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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)***********************************************************図書館に予約していた『本は友だち』という本を、待つこと4日でゲットしたのです。目次を見てみると・・・「会いたい人に会うように」という章に出てくる人たちの顔ぶれが、なかなか、ええでぇ♪【本は友だち】池内紀著、みすず書房、2015年刊<「BOOK」データベース>よりどんな時も、自分のそばにいてくれる。そっと背中を押してくれる。そんな友だちみたいな本。会いたい人と会うように読み、綴る。本への愛に満ちたエッセイ。<読む前の大使寸評>「会いたい人に会うように」という章に出てくる人たちの顔ぶれが、なかなか、ええでぇ♪<図書館予約:(3/20予約、3/24受取)>rakuten本は友だちこの本でとりあげた人のなかで、杉浦日向子が先ず気になるので、見てみましょう。p12~15<杉浦日向子> 杉浦日向子は絵を習っていた学生時代に江戸文化に魅せられた。大学を中退して時代考証家稲垣史生に弟子入り、日常に及び徹底して江戸の風俗と暮らしを学んだ。何を食べ、何を着て、どのような毎日を送っていたか。何によろこび、何を恐れ、何を楽しみにしていたか。 やがて江戸を舞台に漫画を描き出した。22歳のときの『通言室乃梅』でデビュー。『風流江戸雀』は時代物の作家たちをも瞠目させた。原寸大といっていい江戸人の生活が、あざやかに再現されていたからである。 30半ばで「隠居生活」を宣言して漫画家をやめ、エッセイやテレビの仕事にうつった。漫画を描くのは根をつめる仕事であって、自分には負担がかかりすぎる。体内に巣くう何かが現代医学の手に負えないことをよく知っていた。40歳を寿命のようにして早々と作品集をまとめ、そして数年後、この世の見納めのように旅行をしてから、ひっそりとあの世へと旅立った。 そんなひとりの聡明な女性を思い出しながら『百物語』をひらいてみよう。江戸の風変わりなたしなみをワクどりにしている。百本のローソクを立て、珍しい話を一つ披露するごとに1本ずつ消していって、最後の1本が消えうせ、再び闇にもどったら、おしまい。20代から30半ばにかけて連載した。漫画家杉浦日向子には「」にあたるが、扉につけられたモットーがいかにも若々しい。 いにしえより百物語と言う事の侍る 不思議なる物語の百話集う処 必ずばけもの現れ出ずると 1話が8頁。ときには倍にのびたり、同じ8頁が2話を兼ねたり、単調に陥らないよう巧みな変化がつけてある。小説でいえば短篇、小品、あるいはコントにあたるだろう。おシャレで、味があって、多少とも皮肉で、終りがピタリと決まっている。 おシャレなのは描く技術が優れているからだ。味わい深いのは江戸という時代の見方と関係している。皮肉がまじるのは、どこか現代へのメッセージがあるせいだろう。終わり方がみごとなのは、作者に確固とした美学があったからだ。 「年寄りの詫び住まい、退屈でならないから何ぞ珍しい話でも聞かせておくれ」 ご隠居の求めに応じて、さまざまな人が話しにくる。事実なのか、妄想か、話し手の思いこみか、それとも真赤なウソっぱちか。いったいどうなのか、わからない。わからなくてもかまわない。奇妙な報告が一つまた一つとふえていくにつれて、しだいに姿をあらわし、ゆっくりと黒い影を投げかけてくるものが、まことの「事実」というものだ。(中略) 玄関に人の気配がして、出てみると誰もいない。ただたしかに、今しがた人が去った気配がしないでもない。あくる日も同じことが起きた。玄関の式台をよく見ると、とりすがるような指の跡が4本ずつ残っていた。 「戸をきちんと閉めないとオトナイさんが覗くよと、母に叱られたものだ」 幼いときの記憶が甦った。オトナイは「訪い」だろうと考えた。えたいの知れぬものが戸の隙間から指を差し入れて覗きこむ・・・。(中略) 杉浦日向子は絵物語を通して述べている。遠い昔がこんなにおもしろいのは、そこに血の通った人間がいるせいであって、よろこびや苦しみ、怒り、悲しみに近代的な意識や作為を知らなかった。そこではモノとヒトとが平然とむつみ合い、モノノケが親しげにあらわれる。 虚構を通して江戸という時代の実像をくっきりと伝えてくる。ついでながら『百物語』とうたっているのに99話で終りにするなど、まさしく江戸文化の作法というものである。杉浦日向子『百物語』(新潮文庫・1995年)この記事も杉浦日向子アンソロジーに収めるものとします。『本は友だち』1https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201703280000/
2026.10.13
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)***********************************************************図書館に予約していた『他者の靴を履く』という本を、待つこと5ヶ月半ほどでゲットしたのです。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という作品を読んで以来・・・著者の作品をフォローしているのです。【他者の靴を履く】ブレイディみかこ著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より“負債道徳”、ジェンダーロール、自助の精神…エンパシー(意見の異なる相手を理解する知的能力)×アナキズムが融合した新しい思想的地平がここに。<読む前の大使寸評>『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という作品を読んで以来・・・著者の作品をフォローしているのです。<図書館予約:(8/14予約、副本8、予約81)>rakuten他者の靴を履く「第3章 溶かして、変える」の冒頭あたりを、見てみましょう。p39~40<言葉はそれを溶かす> 1週間ほど仕事で日本へ行き、英国に戻ったら、わたしが在住するブライトンが大騒ぎになっていた。複数のブライトン在住者に新型コロナウイルスの感染が認められ、医師の感染者もいたことから診療所が閉鎖されたりして全国ネットのニュースや新聞で大々的に取り上げられていた。「ブライトンに行くのは安全なのか」という見出しを掲げたタブロイド紙まであり、なんだかこれでは「汚染地域」扱いではないかと思ったが、その時点(2020年2月25日)での英国で新型コロナウイルスの検査で陽性が認められた人の数は9名。そのうち5名がブライトン在住者だった。 こうした事情もあってか、息子が通っている中学でも、アジア系の生徒への風当たりが強くなっているという。もともとアジア系の子どもは、息子曰く「究極のマイノリティー」というほど数が少ないのだが、それだけに目立つ。