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Home.....それは、あなたが還っていく場所。いくらまわり道をして、道草しても、あなたが還っていく場所。あなたを迎えてくれるひとがいる場所。あなたが還っていくと決めた場所。それが、あなたのHome...
2006.05.29

なんと、うちの両親のお見合い写真、である。衝撃!父親は、大学時代の写真では・・・?母親は、そのポージングは、いかがなものか。いや~、時代を感じますなぁ。初めて、見てしまいました。つか、そんなものがこの世に存在するとも思わなかった。ちなみに、父は、お見合いを忘れて、現場に現れなかったらしい・・・。「結婚する気がなかったんでしょ。」とその話をするたびに、母は、不服そうですが・・・。ま、それでも、どういうわけか、成立したので、今日、ワタクシがここにいるわけですな・・・。弟よ、見てる?この驚きを分かち合おうぜ!
2006.05.25
『海を飛ぶ夢』について、今日も一日、ぼんやりと思いをはせる。「考える」ということが、まだ、できないでいる。「尊厳死」がテーマ、ではある。が、映画はそれには答えない。まずは、この主人公には、実在のモデルがあったこと、また、50代の主人公を演じたハビエル・バルデムは、実際には、30代の俳優であること、そして、監督も脚本家もバルデムより若い1972年生まれであることに驚いた。四肢の自由を失い、死を願う主人公を決して、センチメンタルにもヒロイックにも描かない。まるで、ドキュメンタリーを見せられているようだ。見ているこちら側にも、決して感情的に判断をさせない。しかしながら、主人公が眼を閉じると彼は、自室の窓を飛び立ち、森を越え、山々の尾根を越え、谷に沿って飛び、若い頃、世界中を旅した海へと自由に飛ぶことができる。その目線は、いつしか、私の目線になる。死を願い続ける主人公は、生き生きと生きているように見えるだけでなく、周りの人々にも生を分け与えているかにさえ、見える。主人公に「生きるよう」に願う周りの人々は、ほんとうに彼ら自身の「生」を生きているのか。死は生の対極にあるのではなく、生の中にこそ、死があり、死があることによって生を実感する。主人公が「尊厳死」を求めて起こした裁判のために現れる女性弁護士。彼女との関係、葛藤、愛、・・・なんてねー、言葉にすると軽々しい。ふたりの人生は、あるとき、完全に同じ軌道を走るのだが、行き着く先は、まったく、別になる。わたしは、・・・そう、「尊厳死」は、一般的な答えは出すことはできない。「私にとっての『尊厳死』は・・・」と一人称でしか語ることができないのだろう。私の人生に、自らの「尊厳死」について考える機会が、もし、あったとして・・・。そんな想像さえ、今は、できない。できないまま、人生を終えられることを神に祈ってしまうひとにぜひ、観て欲しい一本である。
2006.05.23
「尊厳」とは、尊厳ある死とは、尊厳をもって生きるとは。う~む。今の頭では、何も書けません。続きは、明日。主演のJavier Bardem、すごい。
2006.05.22
いまさら、である。夜中の再放送を観て、号泣。だって、映画も原作もドラマも、オンタイムでは、ちーーっとも興味なかったんだもん。んで、再放送。泣ける。映画も観る。誰かさんの影響で、そこから数年ぶりのTSUTAYA通い。『世界の中心で愛を叫ぶ』『亡国のイージス』『君に読む物語』『ターミナル』『ことの終わり』立て続けに、観る。『君に読む物語』いいです。ああ、こういう愛に出逢わずして死んでいく私。ならば、いっそ、すぐにでも、もしくは、すっかり、ぼけきってしまいたい。(>_
2006.05.21
いやいや、こんな日もあるものよ。なんか、激疲れ~。あまりにばかばかしくて、書く気にもならない。だって、どう考えても、「八つ当たり」だよなぁ。そりゃ、あたしは、「お檀家」さんじゃないけど伯父が檀家だからご住職が決めたんだろうに。いくら、檀家じゃないからって、一般ピーポーにその口の利き方、態度は、ないだろう、奥様。別に宗教に帰依してるのに、なんてことは言わない。信仰を持っていたって、ひとりの人間。そういう人間だからこそ、大いなる存在に憧れる。それを職業としていたって同じこと。聖職者が皆、聖人君子であれ、なんてことは言わない。むしろ、私は、人間味あふれる神父様にどれだけ救われたことか・・・と思う。だから、お寺の奥様だからってフィルターをかけるつもりはない。ただ、人として、それも結構なお年で、初めて、それもきちんと礼を尽くして来た人間に取るべき態度を知らないのは、痛い。「八つ当たり」だって、わかっていても、もろに感情をぶつけられると、最近の私は、もろい。「風が吹いただけ」と理解した後も、むき出しの、やわやわの自分の存在が、ゆらり、ゆらりと揺れ続ける。また、森の中に迷い込んで、暗い淵を覗き込む場所へ、一人で歩いていかないように、眠ってしまわないように、しなければ・・・。いやはや・・・。さてと、何から、どうやって、話を進めて行こうか。
