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安倍晋三政権はアメリカのバラク・オバマ政権からのメッセージを無視、東アジアの軍事的な緊張を高め続けている。勿論、安倍首相の周辺には狡猾な官僚がいて、自分たちの判断でアメリカ政府と事を構えるとは考えにくい。誰かに操られている可能性が高いということだ。そもそも、日本の支配システムの利益に反する政策を打ち出せば、あらゆる手段を使って排除されるだろう。 アメリカ政府との関係が険悪になる切っ掛けは昨年12月26日に行われた安倍首相らの靖国神社参拝。その2週間前、ジョー・バイデン副大統領は電話で安倍首相に対し、靖国神社の参拝は自重するように求めたが、それを無視する形で神社を訪れ、「失望」という表現が出てきたわけだ。 アメリカでもバイデン副大統領はある種の人びとに嫌われている。例えば、2010年にアフガニスタン駐留軍司令官を務めていたスタンリー・マクリスタル大将の側近はマイケル・ヘイスティングスというジャーナリストの取材を受けた際、オバマ大統領への不満を口にし、バイデン副大統領や大統領補佐官だったジェームズ・ジョーンズ退役大将などホワイトハウスの高官を軽蔑していたという。 ヘイスティングの記事が原因でマクリスタル大将は退役することになるが、ヘイスティングは昨年6月、ロサンゼルスで自身が運転するベンツが木に激突して炎上、死亡した。自動車を制御するコンピュータがハッキングされて暴走したという噂もあるが、真相は不明だ。 ところで、前にも書いたことだが、安倍政権を操っている黒幕を推測するヒントを安倍首相は今年9月、アメリカのハドソン研究所で行った演説の冒頭で口にしている。ロナルド・レーガン、リチャード・チェイニー、ヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツ。いずれもイスラエルと親密な関係にある。 この演説はハーマン・カーン賞を受賞したことを記念してのものだったが、この研究所と安倍首相を結びつけたのはI・ルイス・リビー。この人物はネオコン(親イスラエル派)の中心グループに属し、ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めたチェイニーの首席補佐官だった。 ジョージ・W・ブッシュ政権の軍事面は副大統領だったチェイニーが指揮していたと言われ、その発想は1%でも敵対行為を準備している可能性があれば、実際に準備していると想定して先制攻撃するべきだというもの。要するに、気に入らない奴は軍事力で叩きつぶしてしまえ、ということ。いわゆる「1%ドクトリン」だ。 ちなみに、現在、ヨーロッパ・ユーラシア担当の国務次官補としてウクライナの反ロシア/反政府派を扇動しているビクトリア・ヌランドはチェイニー副大統領の外交問題担当の筆頭副顧問だった人物で、夫はネオコンの大物、ロバート・ケイガン。 昨年8月21日、安倍首相は官邸で沖縄駐留の米海兵隊についてジョン・マケイン上院議員と話し合い、その際にマケインは普天間飛行場を名護市辺野古沿岸部に移設する計画を進めるよう求めたと伝えられている。このマケインも現在、ウクライナで反ロシア/反政府派を煽っているひとりだ。
2014.01.31
昨年12月26日に安倍晋三首相らは靖国神社を参拝、中国や韓国から批判されるだけでなく、アメリカ政府から「失望」という表現を突きつけられている。この神社が日本のアジア侵略を象徴する存在だと見なされているからだ。「A級戦犯」が本質的問題なのではない。 この侵略を認め、ポツダム宣言を受け入れることから戦後の日本はスタート、国際関係を築いてきた。そうした関係を靖国神社への参拝は否定することになる。これは尖閣諸島/釣魚台列嶼や竹島/独島の領土問題にも共通することだ。 靖国神社は、薩摩藩や長州藩を中心にした勢力が徳川幕府を倒し、明治政府を作る過程で戦死した人びとをまつるために作られた。この神社にはその後のアジア侵略において戦死した人びともまつられ、そこには「A級戦犯」も含まれている。 戦犯として処刑されたり獄中死した14名を靖国神社が「殉教者」として合祀したのは1978年のこと。その14名とは、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東条英機、広田弘毅、松井石根、武藤章、梅津美治郎、小磯国昭、白鳥敏夫、東郷茂徳、永野修身、平沼騏一郎、松岡洋右で、前の7名が1948年12月23日に処刑された人びとだ。 処刑の翌日、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一を含むA級戦犯容疑者19名が巣鴨刑務所から釈放されているが、アメリカ政府がこうした人びとの裁判放棄を発表したのはその年の1月。翌年の3月にGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)は極東国際軍事裁判の打ち切りを決定した。 その段階で中国はコミュニストの体制になることがほぼ確定、アメリカで秘密裏に設置された破壊工作機関のOPC(大戦中に米英両国で編成したゲリラ戦部隊、ジェドバラの後身)は東アジアにおける拠点を上海から日本へ移動させている。下山事件、三鷹事件、松川事件という国鉄を舞台とした「怪事件」が起こったのも1949年のことだ。その翌年、朝鮮戦争が勃発する。 事実上のアメリカ軍だったGHQ/SCAPは他の連合国メンバーが日本の将来について口をはさむ前に天皇制を維持する条文を入れた「民主的」な憲法を作った。アメリカ以外の国では天皇に対して厳しい意見も多く、のんびり構えているわけにはいかなかったのだ。 処刑されたA級戦犯が公正に裁かれたと言えないことは確かだが、その一因は天皇制を維持することにあった。東条英機は昭和天皇の、また松井石根は朝香宮鳩彦(昭和天皇の叔父)の身代わりだと考え、広田の有罪判決に疑問を持つ人も少なくない。フィリピンで処刑された山下奉文の場合、略奪財宝に関する口封じだとも言われている。極東裁判、A級戦犯への処罰によって、日米の支配層は戦争に関する検証を封じ込めてしまった。 占領軍に優遇された日本軍の幹部たちもいる。細菌戦部隊「関東軍防疫給水部本部(満州第731部隊)」を率いていた石井四郎中将もそうだが、「KATO機関」と呼ばれた有末精三陸軍中将、河辺虎四郎陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将、大前敏一海軍大佐らも有名。 本ブログではすでに書いたことだが、1923年の関東大震災を切っ掛けにして、日本はアメリカの巨大資本の影響下に入った。復興資金の調達をJPモルガンに頼ったことが大きく、その後の経済政策はウォール街の意向に沿うものだった。その結果が貧困の深刻化であり、軍や右翼の一部の間で財界への怒りが高まることになる。当時、最もJPモルガンと緊密な関係にあった日本人は井上準之助だと考えられている。そうした関係のできた切っ掛けは、1920年に行われた対中国借款交渉だという。 加藤友三郎首相の死亡にともない、山本権兵衛が組閣している最中に地震が関東地方を襲ったが、その山本内閣で井上が蔵相を務める。1929年に誕生した浜口雄幸内閣でも井上は蔵相を務め、ウォール街の要望に従って緊縮財政と金本位制への復帰を実行、経済を悪化させた。 1930年に浜口は銃撃されて翌年に死亡、32年には血盟団が井上と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。なお、団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。 井上の死と相前後する形で駐日アメリカ大使に就任したのがジョセフ・グルー。親戚のジェーン・グルーがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。グルーは大戦後、日本をコントロールしたジャパン・ロビーの中枢で活動している。 ウォール街と日本という関係で見ると、大戦前と後で大きな変化はない。憲法や日米安全保障条約で昭和天皇の発言力が強かった一因もここにあるだろう。その日米関係を維持するために行われた儀式が極東裁判であり、A級戦犯の処刑だった。 占領時代、GHQ/SCAPの内部では将校の多数が靖国神社の焼却を主張していたが、これをイエズス会のブルーノ・ビッテル(ビッター)とメリノール会パトリック・J・バーン、ふたりのカトリック司祭が阻止している。 ビッテルはニューヨークにいたフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だというが、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ重要人物として知られている。ビッテル自身、「闇ドル」を扱っていた人物で、彼の関わっていた秘密資金によって、リチャード・ニクソンはドワイト・アイゼンハワーの副大統領になることができた。当然、ビッテルも情報機関につながっているはずだ。 戦前から日本とアメリカとの間には深い闇が広がっている。その闇を封印するための儀式が極東裁判であり、A級戦犯の処刑だった。A級戦犯とは封印のための「御札」。この「御札」をはがして封印を解いたなら、日本の天皇制官僚システム、そしてウォール街を中心とする支配システムが揺らぐ可能性がある。
2014.01.30
現在の世界では最も裕福な85人の資産が世界人口の半分の資産合計に匹敵、そうした状態を作り上げた原因は世界のエリートが自分たちの好きなように法を操り、民主主義を蝕んでいることにあると指摘したNGOのOxfam。イスラエルがヨルダン川西岸へ違法入植し、パレスチナ人の人権を侵害していることも批判してきた。 ところが、このOxfamの大使を2007年から務めてきた俳優のスカーレット・ヨハンソンがイスラエルのSodaStreamと広告の契約を結び、問題が起こった。この会社の主力工場はヨルダン川西岸にあるのだ。そこでヨハンソンはOxfamから批判され、ヨハンソンはビジネスを優先、Oxfamとの関係を解消すると表明している。 1970年代の後半からイスラエルでは、ウラジミール・ジャボチンスキーの後継者たちが主導権を握っている。アメリカの聖書根本主義派(キリスト教系カルト)と手を組むことでアメリカやイスラエルでの影響力を強めたのだが、その基本戦略は「大イスラエル」にある。つまり、旧約聖書に書かれた「約束の地」、ナイル川とユーフラテス川に挟まれた地域をイスラエルの領土にするつもりだ。 こうしたジャボチンスキーの系譜にイスラエルの軍や情報機関はつながり、パレスチナとの包括的な和平は考えていない。歴史を振り返ると、シオニストは最初から力尽く。1948年4月4日にシオニストは先住のアラブ系住民を追い出す目的で「ダーレット作戦」を開始、9日未明にはデイル・ヤシンを襲撃して住民を惨殺している。国際赤十字によると、このときに254名が殺され、そのうち145名が女性で、35名は妊婦だった。 こうした虐殺を見て多くのアラブ系住民は恐怖から逃げ出し、約140万人いたアラブ系住民のうち、5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後、一年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。 それでもシオニストは予定した地域を制圧できず、1967年に「第3次中東戦争」を引き起こしている。イスラエルに批判的だったジョン・F・ケネディ大統領は1963年に暗殺され、親イスラエル派議員の中心的な存在だったリンドン・ジョンソンが大統領になっていた。 このジョンソンが開戦を承諾したと言われているが、それはエジプトを攻撃することだけだった。イスラエルのモシェ・ダヤン国防相などはシリアのゴラン高原も制圧するつもりだったため、アメリカが派遣した情報収集船のリバティ号を攻撃、沈没させ、乗組員を皆殺しにしようとしている。事前に、ソ連軍が不穏な動きをしているかのような情報も流していた。 イスラエル側の予定では、まず船の通信装置を破壊して救援を要請できないようにすることになっていたのだが、リバティ号は何とか至急電を送ることに成功、15分以内に第6艦隊の空母サラトガは4基のA1スカイホークを離陸させた。そばには空母アメリカもいたのだが、この艦長は戦闘機を発進させようとせず、ロバート・マクナマラ国防長官は離陸した戦闘機に帰還を命じている。結局、ホワイトハウスが戦闘機を救援に差し向けると決断したのは至急電を受けてから1時間ほど後のことだった。 結局、この戦争でイスラエルはガザ、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を占領した。その後、シナイ半島からイスラエル軍は撤退するが、それ以外の地域では占領を続けている。 この占領に関し、国連の安全保障理事会は1967年11月に242号決議を採択、第3次中東戦争で占領された領土からイスラエル軍は撤退し、交戦状態を終結、難民問題を公正に解決するよう求めている。この決議をイスラエルは現在まで無視、そうした姿勢を支持するグループがアメリカにも存在する。その代表格がヘンリー・キッシンジャーだ。 現在のイスラエル首相、ベンヤミン・ネタニヤフもそうした考えの持ち主。ベンヤミンの父、ベンシオンはアメリカでジャボチンスキーの側近だった人物で、ジャボチンスキーの死後は運動の中心的な存在だった。そうしたことから息子のベンヤミンはアメリカでジャボチンスキー派の運動を支えていた富豪たちと親しくなっている。 Oxfamとヨハンソンとの間に持ち上がった問題の根はここにある。イスラエルの「建国」は不公正なものだったが、シオニストはそれでも満足できず、ジャボチンスキーの後継者たちは「大イスラエル」を目指しているわけで、ガザやヨルダン川西岸は自分たちのものだと考えている。しかも、この地域では膨大な量の天然ガスが発見されている。
2014.01.30
アメリカの支配層、中でも「ネオコン」と呼ばれる親イスラエル派は「テロとの戦争」という名目で多くの国々を侵略、国内をファシズム化してきた。その「テロ」を象徴する存在が「アル・カイダ」と呼ばれるイスラム教スンニ派武装勢力であり、その武装勢力のスポンサーがサウジアラビアやカタール。その背後には欧米の支配層が存在している。こうした構図はリビアやシリアの戦乱、つまり「西側」やペルシャ湾岸産油国が仕掛けた体制転覆プロジェクトで明確になった。 リビアで地上軍の主力だったLIFG(リビア・イスラム戦闘団)がアル・カイダだということは自他共に認めるところ。日本で報道されたかどうかは知らないが、ムアンマル・アル・カダフィが惨殺された直後、反カダフィ軍の拠点だったベンガジでは、裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられていた。その映像はすぐにYouTubeへアップロードされ、デイリー・メイル紙などもその事実を伝えている。 サウジアラビアで武装勢力を動かしている責任者がバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官であり、戦闘員の主な供給源はサラフィーヤ/ワッハーブ派。そのサウジアラビアで、そうした戦闘員を送り出している聖職者を批判する声が出てきた。時代の流れに変化の兆しが見られる。 この国のテレビ局MBCの人気番組でホストを務めるダブド・アル・シャリアンがスルタン長官たちが行っているシリアへの軍事介入に反対する聖職者を登場させたのだ。その聖職者は、一部の聖職者がサウジアラビアの若者を洗脳してシリアへ送り出していると批判したのである。 そのシリアで現在、政府軍と戦っているのは事実上、3組織。つまり、イスラム戦線、アル・ヌスラ戦線、そしてISIL(イラク・レバントのイスラム国、ISISやIEILとも表記)。いずれもアル・カイダに分類されている。 イスラム戦線はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が昨年11月に諸団体を再編成して組織、アル・ヌスラ戦線はカタールに近く、トルコの司法当局や警察によると、ISILはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が秘密裏に創設したのだという。カタールとエルドアン首相はムスリム同胞団と緊密な関係にある。サウジアラビアはアル・ヌスラやISILへの支持も表明している。 何度も書いたことなので恐縮だが、スンニ派武装勢力が組織されたのはアフラニスタンに誘い込んだソ連軍と戦わせるため、1970年代の末にアメリカがパキスタンなどの協力を得て組織したのが始まり。サウジアラビアは重要なスポンサーだった。 後に「テロの象徴」として扱われるアル・カイダ、その「看板」だったオサマ・ビン・ラディンもサウジアラビア出身であり、ビン・ラディン家はサウジアラビアの王室やブッシュ家と親しい関係にあることは有名だ。 また、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、ニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアは、シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとしている。スルタン長官が頻繁にイスラエルと接触しているとも伝えられている。 サウジアラビアが手を組んでいた「西側」はシリアへの直接的な軍事介入を実現するため、化学兵器の使用を口実に使おうとしたのだが、本ブログでは何度も書いたが、その後の調査で化学兵器を使ったのは反政府軍だった可能性が高いことが判明した。その黒幕はサウジアラビアだとも指摘されている。反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるという趣旨の記事をハーシュも書いた。 若者を洗脳して戦地へ送り出す・・・サラフィーヤ/ワッハーブ派と似たようなことを安倍晋三首相やその背後グループは考えているようで、NHK支配だけでなく、「教育」への介入を強めている。
2014.01.29