さらに咳をしたり、ティッシュで鼻をかんだりしていると、周囲の視線が痛いそうで、あからさまに遠ざかっていく生徒たちもいるらしい。「こないだ、バス停に立っていたら、久しぶりに通り過ぎる車の窓から『ファッキン・チンク』って言われた。コロナウィルスがアジア人差別を正当化しているような感じ。黒人差別はダメだけど、アジア人は病気を持っているから差別してもOKみたいな」 フランスの地方紙が「黄色い警報」という見出しとともにマスクをつけたアジア系女性の写真を掲載して人種差別的だと問題になったが、ドイツのデア・シュピーゲル誌(欧州で最も発行部数が多いニュース雑誌だ)も感染防護服にガスマスクを着けた人の写真を表紙に掲げて「メイド・イン・チャイナ」の見出しを打った。また、エコノミスト誌の表紙も、「どれぐらい悪化するのか」の見出しとともに中国の国旗の柄のマスクをつけた地球のイラストを掲げていた。 感染症やウィルスが関わってくると、いつもは慎重にポリティカル・コレクトネスの概念を適用する大手メディアさえ迷走を始める。子どもたちにそうしたムードが伝わらないわけがない。 先日も、テレビで新型コロナウィルス関連のニュースが流れていたとき、息子がこんなことを言った。「今日、授業のために教室を移動していたら、階段ですれ違った同級生の子が、真顔で『学校にコロナを広めるな』って言ったんだ。これはちょっとストレートっていうか、あまりにひどいから、ショックでしばらく棒立ちになってた」「面と向かって言うのはすごいね」「うん。でもね・・・」 と言って息子はわたしのほうを見た。「この話には続きがあって。学食でランチを買うため並んでたら、その子が近づいてきて、すごく申し訳なさそうに『ひどいことを言ってごめんなさい』って謝ったんだ」『他者の靴を履く』2:外して、広げる『他者の靴を履く』1:はじめに
2026.10.12
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)***********************************************************図書館で『ウニはすごい バッタもすごい』という新書を手にしたのです。本川さんの著書の素晴らしさは、前著『ゾウの時間 ネズミの時間』で、よく覚えていました♪ところで、帰って調べてみるとこの新書を借りたのは2度目だと判りました。で、この記事を(その6)とします。【ウニはすごい バッタもすごい】本川達雄著、中央公論新社 、2017年刊<「BOOK」データベース>よりハチは、硬軟自在の「クチクラ」という素材をバネにして、一秒間に数百回も羽ばたくことができる。アサリは天敵から攻撃を受けると、通常の筋肉より25倍も強い力を何時間でも出し続けられる「キャッチ筋」を使って殻を閉ざすー。いきものの体のつくりは、かたちも大きさも千差万別。バッタの跳躍、クラゲの毒針、ウシの反芻など、進化の過程で姿を変え、武器を身につけたいきものたちの、巧みな生存戦略に迫る。<読む前の大使寸評>本川さんの著書の素晴らしさは、前著『ゾウの時間 ネズミの時間』で、よく覚えていました♪rakutenウニはすごい バッタもすごい 「第4章 ヒトデはなぜ星形か」を、見てみましょう。この本の表紙に「デザインの生物学」というコピーがあるように、ヒトデの形に注目する著者の研究スタンスが見られるかも。p133~135 海中の「風景画」には、必ずウニやヒトデが描かれている。ウニもヒトデも、ここが生みだということを示す分かりやすいサインとして、画家に愛用されているのであないだろうか。この仲間は海にしかいない。体は結構大きくて、てのひらサイズはあるし、ほとんどが海底にたたずんで露出している。簡単に見つけられ、棘や星形は目立つ。他の動物門から容易に見分けがつき、とくに星形の体はユニークで美しい。 ヒトデは棘皮動物門に属する動物である。棘皮動物の原語はエキノデルマタ。エキノは棘、デルマは皮。棘皮は直訳である。ウニもこの仲間であり、「皮をかぶった棘をもつ動物」とは、ウニがイメージされている。 棘皮動物には五つの仲間がいる(括弧内は英名の直訳)。ウミユリ(海の百合)、ヒトデ(海の星)、ウニ(海のハリネズミ)、ナマコ(海の胡瓜)、クモヒトデ(壊れやすい星)の五つ。英名だと一つを除いて海がついている。これは棘皮動物がすべて海に住むことの反映である。 唯一名前に海のつかないクモヒトデは、ヒトデの腕がごく細くなってクモの脚のようだというので日本語ではクモヒトデであり、その腕にさわると簡単に切れてしまうため英語で「壊れやすい星」と呼ばれている。 この星形(五芒星の形)をしているのも棘皮動物の目立つ特徴である。ウミウリの仲間は大きくウミユリとウミシダに分かれているが、ウミシダの英語は「毛の生えた星」。ヒトデという和名も「人手」で、五本ののび出た腕をもつ特徴を指している。■棘皮動物の形 この仲間の目に見える特徴を、ヒトデとウニを例にとってざっと説明しておこう。 ・星形:なんと言っても目立つ特徴は、星形をした体。中央に口があり、そこから放射状に、五つの方向に体も器官ものび出た形をしている。その典型がヒトデで、円盤状の本体から、放射状に五本の腕がのびている。動物といえば、ふつう左右相称の細長い体をもっているものだ。口が前、肛門が後ろというふうにはっきりとした前後軸があり、その軸に沿って口を前にして進む。腹は下(地面側)、背は上である。 ところがヒトデの口は地面に向いており、歩いていくのは口とは直角の方向。これでは前後や背腹という、ふつうの動物を記載するやり方が通用しない。そこで棘皮動物の場合、口と管足のある面を口面、その反対側を反口面とし、この二つの面を、体を記載する際の基本とする。肛門は反口面の中央にある。 ・管足:ヒトデをもち上げてひっくり返して口面を見てみよう。口から腕の先端まで、腕の中央を通って溝が走っている。これが歩帯溝。しばらくヒトデをもち上げ続けていると、溝が開いて、中から透明で小さな管がたくさんのび出してきてうごめきはじめるだろう。これが管足。ヒトデの足であり、これで歩く。『ウニはすごい バッタもすごい』1:昆虫の骨格p34~35『ウニはすごい バッタもすごい』2:昆虫と水の関係p69~71『ウニはすごい バッタもすごい』3:巻貝の構造p99~104『ウニはすごい バッタもすごい』4:飛翔の仕組みp50~52『ウニはすごい バッタもすごい』5:棘皮動物p211~214『ウニはすごい バッタもすごい』6:サンゴの共生p16~21
2026.10.11
