン、クローニン、キャンベルはウォルフォウィッツやチェイニーと連携している。現在、キャンベルはアメリカのアジア政策を指揮している。 大戦後、ドイツと同じように、日本でもアメリカに協力的な軍人を保護、協力させていた。有末精三陸軍中将、河辺虎四郎陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将、大前敏一海軍大佐らは特に有名で、そのイニシャルをとって「KATO機関」、あるいは「KATOH機関」とも呼ばれている。 アメリカ軍に対する敵対的な意志を持つ軍人は処分されていたが、処分しきれたとは言えない。そこで日本国憲法の第9条はアメリカにとって必要な条項だったと言えるが、すでにそうした心配をする必要はなくなっている。つまり、アメリカの支配層にとって第9条は邪魔になっている。「改憲」の黒幕はアメリカの支配層だと言うべきだろう。
2022.06.27
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【不快な質問?】 イタリアの通信社ノバは特派員のガブリエーレ・ヌンツィアーティを解雇した。10月13日、欧州委員会のポーラ・ピニョ首席報道官に対して「あなたはロシアがウクライナの復興費用を負担すべきだと繰り返し述べている」と指摘した上で、「ガザ地区の民間インフラをほぼ全て破壊したイスラエルはガザ復興のための費用を負担すべきだと思うか」と質問したが、これを「不快な質問」と感じた人がいたようだ。ノバの広報を担当するフランチェスコ・チビタノバによると、「ロシアは挑発を受けずに主権国家を侵略したのに対し、イスラエルは攻撃に対応したのだと弁明している。【ウクライナ】 アメリカの場合、外交や軍事に関する政策を決めてきたのはシオニストである。ジョージ・W・ブッシュ政権、バラク・オバマ政権、ドナルド・トランプ政権、あるいはジョー・バイデン政権ではネオコンに支配されていると言われているが、そのネオコンはシオニストの一派だ。つまり、政権がかわっても外交や軍事に関する政策は変わらない。 1991年12月にソ連は消滅したが、ウクライナの問題はその年の1月から始まっている。クリミアで住民投票が実施され、クリミア自治ソビエト社会主義共和国の再建が94.3%の賛成多数で承認されたのだ。ウクライナの最高会議で独立宣言法が採択されたのは、その半年後のことである。 西側諸国はウクライナの独立を認めたものの、クリミアの住民投票は無視。キエフ政権は特殊部隊を派遣してクリミア大統領だったユーリ・メシュコフを解任、クリミアの支配権を暴力的に取り戻した。 1994年3月27日にはドンバス(ドネツクとルガンスク)でこの地域におけるロシア語の地位、ウクライナの国家構造などを問う住民投票が実施され、キエフ政権にとって好ましくない結果が出た。 ウクライナの東部や南部に住む人びとの意思はソ連時代から明確で、一貫している。ビクトル・ヤヌコビッチを排除するため、2004から05年にかけて実施された「オレンジ革命」、そして2013年11月から14年2月にかけてのクーデターに東部や南部の人びとが反発、内戦に突入したのは必然だった。 ソ連消滅後、西側諸国はミハイル・ゴルバチョフ政権との合意を守らずにNATOを東へ拡大させるが、こうしたネオコン主導の政策は危険だと前の世代の「タカ派」は警告していた。 ウォール・ストリート・ジャーナルによると、リチャード・ニクソン元米大統領は1994年3月21日にビル・クリントン大統領へ手紙を出し、その中でウクライナの内部状況が非常に危険だと警告。ウクライナで戦闘が勃発すれば、ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争は「ガーデンパーティー」のように感じられるとしている。 「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンは1998年、NATOが拡大について「これは新たな冷戦の始まり」であり、悲劇的な過ちだと思うとしている。 この政策を決めたアメリカ上院での議論について表面的で無知だと指摘、「ロシアが西ヨーロッパへの攻撃を待ち焦がれている国であるという記述には腹立たしい」とした上で、ロシアから悪い反応が出ることも見通し、NATOがロシア国境までの拡大すれば新たな冷戦を引き起こされ、ポーランド、ハンガリー、チェコで拡大が止まれば、そこで新たな分断線が引かれるとも予測していた。ケナン氏はインタビューの最後で「これほどめちゃくちゃになるのを見るのは辛い」と語ったという。 このふたりが警告した後、ビル・クリントン政権はNATOを利用して1999年3月から5月にかけてユーゴスラビアを空爆している。この攻撃で主導的な役割を果たしたのは国務長官のマデリーン・オルブライト。この時に中国大使館もB2爆撃機で空爆されているが、その建物を目標に含めたのはCIAだ。 アメリカでユーゴスラビアを解体する工作は始まったのは1984年のこと。ロナルド・レーガン大統領がNSDD133(ユーゴスラビアに対する米国の政策)に署名、東ヨーロッパ諸国のコミュニスト体制を「静かな革命」で倒そうという計画が始動したのだ。1983年は大韓航空007便が領空を侵犯してカムチャツカからサハリンまで飛行、撃墜されたとされている。その年の秋には核戦争の寸前まで行った。それほど緊迫した時期だったのである。 ヘンリー・キッシンジャーもネオコンに批判的だった。彼は2014年3月5日付けワシントン・ポスト紙でウクライナとロシアの関係について論じている。 ロシアの歴史はキエフ・ルーシで始まり、宗教もそこから広がり、ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、その前から両国の歴史は複雑に絡み合っていたと指摘、ロシアにとってウクライナが単なる外国ではないとしている。特に東部と南部はロシアとの繋がりが強いのだが、その地域も含め、ウクライナと呼ばれる地域全てをNATO諸国は自分たちの支配下に置こうとしたのだ。 キッシンジャーも指摘しているように、人口の60%がロシア人であるクリミアは1954年、ウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがロシアとコサックの協定300周年記念の一環としてウクライナへ与えた場所だ。勿論、住民の意思は無視された。 クリミアだけでなく、ウクライナの東部と南部はソ連時代にロシアから割譲された。宗教はロシア正教でロシア語を話し、文化はロシア的。必然的に住民の大半はロシアに親近感を抱いていた。カトリック教徒が多く、ウクライナ語を話す西部とは異質だ。そうした国で一方が他方を支配しようとすれば内戦や分裂につながるとキッシンジャーは主張していたが、それが現実になった。 そうした警告を無視してオバマ政権は2014年2月にウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を暴力的なクーデターで倒した。そのクーデターで最前線にいたのがネオ・ナチだ。ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の人びとはクーデターを拒否、クリミアはロシアとの統合への道を進み、東部のドンバス(ドネツク、ルガンスク)では武装抵抗が始まった。クーデター後、軍や治安機関では約7割が新体制を拒否して離脱したと言われている。 そこで西側が仕掛けたのが「停戦合意」、つまり2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」だ。NATO諸国は8年かけてネオ・ナチ体制の戦力を増強した。兵器を供与、兵士を育成、そして地下要塞を核とする要塞線をドンバスの周辺に築いた。 クーデター政権は2022年に入るとドンバスに対する攻撃を強め始めた。大規模な軍事作戦が始まると噂される中、ロシア軍が先手を打って2月24日にウクライナ軍部隊や軍事基地、あるいは生物兵器の研究開発施設を攻撃しはじめた。 ロシア外務省によると、その時にロシア軍が回収したウクライナ側の機密文書には、ウクライナ国家親衛隊のニコライ・バラン司令官が署名した2022年1月22日付秘密命令が含まれていた。これにはドンバスにおける合同作戦に向けた部隊の準備内容が詳述されていた。 ロシア国防省のイゴール・コナシェンコフ少将によると、「この文書は、国家親衛隊第4作戦旅団大隊戦術集団の組織と人員構成、包括的支援の組織、そしてウクライナ第80独立空挺旅団への再配置を承認するもの」で、この部隊は2016年からアメリカとイギリスの教官によって訓練を受けていたという。 つまり、「ロシアは挑発を受けずに主権国家を侵略した」とは言えない。【ガザ】 アメリカの外交や軍事をコントロールしているシオニストはパレスチナに「ユダヤ人の国」を建設することを目標にしている。シオニズムの信奉者だとも言える。その信仰が登場してくるのはエリザベス1世の時代(1593年から1603年)。当時のイギリスは海賊行為で富を蓄積していた。 その時代、イングランドの支配層の間で、アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信仰が現れる。