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このところOREDAYO家元の運動に賛同して新潟の日本酒ばかり飲んでいる。品書きを見るときも「新潟」って書いてある奴を端から順番に頼むだけなので、悩まなくても良いのが気に入った次第である。場所は蕎麦屋が多いのだが、これはまだバーが開いていない早い時間から酒が飲めるし、ツマミも良い(この時期は鴨)ので、蕎麦屋で何杯か飲んでから蒸篭をたぐって、ほろ酔い加減でバーに行くというのがこのごろの定番なのである。とまぁ、御機嫌なこのごろだったのだが、昨日来ましたよ。あるものが。もともと日本酒は好きな酒で、学生時代から味もわからないのに、親元に送られてきた八海山や越乃寒梅などを強奪してはウマウマと呑むなど、日本酒ラブだった時代があったのだが、ある事件を境にあまり日本酒を飲まなくなっていたのだ。社会人になって3年目くらいだったと思うのだが、関西出身の彼女と付き合っていて、彼女の友達のカップルとダブルデートで大阪に旅行に行った時であった。リッツ・カールトンの一泊6万円くらいする部屋を取り(思えば若かった)、初日の夜に彼女の友達の弟さんがアルバイトしている焼き鳥屋に入った。そこで弟君の彼女(実はその焼き鳥屋の娘)も合流して大いに盛り上がり(面白がって彼女のお父さんの前で弟君をつぶしてしまった)、しこたま日本酒を飲んでホテルに引き上げたのである。「楽しかったねー」なんて言いながら部屋に入った時に異変が起こった。背中が痒い。お腹が痒い。腕や掌まで痒い。風呂に入ってみてみると全身蕁麻疹が浮かんでいる。痒いだけじゃなくて、頭痛までしてきた。サバを食べたわけでもないし(っていうかサバはもともと大丈夫)、鳥刺にでも当ったのだろうか? その夜は彼女が看病してくれたんだけれど、日程は3泊の予定。ホテルに閉じ込めておくのも可哀想なので、心配顔の彼女を友達たちと遊びに行かせ、3日間もホテルで寝たきりになってしまった。部屋が豪華な分、むなしい気持ちである。素敵な夜景なんていうのも、こうなってみるとただただ恨めしい。その後、アレルゲンを探すべく、当夜飲み食いしたものを順々に試してみて、犯人が断定された。日本酒である。なんとおいらは日本酒アレルギーになってしまったのであった。普通の量なら何とも無いけれど、連日、大量に呑むと蕁麻疹が出てくるらしい。そういう訳で、やむなく日本酒から遠ざかっていたのである。そんな事件も喉元過ぎればなんとやらで、すっかりと忘却の彼方に消え去っていたのだけれど、昨日やってまいりました。蕁麻疹。熱を出して寝込むほどの事は無いけれど、痒い。これを書いている今も痒い。蕁麻疹の痒さを経験していない人に言いたい。蚊に刺された痒みは、この蕁麻疹と同じアレルギー反応なのです。想像してみてください。全身無数に蚊に刺されたご自分を! 痒いよ~!
Dec 24, 2004
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んで、沖縄旅行もやっと3日目である。朝食前にコザの散歩。祝日の朝なので、街に出ているのはお年寄りと子供だけだ。沖縄の大人は休みの日は昼まで寝ていて、朝食は昼に食べ、暑さが緩んできてから活動開始。昼食は夕方に、夕食は9時10時頃食べるのだそうだ。いいなぁ。だから昨夜も夜の開始が遅かったわけである。市内のプチ市場で魚屋や肉屋を冷やかす。色とりどりの魚が売っていて、ここもフィリピンに似ている。懐かしい魚も発見。沖縄の高級魚ミーバイである。これはフィリピンではラプラプといって、向こうでも高級魚だ。ラプラプとはもともとセブ島当たりの王様で、マゼランと戦った人の名前。昔は1センタボ硬貨に肖像が彫ってあったけれど、今はどうだろう? ともあれ魚のラプラプはハタ科で白身の美味しい魚です。その後、アメリカ人向けの店ででかいサイズのシャツ等を買い込み、喫茶店でクラブハウスサンドを食べて休息。久しぶりに気負わずに食べる食事であった。コザを後にして那覇までのんびりドライブ。途中浦添市でスーパーに入り、即席沖縄そばのパックや山羊汁、中身汁、ソーキ汁等のレトルトを購入。調子にのってスパムの缶詰も2つ買ってしまった。スパムなんて東京でも買えるって! はっきしいって馬鹿である。また、北谷公園のビーチにも一応行きました。半ズボンにサンダルなので、そのまま膝まで入って終了。水着になんて着替えない、グータラ旅が今回のテーマである。5分ほど沖縄の海を満喫した我々は車で那覇に入った。って、ドライブの間中、一つ気になっていたことがあるのである。沖縄の主要道路の至る所で女の子がアイスクリームを売っているのだ。道を走っていると木などに小さなアイスクリーム型の看板がひっそり付いていて、そのちょっと先に道ばたにビーチパラソル、アイスが入っているらしきアイスボックスがあって女の子がイスに座っている。何か気になる。そこで沖縄サミットがあったコンベンションセンター前の道にいた子からアイスを買ってみることになった。車を止めて良く見ると箱にアイスクリンと書いてある。二人分で300円也。暑さでアイスが緩んでいるので、一気に食べないと溶けだして手がベタベタになるから用心である。聞くと彼女は17歳。1日8時間労働で約10000円の売り上げ、彼女の手取りは4000円だそうだ。それ以上「暑くないの?」なんて聞いてみても、あとははにかんで笑っているばかりであった。んで、次なる目標の泡盛館である。場所は首里城のある山からクネクネと街へ下る坂道の途中である。我々は首里城をあっさり通り過ぎ、クネクネと泡盛館へ向かった。泡盛館は思ったより小さいが、中身は充実していた。色々な泡盛が揃えられていて、嬉しくなってしまう。早速試飲! 飲み比べてみると様々なタイプがある。縦軸と横軸でグラフを書くと縦軸が若い酒~古酒、横軸がマイルド~独特の風味といった感じか。古酒になればなるほど、香りが落ち着いてきて気品が出る。若い酒も荒々しくて良いけどね! マイルドな酒よりも僕的には風味の出ている酒の方が泡盛を飲んでいる実感もあって嬉しい。