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)***********************************************************図書館に予約していた『日本語で読むということ』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。かつて『日本語が亡びるとき』を読んで以来、気になる作家である。【日本語で読むということ】水村美苗著、筑摩書房、2009年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ『日本語が亡びるとき』は書かれることになったのか?そんな関心と興味にもおのずから応える、ここ二十年の間折にふれて書きつづられたエッセイ&批評文集。<読む前の大使寸評>かつて『日本語が亡びるとき』を読んで以来、気になる作家である。rakuten日本語で読むということ「Ⅱ章」でパリ留学のお話しを見てみましょう。p116~119<街物語パリ> フランスからの手紙であった。 小母さんの字ではない。差出人の名も長女になっている。封を切れば、小母さんの訃報であった。 そのころ私はついに日本に戻っていた。外国がすべて急速に遠のき、自分がアメリカで育ったというのさえ、夢のようであった。小母さんからも細かい字で一通、二通と手紙がくるが、クリスマスに返事を書こうと放っておく。それが、次は年が明けてからにしようということになる。そうこうしているうちに受け取った訃報であった。 昔、パリに留学した私は、セーヌ川の西に白い一軒家を構える家にあずけられた。女主人が頼まれて引き受けてくれたのである。彼女が「小母さん」であった。 20歳の時である。「ああ、青春は美しい!」 学校へ行く支度をして階段をおりると、小母さんが両手を広げて歌うように言う。私の顔を見ると出てくる、彼女の口癖だった。 最初はお互いに戸惑った。 小母さんの方は、東洋人なのにアメリカ育ちだというので、洋行三昧のタイのお姫様のようなものを想像したらしい。魂消るほどものものしい扱いであった。やがて私の拙いフランス語で色々聞くうちに普通の家の娘だとわかり、安心したようであった。それでも最後まで少し遠慮が残った。 私は一方では有頂天であった。心楽しませてくれるものが山とある。美しい家。おいしい料理。優しい人々。だが一方では、何かが違うという思いがあった。 何しろ家の中に本というものがなかったのである。着いて案内されて客間にない。寝る前に案内された各々の寝室にもない。小父さんの仕事部屋にすらなかった。 本とは無縁の生活であった。「オー・ラ・ラー!ミナエがまた読んでる!」 小説を読んでいると、小母さんが感嘆した声をあげた。 本と無縁なだけではない。芝居も観に行かない。家で音楽を聴くということもない。食卓の会話も抽象的なところはない。サルトルもボーヴォワールもない。 でも暮らしは豊かであった。(中略) 夫婦とも海に面したブルターニュ地方の出身である。小母さんはお菓子屋の娘であった。小父さんは貧しかったらしい。婚約時代、小母さんは店を手伝い、小父さんはパリで苦学をした。当時の小母さんの写真を見ると、豊かな黒髪で大輪の花のようである。小柄でがっしりした小父さんは、意志の人であった。週末になると、パリから丸1日かけて自転車で小母さんに会いに通ったという。どんなに心躍る逢瀬だったであろうか。やがて結婚し、勤勉で頭の良い小父さんは学歴は高くなかったが、とんとん拍子に出世した。 私が家族に加わったころは、丁度豊かになった時分である。小母さんは自分の福を分けるのに大忙しであった。田舎に残っている母親や、すでにパリに出てきている係累の面倒を実によく見た。毎日曜日、昼餐に人が集まった。 そして突然登場した私に対しても、小母さんは当然のようにその福を分けてくれたのだった。母親でもないのに、ゆすぎの足らないセーターを干しておけば、知らぬ間に洗い直しておいてくれた。私の家族が来た時も、食事の世話以外に、枕カバー、シーツ、ナプキン――出したり入れたり洗ったりと休む間もなかったのに、いつも、今や肉のついた大柄の身体を揺すって、大声で笑っていた。『日本語で読むということ』1
2026.10.10
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)***********************************************************<NHK 「ロックが壊した冷戦の壁」(復刻)>昨年末に観たNHK 「ロックが壊した冷戦の壁」が忘れ難いので、ネットで探してみたのです。NHK 「ロックが壊した冷戦の壁」より東西冷戦の象徴「ベルリンの壁」を崩壊に導いた、3人のロックシンガーの物語を拡大版で特集。東ドイツで監視社会への怒りを歌った女性歌手ニナ・ハーゲン。ドラッグや同性愛を赤裸々に歌い、チェコスロバキアで大ブームとなった、ルー・リード率いるベルベットアンダーグラウンド。そして西ベルリンから壁の反対側に向けてコンサートを行ったデビッド・ボウイ。自由を叫ぶ3人の音楽は、冷戦の壁を越えて人々の心を揺さぶった。<大使寸評>ニナ・ハーゲンとデビッド・ボウイが強いメッセージを発していると感銘したのです。NHK『ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生』でもメルケルと論争するニナ・ハーゲンを見たが・・・良い悪いは別にして、これこそロックシンガーの魂なんだろう。ニナ・ハーゲンメルケルの退任式典でメルケルはハーゲンの歌(カラーフィルムを忘れたのね)を所望したそうで・・・これを知ったハーゲンは「フェイクニュースやないか」と喜んだそうです♪『ドイツのメルケル首相 退任式で送別曲にニーナ・ハーゲン「カラーフィルムを忘れたのね」を選ぶ』2021/12/03よりドイツの首都ベルリンで12月2日、16年間にわたってドイツを率いたアンゲラ・メルケル首相の退任式が行われました。送別の曲としてメルケル首相が選んだ曲のひとつは、ドイツのパンク&ニュー・ウェイヴのアイコン、ニーナ・ハーゲン(Nina Hagen)の1974年のヒット曲「Du hast den Farbfilm vergessen(邦題:カラーフィルムを忘れたのね)」でした。式典では軍楽隊によって演奏されています。メルケル首相は、この選曲について聞かれると「この曲は自分の青春時代のハイライトだった」と語り、「この曲は東ドイツで生まれたもので、かつて私の選挙区だった地域では今でも流れている。だからすべてが今日に合っている」と付け加えています。
2026.10.09
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)***********************************************************坂本龍一さんが癌で亡くなったそうですね。大江健三郎さんに続いて、日本が誇る二人の芸術家が亡くなったことになるわけだ。坂本さんといえば映画『ラストエンペラー』の音楽と演技を思い出すわけで・・・過去の日記から以下のとおり復刻してみます。***********************************************************本棚に積んどく状態になっている映画パンフレットを整理していて・・・つい、『ラストエンペラー』の記事にひかれて、読みふけっていたのです。【ラストエンペラー】ベルナルド・ベルトルッチ監督、1987年イタリア・中国制作<商品の説明>より映画パンフレット「ラスト・エンペラー」(1988年刊)、出演 ジョン・ローン/坂本龍一/ジョアン・チェン/ピーター・オトゥール/高松英郎/立花ハジメ<大使寸評>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。