2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全11件 (11件中 1-11件目)
1
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくる――。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。 「2009年最高に面白い本大賞」の文庫・文芸部門で第1位戦争音痴で何も知らない。この本はそんな馬鹿でお気楽な自分に大変な感動をくれました。「天皇陛下のために命を捧げる」「一億玉砕」「欲しがりません、勝つまでは」戦争と聞くと、こんなスローガンがすぐ思い浮かびます。あの時代の人たちは、現代の私たちとは感覚が違う人間なんだろうか。洗脳され、お国のスローガンに踊らされていたのか。ほんの60年前、自分の祖父たちが、そんな違うわけがないのに。特にわからないのは、神風特攻隊。死を前にして恐ろしくはなかったのか、と。恐ろしさをどう克服したのでしょう。戦いに行ける男性成人が減り、彼らの多くは大17~8の青年たちばかり。中には15~6の子もいたとのことです。開戦すぐの、熟練した戦闘機乗りとは違い、彼らの多くは、たいした訓練も無く、ただ死ぬためだけに飛び立って行った。「神風特攻隊は、テロだったと思います」第九章「カミカゼアタック」で、元特攻隊員武田貴則へのインタビューの席で、同席した新聞記者:高山が特攻隊は志願兵ばかりである、遺書には国の為に散ることへの一種のヒロイズムを感じる、彼らは洗脳されていたとしか思えない。」と、言います。これに猛然と、元特攻隊員武田氏は反論します。死出の旅立ちを前にして、家族への手紙に「清清しい気持ち」で死地へ赴く事を述べるのは、何故か。 「辛い!苦しい!死にたくない!」云々を書けば苦しむのは家族。家族を悲しませない為の手紙だったにきまっているではないかと。そして読む側の家族は、ちゃんと行間の思いを受け止めていた。手塩にかけて育てた息子の、言葉に出せない思いは、聞こうとする者には届く。そんなことも分からない、文章の上っ面しか読み取れない、洞察力や想像力もない者に、ジャーナリストとしての資格は無い。そして、戦争へと日本国民を駆り立てたのは新聞報道によるもので、戦後に変節し「アメリカ万歳」と、自国日本を卑下する意識を生んだのも、新聞報道の責任である。この新聞批判に対し、「自分は文章はそのまま書かれた通りに受け取ります。」と轟然と言い返す新聞記者に、唖然としました。でも、大部分の今の人たちの反応や意識はこういうものでしょう。かくいう自分も、戦争には薄い関心しか持てていませんでした。そもそも検閲があり、手紙も、遺書でさえ、戦犯になるような文章は自由に書けなかった。弱虫な言動は許されない。特攻辞退はありえない。「死にたくない」は弱虫、下手すれば戦犯です。戦中、戦後と新聞が国民意識を左右し煽った責任は大きい、新聞記者は信用しない、出て行ってもらいたいと、武田氏は高山をインタビューの席から追い出します。この会見で、いかに戦争体験を語りたがらない人が多かったかというのも、わかるような気がしました。何をどう語っても、届かない人には届かない。たとえ真実でも、虚しいだけ、思い出して苦しいだけ。おかあさん、ごめんなさい、と心の中で叫んだ。私の一生は、幸せでした。おかあさんの愛情を一杯に受けて育ちました。もう一度生まれる事があるなら、またお母さんの子供に生まれたいです。出来るなら、今度は女の子として、一生、おかあさんと暮したいです。私は、母に向かって、そう心の中で叫ぶと、一切の未練を断ち切った。祖国の美しさも、許婚への想いも、母への思慕も、一切合財。今からは敵艦に体当たりすることだけが、すべてだった。そして私は宮部の為に死ぬ。片道切符で飛び立つ兵士たちの、残酷な道へ向かう心情を思うと、戦争を知らない、この本を読む機会に恵まれただけに過ぎない自分でも心が張り裂けそうになりました。第二次世界大戦、まるで遠い事のように思えますが、実際はそうではないんですよね。戦争がこの先、孫や子の代に絶対ないとは言えないし。もしかして私の老後には戦争時代が待っているのかも・・。日本の政党政治本当にあてにならないし、海外情勢も不安定で、軍拡を唱える人が堂々とテレビに出てしゃべっている。