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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/29c05c8423994732723758730e829579c1779831.26.2.9.2.jpeg" alt="内田" border="0">最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、西加奈子さんは♪で区別します。今回表示分は*)*「日韓連携論」*「資本主義末期の国民国家のかたち」・日本にとって「最悪の事態」・「環球時報」からの質問への答え・橋本治『「わからない」という方法』の韓国語版解説 ・移民問題の本質・遠ざかる戦争の記憶・「内田樹論第三部」 のためのまえがき・ 勝ちに居着く・ 敗戦から80年・ 日本の現状と危機について ・沈む祖国を救うには・『知性について(仮題)』まえがき・これだけは確かなもの・兵庫県知事選とメディアの役割・自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」・「パンとサーカス」解説・共感ベース社会の陥穽・死ぬってどういうことですか?・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他 ・安倍政治を総括する(目次全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/6056/">ここ</a>)(その84):『 日韓連携論 』を追記<hr size=3 color=green> 内田先生が、日韓連携という希望的なお話しを述べております。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">2026-05-20 <a href="http://blog.tatsuru.com/2026/05/20_0756.html"> 『日韓連携論』 </a>より今、本を8冊同時並行で書いている。そういう曲芸的なことをしなければならなくなったのは、一つには私のような病後の老人に仕事を依頼してくる非情な編集者がいるからであり、一つには私がつい依頼を受けてしまうからである。編集者たちが非情になったのには理由があって、先年私がすい臓がんを患ったからである。「内田ももう先が長くなさそうだ。ならば生きているうちに書かせてしまおう」という焦りが彼らの督促を切迫したものにしている。こちらも生きているうちに言いたいことは言い尽くしておきたい。だから、8冊同時並行という椿事となった。 中に「韓国もの」が3冊含まれている。一つは『日韓連携論』。これは医療経済学者の兪炳匡早稲田大学教授との対談本。一つは『街場の韓国論』。これはロング・インタビュー。もう一つは韓国の政治哲学者ペ・セジン氏との往復書簡。三冊に共通する論件は「日韓連携」である。 「日韓連携」は皆さんには見慣れない文字列だと思うが、私はポスト・アメリカの外交安全保障戦略の基本はこれしかないと考えている。「ポスト・アメリカ」というのは「アメリカ抜きの」という意味である。NATOはつとに脱アメリカの集団安全保障構想にシフトしているし、アジア諸国は中国との連携強化シナリオを検討し始めている。「日米同盟基軸」と呪文のように唱えて「ポスト・アメリカについてノープラン」というのは世界でもたぶん日本だけである。 日韓連携はノープランの日本にとっての「プランA」である。日韓が連携すると、人口は1億7400万人、GDPは6.3兆ドルでドイツを抜いて世界3位。軍事力もインドを抜いて世界3位と言われている。巨大な政治経済圏が東アジアにできる。兪先生と私のアイディアは、日韓が一国二制度で連携して、米中の間に中立地帯を形成し、西太平洋地域を安定させるというものである。遠く明治の樽井藤吉の『大東合邦論』、大正の末永節の高麗国構想、出口王仁三郎の満蒙連邦構想と同根のものである。日韓連携については明治から昭和までさまざまなアイディアが提示されてきた。当初は対等合邦論だったが、それまで朝鮮に対して友好的だった福澤諭吉が「脱亜論」に転ずるに及んで、朝鮮蔑視の機運が醸成された。そして、1910年の日韓併合という植民地主義的な解に流れ込み、日韓連携構想は思想的にも政治的にも破産したのである。 今は国力において日韓の間には一方が他方を併合するというほどの差がない。今度こそ「対等合邦」の夢を果たしたいと在日コリアンの兪先生と私の二人で妄想を逞しくしているのである。 日韓連携論は日本のメディアではまず論及されることのない論件である。これまでお会いした政治家の中で、日韓連携論に肯定的に反応してくれたのは鳩山由紀夫元首相ひとりである。 