amazonラストエンペラーベルトリッチ監督や坂本龍一が語られているので、見てみましょう。<幻影の王国とスペクタクル:武邑光裕> アルベルト・モラビアの小説『コンフォルミスト』(日本公開名『暗殺の森』)を映画化したベルトリッチにとって、『ラストエンペラー』の映画化はまさに絶好の題材であったといえる。2年程前に、ベルトリッチが清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀の生涯を映画化するという話を耳にした時、僕のイメージの中で増殖した作品が『暗殺の森』である。 ヨーロッパと中国という相違はあっても、ベルトリッチが描く中国最後の皇帝の映像っは、ジャン=ルイ・トランティニャンとドミニク・サンダが彷徨したヨーロッパ現代史の森の中へと融解していく。(中略) 『暗殺の森』や『1900年』を延長させるベルトリッチの新作『ラストエンペラー』は、現代史の急変する時代状況の中で翻弄される人間たちの姿を、過去の時空の中で停滞させるのではなく、常に現代の時間軸から遡行していく視点移動によって表現した。そして、ドラスティックな物語の空間は、綿密な構成と計測されたカメラによって、緊張を呼び覚まし、まさに映画的空間における独自のスケールを設定したのである。しかし、ベルトリッチ4年がかりの大作は、興行的に思わぬ強敵と戦わなくてはならなかった。 『ラストエンペラー』の公開と共に、昨年の暮れの映画界に大きな話題を提供していたのが、スピルバーグの『太陽の帝国』である。激変する中国の現代史と絡み合う人間ドラマである『太陽の帝国』は、『ラストエンペラー』同様、急変する中国現代史を舞台とした作品として、タイムリーな話題を喚起していたのである。 すでにロスアンゼルスのチャイニーズ・シアターで一足早く見る機会を持った『太陽の帝国』は、先鋭的なSF作家J・G・バラードの原作になる極めて刺激的な作品であった。最も、原作であるバラードの世界は、限りなくスピルバーグの世界へと移管されており、そういった意味からもスピルバーグという最もメジャーな映画作家が放ったアート・フィルムは、『ラストエンペラー』のベルトリッチと共に、エンターテイメイトとアートの狭間をめぐる大作映画のニュー・スタイルとして大変興味深い作品であった。 ベルトリッチの中国でのロケーション、特に紫禁城ロケは圧巻であったが、スピルバーグの上海ロケを中心とした中国での撮影は、『ラストエンペラー』の映像空間を上回る程の驚くべき密度を持っていた。昨年の2月、スピルバーグの撮影隊とほぼ同時期に、上海に滞在していた僕は、『太陽の帝国』の上海ロケが、すべて上海の街路での実際の撮影であることを直ぐさま確認できた。 何より、スピルバーグの『太陽の帝国』は、『ラストエンペラー』との対比の中で語られるだろうが、この二つの作品は、'87年から'88年にかけてのアメリカ映画に、最も大きな話題を提供することは疑い得ない。私的な余談を付け加えれば、『太陽の帝国』でガッツ石松と山田隆夫、そして伊武雅刀の絶妙な存在感を引き出したスピルバーグの才能には、三船敏郎以来、アメリカ映画の中の日本人像を改変する力学が働いているかに思えたのだ。それは、描出されるキャラクターの設定にこそ違いがあるが、『ラストエンペラー』における坂本龍一にも相通じる文脈を提出させたのである。 ともあれ、かつてヨーロッパの現代史にうごめいていたテロルの人間たちに魅せられたベルトリッチは、イタリアやフランスのヨーロッパ風景の暗部の中に、壮絶な人間ドラマを凝縮してきたが、『ラストエンペラー』における映像ランドスケープは、まさに紫禁城という迷宮の構図に遡行する溥儀の回想と記憶によって織り成されていた。 城郭の外縁に、開かれた世界を求めた溥儀が、ヨーロッパ近代への追慕を断ち切られ、その幻想の王国に写像された満州国に最後の皇帝の意思つなぎとめる時、さらに、文革の中国を生き抜き、10年以上に及ぶ収容所生活を経て特赦された溥儀が、かつて栄華を誇った紫禁城を訪れ、歴史というドラマを演じた自己の存在を透視する瞬間に、人間を覆いつくす制度と思想の回廊が浮上してくるのである。 急変する歴史の回転期に揺れ動く人間のドラマを、中国の巨大な制度変換と写し鏡のように描いたベルトリッチは、その一貫した映像美学の中でスペクタクルという映画の持つパースペクティブを再編する。それは、ビットリオ・ストローラの計測されたカメラであるばかりか、紫禁城を中心に二万人に及ぶエキストラによって設定された壮大な構図にのみあるのではない。それは、ベルトリッチによって描かれたグラン・ロマンが放つ、映画そのものの愉楽に起因するのだ。 2時間43分に及ぶ長尺の物語が、暗闇に身を沈める画像体験であるという最も基本的な抑制であることを考えれば、この物語を形成させうる巨大な力とは、映像によって放たれる俯瞰や鳥瞰のロング・ショットに写し出される壮大さと、細部に宿る神ならぬディティールの意匠との緊密な対称構図である。(中略) 溥儀の乳母の乳房に始まり、皇帝のみが着用できる黄色の服、大統領の自動車、ピーター・オトゥールが演ずる英国人家庭教師レジナルド・ジョンストンがもたらす自転車とテニス、そして坂本龍一が演じた甘粕大尉の映画カメラに至るまでのディティールは、実はオーソドックスを装う映像の組織的な運動が、極めて細部にわたって設定されていることの証左あるといえる。 ベルトリッチが設定した歴史の時間運動は、人間の時間がどのように歴史という時間に仕組まれていったかを、裏返しで投射することで、多彩な人間模様を描出させ得たのである。愛新覚羅溥儀が、制度の変換の中で固執した幻影の王国が満州であれば、甘粕が固執した満州は、まさに映画カメラの中でのみ機能する幻影の王国であり、日本の民族支配におけるイニシエーションを象徴する現実のシミュレーション映像でもあった。 溥儀のジョン・ローン、甘粕の坂本龍一という興味深い体面も、この映画を飾るハイライトである。『戦場のメリークリスマス』以来、映画俳優と音楽監督として参加した坂本は、ベルトリッチのスタイリッシュな演出と設定を借りて、極めて印象深い役柄を演じたといえよう。デビッド・バーンとスー・ソンとの競作となった音楽も、全篇、坂本龍一の手によって入念に仕上げられている印象を持った。 映画音楽という緻密で綿密な作業が、ベルトリッチの映像と絡み合う瞬間も、いわば映画が所有する映像の組織運動であれば『ラストエンペラー』における坂本の才能は真にワールド・ワイドな時空へと開花したのである。『ラストエンペラー』と『太陽の帝国』の制作が同時進行していたのか・・・CGXのない時代だから現地撮影とエキストラの大量動員が欠かせないわけで、中国側の協力が成功の前提条件だったようですね。映画パンフレット『ラストエンペラー』:関東軍によってつくられた「満州」という国
2026.10.08
