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思ったとおりと言うか、思った以上に民主党が大勝利。昨日の投票所の熱気はすごかったですよ。いつもと同じ時間帯に投票所に行くと、老いも若きも、今まで見たこともないような若い人や、赤ちゃん連れの若夫婦など、みんな真剣な顔で大勢来て、行列が出来ているのです。「これは」と思いましたもの。でも、でも、この票って、「何が何でも民主党」という票はわずかで、「何が何でも今の自民党政治はいや」「他に入れるところがないからとりあえず民主党」だという人がほとんどではないでしょうか?それくらい、今の状態に不満が爆発しているのです。民主党は大勝利に浮かれていないで、本当に心して臨まないと、しっぺ返しを食らうと思いますよ。それだけ国民の目は厳しくなっているのです。でも何とかして欲しいのです。この閉塞感を打ち破って欲しいのです。未来の子供たちのために、期待しています。
2009年08月31日
ほぼ八月はヨーロッパでした。8月の初めは彼の地はどこも暑く、年寄りから若い人まで、女性は肌もあらわで目のやり場に困るような人も多かったけど、帰る頃には、ドイツの北部はもう木々が黄葉して、寒かった。フリースやセーター姿が目立ちました。あっという間に秋になるからあんなに肌を露出するのでしょうね。それにしても日本は暑い!今日、衆議院選、ばっちり済ませられました。(ホッ)
2009年08月30日

松山城を下りていくと、旧松山藩主久松家の別邸萬翠荘があります。大正時代に立てられた洋館。その裏の鬱蒼とした階段を上っていくと、目的の「愚陀仏庵」です(ここは復元、もともとは大街道を入っていったところにあった)。かつて、漱石と子規が、ほんの短い間ですが、一緒に住んでいたところです。身体をこわして帰郷してきた子規に、漱石が自分の住んでいた下宿の一階を提供し、自分は二階に書斎を持って行ったとか。頻繁におとづれる俳人仲間に刺激されて、漱石も俳句を作るようになった記念すべき場所です。「愚陀仏」は漱石の俳号。しばしその時代にタイムスリップできそうな、そんな場所でした。次は子規堂。17歳まで過ごした木造平屋の建物。松山駅のすぐそばの正宗寺のなかに復元。子規の使っていた机や遺品が展示されています。
2009年08月06日

さすがは俳句王国松山です。街のポスターにやたらと俳句が目に入ります。俳句甲子園、今度の8(土)9(日)日に松山市の大街道ですか?見たかったナァ。NHKで野球の甲子園はやるんだからこれだって中継してもいいんじゃない?一昨年だったか、もっと前だったか、「恋は五七五」という映画を見ました。高校生の俳句甲子園にかける思いが伝わって、おもしろかった。去年、NHK特集で、俳句甲子園に勝ち抜いていく様子と、高校生の姿を画いていて、これが又非常に面白く、一度本物を見てみたいと思っていたのです。裏俳句甲子園というのもあるらしいですよ。こちらはかつて高校生だった大人や、子供でも参加できるらしいです。3人一組で兼題句に挑戦、こちらも出てみたいです。そのほか、種田山頭火にちなんだ俳句大会もあれば、町中のいたるところに俳句ポストが置かれていて(電車の中にも)、ここで育ったら、私の俳句ももっとうまくなっていたかなと、うらやましいことこの上ありません。(松山城にある子規の句碑と俳句ポスト。「松山や秋より高き天守閣」)ちなみに松山を詠んだ子規の句では何と言っても「春や春十五万石の城下哉」が有名ですね。
2009年08月05日

松山城。大きくて、とてもいいお城ですね。ボランティアの人が丁寧に案内してくれて、本当によかったです。ありがとうございました。お城の中に色々な仕掛けがありました。又、天守閣なのに、床の間や敷居があるのはここだけだそうです。天守閣から見えるこの高校は、かつて、秋山好古が陸軍を退役して、校長となって、教育に情熱を傾けた場所だそうです。城のすぐ下に「坂之上の雲」ミュージアムがあり、見学してきました。日露戦争を勝利に導いた秋山兄弟と、子規について書かれた司馬遼太郎の「坂之上の雲」が今年の暮れから3年間かけてNHKで放映されるので出来たミュージアムなのかな?秋山兄弟はいまや時の人?でも、「坂之上の雲」(全6巻)のうち後半は戦争場面ばかりで、私にとっては、子規が亡くなるまで(3巻)が面白かったです。秋山兄弟の生家もお城の近くにありました。
2009年08月04日