2006.05.18
When you looked into my eyesAnd you said goodbye could you see my tearsWhen I turned the other wayDid you hear me sayId wait for all the dark clouds bursting in a perfect skyYou promised me when you said goodbyeThat youd return when the storm was doneAnd now Ill wait for the light, Ill wait for the sunTill I feel your ...今日の雨は、ちっとも、冷たくなかった。音もなく、やさしく、落ちてきて、土の中に滲み込んでいった。そんな雨の中にならずっと、ずっと、立ったまま濡れていたいと思った。
2006.05.17
って、断わりをたまにはいれとかないとね。○○ちゃん!「あ、来たな。」と思うときがあるよね。さすがに、結構長い間生きていると、経験則というのか・・・。選んでるわけじゃないのに、(いや、無意識で選び取ってるんだな)なんだか、同じキーワードが並んでしまう。たとえば、・・・そうだな、好きになる人の境遇とか、環境とか、ね。あ、やっぱり、あたっちゃったな、って思う。またか・・・、と思った瞬間に、こりゃ、ダメだ、と脱力してる。きっと「オーラの泉」にでたら、きっちり、言い当てられちゃうんだろうなぁ。あーあ。私が乗り越えるべきカルマは、なんなんでしょうか。また、今度も「ダメ」なんだろうか・・・。(あくまで、フィクションですよぉ、○○ちゃん。)
2006.05.16
と、最初から言っちゃあ、つまらないけど。今朝、夢の中でものすごーく、驚いた。夢の中であるひとのblogを開いたら、今まで「結婚してる」どころか、家族の話題に一切触れていなかったそのひとのblogにすごく可愛らしい洋菓子の写真がおいてあって、それは、やわらかいクリームがかった白っぽい写真で、四角い、バタークリームに銀色のアラザンが散っているようなケーキだった。ごく自然に「妻の買ったもの」っていうキャプションがついていた。わたしは、夢の中で、とっても驚くんだけど次の瞬間、なんだか、妙に納得するという、実に、夢らしい、現実感のない、それでいて、なんだか、どうも夢とは思えないようななにかのメッセージかしら?と思わずにはいられないようなとろりとした重みが残った夢だった。「神様、妻のある人に恋なんて二度としません。」なんてことを誓うまでもなく、(^^ゞこれは、昨夜、寝る前に見た、あのことが原因だとわかる。「市川左団次、25歳年下と再婚していた。」そうなんだよぉ。ショックだよぉ。あー、やっぱり、10年前にプロポーズしておくんだったよ。「レミオロメン」じゃなくて、ごめんよ。市川左団次で。((((((^_^;)
2006.05.15
お茶会。ひとつ、終了。終わってしまえば、あーすればよかった、こーすればよかった。いや、そもそも、ちゃんと考えていたのだろうか。間に合わすのが精一杯、こんなんじゃ、だめだった・・・。なんて、反省もありますが・・・。お寺の本堂でお濃茶席、というのは、本当にすばらしい経験をさせていただきました。
2006.05.14
10年ぐらい昔?のCDが出てきた。Mauiのコンドミニアムのカーペットを思い出す。MTVで繰り返し流れたOne Sweet Day。・・・・・・・・・・・・Never had I imaginedLiving without your smileFeeling and knowing you hear meIt keeps me alive・・・・・・・・・・・・And I know eventually we’ll be togetherOne sweet day・・・・・・・・・・・・And i know you're shining down on me from heavenLike so many friends we've lost along the wayAnd i know eventually we'll be togetherOne sweet daySorry i never told youAll i wanted to say月日が経って・・・いいことは、歌詞の意味が少しわかるようになることぐらい?わかりたくなかったことも。