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で『浮世絵に見る江戸の食卓』という本を手にしたが・・・にぎり寿司、天ぷら、うなぎ、蕎麦など現代でも愛される食文化が江戸時代に確立していたことがすごいと思うわけでおます。【浮世絵に見る江戸の食卓】林綾野著、美術出版社、2014年刊年刊<商品説明>より食のシーンは、浮世絵の世界に度々描かれてきました。鰹の初売り、夏の白玉、雪中の蕎麦屋など。そこには今もなお受け継がれる食文化があり、また失われてしまった食習慣に気づくこともあります。食を描いた浮世絵を紐解きつつ、そのレシピも紹介する一冊。<読む前の大使寸評>にぎり寿司、天ぷら、うなぎ、蕎麦など現代でも愛される食文化が江戸時代に確立していたことがすごいと思うわけでおます。rakuten浮世絵に見る江戸の食卓《園中八撰花 松》屋台で普及した、「天麩羅」を見てみましょう。p30~31<天麩羅> 今まさに食べようとしているのは、海老の天麩羅。くるっとまるまった形、衣の下にうっすら赤い海老の色が透けて見える。尻尾は落とし、薄めの衣で揚げた天麩羅だ。奥には汁を入れた青い器が見える。 天麩羅は、寛永元年に出された、36種の献立を紹介する『歌仙の組糸』に作り方が記されている。魚介に小麦粉と玉子を練った衣をつけ、油で揚げるという方法は今とあまり変わらない。『守貞マン稿』によると具材は「あなご、芝ゑび、こはだ、貝の柱、するめ」など。 魚介を揚げたものを天麩羅と呼び、野菜を揚げたものは、野菜揚げ、精進揚げなどと呼ばれた。国芳がこの絵を描いた頃、天麩羅はすっかり江戸の屋台料理で定番となっていた。 火事の多い江戸では、室内で油を使うことは禁じられていたため、屋台でまずは普及し、値段も安かった。蕎麦屋で蕎麦が一杯十六文、そこに芝海老の天麩羅を3、4つのせると三十二文。江戸の屋台や蕎麦屋で天麩羅は気軽な食べ物として親しまれたのだ《源氏雲浮世画合 桜丸女房八重》お次は家庭料理でもある白和えを見てみましょう。p68<すり鉢の恩恵 濃厚な江戸の白和え> 歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の1シーンを描いたこの絵では、大きなすり鉢とすりこぎが存在感を放つ。桜丸の妻である八重は、ある祝宴のためにこれから料理の腕を振るうところである。微笑みながらすりこぎを手にする姿は、「さあ、これから料理しよう」という気負いを感じさせる。 江戸時代、丹波焼や堺の湊焼など、丈夫なすり鉢が出回るようになり、庶民にも普及し、料理の幅がぐっと広がった。豆腐、味噌、胡麻、それぞれをすり鉢でする白和えは、江戸で親しまれた豆腐料理のひとつ。『豆腐百珍続編』にも登場し、魚介類を和える調理法が紹介されている。普段の食材に、もう一手間かけるだけでできる気の利いた一品である。『浮世絵に見る江戸の食卓』1
2026.10.07
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************先日『「中国」という神話』という新書を読んだのだが、この本の著者・楊海英はモンゴル・オルドス高原生まれで漢民族に対しては対抗心を隠そうとはしないのです。いわゆる新疆人の怨念とでもいいましょうか。その熱い思いが冷めやらぬうちに図書館で『モンゴルの歴史』という本を手にしたのです。この本の著者は日本人なので、客観的なモンゴル歴史が見られるのではないかということでチョイスした次第です。*********************************************************【モンゴルの歴史】宮脇淳子著、刀水書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より16年前に世界初のモンゴル通史として誕生、昨年はモンゴルでも訳書完成。今までも、これからも最高のモンゴル通史はこの1冊です!<読む前の大使寸評>この本の著者は日本人なので、客観的なモンゴル歴史が見られるのではないかということでチョイスした次第です。rakutenモンゴルの歴史「第2章 モンゴルの登場」で突厥帝国の歴史やトルコ民族について、見てみましょう。P32~35<突厥帝国と現在のトルコ民族> さて、552年に柔然を破って漠北のモンゴル高原の支配者となった新しい遊牧騎馬民「突厥」が、現在のトルコという民族名の語源である。しかし、トルコ民族という観念自体は、20世紀はじめに誕生した、たいへん新しいものである。「突厥」という漢字は、もともと「チュルク」という遊牧騎馬民の集団名の音訳だった。このチュルクを現代中国人は「土耳古(トウルクー)」と音訳し、これを日本人がトルコと写した。だから、チュルクもトルコも同じことばなどだが、日本では、現代のトルコと区別するために、古代トルコをチュルクといいわけることもある。 現代のトルコ共和国は、1923年に建国された。その前身のオスマン帝国を建てたオスマン家は、13世紀に今のトルコ共和国のあるアナトリアに駐屯したモンゴル軍の7出身である。オスマン帝国は、15世紀にビザンチィン帝国を滅ぼしてイスタンブルに都を移し、16世紀には、その支配権はバルカン半島、東地中海、西アジア、北アフリカをおおった。 オスマン帝国の最盛期は約150年続いたのち、1683年にハンガリーを失ったのを境にして、18世紀には西ヨーロッパのほうが優勢になりはじめ、最後に第一次世界大戦に敗れて解体してしまった。 残ったアナトリアのアンカラで、ケマル・アタチュルクがトルコ共和国を建国した。初代大統領となったケマルは、国家の独立を維持するため、トルコ民族主義をスローガンとして採用したのである。 オスマン帝国時代には、「トルコ人」は「遊牧民」という意味で、地方に住む「田舎者」という蔑称でもあった。宮廷の支配層は、自分たちのことをオスマン人といい、自分たちのことばをオスマン語と呼んでいた。オスマン帝国を構成した人びとは、さまざまな人種から成っていた。 しかし、建国したばかりのトルコ共和国をまとめるためには、国民の団結が必要である。ケマルは、トルコ共和国民は、純粋なトルコ民族である、と主張し、その建国は552年にさかのぼる、と決めた。つまり、突厥帝国がトルコ共和国の祖で、現在のトルコ共和国民はすべて、モンゴル高原と中央アジアからアナトリアに移住した、と主張したのだ。 第一章でいったように、人種や言語による区分は、きわめて政治的な動機から生まれたものだし、このように、民族と言う観念も、人間の創り出したイデオロギーなのである。<突厥帝国と北朝> 突厥は、もともとモンゴル高原の西方のアルタイ山脈で遊牧していた部族だった。その祖先伝説はいくつかの種類があるが、共通しているのは、祖先が狼だったというしんわである。ある伝承によると、祖先は代々柔然に奉仕する鍛冶屋の部族だったという。 546年、突厥の部族長ブミンが柔然から独立し、西魏と同盟した。西魏の宇文泰は、ブミンに西魏の公主を嫁にやった。このブミンが、552年に柔然最後のカガンを自殺させ、突厥帝国を建国した初代のカガンで、イルリグ・カガンと呼ばれる。イルはチュルク語で領民のことで、イルリグは「領民を持つ」という意味である。 イルリグ・カガンの息子のムカン・カガンは、一代の間に、東は遼河から北はバイカル湖畔、西はカスピ海に至るまでを征服し、突厥帝国は、またたくまに東西を結ぶ大帝国になった。『モンゴルの歴史』1:匈奴帝国の歴史やモンゴル系かトルコ系かの分類
