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自分の思うようになかなかいかずイライラとそわそわと不安の続いた一週間がやっと終わり週末へ。今日は朝から掃除と洗濯をして、昼にひといきついていたら、「いい風」が。ということで上野・不忍池へ撮影をしに行ってきました。夕方だったので光のある時間は僅かでしたが、慣れないフォトラマを握りしめ、風に揺れる蓮の緑と上野の夕刻の光を(自分としては)ばっちりフィルムに収めました。といっても2枚しか撮れなかったけどOKOK。なぜ不忍池に行ったかというと、前の晩そこは灯篭揺れる幻想的な異世界のようになっていて、そこを歩いたからです。コウモリが飛び、昼間は巨大な鯉がうじゃうじゃいる池に、ナマズが一人ゆらーっと泳いでいて、しんと静かでした。散歩した後は近くの酒処で一杯。久しぶりの冷酒と魚にたわいもない会話。ほろ酔いがピークに達し「もう死んでもいい」なんて言ってしまったくらい、最高に幸せなひと時でした。というのもこの日、隅田川花火大会へ行った帰りだったからです。夕方から行けるところまで行こうと、池袋~上野~田原町へ。駅を出ると陽も暮れていて、そこから隅田川を目指しました。19時頃にビルの向こうで花火が一回あがり、その場所を記憶して「駒形橋」バス停前へ。北ですでに上がっている花火を少しだけ見つつ、その時を待っていました。そしたら真上に花火が・・・!!!リハみたいにして二回ほど上がる花火を目安に、どこらへんで見れるか推測して動いたところが、ど真ん中の当たりだったようで、発射の音は聞こえるし火薬の匂いはするし、そして首が疲れるくらい真上に上がっていました。めがねの枠をはみだすほど大きな花火でした。あんな大きな花火を見たのは初めてでした。胸に響く花火の音にずっと感動しっぱなしでした。心をくすぐられて、おかしくてずっと笑ってました。感動すると笑うタイプなのか?私は。終わった後の疲労感はそれまでにない、なんというか、表現するなら恋をした時のグググっと締めつけられるような切なさで胸がいっぱいになり、少し苦しい感じでした。といっても、金曜日に社内で花火大会の話題がうっすらと話されていた時は私はあまり興味も示さず、へぇ・・と流していました。とゆうか花火は横浜のでまぁ十分かなと思っていたので。でも調べてみたら20,000発。6,000発とじゃ比べものにならない、しかも歴史的にも古い江戸の風物詩・・・ってんなら行ってみたい!とうずうず。このうずうずは感動を誰かとシェアしたいといううずうずで、要はそれを口実に誰かと遊びたかったわけです。隅田川花火~夜の不忍池~上野の酒処~明日は日曜日なんかこれって最高に嬉しいコースじゃないか?でも欠点がひとつ。一緒にいた人と駅で別れた時の切なさ。。花火と同じで上がるまでのワクワクと、上がって一瞬で消えてなくなる切なさ。ほろ酔いで「…(ずーっとこのままだったらいいのになぁ)」の気分でいたところで、またグーっと胸を締めつけられました。電車ってなんでこんなに早いんだよ。いつもとは逆で、この時は電車がロープウェーみたいにゆっくりだったらと思いました。やっぱり感動は一人より誰かといっしょに感じ分かち合うほうがいい。日曜の晩、思い出しては込み上げてくる切なさを涼しい風がそっとなでる。
July 30, 2006
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夏の始まり三連休。金曜まで幕張で激烈ハードな現場をやっつけたその帰りに日曜のお誘いが。「花火になりそう。横浜の。」ということで今日横浜の国際花火大会へ行ってきました。昼からコスモワールドで遊んでそれから場所取り、買出し、19時半の開始まで待ちました。約6,000発の花火はどれも美しく、ハートや土星、星のかたちの他にはニコチャンマーク、メガネ、猫、そしてドラえもんが出ました。私の知らないあいだに花火ってこんなに進化しているのかと思いました。途中白い花火が形を残しながら徐々に上へ上がって膨らんで大きくなるのを見たときは心にジーンときて涙が出そうなくらいに綺麗でした。コスモワールドは規模は小さかったけど歩き疲れないし、料金はリーズナブルで待ち時間もそんなにないし、アトラクションはかなり個性的で超迫力がありました。横浜の港風景を見ながら風をきるのはかなり爽快かつエキサイティングでした。だってビルやら駐車場や通行人がすぐそこに見えるんだもん。いっしょに行ったのは同世代の友達2人。事前に花火大会のことを調べておいて、場所取りにはレジャーシートが必須とあったので、いそいそとレジャーシートを買い、陣取って近くのコンビニへ買出しに。