などと勝手な感想を述べつつ、豆腐ようをつまみに味見に励む。結局、与那国島の花酒(度数が60度あるので、法的には泡盛扱いではなくこう呼ぶそうだ)の一升瓶などを購入。宅急便で送ってもらうことに。いい按配になったところで、昼食である。「久々にピザでも食べたいねぇ」と意見は一致したのだが、なかなか適当な店が無い。本で店の目星をつけて捜しても閉まっていたりで悲しい気持ちになりかけたころ、地中海料理屋の看板が目に入った。「バッカスの胃袋」。ハッキリ言って店名だけで入りました。入ってみると沖縄の地ビール「ヘリオスビール」直営のレストランで、いろいろなタイプのビールが飲めるとのこと。僕はドイツのヴァイツェンタイプの生、マスターはイギリスのポータータイプの生を注文。泡盛で乾いた喉にビールがしみこんでしみじみ美味い。ビル2階のレストランからは目の前に港が見渡せ、眼下には人工ビーチがあってなかなか眺望もいい。ちょうどばかでかい客船がタグボートの巧みな誘導で接岸するところも見られて、ちょっと得した気分でビールを飲む。マスターは「おまかせパスタ」、僕は「子羊のロースト」を注文。他に何品かつまみを頼んだのだが、どれも外れはない。偶然入ったがラッキーである。特に「パパイヤイリチー」が美味かった。イリチーとは炒め煮のことで、青いパパイヤを千切りにし、シーチキンと一緒に炒めて出汁で煮る。味付けは塩。これがビールにあってしょうがないので、ペールエールタイプの生もやむなく追加した。で、夕方やっとM君のホテルにチェックイン。マスターは運転疲れで、昼寝。僕はシャワーを浴びてM君の待つバーへと繰り出す。今日はここでちょっと腰を据えて飲む予定だ。ここはホテルのバーにしては比較的酒の種類が多い。特にM君の凝っている泡盛も揃っている。そこで、「泡盛を4種類、こういう順番で飲めってチョイスして!」とオーダー。これは、M君が東京にいたころ僕がモルトやバーボン、ラムなんかで彼に良くしていた注文方法なのだ。「いやーっ、懐かしいですねぇ」なんて言いながらM君がチョイスしてくれる。しかし、ここでちょっとした計算違いが・・・。沖縄では何故か泡盛だけワンショット45mlなのだ。初っぱなからオーバーペースである。だが気にしない。飲みながら名護や恩納村の報告と、思い出話をする。思い出話と言っても、ばかでかい180ml入るマティーニグラスにスピリタスで超ドライなウオッカマティーニを作ってもらって、M君と意地を張り合って一杯ずつ飲み干したね、といった類の馬鹿話である。4杯の泡盛を飲み干して、いよいよM君の優勝カクテルを注文する。レシピは泡盛にアプリコットリキュールに杏のお酒にって感じ。泡盛の香りが立っていて美味い。泡盛ベースのカクテルは、泡盛も度数が30度以上のもので、香りもあえてクセのある物を使って、そのクセを生かしながら作ると良い。というのはM君の受け売りである。このあと、地元の常連客さんのお話に入れて貰いつつ、マスターも途中で合流して盛り上がる。のんびりしたいい時間が流れるが、思い出した! 夕飯喰ってないじゃん! 夜も結構な時間だったが、沖縄の夜は遅い。終電がないのだ。まだ大丈夫だと、マスターと一緒に初日に行った「ステーキ88」を再訪することに。前に飲み忘れた「石垣ビール」を忘れずに飲もう! と決意を固めるのであった。(おしまい)
Dec 22, 2004
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翌朝M君のホテルをチェックアウト。車で国道58号線(ごっぱち)を北へ向かう。目指すは名護のオリオンビール工場である。道すがら朝食を摂るためA&W(通称エンダー)に入った。A&Wとは沖縄では有名なハンバーガーのファーストフード店で、マックなんかよりもパテも肉厚な美味いハンバーガーを食わせてくれる。しっかり系のハンバーガーだが、お手軽感はファーストフード店という東京にも欲しい店である。ちなみにここはルートビア(ジョッキ)がおかわり自由というあまり個人的には有り難くないサービスが売りでもある。ルートビアをジョッキで飲みながらバーガーに食らいついていると、自分がダメになっていくような、はたまたアメリカ人になっていくような(アメリカ人ごめん)、頭がクラクラする感じを楽しめます。 朝っぱらからハンバーガーを食べてご機嫌のマスターと僕はそのまま北上。マスターが言うには沖縄の海は北に行くほどきれいになっていくという。南の海の方がきれいという既成概念とは逆である。しかし、確かに窓から見える海はどんどんきれいになっていく。きっと沖縄本島は北の方が人口が少なそうだから海もきれいなのでしょう。なんて下らない事を僕が助手席で考えている間、運転中のマスターは大変だったようだ。沖縄の車の運転はゆっくりでマイペースなのだ。沖縄タイムというか、何もかものんびりしている。下手すると走行車線の車より追い越し車線の車の方がゆっくり走っていたりする。道が合流するときも普通なら車線変更をして入ってくる車が入りやすいようにしてあげるのがマナーだと思うのだが、沖縄ではそんなことはしない。合流したい車の方ものんびりと空くのを、いつまででも待っているという風情である。これはこれで秩序だっているが、県外の運転に慣れた者にはいらだつ事この上ないのだ。その上、そこにYナンバーの車が加わってくる。Yナンバーとは要は米兵さんの車だ。これが左側走行に不慣れな上に、運転がまた傍若無人なのである。この旅行中、クスリを飲んでいる関係で運転できない(という言い訳をして飲んだくれていた)僕に代わって、マスターがずっと運転してくれていた。大変感謝である。 昼飯は恩納村にある沖縄そば屋「なかむらそば」で食べることに。この店はM君の叔父さんがやっておられるのだとのこと。店で作る自家製麺が自慢の店という。ちなみにM君のお父さんは県内の某大ホテルで料理長をしていた沖縄でも有名なフランス料理人だそうで、最近独立してフランス料理店を開いたのだとか。しかし、今回は日程の都合がつかず訪問は断念する事になってしまった。今回の「なかむらそば」訪問はその敵討ち? じゃなくて代わりと言った意味合いもあるのだ。