森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2024.12.31
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カテゴリ: 生の欲望の発揮
正岡子規は結核を病み、35歳でその生涯を閉じた。
死の前年に書いた「墨汁一滴」に子規はこう記している。

人の希望は初め漠然として大きく、後漸く小さく確実になるならひなり。
(人の希望は初めは大きく、その後はだんだんと小さくなっていくのが普通のことだ)

病床の子規の希望は、初めから極めて小さいものであった。
最初の4~5年間は、遠くまで外出できなくてもよい。
庭を歩きまわることができれば十分だと考えていた。
その後1~2年間は、庭を歩行することができなくても、自力で立ち上がることができればよいと思っていた。
あまりに小さな希望かなと苦笑してしまった。

これくらいは病の神様も許して下さるはずだと思うようになった。
最終的には、私の希望はこれ以上ないぼど小さくなってしまった。
この次は希望がゼロになるときなり。
希望がゼロとなる時期は釈迦は涅槃と言っている。

晩年の子規は脊髄が結核菌に侵されて、寝返りも打つことができなくなっていた。
鴨居に取り付けた紐を操作してやっとわずかに体を動かしていた。
その痛みはいかばかりかと思われる。
私も尿道結石で針の先でつつきまわされるような痛みが続いたときは、不覚にもこのまま死んで楽になりたいと思ってしまった。
放心状態でいつ人生に見切りをつけてもよいような状況である。

子規の創作活動は痛みがいくらか和らいだときであった。
痛みが和らいだとき、意気消沈して何もしないのではなく、ふつふつと創作意欲が湧き出てきたという。

そして人生をあきらめて自分の境遇や運命を否定してしまう。
そしてますますアリ地獄の底に落ちてしまう。

子規の生き方を見ていると、人間はどんなに困難な状況に置かれても希望を捨ててはいけない。
人間から希望を取り去ると生きていけなくなると教えてくれている。
どんなに困難に状況に置かれても、運命を呪い、グチをこぼし、不平不満を口にしてはいけない。


子規は死の一年前でも旺盛な食欲を持っていた。
死病にとりつかれても、旺盛な食欲に支えられて最後まで希望を持ち続けた人であった。われわれも子規にあやかりたいものである。





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Last updated  2024.12.31 06:47:21
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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