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長崎へ仕事で帰省。まだ歩けば汗がじっとでるような暑さ残る現場はなかなか面白かった。四日間の激ハードな仕事が終わりふっと気が抜けた時、家のベランダから冷たい風が入り、それとともにシャギリが。それは小学生の頃から、夏の終わり秋の始まりを知らせる音で、体中の血が沸き立つようなドキドキを呼ぶ音。10月7日から三日間はじまる「おくんち」の練習の音。私の住む町はおくんちの踊町に囲まれているから毎年いつも聞こえてくる。しかしその日はもうおくんちが終わって静かな秋の夜なはず。でも龍踊(じゃおどり)のシャギリが確かに聞こえる。急いで家を出て、音の聞こえるほうへ走った。行く先は知ってる。7年に一度回ってくる踊町の稽古場となっている、私が学校の帰り道にいつも遊んでいた公園。龍の衣はボロボロに剥げ、お腹の布は擦り切れていた。踊りおさめかと思ったけど、今年は龍は出てない。ってことは来年?かもしれない。おくんちって祭りは、どうやらはまる人が多いみたい。でも祭りが始まる前も面白い。各踊町が庭見せを行う。この庭見せが超豪華。お勧めです。長崎は、冬にランタンフェスティバル・夏は精霊流し・秋はおくんちと何かとイベントがある。どれも思い出に鮮やかに残るような色を持っているから、湿気た古い町の匂いを帯びたものというよりも、もっとたくさんの人に体感してもらいたい(精霊流しはちょっとまた違うけど)。京都の祭りを見て、他の祭りを見て余計にそう思った。しかし、仕事終わりにこうしておくんちを見れて、あぁご褒美だなと思った。明日は長野へふらり旅。ちょっと着こんでいかないと。あとカメラ。外を見て内を知る。明日も人生勉強じゃ。
October 28, 2006
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今週から始まる怒涛の本番前一週間。昨日はその戦闘態勢に入る準備として昼から仕事を開始。世の中にいろんな辛い試練があるのならこのくらいの心労はきっと大したことない。だから早く全て過ぎて終わってほしい。そればかり思っている。全てうまくいくことはないとは思うけど、それなりにうまくことが運ぶようただただ心を落ち着かせようとしている。心配してても無意味。とあまりにどうでもいいことばかりがよぎるからハーブティーを入れる。ハーブティー屋の人が「細胞は二ヶ月(一ヶ月?)で生まれ変わるから続けて下さいね。」と言っていた。そういわれると飲んでて何だか体が生まれ変わっていくような感じで、汚れたものがはがれていく感覚になる。寝る前と朝飲み続けてるけど、香りたつ湯気をかぐだけでなにかがサーっと洗い流される感覚になる。そして何だか気分が爽快になる。処方箋てのは意外とこんなところにあったのか…(ゴクリ)本日は朝からズボン三本まつり縫い。うつむいてチクチクやってると何だかそれ自体が時間を止める魔法のようで、愛情めいたものが生まれていった感じだった。というか文化的というのはこういうことを言うのかと感じた。物を大切にして引き継ぐということ。昨日は職場でともに仕事をした人と晩ごはんを。しゃれたジャズが流れ、丁寧なサービスが施され料理は薄味で印象に残らなかった。でも何だか楽しい話をして終始浮かれて笑ってばっかりだった。土曜の仕事終わりにしゃれた店なんて。特別なのか、しょうもないのか、無意味なのか…。大して考えもしなかったのに、なぜかその意味を問いたくなる。秋の寂しい空と、冷たい風を悲しく思わないようにするためにはいろいろ努力しないといけない。だって、だってそうしないと明日は私の誕生日だから。
October 15, 2006