他者に非をおしつけるばかりの総クレイマー状態の日本人。戦争時代は「不幸な時代」でしょうが、別の意味で今も「不幸な時代」といえそうです。いつか戦争という修羅場に突き進んでもおかしくないかもしれません。だって、人の歴史を振り返ると、結局同じ事を繰り返しているみたいです。何度もそのたびに、生きることの意味、人の大切さ、命の重みを思い知る為に。そんなことの無いように、願わずにいられません。真剣にお祈りしたくなりました。第二次世界大戦 ・ 太平洋戦争 ・ 大東亜戦争開戦1937年(昭和12年) ・7月7日 - 盧溝橋事件(北支事変) ・8月13日 - 第二次上海事変 支那事変(日中戦争)1941年(昭和16年)・12月8日 - マレー半島侵攻、真珠湾攻撃、日本政府による対米英宣戦布告終戦1945年(昭和20年) ・8月14日 - 日本政府によるポツダム宣言受諾通告 ・8月15日 - 玉音放送 ・8月16日 - 日本軍への停戦命令 ・9月2日 - 戦艦ミズーリ上での降伏文書調印1952年(昭和27年) ・4月28日 - 平和条約(サンフランシスコ講和条約)発効
2011年02月28日
孫が祖父の戦争体験を知るはなしメキシコ湾を望む小さな家を訪ね、敬愛する祖父レフの昔話に耳を傾ける脚本家。このミステリがすごい2011年版 海外編 第3位レニングラード封鎖第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによりレニングラードは900日にわたり包囲された。レニングラード市民は飢餓状態に陥り、母親が乳児を殺し、その肉を年上の子供に食べさせるという事件も起きた。ドイツ軍の包囲下でロシア人は67万人が死んだという。「卵をめぐる祖父の戦争」は1942年、レニングラードで夜間外出禁止に違反し秘密警察に捕まった主人公ふたりが秘密警察の大佐に罪を許す条件として、娘の結婚式に必要な卵12個を探して持って来いと指令を受けることから始まる。青春冒険小説。全米30万部のベストセラーを記録 戦争の愚かさと、逆境に抗ってたくましく生きる若者たちの友情と冒険を描く傑作歴史エンタテインメントの大傑作。トム・ロブ・スミス『チャイルド44』を読んだ時に感じた居心地わるさがありました。飢餓で苦しみぬいて人肉喰いに追い込まれる状況が、衝撃的です。忘れてはならない負の歴史として、レニングラード封鎖は語り継がれているそうです。レニングラード封鎖関連の小説『チャイルド44』 トム・ロブ・スミスは、イギリス人。『卵をめぐる祖父の戦争』デイヴィット・ベニオフは、生粋のアメリカ人。『青銅の騎士』ポリーナ・シモンズは旧ソビエト出身者。『ターニャの日記』レニングラードの小学生、ターニャ・サーヴィチェヴァ(1930年~1944年)が書き留めた、家族の死の記録。わずか9ページの「日記」には、次々と家族を奪われていく少女の哀しみが簡潔に表現されています。
2011年02月28日
<十二国記シリーズ> 七作目珠玉の短編集希う幸福への、期待、葛藤、懊悩、失意、歓喜。夢に誘われし五つの門(いりぐち)へ。才州国を舞台に一国の存亡を描いた『華胥』をはじめ、シリーズ人気キャラが登場する短編5編。 『冬栄』載国の泰麒が漣国を訪問した。「暖かいところへ行ってみたくはないか?」-泰王驍宗(たいおうぎょうそう)の命だった。漣国には恩がある。泰麒が蓬山に帰る手助けをしてくれたのが廉麟だった。実は、泰麒の不在の間に、載国では大幅な整理が行われていた。漣国訪問で泰麒は得たものは大きかっただろう。けれど、自国で何が行われているのか一切知らされないというのは、。やがて起こる悲劇を感じさせる一編。『乗月』芳国に慶国の新書が届いた。4年前、峯王仲達は大逆され、事実上国の権力を掌握していたのは月渓だが、頑なに玉座を拒み、新書も受け取ろうとしない。困り果てる使者の慶国禁軍:青辛将軍。あの半獣:桓?(かんたい)です。何故、逆賊の国に成り下がった自分の国に、何の接点もない慶国から新書が届くのか?それは、元の芳国公主:祥瓊からの新書だった。父を葬ったかつての家臣に、祥瓊が届けた言葉とは?『書簡』陽子が初めて心を通わせた楽俊は、いま。しばらく登場のなかった、楽俊。元気そうでなによりです。『華胥』「夢を見せてあげよう」-しかし、荒廃と困窮を止められぬ国。采王砥尚の言葉を信じ、華胥華朶(かしょかだ)の枝を抱く采麟の願いは叶うのか。