町田貞子さんのお話です。
「自分の手でやってきた事は、できるだけ手放さない」
この方針でやってきて、本当によかったと思います。
自分の気持ちの持ちようで、大切な自分の能力の1つを失わずにすみ、しかも新たな自信、喜びまで得られたのですから。
毎日を力いっぱい生きていれば、今日の自分に満足できて、 「よくやったね」と、褒めてあげられる。
自分を心から褒めてあげられるというのは幸せです。
80代の年齢になると、子供たちの家族と同居して、炊事、洗濯、掃除など身の回りのことまで、お嫁さんや娘さんにやってもらっている人もいます。
だけど、見ていますと、どうも、人に頼って生きている人の方が、早く亡くなる傾向があります。
というのも、 1度、家の中のことを人に任せ始めると、どんどん、その種類や数が増えていきます。
そのほうが楽だからです。最初は肉体労働だけだったのが、そのうちちょっとした事、例えば手紙を書くのさえ、自分で書くのが億劫になり、代筆してもらうようになります。
そして、やがていろいろなことが自分ではできなくなってしまうのです。
今まで自分の手でやってきたものを、いちど手放してしまうと、自力ではもう二度とできなくなってしまうのです。
実際、昨年までの私は、天窓や高い場所の掃除も、はしごをかけて上って自分で拭いていました。
でも、背中に怪我をした後、いちど人に頼んでしまったら、もう二度と、はしごをかけてまで掃除をする気にはならないのです。
(娘に伝えたいこと 町田貞子 光文社文庫 203ページより引用)
この話は森田理論学習をしている人にも参考になります。
私たちは、日常茶飯事を丁寧にこなして行く事が大切であると学びました。
しかし、人間には苦しいことはしたくない。エネルギーを無駄に消耗したくない。
つらい家事はお金を出してでも人にやってもらいたいなどという気持ちがあります。
例えば家族のために食材の買い出しに行き、料理を作ることは毎日しなければならない家事です。
ところがそんな面倒なことはしたくない。お金を出せば簡単に美味しいお惣菜が買える。
外食をすれば、毎日好きなものが食べられる。などと考えて、食事を用意するという日常茶飯事を一旦放棄してしまえば、それが習慣になってしまいます。
人間の基本的な家事である食事作りをいったん手放してしまうと、次第に自力ではできなくなってしまいます。スーパーで買ったお惣菜をそのまま食卓に並べたり、出前をとったり、外食で済ますようになります。そのために、食費が膨れ上がり、自分はますます意に沿わない仕事を続けざるをえなくなるのです。
オランダで渡り鳥の悲劇が紹介されていました。冬はシベリアから渡り鳥が南下してきます。
ある湖にやってきた渡り鳥に地元の人が餌をやっていました。
普通の渡り鳥の日々の生活は、餌を追い求めて動き回っているのが6割から7割くらいです。
ところが、その湖にやってきた渡り鳥はそのような仕事をしなくても、餌にありつけるようになったのです。するとどんなことが起きたのか。
機敏だった渡り鳥がブクブクと太り始めて、最後には飛び上がることさえできなくなったのです。
つまり渡り鳥としての生活はできなくなってしまいました。
人間に媚を売って命をつなぐことしかできないのです。
本来、自分のやるべき事を放棄して、楽な方向に一歩足を踏み込んでしまうと、もう二度と自立することはできなくなってしまうのです。依存する生活に変わってしまうのです。
そういう気持ちはあっても、心と体がついていかなくなっているのです。
依存した生活からは生きがいは生まれません。
そうならないためには、いくら経済的に恵まれていても、楽で依存的な生活に足を突っ込まないことです。その方向に向かえば、人間本来の当たり前の生き方は永遠にできなくなってしまうのです。
これは森田理論学習を続けていれば、肝に命じるほどよく分かることだと思います。
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