一方、韓国ではこの論件についての反応がまったく違う。ここ数年、韓国に行く度に「日韓連携」について取材を受け、講演を求められる。聴衆は熱心に聴いてくれるし、新聞も報じてくれる。「日韓連携」が現実的な解であるかどうか、韓国の人たちは冷静に思量し始めている。日本人も潮目の変化に気づくべきだ。(中日新聞「視座」5月号 5月13日) </TD></TR></TABLE><hr size=3 color=green> 内田先生が、日中関係の危うさを説いております。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">2026-02-27 <a href="http://blog.tatsuru.com/2026/02/27_0703.html"> 『資本主義末期の国民国家のかたち』 </a>より平成、令和と二代「明君」が続いた。彼らが国際社会に向けて、日本国の道義性と文化的なクオリティを担保していることに異論のある人はいないだろう。そして、天皇は独裁者になる気がない。日本を独裁制にするためには、21世紀の「昭和維新」を企て、天皇を宮城の奥に閉じ込めて外部との連絡を断ち、「帷幄上奏権」を独占する軍人たちが「天皇の代弁者」として君臨するという胡散臭いシステムを採用するしかない。だが、あまりに既視感の強いこの独裁制モデルを「民主主義のオルタナティブ」として差し出しても拍手はまばらだろう。天皇を廃位して、独裁者が「新皇」の称号を名乗るという「平将門モデル」はさらに人気がないと思う。そう考えると、日本では「民主主義のオルタナティブ」を構想することを天皇制の存在が阻んでいるということが分かる。日本の民主主義を守護しているのは天皇制なのである。 事実、戦後80年間、日本国憲法の下で、太古的起源を持つ天皇制と近代的な立憲デモクラシーは葛藤しつつも共存してきた。2016年の「おことば」は、天皇の「象徴的行為」とは何かについての踏み込んだ憲法解釈を天皇陛下ご自身がなされたという点で画期的なものだったと思う。 その「おことば」の中で陛下は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」という憲法第一条が具体的には何を意味するかについて、新しい解釈を下した。それは「かつての戦地に赴き、そこで死んだ人々の霊を鎮め、災害で苦しんでいる被災民のかたわらに膝をついて慰藉する」ことである。鎮魂と慰藉、それが「象徴的行為」であるというのが新しい憲法第一条解釈であった。これを天皇が国事行為について自分で解釈を下すなど違憲であるといきりたつ人がいたが、私はそうは思わない。憲法第一条における「象徴」の意味を思量する仕事を国民が怠っていたので、天皇陛下が自分でその仕事を引き受けたのである。これは天皇陛下が国民に向けて投げた「ボール」である。これに国民は答える権利があり、義務がある。私はそう思っている。「おことば」発出の直後に「私は天皇陛下の解釈を支持します」というステートメントを私は出した。別にそれを天皇陛下が読むと思って書いたわけではない。この問題提起に返事をするのは国民の権利であり義務だと思ったからそうしたのである。 こういう「やりとり」が存立し得るというところに、日本において民主主義が生き延びるための一筋の道が通っている。私はそんなふうに考えている。話が長くなったので、そろそろまとめに入る。主題は「資本主義末期における国民国家のかたち」である。私の答えは、これに一般解はないということである。「国民国家」というのはウェストファリア条約以後の政治概念であって、人種、宗教、言語などにおいて同質性の高い「国民(Nation)」が「国家(State)」を形成していると、いろいろ便利(特に戦争に強い)というだけの話である。国民国家というのは、昔からあったものではないし、いつまでもあるものでもない(日本だって国民国家になったのは明治維新の時である)。国民国家は暫定的な政治制度である。でも、今のところ私たちの手元にはこれしか使えるものがない。ならば、瑕疵のあるところを補正し、欠落を埋め、圭角を削ぐというby piece-mealな手直しを繰り返して使い延ばすしかない。 さしあたりの急務は、外国ルーツの住民が全人口の3%を占め、このまま増え続ける中で、どうやってNationという概念を上書きしてゆくかという問いである。「日本は単一民族」というような妄想に取り憑かれたまま、昔ながらのNation概念で突っ張ってゆけば、外国ツールの人たちはみな「非日本人」だということになる。現に日常生活のさまざまな場面で遭遇し、協働している人々を「よそもの」として遠ざけ、その権利を制限する排外主義に私は人道的に反対である。それよりは、理解も共感も絶した他者と共生し、協働して「よきもの」を創り出すことができるだけの市民的成熟を日本人がめざすことの方を私は選びたい。