最近児童虐待の報道が毎日のようにある。
これは氷山の一角で、実際には児童虐待、育児放棄のすそ野はかなり広がっているのではないかと推測している。
政府もこれ以上放置しておけないとみて、対症療法的な対策を打ち出そうとしている。
今日はこの問題を今まで投稿してきた記事の中から考えてみたい。
普通子供が生まれると、母親の体の中にはオキシトシンが多量に分泌される。
これが分泌されると、今まで自分ことしか考えていなかったような人が変身する。
子供がいとおしくて仕方がないような気持ちになり、子供のためなら命さえ惜しくないと思うようになる。このオキシトシンの分泌が不十分だと、親は子育てに無関心になっていく。
子供を産んでもすぐに子供を放りだしてしまう。子供も親になつくことはない。
やがて親子の関係を絶って別々に生活するようになる。
オキシトシンの働きが活発だと、その人は対人関係で積極的になるだけではなく、人に対してやさしく、寛容で、共感的になりやすい。
逆にオキシトシンの働きが悪いと、人になじみにくく、孤立的に振る舞うようになり、また過度に厳格になったり、極端な反応をしやすくなる。またオキシトシンは、ストレスや不安を抑える効果がある。
オキシトシンの働きがよい人は、不安やストレスを感じにくく、うつやストレスに関連した病気にかかりにくい。
その差は何によってきまるのか。
その最大の原因は、幼いころに安心できる養育環境で育ったかどうかということなのである。
つまり愛着形成期を、無難に過ごしてきたかどうかがその後の人生に影響を及ぼしているのである。
安心できる環境で育った人は、脳内にオキシトシン受容体が増え、オキシトシンがスムーズに作用するので、その働きがよい。
ところが虐待されたり、育児放棄を受けたりした子どもでは、オキシトシン受容体が脳内にあまり増えないため、オキシトシンの働きが悪く、ストレスに敏感になってしまう。
つまり児童虐待をする親は、愛着障害を抱えている場合が多いということである。
夫婦の二人ともが愛着障害を持っていると、子育てはとても困難になる。
この方面の対策を立てることが大切である。愛着障害を起こさないための子育てを学習する。
愛着障害を起こしている人は、その修復が必要なのである。
もう一つ次のようなことが考えられる。
動物行動学やっているケーニッヒという人が、青サギをたくさん飼っていました。
餌とかいろんなものを十分に与えて飼ってみると、最初はどんどん増えてゆくそうです。
あるところまで増えていくと、そのうちだんだん減ってきて、そして最後には絶滅したそうです。
同じような実験はネズミでもおこなわれていて、環境を整えていくと最初は増えるのですが、やがては減ってしまう。
どうゆうことが起きるかというと、卵を産んでもかえさないとか、子供ができても餌をやらないとか、子育てをしなくなるのです。その結果としてサギが減ってしまうということです。
つまり自分たちの欲望がある程度叶えられてくると、さらに加速がついてくるのです。
自分が自分の人生を精一杯楽しみ、子育てのような面倒なことを嫌がるようになるのです。
子育てのために自分の時間を浪費したくない、お金もつぎ込みたくない、自分の自由にならないものとはかかわりたくない。その結果子孫の繁栄には気が回らなくなるのです。
日本社会も少子化といわれて久しい。
人口減少が続き、将来は7000万人ぐらいまで落ち込むと予想している人もいる。
結婚しない人、結婚しても子どもを作らない人、生んでもせいぜい1人か2人。
それは教育費がかかり過ぎる。養育費がかかり過ぎる。
子どもをたくさん作ると親子共倒れになるという不安がある。
自分たちが出来るだけ物質的に豊かな生活をしたい。
そのエネルギーが過剰になると、子育てには向かわなくなる。
この世に生きている自分さえ楽しく愉快に過ごせればよい。
不足分を次世代を担う子どもたちに期待しようという気持ちは無くなる。
そうしてあくなき欲望の充足に浸っていくうちに子どもたちは少なくなり、子どもたちは将来に希望を見出すことはできなくなっているというのが実態ではなかろうか。
欲望のあくなき追求は、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」のシーンを思い出す。
グルメ三昧でムシャムシャと夫婦で美味しいものをむさぼっているうちに、ブクブクと肥り最後には姿かたちも豚になってしまうという話である。とても見にくいシーンであったが、人間そのものを風刺しているようであった。
欲望は不安という機能を活用して、暴走させてはならないのである。
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