2011
年に
75
歳で亡くなった立川談志師匠の弟子である立川談春の著「赤めだか」
(
扶桑社
)
に、立川談志師匠が弟子を育てるときの言葉が残っています。
「あのな坊や。お前は狸を演じようとして芝居をしている。それは間違っていない。正しい考え方なんだ。
だが、君はメロディーで語ることができていない。不完全なんだ。
それで動き、仕草で演じようとすると、わかりやすく云えば芝居をしようとすると、俺が見ると、見るに堪えないものが出来上がってしまう。
形ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。
型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。
どうだ、分かるか?難しすぎるか。結論を言えば、型を作るには稽古しかないんだ」
成長するためには、形ができていることが必要で、そのためには稽古しかない、という主張なのですが、その型とは先人達から伝承される知識と応用技術のことを指します。
そして先人たちの知識と応用技術を受け継ぐためには、まずそのすべてを教えられる通りに覚えることです。
逆に考えれば、成長を阻害する要因は、未熟な頭で先人たちの知識と応用技術にケチをつける。不用と決めつけたりして、すべてを受け入れないことにあります。
ところが、表面的な個性が格好良いと思われるようになった現代では、自分の意見を表に出すことをよしとする風潮が強いように感じます。
立川談志師匠は、まさしくそのような考え方を戒めているのです。
(理不尽な評価に怒りを感じたら読む本
藤本篤志
ダイヤモンド社
183
頁より引用)
武道に「守・離・破」という言葉があるが、この事と同じことを言われているのだと思う。
つまり武道では、最初は師匠の技を真似して身につける。
技が身についたら、自分の独自のもの付け加えてみる。
そして最終的には師匠とは違った自分のオリジナリティを開拓していく。
これは森田理論学習に即して考えるとどういうことか。
私たちは神経質性格を持ち、神経症で苦しんできたわけですが、そういう人たちが社会に適応していくためには、独りよがりの生き方を打ち出していくより、まずは森田理論を学習していく。それも謙虚な気持ちで徹底的に学習していく。
その際、最初に森田理論の基礎知識を学んでいく。
神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、認識の誤りなどである。
その次に、私が提唱している「森田理論全体像」を頭に叩きこんでいく。
次にその中で述べている森田理論の
4
本柱を深耕していく。
森田理論学習は、より深く学習することは必要ですが、ある程度学習が進んだ後は、思い切って学習一辺倒から離れてみることも重要になるのではないでしょうか。
帚木蓬生氏の「生きる力 森田正馬15の… 2025.11.27 コメント(2)
論語の「知好楽」という言葉の応用について 2025.09.08
天才・奇人・変人はどう生きていけばよい… 2025.05.03
PR
Keyword Search
楽天星no1さん
メルトスライム25さんCategory
Comments
Calendar