その努力を通じてNationの概念はむしろ厚みと広がりを増すだろう。 紙数も尽きたので、ここで筆を擱く。まとまりのない話で申し訳ない。(Greenz, 2月26日) </TD></TR></TABLE> <hr size=3 color=green>以降の全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202602090000/">内田先生かく語りき62</a>による。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603170001/">内田先生かく語りき83</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511290001/">内田先生かく語りき82</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511010002/">内田先生かく語りき80</a>
2026.05.30
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?このところ夏日と梅雨入りのような日が立ち代わりに現れていたが、気象台は沖縄の梅雨入りを発表したようです(5月4日発表)。平年より6日早く、昨年より1日早い梅雨入りです。・・・ということで、『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">【日本のならわしとしきたり】<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/666097396b2a37076607083f6fd0785d92fc4a89.26.2.9.2.jpeg" alt="しきたり" border="0">ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%8F%E3%81%97%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%8A%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9-Town-Mook/dp/4197103212">日本のならわしとしきたり</a></TD></TR></TABLE><img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/93d6654d053b2cb9e80b29f9c0d53250cd4d8e71.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />麦秋この本で、小満のあたりを見てみましょう。<TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">和暦p15<font color="brown"><小満></font><font color="brown">万物が次第に成長して、大きくなること</font> 立夏から15日目ころにを小満の節を迎える。期間は5月15日ころから次の節である芒種の前日までである。小満に入るころは「万物が次第に成長して、大きくなること」であり、なかでも、秋に蒔いた麦に穂がつくころにあたる。「小満」は、その出来具合に「少し満足する」といった意味である。 ちなみに『暦便覧』では「万物盈満すれば草木枝葉繁る」とある。盈満の意味は、広辞苑によると「物事が充分に満ち足りること」。小満は、現時点での出来具合が「まずまず」といったほどの意味。 旧暦時代の暮らしでは、作物、なかでも米麦などの穀物の出来が暮らしと経済を左右していたため、収穫までは目を離すことができない。歳時記は、こうした季節の移ろう状態を短い言葉でまとめた冊子だが、農作業の重要な指針とも、なっていたのである。 また小満は穀物だけでなく、梅、桜桃梅(ゆすらうめ)などの草木が実をつけ始めるころでもある。さらに、七十二候に「蚕起食桑」があり、養蚕の蚕が盛んに桑の葉を食べ始めるのも小満のころだ。 小満の期間の七十二候は、次の通り。 初候「蚕起食桑(かいこ、おきて、くわを、はむ)」 次候「紅花栄(べにばな、さかう)」 末候「麦秋至(むぎのとき、いたる)」</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202505190000/">二十四節季の小満に注目(復刻3)</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202405040000/">二十四節季の立夏に注目(復刻3)</a>