「なかむらそば」はごっぱち沿いにあった。窓から国道越しにきれいな海が見える。カヌーの群が海を呑気に横切って行くのを見ながらそばをずるずるっと。僕が頼んだのは「ソーキそば」。マスターは「沖縄そば」を注文。ソーキとは豚のスペアリブのことで、そばの上にどーんとのっかているのである。その上「俺、これ苦手だからさ」とマスターが「沖縄そば」の上にのっていた三枚肉を恵んでくれた。ゴージャスである。沖縄そばの麺はちょっと平べったくって、食感も独特。また麺の量が多く食べでがあるのは麺喰いには嬉しい。スープは鰹昆布だしにソーキから出た豚出しが加わっている。このスープでオジヤを作って三枚肉を千切って入れたら最強の病人食だろう。どんな病気でも治ってしまうくらいパワフルだ。 昼飯を滞りなく済ませ、名護入り。日本ハムファイターズファンであるマスターが妙に嬉しそうだ。名護はファイターズのキャンプ地だそうで、マスターは練習の応援に何度も訪れているとのこと。名護はキャンプ地としては他球団から離れているため、解説者も滅多に訪れないというが、マスターはスポーツドリンクをケースで買い込んで差し入れしたりしているらしい。といってもこんな季節にキャンプなどやっているわけはない。名護入りの目的はオリオンビールの工場見学(というか試飲)である。この日はあいにく日曜日で工場は稼働していないという。しかし、見学(と試飲!)は可能だとか。約30分ごとに見学ツアーが出ている。見学といってもビールの作り方なんて知っているし、オリオンビールだからって何か特別な工程が入るわけでもなさそうだ。それに工場は稼働していないのだから、見学にも自ずと熱がこもらない。そこで、説明係のオネーサンの見学に自ずと熱がこもることとあいなった(まるでヘンタイである)。かりゆしウェア(沖縄版のアロハシャツ)を着た、この沖縄美人のオネーサンは果たして社員なんだろうか? どう見ても高校生くらいにしか見えない。沖縄の人は若く見えるのだ。「いっちょまえに耳にピアスなんかあけちゃって」なんて失礼にも思ってしまう。「名護ではオリオンビールは大企業であるから、ご近所さんからは『○○さんとこのお嬢さんはオリオンビールにお勤めなんですって。優秀ね』なんて言われているのだろうな。んで、同じ年頃の男の子たちの『お嫁さんにしたい候補No.1』だったりしてね」なんて勝手な妄想が膨らんできた頃、彼女が言った。「では、試飲です」 でっかいホールのようなところで出来立てのオリオンを飲む。暑い国のビールだけあって飲みやすいタイプだが、出来立ては一味上がる。うひょうひょ。 オリオンビールの試飲を無事終え、マスターの提案でパイナップルパークへ向かう。ここも詳しく知りたい人はガイドブックを参照して欲しい。園内にはフィリピン時代に見慣れた植物が沢山生えていて懐かしい。日本人学校の庭に生えていたマンゴーの木、友人宅に生えていたスターフルーツの木なんかも久々に見かけた。ビックリしたのはパイナップルである。みんな同じ方向にばたばた倒れているのだ。台風のせいだろうが、背の低いパイナップルでこの様である。凄い台風だったのがわかる。最後にパイナップルワインとパイナップルそのものを試食。今日は試飲とか試食ばっかってかんじだ。その後、名護を離れて石川市の「ビオスの森」へ。ここも植物園である。例によって詳しくはガイドブックを見て下さい。ここには人工池があって沖縄の植物(主に蘭)について軽妙な解説をしてくれる遊覧船が出ている。しかし、植物に疎い僕は解説を聞き流しながら、のんびりと森林浴を楽しませていただいた。ここで覚えた事はたった一つ。「気の枝にからみつくようにたれているひも状の物は、根が退化した植物で、光合成によってどんどん伸びる。名前は『サルオガセモドキ』という。この名前は北海道にある植物『サルオガセ』に似ていることから付けられた。『サルオガセ』は山を行くサルの尾っぽに枷のように絡まるからそう呼ばれるようになった」という、これから先いつ役に立つのかサッパリ分からない知識だけであった。ちなみに「サルオガセモドキ」は試食しなかった。 「ビオスの森」を出発して、再び恩納村へ。別にまたそばを食べようと言うのではない。今回の旅行で訪れるべきもう一人のバーテンダーさんIちゃんに会いに行くのだ。Iちゃんは『ステーキハウスJam』という鉄板焼きレストランのウェイティングバーで元気に働いていた。色白だった彼女も健康的に日に焼けている。挨拶もそこそこに写真を1枚パチリ。ふーっ、ミッションコンプリートである。後は飲んで食べるだけだ。Iちゃんはこの店のチーフバーテンダーさんだそうだ。バーの客とレストランの客両方のドリンクを作るので忙しそうである。お薦めを頼むと泡盛ベースにカルピスとパイナップルジュースを合わせたカクテルが出てきた。美味しい!「いやーっ、今日はパイナップル尽くしですねぇ」と僕が言うと、マスターが「パイナップルには肉の消化を助ける働きがあるんだよ」と教えてくれた。そういえば肉をパイナップルでつけ込んでおくと柔らかくなるんだったっけ? たしかパイナップルにはタンパク質を分解する酵素があるんだった。パイナップルカクテルは、これからまた肉をしこたま食べようという我々二人へのIちゃんの気遣いだったのだ。それと同時に、今日僕をパイナップルパークに連れていったマスターの深謀遠慮も明らかになったと言えよう。こうなると後は肉を喰うのみである。バーカウンターでメニューを貰う。シーフードが苦手なマスターは肉だけコース。僕はせっかくだからと肉プラス用意してある魚介類全種焼きますコース(本当はもっとまともな名前でしたが、忘れました。値段は確か5800円。格安である)を頼むことに。テーブルの用意が出来て、バーから別室へ案内される。別室は鉄板の放つ熱気と美味そうな匂いが既に充満している。円形の島が幾つか合って、客は外に内側向きに座る。中心に料理人のお兄さんが何人かいて、目の前で焼いてくれるのだ。最初に焼いているのを待つ間、サラダに焼きたてパンとカレーが出てくる。パンが美味い。ウマウマと味わっている間に魚介類と野菜、島豆腐(沖縄の豆腐は固めで味も濃厚である)などが次々と焼き上がってくる。