2006.05.13

ついに、真夏日!環境に慣れたのか、何かを思い出したのか、順調にエサをぱくついているなぁ。大きくなってきたなぁ。こころなしか、色も濃くなってきたような・・・と、石臼を覗いてみると・・・。太ったわけじゃなくって、た、卵っ卵つけてるっ!大変だぁ。まだ、水草を入れてあげてないっ!というわけで、大慌てで人口産卵場を製作っ!古い毛糸です。モスグリーン系はいいとして、こっちの黒に臙脂の変わり糸はいかがなものか、と・・・。しかし、「めだかはシキモウだからダイジョブよ!」と言い切る、うちの母。ほんとっすか?待ちきれなかった子は、へりに生えてる緑色の藻に産み付けちゃいました。見えるかな?おたまで救出。とりあえず、陶製ビアグラスへ非難。って、なんだか居酒屋っぽい風景。どうでしょ?人口産卵場は・・・?先ほど、チェックしたら、モスグリーンのほうに産み付けてありました。
2006.05.11
近くにいるのか、遠いのか。 そんなことさえ、気にならなければ、 そこに「距離」なんて、ない。 点と点。 そうだ。 「存在」を認めてしまった。 「実在する」と認識した、 その瞬間に「距離」が生まれた。 同一平面上に、存在する対象。 距離は、はたして、どれくらいか。 手を伸ばせば届くくらいか。永遠ほどはるか彼方か。 近づく可能性はあるのか。今が一番近いのか。距離を感じた途端に、生まれた、かすかな、波動。目を閉じてみる。
2006.05.10
去年、突然、枯れた(ように見えた)たいつり草。なんと、ちゃんとお花をつけてくれました。うれしー。枯れちゃったと思って、お礼肥もあげてなかったのに・・・。ごめんね。うー、かわいい。今年は、白いのも欲しいなぁ。
2006.05.09
週末のお茶会のために、京都の老舗のお茶屋さんに注文。HPでぽちっとするだけ!と、思ったのが甘かった。というか、もう、GW中にそれはわかっていたのだけれど。有名なお茶屋さんなので、HP上で注文できるお店は他にもあったのだが、とりあえず、「本店」のHPを見る。と、買い物かごもあるんだけどそのページの下のほうに、管理人さんの都合(といっても、自分がそのお茶屋さんに就職する)で、いま、買い物かごはつかえません。ついては、お茶屋さんのHPをご覧ください、と書いてある。で、そのお茶屋さんのHPにいってみると商品の紹介はあるのだが、どうやら、インターネットで注文はできないらしい。でも、商品についての問い合わせのフォームがおいてあるので、そこに、記入。送信。・・・と、なんだかわからないけど二百数十字の字数制限。数回、書き直してみたけど、面倒なので、電話してみる。と、「お住まいの地域にある取引先をお教えします。そこにたずねてください。」と。ううむ。さすがは、老舗・・・?。取引先を差し置いては注文させてくれないのかしらん。で、そこに電話。なんとも感じの悪いおばちゃんが応対。「1000円の?それしかうちにはないわねぇ。」んな、安いお茶、いりません。(`へ´)プンプン。で、再び、京都へ電話。そこでやっとお取引いただけることに・・・。で、正確をきすために「メールで注文したい。」といったら、「電話か、ファックスで。」さすが、壱千弐百年の都は、ここ10年やそこらの通信手段は、受け付けないのであろう。で、ファックス。「ところで、領収証を発行していただきたい。」といったらば、「では、商品を『着払い』で送付するので、その領収証を京都へ送り返せ。その後、領収証を送る。」と。ひえー、ひえー。老舗、恐るべし。あー、こんなことなら地元のお茶にしとけばよかったー。とちと思う。でも、これが『老舗』なのかも。あんまり、便利になりすぎちゃっているのかもね。
2006.05.08
4時間。4時間もあっという間、とは書きません。いやいや、ステージング、ものすごかった。照明とビジュアルと生バンド!クドカンだけど「マクベス」だった。「うまい」俳優は要らない!パッションと演出力だ!上條恒彦、ブラボーッ!森山未來君、踊れるの、知りませんでした。感動っ!バレエのポジション完璧美しいのもほかのダンサーが取れてない拍取ってるのも、そりゃ、そうだ、びっくりだ。
2006.05.07
えーん。。・°°・(>_<)・°°・。 せっかく、お散歩のおともとしてなじんできたのにぃ・・・。新しいほうのデジカメ、ご入院とあいなりました。えと、私がいじめたり、落としたり、冷たくしたわけじゃないんです。なんだかねー、SDメモリカードを認識したり、しなかったり、するんですね~。どういうわけだか。気分やさんなんだろうか。飼い主に似てる?知らんわいっ!というわけで、手元の新旧SDカードもろとも、見てもらうことにしたので、しばらく、撮影はお預け、です。寂しい。わんっ!早く、元気になって帰ってきて欲しいなぁ。