2026.05.20
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『*********************************************************図書館に予約していた『他者の靴を履く』という本を、待つこと5ヶ月半ほどでゲットしたのです。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という作品を読んで以来・・・著者の作品をフォローしているのです。 【他者の靴を履く】ブレイディみかこ著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より“負債道徳”、ジェンダーロール、自助の精神…エンパシー(意見の異なる相手を理解する知的能力)×アナキズムが融合した新しい思想的地平がここに。<読む前の大使寸評>『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という作品を読んで以来・・・著者の作品をフォローしているのです。<図書館予約:(8/14予約、副本8、予約81)>rakuten他者の靴を履く「第3章 経済にエンパシーを」の結論あたりを、見てみましょう。 p89~91<いまこそジュビリーの思考法を> 新型コロナウィルス感染拡大で立ち上がった地域の相互扶助の姿は頼もしい。わたしの近所でも、英国でロックダウンが発表になる前から、自主隔離する人たちの食料の買い出しを行うグループが組織されたり、一人暮らしや夫婦だけで生活している老人たちに定期的に電話を入れて雑談するグループができた。 地域の各家庭の郵便受けに手作りのチラシを入れて協力を募り、相当数の人々がそれに応えてあっという間に草の根のボランティア組織ができた。これは英国の庶民の底力だと思う。これこそクロポトキンのスピリットであり、エンパシーのある社会の姿であり、下側からのパワーである。これだけを見てもアナキズム(self-governedの精神)とエンパシーが繋がっているのは明らかだ。 しかし、今回のような経済の大収縮にあっては、下側の助け合いだけではこと足りない。平時のように「下側からの運動こそが本物」とか「いや上からのロビイングが現実的には有効」とか言って、運動家どうしがトムとジェリーのようにいつまでも仲良く喧嘩している場合ではないのだ。 上からも、下からも、両方から行けばいいのだ。どちらかでなければいけない、という思い込みこそが有害な足枷になる。それは人間が軽やかに動くことをできなくする重くて古い靴に似ている。 グレーバーは、いまこそ人類にはジュビリー()が必要なのだと言っている。ジュビリーとはつまり、奴隷の解放と借金の帳消しだ。 奴隷には、ケア労働者のように、人の生命を預かる仕事をしているのに「シット(クソのような)」賃金しか貰えず、割の合わない責任と労働を負わされている人々もいる。一方では、自分の業務は無意味だと知りながら長い時間を拘束されて精神的に傷を負いながら生きているブルシット・ワーカーたちもいる。 どちらも、学生ローンの支払いだ、税金の支払いだと常に支払いの義務に追われて、そのうえ国の借金まであなたたちが背負っているとか言われ、悪い時代に生まれたと諦め、奴隷のようにただただ負債を返すために働き続け・・・、って、これは要するに、借金のかたに人生を取られているのである。 人生を取られている人だらけになると、社会はゾンビの国のようになる。そりゃ元気もなくなるだろうし、政治が腐敗しようと、地球の終りが近づこうと、知ったことではないだろう。債務の返済でそれどころではないからだ。 これは為政者にすれば物凄く都合のいい状況だ。人々は忙しすぎてゾンビみたいになっているから、どんなへまをやろうと、どんな悪事を働こうとスルーされる。「財政規律が・・・」と言っておけば、増税だろうが公共サービスの低下だろうが「しょうがない」と耐えて黙って働いてくれる。「いや、そもそもその財政破綻の危機って本当なんですか?」という疑問すら人々は抱かない。 上からの債務返済の言いつけを疑ったり、履行しなくなるのはたいへん不道徳なことであり、もはや人間ではなくなると言われているからだ。すでに人ではないゾンビにされてしまっていることにも気づかずに。『他者の靴を履く』4:ブルシット・ジョブ『他者の靴を履く』3:言葉はそれを溶かす『他者の靴を履く』2:外して、広げる『他者の靴を履く』1:はじめに*********************************************************■2022.02.11 『他者の靴を履く』5https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202202110000/