ベーリング海やチュクチ海で生息するアザラシの間で奇病が発生していることが注目され始めたのは2011年の夏。無気力で新しい毛が生えず、皮膚病も見つかっている。この件について、アラスカ大学の研究者がひとつの仮説をたてた。 それによると、東電福島第一原発から大気中に放出された放射性物質は5日以内にベーリング海やチュクチ海に到達、海氷に蓄積されて食物連鎖の中には入らずに東へ移動、ただ、その間も氷の上で生活するアザラシなどが外部被曝や呼吸を通じて内部被曝した可能性がある。出産なども氷の上で行うことになる。放射性物質が食物連鎖の中に入るのは氷が溶けた後ということだ。さらに、海洋中へ流れ込んだ放射性物質も昨年の後半にはアラスカからカリフォルニアの近くまで到達したようで、環境への影響が懸念される状況になっている。 事故直後に福島第一原発の沖で被曝したアメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンの乗組員の間で甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているようで、70名以上が裁判を起こそうとしている。乗組員たちは船上で雪合戦をしたともいう。 そのほか、カナダではニシンのひれ、腹部、あご、眼球などから出血が報告され、サケへも影響が出ている疑いがあり、ヤマトシジミに遺伝的な異常が出たとする調査結果もある。アメリカの西海岸ではヒトデに異常が報告されている。また、昨年末にはユタ州でハクトウワシが原因不明の奇病で数週間に20羽が死亡しているようだ。 いずれのケースとも、福島第一原発との関係が証明されたわけではないようだが、怪しい事例が増えているとは言える。にもかかわらず、日本だけでなくアメリカでも汚染や環境の異常などに関する公的な調査はないに等しく、研究者らが自分たちで調べようという動きが出ている。 日本の政府や原発利権につながる巨大企業、学者、マスコミなどは特定秘密保護法で情報を隠し、責任を回避する腹づもりかもしれないが、国外での調査を止めることは難しいだろう。
2014.01.28
ウクライナの首都、キエフでの混乱が続き、司法省のビルが反政府/反ロシア派に占拠されたようだ。抗議活動の参加者はトラクターを持ち出しただけでなく、ヘルメット、ゴーグル、ガスマスク、プロテクターで身を包み、盾を片手に、もう一方の手には棍棒、ナイフ、火炎瓶を持ち、街頭で警官隊と衝突している。 抗議活動が始まる切っ掛けはウクライナ政府が昨年11月21日に行った発表。EUとの「連合協定」に向けての準備を停止、ロシアとの協議を再開するという内容だった。ウクライナの西部地域はEUと結びつきたいという気持ちが強く、激しく反発した。 そうした感情の根底には人種差別意識がある。13世紀にモンゴル人がヨーロッパの東部へ侵入、キプチャク・ハン国が成立し、それから約240年にわたってロシア人はモンゴル人に支配されたのだが、その間にキエフ公国が滅ぼされ、モスクワ公国が実力を高めている。都もモスクワへ移された。 こうした時代背景があるため、少なくとも一部のウクライナ人にはモンゴル、つまり黄色人種の血が混じっているロシア人に対して差別的な感情があると言われている。第2次世界大戦でウクライナのナショナリストがナチスに協力した理由のひとつはその辺にあるのだろう。 今回の抗議活動では3本指の旗が掲げられているが、これはスボボダ(自由)という政党のもの。1991年に創設され、「極右」あるいは「ネオナチ」と見なされている。この政党のリーダーとネオコン(親イスラエル派)のジョン・マケイン米上院議員は昨年12月に会っていた。 マケインは反政府/反ロシア活動を激励するためにウクライナを訪問したのだが、アメリカから活動を鼓舞するために同国を訪れた人物はほかにもいる。そのひとりがビクトリア・ヌランド。昨年9月からヨーロッパ・ユーラシア担当の国務次官補になった人物で、抗議活動の参加者にスナック菓子を配り、反政府/反ロシア行動を叱咤激励していた。また、彼女の夫はネオコンの大物、ロバート・ケーガンだ。 マケインやヌランド以上に重要な役割を果たしてきたのはロシアのUSAID(米国国際開発庁)やNGO。USAIDがCIAと緊密な関係にあることは有名で、昨年9月にはロシアのウラジミール・プーチン大統領からロシアにおける活動を10月1日までに中止するように命令されている。それまで活動を許していたことに疑問を持つ人も少なくない。 また、2012年1月からロシア駐在大使を務めているマイケル・マクフォールも活発に動いている。この人物はフーバー研究所に所属していた反ロシアの活動家として有名で、モスクワに赴任した3日後には反プーチン/親アメリカ(親ウォール街)派のリーダーが早速、アメリカ大使館を訪れている。 「非暴力」を掲げ、旧ソ連圏での抗議運動に大きな影響力を持つジーン・シャープのスポンサーは米国防総省系のRANDコーポレーション、フォード財団、そしてUSAIDから資金が流れ込んでいるNED。このNEDはロナルド・レーガン政権が心理戦を展開するために始めた「プロジェクト・デモクラシー」に基づき、1983年に創設されている。 ウクライナは2004年から05年にかけて展開された「オレンジ革命」で反ロシア/親米のビクトル・ユシチェンコが実権を握ったのだが、その背後では富豪のジョージ・ソロスがいた。1979年にニューヨークで「オープン・ソサエティ基金」を設立、その後、ハンガリーやソ連でも基金を立ち上げている。 ボリス・エリツィン時代にロシアを私物化、巨万の富を築き、プーチン時代にイギリスへ亡命したボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンに改名)もウクライナの「オレンジ革命」でスポンサーになっている。ベレゾフスキーは少なくとも一時期、イスラエルの市民権を持っていた人物で、イギリスのロスチャイルド家とも親しかった。 シリアでロシアに苦汁を嘗めさせられたネオコン。そのネオコンがロシアの周辺国を不安定化させ、ロシア政府を揺さぶろうとしている側面がある。中東/北アフリカでは「西側」や湾岸産油国のプロパガンダ機関に徹している欧米の有力メディアはウクライナの反政府活動の暴力行為には寛容だ。
2014.01.27
新しくNHKの会長に就任した籾井勝人の記者会見があり、その中で「従軍慰安婦」は「どこの国にもあったこと。」と言い切り、問題になっているようだ。三井物産の副社長や日本ユニシスの社長を務めた人物なら詳しく調べてから発言したのかと思いきや、会見の続きを見ると違うらしい。 記者から「慰安婦は戦争していた国すべてにいた、というふうに取れるが」と言われ、新会長は「韓国だけにあったことだとお思いですか。」と聞き返し、「戦争地域ってことですよ。どこでもあったと思いますね、僕は。」「行って調べてごらんなさいよ。あったはずですよ。あったんですよ、現実的に。ないという証拠もないでしょう。」少し後で、再び「僕は、なかったという証拠はどこにあったのか聞きたいですよ。」と繰り返している。 まず石原某のように自分の発言に関する調査の責任を相手に押しつけ、「あったはず」という推測から「あった」という断定に変わり、「ないという証拠もないでしょう」と一気にトーンダウンする。口から出任せ。何か違反なり犯罪なりの容疑で捕まった人物が別の人物を指し、「あいつが悪いことをしていない証拠を出せ」と居直っているようだ。 「ドイツにありませんでしたか、フランスにありませんでしたか?そんなことないでしょう。ヨーロッパはどこだってあったでしょう。じゃあ、オランダに今ごろまでまだ飾り窓があるんですか?」 質問を回避するため、逆に質問するのはよくある手法だが、余計なことを口にした。オランダの「飾り窓」を引き合いに出したのだが、これは「従軍慰安婦」まったく別の話。その差も理解できていないことを自ら、あからさまにしてしまった。 記者の質問には関係なく、籾井会長の口からは「韓国」という言葉が出てくる。 「今韓国がやっていることで一番不満なのは、・・・韓国が、日本だけが強制連行をしたみたいなことを言っているから、話がややこしいですよ。お金寄越せと言っているわけですよ、補償しろと言っているわけですよ。しかしそういうことは全て、日韓条約で国際的には解決しているわけですよ。それをなぜそれを蒸し返されるんですか。おかしいでしょう。そう思いますよ、僕は。」 新会長は「従軍慰安婦」も「強制連行」も否定していない。日本だけがやっていたのではないから責任はないと言っているわけだ。挙げ句の果てに韓国を恐喝犯であるかのように扱った。 昨年5月13日、橋下徹大阪市長も同じ趣旨の発言をして問題になっている。 「当時の世界の状況としては、軍はそういう制度を持っていたのも、厳然たる事実です。にもかかわらず、欧米が日本だけを、だってそれは朝鮮戦争だって、ベトナム戦争だって、そういう制度があったんですから、第2次世界大戦後。」 「あれだけ銃弾の雨、銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときにね、それはそんな猛者集団といいますか、精神的にも高ぶっている集団はやっぱりどこかでね、まあ休息じゃないけれどもそういうことをさせてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのはこれは誰だってわかるわけです。」 「ただそこで、日本国がね、欧米社会でどういう風に見られているかっていうと、これはやっぱり韓国とかいろんな所のいろんな宣伝の効果があって『レイプ国家だ』っていうふうにみられてしまっているところ、ここが一番問題だから、そこはやっぱり違うんだったら違うと。証拠が出てくればね、認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年の閣議決定ではそういう証拠がないという状況になっています。」 2007年3月1日、安倍晋三首相は従軍慰安婦について「強制性があったことを証明する証言や、それを裏付ける証拠はなかった」と語り、大きな問題になったのだが、橋本市長は気にしていなかったようだ。その橋本発言の結果を籾井NHK会長は気にしていない。 戦争の末期から戦後にかけて旧日本軍/自衛隊は自分たちに都合の悪い文書は焼却してきた。証拠の隠滅。その上で「証拠がない」と主張するのは見苦しい限りだ。 「従軍慰安婦」は朝鮮を主体とする東アジアの女性が大半だったが、オランダ人女性も含まれていたと報告されている。当時、新聞記者として取材していた「むのたけじ」も書いているが、その多くは甘言を弄して集められた、つまり誘拐されたわけである。(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書) そうした女性たちは軍隊と一緒に動いていたが、その際に船で移動させられていることだけでも軍の介入は明確。そうした移動には軍の了解が絶対に必要で、軍が作戦のひとつとして行ったと考えねばならない。(前掲書) ところで、籾井が会長に選ばれたのは国際経験が評価されたからだというが、この会見を見る限り、国際感覚は恐ろしく鈍感。この程度の人間が経営幹部になれる三井物産や日本ユニシスもお粗末な会社なのだろう、と思われても仕方がない。
2014.01.26
スイスで開かれたダボス会議で安倍晋三首相は、日本と中国との関係を第1次世界大戦前のドイツとイギリスに準えたと伝えられている。丁度100年前に始まった戦争ということから会議では現在と当時を比較する話が飛び交ったようだが、それにしても日本と中国との軍事的な緊張が高まったいる状況を説明するのに持ち出すとは無神経な話。日本と中国との関係が危険な状態にあることは米太平洋軍のサミュエル・ロックリア司令官も認めているほどで、記者が驚くのは当然だ。 勿論、第1次世界大戦はイギリスとドイツだけの戦争ではない。1914年にオーストリアとセルビアとの間で戦闘が始まり、それぞれの後ろ盾であるドイツとロシアが衝突、さらにオスマン帝国がオーストリアとドイツ側に、イギリス、フランス、アメリカ、日本がセルビアとロシア側についたわけである。 この戦争は中東の石油利権が関係していたことでも知られている。当時、まだ中東や北アフリカに大きな影響力を保持していたオスマン帝国を倒せば石油の利権を奪えるとイギリスやフランスは考え、1916年に利権を山分けする目的で「サイクス・ピコ協定」を結んだ。 大雑把に言って、この協定ではヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスが、フランスはトルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをそれぞれ支配することになっていた。オスマン帝国を倒すためにイギリスはアラブ人を利用しようと考え、その工作のエージェントとして動いたのが「アラビアのロレンス」ことトーマス・ローレンスだ。そして1932年にサウジアラビアが生まれる。 その間、1917年にアーサー・バルフォア外相の名義でロスチャイルド卿に宛てに出された書簡の中で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」とも約束している。この書簡を実際に書いたのはアルフレッド・ミルナー。そしてイスラエルの建国につながった。 1917年3月(帝政ロシアで使われていたユリウス暦では2月)の「3月革命(あるいは2月革命)」で帝政ロシアは倒され、臨時革命政府が成立するが、その実態は資本家の政権であり、イギリスの傀儡だとも言われていた。 この展開を嫌ったドイツは亡命中だったウラジミール・レーニンをはじめとするボルシェビキの幹部を秘密裏にロシアへ運ぶ。ボルシェビキは即時停戦を主張していたからである。 7月にボルシェビキが行った武装デモは鎮圧されるが、臨時革命政府軍の最高総司令官だったラーブル・コルニーロフ将軍がクーデターを企てると臨時革命政府はレフ・トロツキーに頼り、鎮圧に成功する。ボルシェビキはそのまま臨時革命政府に矛先を向け、11月(ユリウス暦では10月)の「11月革命(あるいは10月革命)」につながった。ボルシェビキ政権はドイツの思惑通りに即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出した。 第1次世界大戦はイギリスが仕掛けたと考える研究者もいる。ドイツを倒すだけでなく、帝政ロシアを制圧し、中東の石油利権を奪うためだ。リビアやシリアへの軍事介入にイギリスとフランスが熱心だったのを見て「サイクス・ピコ協定」を連想した人は少なくなかった。
2014.01.24
民主主義を蝕んでいるとNGOのOxfamから批判された「世界のリーダー」がスイスに集まり、会議を開いた。「ダボス会議」と呼ばれているようだが、この会議に出席した安倍晋三首相は記者会見で日本と中国との関係を第1次世界大戦前のドイツとイギリスに準えるという無神経な発言をして問題になっている。 記者会見でフィナンシャル・タイムズ紙のギデオン・ラクマンから中国と日本との間で戦争が起こることは考えられるかと聞かれ、安倍は開戦を否定せず、第1次世界大戦前のドイツとイギリスを引き合いに出したという。 言うまでもなく、回答の第一声は重要。その人物の本音が最も出やすいからで、それに外国のメディアが注目したのは当然のことである。「類似性」という語句の問題ではなく、第1次世界大戦前のドイツとイギリスを引き合いに出したこと自体が大きな問題だ。「首相の発言は全くおかしくない」とは到底、言えない。 安倍首相は中国の軍事費を槍玉に挙げているが、日本は自国の軍事費を伸ばしているだけでなく、アメリカとの軍事的な関係を強めている。そのアメリカは東アジアへ軍事をシフトさせている。また、第1次世界大戦前のドイツとイギリスとは違い、日本は中国を侵略した過去があることを忘れてはならない。 言うまでもなく、ラクマンが日中戦争の可能性を質問したのは、ハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授も指摘しているように、安倍首相が好戦的な言動を続けているからにほかならない。戦争の放棄を謳った憲法を改めると公言、教科書の中から日本の戦争責任を消し去る方向へ誘導している。 過去を振り返ると、2001年には「従軍慰安婦」を取り上げた番組について説明を求めるとしてNHKの担当部長と安倍は会談、NHK側は「その意図を忖度(そんたく)してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる」(東京高裁)状況を作っている。 そして日本の東アジア侵略を象徴する存在になっている靖国神社への参拝。参拝の「心情」を説明しても意味がないことは本ブログでも指摘済み。靖国神社へ参拝すれば、東アジア侵略を正当化する考えだと理解されて当然だ。 日中間で棚上げになっていた尖閣諸島/釣魚台列嶼の領有権問題。その棚上げ合意を壊し、国有化したのは民主党政権だが、安倍もその立場を引き継ぎ、東アジアの軍事的な緊張を高めてきた。これは2000年にネオコン系シンクタンクのPNACが出した報告書「米国防の再構築」に合致する。日本が国有化する課程で日本は中国との戦争を覚悟したと見られても仕方がない。 ところで、ダボス会議で安倍首相は法人税率のさらなる引き下げを宣言したようだが、法人所得課税、企業課税、法人が負担する不動産課税、そして社会保険料の事業主負担を加えた額をGDP(国内総生産)と比較すると、日本の大企業が支出している公的な負担は世界的にみて高いとは言えない。法人税だけに限っても日本企業は優遇されていて、企業利益相当額に対する法人税納付額の割合は、資本金100億円以上の企業では15〜16%にすぎない。(富岡幸雄著「税金を払っていない大企業リスト」文藝春秋、2012年5月号) 金融規制緩和、オフショア市場/タックスヘイブンを利用した租税回避、そうしたシステムの秘密主義、巨大資本の非競争的な商行為、高額所得や投資に対する税率引き下げ、大半の人々のための公共サービスの削減もしくは過少投資などがあるとOxfamは指摘、世界のエリートが自分たちの好きなように法を操って民主主義をむしばみ、世界中の貧富の格差を生んでいると批判している。その結果、世界で最も裕福な85人の資産が世界人口の半分の資産合計に匹敵するという状況になっているわけだ。 そうした状況にあることをダボス会議を主催した「世界経済フォーラム」も否定できず、貧富の格差拡大に関する警告を発せざるをえなかった。そうした中、消費税率を引き上げ、法人税率を引き下げるという格差拡大をもたらす強者に有利な政策を安倍首相は宣言したのだという。日本政府は自分たちが置かれた状況を理解できていないのだろう。
2014.01.24