2006.05.07
お茶会の菓子器を借りに、伯父の家へ。伯母にお茶を教わっていた時期は、ごく短く、「茶道」への関心は低かったんだなぁ・・・と今更ながらに残念に思う今日この頃。ほんと、ごめんね。(^^ゞ伯母が、交通事故に遭う一週間前、最初で最後の茶事をした。だから、多分、縁高(フチダカ)もあるはず・・・。なんてくらいの、記憶。あるとすれば、水屋道具の上だろう・・・くらいの推理。(きゃー、もし、なかったらどうしよう・・・。そんときゃ、先生にお願いすることにしようっと。)ビンゴ!が、しかし、下2段しかないっ!いやいや、きっとお手入れして、乾燥させておこうと思ったはず・・・。ああ、霊界の伯母と交信したみたいに、棚の中に、先週使って、お菓子の後をふき取って乾燥させるためにおいてあったみたいに・・・。ありがとう。ついでに、お茶碗をわかる箱にしまう。当時だったら、どれが何焼なんだか、ちんぷんかんぷんだったけど、最近は、少しはわかる。わかるようになると、ああ、こんなのも、あんなのも用意してあったんだなぁ、となんだか、胸に迫る。まだまだ、初心者も初心者。それも弟子は私だけだったのに、文淋の茶入れや盆点盆や、先々のお点前のお道具が用意してあった。一緒に、お稽古をしたかったんだろうなぁ。それなのに、ほんと、私、興味なかったんだなぁ、あの頃。ごめんね。ついでに、社中のお茶会のためにお茶室をお借りできるように、伯父に、菩提寺に電話をしてもらう。ご住職に快諾していただく。ご住職は伯母と保護司のお仲間だった。なにもかも、伯母が「がんばりなさい。」と手を貸してくれているように思う。 そうなんだよね。ごめんね。愚痴ばっかり言って。お茶は好きだよ。がんばるよ。見ててね。
2006.05.06

まだまだ、桜、満開です。山の上に住んでいるおじいさんが植えたという枝垂桜は、花の一つ一つが小さくて、色は、濃い。途中ですれ違った可愛らしい笑顔のおばあちゃま。どうやら、奥様らしいです。いいなぁ、いいなぁ。畑だったと思しきところにもすでに、何本もの桜の苗木が植えられていました。何十年経っても、何十年も経って、苗木も立派な大木になった頃、きっと大勢の人が見に来るのかもしれない。
2006.05.05
まさに、暁を覚えず~。
2006.05.04
さて、お茶シーズン。無料呈茶、です。G.W.。歩行者天国。花回廊。400人。うちの母も含め、お茶を差し上げた方に、よろこんでいただけました。よかった、よかった。 意義はあるとは思う。疲れ気味、なんだろうなぁ、私が。 意義はあると思う。が、しかし、「おしゃべりしてないで、片付けろ」とかさー、小学校3年生以来に言われたよ。あほかい。お食事のときに、「とにかく早く、座れ」だの、言われたほうもさっさと座っときゃいいじゃん、とりあえず、・・・みたいな。キーキー、きりきり、油の切れた部品じゃないんだから。小学生の集団じゃないんだからさ。そして、何十年もやってきて、お若いのに、どこか高みからひとをみているような役員様。人格が伴わないとお許状やらお名前をいただけないなんて、だいたい、誰が、どうやって人格を審査しているのであろうか。ありえのうございます。・・・というようなことも、なんだか、だんだん、どーでもいいような気がしてきて、もう、いらいらもしない。でも、ほんと、はっきりいって、今の私は、「どーでもいいや。」と思ってる。ぎすぎす、ぎーぎー、は、どこか別の惑星で鳴っているというほどの距離感。私の周りには、蛙の卵を包んでる生ぬるいどろろんっとしたゼラチン状の緩衝材があって、ぎすぎす波動は直接あたらないことになっている。残念ながら、カウントダウンしているから、やれてる。いや、正直、やれてない。やんなきゃいけないことが山ほどあるんだが、やる気もしない。やる気もしないのに、否、やる気がないのが見えるせいか、あれをやっとけ、これをやっとけ、せめてそれをひとつでも少なくするために抗弁するぐらいなもんである。人間失格。400人に喜ばれるのは、意義がある、だろう。が、こういうことをやれるのは、一種の部活ノリ、であり、そこには、ルールも序列もあるべきだが、お互いにおもしろがって、楽しいと思ってやれるうちが、花なのである。そして、もっともっと大勢で、もっともっと間口を広く、まさにあらゆる意味でフレッシュな青年茶人(わおっ!青年+茶人!いったい、誰?どこにいるの?)が多くかかわるべきなのである。そして、そういうひとを指導するべき30代・40代もまた、自己研鑽をする場なのでありましょう。今日は、お茶を通して、直接、頂くことのできる喜びを感じられる場であったと思う。そのことをもっともっと一緒に活動した人たちとシェアしたいと思う。お偉い方々、今日は、楽しかったですか?お茶は、楽しいですか?