2026.05.16
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『BD 第九の芸術』という本を図書館で借りたのは、メビウスについてもっと知りたかったわけです。宮崎駿や松本大洋に大きな影響を与えたメビウスでしたが、惜しい人を亡くしたものです。<大御所メビウス>p124~126より BDのことはあまり知らなくても、メビウスの名前だけは知っている人は多いはずである。日本のマンガに詳しい人なら大友克洋や宮崎駿に影響を与えた人物だと記憶しているかもしれない。しかし日本では、実際にメビウスのマンガを読んだことがあるという人は少ない。ほとんど邦訳されていないのだから無理もない話だ。リアルタイムで『メタル・ユルラン』誌を読んでいた世代、あるいは海外から作品を取り寄せるような愛好家を除けば、日本ではもっぱらBDの巨匠というイメージが先行し、卓越した画力だけが注目されてきた。 BDの象徴でありながら、メビウスはアメリカ文化の影響を強く受けている。BD自体がアメコミの影響を強く受けてきたのだからある意味で当然ではあるが、アメリカの映画業界の活躍のひとつとってもメビウスの場合は他の漫画家に比べて際立っている。メビウスの作品には、アメリカが中心的な役割を果たした20世紀という時代が刻まれている。 メビウスが「バズーカ」と違って生き延びた理由としては、ジャン・ジロー名義のウェスタン『ブルーベリー』(1965)をヒットさせると同時に、アメリカのコミックスやイラストや映画を肯定的に自作に取り入れたことが挙げられる。日本人には想像しずらいかもしれないが、フランスではウェスタンがBDのジャンルとして定着している。人気の背景には、砂獏の荒野には伝統的なヨーロッパの石造りの重厚な町並みにはない開放感があるからだろう。砂漠のウェスタンと宇宙を舞台にするSFは、フロンティア・スピリットという共通点もある。 メビウスはウェスタンからSFまでこなすエンターテインメント性と芸術性を兼ね備えていた。メビウスはSFやウェスタンという極めてアメリカ的なジャンルで傑作を発表し、アメリカでも成功した数少ないフランスの漫画家なのだ。彼の迫力ある絵や幻想的でユーモラスな世界は、娯楽性を兼ね備えることで幅広い読者層を獲得し、その芸術性や斬新な作風によって既成のBDのイメージからの脱却を推し進めた。メビウスとその時代を概観すれば、アメリカ文化の影響力の大きさとともに、良きにつけ悪しきにつけマンガが子供向けの読み物から後にアートとして評価されることとなるクオリティを獲得していく過程がわかるだろう。ロング・トゥモロー<フランス初、アメリカ進出マンガ誌>p140~141より 師匠になることを笑いながら快諾し、精神的に支えた人物がホドロフスキーだとすると、メビウスの才能を爆発的に開花させたフィールドは、1975年創刊の雑誌『メタル・ユルラン』である。 『メタル・ユルラン』で展開されたメビウスならではの幻想的な世界や高い画力に裏打ちされた精緻な描写は、世界中のマンガファンのみならず映画界にも衝撃を与え、「スターウォーズ」「ブレードランナー」や「エイリアン」といった映画史に残る傑作が制作されていった。 『メタル・ユルラン』の興亡に関しては、当時大学受験もせずに家出同然の状態で同誌に参加したセルジュ・クレールが描いた『日記』(2008)というBDがある。 いわば『メタル・ユルラン』のドキュメンタリー・マンガで、脚色混じりとはいえ実在する人物の舞台裏が生き生きと描かれ、『メタル・ユルラン』の創刊に尽力したジャン=ピエール・デュオネが序文を書いている。(中略) 『メタル・ユルラン』は政治的な有効打となるほどの経済的成功を収めることはできなかったが、フランス語圏のマンガ雑誌がアメリカに進出したことは、BD史において特筆すべきことである。BD業界ではアメリカのコミックスが仏訳されることはあっても、その逆の例は少なかった。 雑誌が担っていた役割や期待は今よりも大きかった。だからこそ政治的な意味づけができたのである。インターネットが普及していない当時、雑誌は情報伝達で重要な役割を果たし、流行の仕掛け役でもあった。 マンガ雑誌は掲載作の単行本を紹介する広告塔としても機能していた。しかも雑誌ならば、購買力のない若者でも気軽に買って読むことができる。グーグルのイメージ検索や大画面テレビも身近にない時代にあって、マンガ雑誌はイメージの魅惑をかきたてる媒体として大きな役割を担っていた。現在、BDの出版社は、日本の「マンガ」の人気との相乗効果もあって活況を呈しているが、雑誌はというとフランスでも日本でも娯楽の多様化やネットの普及によって衰退傾向にある。それだけに雑誌が時代を象徴するというムードは想像しづらいかもしれない。