反シリア政府軍のひとつ、ISIL(イラク・レバントのイスラム国、ISISやIEILとも表記)はシリア政府軍の手先だとする話が伝わっている。リビアやシリアの情勢に余り関心のない人は信じるかもしれないが、これまでの流れをウォッチしている人には効果がないだろう。 繰り返しになるが、現在、シリアで政府軍と戦っている主な戦闘集団は3組織。つまり、イスラム戦線、アル・ヌスラ戦線、ISILだ。イスラム戦線はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が昨年11月に諸団体を再編成して組織、アル・ヌスラ戦線はカタールに近く、トルコの司法当局や警察によると、ISILはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が秘密裏に創設したのだという。カタールとエルドアン首相はムスリム同胞団と緊密な関係にある。 自分たちに対する批判を敵にぶつけるのは「西側」の手口。ユーゴスラビアへの先制攻撃以来、「西側」は「人道」や「人権」を破壊と殺戮を正当化するために使っているのだが、ラテン・アメリカではアメリカが「人道」や「人権」を踏みにじっていると批判されていた。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) 例えば、1954年にグアテマラでは選挙で圧勝して誕生したヤコボ・アルベンス政権をアメリカ政府はクーデターで倒している。PBSUCCESSと呼ばれる作戦だが、目的はアメリカのボーダーレス資本、ユナイテッド・フルーツの利権を守ることだった。1973年にはチリでもクーデターで合法的に成立した政権を倒し、「左翼」と見なされた約2万人が殺害さている。黒幕はヘンリー・キッシンジャーだった。 1980年代にアメリカはニカラグアの革命政権を倒すために反政府ゲリラ「コントラ」を組織する。アメリカの傀儡だったアナスタシオ・ソモサ政権時代の国家警備隊メンバーや革命政権から離脱したエデン・パストーラの部隊で編成されていたが、資金稼ぎのためにコカインを密輸していたことが明らかになっている。 その一方、コントラ支援工作をしていたオリバー・ノース中佐たちはニカラグアの革命政権が麻薬密輸に関与しているとする情報を流そうと計画、DEA(麻薬捜査局)の反対を押し切ってメディアへリーク、ロナルド・レーガン大統領は声高にサンディニスタを非難したのだが、偽情報だということはすぐに判明してしまう。 ニカラグアの隣国、エル・サルバドルでは1980年にオスカル・ロメロ大司教が暗殺されているが、この暗殺にはニカラグアの反政府ゲリラの核になった「9月15日軍」が協力している。 大司教殺害の首謀者はエル・サルバドル国家警備隊の元少佐、ロベルト・ダビッソン。エル・サルバドル駐在のアメリカ大使だったロバート・ホワイトは、大司教暗殺にダビッソンがどのように関わったかを詳細に述べた電文をワシントンに送っている。この人物が暗殺後に「ニカラグア人」へ合計12万ドル寄付していることを示す記述が発見されているのだ。 1981年にはエル・サルバドルの北部で女性や子供を含む村民、約800名が殺害されている。殺戮は大人の男性から始まり、若い女性は殺害の前にレイプされ、子供はナタやライフルで頭蓋骨を割られたという。 この出来事は翌年、ニューヨーク・タイムズ紙のレイモンド・ボンナー記者やワシントン・ポスト紙のアルマ・ギラーモプリエト記者が記事にしている。「右翼独裁者は人権を守り、難民を生み出さない」というジーン・カークパトリック国連大使の主張と矛盾する報道だった。アメリカ大使館が派遣したトッド・グリーントゥリーとジョン・マッケイも虐殺の事実を確認している。 それに対し、ロナルド・レーガン政権は大使館の報告書を無視、国務次官補のトーマス・エンダースとエイリオット・エイブラムズ(中東での工作でも名前が出てくる)は虐殺に関する記事を誤報だと非難した。カークパトリック、エンダース、エイブラムス、ネオコン(親イスラエル派)。 メディア内に張り巡らされた権力者のネットワークも機能、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の論説欄がボンナー記者たちを激しく攻撃、ニューヨーク・タイムズ紙の幹部編集者エイブ・ローゼンタールはボンナーを1983年にアメリカへ呼び戻し、その直後にボンナーは同紙を辞めている。勿論、今ではこの虐殺は歴史的な事実として認められている。 ホンジュラスでも「死の部隊」が反体制派を殺害、1980年代の前半に200名近くが行方不明になったというが、この時のホンジュラス駐在アメリカ大使はジョン・ネグロポンテだ。ジョージ・W・ブッシュ政権で国連大使、イラク駐在大使、国家情報長官、国務副長官を務めることになる。 中東/北アフリカでアメリカはレーガン政権の時代と似たことを行っているのだが、今回は「人道」や「人権」を隠れ蓑に使い、「人権擁護団体」の支援を受けている。アメリカの支配層は過去の失敗をこのような形で学んでいる。
2014.01.23
言うまでもなく、東電福島第一原発は危機的な状況が続いている。環境中へ大量の放射性物質が放出されているだけでなく、作業ミス、新たな地震、台風など何らかの理由で北半球全域に致命的な被害を及ぼしかねない。しかも、国際的な協力を拒否している。 福島第一原発で事故を起こしたマーク1型は以前から構造的な脆弱性が問題になっていた原子炉だが、アメリカでも23基が稼働しているという。これらを止めるべきだという声を無視しているようだが、日本の動向次第では止めざるをえなくなるかもしれない。 日本でも、メーカーで圧力容器や格納容器を設計していた元エンジニア、東電で原発の制御を担当していた元社員などは地震の揺れで原発が壊れた疑いが強いと指摘しているのだが、そうしたことを認めれば「津波対策」で再稼働させることはできず、アメリカへも影響が出てくる。アメリカの核利権集団にしても日本の原発が危険だとする話は認められず、再稼働しろと日本側に圧力を加えていることだろう。 しかし、すでにアラスカ、カナダ、カリフォルニアといった太平洋の東岸で放射性物質が原因ではないかと違われる異変が報告され、事故直後に福島第一原発の沖で被曝したアメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンの乗組員70名以上が裁判を起こそうとしている。甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているという。情報を統制し、原発に批判的な声を力で封印しても世界を黙らせることはできない段階に達している。 日本政府や東電に事故を処理する能力がないことは世界的に知られてきた。それだけ危機感を持つ人が増えているということでもある。しかも、核兵器の開発が絡む。本ブログでは何度も書いていることだが、CIAやNSAといったアメリカの情報機関は日本の核兵器開発を警戒、監視を続けてきた。そのあたりから兵器級プロトニウム70トンという話が流れてきている。外国からの力で日本が原発を止めざるをえなくなる可能性もある。
2014.01.22
スイスで「ジュネーブ2」と呼ばれる和平会談が始まったが、シリアの反政府軍は混乱状態になっている。当初、アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタールといった国々はバシャール・アル・アサド体制を倒すためにFSAなる武装勢力を編成、支援していたが、戦乱は長引き、NATOの直接的な軍事介入も実現しないまま、現在に至っている。 すでにFSAは解体状態のようで、反政府軍として名前が聞こえてくるのは3組織。つまり、イスラム戦線、アル・ヌスラ戦線、ISIL(イラク・レバントのイスラム国、ISISやIEILとも表記)だ。 伝えられている情報を総合すると、イスラム戦線はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が昨年11月に諸団体を再編成して組織、アル・ヌスラ戦線はカタールに近く、トルコの司法当局や警察によると、ISILはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が秘密裏に創設したのだという。カタールとエルドアン首相はムスリム同胞団に近い。 このトルコでエルドアンはイスラムの指導者だったフェトフッラー・ギュレンを中心とする勢力と対立しているようだが、このギュレンの背後にはCIAが存在している。エルドアンの足下が揺らぎだした一因は、トルコがSCO(上海合作組織)、特に中国へ接近していることにあるとする人もいる。ここでもシリアの体制転覆を目指すグループの内部で軋みが生じている。 言うまでもなくトルコはNATOの一員であり、「秘密部隊」が組織されている。その部隊はNATOが創設される1949年より前から存在する。その後、多くの国がNATOへ加盟しているが、加盟するためには秘密の反共議定書へ署名する必要があり、その時点で秘密部隊が編成される。その議定書は「右翼過激派を守る」ことを義務づけていた。この決まりが現在でも続いている可能性は小さくない。 秘密部隊の名称は国ごとに違う。イタリアで「極左グループ」を装い、爆破工作を続けたグラディオは有名だが、そのほか、デンマークはアブサロン、ノルウェーはROC、ベルギーはSDRA8といった具合だ。トルコでは軍の幹部が秘密部隊の存在を認めている。 トルコの場合、「民族主義者行動党」も配下にあると考えられるのだが、その青年組織が「灰色の狼」。この組織に所属していたモハメト・アリ・アジャは1981年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世を銃撃した。こういう事情を考えると、ISILの背後にはNATOが存在している可能性もあるだろう。 アジャが銃撃した直後、「西側」のメディアはブルガリアやソ連を黒幕だとするキャンペーンを展開したが、事実関係を考えれば、怪しいのはNATOであり、その背後にいるアメリカやイギリスの「テロ人脈」だ。 こうした人脈とつながるアメリカとイスラエルの情報機関の関係者は1979年7月にエルサレムで「国際テロリズム」に関する会議を開いている。その出席者にはジョージ・H・W・ブッシュ元CIA長官やネオコンのリチャード・パイプスも含まれていた。 会議を主催したのはイスラエルのシンクタンク「ヨナサン研究所」。1976年にイスラエル軍がウガンダのエンテベ空港を襲撃した際に死亡した特殊部隊員、ヨナサン・ネタニアフから研究所の名称は採られたのだが、ヨナサンはベンヤミン・ネタニアフ首相の兄。「テロとの戦争」はこの時に始まるとも言えるだろう。「テロ」を名目としてターゲット国の体制を破壊する戦いだ。
2014.01.22
1月22日から開催される和平会談「ジュネーブ2」へ出席するシリア政府代表団を乗せた特別機が経由地のアテネ空港で給油を拒否され、約5時間にわたって足止めされた。 シリアは着陸や給油の許可を取っていたようだが、EUによるシリア経済制裁を理由にギリシアの燃料会社が給油を拒否したという。その燃料会社がギリシャ以外の国からの指示で給油を拒否した可能性は否定できない。当初、フランスがシリア機の領空通過を拒否したとも伝えられたが、これはフランス政府が否定しているようだ。 この出来事の背後に何があったのかは不明だが、和平会談に反対している勢力が存在していることは間違いない。和平会談ではシリアのバシャール・アル・アサド体制が存続する可能性は十分にあり、ネオコン(アメリカの親イスラエル派)やサウジアラビアの計画は崩れる。そもそも、ネオコンは遅くとも1992年にイラク、イラン、シリアを殲滅すると発言していた。 2003年にアメリカのネオコン政権は事実に反する理由でイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒し、残るイランとシリアの体制を倒し、レバノンのヒズボラを攻撃する秘密工作を遅くとも2007年に始めたと言われている。最近、イラク政権がイランに接近しているため、スンニ派の戦闘部隊(アル・カイダ)が再び動きを活発化させている。 シリアの反政府軍とは外国の勢力が雇った傭兵部隊が主力で、サウジアラビア系のサラフィー/タクフィール主義者(アル・カイダ)とカタール系のムスリム同胞団が大きな存在だったが、ここにきてサウジアラビア系が勢力を拡大している。本ブログでは何度も指摘しているように、化学兵器を使用したのは、このサウジアラビア系だと見られている。 会議の前日、ガーディアン紙はシリア政府が拘束されている人びとを拷問、殺害しているとする報告書を明らかにしたが、シリア政府はカタールに委任されて作成されたもので、信頼できないとしている。 カタールはサウジアラビアと並ぶ反シリア政府軍の戦闘員を雇っている国であり、アル・ジャジーラを使って偽情報を流してきた過去がある。これまでも「西側」が大々的に報道した「シリア政府の残虐行為」がことごとく嘘だったという事実もある。だからといって、これも偽物だとは言えないが、信頼できないことは確かだ。 イランのモハマド・ジャバード・ザリフ外相は、サウジアラビアが中東における「テロリズム」のスポンサーであることを示す証拠を持っていると主張している。「ジュネーブ2」へイランが出席することをアメリカや反シリア政府軍が強く反対した理由のひとつはこの辺にあるかもしれない。
2014.01.21
シリア政府の「残虐さ」を世界に発信、「西側」メディアの情報源になっていたダニー・デイエムという人物がいる。シリアの体制転覆を目指す勢力にとって都合の良い作り話を流していたわけだが、その正体がばれ、ホムスでの虐殺を政府軍に押しつけることに失敗した「西側」や湾岸産油国。次は政府軍が化学兵器の使用したという宣伝を開始、「西側」が直接、軍事侵攻する姿勢を見せる。 昨年3月にシリア政府は化学兵器を反政府軍が使ったと発表すると、反政府軍も政府軍が実行した主張するのだが、これについてイスラエルのハーレツ紙は、攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということから反政府軍が使ったと推測、国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言していた。 8月になるとダマスカス郊外のゴータで政府軍が化学兵器を使ったとアメリカ政府は宣伝し始めるのだが、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使がアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示し、報告書も提出している。 チュルキン大使が示した情報には、反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、毒ガス攻撃を受けたとされるゴータで着弾していることを示す文書や衛星写真が含まれていたようで、その後、国連内の雰囲気が大きく変化したという。 シーモア・ハーシュも化学兵器と反シリア政府軍を結びつけるレポートを書いている。反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるという趣旨の記事だ。 ここにきてアメリカの科学者から、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張は、ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないとする報告書が公表された。報告書を書いたのは国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授。 ミサイル発射から間もなくして、化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事がミントプレスに掲載されている。デイル・ガブラクとヤフヤ・アバブネの名前で書かれたもので、ガブラクはヨルダンを拠点としてAPに記事を書いているジャーナリストであり、アバブネはヨルダン人ジャーナリスト。 後にガブラクは記事との関係を否定する声明を出すのだが、編集長のムナル・ムハウェシュはその声明を否定する。記事を28日に編集部へ持ち込んだのはガブラクであり、同僚のヤフヤ・アバブネがシリアへ入っているとしたうえで、反政府軍、その家族、ゴータの住民、医師をアバブネが取材した結果、サウジアラビアが反政府軍に化学兵器を提供し、それを反政府軍の戦闘員が誤って爆発させたと説明したという。 編集長によると、この情報をカブラク自身も同僚やヨルダン政府の高官に尋ね、サウジアラビアが化学兵器を反政府軍へ渡していることを確認したとカブラクは話していたようだ。一連の遣り取りを裏付ける電子メールが残っているともしている。その後、カブラクからの再反論はないようだ。 昨年10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。アフガニスタンの反政府軍支配地域で「第三国」がアル・ヌスラなどシリアの反政府軍に対し、化学兵器の使い方を訓練しているとする報告があるとロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は語る。 しかもロシアは艦隊を地中海に派遣してNATOの艦隊と対峙する。攻撃が予想されていた日に「西側」はミサイルを発射するのだが、海中へ落下してしまう。イスラエルの「発射実験」だという発表があったが、ジャミングで落とされた可能性が高いと見られている。 ともかく、「西側」が直接、シリアへ軍事侵攻することが難しくなった。そこで「和平交渉」が始まるのだが、そこを舞台にしてアサド体制を倒して傀儡政権を樹立しようとしている。「レバノン特別法廷(STL)」の動きもリンクしているだろう。「西側」や湾岸産油国はシリア人を排除してシリアの将来を決めようとしているのだが、思惑通りに進むとは言えない。
2014.01.21