人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配すると予言されているという妄想が広まったのだ。 イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物としてブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られているが、17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世も自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。 その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルをはじめとするピューリタンも「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたとされている。クルムウェルはユダヤ人をイングランドへ入れることを許可したが、稼ぎ方を海賊行為から商取引へ切り替えるためだった灯されている。ユダヤ人は商取引や金貸しに長けていた。 エリザベス1世が統治していた時代、イングランドはアイルランドを軍事侵略、先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させた。 ピューリタン革命の時代にもアイルランドで先住民を虐殺している。クロムウェルは革命で仲間だったはずの水平派を弾圧した後にアイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺したのだ。 侵攻前の1641年には147万人だったアイルランドの人口は侵攻後の52年に62万人へ減少。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。 ダブリン出身でプリマス・ブレザレンを創設したジョン・ネルソン・ダービー牧師は1830年代から宗教活動を始めたが、彼はキリストの千年王国がすべての文明を一掃し、救われるのは選ばれた少数のグループだけだと考えていた。 世界の邪悪な力はエゼキエル書で特定されている「ゴグ」であり、そのゴグはロシアを指すと主張、ユダヤ人がイスラエルに戻って神殿を再建したときに終末を迎えるとしている。つまりキリストが再臨するということ。シオニストにとって対ロシア戦争とパレスチナ制圧は一体のことである。 19世紀のイギリス政界では反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)が大きな影響力を持っていた。彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿だ。 このように始まったシオニズムは19世紀に帝国主義と一体化し、パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開く。いわゆる「バルフォア宣言」だ。 シオニズムを信奉する人びとはパレスチナの先住民であるアラブの人びとを虐殺してきた。ガザにおける現在の大量虐殺はそうした流れの中で引き起こされたのであり、パレスチナ人はそうした侵略者と戦い続けてきた。 今回のガザでの大量虐殺に限っても、始まりは2023年4月1日にイスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺したところから始まっている。イスラエル政府が挑発したのだ。 4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃している。そしてユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入した。 そして2023年10月7日、ハマス(イスラム抵抗運動)を中心とするパレスチナの武装グループがイスラエルを奇襲攻撃する。この攻撃では約1400名(後に1200名へ訂正)のイスラエル人が死亡したとされ、その責任はハマスにあると宣伝された。 しかし、イスラエルのハーレツ紙によると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊。殺されたイスラエル人の大半はイスラエル軍によるものだと現地では言われていた。イスラエル軍は自国民を殺害するように命令されていたというのだ。いわゆる「ハンニバル指令」である。ハマスの残虐さを印象付ける作り話も流された。 こうしたイスラエルでの報道を無視して欧米諸国の「エリート」はパレスチナ人の抵抗を批判している。 今年1月9日、医学雑誌「ランセット」は2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数の推計値が6万4260人に達し、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表した。 「ハーバード大学学長およびフェロー」のウェブサイト「データバース」に掲載されたヤコブ・ガルブの報告書では、2023年10月7日にイスラエル軍とハマスの戦闘が始まる前には約222万7000人だったガザの人口が現在は推定185万人。つまり37万7000人が行方不明だ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.13
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パレスチナの抵抗運動を支持したとして、元ウズベキスタン駐在イギリス大使のクレイグ・マーリーは10月16日に「テロ防止法」に違反したとして逮捕された。アイスランドでパレスチナ人を支持する抗議活動に参加、イギリスへ戻って来たところだった。 現在のイギリス首相、リシ・スナックはハマスに協力した者に「責任を取らされる」と宣言、イスラエル政権への支持を誓っている。ウクライナに対するのと同じように、イギリス政府はイスラエルを軍事支援する用意があるともしている。 イスラエルが建国されてからイギリスの労働党はイスラエルを支持していたが、そうした政治的な立場を大きく変える出来事が1982年9月に引き起こされた。レバノンのパレスチナ難民キャンプのサブラとシャティーラでパレスチナ難民が虐殺されたのだ。 キリスト教マロン派系のファランジスト党のメンバーが虐殺したのだが、その黒幕はイスラエルだった。ファランジスト党の武装勢力はイスラエル軍の支援を受けながら無防備の難民キャンプを制圧し、PLOは追い出されてしまう。 ファランジスト/イスラエルは死体を持ち去ったり爆弾を仕掛けるなど隠蔽工作を行ったこともあり、正確な犠牲者数は不明だが、数百人、あるいは3000人以上の難民が殺されたと言われている。 この虐殺の序章は1981年6月30日にイスラエルで行われた選挙。春の段階では労働党がリクードを引き離していたが、6月7日に実行されたイラクのオシラク原子炉爆撃で形勢は逆転した。この爆撃でリクードの支持率は一気に上昇、選挙で勝利している。 7月に入るとベイルートにあったPLOのビルをイスラエル軍は空爆、国連のブライアン・アークハート事務次長の説得で停戦する。イスラエル側は戦争を継続するだけの準備ができていなかった。 1982年1月にアリエル・シャロン国防相はベイルートを極秘訪問し、キリスト教勢力と会談、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決める。その2週間後にはペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開き、イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカに敵対的なことを行わないと言う内容のメッセージをアメリカへ送った。 6月3日に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使、シュロモ・アルゴブの暗殺を試みたが、この3名に暗殺を命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派。 イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018)が、この組織には相当数のイスラエルのエージェントが潜入していて、暗殺の目標を決めたのもそうしたエージェントだったともされている。この事件を口実にしてイスラエルは6月6日にレバノンへ軍事侵攻、1万数千名の市民が殺された。(Alan Hart, “Zionism: Volume Three,” World Focus Publishing, 2005) アメリカ政府の仲裁で停戦が実現、8月21日にイスラエル軍が撤退、PLOも撤退を始めて9月1日には完了、12日には国際監視軍も引き揚げる。その直後、9月14日にファランジスト党のバシール・ジェマイエル党首が爆殺された。レバノンへの軍事侵攻を目論んでいたシャロンにとって好都合な出来事。その報復だとして同党のメンバーがイスラエル軍の支援を受けながらサブラとシャティーラ、両キャンプを襲撃したわけだ。 