アルザック<『アルザック』>p150~152より メビウスの多彩な画風をウェスタンのジャン・ジローとSFのメビウスに分けたとき、そのSFのメビウスのなかには、略画的な絵柄と細密な絵柄のスタイルがある。メビウスは驚くほどさまざまな絵柄を描き分けながら、それぞれの作品にふさわしいスタイルを探り当てる。『アルザック』では、盟友のフィリップ・ドリュイエにも顕著なアール・ヌーヴォー的な装飾的なコマ割りがなされ、台詞も説明文もないので字幕のないサイレント映画を観ているようだ。沈黙の音色に耳を澄ますべき作品とでもいおうか。 このように写実的に描かれたSFマンガでテクストが皆無というのは珍しい。言葉というノイズを消去し、グラフィックなヴォイスだけで語りかける。メビウスの描線は言語的な意味で編み上げられる表層のネットワークよりも深部へと入り込み、自らの無意識に深く沈潜することによって、読者の無意識に働きかけようとする。 メビウスは『アルザック』の序文で「ひじょうに個人的で、感覚の次元に属するもの」を呼び覚まし、「無意識の周縁にある、意識のもっとも深いレベル」を表わすことを目指したと述べている。たしかにページを操る読者は、無音の世界という夢幻的な感覚を抱くだろう。悪夢の魅惑というべきか、翼竜に跨って空を飛ぶ主人公アルザックが目にするのは、化け物の顔に変貌する女であり、わけもなく襲ってくる怪物だ。夢ほど脈絡のないイメージが続くわけではないが、一般的にマンガの読者が期待しているようなわかりやすさはなく、肩すかしをくらうような結末で物語は断ち切られる。もっともそれこそが幻想文学の短篇の余韻であり醍醐味と言うべきであろう。 そもそも「アルザック」とはいったい何者なのか。《ARZACH》、《ARZAK》、《HARZACK》、《HARZAK》、《HARZAC》、《HARZACKC》と目まぐるしく変わる表記は、メビウスが影響を受けたと公言するレーモン・ルーセルの言語遊戯を感じさせると同時に、キャラクターの自己同一性が保たれていないことがわかる。 こうした言語遊戯は、混沌とした複数の自我を固有名詞へと束ねた主体によって構成される世界とは異なる時空を描くうえで、表現上のアクセントになる。フリージャズの演奏が技術と形式に裏打ちされてはじめて威力を発揮するように、錯乱した世界もメビウスの卓越した画力によって生々しく視覚化されるのだ。『Inside Moebius』和訳より<物語表現>p228~230より 日本ではボードワンは過小評価されている感があるが、メビウスは高い評価を受けている。メビウスの描く絵や線の魅力については言をまたない。あるいは百言を費やさねばならない。他方でメビウスには語り口の魅力というものもある。それが自伝的BDにも生かされている。 実際に話すという意味での語り口は、2009年5月6日に京都国際マンガミュージアムで行われたイラストレーター村田蓮爾との対談で堪能することができた。自伝的マンガ『インサイド・メビウス』から抜け出てきたかのような黄色いTシャツ姿のメビウスは、ユーモアと誠実さを兼ね備えた飄々としたトークを繰り広げ、ペンを片手に実際に目の前で描いてみせた。 講演では何度か「物語表現」という言葉を口にされていたが、このことは物語をいかにして造形するかというメビウスの問題意識を再認識させるものだった。また現代のBDでは珍しくないイラストブック的な形態も、自らがパイオニアだという自負を語っていたのも印象深かった。つまりメビウスは魅力的な絵を描くだけでなくマンガの可能性を追求する革新者でもあるということだ。 すでに触れたようにメビウスは『巨根男』で左右別々のストーリーを同時進行させるという実験的な形式に取り組んだ。話の断片を並べていく作風は『アルザック』では幻想的に、『密封されたガレージ』ではユーモラスに生かされていた。だが残念ながら日本ではメビウスの卓越した画力ばかりが注目され、物語の技法に自覚的な漫画家だということはあまり認識されていない。 ここで取りあげてみたいのは、メビウスの物語る語り口の魅力について、ジャン・ジロー・メビウス名義で描かれた『インサイド・メビウス』(2004-10)という不思議な作品についてである。全貌が明らかにならぬまま現在も続いているシリーズについて論じる難しさはあるが、ほとんど邦訳されていない現状に鑑みれば今のメビウスを紹介できるという利点はあるかと思う。 とりあえず「自伝的マンガ」と記したが、一読すれば一筋縄にはいかない作品だということがわかる。メビウス本人がキャラクターとして登場して、実生活とも重なる【BD 第九の芸術】古永真一著、未知谷、2010年刊<「BOOK」データベース>よりコマの否定、吹き出しのみの構成、メタレベルのストーリー、ダンスとのコラボレーション…ほとんど分類不能、クールジャパンの対極のアヴァンギャルド―古くはバタイユがBDのアーナキーさに注目し、70年代に前衛集団「バズーカ」、90年代に前衛漫画集団「ウバポ」、大御所メビウス、ポードワンなどを紹介しながら、第九の芸術と言われるBDの歴史的背景と表現媒体の可能性を見る、待望のBDアヴァンギャルド論。<読む前の大使寸評>BDという言葉より先に、大御所メビウスを知り、その圧倒的な技量に驚いたわけです。ということで・・・BD(フランス漫画)の中でメビウスが占める位置とか、影響力を知りたいわけです。AmazonBD 第九の芸術