ぐるくんという魚に梅味噌ソースをかけて貰う。美味い! マスターにもちょっとお裾分けね。シーフードが苦手なマスターも喜ぶ旨さである。ロブスターは丸ごと一尾。その他諸々青パパイヤや紅いもなんて沖縄食材も活躍しだして喰いきれないなぁ、なんて思ったところで肉の登場である。完食は無理っぽいので肉を100グラムほどマスターに手伝ってもらう。二人とも喰うのに精一杯で、またしても会話を楽しむ余裕が無くなってしまった。傍から見たら完全に仲の悪い二人連れである。もはや餓鬼道に落ちている。締めにマスターはご飯。僕は冷やしうどんを食べて終了。ではなくて、先程のウェイティングバーのテーブル席に通される。デザートとお茶が出るのだ。戦場のような先程とはうって代わった南国のリゾートっぽい空間に帰って、一息ついた。まったりとお茶が美味しい! 夜はこのまま恩納村に泊まりたかったが適当な宿が取れなかったので、予定を変更して急遽沖縄市に泊まることになった。台風のせいで看板が飛ばされていてなかなか見つけられなかったホテルにチェックインし、夜のコザへ繰り出す。コザとは沖縄市の旧称で米軍が付けた地名だ。沖縄返還後の1974年に沖縄市に改称されたが、未だに沖縄の人にはコザで通っているらしい。んで、時間は夜の9時半くらいだったのだが、日曜日だからか町が暗いのである。店は閉まっている。開いていても開店準備のために入り口を開放して空気を入れ換え、カウンターからイスを下ろしてますってかんじのスナック位しかないのだ。「沖縄の夜は始まりが遅い」とは聞いていたけど、ビックリである。夜が遅い理由を聞くと「沖縄には終電がないですから」(M君)との返事だったが、そういう問題か? マスターも運転で疲れているようだし、しばらく街を流離ってホテルへ戻る事にした。部屋で昼間買った『黒糖酒』を飲む。文字通り黒糖から作った蒸留酒で、いわば沖縄産のラムである。オンザロックやコーラ割りでまったりとした寝酒となった。
Dec 21, 2004
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ここで断っておくが、今回の旅行は飯を食って酒を飲むのがテーマである。四六時中、次は何処に行って何を食べ、何を飲むのか? というのが話題の中心で、マリンスポーツとかそういった類の健康的な遊びには目もくれないアル中の旅だったので、ご了承願いたい。 マスターはシーフードが苦手な代わりに、無類の肉好き。なのに今回の旅行に備えて3週間にわたり肉断ちしていたそうで、すでに肉食マインドでガルルル状態である。夜に肉を満喫するために、昼食でマスターがあえて頼んだのは「カツカレー」であった。カツだって肉だが、この場合、肉とはビフテキのことなのである。対するに僕も病気の関係で暫く肉類を控えさせられていたりして、マスターに負けないくらい肉々しい気持ちなガルルル状態であった。二人とも旅行前に「沖縄に行ったらハメを外して肉を喰いまくりましょう!」と誓い合っていたのである。昼飯も夜に備えてあえて「タコライス」や「カツカレー」などと軽め? に済ませていたのだと言えなくもない。問題は店をどこにするか? という点に絞られた(M君の優勝カクテルはどこへ行った?)。約2分間にわたる熱い討論の末、晩飯は「ステーキ88」にて、という結論に達した。ここはマスターが以前沖縄に遊びに来たとき、タクシー運転手に勧められて見つけた店だという。観光ガイドブックには滅多に載っていないが、安くボリュームたっぷしのステーキを喰わせる店として、地元民の支持を集める有名店だそうだ。M君の顔を見ても、他のバースタッフの顔を見ても、みんな力強く頷いている。よだれを拭きつつ、ついついウフウフ笑ってしまう。まるでアブナイ人みたいだ。というか、マジでアブナかった。あの時は助けてくれてありがとう。恩にきます。 などと錯乱しつつ車で「ステーキ88」へ。1階はボックス席がメインで、2階がカウンターと座敷。1階が満員だったので、苦手な座敷に通される。座敷席は家族連れなんかで大にぎわいだ。小学校入学前の子供も無邪気にはしゃいでいて、良く言えばアットホーム、悪く言うと煩い感じ。人によって受ける印象は異なるだろう。最近、子供が産まれたばかりのマスターは前者の取り方をしている。沖縄の人の生の生活を観察できるチャンスなので、僕も家族連れを見守って楽しんでいた。食事がすむとお父さんが座敷にゴロッと寝ころんで、子供と遊んでいたりする。和やかで微笑ましい、一昔前な感じである。前菜のサラダやスープを平らげつつ過ごしたそんな和やかな空気も、じゅーじゅーと音を立てる肉が到着すると一変した。テンダーロインとサーロインのお出ましである。双方250グラム。肉を目の前にした二人(マスターと僕ね)は目の色を変えてテキに取り組んだ。店内に石垣の地ビールのポスターが貼ってあったのを見て、飲んでみようとオーダーしようと思っていたのも忘れて、二人でひたすら喰いまくる。肉を口一杯に頬張って、苦しいくらいになりながら飲み下す快感。雑念は無い。唯一交わした会話は、「Dram Bheagちゃん、輸入肉だからA1ソースをたっぷりかけた方が美味しいよ」「うん」だけであった。(A1ソースとは、沖縄ではポピュラーなバーベキューソースのことだ)食べ終わって、ひたすら放心する二人。まったりと食後のシューアイスを食べつつアイスティーを飲んでいたのだが、放心しつつも、隣のテーブルに運ばれるハンバーグステーキに目を光らせ、「あれも美味そうだねぇ」と頷きあう、一人3000円以下で満足な夕飯であった。 食後は当然飲みに繰り出す。マスターの店にバーテンダーさんI君というのがいて、昔沖縄に住んでいたという。その彼のお薦めが「バー鈴木」というオーセンティックバー。また、M君のお薦めは「アイラ」というショットバーで、「バー鈴木」のはす向かいにあるらしい。ここはM君の仲の良い先輩がやっているバーとのことだ。まずは「アイラ」に訪問する。マスターによると、I君もこの店を推奨していたとのことだ。