この虐殺はイスラエルに対する批判を強めることになり、EUを中心にBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)が展開される。歴史的に親イスラエルだったイギリスの労働党でもイスラエルに対する批判が強まり、党の方針が親パレスチナへ変更された。 そうした情況を懸念したアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)である。アメリカとイギリスのエリートを一体化させることが組織の目的で、特徴のひとつは少なからぬメディアの記者や編集者が参加したことだ。 そうした中、目をつけられたのがトニー・ブレア。1975年に大学を卒業した直後に彼は労働党へ入り、1983年の選挙で下院議員に選ばれている。その後、影の雇用大臣を経て1992年には影の内務大臣に指名された。 その彼が妻のチェリー・ブースとともにイスラエル政府の招待で同国を訪問したのが1994年1月。帰国して2カ月後にブレアはロンドンのイスラエル大使館で開かれたパーティーに出席しているが、その時に全権公使だったギデオン・メイアーからマイケル・レビーを紹介されている。その後、レビーはブレアの重要なスポンサーになった。 そのブレアが労働党の党首になるチャンスが訪れる。当時の労働党党首、ジョン・スミスが1994年の5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利して新しい党首になったのである。 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そのブレアは「ニューレーバー」の看板を掲げ、「ゆりかごから墓場まで」という歴史的な労働党の路線を放棄した。外交面では「親パレスチナ」に傾いていた労働党を再び「親イスラエル」に戻した。 1997年5月に首相となったブレアの政策は国内でマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義を推進、国外では親イスラエル的で好戦的なものだった。後にブレアはイラクへの先制攻撃を正当化するため、偽文書を作成している。 ブレアはジェイコブ・ロスチャイルドやエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドと親しいが、首相を辞めた後、JPモルガンやチューリッヒ・インターナショナルから報酬を得るようになる。 こうしたブレアのネオコン的な政策への反発に後押しされて2015年9月から党首を務めめることになったのがジェレミー・コービン。アメリカやイギリスの情報機関もコービンを引きずり下ろそうと必死になり、有力メディアからも「反ユダヤ主義者」だと批判された。イギリスの支配システムは親パレスチナを許さない。 コービンに対する攻撃には偽情報も使っているが、その重要な発信源のひとつが2015年に創設されたインテグリティ・イニシアチブ。イギリス外務省が資金を出している。「偽情報から民主主義を守る」としているが、その実態は偽情報を発信するプロパガンダ機関だ。 そして2020年4月4日、労働党の党首はキア・スターマーに交代。彼はイスラエルに接近、自分の妻ビクトリア・アレキサンダーの家族はユダヤ系だということをアピールしている。彼女の父親の家族はポーランドから移住してきたユダヤ人で、テル・アビブにも親戚がいるという。労働党はブレアの路線へ戻った。 そもそもイスラエル建国にはイギリスの富豪が深く関係している。 イギリスの支配層は19世紀からロシア制圧を目指し、南コーカサスや中央アジア戦争を始めている。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。これを進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダー。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略だ。 この戦略を可能にしたのは1869年のスエズ運河完成、75年にはイギリスが経営権を手に入れた。運河を買収した人物はベンジャミン・ディズレーリだが、買収資金を提供したのはライオネル・ド・ロスチャイルドである。イギリスは1882年に運河地帯を占領し、軍事基地化している。世界戦略上、スエズ運河はそれだけ重要だった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) ディズレーリは1881年4月に死亡するが、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめている。この富豪の孫がエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドだ。 中東で石油が発見されると、イギリスとフランスはその利権を手に入れようとする。そして1916年に両国は協定を結ぶ。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからサイクス-ピコ協定と呼ばれている。その結果、トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスがそれぞれ支配することになっていた。 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。
2023.10.18
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米英金融資本を中心とする西側の支配システムは「COVID-19パンデミック」に続き、デジタル分野でもパンデミックを計画していると言われている。そこで注目されているのがサイバー攻撃によるインターネット崩壊をシミュレートする「サイバー・ポリゴン」という演習だ。2019年から22年まで実施された。この演習ではクラウス・シュワブが率いるWEF(世界経済フォーラム)がデジタル・リスクの管理を専門とするロシアを拠点にするBI.ZONEに協力している。 COVID-19パンデミックの幕が上がったのは2019年12月、中国湖北省の武漢においてだった。SARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見されたのだが、その2カ月前、ニューヨークでコロナウイルスが全世界で流行するというシミュレーション「イベント201」が実施されている。主催者はジョンズ・ホプキンス健康安全保障センター、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団、そしてWEF(世界経済フォーラム)だった。 中国からも「イベント201」へ参加した人物がいる。疾病預防控制中心主任の高福だ。この人物は1991年にオックスフォード大学へ留学して94年に博士号を取得、99年から2001年までハーバード大学で研究、その後04年までオックスフォード大学で教えている。NIAIDの所長を務めてきたアンソニー・ファウチの弟子とも言われている。西側の医療利権に操られている可能性が高い。 そうしたこともあってか、COVID-19対策を指揮したのは中国軍の陳薇だった。この人物はSARSが2002年から03年にかけて流行した際にも対策を指揮、沈静化させている。その時の経験を活かし、彼女は今回、インターフェロン・アルファ2bを最初から使い、短期間に沈静化させることに成功している。 この医薬品はキューバで研究が進んでいるもので、リンパ球を刺激して免疫能力を高める働きがあるとされている。吉林省長春にも製造工場があり、中国の国内で供給できた。この事実は中国やキューバなどで報道され、中国の習近平国家主席がキューバのミゲル・ディアス-カネル大統領に謝意を述べたとも伝えられている。 こうした経験に基づき、サイバー・ポリゴンはサイバー攻撃で電力供給、交通、病院サービス、金融システムを崩壊させる予行演習ではないかと言われた。 アメリカの支配層は自分たちに従属しない国を屈服させるため、軍事力だけでなく経済戦争も仕掛けてきた。金融口座の封鎖、資産の凍結、そして略奪も繰り返している。現在の金融システムを崩壊させ、米英金融資本が支配するデジタル通貨システムに切り替えられたなら、彼らに逆らう人物は誰であろうと社会生活を営むことができなくなる。こうした新システムでは「ワクチン・パスポート」という形で生体認証IDが義務化されるという。 本ブログでは繰り返し書いていることだが、WEFで顧問を務めているユバル・ノア・ハラリはAI(人工知能)によって不必要な人間が生み出されるとしている。特に専門化された仕事で人間はAIに勝てず、不必要な人間が街にあふれるということだ。 失業者が増えれば社会は不安定するため、監視システムを強化し、生体認証IDで人間を管理しようというわけだが、それと並行して人口を減らそうとしている。危険だと指摘されている「COVID-19ワクチン」を強引に接種させてきた理由もそこにあるとしか考えられない。 シュワブは2016年1月、スイスのテレビ番組マイクロチップ化されたデジタルIDについて話している。最終的にはコンピュータ・システムと人間を連結、つまり人間をコンピュータの端末にするというのだが、不必要になった人間は処分されるのだろう。「トランスヒューマニズム」の世界を築こうとしているとも言える。処分されずに残った人間はコンピュータに監視され、命令されるロボットにする計画のようだ。 こうしてみると、サイバー・ポリゴンは重要な意味を持つ。2021年のオンライン会議にはWEFのシュワブ、アップル・コンピュータの共同創設者であるスティーブ・ウォズニアック、イギリスのトニー・ブレア元首相のほか、ロシアのミハイル・ミシュスチン首相も参加していた。ミシュスチンはモスクワ国立工科大学の出身で、西側のハイテク企業に憧れていたとも言われている。ウラジミル・プーチン大統領はこの人物をロシアの首相に任命した。