2026.05.10
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?このところ宇宙や占星術の記事を見たり、書いたりしているが『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。このように、二十四節季の紹介に務めてきましたが・・・ついに巡り巡って、(復刻)も五巡目に入ることになりました。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は七十二候でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%8F%E3%81%97%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%8A%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9-Town-Mook/dp/4197103212">日本のならわしとしきたり</a></TD></TR></TABLE><img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/2174580bf1bf8cf1057157811fae3d9b26077e79.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />この本で、立夏のあたりを見てみましょう。<TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">和暦p13~14<font color="brown"><立夏></font><font color="brown">空に鯉幟(こいのぼり)、目には青葉若葉、風は緑の薫風</font> 現行の暦(太陽暦)では、例年5月5日~6日ころが立夏となる。この日から立秋(8月7日ころ)の前日までが「夏」であり、俳句では、立夏から立秋の前日までの期間は夏の季語が用いられる。(中略) 立夏に入ると、大地が緑に染められ、樹木の葉は日々茂り、その色を濃くしていき、体感的にも夏の気配が感じられるころとなる。またこのころは比較的雨量が少なく、風が青葉若葉の色に染められ、文字通り風に香りがあるかのように爽やかな気候となる。ちなみに「風薫る」「薫風」はこの状態を表現した季語である。 このような気候風土をとらえて『暦便覧』には「夏の立つがゆへなり」と書かれている。 誤解されやすい言葉に「五月晴れ」がある。 これは梅雨最中にみられる「晴れ間」のこと。五月晴れの5月は、陽暦では梅雨入りした6月から7月ころになる。 立夏の期間の七十二候は以下の通り。 初候は「蛙始鳴」(かわずはじめてなく)であり、蛙が鳴き始めるころ。 次候は「蚯蚓出」(みみずいずる)であり、ミミズが暖かくなったので地上に這い出てき始めた、ほどの意味 末候は「筍生」(たけのこしょうず)であり、タケノコが生えて来る季節になったことを教えている。 五月のこの季節、陽光が降り注ぎ、動物も植物もその生命力を誇示するかのように、芽吹いたつぼみが一斉に咲き始める。五月を「さつき」と読むのは、早苗を植える時期「早苗月」を略したものだと言われているが、あらゆる花が咲き始める、まさに百花繚乱の季節である。</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202304070003/">二十四節季の清明にに注目(復刻)</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202104190000/">二十四節季の穀雨に注目</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202105050000/">二十四節季の立夏に注目(復刻4)</a>
2026.05.07