2026.10.06
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で『空想読解なるほど、村上春樹』という本を、手にしたのです。このところ村上春樹関連の本を集中的に読んでいるいるのだが・・・ツボが疼くとでもいいましょうか♪【空想読解なるほど、村上春樹】小山鉄郎著、共同通信社、2012年刊<「BOOK」データベース>より青いティッシュペーパーはなぜ嫌いか?青豆はなぜ生き延びたのか?あの青いあざとは何か?『ノルウェイの森』刊行時唯一のインタビュアーであり、『アンダーグラウンド』刊行を特報した著者が、ハルキの謎にせまる、愛に満ちたブックガイド。<読む前の大使寸評>このところ村上春樹関連の本を集中的に読んでいるいるのだが・・・ツボが疼くとでもいいましょうか♪rakuten空想読解なるほど、村上春樹イージー・ライダー「あとがき」に映画や効率社会などが語られているので、見てみましょう。p273~276<あとがきにかえて> 『1Q84』BOOK2の最後の方に、女主人公の青豆が「1Q84」年の世界から脱出するため、スーツを着てハイヒールを履き、鏡の前に立つと、『華麗なる賭け』のフェイ・ダナウェイみたいに見えないだろうかと自分で思う場面があります。『華麗なる賭け』はフェイ・ダナウェイと、いまは亡きスティーブ・マックィーンが主演した映画ですが、これは村上春樹が学生時代に公開された作品です。私も村上春樹と同年生れですので、とてもなつかしい思いがしましたし、なるほで、青豆のイメージはフェイ・ダナウェイなのかと納得しました。 村上春樹は大学の卒論で『イージー・ライダー』を論じたぐらいの人ですから、小説の中にたくさん映画のことが出てきます。本書でもジャン=リュック・ゴダールの映画と村上作品の関係を論じました。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』には「『イージー・ライダー』なんて三回も観た」とも書かれています。 それに続いて「しかしそれでも私は舵の曲がったボートみたいに必ず同じ場所に戻って、いつも私が戻ってくるのを待っているのだ」と村上春樹は記しています。 私はこのような村上春樹独特の思考方法に惹かれて彼の小説を読んできました。あらゆる問題がぐるっと回って、自分の問題として考えられるのです。これを「村上春樹のブーメラン的思考」と呼んで、この本の中でも紹介しています。(中略) あらゆる問題を、対象に対する問題として捉えるだけでなく、その問題を自分の問題として捉え直して、常に二重に考えを進めていくこと。そういうブーメラン的思考を深く抱いて登場してきたのが、村上春樹という作家です。私はそう考えています。 そんな村上作品の特徴と魅力を紹介する、この『空想読解なるほど、村上春樹』は、全国の新聞社と共同通信のニュースサイト「47NEWS」に連載した「村上春樹を読む」を基に、加筆し、再編集したものです。 連載のきっかけとなったのは、私と同年で共同通信の文化部時代に二人で文芸担当をしたこともある小松美知雄君から、インターネット配信のコラムを書かないかと声をかけてもらったことです。 それは東日本大震災が起きた直後で、私は過去に起きた大災害から日本人がどのように立ち直ってきたのかについて、文学を通して考えてみたいと思い、東日本大震災の被災地はもちろん、日本各地を取材しながら「大変を生きる―災害と文学」という週一回の連載を始めたばかりで、非常に多忙な時期でした。 村上春樹については、かつて「風の歌 村上春樹の物語世界」という新聞連載を1年間続けたこともありますし、『村上春樹を読みつくす』という本まで書いていましたが、しばらくすると、まだ自分の中に村上春樹の作品について書いてみたい点がたくさん残っていることに気づいたのです。そしてネットでの連載を書き始めたら、次々に村上作品への思いがあふれ出てきて、自分でも驚いております。 村上春樹が闘っているのは「効率社会」です。それを中心テーマの一つにして、前著『村上春樹を読みつくす』を書きました。そして本書の連載を始めた直後に、カタルーニャ国際賞を受けた村上春樹が受賞スピーチで、日本の「効率社会」の問題に触れて話しました。私の記したことが村上春樹の考えからそれほど離れたものではなかったことを知り、このことも連載を続けていく力となりました。『空想読解なるほど、村上春樹』8:白川静の漢字学(続き)『空想読解なるほど、村上春樹』7:白川静の漢字学『空想読解なるほど、村上春樹』6:『1Q84』と『大菩薩峠』の関係『空想読解なるほど、村上春樹』5:『国境の南、太陽の西』『空想読解なるほど、村上春樹』4:佐々木マキさんのマンガ『空想読解なるほど、村上春樹』3:ブーメラン的思考『空想読解なるほど、村上春樹』2:ジョージ・オーウェルの「カタロニア賛歌」『空想読解なるほど、村上春樹』1:惑星直列…まえがきにかえて
2026.10.05
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で、『ガロ曼陀羅』という本を手にしたのです。貸し本屋系からメジャー系まで、ほとんどすべての漫画家がコメントしているのが、スゴイでぇ♪【ガロ曼陀羅】ガロ史編纂委員会編、阪急コミュニケーションズ、1991年刊<「BOOK」データベース>より創刊号(1964年9月)から318号(1991年6月)までの全表紙をカラー写真で収録。『ガロ』掲載全作品を作家別に網羅。約30年におよぶ『ガロ』の歴史と変遷。まるごとオリジナル書き下ろし。<読む前の大使寸評>貸し本屋系からメジャー系まで、ほとんどすべての漫画家がコメントしているのが、スゴイでぇ♪amazonガロ曼陀羅『ガロ』が見つけた異才・つげ義春のコメントを、見てみましょう。p20~22青林堂主人 長井さんとの最初の出会いは、ぼくが大塚に住んでいた頃、出来たての白土三平さんの『忍者武芸帳』第1巻を持ってひょっこり訪ねてきたのが最初で、三洋社を始めた頃だったと思います。 白土さんのデビュー以前から、ぼくは貸本向けのマンガを描いていましたが、白土さんはよく、ぼくの作品を読んでくれていたようですので、白土さんに言われて長井さんが来たのかな、とも思いました。 それで、三洋社の『忍風』に描くようになったのです。当時はミステリー、ハードボイルドものが人気があったので、その手の作品を描いていました。 しばらくして、僕も引っ越しして、少しマンガから遠ざかっていた頃、『ガロ』の本の柱に「つげ義春さん、連絡乞う」と出ていたのを友だちの漫画家が見て、ぼくに教えてくれました。別に放浪していたわけでもなかったのですが、引っ越し先の住所が分からなかったからでしょうか。 それで長井さんのところへ出向きました。白土さんが、『ガロ』を作るときのメンバーにぼくの名前も考えていてくれていたからでしょうね。 