『帰山』柳国で、ばったり会った利広と風漢。ふたりが出会うのはいつも傾きかけた国の都などだった。妙な奴だと思った最初の出会いは、思い出せないくらい前の事。こんなに長い間姿が変わらない相手は、自分と同じような立場の者だろうと見当はついていたが、正式の場で会ったことはまだなかった。柳国の風評を自国に持ち帰る利広。奏国、宗王一家の団欒、再び。人気キャラ登場、というの納得ですね。泰麒に、風漢に、利広に、楽俊はもちろん、桓?(かんたい)はすっかり将軍らしくなっちゃって。それに、『風の万里 暁の空』で鈴を救ってくれた、采王:黄枯は登場シーンは少ないけれど印象深い人でした。颯爽とした王や麒麟の多い中、ひっそりとした思慮深いお婆さん。彼女が王座につくいきさつ、背景、失ったもの、、など感慨深かったです。王座には、酸いも甘いも噛み分けた人物が、長持ちしそうです。【十二国記(じゅうにこくき) シリーズ】●●『魔性の子』(日本を舞台にした外伝。新潮文庫)『月の影 影の海』 (登場国:巧、雁、慶)『風の海 迷宮の岸』 (麒麟の物語。登場国:黄海、戴)『東の海神 西の滄海』 (登場国:雁)『風の万里 黎明の空』 (登場国:慶、恭、芳、才)『図南の翼』 (登場国:黄海、恭、奏) 『黄昏の岸 暁の天』 (登場国:慶、戴、範) 『華胥の幽夢』 (かしょのゆめ。短編集)シリーズ外○●●『屍鬼』 『黒祠の島』
2011年02月16日

<十二国記シリーズ> 六作目 『風の海 迷宮の岸』の続編<載>国の麒麟、泰麒は、無事、王を指名する事ができました。<載>国は、つつがなく新王の時代を滑り出した、、という矢先、たった半年で、泰国王驍宗(ぎょうそう)は反乱鎮圧に出兵したきり行方不明。泰麒もまた、忽然と姿を消してしまいます。どうやら自ら引き起こした”鳴蝕”で再び蓬莱へ流されてしまったようです。そのまま7年の月日が経ち、登極2年目の<慶>国王:陽子の元に、救援を求めて将軍:李斎(りさい)がたどりつきます。王も麒麟も失って、仮王は国を省みない。<載>の冬は容赦なく民を襲う。前代未聞の大捜索が始まります。泰麒を探す為に <雁><慶><奏><恭><漣><範><才>の七国が協力しあいます。 《十二国記》地図 <雁> 延 王:小松尚隆 延 麒:六太 <載> 泰 王:乍驍宗 泰 麒 <慶> 景 王:陽子 景 麒 <恭> 供 王:珠晶 供 麒 <漣> 廉 王:鴨世卓(オウセイタク) 廉 麟 <才> 采 王:黄枯 采 麟:揺籃(ヨウラン) <奏> 宗 王:櫨先新(ロセンシン) 宗后妃:明嬉 英清君:利達 文公主:文姫 卓郎君:利広 宗 麟:昭彰 <範> 氾 王:呉藍條(ゴランジョウ) 氾 麟 <芳> 王座空位 峯 王:仲達 大逆される 峯 麟 ヾ <功> 王座空位 塙 王:錯王 塙 麟 <柳> 劉 王:助露峰(ジョロホウ) 劉 麒 <舜> 徇 王: 徇 麒 原作には登場していない。アニメでシルエットと名前のみで登場。 <黄海> ★犬 狼 真 君:更夜 ウィキペディアこの辺までくると、12国のことがだいぶ分かってきますけど、同時に覚え切れず頭がゴチャゴチャしてきます。整理が必要です。まず、本の題名がほとんど似たようなので大変です。さらに12国あると、舞台となる国ではない、脇役で登場する国は混同しやすいです。私は、蓮と範が区別しにくいです。蓮は廉王が農業好き。範は氾王が趣味人と覚えました。才と芳も王が討たれる逸話があるので、混同しやすいです。才の現王は黄枯というお婆さん。先王は甥で峯麟は二王に仕えた。古い王の時代の「遵帝の故事」など、国ごとの歴史を追うのも面白いですね。芳は祥瓊(しょうけい)の故郷。父の仇の家臣が仮王に立つようです。泰麒は無事に見つかるか。<載>の行く末は?この、泰麒が蓬莱へ去っていた7年という時間が、『魔性の子』のおはなしになります。【十二国記(じゅうにこくき) シリーズ】●●『魔性の子』(日本を舞台にした外伝。新潮文庫)『月の影 影の海』 (登場国:巧、雁、慶)『風の海 迷宮の岸』 (麒麟の物語。登場国:黄海、戴)『東の海神 西の滄海』 (登場国:雁)『風の万里 黎明の空』 (登場国:慶、恭、芳、才)『図南の翼』 (登場国:黄海、恭、奏) 『黄昏の岸 暁の天』 (登場国:慶、戴、範) 『華胥の幽夢』 (かしょのゆめ。短編集)シリーズ外○●●『屍鬼』 『黒祠の島』