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多和田葉子さんが説くヨーロッパの都市がええので、以下の通り復刻して読み直してみようと思うわけです♪*********************************************************図書館で『溶ける街透ける路』という本を、手にしたのです。この本の目次を見ると・・・ヨーロッパ、北米の都市名が並んでいます。つまりそれだけ動き回っていたわけで、パンスカを生み出した人はすごいでぇ。 【溶ける街透ける路】多和田葉子著、日経BPM(日本経済新聞出版本部)、2007年刊<「BOOK」データベース>より揺さぶられる身体感覚。欧州、北米、中東、日本を駆け巡り、自作を朗読し、読者と話した1年。見る、聞く、歩く、触る、食べる。街の表層が裂け、記憶がゆがむ。待望のエッセイ集。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると・・・ヨーロッパ、北米の都市名が並んでいます。つまりそれだけ動き回っていたわけで、パンスカを生み出した人はすごいでぇ。rakuten溶ける街透ける路ロシアなどの近隣国に翻弄されたラトビアの首都リガを、見てみましょう。 p223~226<リガ Riga> バルト諸国を訪れるのは今回が初めてだった。飛行機が綿菓子のような雲の層を抜けて下界に出ると、秋の色に染まった森の広がる平坦な土地が見えた。山どころか、丘ほどの起伏さえ見当たらない。 飛行場から街へ向かう途中、葉を金色に染めた白樺の間に木造の家が間隔をあけて建っていた。元は濃かったのかもしれない塗装のブルーやピンクがいい具合に色あせている。職人が数人、屋根をなおしている家もあったし、まだ壊れたままで人の住んでいない家もあった。 途中大きな河があったので、「なんという川ですか」と運転手に訊くと、返ってきた答えが「ダウ川」と聞こえた。日本語のようなので驚いたが、あとで他の人に訊いて確かめると、この川は本当に「ダウガヴァ」というのだそうだ。 旧市街に入ると、教会も商館もホテルもすべて見事に修復してある。まずは観光の要になる旧市街から修復されていくのだろう。 リガには12世紀にドイツ人たちがやってきて、ハンザ同盟の町として栄えた。それからポーランド、スウェーデン、ロシアなどの国が次々のしてきて随分苦労したようだ。わたしの頭の中では、ラトビアという国はずっとソビエト連邦の一部だったが、1991年に独立してからどんな風になったのか、よく知らないまま来てしまった。 たとえば、独立後、首都のリガから何十万人ものロシア人が去ったと聞いていたが、町を歩いているとロシア語がたくさん聞こえてくる。旧市街の真ん中にはロシア語劇場もあった。 その夜、Tさんの家にパーティに呼ばれていって、いろいろな人と話をした。この町ではロシア語人口の方がラトビア語沈香より多いのだそうだ。ラトビアが独立からは、ロシア人だけの学校も含めて、すべての学校で60パーセント以上はラトビア語で授業しなければいけないという規則ができたが、代々リガで暮らしてきたロシア人たちにはそれが受け入れられず、いろいろ衝突がある。 しかし最近はまたラトビア人の間でロシア語の価値が再評価されてきているそうで、ロシア系の企業も多いし、ロシア語ができた方がいいと考えるラトビア人が増えているらしい。文学部学生のKさんも「〇」と教えてくれた。 ロシア語と言えば、出発の2日前にベルリンでラジオで偶然「〇」というテーマの番組を聞いた。ドイツ統一直後には、東独の人たちはそれまで第一外国語だったロシア語を投げ捨ててしまおうとしたが、最近になって若い人たちが一部ロシア語を見直し始めている。世界は英語化に向かっていると言うが、もう少し眼を凝らして細部を見れば、そうでないのかもしれない。 わたしがリガに着いた週にはちょうど、バルト三国のドイツ語の先生たちの集まりがリガで行われていて、参加者は全部で約三百人というから、ドイツ語の人気もまだまだ落ち目ではないようだ。バルト三国の主要都市にはすべてゲーテ・インスティチュートかドイツ文化研究所またはその両方があり、盛んに活動している。ウン ドイツ語話者でもある多和田さんが、リガでドイツ語の集まりに参加するとは・・・さすがパンスカ話者である。大使が渡仏の際、アエロフロートの窓からバルト海海岸線で輝く明かりが見えたのです。隣の異国人に「あれはどこか?」と訊ねたら、「リガじゃないかな」と答えてくれたことを思い出したのです。『溶ける街透ける路』2:デュッセルドルフ『溶ける街透ける路』1:パリ *********************************************************■2021年07月07日『溶ける街透ける路』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202107070000/
2026.05.02
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