2023.11.23
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ウクライナやパレスチナは戦乱で建造物だけでなく社会そのものが崩壊、東アジアもきな臭くなっている。いずれの地域でも中心的な役割をは対しているのはアングル・サクソン系国のアメリカとイギリスだ。 米英を含むヨーロッパは近代と呼ばれている時代を築いた。そうしたことを可能にした富の相当部分は16世紀以降、ラテン・アメリカから盗み出されている。 例えば、1545年に発見されたボリビアのポトシ銀山では18世紀までに少なくとも15万トンが運び出されたとされ、スペインが3世紀の間に南アメリカ全体で産出した銀の量は世界全体の80%に達したと言われている。全採掘量の約3分の1は「私的」にラプラタ川を経由してブエノスアイレスへ運ばれ、そこからポルトガルへ向かう船へ積み込まれた。 スペインも同じように略奪していたが、それらの国が財宝を運ぶ船を海賊に襲わせて富を築いたのがエリザベス1世時代のイギリスだ。中でも悪名高い海賊がジョン・ホーキンス、フランシス・ドレイク、ウォルター・ローリーである。 ホーキンスの場合、西アフリカでポルトガル船を襲って金や象牙などを盗み、人身売買のために拘束されていた黒人を拉致、その商品や黒人を西インド諸島で売り、金、真珠、エメラルドなどを手に入れている。 エリザベス1世の時代、イギリスではシオニズムが登場する。16世紀後半、イギリスではアングロ-サクソンを「イスラエルの失われた十支族」だと信じる人が現れ、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信仰がこの時期に出現した。ブリティッシュ・イスラエル主義ともいう。イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物として、ブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られている。 17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世は自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルなどピューリタンもジェームズ1世と同じように、「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたようだ。 こうした信仰は19世紀に入ると帝国主義と一体化し、パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収する。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出した。いわゆる「バルフォア宣言」だ。 19世紀後半にイギリスを動かしていたグループ、「選民秘密協会」の中心はセシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッドといった人たちだ。少し後からアルフレッド・ミルナーがグループを率いるようになった。アングロ・サクソンとユダヤのエリートが手を組んでいる。 セシル・ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会し、その直後に『信仰告白』を書いた。その中で彼は「私たち(アングロ・サクソン)は世界で最も優れた人種であり、私たちが住む世界が増えれば増えるほど、人類にとってより良いものになる」と主張している。 「より多くの領土を獲得するあらゆる機会を捉えることは我々の義務であり、より多くの領土は単にアングロサクソン人種の増加、つまり世界が所有する最も優れた、最も人間的で最も名誉ある人種の増加を意味するという考えを常に念頭に置くべきである」というのだ。 1899年にイギリスは南アフリカ戦争を仕掛け、トランスバールとオレンジを併合、すでにイギリス領になっていたケープ植民地とナタールと合わせて南アフリカ連邦を作り上げた。その後、オランダ系のボーア人とイギリス系の白人は手を組んでアパルトヘイト(人種隔離政策)を推進、有色人種を支配するシステムを作り上げていく。イスラエルがアパルトヘイト時代の南アフリカと似ているのは必然だ。 その後、金産出量の半分以上を南アフリカが占める時期が続き、イギリスの金融界は金本位制を採用する国々の通貨に大きな影響力を持つことになった。南アフリカの金産出量が中国に抜かれたのは2007年のことである。 イギリスの支配グループは20世紀に入ると海軍力を使った世界制覇計画を作り上げた。イギリスが「明治維新」を後押しして中国やロシアとの戦争へと導いた理由もそこにある。 その世界制覇計画をまとめた論考をハルフォード・マッキンダーは1904年に発表している。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力と傭兵で支配、内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを征服するというものだ。この計画はその後も生き続け、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」も強く影響を受けている。ネオコンも引き継いだが、戦術が稚拙で、世界は核戦争の瀬戸際まで追い詰められた。 アングロ・サクソンがウクライナをクーデターで制圧、ベラルーシでも体制転覆を試み、ガザでの虐殺を支援しているのはひとつの戦略に基づいている。その戦略を達成するまで、彼らは侵略、破壊、虐殺、略奪をやめられないだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.01.24
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ウクライナの最高議会で議長を務めた経験のあるアンドレイ・パルビーが8月30日、ポーランドに近いリビウで殺害された。この人物はウクライナにおけるネオ・ナチの幹部のひとりだ。 1991年にオレフ・チャフニボクとウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)を結成、1998年から2004年にかけて彼は準軍事組織「SNPU(ウクライナ愛国者)」を率いていた。2004年に彼はオレンジ革命に参加しているが、これはビクトル・ヤヌコビッチを排除し、新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えるため、アメリカが仕掛けたものだ。 ユシチェンコ時代にオレンジ革命の指導層は西側資本の手先としてウクライナ人の富を略奪、自分たちの富を築いたが、国民は貧困化していく。その結果、2010年の大統領選挙ではヤヌコビッチが勝利、大統領に就任した。彼を嫌っていたアメリカ政府は2013年11月から14年2月の期間、ウクライナでクーデターを仕掛けて成功させている。そこから現体制は始まった。 年明け後にクーデターは激しくなり、キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)ではネオ・ナチのメンバーが登場して暴力行為をエスカレートさせていく。2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。その頃、2500丁以上の銃をネオ・ナチは広場へ持ち込んでいたとも言われている。 こうした状況を一気に悪化させたのは広場での狙撃。第1発目は音楽協会ビルから撃たれたのだが、そこを管理していたのはアンドレイ・パルビーにほかならない。スナイパーは外国からも雇われていた。 この狙撃を調査するため、2014年2月25日にエストニアのウルマス・パエト外相がキエフへ入った。その結果を彼は26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話でスナイパーはヤヌコビッチでなく、反ヤヌコビッチ勢力だと報告しているが、ヤヌコビッチの排除を優先するアシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じている。 2017年11月にはパエトの報告を裏付けるドキュメントがイタリアで放送されている。その中で自分たちが狙撃したする3人のジョージア人が登場、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。