2011年02月15日
<十二国記>シリーズ 四作目『月の影 影の海』の続編景王:陽子と景麒の<慶>国は、その後どうなった?続きが気になるところです。蓬莱(ようするに日本)という異世界から、いきなり連れて来られた陽子は、王としてちゃんとやれているのでしょうか。頼れるのは、気難しそうな景麒だけ。ただの女子高校生がいきなり王になっても、何もわからないでしょう。周りに認められず相当苦労しているようです。メイン女子3名それぞれが、困難を乗り越え成長し、やがて出会う。・<慶>国の王になった陽子。信頼できるのは景麒だけ。官吏たちを掌握できず、なにもわからない。でも、何も出来ない事を自覚して、前進しようとする陽子は強くなりました。この世界を理解しようと町で暮したいと景麒に提案する。景麒は自分の二人目の王である陽子に、一人目の王とは違う強さを見出して嬉しく思うようです。・<芳>国の公主(王の娘)だった祥瓊は、非道政治を行った父峯王と母と峯麟を臣下に討たれ、自身は地位を追われました。命は救われても自身の転落を嘆くばかりで、自分の非に気付かない。周囲に深く憎まれ虐げられる。やがて自分と同じ若い娘が景王であると知り、憤る。かつての自分が持っていたものを、別の娘が手にするなんて許せない。<慶>国にいって王に会って見たい。かなりな我儘娘で、根性は甘ったれ、視野が狭いのが分かります。・<才>国の仙人の召使い鈴(すず)は、かつて蓬莱から流れてきた海客。海客の自分がどんなに苦しく、毎日虐げられているか、誰も分かってくれない。自分の不幸を嘆くばかりで、周囲を見る事や相手を思いやる心に欠けていた。景王が同じ海客の若い娘と知り、政情のおちつかない<慶>国に引き寄せられていく。この本を読むと、自分のことばっかり考えている浅はかさの、愚かしく醜い事に気付けますね。人の振り見て我が身を直せ。そして、人は変われるということ。なんだかんだで、でも陽子も信頼できるスタッフを見つけられたようです。陽子を王として大事に思う人が、周りに増えてよかったです。楽俊の登場がなかったのが残念。彼は<雁>国の大学でお勉強をがんばっているようですから。かわりに、同じ半獣の青将軍:桓?(かんたい)がいいです。しまいに禁軍(王直属軍)将軍になっちゃて、『華胥の幽夢』に収められている短編『乗月』で、<芳>国を訪れ、祥瓊からの手紙を、先王を討った家臣・月渓に渡そうとする。<芳>で仮王として立つことを決意した月渓と、自身の罪を悔いる祥瓊のおはなしがこころにしみます。 【十二国記(じゅうにこくき) シリーズ】●●『魔性の子』(日本を舞台にした外伝。新潮文庫)『月の影 影の海』 (登場国:巧、雁、慶)『風の海 迷宮の岸』 (麒麟の物語。登場国:黄海、戴)『東の海神 西の滄海』 (登場国:雁)『風の万里 黎明の空』 (登場国:慶、恭、芳、才)『図南の翼』 (登場国:黄海、恭、奏) 『黄昏の岸 暁の天』 (登場国:慶、戴、範) 『華胥の幽夢』 (かしょのゆめ。短編集)シリーズ外○●●『屍鬼』 『黒祠の島』
2011年02月15日
<十二国記>シリーズ五作目<恭>国は、先の王が倒れて27年。妖魔が出没し国はどんどん荒れていくが王が立たない。そこで、12歳の珠晶が「昇山」を決意します。「昇山」とは。世界の中心蓬山に、麒麟は生まれ女仙の庇護を受けて成長します。王は出自や功績で選ばれるのではなく、ただ、天命のみが人を王にします。麒麟は慈悲の生物で、天意と通じて天命を聞く。蓬山を訪れて麒麟に天意を諮る事を「昇山」といいます。シリーズ中、延王や景王は、「あなたがわたしの王です。お迎えに来ました。」と、麒麟がわざわざ迎えに来てくれました。<奏>国の宋王も、自分の営む船宿に宋麟が迎えにきたようです。でも、王になるオーソドックスな手続きは、「昇山」なのです。延麒や泰麒という、人ではない麒麟は選ぶ立場。「昇山」にくる者たちを見おろしていました。王気をちゃんと感じ取れるだろうか、正しい王を選べるか。選ぶ側の様々な不安や事情が描かれていました視点は変わり、『図南の翼』では「昇山」者たちが、あそこに麒麟がいるのだと、蓬山を見上げます。今度は選ばれる立場の者達に焦点があてられてます。「だったら、あたしが生まれたときに、どうして来ないの、大馬鹿者っ!」 408ページ 選ばれる方は、命がかかっている。厳しい黄海の旅を経て、麒麟に会うために命がけです。