イヤだ、恥ずかしい、腹が立つ、嫉妬する、恐ろしい、不安だ、億劫、しんどそう、失敗するかも、たいぎそう、めんどくさそう。苦しそう、やる気がしないなどという気分や感情に振り回されてしまう。
誰でもが感じることである。
感じるだけなら問題は発生しないが、それに重きを置いた生活態度は問題である。
これらの感情に振り回されてしまうと、次第に生活がだらしなくなってしまう。
生活が後退し、怠惰な生活となる。安易に人に依存するようになる。
観念的になり、内向きで思考が空回りするようになる。
人間関係も希薄になり、次第に孤立してくる。
坂道を転がる雪だるまのように、観念と生活の悪循環がどんどんと拡大していく。
このような気分や感情に重きを置いた生活態度は、 「気分本位」という。
例えば、毎日の食事の後の皿洗いです。気分が乗らないので、食べたあと、食器を洗う気がしません。
流しにそのままにしておいて、食器棚から別の皿を出して、スパゲッティーでも食べます。
あるいは山積みになっている食器の1枚か2枚をそそくさと洗って、インスタントのチャーハンを食べます。そのうち皿がなくなれば、紙皿や紙コップを買ってくるようになります。
流しの中は汚れた食器の山のままです。やはり洗う気分にならないので放置しておくしかありません。
このような気分に左右された状態を他人が見れば、怠惰と言うしかありません。
これに対して、目の前の日常茶飯事や仕事、勉強や家事、育児などのやるべきことに手を出していく生活態度を、 「目的本位」 「物事本位」といいます。
日々の生活では、しなければならない仕事、急がれる仕事、大切な仕事が山積みになっています。
考えれば嫌な気持ちになり、ため息がでるでしょう。それはそれでいいのです。
嫌な気持ちのまま仕事に着手することが大切なのです。
この生き方は、気分や感情に翻弄されない生き方である。目のつけどころが違うのである。
嫌な気持ちを持ったまま、仕事、勉強、育児、子育て、介護、日常茶飯事、親戚や町内会の付き合いなどに手をつけていくのである。
行動・実践していれば、気分や感情はいかようにも変化してくる。
後から考えると、 「気分本位」に陥らなくてよかったということになる。
だいたい気分や感情というものは、新しい行動をとることによって、新しい感情が発生する。
そうすれば、どんなに不快な古い感情であっても、しだいに小さくなっていくのだ。
なかなかうまくいかないこともあるだろうが、 「目的本位」 「物事本位」を目指すことで、生活は前に進む。学力や技術が身につく。生活の糧を得て、自分や家族を養うことができる。
実践や行動によって、興味や関心が生まれ、生きがいを持つことができる。
多くの人と友達にもなれる。人間放っておくと気分や感情に左右されやすい。
特に心配性な神経質性格者は、その方向に流れやすい。
そうならないためには、「気分本位」を捨てて、 「目的本位」 「物事本位」の生活態度を身につけておく必要がある。そのために、森田理論学習がある。
そして生活の発見会などの自助組織に参加して、仲間同士で刺激を与え合うことが大事になってくる。
(生きる力 ~森田正馬の15の提言 帚木蓬生 75ページから86ページを参照)
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