生きがいというものは、人間がいきいきと生きていくために、空気と同じようになくてはならないものである。しかし、私たちの生きがいは損なわれやすく、奪い去られやすい。
人間の生存の根底そのものに、生きがいをおびやかすものが、まつわりついているためであろう。
(生きがいについて 神谷美恵子 みすず書房 94ページより引用)
私も「生きがい」というのは神谷美恵子さんが言われるように、人間にとってなくてはならないものであると思う。
では「生きがい」はどのように見つけて行ったらよいのだろうか。私の体験を話してみたい。
神経症に陥ってしまうと、普通の人は神経症を治すことに専念するようになる。
神経症に陥ることによって、自分の課題や問題点がはっきりすることはよいことだ。
それが神経症治すという生きがいにつながるからだ。
神経症の克服に向かって、薬物療法、カウンセリング、様々な精神療法に取り組むことになる。
その手段の1つとして森田療法と森田理論学習がある。
私の場合は、薬物療法、内観療法、そして最後に森田療法に行き着いた。
弾みがついて今では人生観の確立を求めて森田理論学習を精力を傾けている。
学習すればするほど味わい深いものがある。
運命の糸が私を森田に導いてくれたのである。
そしてその小さな生きがいがどんどん膨らんできた。
こうしてみると、私は対人恐怖症になったことが、生きがいを見つけることにとても大きな影響を与えてくれた。対人恐怖症があったおかげで、それを克服したいという意欲がとても強かった。
継続したおかげで、やがて森田理論の学習と実践が生きがいになった。
その克服の過程で、神経症の成り立ち、神経質性格の特徴、感情の法則、行動の原則、不安と欲望の関係、生の欲望の発揮の仕方、 「かくあるべし」を自覚して、事実本位に生きる生き方などを学習した。
その後、神経質性格者としての生きる指針のようなもの獲得した。
副産物として、貴重な多くの学習仲間と知り合いになることができた。私の財産となった。
考えてみれば、神経症でアリ地獄中に落ち込んでいる時は苦しくてやり切れなかった。
八方塞がりで脱出の手がかりは見つからなかった。
たまたま本屋で長谷川洋三氏の「森田式精神健康法」に出会った。
その本と巻末に書いてあった生活の発見会の紹介が私に幸運にも呼び寄せた。
その出会いはなかったならば、薬物療法で急場をしのぐだけで終わっていたかもしれない。
対人恐怖症という生きづらさを抱えて一生を終えたに違いないと思う。幸運だったのだ。
現在は、その体験を踏まえて、このブログで森田療法理論について投稿している。
本も3冊書いた。また地元の集談会に毎回参加して仲間との交流を続けている。
生きがいを見つけると言う事は、人とのつながりの中で発見できるし、その交流の中で大きく膨らんでいくものではないかと感じている。
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