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先週はグローバルフェスタ(国際交流フェスティバル)でボランティアをしてきた。母からよく「ちょっとは洋服買っておしゃれしなさい」と言われるんだけど、そういうのにお金と時間といろいろとを遣うよりも、こうして自分にできることをしている時のほうがずっとずっと自分を満足させることができるということに気づいた。私は前の事務所にいた時にインドネシアの津波被災と、パキスタン大地震で緊急に支援が必要となって、国内向けにレポートを訳したり、必要となればアピール用にプレゼンを作ったりした。もちろんいろんな人の助けをかりて。そうして携わって、それまでの日常では考えもしなかったようなことを勉強した。それをブースでたくさんの人へ解説した。そしたら「へぇ・・」と反応が返ってきた。無理やり活動紹介をするんじゃなくて、わかるように、身近に伝えないと相手にはわからないことがたくさんある。私だってそう。相手の立場に立って物事を考えることがどれだけ大切で、必要なことなのか体感した。何にだって言えることなのだ。でも、何でもその人の立場になって考えろってことじゃない。相手の都合のいいように考えてはいけないのだ。何がその軸にあって、どこへ向かっていて、そして相手の思っていることが筋が通っているのか、それをちゃんと見極めて、その人の立場になって考えなければいけない。それは渦中からすっと離れて自分を客観視することからそれができるようになる。壷の中でグルグル回ってるだけじゃだめなんだ。…と先週はいろんなことを勉強した。一生懸命になることで澱んでいた疲れが消えた。いや自信がついたんだ。自分が経験したことで、でも実体験じゃなくて、でもそれは事実起こっていることで、他の人にちょっとでも知ってもらうことがこの仕事で、「過疎化した町にキャンプして、活性化させる」ような何だか無理矢理な活動の紹介と体験談とは違う。試しにいろんなブースへ行った。悩みを抱えた人や、自分がやったことに何の問いかけもせず私に「あの村の人たちはすっごく喜んでたと思います!すっごくよかったんです!(と言ってかわいくイラストで縁取りされたアルバムを見せる)」と言う人…国際協力ってのは外への協力をしてるみたいで、じゃ自分たちは?って思う人もたくさんいる。でも外を見てみないと内が見えてこないことだってある。てか外ばっかりみてるのは問題外なんだけども。問題はひとつじゃなくてそれに関連する問題がたっくさんあるんだから、みんなが問題だと思っていることの実はその下にたっくさんの人やものや考えやお金やそんなんがうぞうぞあるんだ。それは渦中にいては見えてこないのだ。というか渦だけを見ていてはだめなのだ。…と思った。り、思わなかったり。絵と同じで目で見えていることなんてのはほんの一部で、その日の自分の心の状態や、環境によってそれまで見えてなかったことが、すーっと見えてくることがある。実は見えていない部分がほとんどなんだということを、どれくらいの人が知っているんだろう。問題はひとつじゃない。課題だってひとつじゃない。案件だってひとつじゃない。見方だって同じ。休みの日は映画館でイルマーレを観たり、デパートの屋上でボーっと空を見たり、栗35個の皮と渋皮をひたすらむいたり、炊いた栗ご飯を誰かに分けたいのに結局分けれなかったり、おいしそうなおやつを買ったり、ハーブティーを試飲してみたり、まつり縫い用の糸を買ったりして過ごしている。会いたい人と会えないことを埋めるにはそんなことをしないと気が紛れない。おいしい栗ごはんを誰かに食べてもらいたかった。だって手がガサガサになるまで皮むいてすっごくおいしく炊けから。秋の満月を誰かと一緒に見たかった。部屋暗くしたら窓から月の光が明るくて心が静まってすごく不思議な感じだったから。いっしょに夕暮れの空を見上げたかった。そよ風を感じながら最近思ってることをたくさん話したかったから。秋の空はたくさんの小さな感動を運んでくれるんだけど、それを全部一人で頂くのは何かすごく寂しくて…ってかだって秋だからか。■写真:上野松坂屋屋上にて秋の灰色の空
October 9, 2006
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