シリアの戦乱を終わらせる目的で1月22日から開催される予定の会議「ジュネーブ2」に国連の潘基文事務総長はイランを招待していたが、急遽、取り消された。シリアの反政府軍がボイコットの動きを見せたからだというが、その反政府軍は「西側」に支援されているわけで、「西側」や湾岸産油国がイランの出席を嫌ったということだ。 2011年3月にシリアで戦闘が始まったが、その当時から反政府軍を外国が支援していた。アメリカ、イギリス、フランス、トルコといったNATO諸国のほか、サウジアラビアやカタールといったペルシャ湾岸の産油国がそうした国々であり、戦闘員として傭兵が雇われている。 イスラエルの駐米大使だったマイケル・オーレンは退任直前、シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すためならアル・カイダを支援するとしている。イスラエルの敵はイラン、シリア、レバノンのラインで、その要石がシリアだという。ネオコンと同じ考え方だ。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話では、湾岸戦争でサダム・フセインを排除しなかったことにネオコン/イスラエルは激怒、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを攻撃すると口にしていた。 また、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、ニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアは、シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとしている。2008年になると、サウジアラビア国王は駐米大使を介し、デイビッド・ペトレイアス大将に対してイランを攻撃するように求めている。 シリアで戦闘が始まった当初、反シリア軍の拠点はトルコにある米空軍インシルリク基地にあり、アメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員がそこでFSA(自由シリア軍)を訓練していた。現在はヨルダンに比重が移っているようだ。 この当時から反政府派が残虐だったことを、シリア駐在のエリック・シュバリエ仏大使が明らかにしたのは2012年3月のこと。シュバリエによると、彼はこうした実態をアラン・ジュペ外務大臣兼国防大臣(当時)に報告、アル・ジャジーラなどの報道は正しくないと伝えたのだが、この報告に外相は激怒し、残虐な弾圧が行われていると書き直せと脅したという。 反政府軍の主力である傭兵はサウジアラビア系とカタール系に分けることができる。サウジアラビア系はサラフィー/タクフィール主義者(アル・カイダ)、カタール系はムスリム同胞団が中心。 こうした反政府軍の実態は当初から指摘されていたのだが、「西側」の有力メディアは無視、「平和的な民主化運動」を「残虐な政府軍」が弾圧しているというシナリオで報道し続けてきた。そうしたストーリーの発信源は「活動家」や「人権団体」。中でも有名な「活動家」がシリア系イギリス人のダニー・デイエムだった。 アメリカのCNN、あるいはイギリスのBBCといった有力メディアに「証人」として登場、外国勢力の介入を求める発言を続けていたのだが、「シリア軍の攻撃」をダニーや仲間が演出する様子を移した映像が2012年3月に流出、CNNやBBCは偽情報を流していたことが明らかになった。 2012年5月にホムスのホウラ地区で虐殺があり、反政府軍や「西側」は政府軍が実行したと宣伝しはじめる。この出来事を利用してシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしたわけだが、事実との間に矛盾点が多く、すぐに嘘だとばれてしまう。 そのホウラを調査した東方カトリックの修道院長も反政府軍のサラフィー主義者や外国人傭兵が実行したと報告、その内容はローマ教皇庁の通信社が伝えた。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も、キリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えた。 「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」とその修道院長は語っていた。 また、現地で宗教活動を続けてきたキリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判している。「ジュネーブ2」へイランが出席することを拒んだ反政府軍とは、「西側」や湾岸産油国の傀儡ということだ。(続く)
2014.01.21
細川護煕が東京都知事選に出馬するという話は盛んに報じられ、「脱原発」というフレーズは飛び交っているが、その政策は見えてこない。東京青年会議所が企画した公開討論会へは参加せず、日本記者クラブの共同記者会見には出席しない、つまり他の候補者との議論を避けている。日程云々というなら、スケジュールを空ければ良いだけのこと。情報を出さず、人民は従っていれば良いという態度であり、それだけで候補者失格だと言わざるをえない。 こうした状況で「有志」とやらが「勝手連」として細川を支援すると表明したらしいが、その有志は細川から政策の説明を受けたのだろうか?受けているのならそれを明らかにしたうえで支援を訴えるべきであり、説明を受けずに支援すると宣言したのなら細川への従属を表明したに等しい。 細川がコンビを組んでいる小泉純一郎は首相時代、竹中平蔵を中心に強者総取りの不公正な仕組みを導入、庶民を貧困化させ、自分たちは郵政の資産を略奪しようとしたのである。「勝手連」的に細川を応援するという菅直人や野田佳彦も庶民に牙をむいた政治家。菅は弱者からカネを巻き上げるために消費税率を引き上げると宣言、野田は巨大資本が国を支配する仕組みであるTPPへ日本を引きずり込んだ。 宇都宮健児の周辺に問題があることは否定しないが、それ以上に細川の周辺には大きな問題がある。「目的のためには手段を選ばず」という人もいるようだが、目的とは理念であり、行動の羅針盤。実現するとしても先の話だ。最も大切なことは手段なのである。
2014.01.21
2005年2月にラフィク・ハリリ元レバノン首相が殺害された。この暗殺事件を扱うために設置されたのが「レバノン特別法廷(STL)」。イスラム教シーア派のヒズボラに所属するという4名が起訴されているが、この4名を被告とする公判が1月16日、被告不在のまま始まった。 この法廷は2007年、国連の1757号決議に基づいて設置されたのだが、国連の下部機関というわけではない。年間85億円程度だという運営資金を出している主な国はサウジアラビア、アメリカ、フランス、イギリス、レバノン。これだけで法廷の性格は明らかだろう。 この事件では当初、「シリア黒幕説」が流されていた。2005年10月に国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張、「シリア犯行説」に基づく報告書を安保理に提出している。イスラエルやアメリカの情報機関が殺害計画を知っていたとも想像しなかったようだ。 メーリスの報告書では犯人像が明確にされていないうえ、暗殺に使われた三菱自動車製の白いバンが2004年に相模原からベイルートまで運ばれた経緯が調べられていないなど「欠陥」が当初から指摘されていた。 また、アーマド・アブアダスなる人物が「自爆攻撃を実行する」と宣言する様子を撮影したビデオがアルジャジーラで放送されたが、このビデオをメーリスは無視。また、ズヒル・イブン・モハメド・サイド・サディクなる人物は、アブアダスが途中で自爆攻撃を拒否したため、シリア当局に殺されたとしているのだが、ドイツのシュピーゲル誌は、サイド・サディクが有罪判決を受けた詐欺師だと指摘する。 しかも、この人物を連れてきたのがシリアのバシャール・アル・アサド政権に反対しているリファート・アル・アサドだという。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたようだ。 もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問を受けたというのだ。その上で、シリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。 メーリスの報告書が出された後、シリアやレバノンの軍幹部が容疑者扱いされるようになり、レバノン軍将官ら4人の身柄が拘束されたのだが、シュピーゲルの報道後、報告書の信頼度は大きく低下、シリアやレバノンを不安定化させたい勢力の意向に沿って作成されたと疑う人が増えた。2005年12月になるとメーリスは辞任せざるをえない状況に追い込まれ、翌月に辞めている。後に特別法廷は証拠不十分だとして4人の釈放を命じ、その代わりにヒズボラのメンバーが起訴されたわけである。 ハリリが暗殺された翌年、イスラエルはヒズボラから攻撃されたとしてレバノンへの軍事侵攻を試みたが失敗、その一方でハリリ・グループは「未来運動」なる活動を開始、武装部隊(テロ部隊)を編成した。その部隊を財政的に支援してきたのがデイビッド・ウェルチ米国務省次官補を黒幕とする「ウェルチ・クラブ」なるプロジェクトだと言われている。ウェルチの背後にはネオコンのエリオット・エイブラムズがいるともいう。 WikiLeaksが公表した外交文書によると、ロンドンを拠点とする反アサド派を2000年代の半ばからアメリカ政府は資金面などで支援、亡命シリア人のネットワークの「正義発展運動」も生み出した。 2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事によると、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの3カ国はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めていたという。ハリリの暗殺の「調査」ではシリアとヒズボラがターゲットになっている。 また、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話では、湾岸戦争でサダム・フセインを排除しなかったことにネオコン/イスラエルは激怒、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを攻撃すると口にしていた。「911」の直後になると、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃する計画をたてていたともいう。 こうした動きの中でハリリは暗殺され、メーリスはシリアやレバノンの親シリア派の犯行だと証拠もなく決めつけた。アメリカ、フランス、イギリスなどによる直接的なシリア攻撃計画が挫折した今、ヒズボラのメンバーを被告とする裁判が始まる。
2014.01.20
白猫も黒猫も猫であることに変わりはない。邓小平はふたつの「mao」、猫と毛をかけて毛沢東を批判したのかもしれないが、共同体の人間が助け合って生きる社会を目指すのか、少数の人間が他の人間から富を搾り取る強者総取りの社会を目指すのかには本質的な違いがある。 現在、アメリカ支配層にも日本の原発を懸念する人が増えている可能性が高い。大量の放射性物質が今でも環境中に放出され、アラスカ、カナダ、カリフォルニアのあたりには影響が出始めた疑いがあり、今後、4号機での作業が失敗したり、大きな地震に再び襲われて新たな破壊があったなら、アメリカ西海岸も無事ではいられないからだ。場合によっては東海岸、あるいは北半球全域に被害は及ぶ。 スタンリー・キューブリックが監督した映画「Dr. Strangelove(日本版のタイトル:博士の異常な愛情)」には「審判の日装置」が出てくる。核攻撃された場合、放射性物質で人類を絶滅させる兵器なのだが、日本に乱立する原発はまさにそれだ。問題は、外部からの攻撃に弱いだけでなく、攻撃されなくても自爆してしまうこと。 もし、本当に原発を危険だと考えて「脱原発」を目指そうとするなら、「脱原発」を訴える信頼できる候補者を支援すれば良い。闇金融や貧困問題に取り組んできた日弁連元会長の宇都宮健児は最適な人物だが、マスコミは大きく取り上げず、碌でもない過去を持つ怪しげな人たちに焦点を当てている。 周辺を「運動ムラ」の住人が固めていることを批判する人もいるが、そうした人びとが主導権を握る程度の支持者しかいないとも言える。つまり、運動が広がればこの問題は解消されるのだが、そうなっては困る人たちがいる。脱原発が現実的な選択ではあるが、強者総取りの新自由主義を放棄してもらっては困るということだろう。マスコミが煽れば「勝ち馬に乗る」という流れができ、そうしたタイプの危険な人物を排除できるという読みもあるに違いない。 ネズミを捕るのが猫なのか毒蛇なのかは大きな問題だ。ネズミを捕れば良いというものではない。
2014.01.18
細川護煕元首相は小泉純一郎元首相と手を組み、東京都知事選に出馬するようだ。このふたりは「脱原発」を訴えているのだが、具体的に何をしたいのかが見えてこない。そのコンビを野田佳彦元首相と菅直人元首相が「勝手連的に応援」するらしい。類は友を呼ぶ。 佐川急便からの1億円借り入れやNTT株購入疑惑などで追及されて首相を辞めた細川、竹中平蔵を中心に強者総取りの不公正な仕組みを導入、郵政の資産を略奪しようとした小泉、弱者からカネを巻き上げるために消費税率を引き上げようとした菅、巨大資本が国を支配する仕組みであるTPPへ日本を引きずり込んだ野田。碌なものではない。その後継者が安倍晋三だ。 多くの国を上回る経済力を持つ巨大なボーダーレス企業と個人が闘うことは不可能である。邪魔な存在は自分たちを規制する国。だからこそ1970年代から「規制緩和」と「私有化」を叫び、国を飲み込もうとしてきた。TPPはその仕上げとも言うべきからくり。政治経済に庶民が口をはさむことはできなくなる。日本をそうした方向へ導いた連中が細川の周りに集まっている。「原発」という利権では対立していたとしても、どのような支配体制を目指しているかという点で、細川、小泉、菅、野田は安倍と大差はない。 この5人が推進してきた強者総取りの新自由主義を最初に日本へ導入しようとしたのは中曽根康弘。ただ、田中角栄の力はまだ強く、その側近だった後藤田正晴をスキャンダルで排除することにも失敗していたので、思い通りには進まなかった。日本改造が本格化するのは1990年代になってからである。 証券会社や金融機関がスキャンダルで揺れた後、1996年に「日米21世紀委員会」なるグループが編成される。CIAとの関係が深いシンクタンク、CSISのプロジェクト。1998年に発表された報告書には、(1) 小さく権力が集中しない政府(巨大資本に権力が集中する国)、(2) 均一タイプの税金導入(累進課税を否定、消費税の依存度を高めることになる)、そして(3) 教育の全面的な規制緩和と自由化(公教育の破壊)が謳われていた。そして登場したのが小泉。つまり、背後にアメリカの巨大資本が存在している。 勿論、安倍の背後にもアメリカの支配層グループがいるのだが、おそらく、小泉たちとはズレがある。昨年9月に安倍はネオコン(親イスラエル派)のシンクタンク、ハドソン研究所で演説している。ハーマン・カーン賞を受賞したことを記念してのものだったが、その冒頭、その受賞者を列挙している。つまり、ロナルド・レーガン、リチャード・チェイニー、ヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツ。 日本の核兵器開発はレーガン政権から支援を受けて飛躍的に前進した。すでに軍事費の負担に耐えられなくなっていたアメリカは、核武装した日本によって負担を軽減させられると考えていたとも言われている。 その20年ほど前、1969年に日本政府の内部で核武装が本格的に話し合われ、西ドイツ政府と秘密協議をしている。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、この年にキッシンジャー大統領補佐官(当時)は日本も核武装した方が良いと周囲に漏らしていたという。また、ジョージ・W・ブッシュ政権の軍事侵攻を指揮していたチェイニーと戦争ビジネスとの関係は有名であり、シュルツも新自由主義者。 現在、日本側で核兵器を持ちたいと公言している人物がいる。石原慎太郎だ。2011年3月8日付けのインディペンデント紙に掲載された記事の中で、都知事だった石原は、1年以内に核兵器を作り、世界へ強いメッセージを送ることが日本にはできると語っていた。核兵器があればアメリカに頼らなくても「外交」できる、つまり核兵器がなければ外国と交渉できない、日本は頭脳で勝負できないと石原は思っているのだろう。
2014.01.17