この3人は狙撃者グループの一部で、治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたいう。 その証言者によると、キエフのクーデターはジョージアで実行されたバラ革命と同じシナリオ。狙撃の指揮者はアンドレイ・パルビーだとも語っている。 またふたりの研究者、オタワ大学のイワン・カチャノフスキーとカリフォルニア州のCETIS(テロ情報研究センター)のゴードン・ハーンも狙撃はスボボダや右派セクターなどによって行われたという結論に達しいている。(Medea Benjamin & Nicolas J. S. Davies, “War In Ukraine,” OR, 2022) パルビーは2014年5月2日のオデッサ虐殺において中心的な役割を果たした。この虐殺では、数十人のロシア系住民が労働組合会館に閉じ込められ、建物が放火された後に殺害された。元SBU職員のヴァシリー・プロゾロフによると、パルビーは当日、武装民族主義過激派のオデッサへの移送を組織し、その調整を監督していた。 その日、オデッサではサッカーの試合が予定されていて、サッカー・ファンを乗せた列車が午前8時に到着、そのファンをネオ・ナチの「右派セクター」が挑発、広場へと誘導、住民虐殺に繋がった。 西側諸国はロシアを舌先三寸で騙すことに失敗、停戦に持ち込んでウクライナの戦力を回復させるための時間を稼ぐという目論見は失敗に終わった。ウクライナは兵力も兵器も枯渇、ロシア軍の勝利は決定的で、戦争を推進してきたネオコンや配下のヨーロッパの「エリート」は迷走している。簡単に勝てるという前提で結束していた反ロシア勢力は分裂を始めているが、今回の暗殺にもそうした背景があるのかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】https://sakuraiharuhiko.substack.com/
2025.08.31
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リチャード・チェイニー元米副大統領が11月3日に死亡した。ジェラルド・フォード政権(1974年8月から77年1月)の時に表舞台へ登場してきたネオコンの大物だ。 フォードはリチャード・ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失脚したことを受け、副大統領から昇格したのだが、元々の副大統領はスピロ・アグニュー。そのアグニューが1973年10月にスキャンダルで辞任に追い込まれ、選挙を経ずに副大統領、そして大統領になった。 ニクソン大統領はデタント(緊張緩和)政策を打ち出していたが、フォード政権はデタント派を粛清していく。その中でも重要な意味を持つと考えられているのは、国防長官とCIA長官の交代だ。 国防長官は1975年11月にジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ交代、CIA長官は76年1月にウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。一連の粛正は「ハロウィーンの虐殺」と呼ばれている。チェニーはラムズフェルドの後任として1975年11月から大統領首席補佐官を務めた。 この粛正を主導したのは大統領首席補佐官だったラムズフェルドと大統領副補佐官だったチェイニーだとされているが、その背後にはポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターを中心とするグループが存在した。この人脈は後にネオコンと呼ばれるようになる。ラムズフェルドとチェイニーはロナルド・レーガン政権で地下政府プロジェクトのCOGに参加。レーガン大統領は1982年にNSDD55を出してCOGプロジェクトを承認、NPO(国家計画局)が創設された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007) ジョージ・H・W・ブッシュが大統領だった1991年にソ連が消滅、その翌年の2月に世界制覇を打ち出したDPG草案(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)が作成された。作成の中心になったのはネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官だが、その時の国防長官はチェイニーにほかならない。 2001年1月にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとはショックで茫然自失、それを利用してブッシュ・ジュニア政権はCOGを始動させ、軍事侵略を開始する。 ブッシュ政権は統合参謀本部の反対意見を押し切り、2003年3月にイラクを攻撃するが、計画通りには進まなかった。そこで同政権は2007年に方針を変更、ズビグネフ・ブレジンスキーのように、スンニ派の傭兵を利用することにする。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、ブッシュ・ジュニア政権は中東における最優先課題をイランの体制転覆におき、レバノンで活動しているイラン系のヒズボラ、イランの同盟国であるシリアを殲滅、そしてイランを倒すという計画を立てる。その手先としてスンニ派を使おうということだ。その中にはフセイン政権の軍人も含まれた。 この工作で中心的な役割を果たしたのは副大統領だったチェイニー、副国家安全保障補佐官のエリオット・エイブラムズ、2007年4月までイラク駐在米大使を務め、国連大使に内定していたザルメイ・ハリルザドで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの人脈と重なる。(Seymour M. Hersh, “The Redirection,” The New Yorker, March 5, 2007) この新しい工作にはイスラエルとサウジアラビアが参加するのだが、記事の中でジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルはサウジアラビアが動員するサラフィ主義者やムスリム同胞団は最悪の集団だと警告している。(Seymour M. Hersh, “The Redirection,” The New Yorker, March 5, 2007) その後も状況が好転しないまま2009年1月からバラク・オバマ政権が始まる。オバマは師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーの戦法を採用し、CIAの訓練を受けた戦闘員で武装集団を編成、その集団に戦わせようというのだ。 その戦闘員の登録リストが「アル・カイダ」にほかならないとイギリスの外相を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが05年7月に書いている。CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト、あるいはデータベースが「アル・カイダ」だというのだ。 オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を使った体制転覆作戦を始動させる。そして引き起こされたのが「アラブの春」。その流れの中でアメリカ、イギリス、フランスを含む国々がリビアやシリアに対する軍事侵略を始めた。 2011年2月に侵略戦争が始まったリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は同年10月に倒され、カダフィ本人はその際に惨殺された。その際にアル・カイダ系武装集団のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)とNATO軍の連携が明らかになる。反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられていた。 ジャーナリストのロン・サスキンドによると、例えばパキスタンの科学者がアル・カイダの核兵器製造開発を支援している可能性が1%あれば、それを前提に対応するべきだと主張した。いわゆる「1パーセント・ドクトリン」だ。(Ron Ruskind, “The One Percent Doctrine,” Simon & Schuster, 2006) 気に入らない相手は捻り潰せということだが、1991年12月にソ連が消滅した段階でアメリカが唯一の超大国になったとネオコンは認識、好き勝手に振る舞える時代になったと考えたのだ。 ところが、21世紀に入り、ウラジミル・プーチンがロシアの大統領に就任した後、ロシアが急速に経済力や軍事力を回復させ、新たなアメリカのライバルとして登場してきた。アメリカは軌道修正しなければならなかったのだが、ネオコンはそのまま突っ走ろうとする。そこでロシアを再属国化させようとするのだが、全て裏目に出た。ロシアは成長し、アメリカを含む西側諸国は衰退している。そうした道を切り開いたのはチェイニーだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.06