そして余興は三人でしりとり。世代が近いと出てくる言葉もいろいろ。「ぐ」で「グーグル」や、「か」で「カメハメ波」。年代の違う人とやるのとちょっと違って面白かったです。「ら」で「ランドマークタワー」が出た時は、いいねぇ~と盛り上がりました。しりとりでここまで盛り上がると、これはもう気の知れた仲間の証かもしれません。まわりはきっと意味わかんねぇって思っただろうな。でもなんかすごく楽しかった。いつも年上の人とばかり話しているから、こうして気を遣わずテンション上げて意味不明に楽しさを共有できるのは同世代の人達との交流の醍醐味だと思う。帰り際「私が本当にほしかったのはこういう時間なのかもしれないな・・」と感じました。一緒にお腹かかえて笑える仲間がいることに少し嬉しさを覚え、今日一日楽しかったことを振り返ると、自然と笑顔がこぼれました。横浜の夜風は少し冷たく、これから始まる夏を思うと切なくなりました。
July 16, 2006
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ワールドカップになんの興味もなかったけど、スポーツニュースで各国代表のスーパープレーをみて「ははぁ~すごい・・・」と思ってしまった。ボールでなくボールの先を見ているあたりが、素敵だと思いました。スポーツって先の見えないものだと、無謀なものだと思っていたけど、蹴ったボールの先にスーッと同じ色の服を着た男がやってきた・・と思ったらボールはカーブを描いてゴールへ・・・「ははぁ~」です。最近ちょっと先のほうを見て歩くと心がスーッとします。最近メガネについて騒がしい。おしゃれなメガネをかけた有楽町線マンが増えた気がする。でも思うにメガネってのは昔から付き合いのある人のほうがしっくりとくるような気がする。しっくり着ていない人はきっと付き合いも短いんじゃないか。今日は世界人口デー。1987年7月11日世界で50億人目の人間が生まれた日だから。でもこの日に生まれた人間は世界中にたくさんいて、当時、国連人口基金の事務局長がユーゴスラビアを訪れていて「局長50億人までカウントダウンでっせ!」「おっしゃ、ほな近所の病院行ってカウントダウンや!はよ車だせぃ!」ってことで、その時抱っこした赤ちゃんが50億人目。世界の人口は推測でしかわからない。もちろん国連児童基金でカウントしたら違う。人間はいろんなところに住んでいる。去年大地震のあったパキスタンで、寒い山の奥地に住んでいる人達へ物資を届けるのも、大変だった。一昨年のインドネシア大津波の時は、村々へ医療隊が出向いた。災害が起こった時、人々の間では不安や、プライベートのない日々が続きその結果ストレスがたまり、女性や少年、少女たちに暴力の被害がおよぶ。日本では震災で家族をなくした高齢者に家が提供されたが、孤独の中で生涯を終えている。世界で紛争や、災害が起こると、その人がそれまで生きてきたことや、大切にしてきたもの、家族、宝石、洋服やお金が奪われてしまう。残るのは何か。その人が次の一歩を踏み出す希望か、踏ん張りか、それをともに分かち合う仲間なのか・・・。復興支援する人達は地元の人達といっしょになって何が要るのかを調査して、先進国に打診する。リクエストによって物資が届いたと思えば今度は報告。支援したお金が何にどのくらい遣われたか、どのくらい先進国が協力をしたか教えないと次の予算がたたない(日本の場合)。でも復興をしようとしている現場では、報告よりも先にしないといけないことが山積みなはず。人々が通常の生活に戻り、災害によって受けた傷が次の予算があがるまでの間でどのくらい直っているかなんて分かろうったってそれは難しすぎるよ。そうしてるうちに今度は紛争やテロやその他いろんなことがおきてまた“争いの絶えない世の中”に戻っていく。ワールカップがある。法案が決まる。息子が母を殺す。殺人事件が時効を向かえる。私は明日も有楽町線に乗り会社へ行き、タイムカードを切るまで仕事をする。夜になれば住宅街で変態がうろつく。このまま適当に時間をすごすことがどれだけ無意味なのか、世界で起こっていることから少しでも自分のおかれている環境を見つめなおすと、自然と見えてくる。無意味だと知ることが意味のあることなのだけど、きっとそこから勉強を始めることもできる。世界では勉強(教育)を必要としている人達がたくさんいる。自分が必要としていることが何か分かりたいから。大自然のドキュメンタリーや、世界紀行の番組が好きなのはそこに自分の知らない人の営みがあるから。日干し煉瓦を作ったり、ヤギを飼ったり、そんな自給自足の暮らしがこの地球のどこかで今も営まれていると思うと、すごくそんな暮らしに憧れを抱く。