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できない理由は、たくさん言える。それも、とてももっともらしく言えてしまう。でも、逆にできる理由もたくさんあるはずだ。時間がないだとか、疲れた?とか。今年度からは、朝から仕事をすることにしている。朝10時から仕事をスタートして夜の1時くらいまではがんばっている。ときどき「もう休憩してもいいんじゃないか?」なんて思う。そう思うと休憩しなきゃいけない理由がたくさんでてくるし、朝から深夜まで仕事をしてはいけない理由もたくさんでてくる。この仕事があるからそれはできないって感じてしまうこともあるし「おれ、もういっぱいいっぱいだよ」って言いたくなるときもある。でもちょっと前に野網と話していて気づいた。がんばれない理由をたくさん並べられるのと同じくらい、がんばれる理由もあるってことだ。普通の人がムリだって思うくらいの成功をしたければ、普通の人が想像できないくらいがんばらなきゃならない。ここ1ヶ月くらい辛かったけど復活だ。その志望校は受からないでしょ。って誰かに言われたらどうする?受からなくてもいい理由をさがしてしまう?それともがんばれる理由をかんがえる?できないって判断した人は、その人の想像内の努力しかできないって思って話を進めている。そしたらその人が想像できないくらいやってやればいいんじゃない??面談で気づいたこともけっこうある。できない理由よりもできる理由をさがしてがんばるほうがかっこいいでしょ。まだまだ成長できそうだ!!がんばるぜ!
July 14, 2009
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教育の中でも 『親からの教育』っていうのはとても大事だ。中学生に親が「○○高校にいきなさい!」って言うの変だなぁとおもう。高校生に「○○になるために勉強しなさい」「そんな職業には就いちゃだめだ!」というのも変だとおもう。なぜって、それは成長してから子どもに強制することではないからだ。食事のマナーが悪い、好き嫌いがおおい、立ち振る舞いに品がない etc...は、よく「育ちが悪い」と言われたりするように少なからず世間では、日常の何気ない行動は教育によるものだという認識がある。だとすると、思想も同じかな。戦時中のこと、または宗教色の強い地域のことを考えてもいい。「いい・わるい」の判断は教育によって形成されるもの、といえるだろう。もしも、進学校に行かせたいという願望があるのなら自然と子どもが「勉強することは普通」「がんばることが普通」というようにちいさいときから教えていくのが大事なんじゃないかなぁ。そうすると強制されている感じがしないから自主的にやっていると思えるから勉強が嫌いにならないんだ。いまから部屋の掃除をしようと思っているときにお母さんに「部屋を掃除しなさい!」って言われた途端に掃除をしたくなくなったこと、あるでしょ?もう、なにかを強制された時点でそれについては人並み以上には伸びないと思うわけ。自分でやりたいと思わないとがんばりもきかない。さらに、好きだとどんどん吸収できる。勉強がきらいじゃなかったぼくは、お母さんに「じぶんでしなさい。」「じぶんで決めなさい。」っていつも言われていたような記憶がある。思い返してみると、塾に通いだしたとき「勉強も運動もできたらかっこいいでしょ? わたしは塾に通うのもいいと思うけど、大輔はどうおもう?」と聞かれた。あれは完全に乗せられたね(笑)誘導尋問。いかにも自分で始めたような気分だった。ぼくの場合は、中学生になったころから得てして『親の強制力発動』はいい結果に進むことがなかった気がする。(最低限のことは強制するべきだと思うが)
July 7, 2009
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なかなかブログを書く時間をとることができなかった。いままでブログを書いていた時間を授業準備にあてて、新しいテキストを作成していたから。新しいテキストは高校3年生、高卒生用の数3のもの。いままでよりも生徒のレベルがあがったので解くことのできる問題数が多くなり、時間のかかる問題も扱うことができるようになった。そこで旧版の『Repetetion』大幅に改定した『Repetetion+』ができている。同系統の問題を増やし、同じ方法が何度も使えるようになり2つ以上のポイントを含む問題もいくつか付け加えた。かきたいことが貯まっているので徐々に書いていきたい。
July 5, 2009
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