安倍晋三政権は15日に東京電力の「総合特別事業計画」(再建計画)を認定、翌日には同社の広瀬直己社長は新潟県の泉田裕彦知事に会い、計画について説明したのだが、知事は「モラルハザードの計画」だと批判したという。 何しろ、柏崎刈羽原発の6、7号機を7月から再稼働させ、1、5号機も2015年2月までに動かすことを前提にし、株主や銀行などが責任を取る形になっていないうえ、安全面から見てもおかしい。事故を起こした責任を感じず、賠償もせず、尻ぬぐいを国民に押しつけて「2014年度に1600億円超の経常黒字」を見込むこと自体、異常だ。 全国銀行協会の会長で三井住友銀行頭取の国部毅は東電の計画について、「メーン銀行として高く評価をさせていだいている」と語ったという。倒産させるべき会社を国民のカネで救済、銀行は責任をとらずにすむわけで、「高く評価」したいのだろうが、そんなことを公の席でよくいけしゃあしゃあと言えたものだ。 融資先の状況を分析、適切な内容かどうかを判断して融資するのが銀行であり、その判断が間違った以上、自分たちも責任をとるのが当然の義務。東電の倒産によって銀行の経営が成り立たなくなるなら、それもルールに従って処理するだけである。 株主の場合、株式を買った時点でリスクを承知していたはず。偽情報を会社が流し、判断を間違ったというなら、経営者を訴えることだ。そうでなければ、保有する株券が紙くずになっても文句は言えない。それが賭場の決まり。 原発事故を収束させるどころか、原発を運転する能力もないと世界では見られているのが東電や日本政府で、信頼など全くされていない。すでに太平洋の東側でも事故の影響ではないかと疑われる異変が報告されているわけで、損害賠償がアメリカやカナダに広がることは不可避。原発事故の責任や実態に関する情報を隠すことが「特定秘密保護法」の大きな目的だと世界的には見られている。 原発とは国民のカネを巨大企業へ流し込み、その企業を介して一部の「エリート」がカネを儲ける仕組み。国外に原発を作っても、この仕組みが維持できれば、そうした人びとにとって問題はない。原発が安上がりだという話も帳簿の操作で作り上げた神話。事故が起こり、その神話も吹き飛んだのだが、「エリート」たちだけでなく、少なからぬ庶民もそのことに気づかないふりをしている。 ベトナムのニントアン省で日本企業が原発を建設するそうだが、その条件は、先進的設備の導入、人材育成、資金提供、使用済み核燃料を含む放射性廃棄物の処理、技術移転なのだという。日本の原発でも解決できていない放射性廃棄物の処理を約束する厚顔無恥ぶりには驚く。尻ぬぐいは全て日本の庶民だと高をくくっているのだろう。 勿論、カネ儲け以外にも日本の「エリート」が原発に執着する理由がある。核兵器だ。CIAの幹部に情報源を持つジャーナリスト、ジョセフ・トレントは、1980年代以降に日本が兵器級プルトニウム70トンを蓄積、IAEA(国際原子力機関)は黙認してきたと主張している。(日本語訳、原文) 戦後、日本が核兵器の開発に乗り出す切っ掛けは中国の核実験成功。1964年、佐藤栄作内閣のときである。1965年に佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対して核武装の意志を伝え、思いとどまるように説得されたのだが、67年に「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」を設立した。 NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、リチャード・ニクソンが大統領に就任した1969年、日本政府の内部で核武装を本格的に話し合い、西ドイツ政府と秘密協議をしている。日本側のメンバーは外務省の鈴木孝国際資材部長(当時)、岡崎久彦分析課長(当時)、村田良平調査課長(当時)だった。 アメリカの調査ジャーナリスト、シーモア・ハーシュによると、大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーはその年、イスラエルと同じように日本も核武装した方が良いと周囲に漏らしていたという。こうした見解が日本側に影響した可能性もあるだろう。 核武装に関する調査は内閣調査室の主幹だった志垣民郎を中心にして行われ、日本原子力発電所の東海発電所でプルトニウムを生産することになる。志垣らの調査では、高純度のプルトニウムを1年に100キログラム余りは作れると見積もっていた。 東海発電所の原発はGCR(黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉)で、兵器級のプルトニウムを生産するのに適していると言われている。アメリカやソ連はこの型の原子炉でプルトニウムを生産、原爆を製造している。 重水炉や高速炉でも原爆用のプルトニウムを作れるのだが、その高速炉の開発を動燃は目指した。そして計画されたのが「もんじゅ」と「常陽」。常陽の燃料を供給していたのが臨界事故を起こしたJCOだった。 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るのだが、その翌年、ジャーナリストの山川暁夫は「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。実際、当時のジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったと言われている。 ところが、ロナルド・レーガン政権になると、状況は一変する。この政権はクリンチ・リバー増殖炉計画を推進、1980年から87年の間に160億ドルを投入したというが、成果は得られず、議会は予算を凍結してしまう。 そこで計画を推進していた勢力は日本に目をつけ、クリンチ・リバー増殖炉計画で得られた技術を日本へ提供、アメリカの核施設には、毎年何十名かの日本人科学者が訪れるようになり、高性能のプルトニウム分離装置が日本のリサイクル機器試験施設(RETF)へ送られた。 RETFは高速増殖炉の使用済み核燃料を再処理、兵器級プルトニウムを取り出すことが可能な施設。ただ、現在は「もんじゅ」を動かせない状態で、日本原子力研究開発機構(日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構/旧動燃を統合)によると、「本施設の利活用方策を検討しています」という。 トロントのレポートによると、高速増殖炉計画を推進していることからアメリカの一部勢力は日本へ核兵器開発に関する情報や技術を提供してきたわけで、日本としてはこの計画を放棄できないのかもしれない。特定秘密保護法は核兵器開発に関する情報が漏れるのを防ぐことも目的にしている可能性もある。
2014.01.16
シリアの反政府軍が残虐な行為を繰り返しているひとつの理由が明らかになった。戦闘員がアンフェタミン(覚醒剤の一種)を使っているようなのだ。資金調達のため、サウジアラビアへも密輸されているともいう。 ワシントン研究所のマシュー・レビットは、政府軍側のヒズボラが使っているとしているようだが、この研究所は親イスラエル派。アメリカの政界に大きな影響力を及ぼしているイスラエル/シオニスト・ロビーのAIPACの調査部門として1985年に創設されたのである。つまり、シリアのバシャール・アル・アサド体制の転覆を目指している勢力に属している。実は、中東における覚醒剤密輸の拠点と言われているのはイスラエルにほかならない。 覚醒剤は日本軍でも使われていた薬物。中枢神経を興奮させて覚醒させるほか、心身の働きを一時的に活性化し、疲労感を麻痺させ、幻聴、幻覚、妄想を感じることもあるようだ。極度の緊張の中にいる戦闘員が手を出したくなる薬かもしれない。日本軍では軍需工場の作業員、夜間任務の兵士に錠剤を配布、あるいは特攻隊の隊員が搭乗前に飲む水杯の中に混ぜられていたという話もある。 中東で昔から使われている麻薬はケシを材料とするアヘン系。現在、世界で最も多くのケシが栽培されているのはアフガニスタンで、武装勢力が密輸で資金を稼いでいる。その系統の麻薬も日本軍は扱っていた。 1935年に侵攻した察哈爾省の口北六県で日本軍はケシを栽培していたという。その東にあるのが熱河省。このあたりの麻薬を取り仕切っていたのが阪田誠盛だ。 こうした麻薬だけでなく、日本軍はイランから大量のアヘンを密輸入していたようで、その取り引きを指揮していたのが里見甫と三井物産。里見と三井物産をつないだのが東京毎日新聞の社長となる藤田進である。 そこへ割り込んできたのが三菱商事で、イランのアヘン専売会社を相手に両社は激しく争い、1937年から1年間は三菱の独占が認められた。1939年に両社の間で協定が結ばれて、上海地区でアヘンを分配するために宏済善堂が設立される。ここを取り仕切ったのが里見だ。 日本人だけが麻薬を扱っていたわけではない。例えば、中国在住のエズラ兄弟。エズラ家は第1次世界大戦の前から合法アヘンの売買をしていたが、ユダとイサクの兄弟の代になると非合法アヘンの取り引きに手を出しはじめる。上海に設立したユダの会社から日本の貨物船でサンフランシスコにあるイサクの倉庫へ運んでいた。このエズラ家と緊密な関係にあったのが蒋介石。アメリカの陸軍省や国務省は蒋介石が率いる国民党を同盟相手と認識していたため、財務省は麻薬密輸を摘発できなかった。 1920年代のアメリカで麻薬取引を支配していたのはアーノルド・ロステインというユダヤ系ギャング。その配下には、ユダヤ系のメイヤー・ランスキーやシチリア島出身のラッキー・ルチアーノがいた。ランスキーとルチアーノは少年時代からの友人だ。 1928年にロステインが殺されると、ランスキーやルチアーノが台頭してくる。こうしたギャングが麻薬の供給源にしたのがエズラ兄弟やフランスのエリオポーロス一味だった。1930年代にルチアーノとランスキーが麻薬密輸の中継地としていたのがキューバだ。 ルチアーノの逮捕を目指す財務省は陸軍省、国務省、あるいは情報機関の妨害を避けるため、売春ビジネスに目をつける。1935年当時、彼はニューヨークに約200軒の売春宿を所有し、約1200名の娼婦を支配下に置いていた。年間1000万ドル以上の稼ぎがあったと言われている。この売春ビジネスでルチアーノは逮捕され、30年から50年の懲役を言い渡された。 ところが、1941年に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したころ、状況が変わる。アメリカの海軍情報局(ONI)はドイツ軍の港湾での破壊工作に対応するため、暗黒街の人間と接触、そこでルチアーノが目をつけられたのである。彼の幼友達であるランスキーも情報機関と結びついた。ルチアーノが協力を約束すると、「国外追放」になっている。 戦後、CIAが麻薬密輸に手を出す下地はこのようにして作られた。例えば、ベトナム戦争では「黄金の三角地帯」産のケシを材料にしたヘロイン、コントラ支援工作では南米産のコカイン、アフガン戦争から現在に至るまでアフガニスタン産のケシから製造されたヘロイン、といった具合だ。 アフガニスタンの山岳地帯で生産されたケシがアフガン戦争でソ連と戦ったスンニ派武装勢力だけでなく、「西側」が支援していたコソボのKLA(コソボ解放軍)のカネ儲けに使われてきたことは有名な話だ。 世界に麻薬を蔓延させてきたのは、CIAをはじめとする情報機関。アヘン戦争を考えると国を動かしてきた「エリート」だと言えるだろう。最近では、こうした麻薬資金のロンダリングが巨大金融機関の重要な仕事になっている。
2014.01.15
1月11日に死亡したアリエル・シャロン元イスラエル首相はパレスチナ人虐殺を指揮しただけでなく、武器商人として中米の軍事独裁政権とつながっていた。 シャロンが行った最初の「英雄的行為」は、1953年に第101部隊(特殊工作を実行する)を率いて行ったガザの難民キャンプ襲撃。イスラエル側の記録でも住民50名が殺されている。1971年にガザへの軍事侵攻を指揮した際には住民虐殺と住宅破壊だけでなく、ブルドーザーを持ち込み、その後の侵攻が容易になるように、広い道を作っている。 1973年に退役してリクード党の創設に参加、国会議員選挙に当選するのだが、すぐ辞職し、1975年から77年にかけて武器商人として活動した。シャロンのネットワークに所属していたひとり、マイク・ハラリはモサドの「元作戦部長」。 1972年9月、ミュンヘン・オリンピックの開催中にイスラエルの選手団を襲撃した「黒い九月」のメンバーを追跡、暗殺する作戦をハラリは指揮したのだが、73年7月に無関係の人間をノルウェーのレストランで殺害、その後にハラリはメキシコへ渡り、パナマのマヌエル・ノリエガと緊密な関係を築くことに成功していた。 オリンピック襲撃の目的は人びとの関心をパレスチナに向けることで、当初、人質の殺害は意図していなかった。イスラエルのゴルダ・メイア首相も暴力を使わずに解決する方針だったのだが、モシェ・ダヤン国防相が反対する。イスラエルの強硬姿勢を示すため、人質は犠牲にするということ。結局、ダヤンの主張が通り、襲撃グループ5名と人質9名が殺された。ちなみに、このダヤンは第890空挺大隊でシャロンと一緒だった人物だ。 シャロンの取引相手はパナマのほか、メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ、コスタリカも含まれ、ロナルド・レーガン大統領の時代に行われたニカラグアの反体制ゲリラ「コントラ」支援にもシャロンのネットワークが利用されたと考えられている。 レーガン時代、グアテマラではエフライン・リオス・モント政権が民主化勢力を虐殺、拷問、レイプなどで弾圧していた。この人物はアメリカ支配層の傀儡で、1982年の軍事クーデターで実権を握り、弾圧にはUH-1Hヘリコプターも使われているのだが、こうした武器/兵器を直接軍事政権へ渡せないレーガン政権はイスラエル情報機関のネットワークを使っている。当然、シャロンが関係してくる。 第2次世界大戦が終わる前からグアテマラは民主化された。1944年には初めて選挙で大統領が決められ、1951年の選挙で勝ったのがヤコボ・アルベンス・グスマン。新政権は農地改革法を公布して国有地の分配、大地主の土地買い上げを実施する。つまり、アメリカの巨大資本は利権を失ってしまう。そこで1954年にアメリカ政府は軍事クーデターでグスマン政権を倒したわけだ。この前年、アメリカはイランで合法的政権をクーデターで倒しているが、その秘密工作人脈がグアテマラへ移動している。 この当時、モントはパナマにあったアメリカの軍事訓練施設、SOAに派遣されていた。この施設の訓練内容は、反乱鎮圧技術、狙撃訓練、ゲリラ戦や心理戦、軍事情報活動、そして尋問法など。なお、SOAは1984年にパナマを追い出されてアメリカのジョージア州へ移動、2001年にWHISECへ名称が変更されている。 グアテマラの軍事政権は民主化勢力を弾圧するため、監視システムも使われている。不特定多数の人びとを追跡し、情報を集積、分析するシステムPROMIS(日本の法務省も注目していた)を導入したのだ。このシステムを使うために傀儡政権は「IT化」を進めている。 このシステムはアメリカ司法省が民間企業から詐取したという判決、あるいは下院の報告書が出ている。そのシステムにアメリカとイスラエルの情報機関がトラップ・ドアを組み込み、全世界に売り、さまざまな機関の情報を盗む仕組みを作り上げた。 このシステムは、あらゆる個人情報を集め、分析することで反体制派を追跡することが可能。偽名を使っても身長、頭髪の色、年齢などで特定され、友人の家に隠れても水道やガスの使用量が不自然に増えれば警察に踏み込まれてしまう。その結果、1985年の後半になると、グアテマラでは反体制派が壊滅状態になった。この間、約2万人の反体制派が殺害されたり行方不明になったと言われている。 こうした監視システムが「テロ行為」を防いだことは皆無に等しいが、民主化勢力を潰すためには、きわめて有効だというわけだ。 シャロンはパレスチナ周辺で破壊と殺戮を繰り返しただけでなく、武器商人として中米が民主化する動きを潰し、虐殺を支援していたと言えるだろう。
2014.01.15
1月11日、イスラエルのアリエル・シャロン元首相が死亡した。 本人はイギリス委任統治時代のパレスチナで1928年に生まれたが、両親はロシアからの移民。10歳の時にハッサデー(シオニストの青少年運動)に入り、14歳でガドナ(若者向けの軍事組織)に参加した後、1942年にハガナ(イスラエル軍の前身になるシオニストの武装集団)に入隊している。 ハガナを創設したのはウラジミール・ジャボチンスキー。第1次世界大戦ではイギリス軍の一員として戦った。その際、イギリス政府に対し、イギリス軍と一緒に戦う武装組織の創設を願い出ているが、拒否されてしまう。 それでもジャボチンスキーは1920年にハガナを創設する。イギリスはこの武装集団を非合法化、ジャボチンスキーは武器の不法所持で重労働15年の刑を言い渡されたのだが、ほどなくして特赦で自由の身になる。1925年には戦闘的シオニスト団体「修正主義シオニスト世界連合」を結成した。 ところが、第2次世界大戦の頃になると、イギリスの対外情報機関MI6や破壊工作/テロ機関のSOEがハガナを訓練するようになる。イギリスはシオニストをパレスチナ支配の道具と見るようになっていたということだろう。 ハガナから分かれた武装集団としてイルグンとレヒ(スターン・ギャング)が知られている。1940年にレヒを創設したアブラハム・スターンはベニト・ムッソリーニやアドルフ・ヒトラーに接近した人物で、ファシスト的な思想の持ち主だった。 前から住んでいたアラブ系住民を追い出すため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動する。9日にはイルグンやスターン・ギャングにデイル・ヤシンという村を襲撃させた。石切の仕事で男が家にいない早朝を狙って襲い、残された女性や子どもを虐殺している。 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官だったアラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたのだが、拒否されたという。 この頃から好戦的だったというシャロンは1949年に中隊長、50年には中央司令部付きの情報将校になり、1年半ほどすると特殊工作を任務とする101部隊を率いるようになった。この部隊は第890空挺大隊として統合される。この大隊にはモシェ・ダヤンも所属していた。シャロンもダヤンも「大イスラエル」が目標で、パレスチナとの和平など論外という立場だ。 しかし、1977年にアメリカ大統領となったジミー・カーターはパレスチナ和平に前向きで、しかもイスラエルの首相も同じ考えのイツハク・ラビン。PLOのヤセル・アラファトも和平を望んでいたため、交渉は進む可能性があったのだが、この年に行われたイスラエルの選挙でリクードが勝利、「元テロリスト」のメナヘム・ベギンが新首相になり、状況は変わった。 この当時、シャロンを中心にイスラエル軍や治安当局の一部幹部が秘密会合を開き、イスラエルがヨルダン川西岸から撤退することを命に代えて阻止するという「血の誓い」を立てている。こうしたグループとは立場の違うイスラエルのエリートたちは、シャロンがアラブ諸国を核攻撃しかねないと考えていた。 1978年にベギンはカーターを仲介役としてエジプトのアンワル・アル・サダト大統領と和平条約を結んでいるが、これは包括的和平を拒否するヘンリー・キッシンジャーのプランに基づくもの。サダトはキッシンジャー配下の人間として有名だ。 北のシリアと南のエジプト、両方から圧力を受けるのがイスラエルにとって最も嫌な状況で、エジプトを「親イスラエル陣営」にすることは大きな意味があった。勿論、国連安保理決議242号に基づく和平を実現するというカーター/ラビン/アラファトの動きとは相容れないものだ。 1980年の大統領選挙では、シオニストがカーターを激しく攻撃、親イスラエル色の濃いロナルド・レーガンが当選する。そして1982年6月にイスラエル軍がレバノンの軍事侵攻。8月20日にイスラエル軍が撤退したのを受け、21日にPLOも撤退、9月12日に国際監視軍が引き揚げると、14日にバシール・ジュマイエル次期大統領が暗殺され、これを口実にしてイスラエル軍が西ベイルートに突入、難民キャンプを包囲し、16日から18日にかけて虐殺が行われたのである。 虐殺後、シャロンと軍情報局長は解任されたものの、局長の部下だった人物が3カ月の間残り、自分自身とボスたちの虐殺への関与を示す証拠を廃棄した。シャロンはかつて武器を売り歩いた中米へ逃げている。シャロンは武器商人としても有名だ。 2000年9月にシャロンはリクードの党首として1000名以上のイスラエル人警官を引き連れてエルサレムの神殿の丘を訪問、イスラム教徒を挑発し、殺戮と破壊を引き起こすことになる。シャロンの思惑通りに進んだといえるだろう。 シャロンは2001年から06年まで首相を務めるが、そのとき、シャロンの周辺が贈収賄容疑で取り調べを受け、起訴されている。リクード党の有力スポンサー、ダビド・アッペルがギリシャの島にリゾート施設を建設しようとして失敗、巻き返すためにアッペルは選挙費用を必要としていたシャロンに資金を提供する。資金提供の見返りに圧力をかけさせようとしたという。 結局、シャロンの人生は殺戮とカネ儲けで終わった。残虐で強欲なこの人物を「英雄」と呼ぶ人がいるらしい。