当時は、本当にこっちも苦しかったから、1ヵ月後の原稿料の支払いも待てず、原稿と引き換えにギャラをもらうということでやっていました。 でも、神保町の長井さんの待ち合わせがなかったときは、練馬の赤目プロに行って、白土さんに二回くらい立て替えてもらったこともありました。長井さん、白土さんにそれを返したのかな? それが気掛かりですが、もしそのままだったら、ぼくは未だに白土さんから原稿料を借りていることになってしまっていますね。 そのついでというわけでもないのですが、1週間くらいは白土さんの手伝いをしたこともあります。 「紅い花」がNHKで映像化されたことについて何か、ということなのですが、正直言って当時はあまり面白くなかったです。70分くらいの作品で、佐々木昭一郎さんがきれいな映像に仕上げてくれましたが、反戦思想を作品の中に盛り込んだりしたことがふあわしくないように思ったんです。 でも、ぼくにとっても初めての経験でしたし、エミー賞という海外の賞や芸術祭参加作品の大賞をいただいた作品なので、今思えばすごいことだったのでしょうね。ガロ曼陀羅1:佐々木マキさんのコメントガロ曼陀羅2:『ガロ』創刊当時のお話ガロ曼陀羅3:南伸坊・元編集長の昔話ガロ曼陀羅4:青林堂社長の「はじめに」ガロ曼陀羅5:蛭子能収さんのコメント
2026.10.04
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************先日、村田沙耶香の「生命式」という短編小説集を読んだところであるが、SFとも、ファンタジーとも取れる著者独特の怖さを堪能したわけです。・・・ということで「地球星人」を復刻してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『地球星人』という本を、手にしたのです。村田沙耶香といえば『コンビニ人間』を読んで以来であるが・・・『地球星人』というタイトルがSF的なので、チョイスしたのです。【地球星人】村田沙耶香著、新潮社、2018年刊<「BOOK」データベース>より私はいつまで生き延びればいいのだろう。いつか、生き延びなくても生きていられるようになるのだろうか。地球では、若い女は恋愛をしてセックスをするべきで、恋ができない人間は、恋に近い行為をやらされるシステムになっている。地球星人が、繁殖するためにこの仕組みを作りあげたのだろうー。常識を破壊する衝撃のラスト。村田沙耶香ワールド炸裂!<読む前の大使寸評>村田沙耶香といえば『コンビニ人間』を読んで以来であるが・・・『地球星人』というタイトルがSF的なので、チョイスしたのです。rakuten地球星人ネタバラシというか、かなり中抜きとなるけど、最後の部分を見てみましょう。p243~246<6> 夫は、「暗いとき」に作った、腕の入ったスープを食べながら眠ってしまったようだった。貴重な食糧を溢さないよう、私はスープの入った器をそっとテレビ台の上へ置き、夫の向こう側に寝そべっていたもう一匹に呼びかけた。「由宇」 由宇の腹は、夫よりももっと膨らんでいた。由宇の薄い皮膚はぴんと張っていて、皮膚の中の骨と膨らんだ腹の形がくっきりと浮かび上がっていた。「ポハピピンポボピア」 私の呼びかけに気が付いたらしい由宇が瞼を擦りながら、私たちの言葉を呟いた。 その時、急に床の軋みが大きくなって、足音と振動と共に、地球星人の匂いが一気に強まった。 由宇も夫も起き上がり、私たちは身体を寄せ合った。夫と由宇は膨らんだ自分の腹を守るように腕で庇って蹲り、私はピュートを胸元で握りしめた。「キアアアアアアアアアアアアア」 何かと思ったが、それは地球星人の鳴き声だった。 障子の向こうから現れたのは、姉だった。私たちの姿を見た姉は、もう一度大きく鳴いた。「キアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」 姉の向こうには母もいた。二匹の甲高い鳴き声が反響した。 大きな鳴き声に慌てたように、他の地球星人の足音が集まってきた。 母の背後から、何匹かのオレンジ色の服に身を包んだ地球星人が姿を現した。救助隊という仕事をしている地球星人なのではないかと、その服装から見てとれた。「地球星人だ」 私は呟いた。 救助隊の地球星人は、身体を寄せ合っている私たちを一瞥し、うっと呻いて口元を押さえた。「あなたたちは・・・人間か・・・?」 私たちの姿を凝視しながら、地球星人のオスが言葉を絞り出した。 私たち三匹は顔を見合わせた。「ポハピピンポボピア?」「ポハピピンポボピア」 由宇が膨らんだ腹を守るようにそっと右手で撫でながら、地球星人の言葉で流暢に彼に話しかけた。「僕たちは、ポハピピンポボピア星人ですよ。あなたもそうなのではないですか?」 男性は驚き過ぎて唾液を噴き出したのか、それとも立ったまま胃液をもどしているのか、鼻からも口からも何かの液体を流していた。「その腹はなんだ・・・?」 隣にいた別の地球星人のオスが、しわがれた声で言った。「僕たち、三匹とも妊娠しているんです」 膨れたお腹を両手で持ち上げるようにして見せながら、夫が言った。 地球星人たちは震えているようだった。青ざめて後ずさりしている。「大丈夫ですよ。今はそうでなくても、あなたにも、きっとこの形のあなたが眠っている。きっと、すぐに伝染しますよ」 安心させるように由宇が地球星人たちに微笑みかけた。「僕たちは明日、もっと増える。明後日は、それよりもまたもっと増える」 由宇が丁寧に説明しているのに、地球星人たちはまったく聞いていないようだった。奥にいた一匹が激しく嘔吐している。「外に行こうか。僕たちの未来が待っている」 由宇の言葉に、私も夫も頷いた。 私たち三匹のポハピピンポボピア星人は、そっと手や足を絡めて繋ぎ、立ち上がった。「明るいとき」の光が、雪の反射と共に、外の世界から私たちの宇宙船へと柔らかく差し込んでいた。 私たちは手をとりあい、肩を寄せ合って、地球星人の住む星へと、ゆっくりと踏み出した。光に包まれた私たちに呼応するように、地球星人たちの鳴き声が、この星の遠くまで響き渡り、森を揺さぶりながら広がっていった。 ウーム、主人公たちはポハピピンポボピア星人だったのか。この作品をSFとして読んでみると、かなりファンタスティックというか怖い感じのSFではある。これが著者の筆力なんでしょうね。『地球星人』1:1『地球星人』2:6
2026.10.03