ついに来ました道後温泉。・・・40年ぶりですからね。小さな駅前では坊ちゃんとマドンナがお出迎え。からくり人形も坊ちゃんの登場人物です。ネット予約で道後館に宿を取りました。どんなところか全然わからないので不安でしたが、宿の人たちの教育が行き届いていて、きびきびとし、楽しく過ごせました。お料理も本当においしく、季節のものが並んでいて、完食でした。これだけ大きいと、なかなかアットホームにはなれないものですが、又今度も道後にきたらここに泊まりたいと思います。さて、道後温泉。国の重要文化財に指定されている共同浴場です。入り口であれこれ迷いながら札を買い、中に入ります。夫は温泉に入ること、私の目的は漱石の「坊ちゃんの部屋」を見たいこと。ようやく見られました。良かった。着替えてお風呂に入りに行ったのですが、ちょうど小学生ぐらいのの孫娘2人を連れた方とご一緒。小さい温泉の中で泳ぐのです。それもバチャバチャと水しぶきが顔にかかります。「ちょっと、ちょっと!」と言って睨んでも、婆も孫も知らん振り。孫も孫なら祖母も祖母、「ごめん」の一言もなく、「スイミングに行っているのでクロールの選手になりそうだ」と孫自慢。信じられない。馬鹿婆め! アホー! 人の迷惑考えろ!浴衣に着替えて広間でゆったりしようと思ったら、上がってきたこやつ等、走り回って、さすがに爺が「静かに」と言っても何のその。今回の道後温泉は×。お茶を出す人たちももっと注意してくれるといいのに。「坊ちゃんの部屋」と皇室専用浴場の「又新殿」を見学して、早々に引き上げました。旅館のお風呂に入って(道後温泉と同じ源泉)、ようやくゆっくりしました。旅も風景や宿だけでなく、人も大きいですね。
2009年08月03日

松山の「お大師さん」と呼ばれている51番石手寺は本当に大きなお寺です。まず仁王門の前に中門(上の写真)があり、その前にはお遍路さんは渡ってはいけない「洗い石」と呼ばれる渡らずの橋があります。仁王門までの回廊は、浅草の仲見世のミニチュア版のようなお店がごちゃごちゃ並んでいました。仁王門を入ると、立派な本堂、大師堂、三重塔、鐘楼をはじめ宝物館など、国の重要文化財級の建物がずらり。本堂の横には衛門三郎ゆかりの石や洞窟(胎内洞窟)、ミニ四国8箇所めぐりの洞窟など見所はいっぱいです。与謝野晶子の歌碑や子規の句碑もありました。「身の上や御くじを引けば秋の風」子規石手寺から海に向かって10キロ以上行くと52番太山寺。山道を登ります。坂の途中に家が重なり合うように建っています。昔の遍路宿だそうです。緑深い長い石段を登ると、立派な仁王門。国の重要文化財というのもうなずけます。「門の下に蜂が巣を作っているので注意」との張り紙。こわごわくぐりました。国宝の本堂も堂々たる雄姿を見せてくれます。地獄・極楽絵が画かれた鐘楼堂も見事。扉の隙間から覗いてみました。少し見えます。そのほかにもたくさんの見所がある古刹。もう一度ゆっくりと来たい場所です。今回の旅の最終地が53番円明寺。ようやく来ました。街中の民家に囲まれた小さなお寺です。日本最古の納め札があるとか。大師堂の片隅にひっそりとキリシタン灯篭もあります。寛永年間(1600年代)のものだとか。マリア像が彫られています。どんな物語があったのでしょうね。
2009年08月02日

46番浄瑠璃寺は趣のあるお寺です。入り口に「永き日や衛門三郎浄瑠璃寺」の句碑。正岡子規の句です。階段を上ると、緑豊かな境内のそこかしこにさまざまな石が置かれています。右側の木は樹齢1000年のイブキビャクシン。裏庭の大きな蓮池は今を盛りにハスの花。見事でした。そこからほんの1キロ足らずで47番の八坂寺。花の寺として有名らしく、春は見事とか。つつじが咲いていました。48番西林寺は88ヶ所中唯一、お寺に入るのに階段を下ります。 そこから罪人は地獄に落ちると言われる関所寺だとか。橋を渡って、階段を下りると大きな仁王門。ご本尊は行基の彫った11面観音様。2台のバスのお遍路ツアーと一緒になり、にぎやかなことこの上なかったです。49番浄土寺は空也が3年滞在していたとかで、空也上人像が安置されています。京都六波羅の空也上人像のように、6体の仏像が口から飛び出しているのだそうですが、残念ながら見ることは出来ません。子規の句碑を見つけました。「霜月の空也は骨に生きにける」50番繁多寺は高台に立ち、境内はだだっ広く、日陰を探すのが大変。蝉時雨で、目がくらくらするくらいでした。
2009年08月01日
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