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地元が映画になるのはとてもうれしい。なぜなら長崎は美しい街で映画になるとさらに美しいから。『解夏』に続き、『7月24日通りのクリスマス』がやってくる。しかも音楽はKが!2本続けて大沢たかおが出てるからさらに良し。あぁ地元よ、なんであんなに美しいんだ。なんであんなに夕陽が似合うんだ。不思議なヤツ。稲佐山で行われた今年で最後になるさだまさしのコンサートの最後の歌で「帰っておいで…」って。あぁ帰ってもいいのかい?「祈りの長崎」と言われる私の地元は、それだけじゃない。江戸時代に外国の窓となっていろんなものが入ってきた。そして混ざり合った。いろんな人物がここへ集まった。平和活動を青春みたいに思う学生が多くなってる。それは違うぞ。勉強が足りないぞ。なんて東京に来て何もできてない自分が言うのは変だけど。あそこは歴史的にはいろんな外国の文化が入ってきたけど、もともといた地元の人はそれが国際的だと思ってなかっただろうし、それがいいことだとも思ってなかったはず。そう、きっとどうでもよかったのだろう。誰のことを言うでもなく、自分もそうだけど長崎の人の気質ってすごく「内内で楽しめりゃいいさ」的で、他を受け入れてる感じがしない。てかそんな気、全然ないはず。そんなんだから平和のメッセージも届けられない。下手っぴだね。これは内省もあるんだけど。ほんと受け入れた過去の歴史しかないから、自分から進んで何かを起こそうなんて気持ちは少しもない。自ら勝手出ることがちょっとはばかられるような感覚、留学から帰って何度となく体験した。大好きな美しい街(ごみがないとかじゃないくて、ぼろくても美しく、ごちゃごちゃしている)だからこそ見えてる「もったいない」ことがある。今でも、帰って何かができないかと思っている。エネルギーの方向はもっといろんなとこへ行っていいはずなのに。私と同じで、Choiceがもっと無限にあることを知らないし、知らなくていいと思ってる人があまりにいるんじゃないか?留学っていうのは、外を知るんじゃなくて内を知ること。米国、京都、東京と長崎を離れるほどいろんなことが見えてくる。見えなくなることはないし、逆に自分がその時居る場所について知ることなんてほんの僅か。てか別に知らなくていいんだ、自分の分際も分からないうちは。「わがごとは、わがごと」(他の人のことをとやかく言わず、自分のことを考えろ)いやほんと、この言葉がいつも自分を覚ます。今日はズボンのまつり縫いを少々。来週は箱根で仕事じゃー!バテないように頑張らなきゃ。来月は、長崎くんち。実家が踊町の世話をすることになった。なんという名誉。そしてもう街中にお囃子が聞こえているはず。夜の涼しい風とともに。その風を東京で感じ、愛する街へ想いを馳せる。
August 27, 2006
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今週は怒涛の一週間でまさに無我。あっという間に五日間すぎてしまった。そして今日土曜日はまたなんにもしなかった。ぼーっとしているだけだったけど、これまたあっという間に過ぎてしまった。やっと夜が涼しくなった。鈴虫鳴く夜というのは美しい。この夜の静けさに小さな虫の声が聞こえるとういうのは心に響く。そして時々どこかの家の風鈴がリーンと。「…(なんか素敵)」こう、自分の中に「新鮮さ」が最近なくなっているのはその通りで、目がサーっと開くような感覚がもっとほしくなる。胸のうちがすっきりするような感覚。今夜この冷たい風が何かを運んできてくれてもいいんじゃないか…?とかなんとか。最近は早起きして「大好き!マウス」を鑑賞中。携帯ストラップはバーバピカリ、ととってもかわいいキャラクターにはまっています。マウスはドイツの人だけど、テレビでバーバパパがお風呂に入っていた。パパは日本に適応したんだね!あと最近留学していた頃のことを思い出す。ホストファミリーが姉妹喧嘩をしていた。喧嘩の空気をシェアして気まずくしている時思ったのは、生まれた国や話す言語、育った文化を脱げばただの人間なんだよなと思った。私だって兄と喧嘩するし。人はそういうのをまとっているだけなんだよなぁ。大臣もホームレスも、先生もセレブも。それにしても我が家のAQUOSはきれい。今日は花火大会を鑑賞。
