森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2020.03.28
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森田先生の話です。
薪割をして頓悟したような事と、しだいに悟る漸悟というようなことがあるけれども、いずれも修養を積んで、その時機に達して起こる事で、その準備がなくて起こるものではない。

まず頓悟ですが、薪割をしていた人が一瞬で森田理論のポイントが分かったというようなことです。本来自分の意識や注意は、きちんと目の前の目的物に向いている必要がある。
神経症で苦しんでいた時は、意識や注意は不安や恐怖、自分の症状などに向いていた。
外に向かうべき意識や注意が、自己内省一辺倒であった。
これが神経症を作り出していたことが、薪割をしていた時に瞬時に分かったのである。
この方は、不安や恐怖を敵視しないで、それらを抱えたまま、物事本位に生の欲望を発揮していけば神経症を克服していくことができる。
ただしこの頓悟は日々実践や行動で努力していかないと、すぐに元の木阿弥になることに注意する必要がある。

1週間の内観療法を受けた人が次のように言われていた。

これからは家族や身の周りの人に対して感謝の気持ちを持って生きていこうと固く心に誓ったという。ところが日常内観をしていなかったため、しばらく経つと感謝の気持ちは薄らいできた。
また自分の「かくあるべし」を押し付けるようになってきたという。
この例に見るように、頓悟は一瞬でポイントを会得するという面がある反面、気を抜くとすぐに元の木阿弥になるのである。

漸悟は対人恐怖症のような強迫神経症の人の治り方である。
「治らずして治った」というような感じである。
一瞬で治るということはない。通常は何年かかかる。
森田理論が理解できて、生活の場で修養や体得を通じて分かる。
何年か経過して振り返ってみると、治るということはこういうことだったのかと分かるような治り方である。不安、恐怖、違和感、不快感は無くそうと努力しても治らないということが分かった人を言うのである。いかにももどかしい治り方であるが、その理屈がきちんと理解できて、治そうとする努力をあきらめた人が、治った人なのである。

そういう人はエネルギーの投入方法が変わってくる。
症状を治すことから、不安の役割や不安と欲望の関係をよく知っており、不安や不快感をむしろ積極的に取り込んで生の欲望の発揮へと方向転換しているのである。
ですから、神経症が治っているかどうかは、その人の生活ぶりを見て判断するのである。

むしろそれらは生活が活性化するにしたがって、その数や量がどんどん増加してきているとみているのである。つまり目のつけどころが全く違うのである。





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Last updated  2020.03.28 11:06:03
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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