森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.09.13
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森田先生は「修養」という言葉をよく使っておられる。
一般には聞き慣れない言葉だが、この言葉の意味するところを考えてみた。
国語辞典によると「修める」の意味は、人間としてよい具合に落ち着いている。 「身」とか「行ない」についていう言葉だという。
「養う」とは、少しずつ作り上げていく。実力を養う。体力を養う。英気を養うなどというふうに使う。よくわからないが、何となくイメージは分かる。
一般的な精神修養では、観念的に自分の生きていく道を模索していくという意味に受け取られている。

私は森田理論を学習し、生活の中での応用力を磨いていくというふうに考えている。
だから森田理論を勉強して、人に解説ができるように知識が増えただけでは、「修養」ができているとはいえないと考えている。森田理論を体得し、日常生活の中で活用できていかどうかが欠かせない。
この2つが相まって、 「修養」の進んだ人と言えるのではないかと考えている。

森田先生のところへ入院しているような人は、どちらかと言うと、観念的な人が多く、森田理論を頭の中で理解しようとする傾向が強かった。

そこで森田先生は、 「修養」という言葉を説明するにあたって、実際に生活の中で「実行」するという言葉を多用されているのではないかと思う。
バランスを取り戻すためには、森田理論をこねまわすのではなく、ともかく実行に力を入れられたのである。実行が先で理論は後であるという考え方だ。理論は実行の後でいくらでも後付できる。

森田先生は「修養」について、次のように説明されている。
修養は、ともかくも実行である。私に接近し、私の気合いに触れねばならぬ。
この感覚を受けることを薫陶といいます。この気合いで神経症が治るのであります。
つまり思想を排し、直覚と実行とから出発するということを強調しておられる。
修養は実際を離れてはいけない。実際と修養とが、不即不離でなくてはならない。
禅では、 「事上の禅」と言って実際でなくてはならない。
いたずらに坐禅のための坐禅では仕方がないのである。
入院修養の目的は、 「事実唯真」を会得し、 「自然に服従し、境遇に従順なれ」ということを実行することである。
つまり「かくあるべし」を少なくして、事実に基づいてすっと行動できるようになることを目指していたのだ。


便所の汚れたのを見かねて、これを清潔にするのは修養であるが、修養のために、便所掃除をするのは邪道である。
実行すれば神経症が治ると言われて、その目的のために行動するのは、神経症が治るどころか、ますます増悪していく。自分の気になる症状に注意や意識が集中するからである。
修養というのは、その人、その境遇、その場合、その時に応じ、必要に応じて、その目的に対して、ベストの努力をする。そこに修養があり、創造があり、進歩があるのである。
結局は目の前の仕事や家事に「ものそのもの」になりきって実行していくことである。
(森田全集第5巻 31頁、 191頁他引用)





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Last updated  2017.09.13 06:30:05
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
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