この度、大阪ラプソティ、河内おとこ節、アリランプラストラジの3曲を演奏曲に加えることになった。
私はアルトサックスを担当している。
楽譜が渡されると、全員が家で個人練習をする。
その成果を全体練習で改善して完璧に仕上げるのだ。
小節ごとに区切って、問題がないかどうかを確認していく。
グループの中に音感の優れた人がいる。まあ音楽の先生のような人だ。
その人が全体の仕上がり具合を調整してくれる。
間違って解釈しているところはすぐに指摘される。
テンポ、リズム、休止符、入り方の間違いはすぐに分かるようだ。
難しい指使いで何度やってもうまくいかないところは、楽譜を書き換えることもある。
先生に加えて、演奏仲間からのアドバイスもある。これも貴重である。
私の場合、音感の能力がないので、個人練習の段階では間違いに気づくことがない。
自分勝手な演奏で、一応演奏できるようになると「できた」と言って一人で満足している。
しかしそんな状態で人前で演奏すれば恥をかくだけだ。
他人に客観的な目で出来栄えを判断してもらって、問題がない状態に持っていく必要がある。
お墨付きを思えれば、疑心暗鬼になることはなくなる。
あとは、数多く練習して、楽譜がなくても暗譜で、指先が正確に演奏できるまでに高めていくだけだ。
このやり方が、演奏技術を高める最短の道であることはよく分かっている。
これは森田理論を理解して実践する場合も同じことが言えるのではないか。
例えば、森田理論を長く学習しているのに、パチンコ三昧の人がいる。
外食三昧の人もいる。過保護、過干渉、放任の子育てをしている人もいる。
ネットゲームにはまって夜更かしをしている人もいる。
日常茶飯事にはほとんど手を付けない人もいる。
そして、「かくあるべし」を自分にも他人にも押し付けている人もいる。
不安が抜けきらない。生きづらさがなくならないという人もいる。
そういう生活にどっぷりは待っていると、井の中の蛙のようなもので、自分ではそれが当たり前だと錯覚してしまう。そういう生活でよいのか悪いのかの判断能力は働かなくなっている。
そういう人は、まず他人の前で普段の生活ぶりを具体的に詳しく報告することだ。
生きづらさを解消して、人生観を確立したいならば、これが肝心である。
集談会の先輩会員の中には、森田理論を掘り下げて学習して、実際の生活に応用している人がいる。
そういう人の考え方を聞いてみることだ。反発しないで素直な気持ちで聴くことだ。
本人が気づいている以上に、そういう生活の問題点や弊害について十分な説明をしてくれるだろう。
それがきっかけとなって、自分の生活を見直して、森田的な生活に転換することができる可能性がある。
私の場合を振り返ってみれば、神経症で苦しいばかりの時、集談会の中で、愚直に森田に取り組んでいる人との出会いがあった。
その人の側に陣取り、自分の生活ぶりを包み隠さずに話していた。
するといろんなアドバイスをいただくことができた。励ましもいただいた。
また、森田実践の見本が目の前にあるので、どん欲に自分の生活に取り入れていった。
それが、神経症の克服と森田的人生観の獲得に結びついたのである。
今何となくもやもやしている人は、自分の生活ぶりを赤裸々に告白して、森田を極めた人の見解を素直に聞いてみることをお勧めしたい。
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