2014.01.14
東京都知事選の候補者として何人かの名前が挙がっている。宇都宮健児のように、すでに立候補を宣言している人もいるが、噂の段階の人もいる。マスコミやインターネットでは「噂の人」が話題だ。 現在、話題の中心になっているのは細川護煕。1938年1月14日生まれ。明日で76歳になるという高齢者であることに加え、佐川急便からの1億円借り入れやNTT株購入疑惑などで追及されて首相を辞めた過去がある。 知名度の面で細川が優れていることは確かだが、弱みが多いことも間違いなく、当然、攻撃される材料になる。小沢一郎のケースのように、火のないところに煙を立てることもあるわけで、まして、弱みを握られた人間は弱い。それは沖縄県の仲井真弘多知事を見てもわかる話。スキャンダルを抱えていても安泰でいられるのは、権力システムに組み込まれている人物だけだ。 実際、自民党やみんなの党あたりから、その点を突く批判が出始めている。立候補が決まれば細川に対する本格的な攻撃が始まるだろう。攻撃するべきでないと勝負の相手に対して叫んでも仕方がない。それ相応の防衛対策を講じなければならない。そうした意味でも弁護士の宇都宮健児は優れている。 現在、細川を押すグループは彼の「脱原発」という政策を評価しているようだが、この点は宇都宮も同じ。東京都が抱えている問題、例えば臨海副都心開発の破綻、労働環境の悪化、貧困の拡大といった経済問題、教育の統制、オリンピックを口実とした監視システムの強化といった反民主主義化の問題、総合するとファシズム化の問題にどう取り組むかが明確なのは細川でなく宇都宮である。 宇都宮の知名度が比較的低いことは事実だが、それはマスコミが嫌っているからにほかならない。「勝てる候補者」とはマスコミが受け入れ、権力システムから容認されてきた人物。そこには矛盾がある。もし、細川が本気で日本を民主主義的な国にしたいと考えているなら、宇都宮支持を宣言して「勝てる候補」にすることを考えるべきなのであり、政治家として不適切な過去を持つ自らが立候補するべきではない。鶴見俊輔の言葉を借りるならば、それは単なる「一番病」だ。 第2次世界大戦の前、東大の新人会に所属していた学生は時代の流れに乗り、吉野作造の民本主義、次いでマルクス主義、そして高度国防国家の支持者へと変化していったと鶴見は指摘している。彼らの主張する思想を見れば変化しているのだが、彼らは時代の最先端にいたい、「一番」でいたいと思っているだけで、内面に変化はない、いや、中身はない。 この「一番病」は深刻な問題で、宇都宮の周辺にもいるらしい。原発に反対する集会などへ行ってみると「運動村」の村民が沢山いて、その村における「権威」を奉っていて、その「信徒」は自分たちこそが「一番」のグループだと思い込んでいる。 その権威を頂点とする「秩序」もできていて、秩序を乱しかねない、つまり自分の序列を下げかねない「よそ者」を排除する傾向もある。さまざまな「市民運動」で高齢化が進む一因はここにある。外から見ていると、若者が参加しないのではなく、若者を拒絶しているように感じる。 村の住人は硬直し、独善的な「理論」に基づいてさまざまな出来事を解釈する傾向があり、そうした「理論」が現実から乖離してくると往々にして妄想の世界へ逃げ込む。また、村同士の対立もあり、自分たちこそ「一番」だと張り合う光景も目にする。 こうした村の傾向も宇都宮の支持が伸びない一因だろうが、今、すぐに解決できる問題ではない。とりあえず、今できる最善のことは細川が宇都宮を支持する声明を出し、宇都宮を囲い込んでいる人びとを吹き飛ばすことだろう。
2014.01.13
アメリカ陸軍が沖縄(名護、首里、石川/うるま市など)で生物兵器の実験を1961年から62年にかけて少なくとも十数回にわたって実施したと共同通信が伝えている。カビの一種である「いもち病菌」をさまざまな条件で水田に散布し、その効果を確認していたという。 東アジアから東南アジアにかけて広く栽培されている稲。約6000万人を養えるだけの稲にダメージをあたることが目的だが、1960年代初頭の段階でアメリカは東/東南アジアでの戦争を見通していたということになるだろう。(1945年の段階で朝鮮半島とインドシナ半島での戦争を想定していた可能性が高いことは、本ブログですでに指摘している。) 勿論、アメリカ軍は1950年代に朝鮮半島で戦争している。日本では北からの奇襲攻撃ということになっているが、少なくとも、そう決めつけているのは日本くらいだ。いわゆる「開戦」の2日前から韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州を占領し、ダグラス・マッカーサーに同行していた歴史家のジョン・ガンサーによると、朝鮮半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったと言われているなど、アメリカ/韓国が仕掛けたことを示す情報もあるからだ。 実は、朝鮮戦争の前からアメリカの破壊工作部隊(ジェドバラのグループ。OPCを経てCIAの計画局/作戦局で活動)は中国で戦争を始めている。つまり、第2次世界大戦が終結した直後、中国で国民党軍を支援し、国民党の体制を樹立させようとしていたのだ。 しかし、1949年1月に人民解放軍が北京へ無血入城、その年の10月には中華人民共和国が成立する。その翌年の6月に朝鮮戦争が勃発した。 そうした中、1951年4月にCIA(すでにOPCはCIAの内部に潜り込んでいた)は約2000名の国民党軍を率いて中国領内に軍事侵攻したが押し返され、52年8月の軍事侵攻も人民解放軍の反撃で失敗に終わった。朝鮮戦争が停戦になるのは1953年7月のことである。 翌年の1月になると、ジョン・フォスター・ダレス国務長官がベトナムでのゲリラ戦を準備するように提案、CIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成して6月には団長のエドワード・ランズデールがサイゴン(現在のホーチミン市)へ入っている。この胡散臭い人物については別の機会に書くことにして、今回は割愛する。 ジャーナリストのジョン・ミッチェルによると、朝鮮戦争が休戦になった翌年、SMMが活動を開始した1954年にアメリカは水素爆弾を搭載したF100戦闘爆撃機を沖縄の嘉手納空軍基地に派遣、その後、次々に核兵器が沖縄へ持ち込まれ、1962年には核ミサイル発射場が稼働、8基のメース・ミサイルが発射管に装填された。このミサイルは大戦中にドイツ軍が使ったV-1ロケットの後継で、ミサイルに取り付けられた核弾頭は広島に投下された爆弾の75倍以上の破壊力を持っていたという。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1957年初頭にアメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃の準備を開始、1961年の夏、軍の好戦派は大統領に就任して半年ほどのジョン・F・ケネディ大統領に対し、1963年の後半にソ連を核攻撃するという計画を説明したという。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMを準備できるということだった。 ケネディ大統領はこうした計画に反対しているが、そうした絡みからキューバを装って破壊活動を繰り返し、旅客機撃墜を演出する「ノースウッズ作戦」が考えられたわけだ。キューバの「テロ」に対する報復という形でキューバへアメリカ軍が直接、軍事侵攻するという計画だったが、これもケネディ大統領に潰されたようだ。そして1963年11月に大統領は暗殺される。 今回、共同通信が伝えた生物兵器の実験は、そうした軍事的緊張の中で実施された。この時期、化学兵器のエージェント・オレンジも沖縄へ運び込まれている。これが北太平洋にあるジョンストン島へ移動されたのは1972年のことだったという。
2014.01.12
日本のファシズム化を加速させ、原子力発電を推進しているのは安倍晋三政権にほかならない。2012年12月の衆議院議員選挙、13年7月の参議院議員選挙で自民党を勝利させた段階でこうした流れは決まった。 その流れを作る上でマスコミが果たした役割は大きい。そのマスコミが「都知事候補」として大きく取り上げる人物が碌でもないことは明白だ。石原慎太郎や猪瀬直樹を支えていたのも、そうしたマスコミだった。 東京都は東京電力の顧客であり、同社の大株主でもある。昨年9月30日現在で東電が発行した株式の1.20%を所有、原子力損害賠償支援機構(54.69%)、東京電力従業員持株会(1.33%)、クレディ・スイス・セキュリティーズ(USA)(1.23%)に次ぐ大株主だが、株数からいって発言権は限定的。 東京都が原発問題と無縁だとは言わないが、それ以外にも大きな問題を抱えていることも事実だ。原発の問題については、あくまで政府と東電を相手にすべきだろう。東京都が抱えている最大の問題は臨海副都心開発の破綻である。 この開発は鈴木俊一知事の置き土産。鈴木知事は都庁の移転など「箱物行政」を推進、1989年に臨海副都心の開発を始め、破綻した。2001年には「臨海副都心事業会計」を帳簿の上で改善するために黒字の「埋立事業会計」「羽田沖埋立事業会計」と統合、赤字と借金の一部を帳消しにしているが、それでも2013年から20年度までに約2465億円を返済しなければならないという。 その一方で福祉政策を切り捨て、学校や図書館などの予算は削り、職員の給与を引き下げている。思想統制にも熱心で、学校では「君が代」や「日の丸」を強制するなど、統制を強めている。旧日本軍は思考力を奪うために理不尽なことを兵士に強制し、屈服させて非人間的なことでもできる人間を作り上げようとした。今、同じようなことが学校で行われている。最初のターゲットは生徒。調教道具のひとつが内申書だった。 内申書の問題を象徴する出来事といえば、千代田区立麹町中学校の生徒だった保坂展人を原告とする裁判を挙げることができる。「校内において麹町中全共闘を名乗り、機関紙『砦』を発行した。学校文化祭の際、文化祭粉砕を叫んで他校生徒とともに校内に乱入し、ビラ撒きを行った。大学生ML派の集会に参加している。学校側の指導説得を聞かずに、ビラを配り,落書をした」というようなことが内申書には書かれていたという。 それに対し、最高裁は内申書を「思想、信条そのものを記載したものでないことは明らか」と強弁し、保坂の訴えを認めなかった。言うまでもなく、思想や信条とは心の問題であり、そうしたものを他人が直接、見聞きすることはできず、その人物の言動から推し量るしかない。その言動を記載しているということは、思想や信条を判断する材料を提供しているわけで、有り体に言えば、最高裁は思想の自由を否定し、信条による差別を肯定したのである。 内申書とは教師を代理人とする権力者の監視システムに外ならず、生徒に従順であることを強要する仕組みの一部だと言うこともできる。その目論みは成功しているようだ。そして今、生徒を統制する手先になってきた教師が次のターゲットになっている。これまで以上に従順な教師を作り上げようとしているのだろう。 従順な生徒と教師で満ちあふれる学校で、支配者を盲従する人間を作りだそうとしているのが安倍政権、あるいは背後にいる勢力。最近、前面に出て活動しているのは「自由主義史観研究会」のようだが、以前は関西の「新教育懇話会」と関東の「東京教育懇話会」が教科書攻撃の拠点になっていた。それぞれ、さかのぼると戦前の皇国史観を支えていた京都学派と東大朱光会に行き着く。 そうした勢力が攻勢をかけている場所がある。沖縄県八重山地区だ。「自由主義史観研究会」の流れをくんでいる育鵬社の教科書を使うように安倍政権が強要、ニューヨーク/タイムズも安倍首相らの靖国神社参拝や特定秘密保護法案などと絡めた記事にしている。 東京都の教育委員会も一種の「踏み絵」として「日の丸」や「君が代」を利用しているが、それだけでなく、実教出版の高校日本史教科書を選ばないように各校の選定に干渉するということも行っている。所詮、教科書は権力者に都合良く書かれたものだという意見もあるだろうが、小さい頃の刷り込みはなかなか抜けないのも事実。それがわかっているからこそ、権力者は「教育」に熱心なわけだ。この問題を軽く扱うことはできない。 臨海副都心開発や教育のほか、オリンピックを利用した監視システムの強化(東京の監獄化)、あるいは労働環境の悪化、貧困の拡大、金融/投機の規制といった問題もある。マスコミが恐れているのは、こうした問題に取り組んできた気骨ある人物が知事になることだ。
2014.01.11
まさか「火事と喧嘩は江戸の華」などと思っているのではないだろうが、中国と日本の駐英大使がテレグラフ紙(中国、日本)に続き、BBCの番組でバトルを展開した。こうした議論が行われること自体、中国と日本との間に領土問題が存在することを示しているわけで、日本政府の主張は端から崩壊している。 中国の劉曉明は尖閣諸島/釣魚台列嶼を昔から自国の領土だったとしたうえで、それを日本は軍事力で奪ったのだと主張、第2次世界大戦後における世界秩序の基盤になっているポツダム宣言/カイロ宣言によって、日本は中国へ返還しなければならないとしている。それに対し、日本の林景一大使は諸島を19世紀、合法的に領土としたのであり、その状態を変えるために中国は挑発と脅迫をしているとしている。 1895年1月14日の閣議決定で諸島は日本へ編入されたと林大使は言っているわけだが、日本国内とは違い、「日本固有の領土」だとは口にできなかったのだろう。中国が軍事力を前面に出してきたことを強調しているが、尖閣諸島をめぐって中国と日本との関係が悪化する原因を作ったのは、「棚上げ」の合意を壊した日本側にある。 前にも書いたが、日本は1872年から東アジア侵略の準備を始めている。1871年7月に廃藩置県を実施するのだが、10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着して何人かが殺されると、これを利用して台湾を攻めようとする。そのため、1872年に琉球王国を制圧して琉球藩を設置、74年に台湾へ軍隊を送り込む。1875年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、日朝修好条規を結ばせ、清国の宗主権を否定させた。 1894年に甲午農民戦争が起こると「邦人保護」を名目にして軍を派遣、日清戦争へとつなが、戦争に勝利した日本は1895年4月、清に下関条約を締結させた。尖閣諸島を日本領にするという閣議決定があったのは、その3カ月前だ。そして1895年10月、日本は朝鮮国王高宗の王妃、閔妃を官憲や大陸浪人を使って暗殺している。 この経過を林大使は「平和的」と言っている。 現在、日本の「エリート」は世界的に信用を失っている。東電福島第一原発の事故で政府や東電が重要な情報を隠し、嘘を言い続けてきたことを多くの人が知るようになり、広域暴力団を使ってホームレスなど社会的弱者を集め、危険な作業に従事させていることも伝えられている。 しかも、カナダにおいてニシンのひれ、腹部、あご、眼球などから出血が報告され、ヤマトシジミに遺伝的な異常が出ているほか、カリフォルニアで先天性甲状腺機能低下症の子どもが増えているという報告もある。福島沖で被曝した空母ロナルド・レーガンの乗組員70名以上が、甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているとして裁判を起こそうとしているようだ。そうした動きの背後では、日本のエリートは信頼できないという感情が渦巻いている。 安倍晋三首相はアメリカ政府の警告を無視して靖国神社を参拝、駐日大使館や国務省は「失望」を表明、国防総省も近隣諸国との関係改善を求めている。その日本では民主主義を否定する「特定秘密保護法案」が可決され、改憲も公然と主張された。疑惑の目で見られて当然。最近では、形状的にも能力的にも空母にしか見えない「いずも」を日本政府が「ヘリコプター護衛艦」と言い張り、物笑いの種になっている。 これまで日本では大手マスコミや著名な学者も生産力の違うアメリカとの戦争に突入したことを「無謀だった」と「反省」してきたが、東アジアへの侵略を反省する声は小さかった。東アジア侵略の出発点である「琉球処分」、つまり琉球/沖縄の植民地化はさらに反省の声が小さい。アメリカと戦争したのは間違いだが、東アジア侵略は間違いでないと考えているようにしか思えない。そうした人びとに支えられて安倍晋三なる人間が首相になったわけだ。 ところで、領土問題の前に林大使がすぐにすべきことがある。優秀なスタイリストを雇うことだ。
2014.01.10