カウンターのみのバーで、バックバーも圧倒される程の本数はないが、良く見るとイタリアボトルのモルトとか、吟味したお酒が並んでいて、こだわりを感じさせてくれる。お店はM君の先輩とその御主人(多分)のご夫婦でやられているらしい。接客も丁寧かつ気さくで、くつろいで飲むにはお薦めである。 話は変わるが沖縄にはシークワァーサーという柑橘系の果物がある。小振りのスダチみたいな実で、酸味の中にかすかに甘みと独特の風味がある。この果物は実はフィリピンにもあって、呼び名をカラマンシーという。お婆ちゃんがフィリピンに遊びに来たとき、カラマンシーを見て「これはシークワァーサーだ」って主張していたのを思い出す。ここはフィリピンなんだから現地名でいいじゃん。主張するなよ。ばあちゃん。ところで、僕はこのシークワァーサーには思い入れがあるのだ。日本人学校から帰ると、僕はコーラやセブンナップを飲むのを習慣にしていた。そんなある日、学校から帰るとソフトドリンクの買い置きが底をついていた。地下にあった倉庫を物色してもあるのは父親が晩酌で使うソーダウォーターとトニックウォーターしか見つからない。試しにトニックウォーターを飲んでみたが、子供の舌にはなんともなじまない。なんとかこいつを美味しく飲む方法はないかと考え、思い出したのが、父親がいつもビーフィーター(ジンの銘柄ね。念のため)とカラマンシーをこれで割って美味そうに飲んでいる顔だった。やってみると美味い! さっそく大量に買い込んであったビーフィーターを一瓶、部屋に持ち込んで飲み明かした。それから、トニックウォーターに飽きたらずセブンナップやスプライトで割っては愛飲したものである。あの時から今日に至る連続飲酒が始まったと言っても過言ではない。 そんな思い出話を「アイラ」でしていて、久しぶりにスプライト割のジントニック? を飲みたい! と言ったら、スプライトは置いていないとのこと。(そりゃそうだよなぁ)少々がっかりしつつ気を取り直していると、いつの間にか姿を消していた御主人様がスプライトを外に買ってきてくれていました。約20年ぶりの味わい。御主人! ありがとう! そんなこんなで、ちょっと前まで来ていた台風の話になる。風速50メートルを超える台風は沖縄でも数年ぶりとのこと。人は飛ばされるは、軽自動車は転がるはで、大変だったらしい。もう市内では目立った被害は見られないが、注意してみると信号が壊れていたり、交通標識があらぬ方向を向いていたりして、運転するのは大変だとのこと。儲かっているのは看板屋や車屋だという話でした。沖縄には台風の掛け捨て保険まであるとのこと。大変だなぁ。 続いて「バー鈴木」へ。ここはオーセンティックを絵に描いたようなバーでした。イスがゆったりたっぷり座るタイプのでっかいイスで、座ると自然とふんぞり返ってしまう。イタリアンマフィアがこういうイスでふんぞり返って葉巻をくゆらせつつ悪い相談をしている、っていうのが似合うイスである。イスがでかいせいか、マスターとの会話もとぎれがちで、それぞれまったりと物思う感じで過ごす。カクテルの出来は丁寧で、バーテンダーさん達の接客はおすましした感じ。といいつつ、冷たい感じではないので、安心して下さい。お薦めのお酒を聞いたら泡盛のくーすー「瑞穂」の五十年ものを格安で飲ませてくれました。まったりとして、口の中で回すと言うより、自分からまわっていく感じ。美味かった! そのあと、小腹が空いてきたので近くの一杯飲み屋に。マスターはポークたまご、僕は牛の中身(内臓)の炒め物をつまみにビールを飲む。ポークたまごとはスパムのスライスを炒めて、塩味の卵焼きを添えた皿のことで、沖縄では喫茶店の朝のメニューとしてポピュラーな食べ物だそうだ。県民に人気があって、コンビニのおむすびにもなっている。ちなみにコンビニでおにぎりを買ったときには、レンジでチンしてもらうのが沖縄流だそうだ。
Dec 20, 2004
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以下は一昨年、初めて沖縄に行ったときのコトを書いたものです。長いので分割して転載します。沖縄にはこれまで行ったことがなかった。父方の婆ちゃんが竹富島の出身なので、僕は四分の一沖縄人なのだが、これまで何故か行くチャンスが無かったのだ。そんな僕に、「何? Dram Bheagちゃん沖縄行ったこと無いの? ダメだよ、行かなきゃ。よし、じゃあ僕が連れてってあげますよ。僕は今まで何度も行ってますから、いろいろ案内します。どこに行きたいですか?」なんて親切な声をかけてくれたのは、行きつけのバーのマスター(以下、マスター)だった。聞くと航空券も格安で手配してくれるとのこと。当方、元来暇人なので、アッという間に日程が決まり、沖縄に行くことになった次第である。 実は沖縄には、僕が知っているバーテンダーさんが二人いるのだ。二人共もともと東京のバーで働いていて、現在は沖縄在住。一人は元々沖縄出身で、目黒区のバーに勤めていたM君。現在は那覇市のでっかいホテルのバーで働いているという。もう一人は渋谷区のバーや港区のバーで働いていたIちゃん。現在は恩納村のレストランのウェイティングバーにいるらしい。色白だったIちゃんはどのくらい日焼けしているのだろう? 彼女の事を知っている東京のバーテンダーさん(複数)から「写真を撮って来い!」との命令が下った。 二人の元気な顔を見に行くことの他に、名護にあるオリオンビールの工場で試飲のビール飲みまくり、那覇にある泡盛館で試飲の泡盛飲みまくり、という予定も素早く決まった。かように今回の旅は出発前から酒まみれなのである(普段の生活からしてそうなのかもしれんが・・・)。 と言うわけで空路、那覇に着いた。9月14日の朝だ。風速50メートルを超えた台風が過ぎ、快晴である。ちなみに滞在中はずーっと快晴だった。普段の行いって大切だね(←そーか?)。ホテルにチェックインするには早いので、レンタカーで那覇から南をぐるっと一周することに。車から見た沖縄の印象は、日本だけれど微妙に違う。台風のせいで石積みの塀が高く、家が塀の向こうに身をかがめているのが沖縄の民家の特徴だそうだ。屋根も風に強くするためか、平らな屋根が多い。