August 26, 2006
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クーラーがない生活をしているのだけど、この週末はとにかくやる気がなくなるほど(もともとないのだけど)暑かった。夢でうなされるほど暑く、起きたら6時前!氷水を飲んだ後、お腹がすいていたので、イングリッシュマフィンにたまねぎをのせてきゅうりとチーズと一緒に食べた。お腹が満たされた後、家中の窓を開けて、換気扇をつけて、アイスノンをベッドにばら撒いて再度寝た。昼に起きて、洗濯と掃除をして、大学の先輩と電話で話していたら甲子園の時間に。しかし、連休最終日に行ったブリヂストン美術館は感性がガンガン刺激されるほど素晴らしかった。前回も行って観ていたのに、まるで全く違う感覚だった。好きな画家は、ピエール・ボナールとマンギャン。ボナールは光と空気が柔らかくてバイオレットが透き通っていてきれい。マンギャンは、筆のタッチが生き生きしていてゆーっくりと時間が流れている感じが伝わってくる。しかし、ピカソの「女の顔」は釘付けになった。前回はぴんとこなかったのに。ローマの彫刻のような白い肌と背景の青と、砂の混ざった質感と、まぶたに映る地面からの光。たくさんの色を使わず筆の線の思い切りが美しいタッチを生み出していた。(7億円…)作品の前から離れることができなかったのは、高校の時に留学先で見たエゴン・シーレ以来。知らない街と人に出会い、何をしていいか分からなくて戸惑って不安だった時にその絵を見て、堂々と構えていればいいのかもしれないと自分に言い聞かせることができた。今回はどうだろう。夢中でできることなんてなくて、いつも苛立っていて、心を空っぽにすることでいろんな感情を曇らせて、、とにかくあの美術館は本当に居心地がいい。セキュリティーの人までちょっと知り合いのような感覚になる。超・超有名な画家達の作品がこんなに身近で静かに見つめることができるのは公でなく私の美術館だからか。いわゆる展覧会は本当に嫌いで、作品は窮屈だし、人は多いしもうむちゃくちゃ。箱が出来合いなのが一番だめ。こんなに特別な思いができるのは、それはそれで幸せなのだと思う。画家の熱い情熱を少しでも自分の中で感じ取れることができるのは、お金では得ることのできない感覚。そういう感覚を一度味わうと、その他のことがたいていどうでもよくなってくる。何かが欲しいとか、こうなりたいとか、誰かに期待したり、自分に期待することもなくなる。好きなように自然を愛で、好きなようにお酒を飲み、そうやって過ごす一人の時間は、昔の自分からすれば「ちょっと。もうちょっと頑張りなよ。」と言われても仕方ないかもしれない。テレビで、悩める青年に「ねぇ、もう人に気遣うのやめて、もっと自分のやりたいようにやっていいんじゃない?」とアドバイスするシーンがあった。私にとってやりたいことってなんだろう。気を遣わないでやってみたいこと。。浮かばないってのはもうやれてるってことなのかな?でもそうやって悩める人に温かい言葉をかけてくれる人なんてこの街ではめったにないことなんだと思う。だってテレビでやってるくらいなんだから。イラスト:手術を控える友人へ送ったもの。無事に終わって元気になることを願っています。
August 20, 2006
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実家から「帰ってこんと?」とか、京都のほうでも集まろうとか、確かに東京にきて初めて夏の連休なのだけど、東京を離れる予定も計画もしていない。別にここにいたい訳じゃないけど、かといってどこかへ行きたいとも思わない。うちにAQUOSが来たついでに思いっきり部屋を片付けたら妙に居心地がよくなった。鉄観音茶を自分でいれて冷やしたらさらに涼しくなって、久しぶりに昔友達からもらった音楽を聴いてみたり、わりとこのクーラーのない生活が快適になっている。そう、誰かに会うのはちょっと面倒なくらいに。よそ行きの服も買ったのだけど、出かけるのは目的もないし大してそれを楽しみだとも思わない。ただ、また上野で一杯やりたい。そのくらい。去年のお盆は実家に帰っていた。それからもう1年経った。信じられないくらい早かった。いやでも確かに年は一回だけ越しているはず。人生のほんの1ページにも満たないような1年だったけど、それにしてもあっという間だった。