東京都知事選の候補者として細川護煕の名前が挙がっている。小泉純一郎との連携も模索しているらしい。内政面では強者総取りの新自由主義政策を推進、対外的にはジョージ・W・ブッシュ政権の軍事侵略を支援した小泉。思慮が浅く、脇が甘く、腹が据わっていないために政権を放り出した細川。ふたりが手を組んで何をするというのだろうか。 小泉は単純なフレーズを掲げ、他の政策を隠す名人である。自身が首相を務めた2001年から06年に国有資産の私有化と規制緩和を推進、社会的な強者にとって有利で不公正な社会システムを作っていった。庶民からカネを巻き上げ、大企業や富裕層へ上納するということであり、安倍晋三政権とも共通する。 その当時、小泉は単純なフレーズを叫び続けていた。「民間ができることは民間にやらせろ」、「古い自民党をぶっ壊す」、「日本を変える」、「構造改革なくして景気回復なし」等々。「郵政民営化」と唱えれば全てが解決されるような宣伝も繰り広げられた。 実は、アメリカの広告業界ではクライアントの心をつかむフレーズは単純で浅薄なものが良いとされている。「論理的に説明する」のは愚の骨頂ということ。小泉はこの原則を実践したわけだ。 小泉政権の経済政策を象徴する人物が竹中平蔵。小渕恵三内閣(1998年から99年)が設置した首相諮問機関の「経済戦略会議」に中谷巌らと一緒に参加、2001年に小泉内閣が始まると経済財政政策担当大臣に就任、第1次改造で金融担当大臣を兼務し、第2次改造では内閣府特命担当大臣(金融担当/経済財政政策担当)、2004年の改造で金融担当は外れ、郵政民営化担当相になる。経済財政担当は2005年の第3次小泉内閣まで続いた。 「経済戦略会議」が設置される前、1996年に「日米21世紀委員会」の第1回会合がアメリカのメリーランド州で開かれている。この委員会はCIAとの関係で有名なアメリカのシンクタンク、CSISのプロジェクト。1998年5月まで続く。 「日米21世紀委員会」の日本側メンバーは: 宮沢喜一(名誉委員長) 堺屋太一(委員長/後に経済企画庁長官) 田中直毅(副委員長) 土井定包(委員/大和証券) 福川伸次(委員/元通産事務次官) 速水優(委員/後に日銀総裁) 稲盛和夫(委員/京セラ名誉会長) 猪口邦子(委員/上智大学教授) 小林陽太郎(委員/富士ゼロックス会長) 中谷巌(委員/一橋大学教授) 奥山雄材(委員/元郵政事務次官) 山本貞雄(委員/元京セラ専務) 小島明(顧問/日本経済新聞) ちなみに、福川と小林は日米欧三極委員会のメンバーであり、宮沢の娘、啓子はアメリカの外交官で駐日領事を経てマレーシア駐在大使を務めることになるクリストファー・ラフルアーと結婚している。要するに、アメリカとの関係は深い。 郵政民営化では、さまざまが疑惑の行動が指摘されている。その中心に郵政民営化担当相だった竹中がいるのは当然だろう。 疑惑の一例を挙げると、この竹中は2002年、西川善文と伴にゴールドマン・サックスのヘンリー・ポールソンCEOやジョン・セインCOOと会っている。ポールソンはその後、2006年から09年まで財務長官を務め、セインは2007年にメリルリンチのCEOになる。この証券会社は不正廉売が問題になった「かんぽの宿」の売却にからむアドバイサーだ。 小泉が「脱原発」を掲げたとはいっても、こうした強者総取りの新自由主義を捨てたとは言えない。小泉が首相に就任した2001年はジョージ・W・ブッシュが疑惑の選挙で大統領になった年。ブッシュ政権はその後、偽情報を流してアフガニスタンやイラクを先制攻撃しているが、そうした軍事侵攻を小泉は後押しした。そのアフガニスタンやイラクでは今も建造物が破壊され、住民が虐殺されている。 アメリカでは2001年から憲法が機能を停止、ファシズム化が急速に進んでいる。ファシズムとは巨大資本が国家を支配する体制であり、TPPはそのための協定。2020年に東京で開催が予定されている夏期オリンピックも「治安対策」を名目として監視システムを強化し、監獄化が進むだろう。 以前にも書いたことだが、オリンピックがあるから治安対策が必要なのではなく、監視体制を強化するためにオリンピックを開催するのだ。ナチスと同じように、オリンピックを利用しようとしている。オリンピックは国家安全保障会議の設置、国家安全保障基本法案や特定秘密保護法案とセットになっている。
2014.01.09
年明け後、イラクのラマディとファルージャで激しい戦闘があり、アル・カイダ系の武装集団、ISIL(ISISとも表記、AQIとも呼ばれている)に制圧されたという。現在、空爆の準備をしている政府軍は武装勢力に対し、撤退するように呼びかけているようだ。 本ブログでは何度も書いていることだが、シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すため、NATO諸国(アメリカ、イギリス、フランス、トルコ)やペルシャ湾岸の産油国(サウジアラビア、カタール)はアル・カイダを使っている。ISILも外国勢力の支援を受けてシリアで政府軍と戦っている。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒したときと同じ構図だ。 アル・カイダの黒幕はサウジアラビアであり、ISILもシリアで反アサド派諸国から武器などさまざまな援助を受け、その援助を利用してイラクでも戦闘を繰り広げている。イラクの戦乱を深刻化させているのはNATO諸国やペルシャ湾岸の産油国だということだ。 2007年の段階でアメリカ(ネオコン)やイスラエルと連合してシリアやイランの体制を破壊するための秘密工作を始めたサウジアラビアだが、そのサウジアラビアがアメリカの手先になり、イスラエルと手を組むのは1970年代の終盤以降のこと。アフガニスタンへ引きずり込んだソ連軍と戦わせるために編成したイスラム武装を支える柱のひとつだった。 こうした同盟関係が昔から続いているわけではなく、1964年から75年までサウジアラビア国王だったファイサル・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドはアメリカとも一線を画し、PLOのヤセル・アラファト議長とも友好的な関係にあった。イスラエルと同盟を組むような人物ではなかったということだ。 そのファイサル国王は1975年3月、甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されてしまう。その甥はクウェート石油相の随行員としてその場にいたという。この暗殺によってサウジアラビアは大きく変化、アメリカやイスラエルへ接近する。 この甥は博打が好きだったようで、大負けして多額の借金を作っていた。その借金を清算してくれたのは、ひとりの女性。男女の関係もできたようだが、それだけでなく、その甥を麻薬漬けにして操り人形にしてしまったようだ。その女性の正体は不明だが、モサドのエージェントだったと噂されている。確かに、モサドの常套手段ではある。 ファイサル国王が暗殺された後、ハリド・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドが新たな国王になるが、実権を握ったのは第1副首相で親米派として有名なファハド・ビン・アブドル・アジズ。1982年から2005年まで国王の座にあった。 現在、アル・カイダ(スンニ派の武装勢力)を実際に指揮しているのはサウジアラビア総合情報庁のバンダル・ビン・スルタン長官だと言われているが、この人物は1983年から05年まで、つまりファハド国王の在位期間とほぼ同じ時期にアメリカ駐在大使を務めていた。その後、国家安全保障会議の事務局長に就任、総合情報庁の長官になるのは2012年のことだ。2001年9月11日の出来事に関し、疑惑の目で見られているひとりだ。
2014.01.08
イギリスのテレグラフ紙を舞台にして、日本と中国、ふたりの駐英大使が中傷合戦を演じて話題になっている。そのふたりとは劉曉明と林景一。J. K. ローリングが書いた小説『ハリー・ポッター』に登場する悪役の魔法使い、ヴォルデモートに相手の国を準えたのである。 こうした中傷合戦の直接的な引き金は昨年12月26日に安倍晋三首相らが靖国神社を参拝したこと。この神社が日本の東アジア侵略を象徴する存在だということは否定しようのない事実であり、だからこそ、10月3日にジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官が「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」を訪れて献花して事前に警告していたのだ。 靖国神社は侵略の象徴であり、今でもその侵略戦争を肯定している。こうした神社に参拝したのだ。これを「非戦の誓い」のための参拝と表現することは不可能だ。そうした説得力のない主張を林大使は繰り返している。 こうした日本の主張が通用しないことはアメリカ政府の反応を見ても明らか。安倍首相らが靖国神社を参拝して間もなく、アメリカ大使館は「日本の隣国との緊張を悪化させる行動を日本の指導者がとったことにアメリカは失望している」という声明を出し、続いて国務省のマリー・ハーフ副報道官も、日本の指導層による近隣諸国との緊張を高める行為をについて失望を表明している。 新藤大臣の靖国神社訪問についてハーフ副報道官が「失望」を表明しなかったことを受け、「日米関係の悪化は中国や北朝鮮につけいる隙を与えかねないことから表立った批判は控える見込み」だと報じたマスコミもあるが、チャック・ヘーゲル国防長官は小野寺五典防衛相と電話で会談、アジアの近隣諸国との関係改善に向けた措置を講ずるように求めたと国防総省は1月4日に発表している。林大臣の「反論」が掲載されたのはその後。 日本政府側の発表では、小野寺防衛相は参拝について「二度と戦争を起こしてはならないという不戦の誓いを示したのが本意だ」と理解を求めたということになっている。それに対するヘーゲル氏の反応はマスコミによって違い、TBSは「コメントしなかった」、毎日新聞が掲載した「共同電」によると「説明は分かった」、NHKは「感謝した」。毎日新聞の場合、ヘーゲル長官からの「言及はなかった」と当初は書かれていたようだ。 そもそも、現在の東アジアにおける緊張を作り上げたのは日本にほかならない。田中角栄政権時代、日本と中国との関係改善を促進するために尖閣諸島/釣魚台列嶼の領有権問題は「棚上げ」にされた(これを否定することは無理だが、その無理を国内で言い合っているのが政治家やマスコミ)のだが、この合意を日本が破壊する。 2010年9月、諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、その際に漁船が巡視船に衝突してきたとして船長を逮捕したのだ。この海上保安庁は国土交通相の外局で、事件当時の国土交通大臣は前原誠司。事件の直後、外務大臣に就任している。 漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっていた。このことは事件直後に自民党の河野太郎議員が指摘している。 ところが、こうした動きは翌年の3月11日に止まってしまう。東日本の太平洋岸を襲った大地震と東電福島第一原発の事故でそれどころではなくなったのだ。中国との関係を悪化させる動きが再開されるのは2012年4月。石原慎太郎都知事(当時)が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示したのだ。その後、領土問題は存在しないと称し、中国側の神経を逆なでする行為を日本側は続けてきた。それで「対話を呼びかけている」とはよく言えたものだ。 劉大使は中国とイギリスが第2次世界大戦で同じ連合国に属していた戦勝国だということを強調している。中国側は「ポツダム宣言」を意識している。日本はポツダム宣言を受け入れて降伏、戦争は終わって戦後が始まったわけだが、日本はポツダム宣言を否定していると言っているわけだ。 ポツダム宣言の中に次のような記述がある。「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」 そしてカイロ宣言には「千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲、台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」と書かれている。日本が清国(中国)人から盗んだ一切の地域を中国へ返還しろと言っているのだ。 日本が中国を侵略するまでの経過を振り返ると、琉球処分に行き着く。明治政府を作った勢力は1871年7月に廃藩置県を実施するのだが、10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、そのうち何人かが殺されるという事件が起こった。 これを利用して台湾を攻めようと考えた明治政府は宮古島を日本領だと主張するため、藩を廃止した後の1872年に琉球王国を制圧して琉球藩を設置、74年に台湾へ軍隊を送り込む。1875年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、清国の宗主権を否定させ、94年に甲午農民戦争が起こると「邦人保護」を名目にして軍を派遣、日清戦争へとつながる。 この戦争で勝利した日本は半年後の1895年10月、朝鮮国王高宗の王妃、閔妃を官憲や大陸浪人を使って暗殺、その際に性的な陵辱を加えたと言われている。計画の立案者は漢城公使の三浦梧楼。襲撃現場を多くの朝鮮人、そして宮廷の顧問だったロシア人やアメリカ人が目撃していたのだが、日本の裁判は三浦たちに対し、「証拠不十分」で無罪を言い渡した。のちに三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職についている。 下関で清との講和条約が締結される3カ月前、日本政府は尖閣諸島を日本の領土として編入すると閣議決定しているが、これは対外的に公表されていない。すでに琉球制圧から東アジア侵略は始まり、清との戦争に突入、勝利を確信する中での決定だった。この経緯を考えると、尖閣諸島がカイロ宣言に接触すると見ることも可能。ここを中国大使は突いてきたのだ。
2014.01.07
フランスにジウドネ・ムバラ・ムバラという人気コメディアンがいる。人種差別に反対する活動をしてきたことでも知られ、必然的に「非ユダヤ人」を主権者として認めない、つまり差別し、弾圧する人種差別国家のイスラエルを批判することになった。舞台でも公然とシオニスト(ユダヤ人とは全く別の概念)を批判し、何度も処罰されているようだ。そのジウドネの表現活動を禁止しようとする動きがフランスであるらしい。 昨年末、フランスのフランソワ・オランド大統領はサウジアラビアを訪問していたようだが、この人物はサウジアラビアやイスラエルと緊密な関係にある人物で、昨年11月上旬にジュネーブで開かれたイランの核開発問題に関する協議の合意を壊したとも伝えられている。イランとシリアの破壊を目論むイスラエル/ネオコンとサウジアラビアの意向に沿った行動だ。シリアへの直接的な軍事介入にも積極的な姿勢をみせていた。そのオランドを含む「エリート」たちがジウドネを嫌っている。 そのジブドネが攻撃するシオニズムとは「シオン(エルサレムの丘)に戻り、国を作ろう」という運動で、テオドール・ヘルツルが1896年に始めたとされている。ユダヤ教徒が参加していたものの、ユダヤ教とは本質的に別のものだ。シオニズム運動が始まる58年前、イギリスはエルサレムに領事館を建設、この時点で移住の準備が始まったとする見方もある。 それだけでなく、フランスに住むエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドは1882年にユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供し、91年にはウィリアム・ブラックストーンなる人物がアメリカで「ユダヤ人」をパレスチナに返そうという運動を展開、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけている。 言うまでもなく、シオニストが国を作ろうとしていた地域には、すでにアラブ系を中心に多くの人が住んでいた。そこへ新たな国を作る口実として使われたのが「ユダヤ人」。テルアビブ大学のシュロモ・サンド教授によると、シオニズム運動が始まる前、民族として「ユダヤ人」は存在しなかった。ユダヤ教を信じる信徒がいただけであり、イスラエルという国を作るために「ユダヤ人」が作り出されたのだという。 イスラエルを建国するためにヨーロッパからも「ユダヤ人」が連れてこられたが、そうした「ユダヤ人」の多くはかつてロシアの南部に住んでいてユダヤ教へ改宗した遊牧民のハザル民族で、聖書の時代にパレスチナに住んでいたユダヤ教徒の多くはキリスト教やイスラム教へ改宗したともいう。 そうした事情はともかく、旧約聖書を持ち出して先住のアラブ系の住民を追い出そうとすれば、当然、深刻な紛争が起こる。ウラジミール・ジャボチンスキーの「修正主義シオニスト世界連合」から強い影響を受けているベンヤミン・ネタニヤフ首相は「大イスラエル」、旧約聖書に書かれた「約束の地」、つまりナイル川とユーフラテス川に挟まれた地域をイスラエルの領土にしようとしている可能性が高い。その地域に天然ガスが眠っていることが判明して以来、その意思は強まっているようだ。 現在、シオニスト国家のイスラエルはイランの核開発を激しく攻撃している。第4次中東戦争では核弾頭を2基のミサイルに搭載し、アメリカ政府を脅している。核兵器の力をイスラエルは理解、イランが「核兵器を持つ能力」を持つことを許せないのだろう。 イスラエルの核兵器開発を支援したのは欧米の富豪で、中でもエドモンド・ジェームズの孫に当たるエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドはイスラエルの核兵器開発に対する最大の資金提供者だったとされている。 イスラエルの核兵器開発はフランスが支援していたのだが、シャルル・ド・ゴールによると、彼はイスラエルの核兵器開発支援を中止するよう命じたのだという。が、支援は続けられた。ロスチャイルドが関与していたならば、ありえる話だろう。 シオニズムを批判するということは、ロスチャイルドをはじめとするフランスの支配層の暗部を攻撃することにつながる。これまで「ユダヤ人」を隠れ蓑に使ってきたが、シオニストとユダヤ人の違いを知る人は増え、最近はシオニスト/シオニズムに対しする批判が世界的に広がっている。フランスのエリートがジウドネを黙らせたいという気持ちになっても不思議ではない状況だ。
2014.01.06