2006.05.03
あえて、ピンボケです。``r(^^;)ポリポリ 連日のおばばか、どうも、すみません。 仕事柄、甥っ子がどのように母国語を習得していくか、生まれる前からとても興味があった。週に1度、あるいは、2週間おきぐらいだと、もう、「どのように」なんて、まったく、不明だ。というより、毎回、驚くばかり。 昨日書いた「我慢」なんてことがわかったり、「まだ」と「もう」の使い分けだったり、「やっぱり」なんて、すっごく絶妙に使っていたりする。「○○の時間ですよ。」とか、「ぶぶ、ボク、おふとん、ぴょんぴょんするんだから、準備して。」あたりは、幼稚園が始まってからのボキャブラリかなぁ。山桜がたくさん咲いているのを見て、「桜、いっぱい生えてるねぇ。」にも驚いたし、助手席で遠くに山が見えたら、「ばーちゃん、あの白いお山をみてごらん。」と指示。これには、母もしてやられた。「あ、オートバイだ、ふたつ(二人)も乗ってるねぇ。」「クリママ(犬のクリスのママ)ぁ、もうひとつ(一人)は?」・・・なかなか、日本語の数え方は難しいのだ。英語だったら、全部、いっしょなのにね。あ、ちなみに、一緒に遊んでるときに、急に英語を混ぜてもぜんぜん、平気です。答えも英語になります。なんの違和感もないみたい。たまには、「そうま、『あれこと』やりたいんだよ。」「なに?『あれこと』って?」「『あれこと』だよ、『あれこと』。そうまは、『あれこと』したいんだよぉ!」と意味不明なこともありますけどねぇ。(^^ゞ
2006.05.02
自分が3歳のときに、おばあちゃんところに泊まりに行ったか、少なくとも、一人で泊まりに行きたいなぁと思ったかどうか、あまり記憶にない。たぶん、なかっただろうと思う。神経質だったので、よその家で食事をするのがダメだったし、いくら楽しくても夜寝る前には、心細くて、柱時計の音がなんだか怖かった。それゆえ、甥っ子がいくら自分から「おとまりしたい」といいだしても、夜になって、どうしても嫌がったらいつでも弟のところに送って行ってあげようと思っている。意外にも、ご機嫌で遊んでいる。食事も(怒られないのをいいことに)遊びながら、それでもがっちり食べている。元気、元気、である。夜になっても、「寝ないぞ!」という決意まんまん!絵本を自分で持ってきて繰り返し読んだりしている。いよいよ、眠くなったそのとき、急に部屋から出て行くと、なぜか壁を背に玄関を見つめる。「・・・来たな。」「そうちゃん、どうしたの?」「ぼく、ばーちゃんちじゃなくて、そうまんちで寝たい。」「じゃあ、もう少ししたら送って行ってあげるから。」意外にも、それで納得。セーフティ・ブランケットを持って母に抱っこしたら、即、眠ってしまった。 翌日、すっかりご機嫌でお目覚め。お散歩でご近所さんにご挨拶。彼の父親より、よっぽど認知されている。公園へ行こうと自分でスニーカーを履く。車の助手席によじ登って、チャイルドシートもセットして待っている。「そうま、がまんしたんだよ。」・・・・・・とぽつり。「え?なにを我慢したの?」「そうま、がまんしたんだよ。」「なにを我慢したの?」「夜、ばーちゃんちで、がまんしたんだよ。」(>_<)そうか、我慢したんだね。寂しいのを、帰りたかったのを。 先ほど、電話したら、妹も「『寂しくなかったの?』と言ったら、『ぼく、がまんしたんだよ。』って言ってました。でも、すぐに、『ばーちゃんちに、また、お泊りに行く』って言ってます。」それなら、よかった。(^-^)それにしても、我慢、してるんだなぁって、なんだか、感動。 パパのほうが、我慢できなかったみたい。お出かけのとき、見送りに出てきて、「パパも行こうかなぁ。」って言ってたし、翌日、妹が電話してきたときも「パパが、『まだ帰ってこないのぉ?』って言ってます。」その日、病院に行ってくれたご近所のひとも「先生が『なんだか、調子が出ないんですよ。』って言ってましたよ。」・・・ったく。息子を見習って、我慢しなさい。ほんとに。
2006.05.01
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