法律の「法」という字は、一般的には、社会で人が守るように定められた取り決めと言う意味があります。
注目したいのは、それ以外に、「ある事柄のもととなる普遍的な原理」という意味があります。
その普遍的な原理をこの言葉自体が表しています。
この字を分解すると、水偏(いわゆるさんずい)に「去る」になります。
これは自然界のあらゆる出来事は、絶えず水のごとく変化して流れていくということではないでしょうか。
この話を聞くと、鴨長明の方丈記の一節を思い出します。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
人生の中では、自然災害に遭遇したり、思わぬ事故に巻き込まれたり、大病をしたりします。
その度ごとに悲観的になって生きる勇気を挫かれてしまいます。
人間関係や理不尽な出来事に遭遇して、腹立たしい感情が絶えず沸き起こってきます。
道端で猛犬やヘビに出会ったり、山でイノシシや熊に出会うと、生きた心地はしません。
このような危険に遭遇すると恐怖心でいっぱいになります。
そんなときに、その嫌な出来事や感情にいつまでもこだわる生き方は、自然の流れに反する生き方ではないでしょうか。
川で流された時、必死に岩などにしがみついて、流されないようにありったけの力を振り絞っているようなものです。
川の流れに沿って、川の流れに身を任す方がまだ助かる可能性が高いのではないでしょうか。
世の中は自分の思い通りにならないことばかりですが、それでも大自然は大河や銀河の流れのごとく、絶えず変化し流れてゆきます。一時も同じ場所にとどまっていることはありません。
「岩もあり 樹の根もあれどさらさらと たださらさらと水の流るる」
という古歌があります。
この古歌の意味は、岩や木の根のような煩悩やしがらみの娑婆世界にありながらその中に埋没せず、さりとて超然ともせず、空、無の境地で水が流れるように、あるがままの姿で生きるという意味です。
その流れを止めようとしたり、逆らおうとしたり、無理に流れを変えようとすると苦しくなるのです。
私たちはサーファーのように波を捉え、波に乗ることだけに集中して生きていければ、葛藤や苦悩は少なくなるのではないでしょうか。
私たちもこのような楽な生き方を森田理論によって学び身に付けたいものだと思います。
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