森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2015.04.29
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カテゴリ: 行動のポイント
私はおじいさん子であった。小さい頃はおじいさんの後ばかりをついて回っていた。
またおじいさんは私をよく可愛がってくれた。今も懐かしく思い出すことがある。

そのおじいさんは炭焼きの名人であった。いつも上等の炭を焼いていた。
炭を焼くには山をきれいに掃除する。小枝は火を焚くときに使う。
余った小枝は家に持って帰って風呂の焚きつけやかまどで使うのだ。
背中に背負わされて山道をかけ下りたことを思い出す。炭窯は土で作られていた。
後ろの方にブリキの煙突があった。
その窯の中に適当に切られたクヌギのような木をきれいに並べていた。
並べ終わると、入口のところで火を焚くのだ。

おじいさんはその間炭焼き小屋に寝泊まりしていた。
3日ぐらい経つと煙の色が変わってくると言っていた。
最初は黄色い煙が出る。そのうち青い色に変わるとそろそろ火をとめるころあいだ。
火をとめて窯に泥土を塗りたくって、酸素を断つのだ。そのままにして一晩置くのである。
口で言うのは簡単だが、ここは経験と勘がものをいうところだ。
泥土を塗りたくるのが早すぎると生焼けになって炭にはならない。
反対に遅すぎると焼けてしまって灰になるのだ。
おじいさんはそのタイミングを計るのが上手だったのだ。
近所の人がおじいさんによく相談に来ていた。

おじいさんは仕事の合間には遊び相手になってくれた。
木の名前、山に咲く花、松茸の生えるシロの場所も教えてくれた。

木を使っておもちゃも作ってくれた。
みかん箱にタイヤもどきに丸太を4つつけた車は大のお気に入りだった。
大きな枝ぶりの木にブランコもかけてくれた。
昼にはよく焼きおにぎりやあんこ入りの餅を焼いてくれた。
小枝で作った箸も作ってくれた。山で食べるご飯はとても楽しみであった。


マムシがいると喜んでとっていた。精力増強になるといっていた。
家に持ち帰り藁ぶき屋根に何匹も串ざきにしているので気持ちが悪かった。

今考えるとおじいさんの毎日の生活は遊びみたいなものだったのかもしれない。
実際やることなすことがイヤイヤする仕事ではなく、遊びのようなものだった。
家族の生活に必要なことを楽しみながらこなしていたのである。

92歳で亡くなる数日前までこんな調子であった。
私はそのおじいさんの血を引いているのだと思うと誇らしく思うことがある。





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Last updated  2015.04.29 18:09:39
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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