でも、何処か釈然としない。天意で王が分かるなら、どうしてもっと早く、なんなら家まで迎えに来ないのだ、と、思ってしまうのは当然でしょう。どうやら、「昇山」のもつ意味には、その人となりを諮られるということのようですね。旅の様子も見られている、ことを、意識しながら旅しているようでもあります。麒麟と会う瞬間まで、決定ではないということなのでしょう。王は初めからきまっているのではなく、どんな人物に成長するかが大きく関わるということでしょうか。珠晶にしたところで、旅に出る前と後では、いろいろ世間を学んでる。「彼女が蓬山にたどりつきさえすれば、彼女が登極するだろうとおもっているよ。」「どうしてだ。」「私に出会ったから。」利広は、何者かは、あとのお楽しみ。更夜が、意外な登場。犬狼真君って、いつのまに、仙人になってます。妖魔の子だから、妖魔の棲み家黄海にきたんでしょうか。たまには六太に会うんでしょうか。更夜のものがたりも、できたら、知りたいですね。【十二国記(じゅうにこくき) シリーズ】●●『魔性の子』(日本を舞台にした外伝。新潮文庫)『月の影 影の海』 (登場国:巧、雁、慶)『風の海 迷宮の岸』 (麒麟の物語。登場国:黄海、戴)『東の海神 西の滄海』 (登場国:雁)『風の万里 黎明の空』 (登場国:慶、恭、芳、才)『図南の翼』 (登場国:黄海、恭、奏) 『黄昏の岸 暁の天』 (登場国:慶、戴、範) 『華胥の幽夢』 (かしょのゆめ。短編集)シリーズ外○●●『屍鬼』 『黒祠の島』
2011年02月14日

<十二国>シリーズ、相変らず新刊の文庫は出ていないのですね。雑誌「yom yom (ヨムヨム)」で、おととし最新作短編が出ていたのですね。「丕緒の鳥」(ひしょのとり) 「yom yom」 (vol.6 2008/2/27)「落照の獄」(らくしょうのごく)「yom yom」(vol.12 2009/9/26)慶国:慶王(陽子)即位式を準備するスタッフのご苦労話。柳国:劉王による治世120年目のかげり、殺人事件。といったあらすじだそうです。
2011年02月14日
<十二国記>シリーズ三作目<雁>国の延王:尚隆と延麒六太のおはなし。シリーズ三作目は王と麒麟について。王と麒麟が深い縁で、結ばれていることがすごい分かります。<雁>国は、治世500年。これは<十二国>で二番目に長い治世で、一番は<奏>の600年。それだけの大国になる前の、ふたりの出会いと、その20年後という国の始まりの頃。『月の影 影の海』のおよそ500年前に遡るおはなしです。反乱、六太の誘拐、更夜という妖魔の子、などなど。<雁>国は、先帝:梟王のせいで、国土は焦土と化してました。梟王が斃れたとき、民の快哉が隣国にも伝え響いたとか。ところが、次王の登極までに14年かかってます。普通6年もあれば麒麟は王を選べます。これは、尚隆が陽子と同じ<蓬莱>に生まれたからでした。六太もまた、”蝕”で流され<蓬莱>に生まれ4歳で蓬山に連れ戻されました。<蓬莱>では日本の戦国時代で、六太は親に捨てられた悲惨な記憶を持ってます。その為、王というと大名のイメージで、王というものを信頼できません。自分が王を選ぶ事にも強い拒否反応を覚えてました。蓬山で王を選ぶ事に嫌気が指し、蓬山を飛び出します。やがていつの間にか、王気に惹かれ<蓬来>へ行き、尚隆と出会うのでした。ふたりの出会いは、戦国時代の戦火のなか。「国が欲しいか。ならば、一国をお前にやる。」自分の領土領民を無くしカラッポになった尚隆は、国の重み、国を失う痛みを知る男で、何は無くとも一国を欲しいと言い、 「任せろ」と言いました。結局、焦土化したどん底状態の<雁>を生き返らせることのできる王を、よくぞ六太は見つけたものです。しかも500年保持している。これが、王と麒麟というシステムの、最高の成功例なのでは、と、思えます。”天の意志”というものは、しばしばわからなくなりますが、。もちろんシステムだけでうまく行くものでもないでしょう。尚隆たちは、信頼できる側近達とざっくばらんな「隔たりの無い関係を築いています。「のんき者だが、莫迦ではない。」「有能だがでたらめだ、ぐらいにしておいてあげなさい。」部下たちは言いたい放題ですが、それでいて磐石の信頼が感じられます。王は普段は抜けてるがやるときはやる。有能な官吏が揃っているから安心して任せられる。