日射しは南国そのもので、冷房効率を高めるためか建物は白壁が多く、眩しくて眼が痛くなってくる。サングラスが必要だろう。南部は8年ぶりというマスターによると、「いやー、久々に来ると道路もきれいになってるし、開発されているなぁ」とのことだが、サトウキビ畑のなかを椰子の並木が植えられた道を進むという、のんびりした光景がえんえん続く。子供のころに住んでいたフィリピンに似ているのでひじょーに和む。沖縄全体の印象でも、アメリカ統治時代を経ていて、米軍基地も多いっていう点がフィリピンに似ているためか、なんか里帰りしたような印象を受けるのだ。 んで、昼食は『玉泉洞王国村』って言うところで食べることに。ここの詳細に興味のある人はガイドブックでも見て下さい。玉泉洞はちょっと長過ぎ。ハッキリ言って途中で飽きました。あと村内の三線の工房で琉球版のカスタネットのような楽器を購入。エイサー踊りで使ったりするものらしい。ってことはどうでもよくて、肝心なのは昼飯の話。記念すべき沖縄の一食目である。僕は沖縄そばと迷ったあげくタコライスを注文した。知らない人がいるといけないので、念のために書いておくと、タコライスとはタコスの具乗せご飯のこと。沖縄では日常的に食べられているメニューらしい。具体的には平皿によそったライスの上にチーズ、千切りキャベツ、スパイシーに炒めた挽肉が乗っており、辛いメヒコソースをかけて戴く。都内で僕が知っている範囲では、上智大学の正門を出て、駅とは反対方向の右に進むと程なくあるビルの2階のアイリッシュパブで食べられます。他にも沖縄料理屋さんで出すところも多いでしょう。単純な料理だが、これが美味い! ビールにもよく合うのであります。飲んだのは地ビールの「ニヘデビール」。出来立てだとのことで、ビールも美味い。なんか、いきなり幸せな気分だ。 沖縄本島南部を車で一周して再び那覇へ。目黒区のバーにいたM君が勤めているホテルにチェックインして、前夜まで営業していて徹夜明けのマスターはお昼寝。僕は国際通りに行ってみる。観光客相手の店を冷やかしたり、裏道に入って地元の人向けの店で、国際通り沿いの店より半額近い値札を見てビックリしたりして過ごす。なんのかんので、かりゆしウェアをゲットして、夕方、M君のいるホテルのバーへ向かった。前もって電話で連絡してあったので、M君は開業時間5時半ぴったりに待っていてくれている。彼に会うのはちょうど一年ぶりくらいだ。お互いにでへでへしながら「いやー、懐かしいですねぇ」などと挨拶。何かお薦めをくれというと、泡盛ベースのカクテルが出てきた。うふうふしながら飲む。美味い! 聞くとM君は帰郷後、泡盛の勉強に励んでいるようで、泡盛の蘊蓄でひとしきり盛り上がる(まぁ、一方的に教えて貰ったのだ。正直言って)。M君の勉強の成果もあってか、彼はこの間の泡盛ベースのカクテルコンペティションでも優勝している程なのである(このことは東京のにいたころから前もって知人から知らされていた)。その優勝カクテルを飲みたかったのだが、積もる話と初めての沖縄の印象を話すのが先。そのうち目覚めたマスターも合流して、話題は夕飯に何を食べるか? という話になった。
Dec 19, 2004
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女性向きのカクテルで定番なのがこれですね。ラムをパイナップルジュースで上手く包んであるので、口当たりも良いし、マラスキーノの香りも気持ちがよい。色もピンクだし。 っていうか、僕自身このお酒が結構好きで頼むことも多いのですが、はじめての店ではなかなか頼みづらいんだよね。ピンクいから。でかい図体のクセにかわいらしい色のショートカクテルを嬉し気に飲んでいる、なんて図は確かにみっともない気がして、なんか気恥ずかしいのである。ピンクになるのはグレナデンシロップが入っているからだけど、グレナデン抜きでたのむ気にはやはりなれない。一度、バーテンダーさんがグレナデンを入れ忘れて黄色いメアリーを持ってきたことがあったんだけど、やっぱし物足りなかった。やはりあれはピンク色を愛でながら、大女優メアリー・ピックフォードを思い浮かべつつ飲まなくては感じが出ないね。 蛇足ながら、メアリー・ピックフォードとは「アメリカの恋人」と呼ばれたサイレント映画時代の大女優。第2回アカデミー賞で主演女優賞もとった、世界最初の映画スターと言われている人です。大女優だけど身長は150センチくらいで、清楚な美しさをもった彼女のイメージはまさにこのカクテルにぴったし! ちなみに彼女は女優業だけでなく、映画会社や化粧品会社を設立するなどして億万長者になった、今で言うキャリアウーマンの走りでもありました。かっちょいい!<レシピ>ラムとパイナップルジュースを同量。グレナデンシロップほんの少し。マラスキーノもほんの香り付け程度。シェイクしてカクテルグラスに! 以下、蛇足ながら書き足し。 ちなみにこんな顔。 童顔だったのでいつまでも少女役をやらされたそうで、酷い場合だと33歳なのに12歳の役を演じたりしたのだとか。まるで昔の(以下自粛)。
Dec 15, 2004
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前もって書いておくが、僕は浅才である。じゃなくって繊細である。まずは犬のクセに猫舌だ。熱さを売り物にしている食べ物は苦手。口の中を火傷してしまうと食欲は一気に失せる。そしてそれを口実にやけ酒を飲むのがいつものパターンである。ついでに猫手でもあるので自販機では「あたたか~い」の方のものは滅多に買わない。理由は熱くて持てないからだ。このように繊細な体を持つ僕は、もちろん激辛な料理は苦手である。これはタイ料理に限らずメキシコ料理でも韓国料理でも激辛ラーメンでも一緒なのだが、特に苦手なのがタイ料理。これについては聞く人誰もが涙する悲しいトラウマがあるのである。 僕が南の島に流刑に処されていたころの話。ある夏休みの日に父親が「タイに出張に行くから、お前も来るか?」と聞いてきた。こんな珍しい事はない。