涙堪えられずの日々、何度も自分に「ごめん」と謝った日々、それから「何やってんだろ私」と一人呟いた日々。そんなに心震えるほど感動することもなかったし、東京の臭さにはいまだに苛立つし、何がこの人楽しんだ?と無駄に疑問を抱いたり、うるさいくらいよう喋る人、いつも口をムッとしている人、とかく人を喜ばせないようなことばかり言ってる人と一緒にいて、それでもこの街には何かあるんじゃないかと歩いてきた。でも結局疲れてばかり。先週そんなんで一人で外出たら疲れちゃったからあんまり外へ出たくない。目的なく過ごすほど無駄な時間はない。会社じゃ連休はゆっくり休んでってていわれて家でじっとするのが休むことだと思ったけど、違う。もっと別の何かをして過ごすことなのだ。こういう時こそ筆を握る時なんかな。作られたものを与えられるだけじゃなくて自分の中から創り出すことが本当に休むことなのだと思う。■イラスト:入院した友人へ写メールしたもの。会社帰りの電車で立ちながら描いて、乗り換え駅で写して送った。私にできることはこのくらいなのか。
August 13, 2006
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好きな人へ好きだと伝えて、○か×か出してもらう告白は、あまりに極端で自分にとってもあまりいいものじゃない。グレーのまま半端なままずっとずっと側で淡い気持ちでいられるほうがいい。私は相手に○にちかい黒を出してもらえるようなふうにしかもっていくことができない。優しくしてほしいし、普通でいたら嫌われるかもしれないから、だからグレーで、あわよくば黒に限りなく近いところでずっとずっと一緒でいたい。告白っていうのは答えがひとつしかでない。でももっと一緒に過ごしたい、とか一緒にいて幸せって気持ちを表すことも身体で表現する告白で、それは自分の日常にあなたがいてくれたらこれからもっと幸せですっていうサイン。サインは相手に答えを求めないから、私はその方法をとる。でもそのサインを出していないときに、相手はサインだと思って返してくることがある。逆にサインを出したくてもう気持ちがいっぱいなのに、でも全然伝えることすらできないときだってある。好きな人への気持ちを誰か別の人に話してしまうのは、その程度の気持ちなのだと思ってきた。口からどんどん気持ちが外へ出てしまって、本当に伝えたい人への気持ちが薄れてしまうんじゃないかと。でもそうじゃなくて、言葉にしてしまうことで、想像してしまうことで、自分の気持ちがおさまってしまって気持ちが軽くなってしまう。人を想うというのは苦しくて、私はすぐに楽になりたいと思うから。だってそうでもしないと心に溜めてしまって我慢していることから逃げたくなるから。他に夢中になれることがないと、自動的に始終好きな人のことを思ってしまう。そうすると想像がどんどん膨らんでいってそして耐えきれなくなって自分で針を刺してしまう。その瞬間「どうせうまくいかないんだから」というあきらめと、耐えていた時から楽になるほうへの選択をしてしまう。本当は、本当は、好きになってごめんなさい。と、耐えて耐えてしんどくなって涙を流して伝えたい。でもやっぱりそれは相手に×を出させないサインになってしまう。優しい人は心で×を出してても、○を出してしまうから。そんな優しさは続かないことは知っている。簡単に人を信じることなんてない。どんなに好きになっても。信じていてもきっとそれが嘘みたいになってしまうことがあることだってある。自分の身に起こったことを「嘘でしょ」と言いながら、泣きながら現実に立ち向かうことで、強くなれることだってある。でもその強さは、「いつか崩れゆく」という自分の信条を確固たるものにする。要はあれだ、家族団らんでいることが最高の幸せだったのにそれがもう二度とやってこないという事実を周りが諭そうとするから、私は人を信じたくないし、苛立つ。人の心は裏腹になることがたくさんあるんだと前から知っている。それが私は大嫌いなの。だから正直にものを言うし、嫌いなことは嫌いという。好きなことは大好きだと言うし、幸せなときは心からそう思っているから言う。人を幸せにすることはできなくても、自分がその人といて幸せだということを伝えることならできる。聞かされた相手がどう思っていようとも。
August 8, 2006