長い治世を支えるには、人に恵まれ、人を見る目が大事なようです。麒麟が王を選ぶ。王を選ぶことは、六太には葛藤を乗り越えての契約でした。六太は、自分が見つけた王なのに、いつかこの男が<雁>国を滅ぼしつくすと、わかっていました。それでも、王は光で、出会えた時は肌が粟立ち、泣きたくなるほど嬉しかった。20年前に「任せろ」といった男を、信じ切れないでいた自分の迷いを、ようやく振り切れたようです。六太って、好き勝手にやっているようでいて、実は繊細なんですね。複雑な王への思いがあるのですね。対照的だったのが、斡油と更夜で、まるっきり「武巾半平太と以蔵」の関係でした。一方の無知と愛情につけ込んだ利用の仕方はゆるせません。更夜も以蔵も、哀しすぎです。このふたりを配して、一層、尚隆と六太の絆が輝いて見えました。ふたりの絆に安堵しつつ、それでもいつか、国が滅ぶ時がくるのだろうな、と頭の隅で思います。ふたりの道はいつまで続くか。死なないひとりの王がいつまで正気を保てるのか。でも、暗澹とはなりません。ふたりの気楽な関係は、どこまでも続きそうなので。【十二国記(じゅうにこくき) シリーズ】●●『魔性の子』(日本を舞台にした外伝。新潮文庫)『月の影 影の海』 (登場国:巧、雁、慶)『風の海 迷宮の岸』 (麒麟の物語。登場国:黄海、戴)『東の海神 西の滄海』 (登場国:雁)『風の万里 黎明の空』 (登場国:慶、恭、芳、才)『図南の翼』 (登場国:黄海、恭、奏) 『黄昏の岸 暁の天』 (登場国:慶、戴、範) 『華胥の幽夢』 (かしょのゆめ。短編集)シリーズ外○●●『屍鬼』 『黒祠の島』
2011年02月14日
<十二国記>シリーズ二作目シリーズ二作目では麒麟とは?です。『月の影 影の海』の景麒は、主人の陽子に厳しく、クールで、麒麟として完璧そうです。麒麟は、天意と民意を体現した存在。自分のカンで、王を指名するけど、ダメ王なら諫言したり退位させたりしないといけませんそんな麒麟とは?麒麟の生態は?どこから来て、何をするの?景麒とは対照的なのが、本書の主人公の<載>国の麒麟:泰麒です。彼は、不完全な麒麟という、めったにない悲劇を背負ってます。麒麟が生まれるタイミングは、先の麒麟が亡くなった時。王の入れ替わる時でもあります。必ずしも王が亡くなると麒麟も死ぬわけではなく、複数の王に仕える麒麟もいます。例えば、<慶>国:景麒は、陽子が二人目の王です。蓬山の捨身木(しゃしんぼく)に実「泰果」(泰の麒麟の果実)がなり、10ケ月というときを経て麒麟が生まれます。雄であれば ”麒”、雌であれば”麟”です。ちなみにこの世界では、人も獣も草木も、木から生まれます。麒麟は、蓬山で育ちながら、妖魔を指令とし、麒麟として自己の確立をし、やがて昇山してくる王志願者たちと会い、自分の王を指名します。時には、自分から王気を探して世界に旅立つ麒麟もいます。<十二国>内に留まらず、<蓬莱>という異世界へ旅立つものもいます。例えば、延麒、景麒もそうでした。主人公の泰麒は、捨身木の果実として出来たとたん、 ”蝕”という異常事態で、異世界へと流されてしまいます。流された先は<蓬莱>。陽子と同じです。10年という年月、行方が分からず、泰麒はようやく蓬山へ帰ってきます。ところが、異世界で人間として育った10年という時間は長く、彼は麒麟としての多くの本能を無くしていました。蓬山の女仙達は、彼の帰還を喜び、愛しく思いますが、将来に不安と疑念を感じずにはいられません。彼自身、自分の中の麒麟を見出せず、大きな不安にかられています。<蓬莱>でもよそ者という感覚が拭えなかった自分。いつも自信のない自分。役立たずの自分。そんな泰麒を、意外にも指導してくれるのが、景麒で、彼もまた自身のひとり目の王との関係に悩んでいる時期でもありました。<十二国>内の、<載>国の王と麒麟のおはなしでした。この麒麟として、未熟で不完全という危うさは、そのまま国の危うさにつながります。泰麒をいたわる周囲の姿勢が、今後どういう目を出すか、『黄昏の岸 暁の天』へと続きます。【十二国記(じゅうにこくき) シリーズ】●●『魔性の子』(日本を舞台にした外伝。新潮文庫)『月の影 影の海』 (登場国:巧、雁、慶)『風の海 迷宮の岸』 (麒麟の物語。登場国:黄海、戴)『東の海神 西の滄海』 (登場国:雁)『風の万里 黎明の空』 (登場国:慶、恭、芳、才)『図南の翼』 (登場国:黄海、恭、奏) 『黄昏の岸 暁の天』 (登場国:慶、戴、範) 『華胥の幽夢』 (かしょのゆめ。短編集)シリーズ外○●●『屍鬼』 『黒祠の島』