その人の人生に後悔や、欲や不安はきっと少なくて、その日の暮らしが自然のおかげであることを感謝して生きているのではないか。そんな暮らしが羨ましい。私がとらえている世界ってのは本当に僅かで、それについてほとんど知識がない。ただそこに生活する人の営みを考えてしまうことはよくある。社会の制度だって、つきつめていけばその人の生活のとなりにあるものなのだけど、それはあまりに実態に沿わないような内容で。紙に書かれた約束に人の指紋がたくさんついているだけ。それが時に勝手に人の人生を少しだけ歪ませたりする。たいくつな週末がうみだした最近のアイデア。ただ漠然とそう思うがままに日記に。ネットの文字の向こうに、その人の伝えたい何かがある。行間の読み方はその人次第。外で虫が一匹鳴いている。
July 10, 2006
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じめっとしてるせいなのか、単に悩みがあるからなのか最近毎日のように夢をみる。しかも現実なのかと思うくらい鮮明に。中国で棺おけから目覚めた水色の巨人が現れて紫禁城を走りまわっているのを逃げながら振り返って見ていると、私がその巨人を作り出した者だと思われたらしく外国の戦闘部隊に襲撃される。胸のところをドンと撃たれて自分の血が飛び散るのを見た瞬間、色白の小さな宇宙人たちが7~8人うわーっとやってきて、「(あぁ自分は今死んでしまう、だけどこの宇宙人が何かしらのパワーですぐにまた甦らせてくれる。)…」と思った瞬間に胸の痛みとともに目覚めた。あまりに鮮明に宇宙人が登場したから、現実でもありえるよね。。と何度も繰り返し考えてしまった。何か現実的なことと接点を持ちたくて親に電話した。東京に来てから、いやそれよりも前からか、人に言えないだけど打ち明けて楽になりたい秘密がある。秘密って自分が守りたいから秘密なはずなのに、誰かに知っててもらいたい。グリム童話みたいに、穴があったら全部言ってしまいたい。自分がしたいこと、我慢してること、本当はそうしたくないこと、でもそれを言うと何かが壊れてしまいそうで不安だから言えずにいる思いの内全部。言ってしまって裸の自分になって、そこから始められるかもしれない。そんな勇気をいつか持たないといけない、でも死ぬまでそんな勇気はでないかもしれない。自分が不安でいることで、関係が均衡でいることは本当はよくないことだと分かっていても、どうしてそれを修正できるのか分からない。時間がたてば解決するのか、それさえも見えない。別に縛られているわけでもない、監禁されているわけでもない。ご飯を食べて何不自由なく暮らしている。だけど、自分が抱いている不安や心配事はそういう環境とは別に、自分が目的が見えずに暮らしているから生じている。だから不安な暮らしの中で、お酒を飲んだり料理したり音楽を聴いたりして心を慰めている。そんな、理由が不明なジレンマにストレスを感じる日々が、時々しょうもない病気になって表に出てしまう。感じているジレンマを有耶無耶にしてしまえと、まぁいっか、しょうもねぇ。と吐いて終わる。人からよく、「さとなおは二つのうち一つってしか考えられないんだよ。でも本当は二つどころかもっとたくさん選択肢はあるんだよ」といわれる。人から相談を受ける時はいつも「実はあなたの置かれている環境はこうだから、こんな風に考えれば筋は通ってるよ。今の悩みは筋通ってないよ。」とアドバイスをしているのに、自分自身にそんな考えを当てはめることができない。可能性っていうのは具体的であって初めて可能性というのに、人は可能性を漠然と言い放っている。一体どんな可能性か、ちゃんと言えないとさあ…。自分では理由が不明なことが多いから逆に人には筋を通して、理由を持って、物事を見つめてもらいたい。「なんでそうなの?」って問いかけてほしい。実は思い込みでそうなっていることは多くて、本当はそうじゃないことだってある。ただ心の内にある不安は、何をどうすれば筋になるのかすら・・分からない。いや分かりたくないだけなんだけど。「甘えてんじゃねーよ」って言われたくないから。最近めっきり外に出たくなくなった。人と会わなくなった。しかも口を開けばなんだかしょうもないことばかり。カメラを渡されてから、心にふれるものを撮りなさいと持ち主にいわれたのに、その心は今どうやら鈍く鈍くなっているような気がする。写真に映るものが自分自身なら今は雨雲か。いや今日は本当に雨雲だ。夢辞典では宇宙人は新しい自分に出会えるサイン。家にいるような自分じゃきっとだめだからカメラを持って外へでる。今日の課題は、曇り空と紫陽花か。
July 2, 2006
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