島から少しでも脱出出来るのならと、あまり深い考えもないまま「行く! 行く!」と答えた僕であった。そのころはまだ父親の人間性に一縷の望みを抱いていたのか、何も考えられないほど純真だったのか、今となっては確かめようもない。 出張の目的はタイにあるナントカとかいう大学の先生に会いに行くのだとのこと。僕はその間街をうらうらしていようと思っていたのだが、小学生だった僕にいきなり個人行動が許されるはずもなく、やむなくそのナントカ大学についてゆくことになった。父親がなんで大学の先生なんかに会いに行くのか分からないが、早く罪を解いてもらって国に帰らせてもらえるよう頼みに行くのだろう、という事はうすうす分かる。大学へ向かう道すがら父親は、その大学は世界的にも有名な大学で、これから会うタイ人の先生はとても偉い人なのだ、だからくれぐれも失礼の無いように気をつけること、と少し恐い顔で言った(まあいつも恐い顔なのだが)。それを聞いて、早く国に帰るためには行儀良くしていないと! と僕は素早く緊張した。それ共に、あ~あ、面倒くさい事になっちゃったなぁ、こんなことなら島に留まってのんびり尻でもポリポリ掻きながらバナナでも食べてればよかった、と激しく後悔した。 そんなこんなで大学に到着した。立派な建物である。裁判所みたいだ。僕の緊張感は一層高まった。逃げ出そうとも思ったが、バンコク市内から車で30分くらいかかる郊外で、周りは水田と水牛しかいないので、それも無理そうである。観念するしかない。広いキャンパス内を僕は目的の建物に向かってとぼとぼと歩いた。死刑台には13段しかないのが羨ましかったくらいだ。 僕たち親子を出迎えてくれたのは、ニコニコ顔したタイ人の紳士であった。この人が目的の偉い先生だったらよいのに! 出迎えの人は大抵愛想が良いものだ、と思っていたら果たせるかなこの温厚そうな紳士がその偉い先生であるという。なんか人柄の良さが微笑みと共に口元からこぼれているようだ。出迎えてくれるだけでも充分なのに、父親と握手している。あまつさえ、子供である僕にまで笑顔で握手を求めてきた。偉い人なのになんて腰の低い人なんだろう。この人こそ本物の紳士だ! 全然恐くないじゃないか!! 緊張して損した!!! 紳士先生は「ちょうどランチタイムだから、教職員用の食堂にでも行ってランチにしましょう。まだ、ランチを済ませてないでしょう?」という趣旨の事を言った(ようだ。タイ語はもちろん英語もわからんのだ。でも、あれはきっと英語だったのだと思う。すくなくともランチタイムのところは英語だったと思う)。「飯か!」と緊張感から解放された僕は紳士先生の後を足取りも軽くついてゆき、果たして教職員食堂らしきところの窓際のテーブルの席に腰を下ろした。外では常夏の陽光が降り注ぎ、椰子の葉が風に揺れ、ハイビスカスがまばゆく咲いている。 すると、父親からメニューを見せられ「何が喰いたいんだ?」と聞かれた。メニューはタイ語と英語で書かれているので見てもサッパリ要領を得ない。聞くとタイ料理がメインだというので、父親に「あまり辛くないものを」と選んでもらう事にした。「じゃあ、これはどうだ? チャーハンみたいなものらしいぞ」と父親は一つのメニューを指さした。嫌な予感がした僕は確認のためそのメニューを指さしながら紳士先生に「NO HOT?」と聞いてみると「MILD MILD」とのお答え。そこで、僕は安心してそのチャーハンを頼むことにした。チャーハンは好きな料理の一つである。 料理が来るまで、紳士先生と父親はなにか話をしていた。何を言っているのか分からないが(あれはきっと日本語ではなかったのだと思う)、二人の表情を見るとなんだか話は順調に進んでいる気配である。窓際の席に座っていた僕は、空調のきいた快適な室内から南国のエキゾティックな風景を眺めながら、「島の風景とあまり変わらんなぁ。話も訳がわからんし。早く飯がこないかなぁ」と早くも退屈しはじめた。そこで、ふとテーブルを見渡すとテーブルの隅の小さなお盆に載った調味料が目に入った。日本なら塩、コショー、醤油、酢、ソース、ラー油、爪楊枝なんてのが置いてあるあのスペースである。退屈していた僕は、さっそくお盆の上のブツをチェックし始めた。塩、コショーはわかる。この調味料は以前香港に買い出しをしに行ったときに見たナンプラーとかいうやつだろう。てな調子でチェックし始めた僕に謎の物体が立ちはだかった。小さなガラス製の入れ物に金属製のふた。中身は無色透明の液体で、何かの油らしく入れ物の縁がヌラヌラ光っている。入れ物には、先が耳掻きくらいの大きさの匙が挿してあって、こんなもの日本でも島でも香港でも見たことがない。「なんじゃこりゃ?」と僕はハニ丸君困ったときバージョンのような表情になり、激しく困惑した。ふだんなら手の平に一滴たらして舐めてみて味見をするところだが、今日は無理だ。大切な席では行儀良くあらねばならない。国に帰れるかどうかの瀬戸際である。 そんな風に困惑しているうちに、料理がやってきた。紳士先生と父親にはビール、僕にはコーラが付いてきた。どうやら話し合いはとても友好的に進んでいるようである。あと一歩だ。僕の前に待望のチャーハンが置かれた。空腹も手伝ってさっそくパクリと一口。中華料理のチャーハンとは少し違うが、なかなか美味しい。辛味も全然無い。前途洋々な昼食になる予感である。と、そんな時に父親がこんな事を言った「お前、さっきこの調味料を見てただろう。これはとても美味しいからかけてごらん。たくさんかけた方が美味しいぞ」。長時間の緊張感からの解放と、思ったより美味しいチャーハンを前にして、幸せな気分になっていた僕は、そのアドバイスを素直に聞き、先ほどの謎の調味料をかけてみることにした。さっき味見できなかった悔しさも手伝って、十数杯もかけただろうか? 匙がもっと大きければ便利なのに! なんて思ったことを覚えている。 スプーンでワシワシとチャーハンをかき混ぜた僕は、おもむろにチャーハンを口にした。口にしたのはチャーハンのはずであった。イタイ。なにか食べ物ではないような物が口の中にあるという感覚である。生きたサソリを食べたらきっとあんな感じなのではと思う。