森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2020.04.07
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カテゴリ: 生の欲望の発揮
森田先生は涅槃(ねはん)ということを言われている。
仏教用語である。

涅槃というのは、死ぬということである。
死ぬということでは、大往生が頭に浮かぶ。
葬式で、「あの人は長生きされて大往生だった」という話を聞くことがある。
反対に、ガンなどの重大な病気にかかって無念の死を迎える人もいる。
事業に失敗して、何もかも失って、自らの人生に終止符をうつ人もいる。
自然災害、交通事故などに見舞われて、突然に亡くなる人もいる。
国家に洗脳されて戦争で命を落とす人もいる。


そこで、ことさら死に注目してしまうのだが、その人がどういう生き方をし、どういう足跡を残したかに注目してみることが肝心である。
生き尽くせば、死に臨んで恐ろしいことには間違いないが、後悔が少なく、満足感のうちにこの肉体を神様にお返しするという気持ちになれるような気がする。
長らくお借りして大変ありがとうございましたという気持ちになれるのではないか。

森田先生は、死ぬという言葉は、生きるという言葉と対になっていると考えられている。
あざなえる縄のごとしである。
ですから、死ぬという言葉だけを取り上げていくら議論しても仕方がない。
その反面の、生きるということに焦点をあてて思考することが肝心である
涅槃という言葉は、必然的にどう生きたかという生き方にたどり着く。
あるいはどう生きていけばよいのかという問題に結びついている。

森田先生は、今生命体として生きている自分の存在、自分の置かれた境遇や状況、性格、能力、強みなどを精一杯花開かせて、生き尽くすことが何よりも大切だといわれています。
ご自分も喘息などの呼吸器系の疾患で随分苦しまれたが、生ある限り、精一杯、生の欲望の発揮に邁進された。植物人間として長生きするよりも、肉体的に苦しい状況の中でも、目線を一歩上に向けて、どん欲に生き尽くされたというのが森田先生である。


これに関する森田先生の言葉を紹介しておこう。生の欲望の発揮のことである。
人が死にたくないのは、生きたいがためである。
強く偉(おお)きく生きるためには、死もなお辞さない。
石に噛りついても、生きねばならぬ。
この他に、神経質者の往くべき道はない。
(森田全集第7巻 496ページより引用)​ ​​





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Last updated  2024.06.04 09:46:22
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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