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仕事で外出が多くて、金曜の午前は「あとちょっとがんばれば週末…」と待っていたんだけど、今週は普段と比べてあまりいい週末じゃなかった。土曜は午前中に家のことを済ませて昼から世界の舞踏大会へ。招待状を会社でもらったので、一人で行ったところ、いや充分にしっかりと鑑賞して最後は大拍手をしたのだけど、なんか、こう、ひっかからなかった。今の自分とあまりに接点がなくて、やっぱりこういうのも誰かと一緒じゃないと楽しめるもんじゃないなと心底思った。いや会社でもらったチケットは2枚だったのだけど、誰も誘えなかったから、それは自分のせいでもあるんだけど。最近思いついたアイスとビールの組み合わせ。冗談で「シェークをチェイサーにビール飲めるぜっ」て話をしていて「…(いやバニラと合うんじゃないか?)」と思いやってみた。…「(永ちゃん風に)っ最高」甘ったるいバニラの後に爽快な麦の香りが広がり冷たさと炭酸が身体に染みわたり超おいしい。おやつとお酒は相性がいいんだよ。ワインとチョコとかそうだし。丸の内じゃドゥバイヨルでシャンパンとチョコだしてるからね。いや私の舌が悪いのかな。。でもおいしかったから良しとしよう。日曜も家のことを済ませて外出。カバンの持ち手が取れそうだからカバン屋へ。とにかく丸の内をうろうろカバン求めて歩いたのだけどしっくりくるのがなかなかない。。いまいち決め手がなく結局買わなかった。その後贈り物のお返しのブルブルマウスを買って、有楽町の無印で洋服を買い、テレビ屋で液晶テレビを購入。とまぁ一人でいろいろ回ったのだけど、これがなんと超つまらなかった。。外出したことで自分の何かを吸い取られてしまった感覚になった。人と出会い、語らう自分でいられない日が2日も続くと日曜の終わりに泣きたくなるほど虚しくなる。Photo: 渋谷で謝る気なく謝っている人。
August 6, 2006
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うちのテレビが壊れたからテレビ屋へ。そしたらたくさんの液晶テレビの前に呆然と立つおじさんたち。異様な光景でした。テレビはどんどん進化していくけど、それを見つめる人間はついていけてないぞ。不忍池でコロポックルの話をしていたら私の想い描く妖精の像がちょっと他の人と違うことが判明。妖精は、私の場合、ティンカーベルじゃなくてむしろ禿で長い髭の杖を持った老人の姿をしている。確かに『氷上の妖精』がヨボヨボの老人でよれた布をひらひらっとさせるのは、違うかもしれないけど、妖精と同じ意味の精霊ならよしとできるのでは。最近よくムッとくることと、ニヤッとしてしまうことがある。もうムッとしたら心の中で「こらハゲ」とぼやき、ニヤッとしたら「ははーんなるほど」と人差し指と親指で顎をなでて納得。小さい頃から感情の起伏が激しいと思っていたけど、まだこの年でも変わることがない。今までO型はおおらかで面白いと思っていたけど、最近A型が羨ましく思えるようになった。きちんとまじめにできるところが、O型にはどうやったってできないし、できたいとも思わない。ただ羨ましい。自分の好きなものや、考え方、人、気持ち、風景を、こうまっすぐに静かに見つめられるようになった気がする。前はもうそれにまっしぐらで周りが全然見えなかった。きっとそれはフォトラマ800のおかげ。上野で3時間蓮をカメラを通して見つめていたら、なんとなくそうなった。いやそれも三日前なんだけど。写真の中にある光がフィルムにギューっと集まってくる音が聴こえた。何気ない風景もきっといつか特別になる。ふっと見つめた風景が一瞬とても美しくみえる時がきっとくる。最近そんなことをよく思う。だって素敵な想像をして適当に視線を配ったら、それまで意識していなかった、自分で見えていなかった世界の隙間が見えてくるんだから。日本には、間を味わう文化があると聞いた。行間を読むっていうのも、とても関心する。見えないものが見えてくる、心に現れてくる。あぁなんて素敵なことだろう。不忍池の蓮の生い茂るその暗闇奥底できっと髭のナマズはニヤッとしている。そしてムッとしている。■イラスト:フェアリーが「ほぉ液晶かぃ…」と。
August 2, 2006
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