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ガブリエル・ギフォーズ下院議員を含む18名が銃撃され、6名が殺された。日本のマスコミがどのように扱っているかは知らないが、この事件でサラ・ペイリン元副大統領候補が世界的に注目されている。ギフォーズ議員が敵対していたティー・パーティーの象徴的な存在というだけでなく、ペイリンの「暴力的表現」が改めて問題になっているのだ。 1970年代後半からアメリカで続けられている大企業/富裕層の優遇政策で中間層が崩壊して貧困層が急増、そうした流れが人種差別感情に火をつけている。アメリカで国民皆保険が実現せず、社会福祉が嫌われる最大の理由は人種差別感情にあるとする指摘を耳にする。おそらく、その通りなのだろう。逆に、福祉政策を攻撃するために差別意識を煽ると言うこともある。 衰退していくアメリカ、貧困化への恐怖、そういったものからくるフラストレーションを暴力的な表現は麻痺させてくれる。閉塞感の強まった社会で暴力的、あるいは差別的な発言が好まれるのは日本にも当てはまる。オイル・ショックの後に人気が出たビートたけし、少し前では2チャンネルの書き込みもそうした現象だと言えるだろう。 乱暴な表現を意識的に使って人気を得てきたティー・パーティーだが、「計算された罵詈雑言」が途中から暴走状態になっていた。ライバル候補を「ターゲット」と表現、地図上にライフルの照準で示していたことも知られている。そうしたターゲットのひとりがギフォーズ議員だった。
2011.01.10
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サウジアラビアが6月5日、突如としてカタールとの外交関係を断絶すると発表、バーレーン、エジプト、アラブ首長国連邦も同調した。このうちエジプトを除く周辺の4カ国はカタールとの陸、海、空の移動も禁止している。それに対し、食糧や水を確保するためにカタールはイランやトルコと交渉に入ったが、そのトルコはカタールに対する今回の決定を厳しく批判した。2011年春にアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルなどが始めたリビアやシリアへの侵略では、手先の傭兵としてサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団が主に使われている。これはアメリカ軍の情報機関DIAも2012年8月の報告書で認めている事実だ。つまり、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を編成、支援しているのはこうした国々だということ。ムスリム同胞団は緩やかな集合体でさまざまな人びとが参加しているが、侵略戦争に参加している人びとの多くはサラフィ主義の影響を強く受けている。1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化されたムスリム同胞団の少なからぬメンバーがサウジアラビアへ逃げ込み、そこでサウジアラビアの国教であるワッハーブ派の影響を強く受けたのだ。しかし、ムスリム同胞団はサウジアラビアよりカタールやトルコの現体制との関係の方が強いようだ。そのため、カタールとトルコは軍事的なつながりも強化、基地も建設している。サウジアラビアを意識してのことだったようだ。地理的な状況からカタールがイランに接近することも必然。トルコもロシアやイランに近づいていたことを考えると、カタール、トルコ、イランの結びつきは強化され、そこへロシアが関係してきても不思議ではない。カタールからシリア経由でトルコへ石油を運ぶパイプライン建設をシリアが拒否したことからカタールはシリア侵略作戦に参加したという見方もある。そうした見方をしているひとりが1968年6月6日に暗殺されたロバート・ケネディ(RFK)の息子だ。カタールはシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒して傀儡政権を樹立、パイプラインを建設しようとしたのかもしれないが、アサド体制はリビアと違って倒れない。2015年9月30日にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入してからは政府軍が優勢で、アサド体制の打倒は難しくなってしまった。カタールがサウジアラビアから離れようとしても不思議ではない。サウジアラビアはカタールを締め上げて属国にしようとしたのだろうが、簡単に屈しそうにはない。サウジアラビアの副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマンたちは24時間でカタールは屈服すると見通していたとする話が流れているが、この見通しは狂った。ちなみに、サウジアラビアで最も強くアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)のような傭兵集団と結びついていると言われているのはこのモハンマド・ビン・サルマンだ。このサルマンに今回の決定をさせたのはドナルド・トランプ米大統領のサウジアラビア訪問だったと見る人もいる。そこでアメリカからの支援を取り付けたと考え、カタールを脅しにかかったのだが、見通しを誤った可能性がある。そうした中、7日の早朝にサウジアラビアのアベル・アル・ジュベイル外相がイランは罰せられなければならないと発言、その数時間後にイラン議会などで襲撃事件が引き起こされている。
2017.06.08
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アメリカの下院は「ゴールドストーン報告」を拒否する決議を344対36の大差で可決した。言うまでもなく、この報告書をまとめたのは、リチャード・ゴールドストーンを中心とする国連調査委員会で、イスラエル軍のガザ地区侵攻で国際人道法に違反する行為があったと結論づけている。すでに国連人権理事会の特別会合で協議され、報告書を支持する決議案が採択されている。賛成25カ国、反対6カ国、棄権11カ国、そして無投票5カ国だった。 アメリカ政府もゴールドストーン報告を「偏向している」として認めていないのだが、どこが問題なのか具体的に指摘するべきだというゴールドストーンの発言にバラク・オバマ大統領もヒラリー・クリントン国務長官も答えていない。要するに、答えられない。 米下院の決議にしても、報告書を議論しての投票ではなかった。ゴールドストーンから説明を受けなかっただけでなく、おそらく大多数の議員は報告書を読んでいないし、決議文すら読んでいない。単に、イスラエルに都合の悪い報告書は認めないというだけのことだ。 アメリカの議員が報告書を読んでいないことはないだろうと思う人もいるだろうが、米下院のブライアン・ベアード議員は同僚議員が報告書や決議の内容を知らないと考えているのだ。ベアード議員は自身も現地で調査している。 今回のゴールドストーン報告が信用できないと主張することは、南アフリカ、旧ユーゴスラビア、ルワンダ、コソボ、ナチなどの残虐行為に関する報告も信用できないということになる。 確かに、これまでに国連が行った調査に問題がないわけではない。アメリカに配慮しすぎているという点で問題があるのだ。今回のガザ侵攻では、そうした配慮をしても黙殺できないほどの残虐行為があったということである。 前にも書いたように、イスラエル政府はゴールドストーン報告を葬り去ろうと必死である。頼みはアメリカだけという状況なのだが、アメリカがイスラエルを無批判に守ろうとするならば、アメリカはさらに世界から信頼されなくなるだけのことだ。 ゴールドストーン報告をくずかごに捨てなければ和平プロセスを壊すとイスラエル政府はアメリカを脅し、ヒラリー・クリントン国務長官はイスラエル人の違法入植を容認する発言もしている。当然、イスラム諸国は反発しているが、それ以外の国々もあきれて見ていることを忘れてはならない。日本のようにアメリカの一挙手一投足をビクビクしながら見ている国は少ない。
2009.11.04
