森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.04.19
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作家の三島由紀夫は強い完全主義者であったと言われている。
彼は約束事を重んじることで有名だった。
自分自身、遅刻したこともなかったし、誰かが遅れてきたときには15分以上待つこともなかった。
作曲家の黛敏郎とオペラの仕事をしたとき、黛敏郎の作曲が締め切りに間に合わなかった。
黛敏郎は詫びを入れ、上演時期の延期を申し出たそうだ。
ところが三島由紀夫は、そのその提案を無視して作品の上演自体を取りやめた。
以降、三島由紀夫は、黛敏郎と絶縁した。

最初、予定された通りでなければ、妥協してまで行おうとはせず、むしろ白紙に戻してしまうのである。
約束を破る人を大目に見るということはできなかったのである。

彼は大蔵省に勤めていたとき、家では午前2時ごろまで執筆して、朝早く仕事に出るという生活だった。
睡眠時間は3時間から4時間だったという。さらに、原稿の締め切りを1度も破ったことはない。
どんなに酒席で盛り上がっていても、 10時になるとさっと切り上げた。
極めて厳格的、禁欲的で、自己コントロールの利いた生活ぶりだったのである。

三島由紀夫の小説家としての絶頂期は、 29歳の時に刊行した「潮騒」、31歳の時の「金閣寺」、 「永すぎた春」である。残念ながら、その後刊行した小説の売れ行きはよくなかった。
三島由紀夫の不振とは裏腹に、大江健三郎など、次世代の作家の作品が世間の話題をさらい、売れ行きでも三島をはるかに超えるようになった。
さらに追い打ちをかけたのが、川端康成がノーベル賞を受賞したのである。
三島由紀夫自身も毎年ノーベル賞候補に挙がっていたが受賞することはなかった。
40歳を過ぎた三島由紀夫の関心は、自分の人生をいかに劇的に締めくくるかに向けられていたようだ。
自衛隊での自決当日に最後の作品が編集者に渡るように段取りしていたという。
最後まで原稿の締め切りを守り、予定していたシナリオ通りに人生の幕もおろしたのである。

不完全な人生に耐えられなくなって最後は二人とも自殺している。

あまりにも完璧を目指す生き方は、順風満帆で成功している間は問題はない。
でも人生山あり谷ありが普通である。完全主義者は谷の時につまずく。
一度歯車が狂い、自分が思っているように事が運ばなくなると、不完全な自分を許せなくなるのである。長所も欠点の数だけあるという見方ができないのである。
また人生には波があるという認識がないのた。歯車が狂うと全部が悪いような気がしてくる。


普通神経症の人はちょっとした体の不調を見逃すことができない。何度も病院で検査を受ける。
対人恐怖症の人は、必要以上に他人の評価が気になり、人前に出ることが億劫になる。
不完全恐怖の人は、取越し苦労だと分かっていても、戸締まりやガスの元栓にとらわれる。
完璧を求めるあまり、日常生活が停滞し、自分を否定し、対人関係がぎくしゃくしてくる。

岡田尊司氏は、完全主義に陥る原因は、一つには親の育て方に問題があると言われる。
完全主義にこだわる人は小さい時から、優れた結果を残したときしか評価されなかった人である。
優れていなければ、価値がないという親の価値観に縛られて育っていることが多い。
つまり、それは本当の意味でその子の価値を肯定され、愛されたと言うよりも、優れているという条件付きで、愛情や承認が与えられたということなのである。
親の要求水準に達しない期待はずれの子どもは、否定され叱られることが多かった。
親から無条件の肯定という形で、承認を与えられてこなかったのである。
それが、大人になっても完全・完璧な人間でなければ、自分は社会に受け入れてもらえない。
他者から愛されることがなく、認めてもらえないと生き延びていくことはできないというトラウマになっているのである。

岡田氏は、不完全な存在こそが安定したものであり 、それを受け入れ、さらけ出せることが、人から受け入れられ、愛されることにもつながるのだといわれる。
うまくいかないことや、思い通りにならないことがあっても、それはそれで人生の醍醐味だと受け止める。うまくいかないことにも何か意味があるはずだと、そこから何か宝物を見つけ出す心がけが、その人を幸福にしていくことだろう。苦労や失敗もまた楽しめばよいのである。
もちろんうまくいっているときには幸せを満喫すればよいが、うまく行かない局面では、またそれだけの味わいがあるものだ。
後から考えれば、うまくいかないことばかりで苦しんでいたときは、 一番必死に生きていた時だという感慨を覚えるものである。
成功する時の輝きもよいが、苦悩し悶々と過ごす日々は、もっと深い人生の味わいを教えてくれる。
なんともいえない切なさや悲しみ、悔い、無念さ。そうしたネガティブな感情こそ人生を人生たらしめているものなのである。

幸福なだけの人生など、甘いケーキばかり食べさせられるようなもので辟易してしまうだけである。
幸か不幸か、誰の人生も良いことと悪いことがほどよく織り交ぜられているものだ
その人がどれだけ幸福かは、よい事が人より多く起きるということではなく、悪いことにもどれだけよい点を見つけられるかなのであるといわれている。この考え方は森田理論に通じている。
(あなたの中の異常心理 岡田尊司 幻冬舎新書参照)





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Last updated  2017.04.19 06:20:04
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