アメリカのチャック・ヘーゲル国防長官は1月5日に小野寺五典防衛相と電話で会談、アジアの近隣諸国との関係改善に向けた措置を講ずるように強く求めたという。すでに昨年12月26日には安倍首相らがアメリカ側の警告を無視する形で、一宗教法人にすぎない靖国神社を参拝、それに続いて今月1日には新藤義孝総務相も参拝してアメリカ政府を刺激し、ヘーゲル長官の警告につながったのだろう。 安倍首相は参拝後に「諸外国の戦争犠牲者の冥福も祈った」、あるいは「平和と人権を守っていく」などと語り、新藤大臣は「戦争で命を落とした方々に尊崇の念を込めてお参りした。平和への思いを新たにした」とコメントしたという。東アジア侵略を肯定する神社で「非戦の誓い」をするという矛盾した主張が世界で受け入れられると本当に信じているのなら、相当の虚け者である。 言うまでもなく、「私的参拝」か「公的参拝」かに意味はない。平和云々の話と同様、「私的」か「公的」かは本人の心の問題であり、それが事実かどうかも検証できず、それを見た人びとがどう感じるかとは無関係な話だからだ。明確なことは、日本が東アジアを侵略した象徴を安倍首相や新藤大臣らが参拝したという事実だけである。 こうした展開にならないよう、バラク・オバマ政権は日本政府に対してメッセージを出していた。つまり、10月に来日したジョン・ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が国立施設の千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花している。 安倍首相らが靖国神社を訪問した直後、駐日アメリカ大使館は「日本の隣国との緊張を悪化させる行動を日本の指導者がとったことにアメリカは失望している」という声明を出し、続いて国務省のマリー・ハーフ副報道官も、日本の指導層による近隣諸国との緊張を高める行為について、失望を表明している。 新藤大臣の靖国神社訪問についてハーフ副報道官が「失望」を表明しなかったことを受け、「日米関係の悪化は中国や北朝鮮につけいる隙を与えかねないことから表立った批判は控える見込み」だと報じたマスコミもあるが、そうした見通しが甘いことはすぐに判明する。5日にヘーゲル長官は近隣諸国との関係改善を求めたのだ。関係を悪化させたのは靖国神社訪問であり、こうしたことを2度と繰り返すなと言うメッセージであることは間違いない。 オバマ政権は東アジアの安定を強調しているが、アメリカ支配層の中には軍事的な緊張を高めたいと願っている勢力も存在する。例えば、2001年にアメリカ大統領となったジョージ・W・ブッシュは「中国脅威論」を叫んでいたが、その大本にいたのは国防総省内のシンクタンク「ONA(ネット評価室)」のアンドリュー・マーシャル室長だと言われている。この人物は親イスラエル派として有名で、サウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸の産油国とも友好的な関係にある。 戦略の専門家ということになっているが、シカゴ大学では経済学を学んでいた。新自由主義経済の伝道師的な存在であるミルトン・フリードマン、あるいはネオコン(親イスラエル派)の教祖のようなレオ・ストラウスが教えていた大学だ。 ジェラルド・フォード政権ではCIAの内部で「ソ連脅威論」に好都合な分析をする目的で「Bチーム」が設置されたが、その際、ONAが協力したと言われている。そのBチームを仕切っていたのがハーバード大学教授でネオコンの大物としても知られていたリチャード・パイプス、またチームのメンバーにはネオコンを象徴する存在になるポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。 1991年にソ連が消滅した後、マーシャルたちは中国脅威論を叫び始めるのだが、彼と結びついていた集団は前と同じネオコン。その年、アメリカはイラクを攻撃しているが、ソ連は出てこなかった。そのソ連も消滅してアメリカは「唯一の超大国」と呼ばれるようになる。アメリカの軍事行動を妨げる存在はなくなった、と彼らは考えたようだ。 ネオコンは1990年代から好戦的な提言を繰り返すが、思惑通りには進んでいない。そうした中、引き起こされたのが2001年9月11日の出来事。それを切っ掛けにネオコンは暴走を開始するのだが、すでに当初の勢いはなくなっている。欧米ではイスラエル・ボイコットが広がり、サウジアラビアとアル・カイダとの関係も知られるようになった。そうした勢力と手を組み、その戦略に従って動くことはきわめて危険である。【追加】アメリカ国防総省のニュース・リリース:ココ
2014.01.05
昨年は情報の支配権をめぐる戦いが表面化した年でもあったが、今年も大きな問題になるだろう。そうした戦いの象徴が世界では「エドワード・スノーデン」、国内では「特定秘密保護法案」。 スノーデンのケースでは、公表された情報が持ち出されたものの1%程度にすぎないようで、速やかに全てを開示すべきだと批判する声もあるが、一部の人間が独占している最新の実態を明らかにしたことは事実。言うまでもなく、「特定秘密保護法案」は官僚が公的であるべき情報を独占する仕組みだ。 2010年4月にはWikiLeaksが米軍の撮影した映像を明らかにして大きな問題になった。軍用ヘリコプターが非武装の人間、十数名を殺害する場面を撮影した映像を公開したのだ。そうした映像をほとんど無視した日本のマスコミは異様だった。そうした人びとの集まりだからこそ、マスコミは「特定秘密保護法案」が成立する直前まで、手を拱いていたのだろう。 公的な情報の隠蔽によってもたらされる危険性は、そうしたことを正当化するために引き合いに出される危険性より遥かに重大だと昔から指摘されているが、「特定秘密保護法案」では情報を官僚が恣意的に隠すことを合法化し、隠された情報を明らかにしようとすることを犯罪視する。 日本の支配層が従属しているアメリカの支配層は第2次世界大戦後、極秘の組織を設置し、プロジェクトを始めている。暗殺、破壊活動、クーデターといった秘密工作を実行するために作られたOPC、通信傍受など電子的な情報活動を目的としたNSAなどがそうした組織であり、メディアを操作するためにプロジェクト(通称、モッキンバード)も始められている。 そうした組織やプロジェクトが表面化したのは1970年代のことで、中でもフランク・チャーチ上院議員を委員長とする「上院情報活動特別委員会」。日本以外で「チャーチ委員会」というと、これを指す。 そのチャーチは1975年8月17日にNBCの番組で次にように言っている。「国家安全保障局(NSA)が行っている諜報活動は、いつ何時、アメリカ市民に対して向けられるかわからない。電話、電報などすべてが監視されれば、アメリカ人にプライバシーはなくなるだろう。」 最近、バーニー・サンダース上院議員はキース・アレキサンダーNSA長官に対し、NSAが議員を監視しているかどうかを問う質問状を出したというが、議員が盗聴されることは珍しくない。 1988年にイギリスのジャーナリスト、ダンカン・キャンベルはUKUSA(つまりアメリカのNSAとイギリスのGCHQ)が作り上げた地球規模の通信傍受システムECHELONの存在を明らかにしたが、その中でストローム・サーモンド上院議員に対するUKUSAの盗聴が指摘されている。そもそも、現在は議員も含め、全ての人間がターゲットなのだ。
2014.01.04
世界秩序が大きく変化しはじめている。アメリカの衰退は以前から始まっているが、ここにきて注目されているのはサウジアラビアとイスラエルの孤立。両国とアメリカの好戦派は1980年代から接近し、2007年までにシリアやイランをターゲットにした秘密工作を開始、その手先になったのがイスラム教スンニ派の武装グループだが、その構図が公然と語られるようになっている。イスラエルやサウジアラビアの神通力が弱っている。 サウジアラビアやイスラエルを動かしている原動力のひとつは、おそらく、エネルギー問題である。サウジアラビアの場合はパイプラインの問題があるが、イスラエルの場合は地中海の東で見つかった天然ガス田。ガザやヨルダン川西岸、そしてシリアの一部もエネルギー資源が地下に眠っているようだ。こうした地域をイスラエルは制圧するつもりなのだろう。 イスラエルやネオコン(アメリカの親イスラエル派)は地政学的な見地からイラクを重要視、そこで1980年代からイラクからサダム・フセインを排除しようとしていた。イラクに親イスラエル政権を樹立すれば、ヨルダンからトルコまでのイスラエルの友好国で帯ができ、イランとシリアを分断することができると考えたようだ。 ところが、アメリカの主流派はイラクのフセイン体制をペルシャ湾岸の産油国を守る存在だと位置づけていた。そもそもフセインを独裁者に仕立てたのはCIAである。そこでアメリカの主流派はイスラエル/ネオコンと対立することなった。 1990年8月にイラク軍がクウェートへ軍事侵攻するが、その直前、イラクとクウェートは石油をめぐって対立していた。盗掘の問題もあったが、サウジアラビアやクウェートの増産で相場が下落したこともイラクには痛手で、反発していたのである。こうした状況だったため、CIAは2年ほど前からイラクの軍事侵攻を予想していたのだが、アメリカはこの件について沈黙していた。 しかも、1990年7月にアメリカ国務省のスポークスパーソン、マーガレット・タトワイラーはクウェートを守る取り決めを結んでいないと発言、イラク駐在のエイプリル・グラスピー大使はフセインに対し、アラブ諸国間の問題には口を出さないと伝えている。少なくともイラクの軍事侵攻を止めようとはしていない。この間、クウェートはイラクを挑発し続けた。 イラクが攻め込んだあとにアメリカ政府はイラク軍が攻め込んでくるという偽情報をサウジアラビアに囁いて軍をサウジアラビアへ展開、駐留する。そして1991年1月にイラクへの大規模な空爆を開始したのだが、犠牲者の大半はクルド人とシーア派で、結果的にフセイン体制を強化することになった。 フセインを排除しなかったことに激怒したのがネオコンやイスラエルで、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを攻撃するとこの時点で口にしていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。 2001年9月11日から間もない時点でドナルド・ラムズフェルドを長官とする国防総省ではこの3カ国にリビア、レバノン、ソマリア、スーダンを加えた国々を攻撃する計画を立てていたという。そのうちイラクは2003年に先制攻撃し、フセインは排除した。 1991年にウォルフォウィッツが挙げた3カ国のうち、残るはシリアとイラン。その2カ国を倒す秘密工作が始まったと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に書いたのは2007年のことだった。当時のアメリカ政府はネオコンが主導権を握っていたが、そのアメリカはイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリアやイランの体制を倒す秘密工作をはじめたとしている。その手先がイスラム教スンニ派の武装勢力で、その中にはアル・カイダも含まれていた。 2001年に作成された攻撃予定国リストは実行に移されているが、シリアで躓いた。当初はトルコに軍事拠点を作り、アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々は体制転覆を目指した。資金や武器を提供、トルコで軍事訓練も実施している。 ところが、シリアの国民は外国からの侵略に反発、バシャール・アル・アサド体制は倒されていない。戦闘が長引くにつれて反政府軍がカタール系のムスリム同胞団やサウジアラビア系のサラフ主義者/アル・カイダで構成された傭兵集団にすぎないということやサラフ主義者の残虐さも知られるようになった。今はサウジアラビア系が中心だ。 以前から化学兵器を使っているのはサウジアラビアが動かしている武装集団だと言われていたが、シーモア・ハーシュも化学兵器と反シリア政府軍を結びつけるレポートを書いている。反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるという趣旨の記事だ。「有力メディア」ではまだタブーの話らしいが、ハーシュも書くまでにタブーのハードルが下がったとは言える。 一時はシリアへ「西側」が直接的な軍事介入をはじめると言われたが、イギリスやアメリカが計画を中止、実現していない。現在、ヨルダンに反政府軍の司令部があり、そこには欧米諸国や湾岸産油国を含む14カ国の軍高官が駐在しているというが、アサド体制を簡単に倒せる状況ではない。 そこでサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官がモスクワを7月31日に極秘訪問、ウラジミル・プーチン大統領に対し、ソチで開かれる冬季オリンピックを守ると保証できると口にしたという。オリンピックの破壊活動をするとしているチェチェンのグループは自分たちの指揮下にあるというのだ。 つまり、シリアから手を引かないとソチで何らかの「テロ」を行うと脅したわけだが、怒ったプーチン大統領は「ここ10年の間、チェチェンのテロリスト・グループをあなたたちが支援していることを知っている」と口にしたという。 ボルゴグラードでの自爆攻撃を後ろで操っているのがサウジアラビアだということが判明した場合、ロシアはサウジアラビアに対して報復すると見ている人もいる。軍事的な報復という可能性もあるが、サウジアラビアやイスラエルを窮地に陥れる情報を明らかにするかもしれない。【追加】 かつて、例えば第4次中東戦争でイスラエルはカイロとダマスカスを核攻撃する姿勢を見せ、自分たちへの武器提供を渋るアメリカのリチャード・ニクソン大統領を脅したが、またイスラエルが似たことをする(あるいは、している)可能性もある。ロシアがそれで屈するようには思えず、核戦争の危険性は決して小さくない。
2014.01.02
東京電力と広域暴力団との関係は世界的に知られるようになった。高線量の放射性物質を環境中へ放出し続けている福島第一原発で被曝しながら作業する労働者を確保することは容易でなく、ホームレスを拉致同然に連れてきていることも世界の人びとへ伝えられている。日本とはそういう国なのだということを多くの人が気づきはじめた。 福島第一原発が事故を起こす前、通常運転していた時代にも現場の作業は社会的な弱者に押しつけられていた。下請け労働者、生活困窮者、ホームレスといった人びとを危険な作業に就かせるという仕組みは原発の歴史と同じ長さを持っている。その間、放射線が原因だと疑われる病気で死亡したり、癌にかかった労働者は少なくない。 そうした現場へ労働者として入り込んで調べ、その実態を『原発ジプシー』(現代書館、1979年)として明らかにした堀江邦夫、被曝しながら働かされる労働者の写真を約40年にわたって撮り続けている樋口健二といったジャーナリストはいる。が、マスコミは総じて「安全神話」を広めることに熱心で、多くの人は知らんぷりしてきた。 ローリングストーン誌の日本語版で樋口は次のように語っている。「原発には政治屋、官僚、財界、学者、大マスコミが関わってる。それに司法と、人出し業の暴力団も絡んでるんだよ。電力会社は、原発をできればやめたいのよ。危ないし、文句ばっかり言われるし。でもなぜやめられないかといえば、原発を造ってる財閥にとって金のなる木だから。」 ミヒャエル・エンデは『ハーメルンの死の舞踏』で「ねずみ」と「金貨」をひねり出す怪物を登場させている。金貨を欲しがる権力者たちは、人間に死をもたらすネズミを手放すことができない。この仕組みは原子力利権や戦争ビジネスにもあてはまる。「東芝はウェスティングハウスを買収、日立はGE、三菱はアレバとくっついて、『国際的に原発をやる』システムを作っちゃったんだ。電力会社からの元請けを三井、三菱、日立、住友と財閥系がやってて、その下には下請け、孫請け、ひ孫請け、人出し業。さらに人出し業が農民、漁民、被差別部落民、元炭坑労働者を含む労働者たちを抱えてる」「原発労働は差別だからね。」 しかも、日本の核ビジネスは核兵器の開発に足を突っ込んでいる。情報の世界では常識になっている話だ。日本はアメリカの核ビジネスと結びつき、核兵器に関する情報も手にしてきたが、CIAやNSAは監視を続けている。アメリカ軍も積極的に賛成しているわけではない。 原発をコントロールできていても現場の状況は悲惨だった。「過酷事故」の後は比較にならないほど作業は危険になっている。既に相当数の死者が出ているという噂を荒唐無稽だとして片付けることはできない。これまでも被曝労働者は闇に消されてきたのであり、福島第一原発が事故を起こしてから闇はさらに深くなっている。
2014.01.02
日本は国の内外で大きな問題を抱えている。国内では、まず東電福島第一原発の事故。状況は改善されず、綱渡りの状態が続いている。もっとも、この件は既に国際問題に発展してしまった。 本ブログでも既に書いたことだが、事故が発生した翌日、2011年3月12日に発電所の北東の海上を航行していたアメリカの空母ロナルド・レーガンの乗組員は発電所から放出された放射性物質をまともに浴びてしまい、甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているというのだ。アメリカで裁判を予定、原告は70名以上になりそうだ。 それだけでなく太平洋の反対側、つまりアラスカ、カナダからカリフォルニアへ至る地域で放射性物質の影響を疑わせる現象がいくつも起こっている。例えば、カナダではニシンのひれ、腹部、あご、眼球などから出血が報告され、ヤマトシジミに遺伝的な異常が出たとする調査結果もある。 また、ニューヨークを拠点とする「放射線と公衆衛生プロジェクト」のジョー・マンガーノとジャネット・シャーマンに加え、ヤコブス大学ブレーメンのクリストファー・バスビーは、カリフォルニアで先天性甲状腺機能低下症の子どもが増えているとしている。 さらに、東電の発表によると、福島第一原発では12月19日から24日、25日、27日にまた「湯気」が報告されている。:「12月19日午前7時46分頃、3号機原子炉建屋5階中央部近傍より、湯気が発生していることをカメラにて確認。同日午前7時55分時点のプラント状況、モニタリングポストの指示値等に異常は確認されていない(午前7時40分時点の気象データは、気温5.6℃、湿度93.7%)。その後、12月24日午前7時58分頃には、湯気が確認されなくなった。なお、同日午前8時3分時点におけるプラント状況、モニタリングポスト指示値等に異常は確認されていない(午前7時50分時点の気象データは、気温4.1℃、湿度74.9%)。」「12月25日午前7時58分頃、3号機原子炉建屋5階中央部近傍より、湯気が発生していることをカメラにて確認。同日午前8時時点のプラント状況、モニタリングポストの指示値等に異常は確認されていない(午前7時50分時点の気象データは、気温2.8℃、湿度76.7%)。」「12月27日午前7時48分頃、3号機原子炉建屋5階中央部近傍より、湯気が発生していることをカメラにて確認。同日午前7時54分時点のプラント状況、モニタリングポストの指示値等に異常は確認されていない(午前7時50分時点の気象データは、気温5.1℃、湿度93.1%)。」 その熱源、つまり放射性溶融物が今、どこにあるのかは明らかになっていない。
2014.01.02
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