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ウクライナで実行されたクーデターの目的は「西側」の「国境なき巨大資本」にとって都合の良い体制を築くことにあり、その実行部隊はネオ・ナチだった。だからこそ、キエフに成立した暫定政権がオリガルヒ(「西側」と結びついた一種の政商)とネオ・ナチで成立している。 ネオ・ナチはヨーロッパ各国で規制されているように見えるが、裏では国家機関、国際機関、巨大資本などによって守られ、育てられてきたのだ。以前にも書いたことだが、ナチスの母体はロシア革命の翌年に創設された「トゥーレ協会」というカルト色の濃い貴族主体の団体だと考えられている。ロシア革命で国を追われた帝政ロシアの貴族も関係していたようだ。資金面を支えたのはドイツやアメリカの巨大資本。 そして1919年に「ドイツ労働者党」が結成され、翌年には「ナショナル社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」に改称された。当初の支持者は労働者階級が多く、「反ユダヤ」は主張されていたものの、「反資本主義」でもあった。そうした中から1921年にSA(突撃隊)が作られる。 ドイツでは「左翼」のSPD(社会民主党)とKPD(コミュニスト)が反目、その間隙を縫ってナチスが勢力を伸ばして1932年には第1党となり、翌年にはアドルフ・ヒトラーが首相に選ばれた。そして引き起こされたのが国会議事堂の放火事件。ナチスはKPDが実行したと宣伝、同党を非合法化した。続いて労働組合が解散させられ、SPDも禁止されてしまう。そして1934年、ナチスの中で労働者系だったSAの幹部がSS(親衛隊)によって粛清/虐殺され、巨大資本とナチスとのつながりが強まる。 この当時、アメリカ国務省の内部ではファシストを敵視するニューディール派とコミュニストを敵視するリガ派が存在、対立していた。リガ派とは、ラトビアのリガ、ドイツのベルリン、そしてポーランドのワルシャワの領事館へ赴任していた外交官たちが中心で、ジョージ・ケナンやジョセフ・グルーも含まれていた。第2次世界大戦後、日本を「右旋回」させたのは、このリガ派に連なる人びとだ。 大戦後、アメリカの反コミュニスト派はローマ教皇庁の協力を得てナチスの大物を逃走させるルートを築いた。いわゆる「ラット・ライン」だ。1947年からアメリカの第430 CIC(米陸軍対諜報部隊)のジェームズ・ミラノ少佐が統括することになる。この逃走工作には、現代版の「神聖ローマ帝国」を夢想していたクルノスラフ・ドラゴノビッチ神父も参加していた。 また、ナチス親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーは大戦の終盤に仲間を逃がすために「ディ・シュピンネ(蜘蛛)」を組織、スペイン、アルゼンチン、パラグアイ、チリ、ボリビアなどへ逃がして人数は約600名と言われている。やはりナチスの逃走組織ODESSAにも関わっている。 後にスコルツェニーは拘留されるが、1948年に脱獄、バイエルンの農場に隠れる。その農場を所有していたのはイルセ・リトイェなる女性で、後にふたりは結婚する。彼女のオジにあたるヒャルマール・シャハトはナチス時代、ドイツ国立銀行総裁や経済相を務めた人物。彼自身も戦後、非ナチ化法で有罪になって収監されたが、高等弁務官のジョン・マックロイに助け出されている。マックロイはロックフェラー財閥と関係が深い。 ドラゴノビッチのルートでアルゼンチンへ逃れ、ボリビアで活動したクラウス・バルビは1947年にCICに雇われるが、ジャーナリストのアレキサンダー・コックバーンとジェフリー・クレアーによると、「死刑になる可能性があるバルビをフランスに引き渡すことはない」とマックロイは語っている。 その頃、アメリカ国務省はナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力、つまりファシストを助け、雇い始める。いわゆる「ブラッドストーン作戦」だ。当然、スコルツェニーたちの逃走工作とリンクしている。ファシストを戦後のアメリカ政権は守った。ここにニュルンベルク裁判と東京裁判の本質が示されている。前にも書いたことだが、アメリカとファシストを結ぶ「深層海流」を隠し、責任の追及を止めることが最大の目的だったと考えるべきだ。 大戦中、アメリカとイギリスはゲリラ戦を目的としてジェドバラという部隊を編成、その人脈は戦後、OPCという極秘の破壊工作(テロ)組織を作り、ヨーロッパではソ連との戦争を想定して「残置部隊」を編成した。後にNATOが創設されると、その内部に入り込み、「NATOの秘密部隊」とも呼ばれるようになる。中でもイタリアのグラディオは有名。NATOへ加盟するためには、秘密の反共議定書にも署名する必要があるともいう。こうした秘密部隊のネットワークはOPCと強く結びついている。 1960年代から「NATOの秘密部隊」は西ヨーロッパの「左翼勢力」を潰すために動き始める。その一例がイタリアで実行された「極左」を装った爆弾攻撃。左翼への支持を減らし、治安体制を強化、ファシズム化を推進することが目的だった。いわゆる「緊張戦略」だ。 1950年からスペインで保護されていたスコルツェニーは1970年、アメリカのジェームズ・サンダース大佐と「パラダン・グループ」を創設、元親衛隊の隊員のほか、右翼やナショナリスト団体からメンバーを集めて軍事訓練、ネオ・ファシストのネットワークを築く上で重要な役割を果たしている。 ウクライナのネオ・ナチはOUNのステファン・バンデラ派を源流としているが、このグループが合流してできたWACL(世界反共連盟、現在の名称は世界自由民主主義連盟/WLFD)にもパラダン・グループは関係している。 そうしたネオ・ナチに含まれるUNA-UNSOは2006年頃、エストニアにあるNATO系の施設でメンバーが軍事訓練を受けたと言われているが、NATOの秘密部隊に属していると主張する人もいる。この辺は真偽不明だが、ネオ・ナチの歴史を振り返ると、そうであっても不思議ではない。ナチズム/ファシズムは戦後も生き続けてきた。ウクライナにファシスト国家が誕生する意味は大きく、人類存亡に関わる。
2014.03.23
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富の集中が問題になって久しい。「1%」対「99%」とも表現されているのだが、最近の研究によると、実際は「0.1%」対「99.9%」なのだという。「0.1%」の中でも、その上位10%、つまり全体の「0.01%」に富は集まっているようだ。その一方、アメリカでは2008年に就業人口が激減、今では全世帯の20%は家族全員が職を失った状態だという。 富を独占している人びとは消費や投資といった形で築いた財産を社会へ還元するわけではなく、投機市場へ投入し、カネにカネ儲けさせようとしている。要するに博打。相場に失敗して損をしたなら、「大きすぎて潰せない」ということで庶民にツケを回すことができ、蓄財の過程で不正があっても、「大きすぎて処罰できない」ということで許される。つまりイカサマ博打。これでカネ儲けできないはずはない。社会に貢献して報酬を得ているわけではなく、社会を破壊しているわけだ。 そうした仕組みの「理論」になっているのが新自由主義。シカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマンが広めた一種の「経済宗教」で、論理の矛盾は「信じなさい」で誤魔化す。その軸は全てを市場が解決してくれるという教義だ。その「功績」により、フリードマンは1976年にノーベル経済学賞を授与されている。 フリードマンの先輩にあたる人物がフリードリッヒ・フォン・ハイエク。イギリスの首相になったマーガレット・サッチャーと親しい。ハイエクは1930年代にも投機/博打を推進するべきだと主張してジョン・メイナード・ケインズと衝突していた。当時、ハイエクに学んだ学生の中にはデイビッド・ロックフェラーも含まれていた。戦後、ハイエクも一時期、シカゴ大学で教えている。 富豪上位「0.1%」に富が集中し始めるのは1970年代の後半。その理由と考えられているのは、リチャード・ニクソン米大統領が1971年に発表した金とドルとの交換停止。通貨の固定相場制は崩壊して1973年には変動制へ移行、通貨が投機の対象になった。ドルを発行するアメリカは通貨を操作することができ、他国に比べて圧倒的に優位な位置に立った。今ではNSAを使い、様々な相場を操作していると言われている。ロシアや中国がドルを基軸通貨の地位から引きずり下ろしたなら、アメリカは一気に崩壊する可能性もある。 1970年代にはロンドン(シティ)を中心にしたオフショア市場のネットワークが整備され、資産を隠す仕組みができあがる。それまでもタックス・ヘイブンは存在していたのだが、新しいシステムは近代的で、資金の追跡が非常に難しい仕組みになっている。 そのネットワークは大英帝国の支配下にあった地域、例えばジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどで構成されている。 この仕組みによって富豪や巨大企業は資産を隠し、課税を回避することが容易になり、投機市場が肥大化していく。「カジノ経済」の時代に入ったとも言えるだろう。巨大資本は国家という軛から解放され、逆に国家を支配しようとしている。ボリス・エリツィン時代のロシアはそうした社会で、「オリガルヒ」と呼ばれる侵攻の富豪が出現している。 このオリガルヒの力を押さえ込み、政府を中心とした政治を復活させたのがウラジミール・プーチンである。プーチンと対立したオリガルヒのひとりがボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンへ改名)。2004年から05年にウクライナを新自由主義化した「オレンジ革命」にカネを出していたひとりだ。 そのウクライナで新自由主義派の政策は破綻、アメリカの巨大資本やネオコン(親イスラエル派)はウクライナの略奪を本格化しようとしていたのだが、そこでプーチンの逆襲が始まっていた。そして今回のクーデターだ。クーデターの実行部隊としてネオ・ナチを「西側」は育ててきたが、東部や南部の住民はファシストに負けていない。 ウクライナの闘いは「0.01%」との闘い方を示している。
2014.05.13