2011年02月14日
<十二国記>シリーズ一作目NHKでアニメ化もされ、知らない人いないでしょうね。<十二国記>シリーズ。でも、若い世代は知らないのかも。ウチの若い人たちは知りません。軽くご紹介すると、<十二国記>は異世界召喚ファンタジーです。<十二国記>の世界は、神仙や妖魔が存在し、その名のとおり12の国があり、麒麟(キリン)と麒麟が選んだ王が、それぞれの国を支えます。王と麒麟のシステムが世界の核で、ものがたりの核です。王の不在は、国を荒廃させ、民は苦しみます。王が在位して、国作りに成功すれば、民は安定して暮せます。王が在位しても、国作りに失敗すれば、民は苦しみます。王の失敗にはいろいろあり、権力や贅沢に走る、政策能力がない、理想ばかりで現実性なし、規律に拘りすぎ、理由もなく民を虐殺しだす、、などなど。王が道をはずすと、麒麟が病みます(失道)。麒麟は天意を表す生き物なので、この王は失敗だということが明らかになります。麒麟が死ねば、次の麒麟が世界の中心の蓬山で生まれ、次の王の時代が来ます。蓬山には麒麟が生まれる木があり、女仙がこれを守っています。次の麒麟は、天帝の意で、新しい王を指名し、新しい王と国づくりをスタートさせます。そして単純に、次の王へ・・と、がすすみまないところで、ドラマが生まれます。シリーズ一作目『風の海 迷宮の岸』で、主人公の女子高校生:中島陽子は、普通の日本の女子高校生ですが、突然、異世界へと引きずりこまれ、何も説明のないままに、かなり唐突にお話がスタートします。一体、彼女を連れに来た男は誰か、彼女を追ってきた魑魅魍魎はなんなのか。彼女は何者なのか。一作目では漠然と、王と麒麟の関係がつかめますが、シリーズを読み進める事で、この世界の仕組みが分かってきます。随分分かってきたな、と言う頃には、いつのまにか虜になっちゃってるのに気がつくんですよね。本書では、<王>であることの意味、在り方、覚悟、みたいなのがメインに描かれているようです。<功>国の妨害が、反面教師的で国を背負うことの重責の一端を感じさせます。陽子の旅は、<慶>国が着地点。第一作目は、<景王>と<景麒>のものがたりですよね。ラストも唐突、続編が読みたくならざるを得ませんよね。上巻は、異世界ファンタジーにしては現実逃避した世界のほうが陽子の状況はシビアで、読みにくい感じもありますが、文字数が少ないのか結構読みやすかったです。そして下巻からはどんどん読めます。下巻では、ようやく友人と呼べる楽俊が登場するし、<雁>国の延王と延麒の支援も得て、サバイバル生活から国取り物語へと、一気に話が走り始めます。 【十二国記(じゅうにこくき) シリーズ】●●『魔性の子』(日本を舞台にした外伝。新潮文庫)『月の影 影の海』 (登場国:巧、雁、慶)『風の海 迷宮の岸』 (麒麟の物語。登場国:黄海、戴)『東の海神 西の滄海』 (登場国:雁)『風の万里 黎明の空』 (登場国:慶、恭、芳、才)『図南の翼』 (登場国:黄海、恭、奏) 『黄昏の岸 暁の天』 (登場国:慶、戴、範) 『華胥の幽夢』 (かしょのゆめ。短編集)シリーズ外○●●『屍鬼』 『黒祠の島』
2011年02月13日
音楽の美しさと怖しさをあますことなく表現された音楽ミステリーこのミステリがすごい2011年 国内編 第5位シューマンに憑かれた天才美少年ピアニスト、永嶺修人。彼に焦がれる音大受験生の「わたし」。卒業式の夜、彼らが通う高校で女子生徒が殺害された。現場に居合わせた修人はその後、ピアニストとして致命的な怪我を指に負い、事件は未解決のまま30余年の年月が流れる。そんなある日「わたし」の元に、修人が外国でシューマンを弾いていたという「ありえない」噂が伝わる。修人の指にいったいなにが起きたのか――。野間文学賞受賞後初の鮮やかな手さばきで奏でる書き下ろし長編小説。『シューマンの指』が刊行された2010年はシューマン生誕200年だったのですね。おなじ生誕200年を迎えるショパンに比べ、扱われ方が地味だと、ファンの間では忸怩たる思いがあったようです。そんな中、本書は喝采をもって迎えられたようです。シューマンって、ほとんど知りませんが、シューマンを聞く人、聞かない人でくっきり分かれるところがあるみたいですね。