この感覚は辛いんだな、と気づくまでかなりの時間がかかった。辛いより痛いのだ。頭皮の毛穴が一瞬にして全開となり、大量の汗がしたたり落ちはじめた。かなりやばい食べ物を食べている気がする。視野が狭くなってくるのが分かる。反射的にお冷やを一気に飲み干した。生水には気をつけるよう言われていたが、かまっていられない。あの調味料が原因だと気づいたときには後の祭り。父親のアドバイスなんて信じた僕が馬鹿だったのだ。 しかし、ここは食べないわけにはいかない。紳士先生はタイ人で食べているのはタイ料理である。残したりしたら失礼だ。日本とタイの友好親善にヒビが入るかも知れないし、国に帰る日も遠ざかってしまうかも知れない。痛いという感覚以外、一切味のしないチャーハンを僕は笑顔で平らげた。水を頼むのも辛いと思っているのが悟られるのが恐くてはばかられ、コーラを飲んだのだが、炭酸がしみて涙が滲んだ。コーラを飲んで涙したのは生涯あれが一回キリになるであろう。はたから見たら真っ赤な顔をして汗ダクになりながら泣き笑顔でチャーハンをかき込んでいるガキである。自分でなければはたから見てみたかった。さぞかし面白い生き物だったであろう。 ちょうど食べ終わったころ、紳士先生と父親も食べ終わり、話し合いも終わったようだった。早く解放されたかった。作り笑いで顔が筋肉痛になりそうなのだ。僕の様子を見て紳士先生も父親も笑顔であった。話し合いは上手くいったのだ。我慢してちゃんと食べて良かった。と、なにか報われたような気持ちになった。すると紳士先生が笑顔のままこういったのだ。僕にも分かるような簡単な表現で、ご丁寧に身振り手振りを添えて「さっきこれをたくさんかけてたでしょう。これはね、とっても辛いからタイの人でも辛いのが好きな人が2~3杯かけるだけなんだよ」。早く言ってくれよ~~~! あんた紳士じゃないじゃん! あの苦労は何だったのだ!! タイ人なんて信じられない。 この出来事以来、タイ料理というとどこかで緊張してしまうのだ。それだけ尋常ではない辛さだった。翌朝のトイレでの体験は、とても書く気にはならない。
Dec 14, 2004
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(注)全然日記が書けていないので、しばらくの間、苦しまみれに拙ホームページ(死亡中w)より転載します。 コリンズというのはベースにレモンジュース、砂糖を混ぜてソーダでアップするスタイルのロングカクテル。はっきし言ってフィズと余り変わりません。違いはコリンズグラスという大振りのグラスで出てくるところ。飲むピッチが異常に早い僕は、少しでも量が多くて長持ちする方が嬉しいんですね。単なる貧乏性でもありますが・・・。 このコリンズのスタイルを最初に作ったのは、19世紀にロンドンにいたジョン・コリンズさんというバーテンダーさんだったそうで、その時のベースはジュネバジンでした。このカクテルは人気を得て、制作者の名前を取って「ジョン・コリンズ」と呼ばれたのですが、その後、ジュネバジンの改良型である(砂糖を足してある)オールド・トム・ジンがベースに取って代わり、名前も「トム・コリンズ」に変わりました。現在はドライジンベースに変わりましたが名前はそのまま「トム・コリンズ」です。 って、これじゃトム・コリンズの説明ですね。マイクはどこへ行ったんだ? でも、その前にジョンのその後をご紹介します。制作者ジョンの名前はスコッチベースのコリンズに引き継がれました。まぁ、バーによってはたまにバーボンベースで作る所もありますが、バーボンベースのものには別に「カーネル・コリンズ」という名前があるようです。ってな具合でベースが変わるたびにコリンズ兄弟は続々と増えて行きました。ラムベースは「ペドロ・コリンズ」、ブランデーベースなら「ピエール・コリンズ」と言います。 そこである日、電車の中で考えていたのですね。アイリッシュベースの場合はどうなんだろうと。そこで思いついたのが、「マイケル・コリンズ」って名前。マイケル・コリンズさんとは20世紀初頭にアイルランド独立の為に戦った政治家で、言わばアイルランド独立の英雄です。この人、イングランド政府の圧制をかいくぐって武装蜂起に成功、イングランド政府を交渉の場に引きずり出してアイルランド自由国を独立させました。でもその独立は、制限付きのものだったので仲間から糾弾をされて、内戦が勃発。かつての仲間からの銃弾を受けて、わずか31歳で亡くなった人なのです。 「うーん、我ながらいい思いつきだ! アイリッシュベースが他のヘンな名前だったら、僕がマイケルに変えちゃうよ!(どうやって?)」なんて馬鹿なことを考えながら、アイリッシュベースの名前を調べてみたら、やっぱしちゃんと「マイク・コリンズ」でした。同じことをやっぱしみんな考えるのだなぁ。でも、マイナーなカクテルなので、「マイク・コリンズ下さい」という注文ですぐに出てくるバーはほとんどないです。ですから「アイリッシュコリンズ下さい」とか、「ジョン・コリンズのベースをアイリッシュにしたのを下さい」って頼んだ方が手っ取り早いかも知れません。 味的には落ち着いた感じなので、割と一杯目に飲んでます。あと、ウィスキーばかり飲んでいて、舌を休めたい時にも重宝なカクテルです。<レシピ>アイリッシュウィスキーベースレモンをその半分弱から3分の1くらい砂糖、もしくはガムシロップを少々材料をシェイクして氷を入れたコリンズグラスへソーダでアップ!
Dec 13, 2004
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本日、ステメの受信箱を開いたら、 送信者 件名 受信日付 容量 bill.clinton@whitehouse.gov here 2004/12/07 18:29 41KByte おおーっ、ビル・クリントンからウイルスが!(wてか、ビルってもうホワイトハウスにいないじゃん。(wHereとか言われてもねぇ(w
Dec 8, 2004
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