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ロシア軍は8月16日、超音速長距離爆撃機Tu-22M3を使ってシリアのアレッポ、デリゾール、イドリブを空爆、アル・カイダ系武装集団や、そこから派生した「ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)」の司令部や兵器庫を破壊したという。Tu-22M3による爆撃はこれまでも実施しているが、今回は特別の意味がある。ロシアからではなく、イランのハマダン基地からSu-34戦闘爆撃機と一緒に離陸、シリアでSu-30やSu-35と合流したというのだ。 ロシアの基地から飛び立つと約2000キロメートルを飛行しなければならないが、ハマダンからなら700キロメートルにすぎない。これだけでも大きな意味があるのだが、イラン政府が自国の基地をロシア軍に使わせたということは、それだけ両国の関係が緊密になったことを意味する。かつてヒラリー・クリントンはイランを攻撃すると口にしていたが、ハードルは高くなった。 1980年代からネオコン/シオニストやイスラエルはイラクのサダム・フセイン体制を倒すべきだと主張していた。イラクに傀儡政権を樹立させれば、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国でイランとシリアを分断することができると考えたからである。すでにイラクを破壊、今はシリアを侵略している。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたことのあるウェズリー・クラークによると、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしていたという。そうした発言の背景には、そうしたネオコンの戦略があったということだ。「アラブの春」、「民主化」、「人権」などは侵略を正当化するために掲げた中身のない看板にすぎない。 しかし、すでにロシアはシリアやイランとの関係を強め、イラクもロシアへ近づこうとしている。さらに、最近はトルコがアメリカ離れを始めてロシアへ接近している。 それに対し、サウジアラビアはイスラエルとの関係を強化し、ヨルダンでは自国の情報機関員が軍事キャンプを設置して7000名以上を訓練していると伝えられている。この訓練には、イギリスやアメリカを含む西側諸国から教官が派遣されているようだ。 現在、中東ではロシア、シリア、イランの勢力とアメリカ/NATO、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルの勢力が対立していると言える。そうした中、ロシアは自分たちの攻撃力がアメリカを上回ることをシリアでの作戦で示し、アメリカに対する恐怖感を弱めることに成功したようだ。その結果、アメリカの支配力も低下、アメリカに従属していたはずのイラクやトルコもロシアへ近づきつつある。アメリカの支配層、特に好戦派は形勢逆転を図るため、何かを仕掛けてきそうだ。 ところで、シリアで活動してきたアル・カイダ系武装集団は「アル・ヌスラ」が有名だが、アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、アル・ヌスラはAQIの別名。これはイラクのアル・カイダを意味する英語のイニシャルだが、アラビア語の名称は「ふたつの河の国の聖戦ベース機構」を意味している。このAQIが中心になって編成されたのがISIで、活動範囲がシリアへ拡大してからISISと呼ばれるようになった。アラビア圏で呼ばれている名称の音声に近い表記はダーイッシュだ。つまり、AQI、アル・ヌスラ、ダーイッシュは本質的に同じである。 今年7月、アル・ヌスラはファテー・アル・シャムへ名称を変更、アル・カイダと関係を断ったというが、形だけのことだろう。何しろ、アル・カイダなる武装集団は存在しないのだ。本ブログでは何度も引用しているが、1997年から2001年にかけてイギリスの外務大臣を務めたロビン・クックによると、アル・カイダはアラビア語でベースを意味し、CIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまりデータベースにすぎない。 こうした戦闘集団はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力が使ってきた傭兵の集まりで、状況によってタグが付け替えられてきた。名称が変更され、「自由の戦士」になったり「テロリスト」になったり、また「過激派」になったり「穏健派」になったりするのは雇い主の事情による。 こうしたタグの付け替えで人びとをたぶらかし、軍事侵略を続けようとアメリカの支配層は目論んでいるようだが、ロシアは勿論、シリアにもイランにもイラクにもトルコにも通じないだろう。中国はすでに艦船を地中海に派遣したりしているが、ここにきてシリアで軍事訓練を実施することが決まったという。アメリカの好戦派がロシアや中国などに対する「世界大戦」を始めたと中国も認識したように見える。アメリカ好戦派の手先、日本に対する姿勢も厳しくなる可能性があるだろう。
2016.08.18
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歴史は大きな節目にさしかかっている。アメリカを中心とする支配システムを支えてきたドル体制が揺らぎ、新しいシステムへ移行する可能性が高まっていると考える人は少なくない。新秩序をどのようなものにするかで軍事的にも経済的にも緊張が高まっている。 そうした中で日本はアメリカ支配層のコントール下、軍事力を増強してきた。本ブログでは繰り返し書いてきたが、1992年2月にネオコンが作成した世界制覇プランに基づき、日本は95年からアメリカの戦争マシーンに組み込まれてきた。そのひとつの結果が目の前に出現しつつある。 イージス・アショア、MV22オスプレイ、F-35Bといった兵器をアメリカの軍需企業を設けさせるだけのために購入するわけではない。ARDB(水陸機動団)の創設と同じようにアメリカの軍事戦略が深く関係、その戦争マシーンの一部として機能するために必要なのだ。 第2次世界大戦後、アメリカの軍事戦略は中心に核兵器が据えられた。例えば、SAC(戦略空軍総司令部)が1954年に作成した計画では、600から750個の核爆弾をソ連へ投下、約6000万人を殺すことになっている。この年の終わりにアメリカ軍はヨーロッパへ核兵器を配備した。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 1957年になるとアメリカ軍の内部でソ連に対する先制核攻撃を準備し始めるている。(James K. Galbraith, “Did the U.S. Military Plan a Nuclear First Strike for 1963?”, The American Prospect, September 21, 1994)この年の初頭、アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦を作成、300個の核爆弾をソ連の100都市で使うことにしている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 核攻撃を実現するためには核兵器を運搬する能力が必要。そのためには兵器を小型化し、戦略爆撃機やICBM(大陸間弾道ミサイル)を準備する必要がある。しかも相手国、つまりソ連がそうした準備のできない段階で攻撃しなければならない。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、リーマン・レムニッツァーJCS議長やSAC司令官だったカーティス・ルメイを含む軍の好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったというが、その計画を当時の大統領、ジョン・F・ケネディが阻止、そのケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺されてしまった。 ライマン・レムニッツァーやカーティス・ルメイはアレン・ダレスCIA長官やチャールズ・キャベルCIA副長官とも手を組んでいたが、ダレスは1961年11月に、またキャベルは1962年1月に解任された。 レムニッツァーは統合参謀本部議長の再任が拒否され、1962年9月に退任、通常は退役なのだが、エリザベス2世女王に近いイギリス軍のハロルド・アレクサンダー元帥の口添えで欧州連合軍最高司令官に就任している。 アレクサンダーは1940年5月から6月に行われたダンケルク撤退を指揮したが、レムニッツァーをアレン・ダレスに紹介したのもこの人物。レムニッツァーとダレスは1945年3月にナチスの幹部と秘密交渉を行った。サンライズ作戦だが、その前からアメリカ側の一部はドイツ側と秘密裏に接触、戦後のことを話し合っている。これはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断で行われていた。(つづく)
2019.01.01
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