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)長雨もようやく終わって、秋の気配が感じられる10月1日を迎えたが・・・このところ、早朝や夕刻にツバメが飛んでいるのを見かけるのです。これって旅立ち前の体力強化に励んでいるのだろうか?。*********************************************************今日は我が町のツバメたちが見えないぞ・・・どうやら昨日、旅に出たようです。とにかく温暖化のせいで、七十二候の「玄鳥去」から、実態が1ヵ月ほどズレているようです。ということで、以前の日記から復刻します。***********************************************************************日に日に、群れで飛ぶツバメが少なくなっているような、このごろですね。七十二候に「玄鳥去」というのがあるけど・・・どうも我が町生れのツバメたちは、もう飛び去っていて南の地域を移動中ということのようです。ネットでこんなサイトがありました。七十二候「玄鳥去(つばめさる)」。巣立ったヒナは、どんな旅に出るのでしょうかより■もう帰る巣のない幼鳥たち。「渡り」を前に、集団で暮らします 食糧や繁殖のため定期的に長距離を移動する『渡り鳥』。日本でもいろいろ見られます。ツバメなどの「夏鳥」は、春に来て子育てし、秋になると南の国に去っていきます。オオハクチョウなどの「冬鳥」は、越冬するために北の国から日本にやってきます。チドリなどの「旅鳥」は、北国で繁殖し南国で越冬するため、中継地点として日本を通りかかります。 人間の世界では、転々とする苦労人を「渡り鳥」と表現したりしますが、『渡り』の旅はまさに苦労の連続。嵐や天敵など危険もいっぱいです。ツバメたちも、毎回命がけで種の楽園をめざします。 5月下旬。生まれてからおよそ20日で巣立った一番子のヒナたち。ツバメは2回子育てをする親が多く、生まれた巣は、これから育つ弟妹(二番子)たちのもの。巣立った子の居場所はありません。 そこで、幼鳥たちは集まって、出発の日まで水辺のアシ原や大きな樹木などで集団生活をします。早く一人前にならないと、南の国に渡っていけません。渡り鳥としての自覚を高める寮生活といったところでしょうか。幼鳥は、尾が短いので遠くからでもよくわかります。 夏になると、2回目の子育てが終わった親鳥たちも集団に加わります。夕方、空にたくさんのツバメたちが集結して、日が沈むと一斉にねぐらに入っていきます。「集団ねぐら」は毎日少しずつ移動するうえ、夜明けにはツバメたちはもう飛び立っているので、なかなか見つけにくいようです。集団はだんだん大きくなり、秋には数千~数万羽もの大群になるといいます。■歩かないツバメ。渡り鳥を見送れる場所をご存じですか? ある日の明け方前に小グループで出発。親鳥から先に南へと旅立ち、幼鳥は渡る体力がつくのを待ちます。連れて行ってはもらえません。7月後半になると、ねぐらは親の割合が少なくなってきます。それでも10月頃までには、皆出発するようです。 渡りにはいくつかのコースがあるようです。まだ一度も通ったことのない何千キロもの空の道を、親もいないのに、幼鳥はどうやって迷わずに行けるのでしょう? ツバメには、目印のない海の上でも目的地に向かって飛び続けられるよう、太陽や地磁気によって方角を知る能力があるといいます。さらには、目的地に近づくと地形や目立つ建造物をたよりに正しい場所を見つけるのだそうです。生まれながらに「渡る力」が備えられていたのですね。 ツバメの体は、空中生活用にできています。食事はもちろん、水浴びすら下に降り立つことなく水面すれすれを飛びながら一瞬で(カラスもびっくりの瞬間行水で、水飲みとの区別がつかないくらいです)。大きな翼は長距離飛行に耐える丈夫さなのに、退化した足は弱くて歩くのが苦手。他の小鳥と比べて巣立ちまでの日数が長いのは、巣立ったらすぐ飛ぶ必要があるためです。 高速で飛びまわりながら小さな虫を見分ける目。飛んでいる昆虫をくわえとりやすいように大きく深く開く、嘴。上嘴には左右5本ずつくらいヒゲがあり、虫取りアミの役割をします。 飛行速度は時速45km、最高時速は200kmともいわれます。また、長い尾や翼のひと振りで、急旋回・急降下・停止飛行も思いのまま! 多くの渡り鳥が、気流が安定していて天敵に襲われにくい夜間に渡るなか、飛翔力に優れたツバメは、昼間に堂々と渡っていくのです。体力のついたツバメたちは南の地域を移動中のようだが・・・来年の春にまた帰っておいで。【10月3日追記】 青天の空を一日中眺めていたが、ツバメたちの飛ぶシーンは見えなかったのです。・・・これはつまり我が町のツバメたちはどうやら昨日(10月2日)、旅に出たようです。
2026.10.02
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で、『藤田嗣治 手紙の森へ』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、自筆絵画のカラー画像、挿し絵、書簡など多彩でビジュアルである・・・新書で1200円と高価であるが、コスパは悪くないでぇ♪【藤田嗣治 手紙の森へ】林洋子著、集英社、2018年刊<「BOOK」データベース>より藤田嗣治は1920年代のパリを拠点に、油彩画の本場ヨーロッパで勝負し、相応の成果を果たした最初の日本人美術家として知られます。画家の没後半世紀。彼が残した作品だけでなく、遺族の手元以外から、手紙の存在情報が明らかとなり、多くの書きもの=日記や手紙の存在が確認され、整理公開、復刻が進んでいます。彼から手紙をあてられた人が、もしくはその遺族や関係者が守っていたのです。本書は生前の画家が書いた手紙をテーマとします。インクでぎっしり書かれた文字群には相手への思いのこもったイラストレーションも添えられることがしばしばで、こうした紙の上の「手しごと」を知ることが藤田の多面性の理解につながるのです。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、自筆絵画のカラー画像、挿し絵、書簡など多彩でビジュアルである・・・新書で1200円と高価であるが、コスパは悪くないでぇ♪rakuten藤田嗣治 手紙の森へシャーマンあての絵手紙あたりを、見てみましょう。p155~159描かれたニューヨーク生活 目黒区美術館が所蔵するシャーマンあての絵手紙から、いくつか見ていきたい。おそらく、到着直後の最初の手紙では、「私は自由です。私は暮らしを楽しんでいます。毎日たくさんのすばらしい刺激があります。私は二本だけでなく、たくさんの手が欲しい。私はやる気に満ちています」 と、千手観音ばりの自画像を添えている。 3月22日付にはフランス人アーティストのパーティーに呼ばれて、現地での知り合いを増やしている様子、3月30日付では日本からの君代とシャーマンからの手紙を受け取ってはしゃぐ姿を描く。それに続く3月31日付では、長期滞在型のオテルに移って、彼の日常生活がいよいよはじまったことを印象づける。上半分にはダイニングルームの光景。「今日、この家で初めての夕食です。ダーリン、はやく来てください。あなたの席はできています」 と、テーブルの向かいには不在の君代を透明人間のように線のみで描いている。英語での文面ながら、シャーマンが彼女に読み聞かせると思ってのことだろうか。下半分には、床に座って制作する姿で、後ろにはカンヴァスの木枠もある。『藤田嗣治 手紙の森へ』3:「赤毛の女」マドレーヌ『藤田嗣治 手紙の森へ』2:1910年代のパリにおける藤田『藤田嗣治 手紙の森へ』1:「はじめに」
2026.10.01
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