有名なピアニストを母にもつ子供時代から天才と騒がれた永嶺修人。平凡な家庭出身の努力家で秀才肌里崎優。天才くんと秀才くんの青春音楽ミステリー、、という単純なお話ではなかったです。里崎が語り手「わたし」。「わたし」の永嶺への接し方には、涙ぐましい葛藤を感じました。斜に構え人を寄せ付けない永嶺に、憧れと畏れを抱き、鈍感と無知の装う。里崎の繊細さは、ラストで特に痛ましく感じました。彼ら”二人”と、鹿内堅一郎とで、シューマンにちなんで音楽雑誌「ダヴィット同盟」を始めます。」音楽論の交換日記ノートみたいなモノです。鹿内は、とても人間的です。おひとよし、鈍感、真に「音楽」を理解してないと仲間に認められず、軽く馬鹿にされてる。彼はホントになんにも気付いていなかったんでしょうか。殺人の事件の現場にも居合わせたのに。変だな、と感じつつも、雑誌「ダヴィット同盟をせっせと届けてくれたり、と、忠実で優しい人だと感じました。”シューマンの音楽家、批評家、人間として、の全人格が投影されたキャラたちとプロット”なんだそうです。永嶺が音楽家、里崎は批評家、鹿討が人間くささを、現してたってことですよね。つまりこの辺が、本書が幻想小説とも言われる点なんでしょうかね。ノート上での脳内会話。残念ながら、音楽の造形が深くないので音楽蘊蓄、特にシューマンが要なのに、そこらへんがちゃんとは楽しめてないです。音楽に魅入られた人の焦燥が直球で描かれていて、そんな世界にどっぷり浸かってみたい憧れと、平凡な世界の住人であることへの安堵がないまぜになった読後感でした。のだめちゃんが、師匠のミルフィによく言われた言葉。「音楽に正面から向き合うので~す。」これっぽいことがやっぱり出てました。 「音楽」を目指って、つまりこういうことなのかなぁ、と。素人考えですけど。どこかに到達するかしないのか、どこに向かっているのか、音楽家として大成するのか。道の過程ではわからない、けれども、ひたすら精進しろよ、みたいな。音楽をめざす人たちが向き合うものって、ものすごいのね~、と平凡な世界の岸辺からため息をついておりました。音楽に限らず、どんな世界ででも何にでも通じる、人生の大事な真髄に触れた気分です。素晴らしいような恐ろしいような。。はなしの大部分が音楽蘊蓄に費やされてましたから、これを面白いと感じるかどうかは人によるんでしょうね。でも、中盤からは一気に話が進みました。ミステリーとして面白かったかは、オチは、このパターンか~と、分類されそうなオチなので、意見は分かれるところのようです。私的には、充分面白かったです。欲を言えばさらに後日談が欲しかったかな。【本文より印象深い文章の抜粋】けれども、私は一度諦めた地点から、逆に開き直った。下手でもかまわないではないか。どのみち人間が演奏するのであれば、どんな名手が弾こうが完璧はありえない。 「音楽」はすでにこの世界にあるのであり演奏されるされないなどは本質の問題ではない。私はおぼろげながら、「音楽」の存在を感じており、つまり私がピアノを弾くのは、私が「音楽」に一歩でも近づくための、他に無数にある方法のひとつにすぎないのだ、と。つまり私は、他の誰でもない、私自身の為に、私自身が「音楽」の美神に触れるためだけに、≪交響曲的練習曲≫を弾こうと決意したのである。ひたすら音楽に共感し、誠実に音楽に向かい合う姿勢が際立ち、たとえていえば「祈る人」の印象が濃厚だったこと。「音楽」にただ奉仕すること。ひたすらに尽くすこと。その姿勢の徹底が修人の、あの素晴らしい奇跡のような演奏を産み出したにちがいなかった。私もそうであろう。自分が何かを「表現」するのだとは考えずに、私も精一杯「音楽」に奉仕してみよう。力は足らずとも、一歩でも「音楽」に近づき、その美しい裳裾に触れてみよう。どのみち完璧など人間にはできないのだから。そのように発想したとき、無明の闇に一筋の光が差し込んだように私は感じたのである。(P194より)奥泉光 代表作 『ノヴァーリスの引用』 野間文芸新人賞・瞠目反文学賞[1]受賞(1993年)『石の来歴』 芥川賞受賞(1993年)『「吾輩は猫である」殺人事件』(1996年)『神器-軍艦「橿原」殺人事件』野間文芸賞受賞(2009年) 音楽小説
2011年02月04日
全11件 (11件中 1-11件目)
1

![]()
![]()